すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2021/04/20~04/26

 日記です。7200 12000字くらい。26日の話は後日もう少しまとめると思います。

 とにもかくにも古橋&別天『ィジランテ』5/7まで無料配信ですよ(区切りよいところ紹介記事を書きました)『ゴジラS.P』3話の感想記事も書きました。3話目にして遅れてきたぞ。

 あとはいつもどおり『ゴジSP』5話を観て、『マキバオー』に夢中になったりした週。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0420(火)

 宿直明け日。

 ■読みもの■

  つの丸著『みどりのマキバオー』8~10巻まで(完)読書メモ

 それは何ですか;つの丸さんによる週刊少年ジャンプ連載作です。1巻あたりのボリュームが増量したワイド版で読んでいます。

 感想; 

 7巻までの読書メモは先日の日記をご参照ください

 舞台は日本からワールドカップへ移る。

 ここまでの本格勝負から一転、風雲たけし城要素がつよいレースになる。レース自体はふしぎな内容だけど、競馬にくわしいかたが仰ったようなヨーロッパ競馬の戦略が取り入れられたり……

 ……カウボーイ・ロデオの特徴が活きるような舞台設定が用意されたりと、馬の個性をさらに紹介するような目配りで、なかなか楽しかったです。

 

 有馬記念などで切磋琢磨した黒い帝王カスケードなどの戦いを経て、世界一の孤高エルサレムにいどむ。

 マキバオーがこのワールドカップで見せる成長は、ここまでチュウ兵衛やカンスケといった騎手の意を汲んだうえで自分の思いを走らせてきたマキバオーらしい発展で、また、ここまでの道のりの走馬灯のようでもあって、胸があつくなったし、せつなくなってしまった。

 

   つの丸著『たいようのマキバオー』6巻くらいまで読書メモ

 それは何ですか;

 『みどりのマキバオー』の続編です。『たいようのマキバオー』無印は全16巻だけど、掲載誌をウェブへ移した『W』全20巻へつづく計36巻の大長編。

 読んでみた感想;

 この日は14巻まで読んだけど、下の感想文としては6巻くらいまでの内容な気がする。

 地方競馬という「興行」が(露悪的な部分なしに世知がらく描かれていて、高知競馬のアイドル・ヒノデマキバオーの笑顔がつらい。

 序盤から前作『みどりのマキバオー』のミドリマキバオーの騎手カンスケが、前作のまじめさ優しさそのままに名ジョッキーとして大成し再登場してくれるのがうれしい。

 ヒノデマキバオーの騎手であるハヤトは、なんだかツンケンした性格で、騎手としての腕もどうにもあやしい。『みどりの』で競馬場を読者を沸かしてきたマキバオー種の小柄を活かさない。馬群が密集してデッドヒートをくりひろげるコースを離れて大外へヨレていってしまう。しかもどうやら、観客席に近いほうへとわざと誘導したっぽいぞ??

 『みどりの』読者としてはついついカンスケがハヤトの(性格的な・騎手能力的な)未熟さを諭すような展開をのぞみます。みますがしかし……。

 一応の悪役的な立ち位置として、地方競馬の広報担当が立ってはいます。いますがしかし……。

 

 ハヤトはもちろん、広報担当だって憎めない存在で、カンスケが劇中舞台である高知競馬場を走ったり、広報担当がうごいたりして明らかになるのは、「中央」ではない地方の貧乏競馬場の閉塞なのでした。

 貧乏馬主のために連戦をし(そして狡い手で連勝をし)ていたけれど、その狡さを主人公らに物語的に・競技的に突かれた『みどりの』のモーリアロー

 「中央中央ってそんなに中央がえらいのか」と、「地方」から「中央」へ栄転し「国民的英雄」になったオグリキャップへ怒りの目をむけ、中央が格上であり自分たちでは勝てないことを当然視しノホホンとしている同郷馬へもまた怒りの目を向け、「地方」所属のまま「中央」の馬を完全マークしジャイアントキリングに挑む「地方の英雄」『みどりの』のサトミアマゾン……かれらの悪さや良さに対して、

「連戦していた"けれど"ではなく"だから"ととらえたら? もちろんモーリアローが負けたのはマキバオーらより遅かったからだけど、そもそも彼らは同じスタートラインに立っていたんだろうか?

