すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2023/05/01~08/31

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 以下、日記です(9万2千字くらい)

 大作ゲームを3作だいたい250時間くらいやりましたが、それらは別個のプレイ日記に移しちゃいました。

 はてなブックマークコメントを補足するために更新するようになったクールで、それがゲーム日記を超える文字数なのヒドいですね。レスバ体質すぎる。

 

 ※話題にしたものごとへのネタバレがあります。ご注意ください※

この時期にやったゲーム

 0512~0622(150時間+α)

 Trueエンド+ファストトラベルポイント・井戸・洞窟全踏破まで

zzz-zzzz.hatenablog.com

 

 0613~0712(75時間)

 ストーリークリアまで

zzz-zzzz.hatenablog.com

 

 0717~0821(50時間くらい)

 Lv.1~13まで。(中断。クリアまで行きたい意思は大いにある)

zzz-zzzz.hatenablog.com

 

0502(火)

 ■身のもの■

  太陽の指

 ディエーニンの話は、早口の上に難しい言い回しを含むので、ときどきよく分からなくなってしまう。どうやら悪い意味で言ったのではないようだけれど――

「うむ、それは古い修辞的表現で『たいへんに輝かしい』という意味だ」

 ディエーニンはまっすぐ頭上を――車の天蓋を指した。

「"太陽"とは雲層の上に存在する天然の光源であり、昼夜を分かつものである」

「はあ」

"雲層の上"と言われても、オーリャには――大多数のミール市民と同様――"あの世"という程度の意味にしか聞こえない。昼と夜とはうすぼんやりとした明るさのちがいでしかなく、また、窓の外では、雪雲はますます厚みを増している。

「それはまた、なにやらたいそうな……神様みたいなものですか」

  KADOKAWA刊(富士見L文庫平成26年7月20日発行)、古橋秀之冬の巨人kindle27%(位置No.2098中 58)、「序章」

 厚い雲におおわれた常冬の世界を歩く巨人の肩のうえで暮らす少年オーリャの物語の巨人』古橋秀之で、オーリャは巨人の体のあちらこちらを歩いているうちに、いくつかの特別な光と出会う。その光は少年にとって、まばゆく、あたたかく、そして……

 その半透明のガラス張りの小屋の内部は、"天球(ニェーバ)"の中にあってさらに暖かく、むせるような薔薇の香りがした。専用の電灯が、肌に光の圧力を感じるほどに、煌々と輝いている。

「お父様の薔薇園よ。たまのお休みの日は、一日中お花のお世話をしているの」

「へえ……」

(略)

「ここ、あたしのお気に入りの場所なの」

  冬の巨人kindle27%(位置No.2098中 551)、「第一章」

 夢の中に、入り掛けていたのだろうか。

 暖炉の炎にも似た光がオーリャの頬を包み、なにか暖かいものが額に触れた。

「……え?」

  冬の巨人kindle52%(位置No.2098中 1060)、「第二章」

 ……肌を圧し、触れる、物質的な存在であった。そんな表現を読んで以後、折をみては「なるほどたしかにそうだなぁ」と納得し感心する便利な人生をおくっているのですが、きょうはまさにそんな日です。

 

 陽光がこちらの肌を楽しげにつついてくれる朝だ。

 

 洗濯物を外で干したら良いにおいをかもしそうな*1、日向ぼっこしたらとても気持ちいいような陽気になってきました。

 町では午前中から子供たちのはしゃぐ声が聞こえ、「ゴールデンウィーク*2」と、というか「いろいろなことが数年前にもどってきてるんだなぁ」と思う。

 

 「日記」とは言いつつも、そうしてトピックとして取り上げるのはだいたい摂取したものごとか、(ひとさま的に面白くなかろうが自堕落な人間なので口が閉じられない)blog停滞報告か、(ひとさま的に面白くなかろうがとりあえず自分が記録に残したい)根本的な体調不良についてという、自室パソコンデスクに座って手のとどく範囲のことしか書いていない。そんな弊blogでこういうスケールの話をするのはたいへん珍しいですな。(いや「きょうはめっちゃいい天気ですね」と言う相手はblogのそとにもいないんですけど)

 いろんな意味で日常回ってかんじだ。

 「日常回」なのに立ち位置としては(たとえば「取り返しのつかない転換点(ポイント・オブ・ノーリターン)」がほぼ絶対に盛り込まれるハリウッド三幕劇式作品などはもちろん、いちおうこのblogもそうなように少なからずエンタメ性を意識しているコンテンツにおいて)異常な珍事なの、ちょっとおもしろいですね。

 

 

0503(水)

 ■身の回りのもの■

  はこをいれまちかえることは

 箱を入れまちがえる言葉ってありますよね。

 たとえば弊blogでは、いくらか前から「因る」が排除される傾向にあります。それは書いた当人がじぶんの文章を読み返したとき別の字と見間違えて解釈に困り果てた過去に因ります。

 「十分」よりも「充分」「10分」がよく起用されますし、「おこなった」を漢字で書くときは「行なった」にしがち(「いった」との誤解をふせぐ)

 できるかぎり漢字はひらきたいけど、「て・に・は・の・へ・が」「こと・ごと」「なに」「もの」あたりが含まれることのはもひらがなにしてしまうとなにがなんだかことごとくわからなくなるふみになりはてる。

 

 うえとは似て非なる理由ですが、「ナイーヴ(繊細で傷つきやすい? or鈍感・無神経?)」とか、「気が置けない(原義が直感的にでてこない。"遠慮がいらない"とか"気心知れた"とかで良い)」とかも使いたくない。

 「難易度が高い/低い」は、「高いと難しいのか易しいのかどっちなの」と難色をしめされているかたがいて「なるほどたしかに……!」と思ったので辞めています。

{「難易度は"ふつう"でプレイ」みたく具体的に言うか、あるいは「難易度設定がちょうどよい」みたいなかんじで「よい湯加減」「(辛すぎもせず、薄味でもなく)ちょうどよい塩梅」的な調整面での巧拙にふれる際に用いるか……の2通りの使い方以外はたぶん排除した}

 といったところまでは他愛もない例ですが……

 あなたの目の前に二つのボタンがあって、画面にポジティブな言葉(「喜び」「愛」「幸福」など)が表示されたときは右のボタン、ネガティブな言葉(「恐ろしい」「意地悪」「失敗」など)が見えたら左のボタンを押すように言われたとしよう。とても簡単だ。次に課題が少し変わる。太りすぎの人の写真が見えたら右のボタン、やせた人の写真が見えたら左のボタンを押す。これまた簡単だ。しかし次の課題では条件がペアになる。つまり、ポジティブな言葉または太ったひとが見えたら右のボタンを押し、ネガティブな言葉またはやせた人が見えたら左のボタンを押すように言われる。別の実験では、組み合わせを入れ替えて同じことを行なう――つまりネガティブな言葉または太った人が見えたら右のボタンを押す。

 結果はやっかいかもしれない。被疑者の反応時間はペアが無意識のうちに強く結びついている場合のほうが速い(8)。

  早川書房刊(ハヤカワ文庫NF、2016年9月15日電子書籍版発行)、デイヴィッド・イーグルマン(大田直子訳)『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』kindle22%(位置No.5296中 1100)、「第3章 脳と心の隙間に注意」より、Greenwald&McGhee&Schewartzの『Measuring individual differences』の紹介(ただし傍点部は太字で代用した)

 ……あるものについて箱を入れまちがえることは、はたして入れようとした「もの」の問題なのか? 入れ間違えたその「ひと」自体の問題なのではないか? デイヴィッド・イーグルマン氏は自著なたの知らない脳 意識は傍観者である』で、ひとびとの価値観を(表に出しづらい差別意識さえ!)あばくシャレにならない実験を紹介しました。

 

 とあるSF作家さんのツイートがながれてきたことで、そんな知見を思い出しちゃいました。

 「リスキリング」でこういう現象がおこる{対戦ゲーム用語である「リスポーンキル」(=復活地点狩り)と間違える}のは、さすがにちょっと自分の人生をかえりみたほうがよいか? とちょっと悩んじゃう一日でした。

 

 

0505(金)

 ■読みもの■はてブクマコメの補足■

  福島鉄平『放課後ひみつクラブ』「その15」の読みやすさのひみつ
[その15]放課後ひみつクラブ - 福島鉄平 | 少年ジャンプ+

今更ながら1コマ内にこれ程フキダシあっても発話者・読む順番迷わんのすごい。p.11の第一コマの俯瞰と二コマ目の会話群を、「C」字の順に読ませる畳の枠線と部屋外の暗闇、主役2人の立ち位置の入れ替えとか。

2023/05/02 15:29

b.hatena.ne.jp

 これについて、しょうらい無料公開期間がすぎたあと、文章だけを読みかえしたら自分でも意味が分からんくなると思った。ので、もうちょっと具体化してみます。

 zzz_zzzzのはてなブックマークコメントは、以下に張ったページについて……

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「これがスラスラ読めてしまうのって、だいぶ凄くない?」

 というお話なのでした。

 

 第1コマの俯瞰ショットと、第二コマ相当である金髪少女・蟻ヶ崎さんと猫田くんのバストアップは、ページ上の位置関係(左側に蟻ヶ崎さん・右側に猫田くん)が一貫しているので、読んでいて違和感がない。

 違和感ないけれど、よくよく考えると、第1コマはかれらを後ろから撮った図であり、第2コマめは前から撮った図なので、劇中現実の立ち位置は1コマと2コマとで両者が左右入れ替わってることになる。*3

 

 また、フキダシの並びもなかなかすごい。

 第2コマ相当である蟻ヶ崎さんと猫田くんの会話はみなさん、左端にある蟻ヶ崎さんのフキダシ①「アタシはビッグ・モー二人とデコ女をヤルわ」を読み、次にそれと繋がる右隣・下の蟻ヶ崎さんのフキダシ②「残りを猫田くんが」を読み、三番目にさらには右にある猫田くんのセリフ「暴力はよくない」を読まれたかと思う。

 オデコがすてきな菊子様のセリフ「だらしない」を読むと、それとかさなるかたちで頭が配された蟻ヶ崎さんの大きな顔へ自然と注目がいってしまい、そして蟻ヶ崎さんの顔にかぶさるように配された彼女のフキダシ①「アタシはビッグ・モー二人とデコ女をヤルわ」へとこれまた自然と視線がながれていくからだ。

 つづくフキダシ②「残りを猫田くんが」まで読むと、"蟻ヶ崎さんの顔のむき・右手指先のむき、第1コマの壁ぶち抜き俯瞰ショットの部屋と壁の暗闇との境界線"のどれもが、右斜め下へ走っているところも目に入るはずだ。そのナナメ線にひきよせられていくと、そのさきには、後景の猫田くんの顔とかれのセリフ「暴力はよくない」がある……

 ……視線誘導が利いたレイアウトだ、まぁこう読めてしまうよね。

 読めてしまうのは、でも、大分おかしいことなのではないか。

 そもそも漫画のコマ・フキダシを読むオーソドックスな規則は、右端から左へ読み進め、左端まできたら一段下の右端へ降りてまた左端まで読んでいき……という「Z」の鏡文字を段の数だけ連ねていくようにジグザグと読んでいくのが基本ではなかったか?

