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惨禍/賛歌の履歴;『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第3話感想

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 高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第3話ばえのきょうふ」の感想です。

 1万2千字くらい。

※以下、『ゴジラS.P』第3話までをネタバレした文章が続きます。ご注意ください※

 

約言

 3話序盤のあらすじ;

「こちらは逃尾市役所です。先ほどラドンの群れがこちらへ向かっているのが確認されました。大変危険です、至急、建物内へ避難してください。こちらは逃尾――」

 翼竜風の怪獣ラドンが群れをなして逃尾市に飛来した。TVがネットがおおわらわのなか、町の平和を守るべく準備をすすめていた「おやっさん」大滝ひきいるオオタキファクトリーの面々は、同社員有川ユンが分析・設計/同社員加藤ハベルが実作したラドンのコミュニケーションを模倣する電波発信装置をそなえたバイクで工場を出発、ラドンを街からはなれた場へ誘い出す作戦に出る。しかし事態は思った以上に深刻で、オオタキの面々のまえにラドンが文字通り立ちはだかりバイクは横転、身を投げ出されたユンはガードレールに頭をぶつけ気を失ってしまう。

「今わたしのアパート映らなかった!? えぇっ洗濯物ほしっぱなしで来ちゃったよ……アパートの様子がわかる映像ない?」

 院生の神野銘は李博士に会うべく東京へ向かう電車のなかで騒ぎに気づく。

「いいものを見つけました!」

 銘の飼っているAIペロ2は街のカメラというカメラを検索し、アクセス可能かつ移動可能なカメラを発見、リモート操縦で銘の自宅へむかうべく工場を出発。

「ハーヴィ? それともユングかな? ちょっと待って今シャッターをロックしちゃったから。気をつけてね~」

「アッハイありがとうございます。お借りしま~す」

「……”お借りします”?」

 オオタキファクトリーで留守番をしていた金原さとみは、修理対象のドローンを見送ったあと違和感に気づく。

 ……はたしてオオタキファクトリーは町を怪獣の魔の手から救えるか? というかそもそも自分たちの身の安全は? 銘たちは自宅へ戻れるのか? 

 記述;

 各人がことなる意識でもって行動するさまを並行してえがく群像劇。

 怪獣の襲来は現実の災害に見聞きされる混沌・雑音をともない、対する主人公は空想科学活劇の賛歌をかなでる。このコントラストが美しい。

 メイらの平熱ぶりがほんわかする一方で、「現場からはなれた世間の感覚はこんな感じなんだろう」という救援は望めないだろう寄る辺なさ・不安を煽りもする。

 内容;

 1話から影を追いかけてきたラドン騒ぎの収束回(?) 

 ここ好き

 続きものならではの回をまたいだ「挫折しての復活」劇。

 主人公の知恵と知識を活かした機転による逆転劇に胸が躍ったけど、それはただ科学SUGEEE主人公天才! という素朴な科学賛歌ではなくて、あくまで起点や芯には、その土地に住まう名もなき人・その土地の意志があり、主人公はそれを育む補助的な役回りであったこと。

 みなが一様に「被災者」とくくられてしまうような未曽有の大きな災害に襲われた混沌のなか、名もないそこらの雑踏にいるような一端役が声をあげる。そこから個がその住まう土地の履歴がほんのひと時だけ浮かび上がる……そんな人間賛歌として仕上がっているところが非常によかったです。

 

ざっくり記事説明

togetter.com

 みなさん『スーパーカブ』ご覧になりましたか?

 最高でしたね……。

 どこを見てもハッとさせられる、たしかな生活のディテールがあります。hito_horobe氏のツイートから「こりゃあすごい」とぼくも観まして、実際すごかった。

 お絵描きするさい看板やらラベルやらの細部をきっちり描けると嬉しくなっちゃうタイプのオタク(※)なのでキュンキュンしました。

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(↑※オタクの絵です)

 『スーパーカブ』がえらいのは、ただ無目的に書き込んでいるわけではなくて、凝った細部がドラマとがっちり握手をして映像作品としてドライブしているところですね。この記事で引用したほかにもhito_horobe氏はさまざま感想ツイートをされていて、「なるほどなぁ」と理解の一助となりました。

 