「有力馬は愛着ある"地方"からどうして"中央"へ行ってしまうんだろうか?

「"地方"にとどまる馬はどういう事情でそこへ?」

 と見直すのが『たいようの』高知競馬場になりましょうか。

 まさに"貧すれば鈍す"を地でいく展開で……

www.youtube.com

 ……幼き日に見た白黒映画の冒険の世界に魅了された少年少女が大人になってアマゾンへの大冒険を夢見て仕事をしながらちょっとずつ貯金していくけれど、出産や突然の災害・家の修理・病気治療などで徐々に切り崩していき、ついには白髪になり腰が曲がりそして……というールじいさんの空飛ぶ家』冒頭や、あるいはリオンダラー・ベイビー』に立ち込める空気のように、読んでいて追いつめられた気分になり申した。つらいです。人生がそうであるように、つらい。

 

 妥協や慣れ、諦め、一念発起がんばろうにもコミュニティの足並みがそろわなくて息が続かないこと。

 ぼくらが日々生きていくうえで遭遇したり、誰かに味わわせてしまったりする、ふつうのつらさがここにはある。

 

 それは、カンスケのような少年漫画のヒーローさえもがそれについて理解をしめすだけで解決を提示しないような難しい世知辛さだ……。

 こうした物語のつむぎかた、旧作ビッグネームの活用はすごい。

 もちろん前作同様、強い情念の噴出・爆発とそれに見合う表情も描かれています。それと同時に『たいようの』は、その「キャラの・コミュニティの普通」が断絶をつきつける場面もある。

 

 漫画のキャラって色々あると思うんです。

 思想や批評について詳しくないので、こういう言い方が適切かはわかりませんが……『大奥』などよしながふみ氏の作品や萩尾望都さんの作品のように、ハッとするような「他者性」をつきつけてくるようなもの、ナマの表情を見せてくれるもの。冨樫義博さんの『HUNTER×HUNTER』の絵柄の幅広さとか。

 本の中の絵に描かれたものなのに、背筋を凍らせるような何か真理を貫くような様相を見せてくれる、キャラがキャラとして受け取れない瞬間。

 

 他方で、かわいらしい絵柄のままかわいらしい表情のまま、ふつうの調子でしゃべることがとてつもない異化効果をつきつけてくるものがある。「じぶんたちとは異なる世界に住む人なんだな」と断絶をかんじてならないような。

 『乙嫁語り』3巻の不条理に対してあの集落でいちばん知的で読者の目線にちかしいカルルクが見せる対応がそうなんですけど、他にこれという例を寡聞にして知らなかった。ああいうどうしようもなさを『乙嫁』3巻以外でようやく、『たいようのマキバオー』のカンスケのふつうの顔に感じてしまいました。

 

 集客力のヒノデマキバオー(『みどりの』のマキバオーがやさしい牧場ですくすく愛をそそがれたらこうなるのかもしれない。とにかくけなげ)、賞金稼ぎのゴールデンバット(『みどりの』外国産馬の偉丈夫ニトロニクス地方馬になった具合)、すこし大人びたバランサーでムードメーカーの牝馬ココナッツ(『みどりの』のアンカルジアタイプ。ヒノデのニックネームが文旦の文太、ココナッツが小夏と、柑橘類でまとまっていてそこも良い)……と、牧場の馬たちも魅力的で、「みんなしあわせになってほしい……」と思うよりほかない。

 

 

0421(水)

