- ■ネット徘徊■コタツぬくぬく■
- ■読んだもの■
- 04/08 23:59まで半額ポイント還元セール中だったもの(一部延長戦中)
- ▼倉田&okama『CLOTH ROAD』(セール終了)
- ▼中田春彌『Levius』新装版上下(続編10巻まで購入)(セール終了)
- ▼『日に流れて橋に行く』1巻(既巻全巻購入)(セール終了)
- ▼『地獄楽』1~4巻(全巻購入)(延長戦セールも終了)
- ▼『PSYREN―サイレン―』1~3巻(全巻購入)(延長戦セールも終了)
- ▼『夜桜さんちの大作戦』1・20~巻(延長戦セールも終了)
- ▼『ショーハショーテン!』(全巻購入)(延長戦セールも終了)
- セールじゃないもの
- ▼『ニセモノの錬金術師』1~2巻
- ▽ラフマンガ版『ニセモノの錬金術師』&『スカイファイア』
- ▼『フールナイト』8巻
- ▼『黄泉のツガイ』~6巻
- ▼『常人仮面』~3巻(4/18?の4巻も楽しみ)
- マンガ以外の本
- ▼『中世パリの橋のうえで』V・W・エグバート(藤川徹訳編)
■ネット徘徊■コタツぬくぬく■
パク・チャヌクの『虐殺器官』本当の進捗は?(製作費調達に苦闘してるToDoリスト3作のうち1作で、22年末段階じゃ「草稿は書いた、それをもとに別作家が脚本作業中」)
パク・チャヌクは、タイトル未定の西部劇に加え、伊藤計劃(1974-2009)の小説「虐殺器官」("Genocidal Organ")の映画化を計画しているようだ。(The Playlist) pic.twitter.com/ocNQWjl0wV
— cinepre (@cinepre) 2024年4月9日
先日バズってました。
パク・チャヌクが『虐殺器官』映画化を希望しているという発言の出処であるThe New Yorkerの『シンパタイザー』撮影現場訪問記。次回作のドナルド・E・ウェストレイク『斧』ともう一本の西部劇はS・クレイグ・ザラー脚本『The Brigands of Rattleborge』で間違いないと思う。https://t.co/dsPLXC33u3
— Cinemathejury(さのぴ) (@Cinemathejury) 2024年4月10日
2024年4月、『シンパサイザー』制作中のチャヌク監督へ取材した『ニューヨーカー』誌の記事からの情報で……
チャヌクの心には未製作の映画が留まりつづけている;長いToDoリストを抱えているのだ。次作は『斧』で、ドン・マッケラーと共に初稿を書いた無職の連続殺人鬼の映画だ(チャヌクはその後、物語の舞台を韓国へ移した)。西部劇もまた撮ろうとしている。雷雨にまぎれて小さな町を恐怖におとしいれる盗賊へ、医者と保安官が復讐に向かう映画だ。『虐殺器官』の翻案もチャヌクは望んでいる。内戦の糸を引く男にまつわる、日本のSF小説だ。
「けっきょくのところ投資者次第なので、」チャヌクは言う。「つまり、次にどのプロジェクトを動かすかは、その界隈の実状(the reality of the world)にもとづいて決定されるんです」
His mind remains on his unmade movies; he’s got a long list of to-dos. Next up is “The Ax,” the movie he initially wrote with McKellar, about the jobless serial killer. (Park has since moved the story to Korea.) There’s also a Western he’s been trying to shoot, about bandits who terrorize a small town under the cover of a thunderstorm, and a doctor and sheriff who go out for revenge. He wants to adapt a Japanese sci-fi novel called “Genocidal Organ,” about a man masterminding civil war. “It’s ultimately in the hands of the financiers,” he said. “Which is to say, I base my decisions about what projects to do next on the reality of the world.”
『New Yorker』(2024年4月8日UP)、Jia Tolentino「Park Chan-wook Gets the Picture He Wants」{訳は引用者による(英検3級)}
……とのこと。おととし2022年に『Collider』誌の取材で言ったこととほぼ同じでやんの。
多くのひとがあなたと映画を作りたいだろうとは想像しておりますが、進行中のプロジェクトや作品素案のなかで、あなたが資金調達になおも苦労しているものはありますか?
I would imagine many people want to make movies with you, but is there a project, a piece of material that you have developed that you still struggle to get financing for?
パク:そうですね、とても長いあいだ取り組んでいるプロジェクトが3つあります。ひとつは西部劇で、 2つ目に小説『斧』の翻案です。これは実はコスタ=ガヴラス監督によりフランス映画版が制作済みの、二度目の翻案ですね。3つ目は『虐殺器官』と云うSFアクションです。
PARK: Well, I have three projects that I've been working on for quite a long time. The first one is a Western film and the second one is an adaptation of a novel called The Axe. And actually, this is going to be the second adaptation into a film after Costa Gavras' French version. And there's another one, sci-fi action, which is called Genocidal Organ.
そのうちどれが次回作になるとお考えですか?
Do you think that any of those will be your next film project?
パク:今のところ、どれを最初にやれそうかお答えできません。この3作は自分の心のなかでとても特別な位置づけにある作品ですから、実現すればうれしいです。まぁ3作とはまた別の『シンパサイザー』が資金調達を終えまして、プリプロダクション中にあります。HBOドラマミニシリーズです。
PARK: Right now, I can't say which one will come before the others. It's hard to tell, but I'll be happy to see any of those three comes to life because these three have a very special place in my heart. Well, there's another one that's already got the finance, and it's in pre-production, which is The Sympathizer. It's an HBO series.
『Collider』(2022年9月28日UP)、STEVEN WEINTRAUB「Park Chan-wook Talks ‘Decision to Leave,’ ‘The Sympathizer’ With Robert Downey Jr., and the TV Series He’d Like to Guest Direct」{訳は引用者による(英検3級)}
『虐殺器官』監督がはじめて報じられたのは2016年のことで。
西部劇『The Brigands of Rattlecreek』にいたっては、2006年「人気だけど未製作の脚本」ブラックリスト入りしてから6年が経った2012年にチャヌク監督へ白羽の矢が立って、19年にAmazonで製作の報が出る! もそれから音沙汰なく……ってかんじらしい。
『オールド・ボーイ』『お嬢さん』パク・チャヌク監督による超暴力的西部劇『The Brigands of Rattlecreek』を、アマゾン・スタジオが製作へ!主演候補としてはマシュー・マコノヒーの名前が挙がっている。『トマホーク ガンマンvs食人族』S・クレイグ・ザラー脚本 https://t.co/LxAxUZqMZW #HIHOnews
— 映画秘宝 (@eigahiho) 2019年3月15日
「作りたいけどなかなか資金調達面で難航中の作品3作のひとつ」
ってだけなのかな? じっさいどのくらいの進捗なんだろう?
ユリイカのパク・チャヌク特集でハリウッド版『虐殺器官』の進捗状況語られてました(仔細は読んで) まだ動いてたのか…… 今のチャヌクはポリティカルにあまり興味なさそうなので、男同士の関係性をねっちょり見つめそう アニメ版で変更されちゃったスペクタクルシーンをガッツリやってほしい
— 鈴木ピク🍯○◇🧸 (@pumpkin_crack) 2023年3月22日
青土社『ユリイカ』23年3月号掲載の本人インタビュー(22年年12月28日取材)に仔細があるらしい!