 蟻ヶ崎さんのセリフが上、猫田くんのセリフが下という上下関係はあるものの、たとえばこれが普通の長方形のコマだったら、こうは読めないはずである。

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 といったわけで、第1,2コマを明確に分離し、劇中現実内でのふたりの立ち位置に一貫性をもたせた改変ページをつくってみた。*4

 

 キャラ等についてオリジナルの雰囲気を可能なかぎり崩さないようには努めたが、(左右反転・入れ替え)コピペしたわけじゃないので、厳密な比較ではない。そこはご了承ください。

{なんで? 理由は2点。

 ①第2コマの蟻ヶ崎さんの目線は、漫画世界内でのもっともらしさを求めるなら、オリジナルのようにうつむき加減であるよりも、巨漢を見上げるような視線であるほうがただしいと思ったので。

 ②弊blogは感想・お絵描きblogであり、絵の勉強がしたかったから

 混乱なく読めるけど、ジグザグと眼球運動の距離は増え、オリジナルにあった流れるようなスピード感は失われてしまった。

{とくに2コマ目から3コマ目がひどい。オリジナルの「暴力はよくない」から間髪いれずに「かくご!!!」がくる面白さが消えてしまっている。

(あと、2コマ目の蟻ヶ崎さんのセリフを読んだ時点で、3コマ目の「かくご!!!」がどうしても目に入るのもよくない)

 このページ全体で"2"の鏡文字をえがくようなフキダシ配置は、たとえば「その14 メタバースのヒミツ」p.3などでもうかがえる。

  • 最上段の1コマ目は右から左へ読ませ。
  • 中央の2コマ目では、左半分にフキダシやメインの被写体を置いて、1コマ目を読み終えた読者がそのまま視点を下へさげるだけで読める(右半分は手書き文字の想像などにして、ふんわり読み流せる)ようにし、そうして視線を下ろしたさきでは、最下段のコマの始点(ページ右下)へ誘導するような俯き顔ないしフキダシが置かれ。
  • 最下段の3コマ目ではまた右から左へ読みすすませる。

 『放課後ひみつクラブ』はとかく優雅なマンガだ。

 もちろんそう感じる要因はだいいちに絵柄やセリフ回し、ストーリー展開によるものだろう。

 でも実はこの辺の、生理的に気持ちよいコマ・フキダシ・キャラ背景の配置にこそ、今作が魅力的である重要なひみつがかくされているんじゃないだろうか。

 

 

0508(月)

 ■ネット徘徊■

  「推奨年齢6歳以下かな。」が余計な一言だった?;柳下毅一郎氏による映画『マリオ』評

 特殊翻訳家で批評家である柳下毅一郎氏による映画『マリオ』評がちまたで燃えていて、その直撮りがほうぼうから流れてくるので受動喫煙してしまいました。

 ティーン時代に、バラードや『フロム・ヘル』や『バットマンDKR』を読み、『本の雑誌』等連載の奇書紹介を楽しく読み*5、『映画批評家緊張日記』をちょこちょこ覗いて過ごしたボンクラおたくとしては、「これだけ燃えてるということは、いったいどれだけの罵倒芸が……」と楽しみにしていたのですが(笑)……

 ……拍子抜けしたというのが正直な気持ち。

 

 「0点(星ゼロ)」じゃなくて「星なし」。つまり「自分向けの作品じゃないので、評価自体をいたしません」という"不"採点結果が、なぜこうも燃えたのか?

 さすがにこれで炎上したのは不幸だなぁと思います。

 

 ツイートをちらっと眺めてみるに、レビュー末部の「推奨年齢は6歳以下かな。」が余計だったみたいなんですけど……

 でも、目くじら立てるものでもないじゃないですか。だってあの転載されたクロスレビューで読める範囲だと、柳下氏は7歳くらいの小学生なんだなってほほえましく読めるじゃないですか。

 

  きいちろう君(7)が宿題で書かされた感想文をメディアに載せるんじゃない;柳下毅一郎氏による映画『TAR』評

 『マリオ』評のとなりの『TAR/ター』評「星はケイト様に全部」を見てみましょう。

 この短評はすごくって、全長110字程度のなかでケイト・ブランシェット」の11文字が3度登場、約3割33字が費やされています。できのわるい小学生の読書感想文でももうちょっとマシな字数稼ぎをするよ~!

 33字って大きいですよ。

「ケイト様主演作は毎度こう」と思っていても、なお圧倒される大芝居。(33字)

 てな具合に柳下氏が『TAR』について言った情報ぜんぶ収められるくらいには大きい

 のこりの77字で、ケイト様の演技がいかにすごいか具体化するのがプロの興行師だとぼくは思うんですけど、前述の通りまぁそうなってないのは「封切映画の星取表なんて"何某というレビュアーがいくつ星をつけたか"という結果が大事なのであって、内容なんて誰も読まない」ということなのかもしれません。

(『映画芸術』のベスト&ワーストの採点について、党派性/評のあやしさの根拠としてレビュアーの肩書「会社員」「派遣社員」「ゴールデン街鳥立ち店主」 「築地魚河岸の帳場さん」を挙げつらねていったのは、他ならぬ柳下さんだったな……)

 

 しっかし柳下氏のこれらの評の歯切れの悪さは、いったい何なんでしょうかね?

 氏の本領が発揮されるのは、もっと批評的なりあるいは講談調なりで文筆を尽くせる長尺のスペースであって、1ツイートにも満たないクロスレビュー欄はあまりにも狭すぎたということなのか?

(ぼくとしてはこちらだと思いたいけど、「もっと大きな紙幅を!」というのは読み手側の欲で、「え、"書き手は楽に稼げる仕事はしちゃいけない"ってzzz_zzzzは言いたいってこと?」みたいなお話にもなり……)

 それとも『映画秘宝』のあのマッチョな不祥事をうけて、牙を丸めざるを得なかったのか?

 詳しいかたのお話をお聞きしたいところですが、ちょっと寂しくなっちゃったな。

 ぼくは故郷から出たことない人間だからまだ知らない感覚なんですけど、ひさしぶりに里帰りしたら親父がやけに小さく見えるみたいな感傷ってこれですか。

 良し悪しは別として――あの一件について反省すべきこと、ぼくじしん同じ間違いをしでかさないよう気をつけなきゃいけないことはいっぱいある――、ひとつの時代が終わっちゃったんだな、本当に。みたいな実感が、こんなところでようやっと湧いてきました。

 

 

0509(火)

 ■blogのこと■

  blog開設5年目に突入

 せんじつ初投稿の記事をみてみたら2019年5月9日アップでした。つまり弊blogもきょうで5年目に突入というわけですね。

 きのうは「4年目最後の話題/最新の記事があんなとげとげしい内容になるのか……」と思いながらポチポチしました。

 いったいこのblogはどうなってしまうんだ。

 ますます目が離せないblogとしてこれからも頑張っていこうと思います。

 

 ■身のもの■

  しかし昨日のぼくの日記、

 ひとさまのblogやら何やらを読むとたまに「何某というかたがこれこれこういう風に話題にしていたからあれこれそういうことをした」という経緯説明をしているものがあって、

「これはえらいことであるなぁ」

 とぼくはそのたびに感心しておりまして。

 んで、このblogでもそれをマネしてですね、自分の言おうとしていることが他人様の力によるのであれば、そのへんをなるたけ触れるようにしているんですけど。*6

 

 他方で昨日のように、じぶんの人格形成の一部をなしていると思うしふつうに今でも尊敬しているひとについて話題にするとき――それも、なんか「これについては、そこまででもないな?」というごくごく一部の仕事について話題にするとき――、それまでスルーしてきた「興味深いけど、ここはなんか引っかかるところあるな?」というポイントを浚ってきてまで、ゴニャゴニャ言い始めるのはどうだろうな……? なんか怖くね。

いや、全肯定/全否定しかダメ、ってのも怖いことですが

 

 これらはなんか、おなじコインの裏表ってかんじがしますね。うまくまとまらないけど。

 

 

0511(木)

 ■お絵かきのこと■はてなブコメ補足■

  『3次元の女の子をそのままトレースしても2次元キャラのようにならないのはなぜ?イラスト講師の解説がわかりやすい』興味ぶかかった

b.hatena.ne.jp

 今回の記事で言いたいこと;

・誤解をまねきかねない部分はあるかもしれないけど、お絵かき中の下クラス{被写体をその通りに描く能力はそれなりについてきた(けどデフォルメはうまくいかない)ひと=つまりチョイ前のぼく(いまのぼくは中の中にはなってると思う!)にとってふつうに良い記事

・実写と漫画絵とにあるデザインの違い(頭身がちがうとか、頭蓋骨からして違うとか、アニメ美男美女体形とか、そういうあれ)のお話しはあるけど、べつにそこは一番の論点じゃない。