 宿直日。

 ■書きもの■

  『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』第3話感想記事をアップしました

 逆張り屁理屈オタク記事みたくなってしまいました。

zzz-zzzz.hatenablog.com

「いやまぁこれからぼくが言うことってたぶん偏食というか、『小公女』の"よかった探し"みたいなもので。

 理想としては全ショット強いほうが良いし、"ラスト10分まで席を立つな!"とかのんきなこと言ってねーで最初っからガツンと面白がらせたうえで、ラスト10分でそれをひっくり返してその面白かったそれまでの展開を"実はもっとハチャメチャに面白かった展開だった"のだと再照射してみせろよと思うわけなんですが、それはそれとして……」

 みたいな感じで。

 絶対評価で"良い絵""強い絵"のえがかれた作品群について、さまざまdigってきっちりピックアップしている識者の知見を紹介して、そうすることでじぶんの感想がいかに偏ってるか・せまいかみたいなものを提示してですね、「信者の全肯定」感を軽減しようとしたのですが、逆になんかウザさがきわまってしまった気がする。どうして……。

 

 配信まえの与太話記事で書いたこと・読んだことを再利用したりなど、記事が痩せてきたので、きちんと耕さねばならないなと思いました。

 

 

0422(木)

 宿直明け日。

 ■観たもの■

  高橋敦史監督『ゴジラS.P<シンギュラポイント>』5話鑑賞メモ

  このblogでのここまでの『ゴジラS.P』にかんするお話。放送まえ与太話記事1話感想エントリ2話感想エントリ3話感想エントリ4話鑑賞メモ(日記)。この5話鑑賞メモ(日記)のあとは、6話観賞メモにつづく。

 5話あらすじ;

 UAEに拠点をかまえる合弁会社シヴァの李博士が第4話で披露したふしぎな物質アーキタイプの謎を、博士に招待された千葉の院生・神野銘はLINE仲間と相談しながら考察する。銘のLINE仲間であるオオタキファクトリーの有川ユンは、千葉の森で出会った怪獣のふしぎな特徴の謎をさぐる。

 4話で千葉県沖で大海蛇風怪獣と接触した漁船の船員を助けるべく海保ヘリがロープを垂らして垂直降下、救助にいどむ。この怪獣をマンモス大の蛇マンダと命名、海保などが対応にあたり大手メディアがその様子を報道する。

 シヴァ社の保有する施設の地下抗にいつの間にか住みついていた四足哺乳類風怪獣との接触を確認した同社管理職は即断即決、地下抗の隔壁を閉め、坑内で接触した同社社員当人は取り残されないよう階段を駆け上がる。

 千葉県逃尾市の森で市民や自衛隊接触・発砲された鳥盤類恐竜風の怪獣を捕獲するため、地元猟友会は孫がそう呼んだことからアンギラス命名、ゴルフ場に陣地を張って山狩りにいどむ。猟友会がふつうに所持する猟銃をはじいたアンギラスのふしぎな甲羅は、猟友会がふつうは所持しない捕鯨砲さえもはじいた。類は友を呼ぶ、ゴルフ場の段々丘を逃げ降りる捕鯨砲積載トラックを助けるべく地元工場オオタキファクトリーの別の奇人・大滝は巨人型ロボ"ジェットジャガー"で割って入り、鋼の拳を打ち鳴らしてアンギラスと立ち向かう――待て次回!

 

 

  鑑賞メモ;

 ゴルフホールの段々丘を逃げ下る旧友のもとへ駆けつけるオオタキ、地下施設の階段を逃げ上がる部下(?)を平然と切り捨てるティルダ

 この対比がおもしろいし、そこへさらにはマンダにより転覆させられた漁船の船員を助けようとロープを下ろし近づく海上保安庁の試みが、オオタキやティルダたちと「怪獣にたいする天地方向の逃走・救助」劇という点で対比され、とにかく端整な作品だとおもいました。