 ……ただまぁ今回は記事題のとおり『スーパーカブ』のお話ではありません。

 今回の記事はべつのアニメの、1万リツイート5万いいねどころか千リツイートにも届かない、百台リツイートどまりとかの光景についてです。

 もちろん1リツイートだってされないけど素晴らしいってショットは存在していて、古今東西の映像表現を実写アニメ問わず精力的にdigってるかたがたのツイートをみたりすると「この春のアニメに限ってみても、すごい作品はいっぱいあるな」と世間の広さ豊かさに驚かされます。

 こんかい話題にしたいのは0リツイートどころかそもそも誰もツイートさえしない絵について。そんな、絵にならないのにホニャホニャしゃべりたくてたまらんくなるアニメを観たってお話です。

 

感想本文

 惨禍の履歴;絵になる設定とは

高橋監督と僕で綱引きしつつ決めていくという感じでした。特徴的なところがあったとすれば、設定とストーリーが強めにリンクしていたので、2人で「その設定は腑には落ちるが絵にはならない」とか考えていったころです。絵にならない設定をしてもしょうがないんですよね。

    GIGAZINE、2021年04月07日『ゴジラS.P<シンギュラポイント>」シリーズ構成・円城塔インタビュー、ゴジラ初の13話構成をいかに作っていったのか?』

 『ゴジラS.P』シリーズ構成・SF考証・脚本を担当した円城塔さんはGIGAZINEの取材でこう話します。ここで言われる「絵になる設定、ストーリー」とはなんなんでしょう?

 2話まで観たぼくは、それが何かわかったつもりでいました。

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 町はずれでうわさされる幽霊屋敷さわぎ――無人のはずの建物の明かりが明滅する――怪現象。町に飛来した翼竜が、八木宇田アンテナにひっかかりバチバチ火花とともにひしゃげさせ、シャンプーハットのような電飾をつけた酒蔵屋さんのビル屋上広告塔を粉塵をたちこめさせつつ壊し、挙句ひとびとに襲いかかる(第1話)

 不可解な怪現象や、翼竜の破壊した雑多な事物を、科学畑の主役たちがよくよく腑分けして見ていくと、それらのうちいくつかは翼竜の性質にかかわるものだった――電波でコミュニケーションをとり、電波に反応する生物だった――という線が見え、その知見を反映した対策を練る(第2話)

 

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 こうした手つきは3話でも健在で、翼竜が赤い塵をともなって大量に飛来することで、赤くそまった空と町並みが描くスカイラインの凹凸を(=とくに建物の屋根や屋上に据えられた白いパラボラアンテナの円いラインをくっきりと際立たせ、赤い空気にかすんで見える遠景の送電塔をバチバチと火花を上げさせます。

 町はずれの狭い一本道では、翼竜により交通事故がおきていて、生存者の一派は、事故車両のひとつ路線バスに籠城し息をひそめます。

 しかし町のどこかで同時多発的におそわれた別のバスの運転手が(バスの運転手であるじしんの専門知識を発揮した結果でしょう)無線で助けをもとめたことから、電波に反応する劇中翼竜がそれへ反応、窮地におちいります。

 フロントガラスを突き破りバス車内へ侵入、無線機をくわえた翼竜はその配線をピンと引っ張り緊張させて、青い火花をおこしつつ噛み千切ります。

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 第2話の、明るい夏の陽気のもと七夕祭りの会場と化した駅前の空き地で巨人型ロボとくりひろげられた大立ち回り、そこでロボの腕を食いちぎったさいにも似た光景ですが、ただし2話にあったような楽しい調子は(=ロボや操縦手の見せるカートゥーン的なコミカルな所作や、操縦手の歌舞伎めいた語りは)ありません。

 バス籠城者のひとりであり2話でロボット操縦手をつとめた『ゴジラS.P』メインキャラクター「おやっさん」大滝も、ほかの名もなきサバイバーといっしょに声を殺して椅子の陰にじっと隠れます。

 代わりに響くのは無線機から聞こえていた別のバスの生存者の声が、コードがちぎれるまえから不自然に途切れる過程――見えないだけでどこかで誰かに今まさに起きている惨禍です。

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「一夜明けた逃尾市の模様です。各所にはまだ大きな傷痕が残されています。点々と見えるブルーシートはラドンの死体をつつんで……」