「実物(≒写真)をトレス線画にするとまったく別物になってしまうけど、何がそれらを分けてるのか? そのポイントが実は"一見デザインが違う"だけに思える漫画絵があのようになっている一因だったりもするんだよ」というお話。

 

 本文;

 ①

 写実的な絵柄でかわいい人を描こうとするも上手く描けず、どうやればいいのか困って佐々木希さんなど「まるでアニメの世界から抜け出してきたかのようなパッチリ眉目秀麗なかた」をそのままトレスして勉強しようとするも、正確になぞったのになぜかアニメ版『惡の華』や古塔つみ偽自画像になってしまい、いったいどうすればいいのか、なおさらワケが分からなくなってしまった……とか。

 ②

 あるいは、写真を参考に漫画的キャラを描こうとするも、すごく頑張っているのに、なんか実写の人間が縁日のお面をかぶってるだけみたいな違和感があるものとなってしまった。そこまでひどくなくても、なんか野暮ったくなってしまった……とか。

 そういう経験(①②)をしたことのあるお絵描き独学者にとって、解決の糸口になるようなとぅぎゃ記事でした。

 

 要するに、

漫画的デフォルメキャラは、もちろん(たとえば頭身とか、猫っぽい頭蓋とか、「漫画キャラのDカップは現実においてはその倍くらいのカップ数だ」とかみたいな)②骨格・肉体改造レベルでデザインし直してる部分もあるけれど、それだけじゃなくって、①立体像を平面のメディアへ・情報のすくない絵柄で描くさいの違いを加味してデフォルメしている部分もある。

{①’じっさい実物と対面したなら、ピントが合わなかったり等して"別の面"だと認識される部分も、写真で見ると"同じ面"と誤認しがちであり、それを階調のすくない絵柄でなぞるとなおさら"同じ面"として捉えられてしまう。キャラのデフォルメは、輪郭線を写真よりえぐったりなどの"面の差別化"をすることによって、立体像を見るさいにおこなっているピント処理二次元平面の実線でやろうとした結果だったりする場合もある。

(こういう方向性のデフォルメで他例をあげれば、写実性をめざすデッサンで、立方体を描くさい各面を直線でタッチを加えていくとそれぞれの面が"まっすぐ平らか"に見える、けど。じつは立方体のうちより前方にある面がある/奥側にある面があるのであれば、明暗を気持ち強めに入れたり、面の向かう流れとはべつの向きの線を入れたりすると、より立体的に見えたりする。

 球を描くさいその3Dポリゴンモデルを描くみたく"丸さ"の補足となるタッチを加えると"丸く"見える、けど。じつは、球の表面が方眼だったものならそのような線は描かれないような、※もっとグルンと回り込むようなタッチを加えるとより"丸く"見えたりする)}

 というようなことなんですが。

 言葉にすると簡単ですが、なかなか一人だと気づかなくって、ドツボにハマってしまうんスよね。

 写真とトレス絵・イラスト3者をならべてくれているうえ、イラストパートでは点線をもちいてトレス部分との直接比較も加えられているという、直感的にわかりやすい良記事だなぁ~と思いました。

 そう思ってはてなブックマークコメントを読んだらだいぶ辛辣なひとが多く(「いやそもそもはてなブックマーカーが辛辣でなかったことなんてどんだけあるの?」というツッコミは禁止です)、「むずかしいな……」となってしまった。

 

 たしかに、誤解をまねきそうな文章ではある。

 「ハイライト部分以外も削ってるじゃん」とか「光源かわったらこの理屈は成り立たないでしょ」とかお思いになるかたが出るのも分からなくはないんですよ。

 でも、ツイート主はたんに"この写真において分かりやすい例"だからハイライト部分に注目してそう言ったというだけで、言いたいことはべつに「ハイライト部分を削れ!」ってお話じゃないのだということは読めるとも思います。

 この写真なら影となった部分なども含めた、「写真だと存在感がつよいけど、立体で見ると奥に引っ込んでいるなどして存在感がうすい部分を考慮してお絵描きしましょう」ってお話をしているのだと。

 また、おなじことば(二次元)で、ちがうバリューをふくむお話がされているので①三次元≒実写の写真を、「二次元デッサン{⊃線画にちかいデッサン(おそらく"二次元デッサン"がもともと指していることは"写真を参考にマンガ的デフォルメを加えたキャラへ置き換えデッサンし直す"のという意味だと思う。アニメーターないしアニメーター志望がつくるポートフォリオでよくやつですね)}」するさい起こる問題のおはなし。②現実のひととデザインされた「二次元絵{=漫画的デザインを加えられたキャラ}」との差異の話{実写とキャラとの頭身のちがいとか})、このふたつが混在してる〕、たしかに混乱するところはあるかもしれません。

 そして、情報のおおい絵柄だと(でっぱってるところはでっぱってる、ひっこんでるところはひっこんでるとわかるくらいにディテール・階調がこまかい絵柄だと)、①のギャップは解消されたりするので(線画時点では『惡の華』ないし古塔つみ偽自画像だったトレス版佐々木希も、さらに描き込みをしていくとやっぱり写真の佐々木希的なかわいさを帯びてくる)、ツイート主の話から「ただ削ればいい(/盛ればいい)」と思うと、迷走がはじまるパターンもある、というのはそのとおりなんだろうなぁと思います。

 

 ただそれにしたってなぁ。

 

※もっとグルンと回り込むようなタッチを加えるとより"丸く"

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静物画(酒と花と果物)

 たとえば上のデッサンなら、酒瓶の腹を覆う葉っぱ部分のタッチをみてみると、たとえばこの瓶の覆いの表面に方眼グリッドが貼られていたとしても、明らかにそのような方向へはならないタッチがけっこうあるんすよ。

 覆いの左上のほうには「画面上側へ凸となるアーチ」があり、中央は左下から右上へむかって走る直線的な「/」(シールの右下をかする線)右下には「かなり角度の強い下側へ凸となるアーチ」が描いてあります。ぜんぶまとめると、ラグビーボールみたいなタッチですね。

 こういうデフォルメがあると、無いときより、もっと「丸く」見えるよ、というお話ですね。

 

 

0512(金)

 ■ネット徘徊■

  杞憂

・きのうの記事について、「せっかく興味深い観点や発想の転換になりそうなtogetter記事なのに、冷ややかなはてなブクマコメ見たせいで届くべきひとのもとへ届かなかったらヤだなぁ」と一お絵かき者として義憤にかられて書いたが、そんな いたいけな悩める若人はもう はてななんか見てないから杞憂も杞憂だったな。

 

・自分のコメント含めはてなブックマークコメントを書いたり読んだりしていると、文字数制限からか何なのか、やけにぶっきらぼうだったり攻撃的だったりになってしまう。2chとかの雰囲気を思い出すような口ぶりだ。

 ・「短文だからあれなだけで、もっと長尺だったら人となりがわかるかもしれない」

  そう思ってコメント者のプロフィールをクリックしたとき、「B!」のアイコンしかなかったり、「✑」のアイコンがあったとしてもblogが閉鎖されてたり、十年単位で更新が止まったままだったりしたことを思い出す。

 ・vtuberの配信視聴日記blogとして活発に更新していたころに、ブクマだかスターだかをつけてくれたリアル中高生さんだろうアカウントの、いい感じにみずみずしく面白いはてなブログが、数ヶ月後「そういえば」と再訪したら閉鎖してしまっていたことを思い出す。

  ・個人の活動をどこまでやるかなんてそのひと次第ではあるものの、ワイワイキャッキャできる友人知人がいればその寿命は長くなるもので、やっぱりそうなるともっと元気でにぎわってるSNSのほうがいいだろう。

  ・あの子もどこかで同好の士と出会い、健やかに穏やかに過ごしてくれていればいいなと思う。

   ・……で、残ってるわれわれは?

 

・ただまぁ、お絵描き含めだれがなにをいつ始めたっていいわけですからね。はてなのすえた空気がなじむ、お絵描き初~中級者もいるだろう。

 

 

0517(水)更新ぶん

b.hatena.ne.jp

 はてなブクマとの関連はここ。

 ■ネット徘徊■見てないアニメのこと■

  アニメ『僕ヤバ』の市川母のキャラデザがかわいすぎて尻込みする

 一話も観ていないというのにアニメ版『僕の心のヤバイ奴』ももう半分くらいが終わろうとしている。PVの、光と影にこだわっていそうな画面構成や「なま」っぽい発声に惹かれて一度は観てみたい作品だ。ただ……

 ……市川母のキャラ紹介をみて、「どうしたもんかなぁ」と思ってしまった。

 

******

 

 原作漫画『僕ヤバ』は、連載初期と現在とでビジュアル面にけっこうな違いが生じてきている作品だ。

 アニメ版のキャラデザは、最近の連載寄りの絵柄だけど、ただし昨今の折衷案というよりも、原作の絵柄とアニメ制作側のオリジナリティとの折衷案のような塩梅に見える。

 漫画版のビジュアルの変化は、多分いちばんは楽屋裏的な理由によるものだろう。つまり桜井のりお氏が連載をつづけていくうちに、画力が成長したり絵柄が変化したりした結果だろう。

 

 ただ、その絵柄の変化は、ストーリーの変化や市川の価値観の変化に(奇跡的に)合っていたなぁともしみじみ思う。

 『僕ヤバ』初期は、恋愛モノというよりも学園生活モノに見えたところがある。

 主人公である「ぼく」市川は、猟奇本を教室で読み、中学生的な画力でポンチ絵をかき、自家発電をする日々を送る。

 オシャレで軽いノリのクラスメイトのことは心の中で「ビッチ」と呼ぶし、ぽっちゃり系のクラスメイトへの好意を表明する別の男子生徒のことは心の中で「ブス専くん」と呼ぶ。家に帰れば母のこともババアと言ってはばからない。

 いっぽう市川にヤバイ感情をいだかせる山田は、クラスの中心で友人たちといつも楽しそうにしている近寄りがたい存在で、モデルなどをやっているからなおのこと雲の上の存在だ。イケメンの先輩から話しかけられるも塩対応するさまを見せたりもするが、だからといってオタクへ優しいわけでもない。

