すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2020/08/25~09/01

 日記です。4万5万字くらい。

 概念上夏休みの宿題は、先週のつかれがぬけず、なにもできませんでした……。今週もおもにvtuberの話です! 小野町さんパワプロ配信やASMR配信にうかがえるおもてなし精神や、委員長の『Fallguys』実況プレイ+モノマネ配信でびみと140字で怪談配信が秀逸だったという話。『SF×美学』配信について感想書いてなかったんで書き足しました。本編の感想もそこそこに、最後の駄弁りに対するネガティブな話が多くなっちゃった。(※戦線拡大させたくないので補足。スターが付いたのはそゆこと書く前だから、スターつけた人がぼくの文句に賛同しているなんてことは確実にありません

 また今回もページ最下部には18禁エロマンガの話題があります。下品でエグくイカくさい話がだめな人はご注意ください。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0825(火)

 仕事休みでした。なので、夏休みの宿題(に方向転換した、本当は1~2週間くらいで書き上げるつもりだった、野次馬記事②)をすすめようと思っていましたが、ガッツリ寝てしまいました……。

 

 

0826(水)

 ■blogのこと■

  1年間日記を書きつづけられたことに気づいた

 週1更新の日記けっこう書いた気がしたのでたしかめてみたら、去年の7月末から日記カテゴリを創設したみたいで、つまり、このblogにはここ1年分の文字化された暮らしがアップロードされているのだな~としみじみしました。

 最初のほうからし

「記事が書けてない」

「今週も書けませんでした」

 という旨のかなしい文章がつづきますが、今ではそうした文章も少なくなりましたね。

 日記以外の記事なんてアップできないのが日常となってしまったからです(もっとかなしい事態だった)。

 

  文章を読めない状態の改善策としての、往年のテキストサイト文体(フォントいじり)やケータイ小説(空行多用)

 6月に状況報告したことについて、もう少し考えてみる。

 体力がなかったり集中力がおちたりしているとき、文章が読めなくなる。

 読むモード=文章を頭に入れる行為をするモードに切り替えられなくなるのだ。

 

 いわゆる"目が滑る"というやつかもしれない。そうなりやすい文章としてパッと思いつくのはとりあえず2例ある。

 改行もなしにつらつらと書かれた文章がいちばんキツい。(そういう文章には、もちろん空行もない)

 読むための"文章"として認識せずに、そういう"均一なサイズの記号が等間隔にゴチャゴチャと並んだ図像"として"見る"モードにはいってしまうのだ。

 一文やパラグラフのなかで、複数のトピックが取りざたされるのもこれまた厳しい。

 ひとたび読めたとしても、ふたたび要点を確認しようとしたら、はたしてどこに何が書かれていたんだったか……気分は赤い半透明の下敷きを置いた『ウォーリーを探せ』。

 

 その現象は、じぶんが書いた文章でも起こる。

 誤字脱字を確認するため、むかし書いた文章を読み返してみる。すると、話のまくらや本題がのみこみやすくなるよう意図したつもりの、本題と本題のあいだに挿し込まれたレトリック(として用いたうんちく話)にやたらと文量がかけられていたり、何と何をむすびつけたいのかイマイチ迂遠だったりするために、

「けっきょくこいつはなにを言いたいんだ?」

 と、理解に時間がかかり、誤字脱字どころのさわぎではなくなってしまう。

 

 文章作法のなかには伝わりやすい文章にするためのプロトコルとして実用的な理由から生まれたものもいくつかあるんだろうと思う。

 パラグラフライティングなどの理路整然とした書きかたなどは最たる例っぽい。

 パラグラフの最初の文に言いたいことを書き、つづきに補足情報を書く。パラグラフの最初の文だけつまんでいっても論自体が読めてしまうというアレです。

 また、

 ウンチャラカンチャラと思う。理由はn個ある。

 第一に、ウンチャラ。

 第二に、カンタラ。

 最後に、ホニャララ。

 というような、主張・論点の筋道が最初に提示され、チェックポイントがわかりやすい位置に用意された文章も読みやすい。

 

 ただ、どちらの文章も、書こうとすると面倒くさい。

 そういう文章は、じぶんがこれから何を言おうとしているのかキッチリカッチリ固まっているときでないと書けない。だって理由が1個になるか無限個になるのかわかってないときに、「理由はn個ある」とは言えないし、「最後に」とも書きようがないじゃないか。

 下書きも改稿もなしに、じぶんでもよく考えがまとまってないことを、ただただつらつらと思いつくままに書きたいときには使えようがないのだ。

 どこかのタイミングで推敲が必要となるだろう。くどくどした文章を読み返し、あれこれ書き直すのだ。

 面倒くさい。それに、ぼくのようなバカがおこなえば、先日はなしたようなタイプの文章の改造事故・合体事故をまねきコラテラル誤字がうまれる。面倒くさすぎる。

 

 そして、そうした面倒をかけたところで、けっきょく、どれだけ論点の整った文章でも、同じフォント・フォントサイズの文字が数行にわたってごちゃっと並ぶという事態は起こり得て、そうなってくるともう、ぼくはその文章を読むためのものと認識できなくなる。

 連なりすぎた日本語の文字列を、オリエンタルなモザイク模様という視覚情報の箱に入れたくなる局面は、いつかどこかで舞い込んでしまうのだ。

 読めばスラスラ読めるかもしれない。でも、文章が理路整然としているかどうかは、読めるひとが気にすることで、そもそも読書というスタートラインに立てないとき=読む気になれない事態に対する処方箋ではない

 

 その点において、往年のテキストサイトの文体や、あるいはかつて、

おもに、

女子中高生にとって、

まさしく、

じぶんたちの声

そのものだった、

 

 

 

ケータイ小説の文章

 

 というのは読むこと自体が面倒な状態に対しても有効なように思う。

 どちらについてもやり過ぎたら読みにくくなってしまったり下品・ダサくなったりしてしまうと思うけど(ぼくにとっては、現市川海老蔵さんのblogなど一部芸能人の文章は空行が挟まれすぎて、読んでられない)、使いどころを絞れたら結構よいのではないでしょうか。

 

 そもそも会話やプレゼンにおいて、主張したいことを強く大きな声で述べたり、聞かせどころで

ちょっと

タメてみたり

とかするでしょう。

 また、聞き流してほしいとか、場をなごませるのをねらった脱線・冗談は、なんかヘラヘラと笑いをうかべながら話したりするじゃないですか~。

 書物でもすでに、文章に傍点をつけてみたり"(笑)"などとそのときの話者の表情を補足するのは当たり前に用いられているとおり、声色のちがいをフォントいじりによってあらわすようにしたってよいはず。

 

 まぁフォントいじりにしたって、使いどころを見極める必要があり、けっきょく推敲という面倒もおこなわにゃならんわけだけど。たとえば、

 文章読む気おきないマンに対して、有効な手段は2つある。

 一つは往年のテキストサイト文体。要所で文字をおっきくしたり、文字色を変えたりする。

 もう一つはケータイ小説文体。要所で空行を多用したりする。

 と1パート丸々書きなおすよりも、いくらか楽ちんだ。また、特定の語や語順でくくる以外のくくりかたができるから、文章もたしょう適当でも大丈夫(そうな気がする……)

(利かせた結果が、この日記のこの項の、"目が滑る"文章についてふれたパートです。

 言ってる構成は上のような内容だけど、「一つは」に類するチェックポイント的文章は最初に置いてない。

 目が滑る(主張)、例の個数、例を個数だけ太字にして、くくったから大丈夫なのではないかと思う)

 

 

 ■書きもの■

  『バビロンまでは何光年?』感想をすこし書き足した

 めでたいことに『バビロンまでは何光年?』が星雲賞を受賞しました。その関係で、本blogで去年にかいた感想をふむかたが増えました。

 当blogのアクセス者は9割以上が検索エンジンからのお客さんなので、人々がどんな事柄に興味があるのか「ふむふむ~」となるんですが、だいたいにおいて天下のジャンプ連載作家・藤本タツキ先生の読切『妹の姉』感想記事や、絶賛連載中の『Artiste』感想記事がだいたいトップとなるなか、ヤングチャンピオン烈コミックスが一位になるところで「星雲賞なかなかやるじゃん!」となりました。

 

 『幼年期の終り』とか読み返さなきゃな~と思いながら1年余が過ぎてしまった……。ぐだぐだしていながらも、つまみ読みはしたので、感想にも書き足し反映させました。

 

 

 ■ネット徘徊■

  SFマガジンで企画されるかもしれない異常論文特集が気になる

twitter.com

 作家でスタートアップ会社でCSFOをつとめる樋口恭介氏。かれが『SFマガジン』2020年10月号掲載の柴田勝家ランツマンの秘仏を読んだツイートをしたことでワイワイ立ち上がりつつある企画みたいです。

 

 異常論文といえば、短編集『めらかな世界と、その敵』の感想でふれた、ケンブリッジ大の論文『The Identity of the Great Conqueror Genghis Khan with the Japanese Hero Yoshitsune(大征服者成吉思汗は日本の英雄源義経と同一人物なること)』なんてのもありましたね。

 {明治一八年(1885年)に}義経再興記』として内田彌八氏により邦訳出版・重版出来されたこの論文の著者末松謙澄氏は、のちに日本政府の内務大臣(第四次伊藤内閣)をつとめることとなるわけで、もし異常論文最強スレなんてあったら、

ジンギスカン義経論の末松>>>>日本政府・内務大臣の壁>>>>ポスドクからポスドク>>査読の壁>>ほかの異常論文小説」

 とかって煽り散らしてますねぼくは。

 

 個人的に楽しそうだなぁと思う構成。

 ガッチガチに異常な(世界やら現象やら文化やら生態やらをあつかった)論文の体裁の小説があれこれ出てきたうえで、マガジンの最後に、たんなるいまここの現状についてそのまま書いただけの論文が〆めくくると楽しいな~なんて思います。

 かつてCiNiiで誰もが読むことができた(※)スドクからポスドクへ』とか最高でしたね。これは物理学会誌に載った・査読も通ったテクストですが、

「食えない小説家になったのは、それ以上にポスドクが食っていけないから」

 というまさしくこの特集で取り上げるにふさわしい異常――な、しかし日本のどこででも見られるが誰もかえりみない日常をしるしただけの――論文でした。読めなくなって数年がたちましたが、円城先生の文筆のなかでもトップクラスに面白いと思います。

 どこかでもういちど陽の目を見てほしいな~なんて望みますがはたして……。

{※NII-ELS電子図書館事業の終了にともなうもので、禁書扱いにされたとかではないです(笑)}

 

 

 ■ネット徘徊■観たもの■

  『【SF×美学】SF作家は分析美学者の問いにどう答えるのか?』を観る

youtu.be

 主催で美学者のナンバユウキさんが、SF作家6名に5つの問いかけをそれぞれするという配信です。興味深い内容でした。

 コメント欄にナンバさん自身がこまかくタイムスタンプを記してくれています。(ありがたや~)

 録画視聴のかたでぼくみたいなせっかちなひとなら、14:36へ(分析美学について知ってるひとなら、19:20~の本題へ)飛んでしまうのも全然アリだと思います。

 

   ▼『【SF×美学】SF作家は分析美学~』タイムスタンプ

※敬称略。発言内容はzzz_zzzzがテケトーにまとめてます。「」でくくっててあったとしても別に正確な引用ではありません。

※なお大滝さんは、事前にnoteで各設問に文章で答えています。配信で話したこととは別角度・別の具体例が挙げられたりもするので、あわせて読むと良いかんじです。

 

1 SFとしてよいと思うのはどんな作品か? 19:15

 1-1草野原々19:39

  ・デカいものが出てきたら問答無用で面白い。20:18

   (ex.スティーブン・バクスター

  ・SFはWhatやWhereを究極的な疑問として扱う。対して他の小説は……22:29

 

 1-2宮澤伊織24:50

  ・SFは絵≒インパクトだ(原々の定義にも通じる)

   =良い映画は鑑賞後、映画館から出た外の風景が変わって見える映画。25:28

    →たぶん映画にかぎらず小説などでもこういうことは起こりうる。

   =良いSFは読者の認識を書き換えてくれる。26:21

 

 1-3麦原遼27:15

  ・良いSFはバカバカしさと崇高さ(1)と、「生きてるな~」感(2)

   =1-3-1世界の理(ことわり)を震撼するような作品(ex.=『都市と都市』『時間衝突』)

   =1-3-2「生きてるな~」「生きていてよかった」と自分が読んでて思ってしまう作品(ex.『皆勤の徒』)28:45

 

 1-4高橋文樹29:54

  ・SFは巨視的な展開をしやすい(ex.『竜の卵』)

   =現実離れした世界の提示は他ジャンルではやりづらいかな。

  ・特異な条件による社会学的実験的な想像もできる。

 

 1-5柴田勝家32:27

  ・良いSFは場所について書かれたもの。

   =「ここじゃないどこか」を想像できるのが良い・必要な点。

  ・柴田のいだくファンタジーとSFの差とは?

   =同じような異世界を描いても現実と距離感が近いのがSF。

 

 1-6大滝瓶太34:57

  ・世界を動かしている因果律そのものにフィクションの想像力を付与したもの。35:53

  ・因果律に対してSFが取るアプローチは2極ある

   =(前提)物事が起こるということには上流と下流がある。上流にニュートン力学やらの"法則"があって→われわれの五感に感知できるような"現象"としてアウトプットされる。37:15

   =1-6-1上流について想像力を働かせていて、下流については嘘がない(けれど、上流が曲げられた影響で、下流では大きな変化が生まれている)作品(ex.グレッグ・イーガン37:43

   =1-6-2下流の光景しか見えず、上流についてはアクセスできず「何かおかしい」という予感だけがあるような作品{ex.アンナ・カヴァン『氷』(やカフカ『変身』など不条理小説)}38:27

  ・上をふまえ良いSFとは、上流に巨大などうしようもないものがあるということをクリアに示してくれる作品・それに対する手触りがたしかな作品。39:05

 

 1-7ナンバユウキによる総括40:19

 

2 SFを書くことで読者にどのような経験をもたらしたいか? 41:05

 2-1宮澤伊織41:30

  ・びっくりさせたい。

   →Q「ジャンプスケア的なものではないですよね?」

    →A.小説で突然音が出せるならそれはそれでやってみたい。

    →A.そういった効果は小説面だとタイポグラフィである程度達成されていそう。

   =あらゆる手練手管で驚かせたい。

 

 2-2麦原遼43:55

  ・混乱(一作一作ちがいますが共通項をあえて探すと)

   =窮屈な現実に対して

   =現実を書くとなるとつらいことしか書けないので、「遊びたいな」と。45:40

    =現実が、かつて喪われたものとこれから喪われていくものの集合体である気がしてしまう。46:09

     =人間が人間でいられるものは、それらと違うところにあるのでは? ……という抵抗として書いてる。

   =読者にそんなに気持ちよくなってもらわなくてもいいかなって思う。45:10

 

 2-3柴田勝家47:15

  Q「作品ごとに語りや小説の構造が違うけど、意識的にやられていることですか?」47:15

   →A文体などは発表媒体によって変えようという意識はあるけど、そこまで自覚的におこなっていない。47:45

  =ぎりぎり騙されて、「なんだあれ嘘だったのか」て思われるくらいリアルなものを提供したい。それをつづけ読者も嘘と現実の境がわからない領域まで行かせたい。48:20

 

