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だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

たしかに地に足をつける充実の細部;『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第2話感想

 高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』の第2話「なつおにまつり」の感想です。

 第2話のおはなしというよりも、すっごく個人的な癖(ヘキ)についてのお話が主です。適当につまみ食いしてる半端者のおれにとっての真実の歴史なので、正しい知見をお求めのかたはきちんとした映画研究怪獣特撮研究アニメ研究をあたって下さいませ。

 2万2千字くらい。本題は書き終わったのでアップします。{落穂ひろい的な余談を追記するかも(体重書いてないのは『巨大翼竜は飛べたのか』の読了歴が活かされてるのかな? とか。なので飛んでカメラが垂直にティルトアップしたときは普通にビビったとか)}

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

約言

 2話あらすじ;

「暫(しぃばぁら)くぅ~! 遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ……

 ……体は鋼、頭脳は電子。泣く子も黙る、黙る子も泣く!

 ジェットジャガーたぁコイツのことだ!! ユン走れぇ! その子を連れて早く!」

 七夕祭りの駅前広場へ不時着し雄叫ぶ翼竜に、奇人手製の鉄の巨人が立ち向かう。

ラドン♪ ラドン♪ 電波怪獣♪」

 死者ゼロに終わった翼竜さわぎは翌日新聞やワイドショー電車の中吊り広告をにぎわし、くたびれた街に活気をもたらす。翼竜と問答無用で闘った鉄の巨人と奇人の奇人ぶりは世間の批判と好奇に晒され、鉄の巨人とその製作者たちは工場のシャッターを閉める。

おやっさんの勘は当たるからなぁ」

 そして工場のなかで粛々と事態を振り返り、改修をし発明をし、入院中の奇人が託した文献から将来を見据える。

「……それ報告書にまとめてくれる?」

 ミサキオク電波観測所の地下で恐竜の骨をみた新人局員佐藤は、上司に連絡を入れるがまじめに聞いてもらえず、ひとり記録庫をあさってその経緯を探る。

「投稿したあなたの論文に、李博士という方からメールが届いています」

 ミサキオクの怪信号に立ち会った院生は、怪信号経由で偶然たずねた奇人の工場の公式ホームページからDLしたAIが勝手にまとめた上にプレプリントサーバーへアップした論文を読んだ異国の博士からアポイントを受け、東京へ向かう。

「退院はまださきじゃ?」

「馬鹿野郎! そんなにいつまでも寝てられるかって!」

 奇人が治療を勝手にきりあげ工場へ帰還した一方、赤潮の海では地獄の蓋がひらこうとしていた……まて次回!

 

 記述;

 1話~2話前半の(会話のなかに、アニメの観客が知ってるはずなく困惑してしまう、地元定食屋の固有名詞がぽんぽんノーモーションで出されるような)せまく私的な内輪のもぞもぞとした展開が、ポンと加速度的にはじけ開けていくコントラストがすさまじい。

 前回にも増してセリフ量はすごいですけど、1話と2話後半とではその意味で全く調子も視点も違えた声だと思いました。

 1話感想で「ない」と言っていた、微スライドや微ズームといったアニメ・ドラマでよくみる絵作りに近づいていた(苦笑)

 内容;

 アクション回と、外部のリアクション回。

 ここ好き;

 巨大なものが動く描写の取捨選択。

 本文で詳述しますが、映画ほど十全でないリソースで「動かす」と決めた細部がぼくの癖(ヘキ)にどんぴしゃでした。

 戦闘のアイデアの多さ。

 戦闘シーンは上映時間的にはけっして長いものではないけれどとにかくアイデアが詰まっていました。

 ジェットジャガーについて、大滝/実機に乗り込み直接操作⇒ユン/パッドで遠隔操作⇒自動操縦……と複数のドクトリンを用意したうえで、各人のJJ(愛機)や怪獣(共同体を脅かす敵)に対する意識のちがいを描いてみせていて素晴らしい。

 内輪の「おままごと」にせず、設定にツッコむ客観的な視点。

 バトルの最後にみせる大滝の一手は、豪快・強引・身もふたもないけど、それゆえ逆説的にこの作品自体の知性を一手に引き受けていてすごかったです。「怪獣とロボットが殴り合うという時点で、真面目な設定なんてあるはずがない。カイジュウが攻めてきたんである。だからロボットに乗って戦うのだという以上のことは無粋である。」というロマン*1と現実*2との綱引きをここに見ました。

 主役の意志やがんばりに忖度せずキッチリ刻まれる時間。

 「残り77秒」などなどの劇中表示は、上映時間的な経過秒数とほぼピッタリ同期していました。主役が漫画映画らしく元気にほがらかに動こうと、その裏で世界はただただキッチリカッチリ進んでいる……そういう人間中心でない世界観が好きなひとにはたまらない作劇。

 

感想本文

 たしかに地に足つける充実の細部

 世界には2種類の映像作品がありますね。

 車のバックミラーに飾りをぶらさげる作品とさげない作品です。

 『ゴジラS.P』は前者の作品でしたね。

 

 現代社会において車は必要不可欠なもので、フィクションの世界においても移動の手段に使われたり、アクションの手段として使われたり、被破壊対象(リアクション)の手段として使われたり大活躍です。ただ無数に出番があるわりには(/だからこそ?)結構あつかいのむずかしい代物だという話もありますし、ぼくも車という小道具を見ていると実際きびしい思いをかかえることがあります。

 さまざまな素材から成る世界のなかでも、特に3DCGの世界を見る目はきびしくなりがち。{舞台裏の作業の実際の大変さはなんも知らないくせして(/知らないからこそ?)}「いくつでも複製できるんでしょ?」「1枚1枚手で描いてるわけじゃないから動かすのも楽なんでしょ?」「これ昔つくったやつを再利用じゃね……?」みたいなことが頭をよぎって勝手にシラけてしまったりする。

 だから、第一話で翼竜が泊まった屋上広告塔のたたずまいなんかを拝ませてもらったさいには、「これは!」と前傾姿勢でモニタにかぶりついちゃいました。

 

  1話の屋上広告塔のすばらしさ。くたびれた町の顔

 長方形の板を張り合わせた円柱の頭に、シャンプーハットみたいな鉄網の電飾部をのせた3DCGのオブジェクトの壁面には、「天野酒蔵(? ※現物は「蔵」から「臣」「乂」をぬいたみたいな字。ほかで見かけたことのない、妙なディテールだ)」との印字がさらに付せられ、それぞれのパーツには赤錆のういた鉄だとか、経年のくすみであるとかといった背景美術さんによるだろうウェザリングの利いたテクスチャが貼られている……

 ……都会では決してないけど、ド田舎でももちろんない。ぼくが暮らしているような、うだつの上がらない街で見かけるようなくたびれ具合が、この屋上広告塔には詰まっていました。

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 日本の千葉にあらわれた翼竜が、電線鉄塔がまたぐ山から町へ飛来して、建物の屋上の八木宇田アンテナ(ひしゃげた事後の差分つき背景美術……かと思ったけど、これも3DCGなんだろうか? コマ毎に/翼竜のぶつかった場所ごとに折れ具合が変わってる……)につまずいて制動をあやまり、予備校の四角い看板広告などの陰に沈みつつも翼をバタつかせて少し揚力を取り戻し、なんとか「天野酒蔵(?)」の屋上広告(3DCG)に泊まって、足元を見下ろす。

 眼下の町では、七夕まつりの真っ最中で、駅前の空き地でおこなわれる昼の出し物や出店をもとめてチラホラと居た人々は茫然とそれを見上げていた。

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 翼竜は泊りはしたが広告塔は重みで傾いて――さげた頭にあわせて電飾の影が投影位置をかえていく――土煙をまきあげ、そのままビルから落下し、翼竜ごと地面に激突する。おなじ地平に立つこととなった祭りの人びとは、急展開に血相を変え逃げ出して、浴衣姿の少年もそれに連なるが、祭りらしいサンダルによるものか土煙の視界不良のためかコケてしまう。

