すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2021/05/18~06/28

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 日記ですが、もはや月記ですね。そのうち山月記にならないことを祈るばかりです。

 8万字くらい。3話まで超絶大傑作、6話までも大傑作の『ゴジラS.P』を最後まで観て「大変面白かったが、しかし……」となり、スペースを出入りして「大変面白いが、しかし……」となった週。すでに虎になってるんとちがうか?

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0518(火)

 宿直明け日。

 

0519(水)

 ■観返したもの■

  月ノ美兎「親戚の子からの贈り物」って"日常の謎"ミステリだな

www.youtube.com

 いちから社(現エニーカラー社)の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじ月ノ美兎委員長が正月の親戚のあつまりで、3歳の子から贈り物をされるお話

 ガしガし氏の切り抜きマンガ動画でしばらくぶりに聞き返して思ったのが、これって「日常の謎」タイプのミステリだな~ということですね。

 オチを聞くまえに答えを導ける程度にはきちんと情報は提示されている。うまいなぁ。

 

 

0520(木)

 ■考えごと■

  周回遅れのリアクション

 すきな作家さんが没後にあれこれ受賞されたときに、「存命のときにそういう声をあげておくべきだろう」なんて殊勝なことを思ったものですが、いまだに全然いろんなことが間に合ってない。

 

  引用や概要紹介、感想という名のネタバレについて

 感じたり思ったりしたことを、一から十までツラツラ説明するタイプの感想を書いています。

 映画といった視聴覚メディアやビデオゲームといった視聴覚+インタラクティブメディアを観たりプレイしたぼくが、その感想を文字媒体の情報として再出力すること。これについては特に気にせず投稿できます。

 けれど小説などの文字媒体の作品にかんする感想文となると、ちょっと気後れしてしまうところがある。

 さらには伝記・ノンフィクション・研究といった、情報じたいがウリの代物となると、「はたしてどこまで内容を明かしていいものか?」かなりあやしくなってくる。

okusokomondai.blogspot.com

 こんな問題もありましたね。 

 

 ■観たもの■

  高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』9話鑑賞メモ

 絵コンテ・掘元宣&村木靖&高橋敦史、演出・千葉大介&鈴木拓磨&高橋敦史さんの回でした。

{このblogでのここまでの『ゴジラS.P』にかんするお話。放送まえ与太話記事1話感想エントリ2話感想エントリ3話感想エントリ4話鑑賞メモ(日記)5話鑑賞メモ(日記)6話鑑賞メモ(日記)7話鑑賞メモ(日記)8話鑑賞メモ(日記)9話(ここ)10話鑑賞メモ(日記)11話鑑賞メモ(日記)12話鑑賞メモ(日記)13話鑑賞メモ(日記)

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 第1話の環境音が、ブィーン、ブィーンというそれなりに間をとった長音の警告音だったのに対して。9話では(8話同様)LINEの通知音の短音がシュボンボンボンボンボンと鳴り響く。

 

 紅塵による悪影響か、ノイズのひどい無線をとおした軍隊の会話。ここまでの長セリフが聞き取りやすく心地よいものであったのと対照的。

 

 バガヴァット・ギーターの一節を原語でつらつら読み上げるペロ2。発音はともかく文面はきちんとしているんだろうけど、日本語話者であるじぶんにはまったく何もわからない、意味不明な音のつらなりに聞こえてしまう。これもまた、ここまでの長ゼリフとの対照的だ。

 ペロ2と名づけられるまえのナラタケが、銘のPCにDLされた直後の、英語音声でしゃべられたときに1話で一瞬ちらついた不明さが、ここではアクセル全開にされている。

 

 聞き取れない・目の追いつかない速度、聞き取りにくい不明瞭さ、聞こえても意味に変換しにくい言語の壁……さまざまなレイヤーによる情報の爆発が、異常な状況を演出している。

 

 これやっぱりノベライズにするのは大変じゃないかな……。

 ゴジラSP』のセリフや文字情報って(カメラワークやカットワーク、劇伴音楽などがになっているような効果をたぶん意図したであろう)演出の小道具としての魅力もかなり大きくって。

 その意味内容はもちろん大事だけど、それ以上に「どのタイミングでどのくらいの量をどのようなかたちで出しているか」に重きのおかれた、時空間的な演出材なので、これを本で読んでもぜんぜん印象が変わってきてしまうんじゃないだろうか。

 (繰り返し視聴したり一時停止したり遅回し早送りは再生機器によってコントロールできるとはいえ、とりあえずのところ)情報提示の速度を作り手側でコントロールしている映像メディアによって実現された、鑑賞者が到底読み終えられない量と速度でラインがババババと爆発するさま。これを、読書速度をコントロールできるメディアでペターっと載せられたら、ぜんぜん面白くないんじゃないか。

(たとえば8話や9話のおわり付近で入るラインなんかは、プポポポポと連打されることによって、ラインを見るユンの周囲に広がるカオスな実景と相乗効果でより一層カオティックな空気をつくりだしてくれている)

 一行当たりの文字数などをシーンに合わせて逐一コントロールした佐藤哲也さんの大傑作ンドローム的な技巧がほどこされたりすれば、いくらか活路は見えてきそうですが、この道をすすむのはとても大変に思える。

 

***

 

 多勢に無勢の360度包囲戦で、窮地を演出するのはむずかしいなぁと思いました。

 3話のペロ2@多脚ドローンがあっけなく鳥葬されてしまったような湿度の低さを期待すると、「思ってたんとちがう」となる。

{怪獣の能力自体もよくわからんことになっていた。

 クモンガは8話だと船を転がしていたような気がするけど、半壊とはいえそんな怪獣の攻撃をふつうのヒトが片手で受け止められると悪い意味で困惑してしまう(巨人をヒトが投げ飛ばした実写版『進撃の巨人』か?)

 ハベルが競り合っていたのは、ジェットジャガーに叩き斬られるもヘドラとの相の子状態となって復活した個体で、もしかしたらヒトで対抗できる程度に弱体化していたりするのかもしれないけれど。

 でもそうならそうで、6話の脚をひとつパージしてヨットットするジェットジャガーみたいに、ヘドラ@クモンガが微妙な挙動をするなどしてヒトでも対抗できうることを描いてくれるんじゃないか……とも思う。

 怪獣の糸にくるまれたひとを救出するくだりで途端に戯画的になるのもそうだけど、悪い意味でのギャグマンガ時空が舞い込む瞬間がこの作品にはあって、このノリはまったく好みでない}

 

 

***

 

 事態の深刻化はとてもよかったです。

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 2話6話9話のジェットジャガーvs怪獣シーンへの場面つなぎの相似と戦況の変化について。

 オオタキファクトリーとその開発機ジェットジャガーは、2話では逃尾市の駅前広場で偶然居合わせ(1話)、ころんだ子供とそれを助け抱えたユンを助けるべく、怪獣ラドンと闘うこととなり。6話では逃尾市の町内会に頼まれ(5話)訪れたゴルフ場で旧友の源さんを助けるべく、怪獣アンギラスと闘うこととなり。9話では湾港の一会社に頼まれて(8話14:25「あのオオタキファクトリーさんに協力いただけるとは心強い」)謎の糸の巣ができた倉庫の調査にむかい、行方不明者ひとりを助けるべく怪獣クモンガと闘うこととなります。


 6話9話どちらのシーンも、そのはじまりは黄色い下地赤い字の警告看板を被写体にしたショットから幕ひらき。
 続いてジェットジャガーと怪獣がたたかうさまをカメラが回り込んで臨むショットへつながれます。(6話ではすばやい反時計回り、9話ではゆるやかな時計回り)

 2話はシーン頭は上述二シーンのような看板からこそはじまりませんが、反時計回りに回転しながらジェットジャガーと怪獣がたたかうさまを写したショットの序盤では、黄色い布地紅白幕がちらつくテントが画面いっぱい覆ったりして、すこし重なる印象があります。

 

 劇伴音楽として、2話の戦闘では軽快な軍艦マーチ的な音楽が、6話ではその音楽をテンポアップしたものが(。ジェットジャガーが斃れて、つづいて自衛隊が代わりに応戦するさいには、シリアスな別の音楽が)流れ。そして9話では、前述6話でジェットジャガー退場後に流れたシリアスな戦闘音楽がのっけから流れます。

 

 殺陣については、ラドン相手にはコミカルながらも攻撃をビシバシきめ、アンギラスとも正面から相撲をとったジェットジャガーは、クモンガ相手には背後からとびかかられたりするようになり、苦戦して見えます。

 

 2話では大滝のおやっさんの助太刀により戦線離脱し、ジェットジャガーが格闘するようすを群衆と一緒になって見ていたユン。

 6話ではかれは、テントにいる町内会の群衆から離れた(しかし前線・怪獣の暴力は届かない)中間地点で見守り、9話ではジェットジャガーのステップが起こす砂埃がかかる最前線にいます。

 群衆もまた2話→6話→9話とエピソードを重ねるにつれ怪獣との距離がちかくなり、その心境もまた、その口半開きで野次馬的好奇心からカメラ/動画を回すためにケータイを掲げていた序盤から、ただただ事態を見つめる6話、前線で助けを呼ぶためにケータイを握る9話……と、深刻味をおびていきます。

 

 通信の断絶の相同

 3話のバス備え付けのトランシーバーをつうじた運転手の絶叫と通信断絶から、9話の携帯電話をつうじた湾港業者の絶叫と通信断絶へ。

 前者ではその人物のすがたが前景にあらわれることはなかったけれど、9話ではどんな人物でどんな状況にあるのかが直接えがかれ、通話相手であるユンたち側は、彼らを襲う怪獣の巣にて過去の犠牲者(死体)を目視する。

 忘れ物に対する応答/拒否

 3話で洗濯物の確認を手伝ってくれたペロ2は、9話で「ノート忘れてきちゃった!」と嘆く銘に「今は命を優先するべきです」と却下する。

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 吠えるペットと拾うひと

 3話では、ながら歩き中の男性がぶつかってきて、地面に投げ出された犬(ラドンにむかって吠える)を拾った婦人の姿がえがかれたが。9話では逃げる途中でけっつまずいて、地面へ猫を投げ出してしまった(猫はラドンにむかって唸る。)少女が登場する。

 犬を拾って抱きかかえた夫人が見上げると、ラドンが。(つづいて第三者・空撮ショットで、ラドンが前景から遠景へ飛んでいく構図)

 猫を拾って抱きかかえた博士が見上げると、ラドンが。

 3話では画面前景から遠景へ飛んで去っていくラドンのもようが第三者的・空撮的構図でえがかれ、9話では遠景から前景へ飛び迫るラドンのすがたが、それに襲われるひとの主観ショットでえがかれる。

 二転三転する不透明な指示

 2話でドタバタ人間から指示をだされたジェットジャガー/3話で落ち着いた指示を出したユングは、9話の複雑な戦況に切迫した調子をにじませてドタバタとした指示を出す。

 パージ

 6話でユンの命令により現在の破損状況を確認・足などをパージしたジェットジャガーは、9話では自分でチェックしバッテリーをパージする。

 境界にふみとどまる/落ちる

 フェンスをはさんだ崖上にぎりぎりとどまりアンギラスを撃退したジェットジャガーは、倉庫の屋根を跳び降りて波止場を走り跳び海へと逃げる。

 

 同エピソード内の対比だと……

 天地方向の戦況が(5話同様に)えがかれている。

 アバンタイトルゴジラvs自衛隊では、上空から自衛隊の戦闘機が攻撃するアオリショットが映され、ゴジラの行動として回転する円形のエネルギーが異音をたてつづけるさまもアオリショットで描かれる。

スピルバーグ監督版『宇宙戦争』の起動音みたいに持続的な音)

 ロンドンでは神野銘が報道ヘリが画面奥の上空をとぶ(震えるヘリの音)さまを見上げるアオリショットがあり、他方でオオタキファクトリーは前景に進化した怪獣が空を飛ぶ(震える羽音)フカンショットがある。

 上空になにかが飛んでいく状況、回転するエネルギーの音・ヘリの音・怪獣の羽音の持続という類似したSEがそれぞれのシーンの不穏をあおる

 

***

 

 ハベルたちが傾いた船を滑り台にしたり。

 ジェットジャガーvsクモンガによって船が大破し、内容物である燃料が漏れ、鍔迫り合いの火花がそれに引火・爆発したりする流れはとてもよい。

 一方、クモンガのクモ要素/クモの糸はいちおう人間側の救助活動で活かされたけど、「かんたんに切れてほしくないな?」みたいな思いはあった。

 ほかには「ヘドラ的な身体にまとわりつかれて窒息死する人とかはいてほしいな?」とか。

 

 個人的な予想としては、トレイラーからクモンガが出てくることと倉庫が糸でぐるぐる巻きになるところは確認できていたのと、トレイラー時点でジェットジャガーのもつ槍について「アンギラスの角を転用しているのではないか?」という推測をされているのを見てもいましたので、そして円城氏は『クモの糸でバイオリン』を読んでいることだし、

ジェットジャガーが予告で持ってる槍、クモンガの糸で結束させているんじゃないか?」

 と思っていたので、そこは予想がはずれてしまったなぁとなりました。

 

 ゴジラの形態変化は、前回今回については、そのような体形が活きるアクションをするわけではないので、そこはちょっち物足りなく思いました。

 円城高橋、怪獣映画プロパーのデザイナーさんがたからすれば、これらの体形が活きるアクションや破壊ってぜったい用意・描けただろうからなぁ。

 電線が揺れるのも嬉しいけど、紋切り型かもしれない。一帯に紅塵が降り積もってるのだから、震動でサラサラとこぼれてもいいんじゃないか……というようなことは思った。

 炭化(?)した外殻が剥がれ落ちるさまは、一粒一粒モデリングされているらしい3DCGの面目躍如だなぁと思いつつも、そうして他方ヒキの画で空中を落下していくひとカケひとカケが、その周辺にある人工物と並んだときどのくらいのサイズなのかやら、どんな破壊をもたらすのかやらもまた見たかったな~と思ったりもしました。

 

 9話のゴジラは、色合い的にはシャランガ的であり。

 そしてシャランガが落下するオーソゴナルダイアゴナライザーを素通りしてニョキニョキ結晶化してのびるアーキタイプに刺されたこと……を思い返すと、爬虫類的ゴジラが落下してきた兵器をアーキタイプを『AKIRA』鉄雄みたくニョキニョキぐるんぐるんふりまわしてつかんでみせるさまに、関連性をうたがわずにはいられなくはある。

{けれど、シャランガからのフィードバックが何かあるのであれば、初撃からつかんでいたのではないかという気もするし。

 「特異点同士が競合するのではないか?」というペロ2らの(憶)測やら。「シャランガとゴジラは対立する存在なのでは?」というBBの(根拠のない)示唆やら。シヴァ社が(てきとうに)名付けたシャランガが、弓と関係する存在であることやら。そして葦原がのこしたであろう古史羅ノ図、そこに描かれた鎮西主税のすがたが緑の衣類をきた弓をふるう人物であったことやら……を考えると、ゴジラと結びつくよりも、ジェットジャガー陣営に何か利用されるのではないかと思いもしますが……}

 

***

 

 テレビ会議の妙によって、ペロ2がこの世界に立っ(て見え)たところがおもしろかった。

 赤い多重丸が劇中人物たちに「謎!」「破局!」と提示される一方で、ペロ2のアイコンの円(集合写真の当日欠席者枠的な?)がしれっと並び立つのがまた面白かった。期待しています。

 

***

 

 ラインのユン(うろ覚え)やビデオ会議中のBBから「"破局"がくるとしても、破局まえで無限ループすればいいじゃん」といった超計算機の利用アイデアが示される。リー博士はさらに「BBなら"破局"を利用すればよいなんてことを言い出しかねない」と言ったりする。円城氏がオビを描いた某作的なアイデアだ。

 

 人類が破局を有効活用できるのなら、怪獣側も人類を有効活用したってよいはずで、アーキタイプを活かして猟銃や自衛隊の小銃など弾丸をはじいたアンギラスとちがって、あるいはアーキタイプを煙幕にして対物ライフルの銃弾を避けるシャランガとちがって、強力な重火器をわざわざ真正面から受けるゴジラはやっぱり何かやっているのではないか? という印象をいだく。

 

***

 

 のこり4話。約20×4=80分という、通常の映画よりちょっと少ない程度の尺で、最後の大一番がえがかれていくこととなる。

 ほかの映画が最初20分くらいをかけるパート(劇中舞台紹介・登場人物紹介など)は既に終えているから、この80分はけっこう余裕がありそうだ。

 とはいえゴジラはまだメインビジュアルの「ゴジラウルティマ」ではないから、少なくとも一回以上は仮死(?)⇒進化するくだりを経る必要がある。ウルティマの活躍は11話以降なんじゃないかと思うけど、9話ラストの爆発が蛹化のための死だとすると、意外とはやく10話で元気なすがたが拝めるかもしれない。

 

 ェンソーマン』の思い切りの良さに感心したじぶんとしては、週一連載モノである『ゴジラS.P』にもそのような思い切りのよさを期待してしまいますけど。

 たとえば、4話のうち1話は延々ゴジラがあのBGMをたずさえて延々破壊をしていくだけ……というような、理もへったくれもないどうしようもなく絶望的な時間の登場を、期待してしまうんですけど(そして次の話で、その破壊からゴジラの特性なりアーキタイプの活路なり、一縷の解決の可能性を見出したりしてほしい)

 この8~9話で、怪獣の巣からひとりを救助したものの、大局的には(「いざ行かんゴジラ退治」の掛け声とは裏腹に)ゴジラどころかゴジラ以下の怪獣を退治しきれず、ふつうの人々からふつうの人々へ応援を呼んでもらうほど劣勢に立たされ、応援に来てくれた人がおそらく死傷してしまう二次被害を生み、当人たちは現場から逃げ出すだけの(ある意味での)敗走をえがいてしまったわけですから、そういう展開は望み薄かもしれない。

 

***

 

scrapbox.io

 円城塔はストーリーアーク{=物語の単語ひとつひとつに振られたコーパス(=「ハッピー度とか」)を合計してプロットし、得た波形の分類}について前から興味をもっているので、もしかするとこれはマジで気にされていたりするかもしれません。

 

***

(ここから下、5/21追記)

 『映画トンネル』さんがまとめられていたのを読んでナルホドなぁと思ったこと。

 冒頭の、ゴジラを破壊しようとする自衛隊の攻撃は、誘導法をレーザーにGPSにとそれぞれ手順をたがえていて細かい。

 自衛隊のえらいひとが9話冒頭の作戦をふりかえって、ゴジラのふしぎな特徴についてリアクティブアーマーを補助線にして考えるところは、円城氏が朝日新聞&Mの取材でこたえた「人間はどうしても自分たちが想像できる範囲で事柄に対処しようとする。本作のゴジラはそうではなく、根本的に分からないものとして描いています。」というお話を思い起こさせる。

 上のような発言は、もっと若いエピソードではラドンにかんするさまざまな劇中の世論を観て「フムフム」と思ったけど、もっともっと射程の広いお話なんでしょうね。

 4話で銃声からその種別や発砲形式を判じてみせたジャーナリスト・海が、5話でユンたちと議論したさいに(ひとが無意識のうちにどれほど複雑な行動をこなせるのか? 『意識は傍観者である』で、デヴィッド・イーグルマンがその一例として挙げた、剛速球を打つバッターの意識のヴァリアントみたいなお話をしたさいに)アンギラスのふしぎな特徴について一般的な銃弾の速度をそらで言って議論を進めたところとか。

 葦原が研究に神話や詩を書き留めるのも、ある意味でそうした偏りなのかもしれない。

 そしてそれは現実の科学者の偏りでもある。

 葦原が書き留めたホイットマンは別の詩が『意識は傍観者である』でイーグルマンにより、(さまざまな無意識が競合し合議した結果「わたし」の意識としてあらわれるという)こんにち考えられている意識のありようを語る際そらんじられ。

 BBがそらんじるダンテ『神曲』はループ量子重力理論のロヴェッリが「アインシュタインの宇宙観を先取りしていた」と『すごい物理学講義』で、葦原の研究に登場したりシヴァ社の由来だろうしBBもなぞらえるヒンドゥー神話やシヴァも、ロヴェッリが『時間は存在しない』で取り上げている。

(後者が出たのは、さすがに『ゴジラSP』の設定・物語構築へ活かせるようなタイミングではないけれど。『すごい物理学講義』は円城氏は17年5月末には読んでいたので、参照したかどうかはともかく、しようと思えばできたという時系列)

 

***

 

 リモート会議は面白かった。

 神野銘がリー博士と話すために入室したときには既に会議が始まっていて(暗い部屋に大きなモニタという舞台が序盤の自衛隊の偉い人の振り返りを思わせる)、『ゴジラS.P』はこういう複線的な目配りが良いなと思う。

 

 議論の前提として、メイが気になっていて阻止したい〇未来を先取りする超計算機によるまだみぬみらいの破局(葦原破局点=計算機の答えが複数でてくる≒狂う)は現段階では机上の空論で(計算機の答えが狂うのは確かなのだが、なぜ狂うのかよくわからない。設計上のミス? 計算機の故障? 先取りした時点での計算機の故障? 先取りした未来世界の破綻? 未来世界で物理法則が変わってしまった? 未来世界自体が複数に分岐した?)、BBががんばっている●アーキタイプ研究はまだまだ穴がある。そして白髪の女性管理職ティルダが鎮めたい◇アーキタイプの原料である紅塵/紅塵から発生する怪獣による災禍は、いま・ここで進行中の現実におこっている事件である。

 そんで、議論にのぞむ人のスタンスとしては……

  1. 〇神野銘は、アーキタイプを利用した超計算機が/特異点が/それらの競合がもたらす宇宙自体の破局を阻止したい。
  2. 〇リー博士は、シヴァ社と関係がふかい一方、銘の気づいた破局について情報を共有しており、葦原破局点を止める手段を銘に考えてもらいたくてイギリスへいっしょに旅して、葦原がロンドンにのこした書庫を提供する。
  3. ◇白髪の女性管理職ティルダは、紅塵によるこの世界的災害・混乱を鎮めたい{? なのでオーソゴナルダイアゴナライザーの制御に失敗したBBを捕縛する(8話)し、紅塵/怪獣の異常事態が世界へ漏れ出るよりも自社の人々が取り残されようと隔壁を閉めようとする(5話)}
  4. ●BBは研究意欲がそそられるアーキタイプ研究(紅塵を自由にあやつる研究)を深堀りしたい。
  5. ●金髪の体格のよいひとマイケル・スティーブンは、(とくに思惑はあかされてないけど、日本の外務省の人と契約などをしていたことから)研究結果を商業的に利用したいっぽい。

 ……といったかんじで、この時点で面白いセッティングになっている。

 アーキタイプ研究/アーキタイプを素材にした超計算機開発をすすめると、なんかヤバイことになるらしい。でもメイからカメラを離れてみればわかるとおり、研究を進めなければ、いまここでヤバイことになってる紅塵/怪獣禍に打つ手がない。

 研究をやめることが理性的・正義というわけでもなければ、つづけることが欲深な行為というわけでもない

 そんでそんで?

 銘の情報提示をうけて、BBがひらめいた「②’破局まえ(=計算が狂わない時点までの)無限ループ計算でアーキタイプ研究を進めよう!」という案が、⑤の金髪のひとスティーブンの思惑をかなえそうなのはもちろんのこと、③白髪管理職ティルダの混乱を沈めたい=紅塵コントロールしたい願いをすすめる実際的な提案になるし、①(銘自体はなんも納得していないけど)破局をふせぎたい銘の思惑もいちおうはかなえる……ということで、押し切られてしまう。

 

 8話ではアーキタイプ研究に熱心なBB&金髪そしてGOサインを出した理事会のかんがえに「え……」というかんじだった白髪管理職ティルダが、この9話で反転することになるところなど、素朴に楽しんでしまった。

 ティルダの転身の速さは、ともすれば拙速にもうつってしまいそうなものだけど、1話からずっと登場している主人公(で、視聴者であるぼくらは肩入れしやすそうな)銘の視界のそとで状況がグイグイ動いてしまっている恐ろしさとして受け止められました。

 

 けっきょくBBに賛成したけど本心はことなるリー博士が銘にみせる顔は、銘以外にも伝わるだろうノンバーバルサインで、そこについては「カメラ外で筆談でもなんでもしてくれたほうが見た目に楽しかったろうな」と思うものの、べつに本心がBBらにバレたところでどうってことない内容でもあり、銘をリー博士が言いくるめたというポーズが見えていたほうがむしろBBらの印象もよさそうでもあり、この本編のかたちが正解なのかもしれない。

 

 8話鑑賞メモで書き忘れたけど、5話でティルダがくだした"中に人が取り残されようとも隔壁を閉める"という判断が、非情な悪玉のそれではなかったらしい含みを持たせる尋問シーンはとても良かったと思います。うまい。

 

 

0521(金)

 ■そこつもの■

  hmv本35%還元セールが終わっていた

 hmvオンライン通販はたまに紙の書籍などの35%還元クーポンセールをやっていました。何を買うか、週末にゆっくり考えようと思っていたら、きのうまでだったらしく、20%還元セールにきりかわっていました。

 

 ■ネット徘徊■

  スペース体験記;①人間に興味がないと人間に言う/②シン・エヴァ反省会

「オタクって人間じゃん……!!」

「オタクが喫煙所で談笑しないのは、やっぱり、共通の話題がないだけだったのかな……?」

 ってかんじですね。

 

 どんなスペースへどういう経緯で訪れたか?

