先週はSF作家グレッグ・イーガン氏の少年時代の回想記『Born Again,Briefly』を勝手に訳して紹介しました。
今週はSFやノンフィクション作家チャイナ・ミエヴィル氏のエッセイ『Skewing the Picture(くゆらす美術は)』を勝手に訳して紹介しますが英検3級には厳しすぎました……。22000 24700字くらい。(うち訳文17000字くらい+別記事訳1300字くらい )
訳した人・なぜ訳したのか?
英検3級どまりです。アップした理由は2点、すごく面白い内容でぼくのメモ帳にとどめておくのはもったいないと思ったのと、英語ワカラン御当地ネタもピンとこないぼくが原語とgoogle翻訳とgoogleとを往復して読むのはたいへん面倒なので、再読用に日本語文章を残しておきたかったからです。(絶対あるだろう致命的な誤読・誤訳を指摘してもらえるかもというのもある)
タイトルからしてもう訳がアレなのは意図的ですが*1、意図がわかっても苦しい通り、本文はもっとアレです。
Google翻訳した時点で正しそうなところも雰囲気で味つけしたし、グーグル様でもよくわからないところはおれ様がその日の気分で勘ぐることでそれっぽい感じにごまかしました。
ミエヴィル氏の原文の語り口はこれまた一文がながいけど、グーグル様はわりとすんなり通ってました。ぼくの方が文節がどこまででどこに係るのか分かってなかったし、何なら今でもわからないまま訳したので精度は(というか粗度は)すごいことになっていることでしょう。主語述語が全然違うとか文意が真逆レベルのポカがあるはず。
大学生以上は原文を当たってくれたほうが良いでしょう。
著作権的にダメな気がしますがよく分かってません。わかるような知恵と知識の持ち主であれば英検3級で止まってません。「ダメですけど! 権利侵害なんですけど!?」と義憤したミエヴィル氏やチャールズ皇太子ほか関係者、法律に強いかたは仰ってください。消します。
もし記事のなかで、文意が不明なところがあるとすればミエヴィル氏ではなく訳したぼくの問題です。
内容ざっと紹介
SFやノンフィクション作家チャイナ・ミエヴィル氏が、ピクチャレスクについてその着想・語源から現在に至るまでの推移を網羅します。(5500語くらい)
今記事では割愛しましたが、原エッセイでは挿絵がいくつも挿入されていて、絵解きのような文章もあるので、元ページをご参照しながら読んでいただくとよいでしょう。
ウィリアム・ギルピンやエドマンド・バークといった18世紀のビッグネームの理論家の言が引かれるのはもちろんのこと、ピクチャレスクに関する21世紀以降発表の論文も参照されます。風景式庭園の考案者で実践者ハンフリー・レプトンの実作が検討されるだけでなく、戦後間もない市民の、あるいは90年代に入ってからのお上の建築・都市計画も扱われますし、果てはミエヴィル氏自身が足をのばし撮っただろうどこかの建物が紹介されたり、ピクチャレスクのピの字もないはずの、1600年代の法律と市民の苦悩の痕跡さえもが掬われます。
視聴覚作品としては、コンスタブルの風景画はもちろんのこと、コミック、映画、果てはSteamで取り扱われるインディーズビデオゲームから謎文芸集団の謎音楽といったインターネットの辺境までもが渉猟されます。あなたは庭門の蝶番の立てる音でのみ奏でられた音楽作品をご存じですか?
ノンフィクションを多数手がける碩学がその語源からして雑味のあるトピックに対して忠実に向き合った結果としての雑多な博覧強記と、劇作家が明晰に走らせる技芸とのせめぎ合いがすさまじいエッセイでした。
記事訳文
『Skewing the Picture(くゆらす美術は)』
(チャイナ・ミエヴィル氏ホームページ『rejectamentalist manifesto』、18年5月3日の記事より)
{2016年開催バラム文芸フェスティバルのため執筆し、その後『ガーディアン』紙に抜粋が掲載されました。以下は全文です}
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小説書きと彼の洋梨。
イニシュタハルの、島肌の
瓶のうえの蝙蝠に、
かつてが救い上げられる。
叔母のエミリはセント・キルダへ
カッコウに騙された
土地の人々。
コッツォルズの珍しい、
救貧院へつづく道。
1953年の名もない詩だ。 枠組むこと(framing)に関するこのエッセイは、先ほどのようないくつかの詩から成っていて(framed)、詩はどれも同じシークエンスから引かれており、テクストのどれもが1940年代後半から50年代にかけて書かれ、誰にも詠われず下に置かれてきた(undersung)*2。古いモダニズムの弁証法による詩だ。現実を求め張り詰めればこそ疎遠となった。従事したのはこの場合、田園詩(パストラル)と、ピクチャレスクと、その折り重ね。
砕ける鏡のようなシークエンスとなるだろう。
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見ればピクチャレスクが分かる。滅茶苦茶(ヒグルディ-ピグルディ)な、曲がりくねった田舎道、せり出た垣根の列(ヘッジロウ)、荒れ果てた農家屋(コテージ)。それについて指し示せるが、時にはそれが取りえる最善手で、なぜならそれは定義しようとすればすり抜けようとするものだから。
意味が落ち着く気がないのは、そのカテゴリーの構成要素だ。
考案者のひとりユーヴドール・プライスは、1794年の著『ピクチャレスク論』において、“正確には美しくない性質に関する不確実なアイデア”として手探りで記した。けれど「ピクチャレスクの文化的重要性は」スティーヴン・コプリーとピーター・ガーサイドは著作『ピクチャレスクのポリティクス』の中でこう主張する、「その語彙の理論的不確かさに正比例します」
見ればそれが分かる。イタリア語のピットレスコからくすねたその言葉は、絵画らしさを核心とする。ピクチャレスクはフレーミングであり風景の公式化であり、そして凝視のなかにあるものだ。ピクチャレスクは正確には美しくない、だが可憐(プリティ)だ。魅力的(チャーミング)だ。風光明媚(シーニック)だ。*3
ピクチャレスクが込み入っているのは、名もない詩が示したように、それが伝統に反する伝統だということだ。よりあからさまな例にも、控えめな例にも、明白すぎるくらいに明白だ。ピクチャレスクの矛盾点ではないけれど、不純ではある。
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『田舎の一年(A Year in the Country)』は、"英国の牧歌的な田舎の夢が根底にかかえる不安定性(unsettledness)の表現を探す;田園趣味(パストラリズム)の別の顔を探検する"計画だ。
この本によれば、前庭門の蝶番の音でのみ構築された耳障りで恐ろしいアルバムがあるのだと云う。ピクチャレスクな家具は不安を煽るべく再び用いられた。
ビデオゲーム『拝啓、あなたは狩りの獲物です(Sir, You Are Being Hunted)』の舞台は"不気味な田舎"と呼ばれており、そこでは伝統的な田園のピクチャレスクの姿が捕食者へと変わってしまう:かかしも、猟師も、地主でさえも。
時折、不自然なまでのスチームパンクの風狂が興をそぎかねないけれど、音景やその田園離れした奇怪な風景は純粋に落ち着きを奪う。ランダムに生成されたピクチャレスクをくゆらせるデジタルな黄昏。
(訳注;挿絵『Sir,You Are Being Hunted』から夕暮れの田舎町のスクリーンショット)
『悪魔の異形(Hammer House of Horror)』で1980年に放送された『満月の子ども(Children of the Full Moon*4)』は、ピクチャレスクな形象(イミジリー)をゆるやかに眺めて(slow pan)幕を開ける:ふしくれだった木、下生えの藪、密生した花々。少女が『輝かしく美しいすべてのもの(All Things Bright and Beautiful*5)』を唄いながら子羊を撫でる。彼女がカメラへふりむくと、血にまみれた顔が見える。獣の喉を嚙み裂いていたのだ。