 「おいユン!」

 オオタキファクトリー社長・大滝吾郎の呼びかけも無視してトラックの荷台から跳びおりた同社員・有川ユンは、こどもをたすけに土煙のなかを走る。

 両脇に手を添え子どもを立たせたところ、煙のむこうから翼竜が現れ吠える……というところまで描かれた1話。そのつづきが2話で描かれていきます。

 

  (脱線)1話同様になめらかな2話最初の場面つなぎ 

 一息に語ることはできず週をへだてた別放送回で再開しなくてはならないという、公開媒体上どうしても挟まざるを得ない区切りを活かし、第二話「なつおにまつり」は渦中の町ではなく、へんぴな遠方にあるミサキオク電波観測所からその町へとバイクで帰る途中のオオタキファクトリーの別社員・加藤侍(ハベル)とその旧友の院生・神野銘(メイ)の会話からエピソードを始めます。(1話終盤でしていた、メイがしらべている幻想生物研究の話題のつづき)

 メイの言う幻想生物研究の定義をめぐって掘下げをしつつも、議論は屁理屈のような展開をみせてトボけた沈黙がおりふたりの乗るバイクが画面右から左へ流れていく周囲の木々に隠れたところで。

 粉塵たちこめる町の駅前の広場で目をみひらく白髪の若者ユンと、おなじく目をみひらき更には呼吸を荒くする浴衣姿の少年の姿へと切り替わります。息をあらげる少年の口元をユンはおさえるも、時すでにおそし翼竜ふたりの存在に気づいており、画面右から左へ彼らに覆いかぶさるみたく頭をちかづけていきます

  前回とおなじく綺麗な場面つなぎ前回の感想で結構はなしたので詳しくはそちらをご参照ください!)翼竜が町に降り立ってしまった続きが描かれていきます。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 

   ▽2話の主な被破壊物は車

 第2話前半では、翼竜による日常の破壊や、町工場の奇人がつくった巨大メカとの格闘がえがかれます。翼竜の暴力(アクション)にたいするメカの被破壊描写(リアクション)を除くと、被破壊オブジェクトとしては車がめっぽう多い。

 すくなくともこの第二話においては、(この作品のこの舞台設定・この時間設定が独自にもちこんだ事物である)出店や縁日のステージ、神輿などが壊れたり、提灯をぶらさげた電線が絡んだり揺れたりするようなことはありませんでした。そうしたハード面はともかく、もっとソフトな固有の細部を――たとえばこどもが綿菓子片手に走ってつまずいて、割り箸が目やらに刺さるとかを――期待する御仁にも応えられる描写はまだない。

 前述のような性格のぼくはシラけてもおかしくないわけですが、さてこのシーンをどう観たか?

 大立ち回りにニチャニチャ気持ち悪いオタクスマイルを浮かべたり、手に汗握ったり、うわぁ……と目をほそめたり、べちゃついた手のひらを強く握りしめたりしました。最高っすよ最高。

 この巨大生物/メカとその大きな力に振り回される対象物としての車の関係は、素朴にすばらしい。予算と製作時間とマンパワーに限りのある日本の/TVアニメらしさ*3はすでに垣間見えますが*4魅せるところを魅せ、流せる部分は流し、それはそれとしてだれも気にしない部分でもたまになぜだか凝る。そうして、非実在物がぼくらと同じ地平でたしかに戦っている」と感じて余りある、よくわからん雑味厚みをうみだしています。

 

   (▽補助線;だからぼくらは近い将来トム・クルーズの事故死を悲しむ)

 さていったい車のなにが難しいのさ?

 実用品として洗練されすぎているんですよね。

 遅刻遅刻と30km/h道路をちょっと急いで、ふと速度計をみたら60km/h出てしまったりする。世界記録保持者のランナーがどれだけ手足を振ろうと競輪選手がどれだけケイデンスを回そうと出ない速度を無意識のうちに出せてしまう。

 でも上の三者をパシャリと写真におさめたときに、どれがいちばん躍動感あるかって言ったらランナーになってしまう。

 運動エネルギーの塊でありながらも、その車内にいるひとはシートにすわってアクセル踏んでハンドル握ってるだけで身体的な動きのほぼほぼ無いという安全性の塊でもある車などの乗り物は、静止画でははたして進んでいるのか止まっているのか見当がつかない、不思議な代物でもあります。

主観的に静止しつつも客観的には移動し、あるいは主観的に移動しつつも客観的には静止する

内‐外の<速度>の落差をその原理とする空間

   角川書店刊、『METHODS 押井守・「パトレイバー2」演出ノート』p.4

 動警察パトレイバー 2 the Movie』劇中に登場する自動車車内や戦闘機内、人型ロボット内など、さまざまな登場する「コクピット」について、監督の押井守さんがそう語ったりもしましたね。

 

 だからたぶん、乗り物を駆るもようを躍動感ある画としてえがこうとすると、ギアチェンジをしてみたり急ハンドルを切ってみたり、ペダルの踏みかえをしてみたりといった手さばき足さばきを描いたり。速度メーターがギュインと上がったり、車内のエンジンがブォオオン! と動いたりするさまを描いてみたり、アスファルトに接するタイヤが急制動で煙やタイヤ滓や火花を上げタイヤ痕を引くところを映してみたり。

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「シートベルトは?」

「聞くのが遅い!」

   クリストファー・マッカリー監督『ミッション・インポッシブル:ローグネイション』1:16:09~、凄腕スパイであるイーサン・ハント(演;トム・クルーズ)と同僚のデスクワークスパイであるベンジー(演;サイモン・ペッグ)の会話

 凄腕スパイのトム・クルーズの運転する車に助手席へデスクワークの同僚スパイを乗せて、かれにトムのハンドル捌きと暴走に慌てふためかせたり*5、シートベルトを締めてもガクンガクンと首振り人形みたく頭を震えさせたり。未来の飛行機に謎の美女と相席させた未来整備士*6トム・クルーズが曲芸飛行をして、彼女が遠心力に身体をもってかれて気が遠くなるさまを描いたりするんでしょう*7

 実用性・安全性の面から排除された雑味を、画面に加味することでその運動エネルギーを描く

 

 人間だと「どうせパントマイムでやっているんでしょ」という余地がのこってしまうので、個人の意思ではどうにもならない物を配して、乗り物の動きと絡めたりするのでしょう。

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 未来かがやかしき19世紀ランドラッシュを馬で駆って進むトム・クルーズのかぶる帽子が、風で後方へ飛んでいったり*8。1970~80年代中南米をCIAや麻薬カルテルの指図により飛行機で進むトム・クルーズの乗るコクピットにぶらさげられた十字架の首飾りがふるえたり*9。凄腕スパイのトム・クルーズがバイクをノーヘルにシャツで走って、髪と衣服の裾をたなびかせたり*10、荒廃した未来の地球を未来整備士トム・クルーズが未来バイクをノーヘルで走って、やっぱり髪をたなびかせたり*11、未来飛行機のコクピットにやっぱり人形(ボブルヘッド)を置いて(その頭を)ふるわせたり。

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 退役軍人の流浪の者のトム・クルーズの走る車が、都市の人工灯を車窓や車体に反射させて流れ星のように瞬かせていったり、クッションドラムにぶつかって水柱をあげさせたり*12。近未来の街灯などひとつもない戦時下の都市で地球の存亡をかけて闘うトム・クルーズが、軍用ティルトローター機を水辺で低空飛行させ、コクピットの窓に無数の水滴をつけ流跡の描線を引かせて行ったり、*13。凄腕スパイのトム・クルーズの駆るヘリが、先行する悪のスパイの駆るヘリによってまきあげられた雪煙をかぶったりすることとなるのでしょう*14

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 窓ガラスを割ったりなどして車内に風を舞いこませるのも手でしょうか。