  1. ひらかれているスペースへ闇雲に入ってみる。
  2. ツイートを定期巡回している、人となりを承知済みのアカウントがスペースを聞いている/話しているらしいので入ってみる。

 ①について。

 ツイッター(鍵垢ROM専)のつかいかたは、面白いツイートや素敵なイラストをみたら適当にフォローしているみたいなかんじです。

 なのでスペース欄にはアイコンやスクリーンネームを見ても人となりが思い浮かばないかたのものもあり、これはドトールマクドナルドで聞き耳を立てている感じにとても近い。

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(↑マクドナルドでひとり黙々と描いた絵)

 おれだけが知らんひとびとがおれだけが知らんかったり興味のなかったりする話題を、おれが知らん積み重ねを前提にしたうえで会話しているから、この分からなさを楽しめないひとにとってはかなりツライ。

 知らんvtuberさんyoutuberさんの配信に顔を出したとき、その人らのなかでは常識のジョークなどがポンポン出てくるのに遭遇したさいの「う゛っ」感にちかいけど、だいぶちがう。

 初見さんもいる視聴者にむけたYoutuberさんの配信とちがって、スペースはホストもスピーカーも注目の対象はお互いへと向いているから、そのギャップが埋まることはない。ホスト&スピーカーがオーディエンスを気にしていないことも無いのだけど、

「○○さんもリスナーにいるから△△の話もするけど~」

 という感じの気に仕方だ。

 テキストチャットであれば、情報の保留・滞留ができるから、そのとき知識格差のギャップを埋めた後で拾い直せる。「こういう経歴のひとでああいう関係性があって」と溝を埋めたうえでもう一度その時点に戻って、「それでそういう話がでたんだ!」とつかみ直すことができる。

 でも、音声ベースのメディアだと、右耳に入った非情報が左耳から抜けていく~みたいな感じになってしまいますね。

 

 会話の内容は、会社の喫煙スペースや給食室などで日々おこなわれている取り留めのない会話/井戸端会議の、オタク界隈版というかんじですね。

同人誌即売会でサークルスペースで粘着する人なんなんでしょうね?」

「なにかしら会話があるならよいけど、無言で立っていたりする」

「そもそも作家さんとしゃべることあります?」

「人間に興味がないから分からないンすよね……」

「たしかに……」

 という話を、人間が見えるコテハン制SNSで/しかもよりおのおのの人間としての解像度がたかく得られる音声チャットでやっている不思議などに遭遇できます。

(SNSでクソデカ感情的なはてな匿名記事を書いたりネットバトルしたりなどいろいろ楽しいことになっているひとが「感情がない」と自己申告しているみたいなおかしみがある)

 

②について。

 知ってる人の知ってる・知りたい・興味がある話題なので、けっこう楽しい。サークルBOXへ覗きにいく気分ですね。

 ただ辿り着くまでが大分困難。

 実況している風のツイートを見てアプリを開き、「どこかな?」と探すこととなるのですが……疑問は未解決のままとなることも少なくない。

 スペースを開いているホストやスピーカー?をフォローしていないと、会話の場がどこかわからないのは、気心知れた人たちとさらに親睦をふかめて140字でおさまらない突っ込んだ会話を楽しみたい向きにはうれしい仕様でしょう。

 偶発的で雑多な多岐にわたる出会いの場としてはおおもとのツイッターが十二分に機能しているわけで、それでは難しい部分が、新規システムとして拡張されていくのでしょう。

 フリートといいこれといい、個々の築いたつながりを大事にする(狭く濃くする)ようなシステムが追加されていくのは、なるほど納得がいくものです。

 

 また、話題はおもしろいはおもしろいけれど、視野の確保には(どんな場だってそうなように)工夫が必要なようで、その層の共通認識を確認しあう、すり合わせの場というかんじはどうしたってなってしまうんだろうなぁと思いました。

 

 たとえばSFとか批評とかの方向の趣味人が『シン・エヴァ』(をあんまり楽しめなかったこと)についてしゃべっているスペースを訪れてみたら……

※こっからはふつうにネタバレしますからご注意ください※

 ……『シン・エヴァ』で新出した設定(設定といえるのか、ぼくにはよくわからないもの)などについてグニャグニャ考えている人々について苦笑いする雰囲気があり、他方でケンケンについて「理解のある彼くんが云々」・一同爆笑みたいな空気が生まれたりする。

 でもそこについて、『シン・エヴァ』の設定とかをグニャグニャ考えている人々から、

「あのケンケンはケンケンなのか? いやそうではない。劇中スタジオにはケンケンの着ぐるみがあり、第三村のケンケンは彼女を式波と呼ぶ。マイナス宇宙で"アスカはアスカだ"と言ったのはつまり人形を着たケンスケではなく、人形を着たケンスケ型着ぐるみを着たシンジなのだ」

 ……というようなお話が出ていたりするわけですが、そこはフィードされていないんですよね。

(そして、このスペースでは「なんかあるらしいじゃないですか」みたいな感じでふんわり言及されて、固有名詞のでてこなかった『幕末太陽傳』の幻のエンディングは、このスペースでは失笑の対象だった"エヴァの設定とかをぐにゃぐにゃ考えるひと"なら割合パッとあらすじまでガッツリ出てくるもんじゃないかなとも思った)

 

 あるいは、シリアスなシーンに場違いな音楽がかかることについて「ギャグだろ」『破』で零号機がペッと吐き出されるところへ「ギャグだろ」という話になっていたのですが。

 べつにここで黒澤明監督『野良犬』(’49)なり、一時期のエヴァ批判者から「縮小再生産だ」とよく話題にあがる『プリズナーNo.6』最終話なり固有名詞は出てこなくてもよいんですけど、

「場違いな要素の衝突によって、より一層の緊張感をつよめようとする対位法的な演出は、黒澤明監督『野良犬』('49)なり『プリズナーNo.6』最終話なり何なり先行例がアレコレある、ある程度クラシカルな方法じゃないですか」

「決死の自己犠牲が、そうされた側にとっては屁でもない梨のつぶてで、主役の志むなしくあっけなく潰れてしまう……というのは、ひとつの王道演出ではないですか

 あるいは、

「平板さ・ナンセンス・スラップスティックであることにこそ、ひとがゴミのように死んでいく大量死のできごとを経たわたしたちの感性なのだ、ととらえる向きもあるでしょう」

 という物言いは入っていいはずだとぼくは思いました。が、そういうことを言い出すひとはいませんでしたね。

youtu.be

 クライテリオンの販促動画とか、なんか権利的にクリーンそうな動画がないかとググりましたが、なさそう。権利的にダメな動画のリンクをはってしまうけど、ようするに上のようなシーン(動画前半の、民家から漏れ聞こえたピアノの音楽のなかとか、後半の脳裏に「♪ちょうちょ」の音楽をひびかせながらの捕り物劇)について言ってます。

 あるいは、

 こういうものが、つまり「説明ではなく描写を」で禁じられた書き方なのだと言ってもいいでしょう。立体性、具体性、というのは近代の小説が描写に要求する第一の条件で、平べったい、抽象的だ、は酷評の最初に来る文句でした。ただしそれの根本的な条件から目を背けることのできた、幸せな時代――全ての人間が自分を十全に立体的で具体的だと感じることができ、実際、立体的で具体的であることを妨げられることもない(と信じられていた)時代の話です。今日の我々は、文字通り「存在の耐えられない軽さ」、抽象性、平べったさ、無意味さを知っています。人間がそれこそ『カンディード』の累々たる死者たち同様、簡単に、何万人どころか何百人も死んでいったことを覚えています。そうした経験の後では、人物を平面的で抽象的で無価値に描くことに、ある種の誠実さを認めざるを得ません。ナンセンスなスラップスティックに過ぎない? ナンセンスなスラップスティックであることこそ、ヴォルテールが絶望のあまり笑いのめした頃にも増して、今日の我々の生存を規定しています。ディエーゲーシスを前景化させる書き方を単純に御法度する訳にもいかない理由は、まさにそうしたところにあります。

   筑摩書房刊(ちくま文庫)、佐藤亜紀著『小説のストラテジーkindle版67%(位置No.3169中 2103)、「8 ディエーゲーシス/ミメーシス 声の様態に関するタクティカルな考察」Ⅱ

 といった価値観ですね。

 シュルレアリスム現代アートみたいな様相だったり、土木機械的だったり、およそ生物的ではない『エヴァ』シリーズの使徒が、『破』終盤にきてケモノ的なふるまいをして、なにかを食べてペッと吐きだす肉とカスに還元してしまう。そうして還元されたの"なにか"とは、エヴァンゲリオンとその搭乗パイロットであり、ぎこちなくも人間的な家族ドラマに踏み出したりした少女の、文字どおり決死の自己犠牲である……立体的で具体的な"人間"が、ナンセンスでスラップスティックな"単なるモノ"へと還元するコントラストが認められないだろうか?

 そしてそれはそれなりに類例ある手法ではなかったのか? というお話をぼくは今しています。

 

 エヴァや関連情報に詳しい・詳しくない関係なしに、そのくらいのことはふつうに考えられるしふまえられるだろうかたがたの集まりでした。

(なので、つるーっと話がすすむことがふしぎだった。

 皮肉でもなんでもなく、ぼくなんかよりもはるかにたくさん作品を見聞き読んだりしているし、フィクション以外の知識も広範、頭の回転だって良いし思考のトレーニングを積まれているかたがたでしたからね)

 

 ※『シンエヴァ』のネタバレ含んだ文章ここまで※

 ぼくが(ネガティブな意味で)気になったところは、もしかするとそういうお話はすでにこのかたがたのスペースで出ていて、検討のうえで却下された、周回遅れの話題なのかもしれない。

 それならそれでいいですよ全然。納得いくお話のすすめかたです。

 毎度なにかお話をするたびに「これまでの議論まとめ!」みたいなんが入ることは、不特定多数がふんわりした時節になんかうまいこと集まってくれた音声ベースの時空間でわざわざやる必要性は薄いだろう。

(まとめが挟まれれば挟まれるほど、ひとびとのスキマ時間をつぶすことになるので)

 

 またそういう議論をへていなくたって、人間同士のかかわりとして、そのひとの訴えにたとえ異論はあろうとそのひとの感情はまちがっていないので、そのひとが大事にしていることをおなじく大事にして、茶々をいれず拝聴したりそばにいつづけたりするというのは、まったくもって正しいことです。

{たとえばこのスペースのかたがたが談笑のタネにし、そしてぼく自身もまた多少「そこをdigるのは……どうなんだろう……」と思う、"シン・エヴァがこの期におよんでズラズラ話題に出した謎用語・謎設定"についてどうにか深堀りしようとするひと。

 かれらの行為について、「どうなんだろう」と思う一方で、「でもその人にとっては大事なことなんだろうな……」としみじみ思い、指さしたりするのはたばかられるのとおなじことです}

 

  結果として、ある印象を固定・増幅・増強するにはいいかもしれないけど、異なる考えを差しこむ場としては、スペースはもしかすると難しい場なのかもしれないなぁと思った次第です。

 

***

 

 なんでそんな文句たらたらでも聞いていたのかって?

 そりゃあぼくもまた感情のある人間であり、人間に興味がある人間であり、喫煙所でげらげらしたりサークルBOXでへらへらしたい、人恋しさや居心地の良い場を求めてやまない弱いオタクのおっさんだからですね……。かなしいね。

 

 

 ■考えもの■

  『ゴジラS.P』制作時系列を整理する

 『ゴジラSP』には「不要不急の外出」を避けるようアナウンスがなされたりなど、かなり最近の時事も含まれているような雰囲気があります。

 ちょっとしたことばなどは、アフレコが20年5月以降なので、入れようと思えば入れられるわけですが、おおもとのプロットがいつごろできて、具体的な各話エピソードの執筆がいつごろだったのか、ちょっと気になるところです。

 

(うろおぼえ)

 ネットフリックスは最終話まで完パケ納品だった気がする。

 

(くわしい時系列)

 2017年3月 東宝ボンズから高橋敦史監督に声がかかる。

――『ゴジラS.P<シンギュラ・ポイント>』を監督することになったきっかけから教えていただけますか。

高橋 ちょうど『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』(17年)が終わったころ、東宝ボンズから声がかかりました。

   双葉社刊、『映画秘宝 5月号』(21年3月19日発売)p.3、編集部小澤涼子氏による、高橋敦史監督へのインタビュー記事より

映画『シン・ゴジラ』が公開された後、ゴジラというタイトルが下の世代にも、それこそ女性層も含めて知れわたり、TVアニメという若い方もよくご覧になるメディアの力を借りて、ゴジラ作品の認知をもっと広げられないかという機運が社内的にもありました。本作については、2017年3月頃に高橋敦史監督とお会いしておりまして、そこから足かけ4年で制作を行なってきました。

   『CG WORLD 2021年6月号』kindle版7%{位置No.92中 7(紙の印字でp.24)}、「KEY MAN INTERVIEW #1」プロデューサー吉澤隆さんの言より(太字強調は引用者による)

(高橋監督がガジェット通信の取材に答えたところによれば、そもそも東宝から打診されたのが「静野&瀬下監督&虚淵脚本のポリゴン・ピクチュアズによるアニメ映画版『GODZILLA』3部作の関連作を」というお話だったと云います。

高橋監督:まず、ボンズさんから「ゴジラTVシリーズでやっていただきたい」と言われました。最初は“世界各国の代表的な怪獣たちとゴジラが戦う”みたいな話で作れませんか?という話などありつつ、ちょうど劇場版アニメ3部作の『GODZILLA』(17年)制作が始まっていたところだったので、関連した話を作れませんか?というオファーでした。

   ガジェット通信、『完全新作『ゴジラ S.P』は怪獣の声にも注目!高橋敦史監督「分析されきっていないところがゴジラの面白さで魅力」ジェットジャガー登場の理由は?』高橋敦史さんの言より

 17年3月~10月のどこか 円城塔氏にも声がかかるボンズ経由)

 高橋監督からは、「ゴジラで『あなたの人生の物語』をやりたい」、「ゴジラで『パルプフィクション』のようなパズラーをやりたい」といったお話が出たそう。

「監督からテッド・チャンの『あなたの人生の物語』が原作の映画『メッセージ』みたいにしたいという話があったのですが、『ゴジラ』は『メッセージ』にはならないですよ……と。いろいろな要素、パーツがハマるパズルのように作りたい、例えば『パルプ・フィクション』のようにという話もありました。でも、『ゴジラ』は『パルプ・フィクション』にもならないですよ……と(笑い)」

   まんたんウェブ『ゴジラ S.P:「ドラえもん」のような“ありそうでなさそうな世界”!? 円城塔に聞く』

 さらに円城氏からはGIGAZINEによるインタビューで「日本各地をサザエさんのオープニングのように巡って壊していくという案もあった」というお話もあれば、『ゴジラフェス2020』では「シリーズでさまざまな試みがされ尽くしているから、"ゴジラで学園物"とか位しか無いんじゃないか」といった旨の話をしたことが語られもしました。

 CG WORLD』をひらいてみると、吉澤隆プロデューサーが当初の企画書についてちょっぴり言及しています。

当時の企画書には、「王道パニックアクション×エヴァンゲリオン」と書いてありましたね(笑)。

   『CG WORLD 2021年6月号』kindle版8%{位置No.92中 8(紙の印字でp.25)}、「KEY MAN INTERVIEW #1」プロデューサー吉澤隆さんの言より

 17年10月 円城氏、プロット試案を少なくとも1つつくる。

18年5月30日 第一話に関係しそうな『手作りラジオ工作入門 聴こえたときの感動がよみがえる』読了

 ゲルマニューム・ラジオは無電源という特徴を持っていますが、少しばかり音が小さいという欠点があります。

    講談社刊(ブルーバックス)、西田和明『手作りラジオ工作入門 聴こえたときの感動がよみがえる』kindle版30%{位置No.178中 53(紙の印字でp.52)}※EnjoeToh18年5月30日読書メーター読了本

 19年3月 第8話マンダの打ち上げシーンのための時事現場ロケハン。

 20年4月7日 本来の第一話アフレコ日が延期に(『コロナ禍日記』)

        円城氏7話8話スカイプ打ち合わせ。(『コロナ禍日記』)

 20年4月14日 円城氏9話スカイプ打ち合わせ(「まだ最終13話の大落ちが揺らいでいるというのはどうしたものか」)(『コロナ禍日記』)

 20年4月21日 円城氏7話スカイプ打ち合わせ。(誤記ではない)(『コロナ禍日記』)

 20年4月28日 円城氏789話スカイプ打ち合わせ。(『コロナ禍日記』)

        円城氏、仕事として文字化けメッセージをつくる(『コロナ禍日記』)

 20年5月5日 円城氏9話スカイプ打ち合わせ。(「なかなか筋がまとまりきらぬ」) (『コロナ禍日記』)

 20年5月11日 円城氏、「謎の計算」を考える。(「フレドキンのビリヤード計算などを思い出しつつ論理回路でも考えることにする」)(『コロナ禍日記』)

 20年5月12日 円城氏8910話スカイプ打ち合わせ。(『コロナ禍日記』)

 20年5月18日 円城氏910話スカイプ打ち合わせ。(「どうも先へ進まない」)(『コロナ禍日記』)

 20年5月19日 第一話アフレコ(『コロナ禍日記』)

 

0522(土)

 出勤日で宿直日。

 

 

0523(日)

 ■ネット徘徊■社会のこと■

  人生をやっていこうとするメモを覗き見てしまってツラくなる

 アメリカ映画でたまに出てくる、人生哲学/自己啓発本を読んでいる人を見かけるとだいぶ追い詰められた気持ちになることがあります。

 そうした登場人物は、たいてい、理想と現実のギャップに挫折したり、規範を自他へ杓子定規的におしつけるパワハラ体質の人だったりして、あまり善いひとではないのですが、

「このひとは日陰を歩いているなかでどうにか日向へ出ようと、その人なりにがんばろうとしている(していた)のだな」

 と感じてツラくなってしまう。

 誤字りながらもいろいろとメモった紙片を見て、おんなじような心地になりました。

 『TEENAGE VIBE』の歌詞を引いていると聞いてそのPVを観て、なおさら感情がうずまいてしまった。

www.youtube.com

 

 

 ■描きもの■

  Youtubeポズデ45min、趣味の絵1~3hrs

 Youtubeポーズデッサンをひきつづき行ない、趣味の絵も数時間描きました。

 

 ■観たいもの■

  柴幸男『あゆみ』、メジャーアイドルグループがやってるんだ……

www.hulu.jp

 柴幸男さん脚本の『あゆみ』。これをけやき坂46の皆さんが演じていて、huluで配信もさえていると知りました。

 映画のフィルムというか、回転覗き絵(ゾエトロープ)的な時空間を生身の人間でやる前衛劇で、一直線に照らされた舞台の端から端まであゆみつづける一人の女性「あゆみ」を、複数人が演じ続ける異色作。

 端から端まで「あゆみ」として演じ/歩き終わった演者Aは、ステージの奥・スポットライトの当たらない陰を逆走し始端の陰へ戻って列にならび、スポットライトの終端からAが去ったのと同時に始端から演者Bが現れ、Aが演じた「あゆみ」を引き受ける。Bが終端まで演じ/歩き終わったら陰で控えていた演者Cが始端から現われ「あゆみ」として歩み、Cが終端まで演じ/歩き終わったら陰で控えていた演者Aがふたたび始端から現われ「あゆみ」として歩み……というような枠組み。

 

 huluに入るお金がないので、けやき坂さん版がどんなもんかはわからないですけど、面白い演劇なのでオススメです。

 

 

 ■読みもの■

  柚著『ねじれ位置』読書メモ

shonenjumpplus.com

 すさまじかった。徐々にキャラの輪郭がはっきりしていく語り口が面白い。

 

 

0524(月)

 ■考えもの■

  時代のカラー;新海誠的/ラッセン的なライト文芸表紙から、セカチューなど自分のティーン時代の表紙・作品名に思いをはせる

 なんか最近のライト文芸の表紙が話題でした。

togetter.com

 なんか「最近の若い者は……」みたいな空気をどうしてもまとってしまってアレなんですが。とぅぎゃられているツイートにもあるとおり、tiktokの小説紹介動画とかとの兼ね合いなんかも追えているかたが見てみてくれたら面白そうな話題ではある。

 

 ぼくらがティーン時代に中村佑介さんやカスヤナガト氏が表紙を風靡したときもそんな風に上の世代から思われていたんだろうか? などと思うわけですね。林静一@『小梅ちゃん』を現代的にポップにしたような画風のおふたりによる本たちですね。

https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/410M56MVQRL._SY291_BO1,204,203,200_QL40_ML2_.jpg https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/61LAIOuPDoL._SX347_BO1,204,203,200_.jpg 

 夜は短し歩けよ乙女』('06)、『謎解きはディナーのあとで』('10)……

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/616neJPpnBL._SX355_BO1,204,203,200_.jpg https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/417c04XziDL._SX337_BO1,204,203,200_.jpg https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51si2Qjqd3L._SX343_BO1,204,203,200_.jpg https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51T-5RHzEnL._SX352_BO1,204,203,200_.jpg 

 有川浩著『植物図鑑』('09)、夏川草介神様のカルテ』('09)とか……

 

 あの頃のぼくは、ちょっと文章めいたナンダカよい感じのタイトルを、なんかいい感じの風景や顔の見えない人物でつづる表紙はどうか? とか思っていたな。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/4198K7YBGKL._SX328_BO1,204,203,200_.jpghttps://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/516FE8DWMBL._AC_.jpg https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41185874ZHL.jpghttps://eiga.k-img.com/images/movie/41168/photo/539210d2985d5625.jpg?146916888621世紀初頭に『世界の中心で、愛をさけぶ(’01・4月刊。柴咲コウ氏による言及をきっかけに03年よりベストセラーへ。04年映画化)が出て、『いま、会いにゆきます』のポスターが映画館にならび……

 

https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41CQ1T2EF8L._SY291_BO1,204,203,200_QL40_ML2_.jpg https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/51Zui-NS6QL._SX360_BO1,204,203,200_.jpg 『ラス・マンチャス通信』の平山瑞穂氏が、『忘れないと誓ったぼくがいた』でヒットをとばしたあと、『冥王星パーティ』(単行本時点ですごい好きな表紙なんですが、まぁいい感じの風景ではある……)が文庫化されて『あの日の僕らにさよなら』と改題された件とか。

https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/91ID9jHoUgL.jpghttps://eiga.k-img.com/images/movie/33706/photo/71214c3a53035253.jpg?1495095136

 『恋愛寫眞 もうひとつの物語』⇒映画『ただ、君を愛してる』はこうした空気のあいの子のようなすごい作品(メディアミックス)だったんだなとググって思う。

 

0525(火)

 ■身のもの■

  倉庫整理で疲弊する

 倉庫の整理をして頭が痛くなる。脱水っぽい感じがしたけれど、むしろ35.8℃とかで低かった。ぎゃくにこわいよ! 

 

 

0526(水)

 ■身のもの■

  筋肉痛になる

 きのうの倉庫整理によって筋肉痛がひきおこされる。背筋のよわまりを感じる。

 

 

0527(木)

 仕事休み。寝たり起きたり。大雨だったので髪を切りに行くのはまたこんどにしました。

 

 

0528(金)

 本文

 ■観たもの■

  高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』10話鑑賞メモ

{このblogでのここまでの『ゴジラS.P』にかんするお話。放送まえ与太話記事1話感想エントリ2話感想エントリ3話感想エントリ4話鑑賞メモ(日記)5話鑑賞メモ(日記)6話鑑賞メモ(日記)7話鑑賞メモ(日記)8話鑑賞メモ(日記)9話(日記)10話鑑賞メモ(ここ)11話鑑賞メモ(日記)12話鑑賞メモ(日記)13話鑑賞メモ(日記)

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 『コロナ禍日記』を読むに難所だったらしい7~10話がついにおわった。

 後ろに下げたものを上に上げなおしているからで、7、8、9あたりで衝突するせい。

   「散木記(抄)円城塔[日本・大阪 2020年3月某日~5月21日]」、5月5日(火)の記述より。{タバブックス刊、『コロナ禍日記』kindle版19%(位置No.5951中 1103)}

 7~9話で李博士により葦原博士の研究来歴などがザックザク開陳説明されていったので、ぼくはそこが"後ろに下げていたもの"と推測して、

「10話以降はちょっと展開が飛躍するか(=ホップステップを手早く済ませたので、ホップ・ステップ・ジャンプでは尺が余るから、ジャンプの後に空を飛ぶような、更なる展開が盛り込まれるのではないか?)、もしくは(物語を詰めたことで余裕の生まれた尺によって)アクション面で詳述するかする箇所があるのではないか?」

 と思っていたのですが、はてさて11話以降はどうなるのか。

 

タイムマシンによって歴史改変が可能であれば、タイムマシンが発明されない時間線が安定なものとなるのではというニーヴン説について考えている。

   「散木記(抄)円城塔[日本・大阪 2020年3月某日~5月21日]」、4月26日(日)の記述より。{タバブックス刊、『コロナ禍日記』kindle版19%(位置No.5951中 1080)}

 9話からすればギョッとする10話前半の銘&リー博士&執事マキタ3者のディナーシーンでは、日記のとおり、ニーヴンの時間SF観を参照したタイムマシン談議がなされもしました。

 ほかにも『コロナ禍日記』には、既存の和歌を時間SF的に読み替える思いつきなどもありましたし。読書メーターの読了スタンプを見ると円城氏は、東宝アニメ映画を原作とした小説『君の名は。』『HELLO WORLD』をつづけて読むなどされてもいましたね。

 でも、

「まさかゴジラでまじで時間×青春SFをやる(らしい)とはなぁ……」

 というのが正直な感想です。

 

 ぼくがベットしていた予想は――大阪や北海道/路地やアイヌの食事・料理、大阪や(東北・北海道に分布している印象のある)金山関連の建築・土地本をいろいろ読んでいた=ので『ゴジラSP』の舞台になる! 大阪北海道が舞台の『ゴジラの逆襲』を踏襲した展開が来る! ――大外れしてしまったね……。

 

***

 

 とにもかくにも音楽(とその演出)がつよい作品ですね。

 劇中歌『ALAPU UPALA』の来歴が、インドの登場人物が登場することで明かされ、これまで聞いたことのないフレーズまで演奏される。

「分かれた川は二度と1つに戻らない。なくした人は帰らない」歌についてリーナ・バーンが説明したところで、『ALAPU UPALA』はせつないあらたなフレーズに入る。

 

 終盤の東京、ゴジラ掃討作戦では、『ゴジラ』シリーズのメインテーマがついにサビまで流される。

 放射熱線による破壊描写は二重の意味で足りていません。

 ①オマージュ元『シン・ゴジラ』は放射火炎方式(8話アバンタイトルでやっていたやつ)から流れるようにレーザーへ収束切替し、その熱線で東京の名所/各階級のことごとくを破壊していたのに対して、分割したうえで被害をうけるモノや者の規模を縮小したのが『ゴジラS.P』の放射熱線の演出なので、そりゃあ足りていないわけです。

 ②そして『ゴジラSP』単体で見ても、10話の破壊描写には、8話OPアニメ後に自衛隊のえらいひとを瞠目させたギュラゴジならではの謎の怪現象(ぐにゃぐにゃにねじ曲がった街灯)に類するものが登場しないし、10話本編で起こった(らしい)アバンタイトルゴジラの光輪にあたった怪獣の謎の消失現象もまた登場しない

 あれらをエスカレートさせたような描写が拝めるものと思っていたぼくとしては、正直あまりうれしい描写ではありませんでした。

{『SP』ならではの要素である、光線がしばらく滞留しているような尾のひきかたは面白いですが。(しかもこれは4話でリ―博士が実演してみせたような、アーキタイプの特性を思わせる描写でまた良い! リー博士が4つの石で光を閉じ込め増幅させていたのを、ゴジラは空気中に散乱する無数の紅塵単位でくるくる収束増幅させている……というようなことでよいのかしら?)}