 2-4高橋文樹51:00

  ・現状の倫理観をふみにじるくつがしたい。

 

 2-5大滝瓶太53:39

  (・読者のことをあまり考えていないので返答がむずかしいが、しいて言うなら……)

  ・小説そのものを現象(自然現象)として扱いたい。

  ・「各人のつかう言葉は究極的にはそれぞれ全然ちがう言葉をしゃべっている」と考えていて、その異質さみたいなものを伝えられれば。54:50

  ・各人のわからなさについて付き合ってもらったり、共有してもらえたら。56:25

 

 2-6草野原々58:26

  (・読者のことをあまり考えていないので返答がむずかしいが、しいて言うなら……)

  ・編集を通らせるという点でコントロールしてはいる。

   ・ただ、どうやったら編集を通過できるかもよくわかっていない。

  ・書いているときに自分がなにを思っているか?59:54

   =このアイデアは面白そうだという感覚はある。

    =「じゃあ小説に投入しよう」と。

   =自分に対して勉強を強制させるような素材選択はしている1:00:26

  ・感想見るのがこわい。

 

 2-7ナンバによる総括1:02:45

 

休憩

 休-1 ツイッターからの拾い上げQ2にたいする飛浩隆の言から時事を扱うことについて1:04:05

  草野「いまの流行ネタを入れようというのは、読者に読んでもらうためにやっているよね」1:05:05

  高橋「コロナとかBLMとか社会的な問題にたいして、"おれだったらこう書くぞ"という野心を持って書いている作家は多いんじゃないかな?」1:05:15

  大滝?「デリケートな問題だからなかなか書きにくいんじゃないかな?」1:05:45

  宮澤「書きたいところはそこじゃないので書きたくないんだけども、影響がでかすぎる、みたいな」1:06:15

 

 休-2 科学の発展で創作の表現に影響がでることもあるだろう

  高橋「長谷敏司氏の言だったか、さいきん超能力ネタが下火なのは、脳科学研究の発展により"脳はふだん7割もの未使用領域があり、それを使えばいろんなことができる"的な俗説が一蹴されたためでは? という推測があるそうな」1:08:50

  高橋「さいきんの超能力や魔法は、演算=コンピュータのメタファ的な立ち位置が多くないですか?」1:09:44

  「大規模な演算があつかわれるのは、パラレルワールドとの親和性もありそう(ex.『十二大戦』)」1:10:29

 

 休-3 Q「需要の変容の話について、参考になりそうな分析美学の過去の研究は?」1:12:30

 

 休-4 Q「SF小説/映画というメディアの違いについて意識されていることは?」1:13:25

  →A草野「小説はめっちゃ説明ができる」1:13:41

  →A宮澤「小説は読者が自分のペースで読み進められる。映像作品は時間経過が媒体とともにある。小説が他のメディアと戦うことができるとしたらこの特性だけじゃないか」1:14:09

  →A麦原「小説はビジュアルがない存在も登場させられる」1:16:25

  →A草野「概念が扱いやすい」

  →A宮澤「予算も関係ない。大量の宇宙艦隊が1行で出せる」

  →A高橋「大長編群像劇は小説がつよい」

  →A宮澤「放送コードも関係ない」

 休-5 Q「書く時(読む時)に映像を想起しながら書く(読む)派ですか?」1:18:26

 

3 SFは読者に現実の世界について知識・洞察・認知的能力をもたらせるか? それはSFとしての価値か?1:22:30

 3-1 高橋文樹1:23:20

  ・いわゆる異化作用に関する質問だと思いました。(SFに限らず文学全般にかんする問いかな? と)

  ・1-4の具体例的なおはなし(たとえば一般文芸の世界で大きく扱われる"疑似家族モノ"を、SFだとどのように描けるか)

 

 3-2 麦原遼1:28:57

  ・むしろ「価値とか壊してくれよ」という。読者の役に立つとかそれ自体が腹立つ話じゃないですか。

  ・べつにSFじゃなくても知識・洞察・認知的能力をもたらせるのでは。(ノンフィクションとか)

  ・SFは多分ただのSFでしかなくて。SFを語るときにどういう語り方をするかという問題なのかなと。1:31:18

   =SFを社会のなかで位置づけようとするときに、人間がじぶんの人生とか社会とかそういうものの価値をどんなふうに見出してしまうか? という問題なのかなと。

  ・「SFが人間や社会に変化をもたらす」と言うときには、背景に「人間が善くなる」というような啓蒙的な価値観があるように思われる。1:41:36

   →SFをそういうふうに人生で語ることには抵抗を覚えるけれど。

   →しかし、「SFの性格(=物事を拡張するジャンル)的に、そういう語りや設問の方向性は必然的にあらわれてくるもんなんだろうか?」と気になりました。1:42:00

 

脱線 樋口恭介『構造素子』をSF作家はどう読みましたか?1:32:20

 脱-1 高橋文樹1:32:35

  ・『構造素子』はミシェル・ウェルベック的だと思った。

   =語り手の来歴をめぐるアンビバレントな視線が、ウェルベックの反出生主義を思わせる。SF哲学。

    =反出生主義が注目されるのは「ファクトフルネスでいえば、格差も絶対的な貧困も解消されつつあり世界はポジティブなほうへ変わっていっている(変わっていってしまっている)が、人間の問題はべつに解消されていない」というような現状認識からくるものだと思いますが、そういう潮流に敏感に反応している作品。1:34:20

 

 3-3 柴田勝家1:35:37

  ・小説や想像力の存在理由は「じぶんが経験していない出来事に対処できるか?」があると思う。

   =火が熱そうだなとか刃物こわいなとか。

    =この想像力のすすんださきがSF小説なのかも。

 

 3-4 宮澤伊織1:38:50

  ・SFに啓蒙的価値の有無についての問いだと思うけど、問い自体が作家のやりたいことと噛み合ってない気がします。

   =価値なんてなくったって小説は書いていいんですよ。

  ・読者や社会のSFの期待の表れだと思いますが、言い換えれば「お前は何の役に立つと思ってこれやってるの?」という問いでもある。1:40:45

   =作家が答える義務はない設問だと思いました。

   =ミステリやホラーでこの質問をするひとは見かけたことがない。1:42:13

    →高橋「純文学など文学全般について手を変え品を変え、SF以外のジャンルでも言われてる問いなのでは。たとべば今ならアニメ化というゴールがあると見做されもするラノベジャンルとかは"映像化のための素材なのか?""ラノベ自体の価値は?"みたいな話は出る。(映画発明後は文学にたいしそのような話題がでた)」1:42:48

    →高橋「ミステリでそういう声が出ないのは恒常的に売れてるから(笑)」1:43:35

    →高橋「SFプロトタイピング的な方向だと、啓蒙主義教条主義的な立場から聞いているんではなくて、答えがないからじゃないか」1:43:58

     =高橋「"なんかしないといけないけど、なにしていいかわかんない。(SFのような)なんかずっと変なことを考えている人たちに聞いてみよう"という程度の問いなのでは」1:45:03

 

脱線 フィクションの悪影響について

 ・ナンバ「麦原さんの疑問に"たしかに"と思ったんですが、なぜSF=啓蒙につなげたがるのか? SFを読んで悪いほうに転がってはいけないんでしょうね?」1:45:20

  →高橋?「ふれたら悪くなるっていう意味で拡張させると、『虐殺器官』はそういう小説だったなぁと」1:46:06

 ・ナンバ「ポルノグラフィについても美学的に研究しており、とくにポルノを見ることで悪いジェンダー感が育まれたり倫理的問題がある行動を引き起こしたり……っということを考えると、"フィクションというものが多かれ少なかれ現実に影響を与える"っていうのを考えなければ、こういう認識的価値というのは言えなさそうだなと思うんですが、」1:46:55

 ・「原々さん、フィクションは現実を動かせるでしょうか?」1:47:30

  →草野「そういう場合もあるでしょう。ナチスの映画が動員されたり、身近な例だとマリオカート的車の公道レンタル事業など」1:47:42

 

 3-5 草野原々1:48:40

  ・科学者・技術者が書いたSF小説には科学的知識の認識的価値が保存されているし。1:50:00

   →ジュール・ヴェルヌなど過去のSF小説などは当時の科学的知識がどのようなものか認識的価値を保存しているでしょう。1:50:17

  ・一般的なSFが認識的価値を有しているかというと、否定的な立場をとってます。1:50:37

   =たとえば私(草野氏)自身は、小説を書くさい科学的な事象や知識をネタにしてますが、その分野の専門家でもなければ、べつに科学で正確であれと要請を受けて書いているわけでもない。参考文献の記載もないし、査読者もいない。

  ・SFは可能世界をえがくもので、その可能世界には現実世界に制約されるというシステムがない。1:52:10

 

 3-6 大滝瓶太1:53:50

  ・(読むという行為をつうじて)現実に身を置きながらフィクションの世界に触れて、いかにしてそれを現実のほうへ持って帰るか? その実証方法はどんなものか? ……ということなら、今のところぼくにはわからない。1:54:14

  ・ 桜井晴也『世界泥棒』の話。むちゃくちゃな異質な世界に生きる劇中人物が、ふつうにプルーストを読んだりアンゲロプロスを観たり、ケータイの充電をしたりしている……フィクションの中で現実をやっているみたいな作品。こういう感覚についてどのように批評できるか考えていくことでなにかできるんじゃないかな? ということは思う。1:54:55

  ・SFに価値があるか、その問いの答えはわからないけど、「SFに価値はあるの?」という問いに対する小説を書くことであれば。

 

 3-7 ナンバの総括1:58:45

  ・電気技師・アマチュア無線師だったヒューゴー・ガーンズバックの無線雑誌・SF雑誌創刊への意気込み。1:59:19

  ・H・G・ウェルズの英国社会学学会をつくろうとした際のキマった発言。1:59:45

  ・ 先達のSF作家と科学やSFの距離感にたいして、現代のSF作家はどんな距離感なんだろう? と考えていたので、いろいろお聞きできてよかった。2:00:38

 

4 SFの批評に求めることは何か?2:01:00

 4-1 高橋文樹2:03:03

  ・文学研究や文学理論はわりとよく読むほう。

  ・文芸時評はまじめに読んでなくて、アクセス解析ツールみたいに捉えてる。

  ・読みたい批評2つ。

   =「そんな風に読むことがあり得るんだ!」と新しい視点をもたらしてくれる批評。2:04:10

   =数字や歴史を教えてくれるような批評。

    =SF批評ならSF史とか、そこへ新しい軸を設けたものとか。

    =たとえばヴェルヌの小説にたいする批評なら、個別の作品のテクスト分析はそこまで求めていない。求めているのはむしろ、ヴェルヌらの書いた科学小説がウケたり同時代に他ジャンル(=考古学小説)が生まれたりした時代背景などを眺め掘り下げるような批評。

 

 4-2 草野原々2:09:00

  ・読者の代弁でもなければ出版社の代弁でもない批評。

   =作品(のストーリーなりキャラなり)を既存の枠組みで評価してほしくない。

  ・メタ批評をおこなってほしい。

   =いままで作品の良し悪しをどのように評価してきたかの批評。2:09:50

  ・そして最終的には、作品の評価ルールを破壊し、スクラップ&スクラップ。小説を終わらせ小説家は全員失業させる。2:10:38

 

 4-3 麦原遼2:12:43

  ・SFにおける新奇性とは何か? が気になってます。

   =一言「良い」と言っても、既存の良さ(の近さ)をなぞるものと、異なったものに触れるものという2種がある。2:13:19

    =そのなかで「新しい」という感覚はいったいなんだろうか?

     =あるものに感じた「新しさ」が、まったく別のものを読んだときにも味わえたとしたら、その感覚はほんとうに「新しい」と言えるのか?

 

 4-4 宮澤伊織2:15:40

  ・作品を批評するとき作者に興味をもたないでほしい。

   =作者の意図はそれらしく想像できてしまうが、書いてる側はあいまいなままで書いていたりする。(ところどころ決め所はあっても、全編にわたって意図が行き届いているかというとちがう)

  ・作品批評は、元作品とは別個の作品にならざるをえないのではないか。批評として出力された時点で元の作品とは切り離されている感覚がある。

 

 4-5 大滝瓶太2:20:05

  ・noteの記事の詳細。文芸誌の時評を読んだら「ジャッジメント」みたいなノリで、嫌悪感をいだいた。

  ・「これが良い」「悪い」は実はエンタメに富んだ感想。2:22:02

   =時評はそういう向きがつよい。

  ・ノエル・キャロルの『批評について:芸術批評の哲学』に書いてあるようなことはベースにしてほしい。2:22:55

   =価値をどういう風に発見できるか?

 

 4-6 柴田勝家2:26:04

  ・以前、自作に寄せられた批評のなかでとりわけピッタリきたものは、柴田氏にとって未知の概念を用いた説明だった。上に話がでたような、作家の意図してないところで掬い上げるような批評でうれしかった。2:26:30

 

5 これからのSFジャンルでどのような作品を読みたいか?2:30:20

 5-1 宮澤伊織2:31:05

  ・若い人の作品が読みたい。

   =若い人が書かないと衰退して終わるので。

   =言うても、SFは若い人がどんどん入ってきてる今元気なジャンルだと思う。2:31:16

    →大滝?「SF創作講座の功績だなと思いますね」2:31:24

 

 5-2 麦原遼2:32:40

  ・読んだことのない話を読みたい。

 

 5-3 柴田勝家2:33:33

  ・さまざまなバックボーンの人がSFを書いているのはうれしい。

  ・SFファン以外のところに広まったSFを読んでみたい。(=これまでのSFは、SFプロパーによるエスエフエスエフしたものが主だった。けれど、拡散と浸透がすすんだ現在なら、それとはちがうものも読めるのでは)

 

 5-4 草野原々2:35:00

  ・読みたいSFはじぶんで書く。

   =アイデア重視のSF。実験小説のような。

   =次々回作は『夢幻諸島』のような連作短編集。

 

 5-5 高橋文樹2:38:00

  ・アンソロジーが流行ってるので、さらに出てほしい。

  ・年を重ね、まとまった長時間を読書に取れることが少なくなってきた。

   =とっぴなアイデアのものは長編で読むとつらいときがある。

  ・年齢関係なしに、現代は時間の奪い合いなので。

   =FGOのひとつのイベントシナリオのほうが強かったりする。

    →「逆にSF作家がFGOに殴り込みにいくのは?」

     →SF創作講座などに通う人のなかにはふだんソシャゲのシナリオライターをやってる人もいたりする。ああいった業界がさまざまな分野の作家のゆりかごになっている。

     →そもそもSF作家(柴田氏や吉上亮氏など)がソシャゲシナリオを担当している例もある。

 

   ▼観おえての感想

 色々な考えが聞けてよかったです。いろいろ考えるきっかけをもらえました。

 個人的には、一対一的な問答よりも、休憩時間中や、それを経た後半にいくらか見られたような、複数人がアクション・リアクションをして、考えや話題が発展していった時間帯のほうに惹かれました。

