すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2023/09/01~10/31

 以下、日記です(7万3千字くらい)

 大作ゲームを1作50時間くらいやりました。大分小休止。

 <喧嘩商売>シリーズを再読しマッチメイクの巧さを再確認しつつステゴロの相違を確認し、山風『魔界転生』のままならないマッチメイクに思うところありつつも蒼い幻想文学ぶりに気づかされ、『フールナイト』1~7巻(←区切り良い。)一気読みし世界構築とそれを物語や画面設計へ活かした作劇に感動。『WIRED』vol.50のテッド・チャン氏の問いにたいする思考法に感銘をうけ、『AC6』をやり廃墟・奇景欲を刺激された半クール。

 

 ※話題にしたものごとへのネタバレがあります。ご注意ください※

 

この時期にやったゲーム

 PS5『ARMORED CORE Ⅵ』プレイ中。(50時間くらい)

 35時間で1ルートクリアしました。進捗などはこれまでのブログでいくつか残しました。全ルート回りおわったら、プレイ日記をまとめることでしょう。

 

 

0902(日)

 ■はてなブクマコメの補足■

  『喧嘩稼業』既刊13巻未収録は連載版102,103話だけ

comic-days.com

 日記以外のちゃんとした記事を書きたいな、嘩商売>シリーズなら書きやすいんじゃないか……とシリーズを久々に通しで再読して(おもしろい~)、コミックス未収録ぶんの単話電子書籍売りにも手を出しました(つづき気になりすぎる~)。

 ネットのまとめサイトでは、未収録エピソードが十数話におよぶと言っているところもあるんですが、いわゆる「最格エピソード」みたいなのがコミックスでは正規の話数とカウントされてないだけで、ほんとうに未収録なのは『喧嘩稼業』連載版102話&103話の2エピソードのみなんですよ。忘れないようにブクマしました。

 

 

0906(水)更新ぶん

 ■読みもの■

  木多康昭氏オススメ、異人の群像劇;ヒラマツ・ミノル『アサギロ ~浅葱狼~』1~7巻読書メモ

gekkansunday.net

 ヒラマツ・ミノルサギロ ~浅葱狼~』kindleが9/14まで1~3巻無料閲覧可能だったんで読みました。

 

 手に取った経緯は?;

 zzz_zzzzが続きを一番楽しみにしている<喧嘩商売>シリーズの木多康昭先生が「新刊を一番楽しみにしている」本だからです。

 

 読んだ感想;

 「3巻無料で読んだんだから、さらに3巻分購読してもプラマイゼロだから(?)」という謎の勘定によってとりあえず4~6巻を買い、区切りよきところをもとめて7巻まで読みました。

 木多氏が上述のつぶやきをしたのは21巻まで出たあたりになるのかな。続きも読みたい。

 

 ゲッサンWEBで丸々試読可能な一話のとおり、なるほど確かに上手くて面白いんすよ。うまいし凄い。

「藩の剣術指南が負ける・それもたかだか12歳の子供に……! その子が後の沖田総司であった!!」というヒロイックな展開と「いかな将来のビッグネームだろうと現状無名のわっぱに負け、藩に泥を塗った剣術指南の処遇」という武家社会のプロトコル

 これらが並置される辛い展開を、連載開始の第一話でやってしまう。

 やってしまうのですが、そっからがまた凄い

 一話の引きからすれば"こどもが(おとなの)現実を知る"みたいな話になりそうじゃないっすか? なりそうでならないんスよこれが。

 武家社会の過酷な展開に沖田がまきこまれて際立つのは、なにより沖田の――そして近藤の――異質さなんですよ。

 

 沖田(と近藤)の顔見世回がおわると、そこからはのちの新選組の面々が(近藤が道場主である/となる)試衛館に一人また一人とあつまっていくオムニバス的構成が展開されていきます。

 道場主であり読書家の近藤勇と、抜け作で剣を振ることしか興味がない総司、先輩風をふかす源さん井上源三郎。3人だった道場は、まず、他流派の免許皆伝者だけれど竹刀防具の剣道をやることの意義を見いだせなくなり脱藩浪人となった知恵者・山南があらわれ。つぎに、地方の出張道場で薬売りの土方と出会い、はては遊郭で暗殺者(!)に挑まれ……などなど、どんどんバリエーション豊かになっていきます。

 どうやら、さまざまなバックグラウンドの人々を通じて、「侍」とはなんなのかを徐々に具体化させていく作品っぽい。

 ぽいのですが、「テーマのために展開している」というような味気無さはなくて……いや、ほんとうに無いのかな? よくわからないな……。

 とりあえず、物語は山あり谷ありなのも、キャラの個がつよいのも確かなんですよ。

 たとえば山南のチャプターからして、近藤らが地方の道場へ出張教師中の道場に山南があらわれ、沖田&源さんが試合をし後者が敗北、試衛館が別流派の道場となってしまう。さてどうなる!? ……という起伏にとんだもの。

 『アサギロ』の興味深いのが、それが妙にドライな組石で展開されるところ。

 これがはたして、「今後の展開にこのひとはもう要らん」となったらザックリあっさり退場するあのマイケル・マン監督作的な割り切りがはたらいたものなのか(そうであれば「テーマのために展開している作品だ」と言うべきでしょう)、それともキャラが強すぎるためにそうなったものなのか、zzz_zzzzにはよくわからないんですよね。

 

 たとえばある新顔Bの試衛館への入門劇は、世間話を数言かわしただけの赤の他人であるレギュラーメンバーAのため、Bが義によって助太刀するも、逆恨みされて身内に危険がおよび、強さを求めて道場の門をたたく……

 ……というたいへん悲劇的でドラマチックなストーリーが展開されます。

 今作を評価する木多氏の喧嘩商売>シリーズなら、太くてでかいフォントのナレーションが「最強の侍道はまだ決まっていない」バ~ンってな具合に打ち出されるだろう筋書が展開されているだろうような、たいへんドラマチックなものです。

 でもじっさい『アサギロ』の本編をひらいてみると、王道っぽいこの筋書きが、たいへん妙な味わいなんですよ。

「この新顔Bのドラマをする。つまり、Bが心境変化するに足る大きな起伏を用意する。

 新顔が今作のカメラの中心に自然と収められるよう、発端として作品レギュラーメンバーAをからませ、徐々にスライドしていく。そのための助太刀である」

 というような割り切りを感じるというか。つづけて上述のストーリーの舞台裏を邪推していくと、なんかね、

「といったわけでBのドラマをするうえで、発端はAのパーソナリティの根幹について掘り下げるような必要不可欠なものとする。

 しかしAとBのからみはそこまでで、BがAのためにしたことの重要性をAは理解しない(≒負い目を感じたり、友情をはぐくんだりしない)。それどころか"BがAのために何かをした"という事象がある・あったことすらAは認知できないようにする。

 なぜならこの章はBのドラマであって、A&Bの関係にかんする物語じゃないから、Aの成長譚じゃないからだ。

 Bがじしんの意思にもとづきAについてコミットすることで味わうこととなった苦楽の責任などは、あくまでBだけのものである」

 という風な流れを勝手に見てしまう。

 そんな幻視をしてしまういっぽうで、枝分かれしたBのドラマはドラマとしてふつうに面白いし、Aとの断絶だって物語展開的にもAの性格的にも納得いくものなんですね。断絶しているがゆえに平気な顔で暴力をはたらくAの異人っぷりもまた際立っている。妙な味わいだ。

 

 この乾き具合、王道を歩みそうで歩まない各人の独特の性格を立てる物語観・人物観で描かれる新選組は、そりゃあ面白いでしょうし、おそろしくもあります。

 

 

 ■ネット徘徊■

  木多康昭喧嘩商売>主人公・佐藤十兵衛という名前はとくに何かの目配せじゃない(「構想時山風作品を読んでたので」程度の遠因でほんのり山田風太郎の十兵衛、『餓狼伝説』山田十兵衛があるかもくらい)

 嘩稼業』を読み直していて、「最大トーナメントは最大トーナメントなんだろうけど……オーガナイザーの座組を無視する主役が"十兵衛"だったりするところって実は"<魔界転生>モノなんだ"という主張だったりするんだろうか」と思い、木多氏のつぶやきをググってみたら、『望郷太郎』読んだ&絶賛ツイート(当時。現名;ポスト)についた読者からのなんらかのリプライ(鍵アカウントのため、詳細不明)へこたえるさらなるリプライで、主人公の名前の由来があかされていました。

 「量産型の苗字+かわった名前にしたかった」が第一理由で、ほんのちょっぴり影響あるかもしれない「どちらかと言えばそちらの方じゃないですかね?」程度の副々要因として『喧嘩商売』準備段階で「山田風太郎先生の小説をよく読んでいた」、副要因としてSNK餓狼伝説』山田十兵衛(じゅうべい)とおなじルビを振った……とお話をされておりました。

 今作を再読して、『喧嘩商売』序盤の高野戦における『無限の住人』パロディが本筋にきちんと絡んだバトルなどに感心したんですけど、ふりかえれば山風御大も既存作パロディ・批評的展開をやるかたで、木多氏が読者である(ファン・消費者という関係かどうかはともかく、分野のちかい創作業界の先行作研究としてふまえている)のも納得なのでした。

 

   ▼じゃあ煉獄は? 木多氏が𝕏へポストした煉獄秘話と、没にした派生

 SNKをからめた木多氏のツイート(現名;ポスト)でいえば、「煉獄」や「金剛」の創作秘話も面白かった。

 巻末マンガではあほほど弄られている安友編集の仕事ぶりが素直に称賛されていて面白い。木多氏の「煉獄」ばなしはさらに続き……

 ……と創作での取捨選択について語られていました。

 「煉獄」の改良版を、パクった側である十兵衛ら富田流が考えていた、というのはけっこう納得がいきますね。

 劇中で話題にされたのがいつだったか覚えてないのでアレですけど、「毒は解毒剤とセットで仕込むもんだ」というような話を十兵衛がしていましたからね。

 この創作秘話について、読者からついたリプライに……

 ……こんな返答もされています。「熊殺しを一撃必殺でなしとげた"格闘王"山本陸がなぜこんな連携技を編み出したのか?」という疑問にちょっと答えるような内容。「連打」、じゃなくて、「ずっと続けられる一撃」という発想だったんだなぁ。

 

   ▼卜辻もステゴロの蹴りも林悦道氏(の師匠の一人ステゴロの福さん)から……ちょっと待て

 忍術(暗殺術)の使い手・梶原の必殺技「卜辻」は、"林流喧嘩術"林悦道氏の著書由来だそう。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/z/zzz_zzzz/20240106/20240106015751_original.jpg

「工藤おぉぉ!! !!! !!!」

素人の初手もしくは興奮状態後の一打は

ほぼ確実に利き腕の大振りパンチ

   講談社刊{2016年2月1日発行(02)、ヤングマガジンコミックス}木多康昭『喧嘩稼業』5巻kindle56%(196ページ中109~112)、第36話「裏稼業照覧」

「相手の腰に肩から体当たりをする」

「体当たりした瞬間利き腕ではないほうで朽木倒しの要領で相手のももを抱え」

「それと同時に利き腕は45度上方に向かって」

掌底打ち

(略)

「腰に体当たりしてから掌底が顎に当たるまでの時間0.3秒」

「人間の標準反応速度0.2秒 限界反応速度0.1秒 太ももを掴む予備動作に惑わされ 対処を間違える」

「9割の者が体の均衡を保つために体重を移動させ 残り1割がこぶしか猿臂で反撃を試みようとする」

「――結果 掌底への反応が遅れ10割の者が倒れる」

   『喧嘩稼業』5巻kindle55%(196ページ中109~112)、第35話「ステゴロ道」

合気道 芝原剛盛タックル掌底

富田流古武術 入江文学掌底突き上げ投げ

格闘王 進藤塾 上杉均ステゴロの技だ

   『喧嘩稼業』5巻kindle57%(196ページ中113)

 

あの技はどうにも理解しがたい空手でも柔道でも相撲でもない。自分の知識を総動員しても、あの日の福さんの技を再現できないのです。

   東邦出版刊(2017年3月13日初版第1刷※、18年8月15日電子版)、林悦道『増補版 誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』p.67、「第二章 奇妙な人たちとのケンカ力修行」より(文字色変え・太字強調は引用者による)(※2011年6月20日初版第1刷発行『誰でも勝てる! 完全「ケンカ」マニュアル』に、第五章「ケンカ術を生活に活かす」を加えたもの)

○投げ技

・右パンチに対して掌底投げ

 素人は必ず右の大振りパンチを出してくるので、相手に抱きつくように入れば、パンチを喰うことはありません。福さんは私を「ヘナチョコパンチ」と挑発して私に右のパンチを出させて、この技に入りました。心理術ですでに福さんの術中にはまったということです。

 さて、その方法です。相手と正対します(1)。相手の右ロングフックは、頭を下げて(2)タックルするように突っ込んでいけばよけることができます。左足を踏み込み、頭を左側に出し、左手で相手の腰を抱きます(3)。

 右手で相手のアゴを押し上げながら左手を引きつけると(4)、相手の体はピーンと一直線になって宙に浮きます(5)。そのまま後頭部から地面に落ちていくことになります(6)。

(略)

 ポイントは、左手で相手の腰をしっかり抱き寄せること。最初は両手で抱き寄せても構いません(7)。抱き寄せたら、右手で相手のアゴを押し上げます(8)。上方45度に打ち上げると、相手の体は伸び上がります(9)。

   『増補版 誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』p.76~78より(略、文字色変え・太字強調は引用者による)

 「45度上方」「掌底投げ」などある程度の符牒はのこしつつ、『喧嘩稼業』版では、「朽木倒しの要領で」などほかの流派の技との具体的な類推がなされて(しかしある程度重なるけど、原案がそうだったように「そのものズバリはなさそう」という)一定のパースペクティブへと載せたり、そのほか人間の反応速度や確率論を盛るなど独自の肉付けがされたりしています。

(じっさい、格闘技にくわしい読者のなかには「林悦道先生が著書で紹介したりしているもの」という感想をのこされたりもしていたようだ)

 おもしろいのが、林氏=富さんのもともとの「右パンチに対して掌底投げ」が『喧嘩稼業』梶原が二度目に披露するような)相手の行動(誘発)ありきのカウンター技であったのにたいして、「卜辻」は初見殺しの技となっていること!

 主人公の属す富田流の奥義「金剛」やライバル高野らの属す進藤塾の奥義「煉獄」など、初見殺しの強さ(と技露見後ライバルたちが対策をとることによる弱体化)が印象な作品らしい味付けとパワーバランスの取り方でしょう。

 原案からすれば寂しいはずの初撃が堂に入った奥義となっているのは、初見殺しできる理屈づけがあるほか「その後の趨勢をうらなう卜占なのだ」という大胆な創作、登場人物の来歴にも絡んだそれらしい歴史背景説明による賜物でしょう。

 

 

    ▽じゃあ卜辻を教えたあの男は? 戦後間もない闇市に実在した「命売ります」男

 一体、何の武術なのか? 色々と聞いても福さんは教えてくれませんが、練習の合間の話をつなぎ合わせると、どうも福さんは若い頃大阪でヤクザをやっていたようです。ヤクザの世界にはステゴロ師といってケンカを専門に教えて歩く先生がいたそうです。

(略)

 余談ですが、のちに古流柔術を学んだときに、技術内容や練習法が福さんのケンカ術と極めて共通点が多いことに気付きました。

 江戸時代、身分の低い人たちに伝わっていた実践的な柔術が大阪を中心に伝承されていたそうですが、それらがケンカ師の技術に流れたことは充分考えられます。

   『増補版 誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』p.68より(略は引用者による)

 江戸時代より実践的柔術が大阪を中心に伝承され、ヤクザに喧嘩を教えるステゴロ師はその流れを汲む人で、大阪でヤクザをしていた福さんもその薫陶を受けた……

 ……なるほどたしかに木多氏が言うとおり「時代的な背景を考えるとそれなりにリアリティもあ」りますね。

 『喧嘩稼業』の卜辻の継承経緯と比較してみると……

戦後のステゴロたちに"アレ"を教えた者がいた 梶原長門を高祖とする梶原柳剛流の使い手だった

(略)

戦後のステゴロ達に"アレ"を教えた者がいた

GHQの支配下にありほとんど全ての警察官が 銃を所持せず治安維持ができていなかった時代

身を守るために公然と暴力が必要であった時代

己の時代が来たとほくそ笑む者がいた

命売ります

   『喧嘩稼業』5巻kindle51%(196ページ中101・104~5)、第34話「アレ」第35話「ステゴロ道」より

「喧嘩の手助けじゃなくて 教える? 俺がか? 俺が喧嘩の仕方を教えるのか?」

「ああ」

「銀座に唐手を使うヤツがいる そいつに教われば強くなれるよ」

「名護には会ってきた 空手を使えるようになるには時間がかかると言われた

 時間がない… 闇市の取り締まりに不満をもった蛮人どもが渋谷署を襲撃するという情報が入っている 警察に応援を要請されている」

「力の失くなったお上が愚連隊に泣きつくか… 最高だな」

   『喧嘩稼業』kindle版55%(位置No.196中 107~8)

 ……「戦後間もない東京(銀座・渋谷周辺)で」「"命売ります"の札を貼った」古武術家が愚連隊にわざを教えていたと変更・ディテールをくわえたのが木多氏の創意が発揮された点になるでしょう。

 渋谷署が云々というのは、愚連隊首領の関東喧嘩無頼(にして初代日本女子プロレス会長。後述するヤクザで俳優の安藤昇さんのおこした東興業の「東」の由来でもある)万年東一さんがヤクザや警察と共に華僑と争った渋谷事件のことでしょう。

17日 魚、野菜西統制(日経) 新橋、渋谷で露店のナワばり争いが起こる。機関銃を松田組が発砲。新橋四〇~五〇名、渋谷一五~一六名(朝日)

18日 17日白昼闇市手入れ、格闘で怪我人も出る。渋谷駅前の闇市に、土田渋谷署長を総指揮官として武装警官約二五〇名、私服三〇名が、トラック七台に分乗、堂々軒をならべている繊維製品露店街を襲撃、警官三名、露天商二名負傷、押収品は布地、シャツ、パンツ、靴、ハンカチ、ネクタイ等。新橋愛宕署も四〇名の警官が新橋闇市にくりだしたが、この日に限って禁制商人はわずか七軒、警官急襲の報に閉店逃げ去った(朝日)

19日 渋谷事件起こる。渋谷署前で台湾省民と警官隊発砲死傷者多数。 闇や集団暴行一掃、谷川警保局長国民の協力を要望(毎日)

   双葉社刊{1999年10月5日第一刷(もとは昭和53年8月15日草風社から出版)、ふたばらいふ新書024}、猪野健治編『東京闇市興亡史』p.334~335、「年表―昭和21年」7月より

ja.wikipedia.org

 

 さてこの「命売ります」について。

 ググる三島由紀夫の同名の小説や、たぶんその元ネタとなったであろう昭和23年(1948年)に名古屋で広告をだした22歳の青年の話題や(かれに影響されたとみられる同年の数寄屋橋にはられたビラが引っかかりますね。

search.showakan.go.jp

photobank.mainichi.co.jp

 未見ですが、映画織暴力 兄弟盃』(1969)安藤昇さん演じる劇中人物の服の背に張られた札「命賣ります」について注目した感想もひっかかります。

 予告編をみるにかなり近いルックですし、安藤氏は、古武術師に技をおしえてもらう愚連隊とだいぶ顔が似てもいます。

 この辺が参照元なのかなと思いきや、それだけじゃなさそうだ。じっさい、戦後間もない町中で、その文言を提げた男が佇んでいたそうな。

  命売ります

(略)

 街中で復員して来た人たちをよく見る事があった。今のような服装をしている人はいない。軍服を着ている人が多かったが、白い布で着丈の短い、病院で入院の時に着るようなものを着ている人もいた。足にはゲートル(編注:小幅の布を巻きつけ脚部を保護するもの)を巻き、戦いのときに履いていたのであろうような、そうとう傷んでいる靴を履いていた。

 頭に大きく包帯を巻いている人。眼帯をしている人。腕や手に包帯をまいている人。片腕がない人。片足がない人。皆、お国のために戦い、戦争で負傷し、復員した人達だ。

(略)

 ある時、山手線の田端駅前の路上で、あの白い着物を着て「命売ります」と、大きな字で書いてあるタスキを掛けて、無言で座っている復員の人を見た。それを見た時、私は息が止まりそうだった事を思い出す。

   暮らしの手帖社刊行(2019年7月20日 初版第一刷)、『なんにもなかった 戦中・戦後の暮しの記録 拾遺集 戦後編』kindle67%(位置No.245中 165~166)、遠藤美萌子「命売ります」より(略は引用者による)