 物語の善玉(アンギラスに対する逃尾市猟友会とオオタキ)・現実(マンダに対する海保など現実の組織)・物語の悪玉(ガバラっぽいやつに対するシヴァとティルダ)というような匙加減でしょうか。

……13話って、難しいんです。怪獣といってもウルトラ怪獣であれば1話に1体出てきてウルトラマンに倒されてもよいわけです。『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)の使徒もそんな感じですよね。でも、『ゴジラ』でそれは……たとえば1話でラドンが出てきて倒されて、2話ではアンギラスが出てきて倒されてというのは「これじゃない!」ってなりますよね。

   GIGAZINE『「ゴジラS.P<シンギュラポイント>」シリーズ構成・円城塔インタビュー、ゴジラ初の13話構成をいかに作っていったのか?』

 同時多発的にあらわれた怪獣にたいして、場所や人員がちがうのはもちろん明確にドクトリンの異なるコミュニティがそれぞれ対応に当たる展開は、なかなか世界の広さを感じさせてくれました。

 

***

 

 アンギラスの謎特性、ビックリでしたね。

 飛べるか飛べないか議論がわかれる翼竜が垂直飛翔してみせたラドンとちがい、アンギラスの個性ははっきり異様だとわかるもので、地平が一段かわってしまったような感覚があり、虹色に体色が変化するcursed image的な見た目以上に観ていて頭がぐにゃぐにゃしました。

「初代ゴジラでいきなり怪獣が熱線を吐き出したとき、観客もこのような気持ちだったのだろうか」

 と少し思う。

 『ヱヴァ破』の落下する使徒がフォルムチェンジするときとかもそうだけど、こういう感覚を味わわせてくれる怪獣にヨワいっすねぇぼかぁ。やばい怪獣が出てきてしまった。

 

*** 

 

 4話のヒキで、(町はずれの田舎道とはいえ)街なかで自衛隊が発砲したからには空気がガラリと一変するだろうと思っていたら、逃尾市の面の皮のあつさ・日常のずぶとさをよくわかっていなかったことが判明しました。

 この展開はこれはこれで好みだし、現状の被害規模的にはこのくらいだよなぁと納得がいくものです。

ラドン大量飛来による被害も、頭数(4000頭)と被害者数(負傷者140人くらい)的に2010年のツキノワグマ被害くらいなものらしい}

 深刻な事態になってしまうと、いまのように楽しく考察を行なっていくのも難しくなるだろうし、悩ましいところ。

「ごはんまだ~~」茶碗チンチンチン♪とゴジラや怪獣による大破壊を待ち切れなくなってる人の気持ちもわからないでもないし、ぼく自身はここまでめっちゃ楽しめてますが、深刻な事態になったエピソードもここまでと同じくらいの分量ついやして地獄を見せてくれたほうが嬉しい(笑)

 1クールと言わず、2クールあったらなぁとほんとうに思います。

 

 怪獣による被害は、まだ直接的に人が死んでしまうようすこそ描かれていません。いませんが、しかし今作の暴力演出は、やっぱり「殺ってやるぞ」という気概が見えておそろしい。なかなかこわい動きやシチュエーションを用意してくれています。

 海保のヘリに付着した水はヘリの急制動にあわせて流跡をえがき、アンギラスに立ち向かう捕鯨砲ピックアップトラックは赤い布をはためかせる

 4話で「揺れる漁船のシーンは運動エネルギーの可視化がイマイチだな……。2話でバックミラーの飾り物を揺らしてくれたところに抱いた夢は、まぼろしだったのか?」と思ったら、5話は上述のほか、ヘリから人をぶら下げて急制動に揺らすというイヤ~なシチュエーションを登場させてくれる!!