辣腕なホラーはピクチャレスクの転覆を餌に商う。
(訳注;挿絵『Children of the Full Moon』から少女のバストアップショット)
例は枚挙に暇がない:66年の『蛇(The Reptile*6)』や『魔女(The Witches*7)』のような、さらなるハマーフィルム。五月柱の悪夢;『ウィッカーマン(The Wicker Man)』。もちろん;"ピクチャレスクな高所"を舞台とした『おかしな祈祷書』のようなモンタギュウ・ロウズ・ジェイムズによる幽霊譚も。ベン・ウィートリーによる奇妙な田園詩(パストラル)映画。ピーター・ストリックランドが2012年に撮った異常なメタ恐怖映画『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』のもっとも不穏な瞬間は、牧歌的なイングランドらしさが彼らや我らの凝視によって奇怪きわまっていく、観光客がおとずれたとある英国の低い丘(English downs)に関する空想上のドキュメンタリーの断片だ。
(訳注;挿絵『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』から窪地の草原のショット)
額入れされた光景(framed scene)を斜にくゆらせた(skewing)ことによるこの悪しきピクチャレスクの作品群は、ような(エスク)を強調した美術(ピクチュア)だ。ピクチャレスクという語の誤発音をそのままこれの名にしよう。
この美術はくゆらす(pictureskew)ものだ。
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ピクチュアスキュは、ロバート・マクファーレンの文筆『英国の不気味(English Eerie)』で明々と縁どられた通り、美学と情動とが織り成す全体の一要素だ。不気味さを明らかにすることと、既存の美学を見出すこととの間にはズレがある;もしかするとそこまであからさまでない作品や明らかに屈曲した作品の、ほかの読解の方法論として説明することとも;さらには芸術的実践の見込みあるものとも。
異常でもなければ批判でもない:それはパラダイムを豊かにしうるものの一部だ。
たとえば後期デリダ派の"憑在論"(関係なくはない)のなかで、音楽も音楽批判も展開されているのと同じく正しい。そして歴史的にも正しいことにピクチャレスクはそれ自体が、18世紀での誕生からして美学の理論と美的様式とのあいだの落ち着かない折衝だった。
この(ポスト-)『英国の不気味』の反復は自身の時となじんでいく。現代のこの苦悩に満ちた人新世で、われわれはジョエル・マクスウィーニーが“死した田園詩(ネクロパストラル)”と呼ぶ詩の波を望むかもしれない。「人類の略奪の事実は、影響悪影響でいっぱいの、毒され突然変異し奇形で劇的な“自然”の経験と切り離すことのできない、政治-美学の領域です」
マクスウィーニーが田園詩へ注ぐ目は雄弁だ。ピクチュアスキュもまた次から次へと突然変異し死にゆくだろう。
ほとんどがマクファーレンの付記となるここでの議論は、相違はあれど数少ない敬意に値する意見に基づいている。「風景は…けっしてなめらかなうわべでも単純な舞台装置でもない、ピクチャレスクの慰謝をささげるものです」マクファーレンはM・R・ジェイムズについてこう書いて、更にあの不気味を「ピクチャレスクや英国の風景画にえがかれるパストラルについて認識可能な伝統への対抗言説(カウンターナラティブ)です」と呼ぶ。ただ、慰謝と捉える考えが示唆するのは、説得力ない自論でピクチャレスクを取るということだ。この主張こそがまさしくピクチュアスキュの非難だ。
田舎の不気味は、厳密にはピクチュアスキュと隣接しない:ピクチャレスクもピクチュアスキュも多かれ少なかれ、不穏な風景だ。不気味はピクチュアスキュの傍流でなくて、重要な核なのだ。そのカテゴリーは菌糸体の細糸(フィラメント)のように広がっていく。
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どんなピクチュアスキュの系譜にも、ピクチャレスク自体が欠かせない。
1792年、ウィリアム・ギルピンがピクチャレスクに関する3つのエッセイで思いめぐらすに「この美は絵画への賛同(agreeable)です」、これは1757年にエドマンド・バークが記した2つの美学的なカテゴリー:「なめらかさ」*8という漠然とした基準による楽しくてくつろげる美とも;それと対立するような、ロマン主義が愛用する崇高(サブライム)――バーク曰く「いかなる場合においても恐怖は支配的原理です」*9、喜びさえ混じるような畏怖を呼び起こす険しく広大なもの――の美ともどちらにも当てはまらない。
「この2つのあいだにあるものが、」ギルピンは言った、「完璧な構図で描かれた丘のうねりと、木々や川や農家屋のもつれ。このはざまにピクチャレスクはあるのです」
ギルピン以後、リチャード・ペイン・ナイトとユーヴドール・プライス、ジョン・ラスキンやそのほかの人々が、何世紀にもわたって、影響力あるバークの後を継いで発展させた。ギルピンにとってピクチャレスクは、なめらかな美とちがって、多彩だった――「壊れた」「いかつい」「粗い」。そして自然は助けを欲していた:構成は弱点だ。ギルピンは読者にどこを凝視するのかを説いた――視点を低く保つとよいですよ、ここに注意してください、(崇高な)神のごとく見下ろさないで、見上げるようにと。自然に落胆するのなら、その場を自身の表現によって変え、巧妙にピクチャレスクを成しましょう。「単なる地図でしかない、色塗りされた測量図」に縛られないでください、「芸術の欠陥ではないと考え、分類しましょう/却下か、さもなきゃ組替か:むしろこう言ってください、/"最高傑作だ"と」
心地よさ魅力その全てから、ピクチャレスクの凝視がうながし根底に潜ませるのは暴力の夢の始まりだとギルピンは知っている。
パラーディオ様式建築は高雅(エレガント)かもしれません。……しかしもしそれが絵画として紹介されたら……歓喜も已みましょう。ピクチャレスクの美を望むなら、鑿で彫る代わりに、木槌をふるうべきでしょう:半分を叩き落とし、そのほかは摩損させ、輪切りにした部材をあばら屋の周囲へ放るのです。
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そしてまた、そんな残忍さと隣り合わせのピクチャレスクは、英国らしさが肝心だ。
実際のところ、ドラ・ウィーベンソンらはあの概念(コンセプト)がどれだけフランスの絵画や庭園設計から影響を受けたか示した。ピクチャレスクがとても英国らしいということは、その概念が幅広い活用や反響をもたないことも意味しなければ常にそうだった訳でもない:ラスキンはフランスの農家屋やヴェネツィアの資質を確認した。かねてより国際化されていたのだ。まず英国(ブリテン)やあるいはしばしばスコッツで体系的に発展し、そして大陸の作家によるものを含んだ理論や様式のどちらもが英国と関連づけられた。その関連はゆっくりと繁殖した(propagated)。
その感覚はいまだわれわれに伝える。ピクチャレスクは英国の田園(パストラル)を定義する、コンスタブルの『干し草車』を、ちいさな村を、「コッツォルズの珍しい」の詩を。
ピクチャレスクは英国の空想(イマージャナリー)のプロパガンダだ、農家屋の戸の周りで咲く蜜吸葛(スイカズラ)みたいに大英帝国(アルビオン)の周囲で尾を引く鼻につく遺臭で、魂の英国らしさ(Englishness of the Mind)由来の込み入った――「眺めは」スタンリー・ボールドウィンは言う、「丘の額を越える犂曳きの農夫らは、英国がただの土地だった頃から英国で見られる眺めだ」
鍵だ、生まれからして月チガイ(mooncalf*10)の社会主義者の愛国心にも。
「老いたるメイドたちが聖体拝領へ歩いてむかう秋の朝霧」とはオーウェルのえぐい"社会主義と英国人的才気"による最も有名な喚起だが、自身の賛歌のなかで彼は「煙る街の曲がりくねった道、緑の野原と赤い郵便箱」と、ゆるやかにうねり、粗い、ピクチャレスクの一種を正確に縁取っている。