 もっと昔の、敗戦直後の西銀座を思い出す。いたるところに防空壕が掘られていた。白昼、焼け跡のビルから若い女の悲鳴が聞こえてきたり、復員兵くずれの辻強盗が出たり。新橋の地下鉄の出口に、外地から復員してきたらしいボロボロの軍服の男が階段にすわり込んでいた。日に焼けているが、痩せて、眼ばかりギロギロしていた。うしろの壁に新聞紙を張りつけて、金釘流で、大きく「いのち売ります」と墨書してあった。通りすがりの人々も、ほとんどが眼も向けなかった。そんな時代だった。

   ameba中田耕治『コージートーク』、2006年04月24日「244」より

 上の『なんにもなかった』(2019)の寄稿では、『喧嘩稼業』の卜辻バックグラウンド説明回発表時期と時系列的齟齬があります。

 作家の中田耕治さんがblog『コージートーク』に書き残した目撃談(2006)は時系列こそありうるものの、木多氏がファンであるという情報は特に見当たりません。

 昭和館図書室・新城敦さんによる和20年(1945)に関連したレファレンス事例の紹介』で、目撃談を記した書籍が取り上げられていました。

 闇市について語るとき、人々は、ある種の痛みとなつかしさを覚える。それは闇市が戦後生きてきた世代の否応なく通過しなくてはならない第一歩だったからだ。そこには何の飾りもないむきだしの欲望だけがうずまいていた。

 使いふるしの軍靴や鍋までが商品として通用した。生きるために最低限必要な条件をそなえている品物は、すべて商品価値をもっていた。売るものがない女は、からだを売り、男は「いのち売ります」の札を首からぶらさげて、銀座の焼け跡に立った。極限に追いつめられた者はかっぱらい、強盗で息をつなぎ、集団で倉庫荒らしをやった。農村部へ出動して、野菜、果実を畑から盗む野荒らしも横行した。肥料に使う豆粕がせんべいのように焼かれて、露店で売られていた。ハコベやイタドリ、野生のフキは、重要なカロリー源であった。

 焼跡、闇市の時代は、そのどろどろとした混沌の中に、あらゆる可能性を含有していた。

 窮民革命を夢見て闇市にふみ込んでいったアナーキストや暗黒街の盟主におさまろうとして、舎弟分に殺されたテキヤの親分もいた。旧海軍省の倉庫を襲って食糧を奪い、有楽町の日劇脇でたきだしをやった親分もいる。

   猪野健二編『東京闇市興亡史』p.380、「あとがきにかえて」より(太字強調は引用者による)

 巻末の年表で渋谷事件についてもチラリとふれられていますし、『東京闇市興亡史』もまた参考にされたのかなぁ? と思います。

 『喧嘩稼業』敗戦直後東京にはつまり……

銀座で古武術をあつかうひとがいた(沖縄唐手家)(=①+②a)

急を要する渋谷「いのち売ります」の札を背に張り、古武術由来のケンカ術を教えるひとがいた(梶原流のステゴロ)(=①+②b+③)

 ……二ヶ所にふたりの古武術家がいたわけですが、これは……

  1. 大阪でやくざ者へ古武術を汲むステゴロを教えた食客がいた(林逸道の著作)
  2. 敗戦直後の銀座(=2a)「いのち売ります」の札(=2b)をかかげて立っていた人がいた{『東京闇市興亡史』。(服の背札を縫いつけた人としては劇映画ながら『組織暴力 兄弟盃』。発表時期的に参照できないし、タスキにだが『なんにもなかった 戦中・戦後の暮しの記録 拾遺集 戦後編』)
  3. やくざ者&愚連隊の喧嘩無頼がかかわった渋谷事件があった(『東京闇市興亡史』)

 前述2冊+αの資料的史実を分解結合させた結果ではないかと。

 

    ▽ステゴロ道の前蹴り、もマジでそのまま林=福さん伝授のステゴロの蹴り

工藤は腹か胸もしくは押し返す前蹴りではなく 出足を止める顔面への前蹴りと読みそれを掴もうとしていた

――が前蹴りは工藤の死角となる左股関節を押した

技の華麗さよりも実を重視する

ステゴロ道の前蹴りだった

   『喧嘩稼業』5巻kindle84%(196ページ中165~166)、第38話「トラップ」より

空手のような華麗な蹴りはいらない」「膝を上げて踏みつけるような不格好な素人蹴りのほうがいい」

(略)

股関節を押すように蹴る」「人体の正面から可動方向通りに曲げる事ができる関節は股関節だけ 背後から膝の後ろを押した時のように容易に相手の足を折り畳む事ができる」

   講談社刊{2016年4月1日発行(01)、ヤングマガジンコミックス}木多康昭『喧嘩稼業』6巻kindle35%(196ページ中70)1・4コマ目、第42話「奥の手」

 さて、『喧嘩稼業』の当該ファイトでは前蹴りもまた「ステゴロ道の」技として解説されています。

 これもほんとうに林氏=福さん伝授のステゴロ技なのでした。

<ケンカ術の5>下手な蹴りを目指せ

(略)

福さんの蹴りは、膝を上げて下から踏みつけるようなフォームばかりで、一見して素人の蹴り、いわゆる「ヤクザキック」のようなものばかりでした。

   東邦出版刊{2018年09月01日(紙の書籍版は2014年05月02日発売)、BUDO-RA BOOKS}、林悦道『この「ケンカ術」がすごい! あっさりと勝つ法則10』kindle62%(位置No.1965中 1045)、第八章「<ケンカ術の原則5>下手な蹴りを目指せ」より(略、文字色変え・太字強調は引用者による)

○蹴り技

 福さんの蹴り技は、空手などで使われる、相手にダメージを与えるような蹴りではなく、相手を吹っ飛ばすことを目的としたもので、屋外で有効です。

 基本は、右足を引いて構え(1)、爪先を上にし足裏全体で力積をかけて相手の腹部を蹴り(2)、吹っ飛ばします(3)。

 爪先を外に向けて、相手の足の付け根を押しやると(4)、相手は腰砕けになり、尻もちをつくようにして倒れます(5)。

   『増補版 誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』p.82~83より(略、文字色変え・太字強調は引用者による)

 『喧嘩稼業』では、蹴りを受ける側の工藤の成長ドラマ(主人公十兵衛の策略にすべて引っかかりながらも身体能力ですべて薙ぎ倒してしまったフィジカルギフテッドが、頭を使ったがゆえに裏をかかれる)とか、蹴りを入れた梶原にしても前段で「バレリーナもかくや」という目突きにちかいトーキックを披露している*1うえでの別択の披露であるとか、このシチュエーションならではの「通る」理由を用意していて、巧い。

 そして、したり顔でほくそ笑んでいるだろう林悦道フォロワーさえもが手に汗握る布石を打っているのがえらい。卜辻にしても前蹴りにしてもステゴロの立ち回りがなぜこういう方向であるのか? 総合格闘技のリング/檻でなぜそれをつかうのか?

 まず飛ばす方法として、両手で押す、走って肩で体あたり、走り寄って前蹴りか横蹴り、などです。

 これらの技を、後ろの壁や障害物にぶつける、地面へ直接倒す、などの方法で、自分たちを取り巻く建物や土地などの一部にぶつけていくのです。

 安全な地形で戦うことを前提にした格闘技とは、アプローチの仕方が正反対です。

   『増補版 誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』p.72より(文字色変え・太字強調は引用者による)

 ……その矛盾のさきこそが梶原の、ひいては『喧嘩稼業』の魅力でしょう。

 

***

 

 さて「卜辻」が登場したのが『週刊ヤングマガジン』本誌にして2015年のことで、隻腕の忍者・梶原が登場したのは『喧嘩商売』9巻――本誌掲載回・時期がパッと調べられないのでコミックス発売ベースで――2007年ごろのこと。

 増補まえの林悦道『誰でも勝てる! 完全「ケンカ」マニュアル』が2011年6月20日初版第1刷発行ですから、時系列的におそらく初登場時は梶原の技として考えられていなかったんじゃないか? と思うんですけど、なぜこうも、ヤクザとも関わりふかい隻腕の古流武術家・梶原にガッチリ嵌まる戦いが物語がつむがれてしまっているのか。

書きたいものと書けるものは別

HARD: 自分の書きたいものを書く
NORMAL: 資料が手に入ったものを書く
EASY: 妄想を書く


 ●自分の書きたいものに関する資料があるとは限らない
  ●井原西鶴の一生を書く! とかいっても、資料ないよ
  ●自分は日本にはじめて足を踏み入れた人間の話を書く! とかいっても、書きようないじゃろ


 ●資料から広げる
  ●資料を集めるよりも、資料から広げた方が楽
   ●だってその資料はないかもしらんのだ

   scrapbox、enjoetoh『書きたいものと書けるものは別』20191121ゲンロンSF講座用)より

 作家がリサーチした資料からどう肉付けしていくか、引き返しの出来ない長編連載であらたに得たであろう資料をどう嵌め込んでいくか、ちょっと垣間見た気分。

(「これじゃあ週刊連載むずかしいよ!」という理由を見た、といった方が正しいか……)

 

 

0913(土)

 ■はてなブクマコメの補足■

  キッチンに入るなさんが『七破風の屋敷』読書日記を開始したぞ!

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 かなり詳細な読書日記をのこされているッチンに入るな』さんが、別所で書名を見かけて気になっていたけど積んでいたホーソーン『七破風の屋敷』をひらきはじめていたのでブクマコメしました 

 2019年話題のSF短編集『なめらかな世界と、その敵』。この短編集収録の「ゼロ年代の臨界点」に、ホーソーンのくだんの作品がちょっと登場するんですね。

『人間脳髄』は明治四十年の大阪に頻発する大規模停電事件を描いている。それは休止族の次男で知恵遅れの男が、夜毎電線を切って回っていたことが原因だった。捕らえられた男は、電話網が一つの「脳」として活動を始めており、電線から発せられる微弱な電波によって既に人間を支配している、われわれは今やその脳を動かす部品に過ぎないのだ――などと主張するが、そのまま癲狂院に放り込まれる。

 この作品は発表直後から、多くの毀誉褒貶に晒されている。

 それは、伝達網そのものが意思を持つという内容が富江の作品からの引き写しである、という批判が主であったが、最大の批判者であったフジの場合は「女學同朋」に寄稿し、作中、男の主張する電線網=巨大な脳という議論が、ナサニエル・ホーゾーン「七破風の屋敷」中に登場する思想と類似しており、この作品の要をなすアイデアまでも盗用だと断じている。

 しかし『誉れの信号手』において貴族の娘が身分を偽り、露天商を行うくだりが「七破風の屋敷」冒頭部に酷似しており、むしろ『人間脳髄』以前に『誉れの信号手』自体が「七破風の屋敷」から発想を得て書かれた作品であるという点が指摘されるには、両洋戦争期まで待たねばならない。

   早川書房刊(2022年4月25日電子書籍版発行、ハヤカワJA文庫)、伴名練『なめらかな世界と、その敵』kindle版16%(位置No.5251中 801)、「ゼロ年代の臨界点」より

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 富江ら3人が取りしきって演劇をしたW・B・イェイツも神智学協会(や黄金の夜明け団に参加するなどオカルティズムに傾倒した人物で、『ゼロ年代~』劇中にはほかにも「たぶん神智学協会のもじりかな?」と思わせる信知会なる団体が登場したり。

 こうした流れの源流のひとつとして、ガルヴァーニの実験からくる動物磁気説やメスメリズムというものがありまして。これらの影響を受けているのが、前述した千里眼事件の催眠術であったり、『ゼロ臨』劇中に登場した『七破風の屋敷』を含むホーソーン作品や『赤死病の仮面』を書いたポーのいくつかの作品(※『赤死病の仮面』は無関係)なんだとか。

 マリア・タタールの眼に魅されて』によれば、ポー自体はオカルト的側面については批判しており、動物磁気の科学的な面をのみ信じていたとのことですが、『魔の眼~』で抜粋紹介されるポーのエッセーや小説で出てくる動物磁気・メスメリズムはただのオカルトにしか見えませんでした。("エーテルは電気と同じ宇宙の霊的原理であり、生命力や意識や思考といった現象はすべてそこから発する"としたエッセー『ユリイカ*2とか。

 磁気催眠中の人が「催眠状態にあるとき[……]私は器官を用いず、究極の非有機的な生において用いる媒体によって、外界の事物を直接に知覚する」と語ったりする『催眠術の啓示』*3は、義兄の催眠術により千里眼に目覚めた御船千鶴子氏に重なるエピソードです)

 同じく『魔の眼~』が紹介する、ホーソーンの磁気催眠師への(負の)信頼もすごい。

(略)ああした現象は、現在や未来についての真実を私たちに教えてくれるよりも、むしろ私たちを惑わすだけのように思われます。(略)あの力は、人間の精神を別の人間の精神と融合させるところから生じるものです。そんな力を受け入れれば、人間の神聖さが蹂躙されるような気がします。貴女の内のもっとも神聖な場所が汚されるような気がしてなりません。

   Love letters of Nathaniel Hawthorne, 2 vols.(1907 ; reprint ed. Chicago : The Society of the Dofobs, 1972), Ⅱ, 62.を引用する、国書刊行会刊、マリア・タタール『魔の眼に魅されて』p.222、第六章「主人と奴隷/ホーソーンの作品における創作過程」Ⅰから孫引き

 慢性頭痛の治療を磁気催眠術師に頼んでみようか考えている画家のソフィア・ピーボディ(アメリカで初めて幼稚園を開いた教育者エリザベス・ピーボディの妹。ホーソーンの妻)に、ホーソーンはこんな手紙を送ったんだとか。ホーソーンの小説ではたびたび"主人(支配者)と奴隷"というべき関係性が取りざたされ、主人役として初期だと画家が、つぎに科学者がと担ってきたあと、磁気催眠師がその位置を占めるようになったそうです。『七破風の屋敷』はそうしたモチーフのひとつの到達点のような作品らしく、くだんの作品に登場する磁気催眠師はふたり。ホーソーンでおなじみ"主人"的な悪い磁気催眠師のほか、よい磁気催眠師も登場する異色作……とタタール氏は語ります。

   弊blog、「SFのロマンを剥ぐ;短編集『なめらかな世界と、その敵』感想」より

 

 

0915(金)

 ■読みもの■

  芸術家のえがく蒼い夢;山田風太郎魔界転生』読書メモ

 山田風太郎界転生』を再読しています。

   ▼上巻途中まで。翌年『忍法封印』を発表するとは思えないゆったりしたタメからの7,8章のゴキゲンぶりに喜ぶ

 歳を経た今あらためて読むと、序盤が大~分ゆったりした進行でビックリ。冒頭から上巻の1/3までを占める「地獄篇第一歌」「第五歌」は、忍法魔界転生によって魔人として生まれ直すこととなる達人たちの顔見世的章なのですが、ここにはたとえば『週刊ヤングマガジン』でげんざい連載中の格闘漫画嘩商売>シリーズの所謂(いわゆる)「最強格闘技エピソード」的なドラマチックな起伏はありません

 後世まで勇名をのこすも未練をかかえたビッグネームたちがつぎつぎと出てくるんですけど、そんなかれらの山アリ谷アリな栄枯盛衰やいまだくすぶる恋慕の情念は、"かつて・そこ"にあった遠い過去の地の文・会話文としてさらりと触れられるだけ。物語は鈍く重く疲れたおぼろ色の空気に満たされています。

 しかもみんながみんな"故郷の恋人を捨ててまで武のため出世のため邁進したのに、想いは満たされず……"という来歴で、別場にきたはずなのにそんな気がしない。堂々巡りの感があります。

 そんなどんより停滞してかんじられる霧中の序盤に、

「……これがその1年後に、科学史をつらつらと述べながら若い女を食い散らかすという強烈すぎるロケットスタートをきめたあの法封印いま破る』を書くこととなる作家の筆なのか?」

 と驚きをかくせませんでしたが。

 ですが、次章の一転カラリとほがらかで瑞々しい第7章「故山の剣侠」、第8章「黄泉国」へ至って前言撤回いたしました。

 前章で登場したヒロイン3人が「君命である!」の輪唱でもってお上に呼び寄せられ、全裸にむかれたうえでミニゲームを出されその反応でもって「天・地・人」の格付をチェックされていくという色ボケ暗君版風雲たけし城が始まったのを見て、

「なるほどたしかに『忍法封印いま破る』を翌年執筆するひとの作品だ……」

 と感服しました。山風先生はやっぱりすげえ。

 

   ▼下巻途中まで。マッチメイクのヌルさ煮え切れなさはファーストペンギンゆえか?

 下巻のなかほどまで読み進めました。

 あらためて読んでみると、十兵衛一行は『柳生忍法帖』のそれよりも結構、その場のノリと運よい歯車の噛み合わせで勝っている印象があって(『柳生忍法帖』の"策を練って罠にかける"感のほうがアレなのかもしれない。代表作『甲賀忍法帖』も、だいたいの対決は噛み合わせっちゃ噛み合わせかもしれない)、機転らしい機転はいまのところ「悪の幹部が1人1人挑んでこざるをえない構図」に嵌めたことで発揮されたくらいでしょうか。

 ただ、この「ゲームのルール」(と小説の地の文で言われている)は、悪役陣営内で「いつまでこの遊びをやってるの?」との旨をツッコまれたりするとおり大分もどかしく、いささか苦しい。

 

 いささかと濁して「苦しい」と言い切りたくないのは、もどかしいなかにも色相と階調があって、興味ぶかく読めるからです。

 たとえば悪役陣営内で出るツッコミ・検討も、けっこうなバリエーションがあるんですよ。

 生前・武への餓えがあり強者(十兵衛)とタイマンがしたい魔界転生組と、転生組をつかって別の欲望をかなえたい藩の幹部との対立としてツッコミがあがる場合もあれば。魔界転生組のなかでも、十兵衛と死闘したい武芸者たちと、十兵衛も転生衆のひとつとして手駒を増やしたい天草らとの対立がおこる場合もある。

 

 そして物語が展開していきそれぞれの変数がかわることによって、ついに集団戦がえがかれていくこととなります。

 「悪の幹部がひとりひとり挑んでくる」構図を成立させるための『魔界転生』劇中のやり取りは、お約束がお約束として固まりきるまえの匂いがありますね。

{1964年12月連載だから、『仮面ライダー』はまだ未放映(71年~)で石ノ森章太郎は初連載『サイボーグ009』を執筆して半年程度、映画<007>シリーズはイギリス本国で3作目『ゴールドフィンガー』が公開。

 『魔界転生』じたいが名作大集合オマージュ的な作品であって、「柳生十兵衛といえば」な生武芸帳>シリーズは、五味康祐氏の原作が56~59年連載(逝去により未完で終了)・映画は三船敏郎主演の東宝版2作+近衛十四郎さんが十兵衛を主演する東映版が9作目の最終作『十兵衛暗殺剣』まで公開。

 「宮本武蔵といえば」な川英治『宮本武蔵は原作小説はもちろん戦前1930年代発表・内田吐夢監督&中村錦之助主演の<宮本武蔵>シリーズは61年からはじまって第四作『一乗寺の決斗』が公開された……という時分}

 といったわけでたいへん興味ぶかいのですが、不満がないわけではありません。正直それは小さからぬものですわ。

「最初っから"潰すときに全力で潰す、手加減もおごりもない本気のぶつかり合い"を見せてもらって、ぞんぶんに面白がりたかった」

「そうでない場合にしても、そんなもどかしさを抱かせないくらい"ままならなさ"が厚塗りされた空気があれば……」

 ってノドがかゆい。

 

***

 

 期待に反して展開がむずかしい、という点でいえば、忍法"魔界転生"や"髪切丸"は、女性との交合を必要とする秘法で、その相手候補として十兵衛を慕う3人の女性であるとか、十兵衛に色仕掛けをこころみる悪役側女忍者で殉教者の女性であるとかといったヒロインが選ばれるわけなのですけど。

 設定で予想されるようなひどいピンチは意外と舞い込んできません。

 

 山田氏による歴史へのリスペクトが、対決の推移に妙なヌルさを生んでいるように思えてならず、むずかしい。

 

   ▼読了。続き物ならではの主人公⇔ボス、殺陣の立てかた

 最後まで読み終わりました。

 あわせて、ネットで読めるいくつかのレビューも読みました。

 J-STAGEで無料公開されている牧野悠豪、もし闘わば 山田風太郎「魔界転生」のマッチメイクは、『魔界転生』の取材資料しらべや、『魔界転生』に至るまでの山田作品内での物語の変遷を追ったもので、大変な労作でした。

 春日太一像と小説のあいだ』第3回は、山田氏の小説と深作監督版ふたつの『魔界転生』の相違点をながめ、映画の独自性・優れた点を見ていく批評。

 春日氏の批評は山田版の魔人の造形・対決の顛末にかなり厳しいけど、そういう不満はzzz_zzzzもおぼえました。

 牧野『剣豪、もし闘わば』の一部評は、対決の物足りなさを別角度から論じていて、とても勉強になりました。

 

 

 「ゲームのルール」、「鎖」にわずらわしさを感じてきましたが、終盤にきてこれが素晴らしく回りだして、素晴らしかった。

(略)が、おのれの意志以外の世界へ、あやつりの鎖を断ち切って躍り出たことを知った。(略)はまさに、真の「魔界」の人間と化した。

   KADOKAWA(角川文庫)、山田風太郎魔界転生 下 山田風太郎ベストコレクション』kindle版88%(位置No.5796中 5086)、「転生のとき」(略は引用者による)

「いかにも、おれは武蔵を斬る」

 と、十兵衛はいった。「斬らねばならぬ」

(略)

 みずからの心に鉄のくさびを打ちこむように、

「おまえたちに代わって仇を討つため――いや、そればかりか、このたびのことで、ことごとく二つとない命を捨ててくれた柳生十人衆の仇を討つため――武蔵は斬らねばならぬ」