 2話の感想文でトニー・スコット監督『アンストッパブル』のお話もしていたので、妙なシンクロニシティをかんじました。(『アンストッパブル』にもヘリ降下レスキューがある)

(ただし捕鯨砲トラックは、一番おいしい急ハンドルきるところで、トラックのモデルが赤い布をつけたバージョンじゃなくなっていて、「TVアニメを13本4.5時間ぶんつくる。それも、2D手書き部分と3D作画部分が別会社というのは大変だよな……」となる。

 "運動エネルギーの可視化"という意味でも、単純素朴に映像の連続性という意味でもおいしくないので、ビデオ版で改稿をお願いしたいところです)

 今回はジェットジャガーコクピット内の大滝のおやっさんもシートベルトをしっかり締めている。

 

 ……これは上の描写とはちがうお話ですが、いろいろ描いたうえで「じつは助かってました」とか、なんか知らんけど生きてることがのちの劇中TV報道で補足されたりするのだけど、これを聞くとなんだかですね、

「アニメだから/終盤じゃないから生きてることにしましたが、まぁ普通に死にますよね

 みたいな正気の声が聞こえてくるよう(いや幻聴なので正気ではないのですが)、なんとも不思議な感覚です。

(あとこれ、アニメの意図した達成とかとは全然ちがう、ぼく自身の心境のお話ですが。ぼくが上のような印象をいだくとき、自分がどういう立ち位置で創作をみているのか、かなり不思議ですね。ちゃんと考えたら面白い気がする) 

 

***

 

 3話終盤から4話、そして5話と銘がユンたちと対話しながら進めている不思議な物質アーキタイプの考察は、逃尾市に現れたアンギラスの不思議な特徴にかんするユン&ハベル&フリージャーナリスト海らによる考察と重なり合って、「なるほど無駄のない物語展開だ」とたのしかったです。

 

***

 

 読了本から「大阪や北海道が出るのでは」と思っていたけれど、アンギラスの一幕もまた逃尾市で集約されそうですね。予想がはずれてしまった。

 

 

0423(金)

 和風肉スパゲッティを食べました。しょうゆバター(バターほんのり)です。おいしかった。

 夕飯のおともに有吉マツコ夏目の復活怒り新党を観るながれで、現番組である『かりそめ天国』も観ました。怒り新党に近いノリの、見るラジオですね。面白かった。

 

 ■社会のこと■

  人類補完計画ってたしかに東京五輪みたいなもんかもなぁ

mainichi.jp

 東京知事が午後8時以降は街灯以外の点灯を控えましょうとお願いされたそうで、「灯火管制か」「ヤシマ作戦か」とざわざわしていました。

 なるほどそうさなぁとか思ったりして。

 人類補完計画なるよくわからないシナリオに沿ってうごくネルフ(あきらかに怖いし私欲でうごいてるゲンドウはもちろん、平和のために頑張っているであろうミサトさんにしたって、ジェットアローンのときみたいに、競合他社をあくどい方法で蹴落としたりもする。)とかいうのの指揮するよくわからない戦いのなかで、よくわからんかたちでパワハラされたり、誉められたりする。

 ヤシマ作戦は『序』のほうだと、不登校児をたいして関わりもない陽キャが電話で「学校行こうぜ」みたいに励ますみたいな、なかなかきびしい流れになってて、ぼくは非常に居たたまれない気分になったな……。

 そういうまったく嬉しくない、なんのためにがんばってるんだかわからないけどがんばんなきゃいけないらしい感じがとても現状に似ている気がします。

 

 ゲンドウはシンジに「大人になれ」と言うけれど、ゲンドウの望みどおりに動くことは本当に大人なのか? 都合よく動かす方便としてそのワードを持ち出しているだけだ……みたいなお話をせんじつ識者がされていましたが、そんな感じがある。