 複数人が集まってアイデアが思いもよらない方向へ回転していくという点では、実況チャット欄や別場のツイッターなどのリスナーさんの会話もおもしろかったです。

{作家さんの個別の回答はそれぞれ興味深く拝聴したものの、制限時間を(たぶん)もうけた席で・じぶん以外にも複数人が招かれたなかで・口頭で・自論を話す……というのは、もしかすると情報量に制限がかかってしまうものなのかもしれないな~と思いました

 

(連ツイートのひとつを抜き出し)

 そんな概念があるとは。

 

 宮澤さんが、観た後に世界がちがって見える映画の具体例として、実写版『トランスフォーマー』を挙げられていたところが興味ぶかかったです。よくもわるくも大味ドンパチ映画として語られがちなマイケル・ベイ監督作品ということや、その後の展開などから――また、CG技術の発展とかから――あの映画を封切映画館で観たひとびとが当時うけたインパクトについて、そういう切り口で語ってくれる声って小さくなりがちなので、うれしかった。

{ぼくも、『トランスフォーマー』の実在感に感銘をうけた人間なので。

 実写・現物にある車が3DCGの巨大メカに変形して、3DCGの巨大メカが実写の小物建物を動かしたり、巨大メカの出した小便(エンジンオイル)が実写の人間にかかってリアクションを取ったりして、『トランスフォーマー』って実体と劇中独自事物(含CG)とがきちんとおなじ地平に立っている作品なんですよね。}

 こういう声はほかに『SFマガジン』の「オールタイム・ベストSF映画総解説」でも聞けたりしますね。

 数万の部品が動くこの映像の体感が、技術によって初めて人類の前に出てきた。未知の生命体に出会う興奮が、映画鑑賞それ自体と重なるようにして、あったのだ。

   早川書房刊、『SFマガジン 2018年2月号』p.18、「オールタイム・ベストSF映画総解説 PART3」内、藤田直哉著「トランスフォーマー(シリーズ)」評

 

 大滝さんはSFのかたちとして大きく2派(上流に作家の想像力をはたらかせ・下流に嘘がないイーガン型/上流はおかしそうだが、そちらへのアクセスは断絶されているため、おかしさだけが予感としてある下流に視点を置いたアンナ・カヴァン型)あると考えられていました。これも面白かった。

 イーガン作品について、自分のなかでもういちど考えるための契機になりました。

 イーガンはイーガンで、はじめに提示されたおかしな上流のおかしさについて、物語が進むにつれておかしさが下流の人物たちの見立てが間違っていた・よくわかっていなかったということが判明し、上流についてやっぱりわからないものとして受け止めて終わるような作品ってないわけではないよなぁと。そして、それって実はイーガン自身の個人的な経験に根差しているものもあるっぽいよな……なんてことを思ったりもしました。

 イーガンが自身の12歳~20代半ばまでのキリスト教信仰と離脱について振り返ったBorn Again, Briefly』このblogでも以前かいたとおり、熱心な信徒であると同時に知識豊富な兄という造形、その兄と一緒に寝ていた子供部屋でさそわれての礼拝といった冒頭から、家族の宗教への態度など細かな部分まで、あきらかにかれのフィクションりの海』との関連性がうかがえるこの自伝『BA,B』は、ふかしぎな上流に対して、安易に答えを決めつけてしまうことへの不安について語って閉じられます。

わたしが疑念を抱いているのは、かつてのわたしも含めて大勢の宗教の信者たちの体験した神秘主義的経験の核心が、それを覆うパッケージほどには重要ではないかもしれないということです:宇宙に目的があると信じることは、言い表しがたいほどの恐怖がわたしたちの歴史のなかに、そしてもっと些細なみじめさが日常生活のなかにあるにもかかわらず、終末には何ごとも最善に向かうだろうと約束してくれます。これは強力で魅力的な観念です;いちど掴んでしまったらもう手放すのは難しく、それを守るためにとにかく大規模な正当化を行なうひとだっていることでしょう。

What I do suspect I once shared with a great many religious believers is not so much the core of mystical experience as the larger package that was wrapped around it: the belief that the universe has a purpose, and that despite the unspeakable horrors of our history and the smaller miseries of everyday life there is a promise that everything will be put right in the end. This is a powerful and appealing notion; once you have it in your grasp it’s hard to let go, and some of us will go to very great lengths to rationalise holding on to it.

   グレッグ・イーガン『Born Again, Briefly』より{訳文は引用者による(英検3級)}

 そしてこうしたイーガンが実生活でいだいた疑念は、『祈りの海』以外のかれのほかの作品へも通じるものがあるのではないか……ということもblogに書きましたが、長くなってもアレなのでこの辺で。

上のようなことを言っておいてアレですが(笑)、「いやけっきょくイーガン流の下流話は、"分からないことが分かった"という、ある意味スッキリした答えが与えられてしまう物語かもしれず、大滝さんの分類で言えばやはりカヴァン型ではないのかもしれない」とかセルフツッコミも出てきたりもする}

 

 高橋さんのSF観は、チャールズ・ストロスが考えるSF観と通じるような考えだと思いました。

人工的だけどもっともらしい世界を暗黙のうちに構築できることこそが、SFがほかの文学と分かつところでしょう。たしかに存在する現実を土台にした文学とは違うタイプの小説がSFです。一般的な文学は実体的です。(そしてさほどもっともらしくありません――現実は、理にかなった強制ではありませんから)

The implicit construction of an artificial but plausible world is what distinguishes a work of science fiction from any other form of literature. It's an alternative type of underpinning to actually-existing reality, which is generally more substantial (and less plausible—reality is under no compulsion to make sense).

   チャールズ・ストロス氏のblog『Charlie's Diary』2018年2月6日記事Why I barely read SF these daysより{日本語訳は引用者による(英検3級)}

 そう言ってストロス氏は、自身のblogに投稿した記事Why I barely read SF these days』(映画的に映えるが、現行戦はおろかWW2時点のそれとくらべても全く時代遅れだった)西部戦線上空でおこなわれたドッグファイトを参照したジョージ・ルーカス監督ター・ウォーズ』の宇宙戦描写を無批判にならった最近のSF小説をdisり、さらには……

 宇宙戦や小惑星帯をとりまく悲しき古臭いお約束と同じように、現実世界の古臭い慣例がSFに持ち込まれたりもします。作り手がじぶんたちの当然を事実だときめてかかって疑問をはさまなければ、いつだってそんな事態が起こるんです。

Similar to the sad baggage surrounding space battles and asteroid belts, we carry real world baggage with us into SF. It happens whenever we fail to question our assumptions.

 こんどSFを読むとき、登場人物が健康的なワーク・ライフ・バランスを送れているかどうか気にしてみて下さい。いや、正確をきせば:職業とよばれているものってなんでしょうか、脱希少性惑星間未来世界のなかでどう機能するものでしょうか? この炭素エネルギー経済の副作用がなぜポスト気候変動世界を目詰まりさせているのでしょうか? 有給職業という、労働をお金で返してもらう形をとった個人の寿命を第三者へ切り分ける個人間オークションの、歴史的な経緯はどこにありますか? ポストヒューマンの寿命による社会構造とはどんなものでしょう? 平均寿命が200歳の世界でさまざまな世代のひとが行動する場合の医学的人口統計学的制約はなんでしょうか? どうしてジェンダーが? 子供時代の世界とはどこのことですか?

Next time you read a a work of SF ask yourself whether the protagonists have a healthy work/life balance. No, really: what is this thing called a job, and what is it doing in my post-scarcity interplanetary future? Why is this side-effect of carbon energy economics clogging up my post-climate-change world? Where does the concept of a paid occupation whereby individuals auction some portion of their lifespan to third parties as labour in return for money come from historically? What is the social structure of a posthuman lifespan? What are the medical and demographic constraints upon what we do at different ages if our average life expectancy is 200? Why is gender? Where is the world of childhood?

   チャールズ・ストロス氏のblog『Charlie's Diary』2018年2月6日記事Why I barely read SF these daysより{日本語訳は引用者による(英検3級)}

 ……SF映画にかぎらず、映画館のそとの身の回りの日常だって、ただ昔から存在しているため当然視しているだけで、無批判にならってるだけのものってあるだろ、と現行社会をdisっていきます。そしてそうした思索こそがおれの読みたいSFだ、というお話をストロス氏はしていくんですが……これもまぁ長くなってもアレなんでこの辺で。

 

◆◆◆ 

 

 次回配信でなにをやるかの話題については――というか、そこで出た「視聴者をふやしたい」「スプラトゥーンをやるとか」「メントスコーラ」は――前にこのblogの日記で話した"不特定多数が観る場でブレインストーミングをやる難しさ"を感じました。

 ようするに観ていてぼくはカチンときた瞬間があったって話ですね。

 これはみぐるしい文句なのでこの項の最下部に置いときます。

 

◆◆◆

 

 次回配信でなにをやるかの話題について、もう一回。

 実況チャット欄でも「SF系ゲームをやって、そこから延長してSFの話をやるのは普通に観たいかもです」という声があがってましたが、ぼくもそういったものなら観たいです。ただ、SF系ゲームに限らなくてもよいかと思いますが。

 livedoorニュースYoutubeに動画をだしているームさんぽ』シリーズ。

 さまざまな専門家をまねいて、ゲーム内で描画された事物をきっかけに専門知識をのべていく人気動画シリーズです。

youtu.be

 とくにンスターハンター:ワールド』*1の世界を植物学者静岡大農学部教授)稲垣栄洋氏とともに見ていく動画。これの第2回10:37~にはハッとさせられましたね~!

 プレイヤーであるぼくにはアイテムオブジェクトとして(=ゲーム内での機能だけ)しか見られなかった植物や、そしてさらには、見た目的にもゲームシステム的にも(アイテムにもなれなければ、モンスターから隠れる場にもなったりできない)見向きもされなかったTHE雑草というふうな植物。

 稲垣氏はこれらにひとしくつまびらかに目を向けていき、そして「モンスターの通り道なんですかね?」と、ある地域の植生をながめて推察します。(そしてそれはじっさいゲームのなかの立ち位置としても正解でした)

 

 『ゲームさんぽ』で専門家があれこれ話されることが、いったいどこまでゲームスタッフが考慮・デザインしたものなのか? これについては存じませんが、ゲームから現実との接続点を見いだして、転じて現実の世界を見る楽しみへとつながっていくこの動画シリーズはぼくのお気に入りのひとつです。

 

 ただまぁトークでも言われたとおり、配信に参加していただいたかたがたはSF作家であって、科学者ではないわけです。

 「SF作家が」となると、どんな楽しみが出せ得るのか?

 一つ考えられるのは、円城塔氏が見せたような試みがあるでしょう。

自分のような書き手にとってチャンギジーの『ヒトの目、驚異の進化』はもうこれだけを元ネタに小説を5、6本はひねりだせようという代物である。ふつうに書評を書くよりも、この本を読んでこういう小説を考えた、という着想をメモ書きした方が楽しくなりそうであるのでそうする。

   Hayakawa Books & Magazines(β)、円城塔『小説案を5つ』より

www.hayakawabooks.com

 ネットで無料で読める例だと、マーク・チャンギジートの目、驚異の進化 視覚革命が文明を生んだの解説があります。作家の円城氏は、4章立てられたくだんの本から各章1作ずつ小説案を寄せます。

トーク中で、大滝さんが言った「問いに対する小説を書くことはできる」という旨のことを、じっさいにやってみたような例ですね)

 ネットで無料で読めない例だと?

 田辺青蛙氏との往復書簡的エッセイ書で離婚を考えた。』の第24回怖新聞通信」が挙げられます。

 つのだじろう氏による言わずと知れた傑作ホラー漫画怖新聞』。この1巻を読んだ円城氏が語るのは、とてつもなく怖ろしい作家の想像力です。

ⅰ)恐怖新聞を読むと、一回ごとに百日寿命が縮む(らしい)。

ⅱ)恐怖新聞が見える人と見えない人がいる。

ⅲ)恐怖新聞は毎回、窓ガラスを突き破って届けられるわけではない。

ⅳ)場所にではなく、特定の人物のところに届く(修学旅行先などにも届く)。

   幻冬舎刊(幻冬舎単行本)、円城塔田辺青蛙著『読書で離婚を考えた。』kindle版60%(位置No.333中 200)紙の印字でp.195、「恐怖新聞通信」より

  恐怖新聞の特徴を4つに分類した円城氏はそれを一つ一つさらに検討していきます。

 いわゆる心霊現象が科学的に捉えることが困難なのは再現性にとぼしいからで、繰り返し発生する恐怖新聞は研究しやすい。そう考えた氏は、なので……

 これはもう、迷わず実験に取り組むべきで、たとえば鬼形君を、カミオカンデに放り込んでみるとかですね、あるいは宇宙に打ち上げてみる、などでもよいです。もしかすると、この恐怖新聞現象が科学的に解明されて、新たな力が見出されて、素晴らしい性質が見つかったりするかも知れません。

   幻冬舎刊(幻冬舎単行本)、円城塔田辺青蛙著『読書で離婚を考えた。』kindle版61%(位置No.333中 202)紙の印字でp.197、「恐怖新聞通信」より(太字強調は引用者による)

 ……と、提案します。そうして何が発見されうるか?

 そうですね、どれだけの距離でも瞬時に情報を伝達する性質とか。たいしたことに聞こえないかも知れないですが、これはまあ、ごく素朴に考えて、超光速通信なわけです。

    幻冬舎刊(幻冬舎単行本)、円城塔田辺青蛙著『読書で離婚を考えた。』kindle版61%(位置No.333中 202)紙の印字でp.197、「恐怖新聞通信」より(太字強調は引用者による)

 円城氏が想像をさらに進めたさきに見える、恐怖新聞最終巻でえがかれるだろう光景とは……?

 それは『読書で離婚を考えた。』をじっさい開いて確認していただくということで。

 

 

   ▼(余談)じぶんの関心事(「ブラウザバックさせない牽引力」)を再考した。(結局バカが読めるための工夫なのかも?)