「現在までに行方不明者13名。病院へ搬送されたかた143名が確認されています」

   高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第3話「のばえのきょうふ」16:43~

www.youtube.com

台風15号が千葉県を直撃してからまもなく1ヵ月

停電はほぼ解消されたが各地にその爪痕が残る

   SankeiNews『癒えぬ爪痕 台風15号の被害から1カ月 千葉・鋸山』0:13

補修が進まず いまも多くの家屋の屋根がブルーシートで覆われている

   SankeiNews『癒えぬ爪痕 台風15号の被害から1カ月 千葉・鋸山』2:11

 劇中TV報道番組のキャスターが述べたりカメラが写したりする、現実の災害報道でよく耳に目にすることばや光景。

 「行方不明者」や「病院へ搬送されたかた」と一様にくくられ、人数だけが具体的なお決まりのことばも、『ゴジラS.P』のこの流れで聞くと、どうしてもあの、不自然に途切れたどこかのバスの乗員の声を思い出さずにはいられないし。内部の骨組みを見せたり、ブルーシートを載せたりしている痛ましい家屋に「う゛っ」となりつつも、それらとちがって無傷のはずの黄色い屋根の家がやけに目について不安になったりする。

 黄色い屋根にでんと立つ八木宇田アンテナ、その柱が微妙にくねくねひしゃげていることに気づいて、第1話でラドンがまず最初に壊した人間社会の事物がそれと同種のものだったことがどうしても思い起こされてならない。

 『ゴジラS.P』は、作品に登場する怪獣の性質と文明の性質とがしっかりとむすびついた、今作ならではの絵と音でもって、現実の(しかし毎シーズンどこかが見舞われ、TVに取材される、ある意味で見慣れた)惨禍のしたにあるものを浮かび上がらせてみせます。

 

 怪獣の乱暴にこわがりつつも「なるほど今作ならでは」と文脈だてられた展開に納得しながら見ていたぼくが今回とりあげたいのはここではありません。

 3話をさらに観ていくうちに、ちょっと別の絵と音が気になってきたんです。

 

 科学賛歌の履歴;1~3話の構成の妙

 ある展開が、どういった流れのなかにあれば一番面白く味わえるだろうか?

 構成の妙が光る第3話でもありました。

 

 『ゴジラS.P』は1話ごと単体で見てもとても楽しい作品だと思うのですが、「続きもの」として観るとより一層面白い、よい「シリーズだな」ということが今回ではっきりしたといいましょうか。

 1話では見えないものを知恵と知識で探す探検譚、2話は怪獣vs人型メカ&人間+車の実力伯仲ガチンコ対決(勝因;車で特攻)、3話は怪獣の大群vs孤立した人間の少数の群れ(ただし前回のラッキーアイテム・車は喪失している)という非対称戦。ここまで毎度ちがうシチュエーションを用意してくれたうえで、「前回のようにはいかないぞ」という緊張感あるセッティングがなされています。

 

 発表時の「理数系の博士号持ちの作家を脚本・SF考証にむかえての怪獣映画」という座組から想像の範疇にあったのは、むしろ3話のような形式のはず*1なんですが、想像どおりの展開のはずのこれへ素朴に驚き感動してしまいました。

 なぜか?

 思うに、あの一見"やれやれ"系のダウナー天才に見える)ユンが懐かし漫画やカートゥーンさながらドタバタジタバタ腕を足を振り回してアホな操縦をして見せ、ロボ製作者の大滝がロボでなくトラックで特攻してみせる泥臭い第2話をはさんだからこそ、3話のこの高揚がうまれているのではないでしょうか。

 たぶん1話⇒3話という展開だったらこれほどまでに興奮してない気がします。

 もちろん"現象(電気明滅や異音など)の解読と仮説(電波をだして交流する生き物がいる)"(=1話)"仮説の実地での証明・応用(生き物の鳴き声をマネた音声を作成して誘導する)"(=3話)というかたちで展開したって、そりゃあ楽しかったのは楽しかったでしょう。

 でもそれだと単に、想像どおりのものがお出しされただけの「納得」で終わっていたのではないかなぁと。

 