 ぜんぜん関わりのない「ぼく」に近づいてきたかとおもったら、なんかゴミを押しつけてきたりする。

 この山田の乱暴、中学時代にzzz_zzzzとメルアド交換したあと「このメールを数人に送ると、特殊な絵文字がつかえるようになります」という文面のチェーンメール以外送ってこなかったあの子のことを思い出すエピソードでたまらない。

(ぼくのメルアドをチェンメの投棄所にしたひとはあの子だけじゃなく、いちばんは野球部の遠藤くんだったけど)

 マンガクロスを読みSNSで『ノスタル爺』の例のコマを貼ったり言ったりするような読者層の古傷を刺激してやまない、じぶんとは性格どころか学業成績・家庭環境のことなる別種の存在がおなじ時空間へおさめられた義務教育生活の不穏さがあった。

 

 ぼくの過ごした中学校は、わりと無理ゲーなレベルデザインだった。

 ケータイを教室に置いているとパクられて今生の別れとなったりするのは、まぁ想像の及ぶ範疇だろう。

 ぼくの中学校特有の現象として、棟と棟とをつなぐ渡り廊下の防火扉のむこうが3年の不良の生息域となっているから、勝手知らぬ下級生が移動のためにドアを普通にあけると、自動的にかれらへ重めの先制攻撃を食らわせることとなり、バトルが強制発生してしまう致命的なバグ的仕様があった。

 初見殺しの配置だが、現実は『デモンズソウル』じゃないから誰も「血痕」や「ヒントメッセージ」を残してくれない。クラスメイトや先輩・OPと知己がなく歴史の横糸経糸の助力を得られない陰キャたちが悲しい目にあったと云う。

 生徒会で副会長をつとめるキレイでまじめな女子生徒と(うちの学校のうちの代は、生徒会がふつうに何かよい感じのポジションだった)、その学年担任の男子教師との情事をほうじる謎の怪文書FAXが、連絡網をつうじて一斉送信されるというイベントもあった(らしい)。

 根も葉もない風聞であり(けっきょくその子は中学時代の恋人と結婚し家庭を築いた)、FAXの送り主の具合がよろしくなかったという(皮肉でなくまじめに)哀しい事情によるものらしいが、クラスメイトや先輩・OPと知己がなく歴史の横糸経糸の助力を得られない陰キャは、そもそもそのFAXの存在自体を知らず、クラスの朝礼で「こういうあれがありましたが~」と教師からの事情説明をうけて初めて知り「そもそもそういうあれがなかったのだが…」と、またべつの悲しみにつつまれたと云う。

 転入してきた小柄でまじめそうな女子生徒が、気づいたころには茶髪になり不良グループの一員となり、卒業後に出産結婚離婚したというイベントもあった。こちらは事実らしいのだが、風の噂の風の噂でふんわり知った陰キャは「そんな同人誌みたいなことがあるんだなぁ」と思いつつも、それで抜く気にはまったくなれなかったと云う。

 こういう不穏な空気が『僕ヤバ』初期には漂っていた。

 

 なんやかんやあって、市川は山田の意外な一面を覗き見て、じぶんと同い年の子供である等身大の山田を知っていく。

 読むものも変わる。山田経由で少女漫画を読んだりすることになり、そのマンガの主人公「濁川くん」をイマジナリーフレンドにしたりする。

 周囲との関係もだいぶぬるま湯というか、連載初期の(恋愛劇なんだろうけど、それでもなお)どう転ぶかわからない不穏さ(ようするに秒速5センチメートルがはじまってもおかしくない雰囲気)は「無くなった」レベルに減じられている。萌え萌えした人物や展開が増えていく。

 このころには『僕ヤバ』自体が今の絵柄になっていて、市川母も初登場時とはちがって若返りしているような風貌になる。(もっとも、ぼくの兄世代の子供たちが小学生・中学生になってきた時分である、「最近の市川母のルックスも、ふつうに現実的な範疇だなぁ」と思う)

 マンガ版の最新話を読むに、物語の立つ地盤はそこまで変わったわけじゃないらしい。ぜんぜん別種の人物たちがかかわることによるコンフリクトは、いまの『僕ヤバ』にも変わらずある。

 たぶん、世界はかわっていなくて、その怖い部分が見えにくくなっただけ。というか、世界の良い部分がより見えるようになった――悪いものとして捉えていたり、とくに気にしなかったりした部分も良いものとして捉えられるようになっただけなのだ。

 「ぼく」は世間のことが好きになったし、じぶんのことも嫌いじゃなくなった。

 そんな価値観の変化の顕著な例として、じぶんとよく似た市川母がババアじゃなくかわいらしく見えるというビジュアルの移り変わりがあるように感じられる。

 

 アニメ版『虐殺器官』『ハーモニー』のどうにも薄っぺらい感じは、長編小説を一本の映画にするうえでの取捨選択によるものもあるだろうし、平熱が34℃であるとかのしょうもないテキトーさに由来するものもあるだろう。(『虐殺器官』アニメ版の拡張現実アメリカより、フィンチャー監督『ファイトクラブ』のお家査定や……

youtu.be

 ……ジェイソン・ライトマン監督『ステイ・コネクテッド』の現代SNS社会のもようのほうがよっぽど騒がしくそれらしいというのは、製作費がけた違いだろうことを除いても、映像としてなにか間違っているのではないか。

youtu.be

 それらを除いても、「それぞれの表現媒体のちがいもあったんじゃないか?」と思わされる。

 小説では「いま・ここ」のドラマと等価の文字情報であった「いま・ここ」じゃない世界や歴史の周辺情報が、映像作品においては主要人物の「いま・ここ」のアクションとは関係ない「世間話」として処理したところもその一因なのではないかと思う。

 それ自体は原作再現なのではあるけれど、

「ではおまえは、ジョン・ポールが奴隷貿易の話題をしはじめたさいに映されるイメージ映像の"イメージ映像"感を、小説を読んでいるさいに抱いたか?」

 と問われればちがうと答えざるを得ない。

 視聴覚情報はとかく視点の所在が気になるもので、伝聞がただの伝聞として、イメージ映像がイメージ映像として浮いてしまうところがある。

 おそらくそのギャップはアニメとマンガとの間にさえある。

 (おもに会話の順序・フキダシの読む順番規則の関係上)たやすく逸脱されるイマジナリーラインや、(同ポだと静的すぎるからと)アップになったりフカンになったり様々変わるカメラワークも、マンガでは気にせずすらすらと読めてしまうが、アニメで原作を踏襲するかたちで逸脱されたら、ゴチャゴチャと混乱・乱雑なだけである。

 マンガではエスタブリッシングショットが一つあればそのあとは白背景黒背景でも気にならないけど、アニメだと背景美術の粗密は気になる。

 

 マンガ版『僕ヤバ』ビジュアル変化にぼくがおぼえたそんな感触を、アニメでやるのはなかなか難しいことなのかもしれない。アニメがどんな味をめざしてどのような種類の料理をやろうとしている作品なのかは観てないから知らないが、

「とりあえず、ぼくが『僕ヤバ』を好ましく思っていた方向性とは違いそうだな?」

 と思わざるを得ないような市川母のルックスだ。

 殊勝な鑑賞者としてのじぶんは「おなじもんが味わいたいなら原作を味わえばいいじゃん。別解釈・新たな魅力の照射こそが他メディア展開する醍醐味だろう」と言うけれど、

「だったら原作モノじゃなくてオリジナルでやりゃいいじゃん? ちょっと違う角度から新たに同じ快感をおかわりしたくなるのの何が悪いんだよ?」

 という気持ちもあり、後者に傾いている。

 ぼくは「ぼく」とは違う。濁川くんよりも、ネットの藁人形・チー牛くんや任豚くんのほうがイマジナリーフレンドとしてしっくり来るし、新たな世界へふみだす元気がない。渡り廊下の防火扉を開けて「You Died」して以後、ノスタル爺と化し、いまだにiモード時代の迷惑メールを後生大事に記憶している。

 どうしたもんかなぁ。

0519(金)

 ■ビデオゲームのこと■はてブクマコメ補足■

  『Nintendo Labo』のクラフトのすばらしさと、VRゲーの"体感的(/直感的)体験"の難しさ
   記事を書いた経緯;

 

はてなーが「これぞゲームの革命!!」って興奮してた

段ボールゴミとラジコン付きマリオカートってどうなったの?

anond.hatelabo.jp

 上のようなはてな匿名ダイアリーはてなブックマークホッテントリに上がっていたので……

任天堂で思い出したけど

VRゲーのゲーム内工作は『Horizon:CotM』が360°詳細な手順を要求する"遊び"を提供してましたが,でもNinLaboの動画図解付き工作パートのお手軽版て印象す。この点だけならVR2合わせ8万円vs9千円でLaboの方がお買い得だし面白いスよ

2023/05/19 16:15

b.hatena.ne.jp

 ……とコメントしました。

 文字数の関係上、なんだか対立煽りみたいになっちゃった気がするので、もうちょっと詳しい話をしたくてこの記事を書きました。

 

   記事本文;

 Nintendo Labo』は面白い。のちのち段ボールキットを物置にしまうこととなっても、それまでのあいだに大変な満足が得られます。

 ぼくzzz_zzzzは『ロボ』編を買って甥っ子たちとももちろん、自分一人でも楽しみました。10~20時間くらい遊んでいるうちに一部メカが破損して、修理しなきゃなぁと思いつつそれきりとなってしまいましたが、満足です。

 その程度のクリエイティビティなので、もちろんぼくは、段ボールキットとプレイヤー側で設定できるプログラミングによって、なんかすごいオリジナルの"遊び"を発明することとかはしていません。

 でも大いに楽しみました。なんなら「遊ぶ」まえから元を取ったレベルで満ち足りていました(笑)。

 Nintendo Labo』のひとつの楽しみって、それを「つくる」過程自体だったりするんですよ。

realsound.jp

 『機龍警察』を題材にした自作モデルなど、モデラーとしても確かな腕前をみせるライターの しげる氏は、『Real Sound』で、1930年代のプラモデル黎明期を覗き見したうえで、バンダイの「子供向け組み立てキットの最前線」の説明書と『Nintendo Labo』の説明動画とを比較し、『Labo』のわかりやすさ・プレゼンのうまさを詳述します。

 実機映像を見てもらったほうが一層わかりやすい気がするので……

youtu.be

 ……AbdallahSmash氏の『Making The Nintendo Labo Toy-Con Fishing Rod! ⏩ 4X FASTER! ⏩』を埋め込みリンク貼っておきます。

 『Nintendo Labo』の釣りコンを作成する模様を、「つくる」編のSwitch本体画面映像(ゲーム内メイキングチュートリアルと、それを見てつくる人の手元撮影とによる分割画面にて、4倍速で収録した動画ですね。

 うえのタイムスタンプで15:50~あたりからが丁度よいと思うんですけど、『Labo』の説明ってほんとうに懇切丁寧で、段ボールを組み立てる各工程について……

・箱から開封して

・どの段ボールを手に取り

・そこからのどのパーツを外せばいいか?