 これは余談も余談なんですが……ブラウザバックさせない牽引力という、じぶんの関心ごとについてまた考えてしまう配信でした。

{当blogも「せめて日記以外の記事くらいは~」と、ネットをつうじて不特定多数に公開している以上、踏んでしまったひとが楽しんでもらえるような、読み物としての面白さを確保できたらなぁなんて思うわけですよ。

 ……わけなんですが、しかし、じゃあぼくがじっさいに書いた文章はといえば、たとえば『なめらかな世界と、その敵』の感想について「激しく読みづらい…」とのつぶやきをいただいたとおり、ぼくの理想とはかけ離れている。「読みでがある・ない」とか以前の問題として、そもそも読んでもらえない(笑) 大々的に読んでもらいたいとかは思わないですけど、クリックしてもらったからには「時間を無駄にしたなぁ」と思ってもらいたくない。なんとかしたいんスよね~。

「眠くなった」と言われ野次馬記事は、「まぁ読みにくいですよね」とぼく自身も思ったし、他方で「まぁデータを早いとこ提示するの優先してたからな……」と言い訳もできるんですけど……)}

 

 いや今回はトークイベントで・登壇者がみんな同じ方向で臨んでるわけじゃないので……

 配信上で――それも面と向かってではなく、リモート配信上で――トーク参加者が自由に発言しやすい雰囲気をいかに作るか? と、雰囲気作りによって遅滞する時間(本題が間延びすること)をいかに削減するか? との塩梅。

 ……って感じになるのかなぁ。

 

 いやもしかすると、視聴者であるぼく自身は専門家の専門的な討論(情報)をこそ摂取したかったけれど、いっぽうの、配信者のかたがたは(文字媒体としてじゃない、)個々に独立したにんげん同士がおこなうトーク配信としての味も(を?)お出ししたかったっていう、配信にのぞむ態度のちがいなのかもしれません。

(みなさんプロの作家さんだし、それぞれのファンもいらっしゃることでしょう。好きな作家の人となりが知れるのはうれしいことで、桜坂桜庭トークショーのために上京したりもした昔のぼくなら下記で難癖をつける部分にこそ興奮したでしょうし、ほかの分野の熱心なとしてとってもよくわかる。

 ぼくの見方がせまいだけかも。トーク本編でも「なぜSFというジャンルは世の中の役に立つか否かを問われがちなのか」みたいな話がありましたが、ぼくの態度に対して作家のかたがたは「専門的な話以外や、世の中の役に立つ話以外はしちゃいけないの?」という思いを当然いだかれることだと思います)

 

 この配信ではまず本題5つに入るまえに、トーク参加者の自他紹介が最初になされます。登壇者につき1分余りで、そう長いものではない(=むしろタイトに絞られたものな)んですけど、6人いるから積み重なると10分になっちゃうわけです……。

 ここでぼくはやきもきしてしまった。

 いちばん大きいのは、"この部分は文字媒体なら数分で済む内容"だろうということですが、もうひとつ、ほんのささいな脱線なんですけど"著者略歴とも本題とも無関係におもえる雑談が投入された"ことが、そう感じてしまった原因かなぁと思います。

 

 たとえば最初の大滝瓶太氏の紹介について。

 略歴紹介がおわり「よろしくお願いします」と言い合った(観ているぼくが「これで〆られたな、次のひとの紹介に移るのだな」と思った)直後に、司会であるナンバユウキ氏から「ご近所なので情勢が落ち着いたら会いましょう」と世間話がはじまってしまい、もう一度「よろしくお願いします」を聞くことになる。

「よろしくお願いします。大滝さんは実は神戸にいまお住まいということで、じぶんもいま神戸の明石に住んでるので、また、落ち着いたらお会いしましょう(笑)」

「新快速でひと駅なんです。10分で行けるっていう(笑)」

「会いに行けるっていう(笑)」

「乗り換えなしの10分で(笑)」

「よろしくお願い……今回はお話、すごく楽しみに、しております」

「よろしくお願いします」)

 ……なごやかなトークと言えばそうなんですよ? そして、このやり取りも端的(20秒くらい)なんですよ?

 ただ、べつに雑談・無駄話が聞きたくてクリックしたわけじゃないぼくとしてはそこで出鼻をくじかれてた気分になる。

 まー20秒って小さいようで結構おっきいんですよね。

www.youtube.com

 トークのなかにもvtuberファン/vtuberをやってる作家さんがいる関係で)チラッと出たvtuber団体にじさんじ、その一員である月ノ美兎委員長の料理動画で、後半の調理風景をきわだたせるための"溜め"となるダレ場的ファーストショット(=手持ちカメラによるfixに近いショット)が20秒なんですよね。

{そしてその20秒でさえ、話題はいくつか変わるし(「動画がエロすぎるという理由でボツになったってなに?」とかリスナーの興味を惹く)、視覚的にも動きがあって、下段でセリフの文字起こし的字幕+上段で音声化されないツッコミ的字幕がくわえられ、さらに画像挿入もなされています}

 

 なにかを上げてなにかを下げる言い方をします。

 いくつかの論考本や配信を見ていると、タイトルをクリックした人の興味を裏切らず関心をブチ上げる論考として、おなじみのEDが配信するプレゼン的な講義や、

www.shonenjump.com

 ってマジで優れてたなぁと思います。

 はてブコメントでこの記事のスゴさを指摘されているひとが仰るとおり、この記事では、自己紹介を後回しにして、タイトルにかかげた『こち亀』のスゴさが記されたページを提示し、それがなにか読者に考えさせるところから始めているんですよね。

 

 あるいは――ぼくはその分野のオタクなのでその分野の話をしますが――にじさんじの配信。

 先述した料理動画や直下の動画のように、キッチリカッチリ編集された動画配信はもちろんのこと……

www.youtube.com

 ……ナマ配信でも――場合によっては配信時間が8時間以上になったりする(そのため、切り詰めたテンポのよい編集をした動画系配信者リスナーからすると「なにがこれ面白いの?」と疑問をうかべてしまうことも少なくない)この形式でも――、このトーク配信の最初にかんじたようなヤキモキ感って意外と感じたことない気がします。

 なぜか?

 たぶん、配信が長時間におよんだとしてもそれは、本題に注いだ時間が長くなった結果だからなんだと思います。たとえばゲーム実況配信であれば、タイトルにかかげたゲーム実況プレイ時間が伸びた結果だし。

 トーク企画でも、たとえば月ノ美兎委員長による秋の恒例企画物語配信』は、2018年版は計7時間におよぶ長丁場で、2019年版は計10時間をこえるさらなる長時間配信となりましたが、先述したようなタルさは感じません。どちらもタイトルどおり、怖い話を延々100つ紹介した結果それだけ時間がかかっただけなので。

 19年版のように、一見すると無関係におもえる雑談や内輪話、変なタイミングでの離席、雑音など配信ミスにおもえる部分のいくつかは、そもそも大オチのために最初から仕込んだ伏線だったりする場合もある。

 

 削ろうと思えばいくらでも削れるものなので、この辺は配信するひと・聞くひとの趣味や体感の問題なんですよね……。

〔極端なはなし、執筆した作品名のみを挙げるのだって、配信時間が伸びるだけのノイズととらえる向きもあるでしょう。発言者が配信内ではなした発言を補強するのは、そのひとがどんな作品を書いているのかや、作品外でどんな研究をしているのかなど具体的な内容であって、看板ではないので。

{宣伝・導線づくりという意味なら、配信画面や概要欄に載せておくほうがそこを聞かなかった人に対しても開かれていますしね。(もちろん主催者の作業量は増えることとなり、大変ではある)}〕 

 というわけで、この配信を観ていたかたがたの反応をのぞいてみます。みな好評ですね。

 こういうことを気にしてる人というのは、ぼく以外にはいないようでもあります。(難癖お気持ち表明~! すっげえ厄介なオタクが使ってくるヤツじゃ~ん! 『彼方のアストラ』厄介Amaカスレビュアー氏、ぼくも仲間っすよ、一緒にがんばっていきましょ……)

 

 以前にほかの分野の学者さんたち(=非Youtuber)トーク配信を見たときも思ったんですが、そちらでもぼくにとっちゃクッソどうでもいい世間話から入っていた。(けれど、それについて気にするひとは、やっぱりこちらもいないようだった)

 ……なんかその辺からぼんやり思うのは、もしかするとプロの研究者や作家さんって、常人よりも集中力や忍耐力にすぐれているから、そもそもぼくと肌感覚がちがうってだけなのかもしれない。ということです。

(たぶん、この配信も直近で話題にした学者さんのトーク配信も、リスナーはその道のひとに偏っているでしょう)

 であれば、ぼくが気にしている問題というのは、あちらさまの問題というよりはむしろ、ぼく自身の能力(不足)に起因する問題なのではないか? つまり、ぼくみたいな、Fラン大でさえ落第した・忍耐力や意思のよわい、注意力散漫なまま改心することなくダラダラ生き続けた30過ぎた野郎にとっては切実だけど、そうじゃないひとにとってはそもそも何が問題なのか分からないんじゃないか? ……というようなことを思い始めてきた。

 

 この辺、アメリカでデザインをやっているひとによるユニバーサル・デザイン本劇的なデザイン』(リンク先読書メモ)と、ニバーサル・デザインの教科書』(リンク先読書メモ)ザイン人間工学の基本』(リンク先読書メモ)近代科学社ェブ・ユニバーサル・デザイン』(リンク先読書メモ)など日本のユニバーサル・デザインの本を読んだとき「意外と違いが出るな!?」と興味深かったことと通じるトピックなような気がします。

 日記じゃない別個の感想記事を書こう~と思ってそろそろ半年。そのうち記憶領域からも吹っ飛んじゃうよ! ということでおもらししちゃいましょう。『悲劇的なデザイン』では、

「簡単な語彙・文章による表現をおこないましょう、移民などもいて英語を読めるひとばかりじゃないから」

  というようなことがそれなりの尺で扱われているんですけど、上述した日本のユニバーサルデザイン本数冊では、そういう部分について触れられたところってほぼほぼ無かったんですよね。

 

 日本って識字率はめちゃくちゃ高いと云うけれど、まぁ~僕ふくめバカってそれなりにいるわけじゃないですか。

 文字が読めても、長い話は聞けない人・説明書は読めない人・文字のつらなりを意味ある情報として咀嚼できず体系的な知識が一生たっても身につかない人ってぼくふくめ、おらが周りにはま~~いる。

 

 公立中学に通っていた人ならかなりの人が体験している気がする、授業中だろうがヒソヒソと私語をはなしつづけている教室の騒がしさ。あの喧騒は、すぐれたアカデミアを出てすぐれた企業に勤める(勤められる)ような立派なひとびとにとって、耳になじみがあるんだろうか?

 ハリウッド映画の予告ツイートの冒頭数秒が、ただでさえ見せ場のピックアップである予告からさらに選りすぐった、見せ場中の見せ場を細かなカットわりで見せるハイライト/アイキャッチ形式になっていることとか、作家さんがたはどう考えているんだろうか?

(動画内でもとりわけ興味をひく部分を冒頭にアイキャッチ的に置くという手法は、Youtuberさんの動画を見ていてもけっこう拝めるんだけど……

www.youtube.com

 ……先日は「出典もとをちゃんと明記してくれ~」と愚痴った、高校時代からの友人に教えてもらったこちらの歴史系Youtuberさん。かれらも、視聴者にブラウザバックさせない手練手管を使っているという点において、プロ中のプロの配信者だったんだなぁと考えをあらためました。

 すぐ本題に入る時間配分、はやい絵替わり、音声を第一にBGMは控えめな音量バランス……と、適切すぎるくらいに適切なんだよな)

 

 ある事物がシンプルなアクセシビリティとして万人に開かれていることと、そうして訪れた側がそれを楽しむための能力や経験や知識を有しているかどうかは、また別の話よなぁ。

 そして自分が受け手のなかで圧倒的に"足りない"側だったとき、どうすべきか? 送り手側が下限に合わせる必要はもちろん無いし、それがごくごく僅かな少数の変人であれば/ちょっとやそっとなんかしたところでは到底引き上げられない底辺であれば、なおさらそう)

 そんな風な思いをかかえた配信でした。

 ……いろいろと勉強していかにゃあですねぇ。

 (と殊勝なことを思って、思ったとおりに動けてりゃあこんなことになってないわけだが)

 

◆◆◆

 

(※戦線拡大させたくないので予防的な補足。この記事にはスターがいくらか付いてますけど、これらはこの感想を追記する前につけられたものです。なので、スターをつけた人がぼくの文句に賛同しているなんてことは確実にありません

 

 視聴者を増やすためにスプラトゥーンやるとかメントスコーラやるとかという雑談の何にカチンときたかについて。

 vtuberを日常的に観るしYoutuberにだってお世話になってる人間としては、非Youtuberがそういった流れでそういった例を予防線もなしに出してヘラヘラはしゃいでる姿は、配信のなかで大滝さんが「イキっていた」と自虐的に言及した若い頃の読書歴(ヌーヴォーロマンとか実験小説を熱心に読んでいた)よりもはるかにイキって見えました。

(じっさい実況プレイなんてやったところで人があつまらないことを肌で知ってる宮澤さんは、自虐があったのかもしれないとは思う)

 

 たとえるなら「女性人気を得たい」と言われて「ピンクの商品をだすとか」「タイトルを細い手書きペン字風にしよう」みたいに返す粗雑さ。

 

 FGOへの言及の時点でちょっと不信感をいだいてしまっていましたが、沸点をこえてしまった。(刺しに行くならヘラヘラするな、本気で殺しに行け)

 

 また別軸からもぼくのムカつきを説明できるでしょう。

 たとえば草野原々氏に顕著なように、この配信に参加された方々の幾人かは「既存の枠組みをただなぞっただけではない新機軸が見たい」と言っていますよね。でも、じゃあ自分たちが何をすべきか、という段になって出てくるのはゲーム実況にメントスコーラ――既存の枠組みを何を加えるでもなく半笑いでなぞっただけなわけです。というかなぞってすらいない。ぼくがぱっと思いつくだけでもゲームさんぽしかり草なぎ剛さんの土木作業的メントスコーラしかり、別分野の専門家がYoutubeでおなじみの企画を行なうことで、まったく別の観点から照射してみる……なんてのはここまででもいろいろなされているわけです。

 ひるがえってこの配信ででてきたゲーム実況やメントスコーラはどうか?

 ただ挙がっただけですね。

 クッソしょうもない。

 ナメてると言いたいが言いたくありません、だって大滝さんのnoteで言うそれよりも場合によってはもっとひどいものだと思うので。大滝さんがそう評価した文芸時評者のようにジャッジメントするつもりなんて、ここで言ったかたがたにはないだろうから。ナチュラルに、ばかにする意図など全くなく、ばかにしているように見える。

 トークに参加されたかたのなかには配信をよく見ているかたがたもいるから、実際はそんなことないんでしょう。すでに残り時間わずかなことも言われたあとのトピックなので、つっこんだ話はできなかったのかもしれません。

 でもすくなくともこの配信のこの会話に限って言えば、解像度が足りてない。古代キマシタワー文明よりはるかに足りてない。

youtu.be

 この日記でさえ色々と書いているとおり、配信者はべつに、ただ無暗矢鱈に流行りモンを追っかけダラダラ配信をやっているわけではないわけです。

 自分ができることは何か・自分がひとからどう見られて(しまって)いるかを把握したうえで、なにができるかその人なりの工夫をしている。そんでも再生数が伸びなかったりする。……vtuber・youtuberをそのように見ているぼくにとって、あんまりにもあんまりな言及だった。言及のなさだった。

 

 たぶん宮澤さんが「慎みがあるのでやりません」と言ったとおり、理性的・知的・社交的なまっとうなにんげんの正解行動としては、こういうことを言わんほうがいいんでしょう。

 こんなん言ったところでね「あ~厄介なバカがみっともなく騒いでるよ」と思われるだけでしょう。(他のvtuberファンからしても「そんなことでイチイチ切れんなよ、界隈自体が厄介に見られんだろ……」という声もあるでしょうし、なんなら配信者さんの側からしたって「ありがた迷惑だよ!」という声さえあるでしょう)

 でもなんか言っときたいですよ。やらんほうがいいと分かってても、文句を止められないんですわ。

 一番はぼくの程度の低さに起因するんでしょうけど、それだけじゃありません。

 ぼくはぼくの好きな人たちの頑張りを知っている。あのへらへら楽しい雑談の肴とされるさい捨象された部分にこそ、ぼくの好きなコミュニティの旨味が詰まっている。

 そんながんばりなんて無くて、ぼくの勘違いかもしれないけど、でも、あの雑談でいかにもどーでもいい感じに話題にだされたゲーム配信やメントスコーラよりも、ぼくが既に知ってる先人のゲーム実況やメントスコーラ配信のほうがはるかに面白いとぼくは思う。