早速ポチってみました。
パク 私はもともとSF映画やSF小説が好きで、いつかSF映画を作ってみたかったのですが、これだというストーリーを見つけられずにいたんです。そんな中、アメリカのプロデューサーが私に『虐殺器官』を薦めてくれました。発想がとても興味深い作品でした。現在プロジェクトが進行中で、私がとても長いプロットを書き、それを草稿として、アメリカの作家がシナリオにまとめている段階です。これがいつ作られるのかはまだわかりません。あまりにもお金がかかるストーリーなので、投資が実現するかどうか、まだ誰にもわかりません。
青土社刊、『ユリイカ 2023年3月号』kindle版13%{位置No.5119中 649、58/388ページ}、パク・チャヌク(聞き手・構成=崔盛旭&訳=桑畑優香)「愛と言葉の映像」(太字強調は引用者による)
「作りたいけどなかなか資金調達面で難航中の作品3作のひとつ」
ってだけでした。かなしい……。
かなしいけれど、チャヌク氏がとにかくアプローチをし続けているのはたしかなようで、続報を気長に待ちたいと思います。
たぶん別口でなんか実写化企画が動いているらしい?(24年2月UP/削除されたオフィスアメイズ代表・伊藤航さんによるテスト映像)
チャヌク監督版の続報をググっていたら知ったんですが、たぶん別口、日本でもなにかしら実写企画がうごいているらしい。
オフィスアメイズの代表で計劃氏のいとこだと云う伊藤航さんが𝕏(旧名;ツイッター)にテスト映像をいっとき公開されて謝罪のうえ削除された……という「後追いにとっちゃ何が何やら」なできごとを、ねとらぼさんが記事にしていました。
文藝春秋、円城塔さんの随筆「伊藤計劃生誕五十年」を拝読。いつもの円城さん。伊藤さんには頭が上がらない感じ。今年はお声がけしますね。今度こそ良い報告ができますように。Project goes on ...
— 塩澤快浩 (@shiozaway) 2024年2月11日
早川書房の塩澤氏が「今度こそ良い報告ができますように。」云々おっしゃってたのも、このへんの関連なのかなぁ? なんだかよくわからんですね。
アニメ映画版の尺や質の具合からふりかえるに、大予算のミニシリーズ企画だとうれしいですが、そんな大企画はさすがにもっとコンプライアンスが堅いだろうから、そうじゃないんだろうな……。
たとえ大きな予算じゃなかろうと、計劃氏がよく話題にした黒沢清さんなどが低予算のきつさを感じさせない作品群で名を馳せたとおり、才能ゆたかなひとが撮ればまた違ってくるでしょう。面白い作品が観れたらうれしいですね。
オフィスアメイズと同じロゴ/同名のアカウントによる何だかよくわからん企画のイメージ動画(2月アップロード)。関係あるのかなぁ?
■読んだもの■
04/08 23:59まで半額ポイント還元セール中だったもの(一部延長戦中)
(本チャンのセールは終わったんだけれど、いくつかの作品についてはまだまだロスタイムの延長戦があるみたい。話題の『スナックバス江』も4/11現在、ネコチーム回を収録した4巻はもちろん全巻セール中なので、比較したいとか、漫画版のエピソードを9割がたフル尺採用しショートアニメのテンポ感で展開したYoutubeの謎アカウント動画版が面白かったかたはポチっておくとよいです)
▼倉田&okama『CLOTH ROAD』(セール終了)
いま買ったわけじゃないけど、倉田&okama『CLOTH ROAD』はおととし33の時分に読んでも傑作だったんでオススメです。(セールは終わりました。でも定価で読んだって全然お買い得だと思います)
それは何ですか;
ウルトラジャンプで連載されていたハイテク衣服SF漫画です。
序盤のあらすじ;
繊業革命によって人類の文化は大きく変わった。ケーブルは糸に、基盤は布地に。極度に達したナノ・テクノロジーによりコンピュータは人々の服となった。
それはコンピュータメーカーとファッションブランドの統合を意味し、服を仕立てるプログラマー=デザイナーと、その機能を最大に引き出すファッションモデルは時代の主役に躍り出る。世界は華やかになった一方、社会問題はなにひとつ解決していない。7つのトップブランドが支配し、下層民はショーWAR-KINGで憂さ晴らしして目をそらす。
きょうもまた地方都市コロネットの暗がりのWAR-KINGランウェイ脇で、孤児の三流デザイナーの少年ファーガスが二流のモデルに怒鳴られていた。
仕立てを教えてくれた養父は酒浸りでスケッチさえ見てくれず、憧れのトップブランド・ロイヤルカストラートの新作はビルの発光繊維画面(ショーウィンドウ)の向こう。自室の窓向こうでは、想い人のペルリヌさんが男と連れ立って闇に消えていく。
「僕は……一生ここから出られないのかな……」
そんな日々が唐突に終わりを迎える。養父が病に倒れたのだ。ぼろいが立派なこの工房も、莫大な手術費のためには売り払わなければ。
「もう……もう、どうにでもなれっ!」
ファーガスが当たり散らす。赤い毛糸玉がはじき飛ぶ。
「わぁっ!」
振り返るとそこにはじぶんと同じ金髪の、しかし瞳に光を湛えた少女がいた……
再読した感想;
やはり傑作でした。
初読時はとにもかくにも、拡張されていく服・身体の定義――超天才ガーメントのあたらしい「家族」の本領がお披露目されたときのインパクトが記憶に刻まれた作品だったのですが、あらためて読むと、かなり丁寧に段階をふんでいたのだなと面白かった。
まず人がおり、そこから……
- すごい服を着た人(モデル)
- クラシカルな美しい服によくある意匠(植物を模したような)の服を着た古い時代の天才(ジューン・メイさま~!!)