  挫折して復活の実作例;「限られた枚数の中で」より

 ンロンSF講座』ってごぞんじでしょうか。

 ゲンロンという出版系の会社が企画運営しているカルチャースクールのひとつで、プロのSF作家が講師となった講義をおこない、受講者は実作をし、それへの講評をうけていく……という、"良いSFを書きたい人"向けの講座ですね。興味本位で顔をだすには受講料のケタがひとつ多い講座なのですが、初年度の講座にかんしては採録本が早川書房より出版されていたり、円城塔さんのようにscrapboxで自身の担当回のテクストをある程度公表されているかたもいたりして19年版20年版、金のないぼくみたいなやからでもそのおこぼれにあずかることができます。

 そんなテクストのうちの一つられた枚数の中で」をみてみましょう。

一般に、山と谷がある

挫折して復活、等の
・行方不明になるとかそういう

・何もないところを平坦に歩いてゴールしない
 ・天才が、はっ(気づき)、はっ(気づき)、はっ(気づき)、解決、とか、まあ、ありえないから

   scrapbox、enjoetoh「限られた枚数の中で」(太字強調・文字色変えは引用者による)

 この観点で『ゴジラS.P』をながめてみると、毎話どこかしらなにかしら、「挫折して復活」する展開が盛り込まれていることに気づきます。

 1話のそれは、ほんのり知恵と知識が地味に活きるかたちで描かれます。

 幽霊話/怪奇現象に立ち会って、現実的なメカニズムとの異同を確かめ仮説を立て、もともと無用の長物に思えた(=挫折)「幽霊探知機」をその証明に役立てる(=復活)……という具合です。

 2話では、ドタバタド派手に描かれます。

 怪獣用につくっていた(1話で顔見世していた)巨人型ロボをいざ実戦で活かすはずが手動操縦はパイロットが狙い撃ちされ(=挫折)、ほんらい戦闘には無用のはずの縁日見世物興行用プリセットアクションで遠隔操縦・応戦する(=復活)もやっぱり無理があり(=挫折)、体力と根性勝負の特攻で窮地を脱する(=復活)……という具合。

 3話はピンチ⇒克服! がわかりやすいですよね。

 2話の最後で完成した、怪獣の送受信する電波などを再現する特注機械。第3話ではこれをいざ実戦で活かす……はずが道中で転倒、機械を手放す(=挫折)ことになってしまう。しかし、避難先にあったものや助けてくれたサバイバーの所持品を組み合わせて、即席声マネ楽器をつくって急場を脱する(=復活)!!

 

 さてここまでの展開を、前段で得た謎を解いた情報をいかにするか注目してみると、エピソードをまたがった大きな挫折して復活が見えてきます。

 1話の探偵劇は、ほんのり知恵と知識が地味に活きるかたちで。そして、活かした結果むしろ不可解がくっきりするような、不気味な音色をひびかせることとなり{知恵と知識(スマホによる音楽検索)をフル活用した結果、謎の音楽はインドの民謡だと分かりました! ……なんも分かってないよ! むしろ謎が増えてるよ!}

 2話の泥臭い復活には、ここまで出た情報(謎)から導いた情報はまったく関わりません。しかも1話や2話中盤でユンたちが導いた解は、ユンたちへ無理解な批判をしているのと同じ世間一般でも注目・議論されるようなものでしかなかったことまで描かれます。

 3話の脱出劇は、1~2話で出た情報(謎)から導いた解をしっかり活用、快音を響かせるかたちになっています。

 

 べつになにか謎を解いたって、むしろ不可解が募るだけだったり(1話)、解が目の前の脅威とたたかい平和を守る道へつながるとも限らないうえ、遅かれ早かれ誰でも解ける程度のものであったりする(2話)

 知識や知恵について、そんな冷ややかで身も蓋もない視線を――しかし正しい視線を――むけたうえで、

「それでもなお出来ることは」

 と光を見出し、快音をひびかせる(第3話)

 夜の幽霊屋敷で、陽の光のとどかない「存在しないことになっている」地下で、ぼくたちの理解のおよばない複雑怪奇な現実を(文字どおり)低く鈍く響かせた『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』は、3話かけて空想科学活劇の復活を(文字どおり)高らかに歌い上げました。

 

 この記事を読んでくださっているあなた、『ゴジラS.P』未鑑賞だったりします? 科学が、というか、なにかを知ることが、お好きだったりします?