 上述したヘリもそうして室内に無数の雪を舞いこませその運動エネルギーを可視化して描きました*15

 最初から外気にさらされてしまうのもナカナカです。

 航空機の壁にしがみついて、髪やスーツどころか手以外の全身を浮かせた(前述ヘリに乗るよりもう少し若い時分の)凄腕スパイのトム・クルーズ*16、上でも言ったティルトローター機の外縁席に移動して、水平方向へ跳んでいく水飛沫を自らかぶりながら未来重火器を連射したり、戦況の悪化により腕一本以外を外にほうりだすこととなり、水面に叩かれながら追従した未来軍人トム・クルーズ*17、あるいは侵略者から逃れるべく自動車へ籠ったものの車ごと火星人のメカによって持ち上げられひっくり返されたために車内でドラム洗濯機みたいに車のキーアクセや車内のカバンなどともに転がされた青襟労働者トム・クルーズ*18や、テロリストからの攻撃をうけて運転手が死に急ハンドルが切られ川へと落下したがために車内でドラム洗濯機みたいに転がされた(航空機にしがみつくよりもう少し若い時分の)凄腕スパイのトム・クルーズ*19は、その身でもって乗り物の動きの暴力性をしめしてくれました。

 

 そうすることでようやくぼくたちは、そのうちトム・クルーズは事故死してしまうんだろうなという直感をいだくに至れるわけですね。(死なないでトム様……*20

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「ベルトを」

「?」

「ベルトだ」

「Ah Si」

   ハワード・ホークス監督『コンドル』1:02:36~

 伝説的な映画監督ハワード・ホークス氏の作品はじっさいとんでもない大傑作で、ンドル』(’’39)軍/エア・フォース』('43)などを観るといま言ったような運動エネルギーを可視化するすべはだいたいWW2終結まえには出そろっていたんだなとビックリしてしまいます。

 凸凹のことごとくに水溜りのできた滑走路を飛行機がすすんで、コクピットへ高速の波飛沫を叩きつけられながら離陸する躍動感。窓をつきやぶった鳥(バードストライクによって流星群みたく機内へ流入し役者を叩く鳥の羽々。

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「飛行機という、巨大で重たい物が空を飛ぶとはどういうことか? これほどパワフルなダイナミズムを描き出した作品はないなぁ!」

 ホークス監督作のすごさは「"巨人の肩の上に乗る"という言い回しがあるけれど、乗るだけでも困難だよな……」なんて現代の映画の作り手さんたちに同情がわいてしまうほどですが、

「偉大な先行作があるなかでトム・クルーズ氏のかかわる映画が、そうした巨人の肩のうえに乗れている一つは、役者本人がそうした乗り物の暴力的なエネルギーへ身をもって晒されることによって達成されている部分にあるのだろうな……」

 としみじみ恐々おもいます。*21

 巨人の肩に乗るためのもう一手として、役者と乗り物の運動エネルギー可視化物との画面内配置があるのかもしれないなと思います。

 ただ色々なものを舞台に持ち込んでも映画が充実するかはわからないわけですよね。たとえば運転手のバストショットを撮りたいとき、足元は映らない。後席だってあやしい。カメラに映せる範囲はかぎられている。いかな天才ハワード・ホークス監督といえど軍/エア・フォース』の無事離陸できた飛行機のなかパイロットの膝上・操縦桿にぶら下げられた(息子からのお守りである)人形が嬉しそうに跳ね震えるさまは、カットを割らないと映せませんでした。

 そういったわけでトップガン時代の若きトム・クルーズの顔のアップにはマスクの吸気ホースのぶるぶると震えるさまが同一画面上におさめられ*22

youtu.be

NASCARレーサー時代の若きトム・クルーズの顔のアップには壁のネットのぶるぶると震えるさまが同一画面上におさめられる*23

www.youtube.com

 前述したとおり、ブリビオン』は未来の飛行機を全面ガラス張りでデザインすることで、トム・クルーズの顔と飛行の運動エネルギーで揺れるボブルヘッドとを同一画面上にとらえてみせるし、リー・シール/アメリカをはめた男』コクピットの上方に十字架をぶら下げて、中南米の密林にぶつかりながらなんとか飛び立った飛行機をあやつるトム・クルーズの顔とその飛行の乱れ具合や、住宅街の道路に飛行機をトム・クルーズが不時着させるという信じがたい光景をひとつの画面におさめてみせます。

 

 カメラに映せる範囲はかぎられている。だから映画の車は、バックミラーに飾り物をぶら下げる。……いやぶら下げない? 「確実にこだわっている」と確証や確信をもてるレベルになると、けっこう数がかぎられていく気がします。*24

 

   (▽補助線;無いものが「確かにある」と感じられる表現について)

 つまり"無い"ものが「確かにある」と感じられる表現をめぐるお話をぼくは今しています。

 ある種の創作はたぶんそうしたものの膨大な集積で、ぼくが(もしやあなたも)何気なく流し見した(り「またやるのか」とチャンネルを変えた)ゴールデンタイムの映画番組枠でおなじものファミリー映画にだって、意外なほどの想像力がはたらいています。

「ティムは博士を尊敬してるんだ 映画ファンにとっての―― トム・クルーズみたいな存在さ あるいはサム・ニールとかね」

    『「ジュラシック・パーク」3部作の軌跡:新時代の幕開け』16:16~、スティーブン・スピルバーグ監督によるティム役ジョゼフ・マゼロ氏への演技指導(『ジュラシック・パーク』映像特典より)

 ティム少年役のジョゼフ・マゼロ氏へそう演技指導するなどして、おでこの広くなってきた中年俳優サム・ニール氏を、現実には"無い"古生物学の星アラン・グラント博士その人として「確かにある」地平に立たせてみせるスティーブン・スピルバーグ監督ュラシック・パーク』は、アラン博士の比ではないほど"無い"ものを――恐竜をありありと今ここの空間に映してみせる映画です。

 この映画のためスタン・ウィンストン氏は実物大の機械仕掛けの人形(アニマトロニクスを多数用意し、さらにはマーク・マクリーリー氏による着ぐるみも、恐竜が全身をカメラに見せて歩いたり走ったりしてみせるシーンではILM社の3DCGもまた用いられました。

 フィル・ティペット氏によるコマ撮りアニメ(ゴー・モーション)のかわりに採用されたILMの3DCGは、コマ撮りアニメという媒体の性質上なかなか表現しにくい表現も――速く動くものの像がブレて見えるモーションブラーやカクつきのないなめらかな動きも――より良く描け、また、恐竜のディテールとしても、「硬い皮膚のしたに血肉を有した存在なのだ」と感じられる生物らしさまでまざまざと作りこめます。背の高い木の葉をたべようと歩みをすすめる首長竜の足が接地するとき、ブルンとふるえる太ももといったらもう!{本編0:20:46~(下リンク先ムービークリップで言う0:58~あたり)}

www.youtube.com

{※ただしアニメーターがそういう工夫をしたという言をぼくは確認できませんでした。(筋肉や皮膚レベルのものをスピルバーグ監督が探していたらしい言はメイキングで聞ける。)

 このシリーズの恐竜がメカニズムとしてきちんと筋肉をモデリングしたうえでその伸縮もシミュレーションされるのは、ジョー・ジョンストン監督ュラシック・パークⅢ』('01)を待たねばなりません。*25

 アニメと実写のプラクティカルな事物との絡みもすばらしかった。

 撮影現場に物理的実体があるアニマトロニクスや模型はともかく、CGの恐竜はどれだけ暴れたって撮影現場になにも影響を与えないはずの代物です。そういった意味でこれを描く勘所として、さきほど話題にした運動エネルギーの可視化――"ない"ものが「確かにある」と感じられる表現につうじるセンスが求められるんじゃないでしょうか?