- 五感強化人間的天才(ヴィンテージやダメージ系のファッションにつよい、臭いに強いフェロらグラウンドダークと。スポーツメーカー的な超絶身体能力のマチュピチュらニケ)
- ケモノにならったネイチャーテクノロジー(生物模倣技術)服(ウナギ的な水泳機能をもち、さらに……)/全環境型の服のひと(……防寒・防炎・水中能力を一着でこなすユニイズム)
……と歩んできたうえで、5.超天才ガーメントのあたらしい「家族」たちが来る、という流れ。
そうは言ってもインパクトがつよい。
その4と5にあるギャップを、その後のエピソードで4.5(3.5?).植物の特徴をふくらませた機能をそなえた本気衣装のメイさま、や、4.75.からくり細工の世楽の天才衣装/(服に人をではなく)人を服に合わせる世楽ヨコヅナの体形変化が埋めていき、クライマックスへ……となる。
トップモデルがどんどん亡くなりトップブランドさえもが無くなる総力戦のなかで、CPUたん*1を讃えるモノリスは我関せずで引きこもるのも、世界の広さに一役買っていて素晴らしい。
okama氏のイマジネーションの爆発した各地の風景・文化風俗がすばらしい。街並みだけで数ページ数コマ使ってくれるうえに、大ゴマとなるともう眼福きわまりない。
それぞれのトップブランドとその服・着用者の思想・文化風俗ががっちり手を結んだ物語がすさまじい。
主役たちがしばらく滞在する、「安っぽ」くはあるけれど均一なクオリティの代物が、衣服どころか建物、そして人物までどこまでも続くユニイズムはもちろんのこと。
大カタストロフを起こした世界の終焉(の危機)に対して、騎士道精神をはつらつとさせてトップブランドたちを束ねようと意気込むチャリオットと。侘び寂びの精神から「世界終焉」についても「それはそれで……」と受け入れてる世楽との対立がすばらしい。
ただその一方で、あらためて読んだことで序盤のいくつかの大ゴマやセリフについては「んん?」とかしげるところも出てきました。
大仰すぎたり、妙な泥くささがあったり。あるいは、発話者と読んでいるぼくとのイメージがうまく共有できずに上滑りして聞こえたりする場面がありました。(この辺のストーリー展開でいえば、すべてが速い『Do Race?』のほうがキャラの感情面についてひっかかることなく読めたりする)
主人公ファーガス&ジェニファーがコンビを組んでのデザイナー/モデル経験としては、私的には知り合いの元モデルとの練習を、公的なWAR-KINGとしては美々介戦くらいしか未だこなしていない時分、読者としては公式戦2戦目となるところで、ジェニファーから「あいつはいつも私の予想外のことをしてきてくれたから」みたいな強い信頼が口に出されるシーンがあります。
ここについてぼくは、「ま、まだzzz_zzzzはファーガスのすごいところをそんなに見てないよ……」と正直ちょっと戸惑ってしまいました。
一部のセリフや演出にはノれなかったけれど、やっぱり歴戦の作家・脚本家がてがけたダイアログや会話の活かしかたは厚みがあるなぁと感心もしました。いや弁舌が素晴らしいとか詩情があるとか、そういうのとはちょっと違う。
たとえばトップモデルのカピスルの発案により、ユニイズムvsファーガスら主人公コンビでトライアスロンをすることになったとき、そのルール説明を当のカピスルがすべて行なうのではなく、デザイナーのチャコも会話をつないでいるところ。
説明シーンの後、カピスル&チャコの二人きりの場面となったときに劇中で開示がされているけれど、
「この説明をこのようにしたから、このキャラはファーガスらについてこう考えている」
「この説明のなかに全く無関係なあの情報を言ったから、あのキャラはファーガスらについてああ考えている」
……と、一連の説明シーンが単なる説明シーンにおちず、そのなかでもそれぞれのキャラが別個の意図をもって独自のことばをつむいでいて、そしてそれを素材にしてかっちりドラマが紡がれているんですよね。すごい。
(あと、"「ユニイズム」編には関係ないけど『クロスロオド』においては忘れてはならない大事な話題"をちょっぴりでもトピックとして挙げておくのは、連載モノでは――とくに月刊連載のマンガでは――かなり重要なことなのではないかとも思う)
ほかにもグラウンドダークのフェロ・フレグランス&ニケのマチュピチュというトップモデルコンビの「約束」もうまい。
トップモデル勢揃いのクロスロオド大会/しかし連覇者メイ様不在/主人公たちも別場にいて、ジェニファーはメイと一緒に殴り込みをたくらみ、ファーガスはもっと大きな世界の危機についてあれこれ頑張っている……という状況という、読者の意識としては前座として考えているシーンで、どうでもいい感じにサラッとなされた世間話的ダイアログが、その後この二人にとって大事な合言葉としてずっと転がされていくこととなるんですよね。
セリフを無駄にしない物語効率のたかさをかんじる転がしかただし、意図してかせざるかは存じませんが、こういう「些細なことにこだわり慈しむこと」が、さまざまなひとや舞台で何度も何度も織りなされていって、『クロスロオド』という凡才が"凡才ゆえにできるやりかた"で愚直に歩む物語を、より大きく、より確かなかたちへ仕立てていってもいます。いろいろとすごい。
序盤からあれやこれやと出てくる「天才⇔凡才」という話題は、次第に親子や師弟の話題となっていき、解決策としては「いかにして巨人の肩に乗るか、ハックするか」という勘所となったような気もします。
並び立つ者同士が競争したらどうなるか? という視点はひかえめで、そうやってふりかえると『Do Race?』という作品は、過去にやってきたことをふまえたうえで新雪の野へ向かう、えらい作品だったのだなぁと思いました。
▼中田春彌『Levius』新装版上下(続編10巻まで購入)(セール終了)
新生暦19世紀、戦後の帝都で大人気の「機関拳闘」に身を投じる若手人気選手レビウスとその仲間たちの軌跡をえがく、スチームパンク拳闘マンガです。
IKKI⇒ヤングジャンプへ移籍した作品で、セリフ横書きでページ左⇒右へ進んでいく構成でバンドデシネっぽい感じだし、絵柄もオシャレ&アーティスティックだし、スチームパンクだし(※)、IKKIだし……と食わず嫌いしていたのですが、なんと一話ごとにちゃんと面白いヒキを作ってくれるタイプの正攻法のエンタメ! うれしい驚きでした。
{※伊藤計劃「スチームじゃない」や「キャラは戴くが歴史は要りません」は、zzz_zzzzのような影響されやすいミーハーにとって、ちょっとした呪いになっちゃってるんスよね(ええカッコしいの軟派なモンって偏見が培われてしまった……)}
冒頭の、噛み合わない会話や、癒えない戦争の傷、コロッセオで行われる血なまぐさすぎるサイボーグ蒸気ボクシング……
……そういったものがページをめくるにつれ、だんだんとこの人・この人々の「ふつう」の空気だとわかってきて。
後半にいくにつれ、ちょっとズレてるだけでまっとうすぎるくらいにまっとうな情を持ち合わせた人々のドラマとして読め、「じゃあ冒頭の試合の残酷さはなんだったのか?」といった疑問にも答えが出されつつ、そういうツラく冷たい現実のうえで「それでもなお」「だからこそ」とあらがう拳闘士たちの気合と絆と粋のスポーツ根性モノとして立ち現れていきます。
続編『Levius/est』序盤で明かされたとおり、蒸気を意志通りにうごかす超技術が発明された世界とのことで、試合展開は気合でどうにかする部分がおおきいんですけど、高度に発展したスチームパンク世界ならではの医療用義手(繊細な日常生活用に痛覚がリンクしてる)とスポーツ用義手(痛覚フィードバック無し)の違いとか、ピーキーながらも高威力と搦め手のできる(っぽい)無関節アームとか、各選手各装備にバリエーションがあって「おっ!」となります。
(ただしウルトラジャンプの倉田&okama『CLOTH ROAD』のウォーキングなどよりもフンワリはしてると思う)
カッコいいし装備にバリエーションもあるけど、それでも割りかしフンワリした拳闘模様が、にもかかわらずシッカリしたスポーツ興行に見えるのは、無口な主人公レビウスとGrade1昇格をかけて争う好敵手ヒューゴ=ストラタスという役者の賜物でしょう。
眼鏡の記者A「Mr.ストラタス! 来月には全世界注目のGrade-Ⅰ昇格船が控えていますが… 対戦相手のレビウスは異例の抜擢ということもあってか、相当気合が入ってるという話ですねッ! (略)格下相手の世紀の一戦、負ければ後はないと思われますが――…」
(略)
ヒューゴ「なァ、オマエの質問なんかイライラするから、とりあえず殴っていい?」
打撃音「ゴッ」
眼鏡の記者A「!!!?」(ふっとぶ眼鏡)
ヒューゴ「戦う前に負けることを考えるバカいるのかよッ!!」
(略)
記者B「規定違反ですよッ! プロのリング外暴力はレギュレーションで禁止されてるはず!」
ヒューゴ「ああッ!? だからどうした!? そんなら捕まえてみろよ! ヒューゴ対レビウス! 世紀の一戦が中止になるんだぜ!! どれだけのビッグマネーが…って!」
(横を向きヒソヒソ話する記者CD)
ヒューゴ「ちゃんと聞いてろッ!! そこッ!!」
打撃音「ゴッ」
ほかの記者C「ンぐっ…!!」(ふっとぶメモ帳とペン)
集英社刊(2019年初版発行、ヤングジャンプコミックスDIGITAL)、中田春彌『Levius 新装版 上』kindle版42%(位置No.364中 153~155)、「Chapter.04」より(略は引用者による)
ヒューゴは暴虐のかぎりを尽くす悪玉で、このひとがリングの内外で仕事をしてくれることで札束と暴力うずまく興行の匂いを満たしてくれる。
拳闘士を全うするこの人がいるからこそ、劇中独自競技である「機関拳闘」が劇中世界でどういった興行のどういったスポーツなのか読者はその背骨を見ることができ、血なまぐさすぎるけど戦争とは別物なのだっていうある種の健全さを見出すことができる。
(新装版の追加読み切りエピソードとして下巻は主人公チームのメカニック「ビル」編が収録されているのにたいして、上巻は主人公や主人公家族をさしおいて「ヒューゴ」編が収録されているのですが、「そりゃヒューゴ編収録されるよ! 読みたいもん!」と納得しました)
『Levius/est』も併せて読みたいですね。(ので、けっきょく10巻ぜんぶポチった)
▼『日に流れて橋に行く』1巻(既巻全巻購入)(セール終了)
4/11げんざいい全巻半額還元セール&1~3巻無料試読+半額セール(半額にしたうえで、その半分ポイント還元)延長中
(4/14再確認したら延長戦セールも終了してました。ただ1~3巻の試読・半額セールはまだ継続中みたい。いつまでだろう?)