 

 『シン・ゴジラ』を参照しない描写はとても良いんですよ。

 ゴジラが戦闘機や戦車からの連発を受けても物ともせずに歩き続ける姿のなんとすばらしいことか! 複雑なポリゴン数の存在がぬるぬると高いフレームレートでカメラへ近づいてきて画面に写る姿を大きくしていくさまは、3DCGならではの描写だし、悠然と歩いているにもかかわらず同時に(たぶんそのとめどなさ故に)「なんかこっちへどんどんと迫って来ているな!?」と速度感をいだいて素朴にこわい。

 ただこの動きは1,2ショットくらいの出来事で、だいたいは『シン・ゴジラ』をTVアニメシリーズのコストでなぞる展開が大半を占めている。

 記事上でならべたとおり、ゴジラ青い光輪をいくつもどこまでも回転させ(=今作独特の意匠)青い光線をどこまでも伸ばして世界を炎の赤(赤と言うのは偏向で、橙色が正しいでしょうが……)へ染めるのにたいして、われらが主人公メイは青い通信マークくるくるさせるもことごとく赤い失敗にかえ、ユンもまた青い音声の波を走らせ暗号解読に挑むも行き詰まって夕暮れを迎える……という対比も見られて楽しくはあります。

 既存作に頼らなくても(※)独立してやっていける作品なので、『シン・ゴジラ』/実写邦画という潤沢な予算によって作られた映像の記憶を呼び起こすような表現はやめてほしかった。

(※とはいえ物語がそもそも既存シリーズ/怪獣映画に頼っているというか、ここまでのゴジラを踏まえたうえで『SP』という特異点がある、というような位置づけだろうから、踏まえないわけにはいかなかったんだろうな……むずかしい……)

 

{映される事物の面白さで言えば、シャランガvsインド警察&インド軍&シヴァ私兵のほうが素朴に楽しい

 17:29のパトカーがパトカーの上に落され爆発炎上するショットなど首をかしげてしまうショットもあるけれど(下敷きにされるパトカーには、きちんとつぶれる差分が用意されているんだけど、上のパトカーは無傷かつ微動だにしないから妙にチープに見える)、さまざまなことをきちんとやってくれている。

 シヴァ社からきっと隠ぺいされていただろうシャランガと、突然たたかうこととなった(であろう)警察や戦車が火力のひくい得物で応戦し(かわいそう!)案の定敗走するなか、実戦投入されるランチャー式OD、「紅塵の濃度が上がるのを待て」と冷静に科学者らしい所見を述べるBB、シャランガを行動不能にしても安心できず、近距離でODを撃ったことによりその枝によるコラテラルダメージが心配される戦闘終わりなどを漏らさず描いてくれているので。

 父に元へ無免許運転で向かうリーナ・バーンが、ODの枝のあいだを蛇行した挙句、枝にぶつかって止まるのもよい。

 トニスコ監督『デイズ・オブ・サンダー』でも恋人のもとへ向かうレーサーが市街地で車を走らせて止まる際、ほかの車にこつんとぶつけていたような記憶があるけれど、こうして可視化される心身おだやかでないひとの振る舞いがすきです}

 

 ぼく的にはうれしくない光景ばかりなのだけど、それでも感情がゆさぶられてしまった。ぼくが揺さぶられたのは、音楽の力に他なりません。

 『ゴジラS.P』10話のゴジラの活躍のテンションは、ここまでチラチラと聞かせていた音楽が、沢田完さんによって盛り盛りのコーラスをつけられたうえで流れつづけることに大きく依っている。

 主役たちはだれも喋らない。固唾を飲んで見守る。

自衛隊のキャラは一音セリフがありますが、今回ばかりは「なんだあれは?」「やったか?」に類する(ともすれば脱力してしまう)お約束的一言をこぼさない}

「そろそろ作戦の時間ということになります。いま、戦闘機が飛んでいく様子がうかがえます」

 TV局のレポーターが喋る声がわずかにあるだけで、それもどこか即物的で実利的な、比喩を含まない内容だ。見たまま聞いたままをそのまま口述しているのだけど、状況が異様なので詩情と接近してしまう……そんな臨界点のリポートをする。

「光が見えます」

 音楽と怪獣の立てる音だけがひびいていく。

 

***

 

 やっぱり3話区切りで進んでいく四部構成らしく、10話本編は1話冒頭をごりごり同ポ(とこういうケースでも言ってよいんだっけ? 1話は祭りの夜・10話は昼間……と時間をガラリと変えていて、背景美術さんはそれぞれ別個の背景を用意してくれています。)で反復変奏していて、素朴にきもちよい。

 1話ばりに気持ち良い場面つなぎで、いつも以上に20分が高速で過ぎていきました。

 1話では灯篭ドローンが夜空へ飛んで行ったけれど、10話では戦闘機が夕空を飛んでいく12:45。ドローンがそうなように、戦闘機もまた遥か遠くへ飛んでいき、もはや光のつらなりのようにしか見えない……というような描かれかたをしていました。

 

ハメ手を持つこと
例1)2人の登場人物が、時空的に離れた場所で、それぞれモノローグする
・なんかわからんが泣ける

   scrapbox、enjoetoh、20180920 ゲンロンSF創作講座用テクストより

 

***

 

(ここから5/28朝からの追記)

 観たかたが結構な確率でお話しされている気もしますけど、メイたちのディナーシーンの挿入がすさまじい。

〔「並行世界なのでは?」というお話をされているかたもいるし、どう転がっていくのかまだなんだかよくわからないけど、9話後半のロンドン出発まえのどこかの時点を10話インド時点から回想しているシーンという風にとりあえずとらえました。

{5/30追記;

「ふつうに無事で、9話後の時系列でディナーをしたあと、それぞれやるべきことのためにふつうに別れただけなのでは?」

 という見方も、たしかにそうさなぁというお話であります。

 メイはBBと理論を詰めにまわって、リー博士はシヴァのえらい白髪のひとティルダや金髪のひとマイケル・スティーブンとの調整にむかった……とかだと9話の会議の博士の立ち回りも活きてきます。

 また、前段でひどいことになるけれど後段では「無事でした」というのは、『ゴジラSP』でメインキャラ脇役ふくめて何度も描かれてきたことでもあります。バイクから落車しても耳鳴りがするだけでほぼ無傷で済んだり(3話)、巨人型メカから落車して爆風に巻き込まれても耳鳴りがするだけでほぼ無傷で済んだり(6話)、倉庫が爆発炎上しておこした爆風に巻き込まれてもほぼ無傷で済む(9話)作品なので、リー博士も無事だと考えるのはむしろ自然でしょう。

 他方「存在しないのでは」「夢みたいなものでは」という見方もあり、これもたしかにそうだなぁと思える。映画トンネルさんが言っているとおり、じっさい不思議な場所だ。(ほんにゃか具合は円城氏の著作っぽいなと思う。たとえば玄関のホールで待ち構える骨格がエレモテリウムになったりメガテリウムになったりする『松ノ枝の記』みたいだとか)}〕

 ぼくは『ゴジラSP』で直接的な死/破壊描写がなかったり乏しかったりすることについて、記事上でも述べたとおり、「あと数ショットあったらちがうのに……」と空腹感を覚えていました。でも同時にこういうシーンを見てしまうと、

「そもそもそういう"あったらうれしい"類のショットは、既に観てきたりどこかで描かれた"お約束"であったりしないか? "そういう風に"退場したモノや者について、ぼくはどれくらい思いをはせたりしただろうか?

 という反省にちかい疑問も浮かびもします。

 

 まだいなくなった気がしない。すぐそばにいる気がする。あの人と交わした会話の内容も、姿も、声も、こんなにも鮮明に記憶に残っている。でもそうして「思い返す」という行為をしていること自体、もういないからこそそうしている向きがないとは言い切れず、むしろ不在が強調されもする。

 

 先日読んだ(ネタバレだから伏せておきます→)つの丸(←伏せ終わり)作品といい、その瞬間はあっけなく、しかしいつまでも尾を引く退場描写にぼくは弱いらしい。 

「キャラがよわい」

「人間ドラマが薄い」

(上に付随するかたちで)設定/造語の説明ばっかり」

 と言われることもある『ゴジラS.P』について、ぼくはその声に「そうさなぁ」とうなづく側というか、別にキャラ萌えの面でそうグッとひきこまれていたわけではない気がしていましたが、連載モノでいやも応もなく蓄積されたものはあったんでしょうね。

 だれがだれになにをどう説明し、その説明をどのように聞いているか? そういったかたちで付着し育つ血肉はある。たしかにここに。そこにあった。気づいた時にはもうどこかにいってしまったけれど。

 素朴にかなしい。

 なんかわからんが無性にさびしい。

 そしてこのかなしさは、ぼくの「あと数ショットあったらちがうのに……」の中にはないものだった。

 思いもよらない凄さに出くわしてしまうのが、ひとさまの作品に触れるという醍醐味のひとつなんでしょうね。

 

***

 

 9話を地上波でふりかえり。

 ちょっと似たような構図が続いている印象があったクモンガ戦。

 9話後半のパートは、クモンガがアンギラス槍に対応する武器を手に入れたり(カマンガ)、2話のラドンが見せたように天地方向へ逃げる道を得たり(ハネンガ)と、さらなる競合・成長がえがかれた回だったんですね。

 なるほどなるほど……。

 

 

0529(土)

 仕事日。

 ■身のもの■

  筋肉痛がぬけない

 筋肉痛がぬけない。姿勢筋は元気になってきたけど、太ももが痛い。

 

 ■描いたもの■

  ヴィヴィアン・ケンジントンちゃんの弾き語りが好き

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twitcasting.tv

www.youtube.com

 ツイキャス配信ライブも成功するといいな……。

 

0530(日)

 宿直日。

 ■読んでいるもの■

  ゴジラはむしろ公開当時「メッセージ性が弱い」と批判されていた;『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー:特撮映画・SFジャンル形成史』読書メモ

 それは何ですか;

 東京成徳大人文学助教をつとめる森下達氏が、2014年の京大大学院文学研究科に提出した博士論文をもとに改稿を行なった本です。

 『ゴジラSP』の感想をめぐっていたら取り上げているかたがいたのでポチってみました。

 読み途中の感想;

 まだ第一章のゴジラ編を読んでいる途中なんですけど、これはとてつもなく興味ぶかい本です。

 ぼくが『ゴジラ』シリーズについてよくわからなくてぼんやり棚上げにしていた部分について、きっちり研究された本。

(脱線;ゴジラに関してzzz_zzzzがいだいていた分からなさについて)

 まず『ゴジラ』は、核の恐怖や戦時が想起される展開が明示的に言及された作品です。

 核実験による漁業への不安であるとか、ゴジラ襲来にさいして疎開する人が出て戦時の話をしたりとか、広島の話をしたりとか……というのがセリフや映像で直接的に言及されている。

香山 僕はゴジラに対して同情してるんだ。あれだけ災害を及ぼした彼自身もまた水爆の犠牲者だったってことをいいたいんだ。

渡辺 これは原・水爆反対の気持ちがデフォルメされた形で表現されてるようにもとれる。

香山 その意図もあった。

   筑摩書房刊(ちくま文庫)、香山滋著『ゴジラ』p.258「トーク&エッセイ」、探偵作家の座談会 科学空想映画「ゴジラ」を観て 城昌幸渡辺啓助高木彬光香山滋より。(初出;東京タイムズ昭和29年11月2日)

 上に引用したとおり、1954年11月3日に公開された『ゴジラ』とあわせるように東京タイムズ昭和29年11月2日号へ掲載された探偵作家の座談会 科学空想映画「ゴジラ」を観て 城昌幸渡辺啓助高木彬光香山滋筑摩書房刊(ちくま文庫)、香山滋著『ゴジラ』に再録}で原作者の香山滋さんがゴジラを「災害」であり、かつ「水爆の被害者」として描いていたということは、公開当時から明言されていますし。

円谷 あの映画で、いちばん、くろうしたのは、ゴジラの正体を、どんなかたちにしたらよいかということですね。

 まず第一に、かたちが、あまりでたらめであってはならないでしょう。大むかしの海じゅうのようなものにして、学問てきなものに、あるていど、近づけなければならないし……。

 つぎにこどもさんが、いちばん、こわがるものでなければならないし……。

 つぎに、そうかといって、いやな感じのするものであってはいけない…。

(略)

 この時、原ばく雲から、ヒントをえて、考えだしたかおがあって、これはおもしろい、あまりにくめないかおだというので、そのかおににせて、つくることにしたのです。

   ワイズ出版刊、円谷英二著・竹内博編『定本 円谷英二随筆評論集成』p.271、「座談会 映画のかげではこんなくろうが 日本のトリック王・円谷先生をかこんでお話を聞く」より(初出;「5年の学習」昭和31年4月)(略は引用者による)

ゴジラ」ははじめ、爬虫類の変種みたいにしようと考えていたが、人間にやらせることになって困ってしまった。首を長くできないのだ。やむなくみじかくして強行した。ちなみに原爆のキノコ雲にヒントを得て作りだしたものである。

   ワイズ出版刊、円谷英二著・竹内博編『定本 円谷英二随筆評論集成』p.351、「第四章 忍術から宇宙まで」⑨縫いぐるみを着た"弱虫ゴジラ"より(初出;毎日新聞夕刊 昭和37年4月11日)

  その造形に原爆のキノコ雲からヒントを得ていることが特撮技術の円谷英二さんによって語られてもいます。(出典のとおり、新聞でだけではなく、小学生むけ雑誌でもそういうお話がされてるんですごいですね)

 

 ただまぁ、ゴジラが原事故・東日本大震災だなんだというお話は、1954年公開の『ゴジラ』内ではもちろん言われていないし(笑)、WW2戦没者の霊的ななにかだというお話もまた、言及されていない。シリーズの後ろの作品で、受け手や作り手が見出したり付けたりした尾ひれ背びれですね。

 

 ぼくzzz_zzzzが『ゴジラSP』公開まえにアップした与太話を書いている途中、「良い機会だから」とアレコレ作り手や受け手の思想が盛り込まれたゴジラ/怪獣にまつわる象徴性やバックグラウンドについて、「どこまでが設定や作り手の想定で、どこからが受け手の独自解釈なんだろう?」ってチョットいくつか本やインタビューを漁ってみたんですけど、そうして関連書籍を読んでみて気になったのが、そもそも大元のゴジラからして製作陣になかでもスタンスが分かれているなぁ? ってことでした。

 香山滋さんの検討脚本では、ゴジラの現れた原因となる実在の事件ビキニ環礁での水爆実験、第五福竜丸のまきぞえ)が直接言及されているのに対して、本編映画ではそこは省かれています。

 そうですね。香山滋さんの原作では、ビキニ環礁から第五福竜丸が日本へ帰ってきたシーンから始まるんですよ。そこで、ゴジラが海底にいたというね。そこはぼくは切ったんですよ。なぜかというと、ビキニ環礁から帰還した第五福竜丸ゴジラというのでは、あまりに現実感がないんですよ。(略)

 

――第五福竜丸を具体的に登場させるという手もないことはないと思うのですが。

 

 それが、ぼくはそうじゃない。あのときに、たとえばクジラの少し異常なのがビキニ環礁に浮いたっていう話がひとつでもあればね、こういう現実があるんだから、海の底だったらわからないじゃないかってぼくは言うけれど、そうでないとね。

 実際に死の灰を被った人がいるというのに、その実験場と同じところにゴジラが出たというのでは、ぼくは作品としてはあまりにもこじつけだと思ったんです。

   ワニブックス刊(ワニブックス【PLUS】新書)、本多猪四郎『「ゴジラ」とわが映画人生』p.85~86、「第一部 わが映画人生」3『ゴジラ』より、本多氏の言(略は引用者による)

 本多猪四郎監督はそれをリアリティの問題(現実に死の海となっている、それをみなが知っている現場からゴジラみたいなのが蘇る……みたいなのは信じられない)としているけれど、ほかにも香山氏の脚本ではあった研究者の業が短くなっているとか、最後にアメリカが核実験をぜんぶ終えたことを告げる劇中報道が丸々ないとか、アレコレ省かれてもいます。

 本多監督の言だけを見ても複雑です。

 ――初めて『ゴジラ』の話がきたときにはどう思われましたか。

 

 これがきたときには、ぼくは絶対面白いものを作ろうと思いましたね。

 原爆については、これは何回も言っているけど、ぼくが中国大陸から帰ってきて広島を汽車で通過したとき、ここには七十五年、草一本も生えないと聞きながら、板塀でかこってあって、向こうが見えなかったっていう経験があったんです。その原爆によってゴジラが生まれたってことね。

   ワニブックス刊(ワニブックス【PLUS】新書)、本多猪四郎『「ゴジラ」とわが映画人生』p.90、「第一部 わが映画人生」3『ゴジラ』より、本多氏の言

 東宝から企画を振られた本多氏は、じしんが戦争から帰る途中で見た(というか、インタビュー的には「見れなかった」が正しい)ぺんぺん草も生えない広島の荒廃を想起した、と言うけれど、次のページではゴジラに広島長崎の悲惨を「込められなかった」とも言う。

 ――広島、長崎の原爆のイメージはあったんですか。

 

 『ゴジラ』を撮っているときには、頭の中にそんなにおいていないんですね。結局ね、放射能の怖さみたいなものを、どうしたら一番わかるか。それを人間の小ささ、弱さというかたちでシーンを考えたんで、広島、長崎の悲惨さなんてあんなものじゃない、もっとすごいものだと思うし、それはあまりにもすごくなりすぎると。

 ゴジラってぬいぐるみだから視覚的に負けると思ったんですよ。それだから、放射能を口から吐くというところにもっていったんだね。原爆でやられた人間をあそこにもっていったら、ゴジラ自体が、とてもじゃないけど負けちゃいますよ。

 だから、ゴジラゴジラっていう映画の中のリアリティー、それを探してイメージ化したんですけどね。

   ワニブックス刊(ワニブックス【PLUS】新書)、本多猪四郎『「ゴジラ」とわが映画人生』p.91~2、「第一部 わが映画人生」3『ゴジラ』より、本多氏の言

 なんだかよく分からなくなりますよね。

 

(本題;『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー』の凄いところ;公開当時の人々にとって、ゴジラはそんな暗くなかったというお話を具体例を引き論証)

 『ゴジラ』をいま見直してみていちばん驚くことは、この映画が「怪獣映画」であるよりも「戦争映画」であることだ。(略)

 ゴジラの出現によって逃げまどう東京の人間たちの姿や、ゴジラによって破壊され焼野原となった東京の町は、昭和二十九年の時点ではついこのあいだの悲惨な東京大空襲を思わせるに充分であるし、病院に収容されたゴジラの犠牲者の姿は、広島・長崎の原爆の犠牲者を思わせもする。しかも、この映画は黒白スタンダードで、ゴジラの襲撃が夜に行なわれることもあり、画像が終始暗い。ときに黒々としたゴジラの姿は夜の闇の中で見えないこともある。(略)

 『ゴジラ』は暗い。これをSF映画、怪獣映画として楽しもうとする観客はまずこの「暗さ」にとまどってしまうに違いない。(略)

 『ゴジラ』は暗い。このことは、公開当時すでに双葉十三郎が『キネマ旬報』で「空想を空想として楽しめず、うす暗いいやな後味がのこる」と指摘している。

   岩波書店刊(岩波現代文庫)、川本三郎今ひとたびの戦後映画』p.74~76「ゴジラはなぜ「暗い」のか」より(略は引用者による)

 『ゴジラ』にまつわる批評は過去さまざまあって、川本三郎さんのジラはなぜ「暗い」のか』などが有名なところです。

 川本三郎氏は『ゴジラ』とそれ以降のゴジラのちがいを、第一作は第二次世界大戦のトラウマと近い将来起こるかもしれない第三次世界大戦への恐怖の重なり合うところでうまれた"「空想を空想として楽しむ」にはあまりに現実の圧迫が大きい"*1作品であったことに見出します。

 なるほどたとえば探偵作家の座談会 科学空想映画「ゴジラ」を観て』城昌幸さんが「ゴジラが東京を破壊する所は生々しいが、僕はこいつが逆効果になってると思うんだ。ちょうど戦災の時を思いだして古傷をさわられるような気持だ。そのために香山君の愛すべきゴジラ(笑)が憎らしくなっちゃうんだな。だからゴジラに同情する博士までに憎くなる。」*2と述べたようなことと重なり合うようなお話です。

 本当に?

――実は、本章の目的は、長い年月をかけて『ゴジラ』にまとわりついたこれらの議論を払い落とすところにこそある。(略)

 まずは公開当時の批評をいくつか引用しておこう。

(略)

 欠点の第一は、ゴジラに性格がないことである。(略)ゴジラはぜんぜん不愛敬。ゴジラ自身に水爆実験のため平和な住いを追われた悲劇味が何一つ出ていない。

(「みものは特殊撮影だけ 怪獣映画「ゴジラ」=東宝」「読売新聞」一九五四年十一月三日夕刊、二面)

 志村喬の学者以下人間の方のお話がついているがこっちはあまりうまくない。最後にナントカいう新発明の一物をもって若い学者が海底に潜って行き、ゴジラが一休みしているところへぶっつけるところなんか、やたらに決死隊みたいでかえってナンセンスである。人物はどれもセンチメンタルでミミっちく、人臭くてゴジラ氏の感じとちぐはぐだ。

(「ちょっとスゴイ!? 放射能の怪獣『ゴジラ』(東宝)」「毎日新聞」一九五四年十一月四日夕刊、二面)

  以上の新聞各紙の評に加え、日本を代表する映画雑誌「キネマ旬報」(キネマ旬報社)では、映画評論家の双葉十三郎が、「この怪獣があばれまわっているぶんにはこの種の作品として結構たのしめるのであるが、困ったことに脚本家と演出者はいとも現実的なみみっちい場面をもちこみ、小市民映画みたいなぼそぼそした演出をえんえんとはさみ、なんだか深刻な理屈まで加えて普通の劇映画も及ばぬくらい人物を懊悩させる。そのために全体がひどくちぐはぐになり、空想を空想としてたのしめず、うす暗いいやな後味がのこる」と述べている。『ゴジラ』の「水爆時代に対するレジスタンスをこころみようという意図」は「いささか欲張りすぎだし失敗である」とはっきり退けられている(2)。

   青弓社刊、森下達著『怪獣から読む戦後ポピュラー・カルチャー:特撮映画・SFジャンル形成史』kindle版8%(位置No.5727中 402)、「第1章 『ゴジラ』をめぐる批評の力学――「平和への悲願」の意味

 森下氏が長く引用した当時の批評を読んでみると、当時の観客の姿勢は川上氏が解釈したようなものとはむしろ正反対であったらしい。

 『ゴジラ』は反核映画として踏み込みが足りないし、決死隊的な自己犠牲がナンセンス……そういう論調だったのですね。

 森下氏は、怪獣映画がジャンルとして出来上がっていない時代に、当時の観客が『ゴジラ』を何と比較したのか考察していきます。そうして、言われてみれば納得だけど身もふたもない視点を提示します。

 『ゴジラ』は核やWW2についてゴジラという怪獣をつうじて象徴的に扱った作品だ、そこまではよいでしょう。

 でもそもそも、核や戦争の悲惨について扱いたいなら非実在の怪獣や放射熱線なんてもので迂回せず、広島や動員そのものを真正面から映画の題材にすればよいわけですよね。

 森下氏はじっさいそのものとがっぷり四つに取り組んだジャンルが当時あったことを指摘し、ゴジラ』の不評は、そうした同時代に存在していた「原爆映画」などと比べて踏み込みが曖昧であるとか、筋書きの似通う外国製の「モンスター映画」と比べて踏み込みが足りなかったとかいう旨であったのだと論じていきます。

 なるほどたしかに……。

 森下氏はほかにも、様々な観点から『ゴジラ』について検討していて。

 秘島に暮らす巨大な猿を捕獲し都会へ持ってきて大変なことになるモンスター映画の金字塔『キングコング』や、あるいは『原子怪獣現る』『放射能X』などの核実験に起因して怪獣があらわれる『ゴジラ』と似た経緯の作品と比較して、ゴジラのメッセージ性の曖昧さを指摘し、「その点においてじつは『シン・ゴジラ』って……」と言ったりする辺りもまた「なるほどたしかに!」という感じで興味ぶかかったです。

 

 

0531(月)

 ■読んだもの■

  ポロックの混沌の統御具合も蟹のカノンの対称性もデュ・ソートイから学んだ

 ひとによってはデタラメだといわれるポロックの作品が、その複雑さにおいてどの作品も一定の値に収まっていて、そうした分析によって真贋判定がなされたりする。

 それをぼくは何の本で知ったんだったかナカナカ思い出せずにいたのですが、マーカス・デュ・ソートイ著字の国のミステリー』にその記述があったことが確かめられました。

 『素数の音楽』で知られるマーカス・デュ・ソートイ氏のほかの著作で、円城氏の読了コメントでいうところの「モンスター群確定史」ンメトリーの地図帳』には、バッハのゴルトベルク変奏曲とあわせて、蟹のカノンが紹介されています。

 ふつうに弾いても逆から弾いても両側から一緒に弾いても成立する、楽譜がメビウスの輪になってるという変な曲で、あの有名な『ゲーデルエッシャー、バッハ』で取り上げられました。円城氏の読了本から挙げると、『音楽から聴こえる数学 『数学の音』43分♪CD付』でもかなり大きく扱われているみたい。

 『ゴジラSP』4話で、偶然そうなることはとんでもなく難しい例として挙げられる、「サルが適当にタイプライターを叩いたらシェイクスピアになった」、「ポロックの絵になった」、「バッハの蟹のカノンになった」という3例のうち、最初のそれは無限の猿定理のことを言っているとわかりやすい。

 あとの二例は、もしかしたらデュ・ソートイ固めだったのかもしれないなぁといまさらながら気づきました。

 

0601(火)

 げんきにすごしました。

 

 

0602(水)

 げんきにすごしました。

 

 

0603(木)

 ■観たもの■

  高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』11話鑑賞メモ

ゴジラS.P』11話鑑賞メモ。

{このblogでのここまでの『ゴジラS.P』にかんするお話。放送まえ与太話記事1話感想エントリ2話感想エントリ3話感想エントリ4話鑑賞メモ(日記)5話鑑賞メモ(日記)6話鑑賞メモ(日記)7話鑑賞メモ(日記)8話鑑賞メモ(日記)9話(日記)10話鑑賞メモ(日記)11話鑑賞メモ(ここ)12話鑑賞メモ(日記)13話鑑賞メモ(日記) 

 

 11話では放送前トレイラーで出てきたゴジラvsマンダがついに登場。

 このバトルメイクはかなり真っ当なもの(地盤沈下/水没によりマンダが活動域ができた)ですが、ぜんぜん思い当たらなくって自分のアホさが面白くなりました。

ゴジラの熱線に当たったビルが爆発炎上したりしているけれど、これは前回よりもパワーアップしているということなのか何なのか、その辺はよくわからない)

 それはそれとしてマンダはふわふわ飛んでいる(6話のゴジラアクアティリスのジャンプとちがって)ように見える。滞空できるようなフォルムに変化している、ないし、ラドンがよくわからない黒もやを背負い、シャランガが紅塵を操ったみたいに)紅塵をうまく操れるような存在に変化している、ということなのだろうか?