 『ジュラシック・パーク』を観てみると、21世紀の傑作怪獣映画宙戦争』で役者の口元に蜘蛛の巣を置きソレが呼吸によって揺れることで目に見えることのない心理を可視化してみせたとの旨で作家の伊藤計劃さんが称賛したスピルバーグ監督の才気が93年のこの時点でも発揮されていることに驚かされます。

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 ジュラシックパーク備えつけの車(パーク・カー)を見てみましょう。

 そのダッシュボードの上には、水の入った無色透明プラスチックコップが置かれてあり、バックミラーには職員用セキュリティパスがぶら下げられています。

 そして恐竜が車の周囲を歩いてみると、足を一歩地面へつけるたび、姿は見えないのにコップの水だけが波紋を立て、いよいよ間近にくればバックミラーにさげた職員用セキュリティパスはぶるぶると揺れる(リンク先動画1:50)。CGであるはず/現実には存在しないはずのものが、たしかに地面を空気を震わせている。

 現実の車を運転中に着想を得たスピルバーグ氏が*26、デヴィッド・ローリー氏と共に練ったストーリーボードの時点でしっかりと描かれていた細部。さきほどリンクを張った首長竜の食事シーンでも、2本足立ちした竜が足をおろした次のショットで、やはり目を見開く人物のバストショットと共にバックミラーにさげたセキュリティパスのゆれるさまが映されています(リンク先の動画で1:38~)

 古生物学者ジャック・ホーナー氏をテクニカル・アドバイザーに迎えるも、学説的に古びてしまった部分もあるし、特撮技術だって現在のほうが遥かに優れているはずの『ジュラシック・パーク』がそれでも今なお凄まじいのは、作り手の醸成した実在感・臨場感の賜物でしょう。

 

 それは現代の怪獣・巨大ロボ映画にもたしかに受け継がれている感性で、ローランド・エメリッヒ氏はこの点において世界有数に真摯でした。

 「ゴジラに酷似した巨大生物」「日本の学者は認めてない」*27「やっぱりマグロ食ってるようなのはダメだな」*28などと東宝をはじめ世界中のファンがあいさつ代わりに貶め、『映画秘宝』やGIGAZINEの取材した円城氏の各種インタビューに出てきた東宝とのやり取りから*29すればもしかすると東宝にとって未だに禍根があるのかもしれないエメリッヒ監督『GODZILLA』は、そのつづりにふさわしい荒ぶる神でした。

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 船内で食品加工まで行なえる巨大な日本の漁船「小林丸」が傾いて、船内の一室で寝ている非番の船員が床に転げ落ち、棚の内容物がことごとく落下し、船に穴が開いて船内を津波のような水流がたたいて船員たちを呑み込む。

 アメリカの東海岸沖で集団で漁をする沿岸漁業船は網に何かが引っ掛かり、そのままワイヤーを引っ張られてアームを折られ、それで終わらず曳かれ続けて船員たちは坂道になった甲板を登ったり脇へ跳び降りたりしつつ逃げ、船体ごと海底へと沈んでいく。

 ただ海を動いているだけ。それだけで海に沈まされた数々の船舶が、ニューヨークへ上陸してただ歩みをすすめた巨大な何かによって、指の間の砂や靴下の毛玉が落ちるみたいに、高速道路や都市の真ん中に落下していく。

 世界でこれまで誰も見たことがない、全容の知れない巨大な足。これがアスファルトに接地するたびに、路上の車が紙細工のようにつぶされて、歪んだ拍子にトランクがひらくなどの(オモチャではないのだと鑑賞者にシッカリ感じさせる)確かで豊かなディテールを携えた被破壊(リアクション)を取り、直接はぶつかっていない遠くの車もぶるぶるとバウンドし、通りの建物のなかに入れば吊り照明が揺れて明滅し、地からその足が離れれば、巨大ななにかが動く当然として巨大な気流がうまれて、白い紙の束が粉雪のように横へ舞い飛ぶ。

 巨大ななにかがたわむれにトラックを咥えてみれば、牙で壁に穴があけられ車体は傾き荷台のなかでは積み荷と作業員がことごとく転がり落ち、ヘッドフォンをつけ音楽に浸っていた運転手が事態に気づいたときには、車窓には魚市場の壁じゃなくて屋根や大地やじぶんたちを見上げる人が小さく映って、地をむいた助手席側へ物々が重力にしたがい転がり落ちて、落ちた拍子に助手席ドアは開いてプラプラと垂れ、運転手も重力方向/助手席の外へ吸い込まれそうなところをハンドルにしがみついてぶら下がり、なんとか持ちこたえる。

 車のフロントガラス上にはガラス球のアクセサリーが、ハンドルへ挿したキーにはアクセサリーがそれぞれぶら下がっていて、車体の傾きにあわせてそれもまた揺れている。そんなさまを一つの画面におさめてみせる。でもそんな運転手の抵抗もむなしく……

 ……『GODZILLA』が暴威をふるった十数年後につくられたハリウッド映画シフィック・リム』の怪獣もまた乗り物の窓に吊るされた十字架飾りをこれでもかと揺らして漁船を港町を襲ってみせます。

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 雨風が窓を叩く嵐のアラスカ沖で一獲千金にはげむ漁船。その船窓を往復して健気に水を掃うワイパーよりも激しく十字架飾りが揺れた向こうの闇では、海が甲板やその窓に(もはや飛沫・白波の域をこえた)多量で重量ある波を叩きつけながらふくれあがって、巨大ななにかが現れる。

「このシーンで考慮すべきなのは――ボートが揺れていることだ カメラの動きにも――戦いの影響が感じられるほうがいい 前景で波が砕けたりね」

   『大迫力の視覚効果が生まれるまで』11:24~、ギレルモ・デルトロ監督の言(『パシフィック・リム』映像特典より)

 暗い山のような巨大ななにかに瞠目・唖然とする船員らを巨大な光が照らしだし、光の主は船を掬って脇へ移す。持ち上げられた船の甲板上で米粒大のひとびとが慣性で倒れこむ姿もまたとらえられる。

 人類は怪獣にたちむかうべく巨人型ロボを建造したのだ!!

怪獣とロボットが殴り合うという時点で、真面目な設定なんてあるはずがない。カイジュウが攻めてきたんである。だからロボットに乗って戦うのだという以上のことは無粋である。

   産経WEST掲載、円城塔『カイジュー映画、日本襲来』(【円城塔のぶらりぽろり旅】)

 ギレルモ・デルトロ監督らは、われわれぼんくらオタクの「こまけぇことはいいんだよ! 5000兆点!!」というどんぶり勘定や良識をそなえ粋をたしなむ知識人(『ゴジラS.P』シリーズ構成・SF考証・脚本の円城氏とか)の寛容に甘えることなく、正気でないありえないアホな設定を地に足つけさせるべくフォトリアルな筆力ともっともらしい想像力をどこまでもはしらせます。

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「破片の1つが軽そうに跳ねたり―― もやが不自然にかかってたりしたらダメだ 周りの環境から演出を徹底しないと――巨大怪獣の迫力は出ないからね」

   『サイズの重要性』5:20~、ギレルモ・デルトロ監督の言(『パシフィック・リム』映像特典より)

 空間という空間を大量の波飛沫や雨や気泡やプランクトンで満たし、濡れた鋼の巨体に色とりどりの光が照り返しているとおり周囲には無数の光源が配置され、ライトをつけたまんまの車が街灯が建物の灯りがネオン看板が航空障害灯がヘリのサーチライトが文明という文明のことごとくが霧雨をてらし光線をのばす。

 そうして光の粒として可視化された空気は怪獣やメカの動きに合わせて渦を巻き、はがねの巨人の進行にひっかかって滑る車は、ただ車体がひしゃげたりアスファルトと擦れて火花をあげるだけでなく、盗難防止用サイレンを鳴らしたり(それだけなら『GODZILLA』でも聞こえた演出ですが)さらにはランプを明滅させたりと、ガワの内部にさまざまなメカニズムを収めた車らしい車の一面を覗かせる。

www.youtube.com

 実写のプラクティカルな描写もぬかりなく、3DCGの怪獣の歩みにあわせて、実写のセットへできた水溜りに波紋が立ち、少女が隠れるダストボックスが震えたりもする。

 そして『ジュラシック・パーク』の恐竜よりはるかに巨大な怪獣の出てくる作品らしく、沈黙したメカを怪獣が「?」とケモノっぽく何気なく小突いてみれば、こづかれたコクピット内部では火花がまたたき壁面の機械が壊れて跳んで、内部へ収容した配線を曝け出してプラプラ揺らしてみせ。異変の調査のためノーヘルとなったパイロットのうち操縦席のロックをはずした片方が真横へ流れ星みたくスッ飛んで壁に叩きつけられそのまま床へ肩甲骨から落着・頭から血を流してうめき声をあげたりもする……

 ……巨大なものが動くということを、これでもかと描いてみせた『GODZILLA』や『パシフィック・リム』はとんでもない目と耳のごちそうですけど、しかしあれらが自由にできたリソースは、日本の映画興行とは文字どおり桁違いに異なるわけで、こちらで"無い"ものを「たしかにある」よう描くためには、多分べつの戦略がもとめられるのかなぁと素人ながら思います。