 こんな状況でほんとうに東京五輪ひらくんですか? とか。オリンピック委員会に賄賂を贈ったとか贈ってないとかって話の続報は? とか、いろんなことがよくわからない。

 電飾を消すようお店を時短影響するようご協力をとかお願いたまわらなくても既に疲弊していてそもそも店を畳んだところもままあって、

  一方で、一部の企業はお上の許しを得て電飾ビカビカ大音量で𝑺𝑼𝑷𝑬𝑹 𝑪𝑯𝑰𝑵𝑲𝑶してもいる。いろいろなことがよくわからない。

エヴァンゲリオン発進!」ゲンドウがミサトさんが求めるみたいに、ぼくらもヨシロウやコイケさんが求めるみたいに𝑺𝑼𝑷𝑬𝑹 𝑪𝑯𝑰𝑵𝑲𝑶するべきなんだろうか。

 

 ■ネット徘徊■

  コミュニティで千差万別の作品観

tohyotalk.com

 ツイッターでパブサして読める『ゴジラSP』感想(体感賛否9~7:1~3くらい)とはだいぶ違う空気が味わえて興味深かったです。

 春アニメへの同種の記事まとめもみてみたら全体的にシビアな評価で、『ゴジラSP』は健闘しているほうみたい。(「おもしろい」が多い作品、ザッとみたかんじ『スーパーカブ』くらいしかなさそうな……)

 それぞれのサイトで利用者層もちがってくるんでしょうけど、賛否を左右するのは匿名か固定ハンドルかも結構かかわってきたりするのかなぁ? なんて思います。

 ツイッターのような固定ハンドルのSNSは、利用者がなにかを否定したりネガティブな意見をのべると面倒な事態にまきこまれかねない(※)ので避けられ、ポジティブな意見が集まりやすいというような面があるのかもしれませんね。

 

 「へぇ~」て感じだったのが、けっこうな投票者がけっこうな長文でその理由を書いてくれてるところ。読んでいるぼくがその見方にうなづけるかどうかはともかくとして、書いているかたがどうしてそういう評価をくだしたのかはわかる。

 ツイッターだとこう、気になるツイートを見かけてもその前後を読んだところでそのひとが具体的にどんな描写を見て具体的にどんな考えでそのような結論に至ったのかわからないことがままあって、そのひと個人がどういうことを考えているかを遡る必要があり、遡ったところで結局わからない(どこまでさかのぼっても、うえのようなツイート群だけがあるだけだったりする)ことがあるので、こういう意見のほうが読んでいてモヤモヤ感はすくない。

 

(※)ゴジラS.P』でも、

ゴジラでやる意味はあるのか?(反語)」「他作をオマージュしたあの音楽を今作で流す意味はあるのか?(反語)」といった旨のつぶやきに対して、

「やいのやいのちっとも楽しくないなゴジラ界隈って思う」といった旨のリアクションが出て。

 それに対するさらなるリアクションとして、

「作品へ異なる評価をくだしただけで「わからん。面倒くさい連中だな。」と批判される筋合いは無い。

 と人格批判をひかえましょうという具合のもっともな意見と一緒に、

「他作からの引用は、「同じ連中が支持してる作品同士だから人気ある要素を共通使用したら皆喜ぶだろ」って発想が嫌」だと作り手が一言も言ってない思惑にたいする人格批判も一緒に出て(それが争いのもとなのでは!?)……と面倒くさい空気がただよってました。

 

 

0424(土)

  一日じゅう寝てました。たらこスパゲッティを食べました。おいしかった。

 コンビニへ公共料金の支払いをすませ、コンビニ払いもすませ、コンビニ受け取り商品を受け取りました。

 先週はコンビニ受け取り品が気づいたら1週間過ぎてしまって注文キャンセル/送料ぶんマイナスされて支払い料金バックの憂き目にあいました。今回は受け取れてよかったなぁ。

 

 

0425(日)

 一日中寝てました。レトルトのミートソーススパゲッティを食べました。きざんだニンニクをましまし+食べるラー油です。おいしかった。

 

 

0426(月)

 宿直日。

 なんかきびしい流れを見たけど考えがまとまらんので来週の日記にまわします。

(とか言いながらモゴモゴ書いてしまう)