 宮澤さんは「良い映画は鑑賞後、映画館から出た外の風景が変わって見える映画」との旨の話をし、良いSFを読者の認識を変えてくれるような作品で、それはたぶんSF以外の小説にも言えることだというお話をします。

(たしかにそうですし、さらにいえば、そういう良い体験は、本に限らず映画に限らずさまざまなかたちで出会えうるとぼくは思います)

 そんなかれの冗談から始まったこの一連の雑談は、vtuber・Youtuberになじみない人にとって――たとえば『ゲームさんぽ』がぼくが見向きもしなかった雑草から豊かな世界を見せてくれたようには――この動画『SF×美学』が置いてあるYoutubeに五万とある配信者の動画にたいする認識をがらりと塗り替えるようなものではないでしょう。

 その意味でこの雑談は、良い雑談ではないとぼくは思う。

 ひらけたかもしれない可能性を閉じる……それを慎みというのならそんな慎みはぼくは要らない。

 そう思ってしまったら言わずにはいられないじゃないですか? ……そうでもない? そっかぁ。

 

 

0827(木)

 ■ネット徘徊■

  (二次創作)いのちの輝きさん文字アニメがかわいい

 阪万博2025のロゴ、"のちの輝き"さんの発表から一夜明け、朝目新聞蛸壺屋的「こわい」「死」とつながる二次創作の波がひいて、デザイナーさんの意図どおりの生気あるはじける二次創作が盛り返してきた気がします。

 なかでもすごいと思ったのが上のアニメ。かわいい~。 

 

 

0828(金)

 ■考えもの■

 先週『セミになっちゃた』さんの記事をとりあげました。

 このblogの記事にはほかに、謎かけ*2やなぞなぞの作り方をしるしたものがあります。

xcloche.hateblo.jp

 なぞかけやなぞなぞについて、「そもそもどう考えればよいのかわからない」という人にとって、とてもタメになる記事です。各自参考にされたし。

 

 さて、当ブログをご覧になるようなかたのなかには、甥っ子姪っ子とエンカウントしたとき、高い高いや飛行機、あるいは鬼ごっこやかくれんぼをせがまれるも、体力不足でままならないかたってそれなりにいることでしょう。

 「ではプランBだ」

 と、彼らに楽しんでもらえる(けれど体力を・膝を傷めずにすむ)遊びをやろうにも、思い浮かばないひともいくらかいるかもしれません。(※)

 

 そうしてなぞなぞに手をだして、これにも失敗してしまうひとだって。

 なぞなぞを現在進行形で楽しんでいる未就学児~小学校低学年のガチ勢に「パンはパンでも食べられないパンはなんでしょう?」みたいな、今でも覚えている(がしょうもない)なぞなぞを出し、場をしらけさせたり。

 それならまだしも、そうしたしょうもないなぞなぞを出して道化を買って出ることもできず、時間稼ぎの駒とすることもできず、最初っから自前のなぞなぞを仕立てようとして、

「じゃあ~……待ってね~……いま考えてるから……ええと……」

 といくら猶予を貰っても一つも思いつくことができず、ただただ時間だけが過ぎていく……そんなかなしいひとときをおくったかたさえも、ひとりかふたりかはいらっしゃるんじゃないかと思います。

 

 そうした最後の例のようなかたにとっても、かなり有益な記事だと思います。

 いや読んだからといってなぞなぞがポンポン作れるわけでもないし、「せっかく教わったのに、コレジャナイものしか出来上がらないぞ……?」となったりしますが{けっきょくそもそも食材をもってないひと(=ダジャレ自体を思いつかない/ストックがないひと)は、料理の仕方を教えてもらっても料理できない(=なぞなぞにできない)、なんか考えるヒントをもらえるとおもいます。

 

(※)心肺もひざも傷めずに、頭もつかわずに済みつつも、けっこう盛り上がったゲームとして、かつての日記で書いたグリコ鬼はウケがよかったです。

〔じゃんけんをして勝った手がグーなら「グリコ(3歩){/グリコのおまけ(7歩)}」、チョキなら「チヨコレート{5~6歩}」、パーなら「パイナツプル{5~6歩}」の数だけ歩みをすすめる遊びと、鬼ごっこを組み合わせたゲームです。

 ソファなどがある部屋にて、5歳児・6歳児・30歳の3人でやって盛り上がったけど、大勢でやるとちょっとダレそうだし、さらなるルール改造が必要かなと思う〕

 

 

  SFなぞなぞ

 Q.

 筒井康隆の実験小説かと思ったらもっと嫌味な人たちだったよ。どこの人たち?

 A.

 京都人たち

『虚人(きょじん)たち』より疎まし(=うと増し)だから

 

 

0829(土)

 なにもする気が起きずだらだら起きたり寝たりしました。

 ■インターネット徘徊■

  若女将のおもてなし精神について;vtuber『【パワプロ2020】栄冠ナイン⚾4年目の夏群馬代表目指して戦え【にじさんじ/小野町春香】』をリアタイ視聴しました。

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 いちから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属する若女将系vtuber小野町春香さんが『EBASEBALLパワフルプロ野球2020』の「栄冠ナイン」モードをプレイされていたのでリアタイ視聴しました。

 小野町さんは(へたすると『パワプロ』の前述モードを利用した大型コラボ『にじさんじ甲子園』を主催した舞元さん以上に)パワプロを熱心にプレイされているかたで、別配信者さんの『栄冠ナイン』を観たことで興味をもち、途中からの回ですが飛びこみ視聴しました。

 

 この「栄冠ナイン」というゲームモードは、プレイヤーが高校の野球部監督になって、弱将校から中堅強豪名門と駆けあがり、甲子園優勝をめざす……という、野球部運営・育成シミュレーションです。(手札構築系すごろくというんでしょうか?)

 監督する高校の所在地は、47都道府県どこからでも選べ、選択地方のプロの高校時代を模したキャラが入学してきたりなんだりします。

 選手の名前や顔はプレイヤーの自由に改変ができ、先日同時視聴者数15万人を超えて大盛況におわった『にじさんじ甲子園』のように、にじさんじの配信者で野球チームをつくって対決する……みたいなこともおこなえます。

 小野町さんの運営する小野高校は、有名な温泉がある地方に建つ高校で、野球部員に配信者の名前借りなどはありません。「小野+(元のキャラの名前や性格、特殊能力からいただいた任意の一文字)」というふうに改名されたオリジナルキャラを監督していきます。

 

「いや4年夏って。最初から配信を追っているかたとちがって、4年の空白期間があるわけでしょ? 敷居が高くね?」

 とお悩みのかた、だいじょうぶです!

 小野町さんのこの配信は、一見さんにもとってもやさしい

 というのも配信の冒頭に――最近のゲームハードに常備されているスクリーンショット機能を活用した――前回のプレイ内容をこまか~に振り返るパートが用意されているんですよ。

 ゲーム開始(ゲーム内の時計の針がすすむの)は44:10~くらいになりますかね。

 ぼくが観たこの回がとりわけ特殊で、べつに毎度こうじっくり振り返りをされているわけではないみたいなんですけど。でも……

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 ……たとえば年目夏大会後~』の配信でも、部員たちのポジションや容姿・性格・そこまでの行動などバックグラウンドをまとめた紹介文をつくっていたり……と、ふらっと訪れた人でもついていけるようなやさしさが過去にもおなじく発揮されているみたいなんですよね。

(小野町さん自身が、部員たちに愛着があるというのももちろんあるんでしょうけど)

 配信中も、チャット欄がいがいがしてきたところでお茶を出して空気をいれかえたり、気配りのひとだなぁとほれぼれしてしまいました。

 

 こうしたおもてなし精神は、SMRでも発揮されています。

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   ▼脱線・その他配信者のASMRふりかえり

 ASMR配信って色々なかたがされていて、このblogでも、木勝くんのASMR(のワシャワシャ圧が強めなマッサージ。これが男子中学生感をかもしだしていて良い)とか、イラ様のASMR(の鼓膜を破壊するインシデントをかさねる、だめだめっぷりが逆にモイラ様というキャラに合っていて良い)とかを語ってきました。

 さいきんの勝くんもまた良い良い。かれは以前から海辺へ旅行風のシチュエーションASMRを生配信で(男女2パターン)やるなどの技巧派でしたが、さいきんではLive2Dの新しい姿として――大多数のかたがたが髪型をかえたり衣服をかえたりして現れるなかで――そもそも正立した姿じゃなくって、横に寝た添い寝スタイルで登場

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「眠れない?」

「せっかくならな? ぐっすり寝たいよなっ。

 おれさ、なんか良い方法ないかなって、調べてたんすけど……知ってる?」

催眠誘導ふへへ(笑)

 隣で横になるも眠れないわれわれに勝くんがベッドのスプリングをきしませて近づき耳打ちするのは、邪気眼持ちらしい、うろんな響きのテクニックなのでした。

 

 にじさんじライバーだと他には、ラトナ・プティくんだとか、古株でASMRも活動初期からやっている物述有栖ちゃんなども有名ですね。

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 有栖ちゃんはにじ3Dを利用することで、手を自由にうごかし(=Live2Dモデルのvtuberさんでは動かないか、プリセットされた動き以外できない傾向にある部位をうごかし)、彼女がいま・どこを・なにしているのか視覚面でも直感的にわかりやすい配信をされていたりもします。

 オイルマッサージするための瓶をリスナーの頭の周囲で振る、オイルを手にたらす、両手をすり合わせてなじませる……そういうこまかな所作がじかにわかる。配信でもトラッキングがバグりやすく、にじ3Dを準備された配信者さんが使いにくいために常用をさけるなかで、これはすごいことです。

 

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 vtuber界隈ではハニーストラップの一員・周防パトラちゃんのASMRが有名ですね。

「おい、"お仕事で疲れてる"とか言うな。疲れてなくたってASMR聞いていいだろ! パトラ!」とおこる厄介おじさんを数秒で「アッ キモチイイ キモチイ……」ととろけさせた実績などで勇名をはせます。

 このblogでも以前「ハニストのストはチャールズ・ストロスのスト、ジョージ・ルーカスのスペースオペラをリアリティの面からdisって/同時に世界構築(World building)をつきつめることはどういうことか語った結果、現行の資本主義社会さえをも"そもそも未来でも維持されてると思うか?"とそのリアリティをやっぱりdisったように、パトラちゃんのASMRだってリアリティを突き詰めた結果においも届くんだよ!」という旨で話題にしましたが、リンク先動画(46:00~)の何気ない一言からも、パトラちゃんの飽くなき研鑽の成果/リアリティの掘り下げが聞けますね。こんばんわんわん♪ ア~キモチイイ、キモチイ……

「きょうのオイルはね、ユーカリの、オイル。のどのイガイガとかに、においをかいだときでも、効果があるんだって。エアコンで~のどがやられてないか心配だよ」

 アロマの効能紹介によりYoutubeでは出力されない)嗅覚の想像力喚起をよりつよく促すという、以前の日記で紹介した凝りかた。8月10日に投稿された上の配信は、そこからさらに一歩先を進んでいることがわかりますね。

 同時に、ASMR厄介おじさんの厄介な(しかし、ある程度正論でもあった)文句を、パトラちゃんはまじめに受け取り、さらなる飛躍をとげていることも。

 数あるアロマのなかでなぜユーカリを選んだのか?

 パトラちゃんはユーカリの効能と使用理由を説明することによって、彼女のマッサージを受けている者がたしかに8月10日という暑い時節を生きるわれわれであると規定するんですね。まさしくパトラちゃんにマッサージをされているのは、高価なマイクでも何でもなく、ぼく自身なのだと。

 

 現代社会においてポモといえばポストモダンのことではなく、韓国の実力派ASMR配信者"ASMR POMO"さんなわけですが(チャンネル登録者数229万人・動画総再生回数5億5千9百万回=『君の名は。』や映画ドラえもんなど特報の東宝MOVIEチャンネルの総再生回数と同程度、彼女がASMRに自家製アルコール消毒剤づくりやマスクづくりを取り入れたように、ASMRの職人たちは、日韓場所をとわず次元を問わず、いま・ここの世界の空気に敏感なわけですね~(大きく出たな!)

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   ▼閑話休題・小野町春香のASMRにみられるおもてなし精神

 とそんなところで小野町さんです。彼女の配信のすごいところは、「今してること↓」と画面右下に表示されているんですよ。

 耳つぼマッサージ配信では、さらに「今押してる耳つぼ…」とさらなる表記がなされますが(6月6日配信の、いま押してる耳つぼの場所をチャット欄で聞かれた小野町さんが、「場所かー……なんていうのかなぁ……」33:56と耳の穴をぐりぐりやったうえで、そこを起点としてさらに指をうごかして、「ココが今押してるツボです」とやるところがおもしろかった。)Live2Dモデルだといま・どんなことをしているのか、じっさい音を聞いてみないと分かりにくい問題に対して、これだけ真摯にむきあっているかたってなかなかいないのではないでしょうか。

 

 ASMRにかぎったことではありませんが、動画でいつなにをやってるのかって停止画面ではわかりづらいんですよね。(質量ある肉体をゆうし・視覚情報面でもかなりつよいASMR POMO師でさえ、じしんの概要欄やセルフコメントで、動画内でやったこと一覧的なこまかなタイムスタンプを記して説明してくれていたりする)

 タイムスタンプをこまかく用意してくれるASMR POMO師も、動画だからできることで、生配信でリアルタイムであれこれガイドをだしてくれるのはなかなか大変なことだと思います。(表示を変え忘れたらガイドの意味をなさないし、表示をだすのにモタついたらダレてしまう。そうじゃなくても、モイラ様のASMR配信みたく、立体音響マイクをやさしくいじること以外の雑務をしだすと、思いもよらない騒音を引き起こしかねないです)

 地味だけどたいせつなことを、丁寧におこなってくれるおもてなし精神。

 若女将というガワと、思いやりある魂とが不可分にむすびついた、すてきな配信をされているとぼくは思います。

 

 

  能動的に怖がる楽しみ;vtuber『夏といえば……140字の怪談!?【月ノ美兎/でびでび・でびる】』をリアタイ視聴しました

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 いちから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属するでびでび・でびるさまと月ノ美兎委員長による怪談読み上げ配信をリアタイ視聴しました。

 ツイッター上で募集した140字内の怪談のなかから、秀逸なものをピックアップし、読み上げ、あれこれ話し合う配信です。

 配信で取り上げられた怪談以外にも、ツイッターハッシュタグ「#140字で怪談」告知ツイートのリプライ欄をのぞくことでたくさんの投稿を拝むことができます。おそろしいことです。

 

 画面構成は、ツイッターのサイトページを模した雰囲気たっぷりの背景画面が用意されたうえで、事前に選んだツイートが表示される親切仕様。

 文字媒体ではさらっと読めてしまう140字というサイズは、口頭で話されると聞いてるそばから情報が抜けていってしまう程度には複雑な文量ですから、とてもありがたかったです。

 選考期間後に投稿された怪談についても配信中にピックアップ・朗読するコーナーがあり、そちらでは視覚情報としての文面は用意できなかったものの、2度くりかえし読んでくれるなどしてくれたので、混乱することなく呑みこめました。

 

 vtuberさん・リスナーさんから募集しての怪談配信というのは、委員長の毎回8時間10時間におよぶ長丁場となる百物語配信など、あれこれあるわけですが。でびでび・でびる様が今回企画した140字怪談配信もとても怖かったり薄気味悪かったりして、とてもよかったです。

 このサイズ感は配信にとても向いているなぁと思いました。

 

 とくに"意味が分かるとこわい"タイプの怪談にその効果が顕著でしたが、文字数の関係上くわしくは描き込めない140字というサイズ感がもたらす余白が良い具合に、恐怖を増強させてくれるんですよね。

 配信者のおふたりはもちろんチャット欄で「これはこういうことでは?」「いやああいうことでは?」とそれぞれの自論が持ち寄られ、さまざまな角度の怖い真相が併記されていく。

 この配信のこわさというのは、完成された恐怖物語を拝聴する受け身のこわさとは異なるものです。

 リスナーが、140字怪談の余白へ何気ない描写へ意味を充填して――不気味さや恐怖を見出して、じぶんで外へ発信し・触れ回り、増幅させていく。自分たちで積極的にこわがっていく楽しみがあじわえる配信でした。

 ま~枯れ尾花に幽霊を見出すような、ある意味で好き勝手な読み込みです。ですから当然、誤読もあるでしょう。でもだからこそ、作家が長い時間をかけて練った"ちゃんとした"怪談よりも、思いもよらない(だってまっとうに読めばそうならないのだから)恐怖が舞い込んだりもするのではないか?