 それだったら『ゴジラS.P』おすすめですよ、きっと楽しめると思いますよ。

 

 それはそれとして、科学なんてどうでもいいってかたもいらっしゃいます?

 それだったらゴジラS.P』おすすめですよ、きっと楽しめると思いますよ。 

 人間賛歌の履歴;絵にならない絵になる設定

 ともすれば鼻白む科学賛歌にも映りそうな「のばえのきょうふ」へ素朴に感動してしまったのは、もちろんぼくが理数系や知というものに憧れがあるギークだからという部分もあるでしょう。

 でもそれ以外にも理由があるような気がしてなりません。

効率なりなんなりの前提を受け入れれば、数理的な解が得られることはままあるが、それはあくまで解にすぎない。

   円城塔著『書籍化まで□光年』、「物から読み解く政治思想」(本の雑誌社刊、『本の雑誌』2018年2月号「雪あかりイカ巻号」p.118、中段14~16行目)

 空想科学活劇であると同時に、第3話「ばえのきょうふ」は、そこで確かに生きる人びとの顔を、土地をじんわり浮かび上がらせてくれる人間賛歌でもありました。

本質的にみんなが違う意見を持つ世の中を、一つの視点しか持たない作者が描くことはできるのか、というのは謎だ。

 謎ではあるが、すでにそこに複雑な履歴をもって存在している物とは、一個の人間の考えを軽く飛び越えているところがあって、こういうとなんだかワビサビみたいなところがあるが、なるほどそうした細部から、様々な人間の姿が自然と浮かび上がることがある。

   円城塔著『書籍化まで□光年』、「物から読み解く政治思想」(本の雑誌社刊、『本の雑誌』2018年2月号「雪あかりイカ巻号」p.118、最下段1~11行目)

  円城氏がそう書評した本政治思想史』は、原武史さんによる放送大学での講義のテキストです。そう厚い本ではありませんけど、ナカナカぎうぎうに詰まった内容。

 原氏がこのテクストで注目するのはいささか概論的ではありますが、マクロなものはもちろんミクロなものまでさまざまで。

 たとえば空襲により焦土と化した敗戦地でも、天皇がそこへ巡幸すれば熱狂的に歓迎される政治空間となってしまう「空き地」のふしぎや、そんな「空き地」のひとつ宮城前広場=皇居外苑がWW2後、米軍のパレードの舞台としてえらばれ観閲台へ天皇にかわってマッカーサーアイケルバーガーが立つようになった機微である……といった大きな部分はもちろん。

 茶道をたしなんでいるかたがたの会話を聞くとちらほら出てくる「表センケだ」「裏センケだ」のうち「シンだ」なんだ~というのがじつは、WW2戦後の状況やそこについて思うところあった阪急の偉いひとが絡んできたりする……とかって小さな部分もあります。

 人に歴史ありという伝で、物にもまた歴史がある。緻密な観察により、物は歴史を語りだす――というのはわかりやすい。

 鉄道や団地、小説などを手がかりに、日本の政治思想を読み解いていく本書は、それに加えて、物に政治ありという視点を与えてくれて、街歩きなどにも革新をもたらすはずだ。

 見慣れて当たり前になっている光景に、実は違和感を感じていると気がつくことは難しい。でも気がつくとそれからは、はっきりと見えて消えてくれない。

   円城塔著『書籍化まで□光年』、「物から読み解く政治思想」(本の雑誌社刊、『本の雑誌』2018年2月号「雪あかりイカ巻号」p.118、最下段12~23行目)

 

 「のばえのきょうふ」で偶然いあわせただけの、名もなき学生のつげた一言。

「私が弓で注意をそらします」

    高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第3話「のばえのきょうふ」11:18

 ともすればユンたち主役らの知恵と知識よりもふしぎな、御都合と鼻白みかねないこの一言。

 この一言をぼくが素朴にのみこんでしまったのは、年一ひらかれるバス停や空き地に立てかけられた錦絵が浮かび上がったからでしょう。

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「なんですそれ?」

   高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第2話「まなつおにまつり」10:59。祭りの時期、駅前へかざられる錦絵「古史羅ノ図」を見たオオタキファクトリーの面々の一言