   KADOKAWA(角川文庫)、山田風太郎魔界転生 下 山田風太郎ベストコレクション』kindle版94%(位置No.5796中 5396)、「魚歌水心」(略は引用者による)

 魔界転生をおこなうタネである十本の指を無碍にし、突如「あやつりの鎖を断ち切」り自分だけの欲と意思でうごく最後の魔人。

 そんな魔人を相手に、じぶんのために汗水たらし命を枯らした柳生十人衆を想い、藩を家を想い、「鉄のくさびを打ちこ」んだうえで追いかける十兵衛……

 ……ほかにもさまざまな面で相違点の挙げられるふたりは、その殺陣もまた同様の対称性を見せていきます。

 下巻前半「剣道成寺で格上の同流別門の剣豪と対峙したさい、八双原文ママの構えで向かい合い、鏡合わせのように戦う――戦うしかなかった――十兵衛。かれは最後の魔人にたいしてもまた八双の構えで向かい合い、鏡合わせのようにして戦います――今度は意図して。

 上巻「西国第一番札所」での地の不利下での対決(しかし魔人vs十兵衛という構図ではそうというだけで……)、下巻海潮音の他流派他得物対決、「剣道成寺での格上との対決(しかし「ゲームのルール」に嵌められた魔人側の先見と愛着が剣をにぶらせ……)「生死一丸」での再戦(甘えなき一刀が十兵衛を押すも…)「西国第三番札所」での妖術忍法使いの魔人との他流派対決(甘えなき髪切丸がからめとるも……)「奉書試合」での技に勝る魔人との同門同血対決(しかも十兵衛のほうに愛着がある)「伊賀越え」での力に勝る魔人との同門同血対決(魔人の剛力が十兵衛の剣より速く走るも……)、ここまで何度もえがかれてきた"縦斬りとその得物をめぐる展開"は、「魚歌水心」でついに、相手の敗因をつぶしにつぶしたガチの対決(甘えはなく、助太刀もなく、「奉書試合」のようなタネらしいタネも見えず……)となって、十兵衛というのらりくらりとした異人の異人らしさが立ち現われます。

 続き物だからこそ踏める細かな段取り・構成で、これはこれで素晴らしい。

 

 

 ただ、たとえば木多嘩商売>シリーズだと、一戦一戦がクライマックスかと思えるような魅せ場のかたまりで。

 しかもそのマッチメイクは、強い敵AからAの要素をそなえたうえで+αのある更なる強敵Bへ、BのつぎはBの要素をそなえたうえで+βのある更なり更なる強敵Cがあらわれ……

 ……と、わかりやすくスケールアップしていくアッパーな取り合わせなんですけど、『魔界転生』だといまいちそのへんが分かりにくい。

 

***

 

 <喧嘩商売>シリーズといえば主人公・佐藤十兵衛の「同調行動」によるフレーミングですが、『魔界転生』の主人公・柳生十兵衛がおこなうフレーミングもまさしく「同調行動」が含まれています。

 歴史上の人物をメインキャラクターを対象にしたプロファイリングやフレーミング、その材料として扱われるのは、武家社会らしさであったり歴史的偉人の偉業であったり歴史性・社会性であったりします。

 そこが面白くもある一方で、息苦しくもあります。当人でさえままならない大きな大きな「あやつりの鎖」をどうしても見てしまうんですよね。

 伝奇アクション小説らしい大立ち回りをしながらも、やがて伝記的事実にからめとられていくなかで、ふっと、おぼろの向こうへと退場していく結末がきれい。

 

 カッコ書きの「歴史」の間隙にふっと「いわゆる時代小説」に許される類いの奇想があらわれ、また「歴史」のなかに埋もれていく。そしてその「歴史」は華々しいものではなく、「霧の塊り」のようなものである……

 では、こういう小説上のフィクションはどこまで許されるものだろうか。

(略)

 私のごく大ざっぱな意見では、一般のいわゆる時代小説では、わりに大幅に許されるが、歴史デテクティヴでは許されないと考えている。確実ないし良質と目されている資料の史実を守ることは歴史デテクティヴの必須条件で、そのルールを破るならその価値は無い。

 またいわゆる時代小説のフィクションにも限度があって、右の「大菩薩峠」でも、対象が一般読者にはまあなじみのうすい島田虎之助だから許されるのであって、これが有名な宮本武蔵なんかなら、その歿後十年も生きていたというような物語を書くことは、よほど特別の設定でもしないかぎり許されないだろう。

「大史実」の変更は許されないが「小史実」なら許される、といってもいいかも知れない。何にしても、小説上の故意の嘘は、たとえ歴史上の事実や実在人物を扱ったものであっても、基本的には許されるのじゃなかろうか、というのが私の意見である。

   筑摩書房刊{2016年11月25日、ちくまe文庫(底本は216年8月ちくま文庫)}、山田風太郎『風山房風呂焚き唄』kindle73%(位置No.3244中 2332~)、「Ⅳ 風山房風呂焚き唄」より(略は引用者による)

◆…………三十四歳で死んだ人々

    路傍の石が一つ水に落ちる

    無数の足が忙しげに道を通り過ぎてゆく。

    映像にすればただ一秒。

    ―――山田風太郎

   徳間書店刊{2013年5月1日(底本は2011年11月刊徳間文庫版)}、山田風太郎『人間臨終図巻 1』kindle32%(位置No.5998中 1884)、「◆三十四歳で死んだ人々」章頭言より{文字色変え・太字強調は引用者による。ただし(中略)は本文ママ}

 なお百閒が旅順戦の古い記録映画を観て書いた『旅順入場式』には、次のような描写がある。

「……そうして水師営の会見が終わった。乃木大将の顔もステッセル将軍の顔も霧の塊りが流れた様に私の目の前を過ぎた

 悪戦二百有余日と云う字幕が消えた。鉄砲も持たず背嚢も負わない兵隊が、手頸の先まで袖の垂れた外套をすぽりと著(き)て、通った。(中略)兵隊はみんな魂の抜けた様な顔をして、ただ無意味に歩いているらしかった。二百日の間に、あちらこちらの山の陰で死んだ人が、今急に起き上がって来て、こうして列(なら)んで通るのではないかと思われた」

 思えばこの『図巻』に登場した人々も、この兵隊の行列に似た感がないでもない

   徳間書店刊{2013年5月1日(底本は2011年12月刊徳間文庫版)}、山田風太郎『人間臨終図巻 4』kindle50%(位置No.5515中 2725)、「◆八十二歳で死んだ人々」内田百閒より{文字色変え・太字強調は引用者による。ただし(中略)は本文ママ}

 ……山田風太郎作品はそういう味わいのものが少なくないように思うのだけれど、魔界転生』を読むと、山田氏じしんも「芸術家」としてそれを自覚的にやっているということがよくわかりますね。

 日が落ちて「外界の一切は蒼々茫々とうすれて、ただこの二人の剣士の姿だけが燐光にふちどられた残像として印象され」「大気が蒼い氷と変わったかとも感じられ」*4道成寺境内で、「いっそう見えにくい」「御簾のかなた」*5で、「すべてははげしい雨にけぶって人影は見えぬ*6なかで。旅小説的に移り変わる舞台やそこにいる人々は、何度となくおぼろまぼろしにたとえられ。そうでなくても、たとえば滝から出た青竹の声に導かれて、「井戸の影武者」をとおってたどり着いた先で(巨大な天守閣との対比で)「異風の武者人形みたい」*7(に小さい)と異形と化す。

 おおきな水面に波紋がうたれて泡沫がポツリとうかんで束の間はじけて消えていく……そんなさまがかなり直接的に、延々とつづられています。

 門前の芝生に公孫樹が銀色のをしたたらせ、噴水がキラキラとかがやく光の糸をあげているのが見えて来た。は止んでいる。門の陰も仄白い光が次第に漂って来て、そこに何かぼんやりと人間のかたちを現わしてくるようである。

「おい、もうゆこうや」

 と、なぜかそれを見るのが恐ろしいような気がして、自分は鈴木を促した。

   KADOKAWA刊(平成26年7月25日、角川e文庫)、山田風太郎『戦中派不戦日記 山田風太郎ベストコレクション』kindle70%(位置No.7976中 5508)、「昭和二十年 九月三日」(太字強調・文字色変えは引用者による)

 医学生時代の山田氏が雨あがりの京都で見た老女の「ぼんやり」具合。

「おい、あの婆さんを見てこようじゃないか? もう見えるだろう」

 と鈴木はいった。自分は首を傾けて、しばらく逡巡していた。それからやっと肯いた。

俺たちが芸術家だったら、あれは暗い中で――少くとも夜明けのぼんやりした中で別れるのが一番いいのだが――しかし、俺達は医者だ。うん、見てゆこう」

 二人はひきかえして、東本願寺前を通り過ぎていった。しかし老婆の姿はどこにも見えなかった。

 だいぶ歩いてから、またもと来た道を帰ってみると、門のつき出した壁の陰で依然ぼんやりとした影が、立ったまま何か身づくろいしていた。この年老いた乞食は、おそらく夏の白日の下でも、やっぱりぼんやりと見えるであろう。――そこが彼女の楽屋であろうと思ったら、ちょっと可笑しくなった。

   『戦中派不戦日記 山田風太郎ベストコレクション』kindle70%(位置No.7976中 5527)(太字強調・文字色変えは引用者による)

 本殿の屋根や土塀の屋根の苔が美しい。――と思ったが、ふと絵などで古木や木塀には必ず黒い地にこの青白い苔が描かれているのを思い出したら、急にいやになった。絵はもちろんもとは現実から描写したのだろうが、それがだんだん技巧上の慣習となって、今では実際には見えなくとも、梅など書くとこの苔を描く。するとこういう神社でもその絵の真似をして、わざわざこの苔をとって来て屋根に植えつける天満宮の苔がそうかどうかはもちろん詮議する必要はないが、この青白い苔が黒い屋根に浮かんでいるのを見たら、いかにもわざとらしいものに思われて来た。

   『戦中派不戦日記 山田風太郎ベストコレクション』kindle70%(位置No.7976中 5567)

 老婆をぼんやりとした幽霊に変えたり、そんな老婆の楽屋と化したり、自然物さえもが絵みたいにわざとらしく見えたりする現実。これが『魔界転生』という創作のなかでどこまでも徹底されているように読めるのです。

 「芸術家」となった氏による結末の十兵衛の足取りはもう、チェスタトン曜日の男を彷彿とさせるような幻想文学の様相で。物語の序盤、柳生の老首長が小粒な末っ子を眺めて世知がらい苦境について歯噛みした、「こんなとき十兵衛がいてくれたら」も、意味深にこだましてくる。

 こんなみょうちくりんな作品だったんだっけ、と驚きました。

 とにもかくにも蒼くぼんやりとした今作で、柳生十兵衛が後半で見せる、蒼く在るからこそ出せる生気には、おもわず昂りました。

{ここまで執拗に符牒をつけていれば、さすがに「山田風太郎幻想文学で語るみたいなことは誰かがやってそうだなぁ」と思ったら、有名どころだと米澤穂信さんが『治断頭台』とエリアーデントゥリャサ通りで』とを並べて語っていた。澤屋書店』「ご挨拶より本の話をいたしましょう」⑧)

 ただまぁ、ぼくが『魔界転生』にかんじた幻想性は、米澤さんが言ってるのとは正反対だった}

 

***

 

 『喧嘩稼業』シリーズを直近で読んだうえで『魔界転生』を再読して驚いたのが、『稼業』「金隆山vs夢斗」戦にあった、対戦者をリング端まで追い詰めて、両サイドをふさぐ構えでにじり寄る……というシチュエーションが終盤にあったこと。

 そうなった流れもその後の流れも全然ちがうんですけど、「へ~っ!?」となった。

 

 

  大作家が手紙に記したボンクラ皮算用山田風太郎『風の便り 故郷へ、友へ、恩師へ、 山田風太郎書簡集』読書メモ

 の便り 故郷へ、友へ、恩師へ、 山田風太郎書簡集電子書籍があったのでポチりました。

 忍法帖やミステリ、病院の購買にだいたい置いてあると噂の大著『人間臨終図巻』などで知られる山田風太郎さんとその相手との書簡集。

 「Ⅰ 学友、恩師」・「Ⅱ 親戚、編集者」・「Ⅲ 文学者、芸能関係者」の三部構成で、ドイツ文学者・西義之さんとのやり取りなど、作家・作品研究的な興味が満たされるところも結構あります。西氏からの『明治十字架』評への返事として山田氏は……

「細部まで考え抜かれて破綻がない」とおっしゃって下さいましたが、その「考え抜く」ということが近来できなくなりましてね。今回も五個の決闘は最初から設定していましたが、さて誰と誰を組み合わせていいやら、三対三くらいだと容易なのですが、五対五となるとこんがらがって、未決定のままに連載を始めちゃいました。雑誌ならもうちょっと待ってくれ、といえますけれど、新聞は前の人が終われば待ったなしですからね。

 組み合わせがきまったのは、その決闘が始まる寸前のことでありました。

   『故郷へ、友へ、恩師へ、風の便り 山田風太郎書簡集』kindle版77%(位置No.2635中 1991)

 ……といったことを仰っていて、くだんの作品は1986年連載開始で1922年生れだから、64歳のおはなし。

 氏はこのあと『柳生十兵衛死す』も『婆沙羅』に代表される室町モノなども記していくのだから、本人の自認と作品とではちょっと差があるなぁと興味深かった。

 

***

 

 それ以上に興味ぶかかったのは、

「とにかく筆マメだ。立派なマメさだ。というか、手紙のプライオリティがいまと全然ちがいすぎるのか」

 ということ。先述の西氏はささいな1ツイートにおさまる程度の、それもすんごい素朴な感想も山田氏に送っていて、

「いまのツイッターやLINE、ひと昔まえの電話くらいの気安いものが、この当時の手紙だったんだろうなぁ」

 と肌感覚のちがいにおどろかされます。

 

 いや、マメはマメだし、立派なんだと思うんですよ。

 さて他書山房風呂焚き唄』「読書日記」の項で山田氏は、福武書店『内田百閒全集第十八巻』をとりあげ、大正3or4年に百閒氏が湯河原を訪ね、療養中の夏目漱石さんから250円借りる約束をした記録へ注目(、漱石夫婦の、世評とことなる仲の良さを伝える記述と推察)していましたが*8。山田氏は山田氏で、1964年の宝石社倒産時に編集者の神尾重砲さんへ見舞金5万円(当時の大卒初任給2万円)を送ったりしていたそうな。立派なおかただ。

 それどころか、なんでもない日々のやりとりで陶芸やらを贈ったりなんだりしていることが覗け、そこまで来ると「この時代の文化人はすごいなぁ」と感心してしまう。

 

 その感心は、ところどころある種の瑞々しさ――というか「心性はわれわれとそう変わらないボンクラなんじゃないか」と肩組みしたくなるところが覗けることでより一層つよくなりました。

 Ⅲ部は1950年、山田風太郎28歳の手紙から幕をあけます。

拝啓

 先日は御馳走様 あの翌日、また原田氏来訪。……まだ大分先のことを漫然と口にしたつもりだったのですが、原田氏のケンマクでは、ほんとうにいよいよ来年新年号からはじめなければならなくなりそうです。

……

まず、

一 二人でやる以上、それは世界ベスト・テン級!のものでなくては意味がありません。単なる物好きのものではやらぬ方がましです。(損得ヌキなり)少なくとも江戸川乱歩先生を驚倒狂喜せしめるものであって欲しいです。(尤もあのオヤジ、なかなか驚倒狂喜しそうもありませんがな)

   『故郷へ、友へ、恩師へ、風の便り 山田風太郎書簡集』kindle版66%(位置No.2635中 1713)

 当時両者ともに気鋭の新人であった高木彬光氏との共作を編集氏から打診された山田氏は、やる気満々の私信を高木氏へ送ります。

 「二 従って、一回一回面白く、映画化可能なものなら、それに越したことはありませんが、ドタバタ騒ぎはやめましょうね」とか、「四登場人物は数十人になろうと、皆それぞれ生活していることにしたいものです」とか、「五 もし出来ましたら、全然新しい作者乃至覆面作家の名を用い、少なくとも三年間位は知らん顔していたいものです」とかとか、六箇条は数字をふやしていくごとに面はゆくなり……

六 もし、本篇が、クラブ賞をもらう日には(!)賞金は寄付するんですな。でないと作者がバレちゃうから。

   『故郷へ、友へ、恩師へ、風の便り 山田風太郎書簡集』kindle版66%(位置No.2635中 1731)(太字強調は引用者による)

 ……最終的にはもう賞金の崇高な使い道まで相談しちゃってる。獲ってから言え~~(笑)

 

 zzz_zzzzはたとえば田中&円城氏の芥川賞ダブル授賞式を見ては、「おれならこうやって石原都知事をギャフンと言わせてやる……いやこうか? むしろこうか?」と実作なんて何もしたためたことないのにヒーロー・インタビューを練ったものですが(苦笑)、まさか山田風太郎御大さえもがそんなぼんくらな轍をふんでいたとは。

 

***

 

 そんなわけでぼく含めネットにごまんといるぼんくらな感性が覗けて、ともすれば『不戦派日記』以上に親近感をおぼえた書簡集でしたが、

「手紙という特定少数へのごくごくプライベートな内緒話として見せていたやらかい部分を、こうもあけっぴろげに不特定多数へ発信してしまっている現代というのは一体なんなんだろう……?」

 とちょっと思ったり。

 

 

0920(水)更新ぶん

 ■読みもの■

  たかたかし『住みにごり』1~4巻読書メモ

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 みにごり』を既刊4巻読みました。

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 エニ―カラー社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属するバーチャル学級委員長・月ノ美兎さんのプレゼンに導かれました。

 いま1巻が無料お試し期間中みたいで、よいタイミングでしたね。

 第1話はなにかの流れで読んだんですけど、そこで止めてた作品でした。たしかにその後を読むと、けっこう印象がかわりますね。

 不穏なんですが、この不穏さは月ノ委員長が評したとおり地に足のついた確かなもので、そうして具象が集まっていくにつれ、ある種の指向性が見えてきて、「この家・家族はこういう匂いがするんだ」「これがこの家の匂いなんだ」と言われれば、たしかにそうなのかもしれないなぁという感じになっていきます。なんとも不思議な作品だ。

 

 だからといって、丸く収まりそうな気配もなくて。

 第一話にでてきた悪夢もまた、何かしら誰かしらから具体化されてしまいそうな、なんとも妙な地続き感があります。

 

 さて3巻巻末に、収録回までの話題をふくんだ批評が載っていてビックリしました。

 作者のたかたけし氏のデビュー前の足跡から綴られたもので、評者は作家の乗代雄介さん。

 はてなブロガーのりしろ氏として馴染みのあるかたもいらっしゃるでしょう。そんな氏がデビュー前からご存知……ということからピンとくるかたもいるのかもしれません、たか氏もfc2ブロガーだったのでした。

takatakeshi.fc2.net

 乗代氏の評が内輪におさまらない立派な作家評・作品評になっているとおり、たか氏の作品もまたそんな来歴なんて知らなくても凄いわけなんですけど、「それはそれとして、いろんな縁があるものだなぁ」とちょっと面白かった。

 

 

  『アスミカケル』『鵺の陰陽師』読書メモ

shonenjumpplus.com

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 スミカケル』『陰陽師を楽しく読んでます。

 『アスミカケル』は、TLでも話題のとおり、たしかに少年漫画で高校生の少年少女にMMA総合格闘技をおこなうための段取りがすごい。

 ただでさえ打撲骨折脳震盪、靭帯損傷や網膜剥離、パンチドランカーなどなどの危険がともなうというのに(だからこそ?)、それで食っていける界隈は『ガチンコ』系のブックを通り越してもはや素人の私闘と区別のつかない生臭いストリーマー/ネット配信局系格闘エンタメになっていて……という色々な観点からあやうい界隈へ"ふつうの子供"と"ふつうの大人"が接近するさいの「こういう経緯ならありそうだな」と思える丁寧かつ多彩な足取りがすごい。

 こういう段取りを描けるひとが、極め技を得意とするキャラを主人公にしたら、そりゃあ面白いですわ。つづきも期待!