 上の日記で、「固定ハンドルのSNSは、利用者がなにかを否定したりネガティブな意見は避けられる傾向にあるのでは」とか言いましたが。そういう自制がはたらきそうな場で(当人的にOKだろうと自己判断がくだされたうえで)ふつうにした発言だから、より一層きびしいんでしょうね……。

 

 去年のおれの野次馬記事もこういう流れに悪い意味で貢献しちゃったのかなぁと思えてきました。

 ここまできびしい空気があることに気づけてなかったです。

(去年のゴタゴタにかんするはてなブックマークなどでも嫌な流れはチラついていたので、もっと本気で受け止めておくべきだったんだろうけど……

b.hatena.ne.jp

 

 雑な把握だけど、たまに見かけて気になっていた団体の起源みたいなものが知れてよかったです。

 大仰な(というか何か格式ばった)看板だけどなにか運営母体があるわけではなく、大昔の個人サイトのリングみたいなもの、一昔前の「わさらー団」みたいなものなんですね? たぶん?

 もしかしたら、はそわー団(早川創元河出こくしょかんこーかい大好き団)とかならそこまで燃えなかったのかもしれない。{でも、批判されたうちのお一方はあちらのクラブだけでなく、FM局で活動されたり・大きな賞などをとりしきる日本SF作家クラブの会員さんでもあったりしたそうで……。

 そして、じぶんが有識者である・違いが分かる者であるという上から目線や、持たざる者のルサンチマンがこじれた(どうせあなたさまがたはこっちのことなんかわかっちゃくれないという)下から目線などは、今回燃えた御仁以外にもぼく含めチラホラあったから、いろんなひとのなかにくすぶっていたものに火がついたのかなという感じが……}

 

{4/28追記。

 ミソジニーなどとはまた違いますが、プロの作家さん方が中心となってトークをされていた『SF×美学』を観て、非常にキビしい気持ちになったことは過去の日記で書きましたね……}

{さらに追記

 いろいろ思いかえしているうちに、SFの人やオタクにかぎらず僕含めいろんな人が、自分が知らんかったり自分と意見の異なっていたりする人やコミュニティについてナメてかかりがちだから、節度あるふるまいをしたほうが良いっすよね、くらいの気持ちになってきました……}

 

***

 

 アッそうそう、SFが売り上げ的な意味で春かどうかはあやしくないですか?

 『ゴジラSP』の一話先行ライブ配信、演者勢揃いの上映前トークを一時間やったあとのアニメ開始直前の段階で同時接続者数2000でしたよ!?

 全員が円城塔目当てだったとしても二千人だぞ!?

 

***

 

(4/28追記)

 こういうの言うのって多分トーンポリシングになっちゃって、たぶん柳下毅一郎さんが昨今の事件で見せたみたいなみっともない行動になっちゃう気がしなくもないんですけど……。

 

「男性作家と男性読者と、男性批評家と男性編集者で仲良しこよししてきた結果として「SF男性読者のホモフォビア&ミソジニー」」

 とか。

「百合SFのインタビューで「こちらに興味がない顔の美しい女性キャラクターは、めちゃくちゃキレイな景色の擬人化に近い」みたいな箇所があり、早川の百合SFアンソロ買ったときにもほとんどそれとおなじ読後感のものが複数あって、」

「それは情景描写に対してプライオリティがない、読者にも作者にも興味がなくて、擬人化で女性にしてようやく読めると思ってるのか、めちゃくちゃキレイな景色みたいに遠いものにしなければ、卑近的な生身の女には憎悪がでるという話なのかな、とか考えていた」

 とか、

「「これ本当に女と女の感情かなあ? 興味があるの他者ではなく自己とガジェットだけなのでは??」というところがあり、男性にモテてる百合というのは結局ガジェットのことなのでは?」