 

 また、ただこわがるだけじゃなくって――でびるさまがホラーと同じくらい、うんちが大好きなこともあってか――シュールで怖い怪談に、なぞのギャグ的な読み解きをさしこむ場面も多々あって、それも良かったです。上書きする/される楽しみがあるし、はからずも緩急をつける効果をうんでいました。

 ギャグで場がなごみ、リスナーであるぼくの気が抜けたところへ、次の怪談へと移るから、コントラスト・ギャップで怖さがより一層引き立つような時分もありました。

   ▼乙一先生なにやってるんですか!;『140字で怪談』配信に参加したビッグネーム

  投稿者のなかには、と花火と私の死体』でデビューした早熟の天才で以後、本格ミステリ大賞を受賞したり複数本映画化されるなど、第一線を走り続けている達寛高先生OTH』『にしか聞こえない』『いところで待ち合わせ』などをてがけた乙一や、瀬、こっちを向いて。』ちびるに歌を』などをてがけた田永一の筆名が有名でしょうか)といったビッグネームも!

 シリーズ脚本をつとめたドラマ『怖新聞』の番宣も期待されてのことだったのかもしれませんが、なろう系異世界小説を題材に短編を書いたり、アンテナが広く、フットワークのかるいかただなぁと感心しました。

 ほかには、うこそ、ロバの目の世界へ。』で第6回講談社BOX新人賞流水大賞”優秀賞、家』で第21回日本ホラー小説大賞佳作を受賞した岩城裕明氏からのツイートも。

 配信でとりあげられた怪談もそうでないものも、人間タイプの話がおおかったなか、(「ダンゴムシ」、「縁の下」など日常と接続点が見いだせつつも)異形らしい異形が題材という点で目立っている、プロの引き出しの広さをうかがわせる怪談です。

 

 

0830(日)

 なにもする気が起きずだらだら起きたり寝たりしました。

 

 

0831(月)

 急遽、宿直日になってしまいました。

 仕事場はめちゃ近いから、急なスケジュール変更も苦ではない。……そう先日までは思っていたんですが、う~ん。

 家に帰ってダラけモードに入ってしまったあとで職場に戻るのは、とってもやる気がそがれるし、つかれますねぇ。

 ちょうど大雨で、なおさらドッとやる気がさがったのも大きかった。

 

 予定されていた宿直日はあしたなので、場合によってはあしたもつづけて泊まることとなります。火曜はゴミの日でもあります。

 2泊3日ぶんの荷物+火曜ゴミを持って家を出ました。ちょうど大雨がやってきたところでさらに傘もささねばなりません。

 家の鍵をしめたところで、鍵つきサイフを定位置であるズボンのポケットにしまうのが面倒くさくなりました。サイフをもちつつカバンを保持しつつ……というのが手間。

 「ゴミを捨てて、手のひらに余裕がでるまでは」と着替え入れのカバンに突っ込んだところ、想像以上にパンパンで、サイフがおさめられる深さがありませんでした。

 歩いているうちにカバンの口からいつのまにやらこぼれてしまったんですよ。

 気づいた時にはサイフがなくて、来た道を引き返すと水たまりのなか。

 一気にいろんな不運がかさなって、へとへとになってしまいました。 

 

 

0901(火)

 宿直明け日で、予定されていた宿直はキャンセルになりました。

 よかった~。

 

 ■そこつもの■

  数千円分のポイントを期限切れで失った

 買い物につかえる数千円分のポイントを期限切れで失いました。ふんだりけったり。 

 

 

 ■読みもの■

  谷林守著『『サハリン社会主義共和国近代宗教史料』(二〇九九)抜粋、およびその他雑記』読書メモ

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 それは何ですか;

 第10回創元SF短編賞の日下三蔵賞受賞。著者の谷林氏の過去作は、『伊藤計劃トリビュート』でひとつ読むことができます。(『The Pile of Hope』)

 樺太/サハリンに建国されて以降2030年には世界有数の経済大国となったサハリン社会主義共和国について、その礎となった<ラスティ教>や立役者である<先生>の来歴をめぐる、論文形式の小説です。

 読んでみた感想;

 おもしろかったです。

 肩をはった地元出版社の史書や、語気のあらい党大会演説採録……かたい史料や劇中史実の端で断片的にちらついていた情報が、だんだんと実をむすんでいき、ある個人の顔がたちあらわれていく。そんな作品として読みました。

 

 参考文献を読んでない時点でのうかつな感想ですけど、おそらくぼくが好きなタイプの史実(現実)との取っ組み合いがなされているんじゃないでしょうか。

 『サハリン社会主義共和国~』では、あれやこれやとへんてこな世界や価値観がさまざま提示されるのですが、そのへんてこさは(おそらく)べつに谷林氏のまるきり独自の発想じゃなくって、参照した人物事物のへんてこさ自体による・現実のへんてこさを汲んだ結果のように思えてなりません。

「記載してくれた参考文献をあれこれ読んでみたい!」

 そんな意欲がモリモリわく、世界(の面白さ)を面白がるまなざし・史料を渉猟していく楽しげな――楽しそうなだけでなく、なにかをつかもうとする切実な――手つきみたいなものが感じられる筆致でした。

(とりあえず、kindleで手に入るものはポチり申した)

 

 たとえば者の帝国』に出てくるロシアの思想家フョードロフの考えが、創作ではなくまじに実在する思想だったとか。

 あるいはロ年代の臨界点』劇中明治に登場する劇中キャラの作中作に盛り込まれた双方向性の創作のありかたが、実はこちらの世界でも行われた取り組みだったとか。

 ……ああいう、世界そのものの巨大さ不可思議さへまず向き合う態度が、この作品にはある(のだろうという気がする)

 

 劇中で黒塗り文書があったりと、<先生>の正体というのがページをめくる手をすすませるわけですが、その一方でぼくが気になったのは、物語上の編者の素性なのでした。

 注もあれやこれやあるとおり、この物語には編者が設定されているわけですが、視野がひろくフットワークがかるい。没原稿をさまざま集積し、他人に見えるかたちで出力されたかどうかわからないテクスト(「誰にも語られることのなかった、ある男の胸の内」)まで探り当てている。

 はたしてこの編者とはどんなひとなのか? 実は<先生>は大きなネタでありつつもレッドヘリングで、編者の素性こそに驚きの事実が……みたいな二段がまえのオチがくるのでは?

 みたいなことを考えもしたんですが、う~ん、よくわかりませんでした。

 <先生>の正体を編纂当初は知らなかったらしい書きぶりといい、歴史のビッグネームと何らつながりのない赤の他人として(=われわれ読者や読者の興味に寄り添うものとして)読んでもふつうに楽しいし、魅力的だと思う。(しかしそうすると、ラストの語りをなぜ知りえるのか? という不可解がのこる)

 はたまた本人や身内のハイテクコピー(遺伝子や姿かたちだけでなく記憶レベルまで及ぶタイプ)的な存在としてのナンカスゴイ=クローンが編者であるという線も考えたが、それはそれで自分じしんのことをなぜ知らなかったのか……みたいな不可解がある。

 

 ■インターネット徘徊■

  一つの出し物としての実況プレイ配信;『【キャラリレー】月ノ美兎、声真似生主への第一歩【Fall Guys】』を視聴する

 いちから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属する学級委員系vtuber月ノ美兎委員長が、アニメ漫画ゲームのキャラの声マネをしながら『FALL GUYS』を実況プレイ配信していたので視聴しました。

 みくるの声マネの途中から観始めたと思います。

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 たけし城にインスパイアされたという多人数参加型バトルロイヤルゲームFallguys』を実況プレイし、ゲームオーバーをむかえるごとに声マネキャラを変えていくという企画です。

 実況プレイ画面のそとのL字枠には、モノマネ中のキャラ名と(委員長手書きのイラストによる)ビジュアルイメージが表示される、親切な設計。

 配信の雰囲気としては、実況プレイ配信なんですが、『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』『爆笑レッドカーペット』などの掌編ネタの集積にちかい感触があります。あれらの番組から、芸人さんの登場・降板タイミングを演者の側で完璧には決められなくした……みたいなかんじでしょうか。

 

 雑談やモノマネをはさみながら実況プレイする配信じたいは、芸達者な配信者さんであればわりかしやるんですけど(たとえば緑仙さんの『FGs』実況配信では『新世紀エヴァンゲリオン』ミサトさんと主人公碇シンジくんのモノマネをしながら、リスナーがリアルタイムで反応した実況チャットを拾う一幕がありました。そして委員長自身だってまえから行なっていましたが)、これまでのそれは、あくまで即興・その場のノリで挿し込まれたものでした。

 こういう(、雑談ではなく)、しっかりパッケージングされた"出し物としてのモノマネ"を取り入れた実況プレイ配信は珍しい(すくなくとも委員長の配信では初めて?)気がしますし、メリハリがついてかなり良かったと思います。

(委員長はすでに、一定時間ごとに異なる性格のキャラを演じ分けるという性別生放送』などを行なってきました。こんかいの配信は、こうした経験が活きてきたのかなぁと思います)

 

 まえに日記でふれた『【凸待ち】にじさんじライバーの念能力を予想する会【にじさんじ/月ノ美兎/社築】』といい今回のコレといい、委員長の生配信は、委員長じしんが前もってネタを練りあげ準備したうえで、その間隙に生配信の即興性が盛り込まれる……というような主従関係がうかがえる配信がちらほらあって、往々にしてダレがちな生配信にもコントロールされた空気があって好きです。

 

 モノマネ実況プレイの仔細に話題をうつします。

 委員長の今回の配信では、ゲーム『Fall Guys』の設定やステージ・自身のプレイングに対して、物まね元のキャラの発言をサンプリングしたり、言ってないけど『Fall Guys』世界にそのキャラがいたら言いそうなことを言ったりしていて、フフフwとなりました。

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「んなぁ~~。よし、下降をつづけるんだぁ。このまま下降をしていってぇ、そうすればぁ、ミーティにも会えるはず……!」

 ニヤニヤしてしまったのは、イド・イン・アビス』ナナチの声マネです。

 ファンタジックな島にあいた大穴"アビス"。S級探窟家であった母の遺品とともに届けられた謎の手紙にいざなわれ、おさなき探窟家リコが、記憶喪失のアンドロイド的な少年レグとともにアビスの深層をめざす人気漫画・アニメシリーズ『メイド・イン・アビス』。その人気キャラがナナチです。

「……ん? なんだここおぉい待てよ!? 成れ果てだらけじゃねぇか……!!

 プレイヤーが操作できないステージスタート前の待機シークエンスから、声真似・ネタがぶちこまれます。

 スタート地点でならぶ60人のフォールガイズ……という『FG』をプレイしたり見たりしたことあるひとならおなじみの光景を、ナナチのマネをした委員長は『MiA』劇中独自現象である上昇負荷により変容したひとびと"成れ果て"にたとえます。

 2チームに分かれてリコ爆弾みてぇなタマウガチみてぇな巨大なサッカーボールを入れ合うステージをプレイ中、敗色が濃厚になると、

「おいらはここまでみたいだぁ……もういいんだレグ、やめてくれ……」

 と原作の感動シーンをサンプリングします。そしてすぐさま、

「"おやおやおやおや"? ……なにもできないオイラかわいいかボンボルド?」

 と二次創作でおなじみナナ虐な自己言及をして頭をとろけさせてくれます。

 ステージ勝敗表示画面において、ゲームシステム的には負けである自キャラが画面外へ脱落していくさまを見て、「んなぁ~~~~」とナナ虐がはかどる声を挙げてくれたかと思ったら、

「あでもコレ、さらに下の階層に降りれて万々歳じゃねーかぁ!」

 と、ナナチ物真似を終えます。

 

 原作の設定・目標からすればしごく当然のセリフなのですが、「なるほどたしかに!」と柏手を打つ発想の転換であり。

 繰り返しプレイ可能で敗北が当たり前とはいえ、ちょっとテンションが落ちるしアテンションは確実に断絶してしまうゲームオーバー画面。これにたいして、別のお遊びを盛り込むことで、むしろテンションがアガる読み替えをおこなってみせたこのシーンは、本当にしびれるひとときでした。

 

 チャット欄に流れて行ったスーパーチャットの名前からして「もしかして?」と思っていたんですが、この配信に対して寄せられたツイートのなかで、とくに反響のおおきいものとして、こんなお言葉がありました。

 原作者つくしあきひと先生をずっと笑顔にさせての物真似プレイ配信で飲み食いする罪料理と氷結はおいしいか委員長?

 

 

  vtuberいちから社プレスリリース『にじさんじ所属配信者にたいする誹謗中傷など対策チーム設置』にたいするにじさんじ配信者の反響

 バーチャルYoutuber団体にじさんじを運営するいちから社が、所属配信者や社員さんなどの権威をまもるための「攻撃的行為及び誹謗中傷行為対策チーム」設置についてプレスリリースされてましたね。

 うれしい話題ではありますが、にじさんじ配信者さんからも運営との方針違いから相談がもたれたこと(と言えば聞こえはいいけど、「そりゃないっしょ」という苦言が発せられたこと)がちらほら聞こえたりもする昨今なので(※)、「なんでもかんでも批判を封じるための威圧か?」みたいなバックラッシュもともすれば招きかねない、めんどくさいお話でもあります。

(※この時点ですこしお門違いな部分があって、たんなるリスナーであるぼくたちの耳にもそういった話が聞こえてくるというのはつまり配信でそういう話が配信者さん本人の口から出たよということであり、そんな愚痴をネットで公言できるくらいには配信者さんと運営さんとがうまくやり取りできているということでもあります)

 身構えてしまうツイートに対して、当のにじさんじ配信者のひとりである文野環さんがこんなリプライを送っていてなごみました。

 

 

 ■インターネット徘徊■18禁の話題■

  機械仕掛けの鯨が『年刊Komiflo傑作選(2020年)を編む』を読む

 0901(火)に読みました。18禁の話題なので(苦手なかたがスルーできるよう)ページ下部に載せました。

hanfpen.hatenablog.com

 至高のセレクションだと思います。オールスターチームみたいな布陣。

 

   ▼ポルノのポルノらしさについて語っているのがえらい①

 うれしいことに、実用的な部分の創意工夫・演出について語ってくれているんですよね。さらにすごいのが、なんと評が全然イカくさくない!