 

 デルトロ監督が『パシフィック・リム』で献辞をささげた*30モンスターマスターのひとり本多猪四郎監督らにより始まった『ゴジラ』シリーズ、目下その実写邦画界での最新作である庵野秀明総監督ン・ゴジラもまた素晴らしかった。

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 広く浅くなってしまうよりは「狭く濃く」を目指したんだろうなという印象で、前半と後半、2度だけ(冒頭のアクアライン内と中盤の自衛隊テントも含めて4度ととらえたってよいですが)ある被破壊物の室内ショットは、どちらも建物が暴力をうけて地面レベルで傾斜しその中にある者も物もことごとく転がり落ちる最中を映したもの。

 建物自体はミニチュアながらも、同じく傾斜した床を実際に転がり落ちる役者や小物を合成したり、転がり落ちる事物にGoProを仕込んで撮影されたりしたなかから選び抜かれた光景は、ギョッとする迫力があります。

(冒頭のアクアライン内のショットは、天井から降り注ぐ赤い液体が通路内に満ち、カメラの置かれた車のフロントガラスをぼつぼつと叩きワイパーで拭き取ろうとするも到底ぬぐい切れず、画面が急速に赤く暗くなり車が揺らされデジタル計器の緑の光が線を描き……というもので。

 中盤の自衛隊テントの被破壊描写もやっぱり天井が崩れ落ちるもので、ただ役者の意思でどうにかなるマイムだけに済ませない・カメラを振ってそれでヨシとしない、物レベルの破壊や工夫が描かれています)

 ただまぁ拡大公開系の実写映画とTVシリーズとの間にもやっぱり桁ちがいのリソース差があるわけで、こちらで"無い"ものを「たしかにある」よう描くためには、またまた別の戦略が必要となるのかなぁとも思います。

 

  TVアニメで描きうる存在感とは

 長くなりましたがようやっと『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第二話です。(校長先生のお話かな?)

 ハリウッドよりも邦画特撮よりも邦画劇場アニメよりもはるかに厳しいだろう日本のTVアニメシリーズで、どれだけのことができるんだろう?

 その一つの答えが、オオタキファクトリーの奇人・大滝吾郎が自社でつくった人型ロボ・ジェットジャガーに乗って、名乗り口上をしながら縁日のステージからトラックの荷台へ渡って足踏みして地面に降り立つ1ショットに詰まっています。

 画面右方へ左方へジェットジャガーがつけた足(アクション)に合わせてシーソーのように揺れうごく(リアクションする)オオタキファクトリーの社用トラック。展開されて地に向かって垂れている荷台の側面(アオリ)が揺れているほか、運転席に目を凝らしてみると、バックミラーにはアクセサリがぶらさげられていて、それもまたぶるんぶるんと揺れている(リアクションしている)

 

「長々語っておいてそんなこと?」

 とお思いのかたもいらっしゃるでしょう。

「上の公式ツイートのクリップでは確認できないんだけど?」

 そのとおり。公式広報でさえもそれがわからない程度の画質でお出しするほどどうでもいい細部です。

 でも、だれも見向きもしないような細部まで、見えないものさえ勝手に動いているのが現実というものじゃないですか。いや、ちがうか? そういう5000兆点の膨大な蓄積が映画というものじゃないですか、と言うほうが正しいんでしょうか。

 

 第1話るかなるいえじ」では、鉱石ラジオや電波探知機といった現実にある機構・現象をつうじることで、そうした人間の素の性能では目にも耳にもとらえられないがために気づきもできなかったりする(けれど歴として存在している)微妙なレイヤーで、怪獣という"無い"ものが「たしかに動いているらしい」ことを、円城塔さんの?)SF考証力・物語構築能力によってえがいてみせてくれました。

 

 第2話なつおにまつり」は、怪獣あるいは巨人型メカという"無い"ものが、その世界に「確かに立っている」のだということを、映像制作陣の筆力によってえがいてみせてくれた回だったとぼくは思います。

 人間に認知できる範囲はかぎられている。あなたがもっともらしく感じる光景はこれとは違うかもしれませんが、しかし、とりあえず神奈川の片田舎に住む一人がギョッとする程度には、「これだ」と思える程度には複雑で多様な現実が、映画が――度肝ぬかれるハチャメチャな光景がえがかれていました。

 恥ずかしい話ぼくはここからほんとうに涙を流しながらジェットジャガーの奮闘を見守りました。*31

 

 立派な口上を発した大滝のうごかすジェットジャガーラドンへふんわりした動きで(均等割り的な?)拳をふるったり痛がったりする。

「痛てて……よくも!」みたいな大滝のセリフだけ聞くとやられ放題な印象だけど、実際の映像を見るとむしろそのショットではジェットジャガーが殴り勝っていて、ダメージを受けているとすれば攻撃するたびに自爆ダメージを負っているということになる(笑) 第1話の口では友人の二週間後にたべる料理の予言をし、身体は怪音楽の出所を探しているシーンなどとおなじく、言ってることとやってることが重ならず、複数のレイヤーが進行している、たのしい目と耳のごちそうだ}

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「花魁(おいらん)、そりゃ~あんまりなかろうぜ

   高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第2話「まなつおにまつり」3:12~

 一瞬は競り勝っていたジェットジャガーは右腕の関節を翼竜に噛まれ、そのまま引っ張られて引き千切られる。そのさいの装甲のなかの配線がピンと伸びて、弾け切れるさま!

腕が!

   高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第2話「まなつおにまつり」3:19~

 劣勢になった大滝がそれでもさきほどまでの調子を持ち直して言った、翼竜を花魁に見立てた遊郭利用者のオッサン的なセリフなかろうぜ※)*32が、嘘から出たまこと、袖/腕がまじでなくなる展開へスムーズにつながれて――それも花魁に対しての形容だったのに、言った側の腕がなくなるという面白いネジレもありつつ――翼竜が鋼の腕を引き千切る"寄り"の画で装甲内部の赤い配線がこれでもかと伸長させられたのをカッティング・イン・アクションとして、カット頭でピンと張り詰めた赤い糸みたいな配線がジェットジャガーが後退するのにあわせて千切れる"引き"の構図へ切り替えていく……セリフから実態、特徴的な動きから動きへつなげる映像も堅実でたのもしい。

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 片腕となったジェットジャガーが火花を散らしながら広場の土を踏みしめ突進するもラドンに全身を放り投げられてしまう。

 背景美術の建物が(後述の煙によってすぐ隠れてしまって)数コマしか映らないというのにヒビ割れてみせることでインパクトの衝撃をつたえ、3DCG(?)の土煙にがまきあがる前景では、周辺にいた2D手書き作画の市民は逃げ、周囲に泊まっていた車(3DCG)は反対車線の遠方のものまで衝撃で上下にふるえる。そしてそれらの陰で目立たないけど、ジェットジャガーがぶつかった建物もただ背景美術さんの差分が用意されてるだけじゃなくて、木の引き戸(※)が地味に壊れ飛んでる
(※次ショット3:30のジェットジャガーの後ろにあるのと同型の戸が、3:25のタクシーと赤い車のあいだを飛んでいます)

 痛がる大滝の眼前に、土煙の向こうでシルエットとなった怪獣が一瞬で近づいてきて、その極彩色の姿をまたはっきりさせ、鉄網のハッチの奥・大滝の座るコクピットの内部にまで影を落とす。

 そうしてくちばし的なその口で小突いて見せる。見た目こそケモノっぽく鳥類のつつきみたいな親しみがあるけれど、その暴力性はただものではなく、つつくたびに火花が散って鉄網がひしゃげ容赦なく穴が開き、その奥の大滝が血相をどんどん悪くしていく。

 円城塔の博識が活きる、陽気でたのもしい凱歌のようにひびいていた饒舌な大滝の声がこのときばかりは無言となって、それが翼竜のつつきの恐ろしさを倍増させる。

 そうして視聴者(つまりぼく)は第一話からここまでつづいた饒舌の真の機能にギョッとします。あの減らず口は、それが閉口してしまうという事態の異常さをきわだたせるためにあったのだと。劇伴音楽のほがらかなマーチが視聴者(もしやあなた)にとってむなしく響く。