大正に切り替わる間際の明治44年、3年ぶりに帰ってきた日本橋の町並みは洋風に建て替わりはじめていた。昔変わらぬ三星呉服店ののれんをくぐって早々、虎三郎の出鼻は文字通り挫かれ、英国のネクタイとジャケットは汚されることとなった。
「英国視察? 新店舗? そんなもの店の者は誰ひとり望んでおりません。その費用がこの店のどこから出てきたと思っているのですか」
呉服店(百貨店?)立て直しモノ。
武者修行帰りの主人公という建付けのおかげで視点・行動域がひろい!
劇中舞台の説明も(3年の隔たりによって様変わりした主人公にとって未知なので)無理なく採り入れられますし。武者修行を「ドラ息子が放蕩旅行に行った」としか捉えることしかできない古巣の信用もあらたに得なきゃならない境遇上、現場レベルの小間使いの行動者として立つこともできるし。実情はどうあれ管理職にちがいないしその実力も持ち合わせているので、他者をスカウト・マネジメントだってできる。
コツコツ地道な泥臭い下働きによって作品世界を土台から眺めつつも、ほんとうに下階級の者じゃいつまで経っても得られない(結果、読み進めても一向におもしろくない)視点や成果を適度に出す……この塩梅がよろしい。
お客さんから草履をあずかり、きれいにし(牛糞まみれ。時代を感じさせる付着物でよいよい~!)、下駄箱から出し入れする昔ながらの「和の名店」で一仕事した主人公が、ふっと土足に対応した店舗設計を思案し、口に出す。それはべつに下働きに嫌気がさしたわけじゃなくて、
「草履の着脱は時間も手間もかかるし、なによりハードルが高い。フラッと訪れてフラッと去れる、気安い空間でなければ財布の紐もゆるまない」
というかんじのマーケッター・導線プランナー視点によるもので、「なるほどな~!」となりました。
立て直しもだいぶドラマチック!
「時代に取り残された店を立て直すぞ~」ってそれだけなら、ともすれば(ロードマップを坦々とこなしていくだけの)無骨な社史にだってなりうるところじゃないですか? そこを今作は骨を通し血肉をつけてて非常にとっつきやすい。
「敬愛する兄は、自分と店員目線とじゃまったく別人らしい」
「しかも目先の利益か大局観かという解釈の問題じゃなくって、いかにも道楽な借金・借用書まである、酌量の余地なくダメ人間っぽい!?」
と主要人物の欠点や不可解な謎といったレベルにくるんでくれてるんですよね。
▼『地獄楽』1~4巻(全巻購入)(延長戦セールも終了)
(4/14再確認したら延長戦セールも終了してました)
死刑囚たちが恩赦放免をかけて不死の秘薬があるかもしれない不思議な島へ探索へ出る。囚人にはお目付け役として首切り人が一人ずつつき、囚人や首切り人それぞれの思惑が絡み一触即発の事態になるも、そんな争いさえ些末なほどの異形が島には闊歩していた……という変則バディ・デスゲームサバイバル物。
暴力がすばらしい。血なまぐさいんだけど、今回したいのはそういうお話ではありません。
沙村広明『無限の住人』の筆でかわいいデザインにて描いたみたいな絵がとにかくよい。人物・各コンビがそれぞれ境遇から性格からいろいろバリエーション豊かで楽しいうえ、なにより不思議な島の不思議っぷりがたしかなデザインと画力で描かれています。こちらの矮小な頭では文章読んだだけじゃ思い描けないイメージを直接ドンと放り込んでくれるのが視覚芸術のよいところで、そういう画力による暴力が拝める作品ですね。奥浩哉『GANTZ』を初めて読んだティーン時代の気持ちがよみがえりました。
画以外の部分は?