 

 ということで格闘模様はおもしろいんですけど、『はじめの一歩』でいうドラゴンフィッシュブロー、<喧嘩商売>シリーズでいう卜辻が序盤も序盤でサクッと、単なる一技術として流されるあたりがだいぶ怖い。どこまで行くんだ一体。

2024年0106追記

 2巻FUKIDAMARIトーナメントからは、けっこう難しい……。

 まっとうな倫理観をもった作家が『週刊少年ジャンプ』の未成年を主人公にMMAをやることと登場人物の魅力とがバッティングしている感じがしていて。

 マッチメイクできるくらいキャラ同士の因縁がうまれるには負傷させたりなんだりがわかりやすいんだけれど、故意に故障させちゃうヤツはほんとうにヤバいやつなので、それはなかなか出せないワケですよね。

 なので故障かと思ったらそうじゃなかったとか、故障まで行き過ぎちゃうような問題あるシチュエーションであるとか(外へのエンタメを意識したショービジネスである。真っ当な大人がいるけど真っ当の質がちょっと違う。真っ当な大人がいる場ではない。故障させる側する側どちらかが正常な心理状態じゃないなどなど)、故障させられた側になにか問題があるとか(ガチの戦い希望である、意固地である、故障させる側にもそこまでやっちゃった情状酌量要員がある(経済的・心理的に酷い環境におかれ荒んでいる、相手がギブしなかったがための過失である)とか、故障させられた・叩かれた側にもそこまで意固地になっちゃった情状酌量がある(家族を捨てたの因縁がある、故障させた側が不用意なdisをしてきた)、叩かれた側がそこまで意固地になっちゃった原因も叩く側だけにあるわけではなく(叩く側から見れば、家族を捨てたのはじつは叩かれた側だった。叩かれた側の視野がせまいだけで他の家族とは良好だった)……といった具合に無限に相対化される白黒わりきれない処理がなされる。

 結果として、大なり小なりボンヤリと株を下げた敵味方が、どちらへも全面的に肩入れできない煮え切らない経緯で戦うか戦うだろうことが、薄味とはいえ『週刊少年ジャンプ』の連載レースを勝ち抜くための味つけで提示され、読んでいて(さすがに「勝手に戦え!」@『エイリアンvsアバターは行かないまでも)「好きにやればいいんじゃない……?」という気分になってしまう。バトルなんてそんなもんだ、と言われればそうなんでしょうけど、むずかしい。

 『イブニング』で連載するくらいのテンションでやるのがいちばんなんじゃないかという気がどうしてもしちゃう。『シューダン!』がそうだったように、そんなテンションじゃたぶん『ジャンプ』にいられないので、『ヤンジャン』とか、社さえ変わって『イブニング』とかであれば……みたいに思っちゃう}

 

 『鵺の陰陽師』は、とにかく掛け合いがすばらしい。コメディ回が好き。けっこうな確率でニヤケを抑えられず、噴き出しさえしてしまいます。

 

 

  大竹玲二『離婚しない男』(第一部完)読書メモ

yanmaga.jp

 大竹玲二婚しない男』を読む。

 現実のほうはかなり生臭い話を聞く、なんとも危うい題材におもえる男側の親権問題からスタートして、なんか妙な方向へ流れていった作品でした。

 仕事量をへらし家庭へ軸足をうつした主人公が直面するのは、育児や主夫業の大変さではありません。触れはしますが本題じゃない。あるいは憎いとだけ思っていた妻がそうなるに至った経緯、非がないと思っていた自分のこれまでを振り返ることになったりなどもしません。

 ふりかかるのは突然のモテ期であり、間男が差し向けるハニトラです。はたして夫は、妻以外の異性にまどわされることなく、清く正しい夫として1年過ごせるか!?

 ……いや、魅力的な女性を描ける作家さんの持ち味を活かした舵取りではあるけれども。「もっと内省や家族ドラマが見たいひとは『クレイマー、クレイマー』とかを観たらいいんじゃね?」ってお話なのかもしれませんけども。

 

 

0921(木)

 ■はてなブクマコメ■

  『ドッグスレッド』最初の見開き特大コマについて

tonarinoyj.jp

旧版2巻13話相当回。球運びもロウの打ち筋も得点者も全部違う! 続く展開も、旧版が…得点に湧く観衆→喜ぶロウ⇒後日池で「二度とごめん」とキツい天邪鬼…て時系列順で素朴に進んだのと比べ,最高の後味に変わってる

 オタク趣味的な楽しみ方ではありますが、リメイク前と読み比べるのが本当におもしろい作品。

 

 

0923(金)

 ■ネット徘徊■

  「こういう厄介者がいるから(任意のコミュニティ)が衰退したんだ」「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」は素敵だが、持論を自分たちで証明する状況ほどむなしいことはない

b.hatena.ne.jp

『OW』監督の卒論勝手に訳す(ストロスやミエヴィル,イーガンの随筆にそうしたのと同じ)くらい好き且つ傑作だと思ってるぼくは,『星を継ぐもの』も好き且つ傑作だし,先行者利得じゃない独立した魅力があると思ってます

 可燃性のたかい記事における火種として、『Outer Wilds』と『星を継ぐもの』がえらばれていたので両方とも好きだし傑作だと思う人間として一応コメントしました。

 付けたは付けたけどzzz_zzzzのこういうコメントは、以下に言う問題点がより濃く出ていて一層よくないと思いもします。

 増田氏の元記事もぼくのこのリアクションも、「ある対象がダメだ」と言ってることはわかる(元記事なら「増田氏にとって対照的に良い作品はどれか」もいくらかわかる)んだけど、他方で……

  1. 言及者がそう評した具体的な検討過程はあんまり見えない(よき批評眼をもつ者による信頼すべき確かな言及だという保証がえられない)
  2. 言及者の主張を受け入れたとして、「じゃあ良い作品ってなんだろうか? 良い視点をもつにはどうしたらいいのか?」その具体的な導線・指針がいまいち得られない。袋小路に入ってしまう。

 ……んスよね。

 上の問題点はたとえばグレッグ・イーガン氏によるSF映画評もかかえていて、だからぼくは弊blogで勝手に全訳した記事において、そこを指摘しつつ、批判者の言い分が面白かったひとも楽しめるだろう作品の紹介も同時におこなってみたわけなんです。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 

 といったわけで、上の増田記事については批判的なわけですが、他方で、「こういう厄介者がいるから(任意のコミュニティ)が衰退したんだ」「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ!」というお声は聞いてて切なくなりますね。

 

 そうコメントしてるはてなブックマークはてな匿名ダイアリーは、こういう厄介な人による厄介でネガティブな話ばかりで盛り上がってるし、極々少数しか好きな作品について語ってなくて、はてなブログはだいたい廃墟じゃないですか。

 「だから衰退したんだ」を自分たちで身をもって体現することほどむなしいことはないですよ……。

 

 

0926(火)更新ぶん

 ■読みもの■

  波切敦レッドブルー』読書メモ

www.sunday-webry.com

 ッドブルー』がおもしろい!

 『週刊少年ジャンプ』の前期新連載スミカケル』MMA格闘マンガ熱がたかまったから、「そういえばお隣のサンデーでもやってたよね」とググったところ、タイミングがよいことに1~2巻がkindleで9/28 23:59まで限定無料配信中でした。

 そこからさらに既刊7巻まで買い、スマホアプリ版『サンデーうぇぶり』をインストールして課金し、さらに10話読んで最新エピソードまで追いつきました。

webサイトのほうの『サンデーうぇぶり』でも、1~8話が無料公開中です)

 

 『レッドブルー』との初接触は、TLだと数少ないサンデー読者である鷲羽巧さんのこのポストからでした。

 格闘技の、というか、暴力の、「じぶんを見下すつもりなくナチュラルに見下してくる、デフォルトで高みにいてムカつくアイツをブチのめしたい。勝ってスカッとしたい」というプリミティブな衝動と欲望にたいして第1話からきちんと向き合ってて、それが根幹にある。そこが今作のえらいところだなぁと思います。

pocket.shonenmagazine.com

 暴力衝動と向き合いすぎた格闘技マンガといえば、もちろん鶏』がありますね。(出版年月がしばらたく経っているとはいえ、マガポケでは1~30話無料公開か。すごいことです)

 「少年A」こと成嶋亮が、「キレ」てナイフで両親をメッタ刺しにした咎により、月の光もとどかない少年院の暗がりでケツを掘られリンチされる日々を送っていたところ、転機がおとずれる。体育のカリキュラムで空手の教官から正拳の握りをおそわったのだ。しかしそうして亮が握りしめるのは、さらなる凄惨と生存競争へとつづくドアノブだった……という無間地獄があちらではひろがっていたわけですけど。

 

 『レッドブルー』は、さすがにそこまで極まった根暗なルサンチマンではないですね。

 ナイフをにぎるという発想なんてもたず、握るものといえばせいぜいシャーペンかコアラのマーチ的お菓子かという小市民の少年が、自分の意志を通すひとつの手段として正拳のにぎりかたを教えられてしまったがために、大嫌いなあいつのいるMMAのリングへ踏み入れる……というおはなしです。

 

 有名人や有名作でワード検索すると数スクロール内に1人、「モヤる」だなんだと一挙一動に粘着し注目するアンチがいるじゃないっすか?

 あのなかのとりわけセンスある一握りが『レッドブルー』の主人公・鈴木青葉。

 青葉くんのハイライトの差さない黒い瞳をとおせば、小学校時代からの同級生で学校の人気者・「日本 総合格闘技(MMA界を照らす太陽になってくれる」「スーパールーキー」(第1話)である赤沢拳心くんも、「電球みたいに空っぽ」(第2話)な存在として映ります。

「君のその底抜けな明るさが苦手だったんだ。

それとよく机の上 乗ってんのとか、自分ちの犬をわざわざ保護犬って説明したりとか、そういうとこ苦手なんだ。

だから、

どうしてもこの手で一発殴りたくなった」

   小学館(サンデーうぇぶり2022年1月12日掲載)、波切敦レッドブルー』第1話「譲れないもの」より

 1話で上のように語られて以降、拳心くんら"陽の者"と出くわすたび青葉くんらはかれらが放射する光の「ざらりざらり」とした棘を的確に具体化していきます。

 その黒い瞳は、暗闇のなかでもよく利きます。

 赤沢くんに吐かれたのと同じくらい的確で鋭い言葉を、青葉くんはじぶんをサンドバッグ代わりにしていた(/そのため拳心くんに〆られた)イジメっ子・岩瀬くんにも放ちます。イカニモ噛ませ犬な岩瀬くんの握り拳の掌中の暗がりに、いったいなにがあるのかを浮き彫りにする。

「でも僕たちって似てるよね?」

「はぁ?」

「岩瀬君も拳心君のこと嫌いでしょ。

 だってボクを体育館裏に連れていくときって、クラスが拳心君の話題で盛り上がってる時がほとんどだし。

 岩瀬くんも格闘技してるのに拳心君だけチヤホヤされて劣等感を感じてたんだよね? だから、

 弱いボクをイジメて、自尊心を保ってたんでしょ。」

   小学館(サンデーうぇぶり2022年1月29日掲載)、波切敦レッドブルー』第2話「大嫌い同盟」より

「おいおい待ってzzz_zzzz。

 タイトルの半分を担うだろうライバルでさえ、澤村伊智原作中島哲也監督る。』妻夫木聡えんじる"イクメンパパ"くらい薄っぺらい存在として如実にとらえる青葉くんの世界観に、79話もいっぺんに付き合ってらんないですけど!?」

 そんな物言いは当然はいりましょう。

 でもご安心、じっさい本編をひらいてみると意外とカラリと読めちゃいます。

 本編でおどろかされるのは、直近に引用した岩瀬くんへの辛辣なプロファイリングが、かれを責めたり馬鹿にしたりするために放たれたものではないということです。

 実はこれ、青葉くんがどれだけ岩瀬くんを好きか、自分たちが同盟をくめるほど"拳心嫌い"同志であるか。それを証明するために贈られたことばなのでした。(なぜ~? こわいよ~!)

 

 休み時間に陰キャをボコす格闘自慢のイジメっ子、呑んだくれで入会料欲しさにモヤシっ子へ優しくするけど結局ボコしちゃうMMAバカなジムトレーナーイケてるジム所属のスポーツマンだけど実は親の金でクラスメイトを釣ってた七光りデブだった過去をもつ高校デビュー者、ブツブツ独言をしながらジムに現れては関節技締め技をキメるだけキメて去るサラリーマン……

 ……教室の隅で背中をまるめてじっとしてきたはぐれ者の青葉くんの立ち振る舞いは、清いヒーロー物語でワンパンKOされてそれきり退場となったり黒沢清映画でワンテイクにだけなぜだか混入されたりような端役たちの、端役らしい薄っぺらさを透かし見もするいっぽうで。ヒーローが正拳一発「KOしていい枠」に押し込んだり「克服すべき悪習」として見向きもしない、はぐれ者たちの薄っぺらいなりに確かにある背骨を(『来る。』もまたそうだったように)浮き彫りにだってします。

 『レッドブルー』を読んでいると、

「清く正しいところも汚く悪いところもありのまま捉えることは、性善説をとなえて"傍目には悪人に見えるこのひとも、ちゃんと見れば実はいい人なのだ"などと期待するよりも、よっぽど人間が好きじゃないと出来ないことなのではないか」

 なんて思えてきます。

 

 そんな観察眼でもってのぞむMMAの世界もまたねっちょり丁寧で素晴らしい。

 登場する選手は十人十色さまざまで、リング内で打投極を交し合うことは、自分たちの「意志」を示し合う対話、それどころか人生相談とみなせるような豊かな立体感を得ていきます。

 一挙手一投足を意識していくうちに、選手たちはじぶんたちがいかにしてMMAに取り組んできたかを振り返り、友人関係を見つめ、家庭環境を顧み、じぶんがどうしてMMAに身を投じたのか初期衝動を思い出し、これからどうしたいのか将来の進路へと目を細めます。

 

 第71話のワンシーンは、そんな今作の色が顕著にあらわれています。

 MMA甲子園決勝の観客席の一角で、試合をおえた選手たちが寄り集まります。

「一緒に観ようや。」

(略)

「ああ、一緒に観よう。「鈴木君被害者の会」になっちゃうけど大丈夫?」

「真剣勝負した相手 応援したらええやろ。

 バチバチの殴り合い以外であんなヒリついた戦いは初めてちゃ。おもろい奴やん。」

「面白い? 俺の読みをひっくり返して最後はあざ笑うように極められた。

 あんな悔しい試合は初めてだよ。」

(青葉君に対する感情はそれぞれだな。

 俺は…… ……恐怖…か。)

   波切敦レッドブルー』第71話「決勝のリング」より

 青葉くんについて、これまでの試合相手が各人まったく異なる人物像をおもいえがく……それだけ青葉くんが選手たちがひとりひとりそれぞれのやりかたで真剣に向き合ったという証拠でしょう。

 

 はたして決勝戦ではどんな青葉くんが立ち現れるのか?

 そして、赤沢拳心とおなじリングで向かい合えたときは?

 

 水曜日が楽しみで仕方ありません。

(ただ、ここまではアマチュア試合ならではの展開とかがあったり、試合一つ勝てばよいのではなく前の試合での消耗・負傷を引き継いだうえでの1Dayトーナメントならではの展開があったりして、「おお~なるほど」と思いながら読んだんですけど。

 決勝戦の今のところの展開は、主人公補正がつよくはたらいているようにも思え、ここはちょっと惜しい。昔からのアスリートであり戦型の関係でトーナメントも短縮できている相手と、スポーツ初めて数ヶ月の元ボンクラである主人公との基礎体力差やトーナンメントでこなしてきた試合時間/疲労度の差が、結構にぼんやりしている。

 もう一波乱あってほしいなぁと待ってます)

 

 

0928(木)更新ぶん

 ■読みもの■

  安田佳澄『フールナイト』1~7巻読書メモ

bigcomics.jp

 安田佳澄ールナイト』7巻が出ました。収録された第63話は安田氏の𝕏でしたポスト曰く長らくつづいた章のクライマックスとのこと。手を出すのにちょうどよい頃合いなのではないかしら。

 

 序盤のあらすじ;

 厚い雲が空を覆い日の光をさえぎってから100年が経った。

 夜と冬がながくなり植物もほぼ死に絶え酸素もうすくなったこの苦境にひとびとは、ヒトを文字どおりの植物人間「霊花」へと転化させる「転花」技術を発明。都市が一息つけるだけの霊花を植えることで、社会を延命させていた。

 高校中退のトーシローには時間がない。生きている心地がない。工場と病院と家を往復する毎日で、金は貯まらず体は萎びる。監督が見回りで近づいてきているのに、目がかすんで手元が狂う。休まず十数時間はたらいても、出来高制のこの職場では物ができあがらなければ報酬はない。きょうの作業は罵声だけしかもらえなかった。

 病院で苦境を説明するが「先週も同じこと言っただろう」と溜息だけしかもらえなかった。

 最低の日々だ。だが高校中退のじぶんには選択肢がない。でもすこしずつでも金をためて学び直せたなら……。

 帰宅すると、薬をきらした母が包丁を片手に待っていた。足元には学費用へそくり。「嘘をついたな。私は負けない」病んだ母から逃げる脚力さえもう枯れていた。

 路地裏で倒され、馬乗りになった母からそらした顔をふと上に向ける。するとこうべを垂れる鉢植えの霊花と目が合った。

 トーシローは国立転花院の門をたたいた。

「トーシロー?」

 優等生だったかつての同級生ヨミコが、転花院の制服を着て立っていた……。

 

 読んでみた感想;

 作品を知ったきっかけは、作家・ライターの千葉集さんがじしんのblogで22年1月にアップした新連載紹介エントリでした。

 ポストェンソーマン』といった声も聴いた作品です。

 

 きびきびテキパキ事態が進みつつも、ウダウダしているうちに時計の針が無為にグルグル回ってしまう生活の雑音・人生の雑念もまた有りすぎるくらいに有って、

「最近のうまいマンガは、細部を的確に救い上げるし、緩急がうまいよなぁ」

 とほれぼれします。その筆力でえがかれるのは貧困や不条理だから、ほれぼれする以上に胃のキリキリが勝つわけですけど……。

 主人公トーシローが転花手術をされて以後、物言わぬはずの霊花たちの声をなぜだか聞けるようになってしまった特徴もまた、その筆に大胆かつ広いストロークを与えてくれている印象です。

物語的には一巻でわりとストレートな人情ものをぶつけきたなと思ったら二巻では連続殺人捜査で、まだまだどう転がるかは断定できません。

   hatenablog(2022年1月16日UP)、千葉集『名馬であれば馬のうち』、「2021年のマンガ新作ベスト10+5+7+5」

 21年の連載開始当時、有識者はそう↑おっしゃっていたわけですが、たしかにすごい転びかた跳ねかたをしていて、たとえば別の有識者からさいきん↓聞く声は……

 ……かっこいいカッティングやレイアウトで紡がれたアクションシーンに対する賞賛だったりします。

 序盤を読んでピンとこなかったかたも、さらに巻を進めていけば、じぶんにしっくりくる展開がどこかであらわれるかも。

 遺留捜査的人情モノ、シリアルキラー捜査モノと駆けだした今作は、余命わずかな若者が人生見直し・迷子をしてみたり、同じ捜査班内でも思想もことなりゴールもことなる別部署同士が協力したり反目したりの共同作戦がひらかれたり、家計のやりくりにこまる小市民が転花反対デモに参加する社会派スケッチが描かれたり、完全に対立する組織が腹の内を読みあうポリティカルサスペンスが繰り広げられたり……などなどと膨らんでいきます。

 

 作品のジャンル自体がどんどん変わっていってしまうかのような速く広い展開は、『チェンソーマン』など最近のうまいマンガらしくありますが。

 そちらと違うのは、『フールナイト』劇中世界の描写は「単行本のなかに世界の仕組みをすべて丸ごと盛り込んでやろう」というボトルシップ/百科全書な筆圧をおぼえるところ。

 今作が目まぐるしくて広いのは、階級や立場のことなるさまざまな人の行動をザッピングする群像劇的な側面があるからですけど、群像劇にも2パターンあるじゃないですか。

 ひとつは現実の複雑で広大すぎるがゆえの曖昧さ・断片性を利用した、それぞれがつながっている「ことにする」断片集。もうひとつは、あるシチュエーションに置かれた多様な者や物のふるまいをエミュレートし続ける、構想力の賜物。『フールナイト』は後者の作品という感じ。

 

 ぼくは6巻までだと、青襟労働者の父・中学生の娘ふたり家族のサブプロットが沁みましたね。

 現実のデモ・運動に冷めた目をむけるひとが少なくない日本で、体制批判者を悪魔化もせずヒーロー化もせず、100%同情できる哀れな小羊にだってせず。良い性格(家族愛)も「良い性格」(エゴ)も悪い性格(差別意識も併せ持つ、ただただ「もうちょっと良い生活をしたい/わが子に与えたい」ふつうの人として描いた作品、というだけで『フールナイト』はあまりにも立派だ。

 

 また『フールナイト』世界からは「オリジナルな想像力で創造しつくしてやろう」という世界設定にたいする意気込みもかんじます。

 『チェンソーマン』ってすごい既存品(五十嵐『魔女』やら伊藤『潰談』、二瓶『ABARA』やら……)のすごい表現が縦横無尽に藤本タツキ氏のすさまじい演出力でもって)引用されることで、作品に豊かな色・底知れない不気味さが出ていると思うんですけど。

 その膨大な引用をいちおう成り立たせているのは、「悪魔」というある意味ナンデモアリな(枠なんて在るようで無い)枠組みによるものであって、それらがそのようなかたちで『チェンソーマン』世界というひとつの箱におさまっているロジックはうすいと思うんですよ。

 

 対して『フールナイト』にでてくる(先行作が思い浮かぶ)参照的展開は、劇中世界の素材からしっかりはぐくまれた、一本の筋がとおった独自の展開となっているんですよね。

 たとえば『フールナイト』劇中の「パレード」↑は、ほんのり今敏監督の映画『パプリカ』のパレード・シーンを想起させる異様な光景です。安田氏の𝕏をのぞいてみると映画の挿入歌「パレード」への愛を漏らしたポスト↓があって、まったく無関係とは言いがたい。