 ……と初歩の初歩から動画で図示してくれるんですよ。

 丁寧なチュートリアルのおかげで、たとえば折り組み合わせた段ボールのリールへ、輪ゴムを通して、さらに段ボールの別パーツをくっつけて止め釣り糸に結び目をつくったうえでリールへ通して巻き付け、ほかに組み立てた箱型のパーツへそのリールを取り付けるため、まず釣り糸を通し両側面に入った割れ目に輪ゴムを通し、ってな具合に文字だとややこしい工程も、混乱することなく作成できます。

 AbdallahSmash氏の動画だとSEがないのでもう一例、べつのかたの実況動画を見ていきましょう。

(butapen omゲームにまつわるチャンネル『【ニンテンドーラボ】 初見で説明書 「ロボット」 の つくる あそぶ わかる (ROBOT キット / VARIETY KIT)』)

youtu.be

 ロボ編のロボットアーム作成(16:14~)もようでは、段ボールをくるくると折り重ねていく動作にあわせて、瓶からグラスへワインを注ぐさいのトクトク音のような高鳴りがつき、〆のほかとちがう動作を求められる部分ではほかのSEがつけられて楽しく分かりやすい。別組のランドセルパーツとアームとをヒモでつなげる過程も面白いし非常に明瞭です。

 

 この『Nintendo Labo』のキット作成のわかりやすさと小気味よさは、最新VRゲームのクラフト過程でも味わうことができます。

news.denfaminicogamer.jp

 VRゲーではゲーム内クラフトの過程を、ジェスチャー操作とハプティックフィードバックによる"体感的(/直感的)体験"として味わわせるものがあり……

www.youtube.com

 たとえば2021年10月初出の(ことしバージョンアップ版『Rekindled』が出た)『Song in the Smoke Rekindled』では、さまざまな汎用アイテムを各手に握ったうえで触れ合わせるなどすることで、別のアイテムへ加工・組み合わせることができます。

 なかでも2023年2月発表のPSVR2Horizon Call of the Mountain』――たとえばピッケルの刃と柄とに、ヒモをX字を描くようにまきつけ固定する(前述『SitSR』の松明クラフトでは省かれた動作)など――

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 プレイヤーが両手(のコントローラ)を360°うごかし特定の軌道をえがかせることでようやくクラフトが成立するような、細かく具体的なものとなっています。

 素材を持ったり近づけたり組み合わせたりするたびに響く効果音やハプティックフィードバック(振動による触覚表現)、完成時の波紋が飛ぶようなエフェクトなど、クラフトの一工程一工程にたしかな手ごたえがあって気持ちよい。

 また『H:CotM』の更に良いところは、クラフトの手順について(とくにわかりにくい箇所についてこそゲームゲームした補助的説明・記号が入るものの)ゲーム内現実として説明書が配されているところ! これによってプレイヤーは、それとゲーム内現実のクラフト素材とを見比べながら素材同士を組み合わせていくこととなり、没入感醸成に一役買ってます。

 

 『H:CotM』のクラフトもようは楽しいですが、その観点だけで比べると、やはりNintendo Labo』のモノづくりのほうが細かいし多様で複雑ですし、そのうえPSVR2本体とふくめて8万円かかる『H:CotM』より、シリーズでいちばん高価なロボ編でも8千円の『NLabo』のほうがお買い得だと言わざるを得ません。

コスパで言えば「PSVR2は本体ひとつあれば他ゲーができたりVR体験メディアとして使えたりして拡張性があるだろ」というツッコミがありそうですね。

 いまのところPSVR2対応作品を遊ぶかFANZAするためのオモチャという色が強いです。

 3DBlu-rayは未対応、他配信サービスの3D/360°動画の対応の可否はサービス運営者側に依存し、FANZAは即対応してくれたものの、Youtube3D動画360°動画未対応VARKや『攻殻SAC立体上映版』が見れた3DシアターはPSVR1の時点で対応終了。あまり芳しくありません)

 

 クラフト要素は『H:CotM』と<The Climb>シリーズなど先行するVR登攀ゲームとを分かつ重要要素の一つではありますが、副菜にすぎません。

 『H:CotM』は登攀&弓戦闘&クラフトアドベンチャーであって、「クラフトしたものをつかってどう冒険するか?」も面白味のひとつです。また……

www.youtube.com

 ……以上のうごきが、左右スティック操作まったく無し、ボタン押下ほぼ無しのジェスチャ操作で体感的に、酔いもあまりなく経験できた感動は3ヶ月経ったいまなお印象深いです。くわしくは個別の感想記事を書いているので、そちらをご参照していただけると幸いです。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 ただまぁ、上の記事でも言ったとおり、直感的で没入度のたかい体験は現代VRゲームの魅力であります。

 ……そこで『NLabo』などなど過去のゲームハード(付属品)もあわせて振り返ってみたとき、

「直感的没入的体験は、魅力であると同時に、難点でもあるなぁ」

 と感じたりも。

 現行のVRゲーム用コントローラ(信号入出力体系)、従来式コントローラよりも複雑なインターフェースを備えているとはいえど、限界はあるわけで、ある意味では退化していると感じられる部分もあるんですよ。

 たとえばC-Smash VRS』は、バーチャルテニス的ゲームで、プレイヤーの位置が変わればプレイヤーキャラも連動して動くので、ゲーム内の球が右にいったらプレイヤーも右にステップ踏んで取りに行くことなどもできます。

 できますが、ぼくは身体の移動については従来式のスティック操作でおこなっています。その場を動いてコントローラを振ったら窓ガラスをたたいちゃったからです。

 これ自体は、2*2mのプレイスペース(PSVR2で確保を要請される空間)をギリギリ用意できてそうでできてないくらいの狭小空間に住むzzz_zzz自身の問題といえるでしょうけど、Drums Rock』は違います。

 『Drums Rock』はドラムセット一式を模した5つのパネルの位置へ降り迫るモンスター{=音楽ゲームにおけるノーツ(音符)}にたいして、タイミングよく叩くと音楽を奏でて魔力を放つ祭具(?)をもちいることでモンスターを撃退する音楽リズムゲームです。

 肩へ手をやりスティックを握って取り出し、ドラムをたたく。スティックを上へ振りつつ離せばスティックが宙を舞い、キャッチすればスコア倍増の特殊な打法ができる……

 ……というシステムで、スティックを握り離しをするには中指でおせるコントローラ裏のL1・R1ボタンを押下⇔離すか、あるいはタッチセンサーが反応するほど軽く握る⇔離すかする必要があります。

 ボタン押下だと疲労がおおきく、指に力を入れっぱなしになるので手首が硬直して振りにくい。タッチ操作でやりたいところですけど、誤爆が多い。

 なんならボタン押下プレイでも誤爆して勝手にスティックが宙に放られたりする。

 スティックの誤爆はさておき、もっとシンプルに「ラインに合わせてノーツをたたく」部分はどうか?

 傍目には直感的にプレイできそうだけど従来のアナログのドラムスティック&ドラム型コントローラがどれだけ直感的な代物かを教えられるようなシステムでもありました。

 バチもドラムもVRである今作は、「ドラムをたたいたつもりが空振りだった」ケースがちょこちょこ発生します。

 慣れればどちらも無くなる問題な気がするんですけど、いまのところは以下のような疑問がわいてしまって集中できない。

 VRゲームについて「まるで現実であるかのような没入的体験が!」という謳い文句はよく聞くけれど、こういう作品をやるとむしろ「虚空でマイムしても虚無感にみたされない程度の視覚・聴覚・触覚的情報をあたえてくれる、"劣化コピー的代替的体験"」がVRゲームなのか? みたいな疑問がわいてしまう。

 じっさいPSVRよりもPSVR2のほうが面白いですし、体験の解像度を上げてくれることの効能はおおきいですけど、「再現には限界があるよなぁ」とも思います。

 「あたかも現実と錯覚してしまうような体験」以上に、「現実では味わえない体験」を味わわせてくれるか否か? 「このメディアでプレイするからこそ」という特別感・違いをいかにして創出してくれるか否か? そこがぼくにとって大事になってきています。

 もちろん『Nintendo Labo』も「現実再現度の向上」といった方向性のアプローチであり、結局つきつめれば上述の疑問につきあたる過去の産物なわけですが。しかし、遊んでいる最中にその疑問がよぎらない程度には、実体感にすぐれています。

 「いっぽうロシアは鉛筆をつかった」ジョークじゃないですけど、入出力装置に物理的実体を用意した『NLabo』は、ハードが進化し直感的操作がより身近になった「二度目のVR元年」でこそ、その真価がいっそう分かりやすくなったのではないでしょうか。

 そんなことを思いながらコメントしました。

 

 

0604(日)

 ■読みもの■

  トルストイマルクスを愛読していて…;『ピノッキオの眼』読書メモ

 トルストイマルクスを愛読書としていて、自室に格言を張り、それどころか家事手伝いなど身近なひとびとにも読ませていたと云う。もっとも……

トルストイの娘の一人が示唆的な逸話を語っている。彼女はある日家事の手伝いをする老農婦に、機嫌が悪いのと言った。すると老農婦は答えた。「もしマルクス・アウレリウスを読むなら、不機嫌も直りますよ。