ほかの作品で見てきたようなあれやこれやに対する作品独自設定をからめたいろんな理屈づけが良い感じで、「冷静さ(=プロ意識)と熱さ(=私情)その両方を兼ね備えたやつが一番つよいんだ」みたいな話とか「心眼」みたいな要素とかが、今作においてはカッチリ収まるところに収まってくれて、ぼくはそういう生真面目な作品が好きなので続きも買いました。
しっかしだいぶ進んでいるように感じられるのだけど、まだ4巻なのよな。このさきどうなるんだろうな。
▼『PSYREN―サイレン―』1~3巻(全巻購入)(延長戦セールも終了)
(4/14再確認したら延長戦セールも終了してました)
妙なテレホンカードを手に入れたひとびとが異形の闊歩する謎の荒廃世界に呼び出され、サバイバルを強いられる……という『GANTZ』タイプの作品で、3巻までで2度目の召喚が終わって区切りがよい。
1度目の召喚は初見殺しの無理ゲーってかんじであまりピンとこず、2度目の召喚からが本番という感じ。特筆して「最高!」とか「ヘキに刺さる」ってわけじゃないんですが、「半額ポイント還元ならアリでしょ~」って軽くポチってしまうくらいふつうに面白いし、なんかヒロインの造形に独特の味があって良いので続刊も購入。
「かわいい」の範疇に回収できないし、だからといって「ヒエ~壊れてる~ッ」て怖がることもできない、妙な病みかたをしていて、それがゴロッと数コマさしこまれている。どう触れるのがいいのかよくわからないタイプのリアクションをとるので、そんな部分に出くわした他者もどうしてよいかわからずスルーを決め込むしかない、そんな独特の間が流れる……みたいな。
▼『夜桜さんちの大作戦』1・20~巻(延長戦セールも終了)
(4/14再確認したら延長戦セールも終了してました)
ご近所付き合いしていた幼馴染の女の子は実はスパイ一家の跡継ぎで、過保護な兄の束縛を解くため結婚、夫としてスパイとして頑張り、彼女の兄姉たちに認められていくことに……という作品。
1巻時点ではピンとこず、だからといってジャンプ本誌を定期購読しはじめてしまったので、全く読まないのももったいないので、「キリのよいところからつまみ読みしたいな」と思っていたら、最終ボスが全力を注ぎこむだろう5年後の「大作戦」にむけ、第20巻で物語は5年後に飛ぶことを知ります。
この「5年後」がめっちゃ区切りがよいっぽいのでした。
この5年間で主人公ふたりは22歳となり4歳の双子姉弟をこしらえます。「5年後」編は、視点人物がその双子となり、双子たちが自分たちのおじ・おば(=5年前バラバラに別れてそれぞれ独自に修行をかさねてきた、夜桜家の他面々の現在の姿)と出会っていく……という下の世代での語り直し・作品内リブートがここで行われておりまして、ぼくみたいな新規が願ったりの展開・構成なのでした。
『ドラゴンボール』や『キン肉マン』(は『二世』としっかりタイトル分けちゃってるか?)、『NARUTO』(も『BORUTO』としっかりタイトル分けちゃってるか?)あたりを読んでるひとによる比較論とか読んでみたい。
▼『ショーハショーテン!』(全巻購入)(延長戦セールも終了)
(4/14再確認したら延長戦セールも終了してました)
作画・小畑健&気鋭の小説家・浅倉秋成(『六人の嘘つきな大学生』『俺ではない炎上』)による、日本津々浦々までいや天国まで爆笑をかっさらいたい高校生たちのコント・漫才青春譚。ようするに芸人版『バクマン。』(作画小畑健&原作大場つぐみ)で、でも『バクマン。』で「これはいかがなものか……」と思った部分がほぼ全て良いほうへ改められているというおそろしい作品。浅倉氏の換骨奪胎ぶりがじぶんに合ってました。
まず作中作の立ち位置のちがい。
『バクマン。』じゃ劇中人物の描くマンガって抜粋で済ませてしまうから読者としては「劇中でそう説明されるからそのようなものとして了解する以外ないもの」といまいちピンときませんでした。これが『ショーハショーテン!』だと主要なものはほぼ全尺描かれるので説得力があります。
「賞レースを勝ち抜く(勝ち抜いたと納得いくくらい面白い)爆笑ネタを具体的にやります」ってだけで大変すごいことなのですが、レースなんで他候補もいるわけです。『ショーハショーテン!』はそっちもちゃんとやる。優勝ネタはもちろん2位さらに下位だったりするネタがそれぞれ細かい差異もふくめて(あちらがなぜ一位で、こちらがなぜ二位以下なのか差異もふくめて)描かれているから、それぞれのネタを単品で楽しみつつ、「あっちとこっち、どっちが上かな?」とその優劣や両者を分かつロジックを推測し答え合わせしていくこともできる。
主役たちの不愉快さの有無と思想への目線もすばらしい。
よく『バクマン。』でキツいと話題になるのが、主人公(とくにシュージン)の思想がつよいところですよね。同級生の萌え豚とか女子とかをガッスガスガッスガス上から目線や「日曜の昼間『やってTRY』で料理下手な若い女性を笑う高齢男性層か?」と思っちゃうような男尊女卑の決めつけの過ぎる視点でdisりにdisって、作品自体もその辺の思想へ追従するような部分があるところ。
『ショーハショーテン!』一話でも、主人公のひとりが「からの~?」と延々合いの手を入れる類のクラスの人気者を「ウェイウェイやってるだけの内輪だ」と下げるんですけど、「そう言う俺は俺で……」とすぐさま自嘲が入るのと、次章以降で「射程の問題であってそれはそれで一つの笑いである」という技術評的な視点がもたらされるのとで、人格攻撃/一方的な叩き的な意味でのdis要素がかなり抑えられている。
そしてこの一話時点で下げた「陽キャの笑い」について、「言うて笑いの第一線ってそっちじゃね? 古今東西陰陽全域にわたってさ」という身も蓋もない話ももちろんする。
劇中世界のM-1に相当する「笑-1」高校生版のディフェンディングチャンピオンである「絶唱サンドバッグ」は、その日会ったばかりで話したこともない同卓や舞台袖の演者をぐいっと襟首つかんで壇上へ勝手に引っ張りだし、その性格や容姿をその場で決めつけ(言われた側は反論もうまい返しだってやりようもない舞台上で)ボッコボコにdisりまくって笑い者にするイジリ・イジメキャラ。
カスのカスさを針小棒大に言って煽りに煽る尖ったイジリってやっぱ面白いよな~、おまえもシュージンによる偏見ゴリゴリdisについて語るときがいっちゃん輝いてるもんな?笑
バランスのよいと思うのは女性キャラのスタンスや活躍もそう。(という書き方はよくない、という話さえするバランスのよさがある)
主人公コンビのファン第一号の学校の先輩女子は、広報マネージャーポジションをこなすだけでなく、ふたりに「お笑いとはなんぞや」を授ける師匠役だって担っています。
女性芸人コンビ「ガラスの靴は割れた」は、「絶唱サンドバッグ」のスタイルを真っ向から全否定する。それもただ楽屋でイキるだけの負け犬の遠吠えじゃなくって、面接さきのお偉いさんにも噛みつきエスプリ利いた上手い返しを即座に答え、「M-1甲子園」の壇上でだってとにもかくにも面白いネタへと昇華して声を張る。
堅い女子校でふまじめな態度や不安定な進路について否定され、お笑いの道を踏み出したこのコンビは、その舞台に立っても「今いちばん期待されてる"女性"芸人」という枠へ嵌められ、生きづらさを抱えている。
そんなこのコンビが見せるネタはコントに近いもので、結婚した女性がやることも多い「通学路の旗振り」という入り口からは想像もつかない、老若男女・多種多様で常識外れの来歴や思想のひとびとが入れ代わり立ち代わり現れるファンタジックなめくるめく横断歩道コント漫才が繰り広げられます。
……そんなわけで、各コンビが作り出すネタは単品で面白いうえ、そのコンビの性格や来歴が絡んで「笑-1アナザーストーリー」が並行展開されてドラマチック。
独特の題材について具象としてがっぷり四つに取り組みつつ、その題材に興味なかったり門外漢だったりするひと(含むじぶん)が読んでも楽しめる物語的な意味づけを付与し、喜怒哀楽さまざまな情動を込める……そんな多義的な小道具の活用は、ジャンプから巣立って久しく外伝小説だって書く多才を見せる木多康昭<喧嘩商売>シリーズや、おなじく作家畑の原作者による『暗号学園のいろは』{西尾維新(原作)&岩崎優次(作画)}を連想したりします。
とにかく射程のひろく普遍的な物語だから、惜しくも「まだまだこれからだ」ENDとなってしまった『いろは』がそうなってしまった一因でさえ、『ショーハショーテン!』のネタ評と試行錯誤のなかに見てしまったりして恐ろしい。こう持ち上げると、
「じゃあ『ショーハショーテン!』自身はそういうエンタメ商売の谷間を乗り越えられてんすか? 眼高手低になってたりしませんか?」
という疑問を当然いだかれたことでしょう。
それについてはつたない説明を聞くより、実物を読んでお確かめいただくのが一番。半額還元だし、区切りがいいし2巻までお買い求めいただけたら幸いです。
……そして『バクマン。』との比較で言うと、やっぱりね、主人公の目標であり1話巻頭カラーで登場した幼馴染の女の子の立ち位置が気になるわけですが、一体これはどうなるんでしょうね。この気持ちをみんなと共有したいっすよぼくは。どうなるんでしょうねこれ?