 穴のあいた鉄網ハッチを咥えた翼竜がそれをなんてことない風にポイと放り投げた軽やかさと、宙を舞った鉄網の装甲がアスファルトを火花をはじかせながら跳ね転がってタクシーのフレームを折って窓ガラスを割って大破させる事態の重々しさとがもたらす衝撃。

 

 操縦席のモニタが機体の損壊などをつたえる警告表示で真っ赤に染まり明滅するなか、大滝が苦悶の表情でしかしそれでも先ほど同様の講談めいたセリフ回しとともに――空元気のように――ジェットジャガーで反撃する姿に、観ていておもわず手に力が入るも、グリップの利かなそうな鉄の足がアスファルトの地面を滑って転倒、「ハッチ破損!」「右腕部破損!」などの損壊と一緒にちいさくしかし確かに表示されていた「シートベルトをしてください」のメッセージが予言していたとおりに、倒れ手をつくジェットジャガーの胸のひらけてしまったコクピットから大滝は落下、受け身をとることもできず胸から地面にぶつかり呻き声をあげる姿に、観ているぼくの目はちょっと泳ぎました。痛いぞこれは……。

 

 大滝は顔をあげると画面右から左へおおいかぶさるように顔を近づける翼竜に気づいて、体を起こして逃げ出し、翼竜もまた追いかける。そのさい両者はジェットジャガーに体をぶつけるのですが、この差異がまた良い!

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 大滝が頭をぶつけたときには(このアクション単体がすでに初の急場における動転という具合ですばらしいんですけど、それに加えて)微動だにしなかった鋼の巨体が、翼竜(べつに他意なく)たまたま進行路とかちあったため副次的に肩をぶつけたさいには普通にグラリと動いてしまう。それによって伝わる翼竜の運動エネルギーの強大さ!

(またこの際の遠近感の醸成も地味にすてき。地面が画面外のショットでも、各キャラがジェットジャガーの奥or手前のどちらにいるかをとおして遠近を明確にえがいていて、翼竜の接近がより如実につたわってきてナカナカ怖い)

 とにかく1ショット1ショット一挙一投足がキマっている。 

 アニメ(漫画映画とルビをぼくはふりたい)らしい戯画的なかろやかさに、観ていて気分が高揚・熱くなり。そんなかろやかさで取り繕いきれるものではない暴力性に背筋が凍る。

 名もなきモブやその場限りの登場だろう名もなき車へおよぶ暴力でも、そうした怖さがにじんでいます。

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 翼竜が車を踏み歩くようすをその車内からのぞんだショット(2D作画側のお仕事なのかな?)では、車のバックミラーにモノこそぶら下げられていないものの、黒の利いた画面内画面となっている車体や青空を反射するバックミラーが、翼竜が踏みしめ/足を浮かせたさいの上下動をきわだたせる演出材のように機能していました。

 画面外右を見やりながら逃げる中景の浴衣の女性が翼竜の歩みの怖さを補足し、前景の運転手が車を踏まれたさいに眉間にしわを寄せ身をかがめることで恐竜が踏みしめたその衝撃を伝え、そして極めつけは足をつけられたボンネットの被破壊描写! ただ下方へ潰れ凹むのではなく、両端がV字にカメラへ映る位置まで起き上がることで、「たしかに踏まれた」インパクトをより明確に伝えています。

 

 閑話休題。こけた大滝に迫る翼竜が画面外右へと引きずられて退場していく。

 大滝がなんだと振り向くとそこにはメリハリの利いた(動作頭や尻に動画がツメられた感のある)キレッキレの所作で動くジェットジャガーの姿!

 さらに顔をふれば、トラックの荷台でドタバタぶんぶんパッドを振り回して遠隔操作するユンの姿!

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{ドン、ドンドンドンダン(大きく踏み出し両手振り上げ)とドタバタするユンの姿から、ドンドンドンダン(大きく尻もちつき両手振り上げ)とドタバタするジェットジャガーの姿へつながれた光景と、BGMの跳ねるようなラッパのメロディが合わさってとても楽しい映像になっています}

 ユンの遠隔操作にうつった4:20~のジェットジャガーケレン味たっぷりの軽やかさと、キレッキレなんだけどでもそのカット終わりに「?」と思わせる挙動その違和感が解消されるパッド画面にニチャニチャとキモ=オタク・スマイルを浮かべてしまいましたよ。*33

 ジェットジャガーの遠隔操作が、「じゃんけん」や「ダンス①」「同②」「同③」などのプリセットされたボタンしか無いという書き込みは、このジェットジャガーがそもそも七夕お祭りの一イベント「ジェットジャガーとあそぼう」のために持ってこられたという劇中時間・舞台設定から導かれる当然のセッティングであり、こうした書き込みはジェットジャガーが「たしかにこのくたびれた街に存在する」という説得力・厚味をあたえています。

 

 また、ファミリー向け見世物用にプリセットされたアクションを対怪獣戦に転用・活用するというユンのおこないの発想は、第1話でかれが見せた、電波しかとらえられないけど社に備え付けられた「幽霊探知機」を、遭遇した怪奇現象から想定される仮説の検証具として転用・活用するというおこないと根本を同じくするもの。

 この一貫性もまた気持ち良い~! 行動でもってキャラの性格を描いていくタイプの作劇ですね。前回終盤のトラック飛び降りも今回のトラックに乗っての遠隔操作も、転んだひとを助けるべくアクションしているという点でここもまた一貫しています。

「本作は“頑張れば何とかなる!”みたいなお話です(笑)。戦争や核、環境汚染などゴジラはその時代の大きなテーマを反映してきた。それがチャレンジでもありました。本作でもメッセージ性が全く入っていないわけではありません。人間はどうしても自分たちが想像できる範囲で事柄に対処しようとする。本作のゴジラはそうではなく、根本的に分からないものとして描いています。物理法則を無視した存在、昔の自然の概念と同じですね」

   朝日新聞&M、阿部裕華さん取材『アニメ『ゴジラ S.P』始動【2】作家・円城塔「脚本を書き上げた今も、ゴジラとは何かを問い続けている」』円城塔さんの言より

 今作のシリーズ構成・SF考証・脚本を担当した円城氏は朝日新聞&M阿部氏の取材にそう答えます。

 よくわからん事態に対して、知恵や体力その場にあるものでなんとか対処できないかと汗水たらして立ち回る……そういう泥臭い工学屋さん精神が第2話には輝いており、がんばりと言ってもそういう闇雲ながんばりを円城氏がまさか書くとは思っていなかったぼくにとって、ユンのドタバタじたばたは嬉しい驚きでした。

 

 やれやれ系のスカしたコミュ障系天才なんだろと思っていたユンが、みるからに頭のネジがとんでいる大滝以上に汗水流し(ええやつじゃん有川クン!)、かと思ったら大滝もまた輪をかけたハチャメチャをする。(ええやつじゃんおやっさん*34

 そこにはやはりバックミラーにぶら下げられた飾りが揺れている。

 再設定したプログラムを適用する再起動のためにジェットジャガーが沈黙した77秒間、この時間をトラックに載せた工具を振り回してどうにかこうにか稼ごうとするも持ちそうにないユン。かれを助けるべく大滝がトラックで単騎特攻する姿!