 大きく飾られているけれど日常すぎてだれも見向きもしない、部外者がバスを待つついでにちらっと見物する程度の「どの地方にもなんかある、土着のありがたい(らしい)品」にえがかれた、赤い天狗の群れに弓を引く武士のすがたが。

otakinen-museum.note.jp

{サムネイル画像は、『ゴジラS.P』と無関係の画ですが。本文を読んでみると、かなり詳細な『ゴジラS.P』引用・参照元の解説記事でとても勉強になりました。

 劇中「古史羅ノ図」について、よく言われる(なんならこのblogでも配信前与太話記事で、円城氏の読了本『奇想の系譜』とともに紹介した)歌川国芳『讃岐院眷属をして為朝をすくふ図』の詳細な紹介・解説と、ここからはふれる人が全然いない、第2話でちらっと登場する(1話の銘のつぶやきでもちらっと出てくる)白黒の絵(北斎画)の元ネタ紹介・解説、さらには『すくふ図』から大きく異なる弓手像の元ネタとなった国芳の別作の紹介・解説などをしてくれています

 あるいは町はずれの幽霊屋敷に象られた、矢の羽のような意匠のほどこされた独特の家紋が。

 もしくは新発売"ラ丼"を並べた店舗のシャッターを閉める商店街、そこを歩く学生の肩に背負っていたのが、リュックやカバンだけではなかったことが。

 『ゴジラS.P』の舞台である、逃尾という町の履歴が。*2

 

有川ユンおやっさんだ。それにもう一人」

女子高生「私の友達です。逃げ遅れちゃって……」

運転手「バスの運転手もまだあの中に」

加藤侍「バスの中に3人」

   高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第3話「のばえのきょうふ」08:47~

 壁の分厚い店の中に逃げ込んだユンたちが、ラドンに囲まれたガラス張りのバスについてそう話します。

 「逃げ遅れちゃっ」た「バスの中」の「3人」。名前もあれば明確な個性や強い意志をゆうした引っ張り役である『ゴジラS.P』メインキャラクター大滝さえもが抽象的な語でひとくくりにされてしまう、そんな人数だけしか具体的ではない「被災者」となってしまう、未曾有の惨禍。

 それが前述のあの一言を発した瞬間、長い棒状の何かがはいった包みを見せた瞬間、とたんに「被災者」ではなくなる。

 さまざまなフィクションで見た「逃げ惑う群衆」が、さまざまな現実に存在する「未曾有の災害」に見舞われた「被災者」が、ふとした瞬間ひとりの「個」として浮かび上がる。誰しもが、それなりに変わりないけどそれなりに固有の土地に、たしかに生まれ、育って、それなりに変わりないけどそれなりに独自の考えをめぐらせ体をうごかす、それぞれの人生を生きる主人公なのだということを、ほんのひとときだけでも思い出させる……『ゴジラS.P』はそんな瞬間を作品ならではの絵と音で描き出してみせます。

 

  jakuzure氏の履歴;『天災と日本人』が紹介する災害文化

 室崎はさらに、人と人の関係の崩壊は紐帯性の低下をもたらす一方、人と風土の関係の崩壊は文化性の低下をもたらすという。地域に密着して育まれてきた神社の祭礼は、収穫を祝うとともに、防災訓練の性格も持つものだった。日本の多くの地域では祭礼を通して、非常時に必要なチームワークを醸成し、減災に必要なロープワークなどの技能を磨いてきたという。

 ……風の強い日には高所に見張りを立てる、お年寄りの誕生日には村ぐるみで集まって祝う、わら萱屋根の葺き替えは地域の共同作業として行う、といった慣習が地域の防災力を維持してきた。災害の防止と被害の軽減につながる、暮らしの知恵や慣習あるいは儀式や様式である「災害文化」が、広域化で壊れてしまう。

  本書でもここまで、せっぱつまった工夫や素朴な知恵によって減災や復興に取り組んできた人々のことを描いてきたつもりである。「天明の浅間焼け」後の鎌原村で身分を排して村の再建を果たそうとした村の側を高くするという輪中の住人の涙ぐましい努力も、継承すべき貴重な災害文化だろう。

   筑摩書房刊(ちくま新書)、畑中章宏著『天災と日本人 ――地震・洪水・噴火の民俗学』kindle版92%(位置No.2764中 2510)「終章 災害と文化――「悔恨」を継承するために」(太字強調は引用者による)