「西洋人が進むにつれて、英国人はそれは貴く(highly)分化していった」と彼は言い、「こぶの多い顔、汚い歯」を記述する――またもや粗さの一種だが、今や風景だけではなく英国人自身だ。こちらはピクチャレスクな人々です、そしてオーウェルの作品は社会主義者のピクチュアスキュです。
これらすべてがピクチュアスキュだ。組織化された原理が後に残って、田舎に劣らず都会でもはたらく。けっして論争と無縁でもなく、現実的で、官僚的で、制度的で、イデオロギー的で、権力だ。
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モダンな都会のピクチュアスキュは第二次世界大戦後、クイーン・アンズ・ゲートSW1はデンマークの花嫁で飲み過ぎたところから花開いた。そこは密集していて、惜しげもなく飾り立てられた場だった:すべてが鏡の彫板で、騙し絵(トロンプ・ルイユ)の壁だった;ビール業者のポスター;亀の甲羅。みすぼらしい材質のライオンが鎮座していて、それは自意識過剰で(self-conscious)自分を消しがちな(self-effacingly)英国人(english)による照れくさく(self-conscious)控えめな(self-effacingly)ポスト帝国的英国らしさ(post-imperial Englishness)への言及だった――到底そうは聞こえないものの。
{訳注;上述バーの挿絵(ジョン・モルトビーによる写真)。カウンタが煌めく隣の窓の向こうの繁みからライオンがカメラを臨む}
『デンマークの花嫁』は、パブリックハウスに似せて設計されたが、事実にはプライベートクラブだった。「居酒屋(パブ)」だった、パブの夢だ、隠酒喩屋(メタパブ)だ。
1946年の建造当初からすでに、数十年に及ぶ煙草で煙されているみたく見え、空爆の跡地から引き上げたり寄付されたりして骨董品と縁があった。「あばら家の周囲の輪切りにされた部材」は郷愁(ノスタルジア)の先買権として再び用いられ、ヒューバート・デ・クローニン・ヘイスティングやヒュー・カッソン、ジェームズ・リチャーズ、ニコラウス・ペヴズナーその他『Architectural Review』誌の偉丈夫が設計し製作した。
戦後がまばたきしはじめたみたく、英国らしく酒盛りするピクチャレスクが組み立てられ、土地景観(ランドスケープ)をもじった「都市計画(タウンスケープ)」と呼ばれるニュー・アーバニズムというまた異なるピクチャレスクも組み立てられた。権威に対抗する自由の理論として、英国における個人主義や多様性の理論として想像されたのだ。タウンスケープは、あきらかに、紳士的なモダニストによるピクチュアスキュの都会への拡張だった。
1949年のマニフェストに近い社説でヘイスティングは、ピクチャレスクは「過激(ラディカル)だ」と云うユーヴドール・プライスの言論に頼って、審美的全体主義を拒絶した――ヴィスタだのプラザだの(異国)気取りも誓って捨てて、賛同(agreeable)という新たな基準のために、適度にごた混ぜ、シュルレアリスムの奇行を飼いならし、「既存の建築を利用した風光明媚(シーニック)」と専門家が呼んだものと組み合わされた。かつてと地続きであることの尊重。
リチャード・ウィリアムズが論じるに、ピクチャレスクの貴族的な視点は孤立を保っており、そこでは労働者でさえも見世物(スペクタクル)となる:「眺望の様式は、ある種の特権的戯れを提案します」
建築は上品な夕食会に来た中産階級の客人として想像され、そこでは飲んだくれはおらず、しかし特権的戯れの充分興じられる程度にほろ酔えはします。ゴードン・カレンの1961年の著『簡明なタウンスケープ(The Concise Townscape*11)』の目ざましい一節だ。:「正統(オーソドックス)な礼儀作法や恭順という拘束具を脱いだ外で、本当の人間は立ち現れていく……X女史の鋭いがしかし気立ての好い機知(ウィット)が、Y氏の素朴な活気の正しい引き立て役となっている。……など。楽しいことでしょう。恭順は、ふるまいに寛容を認める点において、協定(agreement)に道を譲ります」
楽しいことだ。ピクチャレスクは気取った奇矯やわがままを奨励し――もちろん限度のなかで――それがかえって社会秩序を強化する。「瓶のうえの蝙蝠に」詩のなかの夜闇を飛ぶ動物は急転換する、「かつてが救い上げられる」
救い上げられた過去がわれわれをパウンドベリーへと連れていく。
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パウンドベリー、ドーチェスターの郊外にあるそこは、チャールズ皇太子のためのおもちゃじみた町だ。こちらは殿下の建築観の治世で御座す。「恥ずかしげもなく伝統的な」、低所の、際限ない擬ジョージア朝の、車なき夢の小路に高すぎない塔、市場町の幻想(マーケット・タウン・ファンタジア)。屋根付き市場は億万長者の実業家の挨拶状(グリーティングス・カード)がいさかか目と鼻の先に見えるよう。
パウンドベリー、批判と軽蔑のこのおなじみの標的は――スティーブン・ベイリーの言葉によれば「無味乾燥で、息の詰まる、寄宿舎町……1954年の田舎のデパートの家具用品フロアの、建築学的翻訳……偽物で、心ない……ぞっとするかわいらしさ」――爆心地だ、ピクチャレスクの具象性を疑う者にとって、権威主義的現実を生きる者にとって。道は砂利が撒かれている、体裁上は、美術上の観点から:広く撒かれた砂利が乳母車にとって悪魔であるかはどうでもよい。
せいぜい築25歳のパウンドベリーの外観には煉瓦囲いの偽窓も組み込まれていて、これはそもそも1696年から取り締まられた窓税(Window Tax)の回避機構として本当におこなわれた対策だった。
(訳注;挿絵。廃墟のような町の一角の、煉瓦囲いの偽窓をうつした写真。ミエヴィル氏自身の撮影だろうか?)
パウンドベリーの厳しい規則が禁じるのはイルミネーション看板、衣類乾燥機、アンテナ、メーターボックス、空気抜き、換気口、屋外塵箱(ダストビン)、ソーラーパネルが通りから見えること。
いまだここに非窓があるのは、安易で鼻持ちならないキッチュなオマージュであり、荒廃としていて、不潔な、そして換気不能の闇を罪人にもたらす抑圧的な計測で嫌われたあの非窓があるのは、味のある細部だ。
こちらは悪しきピクチャレスクの日常(lives)です、あるいは死霊(undead)*12。
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あのシークエンスからもう一つ。1952年より。くゆらす美術は。
クリスマス。郵便屋の
ネズミが、見ている地図書きの
旅芸人にも似た試練。
貧しき者の花々に、
校舎の幽霊。
国会のカラスは
餌をもとめて危険を冒し、
蜜蜂とその遺臭:
ペルシャの半刻。
冬になれば、雪が降り、雪のすることなすことが一瞬愛らしく見えてくる。絵画同様に可憐だ。けれどインフラの要請によって除けられてゆき、やがて砂利と混じって手に負えなくなる。そんなパウンドベリーの地図書きの試練が、概念的で市民的な教育上の類像(シミュラクラ)に生きていて、不安に憑りつかれてる:「貧しき者の花々は、/校舎の幽霊」
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不安はつねにそこにある、まさにピクチャレスクがつねに競争しているように。詩神への呼びかけは、信奉者でさえ、謝罪をともなう。
「タウンスケープは、」ヘイスティングは言った、「ピクチャレスクを"浅薄な刺繍"から救う(レスキュ)べきだ」。定義を変えろ:ピクチャレスクは「視覚的に惹きつけるもの、とりわけ古風で趣あるか魅力的な方法で」 なんと無惨な、気の遠くなるような賞賛だ。同じ単語が繰り返されている:喜ばしい、可憐な、愛らしい、楽しい、風光明媚。魅力的。古風な趣。