 そんな特攻の衝撃を、大滝の奮闘を、バストショットで抜き撮りした今作は、ひしゃげた車体にキラキラと輝くガラス片とともに、バックミラーに吊るされた人形が跳ねる姿をもまたいっしょにとらえてみせる――いつも笑みをたやさないあのジェットジャガー人形が宙に舞う姿を。 *35

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 4:52、ユンがプログラムを再設計、モニタに表示された「再起動まで77秒」がカウントダウンを開始する。

 5:00、「再起動まで69秒」モニタ表示(=上映時間的な時間経過も劇中表示とピッタリ

 5:23、「しまった! どうする?」「40秒……! 再起動まで稼ぐ!」(誤差6秒)

 5:49、「20秒は無理、かな……」(上映時間的な時間経過も残り20秒ピッタリ

 6:11、再度うごいたジェットジャガーがカメラへフレームインする。予告された時刻から遅れること2秒(移動時間もあるだろうし誤差の範囲内)

   高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第二話より

 オオタキファクトリーの面々が泥臭くも愛らしい奮闘を見せる一連のこの場面は、(上映時間をにらめっこしてみると)同時に世界が個人の意思など何一つ忖度することなく着々と刻一刻と流れてもいる、ある種の残酷さもはらんだシーンでした。

 第3話以降、世界がどう転んでいくかは分かりません。

 1話~2話前半に展開された、くたびれた街のぼんくらたちがぺらぺら喋る(たとえば話者同士にとっては常識だけど門外漢にとっては「!?」と思える地元の土地の固有名詞が、当然のことながら説明もなしに平然と会話にのぼる)内輪も内輪のゆるい時空間ときわめて対照的な、2話後半の、かれらのほがらかさへ極寒の視線をむける・饒舌な主役たちの声がとどかない外の広く大きく多声的にノイジーな時空間――TVの走査線の枠のむこうの国内外のニュース番組ワイドショー、電車の中吊り広告や新聞・スポーツ紙、学者がスライドショーを用いてのプレス向け研究発表などなど情報の氾濫。しかもたんに"外"とひとくくりにされるんじゃなくて、たとえば放射線の指摘を海外メディアがまず報じる辺りの、"外"の複層ぶりもまた素晴らしい――も示され。

 そのうえさらには人類のリアクションをよそに加速度的に波及していくらしい怪獣禍はもちろん、コミカルに描かれているけどユンが作ったらしいAIも人間の意を超えて異様な速度と範囲へ手を伸ばしている……

 ……カオティックに展開しだした世界のころがり具合は、2話の時点ですでにちょっと並大抵のものではないくらい爆発しているように思えるのですが、しかし、

「この世界のひとびとのがんばりもまた、ちょっと並大抵のものではないぞ」

 と、

「最後までいっしょについていくぞ」

 と心に決めた第2話でした。

 

 

 

 

*1:というかそれを受け入れるにはそうとらえるしかないというむしろ現実的な割り切り?

*2:というかどうやったって非現実的な設定を、それでもなんとか現実の地平に乗せられないか模索するこれこそロマン?

*3:と書いてしまったけど、かなりリッチな作りだとも思う。「逃げ惑う群衆」が、しっかり「群衆」がちゃんと「逃げ惑っている」作画としてお出しされているのってスゴいことですよね。

*4:たとえば第1話21:30ではしっかり演算されていた電飾の影が、21:44の屋上から落下するさいは省略されてるとか。第2話なら02:15のジェットジャガーの登壇ショットではアニメートされていた小物が、6:08のショットでは動かないとか。省略されたカットはどちらも主な被写体は別にあって、略しても気にならないと言えば気にならない箇所でもあります。

*5:クリストファー・マッカリー監督『ミッション・インポッシブル:ローグネイション』

*6:

ヴィカと僕のここでのミッションは―― 地球の地球の海水を核エネルギー化する採水プラントの警備

(略)

ドローンは全てを監視し 僕は そのメンテ役だ

   ジョセフ・コシンスキー監督『オブリビオン』0:02:52~、0:03:46~字幕より

*7:ジョセフ・コシンスキー監督『オブリビオン

*8:ロン・ハワード監督『遥かなる大地へ』

*9:ダグ・リーマン(ライマン)監督『バリー・シール/アメリカをはめた男』

*10:クリストファー・マッカリー監督『ミッション:インポッシブル/ローグネイション』など

*11:ジョセフ・コシンスキー監督『オブリビオン

*12:クリストファー・マッカリー監督『アウトロー』('12)

*13:ダグ・リーマン(ライマン)監督『オール・ユー・ニード・イズ・キル

*14:クリストファー・マッカリー監督『ミッション:インポッシブル/フォールアウト

*15:『M:I F』

*16:『M:I RN』

*17:映画版『AYNIK』

*18:スティーブン・スピルバーグ監督『宇宙戦争

*19:ブラッド・バード監督『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル

*20:トム・クルーズ氏と撮影中のケガといえば『ミッション・インポッシブル:フォールアウト』での右足の骨折が有名ですが、たとえば上に例示した『オブリビオン』の本編鑑賞中はなんてことないように見えるバイク運転シーンでも転倒していたことがメイキングで映されていたり、『アウトロー』のクッションドラム追突までは脚本どおりだけど、続くエンストは撮影中のアクシデントだけど面白かったので本編に取り入れたという話がオーディオコメンタリで聞けたりします。

 トム・クルーズ氏が自身でおこなうアクションシーンのメイキングでは、撮影時の安全対策もさまざま紹介されるのですが(たとえばこの記事でもふれた『M:I RN』冒頭の航空機しがみつきシーンは、CGで消しただけで安全帯つきで撮影にのぞんだのはもちろんのこと、彼の前には風防がつけられていたし、失明予防として白目まで覆えるコンタクトレンズなども装着された)、それでも「ハインリッヒの法則を身をもって証明する人」みたいな印象はどうしても抱いてしまいます。

*21: さてトム・クルーズ氏の映画にかける熱意はとにかくすさまじいことは分かるんですけど、べつにそうして心血を注がれた部分が映画を観るぼくにとってその作品を楽しむためのピースになっているかというと、そうでもない部分も結構あったりして、正直「そこを凝るまえにもっと他にがんばってほしいところが……」と思ったりもします(笑) 『ミッション:インポッシブル』の近作を観ると、「飛行機外壁しがみつきシーンこんなどうでもいい場面なの!?」「HALO降下こんなどうでもいい場面なの!?」という悪い意味での驚きがあって、

「喧伝された撮影時の苦労とロケーションとアクションの凄さが物語の凄さにきっちり結びついていたのって、近年の作品だと『ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル』や『AYNIK』くらいなものじゃないか?」

 ……みたいな疑問が正直ある。あるとはいえ、良かれ悪しかれ想像のつかない光景を拝ませてくれるのもまたたしかであり、ぼくの美意識の範疇ではとらえがたいナントモ得体のしれない代物がへたすると年一ペースでぽんぽん生み出されているのは素晴らしいことだと思います。世界は広いな豊かだな。

*22:トニー・スコット監督『トップガン

*23:トニー・スコット監督『デイズ・オブ・サンダー』

*24: ピーター・バーグ監督ングダム/見えざる敵』中盤の玉突き事故でバックミラーにぶら下げられた飾りがふるえたものの、それは名もなきエキストラの運転する車内における光景でした。P・バーグ監督は、かれの現時点での最高傑作――機械化自動化されていく現代社会のなかで人間個人の立つ瀬はあるのか模索するオールタイムベストSF映画――トルシップ』で主役の運転する車内へそのセンスを持ち込みますが(傾斜でジャンプし宙に浮く四駆の車内・ダッシュボードの上でやはり宙に浮く双眼鏡!)、『パトリオット・デイ(傑作現代市街地戦映画! クリープ運動するバンを移動盾にしてジリジリ進みつつ銃をむける地元警官vs手製爆弾を投擲するテロリスト、それらを見守る地元住人の戦闘が最高!)『マイル22』(ピンとこんかった市街地戦映画)ではそうした創意を見た覚えがありません。

 ほかにぼくが覚えているのはエドワード・ズウィック監督ラッド・ダイヤモンド』ピーター・ジャクソン監督ングコング』は車を運転する主役のバストショットは変わり種で、「たしかに揺れているし、ちょっとえらいものが揺れているが。しかし、"運転に生じるエネルギーを可視化する存在"としてこれを用意したわけではないんだろうなぁ……」とも思うのですが、意図してないならそれはそれで幸せなことではあります――PJほど世界を作り込んでしまえば、作り手のもくろみを超えた豊かな雑味がフィルムに刻まれうるということなら。

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 こだわっていると断言してよいだろうのは、ぼくの知るかぎりではトニー・スコット監督作、パン三世 カリオストロの城など宮崎駿監督作、ュラシック・パーク』などスティーブン・スピルバーグ監督作くらいでしょうか。

{アニメ(とか邦画とか……)のタイトルを挙げてないのは、ぜんぜん詳しくないためです。コクピットの中で酒の缶ボトルが揺れる高山文彦監督動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争とか、