 

 ミサキオクで独立系ジャーナリスト海と問答をしロマンチスト認定をだされた夜のあと、ユンたちオオタキファクトリーとミサキオクの新人職員・佐藤は、東京の川を進んでジェットジャガーは闇の奥へと沈んでいき。

 神野銘はインドのシヴァ社ウパラ研究所の階段を下り、荒野をすすんで独立系ジャーナリスト海と問答をしてリアリスト認定を出されて何か期待をかけられたあと、ステップウェル(※)的な遺跡の階段を下って地底にながれる川を進む。

(※こういうの↓ですね。円城氏の読了本『インド地底紀行』を履修したのは無駄ではなかった……? トーラナとか壁面彫刻の盛り盛りなかんじは『聖なる幻獣』で見られるような感じにちかいかな)

 目覚めたジェットジャガーが述べる数字は、佐藤の知見によって座標だということがわかり、佐藤によればなにやら妙な高所を指していると云う。

 インドでBBらに導かれたさきで銘は、赤い水のたまった洞窟の天井に空いた穴から吸い上げられていく赤い筋を見上げる。――待て次回。

 

 エピソード単体でも東京とインドが対称的な展開を見せて楽しいですが、ほかのエピソードとのからみもまた面白い。というか、この辺の構成美で『ゴジラSP』はずいぶんと得していると思う。スルスル~っと観られてしまい、不満もサラサラ~っと流されてって、色々と「まぁええか^^」とヘラヘラ気持ちよくなってしまう部分がある。

 9話の猫を救い出そうとして襲われてしまうところもそうだし、今回のカードキーの下りとかも、単体で見たらまぁ陳腐だと思うわけですよ。『007/スペクター』のロープウェーかくれんぼばりに陳腐。

 ウパラ研究所という閉鎖空間から難なく脱出できてしまうくだりも、ふつうに考えれば「出入口は限られていて、それぞれに守衛とか立ってるだろ!!!」となるわけです。

 ただ、9話の猫のくだりが3話の犬のくだりと対称的できれいだったのと同じく(これは9話鑑賞メモでふれましたね)、

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後述のとおりこの11話のゆるゆるセキュリティについても、5話との対称性がきれいなので、「まぁええか^^」となってしまう。

 

 3話区切りでお話が進んでいるものとして関連を振り返ると、2話がミサキオク~駅間の道路をバイクですすんで駅へ帰るハベル&メイの会話からはじまったのと反対に、最終第4クォーターの2話目である第11話もまたミサキオク~駅間の道路をバイクですすんでミサキオクへ向かうハベル&ユンの会話からはじまりました。

 2話でジェットジャガーが再起動したように、第11話でもジェットジャガーは再起動がかけられることとなります。

 

 2Q-2である第5話で、隔壁を問答無用で閉めていくティルダにたいして、BBが地上へのびる階段を駆け上がるさまが描かれたように。

 4Q-2である第11話でも、問答無用で施設内のドアをロックしていくティルダに対して、BBが階段を下りていくさまが描かれてもいきました。

 

 3Q-2である第8話で、ジェットジャガーというからだを得たユングが積乱雲をみてみょうちくりんなことを口走り、「これがからだをもち、生きるということ」と学んだり、子どもたちと数挙げゲームをして遊んだり、ユンたちには見えない怪獣たちの数を数え上げていったように。

 4Q-2である第11話でも、ジェットジャガーはみょうちくりんなことを口走り、思考回路を再構築、「数を数えられるか?」「ひとつ、ふたつ、たくさん!」数字を読み上げたりします。

 

***

 

 10話ヒキでテンションが盛り上がり、そして構成のつよさから「きっと2話よりもすごいものを見せてくれるんだろうな」という期待もしていたぼくzzz_zzzzとしては、東京の道中とくにジェットジャガーが再起動中のくだりについては、わりあいキョトンとしてしまいました。

 ぼくは人間さんサイドががんばってどうにかジェットジャガーを守って逃げてほしかったですね。(おんぶにだっこでいいのか?) また、最前線で立ち話座り話じゃないほうが嬉しい。怪獣から逃げるのがダメなら(これまでのエピソードでやったっちゃやったわけだし11話でやったらそれはそれで同じような光景が並ぶかもしれない。それを避けたんだとしたら)、7話だかで街灯をぐにゃぐにゃさせるような感じで/『SRE』のイベントに巻き込まれたトメさんを救出するような感じで、ゴジラのふしぎな能力によって東京が目まぐるしくぐにゃぐにゃ千変万化したなかを(あるいはしている最中のなかを)どうにかこうにか切り抜けていくようなくだりは、やっぱりどうしても観てみたくなっちゃいます。

 ゴジラの暴力は、10話・11話の熱線が最終形なのかなぁ? 街灯グニャグニャはなんだったんだろう、もっとハッチャけてくれてよいのですが……。

ゴジラ駆除作戦のまえの避難についても、「そんなにあっさりキレイに出来るか?」みたいな疑問はどうしても浮かんでしまう。

 たとえば水没中の東京を行く自衛隊員が取り残された市民の救助をしている~みたいな書き込みがあったら、けっこう納得いったと思います)

 

 やっぱりぼくは、2話で巨人型メカに頼れないなかでもトラックで怪獣に特攻したり、3話でその場のDIYで切り抜けたりした、あれらの身も蓋ないけどこれ以上の正解はないっていう、泥臭いあがき・汗かいたがんばりに惹かれる人間なんだなぁ。

 じぶんの癖(ヘキ)を(あんまりうれしくないかたちで)再確認した回でした。

{6/3夕方の追記;

 というか、第1Qほかを経てしまったからこそ、今回のラドン退治があるのかもしれないな。

 2話では、人の手を借りて再設定され、リブート中の停止期間を人の手で稼いでもらって、そこまでおぜん立てされたうえで再起動するもラドンへ飛び去られて以後見上げることしかできなかったジェットジャガー

 そんなJJが、この最終4Q-2の第11話ではユンたちのあずかりしらぬところで勝手に再設定されて、勝手にリブート一時停止して、勝手にラドン退治に目覚めてアクロバットアクションしてラドンに上空から跳び乗って完勝する……というコントラスト。

「局所的な地震を1時間に1000回以上観測との報告があります」8:36という自衛隊の報告がボイスオーバーされる東京の模様もふつうにウマい。

 3話のラドン襲来でバスが側溝に片輪を沈めたのの過剰な発展として、11話では前景におおきくバス停をナメて、中景に沈没したバスを並べている

 つづく8:38では壊れているうえに3色とも消灯した信号機が写されるけど、ここまでの風景ショットとして、紅塵にそまりつつ点灯していた信号機を被写体にしたものが何度かあって(この11話でもOPクレジット明けにありますが)、こちらもその発展形として受け止められる。}

 

***

 

 19:14~の「まだバージョンアップがつづいている」辺りからかかる劇伴音楽のしずかな盛り上がりがすごい。

 たぶん音楽につよいかたや勘のよいかたなら、「人間で言う脊髄反射みたいなものさ」でひびくメロディで気づいているんだと思うんですが(ぼくは初見じゃ気づかなかった)、この曲は演奏していくにつれ『♪ALAPU UPALA』のヴァリアントである(ハリウッド映画で感動シーンにメインテーマの変奏がかかるじゃないですか、ああいうかんじのバージョンである)という主張を徐々につよくしていく。

 これをBGMに妙な会話をしていたジェットジャガーは、そのまま『♪ALAPU UPALA』を歌いだす。

 この一連のシーンの音楽では、20:01~「おれが分かるか?」辺りでは音階が一段一段さがっていく3連符のつらなりが奏でられるんですけど、ここには第10話終盤でついにひびいたゴジラのテーマの♪ドシラドシラのようなおそろしさはない。

 みょうちくりんなジェットジャガーがみょうちくりんに退行し、そしてすくすく育っていくさまを見守るような温かさがある。

 そしてジェットジャガーの歌はそのまま、第一話などのラジオから流れていたあの女性歌手(のアカペラ)と切り替わって、インドの川を進む銘たちの姿で〆られる。

 女性歌手の『ALAPU UPALA』は、1話にただよっていた仄暗くいかがわしい往年の怪奇小説の雰囲気をじゅうぶんに残しながらも、10話で明かされた歌の履歴(の一部?)と合わさってか、どこか切なさと哀しさを帯びてこだまする。

 10話のゴジラのテーマ同様、とにかく音楽がまた良いエピソードでした。

 

***

 

(ここから6/3朝からの追記)

 10話の夜を見てもなお、ゴジラ退治/ジェットジャガーでどうにかしようと思うオオタキ組はガンギマりすぎている。

(その辺のふしぎさについて、大滝とそのほか社員のなんかよくわからない仲の良さ/同時にあんまりどうでもよさそうなサッパリ感……みたいなのがうまいこと機能している気がする。

 ガンギマった大滝のおやっさんジェットジャガーが心配だから、ユン&ハベルもついてきている……と捉えることもできそうだし。

 もっとクールな別口として、ユン&ハベルは10話で「東京遊覧飛行もつける」の葦原暗号を聞いているから、大滝のガンギマリとは無関係に/現状ゴジラを倒せると思っていないけど、東京に暗号を解くカギがあるのではと考え動いた結果、東京へ侵入することとなった……ととらえることもできそうだ)

 

 7~9話のジェットジャガー&オオタキvsクモンガの後半戦は、ぼくはそれまでの怪獣バトルほど楽しめたわけではありませんでした。

 第1Qの1~3話ラドン戦や、第2Qの4~6話アンギラス戦でおがめたような、怪獣の行動・破壊に意味を見い出し有効活用するみたいな機転が見られなかったので。

 シリーズ全体の構成からすると、クモンガ戦の必要性はわかります。「もう個人が手におえる範疇じゃなくなっちゃったなぁ……」という"谷"としてはそれなりに楽しい。{もっとも、生身の人間ハベルが素手でクモンガの攻撃を受け止めたりと、ほんとうに作り手が"谷"を描こうとしていたかには疑問がのこる。作り手がほんとうにそう意図して7~9話を展開させていたのならもっと絶望感つよい展開だって出来ただろうから、ぼくの勘違いかもしれない。

(SF考証を担当した円城氏はゴジラが存在する理屈として劇中世界には「かるい新素材があること」を導入したそうで、クモンガもまた見た目に反して軽量なのかもしれないけれど、前段8話でこの怪獣が転がした船はべつに軽い新素材ではないだろう。それを受け止められるハベルがスゴいのだという認識はかわらない)}

 また、円城氏が著作をよく読み、『ゴジラSP』の参考とし、さらには「協力」欄にクレジットされる倉谷滋氏の本を読んでいるかたであれば、クモンガの現行世界のボディプランから完全に外れてしまった奇形ぐあいにニヤニヤしたことでしょう。

 劇中、アーキタイプ特異点/超計算機がもたらす破局について、世界の法則が変わってしまう旨が予想されているけれど、まさしくそうした様相がかなりあらわになってきていることを、怪獣の造形によって提示しています。

 クモンガは倉谷氏がたびたび批判するキメラ的造形の顕著な例で、円城氏がオススメとして紹介した獣生物学入門』、そこでなされた05年P・ジャクソン監督版『キング・コング』の谷の生物にかんする批判がそのまま当てはまるような存在です。

 二〇〇五年のアメリカ映画『キング・コング(KingKong)』には、CGで表現されたさまざまなモンスターが登場する。その多くは古生物を復元したようなものだが、中にはトンデモないものもある。谷底に落ちた人間がもろもろの無脊椎動物に襲われるという、いささか気持ちの悪いシーンでのことだ(これはオリジナルの一九三三年版の映画『キング・コング』のために作られながら、あまりに気色悪いのでやむなくカットになったという、曰くつきのシークエンスを再現したものだそうだ)。そこに出てくるものの多くはいわゆる節足動物で、CGも良くできており、生々しさはたっぷりでよく動くのだが、明らかに何かがおかしい。クモの体にサソリのハサミが付き、さらに頭部が明らかに昆虫だったりする。

   集英社刊(集英社インターナショナルe新書)、倉谷滋『怪獣生物学入門』kindle版5%(位置No.2583中 124)、「第一章 恐竜と怪獣の狭間」1.取り残されたゴジラ――進化形態学者のぼやき怪獣映画論―― より

 たしかに、動物の基本的解剖学構築、すなわち「ボディプラン」は動物門の単位で決められていると教えられる。節足動物は基本的にみな同じ構造を持つのである。しかし、それはあくまで最低ラインの話であって、特定のグループにしかないはずの特徴が複数、ひとつの動物の中に同居しているというのは許されない。同じ節足動物だといっても、昆虫とクモ、サソリの仲間はえらく違う。節足動物の多様性というのは、ただ単に決まったフォーマットを変形させているだけではなく、その変形の仕方に、一定の流派とか系統進化に沿った階層的段階があり、それが多様化の歴史を反映させているのである。

 したがって、髑髏島の谷底に棲息するクリーチャーたちは、動物学的に分類不可能なのである。

   集英社刊(集英社インターナショナルe新書)、倉谷滋『怪獣生物学入門』kindle版5%(位置No.2583中 131)、「第一章 恐竜と怪獣の狭間」1.取り残されたゴジラ――進化形態学者のぼやき怪獣映画論―― より

これは魔法使いが気紛れで作ったファンタジー紛いの代物で、決して怪獣が登場するSFの中に現れていいものではない。

    集英社刊(集英社インターナショナルe新書)、倉谷滋『怪獣生物学入門』kindle版6%(位置No.2583中 143)、「第一章 恐竜と怪獣の狭間」1.取り残されたゴジラ――進化形態学者のぼやき怪獣映画論―― より

 『ゴジラSP』がちがうのは、そうしたキメラが成立する法則(がどんどん存在感を大きくしている)を設定したことで、序盤では(劇中メディアではケツァルコアトルスと呼ばれるけれど、そのモチーフには複数の翼竜が参照されている)翼竜のキメラ、中盤では竜盤/四足歩行動物のキメラ(劇中では、二種の足跡が混交された特異な体形について注目される)ときて、ついに誰の目にもあきらかにへんてこなクモンガが出たことで「えらいことになってきたぞ」と危機感を与えるのに成功していると思います。

 今回の11話で、あのクモンガ編にさらなる別の必要性が生まれたように思え、

「『ゴジラSP』はぼくにとって文句なしの大傑作エンタメというわけではないんだけど、じゃあ文句を具体的につけようとすると、なかなかむずかしい。

 ぼくの欲望をかなえる展開をしていたら達成できなかったろうトレード・オフな凄味をえがいていたり、あるいはぼくが不満を抱いた部分はぼくが魅力的に思った別の部分にとって必要不可欠であったりして、振り上げた拳をのろのろと下ろさざるをえない。厄介な傑作だな……」

 という思いをつよくしました。

 今回の東京侵入は水路からおこなわれますが、

「劇中とくに何か説明があるわけではないけれど、もしかしてこれ、クモンガ戦で港の会社と仲良くなったから船という足を得られたのではないか?」

 とちょっと楽しい。

 

 ***

 

 悪人顔のうえになんか悪そうな雰囲気だったりセリフを言ったりするひとびとがそうでもない……という展開がツイッターで話題でした。

 たしかに『ゴジラSP』の対立は、どちらかがなにか悪いことをしようとしてそうなっているんじゃなくて、それぞれの思う善をなそうとして結果的に意見が合わないって感じみたい。

(あと2話でゴニャゴニャやってる尺はなさそうだから、その見方が正しそうだ。

 とはいえ骨の行方は? とか、佐藤を昏倒させる必要はあったのか? とか、よくわからないことは多い)

 リー博士による講演の前説でなされた、マイケル・スティーブンによる不平等を是正すべくわたしたちシヴァ社はがんばってます! シヴァ社まじ良い会社です! というお話は、大きな企業らしい建前だと思ったんですが(じっさい日本の外交官と契約をこぎつけているしね)、案外本心なのかもしれない。

 

 ***

 

 赤ん坊みたいなジェットジャガーのふるまいを通じて――同様に赤ん坊にたとえられ、その行動のへんてこさ/どんな感覚をもっているのか(どんなふうに世界が見えているのか)に首をかしげられもしたアンギラスに代表される――この世界に現れた怪獣たちのその身やふるまいの裡に渦巻いていたものがどんなものかをえがいているのでしょうか。でしょうな。

 

 ***

 

 東京では、突然はじまったジェットジャガーの多重アップデートについてユンたちは前成説的なプロセスに目を向ける。一般には否定されている前成説だけど、広い目で見ればそういう向きの機構もあって、ボディプランをめぐる研究では前成説的価値観がなんどか復興したりするらしいみたいなそんなようなことが倉谷氏の本の中で書いてあったような無かったようなすでに記憶はあいまいです。

 インドでは、ジャーナリスト海がメイらに「アラジンの魔法のランプ」/『アラビアン・ナイト』の物語的起源を掘ると見えてくる、原典と写本が多重相互参照化された入り組んだ履歴について語っている。

(両陣営はぜんぜん別の場所でそれぞれの道を進んでいるだけなので、とくに「これがあれの補足説明だよ」みたいな明示は、劇中に全くない。

 点描画法がそうなように、観ているひとのなかでふんわりやんわり繋がっていくだけである)

 理数系へカテゴライズされる/否定された古い説。これに、人文系へカテゴライズされる/たぶん正しい別の話題を噛ませることで、なんとなくそういうものとして呑み込ませてしまう手つきは、さすがに円城氏以外にはできない芸当ではないでしょうか。でしょうな。

 

***

 

特異点は超次元的につながってるんだろ。たくさんあるように見えて実は一つ。いずれ成長して破局に至る」

 とユンは言うところで、特異点アーキタイプ/怪獣周りの設定をよくわかってなかったことに気づく。

(怪獣ごとに特異点があって、それぞれの怪獣が存在することを可能とする法則が特異点ごとにまたあって、それらないしそれと既存の法則がカチあって困ったことになるのが破局……みたいな風にとらえていました。ちがうんか?)

 これまでのあれこれを整理してくれている便利な記事やツイートが、どっかにころがっていないものか……。

 

{6/3夕方追記;

 映画トンネルさんの感想をよんで、たしかにジャーナリスト海やミサキオクの新人職員・佐藤の動きがよくわからないなぁとなった。

 海はジャーナリストを名乗っているけどシヴァ社の一派で、3話でリー博士の手足として銘と出会いドバイへ招待するアポをこぎつけ。

 4話で劇中世界の普通の科学者へ怪獣の多様な進化について疑問をなげかけ、「それはなさそう」という旨の返答をもらってほくそえみ(ひとを馬鹿にした感じの笑み!)。おなじ4話でひとりラドン墓場/アンギラスの足跡をしらべていた。

 7話でミサキオクの地下に訪れた佐藤を昏倒させ、しばらく出番がなくなる。

 11話でミサキオクの骨(=海は「最初の特異点だ」と話す。)を奪った。そしてパナマ経由でカルコタへ移動し、インドでシヴァの超計算機をつかいたいBB・スティーブン、銘たちと遺跡で合流をはたし、銘の考えに乗って、さわやかに去った。

 

 ミサキオクの骨を奪ったのは、うーん、「じぶんの意に添わぬかたちで研究・操作する(できる可能性のある他の)識者にいじられたくないから」ということなんだろうか?

(メイたちvsティルダらシヴァ社主流vs葦原真実を知り超計算機を全然別の理由からつかいたい第三陣営によるシヴァ強奪戦が12~13話のどこかで出てきたりしたら楽しいけど、そんな尺は無いしゴチャゴチャするだけだろうな……このアニメは2クール+映画という長い尺をゆうした『エヴァ』でも、分厚い長編小説『屍者の帝国』でもないんだぞ!!)

 海は佐藤を昏倒させてから11話の骨を外に運び出す(8/12)まで、どうしていたんだろう? 地下を占拠していた? ひとしれず地下にこもって作業をしていた?

 

 佐藤昏倒から逃尾市へ帰還までの流れもよくわからない。

 佐藤は誰かに襲われたことをミサキオク所長に言ったのか言わなかったのか?

 所長が信用できないから長期休暇申請以外に何も言わずミサキオクを去り、古巣の鹿子さんと合流したと考えるとする。そうすると、帰還し所長と飲食店で会話したさいに怪音楽をまた受信した連絡を受けオウム返しした所長の言を真に受け、一緒にミサキオクへのこのこ戻る理由がわからない。

 所長に正直に襲撃されたことを話してミサキオクを去ったとする。そうすると、襲撃を受けたミサキオクについてとくに警察やらへ相談していない(だろう)所長を怪しまないのはまたよくわからない。}

 

***

 

 11話ミサキオクでユンと海がする問答は、2話でハベルと銘がした問答に似ている気がする。

「あらゆる願いを叶えるランプに消滅を願う」ユンは海にそう答え、「ロマンチック」「だが実際にできるのか?」と返される。

 

「夢には夢の法則が、別の宇宙には別の宇宙の法則があるんだよ」

 2話で空想生物研究についてハベルは銘からそう説明される。

「法則はないっていう法則があったら?」

 ハベルは銘の定義からそんな自己矛盾的な定義が設定された場合について質問する。

「ありえないものなんて無いと思わない?」

 

 似ているからなんだっていうんだ、というお話はありましょうが(今後について何かヒントがあるのかもしれない)、ようするにきれいな構成だとぼくは言いたい。

 『小説のストラテジー』あたりで言われていた話をしたい、つまりベートーベンの『運命』が楽しいのはそこへ「運命の扉はかく開く」みたいなドラマを思い浮かべているからではなく、♪ダダダダーンのあのメロディがさまざま反復変奏してうごめくからだという話をしたい。

 

***

 

 消滅を願うとの答えの実現可能性について否定的に疑問をうかべた海はつづけて

「オーソゴナル・ダイアゴナライザーでそんなことが?」

 ユンへそう問う。

「んっ!」なにか閃いた顔でユンは答える。

「(海は)どう思う?」

 ここもここまでの積み重ねがさらに転がされて楽しかったところですね。

 第1話で「JJ……」と型番を読み上げる銘に「ジェットジャガー!?」と早合点してあれこれ漏らしたユンが、2Qー1の第4話でミサキオクの佐藤にしたカマかけ(※)の再活用ですね。

(※第3話時点でのオオタキファクトリーは、ミサキオクの謎の信号の発信源が地下にあることまでは分かっていたが、それ以上については無知だった。 第4話で佐藤と会話した際、かれが「あれが? ばかばかしい!」と何か知っている風だったのを察知したユンは、「地下の?」と何か知っている風の相槌をうつことで、佐藤から歌の出どころである、「意思をもつ骨」についての情報を得た)

「まぁいい」

 と海は乗らず、不発におわってしまいましたが……。

 

***

 

kai-you.net

 箇所によってはまんたんWEBでお話しされたことの詳述みたいな部分もあり、まったく新規の話題もあり、たいへん興味深かった。

——『ゴジラ S.P』ではあれだけ街が壊されていても、死者が一度も描かれていないのが特徴的だなとも思いました。

円城塔 僕が人を殺すのが下手だからという説もあるんですが(笑)。やっぱりコメディ調で物語が進んでいるし、お茶の間のテレビ放送でラドンが人を食いちらかしていいのか。

怪獣が出てきて、あれだけの災害になっている時点で勿論被害は出るわけですよ。それをどれくらい描くかという問題ですね。

   KAI-YOU、 取材・文:葛西祝 編集:わいがちゃんよねや氏の記事『『ゴジラ S.P』円城塔インタビュー 実験と笑い、ポップで新たなゴジラの誕生

 「あれだけの災害になっている時点で勿論被害は出るわけですよ」

 そこで考えられたのが、3話のような無線のさきの悲劇なんだろうなぁと思いました。(そこから続き物としての展開としては、5話の「山狩り」で無線連絡がはいる猟友会、9話のケータイで呼んだ救援&警察がやられる姿が実景でえがかれていくこととなる)

 

 ……しかしとんでもない数のインタビューを受けてないですか。

 他作品他のスタッフさんだってこのくらいメディア露出があるものなのかもしれず、相対的に見てどう、というお話はわかりませんが、そのへん腰がかろやかな、ひらけたかただなぁ円城先生、という印象があります。

 

 

0604(金)

 ■ネット徘徊■

  著名人の『ゴジラSP』リアクション

 小川一水さん(SF作家)

  リンク先、実況連ツイート。

 飛浩隆さん(SF作家)

 

 成田良悟さん(作家)

 

 

 小島秀夫さん(ゲームクリエイター

小島監督は、ヒデラジ時代とちがって、ツイッターなどはわりあい大森望さんタイプなのでよくわからない。過去の『ゴジラ』シリーズの感想も付記。

 ドハティ監督『ゴジラKotM』。

 静野&瀬下監督『GODZILLA』三部作。

庵野総監督『シン・ゴジラ

 )

 前島賢さん(作家、『GODZILLA怪獣黙示録』二部作執筆)

 

 

0605(土)

 ■観たもの■ネット徘徊■

  【BIOHAZARD7】インターネットの人とバイオ7やる【月ノ美兎/名取さな】をリアタイ視聴しました

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www.youtube.com

 絵は0:43:29あたりからのやつです。二人組が斧を境に分断線されたらおもしろそうだと思って描きました。

 こういうのはパース気にしなくてざっくり描けるから良いですね。(いやスゴスゴ神絵師がご覧になったら「こいつパース気にせずざっくり描いてるじゃんか!」となるんでしょうけど)

 

 

0606(日)

 起きたら11時すぎで、いろいろと面倒くさくなってしまった。

 

 

0607(月)

 ■自律神経の乱れ■

  意味もなく夜更かしをした

  なにも理由なくダラダラ午前3時すぎまで起きてしまい、睡眠時間が3時間いくかどうかになってしまった。

 

 ■ネット徘徊■

  「ネタバレ」にかんするインターネット学級会がにぎわっていた

 ネタバレに関して配慮を要請するツイートが話題になっていました。

 140字におさまらない長文を画像化したツイートですが、文面は読みやすく整理され、またキャッチーなキャラも挿絵的に描かれていました。なので衆目をあつめたのでしょう。

 