 言いがたいんですけど、「これは今敏からの引用で~」みたいなウンチクを述べることよりもまず、

「先導者は一見すると榊的な神木をかかげて歩いているけど、葉々の奥に骸骨をちらつかせている。祓串には紙片を幾本にまぎれて手がなぜかあり、しかも人体としては不自然な方向を伸びている――木の枝としては自然な方向へ。

 パレードは異様だ。それは厳かな儀式の異様であり、霊花とその特徴をコンサートの舞台装飾にまで昇華させた劇中都市部が目をそらした、人体が植物へ変容する霊花のグロテスクを直視させる"九相図"的異様だ」

 といったことを語るべきだ。そう方針転換するほどの表現力と創造力がここにはあります。

 

 上に挙げたさまざまな事象はどれも、根元へと辿っていけばけっきょく同じところへと――この夜と冬だらけのどこまでも広がる闇のような土壌へと行き着いてしまう

 『フールナイト』のベタ塗りの黒は、ひとつの闇鍋でごった煮した加法混色ゆえの豊かな黒なのだ、そしてこの黒をひとまとめに煮る鍋がたしかにあるのだ、ということが、巻数をかさねることで見えてきました。

 

*********

 

 ことほどさようにzzz_zzzzの趣味に合う作品なんですけど、𝕏のポストを読むに、ことし29歳になる{1995年(度)生まれ}作家さんのようで、世代が近いようで微妙に遠い。「ついに小学校もカブらん若い作家さんの活躍を眺めるオッサンになったんだなおれは……」となりました。(zzz_zzzzは1989年2月生まれの1988年度の学年)

 

「皆信じたいものしか信じないよ」

 とあるキャラが吐き捨てる6巻を読んで「おっ!?」となったんですが、「人は見たいものしか見ない」で我々にはおなじみ殺器官』伊藤計劃作品のおはなしは、安田氏はポストされていないようでした。伊藤計劃おじさんは、いっつも伊藤計劃の話をする~)

{安田氏はいぜんウェブラジオをやられていて、そこを適当に聞いた感じ、『青い脂』を半年かけて読んだ、そこから『サハリン島』も読んだ(ウェブラジオで触れた21年1月当時は1部まで読了。つづきも楽しみとのこと。『フールナイト』は20年11月~連載開始なので、既に連載中の時分のおはなし)、伊坂幸太郎(<グラスホッパー>シリーズ『ラッシュライフ』)は読んだ、湊かなえもちょっと読んでるらしい。『マルドゥック』はマンガで読んだ。中高生時代ホラーをよく読んで、『リング』『らせん』原作が面白かった……というようなところはわかりました}

 ないんですけど。でも。

小学館刊(ビッグ コミックス、2023年5月3日初版第1刷)、安田佳澄『フールナイト』6巻kindle版81%(位置No201中 162)、第4~6コマ、第52話「ようやく」

 たとえば、そう言うわりには花らしい花をあまり見かけない「転花」「霊花」という言い回しや。都市のどこのTVからもCMが流れるほど転花志願者はいるし霊花や霊花加工物はある一方で、その間はあまり見かけない不思議な偏りが生まれる理由など……

 ……「思うに伊藤氏の世界観は、浸透と拡散したんではないか」みたいな気持ちを抱きました。

 

 『フールナイト』を読んでいて、とくに新刊7巻を読んでいて「お~!!」となったのが、ヨミコと大ボスの対決ですよ。

 転花院の職員ヨミコは7巻でとある人物と対面します。その人物は、じぶんたちが追ってきたある事件の裏で糸を引いていた人物であり、トーシローやヨミコらが名前も知らなければ会話だって交わしたことないサブプロットの父娘の運命を左右する社会的混乱の種を蒔き水を注いできた人物でもあります。

 ヨミコはかれの所業を糾弾します。前言との矛盾をつく。しかしかれは折れません。逆に……

だが信念あっての決断だ。

私は自分に正義があると…愛があると信じている。

蓬菜ヨミコ お前は日々信念を持って未来が明るくなると願って来院者を転花させているか?

projectitoh.hatenadiary.org

 ……安定した公務員へと就職し「仕事だから」と自殺行為を幇助してきた――幼馴染であるトーシローが院へやってきたときの彼女の反応を、ここで思い返すと趣深い――ヨミコの人生観をゆさぶりさえする。

 今作のボスの堂々たる立ちふるまいは――世界を変えようと真面目にがんばる確信犯なので厳密にはちがうんですけど(この作品のえらいところだ)――われわれの大好きな世界精神型の悪役の面構えを思い起こさせます。

 

 このシーンに驚かされたのは、じつはそれだけじゃありません。

 こうやってオタクがくどくどあげつらうほうの世界観はもちろんのこと、シーンをビジュアライズする手つきが、伊藤さんの作品やblogを読んできた当時が蘇るようなワクワクする手つきなんですよね。

小学館刊(ビッグ コミックス 2023年10月3日初版第1刷)、安田佳澄『フールナイト』7巻kindle15%(位置No.217中 34)、第55話「正義とか」

 黒ブチメガネのボスは、肩も銃も地面ときれいに平行する落ち着いた構えで、汗一つかかず皴一つ刻まず正眼でヨミコを見据えます。その背景は、人工物により織りなされる整然とした幾何学模様。

 対するヨミコは大粒の汗を浮かべて目を見開き、ゆがんだ姿勢で銃を構えます。

 髪は乱れてその姿には影が落ちている――風源は、光源(というか影源というか。天然のネガティブ・フィル)は、彼女が乱入したさい壊されひらけた窓の外、夜の闇。

www.youtube.com

 乱入したヨミコを描いたコマは20余あり、こういう対面切り返しショットの2連コマも乱入当初からあったんですけど(7巻P.19「第54話」)、ヨミコが背負うのはたいてい、無傷の他窓のブラインドが成す整然とした縞模様でした。

 ヨミコが閉口するこの上下2分割の対面コマで、ようやく彼女とブラインドの醜い壊れっぷり(や風や影)をつぶさに収めた乱雑な構図が登場するんです。

projectitoh.hatenadiary.org

 伊藤氏がかつてークナイト』の一場面に見出した視覚的サブテクストを思い起こすような構図で、ヨミコらが対決する舞台じたいも5巻のトーシロー&ヨミコらのたとえ話を思い出すと意味深なんですけど*9、しかし『フールナイト』の背景の秩序/混沌は、もっともらしい推理ともっともらしいアクションとを積み上げてきた当然の流れのなかでふと舞い込んだ産物であり、そういう「意味」が勝ちすぎません。

{安田氏のクリストファー・ノーラン作品への言及は、金券換券ラジオのTENETを観てきたよ雑談」がまとまってそう。

 ぼく世代にとってノーラン監督はまず『ダークナイト('08)のひとだと思うんですけど、安田氏にとってはンターステラー』('14)のひとみたい。発表年ほぼ6年差、それぞれが19歳のときに公開された映画で、世代差ってこういうところでも出るんだと面白かった。*10

 時代はうつりかわり、浸透拡散をしていくんだなぁ、そうだといいなぁと思った7巻でした。

 

***

 

 こういう話は「どこまでやってるの? お前が勝手に見出してるだけじゃない?」みたいな問題がからみますよね。

 劇中で登場人物が明言しているグリーナウェイ『数に溺れて』のショットのどこかに登場する1~100の数字の意匠であるとか、"「東京」というもう一人の主人公が見守っている"をと監督がインタビューに答える今敏ゴッドファーザーズ』の、シミュラクラ的に「顔」がのぞく背景美術の都市とか。スコセッシィパーテッド』の"X"字の意匠の多さとか……

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 ……あるいは(「完璧な女性の胸は完全な球形で描くべし」みたいなじしんの絵画論書に残している)アルブレヒト・デューラーによる人物画における瞳の十字ハイライトの有無であるとか(研究者が「おそらくキリスト教の信仰に篤いひとかどうかで描いたり描かなかったりしているのだろう」と推測するやつです)

「作者からそれらしい言及があったり、なくても故意でなければここまで頻出しないだろう」

 というものは了解が得られやすいですけど、今回のぼくのおはなしはさすがに弱いかな~。

 

 安田氏がそういう脚本外のサブテクスト表現(とか環境ストーリーテリングに凝るひとなのか、とか批評本とか読むひとなのか、とか触れたうえでこう、という話にならんとさすがにね。

SAVE THE CATの法則』は読んでるらしい『金券換金ラジオ』173「TENETを観てきたよ雑談」の、『メメント』批判をする映画脚本術の本は、多分これでしょう)}

 

 ってことで予防線として、黄金比無理くり発見記事へのリンクか…… 

 ……あるいは悪いオタクたちはもちろん、そうでないかたがたからさえ「穿ちすぎでは?」と疑問をなげられていた、ドラマ考察/評論/実況の大島育宙(無限まやかし)zyasuoki_dさんによる「『VIVANT』の撮影構図は幾何学的でうつくしい」という旨のポストを張ろうかと思ったんですけど。

 後者のかたは削除されてしまっておりました。

(画面内におさまったたくさんの綺麗な丸やら、対称的な線やらへ上から選を引いて強調した4連画像。

 そのたくさんの綺麗な丸は飛行機のジェットエンジンであったり、対称的な線は豪華な建物の内装であったりして、「そりゃそうだよ~!」というものでした。

 

 zyasuoki_d氏のおはなしは、たとえば有名なキューブリックの一点透視/対称的な構図をまとめたkogonada氏によるクリップであるとか……

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 ……あるいはかつてツイッターで伊藤 弘了さんが指摘してバズった、器のふちや容量の異なるコップやグラスの内容物の水嵩がなぜか一直線にそろっている小津京物語』の一場面。それらのような説得力に欠けるものですね。

bunshun.jp

 

 

  おもしろヤベーめんどくさい女に振り回されるやしきずって良いよね~おりコウseedsリスナーの先生のよるダメ人間コメディ~;あきやまえんま『のあ先輩はともだち。』読書メモ

ynjn.jp

 やしきずがめんどくさい女にからまれるマンガだ!

 と思ったら、𝕏でふぁぼる多趣味の一つがにじさんじ{のおりコウファン、特に卯月軍団芸術家支部。seedsあたりも好きらしく、花畑チャイカちゃんのラジオ体操出演時の切り抜きポストをふぁぼったりしてる}、もう一つが『ニーディガールオーバードーズ』など病み系女子である先生による、本当に「やしきずがめんどくさい女にからまれる」マンガでした。

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 IT会社の長時間労働vtuberである社築さんは、「アイドル衣装」とも称されるような所属団体の箱内統一衣装その初お披露目となるピアアリーナMM/幕張メッセ幕張メッセ国際展示場4ホール(キャパ1万人の会場)でのライブ(男性演者回)に登場する大人気ライバーのひとりなわけですから、「たしかにヒーロー役になるな~」と思いました。

 

 

1005(木)

 ■読みもの■

  『WIRED』vol.50読書メモ

 US版創刊30年の節目をむかえた『WIRED』50号は、日本版のこれまでを振り返ったあと、「Next Mid-Century:2050年、多元的な未来へ」と題して、作家やクリエイターたちに30年後の未来を聞いてまわります。まずトップ記事はテッド・チャン氏へのインタビュー

 今号では、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『メッセージ』の原作『あなたの人生の物語』や『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』『息吹』などを記したSF作家であり、ALIFE2023参加のため来日した氏に、11問がなげかけられます。

 ざっと問いをまとめると……

  1. ALIFE2023へ登壇しようと思ったきっかけは?
  2. 人工知能・人工生命をふくむマルチスピーシーズと共存するために獲得すべき「規範や倫理感」があるとしたらなにか?
  3. 三十年後に向けて、社会がいま以上に多元的であるために重要な観点はなにか?
  4. おもにシリコンバレーで拡大している感がある「技術の中立性・透明性」のソリューショニズムについて、「多元性」の観点からいかにお考えか?
  5. われわれ現世代がよき祖先(グッド・アンセスター)であるために重要な視座/規範は?
  6. 予測変換を利用した日本語入力ソフトウェア・GitHub Copilotなどが登場し、その使用に慣れている現在だが、言語モデル(LM)を忌避する必要がなくなり、LMで書かれた文章が日常となった将来において、わたしたちが「書くこと」はどんな意味をもつか?(by藤井大洋さん)
  7. AIが生活の日常となった未来では、AIをどんな役割で捉えるべきか? 欧米では『アラジン』のジーニー的な強力(だがどこか信用できない)召使い、日本では『ドラえもん』のような人を導き友達になってくれる存在として見ている気がするが……(by池澤春菜さん)
  8. 人間を遺伝子操作によって「改良」することへのお考えは? 現状では技術的に難しいが、しかし人間がいまのような存在であるままでは、大量殺戮の歴史を繰り返すだけなのではないかと危惧してる(by倉田タカシ氏)
  9. パーソナリティをある程度マスクし言語の壁も技術的に超えて表現活動ができる社会において、表現者エスニシティやルーツの類いは、物語にどうかかわっていくとお考えか?(by高山羽根子さん)
  10. 小説にする価値があると感じられるアイデアと、そう感じられないアイデアの違いは? よいアイデアの特徴やそれを思いついたときの感覚を具体的な言葉にすると?(by津久井五月さん)
  11. 他愛もないおもちゃから自由意志が否定されて無道無言症に陥り破滅的な未来が示唆される自作「予期される未来」世界で、なおも生き残る人類とはどんなひとびとか?(by吉上亮さん)

 ……というもの。

 テッド・チャン氏の回答はどれも面白かったのですが、未読のかたは「じぶんならどう考えるか?」と一晩寝かせたうえで、『WIRED』をひらいて異同を確認するともっと楽しそう。

 最初の5問が『WIRED』コンデナスト・ジャパン編集部によるもので、そこで出た疑問は、大なり小なり誌上でさらに掘り下げられることとなります。

 たとえば問4なら哲学者ユク・ホイ氏の寄稿2050年、テクノロジーの多元論」、問5なら……

すべては「よき祖先」であるために

    次なるフェーズへ入った

 【ゴールドウィン×Spiber】の挑戦

   コンデナスト・ジャパン刊(2023年9月21日発売)、『WIRED(ワイアード) VOL.50』kindle80%(位置No.189中 152)、「WIRED PROMOTION すべては「よき祖先」であるために」より

 ……共同開発の構造タンパク質素材の衣服Brewed Protein™を「WIRED PROMOTION」した記事のように、キーワードがそのものズバリ盛り込まれているものもあれば。

 Question1・2はと鍵穴 4つのイシューと解題への視座」の【人工知能】回、Question3・5は【環境】回【脱植民地化】回や、IKEAと共同運営する研究機関SPACE10の来の生活はまだ見ぬ道具の先にある」、海洋から回収したプラスチック・漁網・繊維くずを原料とするRe-Nylonへナイロン製品へ転換したプラダや、既存のスニーカービジネスに疑問をなげかけ天然ゴム・竹など植物繊維にこだわり1足買う毎に木を2本植えるカリウマなどを紹介したAS a TOOL よい衣服は未来のために」……といった具合に、トークテーマのなかで掘り下げられていくものもあります。

(先述「WIRED PROMOTION すべては「よき祖先」であるために」も、開発者と作家の吉上氏の鼎談を追っていけばそのほかの問と関連あることがわかったりする

 チャン氏への質問者のかたがたもまた、誌上の別企画で対談や取材をしていて、一冊の本としてのまとまりはなかなか。

 

 ただ、話題が多岐にわたるので、環境にやさしい素材のプロモーション記事のなかで、「タイの量産工場でついに開始された。」とサラッと記されていたりすると、「むこうでは脱植民地化がたっとばれていたのに」みたいな疑問はさすがに生まれる(どっかで利ザヤを稼がないことには商売あがったりではあり、仕方ないのだけど)

 このへんについて、合体事故ととるか、それともさまざまなトピックが一にされる雑誌ならではの疑義のつけかたととるか、いやいや商魂たくましい二枚舌だと切り捨てるかで評価がガラリと変わりそうですな。

 

   ▼質問に答える、というよりも、その問が出る状況を想像し、答える;テッド・チャン氏のQ&A

 テッド・チャン氏への質問は、過去のインタビューでなされたものと多少重複しますが、どれも興味ぶかかったです。

 答えが、というか、答えの出し方が。

Question 04

ナイフで殺人が起こったとき、そのナイフをつくった職人を責める人がいないように、技術は常に中立で、よい技術にするのも、悪い技術にするのも、責任があるのは常に使う側だ、という論理をよく聞きます。こうした「技術の中立性・透明性」は、時として技術の善性に化け、とりわけシリコンヴァレーでは「世界には、地域によらず解決すべき普遍的な問題があり、その問題に対して一般的な解決策が存在するはずだ」といったソリューショニズムにつながっているようにも思います。テッドさんは、そうした「技術の中立性」を下地とするソリューショニズムの拡がりについて、例えば「多元性」という観点からどうお考えになりますか?

   『WIRED(ワイアード) VOL.50』kindle15%(位置No.189中 29)、「テッド・チャンへの11の質問」Quesution04より

 たとえばQuestion04が顕著なんですけど……

「技術の中立性」について語るときには、その技術がどれほど「一般的」で、どれほど「具体的」であるかを議論する必要があると思います。例えば金属でいうと、あるレヴェルでは「冶金学」があり、別のレヴェルでは「地雷」が存在します。冶金学はかなり中立的な技術だといえますが、地雷を中立的な技術というのは難しい。銃を製造する企業も、「銃が人を殺すのではなく、人が人を殺すのだ」と言いたがります。まさに「技術の中立性」を訴えているわけです。しかし銃のような具体的な技術に対して、冶金学のように幅広い技術に当てはまる議論を適用するのは間違っています。同じように、シリコンヴァレーの企業が(略)

   『WIRED(ワイアード) VOL.50』kindle15%(位置No.189中 29)略は引用者による

 ……チャン氏は、その問いがでる状況を想像したうえで答えを出すんです。

 なので、Question02の回答は、Q01や「人工知能や人工生命といったデジタルビーイング」と一番にふれられたものとしては意外な話になったように思えますし。Q08もまた意外ながらも「なるほど確かに!」と興味ぶかい思索となっています。 

 

 たとえばQuestion10は、2016年のMeghan McCarron氏による取材「The Legendary Ted Chiang on Seeing His Stories Adapted and the Ever-Expanding Popularity of SF」でなされた質問と……

 マッキャロン:

 あなたの執筆過程はとても独特で、(外野からすれば)高度に体系立っているように見えます。あなたは一年の一部をフリーランスのテクニカル・ライティング、べつの一部を短編小説の執筆に費やします。多大なリサーチをする傾向にあること、そして物語の結末から毎度書き始めることは存じてます。構成や改稿はどのようなプロセスを経るんでしょう? テクニカル・ライティングをするときと書きかたに目立った違いはありますか?

  McCarron: Your writing process is very distinct, and (from the outside anyway) seems highly systematic. You spend part of the year on freelance technical writing, and part of the year on a short story. I know you tend to do a lot of research, and always write the story’s ending first. What’s your process of composing and revision like? Do you write very differently when you do technical writing?

 テッド・チャン

 たとえばだれもがライフロギングに従事している世界のような:頭のなかで長いことあれやこれやと考えるようなアイデアをいだくのが通常のやりかたです。そういった世界のなかに嵌るさまざまな可能性の物語について考えます;出発点はいくつもいつも思いつけるんですけど、でもわたしはそれらがどこへ行くのかはわかりません。結末を思いついたときだけ、実際に執筆をはじめます;目的地を念頭に置く必要があるんですよ。

 物語すべてを詳細に練り上げているわけではありませんが、なにが起こる必要があるのか大まかな感覚はつかんでいます。かつて行き止まりに思えたほかの出発点の要素を拝借できたりすることもありますが、いつもそうとは限りません。そしてもちろん、ものごとは実際にストーリーを書いていくなかで進化します。

  Chiang: The way it usually works is that I have an idea that I’ve been turning over in my head for a long time: for example, the idea of a world where everyone is engaged in lifelogging. I think about different possible stories set in such a world; I can usually come up with a bunch of starting points, but I don’t know where those would go. It’s only when I come up with an ending that I can actually begin writing; I need to have my destination in mind. I don’t have the whole story worked out in detail, but I have a general sense of what needs to happen. Sometimes I’m able to borrow elements from the other starting points that previously seemed like dead ends to me, although not always. And of course, things evolve over the course of actually writing out the story.

 テクニカル・ライティングはわたしにとって小説執筆とは根本的にことなります;唯一共通するのは、わたしの脳の文章作成にかかわる部分がつかわれていることくらいでしょう。テクニカル・ライティングが自分の創作に直接的な影響をあたえたかどうかは定かじゃありませんけど、テクニカル・ライティングに自分がひきつけられた衝動もまた、じぶんの小説の根底にあるものだと思います。アイデアを明瞭に説明したいという欲望があるのです。

 よい説明は美しいものだとわたしは考えているんです。;それを読むことはただ役に立つだけでなく、快いものにも成り得るのだと。

  Technical writing is radically different from fiction writing for me; the only thing they have in common is that they draw on the sentence-creation part of my brain. I’m not sure that technical writing has had a direct impact on my fiction, but I think the impulse that originally drew me to technical writing is also one that underlies my fiction, and that is a desire to explain an idea clearly. I think there’s something beautiful about a good explanation; reading one isn’t just useful, it can be pleasurable, too.