「ピクチャレスク」と言って、眼前に持ってきたものは、印度更紗(チンツ)に羊飼女の陶器、チョコレート箱などを、少なくとも、荒れ果てた牧柵の踏み越し台やうねる崖ほど沢山。あの詩で詠われたようなこれらのまずい「貧しい者の花々」は、よりうまく技巧を凝らした下生えの藪のただなかで昔から見えている。
ほんの小さなステップなのだ、かわいいからただかわいいだけまでは、ピクチャレスクから魅力的までは、古風な趣までは、ただすましただけまでは。そのうえ、ジョン・マッカーサーはこう論じている、「ピクチャレスクは胸のむかつきじみた沢山の考えがよぎる」、つまり「現在と過去とのあまりに安易な調和」、「鼻につくポプリの香り」、「ありふれた、感傷的で、究極的には胸がむかつく」
この充分な審美的な胸のむかつきは、軽蔑が強すぎて独りよがりのきらいさえある軽蔑だ。しかし傲慢な軽蔑の呼び寄せる不安はそして/ないし内なる害は、真正の毒だ。
反ピクチャレスクの憎しみは、心配の狭間胸壁を建てる。ピクチャレスクの感覚は脅迫となりうる。ピクチャレスクの凝視が底に取り巻く残忍さは、スケッチのなかの不愉快で不可侵の神殿にむかって想像上の木槌をふるうことを制限しないから。
ジョン・ラスキンはピクチャレスク的理想から皮を剥ぐ。「著しく心ないものだ」として。
愛好家は無慈悲に揺れて短気を起こして世の中へ出ていく。ほかの誰もが無秩序で破滅的な眺めに悲嘆する。彼はどちらもにひとり喜ぶ;……なんだってかまわないのだ。……粉々になった窓、漆黒の覗くぞっとする壁の裂け目、それを塞ぐ襤褸切れや藁の束、危うい屋根、がたがたの部屋や階段、ぼろ着のみじめさ、あるいは住民の齢の浪費――それらすべてが、正しい尺度で彼にとって満足感の充実へと導かれていく。
70年のあいだ無力な闇のなかを無学なまま魂を浪費して逝くことは、老父にとって何なのだろうか? 老父が天命を全うし、見苦しい(unsightly)モチーフとしてスケッチの片隅を埋める。
ピクチャレスク的美化にたいするラスキンの弾劾はすがすがしい。だが自身の目の前の梁から充分には離れられておらず、あるいは気づけてもいない。これはピクチャレスクへの批判ではなく、かれが「低俗なピクチャレスク」と呼ぶ最も俗悪な二番煎じへ向けられたもので、ラスキンはターナーなど一部の作品については「貴い(highly)ピクチャレスク」と対置して歓声を上げた。
決定的要素は知ることだ。ピクチャレスクは無意識の範疇で良心を欠いている。
貴いピクチャレスクは凝視する現実を理解している。「困窮していく、あるいは質素に気高く耐え忍ぶ心の強さが腐りゆく苦しみ」だと、そして「質素なだけでなく無意識だ」と鋭く気づく。
無意識は戻ってくるが、しかし低俗なピクチャレスクでは凝視のなかにあるというのに、貴いピクチャレスクでは凝視が意図的に凝視したもののなかでなければならない――「苦悩し腐敗した事実についての無意識からの告白は……哀れみを乞うこともなければ軽蔑されることへの恐れもない」。
凝視する者はおそらく、きっと、同情を覚えるだろうし、もしかするとその地位礼節にふさわしいだけの慈善や寄付さえはらうかもしれない。だが貴いピクチャレスクは憂鬱であるにもかかわらず、マッカーサーが指摘していたように、なおも困窮やみじめといった「苦悩や腐敗」への帰化に基づいている。どちらかと言えば、ひょっとして、なおさらそう。
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民間の地主のための共有地の大規模な収用である囲い地と、ピクチャレスクとの関係性をアン・バーミンガムは辿っていく。「ランドスケープを予め囲い込む(preenclosed)という不規則な祝賀のなかで、ピクチャレスクは田舎の家父長制の古い伝統に郷愁ぶかく耳を傾け、」彼女は記す、「事実として急速に消えていった自然を理想化したのです」、農村の家父長制の「喪失を感傷にしました」、「社会改革の斡旋をまるで運命かのように、地主階級の経済決定など原因でなかったみたいに迷わせました。この点においてピクチャレスクは、囲い込みの事実とその社会的重要性を過小評価させ拭い去ろうという一つの試みでした」
逆説的だが、感傷的に覆い隠されたその囲い込みこそが、まさしくピクチャレスクの広がる仕組みとなりえた。
1816年、ハンフリー・レプトンは『風景式庭園の理論と実践についての断章(Fragments on the Theory and Practice of Landscape Gardening)』を出版した。自身のエセックスの庭園から眺めた、作庭する前と後との挿絵――紙を折り重ねて巧妙に構成された――をレプトンは本の内に閉じ(included)、囲い込んだ共有地でいかにピクチャレスクを造ったか正確に見せた。
{訳注;挿絵『エセックスのヘア通りにあるレプトンの家からの眺め、造園まえ(View from the cottage of Humphry Repton at Hare Street, Essex, before proposed alterations)』画面左の建物の1階は肉屋で木板の窓を持ち上げ開いて屋根にして肉を並べている。手前には整地された庭と菱形格子の柵が水平線と平行に並び、柵のすぐ外に隻眼で片足義足の老人が帽子を器にして立っており、その奥の道に囲まれた三角の原に白い鴨が群れをなしている。馬車がぽつぽつと走る薄土色の道は轍が目立つ}
「庭園として充当された25ヤードにより、わたしはランドスケープの額縁(フレーム)を得ました」
レプトン庭園の植栽により、不快な肉屋を隠すことができ、そして、あてつけがましく、貧民が――「作庭前」の挿絵にいた不具になった物乞いが――近づくどころか見ることさえできないよう前もって閉じ(preclude)妨げられた。それもこれもかれの眺望が「まるで別のどこかにいるかのように見える」ときに、「充当に由来する喜びの心を奪う」せいだ。
{訳注;挿絵『エセックスのヘア通りにあるレプトンの家からの眺め、造園後View from the cottage of Humphry Repton at Hare Street, Essex, after proposed alterations』菱形格子の柵は除かれ、かわりに垣根が街路をなぞるように曲線をえがいて仕切る。画面左の建物の1階の肉屋は垣根でかくれ、二階の漆喰の壁も草木を這わす木組みで縁取られている。手前の道は楕円を描き、あいだの芝生にも花咲く藪が植えられている}
これらの改修により、レプトンはあの貧民やあの店を忘れられなくなった。レプトンは彼が何を隠したのか、そしていかに隠したのか注目を惹いたのだ。レプトンはいま貧民がそこにいると知りながらそこにいないかのようにふるまえる。トーリー党が凝視したこのピクチャレスクは、収用的なだけでなく排他的で、にもかかわらず:ラスキンが「苦悩や腐敗」と認めたもので、けれどラスキンが意識的なことだと弁解した憂鬱でさえなく、サド趣味だった。それは忘れない:それは消してしまう(efface)ことを思い出す。
ピクチャレスクの呼び起こす胸のいらつきは雑多だ。曖昧な美化工作からくる正当な不安;ピクチャレスクが否認する救いがたい(abject)現実という、それ自体の抑圧に回帰する不安。
不安、不気味、奇怪、ピクチュアスキュの恐怖はべつに、異国の伝染病ではない:ピクチャレスクそれ自体の中にあるものだ。ピクチュアスキュは観点を右や左に毛ほどかすかに動かしたピクチャレスクで、だから組み立てられた眺望が覆い隠したものが再び見られるようになっただけだ。
ピクチャレスクはそれ自身を卑しめる(abject)。ピクチュアスキュは、ピクチャレスクが見逃したものが見えるわけではない、けれど見なかったことにしたものが見える。
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ハマー『悪魔の異形』のような低予算ピクチャレスクのこれ見よがしな衝撃値(ショック・バリュー)と、『バーバリアン怪奇映画特殊音響効果製作所』のような閉じ過ぎたピクチャレスクの注目により曖昧に組み立てられた不安とがはっきり異なるのは、ピクチュアスキュなしのピクチャレスクという識見がないことで、逆もまた同様に、不気味さと不安は鮮烈ながら、意図ないし明白な展開があるようには見えないことが、とりわけはっきり表れている。