 雑誌連載されたものがコミックスへ採録出版されるのを待ってまとめ読みする「単行本派」にたいして、「本誌派」へ配慮をうながすツイートです。

 目当ての作品だけが載っているわけではないし、コミックスにくらべて雑誌は高くつく。また、掲載内容についても、連載ペースで流さざるを得なかった部分が単行本で改稿・修正されたりする……そういった理由から「単行本派」がいらっしゃるわけですね。

 

 最近追っているアニメだと、ネットフリックスなど配信サイトで先行配信される番組について、地上波派から「配慮しろ」という声を聞きもしました。

 ぼくは0時更新される『週刊少年ジャンプ』とか『ネットフリックス』など配信サイトの番組とか、電子書籍/配信もある分野で「ネタバレ我慢しろ」はどうなんだろうと思います。

 正当な手段で正当な対価はらってるひとが感想つぶやくぶんには何も問題なくない? と。

 

 

0608(火)

 宿直日。

 

 

0609(水)

 本文

 ■身の回りのこと■

  なんだか気力体力が落ちている

 のだと思う。日記をアップするのをずるずる引きのばしていたら数週間分がたまってしまいました。

 『ゴジラSP』の鑑賞メモはつけているし、感想文用の二次創作「こんなシチュが見たかった」イラストも鈍足だけど描きつづけてはいる。途中経過も更新している。

 ただ感想文はすすんでないですし、日記なんてサッパリなのでした。

 

 だいたいボケーっとvtuberさんの配信を観ているか、『ゴジラSP』を垂れ流しにしているかしているんですけど、日々の出来事をさいきんは都度メモをしていないし、間隔もあいてしまって一体じぶんが何を観ていたか思い出せない。

 日記のために日付を調べ直そうという動きがとれない。面倒くさがりなのもあるけれど、それにしたってここまで貯めたことはなかったような。

 

 ■考えごと■

  メンタルの専門家が作品・作中人物のドラマを実作者の実生活と捉えることへの疑問

dime.jp

 読んでいて「どうかなぁ」と思った。

 いやだいたい庵野秀明作品にまつわる言説はそのように思うわけですが。

 『スキゾ』『パラノ』のロングインタビューはもちろん、『エヴァ』や『シン・ゴジラ』の全記録全集にしてもそうだけど、庵野氏や庵野作品ほど作り手が舞台裏について開陳していることってナカナカ無いですよね。

 他方、作品や作品展開について庵野秀明個人とむすびつけて語った言説について、

「このシーンのこんな描写について、その本ではそういう意図が語られていた」

「とある登場人物のとある反応について、あのインビューでは作り手が体験したああいう過去が語られていて、関連性が見いだせる」

 とかって階段を一段一段のぼっていくような論のすすめかたをしているものは(他作家他作品にかんするだいたいの感想文/レビューとおなじく)そうそうお目にかかれていない気がする。

(6/30追記;宇多田ヒカル氏とのインスタライブで、「『シン・エヴァ』Aパートのシーンは、庵野氏自身が体験した鬱とそこからの回復を反映して、映画的にえがいたものだった」という旨のことが庵野氏自身の口から述べられていました。

 それでもなお、はたして映像制作業をおこなう庵野氏と、人型決戦兵器に乗ったり乗らなかったりで大変な目にあったりあわせたりした登場人物シンジをそうシンプルに結びつけていいものかどうか? とか、さらには、庵野氏が具体的にどんな状況にあったのか全く参照項がないままに「監督の回復過程に寄り添い、支えてきた妻の安野モヨコさんの包み込むような女性性が、この作品全体のあたたかい雰囲気に寄与しているように感じています。」と踏み込んだ意見をしていいものかどうか? とか、疑問は依然として残るわけです)

 

 まぁそんなぼく自身の感想文からして、自分に甘い僕の目から見ても「あやういよな……」「過疎ブログだから誰からも叩かれないけど、実際だいぶあやういなぁ……」みたく反省する部分があるんですけど。 

 

 ■読みものというか■

  「フィクションにおける大ヒット作」の興収も現在では

 『【連載版】「んたが神作家なわけないでしょ」と幼馴染みからバカにされたうえに振られた~陰キャな僕が書いたWEB小説が書籍化・アニメ化・映画化までされた後に、作者が実は僕だったと気付いたところでもう遅い』をちょっと読みました。

 作品自体に言うことはとくにありませんが、読んでて「大きく出たなぁ。いや、もしかして……」と思った設定があります。

「カミマツ先生の作品【デジマス】は、書籍爆売れ、アニメのブルーレイも飛ぶように売れて、極めつけは映画! 興行収入が500億円!」

「ご、ごひゃくおくー!」

 いつの間にそんな数字になってたんだ!?

   小説家になろう、茨木野著『【連載版】「あんたが神作家なわけないでしょ」と幼馴染みからバカにされたうえに振られた~陰キャな僕が書いたWEB小説が書籍化・アニメ化・映画化までされた後に、作者が実は僕だったと気付いたところでもう遅い』、「5話 家族に作家復帰を大喜びされる」より

 気になったのは、語り手であるカミマツ先生が、第一話で自作『デジマス』について「連載当時から凄まじい人気があり、書籍化、アニメ化、そして先日映画化されて、興行収入が500億円突破した……と【編集さん】から聞いた。」と認識していたのに、その後べつの機会にじぶんの父親であり副編集長である人物から『デジマス』の映画版の興行収入が500億円と聞かされて「!?」と驚いていることではありません。

(一見するとかなり乏しそうなかれの記憶力。これについては前段の幼馴染から手ひどくフラレたショックととらえることもできそうですし、もしかしたら今後の展開の布石なのかもしれず――劇中作『デジマス』が近未来のSFであるとのことなので――たとえば今作は次第に並行世界モノのSFとしての結構を明らかにし、かれをバカにした幼馴染の発言になにも間違いはなく、その世界(の彼女)にとっては真実であり、主人公はじしんが神作家である世界とそうでない世界とのギャップに悩まされたりするのかもしれないなぁ……とか、そういうことが気になったわけではありません)

 

「ざっくりした設定のコメディとはいえ、いくら人気でも500億はとんでもなく大きくないか、ハリウッド映画の世界興収規模ではないか。駄菓子屋さんでも"はい100万円"となかなか言わなくないですか……?」

 と思ったのですが、でも、

『君の名は。』が350億『鬼滅の刃 無限列車編』が400億円を記録した昨今、"国内の社会現象級の人気作"(のすごいやつ)となると『「あんたが神作家なわけないでしょ」』の設定はむしろ妥当なラインなのでは……!?」

 という気がしてきました。いろいろ変わっていきますよね。興味深かったです。

 

  『風刺漫画のあり方について』を読む

www.kaiseisha.co.jp

 出版社からの批判文をよみ、「『はらぺこあおむし』でIOCを風刺するのは、やりようによっては面白くなるのでは?」と思いました。

 IOCの委員を模した存在は一見するとかわいらしいアオムシに見えるし、なんならアオムシよりもきらびやかに映りさえする。はらぺこIOCはどんな美しい羽化をしてみせるのだろう、とわれわれは応援する。

 はらぺこIOCから透明な境をへだてた脇には小さく本家のあおむしがいて、マスクをしてご飯にありつけていない。

 たらふく食べたIOCが育ってみると、その正体は毒々しい蛾であった。羽の模様が五輪のマークをしている。いっぽうたらふく食べられなかったあおむしは……。

 ……とか?

 

{時系列は前後するけど、

 週刊少年ジャンプ連載術廻戦』が、伊藤潤二著『うずまき』の印象的なイメージを、「うずまき」とカッコ書きで強調(ただし『呪術』の別シーンでそうしたような、劇中人物がほかに「伊藤潤二かよ!?」と述べたりするような、参照元を書くタイプのそれではない)した表現が、パクリ・盗用と批判されたのをうけたものの、伊藤氏に事後承諾ながら許可をとったこと(6/4発売のコミックス16巻で発表)とか。

 あるいは……

nlab.itmedia.co.jp

 ……6/28(月)に発表された、世界転生者殺し チートスレイヤー』への批判とも関係しそうな話題に思えますね。(サンプリングしつつも、サンプリング元の物語・キャラが絶対しないようなことをサンプリングキャラが行なったことが批判をあつめた)

 固有名詞ではなく、もっと広く曖昧なジャンルですが、既存ジャンルへのアンチ・メタ的な要素をふくむ作品のうち、隊大失格』などの批判が上がるタイプにもつうじる話題かな。

 サンプリングはサンプリング元への愛があったり、サンプリング元の味を充分に酌んだうえでうまく料理すると嬉しい。逆に、「サンプリングする意味ないじゃん」というどうでもいい扱われ方・まずい料理のされかたをすると、文句が出る。

 

 ……そう書いていくと、結局は、作品の巧拙ということになるのではないか?

「これ、舞台を外国にした必要性なくない?」「日本語で書く意味は?」「マンガじゃなくても成り立つ作品じゃん」みたいな。

 へたな作品はへただといわれる。そういう単純な話に思えてきた}

 

0610(木)

 ■観たもの■

  高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』12話鑑賞メモ

{このblogでのここまでの『ゴジラS.P』にかんするお話。放送まえ与太話記事1話感想エントリ2話感想エントリ3話感想エントリ4話鑑賞メモ(日記)5話鑑賞メモ(日記)6話鑑賞メモ(日記)7話鑑賞メモ(日記)8話鑑賞メモ(日記)9話(日記)10話鑑賞メモ(日記)11話鑑賞メモ(日記)12話鑑賞メモ(ここ)13話鑑賞メモ(日記) 

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  なんかよくわからんけどとにかく終わった感はする設定に定評のある円城塔が、持ち前のなんかよくわからんけどとにかく終わった感はする状況をえがいているぞ!!

 

 11話にひきつづき、決戦の大一番に向けた準備回という印象でした。

 やきもきしますね~~!!

 いつもどおり体感爆速でおわったし、べつになにか時間を無駄にしているわけではない気がするんですけど、むしろたぶん12話は計算機側の第10話終盤のゴジラのマーチばりの異様が(メインキャラが直接見たり、ダメージが出る形で)あるていど具体的に描かれているのですが。

 その一方でそうして具体化された展開が8話9話あたりで言われたことの実例だったり{←ぼくはてっきりコレ、並行するユン側のエピソードで描かれた怪獣のキメラ化(=特異点の無数の目)/ゴジラの成長とともに空にうかんだ円形の雲が幾重にもかさなった赤い終末の風景(=10話テレビ会議でペロ2が提示した、サンスクリッドの赤い文章のうえに赤い多重丸)で済んだ話題だと思っていた。無数の目については前につくったコレですね。

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実際『ゴジラSP』公式サイトの「怪獣」紹介ページのクモンガを見てみると、全部盛りのクモンガ「ゼンブンガ」の学名が「クモンガ・ウルティマ」と、つまり「特異点として成長を続けるゴジラ」=ゴジラウルティマとおなじくウルティマを冠しているので、その把握で間違っていないだろうと思う}、10話のチャット組み換えで示唆・提示されたゴールになかなか辿りつけないために(※)、非常にやきもきしてしまいます。

 どうしてこんなに時間がかかっているのか不思議だ……。

 

 残すところは最終話のみ。あと20~23分で、どれだけのことを語り得るのか。

 破局にどう対処すればいいのか? ゴジラに向かうジェットジャガーゴジラの対決はどうなるのか? シャランガはシヴァに向かってどうするのか? カイが盗んだ骨の行方は? 葦原の動向は? ペロ2はどうなった? ジェットジャガーPPって? ALAPU UPALAとは? 逃尾市の(最近になって書かれたらしい)錦絵の来歴は? ユンとメイたちはどうなるのか? ……そんな尺で語りきれる内容なのか? 色々盛りだくさんなお話を削るわけにはいかないだろうから、そうなってくると削れる部分って怪獣バトルになりませんか? 最終話フタをあけたら1時間(CM抜き46分)拡大特番とかになりませんか? やってくれませんか拡大スペシャル? ゴジラSPSPをやってくれませんか?

 

{※あとぼくがヤキモキしたもう一つの大きな要因があって。12話でメインキャラが遭う危険が傍目にショボいのもぼく的には不満なところです。

(老朽化した通路からひとが落ちそうになるとか、車がなんか特にすごくアレなわけではない道でスタックしているのを持ち上げるとか。「なんか、"1エピソードに1回は怪獣のアクションを盛り込むべき"的なノルマでもあるのか?」と思わされるような、ラドンとのバトルとか)

いつまで「なんかヤバイことになってきているらしい!」の予兆をやってるんだ? ラス前12話だぞ???

 ……でもどちらの光景も後述するとおり、見た目こそショボいけどシチュエーション自体はここまでの反復変奏であり、脈絡はついているから「ぐぬぬ……!」というかんじ。

(どういうシチュエーションだったらぼくは素朴に楽しめただろうか? ちょっと考えてみると。

 オオタキらの車のスタックも道路不良でタイヤが空転してるだけに見えたけど、そうではなくて、たとえば12話でなんかすごいことになっているらしいことがわかってきた異常な植物が進路をふさいだり車にからまったりしてきた……とかであってほしかった。あるいは前段で描かかれた、水没地帯に出くわしてしまったとか。なんなら紅塵が地面にたまりすぎて砂丘と化していたとかでもいいよ。なんか凸凹してるだけのとこに落ちちゃったって光景はきびしいですよ、3話でバスが側溝に落ちてたのと変わらんアクシデントが最終回手前に主人公らが直面する危機ってすごいよマジで。というか前回11話で水没したバスの風景ショットを描いてたりと順調に進んでいったのに。スケールダウンしてるでしょう。

 「なんか一変した東京に存在するものを専用の機材でよく見てみたら、植物まですごいことになっているのがわかってきたぞ!」ではなくて、肉眼レベル肉体レベルで実際にすごいことになった植物による実害として出てきてほしい。

 まず人間が肌感覚でわかるマクロレベルの異常として現れて、さらに危害をこうむったうえで「くわしく調べてみたらこういう原因がありました」という順序が好ましいといいますか。自衛隊のえらいひと松原の側近が「紅塵植物により建物の劣化・崩壊が云々」と状況報告をしますが、セリフじゃなくて、それが建物をいままさに壊している実景をおがみたかった。

 ラドンなどの直接的な危険があるなかで、危険かどうかもわからない"無視してよさそうな"もの・変かどうかもわからないものを分析しているリソース配分は、ぼくの感覚としてはおかしい。

 植物を研究しているヒマがあるなら自衛隊のひとは既出かつ攻撃性が確認されているラドンなどへの対策手段をもっとよく練るべきだし、そのレベルで調べるなら当然なんかよくわからんものをまき散らしている蛾も研究すべきではないでしょうか? 行動原理がわからない)

(6/10昼追記;

 ここで11話12話、たとえばなんかこう、11話ジェットジャガー沈黙→オオタキ人間側だけでラドンをなんとか逃げてやりすごす。東京の高速道路だらけ橋だらけの水路を利用して、エンジンを消したりつけたりしながら、上空を飛ぶラドンの警戒網の死角をうまく潜るとか。→ジェットジャガー目覚めるも幼児化でつかいものにならない⇒12話で今度は黒いラドンに襲われる。とにかく11話よりスケールアップする。→そこらの廃墟から何か機転で攻撃→ダメだったがそれによって自衛隊が窮地のオオタキらに気づき助太刀応戦→一時はしのげたがさらにビオランテやらなにやらのスゴイ怪獣が登場「これまでか……」→人間側そっちのけで学習中・成長中だったジェットジャガーが戦闘プロトコルを再取得、完勝して13話ゴジラ退治へ……とかではイケなかったのだろうか……? 

 「すごいぞユンメイの発想」「つよいぞジェットジャガー」で終わってしまったらだいぶ切ないぞ。いや、「怪獣相手に現行人類ができることなんてそんなものだ」とおっしゃるならまぁそれはそれで良いのですが、そこまで思い切った作品でもないしなぁ。

 素手でクモンガと互角に戦う人間がいるのに、現行武力はあまりにも「やられ役」過ぎない? 人間は無力なのか自衛隊、そうでないのか(ステゴロで怪獣と互角の男ハベル)、スタンスを統一してほしい)

(不満が抑えきれないのは、そうした素朴な不満を抑えて余りあった「ゴジラSPならではの味(=10話の回想シーンらしきものの挿入タイミングとか、その内容とか)」「連関の気持ちよさ(1話に顕著な。10話のつなぎなども)」「対比変奏の面白さ」が、ぼくの感度では今回はあまり感じられなかったからなのではないかと思う)}

 

 11話にしても今回にしても、あまりに沢田完さんの音楽がよすぎるので、色々どうでもよくなってしまうな。

 

 東京では外務省の鹿子が銘から贈り物を託されたマキタと合流、赤い雲が立ちこめる都心で陣地をかまえる松原美保ら自衛隊と合流するもラドンに襲われ(第3話のラドン禍のオオタキらやそのほかの車がそうだったように、第4話で自衛隊がかけよった中年夫婦の車がアンギラスに出くわしてそうなったように、横転したりする)、それを(やっぱり第3話でユン&ハベルがバイクに対してしていたみたいに、止まっていた車を持ち上げて復帰させたりしていた)ヒトより優れた感覚をもつジェットジャガー(第8話の船場でそうしたみたいに)怪獣を発見、JJの生みの親大滝や大滝の経営するオオタキファクトリー社の社員ユン・ハベル&オオタキ社のある千葉逃尾市のミサキオク電波通信局の新人で外務省出身の佐藤が助太刀に現れ、一堂に会す。

「あのオオタキファクトリーさんに協力いただけるとは心強い」

   ゴジラS.P』第8話「まぼろしのすがた」14:25~、逃尾市の湾港業者のセリフ

「ふぅ……君たちの活躍は知ってる。託す価値はありそうだ」

   『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』12話「たたかいのおわり」14:48~、自衛隊のえらいひと松原のセリフより

 自衛隊のえらいひと松原は、第8話で逃尾市の湾港業者のひとがそうしたようにオオタキファクトリーを信頼する。

ラドンvs松原部隊(苦戦)⇒ジェットジャガー助太刀(楽勝)がさきに描かれているので、この判断は正気の判断である。

 もちろんそうは言ったって「民間人を危険にさらす」「多勢に無勢とはいえ、多分に武力が必要そうな現場の解決を民間人に託す(12話ヒキの通り、JJPPにだけ任せるわけではないみたいだが)」というのは自衛隊の職業的な意識として疑問がのこるけれど、松原は10話でさまざまな要人が議論を紛糾させる会議の場からひとり外れ別の道をさがしていた、ふつうの軍人とは異なるかんがえの持ち主(だということが描かれていた)ので、とくに変な感じはしない}

 いっぽうインドの銘たちは水の流れる洞窟を抜け、階段をのぼり設備をハックし隔壁をひらき(第一話で葦原邸でユンが推理でそうしたように?)エレベーターをのぼり、通路でペロ2があやうく落下死しそうになりつつも(第一話でラドンを探していたユンがそうなったように、ありは第四話でアンギラスを探していたカイがそうなったように?)、多重の丸で形成された「ユニオン・コンパウンド・インディア」の中心部シヴァへたどり着き、計算結果がゆがむ破局の縁まで踏みいれる。

{3話4つ区切りの第二クォーター(4~6話)の、「未来を視ているのでは」とも推理されるメイン怪獣アンギラスのふしぎな体質のように、未来を先取りしていると云う超計算機の周囲では空間がぼこぼこと虹色にかがやいている}

 

  ペロ2は計算の海をもぐり、ゴジラの青い光輪のつらなりにも似た道をすすみ、消えた天才科学者・葦原がスケッチしたような破滅的な光景に直面する。

 系統樹未来が揺らぎ潰れていくさまや、ペロ2がブレて多重に(8話/今話でふたたび言及されたような、葦原ノートの特異点の無数の目みたいに)現れ沈黙するさまは、円城氏が過去に脚本を担当した『スペース☆ダンディ』「お前をネバー思い出せないじゃんよ」「次元の違う話じゃんよ」などを思い起こさずにはいられませんでした。(最終話は視聴覚的にもっとカオティックになってくれるとうれしい)

 さすがのペロ2でも超計算機が相手となると、第1話で院生のパソコンを占拠したり、第3話でネット上の言論をグラフ化し概観し逃尾市のアクセス可能な目をお借りしたり振舞ったようにはいかないようですね。

 

「シヴァに着いたらコードを見つける。同時に外部への回線を確保して指定の場所にコードを送信。それで紅塵は片づく。ティルダは青くなる。俺たちはズラかる。」

   ゴジラS.P<シンギュラポイント>』12話「たたかいのおわり」11:31~より

  やっぱり円城塔氏のセリフ回しは気持ちよい。べつに母音などをそんなカッチリ揃えているわけでもないんだけどちょっと統一感があって、なんか気持ちよい。

送信ouin⇒紅塵ouinの完踏みとか。紅⇒青と色の話題統一とか。

 かたづくaazuu⇒青くなるaouau⇒ズラかるzuaauと、母音3種ほぼauだけの最後3文の尻(そしてzuも3フレーズ中2フレーズである)とか}

 

 さて1話はペロペロたち*3のプロローグ後の本編は、逃尾市の法被を着た神輿衆と、空を飛ぶ無数のドローン提灯の橙色~金色の点々によって幕をひらきました。

 12話はジェットジャガー自衛隊のひとびとが換装装備を御神輿よろしく人力で押して装着する姿がえがかれ、金色の蛾の点々が画面いっぱいに飛んでいきます

 ハレの日に始まった今作は、ハレの舞台によって終わるということなんでしょうか?

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***

 

 前述のとおり「ぐぬぬ……!」て思ってしまう部分は、対比変奏がとられていて「めっちゃ楽しめたわけではないけれど、悪くはないんだよな……ぐぬぬ……」てかんじなのですが。

 振り返ってみると12話は、反復変奏要素があることによってむしろやきもき感や不満を強めているのかもしれないなと思いました。12話は特異点の無数の目たちと直面するところとか、ジェットジャガーの外界への反応とか、遊びとか、手を振ってバイバイして仕事へ行くところとか)、3話区切りにしたところの第3クォーターの2番目、第8話に近いところも結構あって、前回11話は11話でめっちゃ「最終クォーターの2番目らしいな!」という反復変奏をしていたんですよね。

 12話にぼくは――ラドンと人類が知恵と勇気で立ち向かった3話、アンギラスへオオタキとAIが知恵と根性で立ち向かった6話、クモンガに対して根性だけでなんとかきりぬけた(きりぬけてない/クモンガと素手で互角の勝負をしクモンガの重量を支えて余りあるであろう強度のある糸をふんがーと素手で破き切ったハベルのようなギャグマンガ時空に頼らざるを得なかった)9話みたいな――最終クォーターの3番目(他クォーターの大一番)としての役目を期待していて、だから落胆もつよいのでしょうね。

 そして、じぶんの趣味趣向として、今作が11話12話でとったみたく真ん中の助走を重ね掛けする作品より、大一番のスパートを2連続でおこなってくれる作品のほうが性に合っているし(もしかしたら作り手は9話10話をそのつもりで配置したのかもしれないけれど……)、そちらのほうが「エンタメとして振り切った」と言われて思い浮かべる作品像なんですよね。ぼくにとっては。

 作り手と自分との「エンタメ」観のちがいが生んだ拍子抜けなのかもしれない。

悪くはない

悪くはないものを書いてどうする?
・ちょっと高い、まあまあの弁当みたいな
 ・買う?
・その弁当屋は生き残れる?
 ・立地次第 

   scrapbox円城塔さんによる「20191121ゲンロンSF講座用」テクストより

 ……ぼくの地区ではギュラゴジ弁当12週目のメニューはきびしかった、という話なのかもしれない。

 

***

 

(6/11追記)

 初見では不満もけっこうあったんですが、何周かすると気持ちよくなってくるな……。

 

 ラドンvs自衛隊を感知したジェットジャガーが周囲の人々を置き去りにして勝手に駆け上がっていくの、これってきっと、ユンがハベルやおやっさんの「おい!」もなんのその1話でラドン探してフェンスや車の上へよじ登ったり、あるいはハベルやらの「おい!」もなんのその赤い血などを見つけて4話でアンギラス探して山をよじ登ってきたのの反復変奏なんですね! 好奇心旺盛メカだ。

 

 ペチャクチャしゃべりながら超計算機をめざす道程で、先頭のBBが手すりをグイグイ掴んでどんどこ階段を駆け上がっていく一方で、最後尾のメイがのろのろどころか立ち止まったりするあたりも何かよいですね。

 5話で葦原カスケード(と後に名付けられていることがわかる、アーキタイプによるふしぎな現象)の説明を不安まじりにするメイが、ペンの蓋をパカパカ抜き差ししてたみたいな細部といいますか。

 道程では意気揚々としていたBBが{11話では「?」と思ったけれど、やっぱり9話のビデオ会議で言っていたとおりの考えで動いているようで、破局まえループ計算であれこれ進めるのがBBのしたいことで、葦原ノートで予言された破局の証明や、破局の解明はどうでもいいみたいだ(今回わかったのは、BBにとって破局の解明がなぜどうでもいいかというと、まだまだずっと後の未来のことだと考えていたからなようだった)}、計算機をうごかしてから事態がみょうちくりんなことになって曇っていくのもまたよい。

 

 ほかの場面との比較で言えば、銘とリー博士が葦原の研究や葦原について会話するさいは(うろ覚えだからあとでキチンとまとめるべきだが)……

4話;公演ホールでの立ち話(リー博士がさっくり宿題を渡してスティーブンとどこかへ)

5話;大学構内?で(メイ立ち/博士座り)

6話;航空機機内で相席・横並びで(メイ、機内食の謎ゼリーを食べつつ)

7話;マキタ運転の車内で相席・横並びで

8話;ロンドンへむかう船上で相席;ロンドン葦原邸で(並んで歩く? 歩いた先の図書室で研究する主体はメイ)

9話;ロンドン葦原邸で(立ち話。リー博士はテレビ会議中で、会話はすれちがい、対立、懐柔が入る)/マキタ運転の車内で相席・横並びで

10話(回想?);レストランで横並びで(なんかすごい料理)

 ……と、落ち着いた場や姿勢で、横並びのシチュエーションが目立った。(食事の面でも、場所柄しかたないけど数十年前の保存食をよこすBBとは異なるな)

 一言に「説明シーン」と言っても、やっぱり対話者によって話題の振りかた振られかた振らなさ具合、考察のすすめかたが全然ちがっていて、そうした形で描ける人物像や人間関係ってやっぱりあるんじゃないかなぁ。

〔それが一目に一耳に面白いかどうか? という問題はあるけれど。

{たとえば予告編で流されるようなキャッチーなスペクタクル描写やエモーショナルな情景、あるいはたぶんより多くのひとが素朴に楽しめるタイプの書き込み(「怪獣によって、ふつうに喜怒哀楽さまざまなリアクション・アクションをとる群衆」とか「怪獣によって、ふつうに材質や性質に合わせて損なわれたり変化せざるを得ないインフラ描写」とか、「ふつうに階級的・職業的な対応をとる各社会のシミュレーション描写」とか)をさしおいてまで、積み重ねたほうが良いものなのかどうか? というか}〕

 

0611(金)

 ■自律神経の乱れ■

  理路だった考えをできているかの不安

 このblogのさまざまな記事が、やたらめったら長文化してしまうのは、ぼくzzz_zzzzの文章力がひどいからなのはもちろんのこと、それに加えて、ぼくの考え自体が雑然と未整理でゴチャゴチャしているからなのではないか――ゴチャゴチャしているどころか、そもそも整理しようもなくグチャグチャ支離滅裂だからなのではないか?