   Meghan McCarron取材「The Legendary Ted Chiang on Seeing His Stories Adapted and the Ever-Expanding Popularity of SF」より{訳は引用者による(英検3級)}

 ……かさなる部分があるでしょう)

 

   ▼チャンとイーガンの『her/世界でひとつの彼女』観 相違点

「未来における人とAIの関係性」について話すとき、多くの人がスパイク・ジョーンズの『her』を引き合いに出しますが、ぼくはその比較は適切ではないと思っています。正しい比較対象は、おそらくトム・ハンクス主演の『キャスト・アウェイ』です。

   『WIRED(ワイアード) VOL.50』kindle版17%(位置No.189中 32)、「テッド・チャンへの11の質問」Quesution07より

 回答のなかで出たチャン氏のパーソナル・アシスタント型AI観がおもしろかった。

「ウィルソン」は、トム・ハンクス演じる主人公に純粋な真の安らぎを与えました。しかし、そこに存在しているのはトム・ハンクスだけであり、彼のキャラクターがバレーボールと接しているだけ、ということを忘れてはいけません。

   『WIRED(ワイアード) VOL.50』kindle版17%(位置No.189中 32)、「テッド・チャンへの11の質問」Quesution07より

 her/世界でひとつの彼女』を例示したうえで、パーソナル・アシスタント型AIは(『キャスト・アウェイ』のウィルソンのように)使用者が見る投影に過ぎないのだと肝に銘じる……というもので。グレッグ・イーガン氏の『her』評を彷彿とさせる内容でした。

her/世界でひとつの彼女』が真に熟慮しない暗黒面は――劇中では散漫なフェイントとして簡単に済ませられていましたが――いつか自分たちの心をイヤホンから聞こえるチャーミングな声にゆだねてしまう日がくるかもしれないけれど、それは虚空へむかって感情を表出していたという事実によって崩壊するだけかもしれないということです。

The dark side that Her never really contemplates, despite a brief, desultory feint in its direction, is that one day we might give our hearts to a charming voice in an earpiece, only to be brought crashing down by the truth that we’ve been emoting into the void.

   MIT Technology Review掲載、グレッグ・イーガンAn AI Pal That Is Better Than “Her”

 両者とも、使用者にとって都合のよい虚像に過ぎないんだと言います。

 

 ちがうのは「その幻想にどこまで漬かるだろうか? 覚めるか否か?」という言及の有無で、イーガン氏は「むなしさに気づきさえすりゃ目ぇ覚めるんじゃね」と付言するんスよね。

 この(真に自律思考を持たないレベルでの)AIにたいする考えは、『Born Again, Briefly』に記されていたようなバプティズム系キリスト教から離れたイーガン自身の経験論かもしれないけれど、それで言えば父はふつうの(しかし日曜説教へ行く程度にそれなりの)キリスト教徒で、兄は熱心なキリスト教徒である状況などを見て「"らしい"ものとして体裁を整えるパッケージングはめっちゃ強固なんでは?」とも考えていたわけで。

「目ぇ覚めるったら覚めるんだよ!」

 というある種のスローガンなのかもしれません。

 

 

1007(土)

 ■はてなブクマコメ補足■

  自らの異能を敵に説明する理屈づけ;『魔都精兵のスレイブ』117話

shonenjumpplus.com

 能力バトル物において――こと「地の文」が浮くマンガ・映像作品において――ややこしい彼我の異能の情報をどう作品受容者に伝達するか、各作者各作品でいろいろな試行錯誤がおこなわれていますよね。

 『HUNTER×HUNTER』ボマーや、『呪術廻戦』の術式開示などのような、自らの異能を敵に説明する理屈が作品内でつけられてるものもあるわけですが、タケヒロ原作竹村洋平作画のキャラクターがとにかくかわいらしい都精兵のスレイブ』117話でまた新たに一つおがめて、その趣味の者としてたいへん満足いたしました。

 最新刊14巻掲載の112話で……

ワルワラ

能力無しで怪物倒してる――! なんて凛々しさ それでいて優しく 笑顔も花のようで 彫刻のように美しい

 羽前 京香とはどんな人間かと調べて 故郷を滅ぼされた過去を知った 私は犯罪者になる運命を前に冷めていっただけなのに この人は体から命そのものが漲っている

 気がつけば一挙一動を目で追っており 一つの結論に至る

 京香様は尊い

(略)

「そして私の能力にも変化が訪れた」

高遠なる大聖堂パンテオン

「虚無だった私の空間は 京香様への信仰の場となった」

   集英社刊(2023年初版発行 ジャンプコミックスDIGITAL)、タカヒロ(原作)&竹村洋平(漫画)『魔都精兵のスレイブ 14』kindle54%(位置No.206中112~118)、「第112話 ワルワラ・ピリペンコ」より(略は引用者による)(また、「笑顔も花のようで」はパフェを食べて笑顔を浮かべるコマであることも付記します)

 ……魔都からあらわれる醜鬼から日本をまもる魔防隊の七番組組長・京香をじしんの聖堂に奉り、主人公・優希が異能の代償とはいえ彼女へ不埒な「御褒美」へと奉仕させていることへの嫌悪を公言していた八番組組長ワルワラ・ピリペンコ。

 117話で彼女がその異能をバトルで展開したことにより、ついにその仔細が描写・説明されたのですが、

「異能が聖堂の創造で、誠実さを美徳の一つとして求められる聖堂のあるじであるがゆえ、敵にだって能力開示を……」

 という理屈で開示されていて、これは面白かった。「誠実」もふくめ能力上昇の要素は……

誠実」「勇敢」「優しさ」は美徳とされ それらを伴う行動派能力が上昇する

   ジャンププラス(2023年10月07日掲載)、『魔都精兵のスレイブ』117話

 ……前段112話にてワリワラがじしんの生い立ちと京香との関係を述べた回想のなかで「京香様の尊さ」として挙げられたもので、ここも非常に綺麗。

 

 

1010(火)

 ■ネット徘徊■

  高額海外文学が4割引きされてると何かの間違いじゃないかとビビる問題

 リチャード・パワーズーバーストーリー』のkindle電子書籍が38%ポイント還元中でビビりました。

 大きな額の還元セールを大規模な範囲でやる新潮社により出版された作品だからでしょうかね。

 いやzzz_zzzzも、新潮さんのセール時は文庫だけでなく新潮クレストブックスだって還元セール対象となるのは知ってたんですけど、まさかそのくくりにない5000円近い本まで対象とは!

フーコーの<性の歴史>シリーズも新潮なんでセール対象になっとる)

 検索かけた感じ、以前のセールでもポイント還元対象になっていたっぽいから適切な設定なんでしょうけど、デカい上に最近の本がこういう大きなセール対象になっていると「いいんだよね? 間違いじゃないんだよね?」とちょっと心配になりませんか。

 

(10/11追記;セール最終日だったらしく、いま再確認したらポイント付与おわってました……)

 

 ■読みもの■

  平成以降ならではの事故と救命、『Change!』執筆後ならではの人物像;曽田正人め組の大吾 救国のオレンジ』1~7巻読書メモ

 組の大吾 救国のオレンジ』を既刊7巻まで読みました。

〔マガポケは1話だけ無料公開ですが、コミックDAYSで1~2巻収録エピソードである6話まで無料公開中{ただでさえ同じ出版社?で配信サイト乱立して使い勝手わるいのに、足並みくらいちゃんとそろえてくれ~(乱立してるからこそ、足並みなんて揃いようがないのか……?)}

 kindle版も2巻無料公開中で、そちらは10/14までだから、DAYSもそのくらいで閉じられるんでしょうかね}

comic-days.com

 曽根氏の代表作の続編ですね。続編ですが主役たちは一新され、扱われる災害現場も一新。

 たとえばソーラーパネル設置家屋での救助とか、路面にぽっかり巨大な穴をあける地盤陥没下での救助とか、現代の社会に根差したもの/当世的なもので。

 そのオペレーションも、ソーラーパネル設置家屋なら……

「漏電の可能性があるので放水消火はできない」

「だからまず配電盤を目指し、漏電の危険を解決してから、救助にのぞむ」

 ……といった具合にそのシチュエーション独自のもの。非常におもしろいです。

 

 ストーリーについては曽田節といいますか、見栄も欲も嫉妬心も恨みもあるけれど理想や根性がそれを上回り、周囲も感化されていく人間賛歌。

 前作の主役たちと今作の主役たちは親戚でもない赤の他人なので、とくに前作を知らなくても読めますね。zzz_zzzzみたいに「Change! 和歌のお嬢様、ラップはじめました。』で本格的に曽根作品を知ったよ、おもしろ~!」というひとも読めます。*11

 というかむしろ、『Change!』から入ったひとのほうが『救国のオレンジ』により一層没入できたりするのではないかしら。まさかフリースタイルラップバトル漫画を連載していた(傑作!)過去こんなかたちでつながってくるとは……。

 

 

 ■ゲームのこと■読みもの■観たもの■建てもの■

  『AC6』から廃墟・異景欲を刺激される

 Armored Core Ⅵ』はとりあえず1ルートのエンディング迎えました。

 チャプター1ボスについて下方修正がくわわったアップデート後でも、チャプター1をクリアできるか否かが最難関なのは変わらない模様。(そこさえクリアできる操作能力ないし根気があれば、あとは時間をかければなんとかなる)

 それ以後もちがった方向でリトライのかさむミッション(面)はあり、そこはヘトヘトになったんですけど、一対一で対決するようなボス戦については終盤も救済措置的強武器が(その強武器に下方修正のくわわった更なるアップデート後も)優秀なんで、意外となんとかなりました。

 

***

 

 『AC6』は、巨大建築趣味/廃墟趣味を刺激される傑作で、廃墟関連の本を買い漁りました。

 一冊二冊くらいしか買えなかった昔はわからんかったですけど、取材対象もある種の定番があるんだな~と面白かったです。

{たとえばブルガリア・バズルジャにあるブルガリア旧共産党本部ホール

 こちらはトマ・ジョリオン『世界の美しい廃墟』所収<シレンシオ>一作(2010。作家HPに作品がたぶん全部載ってるの凄いなぁ)、佐藤健寿『世界の廃墟』(2015)、キーロン・コノリー『世界の廃墟図鑑』(2016)、ニコラス・ゲイハルタ『人類遺産』(2017)……と、とりあえず4つの本・映像で登場していて、大御所感がありますね(ついでに、2016年8月公開の映画『メカニック:ワールドミッション』でもロケ地の一つとなっているらしい)}

 ここまできたからにはもう、<奇界遺産>シリーズも手に入れようかな。

 

 どの舞台を取り、どう意匠を再現/アレンジし、どのような季節・天候で彩るか……というところで、各本各作の色が出るんだろうなと思うんですけど『AC6』はトマ・ジョリオン作品の静謐がお好きなかたはオススメしたい。

 ぞっとするくらい寒々とした広大さ・生物の息遣いが感じられない無味乾燥とした清浄さって、これまでのシリーズ作にもあったと思うんですよ。

 現行ハードのスペック/ソフトウェアの描きこみが、その清浄なまでの広大さに「(元々そうでなかったものが)こうなってしまった」経年の寂寥感であるとか、風化や退廃の崇高性であるとかを付与しております。

{しかもそこには、トマ・ジョリオン氏の写真一枚一枚がタイトル付きであるみたく、(劇中人物・コミュニティが見い出した)象徴性とか具象性とかも併せ書きされてもいる。

 もちろん、理解の及ばぬ、ただただ"在る"モノこそ至高という派閥もありましょう・

 でもぼくは、肉眼(プレイヤーの視点)じゃあ全容など到底うかがい知れない巨大物へ、なんらかの卑近な見立てをしてみせたりする存在がいたり、あるいは、矮小な人類が矮小であるがゆえに自らの理解のおよぶ範疇へなんとか落とし込もうとしたりって書き込み、かなり好きなんですよ}

 ただ、PS4以降のゲームでzzz_zzzzがおどろかされた「地形レベルで被破壊オブジェクト」はほぼ無いし、破壊可能オブジェクトの壊れかたは一辺倒で、そこはかとないミニチュア感があり。一定の天候・距離で一定の被写体を撮り続けてその「基本形」を見やる「(建造物の)タイポロジー」で有名なベッヒャー夫妻の一連の写真のような「近寄れなさ」も覚えます。

 

   ▼後発本ならではの写真と情報;トラビス・エルボラフ&マーティン・ブラウン『世界から忘れられた廃墟』

 また……

natgeo.nikkeibp.co.jp

 ……ナショナルジオグラフィック界から忘れられた廃墟』は、『AC6』製作が参考にできる時分の出版じゃないですけど、面白いのでこちらもオススメ。

 採用された写真・土地の情報などが充実しており、後発ゆえの強みを感じる本。

 

 たとえばタイ・バンコクニュー・ワールド・モールとはいかな廃墟であるか? その歴史的経緯を語った本は、すでにあるんです。{キーン・コノリー『[フォトミュージアム]世界の廃墟図鑑:産業科学・文化遺産(2016)}

 11階建ての構想が上7階ぶんにたいする建築基準法違反で閉鎖、4階までしかつくられなかったうえ、放火で屋根さえ失したモールと東南アジアの気候風土(モンスーン)とがかちあって人工池と化した……という退廃と。その意図せぬ溜め池から沸く蚊・ボウフラへの対策として、市民がコイやティラピアナマズを放流した……という更なる混沌とについて語った本は。

 でも、屋根無しモール跡にたまった濁り池の暗色から、鮮やかな白と黄色のお魚がウジャウジャ泳いで浮き出ているようすを大写しにした写真は、コノリー氏の先行本ではうかがえなかったんですよ。

(本作のえらいところとしてもうひとつ、「あまりにすごいので、"モールの水ぜんぶ抜く/魚獲る"が行なわれ、現在は改善された」と追跡調査がされ、見世物趣味で終わらせてないところも良いです)

 

   ▼動画ならではの蠢き;ニコラウス・ゲイハルター『人類遺産』

www.amazon.co.jp

 ニコラス・ゲイハルタ類遺産』も、アマゾンプライム会員特典でいま無料で観れるみたいなんで、一見の価値アリですね。

 ゲイハルター監督の過去作『いのちの食べかた』『眠れぬ夜の仕事図鑑』などとおなじくさまざまな舞台を同一構図や類似シチュでつなぐシンフォニックな作品で、しかも前2作とちがってお仕事風景じゃなくて廃墟が舞台なんで一等しずかであり、前2作がタルかったかたが観ていて楽しいものではありませんけど(笑)(ぼくは好きなんで、どれもビデオ持ってますが……)、写真じゃ分からない雑味があって良いです。

 

 ミエヴィルによるロンドン街歩きエッセイの感想を述べたさいちょっと触れたけど、ぼくにとっての廃墟って、地元の駅前の一等地にある(あった)ビルなんですよね。

 もうテナントは全部抜けたもぬけの殻となっているんだけど、ヤクザが土地所有者になってしまった(らしい)ためにスクラップビルドできずに立ち往生してしまって数年だか十数年だか。ある日そのビルの内階段を興味本位でのぼってみたら、上階の床が鳥の糞などが堆積して乾いていて、踏み入れたそばから真っ白い煙を巻き上げたこと。空気のザラつきとほのかな異臭に、すぐ気持ち悪くなってしまって退散してしまったこと……

 ……それがぼくにとっての廃墟なんですよ。

(たぶん東京五輪にともなうインフラ配備でもって入ったお金で、駅前開発がすすみ、その廃ビルもようやく成仏めされた)

 そういう雑味が、『人類遺産』にはぎっしり詰まっている。

 

 「ホルマリン漬けの瓶詰標本が並んだ部屋」が廃墟となったときどうなるか?

 とか、よく考えればなるほど確かにそうなんだけど、ぼくなんかはこうして現物を映像としてお出しされてはじめて「うぉぉ……」とおののきました。

(正解;容器のわずかな隙間から保存液が蒸発して、標本が水中から顔を出したり。なにかしらの要因によって容器が割れたりして、標本がたんなる"外気に放置された死体"となり、ハエの住みかとなる)

 

 

 ■ネット徘徊■

  ネットにおける廃墟、かと思いきや

 それはそれとして、廃墟写真家の草分け・丸田祥三さんにかんするウィキペディア記事。

TwitterはRTの強要や褒め称えるコメント以外の質問などは全て非表示にし、自分の気分が良くなる呟きだけを表示するという性格もある。

   日本語版ウィキペディア「丸田祥三」(2023年5月9日 (火) 05:06更新の現況版)

 なんかこの記事自体が、オタクたちが私見を書き連ねる昔のウィキペディアっぽくて良い!(よくない) メンテのされなくなった記事あるあるだな、記事の廃墟化といった趣だな、と思ったんですけど、じつは2022年6月更新分で突如として追加されて以後そのまま残ってしまっているものみたい。最新のオタクの活きのよい令和の怨念だった……。

 

 

 ■読みもの■建てもの■

  啝『廃墟幻想』巻頭言から、廃墟歩き文化にみられる妙な断絶を思う

 上では丸田氏について「廃墟写真家の草分け」と書いてしまったけど(でも小澤京子さんが言ってるんだから間違いなくね?)、21世紀はいってからの廃墟歩き・都市探索(Urban exploration)ブームと、80年代廃墟ブームとのあいだには、なんか微妙な断絶を挟んでるような感がありますね。

 啝墟幻想』(2022)は巻頭言で、「廃墟」について……

 日本で「廃墟」と言うと、1980年代の廃墟ブームに端を発する一部の好事家によるあまりお行儀の良くない奇特な趣味、という文脈で語られることが多いが、西洋美術史を遡れば、すでに18世紀にはいわゆる廃墟趣味が流行しており、フランスの画家ユベール・ロベールや版画家ピラネージらの作品を筆頭に、廃墟は絵画の主役の地位を確立していた。

   エムディエヌコーポレーション刊(2022年11月1日初版)、啝『廃墟幻想』kindle版3%(位置No.165中 5)

 ……こうまとめるんだけど、この微妙な距離感は、いくつかの本を並べてみると確かに実際ありそうなんスよね。

 

 東西ベルリンやイギリス、アメリカ、日本と世界各地の廃墟をおさめて回った宮本隆司築の黙示録』{1988年出版(86年個展)、木村伊兵衛写真賞受賞}の序文、建築家・磯崎新さんによる「廃墟論」では、WW2空襲のじしんの追想、ピラネージの時代のロマンチックな廃墟夢想、ナチスの都市景観構築のさいヒトラーを説き伏せたシュペーアの「廃墟価値の理論」、超望遠レンズが可能にしたニューヨークの墓石と摩天楼、学生運動時代の廃墟化していくキャンパス、都市ネットワークの複雑化による現代都市などなどがひっくるめて語られていましたし。

 あるいは錚々たる顔ぶれによる縦横無尽の廃墟論・谷川渥編墟大全』(1997・トレヴィル⇒2003・中公文庫)でももちろんピラネージが大きく扱われていたし、ユベール・ロベールも、タルコフスキーサクリファイス』終盤とカスパー・ダーヴィト・フリードリヒ『エルデナの廃墟』を重ねた滝本誠さんが、その弟子筋ソクーロフ『静かなる一頁』とロベール『廃墟となったルーヴル宮グランド・ギャラリーの想像図』を重ねて語っています(。また谷川氏の別著『廃墟の美学』でもロベールで一項たてられていたはずだ)

 同書所収の写真評論家・飯沢耕太郎さんによる「死せる視線――写真の廃墟解剖学」では、"1 廃墟への憧れ"・"2 戦争と廃墟"・"3 デッド・テック"・"4 死とエロス"・"5 廃墟への融合"の5章をとおして19世紀から現代まで写真登場以後の廃墟趣味についてが概観されていて。ビッソン兄弟のローマ廃墟写真やヴィクトリア女王陛下の旅行写真家ベッドフォードの中東紀行廃墟写真から始まったこの論考は、南北戦争やWW2ドレスデンの廃墟や――半減期(1995、東京都写真美術館の報道団・調査団により撮られた長崎の写真などの廃墟化した戦地群をながめたあと、宮本隆司築の黙示録』(1988)や雑賀雄二艦島 棄てられた島の風景―雑賀雄二写真集』(1988)やManfred HammDead Tech』(1983)に写された現代人工物が廃棄され朽ちて自然に帰っていくさまへの不思議な安らぎを巡り……と、人体と建造物とにみられる破壊へのオブセッション{小澤京子『都市の解剖学―建築/身体の剥離・斬首・腐爛 』(2011)にも通じる}などなどが端的なことばで語られており磯崎新さんの「廃墟論」と近い論調・史観だ)、この評論集においては80年代廃墟写真とロマン主義・ピクチャレスクって並べて語れるものなんですよ。

原書の副題「Three Cantos」そしてこれらをくくるシリーズ名<砂漠の詩編(Desert Cantos)>の「詩篇(Canto)」について写真家が、ダンテらの詩がそう称されることからならった、と巻末インタビューで答えているリチャード・ミズラック気の遺産』とか。