この重ね合わせには児童向け作品より透明なところなどどこにもない。
『ジェレミー・フィッシャー』がピクチャレスクな小川から空の上を凝視すると、大喰らいが奈落の底(アビス)から登ってくる。
(訳注;挿絵。小川に浮く葉のうえに蛙のジェレミー・フィッシャーが腰かけ両手を咥えている)
作家のサラ・ロッツによれば、ポターのおぞましい筆によるまったくの拷問ポルノ『ひげのサムエルのおはなし』は畏怖と恐怖を煽り起こす。
実際ポターの(目ざましい)作品はピクチュアスキュで、そして紛うことなき英国のピクチャレスクと、無慈悲で感傷と無縁の死まで詳細に記した残酷な獣性についてとの結び合わせだ。
(訳注;挿絵。ネズミの夫婦?が猫をパイで包んで麺棒で轢いている)
すべてが暴力で、秘密で非密で、見え/ない。
とはいうものの、ピクチュアスキュの恐怖は残忍性を否認するものだけではなく、回帰もなされる。より広大で異国的で異様な何らかが侵入するなかで、不安と関係した崇高を探し回りもする。ひょっとして「不気味」を特定するのを避けることで、二つの傾向を取り持とうとしているのかもしれない。抑圧されたことと想像だにできないことという、止揚しがたい二つを。くゆらせたピクチャレスクから出る汗は、奇怪(uncanny)なだけでなく、離解(abcanny)だから。
恐怖小説の巨匠ラムジー・キャンベルが著書『My Roots Exhumed』で、超自然的な恐怖を紹介する。とても幼いころ彼は『ルパート・ベア年報』の『ルパートのクリスマス・ツリー(Rupert’s Christmas Tree)』を含んだ号を読んでいる。ツリーは自身を根こそぎにして、夜の森から故郷へ忍び歩く。「その額(コマ)はわたしにしっくりきすぎた」キャンベルは言う、「木が鉤爪のような根で岩にしがみつき、月明かりの空に背を向けて、ルパートへと傾いている」
この回のページは、地底の不穏(unquiet)に満ち溢れている。
{訳注;挿絵。『ルパート・ベア』のおそらく『ルパートノクリスマス・ツリー』のコマ2つが横並びにされている。膝や腰まで隠れるような藪の中で会話するルパートとその友だち擬人化された動物ふたりと、コマの中央で彼らの視線の間に太い木が鎮座するコマ。画面右のルパートが振り向いて、青い草原にできた黒い裂け目から煙が立ち込めるさまを見やるコマ}
二足歩行の木のように異様で恐ろしい者でいっぱいだ。
{訳注;挿絵。『ルパート・ベア』のおそらく『ルパートノクリスマス・ツリー』のコマ2つが横並びにされている。コマ一杯にもじゃもじゃの木の怪物が立って、片膝をついたルパートベアと対話するもの。画面右のルパートが振り向いて、ゴブリンじみた背の高い異形を見やるコマ。}
友好的でない下生えの藪の化身であるラガティに忍び寄る。
{訳注;挿絵。『ルパート・ベア』のおそらく『ルパートノクリスマス・ツリー』のコマ。枝じみた異形が飛び跳ねて、ルパート・ベアに険しい顔で指をさす}
垣根(ヘッジロウ)の霊知(グノーシス)をほのめかす。
{訳注;挿絵。『ルパート・ベア』の絵が2つ横並びにされている。『ルパートと秘密の小路(RUPERT and the SECRET PATH)』の扉絵(?)と、画面右に立つルパートが、垣根がトンネルになった抜け道を行くコマ。抜け道のさきには少女の真っ黒なシルエットが立っている}
そして、繰り返し、実存的に不安定な暗い崇高へと傾いていく。
ナットウッドという地は徹底的に、率直に言ってことさらすましたピクチャレスクだ――そして果てのない空虚と隣接する。
{訳注;挿絵。『ルパート・ベア』のコマが計4つ(2つずつ2段)並べられている。真っ黒な夜に光が日のようにないし触手のように帯を引く星空をルパートが飛ぶコマ。ルパートらが背をむけて、水平線いっぱいに燃え広がり空に立ち込め覆い隠す炎と煙を見やるコマ。ルパートらが背を向けて、森のむこうで放射状に強い光を放つなにかを見やるコマ。ルパートと少女が、真っ黒な夜空にあいた真っ黒な空虚を見やるコマ}
メアリー・タートルの筆によるクマが、ラブクラフトのクトゥルー神話を紹介する漫画が少なくとも2作ある。ジョークは十分笑えるが、夢落ちみたく聞こえた*13とすれば、誇張し過ぎたからではなく、しなかったからだ。盛る必要なんてまったくなかった。
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19世紀の自然文学の作家リチャード・ジェフリーズが近年称揚されているのは、1885年にかれが描いたポスト終末作品『ロンドン以降(After London)』*14によるものだろう。同じジェフリーズの作でも1881年の児童文学『森の魔法(Wood Magic)』は見過ごされているけれど、こちらはピクチュアスキュの基礎をなすテクストだ。
動物や自然(landscape)と親しく交わり、ウィルトシャーの農場で成長していく田舎の少年の鮮明な記述であり、下生えの藪における戦争や革命についての――野蛮についての、時空間をねじり曲げた崇高についての異常に悪意に満ちた寓話でもある。
カパック王率いるカササギ軍とチョーホー率いるモリバト軍二つの軍勢が出会ったとき、日食が起こる。この子ども向け寝物語のなかで、田舎の残忍と荒涼が無限に混ぜ合わさって、急に恐怖へ飛んでいく。
辺りが影に覆われたときにはもう、前進中の軍勢は戦闘に衝撃を受けていたようで、そしてかれらは日食を見た。
その時まで……伍や兵はおろか将さえもが、太陽が半円の闇に緩やかに飲まれていくまで気づけなかった。
不吉な影が軍勢に降りかかり、その突然さゆえになおさらおぞましかった。大いなる恐怖が密集した軍勢を襲う。天国の偉観が個々人の良心に響いた;交戦し大殺戮となることをためらわせるほど恐ろしい啓示が。
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ピクチャスキュに裂け目を切り開く恒星規模の恐怖(sidereal horror)は、おそろしい空虚や、非人間的な地質学的な深遠な時間、さらにひどいことに、善悪の判断のおよばぬ無限だ。アリソン・アトリーが思い出される田園では、「異界へ近づくこの感覚は、常にわたしに浸透している。長い木の枝に掴まれて、虜として拘束された;岩となって数千年とどまっている;わたしは見えない存在となって、わたしをとりまきわたしに叫ぶ別の見えない存在に気づく」
イーニッド・ブライトンの『遠い木(Faraway tree)』は書き出しで奇妙な地までたどりつく、が、登場人物の一人が警告するところによれば、
「時々この地は全然やさしくなくなるんだ。むかしこの地は気むずかしかった。それはもうおそろしかった。ちょっと昔まで独特の雰囲気の土地だったんだ」
ピクチャレスクな木の天蓋のなかは、怒りと痛みすべての実在論だ。
驚くに値しない:その誕生からして、思い出そう、ピクチャレスクはつまらない美と畏敬すべき現との仲裁として発想された。われらが象徴的な秩序の陰にある、表現できない、想像できない、言語を絶する現実との。
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あのシークエンスからもう一つ。1953年より。
恐怖の跡ない、
カニやアワビで満たした杯が
オランダ屋根の下にある。
山々は影を投げかけ、
アッサムのカワウソの
スモックへ、スモック織りの
アイルサクレイグの鰹鳥(ガネット)へ。
荷車が泣くときコーンウォール者は麦を刈る
果物農家の日記。
「喜ばしい恐怖とは、」バークは言う、「崇高の最も純正な影響であり真なる試金石です」*15 喜ばしい? ことによれば。ショーペンハウアーにとっては、「個々人とも、個人を無に帰すような宇宙や時間の途方もない巨大さからくる消滅にまつわる脅迫とも比較にならない、すべてを超越した力の眺め」だ。ピクチャレスクは毎日どうやって調停を執り行っているというんだ、そんなものと?