{あくまで「ぼくの目から見て」です。扱う題材が題材ですし(=主なターゲットが男性だろう18禁エロマンガですし)、ぼくは下品な人間ですし、この記事でもダメなかたは当然いらっしゃることでしょう}

 とりあつかう題材を抜きにしたら、トーンは(鯨井さんがほかに書いている)文学作品の紹介記事とそう変わらないわけですよ。

hanfpen.hatenablog.com

 だからといって、「あえて芸術的価値を評価してやろう」みたいな鼻につく感じはまったくない。それぞれの作品にもちいられたエロマンガとしての技巧・創意工夫がいかに他の作品とくらべ秀でているか・独自性があるかを語っていて、とてもよかったです。

 ということで新奇さを挙げたり、作家のアイデア・イマジネーションがひかる展開のエスカレートぶりを挙げたりはもちろんなされます。

 でもただそれだけではなくてキャラの時代性を汲んだ書き込みを挙げたり。はたまた、べつに斬新なストーリーなどがあるわけない作品に対しても、完成度をとりあげたり……と評価軸がさまざまあって、バリエーションに富んだ作品が取り上げられています。

 

   ▼ポルノのポルノらしさについて語っているのがえらい②(『かまって! みくのしん』、にゃるら記事など、他のkomiflo紹介記事のさわやかさ)

omocoro.jp

 先行するkomiflo語りとしては、みくのしん氏とかまど氏によるまって!! みくのしん』というウェブラジオでの一放送回(の後半)があるようです。komifloユーザーのかまど氏が、komifloはおろかエロマンガもほぼ読まないみくのしん氏へ、komifloやお気に入りの作家を勧める……という内容。8名程度の名前が挙げられています*3

 鯨井氏の記事とおなじく、このラジオのかまど氏からも「損しないサブスクだ」という旨の推薦がきけます。

{『かまって! みくのしん』komiflo回では、サイト自体の利便性・オリジナリティが語られていて、勉強になりました。

 お気に入り作家の作品が新たに登録されたら通知をしてくれる機能や、komiflo限定配信作品といった実用的なサイトデザインの紹介から。実用的かはともかくサイトカラーを明示したり・読み手のムードを盛り立てたりするであろう独特の構成の紹介まで。

 入力ごとにホムンクルス先生の筆による美女の衣類が徐々にぬげていく会員登録画面、性を押し出したローディング画面(こちらはかまど氏的にも引いた演出たしい)など……「面白い仕掛けがあるんだなぁ」と素朴に興味ぶかかったです。

(ぼくが常用しているfanzaは、実写コンテンツや全年齢向けコンテンツなど一体となったサイトなので、☑男性向け・☑成人向け・☑2次元媒体だけに特化したたくらみはできないでしょう)}

 雰囲気としては中高生の放課後的なかんじで、下ネタ方向の/直接的な表現への言及は「やめろよ公の場だぞ」みたいなストップが入る傾向にあり(ただしシコった報告はなされる)、作品紹介もほどほどで*4、ラジオの主眼は、エロマンガを題材にした漫才的なトークにあるかんじ。

(たとえば、あらたに配信登録された雑誌の最新号のラインナップをかまどさんが紹介していくくだりで、ある作家の作品について「後編だからね、先月読んで気になってたかと思うんだけど……」と言えば、「なに、かまどが読んでるの『炎のゴブレット』?」とみくのしん氏がツッコむなど。)

 

 先行するセレクションとしては、にゃるら氏の記事『【コラム】Komifloの特別企画で、人気ライター「にゃるら」さんがイチオシ作品をピックアップ!特別なコレクションを限定公開中!『アキバBlog』があります。{にゃるら氏の記事では作品についてページ単位の引用がなされているので要注意!!(くじらい評できつかったひとは、にゃるら評はもっときついでしょう)

 にゃるらさんの記事もいさぎよくてスゴいですね。

 ざっくばらんに作品を選び・あっけらかんとしたことばづかいをはなつ……という思い切りの良い記事を書いてらっしゃいます。

 にゃるらさんにしたってどう考えてもぼくなどより遥かに鋭敏で繊細なかたなので、下品をさけることも難なくできたことでしょう。でも、ずばんとストレートなお話をできるところもまたスゴイなぁと思います。アキバblogの成年向けコンテンツ紹介記事はだいたいそうでは、と言われればそれはそう)

 

 

   ▼ひるがえってzzz_zzzzの臭さ

 世のなかにはさまざまな作品があり、ポルノのポルノ部分を抜きにして楽しめる作品もあれこれあって。このblogでも、たまにそういう作品や演出を見かけたとき(そして語れるだけの気力体力があるとき)には、それについて話をしてみたりもしました。

{『萌えクストラポレーション礼賛;『A.G.C.T. 』『月刊 来栖川綾香』感想』、『矢澤レシーブ監督『【VR】修学旅行に片想いのあの子と王様ゲーム 見回りが来たので一緒に布団に飛び込んだら… 桜井千春』感想』、『エロマンガのご都合をすりぬけるナマヌルい風;森山六花『ひみつの少女性癖』を読む』}

 

 ただまぁ、ぼくの話のいくぶんかは、見栄や照れによる結果でもあるんですよね。

 語っていることに嘘はありませんが、そこについてだけしか語れないじぶんに「これでいいのか?」という疑問はある。

 自分がなによりお世話になってきた美少女ゲームは、TYPE-MOONやkeyやleafなどのシナリオゲーではなくて、また、熱心に読んだり書いたりしていたのもゼロアカ道場やプラネットではなくて。

 『へんし~ん!』などテックアーツ系列作品や『毎日がM!』などアトリエかぐや作品、『えろげー!』などはましま薫夫原画のClockup作品その他もろもろなわけなんですけど、そしてよく出入りしていた文字主体のコミュニティといえば『Hシーンのある体験版を集めるスレ』なわけなんですけど、それらについてはどうしゃべっていいかわからないし、そもそもしゃべること自体にためらいがある。

 

 アクション映画を観れば、殺陣や舞台・小物の活かし方やカメラワークやカット割り・ロングテイク・キャラクターの性格とアクションとの噛み合い具合について評価しますよね?

 あるいは推理小説を読めば、トリックの新奇さやアイデアがいかにぶっとんでいるか、伏線の張り方明かし方・キャラの動機やら、事件や犯行とキャラの情動との絡み具合やらについて評価しますよね?

 そうやって考えていくと、ポルノを見て、それがいかに情感をそそる技巧に長けているかを評価するのは、妥当すぎるくらいに妥当な声だと思うわけです。わけですが、しかし、思うだけで、なかなか言い出しにくかったり、言っても(自分の能力不足で)みょうにねっとりとキモくなってしまったりします。

 ぼくの文章だと、まじめぶって評価した口の奥から湿気たっぷりのニチャニチャした気持ち悪い実際の呼気が透けて見えてしまっているんじゃないか、という疑念がはれません(し、実際見えていると思う)

 

 取り上げた3記事は、語り口こそ異なるけれど、どれも共通してカラリとさわやかで明るく、好感がもてる内容でした。

  自分もウマいあんばいを見つけたいものです。

 

……一人だけだと恥ずかしいので、これを読んだら皆さんも自分だけの傑作選を編んでみて下さいね。ほんとに。頼みますよ。

    機械仕掛けの鯨が掲載、『年刊Komiflo傑作選(2020年)を編む』より

 幸いにも、「いいね」やブックマークがついているみたいなので、きっとこれからもいろいろなかたのエロマンガ語りが聞けるものと思います。

 さらなる勉強に励めます。やったね。

 

 

   ▼ぼくにとっての『僕ヤバ』らしさとはなにか? エロマンガでその空気を味わうには?

 これは上の記事とは関係しそうでしなさそうなお話。

 くじらい氏の記事では、余談としての心のヤバイやつ』が思い浮かぶような容姿の男女を主役にした作品としてひやしみらの先生の冒の体温』が紹介されていました。

(鬼太郎タイプの髪型の根暗男と、そんな男にちょっかいを出すスクールカースト上位の高身長女のマンガ。エロマンガのヒロインは暗茶髪ポニーテールのギャルっぽい存在で、『僕ヤバ』ヒロイン山田は黒髪ストレート。

 エロマンガを読んでいると、「これは明らかにあのキャラをオマージュしてるだろ」と思うことがちらほらあるのですが、もっと露骨に似せられた例とちがって、この作品の重なり/重ならなさ具合はうまい塩梅。

 影響ありそうだけど、ないかも・偶然の一致かもしれず、あったとしてもけっして盗作ではない・オリジナルのかわいらしさがある……という具合)

 作品のすじがきは、風邪をひいた女の家に、プリントを届けるなどの理由から男が来訪する/そこにはちょっと女の思惑がからんでいる……というもので。その点においては、『僕ヤバ』ヒロイン山田の生態が思い浮かぶような強者感があります。

 山田が鬼太郎タイプの髪型をした陰キャ市川にからむようすは、一部『僕ヤバ』読者にとって「まるで食料となる小動物を手中におさめたあとの大型肉食動物が、じしんの前脚で獲物をころがし遊んでいるかのようだ」と震え上がってしまうようなおそろしさがあります。おそろしいですね (類語;まんじゅうこわい

 

 ただ、ぼくが『僕ヤバ』に身もだえする原因である、足場のあやうさ。これについては、あまりいだきにくい作品でもありました。

 『僕ヤバ』が1巻あたりにただよわせていたヒリついた空気は、2巻時点で既になくなり、4巻に収録されるだろう現行エピソードは、読んでいるとしぜんに顔がゆるんできて「これでカップルじゃないんか君たち!?」とツッコんでしまうくらいに微笑ましいベタベタぶりですが*5。このエロマンガを読んだことで逆説的に、「『僕ヤバ』は今もなお宙づり感があるなぁ」と考えを改めました。

 付き合ってないし、相手がじぶんのことをどう想っているのか確たる証拠がない。そんな状態のふたりが、おっかなびっくり距離を測り合うんだけど、つい想いがあふれて距離を詰めすぎてしまい「引かれてないかな?」と不安になったりする……そういうドギマギ感がさいきんの*6『僕ヤバ』には痛いくらいにある。有り余っている。

 陽気な人なつこいひとが、気軽にぶつかってきたりさわってきたりすることはある。……でもどこまで? 異性にも? 単に自分がそのように意識されるまでもない、ただただ圏外だというだけではないか? そんな自尊心と自意識にまつわる揺れ動き。

 

 そうした、ぼくにとっての『僕ヤバ』感=相手の気持ちがつかめない領域であるがゆえの、「おはよう」や「じゃあね」を言うか否かとか、隣に座るか否かとか、握手するか否かとか、そういう、パーソナルスペースの些細な進退をあつかう作品であるがゆえの宙づり感で。

 そうした宙づり感を――やれセックスだやれフェラだやれANARUTOだやれ妊妊妊メスガキ忍者だなんて――誰とでも軽々しくいたすものではないと一般に認識されていることを容易くいたしてしまうエロマンガの世界でそれを感じようとなると、もっと異なる枠組みが必要になるのかもしれません。

 

 軽々しくいたすものではないものを、軽々しくいたしてしまう性格造形や世界設定があれば、「けっきょくどう思っているの?」というゆらぎは生まれそうです。

 べつに相手のことがすきだからセックスするわけではない、ということですね。

 

※ここからはまた一層えぐい話になるので、駄目な人はスルー推奨※

 

  (ここ最近1年に発表された作品縛りで言うのはぼくにはむずかしいので)時代を問わず思いうかぶまま考えつづけていきますと、

    ▽①ノリで一線を越えてしまったふたりが、そこからもずるずる関係をつづけている

 タイプのお話がありますね。

 このタイプは最近の*7『僕ヤバ』的な雰囲気をけっこうにまといます。

 子供の頃たまたまテレビでやっていた映画

 スクリーンの外国人が唇を合わせていて

 俺たちはその行為の意味もわからず何度も真似をした

 なぜだかすごくドキドキしてたびたび唇を合わせた…

「あかりー おやつあるわよー」

 今ではその意味がわかっているのにやめられずにいる

   ワニマガジン社刊(ワニマガジンコミックス)、ニイマルユウ著『青いさえずり』Kindle版3~4%(位置No.210中 6~7)「春までは」より

 ニイマルユウ先生のまでは』は、幼年期にたわむれに行なった習慣が高校3年の現在に至ってもやめられずにいるおさななじみの男女ふたりの物語です。

 ふたりのふれあいはあくまでキスだけでしたが、ある日、ヒロインが男の手を引き寄せ「なんか 最後までしたくない?」と胸をさわらせることでボーダーラインが拡張されます。男がまごつくたびに「冗談だって」と言ったりなんだり、笑顔をつくって雰囲気をガチでないものとしてリセットするヒロインの姿がせつない。

 

 スモックを着て給食を食べていた頃

「かずちゃん ここをね こすり合わせると きもちいいんだって」

 近所に住んでた一つ上の女の子が言った

「わたしこれ かずちゃんとしてみたいな」「…うん」

 それは確かにとても気持ちがいいもので

「かずちゃん もっかいしよ」

 もう何年も 二人で この遊びをしている

   コアマガジン社刊(メガストアコミックス)、井雲くす『僕だけの夕闇』kindle版6%(位置No.203中 12)、「萌」

  井雲くす先生シリーズは、子供時代に年上の女の子からさそわれたペッティングをティーンエイジャーになってもつづけている幼馴染の男女の物語です。『春までは』の男女はヒロインの私室にふたりきりで居ても日常会話をしてそうな雰囲気でしたが、『萌』シリーズはやることだけやったらそそくさと帰るらしい。

 視野も世界もせまい子供時代ではおこなえたけれど、現在となっては――片や誰に対してもほがらかで明るく・それでいて面倒見もよい、学校のマドンナ的な存在となったヒロイン。片や無口で教室の隅にいる男、とそれぞれが両極端に成長した現在となっては――、その"遊び"は、伏し目がちで気まずそうに行なう、やめどきがわからなくなってしまった慣習然としたものとなっています。

 その気まずそうな空気が前置されるために、ほがらかに笑顔で喋りかけ雑に失礼をはたらくヒロインへ男が大声でツッコミをいれたりする学校生活が空々しいものとして映り、胸がきゅんきゅんしますね。

 『僕だけの夕闇』にシリーズが全作収録されているものの、時系列としてはもっとも未来の時制であるコミックス描きおろしカラー漫画『潤』がいちばん初めに掲載されてしまっているので、やきもき感を味わいたい人はそこを飛ばして白黒の紙面へ移ったほうがよいでしょう。

 