   せりか書房刊、カルロ・ギンズブルグ(竹山博英訳)ピノッキオの眼――距離についての九つの省察p.36、「第一章 異化」Ⅱ{Cfr. V.Bulgakov, Leone Tolstoj nell'ultimo anno della sua vita, Foligno 1930, p.431(この文章もPier Cesare Boriの教示による)}

 ……マルクスといってもカールではなく、『自省録』などで知られるローマ帝国マルクス・アウレリウス皇帝のほう。

「どのマルクス・アウレリウス、なぜマルクス・アウレリウスなの?」とアレクサンドラ・ルヴォフナは尋ねた。「そうですとも」と老農婦は説明した。「伯爵様がくださった本の中にあります。私たちはみな死ぬと書いてあるんです。もし目の前に死があるなら、不機嫌なんて些細なことでしょう。死について考えれば、ずっと気楽になれます。私は何かつらいことがあるといつも言うんです。『さあ、あんたたち、マルクス・アウレリウスを読んでちょうだい』って39」。

   ピノッキオの眼――距離についての九つの省察p.36、「第一章 異化」Ⅱ{Cfr. V.Bulgakov, Leone Tolstoj nell'ultimo anno della sua vita, Foligno 1930, p.431(この文章もPier Cesare Boriの教示による)}

 

0620(火)

 ■ネット徘徊■読みもの■

  古橋&別天『オクトパスガール』1話読書メモ

shonenjumpplus.com

 『ヴィジランテ 僕のヒーローアカデミア ILLEGALS』の古橋秀之(話)&別天荒人(画)コンビによるジャンププラス連載スーパーヒーロー物第2弾がはじまりました! うれしい!

 クトパスガール』は海をまたいだアメコミヒーロー物の本場マーベルの<スパイダーマン>シリーズのスピンオフ。

shonenjumpplus.com

 『ヴィジランテ』第1話の場合は、"個性"とよばれる特殊能力が万人に発現するようになったのでそれを好き勝手に行使し悪事をはたらく"ヴィラン"とそれに立ち向かう認可制ヒーローが生まれた世界において、その取得学校の生徒の日々をえがく『ヒロアカ』正典にたいして、無免許で自発的にヒーロー活動ポイ捨て缶拾いとか)を行なう"親愛なる隣人"地方都市の一学生"クロウラー"を主人公に据え――

「悪党を殴るとスカッとするぞ」ニッ

 ――本家『ヒロアカ』のメンターでスーパーヒーロー「私が来た」"オールマイト"に対して、「俺がいる」路地裏でただただ我欲と腕力で私刑するヴィランより厄介な)無免許自警おじさん"ナックルダスター"と出会う……

 ……という、お話的にも「正典にたいしてこのスピンオフはどんな独自性・特色があるのか?」という声明的にもインパクトある完璧な走り出しをしてみせたわけですが。

 

 たいする『オクトパスガール』は、あちらと比べるといろんな意味で穏当な滑り出しです。

続いてくれさえすれば、アベレージ高い中長期連載になってくれるに違いないけど、だ、だいじょうぶだよな……?」

 となっています。

 お話・キャラこそ穏当だと思いましたが、古橋&別天コンビの作劇はやっぱり良い(『ヴィジランテ』同様の役割分担だと、コマ割りネーム部分も古橋氏が担当なのかな?)

 ひどく濃い味付けじゃないけど*7、ことさら芸術性やアートスタイルの独自性を喧伝しないけど、ページをめくる驚きと楽しみがしっかりある。良いダイアログ・モノローグがあってキャラがいて、なめらかなセリフ回しやシーン展開があって、「ふつうに面白い」んですよね。

 「これは!!!! 100億万点大傑作!!!!!」とかなったりしないけど(笑)、隠し包丁しっかり入ってて、下味がきちんときいてる。そういう面白さ。

 

 冒頭の設定説明モノローグからして楽しい。マーベルヒーローの姿と説明がつらつら語られながらも妙な調子だと思っていると、"ヴィラン(※)"Dr.オクトパスによるマーベル世界の概観だったとわかる(そっちだったか~笑)

(※もちろん『オクトパスガール』劇中でもオマージュがささげられてるとおり、たとえば<スーペリア>シリーズでは今作みたいな流れでヒーローもやるキャラなんですが)

 

 コマ繋ぎには随所に「しりとり」的モンタージュが施されて、ツルツル~ッと最後まで読め進められます。

 p.7最終コマがスマホの地面衝突・破損をあらわすフラッシュで描かれたかと思うと、⇒ページをめくったp.8第一コマは、秘策を閃くドックのオノマトペフラッシュで表され。

 p.13から、ハイテクにより脳ネットワークを結線するさいの稲光的な走馬燈シーンが終わりをむかえた(⇒p.17車のライトの横長レンズフレア→途切れる意識を表した横一線→フラッシュと、横長の光一閃の変遷もまじえつつ)⇒p.18第一コマでは稲光的に波打つ心電図モニタが映され。

 p.20では、見ず知らずの少女へ精神が乗り移ったドック・オクが物思いに耽り更には新たな秘策を走らせる顔を、画面左下から右上へ流れる街灯の反射する車窓をはさんだ外からとらえた第5コマ⇒のつぎに、おそらく前段で存在があかされた別所の地下拠点の機械が電波を受信するもようを「モニタ画面左下から右へ流れる心電図的な光として」可視化した最終コマが配されています。

 

 そしてもちろんダイアログが小気味よい

 設定説明⇒主人公Dr.オクトパスの性格説明へ転じる冒頭のモノローグ/ダイアログからつづくスパイダーマンとのやり取りも「ふつうに」話題がつながってて楽しい。

 p.4「貴様の頭蓋を砕く時だ!」⇒「じゃあ僕は大事な頭蓋骨を守らなきゃ そのヘルメットどこで買ったの?」(オクトパスの髪型イジり)……

 ……と展開されていく頭・ヘアスタイル繋ぎの会話劇は、なんてことなく読み流せるシーンですが、こうやって振り返るとキレイですよね。

 しかもこの頭関係のイジリ/大切なものをイジられ逆上を誘われ隙をつかれ振り回された・けっきょく自滅行為におよんでしまう冒頭NYのシーンは、日本の中学生・乙葉へ精神転移した東京の学校におけるイジメの場面でも綺麗に変奏されて「ふつうに」手堅く面白い。

 乙葉メガネがスッ飛ぶ一打が、「頭」への小突きであるところとか、揃えるべきところを「ふつうに」揃えてくれることのありがたさ! ずっと創作の世界でお仕事しつづけているベテランの構成力が沁み入るぜ……。

 そういう小粒なところもしっかり拾って並べる作劇なので、当然そのさきにつづくDr.オクトパスが4ツ足の蛸足メタルアームのうち3本を切り離して墜落をえらんだところ、最後の1本から別人が現れ(というかオクトパス自身が出現させ)「死神をやり過ごす」流れもまた――

 ――後半の東京編で、オクトin乙葉が学校で4ツ足のうち3本で乱暴をはたらき、最後の1本でトドメを刺そうとしたところでそこから別人が現れ(オクトパス自身にとっても意想外だし、誰かわからない完全な第三者が現れ)「一線を越えない」流れとして反復変奏されます。「ふつう」にきれいですね。

 

「Dr.オクトパスが/東京の女子中学生に精神転移」

 というログライン*8からすれば、「オクトパスという異物が精神転移先の日常をどれだけかき乱すのか?」を気にしてしまいますが。

(たぶん異世界転移・転生モノや人生やり直しモノ、すべての"荒野にストレンジャーがやってきて……"モノは、大なり小なりそういうところに関心が置かれると思いますが)

 『オクトパスガール』はむしろ、

「スーパーヒーローが活躍するマーベル宇宙やスパイダーマンの物語における"ヴィラン"オクトパスという強固な芯があったうえで、正典にいない異物"乙葉"がオクトパス(達)へどういった影響を与えていくか?

 が勘所になってきそうで、がぜん楽しみだなぁ。

(しっかし第一話おわりにある古橋先生の『スパイダーバース』感想が、「スパイダーマンのオリジンに関する商業的要請」についての話題で。

 当の『オクトパスガール』ではスパイダーマンvsオクトパスが「お馴染みの見世物」としてツアーガイドが示し観光客に楽しまれているあたり、どのくらいのことをするつもりなんだろうな……)

 

 

0621(水)

 ■身の回りのもの■身体のこと■

  明るく爽やかな日中からのノスタルジー

 明るく爽やかな日中に、なにげない用事で社用車を走らせていたときに、ちょっと心拍数が上がった。

 普通自動車の窓越しに見える/街なかの/明るい風景は、田舎で自家用車をもたず徒歩圏内暮らしのじぶんにとって、親が運転する車から見た休日・夏休みの光景なのだ。

 

 ■見たもの■

  ブラタモリ的怪獣映画を観てみたい

 アンドレ・ウーヴレダル監督ロール・ハンター』は、『シン・ゴジラ』が余裕で撮れるであろうバジェットをモキュメンタリの様式に注ぎ込んだ立派な作品で。撮影用につくられたプロップ・CGも見事なものだが、いっぽう素材の味や、素材に味付けする脚本術もまたオタク心をくすぐられて感心した。

 ある種の路上観察学・考現学/シチュアシオニスム+偽史エンタメというか、魅力的なロケ撮地とそれを劇中世界の設定・理屈で上書きする脚本の創造力とがすばらしい作品だ。

 おそらく作り手側が撮影のために用意したわけではないであろう、丘へただただ普通にころがっている迷子石的な巨石や、山に立ち並ぶ鉄塔の高圧電線網、そこらのひとによって不法投棄されて久しかろう自動車のタイヤの残骸といったものを劇中の山師が見かけては、

「ほらここはトロール達が合戦をした現場だ。トロールはこれほどまでの膂力があるのだ」

「ここからは用心しろよ、政府が"送電線"と建前で仕掛けたトロール除けの防衛線をおれたちはいま越える」

「気をつけろ、このタイヤのえぐれかた。"齧られてる"だろ、タイヤを好物とする山トロールがここまで来ている証拠だ」

 とかなんかそういうことを延々言いつづける。

(観てからかなりの歳月が経っているので、じっさいの理屈づけ・セリフと著しく異なっているかもしれない。ご興味おありでしたら、ぜひ実作をご覧ください)

 日本でも一本や二本、

「戦後すぐの時分にゴジラアンギラスが戦って洪水に見舞われた大阪駅もいまやこの通り健在ですが、その傷跡とそこから再起した先人の足取りは、実はふだんわたしたちが何気なく利用している駅のホームなどからでもこうして簡単に確認できたりするんですよ!」

(『ゴジラの逆襲』で洪水が起きたのは淀屋橋駅だから、ひたひたの淀屋橋をのぞみながら、「あれ以来ここの水位は引けず、こんな状態のままなんです」みたいな話になるのか?)