セールじゃないもの
▼『ニセモノの錬金術師』1~2巻
カドコミで1~2話無料公開中で、ラフ版は原作の杉浦次郎さんのPixiv個人アカウントや、Kindle無料パブリッシング版で読めます。ラフ版はまじでラフで、いちばん荒れてたときの『HUNTER × HUNTER』以上に粗い。それでも話題沸騰していたのは、今作が『H×H』以上に面白いからですね。
(『ニセモノ』、『チー付与』と冨樫フォロワーの傑作群がぼこぼこ台頭をあらわして駆け抜けている現代はほんとうにすごい)
今作は杉浦次郎(原作) &うめ丸(作画)による商業出版バージョンで、とにかく作画が丁寧だし、魅せるところは魅せてくれて嬉しい。(呪いの描写のおどろおどろしさとか、バトルの迫力とか凄い)
面白いお話なのでzzz_zzzzもラフ版でそれなりの分量を(「さすがにもちっと綺麗な視覚情報がほしいな、この状態で読むのはもったいないな」と思うところまで)読んでおり、おそらく5巻くらいから自分にとってまったく新規の物語になるため、1~2巻は買い支えのための積ン読ってつもりだったんですけど、いま読んでみてびっくり、初見のように楽しめる。つまりすっかり内容を忘れていました。
1~2巻という序章も序章でも面白味がたっぷり詰まっていて、最善手を的確に指していかれるから読んでて頭がパンクしちゃっていたようです。
そういう良さが出ているなと思ったのが2巻の中盤。
神的な存在からどんな物でも作る方法を思いついてしまう万能レシピなどをもらったうえで、異世界にて錬金術師として生きているパラケルスス。
あまちゃんだと思われないよう抱き合わせで買った奴隷ノラの信頼を得たり、半身不随のエルフを徐々に治療したりしていくかれのスローライフは、エルフにかけられた異様な呪いがあらわになったり、彼女を監視する別のエルフが現れたり、かれのつくる錬金アイテムの異様な完成度を不審に思った異世界原住民がノラと接触をもったりしたことで、その周囲で展開される残酷で悪趣味な構図が途端にあきらかになる。
かれが転生した異世界はじつは、チートスキル・アイテムを付与された転生者が欲望のかぎりを尽くしたり、原住民が転生者を粛正したりチートアイテムを奪って逆に我欲を満たしたりするがために血を血で洗う世界だったのだ! 上位存在は下々がそうやって荒れ狂うさまを愉悦に浸り、そのために対立を起こしやすいよう演出だってする……それがこの世界の真実だった。
内幕をさきに知ったノラは、アンチ転生者と結んでしまった契約のせいで直接かれに危険をつたえることができない。かれは、彼女は、いったいどうすればよいか?……というのが2巻までの内容。
その席で話したことをもし第三者に伝えた場合、バラしたことが契約者間に周知される契約をむすんだうえで、アンチ転生者の原住民から「異世界転生者やかれらが転生時に付与されるチート能力・アイテム、そしてかれらがこれまでどんな横暴をふるってきたか」について聞かされた奴隷のノラは、じしんの主人パラケルスス(異世界転生者のひとり)へ、その席で得た情報を――異世界転生者が複数人いてバトルロワイアル中であることを――(契約をやぶらない迂遠なかたちで)それとなく伝えようとします。
うまいこと誘導に成功したノラは、パラケルススに「他異世界転生者と出会ったさいの対策を練りましょう」と持ちかけるのですが、持ちかけておきながら断り、ひとり自室へ戻ります。なんで?
パラ「戦闘向きじゃない能力を選んだ僕だけをこの世界に送り出して満足しているとは思えない 能力者はたくさんいると考えるべきだと思う(略)」
ノラ「カタログの内容はどのくらい覚えていますか?」
パラ「(略)選ぶか迷った能力ならいくつか」
ノラ「教えてください できるだけ詳しく」
パラ「『心を読む力』 視界に入っている人間の思考していることがわかる力 ノイローゼになりそうだからやめた
『魔術師の本』 持ってると1級魔術師が使える魔術を全部使える本 魔術がどんなものかわからなかったからやめた
『鏡の世界に入る力』 能力者専用の鏡の世界を作り その世界に自由に出入りできる力 これはすごく迷った(略)」
ノラ「なるほど…ほかにも能力者がたくさんいるとして だんなさまが欲しがった力は ほかの人にとっても魅力的なもののはず 対策を考えておきましょう」
パラ「よし じゃあ早速考えてみよう」
ノラ「ノラは自分の部屋で考えます」
パラ「へ?(略)」
ノラ「心を読む力があるのなら話は別です お互いの秘策をバラし合ってしまうかもしれません」
KADOKAWA刊(2024年2月22日ver.001、MFC)、杉浦次郎(原作)&うめ丸(作画)『ニセモノの錬金術師』2巻kindle版69~70%(No.179中 123~126)略・太字強調は引用者による
……一緒に練らないほうが得だからでした。このくだりを改めて読んで、ハッとさせられました。
大体のエンタメについて面白がりながらも、その面白がらせかたについて疑問もよぎってしまうものですよね――たとえば「命の奪い合いをしてるんだし、もっと情報共有して対策を練ったほうがよいのでは?」とか。
そういうお約束的展開について、今作のようにそうできない合理的な理屈を設定・明示し、それどころか「一見すると正しくなくて危険な道のり。それこそが、石橋を叩きに叩いた安全策なのだ」とポジティブに描いてみせたりするのは結構めずらしいんじゃないかしらん。
***
(4/13追記)
1話から比較しながら読み始めました。
並べてみると物語面でもチョコチョコ改変があって、それが商業版をラフマンガ版より一層面白くしています。とはいえここについてはほんとにチョコチョコ程度で、まぁ「もともと面白かった/違和感なく読めた物語が、さらに読みやすくなった」程度の隠し包丁的な感じと言えばそれはそう。
もっと凄いのは、コマ割りが多少/コマ内画面構成がそれなりに/フキダシ位置が全面的に見直されたこと。劇中の文章を読んでいくにあたって、商業版のほうが目が疲れないです。(うめ丸先生のネームなのかなぁ?)