 いっぽう、

「はたして並べて語っていいものか?」

 という疑問もあり、『建築の黙示録』で明暗を少なからず利かせた写真を撮っていた(晴天下での撮影や。あるいは黒い影となった室内に、窓や扉からのぞく外が白飛びする室内ショットなど)宮本氏もまた、『KOBE 1995 After the Earthquake』では震災後の神戸を曇りがちな天候下でハイライトや影もやんわり出るなか写しており(室内ショットもなく、外観のみ)、新装版『Kobe 1995 : The Earthquake Revisited』の多木浩二(美術評論家・神戸出身)による序文「見えない都市」では「廃墟について今までロマン主義と結びつけて語ってきたけど、この神戸の模様はそうじゃねーわ」という比較がなされている。

(もっとも、タイトルの通り、「これはこれで"意味"を見てしまおうとする」というお話もされたりする)

 

 『核――半減期も、図録をじっさいに開いてみると、被爆者のケガや治療風景、検体として取り出された脳、後遺症をかかえたその後の暮らしなどが重点的にとらえられ、読んでいてツラい。「死せる視線――写真の廃墟解剖学」で取り上げられた写真も、図録の説明を読むと、原爆の直撃をうけてそうなったのでなく、そこいらの側溝が荼毘にふす火葬場としてつかわれた光景だということがわかり、非常に重たい気分になる

 

 いっぽう(「一部の好事家によるあまりお行儀の良くない奇特な趣味」の一例といえそうなシリーズである)栗原亨墟の歩き方 探索編』(2002)をひらいてみると、ちょっと距離がある。

 巻末の「廃墟関連情報」にて廃墟の出てくる映画・ドラマ・写真集が紹介されているんですけど、映画の項だと最古の作品は『ユー★ガッタ★チャンス(1985)となり(『鮫肌男と桃尻女』も85年と記されているが、実際には99年公開らしい)、『廃墟大全』で滝本誠さんが紹介したタルコフスキー監督作、ラース・フォン・トリアー監督レメント・オブ・クライム』1984リドリー・スコット監督ュエリスト』(1977)フィンチャーブン』などなどは総スルー。

 うえは日本の廃墟にかぎった結果だから百歩ゆずるとして、「じゃあ本(写真集)の項は?」とひらいてみます。

 すると、雑賀雄二『軍艦島 棄てられた島の風景―雑賀雄二写真集』が挙げられているものの「現在絶版」とだけ記され、刊行年の表記された最古の作品は柿田清英『崩れゆく記憶―端島炭鉱閉山18年目の記録』(1993)。そのほか『棄景 廃墟への旅』{1993(『廃墟の歩き方』だと一九九七となってる。1993年7月発売の目がすべった?)}丸田祥三さん、『廃墟遊戯』(1998)小林伸一郎さんがそれぞれ2冊ずつ本を紹介される、主役的立ち位置となっています。

 本の巻頭も、小林伸一郎さんの写真が「ゲスト寄稿!」て具合にフルカラー収録で大きく扱われていましたね。

(時系列順でもなければ五十音順でもなく、とりあえず小林氏の作品が最初に並ぶ目録がちょっと面白い)

 

 <廃墟の歩き方>同様「一部の好事家によるあまりお行儀の良くない奇特な趣味」だろう中田薫(構成)&中筋純(写真)墟本>シリーズも、あんまりそういう方向の話題はあんまり見られない。

 

 本の巻頭言としてフランソワーズ・プルーストベンヤミン論を引用するトマ・ジョリオンの本は別路線におもえて、『廃墟本4』で中筋氏と偶然出会ったさい「『廃墟チェルノブイリ』もってます」と話したりもしたそう。

 『建築の黙示録』も『Dead Tech』も並べて語れる黒沢永紀さんは、栗原氏や工場萌えブームの火付け役石井哲さんの連載もある『ワンダーJAPAN』で仕事をされ……と、なんか遠いんだか遠くないんだか。

 

 『世界の廃墟』も、編者の佐藤健寿さんご自身による、ピラネージとシュペーアそしてヴィリリオを並べて語るという序文がついているのですが、じゃあ磯崎「廃墟論」・谷川『廃墟大全』は話題にされるか? っていうと……。

 

 不思議な距離感だなぁと思う。

 じぶんの興味に合う本に出会う/網羅するのはなかなか大変ですね。

 

***

 

 個人的には、「廃墟」「廃墟探索」のたぐいを、美的・(忘却に抗う・埋もれた過去を掘り起こす)史的・(なんらかの時代精神からくる)文化的な観点からの「よいもの・よい行為(探求・探究などで言い表されるような)」の箱へ丸っときれいにおさめることへ抵抗感があり。

 ぼく自身は、下品で俗物きわまりない野次馬欲望・土足で踏みにじる(踏みにじれる)悪趣味なヨソモノ根性を絶対に持ち合わせており、ほかのひとはともかく、すくなくとも自分が前者のような態度をだけ取ることは欺瞞に思えてなりません。

(そのへんから<廃墟の歩き方><廃墟本>シリーズの「行儀の良くない」と言われるだろう態度もまた、「それはそれでひとつの行儀であって、立派でえらいのではないか」と思う)

 

   ▼武澤秀一『インド地底紀行』って廃墟/路上観察学趣味を満たされるよな

 そういえば武澤秀一ンド地底紀行』って、けっこう廃墟趣味/路上観察学趣味本だと思うんですけど、そこで話題にされることってあるんだろうか?

 『インド地底紀行』は、現地語でヴァーヴやバーオリーなどと呼ばれる、地下水の湧き出る地底まで掘り進めた階段空間「ステップウェル」を古今東西・有名無名さまざま巡る紀行本です。(以下、むかしの記事からコピペ)

 ここで特にわたしの興味を惹くのは地底のダブル・グリッド、つまり全体をダブル・ラインで均等に四分割するグリッドの図式である。今日の美意識に直接訴えかけるこのような現代的ともいえる抽象的パターンの発想がいったいどこから出てきたのだろうか。三~四世紀の人たちがきわめてシステマティックで合理的な幾何学図式をはたして先験的(ア・プリオリ)にもっていたのだろうか。それがオートマティックに適用されたとは考えにくい。ここにおける空間体験もさることながら、それ以上に、これをつくった人びとの脳の中の過程はどのようなものであったのか、そこにわたしの関心は集中する。

   丸善株式会社刊、武澤秀一著『インド地底紀行』p.68、「第1章 地底の光と霧――ジューナーガル」□地中のダブル・グリッドより

 紹介されるステップウェルは本当にいろいろあって、荒々しく掘られ「地下というよりは、すでに十分に地の底、地球の中という感覚である」*12ナーヴガーン・クーオ(2~4世紀)や、壁が「葉脈のように、あるいは老人の腕に浮き上がった血管、はたまた病んで痩せ細った胸板に浮き出た血管のようにも見え」*13る原初の階段井戸アディー・カディー・ヴァーヴ(11or15世紀)から、「ローマのパンテオンの天空孔を想起してしまう」*14整えられたダーダー・ハリー・ヴァーヴ(15世紀)、いまでは「荒れ果てて今にも崩落し、倒壊しそうなステップウェル、根と草叢に覆われてしまったステップウェル」*15、死したステップウェルにまで及びます。

 そうして紹介される死したステップウェルはいわゆる"侘び寂び"で飾れるような綺麗な死ばかりではなく、「何年か前に政府の役人たちが来てこの下にステップウェルの存在を確認したが、掘り返す資金がなくてそのままになっていると村の村長は力説する」*16だけの「ただの乾いた土の上に灌木が生い茂っているばかり」*17のものも視界におさめるところが好ましい。

 

1012(水)

 ■はてなブクマコメ■

  意外にむずかしい『呪術廻戦』の汗のかき方;『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』152話

shonenjumpplus.com

『呪術廻戦』的な汗のかき方が浸透どころかハンコ化してる!?{ここまでくると、ぼくにゃ怖い/不気味/分からない線になるな(血管の浮き出? フリーザ? 関節のシワ? みたいな)}

 

  蓮實重彦が生きてるうちにhoward hoax氏が取材できたらいいのにな

howardhoax.blog.fc2.com

蓮實の原点"限界体験"と大江"アレ"の共鳴,大江批判者/蓮實信者=渡部"黙説法(表象不可能性)"の断絶を述べ。渡部らを称賛し続ける老蓮實の党派政治性を,初の単著収録ロブ=グリエ対話でのゴマ擦り沈黙に見出す論考。凄い

 創元短編SF賞でいろいろ溜め込んでおられるhoward hoax氏の、久々のblog更新。

 東京創元社とのあれこれは、zzz_zzzzにはごくごく小規模な人で回してるプロパージャンル出版業界あるあるという感じに見え(『SFマガジン』も『ユリイカ』と並んで原稿料が安いみたいな話は読者にもあちらこちらで聞こえます)、人口や景気が上向きにならないことにはどうしようもないんじゃないか……と正直思ってしまうのですが、面倒にまきこまれたかたがそんな相手の懐事情を汲む必要はないし、是正されてくれればよいなとお祈りしてます。

 

 そのほか大層な煽り文句をしたけど割合ふつうな選考過程だったっぽいすばるクリティークへの批判とか出版業界とのあれやこれやと自身への揺るぎない自信がのっけから爆発している記事で、これだけいきなり読むと「具合のわるいかたの怪文書だ」とぎょっとするでしょうし、ファンであっても「ついに具合がわるくなってしまったか」と頭を抱えながら読むこととなり最後まですすむのは大変ですが、そこでなされる大江作品の検討はこれまでどおり面白いし、それらに対する蓮實渡部評の検討もまた面白いし、蓮實批判はクリティカルなものに思え、「なるほどhoax氏が出版業界とのあれやこれやへ不満を爆発させているのもそりゃ無理ないかぁ……」みたいな納得へ最後の最後にはたどりつけるという、ふしぎな記事でした。

 

 話題にしたことは記事内で大体ぜんぶ具体化されているので、howax氏はこれを正気で構築しているにちがいないんですけど、いやはや、すばるクリティークへ送ったカサヴェテス論からこのかた、どんどんと大変な方向に行っていて、素朴にこわい。

 

 

1017(月)

 ■はてなブクマコメ■

  『サークルフィッシュへようこそ』を作家の過去作『ケイジカ』『コマギレ』とつなげる

yanmaga.jp

オモコロ掲載『ケイジカ』https://omocoro.jp/kiji/344214/ (や同人『コマギレ』https://note.com/shoulder_k/n/n067298b78b86 )作者さんの新作。

 

 ■はてなブクマコメへの補足■

  Colaboの会計にかんする監査事務局の声を張る

www.kanaloco.jp

'23 1/4付の時事.com記事を挙げてる方がいるが,それについては3/3の報告が都監査事務局の最新かつ最終結論(不適切会計は一部あったが,そこを引いても委託費以上の支出が認められる)だと思う。https://colabo-official.net/seimei230306/

b.hatena.ne.jp

'23 10/16の別記事(神奈川新聞)で話題にしてるかたがいた。3/3付の報告が都監査事務局の最新かつ最終結論(不適切会計は一部あったが,そこを引いても委託費以上の支出が認められる)だと思う。https://colabo-official.net/seimei230306/

colabo-official.net

久々再読。「不適切会計は一部あったが,それ引いても委託費以上の支出が認められる」が都の報告で,不適切内訳はタイポや領収書様式の誤解を思わせる。個人情報提示拒否は『キモいおじさん』非視聴だとわかり辛そう

 情報更新の難しさを感じたブクマコメでした。

 ぼくもよく、どれがいつのことだったか、よくわからなくなる。𝕏の仕様変更でふと大昔のポストが浮上したりするから、なおさら混乱します。

 

   ▼のりこえねっと『シリーズキモいおじさん』第一回で批判されるのは行動のキモさ

b.hatena.ne.jp

第1回動画見るに年齢容姿関係ないが(数歳年上の元彼からの下着購入要望DMも一例)「性/権力ハラスメント(者)に対し,泣き寝入りや愛想笑いで流さず,断固NOを!」て自己改革も兼ねてて,難しいなと一KKOは思いましたわ。

 のりこえねっとリーズキモいおじさん』についてzzz_zzzzは正直第1回しか観てないし、仁藤氏についてもゴシップ以外はよく知らないので、その後/その他で定義・アクティビティに揺れがあるかどうか分からないんですけど……

youtu.be

 ……あの動画で言われる「キモい」「キモいおじさん」とは、Colaboの取材対象である十代の女性が直接体験した「性(的ないし権力的)ハラスメント行為」「先述行為をしてきた男性」を指していて、容姿や年齢・個人がひとりで楽しむ趣味の良し悪しにまつわるお話ではありません

 

 保護女性が告白するのは、バス車内で付きまとい・放尿をしたり白い液体をかけてきたりきたおっさんやら生活苦をエサに性行為を求めその行為を説明させるやら、家出少女へ水商売やホスト来店を誘う中年~20代のスカウト・呼び込みやらという第三者からの犯罪被害体験・性搾取への悪辣な勧誘経験もあれば。

 中学時代に付き合っていた年上の男性(当時大学生)が別れて以後「下着とか売ってくれたら買うよ」とDMを突然よこしてきたやら、児童相談所・一時保護施設のとある職員がケンカを治める名目で四つん這いにのしかかったり頭ヨシヨシしてきたり・「気分転換に散歩しよう」と誘われついていったら性経験などプライベートを詮索されたりしたやら、コンビニ利用の道中で警察官から職務質問をうけたさい「春で不審者・下半身露出者がいるので気をつけてね。べつにおれのは見なくていいから(笑)」と茶化されたやら、性虐待の通報したさい警察官から第三者のいる場で被害の証拠映像を確認され「わぁ~これはすごいね」など興奮ぎみに言われたやら……近しい人・信頼すべき機関からの裏切り・無理解・軽視などもあります。

 

 「シリーズきもいおじさん」は、語感が似てる「キモくて金のないオッサン」や「子供部屋おじさん」や「限界中年男性」やインターネットミームとしての「弱者男性」からイメージされるような萌え萌えオタク趣味のモテないオッサンじゃないんですよね。

 

 そちらの側のタイプのひとの自意識が乱されるのは唯一、JAなんすんの『ラブライブ!』とコラボした御当地みかん宣伝ポスターや……

www.tokyo-np.co.jp

 ……日本赤十字の『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボした献血ポスターが……

www.nhk.or.jp

 ……「環境セクハラ」として批判されるモーメントですけど、そこは本題じゃありません。

 1時間26分の動画のうちのたった5分・270[キモい]*18を超える事例のうちのわずか数[キモい]を占めるのみの小さな話題であります。

{ぼくの両ポスターについての見解は、

「自分は性的興奮をおぼえないし、作り手も扇情の意図はないだろうけど、不快な人がいるのはわかるし、公衆への宣伝ならたしかに変えたほうが良いだろう」

 というゆるいもの。Colaboによる都からの委託事業の申請・実績報告における会計の不備について、

タイプミスや領収書の様式ミスによる悪意なき失敗だろうけど、直したほうが良いだろう」

 と思う感覚がちかいところです)

 

    ▽煽情的な広告がアメリカの公衆から消えて13年くらい経つみたい(2010年が境っぽい)

 もっともzzz_zzzzには、ラブライブカンポスターや宇崎ちゃんポスターが、おなじ動画内で話題にされた被害体験と同じレベルのものは思えませんし、また、環境セクハラが是正されない日本の遅れぶりについて「日本も女性差別撤廃条約を1985年から批准してるのに」という旨の理屈は過度に辛辣だと思いますが、同時に「他国だともうやめてる広告が未だにあるのは確からしいですな……」とググって思いましたわ。

アメリカでは、ざっくり2010年ごろが境っぽい。

 引っ越し会社Dumbo Moving and Storageの広告が地下鉄から却下されたのが2015年のことで……

observer.com

 ……大規模展のプロモーションモデル(いわゆるキャンギャル)やドレスコードについて見直しが入ったのがその前後って感じみたい。

en.wikipedia.org

 大手ビデオゲーム展E3が「ブース美女(booth babe)」に関する批判を受け入れ禁止しようとしたのが2006年のこと。E3全体としてはけっきょく「やめるのをやめた」んですけど、メーカーがプロモモデルを起用することは圧倒的少数派となり、2019年もBangEnergyDrinkなど極々々々一部ブースで起用されてましたが、メディアでそれが話題にされるのは批判の文脈で、メディアで写真付きで取り上げるところは少ない。(2019年の「'11のE3激熱ブースTOP10」って記事が大手ゲームメディアIGNに載ったりしてましたが、こう表立って取り上げられることはなくなりました)

 

 ただ一方で、特定の主義主張のために煽情的とも見えるような広告が公衆に打たれる場合はあるみたい。レーンブライアント社の#I’mNoAngelキャンペーンによりアンダーウェア姿の女性たちが全面ラッピングされた電車が走ったり……

www.refinery29.com

www.instagram.com

www.instagram.com

 そしてタイムズスクエアの屋上広告のひとつをAerie社の「露出度の高いモノキニ(a skimpy monokini@NY Post)」姿が飾り……

nypost.com

 ……そのモデルIskra氏による、運行中のNY地下鉄電車内でのアンダーウェア姿への着替えアクティビティ『Stripped Down On A NYC Subway To Prove My Point』がおこなわれたのが翌2016年のこと。

www.youtube.com

 これらの広告を内容までほりさげていくと、前者も後者も旧来のモデル体型の若い美女とちがうさまざまな女性がそれぞれに合うプラスサイズ下着の広告なのだそう。

 つまり固定概念的な美感から脱却した個々人のプライド運動要素のつよいもので、その辺はイケる(それでも批判もある)らしい。

 

 

1018(火)

 ■身のもの■時候のこと■

  きてる気がする

 来てる気がしますね。

 ここのところ眠気の訪れがはやく、最大HPの回復してくれる日がくることを待ってじっと耐えてます。

 19時に夕ご飯をたべるとす~ぐ眠くなっちゃう。

 眠気におそわれない場合でも、目や頭がなんだか痛い日が少なくありません。痛くて何もしたくなかったり、動ける程度の痛みでも「休まなければならないのではないか?」という危機感がまさったりして、寝ることがゴールとして選ばれます。

 

 来てる気がしますね、秋が。

 食後ソファのそれなりに硬くそれなりに高い肘掛けで寝て、頭痛を――それも枕による物理的な痛みもあらたに――かかえながら22時過ぎにのそのそ起きて、24時にベッドへ入る。

 睡眠時間6時間あたりをスタンダードとして、3時間とかで活動できていたものが、ここさいきんは8時間~11時間くらい寝ざるを得ない。

 しかもそれだけ寝てもまだ目はしょぼしょぼするし、体もいたい。

 

 来てる気がしますね……人生の秋が……。

 

 

 ■ネット徘徊■

  「この層はアニメ漫画に金払える。上手い。」構文が一瞬はやる

 

 

1020(木)

 ■はてなブクマコメ■

  噂によれば『タイムラインの殺人者』は、パンク/サイバーパンク(運動)の見直しをするパンクのパンクSFらしい

funkenstein.hatenablog.com

音楽ファン的に嬉しい小説で,音楽ネタが小ネタでなく本筋に関わり,しかもパンク/サイバーパンクが消沈したり無視した領域も目についたりする今だからこそ書けるパンクのパンクSFだ,巻末解説も詳しい…て評でした。へ~!