 ほかにはたとえば、

    ▽②まじめな家庭に育ってきたがゆえのバックラッシュ

 というパターン。

 消火器先生の愛クラムジー{『やわらかな体温』(GOTコミックス)所収}などがまさにそんな感じの導入で、三つ編みメガネの委員長タイプのヒロインがくらりと倒れるところへ居合わせた主人公が、寸でのところでキャッチし、保健室へ連れて行くと、そのような告白をされ、情事をもちかけられる……というお話です。

 主人公が学校へエロ本を持ち込んだことに対してかれと仲がよさそうな女子がはしゃいでいたところへ冷たい目を向けていた彼女が、

「今 あれを持ってる?」*8

 と保健室で当のエロ本を読んだりしますが、だからといって赤らめたりとろんとしたりといった主人公(ひいては読者)の劣情をさそう表情はうかべず、フラットに紙面を追う。三つ編みをほどいた彼女は、冷たい表情のまま自分の胸をさわらせ、どんどんと行動を大胆にし、ついには身体を重ねるまで、ことにおよびます。

 保健室の一件いらい、ふたりは難度も密会をかさねていきますが、ヒロインが主人公のことをどう思っているのか、よくわからないまま進み、このつながりは唐突に打ち切られます。

 消火器先生は、こういう足場の不安定な青春をいくつも描いていて、胸が苦しくなりますね……。

 

 あるいは

    ▽③異性のことを人間だと思っていない

 とか。

 井雲くす先生のもちゃ君とおねえさん』 {『僕だけの夕闇』(メガストアコミックス)}は、隣人の年上の女性が好きすぎるあまり、誤配されてきた彼女の宅配物を勝手にあけてしまったことでプライベートな一面を見てしまった主人公が、勝手に宅配物をあけた場に居合わせたことで「ちょうどいいわ」と開き直ったおねえさんによって宅配物の代わり――オナニーのオモチャ――とされてしまうお話です。

 『僕だけの夕闇』は、収録された6シリーズのうち3シリーズが、意中の相手を熟視したりツガケの先輩』、宅配物を開けたりもちゃ君とおねえさん』、果てはレイプしようとしたりする璧な彼女』男たちが、欲望の対象である当の女性たちにその性欲を含んだ思惑をあばかれ、ののしられるというお話で。

 さらに別の1作はお客さんの異性に性的な目を向けたりした男が職務中の不可抗力的な勃起を上司の女性に咎められののしられるペリアー・ケーキ』というお話。

 女性側が男に恋愛感情をいだいているかどうかは作品によってマチマチで、いちゃラブ大好きおじさんであるぼくなどは非常に楽観的にブヒれる作品もあるわけですが、短編集として読むと、

「いやぁそんな都合の良い話ばかりではないから、いまブヒったこの話だってわからないぞ……?」

 てな具合に、より一層の宙づり感があじわえます。

 

 山本善々先生ジメテのセフレ』も、そういった性欲の解消物として男性の恋情がヒロインによって良いようにつかわれる作品です。

「嫌です タイプじゃないので」*9

 頬を赤く染めたゆるい笑顔で主人公の告白をこばんだヒロインは、代わりに「前から興味があったので」とセックスフレンドにならないかと持ちかけます。そうして二人の関係が始まり、「やっぱりっ♡ 他のおちんちんもっ♡ 試してみたぁい♡」*10と彼女が嬌声をあげるのに対し、「そんなっ そんな事言わないでよ!!」「僕 頑張るから!!」*11と再告白をしたりしますが、それで話はおわらずに……。

「ヒロインも、主人公のことが好きだけど表ではそう言わないだけの屈折した性格の持ち主なのではないか?」

 読者(であるぼく)がいだくそうした希望的推測は、彼女のエロマンガらしいアヘ顔(=白目をむくぎりぎりの顔)やら淫語のせいで確信にまでは変わらない……エロマンガだからこそ出せる宙づり感が魅力的な一作です。

 

 サセ子だよ、つまりその行為が好きなのでそれをだれとでもする人だよという人物であるとか。

 大塚麗夏先生ののさせ子さん』茜新社(TENMA COMICS LO)『みだらぶ』所収}は、意中の人物にそんな噂が立ち、混乱した主人公が問いただすと「するの?」と逆に質問をし返され、関係がはじまるストーリーです。

 たずねた彼女の顔は能面のようで、おびえも好色もみえません。後半、その噂が彼女にフラれた人物が流したデマだということが判明しますが、となると彼女が主人公とからだを重ねた理由が不可解になります。

 彼のことが好きだからあえて乗った……? 読者にそんな楽観をいだかせつつも、『隣のさせ子さん』はそこからズレた回答をもちこみ、ヒロインのミステリアスさを維持して終わります。

 

きっとカホねぇは僕が告白しても なんの迷いもなく僕をフるだろう

長い付き合いだからわかる

カホねぇはそういう女だ

   ワニマガジン社刊(ワニマガジンコミックススペシャル)、ボボボ著『姦動ポルノ』FANZA版p.155/203、「高嶺の花の花言葉

 ボボボ先生の嶺の花の花言葉は、①と③の合わせ技ですね。

 クールビューティな学校のマドンナであるヒロインの秘密(性的趣味)について唯一しっている幼馴染の冴えない主人公が、胸にひめた恋情を隠し、役得にあずかるというお話です。

 ボボボ先生のヒロインは性的に奔放なキャラも少なくなくて、今作を収録した『姦動ポルノ』でも、恋愛感情なんてどうでもよくて不特定多数の男に身をまかせる女の姿が描かれていました。だから、どちらに転ぶのかどきどきしながら読める部分があります。

(おなじようなドキドキ感は、寝取られ漫画をよく書く作家さんがたまに純愛モノを描いたさいなどにも味わえる)

 

    ▽④性行為が仕事の一部で、必ずしも愛情を必要としない

 という場合もありましょう。わりとメイド物はそういう不安定さを少なからず扱ってくる印象にあります。

 すぷらい先生課後だけのご奉仕関係』{GOT刊『comicアンスリウム』2020年9月号所収(今作だけの配信販売アリ)}は、学校のマドンナである名家のお嬢さま時雨坂先輩が破産した結果として主人公のメイドとなり、さらに偶然がはたらいてメイド物ポルノをおかずにしたオナニーの場で初顔合わせした結果、メイドの職域がゆらいでいくというお話です。

 ヒロイン時雨坂先輩は、濡れ場であっても、ほがらかな笑顔をうかべ普段どおりの日常会話でのぞみます。しかしたまに無表情が覗いたりもし、そもそも主人―メイドの関係から離れた家の外、学校では依然としてかれと彼女は一言も会話がなく、学生服すがたの時雨坂先輩はむしろ彫像のように涼しげです。

 家のなかでみせるメイド姿の彼女のそんな態度が、はたして箱庭お嬢さまでその方面に無知すぎるがゆえなのか、それとも何か裏があるのか……疑問におもいながらも、彼女がじぶんの言うことを守ってくれるのをいいことにポルノらしい展開へ流されていく主人公。

「ご主人さま もしかして」「わたくしと生殖行為をお望みですか?」*12

 と尋ねる時雨坂先輩の顔は、ハイライトがなくなった無表情で、主人公を見下しているようにも見えます。

 それは、世徒ゆうき先生森の槍』ティーアイネット刊(MUJIN COMICS)『アラルガンド』所収}ヒロインである同級生のメイド・雨森が主人である同級生の男をひるませる冷たい目と通じるのはもちろん、たけのこ星人先生はメイドでしかない』ワニマガジン社刊(ワニマガジンコミックススペシャル)『カクセイ彼女』FANZA版p.71}で借金のカタに主人公付きメイドとなった同級生のヒロイン・希乃美がストーリー後半で見せる形相とさえ通じるような怖さがあります。

 ……ありますが、その2作にくらべてこの『放課後だけのご奉仕関係』はあそこまでの後ろめたさを感じません。

 その違いは、構図選択の異なりによる影響も大きそうです。

 『放課後だけのご奉仕関係』では、ハイライトがなくなるなどして(読者や主人公に)その思惑を読ませない今作ヒロイン時雨坂先輩のまなざしは、主人である(=彼女に欲望を向ける当人である)男も同一コマ内へ共に収めたツーショットのさいに向けられます

 いっぽう、雨森や希乃美が冷たいまなざしをむける瞬間は、主人公の主観ショットかつ彼女らがカメラを真正面からにらむものです。なのでその冷たい視線は、(彼女が劇中世界で見つめる先にいるであろう)主人公どころか、エロ漫画を読む読者までをも貫く鋭さがあるのです。

 

 はては、

    ▽⑤催眠など、劇中世界設定によるもの

 もありそうですね。

 ビフィダス先生のインディ作品姦合宿 陸上女子・仁木みのりと人目を盗んで…』は、陸上部でだれにでも明るくやさしいヒロインの秘密(競技として陸上にのぞむことがトラウマとなってしまっており、銃声や大きな音を聞くと失神してしまう)を偶然知ったデブオタの男が、ヒロインと親睦をふかめつつも、その秘密を悪用する……というお話です。エロマンガ的な催眠モノのヴァリアントと言えそう。

 無理やりするのは倫理的に悪いことで、嫌悪感をいだくひともいらっしゃるでしょうが、後半の展開をよく考えてみると、ヒロインの症状ははたして100%ガチなのか? と疑問符をはさむ部分があり、何とも言えないミステリアスさが出ています。

 

 きいろいたまご先生のたりごっこは、①と⑤の合わせ技というかんじでしょうか。

 根暗な男がスクールカーストの上位のヒロインから気安い態度でちょっかいをかけてくる学校生活をおくっていたある日、当番表の関係で保健室掃除をふたりでおこなっていると、そのヒロインがラブレターをもらったと自慢してくる。

「…ね、どうしたらいいかな?」

「なんで俺に聞くんだよ! いーじゃん付き合えば お似合いお似合い」

 根暗男のひねくれた回答にムカッときたヒロインから、外の備品を持ってくるよう面倒な命令をだされ、愚痴をいいながら備品を取りに行き保健室へ戻ると、当のヒロインは掃除をサボってベッドで寝ている。

「俺のほうが絶対 春川さんのこと好きなのに…」

 ヒロインがぐっすり寝ているのをいいことに、じぶんの欲望に従うと、ヒロインが目を開き……というお話です。

 

 エロマンガ的ご都合と、ヒロイン側の思惑とがより極端に出たうえでからんだ作品と言えば、たけのこ星人先生による催眠術モノ虫と嘘つき』ワニマガジン社刊(ワニマガジンコミックススペシャル)『カクセイ彼女』所収}も、心揺さぶる傑作です。(あっまた『弱虫と嘘つき』のはなししてる!)

 気弱なオタクに催眠術をしかけられる無口なヒロイン側の視点からその模様を追った変則恋愛ではじまった前半こそ、

「ヒロインも、主人公のことが好きだけど表ではそう言わないだけの屈折した性格の持ち主なのではないか?」

 と読者(であるぼく)に希望的推測をいだかせます。エロマンガでおなじみのファンタジーではないか? と。

魔法の効力は、その行為者に依存する。魔法は、だれでもおなじようには使えない。天賦の才を持つ人間にしか使えない魔法もあれば、長年の研究によって魂を浄めた人間にしか使えない魔法もある。正しい心を持つ人間にしか使えない魔法もあれば、使う人間の善悪によって違うふうに作用したりもする。

 科学では、こういうことはまったく起きない。銅線のコイルに磁石を通せば、あなたがだれだろうと、あるいは心の善悪にかかわらず、電流が流れる。

   早川書房刊、『SFマガジン 2008年1月号』p.46、テッド・チャン著「科学と魔法はどう違うか」より

 (略)SFでは、宇宙の法則が個々の人間を識別することはない。宇宙はある人間を区別しないし、人間と機械を区別しない。ファンタジーでは、宇宙の法則は、人間の個性という概念を認識している。ほかの人間にとってだけではなく、宇宙自体にとって特別な個人が存在する。

早川書房刊、『SFマガジン 2008年1月号』p.47~48、テッド・チャン著「科学と魔法はどう違うか」より(略は引用者による)

 しかし、エロマンガの世界であればおなじみの理屈が{テッド・チャン(魔法やファンタジーとの違いを明確に区別している)SF観をおもわせるような、公平さと冷徹さで}猛威をふるうことで、欲望を伝えるオタク男とそれを叶えるヒロインという二者間の位置関係にゆらぎが生じすぎるくらいに生じます。

 

 あらたにボーダーラインを引き直し、そのうえで反復横跳びする……そんな作品が、ぼくにとっての僕ヤバ感をあじわえるエロマンガっぽい。

 

 

 

*1:実際にプレイしたのは、拡張作である『モンスターハンター:ワールド アイスボーン』

*2:「……とかけまして××ととく。その心はどちらも※※でしょう」というアレ。

*3:具体的に名前を挙げると下記のとおり。

omocoro.jp

38:30~火鳥先生のギャグ漫画的な面白さ(『ANARUTO』など)

45:10~幾花にいろ先生

45:40~ひょころー先生

46:43~きい先生

47:08~えーすけ先生

{「えーすけ先生(の美点)はあれかもな~ケレン味「エロでケレン味!?」

48:13「フィニッシュがダイナミックだったりするんだよね、えーすけ先生って……」「(即情事のような、ストーリーが淡白な作品もすくなくないなか、えーすけ先生作品は)心情描写もねちっこくやられる」}

50:07~Hamao先生

(「後編だからね、先月読んで気になってたかと思うんだけど」「なに、かまどが読んでるの『炎のゴブレット』?」)

50:50~&52:10~いだ天ふにすけ先生

(絵柄がシンプルでもちもちとかわいらしい。それなのにやることやってくれるギャップが良いという旨)

55:30~ひげなむち先生

55:35~昼寝先生

*4:{ラジオ内では語数をかけて話題にされるえーすけ先生作品について(48:13~)や、いだ天ふにすけ先生にかんして(50:50~&52:10~)も、世間話ではなせるくらいに簡潔な印象です。}

*5:※これを書いていたのは09/01~09/06です。

 この当時は、9/8公開の『僕ヤバ』Karte.53があんなことになるとは思ってなかったんすわ……。

 1巻あたりのエピソードで市川(≒陰キャ)―山田(≒陽キャ)間に感じていたヒリつきは言い換えれば、陰キャ陽キャ間の所属階級差/異種間交流みたいなものだった。

 市川山田の距離がちかづき・各人の解像度の高まったことによってその所属階級差がふたりのあいだで気にされづらくなった一方で、二人の距離の近まりがふたりの活動圏をより開けた空間への拡大も生み始めており、そうした結果がKarte.51や53でえがかれたような、市川(&山田)―周囲という更に大きな関係/異種間交流とそれにともなう新たなヒリつきを生んできているのではないか……というような印象があります。

*6:※2巻~『僕ヤバ』Karte.52までの

*7:※2巻~『僕ヤバ』Karte.52までの

*8:ジーオーティー刊(GOTコミックス)、消火器著『やわらかな体温』FANZA限定特典付版p.181/236

*9:文苑堂刊(COMIC BAVEL)、山本善々『ハジメテのセフレ』FANZA版p.2/20

*10:文苑堂刊(COMIC BAVEL)、山本善々『ハジメテのセフレ』FANZA版p.13/20

*11:文苑堂刊(COMIC BAVEL)、山本善々『ハジメテのセフレ』FANZA版p.14/20

*12:GOT刊、すぷらい著『放課後だけのご奉仕関係』FANZA単独配信版p.17/24