▽ラフマンガ版『ニセモノの錬金術師』&『スカイファイア』
{4/14(日)}
比較したついでに、辛抱たまらなくなってラフマンガ版のつづきも読みました。
ラフマンガ版は以後作画がさらに簡素になって、棒人形であらわした原稿もでてくるので厳しいですね。ただ物語のメッセージがメッセージなので、雑であれば雑なほど(見た目にホンモノじゃなければホンモノじゃないほど)説得力を増す……みたいなふしぎな部分があるような。
じぶんが既読だったのは鏡の世界のくだりがひと段落つくまで。その直後の呪詛返しあたりまでが個人的には最高。
後半、「宇宙」やらが本格化して以降は、ぼくでも楽しめる部分とそうでない部分がでてきて、むずかしかったですね。
世界の仕組みが明らかになることで、これまでの錬金やバトル等でぽこぽこ描かれてきた劇中の術式が、思った以上に世界の根幹と矛盾なくカッチリ嵌っていることがわかっていくのは面白いんですよ。
ただ設定上の当然として、後半はほんものとニセモノをめぐるテーゼの追求、そのバトル模様は概念操作や定義論、観念論・世界観のたたかいになってしまいまして。ぼくがパラパラ読んで楽しめる範疇をこえた高次元のムツカシイ領域へいってしまいましたのもまた事実……。
前半ピリピリしていた「絶体絶命感」や「持てる物でなんとかやりくりしてみせる感」が減じているように感じられてしまって、ぼくの楽しみ方としてはキャラ萌えで行くかたちになる。
とは言っても一本芯のとおった作品なので、キャラ萌えもけっきょくは各人のゆうする観念の強さ(弱さないしクセ)・世界観の魅力になってくるんですが。
観念や世界観はキャラの歩んできた人生の乗っかったもので、物語の展開上それがあまり見えてないかたちだったというだけで序盤も序盤から一貫してそうだったのだとわかり、「なるほどな~!」となりました。
たとえば序盤で「う゛ぅっ可哀相っ!」と読んだ半死半生の奴隷エルフ・ココのくせ(体を触られると開脚する)。初読だと「奴隷生活以後に身に着けてしまった処世術や習慣なんだな……」と劇中世界の残酷さにつらくなってしまったんですけど、後半まで読んでいくと、
「いやそんな生半可なものではなかったんだな。もっと深いパーソナリティがチラ見えしていただけだったんだな」
と驚き、一等おののくこととなります。
で、第百部(!)『スカイファイア』。
今シリーズには第?部『神引きのモナーク』が連載中ですが、とりあえず『スカイファイア』が第一部のつぎに書かれた作品で、作者のオススメ読書順も1部→100部→『モナーク』らしい。
こちらも面白かったんですけど、劇中主要舞台であるゾディアックタワーの内外で暮らす凸凹の陣営が、クセのある装備をそれぞれやりくりし、丁々発止のやり取りをしていた前半パートのほうがどうしても面白く感じてしまう。
だからといって『スカイファイア』後半の出来がわるいかというとそんなことはなく、前半の面白さについて考えている作家さんだからこそのいやというかもっと正確に言えば、
「"前半パートをどうして面白く感じてしまうのか?"についてよく考えている作家だからこその後半パートだなぁ」
と興味深くは読めました。
こういう部分についてあつかった作品は(『シン・エヴァ』以降の庵野秀明脚本作とか、ウォシャウスキー監督『マトリックス4』とかが)だいたいそうなように、「みんな茶番だとわかっているが、それでもこの茶番をやらなきゃならない」みたいな大変な取り組みをして、「茶番でも尚のこるものがあるんだ」というようなことになっていくわけですけど(※1)……
……この辺のおはなしってどうにも自分にはレベルが高すぎて、難しいなぁという感想になります(※2) けっきょくそういうスタンスの人の作品って、茶番じたいがつまらない・しょうもないものというスタンスでもあり、
{※1むかしの日記で書いた、以下のようなやつ。振り返るとだいぶ違うか……?
「単なる暴力などに代表されるようなふるまい(ひとりよがりな欲望の発露、全能性の発揮)はそのいっときこそ快感かもしれないが、行使したじぶんもそれを行使された側も気が晴れないか決定的な消失をもたらすだけのむなしいものなのだ(≒<エヴァ>でエヴァに乗ったシンジくんがネルフ本部を足蹴にするさい、砂場の砂山を崩す少年時代の姿が重ねられるのはそういうことだ)。
そしてそれをどんどんエスカレートさせたところで、行きつく先は全能の神同士の対決となり、そこで"排斥"というスタンスをとると(どちらも全能の神なので)けっきょくいつまでも決着はおとずれないのだ(≒『シン・エヴァ』の満を持してのエヴァ対決が、さまざまな舞台をまたいで千日手をくりかえす茶番格闘となったのはつまりそういうことだ)」
「理不尽的なまでに自分の欲望を叶えられる実行力をもった存在は、その実行が乱暴すぎるために暴力に見えて/つながってしまっただけで、そのひとが求めているゴールはべつに暴力じゃないかもしれない。だから一見すると理不尽・排除・暴力にみえるそのふるまいの奥の心理・ルールを解き明かそう」
みたいな達観
}
(※2)※1で連想したような達観群にくらべて、『ニセモノの錬金術師』~『スカイファイア』は、その辺はもっとフラットなのかな。
(暴力的な/独りよがりな)衝動・欲望・願望もそれはそれで一つの在り方であって、どうしようもなく(排除しようにも排除しきれず)在り続けてしまうものであり、「それを是としない他者(多そう)からの反発・淘汰圧がはたらきこそする」という意味で悪いものだけれど、言ってしまえばそれだけである……みたいな感じっぽくて。
(だから、倫理的に間違っていたり快不快でいえば大多数が不快であると捉えたりしそうなふるまいであっても、もしそれを行使するひと・団体の戦闘力であったりネゴシエーションであったり世論形成段取りであったりが高ければ/あるいはもしそれに反対する勢力が弱ければ、大規模なコミュニティや歳月に渡ってまかり通ってしまったりする。
そのおかげで「多数派だからといってエラいわけじゃない」「たった一人しか唱えていないからといって間違っているわけじゃない」みたいな幅がうまれている)
そういう立ち位置だからこそ、主観的には丸く収まり(こじんまりとした茶番ぽくある)大団円っぽいけどその世界はそれまでと少しズレてて、それはだれか(サクヤ)の無限の怒りと祈りによって成り立った「2周目」のもので、そのだれかの意思はこれまでの流れで退治される側(アグノシア派)に通じるもので〔その源流は無軌道に突っ走っていった「アサリナのダリア」{がオールダー(=オリジン・アグノシア)になったりなんだり?}で。もしかしたらこの「二周目」「因果の入り組みかた・エーテルによる不思議な時間の流れ」自体も、「アサリナのダリア」が「タイムトラベル」したから出来たものかもしれなくて〕……みたいな綱渡りめいた着地になっていった、みたいなかんじか? ととりあえずのところ理解しております。
なんか書いていてじぶんでもよく分かんなくなってきたな……。
創作論というか創作の責任論(作者が自分の創造した世界・人物だとしても、それらをどこまで好きにしていいか? けっきょくウソの物語に受け手がどこまで気持ちよくなっていいのか?)を取り扱った作品のなかで、第一部が、むずかしくもかなりとっつきやすいレベルまで落とし込んでくれているのは確かだと思うんだよな。
茶番(劇中ニセモノ世界独自法則・子どもじみた上位存在が分け与えたチートスキル)による影響を実感的・肉感的なレベルまで描いていて。その影響も都合のよいことばかりではなく、むしろ過酷で、しかしだからといって劇中人物がどうあがいても悪く転がるしかない逆方向の御都合感があるかといったらそうではなく……みたいな。
そうした果ての第一部最終話付近の主観は(読者も識者もみんな感動しているとおり)見事で、ご多分に漏れずぼくも感動した。
それはそれとして一部の展開はお手上げしてしまう領域もあって(と言うのは穏便な表現だな、「こんな茶番につきあってられない、このへんは読み流してしまおう」とまったく入っていけない領域もあって)……。
どんどんワケ分かんなくなっていくなぁ。なんか固まる日がくるといいなぁ。
▼『フールナイト』8巻
一区切りついたのでオススメするに丁度よいですね。(物語はまだまだつづく!)