 

 

1023(日)

 ■はてなブクマコメ■

  おれ世代のラノベSF作家の洋も、年上世代のラノベSF作家の弘も、下の世代にとっちゃ同じひろし

www.gamespark.jp

'14~新顔セレクトでありがたい。▼『SO』は選者が小5時発表。10:21現在未訂正の"桜坂弘"に「5歳差あると、俺の星も"俺が山本弘氏を入れてる箱(=上の世代の星)"に入るんだな」と面白かった("ちょい古い"が一番遠い則)

 

 

1027(木)

 ■はてなブクマコメ補足■

  頭のよい作家に共通する勘違い掛け合いのセンス、かと思ったら……;『宗教的プログラムの構造と解釈』とイーガン「クリスタルの夜」

shonenjumpplus.com

作者がイーガン読者だと知る。「ゼロがいくつ」は『クリスタルの夜』冒頭が源流なのかな。(今作では"わかる"人同士の小気味さ醸成へ) ガジェット面の補足掌編が後日描かれたhttps://twitter.com/miyukisum/status/1555525385537785857/

 教的プログラムの構造と解釈』の佐武原さんが𝕏をやられていることを知り、あれこれdigりました。

 グレッグ・イーガン「エキストラ」の日本初出は翻訳作品集成さんによればS-Fマガジン(S-F Magazine)1998/ 4 No.502』で、作武原氏の言う「さいきん」は、それが再録された2011年9月25日初版発行の日本オリジナル短編集『ランク・ダイヴ』だと見てよいでしょう。

 「エキストラ」は『プランク・ダイヴ』の上から二番目収録で、一番目はリスタルの夜」です。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 弊blogでもかこの記事で結構ながい紹介文を書いた作品でもあります。そこであつかわなかったんですけど、山岸真さんの邦訳版の冒頭の勘違い漫才がだいぶ知的で好きなんですよね。

ダニエルは声をかけた。「もし壊したら、それを引きとってもらうからね、きみが用立てられるといいんだが、百ドル札千枚……」

「つまり数十万ドル? 無理に決まって……」

「百ドル札千枚の束を数千個だよ」

 ジュリーの顔がまっ赤になった。「ええそうでしょうとも。二十万ドルだったら、だれだって一個は買えますものね」

   早川書房刊{2015年9月25日発行(12年2月15日二刷)ハヤカワ文庫SF}、グレッグ・イーガン著(山岸真訳・編)『プランク・ダイヴ』p.11~2、「クリスタルの夜」1

 単位まちがいで赤っ恥をかく、というものなんですが……

「so I hope you’ve got a few hundred spare(きみが数百 用立ててくれるといいんだが)

「A few hundred grand? Hardly.{数百[グランド=1,000ドル](=数十万ドル)? 無理}

「A few hundred million{数百[ミリオン=1,000,000](=数億ドル)}

 ……邦訳版だと100*1000を即座に行なえる人になってて面白いんですよね。

「いくら食い下がられたところでそういうのは間に合ってますしバイト代入ったら代金もお返ししますので」

「協力してくれたらもちろん謝礼も出すよ」

「これくらい?」右手がゼニ、左手が五本挙

「それゼロがいくつ付くかだけ聴いといていいですか?」

   ジャンププラス掲載(2021年06月16日UP)、佐武原『宗教的プログラムの構造と解釈』

 『宗教的プログラムの構造と解釈』冒頭では上のような掛け合いがあり、ヒロインの俗っぽさとウィットが感じられて面白く、読んだ当時は「頭よいひとは同じようなセンスをしているものだな」と感心したんですが、もしかしたらちょっとした目くばせなのかなぁと思い直したり。

 

 

1030(日)

 ■はてなブクマコメ補足■

  「バスったMeta Q3の目覚ましい数十秒のMixedRealityを、実際それ以上やってみると?」検証記事がよい

jp.ign.com

Quest3の発展部や𝕏でバズったMR利用について、「実際どうよ?」と検証・検討した記事。カメラ・画面の解像度の話だけでなく、視野や重さや継続利用性に注目されていて、興味深かったです。

 

   ▼ホロレンズを利用したトンネル補修工事;土木工学誌『JETI』掲載の鴻池組による論文の動画版をみた

 そういえばどういう使い方が実際あるのだろうなとググってみて……

www.youtube.com

2018年UP。『JETI』21年6月号掲載(鴻池組公式HPに高解像度版アリ)「MR 技術を活用したトンネル維持管理システムの開発」の実景動画版。

 ……ホロレンズをつかったトンネル保守点検動画があって、面白かったです。コメで言った論文はMR 技術を活用したトンネル維持管理システムの開発」ですね。

 

 

1031(月)

 ■はてなブクマコメ補足■

  CEDEC2023講演聴取記事がいろいろ出てきましたね

www.4gamer.net

パリィの許容Fを他社過去担作と比較し解説など。/予兆記号として振付の味付が話されるが、自分がプレイ時のストレス源の一「単発攻撃か連撃かを初見で読める味付けの有無は? 有リとして,どんな味付を?」は不言及。

 『FINAL FANTASY XVI』バトルディレクター鈴木良太氏のCEDEC2023講演聴取記事を読みました。

 もとはカプコンで『デビルメイクライ5』『ドラゴンズドグマ』などに関わっていた鈴木氏が、JRPGの二大巨頭『FF』ナンバリングシリーズ初となるアクションRPGをどのようにデザインしたか語られた講演です。

 攻撃の予兆となる振り付けが話題にされていたんですが、コメントのとおり、じぶんがプレイしていて一番むかついたモーション(の予兆のわからなさ具合)についてどのような工夫がされているのか(もしあるなら俺がニブちんだったということで反省しようと)気になったんですが、それについては言及されませんでした。

(『FFXVI』は、敵の攻撃を単発攻撃のつもりで対応したら連撃で、初撃をプレシジョン・ドッジしたあとカウンターを入れたつもりがクロスカウンターを食らうことが少なからずある。

 これと『FF』らしいっちゃらしい敵の堅さ、さらには実質的レベルキャップ・装備キャップ・回復アイテム個数制限システムと合わさって、アクション下手な人間にとって非常にウザかった)

 

   ▼そのほかCEDEC2023講演について

www.4gamer.net

 CEDEC2023の取材記事は各ゲームメディアであれこれ書かれていて、スクウェアエニックスは『FF16』関連だと上述講演にくわえ「FINAL FANTASY XVIにおける喚獣とキャラクターモデルの制作舞台裏」「FINAL FANTASY XVI:うちDEモーションキャプチャ」「FINAL FANTASY XVI事例で知るキャラクターグの仕事 そのイロハと魅力」、さらに「『タクティクスオウガ リボーン』のAI実装事例」の計5講演おこなわれたみたい。(ブースも含めると「VTuberに触れる,からっぽの口で咀嚼を楽しむ,自分で自分を抱きしめる……五感に訴えるインタラクティブ展示の数々」で紹介された「振動フォーリーの"録音"」など、さらにいろいろありそう)

 最後の講演は、『タクティクスオウガ リボーン』戦場のNPCの、ルールベースAI「ガンビット」+シミュレーションベースAI+コマンドスキル決定(ルールベースAI)から成る行動決定AIのうち、シミュレーションベースAIの各要素評価を説明したもの。

 本題じゃないんだけど、『FF12』からくるだろうガンビットという呼称にキュンときたり。

www.4gamer.net

 「プロトタイプは,ファイナルファンタジーXII同様にガンビットで戦闘するゲームだった」と云う21年の『DUNGEON ENCOUNTERS』といい、存在感がすごい。

www.4gamer.net

 「『ストリートファイター6』対戦を熱く盛り上げる自動実況機能の取り組み」も、評価関数による膨大な条件分岐から成っているようで、その調整は「とにかく人力、トライ&エラー」とのこと。えげつねえ。

 実装についてはそのほかオンラインゲームならではの苦労もふれられていたり。あるいはさらに、ただ日本のものを機械的に翻訳したんじゃ臨場感がでない御当地の実況・格ゲー用語のちがいについてとその取り込みについても話題にされていたりして、そこも興味ぶかかったです。

 

 スクエニのリモート作業をあつかった講演のほか、女性がもっと働きやすくなれるための「【男性にも知ってほしい】フェムテック×ゲーム業界」環境保護生物多様性のための「3Dデジタル生物標本:ゲームに生物多様性のリアリティを!」、時節柄な話題がいろいろあって興味ぶかい。

 

    ▽CygamesプログラマよりAIのほうがセリフから感情を読みとるのがうまい;脚本・音声データ⇔キャラ表情連動プログラム開発トライ&エラー

 大規模言語モデルや拡散モデルを紹介し、Googleスタンフォード大学によるプロジェクト『Generative Agents: Interactive Simulacra of Human Behavior』を実例として挙げた「AIはゲームをどのように変えるのか」NLPがゲームに導入されたらどんなことが出来るのか説いた「デジタルゲームのための自然言語処理(NLP) - ゲームの『ことば』のあそびかた」バンダイナムコCTOマーセロン・ジュリアン氏の「Impact of the AI era on Video Game Development/AI時代がビデオゲーム開発に与える影響」、生成AIアート史をふりかえった「オルタナティブな生成AIと創る未来 ? AIと人の共創による創造性の拡張」と、いろいろ大盛況ななか……

www.4gamer.net

 セリフを言語処理・音声解析し、その場そのときの感情の腑分けを自動化すべく試行錯誤し、プロダクト製作での実戦投入までこぎつけたCygamesエンジニアの立福寛さんのレポートがおもしろかった。

  1. BERTによる固有表現抽出⇒文章分類{1行→質問応答(抽出型/生成型)}=正解率66%
  2. 効果音分類(PANNs⇒SpeechBrain)=正解率63%
  3. 人間=正解率57%

 ……で、①が導入され③をサポートし、10%の作業効率UPとなったそうです。

 

 

※18禁の話題※

0903(月)

 ■はてなブクマコメの補足■

  「ポルノを読むわたし」に意識的なサブスク時代のポルノマンガ/イラスト集2例

togetter.com

 上のあかつばき氏のポストがバズってやいのやいの賑わっており、それについてはてなブックマークでコメントしました。

 今クールの「具体例挙げてワイワイしたほうがいい」運動①! まずは自分から変わっていかなきゃいけませんよね。

 

 とつぜん卒業アルバムがデリバリーヘルスの名簿化した! ……という最近の一ジャンルは、楓子(KAEdeLIC)アルデリヘル -卒業アルバムからクラスメイトを指名できる不思議なデリヘル->シリーズや、鏡(かれがれ)級生風俗>シリーズなどあれこれあり、情事にかかわらないことをしゃべらない作品でも、導入などからある種の後悔や反実仮想がにじむわけですが、とくに後者は同級生から見た当時がふりかえられたりと哀愁がつよめで読んでて面白いですね。

 

 なかでも、どじろー料少女』と、満開開花(満開全席)リバリーメイト』はそのへん面白いと思うんですよ。

 前者は、(卒アルではないですが)架空のfantia的サイトに課金した人(顔やバックグラウンドは描かれないひと)が、課金対象であるキャラとHできる設定の漫画で、現実にもfantiaでの連載作。

 後者は、ブタくいの蔑称でクラスの厄介ごとを押し付けられた主人公・二杭三郎が、傷心の逆恨みから作成中の卒業アルバムサイトをデリヘルサイトに改変し(ようとし)たところ、三郎の妄想が現実化した……というCGイラスト紙芝居集。

 今後の展開や催眠デリヘルメイト相手を、現実のサブスクリプション加入者が選択投票・発案できるという、プレイ・バイ・メール要素のある作品です。

 『有料少女』にくらべ見た目も性格も個があるわけですが、男体透明verの差分もあり、ある程度の無個性化が可能。

 満開開花さんは眠で家族がHなちゅーばー生活>(催●で家族がHなちゅーばー生活)シリーズや眠動画で生いき生主が生イキする生放送>(催●動画で生いき生主が生イキする生放送)シリーズでも同趣向のPBM要素を展開しており、題材的にはこれらのほうがより「らしい」かもしれません。

 

 

1003(火)

 ■はてなブクマコメの補足■

  単話売りポルノマンガとレディコミ・昼ドラ・トレンディドラマの接近

anond.hatelabo.jp

不意打ち希望者は1話毎売のレディコミ近縁種を漁ると良さげ。『幼馴染みに復讐マッサージ〜ヨガりまくって俺を求めろ』は「俺」の凄腕按摩より俺をイジメた現芸能人からの輪姦に恋人がヨガって連載期間1年進んだ

 今クールの「具体例挙げてワイワイしたほうがいい」運動②。三日坊主にならないといいな。

 単話ごとに売る電書マンガは、看板としては成人オタク男性向けポルノでもレディコミを主に読むかたがたもまた楽しめそうな内容となっていることが少なくない印象があります。

 じっさいコメで話題にした『幼馴染みに復讐マッサージ〜ヨガりまくって俺を求めろ』は、FANZA以外にもピッコマだかコミックシーモアだかでも販売しており、女性だろう読者の感想も付されています。

 そういった作品では、ヒロインを狙う第三者があらわれてアプローチをかけたり関係をもったりする――しかも複数あらわれる(!)昼ドラ的展開・泥沼展開をむかえていくことになります。

 

 中込眠姦で目覚めた時にはマジイキ寸前!?「お酒のせいでも…こんな男ので感じちゃうなんて!」』(連載中。現在22話)は、トレーニングジム通いの一般人の男がトレーニングジムのトレーナーでプロキックボクサーのヒロインの泥酔姿に遭遇、色々あって襲い、そこから紆余曲折ありながら恋人関係、ヒロイン家族からの見極めを受けたうえで正式に挨拶、結婚、家族に発展していくというもの。

 序盤の濡れ場もしばらくは無理矢理・なし崩し的なものですが、どれもがヒロインの「かわいい」表情変化を見て男もまた心境変化し行為をエスカレートしていくという「好きな気持ちが昂った結果の乱暴」という女性向けなもので……

 サイモンズと心理学者のキャスリン・サーモンは、共著『女だけが楽しむ「ポルノ」の秘密』で、次のように説明している。「男が夢見る『ポルノの世界』では、セックスが一番の目的であり、セックスによって肉体的な満足がもたらされる。この世界には、求婚もなければ、約束も、永続的な人間関係もない。ポルノ動画では、筋書きらしきものはほとんどなく、その代わりに性行為そのものをたっぷり描き、女性の肉体を見せること、とりわけ、表情や乳房、女性器をアップで写すことに重点が置かれている。女性が夢見る『ロマンス小説の世界』はまったく様相が異なる。ロマンス小説のヒロインが目指すものは、セックスそのものではない。ましてや、知らない人との感情を伴わないセックスなどではない。ロマンス小説には、恋物語を中心とした筋書きがあり、ヒロインがさまざまな障害を乗り越えて、お似合いの男性の心を射止め、最終的には結婚にいたる

   阪急コミュニケーションズ刊(2012年2月11日刊)、オギ・オーガス&サイ・ガダム著『性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し女は「男同士」に萌えるのか』kindle版28%(位置No.7009中 641)第1章より(太字強調は引用者による)

 探偵団の感情ソフトウェアは、主に脳の3つの領域を管理している。そのうち2つは「前帯状皮質」と「島皮質」で、どちらも、意識的な思考をつかさどる大脳皮質のなかに位置している。この2つの領域は、自分と他人の感情の評価に関与している。女性は、この2つの領域が男性よりもわずかに大きく、人と関わっている最中は、この2つの領域が男性よりも活性化する。女性が性的刺激となる情報を処理しているときは、前帯状皮質が反応して感情を抑制することが多い。女性の体が興奮しても、探偵団が性的興奮を抱かせたものを正確に評価するまで感情的に反応しないのは、一部はこの領域の働きによるものと考えられる。前帯状皮質と海馬は、感動的な木奥の保存と回復に関与し、どちらの領域も女性のほうが男性よりも大きく、活発に働く(*36)

 3つの領域の残りの1つは「偏桃体」で、無意識化の皮質下部に、左右で対になった形で位置している。女性は、左の偏桃体を使って感情を符号化し、男性は、右の偏桃体を使って感情を処理する。男性は、右の偏桃体と皮質の右半球を活性化させて、全体像やできごとの要点の記憶力を高める。女性は、左の偏桃体と皮質の左半球を活性化させて、些末的な詳細情報の記憶力を高める。おもしろいことに、男性がポルノを見ているときには、右の偏桃体が活性化するが、女性がポルノを見ても、活性化しないという。しかし女性は、エロチックな話を読んだり聞いたりしているときに、左の偏桃体が活性化するという。

(略)

36 Gizewski et al.(2006),Bartels & Zeki(2004),Van Overwalle(2009),Arnow et al.(2009),Bianchi-Demicheli & Ortigue(2007),Arrais et al.(2010),Rupp et al.(2009).女性は、黄体期排卵から次の月経までの期間)のあいだは、感情に関与する領域の活動が活発化する。黄体期の女性は、前帯状領域、島皮質の左側の領域、眼窩前頭皮質の左側の領域で、活動の活発化が見られる。

   『性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し女は「男同士」に萌えるのか』kindle版28%(位置No.7009中 1908)第4章より(略・太字強調は引用者による)

 ……導入の酔眠姦シーンもなかなかな状況設定に反し、前戯が長いし男の心境の揺れ動きもこまかく、顔をなでたり酒に弱いヒロインへさらに呑ませるためと言い訳してキスをしたりなど、男性向け・レイプ物とはぜんぜん違う描写や展開となります。

 そこから、主人公よりさらに無理矢理コトにおよぶプロボクサーがあらわれ彼我の違いが示されたり、12~13話では地位も実力もある知的なトレーナーでありヒロインの元カレとヒロインが同衾することになったり、14話では海外トレーナーからリンパ流されたりと面倒くさいことになっていきます。

 恋のさや当て役の3人ともそれぞれ違うタイプのイケメンで、ゲスなライバルでさえ乱暴がエスカレートするのは嫉妬心であったりヒロインをはさまず主人公の成長を促す私的なトレーナーとして再登場したり……と、悪一辺倒ではありません。

 醜男なのは疎遠な主人公の代償として彼と面影ある行きずりの男とヒロイン・サブヒロインが3Pをくらいなものでしょうか(15~16話)

 いっぽう主人公の相手はヒロイン(複数回)とサブヒロイン(1人1回)だけで、しかもかれのほうは性行為なくただトレーニングをしているだけの回もあります。

 『幼馴染みに復讐マッサージ』との相違点として、主人公もメインヒロインも最後の一線をこえるかどうかは双方の合意の有無がかかわってくるという線引きがあるところ。

 性行為相手の人数・決定権などをみると『酔眠姦で目覚めた時にはマジイキ寸前!?』はヒロインが複数のイケメンに様々なアプローチをかけられたり逆にじぶんから漁ってみたりする「逆ハーレム作品」という側面もあります。

 女性向けの雑誌や自己啓発本では、自分には性的魅力があると思えることが「ワンパワーメント(自信をつけること)」と表現されることが多い。ローラ・バーマンは、著書『本物の女のための本物のセックス(Real Sex for Real Women)(*9)』を、女性たちに自信をつけてもらうための本だと紹介している。そしてバーマンは、あなたが自信をつけるにはあなたのパートナーが、「あなたの体を大事にし、あなたに触れたいと望み、あなたとやりたい放題に激しいセックスをしたいと望む」必要があると記している。つまり女性は、自分が男のあけすけな性欲の対象になったとき、自身が持てるというわけだ。

   『性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し女は「男同士」に萌えるのか』kindle版39%(位置No.7009中 2697)第6章より(太字強調は引用者による)

 

 やっそん義之垢女子は憧れの先輩!?〜アソコがぬるぬるで挿入っちゃいそうなんですが!!』(『私の裏ガワ』)では、「気になっている裏垢女子はいったい誰なのか? 先輩なのでは? それとも……」主人公の思慕と欲望の矛先があこがれの先輩とおさななじみとで揺れうごく、男1:女2の三角/ハーレム関係が展開されますけど、おさななじみを脅しアプローチをかける第二の男があらわれ、四角関係/男女カップル2組の恋愛ドラマとなります。

 同著収録の短編酔トライアングル」は、ヒロイン・八木の愚痴に付き合い泥酔した彼女を自宅へ送り届けた会社仲間の男2人のうち、ブリーチの陽キャ下山がヒロインにキスをし胸を弄りはじめたので、彼女のスーツをクローゼットにかけるなど世話中だった黒髪メガネの陰キャ・木下が挙動不審になっていたところ、

「おい下山しっかり見てやれよ! そんで八木に教えてやれよ! このマ●コに誓って言え!」

「マ●コに!?」

「俺はおっぱいに誓った だからお前はマ●コだ! それとも八木が会社辞めても良いの?」

「嫌です!」

 と女1:男2の3Pが始まる……という職場内ラブコメ

 

※18禁の話題おわり※

 

 

 

*1:『喧嘩稼業』5巻kindle版60%(No.196中118)、36話「裏稼業照覧」より。

*2:『魔の眼に魅されて』p.215を参考にしました。

*3:『魔の眼に魅されて』p.215~6を参考にしました。

*4:「剣道成寺」五

*5:「生死一眼」二

*6:「西国第三番札所」三

*7:「生死一眼」三

*8:筑摩書房刊{2016年11月25日、ちくまe文庫(底本は216年8月ちくま文庫)}、山田風太郎『風山房風呂焚き唄』kindle60%(位置No.3244中 1909~)、「Ⅲ 読書ノート」、読書日記より(略は引用者による)

*9:ヨミコが敵と銃を突きつけ合う舞台は電車のなかなのですが、5巻39話『降りちゃダメだ』では、劇中の転花・霊花で回る社会が「電車」にたとえられます。

トーシロー

「…貧困街で…ひどいものをたくさん見たんだ…

 建物から血が染み出してるような… 不幸と狂気に覆われた場所だった。

 アキラは…あのひどい光景は…少人数を犠牲にして大勢を生かす…転花制度そのものだって…

 でも俺は…そんな大義なんてなくて ただ必死にしがみつくのに精一杯で…

 誰かが不幸になるのをわかってても…電車から降りられないんだ。

 ヨミコは…大義を感じる?」

ヨミコ

「私も…ずっと知らないフリして電車に乗ってた。」

   小学館刊(ビッグ コミックス、2023年4月20日第2刷)、安田佳澄『フールナイト』5巻34~36%(位置No.201中 71~74)、39話『降りちゃダメだ』

*10:ちなみに各作の評価はTENET』は、自作のネームを読まれたとき「面白い・面白くない」以前に「わからない」と言われるのが一番ツラいけど『TENET』もそんな感じだった、『インターステラー』は最初から「わかる」し泣けて「こんなに面白かったんか!」となった。『ダンケルク』は観てるけど、『メメント』『インセプション』は観ていない……みたいな感じらしい。

*11:厳密には、『昴』は第一部は読んだ、『シャカリキ!』も分厚い文庫本を2巻くらいまで読んだ……ってかんじです。

*12:『インド地底紀行』p.62

*13:『インド地底紀行』p.63

*14:『インド地底紀行』p.74

*15:『インド地底紀行』p.93

*16:『インド地底紀行』p.97

*17:『インド地底紀行』p.96

*18:動画内で紹介される体験談・事例がどれだけ問題だったかを示す独自単位。『トリビアの泉』の[へぇ~]、『深イイ話』の[深イイ⇔うぅーん…]レバーみたいなものと思っていただいて大体さしつかえない。