できるわけない、その通り。調停などない。「恐怖の跡ない」との詩の主張は、充分すぎるくらいの抗議で、バークの「喜ばしい」と同じくらい疑わしい説得力がある。何といっても「山々が」――崇高の模範的背景――「影を投げかけ」る。
ピクチャレスクに取れうる最善手としてはその位置を守ろうとすることで、そしてそれは落ち着けない崇高じみたものとなるだろう。ユーヴドール・プレイスは、ギルピン以上の鋭さでこれを知っていた。
「大きな木々の雷光や暴風雨によりくたびれた手足は、極度のピクチャレスクにある;けれど破壊の恐ろしい力はどれも崇高の臭いがついて回るに違いない」
ラスキンはさらに踏み込む:輝かしい、ぞっとする言い回しで、ピクチャレスクを「寄生的崇高」と呼ぶ。
ピクチュアスキュはピクチャレスクだ、寄生だと知っているそれだ。
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ピクチャレスクのなかに繰り返し現れるこの寄生主義を見よう、往々にしてそれはとてつもなく甘ったるい牧神(Pan)のなかに現れる。『夜明けの口笛吹き(Piper at the Gates)』のもっとも恥ずかしい章「たのしい川べ(The Wind in the Willows)」は崇高を一種の上品ぶった恍惚として艶出ししようした。
豊かな牧草地の芝はこの上ない青々として、すがすがしい朝に見えました。薔薇の鮮烈さにも、柳草の暴騒にも、牧草地の恋花(メドウスイート)の香りの充満にも誰も気づきません。……川の流れの真ん中で、堰が腕をひろげて抱きしめるようにきらめいて、錨でつながれ横たえられた小島が、柳と白樺と榛の木で囲まれています……ラッティーとモールは見ました、友達とその助手は;曲がった角が後ろに掃かれるのを見ました……
その厳めしい、鉤鼻を見ました、男が角に立って、ひげに覆われた口に半笑いを浮かべおどけた調子でこちらを見下ろす優しそうな瞳のあいだの鉤鼻を見ました。
などと長々と。
けれど崇高は飼いならされていない。ここでさえ、恐怖が来る:「ひえっ!」ラッティーは言う。「と思う? おぉ、いや、いや! とはいえ――とはいえ――おぉモール、ぼくはひえっとした!」。
あのぎらつきだ、読者になじみぶかいアーサー・マッケンのサド趣味妄想、あのまったく甘くない、怪物的な『パンの大神』の。
崇高はつねに押し通す、そして美術は巣食う(picture will skew)。
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この記事を区切る名もない詩のシークエンスはJ・ロバートソン・スコットが1927年に立ち上げ、そして今日も出版中の雑誌から採っている。『田舎者(The Countryman)』は月2万3千部ほど流通し、牧歌的な農村や、歴史的農業技術についての骨董品、英国の民族や自然についての雑談を豊富な写真を交えて掲載している。
『英国人の国民意識の形成(The Making of English National Identity)』でクリシャン・クマーは、この雑誌について「十分に広まっている――意図してそうする必要もなく――都会者にとっての、田舎町の牧歌的なイメージは」。
意図なく。たしかに初めはそうだったろう。
思慮深い、革新主義の編集者スコットは、農村の労働条件の皮を剥ぎ、そのうえで自身のコミットメントとして農村地帯を「風光明媚や都会にとっての優雅な別荘として献身するものではなく、おもしろいくらいに牧歌的で時代遅れの田舎を再現するのが楽しい住処」と記す。
スコットがコミットするのは農村社会学に教育、農業、「農村的前進」、田舎の美学だ。けれど第二次世界大戦がそれらすべての性質を、大きく、そして彼らが基盤とする土地所有権の性質を変えてしまった。
ピクチャレスクの近代化論者(モダナイザー)が『デンマークの花嫁』でタウンスケープを計画したように、『田舎者』もまた、不安そうに、緩やかに、自己変容を始めたのだ。
ピクチャレスクは、この頃は、比較的に巣食い放題だ。けれど引用した詩は、ジョン・スタッフォードの息子・クリップスが第二編集者をつとめた短い在職期間に、変容する戦後の日々から来たものだ。ピクチャレスクが競争していた、不安だった――そして暴力的にくゆらしていたあの時代から。
あの3つの模範的な詩をもう一度ここに。
{訳注;3つの詩が並べられている。背景と同じ真っ白な地に黒い字体。上の文章のスクリーンショット}
そして出版されたものをここに。
{訳注;一連の詩が載せられた緑の表紙が3つ並べられている。本を直撮りしており、湾曲した紙面に合わせて字は歪み、指が見切れて黒い影を作る。中央揃いの文章は字数によって頭も尻も凸凹と不揃いで、所によっては不自然な空白があり、いくつかの行は太字で大きなフォントが使われている。詩の上にはとある文字列が一様に、一際大きく、レタリングされて印字され、まるで表題みたく見える。「The Countryman comes from the country」}
作者は歴史と偶然だ。
これら砕けた、辛辣な、モダニズムの、くゆった田園生活の研究は雑誌の目次だ、それを熟視してのみ現れる詩だ。句読点以外に変更はない。1940年代後半から50年代にかけて、『田舎者』――脅迫的なB級映画タイトルじみた副題「田舎より来たる」を下につけている――の題目として斯様な文書が発行された。悩める片田舎のブリコラージュは、自身のピクチャレスクに抗おうと張り詰めて、これらの胸を突き刺すピクチュアスキュを露わにした。
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最後の詩人なき詩をここに。集めたなかでもたぶん最も異常で、初期の標本だ。1949年より。
{訳注;挿絵。『田舎者』誌の目次の写真。ざらついた紙面がはっきり見てとれるほど大きな画像}
薔薇に(ローズ)、城そしてロズンジ
もう片方の楽園の庭園
男は蟻に抗う 穴熊の葬列
聖職者が多すぎる?
ペルーの百合花 ハイランドの休日
掘るな あれらすべての
小さい村々は脅されているの?