 みたいなことをやる作品を観てみたいなと、『ブラタモリ』を観ていて思いました。

{なんなら、「いま・ここ」の時制に怪獣は一度も出ず、延々『ブラタモリ』するモキュメンタリでもいい。

 アニマルプラネットチャンネルなどで放送された、専門家が語る「再現映像」ということで東西のドラゴンの「生態」が(動物番組・歴史番組のクオリティのCGで)いっぱい出てくる偽動物番組TV映画『ドラゴンズワールド』式でもいい}

 

 ■身の回りのもの■

  ソニーという響きへの漠然とした信頼と、実際の製品への不信
   ▼スマホSO-52C編

 ソニーSO-52Cのライト周りを設計されたかたは、SO-52Cを1週間くらいはさわってみてほしい。

 SO-52Cではデスクトップ画面を上から下へスワイプすると出てくるボタンのなかに、wifi接続/非接続ボタンや機内モード選択ボタンなどとあわせて、ケータイ背面の照明ON・OFFボタンが搭載されています。

 このライトは、スマホのカメラ機能が起動中だと、ON/OFFの操作ができないようになっています。それはそれでいいのだけれど、このスマホのカメラ機能はたまに画面スワイプでアプリ終了をさせても、アプリ起動中のまま(なのか表示が消えないのか……)となることがあるので困っちゃうんですよ。

 カメラ機能を起動して、その機能内で「照明常時ON」を選ぶのは得策じゃありません。電力を余計に食うとかは些細な問題で、一定時間(1分くらい?)ディスプレイを触ったりなんだりしていないと、カメラ機能は勝手に終了しちゃうからです。

 

 といったわけでライトを長時間つかいたいひとは電源を落として再起動するしかないのだけれど、再起動はもちろん数分かかります。いま使いたいのに。

 

   ▼PSVR2編;3DBlu-Ray対応はさすがにもう無いな……(『アバター2』発売でもなお非対応)

 『アバター2』物理ビデオ(3DBD併売)発売されてから1週間が経ちました。

 PSVR2の3DBD対応アップデートはいまだに無いので、今後も一生ないと見ていいんでしょうな……。

(「PS5がもとから対応してないんだからある訳ないでしょ」みたいないっちょかみは本当にどっか行ってくれ。それについてはこのblogで過去に書いた。初期に非対応なのはPS4も同様だったし、おなじ看板をかかげてるだけの別会社と思うべきだろうけどソニーピクチャーズはPS5発売後も自社映画の3DBDをいまも出してる)

 PS2を『鬼武者』とともに買った人間としては結構かなしいし、う~~~んとなりますね。PS5にも言えることですが、

「けっきょくゲーム機としてしか売らないのであれば、もっとゲームソフト(開発・誘致)に力を入れてくれよ……」

 と愚痴ってしまうな。

 

 

0623(金)

 ■読みもの■ネット徘徊■

  古橋&別天『オクトパスガール』2話

 2話が更新されましたね。相変わらず「ふつうに面白い」っす。

 ダブル主人公の乙葉ちゃんの髪型ばかりが話題にされるけど、『オクトパスガール』はかなりマスを狙いにいってる作品だと思います。乙葉ちゃんの幼馴染・多華ちゃんが全コマ美しい

 なんて異常事態だ。あの古橋秀之が、当時のビジュアルからしても尖がっていただろうタケちゃんを表紙にした『ソリッドファイター』で1巻打ち切りくらった古橋秀之が。

 前作『ヴィジランテ』が、正典にたいするスピンオフであり舞台自体も首都からはずれた地方都市だったからか、ちょっと外したキャラデザにしていた古橋&別天コンビが。まさか100点満点の美人をお出ししてくるとは!

 

 1話2話と感想をまわっていると、「いろいろ出てきた原作ネタからうかがうに、この作者さんはわかってる人みたいだから安心」みたいな声をチラホラ聞きます。

 さすがに隔世の感があります。

 古橋秀之がわかってないわけがない、という話ではありません。

 ぼくがティーンのころ、古橋秀之は、ぼくが読んでいたライトノベル作家シナリオライターが彼からの影響を公言する「ライターズ・ライター」でした。

 つまり古橋「を」/『ブラックロッド』など<ケイオスヘキサ>シリーズを読んでるかどうかが、そのオタクが「わかってる」オタクかどうかの一つの基準であった、という認識です。

「この人もうちょっと売れるといいね」

 とぼくが古橋氏の名前を知ったときにはすでに、インターネットの作家紹介欄にそんな一文が添えられていました。いまだにその一文は消されていません。

 Goraにジャンプ+、古橋氏はずっと新たなマーケットで戦い続けてる。すごいひとだ。

 

 

0706(木)

 ■ネット徘徊■読みもの■

  『詩学』にミズリューケーやバスエーのモリタを混ぜる

anond.hatelabo.jp

 はてな匿名ダイアリーカタルシスについての記事を読み、

「『詩学』ナナメ読みでちゃんと読んでなかったな」

 ということで岩波文庫kindle版があったので手に取ったら、

「寝取られやんけ!(=これ本文そのままで、固有名詞だけNTR作品・作家に変えればNTR劇論としてイケるんじゃねぇか?)

 と思ったんすよね。んで、昨晩の余暇時間をついやして書き、午前2時過ぎにアップしたのだけれど、「いやぁ……」と思いやめちゃったんですが、寝て起きたら「まぁいいか」という気分になり再度投稿しました。

 

***

 

 ↑の文章について。「いやいやよくないだろ」という気分になったので消しました。ギリシャ人に混ざるミズリューケーとか(いけるのではないか)、バスエーのモリタとか(いけないけど、なんかいけてそうな気配がないですか)好きな部分はあれども、それ以外のそもそもの本題部分がうまくいってなかった。

 

 

  井戸端会議の不朽のテーマ『夏への扉

anond.hatelabo.jp

『夏への扉』はとんでもない愚作なので褒めないでください

定期増田。2013年 <a href="https://anond.hatelabo.jp/20130512143540" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://anond.hatelabo.jp/20130512143540 2020年 <a href="https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200629103534" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200629103534 2021年 <a href="https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210702165607" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210702165607

2023/07/06 17:03

b.hatena.ne.jp

 への扉』、読み返してはないけどティーン時代のぼくはこの作品を(Rise-)Fall-Rise形式のエンタメとして普通に楽しく読んだし、追放・下剋上モノを楽しく読んでるいまのぼくが再び手に取ってもやっぱり楽しめるんじゃないかなぁと思う。

 なのでもちろん、ぼくはピートの肩をもつわけですが、本読みのみなみなさまの難色は、「面白いかどうかはともかく、必読のすごい本じゃないだろ」という話なのか(まぁそうだ)、「面白かったとしても、キモキモ要素が帳消しにしてるだろ」という人類のアップデートっぷりがすごいというお話なのか{ドキュメンタリーののけ姫はこうして生まれた。』で驚かされるのは、いまとなってはキモオタ中年童貞の夢みたいな唾棄すべきボンクラ作品(銃身をシャコシャコとメンテ中、ヒロインにどぎまぎしてミルクを噴き出すジャン・レノ、あれはマジでなんなんだ……?)として立派な地位を確立しているベッソン監督『オン』がプロモーション企業の女性社員のかたから当時めっちゃ好意的に評価されてるということ}、それともそこを抜いても「あれやこれやの展開が、同ジャンルの後続作にもっと面白い形で換骨奪胎されているから、展開が素朴すぎ、先が読めてつまらない」というお話なのか(まぁそうか)、どれなんだろうなあ。

 

 

0708(土)

 ■ネット徘徊■英検3級■

  "わかって"るオレらとそうじゃない外の多数派;Redditのアニメ版『チェンソーマン』スレッドの最近の日本アニメ批判を例に世界共通の心理を眺める

 

 「海外にはちゃんとレビュー文化があるのです」、ぞぞーっとしちゃいますね。

 映画『トップガン』ゲーム『Horizon:Call of the Mountain』の感想記事を書いたときに、英語圏を中心にそれぞれの作品のレビューをけっこう漁りましたが。その範囲で言えば、

「海外と日本とでそんな差があるもんかなぁ?」

 と大いに疑問っすよぼくは。

 Reddit』にしたって、日本語版英語版が同時公開されるマンガ作品のエピソード感想スレをなんこか見てる感じ、まとめスレやツイッターとそう違いがないですよ。

 

 たとえばkemofure氏が腐しに腐した――けれど、英語圏で大好評だったアニメ版『ェンソーマン』まわりの感想なんかは、批判も評価も日本語圏のほうが興味ぶかかったと思いますね。

 批判者(たとえばkemofure氏がその連ツイを評価されていた)の、漫画版と比較もしつつ殺陣の一挙手一投足の妥当性などの「もっともらしさ」を基準にした評価も……

 ……好意的なかた(たとえば『ゴジラSP』感想記事で、別アニメのツイートについて取り上げたグラビトンボルト氏だとか)の評価も……

 ……それぞれ面白いし興味ぶかいもので、読むに値します。

 

 じゃあ『Reddit』は?

www.reddit.com

 たとえばアニメ『チェンソーマン』日本国内物理ビデオセールスの低調にたいして、Reddit』では愕然としたり惜しんだりする声が聞こえるわけですが、「はたして言語の壁をこえて読むべき素晴らしい論評・知見が得られるんスか?」つったら、全くそんなことない

 

 上のスレッド「Chainsaw Man BluRay sales not doing so hot」50アカウント以上が「↑(=いいね)」したコメントを見てみましょう。

xx-shalo-xx

 日本の評判がこんなにも否定的だなんて正直しんじられないよ

  I honestly didn't realise the reception in Japan had been so negative.