 じぶんが長々と書いていることは、ほかの人からしたら脈絡のない文字の連なりになってしまっているのではないか?

 ……そういう不安にまた駆られてきました。

 

 ■買いもの■

  コスタ=ガヴラス監督の『ミュージック・ボックス』が配信作に入荷されとる

www.amazon.co.jp

ミュージック・ボックス (字幕版)

ミュージック・ボックス (字幕版)

  • コスタ=ガヴラス
  • ドラマ
  • ¥2037

  コスタ=ガヴラス監督作の日本での配信状況はここ最近だと、『ザ・キャピタル』(Amazonitunes)、旧作『マッド・シティ』(Amazonitunes)の2作が流通しているのですが、そこへ『ミュージック・ボックス』がくわわったみたいです。やったね。

 この調子で未鑑賞の『Z』『戒厳令』『告白』とかもお願いしたいところです……。(なんか権利者のひとがきびしいだか財布のひもが固いだかで、日本での再ビデオ化は採算的にむずかしいみたいなうわさも聞きましたが……)

 

(それでお気に入り作品の配信情報をちょっとググってみて、「BD持ってっからそのうちお金ができたらでいいや」と思っていた『ベイビー・オブ・マコン』『プロスペローの本』などの配信版が流通終了したことを知りました……)

 

0612(土)

 一日じゅう寝ていました。夕方からは『にじPEX』と委員長の『みんなの罪』紹介配信を観ました。

 

 ■考えもの■18禁の話題■

  愚かし(くも素敵な者/すごい者)(=すれ違いモノやNTRモノの相手/追放モノの相手)を描くむずかしさ

 『小説家になろう』をまた読み始めています。

 追放モノは現在も人気だけど、「難度の高い創作なのでは?」とやっぱり思えてなりません。

 「追放モノ」ってなにかというと、ファンタジーRPGみたいな感じの世界で、ダンジョンを攻略したりモンスターを倒したりして褒賞を得る「冒険者」パーティ(勇者に戦士に魔法使いに僧侶に……と得意分野の異なる人々が組んで旅する仲間)の一員として仕事をしていたとか、ファンタジーRPGみたいな感じの世界で職人「ギルド」の一員として仕事をしていた主人公が、「足手まといだ」ということで所属コミュニティから戦力外通告を出される……みたいなお話です。

gigazine.net

 一度ドン底へ落ちて再起する……大なり小なり「Man in a hole」型のストーリーラインに乗るでしょうし、「読んでて楽しい王道じゃん? そりゃウケるのでは?」と思うわけですが、読んでみると結構むずかしい気持ちになってくる。

 

 追放された主人公は、足手まといに見えるだけで実際には有能な「縁の下の力持ち」(様々な雑用や、戦闘の補助を一手に引き受けているなど。補助を引き受けているせいで、主人公が本来の実力を発揮できないみたいなパターンもある)だったり、マジで「足手まとい」だったり(一緒の村から冒険者となった幼馴染の一員だけど、徐々に実力差が生まれ……とか、最初は有能だったけど伸び悩んで……とか、最初は有能だったけど中盤以降にはとくに役に立たない特殊職業だった……とか)、作品によっていろいろあるんですが(両方の合わせ技みたいな感じで、主人公のもつ特殊な才能によって主人公は不調になる一方パーティは多大な恩恵をうけていたのだが、主人公もじしんの才能についてよく知らなかったので、自分が不調である理由にきづけなかった……といった作品もある)転落劇のバリエーションもあれこれあって、作品によってはNTRモノと接近してきたりします。

 一文無しになったり、努力を否定されたり、人格を否定されたり、これまでの人間関係が台無しになったり、そもそも絆なんて主人公が勝手に見ていた幻想だったことが明らかになったり、汚名を着せられたり(故郷に戻ったら、元のコミュニティが流した悪評によって村の恥あつかいされたりする)、絶体絶命のダンジョンに置き去りにされたり……そして――自尊心や承認欲求のからんだ人間関係の変化は大きなドラマを生むのでしょう――主人公が好いていた異性がパーティの勇者なり王子なりと恋仲であることが明かされたりするわけですね。

 

 追放された主人公はあれやこれやとヒドい目に遭う(そしてそのうち下克上をしていく)わけですが、読んでいて「難しいな……」と思いもする。

 主人公が縁の下の力持ちタイプなら、追放を告げる旧パーティはそれに気づけないくらいの無能ということで、そんな無能が落ちぶれていっても「そりゃそうですよね」という感じで読めてしまったりして、「ざまぁ」という快感はそんなに大きくない。

 主人公の有用性に気づけるくらい有能なら追放は生まれないわけで、物語ははじまらない。

 

う全部俺一人でいいんじゃないか? ~人々にギフトを与える能力に目覚めた俺は、仲間を集めて魔王を倒すのが使命らしいけど、そんなことはどうでもいいので裏切った奴等に復讐していく~』

にトラウマを与えた女子達がチラチラ見てくるけど、残念ですが手遅れです』

 ヒロインが主人公以外のひととくっつく展開にしても、主人公が縁の下の力持ちタイプなら主人公の良さに気づけないくらいに節穴であるということになるし、主人公が無能なら、そのヒロインには弱者へ手をさしのべたり支えたりする寛容な/健気な性格は望めないわけですよね。

 ささいなボタンのかけ違いですれ違ってしまう……みたいな展開なら性格の良いヒロインも可能でしょうけど、話のマクラで些細なボタンの掛け違いを描くのはむずかしい。正しいボタンを掛けていく描写が乏しかったりそもそも無かったりするから、その人が本当にたまたま一つボタンを掛け違えてしまっただけなのか、そもそもボタンを掛けられる頭がないひとなのではないか? という疑念がうまれてしまう。

 ヒロインの格落ちはなかなか避けがたい。

 

 一時期はいっしょにいたけど離れることとなった人間関係のなかで、可能な限り落差を大きくかつ離れたキャラの魅力を損なわないためにはどうすればよいか? というのがぼくの気になっている問題なのだと思います。

 NTRモノだとさらに、難しい気持ちになってしまうわけですね。

 BSS(ぼくがさきに好きだったのに)という、そもそも主人公のことなんて見てなかったというのは一つのスマートな解でしょう。でもBSSで得られる高低差は、付き合っていた/結婚を約束していた/結婚していた関係から離れる物語よりもすくなくなりそうです。

 ヒロインは良いひとだけど、不可抗力でそうなってしまったというのはどうでしょう。何らかの理由で脅迫されたり、交渉を持ちかけられたりするのはどうか?

{主人公との不純異性交遊の暴露をネタにとか、主人公がした(と脅迫者が云う)不正や業績不振の穴埋めをネタにとか、主人公がスポーツなどの一軍として活躍の舞台を担保に、ヒロインが酒やデートドラッグなどで昏睡・襲われ、それをネタに……とか}

 これはこれで、恥を忍んで相談できるほどにはふたりの関係は深まっていなかった……というわけで難しさがあります。

 

 fanzaで購入可能な18禁エロ同人楚彼女が寝取られる…? ふざけんなっっ!! 僕の溜まりに溜まったリビドーを喰らえっっっ!!!』は、そうした疑問にこたえるアンチNTR作品で、クラスのマドンナが不釣り合いなオタクと恋仲になったこと・デートがうまくいかなかったことを偶然みかけたクラスのイケてる不良のチャラ男がひそかに学校の屋上へ彼女を呼び出し(彼女も心配されたくないから無言であがり)「おれにしろよ」とモーションかける。彼氏のあずかり知らぬところで距離を縮めるチャラ男……という展開に行くと思いきや、マドンナと付き合えて嬉しいモテない男の当然として、彼女の一挙一動に執着しており、彼女が呼び出されたことももちろん嗅ぎつけ屋上のトビラの陰で聞き耳を立て、情勢に乗り遅れることがありません。

 そこからは18禁エロ同人な思いの丈をぶつけて二人はねんごろになり(ここはまぁ願望充足以外の何物でもなく、「ひどいアレな内容だよ」と言われれば「ひどいアレですね……」と返すほかない)、仲睦まじすぎて屋上で不順異性交遊をすることとなり、そこへ前段の場面からもわかるとおり屋上を根城にしていたチャラ男が偶然いあわせスマホで記録。

 ヒロインをまたひそかに呼び出し、録画した動画を材料に脅迫をする(NTRモノでよくある展開)のですが、前段で仲睦まじくなった展開の発展として、ヒロインは前回チャラ男にモーションかけられたときとちがって彼氏にしっかり報告・相談しており、彼氏はトビラの陰でチャラ男の脅迫を録画、逆に脅しにかける。しかし向こうはガタイの良い・倫理観のない不良。彼氏をボコして物理的なレイプを試みようとする(これもNTRモノではよくある展開)。が、しかし……とお話が、暗がりへ転げおちることなく主人公カップルの想いの強さによって明るいほう明るいほうへと邁進していきます。

 

 NTRモノにお話を戻しましょう。

 主人公以外の(複数の)人物と関係を持つヒロインに対して、「そもそもこういうバックグラウンドがあったうえでそう行動した彼女があるのに、おまえは受け入れられないのか?」みたいな具合に、成熟論/理解不能な他者への受容論へと運ばれていく作品もあります。

 ありますが、個人的には「まじで説教するつもりなら、なんで経緯説明からせずに、初手で一般的ではないショッキングな展開をまず見せてしまうんだ? べつに彼女を想っての行動ではないだろ?」という反感があります。

 作者名作品タイトルなにも思い出せないんですが、付き合いだてだか結婚間近だかのカップルが彼女の地元へはじめて行ってみると、地元のおじさんがたが手厚く出迎えてくれた。手厚さは尋常でなく、彼女はそのままセックスをはじめてしまった。驚く恋人。そこへ別のおじさんが彼女の来歴を語る。一人っ子だかで寂しい思いをしていた彼女を我々はおままごとをしたり勉強をみたりずっと支えてきた。きみがいま見ているのはその延長線上のコミュニケーションに過ぎない。あれがあって今の彼女があるのだ……みたいな話をしてくるエロ漫画を読んだ記憶があります。

 そうした趣のある作品だと他には――そこまでアンバランスでなくて「そういう傾向にある」というだけで、わりあい納得がいく流れになっていると思いますけど――けのこ星人さんの作品のいくつかとか、あるいは付き合い始めて2週間のタカくんとユリちゃんが手をつないで向かうのは、彼女の友達の家。なんでもタカくんのことを話したら「お祝いしたい!」とパーティを開いてくれるのだと云う。「いらっしゃーい」出迎えてくれたのは年上の成人男性ふたりだった。それも刺青ピアスのガラつき。見た目で判断してはいけない。そう首をふったタカくんはまた首をふることになる。ユリちゃんがふたりとキスをしている。欧米の挨拶ではなく、べろんべろんのディープキスを。「もしかしてユリ子から聞かされてない? パーティはパーティでも乱交パーティだよ」……というボボボ著のすべてを…」(『FLESH FRESH』所収)「何故だい!? 何故僕じゃダメなんだ! 容姿端麗にしてスポーツ万能! 頭脳人格家柄と申し分ない僕なのに!」「タイプじゃないんです……」なおも引き下がらないヒロインが「仕方ない。ついてきて」男をつれていった先は廃墟だった。「私、こういう方がタイプなの」紹介されたのはヒゲぼうぼうのホームレスで……という石川シスケきになった人」(『やりすぎめるへん』所収)がそんなかんじかな。

 また、こういう他者論へ話をはこばれた場合、「おれは非常にショックを受けたので今からお前らの一物をちょん切って二度とそういう行為に及べなくするが、おれの行為もまたお前らは受け入れてくれるんだろうな?」と返されたとき、こういう人らはどうするのか? おれの意思を受け入れてちょん切らせてなんて絶対させねぇだろ? という反語が浮かびます。

 そして、ふつうに生活を送っているらしいのに、ズレたこの感覚について外部へ露見することもなければ、外部を物差しにして自身を疑問視しないヒロインはなんなんだ? ……みたいなことになってくる。

 ヒロインが格を落とすことなく他者として立つのはむずかしい。

 

 あとさらには、商業の成人誌は(「成人指定描写のある、出来のよい作品」ではなくて「気持ちよくヌケる作品」を求めて)お金を払っている関係がどうしてもあるので、「え、こっちからもらうもんもらっておいて御大層に説教かましてくるお前(作者)は何なの?」という怒りがわいてきたりもするんですが……そこまで行くと違う話になってくる気がするので、この辺で。

(ヒロインをメイドにして、その非対称性に淫する『君はメイドでしかない』はまじでうまい作品だなと感心しました)

 

 

0613(日)

 ■観たもの■

  リズミカルで面白い;『ASMR Ear Eating Tingles』

www.youtube.com

 ASMR Zhen氏のASMRですね。

 サムネに釣られてクリックしたんですけど、実際エロいタイプのASMRなのですが(笑)、初手からなんかすげえ異様な高速舌打ちで別の意味で面白いんですよ。口をパクパクして鳴らす音が妙に軽快、リズミカルで楽しかったです。1:40あたりとかもうなんかバイノーラル使ったヒューマンビートボックスの演奏みたいな感じになって楽しい

 ぼくが知らないだけでバイノーラルミュージックとかあるんでしょうなぁ。

 

  vtuber『【にじさんじ】ニジマンガ編集会議Ⅱ~推しつけ愛編~【#ニジマンガ編集会議】』

www.youtube.com

 えにから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじの面々が推しマンガを紹介する企画『ニジマンガ編集会議Ⅱ』を観ました。集英社さんの協賛をうけ再びひらかれました。

 社築さんは様"拷問"の時間です』プレゼン13:26~

「このタイトル見てどんな印象うけました?」

「社さんそんな趣味あったんだなって……」

「そう言われても仕方ない! じっさいどんな漫画か教えましょう……」

 プレゼンはプレゼンでも受け手だって配信者であるこの企画の強味を活かして、社さんは掛け合い漫才チックにプレゼンをしていきます。

 

 フレンさんは.5次元の誘惑(リリサ)』プレゼン25:57~

「そもそも"2.5次元"って?」と耳馴染みのない用語やあらすじをサックリ紹介したフレンさんは、

「しょーじき、あらすじを聞いて、"えコスプレする女の子と奥手の男の子のちょっとスケベな恋愛漫画なんじゃないの?"って思ったかたがいっぱいいらっしゃると思うんですけど(笑)、これがちょっと違うんですね」

 と興味をさそうヒキで、「①オタクなら共感倍増! トラウマを克服する過程が熱い!」「②"好きだったときの気持ち"を思い出させてくれる!」「③イラストの美麗さとこだわりがすごい!」と3つの魅力を紹介していきます。

 

 葉加瀬さんはンデレラ・クローゼット』プレゼン36:58~

 あらすじを紹介すると「登場人物紹介を、主観をまじえてやっていきます」と、表示したスライドの文章を読み上げつつ、書いていないことを情感たっぷりに補足説明していきます。

 3人目の主役・光の紹介になると、熱はいっそう上がり、次のスライドは今作を読んだ友人知人の光にたいする感想(笑)、次のスライド(葉加瀬さんが思う今作の魅力紹介)では、「①光の正体は実は……!?」、「②光がありえん不憫」、イケてる光がイモっぽい主人公へ唱える「③毒持論が心に刺さりすぎて最悪死に至る」……と、光の魅力をとにかくぎゅ~っと詰め込んだプレゼンをしてくれました。

 

 天宮さんはは光』プレゼン53:13~

 ストーリーを順を追ってかなりしっかり紹介する、紙芝居タイプのプレゼン。恋が光って見える主人公とその周囲のひとびとの関係をじっくり紹介。初プレゼンという天宮さんはぎこちなさもありつつ、それが逆に「なんとしてもこの作品を語りたいんだ!」という熱のように聞こえもしました。

 

 西園さんはの音とまれ!』プレゼン1:09:55~

 お筝(こと)に青春を燃やす高校生らをえがいたこの漫画のあらすじを紹介した西園さんは、印象的なシーンとして、箏は素人だが天才的な不良・久遠愛(主役)友達だから人数合わせで筝曲部に入った(箏は素人だしうまくない)脇役の同級生・光太に注目! 光太は経験者の先輩や才能がある久遠との力量差に悩み、合宿の夜いなくなってしまうけど、もう一度再起する姿を取り上げます。

 そして〆に、

「筝曲部って知ってますか?」

 と、読みさえワカラン一文から入ったプレゼンが示唆するとおり、劇中のお箏にかんする演奏や音の描写の魅力へ大部を割きます。迫力の演奏シーンを数々引用できるところは、出版社から協賛を得ている強味だなぁ~って感じでした。

 

0614(月)

 ■ネット徘徊■観たもの■

  【AmongUs】第一被害者になる確率が80%の女【にじさんじ/月ノ美兎

youtu.be

 えにから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属する面々が『アモングアス』をプレイされていたので視聴しました。

 『アモングアス』は俗に「宇宙人狼」などと呼ばれるゲームですね。舞台が宇宙だったのでそう言われましたが、実際には宇宙以外もステージがあるらしい。

 プレイヤーはランダムでクルーないし裏切り者(インポスター)となって宇宙船や基地などのステージに立ち、ゴミを捨てたりデブリをビームで迎撃したり、あちこちに散らばるタスクをこなしていきます。そこにまぎれたインポスターは、停電させたりエンジンを壊したり酸素供給機をこわしたりなど破壊工作をしてクルーのお仕事を妨害し、さらには直接殺害をこころみます。

 インポスターの数がクルーと同数以上になったらインポスターの勝ち、それまでのあいだに全タスクをこなしたり、インポスターを全員追放できればクルーの勝ち……というゲームです。

 設定によっては、プレイヤーキャラ同士が近くにいるとその人たちのボイスチャットが有効になったりしますが、今回は緊急招集をかけた会議パート以外はチャットNGのルール。

 インポスター同士は裏切り者が最初にだれか分かっていますが、個別に秘密の通話回線を持っていたりはしません。仲間のインポスターがどう立ち回るのか、タスクパートの身振りや会議パートなどから察して動いていく必要があります。

 

 バーチャル・リアル問わず様々な配信者のかたがたと『アモングアス』をプレイされている熟練のでびでびでびるさんや、多方面にしっかりされていて『アモアス』も達者(だけど物腰のやわらかさが押しの弱さとなることもある?)竜胆尊さん、地頭がよく弁も立つが初心者である剣持刀也さんなどがいる一方で、初心者なうえに人狼ゲームが苦手だというイブラヒムさん、見た目だけでなく挙動も野良猫っぽい文野環さんなど、さまざまな人がそろった回。

 わりあいその場のノリで押し切る流れが目立つ、ゆるいエンジョイ人狼ですね。

 とはいっても、とにかく発言を精査し穴をさぐるだけが玄人の見せ場でもないでしょう。

 あまりに突出して実力者であるが故にあやしく見えてしまったり、人狼(インポスター)の標的になりやすいなかで、いかに立ち回って、どう信頼を勝ち取るか? というのも実力の発揮しどころじゃないでしょうか。

 ぼくは毎度のごとく月ノ美兎委員長の配信で視聴。

 前回の『アモアス』配信では、最初にインポスターの被害になる確率がきわめて高かった委員長ははたして生き残れるのか……。

 

「これヤバくね!?(笑) ヤバくねーこれ? やるしかなかったよねでもねぇ?」

 月ノ美兎委員長&本間ひまわりさんがインポスターになった試合では、開始数秒後、スタート地点のすぐ隣の部屋でインポスター:クルーが2:2になったのを見て委員長が実力者のでびでびでびる君をキル。

 あまりに堂々かつ早々におこなわれた状況に一瞬フリーズする加賀美社長、サボタージュ画面が明けたら一人死んでいる状況にインポスターであるひまちゃんもまたちょっと動揺します。が即応し、逃げようとする社長へ詰め寄りキル。

 阿吽の呼吸って感じで、かっちょよかったですねぇ。

 

 

0615(火)

 宿直日。

 ■建物のこと■

  シリコンガンをつかう握力がない

 なんか気になる隙間を見つけたので、シリコンガンを使ってシーリングをしました……が、めちゃくちゃ固い。こちらの握力では全然でてこない。実際には月曜日(だったかなぁ?)から作業をはじめて、60cmくらい塗るのも1時間くらいかかった。

(一度あけてしまったものだから、すでに固まり始めてしまったせいだと思いたい。でもぼくが非力なのもたしかなので、どっちなのか判別つきかねる)

 時間的にだけでなく身体的にたいそう苦労しまして、

「これは……」

 と別日に再挑戦しました。

 銃型になった注入器のレバーを手で握ることでシリコン容器の底を押す機構がはたらくのですが、前回の挑戦で筋肉痛にはなるわ、マメはできるわでこれ以上は体がもたない。

 手で握るのはあきらめ、レバーを物にあてて体重で押すことにしました。それでどうにかこうにか使えるレベルになりました。2mを1時間くらいのペースでしょうか。

 作業能率はアップしましたが、そもそもがひどいという説もあります。

 容器を開けてしまって、ハケやヘラで塗ってったほうが早い気がしてなりませんが、現行の方法でもまぁやる気があればできなくはない、位の光が見えたのでよかったです。

 

0616(水)

 ■読みもの■

  伴名練著「解説 奇想と抒情の奏者──中井紀夫の軌跡」を読む

www.hayakawabooks.com

(読んだのはkindle版ですが、いまげんざいnoteで7/5まで期間限定公開されているらしいです)

 伴名練氏の『ゼロ年代の臨界点』は、日本SFの礎を築くも時代の波に消えてしまった3人の女性作家を追う論考風小説でした。

 『日本SFの臨界点 中井紀夫 山の上の交響楽』をしめくくる伴名練氏の「解説 想と抒情の奏者──中井紀夫の軌跡」は、それを中井紀夫氏という実在する作家で、現代日本SFという実在のカルチャーでやってしまった……みたいな内容。

 『日本SFの臨界点 怪奇篇』では、実在した日本の女性SF作家・光波耀子氏の登場と時勢のからんだ断筆にかんする解説をしたためていましたが、こちらもまたすさまじいですね……。評伝・伝記としての作家解説。

 

 『2010年代SF傑作選』作品解説は、作家のビブリオグラフィに大部が割かれてしまった印象で、

「"物語的にも面白く、語る術も凝っている作家である伴名練氏が、どんな作品をなぜ・どういった理由で選出したのか、その作品をどう読んだのか?"