ただまぁ章エピローグっぽさはあり、寿司で云うトロの部分は7巻ではあると思うので(物語が大きく動きつつ、それまで出てきたものの収拾がある程度つくのが7巻)、7巻まで読んで気になったひとは更に今後も買っていく……というのがやっぱり良いかも。
7巻までのオタク語りは去年の日記をご覧ください。
▼『黄泉のツガイ』~6巻
べつに何か一区切りついてないけど、1巻からこのかた延々多数の陣営が入り乱れた異能力乱戦/交渉してて凄い。
そのへんは(佐藤亜紀先生がいつぞや話題にされていたように)『鋼の錬金術師』以来かわらず荒川弘作品の魅力だったわけですが、別々の個性・異能を活かしてその場その時の機転・知略を利かせたスタンドバトル系能力バトルアクションがうまいかただとは知らなんだ。
とりあえず2巻が良い感じの区切りなので、2巻まで買ってみるのをオススメします。
とにもかくにも語りの経済効率がすごいですね。月刊連載で読者の興味を牽引・持続させつづけたベテラン作家はその辺がめっぽう巧いのかなぁなどと思いました。
たとえば5巻20話p.155の、これ単体だとページ捲った次p.156を映えさせる「タメ」的な仕草・反応のコマ繋ぎ。これが6巻21話p.17~のアクションのための布石になり、ひいては2巻5話p.26~32で別組がやった連携の変奏となっていて、その連携はもとは1巻4話p.157の田舎育ちの主人公がはじめて接する下界(都会)のカルチャーショックを描いたコミカルな日常一風景で……と、無限に連鎖していく。
▼『常人仮面』~3巻(4/18?の4巻も楽しみ)
まことしやかな噂が流れているシリーズで、読んでみてなるほどこれは『堕天作戦』原作の変名なんだなと理解しました。
正直1巻時点ではそこまでピンときてなかったし、1話時点では「だとしてもこれは……」と結構ツラかった。
{『堕天作戦』のようなとっつきやすさがなかった。
あちらはスタートダッシュが非常にとっつきやすい感動ドラマだった。別世界だと認識して余りある非情さ・乾いたタッチと、それと対照的にどこまでも突き抜けていくエモーション! 「虚空処刑」のような強さが、『常人仮面』にはなかった。
またリアリティラインもとまどいの原因でした。現代日本風の世界で、心臓に難を抱える病人が異形の超人をなんとか倒したと思ったら、その病人じたいも次の話でなんかハエをつかむ凄い身体能力をもっていたことが明かされたりする。
ヴィジュアルと生物デザインとにも微妙に噛み合わない部分があるように思えたりしました。作画担当のひとは上手いんだけど、その上手さで山本章一デザインだろうものをそのままなぞると、妙にペラい感じになっちゃうといいますか。
「この絵柄であれば、もっとディテールアップが必要なんじゃないか?」
と思えてならず、その印象は、面白く読んでる現在でもなお変わりません。
「『堕天作戦』のあの"感じ"は、あの世界設定や絵柄など色んなものが絡み合った奇跡だったんだな……」
とこの時点では思ったし、巻末オマケパート(で明かされる、本編1話のいかにも"クラスごと異世界転移・異形ホラー"物っぽい展開がガラリと味変する、おおきな視差をふくんだスピンオフ)が一番好きかもしれないとさえ}
ただ2巻(1巻末部にはじまったバトルの2巻収録部分)からは読んでるこちらの慣れに加えて、異世界のルールを理解した登場人物たちがごりごりとルールを活用してサバイブし人物の個性が見えてくる群像劇がドライブしてきて、かなりイケました。
3巻で出てくるヤンキーと蟻人間のコンビがかなり良い。ヤンキーが物静かな蟻人間を「アニキ」と慕ってこういうタイプの異世界人や共闘関係もあるんだなぁと思っていると、この「アニキ」が本当の血縁関係だとわかり、「え、じゃあふたりの見た目のギャップは入れ替わりによるもの?」と思っているとそれもまた違うことが見えてくる。
じゃあなぜこんな変異をしているのか? ……というところで、ここまでもいろいろ見せてもらってきた各人の劇中世界のルール理解とそれに対する態度にかんして、もう一段ステップアップした「創発的な活用」が拝めるかたちになり、「この時点でこんなテクいなら、主人公勢やそのほかのまだ見るつわものたちはこのさき一体どんな飛躍をみせていってくれるのか?」と非常にワクワクいたしました。
マンガ以外の本
▼『中世パリの橋のうえで』V・W・エグバート(藤川徹訳編)
1317年フィリップ五世が仏王敬称時サン=ドニ大修道院長ジルから贈呈された『聖ドニ伝』の装飾写本の図像について一枚一枚、当時の記録などをもとに解説した本。
左ページに解説文・右ページに対象の図版という構成で非常にわかりやすい。
『洛中洛外図』とか昔の日本の風俗画についてもいろいろ解説本ありますけど、ああいうのがお好きなかたはこちらもお気に召すと思います。Amazon古書がいま4000円だけど、ぼくが購入時1000円余だったんでそのうち落ち着くのではないかしらん。
写本も百科全書的にこまかいし、解説も万遍なくてすごい。{ただ、無いところはなにも無い。(調べたけどわからなかった部分についてはその旨を書いてくれたりして、そこもすごい)}
たとえば中世ブルジョワ家庭の家政指南書『メナジエ・ド・パリ(パリの家長)』には(パウワ『中世に生きる人々』によれば)パリ人の遊びとして鷹狩りが記されているらしいのですけど、この『聖ドニ伝』のパリの橋のうえを鷹を腕に載せながら騎馬する若者が描かれていたり。(p.46)
あるいは、もっと何気ない風景、河で舟が並んでそのうえでやり取りをする人と、舟上で盃をもったひとの絵について、当時の組合規則をひもといたりする。
パリ到着のすべての船荷はパリの「水上商人組合」(la Hanse(corporation)de marchands de l'eau)によって厳正に管理・規制されていた。ぶどう酒(wine:vin)の積み荷が到着すると,ただ一人のパリ駐在員だけが船荷を下すことが許された。しかし,異国の船頭は自らの河舟の"船中においてのみ",ぶどう酒を販売することが許可されていた(原註59)。船荷は船中においてのみ,当該船舶の到着後,三ヵ日間だけ起き止めることが許可されていた。したがって,速やかに売り捌(さば)くことが必要であった。目の利いた買手が船中の酒樽の間に座って,新たに入荷したぶどう酒を試飲しているのが見られる。
啓文社刊(1995年12月8日初版)、V・W・エグバート(藤川徹訳・編)『中世パリの橋のうえで』p.54(原註59は「boileau,Réglemens,262.」p.112)
ある絵では、舟から川へ飛び込み遊んでいる若者の姿が描かれているんですけど、舟から鼻をつまんで飛び込もうとしているひとりについてエグバート氏らの注目がすごい。
一方では,ふたりの男が小舟(ボート)のなかで衣服を脱いでいる。が,素っ裸の若者には明らかに尻尾がある!その学生の姿は,嘲笑的な暗喩をもって英国人を表現しようとしたフランス人の写本画家が,「英国人は大酒飲みで尻尾がある?」ことを嘲ってのことか(原註73)。
『中世パリの橋のうえで』p.72(原註73は「Jacobi de Vitriaco, Libri duio, quorum prior orientalis. sive hierosolymitanae,alter occidentalis historiae inscribitur ...ed. D. Francisci Moschi, Duaci, 1597, 279.」p.114)
*1:あえてこういう言い方をあえてしますが……。時が経つのは本当にはやい。クロスロオド時に沸き立つ「CPU!」「CPU!」も、そのうちオマージュ元(?)を忘れてしまいそうだ。(「D・V・D!」)