努めて読もう。
「ロズンジ」は、紋章学用語で、未亡人の印だ。われわれは開く、あの、甘い田園生活の匂いを、時代遅れの弁明を――喪って、嘆き悲しむ者の、死により取り残された者の。空虚へ向かって急転換するそこから、神の似非姿の影の神学を。
「もう片方の楽園の庭園」:崇高はわれわれのためでなく作る。そしてあの庭園は、全ての庭がそうであるように、暴力的で、蛇によってではなく「蟻に抗う男」によって悩ましく、人類と人外の戦いで、甲羅だ。そして宇宙で、息吹で、死を想え(メメント・モリ)、死した田園詩で、穴熊の葬る獣の儀式。
「聖職者が多すぎる?」世界が壊れるほど衝突した影や余波で、地は神に病み、神霊が氾濫した。
「ペルーの百合花 ハイランドの休日」:遊山旅行は小島の頂上に連れていくだけなので、休まらず逃れもできない支配階級の憂鬱から、帝国が自滅し没落していくにつれ、ピクチャレスクとスキュが国際に行き、惑星に及び、制御下を超え設計を逸する。
「掘るな あれらすべてを」:不確実なそして新たな農業に疲労困憊ななか、話すや否や静まり返る(dies away)禁止令で、恥ずかしながら、すべての農村地帯の世論は今や常に既にクリシェだ。
それから心に痛い疑問がくる。息をしてない(dead)がまだ死んでいない(will not die)、この夢の英国の撲滅の怖れだ。ピクチュアスキュに変わろうとするオートファジー(自己貪食)ピクチャレスクの、それ自身をむしばむ、ピクチャレスクに表現されたピクチャレスクの終わりの恐怖だ。
「小さい村々は脅されているの?」
そうだ。
そうだ、彼らは脅しているし脅されている。彼らが潜んだピクチャレスク化されたものに。そして彼らが曲せて(skews)寄生する崇高に。彼らは脅されている。そして、もしまだ未亡人の夫のように静か(dead)でないなら、小さな村々はつねに既に死にかけている(dying)。
読んだ感想
イングランドに幽霊が出る――ピクチャレスクという幽霊である。といった具合でしょうか。
本文前にも述べた通り、ノンフィクション作家らしい碩学の雑多な博覧強記と、劇作家が明晰に走らせる技芸とが絡み合ったエッセイで、詩の出自が明かされたときの感情の昂りぶりといったらもう。
個人的にはモンスター映画もいくらか見るやからなので、副題イジリにわろてしまいました。
(B級映画的タイトルというのがピンとこないかたもいるかと思いますが、『水爆と深海の怪物 It Came from Beneath the Sea』みたいな「(任意の場所)から来た」タイトルってけっこうあるのですよ)
例によってミエヴィル氏の著作も(邦訳すら)そこまで追えてないのですが、なんという引き出しの数。
氏の邦訳状況は『オクトーバー ―物語ロシア革命』というノンフィクションも出版なされてますけど、正直「劇作家の、しかも外国人の、しかもマルクス主義についての論文を書いていたり、自分で左派政党立ち上げたりもしている人の、ねぇ?」という気持ちがありましたが、今エッセイだけ見ても「すみませんでした!!」って謝る取材量と事物への向きあいかたですね。
チャールズ皇太子の実験都市やら{「"パウンドベリー" チャールズ」でググっても217件しかヒットしなかったですよ(「パウンドベリー」だと132万件なんですが、どうやらパウンドケーキ&ベリーの文字列を含んだスイーツのレシピ・食レポも網にかかるみたいです)}、タウンスケープなど民間の建築観やら(「"ゴードン・カレン"」は709件ヒット)、さらにミエヴィル氏が独自に見出したであろう路上観察学・考現学的な考察など{ググった感じ日本ではまさしく『イギリス観察学入門』という本で扱われているみたいですね。(検索ヒット数は「"窓税"」は4230件、上と比べると多いですが……}、取り上げられた事物だけでもとんでもなく興味深いので、(たとえ文芸的なニュアンスは汲み取れなくても、そうでない普通の文章の訳さえ怪しくても)これだけでも訳した意義があるんじゃないかと思いました。
「世界はあまりにも大きくて、構築することも、知ることも、そしてほとんどの場合、そこで生きることさえ出来ません」
SFファンダム・サイト『SF Signal』の質問コーナーで、(ミエヴィル氏も「ハリスンがノーベル賞受賞者でないことはこの文学的権威が失墜していることの証明だ」と絶賛する*16)M.ジョン・ハリスン氏が(批判的に)言及した世界構築(World building)について(先日勝手に訳出したチャールズ・ストロス氏のエッセイでも扱われたアレですね)、「世界構築の名人は誰か? どんな影響を受けたか?」と問われたミエヴィル氏は、回答をまずそう切り出していましたが、これはユーモアや皮肉というよりも、現実の巨大さや混沌をまなざすかたの率直な言葉だったのかなと、今エッセイを訳して改めて思いました。(脚注に全訳。*17)
ミエヴィル氏は巨大だ混沌だと話を終わりにするのではなく、そのなかに通底するものを汲み上げ見据えようとする鋭さがあり、そこが興味ぶかかったです。
主に美術の分野で取り沙汰される印象があるピクチャレスクについて、 一部の人々を物理的・心理的に見えないようにする/排除する政治・思考様式となりかねないものとして取り上げた論考は、寡聞にして読んだことがなかったのでハッとさせられました。さすがは『都市と都市』の作家さんです。
またフィクションに関しても、一層の信頼を抱きました。黙々とおこなわれる他者の発言の引用や事実の羅列やテクスト分析が、どうしてこうも詩情につながり物語られてしまうのか。
今エッセイは訳文冒頭のとおり、文芸フェスティバルのためのものだそうです。(イーストウッド監督『ヒア・アフター』に出てきたようなイベントなんでしょうか?)
名もなき詩の出自が明かされたところは、これ単体で「うおぉ!!」と唸りましたし{「undersungて一般的な"過小評価"て意味であると同時に、もっと根本的に"下に詠われてる"=(目次として)雑誌名の"下に書かれて"たってことなの!?」とか}、発表媒体にぴったりだし(イベント中に読んだ人の心境たるや……)。あとあとから「優れた作家はそこまで出来るの?」とおそろしくなりました。
(うえで笑った雑誌の副題にしても、「あすこから逆算してB級ホラーを取り上げたのか!?」と思い起こすと、引き出しと取り出しが巧みすぎて死にますね……)
さきの世界構築についての回答の結論とも重なるような、雑多な声を集めたうえで、それらをどのようにして紐づけまとめるのかという点で、作家の腕力がこれでもふるわれており、これもひとつの立派な作品だなあと思いました。
さて、古典と現文、書物と現物、アナログとデジタル、聖と俗。それぞれ一つに習熟した人はいますが、それを縦断的・横断的に網羅している碩学はどれだけいるでしょうか。
たとえばぼくは美術館とか行くし自分でも風景スケッチする程度には絵が好きなので、コンスタブルは知ってるし彼の絵も数枚は肉眼で見ています。高山宏読者だ、ピクチャレスクにだって興味があります。でも、今エッセイで絵解きがなされる造園家レプトンは絵は見たことありませんでした(し、ぶっちゃけ名前もピンとこない……)。畑がたがえるとそれだけで疎くなってしまう。
ミエヴィル氏の、さまざまな分野をぎゅっと束ねて紐づけるパノラマ的な視野の広さには驚くばかりです。
また、視力脚力もおそろしい。
一つの分野に限ってみても、ミエヴィル氏に勝てるものがなかったですね。50年代から2010年代までのさまざまな年代のTVや映画のホラーを追う(追える)ことは、(ぼくは現状追えてないですけど、)まだなんとか行ける気がします。ではSteamゲーはどうでしょうか、ネットの同人活動は?
『ガーディアン』紙の抜粋記事には、Steamゲーも、蝶番の音をサンプリングした謎同人音楽も、まったく登場しません。なんと、このエッセイに点在し、そして大きな菌糸網をつくる『田舎者』誌の挿話さえ姿かたちがなくなっています。
チャールズ皇太子の実験都市パウンドベリー、タウンスケープとデンマークの花嫁なども『ガーディアン』からこぼれました。
『ガーディアン』紙では挿絵もすべて差し替えられて、文章と噛み合わないどころか、ピクチャレスクの色さえない単なるキャストの集合写真が挿入されたりしています。
画質の悪い、どことも知れない建物の窓なし窓なんて、言わずもがなです。
高級紙が扱わなければ、オタクでさえなかなか追えないものを、おそらく取り壊されていまはもうなくなってしまったものまで、ミエヴィル氏は掬い上げます。
ミエヴィル氏を見習って、同人作品やマイナーイベントに足を運んでみたいものです。
「ちょうどいいところに文学フリマがコミティアが……」と現実へ導線をつけ、上手くオチをつけるつもりでしたがアプらぬ記事の皮算用、こちらが訳し終えるまえに東京での開催が終わりました。(「不出来な書き手はどこまでもおろかなのか……」と自分でもおそろしくなりますね)
ぱっと思いつくその他のイベントは言わずもがな、日本SF大会は7月に、コミケは8月に、京都SFフェスティバルは10月に、みなとっくのとうに開かれて、検索するまでもなく閉会しました。
町からは猥雑な広告が消えたと言います。2020年からは東京はイベント会場が云々という話もあります。
すべてが変わりゆくなかで、あるいは隠れ、ひょっとして砕けゆくなかで、一体どれだけの作品と出会えるでしょうか。そしてどれだけきちんと見れるでしょうか。
自分の欠点が目について嫌が応にも無力感がふき上がりますが、たとえ断片的でも、見方が歪んでいようとも、それはそれで一つのありかたではないか? そう思えもするエッセイでした。
更新履歴
11/26 深夜 アップ。 21000字くらい。(うち訳文17000字くらい)
11/27 修正。 「脅されているの?」直上のパラグラフが訳し漏れてたので訳す(130字くらい)。その他、訳したけど真逆になってた誤訳などに気づき数文修正。誤訳ではなさそうだけど日本語として怪しいところを日本語らしくしたり。
11/28~30 修正。 チョコチョコいろいろ直しました。
12/01 夜 『SF Signal』さま掲載のミエヴィル氏の世界構築(WorldBuilding)に関する発言(550語くらい)を訳して「読んだ感想」に加える。
2021/11/26 修正 元記事がアップ時のアドレスから別アドレスに移転していたので変更。
*1:表題は本文にある通りピクチャレスクpicturesqueの空耳発音picture-skewから来るもので、後者を(ピクチャースキュー辺りが一番それっぽいカタカナですが)ピクチュアスキュpiuuaukyuとしたうえで、「美術はくゆらすbiuuakuyuau」など語感と意味の似通う日本語に置き換えました。
*2:undersung=過小評価のこと@UrbanDictionary。
*3:※もしかすると3語でピクチャレスクをもじってるのかなぁ……なんもわからん……。
*4:邦題は『天使たちの伝説』
*5:邦訳『素晴らしきもの全てを』
*6:邦題は『蛇女の脅怖』
*7:邦題は『影なき裁き』
*8:訳注;滑らかさ(smoothness)については『崇高と美の起源』第三部 第14節にて説明される。
*9:訳注;原文は「terror is in all cases whatsoever the ruling principle」で、『崇高と美の起源』第二部 第二節「恐怖」に微変形をくわえた引用みたい。
じっさい、恐怖は、あからさまにもしくは潜在的に、崇高の支配的原理なのである。
研究社刊{2022年3月30日電子版(底本は2012年3月1日の紙版初版)英国十八世紀文学叢書第四巻}、ホレス・ウォルポール&エドマンド・バーク(千葉康樹&大河内昌訳)『オトランド城/崇高と美の起源』kindle版61%(位置No.5828中 3531)、エドマンド・バーク(大河内昌訳)「崇高と美の起源」第二部第二節「恐怖」
Indeed terror is in all cases whatsoever, either more openly or latently, the ruling principle of the sublime.