 そこが気になっていたんだけど、『2010年代SF傑作選』の解説はあんまその欲求にこたえられるものではないな」

 と思いました。そうした不満は、文量のふえた『日本SFの臨界点 恋愛篇/怪奇篇』の解説でじゃっかん解消されたものの、それでもなお完全になくなったわけではありません。

 氏運営の『石黒達昌ファンクラブ』のレビューで……

この作品を「今こそ読まれるべき」と私が述べた理由である。理研のケースと似ている部分があるから読む価値がある、のではなく、似ていない部分があるからこそ、読んで欲しいのだ。
 現実と大部分が似ているからこそ、現実との「相違点」が浮き上がってくる。そして、その「相違点」にこそ、本編のエッセンスが含まれている。

   伴名練運営、石黒達昌ファンクラブ、「アブサルティに関する評伝」(『冬至草』収録)レビューより 

 ……とおっしゃっていたところからすると、『2010年代SF傑作選』はもちろん、『日本SFの臨界点 恋愛篇/怪奇篇』の氏の解説も、アイデアの似通う作品の紹介にとどめて、「似ていない部分」の記述(=選出作のオリジナリティについての言及)がすくないように思えました。

 

 『恋愛篇/怪奇篇』からさらにページ数が増えた今回の解説ではどうなるんだろう……と開いてみて、なんとなく傾向がつかめてきました。

 解説には大別して2パターン、解説者の読み解いたことを開陳するものと、読者が自由に読める余白をのこしたもの・手助けをするものがあって、伴名氏はたぶん後者のタイプを(いまのところ)商業書籍の解説として送っているんですね。

 で、つかえる紙幅が増えても、伴名氏がどう読んだかを描くのではなくて、(現在では/門外漢にはアクセスしづらい)作者がその作品についてどんな言及をしているのかなどを引用紹介するかたちになると。それはそれでありがたいお仕事ではある。

 

 そもそも「そのひと独自の解釈」みたいなものは、創作者であれば自作で出力するという道があり、じっさい伴名氏の作品はそのような趣が濃いものもある。

 ぼくはなんか、グルメガイドにクックパッドを求めるみたいなことをしていたのかもしれないなぁ。

 

 

0617(木)

 げんきにすごしました。

 

 

0618(金)

 ■観たもの■

  高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』13話鑑賞メモ

 {このblogでのここまでの『ゴジラS.P』にかんするお話。放送まえ与太話記事1話感想エントリ2話感想エントリ3話感想エントリ4話鑑賞メモ(日記)5話鑑賞メモ(日記)6話鑑賞メモ(日記)7話鑑賞メモ(日記)8話鑑賞メモ(日記)9話(日記)10話鑑賞メモ(日記)11話鑑賞メモ(日記)12話鑑賞メモ(日記)13話鑑賞メモ(ここ) 

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ハメ手を持つこと
例1)2人の登場人物が、時空的に離れた場所で、それぞれモノローグする
・なんかわからんが泣ける

例2)特定のジャンルものとしてはじめ、ある地点でジャンル自体をひっくり返す
・びっくり型なので、ハネるところまで惹きつける必要あり

例3)理詰めで押し続けるように見せて、限界に達したところで破綻させる
・感情を喚起しやすい

例4)終わりまでいくと、主人公が成長している
・古典的だが非常に有効

など

    scrapbox円城塔『20180920 ゲンロンSF創作講座用』テクストより(太字強調は引用者による)

 たいへん面白かったんですけど、「愛嬌で乗り切るのもどうかと思うぞ……」という気持ちも少々。

 

 しょうない話と取るか、しょうない話と取るかを分かつ勘所なのかもしれないな、愛嬌は……。

 

 正直もうすこし深刻であるとかまじめなトーンのほうが好みで、3話まで(どうにか6話あたりまで)で期待していた方向性とも、それでもなお「とんでもない所に行きつくぞコリャ」と驚いた8話爆心地の光景から期待していた方向性とも違ったところに行ってしまった印象はあるんですけど……『文字渦』の素材の集めかたが(奇妙かもしれないがれっきとして)実在する文字や科学であったのに対して、『ゴジラSP』は参照先が既に存在するゴジラ作品であった・ふしぎにまつわる伝承であったというだけで、やってることにそう違いはないのかもしれません。

死から復活したように見えるふしぎな生物について、灰からよみがえる不死鳥の伝説をユンが真っ先に挙げたところで気づいておくべきだったのかもしれない。(その発想は科学者というよりも陰謀論者のかんがえだろうとぼくは思う)}

 

 アーキタイプ関連/ジェットジャガー関連のお話のまとめかた自体は「この辺だろうなぁ」という感じです。13話のまえから「こんなかんじじゃないかなぁ?」と頭のよい人らが考えていたような決着でしたね。

 

 

 

 いろいろ不満はあるんですけど、ニヤニヤしてしまったり悲しくなったり「おいおい……」と思いつつも「よかったなぁ」とうれしくなってしまったり「ちょwwww」となってしまったのでぼくの負けです。「しょうがないなぁ……」と思ってしまった。

〔ただ、ここまででの(12話鑑賞メモで挙げた)不満は、なんか一応それをふまえた展開を見せてくれて、ちょっと満足してしまったところはある。

{ただこのふまえかたは、たとえば円城氏が観に行った作品で言うなら、『ヱヴァ序』『破』のTV版とちがう(ネタバレのため伏字)性急さ・主人公ハーレム物っぽさが、(ネタバレのため伏字に)『シン・エヴァ』で『ヱヴァ』の世界設定的に当然の展開だったとわからせ腑に落とさせたほどではない}

〔「自衛隊ただのやられ役なのか?」⇒「最後の作戦でおとりになってくれました」まじめなフォローだ。

素手で怪獣と戦えるハベルなんなんだよ……」⇒「なぜか怪獣と戦えるレベルのフィジカルモンスターなので飛行物体離陸にさいして揚力の足しになってくれる! ……たしかに!!!! てなるかバカ!!!(なった)(ニヤニヤ笑ってしまった)(愛嬌がある)」

 それにハベルが筋肉自慢を発揮してだれか・なにかを持ち上げるのは、3話(失神中のユン・バイクに対して)、6話(ジェットジャガー機内で昏倒中の大滝に対して)、8話(港の社員に対して)9話(クモンガの巣の港の社員に対して)とここまでで何度も描かれてきたことなので、キャラとして一貫した行動/文脈だてられた展開であります}

 なんだか長年連れ添ったひとへの愛着みたいなかんじですが、まぁ実際ゴジラにも円城塔にもそれなりには――人生のはんぶんくらい、あるいは1/3じゃ足りないくらいの期間は――執着しているので当たらずとも遠からずな感触なのではないかと思う。 

 ただぼくがそれだけ付き添ってきたのは、べつにゴジラのゴの字も(ゴの字も知らないは嘘だな。平成ゴジラをリアルタイムで見て、愛嬌でつづいているようなシリーズっぽいなぁと思った。)円城塔のえの字も知らない初顔合わせでガツンと衝撃を受けたからで、ぼくは『ゴジラSP』が誰にとってもそういう一発であってほしかったと切なく思っています。

(ちょっと感想をパブサしてみると、初顔合わせの人がガツンと食らっていたりもするみたいなので、ぼくがそう感じなかっただけで、今作も案外そういう作品になっているのかもしれない)

 

***

 

 ネトフリ先行配信の強みを見たような気がします。

 『ゴジラSP』は、

・木曜午前0時/ネトフリn話配信 ⇒ 木曜日22時30分/地上波でn-1話放送

 ……という順番で配信されました。円城氏は「地上波n-1話放送⇒ネトフリでn話配信……という順番のほうがよいのではないか」てなことをツイッターや『続 コロナ禍日記』で言われてましたが、この並びで僕はよかったと思います。

 

 有料サブスクでわざわざ見るひとは、ある種こなれてる人が多くなりそうな気がします。映像が好きだったり、ゴジラシリーズが好きだったり、『ゴジラSP』が好きだったり、作品にかかわったスタッフが好きだったりするものと思うんですよね。

 

 つまり厳しい人が見れば批判しそうな点も、あばたもえくぼとして面白がったり、「これだよこれ!」と名作駄作混在する紆余曲折あるジャンル・ご長寿シリーズらしい癖・味として噛みしめたり(この記事が「ハメ手をもつこと」を引っ張ってきたように)作家論的な個性としてとらえたりする可能性が高くなるのではないか?

 

***

 

 かなりきれいにたたんでくれたなぁという印象です。

 紅塵/アーキタイプの性質とかはすでにここまでで「こういう性質のものです」「こういう性質のものだと明らかになりました」と説明されたものなので、「たたんでない風呂敷」ではないと思いました。

(また、「進化途中のゴジラなどがこれまでの東宝怪獣映画モチーフなのはなぜか? ここについてオマージュでした以上の理由がないではないか」みたいな批判もみかけました。気になる人は気になるよねと思いました)

 

 Cパートは、素朴に考えて「続きありますよ! 待っててね!」というアレではないでしょうあの終わりは。(「物語はつづく」という終わり。『バトルシップ』みたいな。円城氏の『SRE』みたいな、というのが正しいかもしれない)

 ぼく個人としては、クライマックスにからんで盛り上げてほしかったですが……。(13話4時間・放送期間にして3ヶ月かけての顛末が「"この『ゴジラSP』はこれでおしまいですが、物語はこの先も続いていく"エンドのフリでした~」だったことで、脱力してしまった派です)

 とはいえ、正解につながらないものが存在すること、本筋=主人公たちのがんばりとは関係なしに、別個な理由で何か動いている(この世界にとって重要な)ものが存在するということ自体は、それはそれで良いことだとも思います。

 劇中に出てくるもの全部が全部「原因と結果」の一本道に固定されてしまった作品は、いかにも「物語」「物語」して、ある種の狭さをかんじてしまうものです。

 豊かな「世界」であることを示してくれる余白といいますか。

(前述のとおりスカされた気分はあるし、そうして見せられた余白は"シリーズへの目くばせ"という愛嬌の一種に思え、「それはそれでべつの内輪の袋小路に入り込んでるのでは?」という気もするけれども)

 

 あれがあったおかげでだいぶスッキリした部分もあるんじゃないでしょうか。

 海(や葦原派)は11話の問答でメイ(「魔法のランプに解決法を考えてもらう」)を「現実的」だととらえたわけですが、これはようするに海らがメイたちにやってもらおうとしていることそのままだったということなんでしょうね。

 海らの研究は手詰まりとなってしまった(葦原のプログラムを復旧したが、破局の回避コードはない。白紙だったというのはそういうことでしょう。)ので、次世代(ユンやメイ、AIナラタケたち)のひとびとに解決法を考えてもらった(つまり11話で託したのは本心である)……ということなのでしょう。

(つまり「すべては葦原の予言どおり」というような茶番ではなくて、9話でリー博士や12話でBBから言われた通り、葦原と同じ道をたどるだけではなくて先を行ったのだ……ということになるのでしょう)

 

***

 

 2話で細胞と細胞の層(≒ひだ?)のあいだに発電器官をそなえたラドンの存在があきらかになり、3話でユンから指示を受けてラドンの声に擬態する即席楽器を作成したユング(ナラタケAI、ユン派生)。

 1話で物理的実体をもった過去の犬(のペロ)から特につながりがないけれど系統樹をつづける自分という存在(ペロ2)が生み出せえるという知見を得て、さらには、時間の中を泳ぐ魚四次元空間をとぶ蝶などメイが研究する空想生物についての知見を得たペロ2(ナラタケAI、メイ派生)。

 4話で一見意味不明なMD5ハッシュ関数についてまなんだペロ2。

 8話で機能的には宇宙にもとどくほど巨大な地球規模のコンデンサだが、傍目になんか「おそろしくも美しい」自然である積乱雲のふしぎを見たジェットジャガーユング(ナラタケAI、ユン派生、おやっさん派生の体)

 9話では葦原ノートを研究していくなかでサンスクリッド語を読み上げることとなったペロ2

 12話で対話不能な「ちょうちょ」に出会ったジェットジャガーPPは、ユンから「遊んだら?」「おまえとちょうちょとで遊びのルールを決めたらいい」と提案される。

 

 謎の曲「ALAPU UPALA」はだれがつくり歌うのか? サンスクリッド語を話した者は劇中ひとりしかいない。

 

 ユングとペロ2がユンとメイに付き添って、このひと夏の冒険で得たことが巡り巡って、「時間を超越する恐ろしくも美しい音楽の、音と音のひだのあいだに存在を意味不明なかたちで織り込み擬態、生態系をきずく生物」というアイデア{そしてたぶん、特異点から湧く紅塵生物のなかで最も進化した存在であるゴジラが、その特性を一番にいかした技であるところの「恐ろしくも美しい」光線を、アーキタイプ操作という機能的に生かす(??)というアイデアも?}ナラタケAIに"じぶんで"考案させ・その音楽を創造させ、かれらの子孫ジェットジャガーPPの誕生へと結実する。

 

***

 

 ユンたちが劇中世界の不思議な性質でどうにかしてたのは「ジェットジャガーを最強にするプロトコル」だけで、あきらかにやばい高さから落下したし「これで最期だ」という感じで退場した大滝やハベルが元気なのはその限りではないわけですが(さすがに「おいおい……」と思った)、でも「3話のバイク横転で大丈夫だったんだ。これだって大丈夫だろう」と言われればそうかもしれない……愛嬌で乗り切った……。

(6/20追記;ここの「愛嬌」の意味するところの補足。円城氏は「映画の尺であれば乗りきれてしまうものでも、13話あるとどこかのタイミングで正気になってしまうじゃないですか」というお話をインタビューで何度かされている映画秘宝GIGAZINEなど)

 この大滝&ハベルの顛末はどうでしょう。正気を失っていますよね。

 正気の人間ならなにかしら言い訳するじゃないですか、無数の分岐時空のなかで最も都合が良いものを選んだ結果がコレでしたとか、そういうアレがないとしても落下したさきが紅塵の砂丘だったor地形変化で生まれた湖だったから無事でしたとか、クモンガの糸を持ってきてそれをクッションにしたので助かりましたとか、逆転の発想でラドンを呼び寄せて揚力にしましたとか。

 そういう言い訳が全くないのはもう愛嬌以外のなにものでもないじゃないですか)

{ハベルやおやっさんがトラック落下後どうなったかは言及せずに(=ふつうにお亡くなりになってしまって)、エピローグはユンが岬のうえへ自らの足で登ってメイと再会する……でもまぁ、よさそうっちゃよさそうですが。

 でもそんな展開にしたところでドラマ的な意味はべつにない(べつに三角関係もなければ、ハベルの意志や美徳をユンが持ってなかったのが最終戦で埋まった……みたいな成長譚でもない)と言われればそうなので、今回おがめたかたちのほうがよさそうっちゃよさそう}

 

***

 

 不満がないわけではない。

 逃尾の神輿の図柄はなんだったかはともかく、せめて古史羅ノ図の履歴はハッキリ言ってくれたほうがぼくはスッキリできたでしょう。

{ペロ2がやったことのほかに何か別のふしぎな現象が起きていそう。

 メイの推理では、BB言うところの「正体不明の子守歌」は、破局を回避した未来の私たちが送った情報なのではないかということで、JJPPは「子守歌の送信者がわたし」だと云う。

 「行ってきます」してメイとの通信が途絶えたペロ2が爆発前にやったのは、ユンから頼まれていたけれど存在を忘れていた「ジェットジャガーを最強にするプロトコル」を完成・実装させるループ演算を歌にのせること≒JJPPが生まれる演算を歌の中に織り込むことなのだと思うけど、そうすると、50年前停止中の葦原タスク時点にいるペロ2ができるのは、その時点でながれていた歌に対してのみになってしまう。

 50年前のシヴァで葦原が「またこの歌だ」と言う通り「葦原は歌にみちびかれてインドの特異点を発見した」とBBが11話で言う通り、ALAPU UPALAはペロ2が遡った時点よりももっと古くから流れている。葦原だってなにも見当もなしにインドをdigるだろうか?

 『ゴジラSP』内で描かれたことからふんわり想像するなら、ODと化したうえでそしてゴジラとともに(特異点に?)消えたJJPPが行なったのが、特異点から歌を送信したりなんだり、逃尾市のひとの頭に何か絵を描かせたりするというようなことだったのでは……と想像するのがそれらしい感じがする。

 逃尾在住時点でサンスクリッド語のあの歌を聴いた葦原は、2030年のユンが録音アプリから楽曲検索をかけたみたいに、1970年前後の社会に生きる好奇心旺盛な人が取れる最大限の方法として、サンスクリッド語であることをたよりにインドをその足で訪ねて行ったのだろう}

「シリーズファンが楽しめるお遊び的イースターエッグと、『ゴジラSP』劇中世界内でなにか理屈がついたこと・つきそうなこととが混在する作品じゃないか。

 そういうことを考えるのはバカらしいぞ」

 というのはまったくもってその通りです。

 

 もちろん……

「1列に並ぶ円柱に、斜め方向からビームが入射し、角方向へ同心円状に歪みを生じさせた跡」を、斜め方向から正面に移動しつつ見る

   「散木記(抄)円城塔[日本・大阪 2020年3月某日~5月21日]」、4月16日(木)の記述より。{タバブックス刊、『コロナ禍日記』kindle版18%(位置No.5951中 1062)}

 ……コレなんだったんだ? という思いがつよいのですが(笑) 該当する描写、けっきょく観なかったぞ。予算や製作期間の関係なのかなぁ。それともぜんぜん別の作品のための試算なのかなぁ。

 やりたかった(けど予算の都合上/権利関係上/倫理的にやれなかった)展開一覧とか見てみたいところです。

 全体の感触としては、現代の視点からはフォローが必要な部分について基礎工事をしたうえで原点回帰をするというロマンチックな作品、ゴア・ヴァービンスキー監督『ローン・レンジャー』や、サム・メンデス監督『007 スカイフォール』のような作品に近いと思うんですね。

(あるいは、劇中に提示されたうさんくさいヴィジョンが劇中現実として実現していくという点で、後年のトニー・スコット監督作のような)

 トニー・スコット監督作やヴァービンスキー監督作みたいな、有無を言わさぬ映像的腕力というのは、作り手の才能だけでなく潤沢な製作キャパシティがあってこそなんだなぁと思います。

 

 13話では、首都高速がそれなりに長いスパンで急な下り坂になったり上り坂になっているという、ふつうに橋脚が破壊されただけでも起こりそうな舞台でのアクションや、ゴジラの巨体から落ちるか否かふんばりながらのアクションとなりましたが。「ここまでで期待していたものからすると、だいぶおだやかな光景だったなぁ」と個人的には思います。

 直近12話でなされた「ゴジラの周辺では三角形の内角の和が二直角ではなくなる」という自衛隊の観測結果や、その実景と言えるだろう8話のグネグネに曲がった街灯、「自分の足がついてるほうを地面だと思え」7話のシャランガ戦でOD投入まえの対物ライフルを構えワイヤで吊るされた私兵による戦闘など……

 ……そこからぼくが期待したクライマックスは、街灯ばりにグネグネに曲がった東京での、どちらが天でどちらが地か右も左もわからなくなる異様な感覚下での戦闘とか分岐世界を覗き見ながらのカタストロフ&サバイバルでした。

 「これはとんでもないことになるぞ」と思った、現実世界がバグってしまったみたいなあの8話爆心地の威容を超えてくるイメージは、ついぞ訪れなかったなぁというのが正直な感想です。

 

 そういう展開こそ拝めなかったけど、重力落下をめぐるアクションは見られたから、まぁ満足しました。

{お話し的には「どうせ死なないでしょう」なんだけど、やっぱりこう「死ぬんじゃね?」て錯覚してしまうシチュエーションを出してくれる作品だったなと思います。

 ジェットジャガーの壊れっぷり、落ちっぷりがたのしい。カバンの揺れっぷりも好きだし、そしてなにより高速に背景が流れる落下中にコードを確認するというシチュエーションがいい!

(たとえばP・W・アンダーソン監督『ザ・サイト』とか、こういうセンスにぼくはよわい。

 主人公がミステリ・サスペンス映画によくある資料調査して新情報に至るシーン、あれを街灯の光が車内に差し込み流れる自動車運転中におこなって、新情報に至ったところで車のまえにひとが現れ、そのまま轢いてしまうという物理的に衝撃的な光景として描きだしてみせた『ザ・サイト』と同じ活劇精神をかんじました)

 

***

 

 尺的にも制作にかけるキャパ的にも限られていそうななかで、それでも『ゴジラSP』は見事な情景をえがきだしてくれました。

 ゴジラvsジェットジャガーは『ゴジラSP』という続き物の締めくくりにふさわしい内容で素晴らしかった。

 ゴジラはしゃがみこんだ有川ユンにむかって大きく口をひらく。(1・)2話でラドンがそうしたように。

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 そして2話でユンを追いかけるラドンに対して(画面外右から大滝がトラックで突っ込んだあと)ジェットジャガーが画面外左から現れて殴りつけたように、最終話でもユンに迫るゴジラに対して、ジェットジャガーPPが画面外左から現れて蹴り飛ばす。

 

 ゴジラジェットジャガーの右腕の関節を噛む。2話でラドンジェットジャガーにそうしたように。

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 2話の初戦ではラドンにまんまと右腕を食いちぎられたジェットジャガーは、最終ゴジラ戦では長くなった足をゴジラの腹にきめ、ゴジラをのけぞらせて右腕を維持する。

 

 ゴジラジェットジャガーを尻尾で叩き飛ばす。6話でアンギラスジェットジャガーにそうしたように。

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 第6話「りろんなきすうじ」でオオタキファクトリーの管理者大滝が搭乗するジェットジャガーは当初、怪獣アンギラスに善戦するが尻尾攻撃に阻まれ、転倒。身を起こそうと両手に力を入れるもアンギラスに上からのしかかられてそのままKOされる。
 1勝1敗、再々戦した大滝@ジェットジャガーは、尻尾攻撃で首を刈られ、視界を失いあわてふためいていたところでさらに追撃、遠くの木まで張り倒されてKOされる。
 第13話「はじまりのふたり」では、ジェットジャガーPPもまた怪獣ゴジラとしばらく格闘をしていると尻尾攻撃を原に受け転倒する。さらにゴジラは光線で追撃し、ジェットジャガーは頭部に被弾してしまうが、アンギラスのときとちがうのは、ジェットジャガーの身を起こすのが速く、その攻撃を正面から受けられたことだ。
 大ダメージを追いつつもしかし頭を全壊したわけではないジェットジャガーは、視界も思考も明瞭なまま戦闘をつづける。

 

 ゴジラジェットジャガーの戦いは爆発を起こす。9話でカマをそなえたクモンガとアンギラスの槍を装備したジェットジャガーとの鍔迫り合いでおきた火花が壊れた船から漏れ出た燃料に引火してそうなったように。

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 第9話「たおれゆくひとの」ジェットジャガーユングは、怪獣クモンガのうち前肢がカマになった種「カマンガ」とアンギラスの槍でつばぜり合いをして火花を生じさせ、それが前段で壊した船から漏れ出た燃料に引火、偶然にも港に爆発をおこしてしまう。(まず円形の青い火の輪がひろがって、つぎに橙色の火が点る)
 ユングの開発者・有川ユンは爆発にまきこまれ地面にあおむけに倒れ(宙に舞う橙色の火花の群れ)、そして起き上がって惨状を見る。 また同話でユンは、クモンガとの一件をおえた直後の海上で、別の怪獣ゴジラがつくりだした禍々しい赤い雲を見やり、破局始まる?」と表情を曇らせる。

 第13話「はじまりのふたり」ジェットジャガーPPは、怪獣ゴジラとたたかっているうちに、爆発を起こす。(まず青い多重円ゴジラの光線がひろがり、ゴジラの光線に直撃したジェットジャガーから橙色の火が次いで現れる)
 ジェットジャガーに搭載したAIの開発者・有川ユンは爆発にまきこまれ地面にあおむけに倒れ(宙に舞うオーソゴナルダイアゴナライザーにより結晶化したアーキタイプの青い群れ)、そして起き上がってその光景を見やる。
 ジェットジャガーPPが自身のからだ(とたぶんゴジラの光線)を材料にして意図的におこした青い結晶群と青い空が辺りにひろがっている。

 ペロペロたちは言う。「そうしてお話は、こう始まる

{「オーソゴナル・ダイアゴナライザーは紅塵濃度の高いところで起爆するように」(12話)……BBら研究者がODにそえた説明書にはそう書いてある(とユンは確認した)

 特異点から湧き出る紅塵の別側面がアーキタイプで、アーキタイプは未来を先取りすることが可能なふしぎな物質であり、アーキタイプというか特異点を素材にした超計算機はそのうち破局を引き起こす。破局とは物理法則ないし数学的法則がゆがめられこの宇宙自体が崩壊することを意味する。

 1950年ごろ、逃尾市の辺りで発生していた大規模な赤潮の調査をしていた葦原は特殊なクラゲを発見(6話、佐藤の調査より)、その特殊さとはふしぎな物質・紅塵を体内に取り込んで利用するという性質で、葦原は逃尾市ミサキオクで研究をしていくうちに紅塵をベースとした生物の発生を予言し(6話BBの発言)、そして1970年代には進化をも予言していた(とリー博士は7話で説明する)。葦原の研究をうけついだリー博士ほかシヴァ社の面々のうちBBは、2020年ごろから十年間研究をしても紅塵のフェーズαを0.001秒しか存在させられなかったが、2030年現在、シヴァ社のインド・ウパラ研究所では紅塵が安定して存在していて(6話BBの言)、各地ではラドンアンギラス、クモンガ、シャランガと紅塵をとりこんだ生物がさまざま現れていて、その末尾であるゴジラのいる中心部では、三角形の内角の和が二直角ではなくなる……自衛隊はそう観測する(12話)。ゴジラが数日まえに起こした爆発でぐねぐねに曲がってしまった街灯も確認されている(8話)。

 アーキタイプの研究者リー博士はアーキタイプによる光の増幅と爆発をデモンストレートした(4話)。

 おそらくゴジラの光線ないし光線を放つ口が、紅塵濃度が最高の場/特異点にもっとも近い場なのでしょう}

{6/24追記;円城氏の『ゴジラS.P』に関連するなにか(ノベライズのエディタ画面?)

 に、気になる文字列が。最終話のあの青い結晶って『猫のゆりかご』なのか?}

 

 ここまでに現れた苦境が再度ジェットジャガーの身に降りかかり、あるいはあえて自らかぶりに行って、一見似ているけれどまったく別種の展開を描いてみせる

 まえとおなじく右腕関節を噛みつかれるも、今度は右前腕を失わずに済ませてみせ、まえとおなじく尻尾にはたかれたうえに連撃されるも、頭すべてではなく右半分を失うだけに済ませてみせ、そうした歩みをちょっとだけ軽やかに進めた結果、爆発してすべて粉々になってしまうという、まえよりひどい結果に辿りつく。

 ナラタケからユングへペロからペロ2へ、ユングからジェットジャガーユングへ、ジェットジャガーユングからジェットジャガーPPへ。

 やったことは、ひと(メイ)のパソコンを整理して見た論文の内容や、ひと(ユン)から受けた命令と、そう大差はないかもしれない。思いついたというよりはすでに知っていたものだった、それを思い出しただけだったのだという向きもあり、他方で「そうだったんだ」と理屈や因果について説明や納得されてもまだ余白はあって、思い返すとよくわからないところがあったりもする。

 ともあれ、みずから発想し行動してしまった(ように見える程度に複雑な)「ぼく」や「わたし」の物語を、『ゴジラSP』は活き活きとえがきだしていました。

 プレタイトルで宣言したとおり(『ゴジラS.P』公式サイトで「この物語の主人公」と記されるユンやメイではない)「ぼく」や「わたし」が、立ち現れていくさまを。

 

***

 

 脱線話。

  11話時点で大絶賛だった小島監督が最終話を観たらしくって、すごい面白かったです。

  世界に名だたるクリエイター小島秀夫監督(本物)を、丘サーファーの新参者ヒデオみたいなインターネットはじめたての厨房かエロ画像をzipで求めて連呼するがっつき童貞に変えてしまうおそろしいアーキタイプゴジラS.P』……。

 

 

0619(土)

 勤務日で宿直日。

 

 

0620(日)

 ■聞いたもの■

  本読みのかたによるオススメSF本の話をするツイキャス/スペースを聞きました

 本人がオフレコ的に話したい内容っぽいのでどなたの言かはぼかしつつ、別にこれはそこに限ったことではないので書いてしまいます。

(この記事の上のほう「スペース体験記」に書いたモニャモニャとか、別日に書いた『SF×美学』配信でぼくが感じた、Youtuberの配信にかんする登壇作家さんたちのしょうもない雑談へのムカつきと同じ話題)

 

 「おすすめSF本の話をする」と題されたツイキャス/スペースでした。

 途中から聞きました。

 プレゼンを期待してクリックしてみたら、そうではなくって、SFの読書歴があるかたの雑談でした。ぼくが聞き始めたのは2枠目のツイキャスで、それも15分くらいすぎたあたり。つまり未視聴部分は45分あり、ホストのかたがたがなにか事前準備されてキャスにのぞまれていたのだとしても、そうしたトピックはすでに尽きた後だったのかもしれない。

 スペースやたぶんクラブハウスで始終ひらかれているようなやつですね。

 以前きいた『シン・エヴァ』反省会スペースより一層、「スペース的な時空間は、ある印象を固定・増幅・増強するにはいいかもしれないが……」という印象をもちました。

 先日と本日、両方のスペースともぼくは不満をおぼえましたが、でもまだ先日の反省会スペースはなるほどなぁと聞けたというか、「そのコミュニティの共通認識を確認しあう、すり合わせの場」としてガッチリ機能しているように思えました。その場その人々同士がどういう理屈で考えてそのような話をしているのか、それなりに理解できました。

 今回おとずれたかたがたのツイキャス/スペースは、「共通認識」というよりも「共通のふんわりした印象を提示しあう、毛づくろいの場」ってかんじがしました。

 週刊少年ジャンプの往年のご長寿漫画『こち亀』のあるエピソードで玄人同士の会話はこういうものだと例示された「青いいよね」「青いい……」の世界。

 

 ホストのうちのお一方がツイキャスの途中で「立て続けにハズレを引いたので、オススメを教えて欲しい」というおたよりを取り上げたさい、「何を引いたのか分からないと、なんとも言えない」というお話をされていたんですけど、おっしゃってるそのご本人が同じ難しさをかかえているようなトークでした。