床に落ちるボールペン 回転(本当は船とか物が落ちないように作ってあるけどイイのだ)

   『WⅩⅢ 機動警察パトレイバースペシャルエディション特典絵コンテp96(コンテ上のノンブルでは000074)、BパートSCENE-11 C14 Noteより(完成版本編0:16:28~では、ペンではなくバインダが床に転がされた)

  とカッコ書きしたうえで、ケーブルでつないだ水中レイバーを海底で作業させていたところ怪獣がぶつかり曳いた衝撃で揺れる海上の船内でイスやバインダにまとまった紙一枚一枚を揺らし床に落とさせた高山文彦監督ⅩⅢ 機動警察パトレイバーとか、いろいろ用例はあるに違いないんですけど)

 とりわけ『カリオストロ』はすさまじく、本作のヒロイン・クラリスの駆る車はなぜか天窓のなぜかあいていて、頭のヴェールを天窓から車外へなびかせ。

 野っ原でお休み中のルパン三世が車を走らせると車外に吊るしていた荷物が揺れ、そしてやはりなぜかあいている天窓から上半身を出して銃を構える次元がスーツをなびかせ、社内の灰皿の吸い殻の山が車の震動で跳ね、割れたフロントガラスが高速で後方へ流れ星のようにきらめき、茂みに入れば木々がそのままボンネットにくっついてぶるぶる震え、葉々を飛ばしていったり……他にもさまざまな運動エネルギーを視覚化してみせます。

 ただまぁ異様な短期間でつくられたとはいえ劇場公開映画です、TVシリーズとは割けるリソースが段違いでしょう。あちらではまた別の戦略が求められる気がします。

*25:

「皮膚と筋肉のリアル感を追求した 筋肉の動きに伴う皮膚の変化だ

 だがリアルな上に力強さも必要だと考え――足を強く踏み出した時 皮膚が震える様子を再現した」

   『「ジュラシック・パークⅢ」の特殊効果』7:42~、ILM/アニメーション監督ダン・テイラー氏の言(『ジュラシック・パークⅢ』映像特典)

 ュラシック・パークⅢ』でアニメーション監督をつとめたILM社のダン・テイラー氏はそう語ります。

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 氏の語った観点からすれば本編1:17:06~(リンク先動画2:13~)の、炎上する夜の海から去るスピノサウルスなど感涙モノ。濡れた体が、上から青い薄光&突発的な雷光&下から橙色の炎光に照らされて、新方式の描画法によって達成された細部を――筋肉の伸縮や震動を――よく確認できます。

 着地した足の筋肉がぶるんと震え、足が後ろに行ったところで(人間の部位でいうところの)膝屈筋群が膨らみ膝下をもちあげ→下腿三頭筋(ヒラメ筋など)を膨らませ足関節が底屈し→大腿四頭筋が膨らみ膝が前に行くなか膝下も前脛骨筋を膨らませ足関節が背屈し→着地……みたいななんかそんな一連の運動が見て取れます。

*26:

スピルバーグはこう言った

 "車で音楽を聴いてたらバックミラーが揺れた ミラーが揺れ水が揺れる映像を撮りたい"と」

   『「ジュラシック・パーク」3部作の軌跡:先史時代を作る』3:50~(『ジュラシック・パーク』映像特典)スペシャル・ダイナソー・エフェクツ担当マイケル・ランティエリ氏の言より

*27:

 「前世紀末、ゴジラに酷似した巨大生物がアメリカを襲った例をはじめ――世界各地で異常な生物の存在が報告されている」

「あれ結局ゴジラだったんだろ?」

アメリカじゃゴジラと名付けたが、日本の学者は認めてない」

   金子修介監督『ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃』0:00:57

*28:

 「やっぱりマグロ食ってるようなのはダメだな。次!」

   北村龍平監督『ゴジラ FINAL WARS』1:13:18

*29:

13話もあったら正気に戻ってしまう瞬間がありますよね。「ゴジラは何喰ってるのか?」「子どもはいるのか?」と。一応、東宝のプロデューサーに聞いたら「ゴジラはものを食べない」といったこと言ってました。

   双葉社刊、オフィス秘宝『映画秘宝2021年5月号』p.4、トヨタトモヒサ氏+編集部小沢涼子さんによる取材記事より

円城:
だから「人は食べないでください」「他の怪獣を振り回すのはいいけれど、食べるときはご一報ください」「初代以前の時代にゴジラはださないで欲しい」といった感じの話はありました。

   GIGAZINE掲載、『インタビュー「ゴジラS.P<シンギュラポイント>」シリーズ構成・円城塔インタビュー、ゴジラ初の13話構成をいかに作っていったのか?』

*30:ギレルモ・デルトロ監督『パシフィック・リム』2:11:08エンドロールより。

*31: もちろん「××くて泣いちゃった」と言って本当に泣く奴はいません。同じように、
「(任意の凡才)「ああああ!」(脱糞) ⇒ 任意のジャンルの平凡な記録

 (任意の天才)「ふんっ」 ⇒ 任意のジャンルの大記録」

 ……みたいな具合に能力格差を表すミームがありますけど、こういう風に書いたところで本当に漏らすひとはいません。だからそういうオタク特有の誇張表現だと思っていただいてもかまいませんし、あるいは32歳の誕生日の夜に寝小便を垂らしたというこのblogの過去の記述から「膀胱だけじゃなくて涙腺もゆるみはじめたオッサンの感想なんだな」と思っていただくのもやぶさかではありません。とにかく眉に唾をつけていただけるとありがたい。

 はたしてそこまでのものなのか? 真相をあなたの目で確かめていただけたら幸いです。『ゴジラS.P』をご覧になるかたが一人でも増えてくれたらぼくはうれしい。

*32:※漢字がこれで良いかちょっとあやしい。松竹シネマ歌舞伎の紹介ページにあるとおり釣瓶花街酔醒』で有名なセリフだという話もありますが、違うという話もあります。原典未履修のためワカラン……。今の今まで「そでない」とか「そでにする」とか「そですりあう」の「そで」をみんな「袖」だと思ってたんですが、前者は「然で無い」だった。

*33: 宿直明け日でヘトヘト疲れ果てた頭がとたんに元気になってしまった。TVの向こうの千葉の片田舎が大変になっているさまを見て、神奈川の片田舎では涙を流しながらニチャニチャにやけを止められない気色わるい存在がうまれてしまいましたわ。大変なことですよこれは……。

*34:ジェットジャガーでの名乗り口上でも流れるようにユンへ逃走を促す大声もあげて、この辺の挿し込みがとても良い塩梅

*35:これはお話の巧みさについての話題になりますが。この一見狂人きわまりないトラック特攻もまた、さきほどの脚注で話題にしたユンへの叫びとともに、大滝のまっとうな善性を証明ひいてはゴジラS.P』という作品自体の知性を一手に引き受けたアクションで、すさまじいですね。

 ジェットジャガーを建造する奇人でありながら、大滝にとってジェットジャガーはあくまで世間に危険をもたらす怪獣とたたかうための一手段としてあって、人助けできるなら別にジェットジャガーに乗らなくたっていいわけです。

 だいたいの劇中独自設定・小道具で戦うたぐいの特殊なバトル創作に対して、鑑賞者の脳裏になんらかの形でどこかのタイミングでどうしてもよぎってしまう「結局おままごとなのでは?」感、たとえば「剣とかを得物にするのはいいけど、銃とか現行兵器でたたかわない理由は?」みたいな部外者/冷やかしの目線。

「人型ロボで殴るってそんなに衝撃力でないでしょ、そこらの車でアクセル全開つっこんだほうが安上がりだし強くね?」

 (『アンデッドアンラック』などジャンプで現在連載中の作品を見てもわかるとおり、気の利いた創作ではこういう視点ってふつうに考慮される点ではあるんだけど)そういう疑問をこの『ゴジラS.P』劇中で文字どおりぶつけてくれるのが、人型ロボの製作者・大滝当人によるトラック特攻なんですよね。

 豪快・強引・身もふたもないけど、合理的・論理的・客観的で頭がいい。そういう粗野と知性を両立させるアイデアはなかなか難しいように思う。