『A Philosophical Enquiry into the Origin of Our Ideas of the Sublime and Beautiful』PART Ⅱ, SECTION Ⅱ TERROR
*10:moon-calf月-子牛は、奇形(児)転じて馬鹿のこと(シェイクスピア『あらし』のキャリバンCalibanとか、ウェルズ『月世界旅行』の月人、『ハリーポッター』の異形とかもこの語由来やこの語自体が使われてるそう)。月が生れに影響した俗説から。今エッセイには『Children of the Full Moon』や『AfterLondon』の日食、月夜と『ルパート・ベア』の話もあるので、汲んだ方がよさそうなので。
*11:邦訳書;『都市の景観』
*12:原文は「Here, the bad picturesque lives, or, at least undead.」なので、「これが粗悪なピクチャレスクの生態です、あるいはとにかく(少なくとも/かろうじて?)死んでない姿」くらいのほうが適切なんでしょうかね?
*13:land with a thud=急に現実に戻されること@『Urban Dictionary』
*14:今作は、2020年11月日本でも『アフター・ロンドン』という名でカスガ氏の邦訳がKDPにて流通している。
*15:訳注;『崇高と美の起源』第二部第八節「無限」からの抜粋引用。
崇高のもうひとつの源泉は無限(infinity)である(それが前章であつかった広大さに含まれないかぎりであるが)。無限は精神を、崇高のもっとも真正なる効果であり真の試金石でもある、悦びに満ちた恐怖で満たす。
研究社刊{2022年3月30日電子版(底本は2012年3月1日の紙版初版)英国十八世紀文学叢書第四巻}、ホレス・ウォルポール&エドマンド・バーク(千葉康樹&大河内昌訳)『オトランド城/崇高と美の起源』kindle版66%(位置No.5828中 3804)、エドマンド・バーク(大河内昌訳)「崇高と美の起源」第二部第八節「無限」
Another source of the sublime is infinity; if it does not rather belong to the last. Infinity has a tendency to fill the mind with that sort of delightful horror, which is the most genuine effect, and truest test of the sublime.
『A Philosophical Enquiry into the Origin of Our Ideas of the Sublime and Beautiful』PART Ⅱ, SECTION Ⅷ INFINITY
*16:M・ジョン・ハリスン『Viriconium』(『パステル都市』もその一作であるシリーズのまとめ本)序文のミエヴィル氏のコメントより。以下、全訳。
M.ジョン・ハリスンがノーベル賞受賞者でないことは、この文学的権威が失墜していることの証明だ。その禁欲的でひるまず死に物狂いの活動は、今日存命の作家なかでもとくに偉大だ。そしてそう、彼はSF・ファンタジーを手掛けるが、そのスケールと輝きのまえには同ジャンルの他作品どころかほとんどの現代フィクションが恥じ入る。
Spectra刊(復刊)、M・ジョン・ハリスン『Viriconium』、チャイナ・ミエヴィル氏による序文より
*17:全訳は下記。
Q:世界構築の名人は誰だと思いますか? また彼らから学んだことは何ですか?
―――――
チャイナ・ミエヴィル
世界はあまりにも大きくて、構築することも、知ることも、そしてほとんどの場合そこで生きることさえ出来ません。
世界はそれについて何を言っても少なくとも何も言わない場合と同じくらい説得力がでてくるでしょう。地図上の特徴を忠実に照らし合わせることほど、世界のなかで生きることにより刺激された巨大さへの畏敬をつよく無粋に傷つけるものはありません。「世界構築(World-building)」のうち最悪で最も無情で脅迫的なものは、想像物全体を新鮮味のない平凡なものに変えてしまいます。こんなクソ憂鬱なことってありますか?
たしかに私たちはカルチャーショックを求めています、理解をではなく、むしろ無理解についてを。そして、私たちは簡単にカルチャーショックと出会えます、自宅でもね。
というわけで、史上最も偉大な世界創造(World-creation)の瞬間を、M.ジョン・ハリスンの『パステル都市』を開いて見てみましょう。
地球の中ごろに17ほどの高貴な帝国が栄えていた。昼を過ぎたような文化だ。内ひとつを除いてこの物語には不要だから、それらについて話す必要性はさほどない。
それらについて話すことへのこの拒絶こそ、史上最も驚嘆と自信に満ち溢れた「「「世界構築」」」です。
事実わたしたちはハリスンを叩いているとはいえ、世界構築に興味を持ったひとができる一番生産的なことはこちらへ(訳注;ウォーレン・エリス氏による引用記事。M.ジョン・ハリスンのblog記事全文掲載したうえで一言「これはすごい」)直行して、(訳注;世界構築という)企図全体への現状悪名高くも壮大なdisを読み、再読し、悩んでもらうことだと私は考えます。
べつにそれに同意する必要はありません、もちろん。(できるでしょうけど) しかし、うんざりするある種の糾弾を始めるのではなく、多くの人があの一節を迎えられる日がくれば、誰にとっても良いことだろうと思います――とくに、幸運にも十二分に見下したりシャツを破らず見るに留めているひとや、最重要人物として見なし見上げるひと、そして軽蔑銃の銃口をわれわれに合わせた今日の野蛮で知的な(反-)ファンタジストにとって――ハリスンが悪いと決めてかかるのではなく、彼が正しいかもしれない理由や程度を理解しようとする日がくれば。
なぜ世界の「内部の一貫性」が問題なんでしょうか? どんな意味があるんでしょう? どうすれば実在しない場所の隅々まで地図にできるんでしょう? どうしてそんなことがしたいんでしょう? どうして聖書の記述における書き手の矛盾が気になってしまうんでしょう? 何が起こってるんでしょう? これらを急き立てるものは何でしょう?
再度言います、世界構築を放り投げることだけが誉ある道では、必ずしもないでしょう――しかしそれは、最終的な目的地がなんであれ私たちが何をしようとしていて何をすべきかを考えるよう張り詰めさせうる唯一の道です。
それが創作というものであり、そしてそれが、おそらく私たちが願う、文学なのです。
SF-Signal、Mind Meldコーナー「Mind Meld Make-Up with China Miéville on World-Building」、質問とチャイナ・ミエヴィル氏の回答より