 災害工学研究者・室崎益輝さんの共編著『市町村合併による防災力空洞化――東日本大震災で露呈した弊害』の一部を紹介した畑中章宏さんは、自著災と日本人――地震・洪水・噴火の民俗学(円城氏が読書メーターで18年4月27日読了本)で渉猟した「災害文化」と――全国各地の植生や建造物、祭礼や慣習、伝承ににじむ災害との関係と――むすびつけ、室崎氏の知見にひとつ付言します。

 こうした災害文化のひとつに「地名」も挙げることができるだろう。

 地形や歴史に基づき、ある場合には災害の記憶を継承するために名づけられた地名も、平成の市町村の合併や広域化により失われていった。土砂災害そのものを表わし、また地名にもなった「蛇抜」や「蛇崩」、広島の八木地区をずっと見てきた「蛇落地」の観世音菩薩像のことを思い起こさずにはいられない。災害が起こるたび地名と地形への関心が高まり、「災害地名本」が発売されて注目を浴びる。しかし一過性のブームにとどまり、ほんとうに心にとめておく人はそれほど多くはないようだ。

   筑摩書房刊(ちくま新書)、畑中章宏著『天災と日本人 ――地震・洪水・噴火の民俗学』kindle版92%(位置No.2764中 2520)(太字強調は引用者による)

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 世の中は複雑な履歴から成り立っていて、第1話でさらっと流される有川ユンのプロフィールのなか、ユンの共同研究者として出てきた「Hirao Jakuzure」氏だって、元をたどっていくと畑中氏が掘り起こしたような履歴が現れたりするのかもしれません。

高橋監督と僕で綱引きしつつ決めていくという感じでした。特徴的なところがあったとすれば、設定とストーリーが強めにリンクしていたので、2人で「その設定は腑には落ちるが絵にはならない」とか考えていったころです。絵にならない設定をしてもしょうがないんですよね。

    GIGAZINE、2021年04月07日『ゴジラS.P<シンギュラポイント>」シリーズ構成・円城塔インタビュー、ゴジラ初の13話構成をいかに作っていったのか?』

 円城氏はGIGAZINEの取材でこう話します。ここで言われる「絵になる設定、ストーリー」とはなんなんでしょう?

 2話まで観たぼくは、それが何かわかったつもりでいました。

 作品に登場する怪獣の性質と文明の性質、メインキャラの明晰や根性とがしっかりとむすびついた、今作ならではの惨禍やヒロイックな行動。 

 3話を観て、それとはちょっと別のものも見えてきました。

 絵になる設定とはなにも、一目にすばらしい絵ばかりを指すのではないのではないか。つまり誰の目にも鮮烈なものではない――さらっと流し見てしまう――何てことはない光景。しかし気がつくとそれからは、はっきりと見えて消えてくれない……そんな光景なのかもしれません。

 こんなぼくの印象は、この後のエピソードを観たら、またさらに変わっていくのかもとも。

 まだまだ底知れない「逃尾」という設定から、どんな「絵になる」ものが浮かび上がってくるのだろうか?

 こわくなったり、熱くなったり、なんにしても続きがより一層気になる第三話でした。

 

 

 

*1:いろいろ異論はあるかと思います。そう言うぼくが一番「ありそう」だと思っていたのは、円城氏も書評した作品でもあり、ゴジラシリーズファンから評判よかった大樹連司さんの小説『GODZILLA 怪獣黙示録』が影響をうけた作品でもある、マックス・ブルックス著『World War Z』の怪獣版でした。

*2:思えば上の脚注で「円城氏がゴジラを手がけるとしたらこういう方向性だろうか?」と話題にしたマックス・ブルックス著『WWZ』、その円城氏による書評り伝える書」(『本の雑誌』2011年7月「ゼニガメ背泳ぎ号」号掲載)も、"もの"の来歴を語る二次創作的書評でした。

 ゾンビ禍を生き延びたサバイバーの聞き書き集という体裁の『WWZ』、その独特の語りを生かして円城氏は、ぼくたちが生きるいまここの世界でもそこらじゅうにあるけれど劇中世界の住人がゾンビ禍にさいして劇中で独特の活用がなされ・いまこことはまったく別の意味合いが付与されてしまった「LOBO」なる謎の"もの"の来歴を明らかにします。