「なんとも言えない」から「"オススメ教えて"で『量子怪盗』をおすすめしたらスッゲー怒られるやつだもんねぜったいね(笑)」とつづいて笑える人向け(『量子怪盗』の説明は全くナシ)

 とはいえ、ほかの話題でも「センスオブワンダー好きなかたにおすすめです」と上の"分かる人向けの会話をするホスト"のかたがざっくり主張する一方で、もうひとりのホストのかたがやんわり異議をとなえ、

「センスオブワンダーというのは人によって定義があいまいすぎるので、その語をつかわず具体的にどういう面白味があるのか語ってくれたほうが嬉しい」

 という旨のお話もされていたように、門外漢・未読者にとって分かりづらくならないよう、とっかかりのあるトークを心がけておられていました}

 

   ▽あらすじ⇒作品の読みどころ紹介……みたいな型はあった方がいいのやも

 トークを聞いていて思ったのが、

あらすじ(/作家の来歴)⇒作品の読みどころ紹介……みたいな型は、やっぱりあったほうがよいんだな……」

 ということでした。

「ウンチャラという作品が良いよ!」とだけ言われるのはキビしい。

 だからといって具体的に掘り下げた作品紹介をしてくれるものでも、なかなか本題に辿りつかないで周縁をグルグルするようなお話もまたキビシイ。(だから正確には、「具体的な作品紹介をしようとしてくれるものでも」が正しいか。「志の高さにたいして実動の手足は巧みであるか?」みたいな感じでしょうか)

{省略するとそれはそれで藁人形論法っぽくてアレだから、なるたけ実際の会話とおりに記すと……

「このレーベルから出たやつだと(数点のタイトル)が面白くって、あと(作品A)が断然すき」

「せっかくだから(作品A)の話をしましょう」

(作品A)の話をします。でも一番最初に(作品A)を読めとは言わんわよ。(ここで作品Aの話が途絶される)

 (Aを書いた作者)が好きなんですよ。

 その作家の(作品名A2)をおすすめします! ……あ、セール対象外だった。絶版でした。何でもないです。これ良いんだけどな~。

 (作品A2)はウンタラ賞を獲ってるんだよ。表題作は内容はようは(別作者の別作品B)なのよ。もうひとりのホスト氏は(作品B)履修済み?」

「未履修です。"アイツそんなに得意じゃねーな"と思ってたから……」

「……(作品B)履修してたら"ああアレね"と分かるんだけど、いま変なこと言うと両方の作品のネタバレになっちゃうから……」

(リスナーがチャットで、同作者の作品A3を挙げる)ここで作品A2の話が途絶される

「あ~(作品A3)いいですね~! うれしいな~。(作品A3)おもしろい」

「作者は……」

「どこのかたですか?」

「……イギリスかな?」

「(検索)イングランドみたいですね」

「イギリスのひとで、まぁまぁ、かしこいお兄さんなんですけど、かしこいお兄さんであると同時にTRPGをめちゃくちゃやっているひとなので、作るストーリーがわりと古のオタクにやさしい(笑) どちらかというと」

「待って(リスナーのチャット2。作品に登場するパワーワード)ってなに?(笑)」ここで一つまえの作者の作風の話が途絶される

「あはは(笑)……読んで

 ……作者先生はですね、読む順番を気を付けないとですね……そしてわたしより(作品A3)の話をふったリスナーさんのほうがしっかり語ってくれそう……(作品A3)本棚から探してくるわ……」

「待って待って、どの順番で読めばいいの」

「わたしは(作品A2)から読むのオススメします」

 ……と、オススメされた作品そのもののお話は脇に脇に行って、挙げられた作品3作のどれもがどんな傾向の作品なのかもわからなければどんなあらすじなのかすら頭にないまま4分半聞いていくことになったりするのもまた、キビしい。

 そこからは踏み込んだ話題になってきてくれるのですが、作品のあらすじなど具体例を欠いたまま作家性の話になるので、雲をつかむような印象はどうしたってぬぐえませんでした}

 

 まぁ、こんなことを言っているzzz_zzzzじしんもお話をまとめるのが苦手なにんげんで……。同じ轍をふみがちで、口頭ならもちろん、(もっと推敲ができるはずの)blogの感想文でさえもついつい省いてしまいがちなのですが。

 ですが「はぶいちゃダメだなぁやっぱり!」と反省しました。

 

 そしてたぶん導線としては、あらすじ⇒作品の読みどころ紹介⇒作家の来歴や他作紹介……という流れのほうが頭に入ってきやすい。

 でもそれは作品のあらすじや作者の来歴がなんでも丸っと入ったSFの大先生とか、また、この記事のも少し上でも取り上げた『【にじさんじ】ニジマンガ編集会議Ⅱ~推しつけ愛編~【#ニジマンガ編集会議】』のように前もってレジュメやスライドをつくった企画ならできるお話で。

 そうではない突発の口頭のワイワイイベントじゃ難しいことです。

 

 言及作がオススメであるかどうかの根拠は、けっきょくその推薦者をリスナーがそもそも最初から信頼しているかどうかであるという、井戸端会議な時間がけっこうありました。せっかちなひとには向きませんね。

 

   ▽色々思うところがあるものについて(強く否定したいほどのものでもないので)ふんわり批判的に言及する(具体的に言及しない)のは、言及者の論拠をブラックボックス化しつつ否定的な空気は広めるという、かえって不誠実な言及なのでは?

 ツイキャスがおわってスペースに移り、(ぼくは2枠目のツイキャスが終わった時点で退場。スペースから再度入場)そこからはスピーカーのかたがたのエンジンがあったまってきたのか、だいぶ具体的なお話も聞けてとても興味深かったのですが、ひとつ思ったのが、

「(ポジティブな意味でもネガティブな意味でも)その人がいろいろ思うところのある作品・作家に対してつよく批判したくないので(べつに、白黒どっちも思うグラデーション的な対象にたいして、ひとつの見解を主張したいというわけでもないからか? それとも別意見のひとも聞いているだろうからか?)いろいろ濁したかたちで言及するということ。

 配慮したためのこうした言及は、かえって不誠実に聞こえてしまうなぁ。

 批判点・根拠はあいまいなままに"ネガティブだった"ということだけを伝えるナイーブ*4な言及、"空気"を広める"非難"になってしまうなぁ」

 ということですね。

 

 いろいろと含みのあるかたちで言及されたのは(タイトルを濁されていたから別作品かもしれないけれど、十中八九)伴名練著かりより速く、ゆるやかに』で、ふんわりした言及をまとめると……

①「最初に"できない"と言われたことが、後から"できる"ということになって(≒ちゃぶ台返しされて?)アレだ」

②「主人公の"男"は色々するのだが結局ヒロインに許されている(赦されている)のがアレだ」

③「おなじ作者でも『アステリズムに花束を 百合SFアンソロジー』収録の『彼岸花』はよかったです」

 ……というお話で、上述よりも具体的な内容は無かった。

(長時間の談笑で、ぜんぶ聞けたわけではないので、ぼくが聞けてない部分で掘り下げがあったかもしれません)

 

 ①はたぶん、低速化現象が当初は解決不能な事象におもわれたのが、後半そうではなかったことが明らかになる点について言っているのだと思います。

 低速化現象には当初はわかっていなかっただけで発生条件があり、条件さえ整えば以降も起こりえた。終盤で人類は初回と二回目の類似点と、そうなっていないそれ以外の事例を比べることで気づけた……というような推移です。

 初回の時点で「これがオンリーワンの特別なイベントである」というようなお話はなされていないし、条件を満たしているのに低速化が発生しなかったケースが登場するわけでもありません。これを「ちゃぶ台返しだ」みたいに言うのはちがうんじゃないかと思います。

 

 ②については2点あります。

 ②aぼくも主人公を「男」として読みましたが、作り手は今作をどちらの性別とも規定しない物語を心がけていたそうです。達成できているかはともかくとして、触れておくのがフェアだよなぁと思いました。

 ②b主人公が許されるのには段階がありますよね。

 主人公と関わり深いメインキャラの女性として、低速化現象にとらわれた主人公の幼馴染と、主人公とおなじく修学旅行を欠席し低速化現象をまぬかれたヤンキー同級生のふたりがいて、主人公がやったアレなこととしては、幼馴染へ劣等感を募らせたあげく仮病で修学旅行を休んだことと、この低速化現象をネタにナマモノ1.5次創作を書いたことの2点でしょう。

 前者については、不幸な偶然だから責めるも責めないも無いでしょう。正直に言ったからといって事件解決や事件の早期解決につながったかというとあやしい。なにか問題があるとしても、主人公が現象後に得たものをつぎ込んで解決にあたったから落とし前はついているんじゃないでしょうか。

 後者について、自己犠牲的な落とし前をつけようとする主人公を1.5次創作のネタにされたヤンキー同級生が救い出しに行くことと、エピローグで幼馴染から1.5次創作の結末をつけたしてもらうことが「結局許されてアレだ」というお話なんだと思うんですよね。

 でも『ひかりより速く、ゆるやかに』では、そこに至るまでのあいだにヤンキー同級生から直接「お人形遊び」と痛烈に批判されますし、主人公が動いたからこそヤンキー同級生らがたどりつけなかった解決に至れたわけで。

 そして別口の観点では、ヤンキー同級生による主人公の救出は、主人公の「男」だけが気づけた正解を手にヒロイックな自己犠牲をはたす展開について、「それ、べつに最高の解決でもなんでもねーから」と茶化しそのマッチョイズムを指摘・脱臼する展開でもあるわけで、「けっきょく許されてアレだ」というのは違うと思います。

 

 もちろんそうしたところを眺めたうえで、「ヌルい解決だ」とか、「ハッピーエンドにするための方便だ」とか、「そういう批判を回避するための言い訳的な展開だ」「欺瞞だ」とかって言うことは可能だと思います……

 ……思いますが、そう段階をふんだお話はあのスペースにはありませんでした

 ツイキャスからスペースへ移った時点でスピーカーのかたが何人か増えたのですが、このトピックについて、だれもホストの主張に異論をはさんだりはしなかった。

 新しく加わったスピーカーのうちひとりは、おなじく伴名氏にピンとこなかったことをツイートされているかたでもあった。

 そのツイートでは「なぜ自分がピンとこなかったのか具体化するべきタイミングという気は若干している」ともつぶやかれていて、そこから音沙汰ないまま2ヶ月が経過しているんですが{もちろんぼくzzz_zzzzが『なめ、敵』の感想文を書きあげるまでに要した時間は2ヶ月どころのさわぎではないので、気長に待ちますが(笑)}、まぁ人生のほぼすべてのよしなしごとと同じく、具体化された文章は読めることなくフェードアウトするんでないか? と見ています。

 そのうち書いてくれたとしても、そのあいだはずっと、

「Aという物事について自分はネガティブな印象をもっている。具体的な理由は述べない。そのほかの物事について話題にしたこちらのツイートなどから見える趣味趣向・思想信条・読解力などから察してください」

 という空気がつづくことになる。

 

 なんだかなぁと思うわけです。

 余白たっぷりの途切れ途切れの線で細部をごまかしたデッサンを見せられている気分になってしまう。

 まじに正確な観察力とすごい画力をもっているひとなのかもしれないけれど、「その余白をこちらの想像力・画像補完力で埋めてるからそう見えているだけなんじゃないか?」という疑念が晴れない。

 

 スペースやツイキャスで声をのせるかたがたはべつにまじめで硬い話をしているわけではなく、ぼくのスタンスが間違っている。ふつうに生焼けのお話になるのはメディアの性質上しかたないんでしょう。

 なんか思考や興味のとっかかりにするとか、話半分に聞くのが良いんだろうな。

 

 

0621(月)

  げんきにすごしました。

 

0622(火)

 げんきにすごしました。

 

 

0623(水)

 ■読みもの■

  『ゴジラSP』の2030年とストロスの近未来

 ドナルド・A・ノーマン氏の本を読んでいたら、「おっこれ者の時制』で描かれたようなハイテク製品ユーザーあるある(多機能があっても、ユーザーが使う/凝るのは最初だけで、後はほったらかしになる)じゃん!」と思った箇所があったものの、メモをし忘れたので、あらためて探すハメになりました。
 それ自体は『誰のためのデザイン?』(増補改訂版)p.5の記述だったんですが……

ネットワークから切り離された不自由さをしばらくは楽しんだようだが、すぐに自らの仕事の邪魔になると感じたのか、家事の一切をディアに任せている。初日に設定された行動――洗濯機の稼働タイミングや食事内容のバランス設定は以後六年間、一切の変更のないまま放置された。

   『伊藤計劃トリビュート』p.32、「死者の時制」より

そこで、我々はまごつかされる操作部とディスプレイに出くわすと、やりたいことに近い一つか二つの設定だけを使うことにして、それを覚えるようにするのだ。

 イギリスである家庭を訪問したときのことである。そこにはイタリア製の素敵な新型の洗濯乾燥機があり、きらびやかな、たくさんのボタンのある操作部がついていた。これを使えば、服の洗濯と乾燥に関して考えつくことなら何でもできるというものだった。ところが、産業心理学者である夫君は、それには近寄らないと言っていたし、医者である夫人は、一つの設定だけを記憶してあとは無視することにしていると言っていた。

   新曜社刊、D.A.ノーマン著『誰のためのデザイン? 増補・改訂版』p.5、「第1章 毎日使う道具の精神病理学

 ……積んでいたノーマン氏の本の未読部分をパラパラ読めたのでよかったです。

{べつに「パクリだ!」とか言いたいわけではもちろんなければ、「ノーマンを汲んでる!」とか言いたいわけではない(。読んでるかどうかわからないものをそんな風に言えない)。

 増補改訂まえの旧版にない記述だったら「第一線の研究者のリサーチを先取りした細部!」とは言いたい

 

 アフォーダンスという概念を(※ただし『誰のためのデザイン?』初版などでのそれは原義とはちがった部分をふくんでおり、その後ノーマンは一部シグニファイアと別名を立てて細分化して使用することとなった。)人間工学方面ならびに一般へ普及させたノーマン。
 『来のモノのデザイン』p.30~では、チャールズ・ストロスのSFッチェレランド』(既読。本じたいはぼくの本棚には無い。気づいたら絶版・古書高騰してしまったので……)登場する自律運転スーツケースのハイテクぶりを話題にしていて、ここでの主な話題は、劇中スーツケースの「持ち主に付き従い歩く」という機能のハイテクぶり(複雑さ/「実現するにはめっちゃ大変じゃね?」という話)についてなのですが、持ち主の生体指紋と電子指紋を記憶していること・盗難の心配もないのだろうことにも触れておりまして。

 スーツケースの中身を端子さして確認したり、持ち主の荷物を万引きされないように見張ったりする、『ゴジラS.P』のAIペロ2(大学の謎ロボに搭載)は、もしかしてこの辺のノリを何かしら掬ったものだったのかもしれないなぁとも思ったりもしました。

(脚本の円城氏をもちろん『アッチェレ』は読んでいて、ノーマンの著作も1冊は読んでいたと思うけど、『未来のモノ~』を読んでいたかどうかは覚えていない。 サイトで何百ページとめくって確認するのは大変なので、いちど読了本を吸い上げて、ひとつのデータで一括管理しておくと良いんだろうな)

(問題はぼくに吸い出せる知恵も知識もないことなのだが……。
 そういう人にとっては結局泥臭く人力でいちいち確認するほうが速い。というかそれしかやりようがない)

 

  短編を読む(感想はまた別の記事で)

 短編を読めました。感想も書けたので、他の感想文がおわったらそのうちアップします。おなじ作者の作品を数作読めたことになりますが、合う合わないはあれどもどれも出来がよく、一作一作雰囲気がちがって楽しかったです。{個人的には(かぐプラ落選とはいえ)最新作である掌編の語り口がおもしろかったのだが、作家名義ではなく個人アカ名義でだしたものに触れるのはどうだろうというためらいがある}

  ただほかのかたの感想を検索したら、この辺の議論が関係しているのではないか~というようなお話もされていて、作家の読書メーターをあさったらいくつか関連してそうな読了スタンプを見つけたので、そのへんも読んでおいたほうが良いかとポチり申した。

 いったんは書いた感想文も書きなおす必要があるかもわからん。

 

 ■ネット徘徊■見たもの■

  vtuberたねいちおえかき』リアタイ視聴しました

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  えにから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじ。そのなかで、にじさんじseedsという三期生相当の枠組みでデビューされたかたがたが活動3周年をむかえました。そんなわけで現在活動されているseeds出身ライバーさんが一堂に会し、お絵描き伝言ゲーム『Gartic PHONE』を実況プレイコラボされていました。

 前回みんなで集まったのは、seeds出身・出雲霞さんが卒業される少し前の料理オフコラボ。

 ゲームプレイまえの自己紹介から、延っ々ひとつのネタをこすりつづける、なつかしいダルがらみが拝めて、あったかい気持ちになりつつも、ちょっと切なくなっちゃいましたね。(自律神経がみだれている)

 ゲーム本編も、その温度がそのままでニコニコしました。

 さまざまな配信者がプレイしている『Gartic PHONE』ですが、配信者とそのリスナー多数という布陣になりがちです。今回はみんな配信者。へんなお題や絵がまわってきた他参加者の声がそのまま聞こえる、ワチャワチャとたのしくにぎやかな配信になっていました。

 

 

0624(木)

 宿直日だった気がする。

 ■読みもの■

  短編を数編読む(感想はまた別の記事で)

 短編を数編読めました。感想も書けたので、他の感想文がおわったらそのうちアップします。 

 

 

0625(金)

 宿直明け日だった気がする。

 げんきにすごしました。

 ■ネット徘徊■観たもの■

  vtuber『┈Gartic Phone┈リスナーと、以 心 伝 心。【にじさんじ/魔使マオ】』観ました。

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  えにから社の運営するvtuber団体にじさんじに所属する魔使マオさんがお絵描き伝言ゲーム『GarticPHONE』を実況プレイされていたので観ました(途中まで)。

 高校時代からの友人A氏が推しているライバーさんです。

 なかなか当たり回でした。

「魔使リスナー、精鋭ぞろいだな……」と感心しました。

 先日の『たねいちおえかき』コラボでもそうだったように、参加者が全員ライバーでも大喜利へいく流れはあんまり無いんですね。

 この配信は大喜利に行ってるのが楽しいし、だからといってウケに走りすぎて「そうはならんやろ……」と白けてしまうようなクサすぎる飛躍がないラインに収まってるのが本当にえらい。

 

 

0626(土)

 ■ネット徘徊■見たもの■

  ネス氏のダンス動画を漁る;ダンスで別々の歌をたばねて物語ること

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 あきばっか~のなどの即興(フリースタイル)は見ていたけれど、出し物としてのアニソンダンスを観ていなかったので漁って楽しんでおります。

 大会でーパーウルトラハイパーミラクルロマンティック』に当たってフロアを大熱狂させていたタットダンスの超絶技巧、ネスさんのものを何個か見ました。

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 18年10月にひらかれた【Crack Up Mind 10th anniversary】というイベントではとにもかくにも美しい2:42ンドア系ならトラックメイカー』のあとにほぼ〆の曲として4:50スタルジックレインフォール』を披露されていたのですが、同年6月の別イベント【Charavan VOL.2】でも同じ曲をほぼおなじ振りつけで、しかし中間の第二曲として踊られていまして。

「編成の妙ってあるのだなぁ」とびっくりしました。

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 5:14「♪ふれさせて~」の歌詞ハメ長座体前屈をするも手が足に触れられない……という振付をしたり、6:19「♪この瞬間まよわない 傘はいらない」の歌詞ハメで傘を足で折り蹴り投げ捨てる振付をしたりするのは、どちらのイベントでも共通。

 ダサい所作をキレッキレでやる、キレッキレだけど間が抜けている。そういうオタクらしさを抜かさないネスさんらしいムーブであります。

 ……どちらのイベントでもそれらの振り付けは共通しているのですが、それらが【Charavan VOL.2】ではただのギャグで終わらず、つづく〆の曲3:00『メルト』と響き合うような前奏になっている。

 【CharavanVOL.2】版『メルト』は、前奏がおわって歌われるのは1番の歌詞「♪あさ目が覚めて」ではない。2番「♪天気予報が ウソをついた 土砂降りの雨が降る」3:13~から入る。

 舞台袖から逃げるようにしてステージへ再登場したネスは、服についた雨粒をそそくさと掃い、折り畳み傘を出して開こうとするが、がっくりうなだれる。

 『ノスタルジックレインフォール』で傘を投げ捨ててしまったからだ。

 そうして雨に打たれるネスに対して、「♪"しょうがないから入ってやる"なんて隣にいる 君が笑う」という歌詞どおりにもう一人のネスが現れ『メルト』の踊りはつづいていく。そのまま2番が歌われていって、サビでまた「おおっ!」となる。

4:12「♪手を伸ばせば届く距離 どうしよう……!

 想いよ届 君に」

 サビで披露するのは、ネス氏が得意とするタットの超絶技巧ではなくて、たんなる長座体前屈なのだ。

 でもそれが、やけに感動してしまう。

 『ノスタルジックレインフォール』で披露した際は届かなかったのに、次の『メルト』のこの場面では足にしっかり届いた(振付がでてきた)からです。

 独立した曲をつなぎあわせて、そこへ独自の振り付けをつけ、ひとつの物語にしてしまう。そういう味付けもあるのだなぁとほれぼれしました。

 

  『【VTuber最強運動会】ここが優勝者枠…ってコト!?【Play On Challenge】』リアタイ視聴しました。

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 『Google Play | 最強ゲーム配信者決定戦』 、それにえにから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじの面々が参加しており、月ノ美兎委員長の枠を観ました。

 参加者と大会進行がべつべつの配信スペースにいて、進行のかたがたが参加者用スペースへ♪ピンポンパンポンとアナウンスを出して、主催者のメイン配信会場へ誘導していて、他参加者が「いってらっしゃい」とワチャワチャ送り出していて、じつに運動会っぽくて良かったです。

 

0627(日)

 勤務日で宿直日。

 

0628(月)

 ■考えもの■

  週刊少年ジャンプ巻末でついに伴名練著者近影がうつされる

 『週刊少年ジャンプ』巻末企画に、なんと伴名練氏が登場したのだとか!

 すごいですね。

 インターネットの皆様の反応が、「SFの妖怪だ……」「SF怪人だ……」などなど不審者出没情報の質感でかわいそう。「2010年代、世界で最もSFを愛した作家(@塩澤快浩SFマガジン編集長)」のFF10くらいさわやかなイメージが2年のあいだにどうしてこうなってしまったの……。(もう2年も経つの!?)

 

 もちろん御本人の異様な熱意とフットワークがあってこそだし、『小説すばる』への寄稿などの縁があってこそなんでしょうけど、それはそれとして「このジャンルのキュレーターといえばこの人!」という存在として伴名氏が確立したのは、界隈では名の知られたオーサーズ・オーサーながらも単著は1冊こっきりの作家を「世界で最もSFを愛した作家」と謳ってみせたからこそだと思うので、編集さんのお仕事ってなんかすごいなと思うわけです。

 「こわいな」が正しい。

 

***

 

『淫獄団地』で悩める変態人妻のもとへぬるっと現れぬるっと消え、変態人妻と関連する欲望を具現化させるリビドークロスをさずけていく神出鬼没の謎の変態人妻

vs

週刊少年ジャンプ』で悩める編集部のもとへスッと現れスッと消え、ジャンプ漫画と関連するオススメSF集をおさめたUSBをさずけていく神出鬼没の謎の人影

 

***

 

 上ほどひどいこと言っているかたはいませんでした。インターネットは案外治安がよいですね。

 

***

 

 レペゼンSFとして邁進、活動エリアを拡大しつづけておられるな伴名先生……。

「レペゼンてのはな、地元に籠って東京の悪口を言うことじゃねえ。どこに出しても恥ずかしくねぇ どこに行ってもSFをレペゼン」という感じだ。

(でもその「どこ」が『コミック百合姫』表紙とか、『週刊少年ジャンプ』巻末とかなのは、素朴に異様だと思う)

 

***

 

 『本の雑誌』あたりの連載企画としてですね、

およそありえない無理難題をなげつける読者vsどんなお題でもそれに当てはまるSFを絶対に見つけてこられる伴名練先生

 という、ビブリオマニア向け『ほこ×たて』とか読んでみたくないですか? ぼくは読みたいですよ。

(最終回はついに伴名先生が該当作を見つけられないんですが、しかし、「○月×日発売の『△△』という小説がこれに該当する作品です」とみずから新作を書き下ろし、掲載告知をして終わるという、感動的な痛み分けENDをむかえる)

 

***

 

男性である自分が、女性主人公を書くことが増えてきたのも、年齢の高い主人公をあまり書かないのも、作者自身から遠い主人公に決断を託したい、マッチョイズムを少しでも減殺したいという意図もあるように思います。

   RealSoundブック、『伴名練が語る、SFと現実社会の関係性 「大きな出来事や変化は、フィクションに後から必ず反映される」』(太字強調は引用者による)

男性作家ながら女性キャラクターをメインに据えた物語を多く書くことについて、自分自身が書きたいものを書いているのだから、「気持ち悪い」と言われることがあろうと気にしていないという点については、私も同じです。ただその一方で、後ろめたさを感じることもあります。私が多大な影響を受けている吉屋信子花物語』シリーズは、初期の作品では女性同士の憧れや思慕といった感情が暖かく描かれますが、後期の作品には、男性上位社会における抑圧によって女性たちの関係性が損なわれていく、という胸の痛くなる内容のものも目立ってきて、明確にフェミニズムの文脈でも評価されるべき作品が含まれてきます。そういった作品に思いを馳せるたびに、男性作家である自分が女性同士の関係性を描くことについて、ある種の略奪、倒錯した暴力と捉えられるのではないかという不安が浮かびます。

   note、Hayakawa Books & Magazines(β)『【往復書簡】伴名練&陸秋槎。SFとミステリ、文芸ジャンルの継承と未来について』(太字強調は引用者による)

 メディアでハッキリ断言された自己言及はこのあたりになりますかね?

(他者からの言及があったかは覚えがありませんし、また、19年近辺の記事いくつか読んだだけなので、その前後でなされたものについてはわかりませんが……)

*1:岩波書店刊(岩波現代文庫)、川本三郎今ひとたびの戦後映画』p.80「ゴジラはなぜ「暗い」のか」より。

*2:筑摩書房刊(ちくま文庫)、香山滋著『ゴジラ』p.259「トーク&エッセイ」、探偵作家の座談会 科学空想映画「ゴジラ」を観て 城昌幸渡辺啓助高木彬光香山滋より。

*3:ネトフリ字幕の弊害よなぁ

*4:無神経という意味でのナイーブ。