「百合という名前の女体を使いこなすガジェットのひとつ」

「何個かは読んだけど、すごく……カジュアルな私小説ぽさを感じたんだよな エヴァみたいに作者本人の話にシームレスに繋がらないように、女性身体に置き換えた上でやってるというか」

「重要なのは女の身体があることなので、女が社会的に苦しむ父家長性とか貧困とか、その辺はあんまりどうでもいいのだろうなーみたいな。書くとしてもその辺の背景がソ連とか大正時代とか、亡くなった国やそれらが続いてたら!調に描写されてるように思える。」

 とか、興味ぶかく聞かせてもらってるし、頷く部分もあるのですが、他方で、100パー頷ける話じゃないなとも思うわけです。

 

 SFマガジン19年2月号(百合特集)百合特集2021『百合SFアンソロジー』に寄稿したり取材されたりしたかた・『SFマガジン編集部』はべつに男性だけじゃないんですよ……ということは言っておきたいです。

{そもそも性別非公表だったり男女でザックリ二分していいもんじゃないだろうというお話だったりってあると思うんで、乱暴な話なんですけど、前回の百合SF特集号にくらべて、合特集2021』の寄稿者・インタビュー相手は男女比はかなり変わったと思います。

 『2021』のほうの寄稿者・インタビュー相手は宮澤伊織さん&佐藤卓哉さん(『裏世界ピクニック』原作者&アニメ版監督対談)、花守ゆみり氏&茅野愛衣さん(『裏世界ピクニック』主演2人)、斜線堂有紀さん(小説)、届木ウカさん(小説)、小野美由紀さん(小説)、櫻木みわさん&李琴峯さん(小説)、伊藤階さん(漫画)、水沢なお氏(詩)、根岸十歩さん(小説)、月本十色さん(小説)、ふりっぺ氏、『百合姫』編集長梅澤佳奈子さん&『百合姫』編集伊藤さん&ガガガ文庫編集榊原さん&pixiv宮武さん(座談会)、将来の終わり氏、嵯峨景子さん(敬称は見やすさのため漢字でおわるひとは「さん」、ひらがなのひとは氏「氏」にした)

 企画自体は溝口力丸さんが担当だったようだけど、『百合特集2021』刊行当時(最近の号が本棚にうもれて見つからない)SFマガジン編集部自体は溝口氏にくわえ塩澤快浩さんと梅田麻莉絵さんの3人体制}

 

 ぼく自身、たとえば『パシフィック・リム』イベントツイッターなどで男性クリエイター・批評家から不用意になげかけられる(のちに謝罪・撤回された話をむしかえしてアレですが)「マニアックな趣味をもつ女性は、彼氏の影響」みたいなひどい偏見とかから露わにされる、ある分野にかかわるひとについてヘテロセクシャル男性ばかりがクローズアップされて、それ以外のひとが無視され、視界に入ったら「及びでない」扱いされる状況は、普通に最悪だと思います。

 思いますが、こういう話をするときに、現にそこで仕事しているひとをいない者扱いするのもそれはそれでどうかと思うわけなのでした。もちろんたとえば、

「さいしょの百合特集の段階で/そもそもそれ以前の空気から"なにも改善が期待できない"と見限りました」

 といった判断をくだされたかたがいらっしゃったりするのであれば、その後の動向なんて付き合ってられないでしょう。

 「もしかしたら……」といちるの望みをいだいてまた近づいてみてそのたびに裏切られ落胆・失望するのはつらいことだし、そんなことぼく自身したくないし実際しません。

 どうしてもこういうことを言うと「前と今じゃ違うんだ! そこも知らないで……」みたいなイヤ~な調子をふくんでしまうし、こうやってゴニャゴニャ言うからにはぼく自身そういう気持ちがやっぱりあるにちがいないんですけど、なんというんですかね……。むずかしいな……。

 

***

 

 いろいろ書いておいてあれだけど、「おれみたいな頭のわるさと視野狭窄と妄想から他人様に迷惑かけた人間がどの口で言うか」という感じになってきた。