 彼らはうちらと別モンなんだよマジでマジで。

  They're not like us fr fr.

 まじめな疑問なんだけど、なんでこうなったか驚きだよ。っち』なの? 本当に『ぼっち』なんかを観るべきなの?

  Seriously though, this comes as a suprise any idea why? Was it Bocchi? God damn it do I have to watch Bocchi?

↑58

   Reddit『Chainsaw Man BluRay sales not doing so hot』

 おなじクールに放送されてビデオの売れ行きが抜群によいっち・ざ・ろっく!』との差が信じられないようすの xx-shalo-xx 氏は、冗談めかして今作を勧めるべつのかたのリプライへさらにこう返事をおくります。

xx-shalo-xx

 アニメ美少女バンド? 自分は極右の諸兄と並ぶつもりはないであります、本当にありがとうございました。(まじめに言うが、どうしていつもいおん!』になっちゃうのかね)

↑3
  Anime girl band? Sir I don't not align with the far right thank you very much. /s (but seriously though, why is it always k-on)

 

 とりわけ印象的なのはVMK_1991氏でしょう。氏は『チェンソーマン』のビデオセールスが芳しくない理由についてこう熱弁します。

VMK_1991

 そのアニメは異世界系で、その当たり障りない美女にかこまれた主人公は、おまえら平均的オタクが自己投影できるくらい当たり障りないキャラですか?
  Is it an isekai, where the protagonist is so bland that your basic otaku can easily imagine himself in his place, surrounded by bland hotties?

 そのアニメは、主人公が大きな声で叫んでるだけでだいたい勝利しちゃう典型的「少年マンガ」ですか?

  Is it a typical shonen, where protagonist just wins by basically screaming a lot?

 そのアニメは美少女動物園ですか(主要人物がみんな女の子で最終的にHなシチュエーションに見舞われるアレですか)?

  Is it a "girl" show (you know the type: main cast is all girls and they all end up in ecchi situations)?

 そのアニメは、孤高のクール美少女が世話を焼いたり、だれもが興奮する平均的ビッチと恋に落ちたりする「嫁(わいふ)」モノですか?*9

  Is it a waifu show, where a single cool girl takes care and falls in love with basic bitch boring nobody?

 それらのどれでもないこと、それがチェンソーマン』がオタクたちへの牽引力をもたなかった理由です。

  It is neither of those, which is why CSM doesn't get any traction among otakus.

↑30

   Reddit『Chainsaw Man BluRay sales not doing so hot』

 ……最近のオタクの欲望を満たしてくれるような売れ線ではない、だから売れなかったのだと。

 ほかのユーザーから「日本でビデオがいちばん売れてる『鬼滅の刃』や長寿シリーズ『進撃の巨人』、大人気『スパイ×ファミリー』ってあなたの言う4グループから外れてるでしょ」というレスや……

KLReviews

 そのアニメは、主人公が大きな声で叫んでるだけでだいたい勝利しちゃう典型的「少年マンガ」ですか?

  Is it a typical shonen, where protagonist just wins by basically screaming a lot?

 そうね……デンジは糞ヒーローだよね、抜群の戦闘センスの持ち主で、かれは勝つまで裂いたりとか破いたりとかずっとし続けてくれるもんね、漫画雑誌刊少年ジャンプ』のなかでさ。

  Yeah... Denji is the dumb hero who's pretty talented at fighting and just rips and tears until he wins. In a shonen jump manga.

↑19

   Reddit『Chainsaw Man BluRay sales not doing so hot』

 ……(その詳細はzzz_zzzzもちょっとどうかと思うけど)「『チェンソーマン』ってあなたが挙げた売れ線も売れ線『週刊少年ジャンプ』連載作品だよね」といった反論もいくつかつくのですが。VMK_1991氏はさらに続けます。

VMK_1991

 個人的には、滅の刃』は典型的「少年マンガ」で、撃の巨人』は「社会」派作品へと変わりました(「わたしの考えに同意しなかったり、わたしと将来的展望を共有しないひとはみんな殺されるべきだ」)。パイ×ファミリー』は万人受けする素敵な作品で、さまざまなオタクに売れる要因を持っています:「嫁(わいふ)」、「夫(はずばんど)」、そして"マモル"べき可愛い「娘(どーてる)」もいます。

  I mean, Demon Slayer is a quintessential shonen, and AoT has basically turned into "society" show ("everyone who doesn't agree with me and doesn't share my views for the future must be murdered"). Heck, even Spy x Family, which is a wonderful show for all audiences, has three factors that sell it to various otakus: waifu, husbando, and a cute doteru to "mamoru".

 チェンソーマン』の主人公はひどい状況にいたけどそこから這い出るところからストーリーの始まる人間ですが、自己投影するにはあまりにキャラが立ちすぎています。女性キャラは皆なにか(語彙力不足でこう言ってしまうけど)問題をかかえていて、たとえばのすば(この素晴らしい世界に祝福を!)ヒロイン達のような「かわいらしい」問題ではなく、平均的オタクにとって「嫁(わいふ)」失格でしょう。この件における我々のいちばんの希望は、女性ファン層がデンジをかわいいとか「守護りたい」キャラだとかアキが激熱だとか分かってくれる/だろうことです。

  CSM has a protagonist who does start in bad situation but crawls out of it, but he is too well-defined for self insert. The female characters all have some (for lack of better word) issues with them, and it's not "cute" issues like with Konosuba girls, which disqualifies them from being waifus for an average otaku. The most we can hope for in this regard is that the female fanbase finds/will find Denji cute and "protectable" and Aki hot.

 そして平均的視聴者がみつづけるには、『チェンソーマン』はイカレすぎ血なまぐさすぎます。『チェンソーマン』は西洋コミュニティの間でだけ人気を博したニッチな漫画なんです。日本のセールスより海外のそれがより良いことを本当に願っていますが、でも振り返ってみれば、こうなること(=訳注;日本での人気不発)は予想してしかるべきでした。

  And as far as an average viewers go, CSM is too unhinged and bloody for them. CSM is just a niche manga that managed to become popular among the Western community. I really do hope that international sales will be better that JP ones, but in retrospect it should have been obvious that this will happen.

   Reddit『Chainsaw Man BluRay sales not doing so hot』

 

 

 コメントの評価が↑73のプラスとなっているPR0MAN1氏のコメントも興味深い。

PR0MAN1

 アニメをつくる国のひとびとは、なるほどたしかにクソ悪い趣味をお持ちだ。

  Man for the country that makes anime, they sure do have shit taste in it.

 マジで? 2千枚以下? あの美しいアニメと脚本による作品の売り上げが。そりゃおれも前半は後半と比べたら何もないと思うけど、でも日本の視聴者はなにが気に入らなかったというの。

  Seriously? Sub 2000? For a show this beautifully animated and written. I mean sure the first half of part 1 is nothing compared to the second half, but what did Japanese audiences not like about it.

↑73

   Reddit『Chainsaw Man BluRay sales not doing so hot』

 ……ようするに、

「アニメ『チェンソーマン』がつまらなかったと叩くやつは、"俺ら"とちがって映像作品・映画(的技巧)が"わかってない"衆愚」

 という日本でもよく見かけるアレが、英語圏の一部のひとびとにとっては最近の(萌え)オタク蔑視をとおりこして、

「ワビサビの利いた映画がわかる"西洋の"おれらにたいして、日本は濃い味萌えバカ"アニメ"しかわかんねぇカス」

 という旨の、国への蔑視さえ平然と含んだものとなっているんですね。

toyokeizai.net

 アジアヘイトが強い・地下鉄などで平気で殴りつける人がいる・監視カメラのある公共の場で暴行を受けてもアジア人だと警察がなかなか聞いてもらえないというお話は聞いていましたが、日本産アニメ視聴者のスレッドでもこうなの!? とびっくりしてしまいます。

 

 岡田斗司夫さん辺りがいまも元気に旗をふっている、職人芸の・アイデアが斬新で深いクールジャパン/日本スゴイ/誇り高きオタク観ってあるじゃないですか。

 これと併せて、「{任意のデマないし実体さだかでない理由から(コミックスコードで/バカでも楽しめるブロックバスターで/ポリコレで/分業共同制作で作家性が薄いから/人気がないとすぐ打ち切られてリブートかけて仕切り直しちゃうから)}深みがないアメリカンコミック・ハリウッド映画(文化)」みたいな他国(文化)disっていっしょに見かけがちですよね。

 この対立観って実は、製作費や技術力的に「ビジュアル面での充実度」で差の出ざるを得ない日本アニメ界がとらざるをえなかったマーケティング戦略ともかぶってくるんですが……

メイジャー脇坂守一「”この映画(=『もののけ姫』)はすごいんだ!"っていう――まぁ、ここにも書いてあることではあるんだけども――"ちがうんだ"っていうことを、"『(風の谷の)ナウシカ』から13年経ってどうなったのか?" っていうのをツカミとしては……」

 まずは超大作感を売り物にしようという意見に、鈴木さんは反発した!

メイジャー脇坂「……入り口としては間違ってないと思いますけどね」

鈴木敏夫「そこんところをね、一番聞きたいんですよね皆さんに。

 "本当にそうなのか?"

 なんでか? ぼくは明解に『狸(=平成狸合戦ぽんぽこのときにそれはやらなかった、"目をみはる映像スペクタクル!"っていうのはね――これは徳さん(=メイジャー取締役宣伝プロデューサー・徳山雅也さん)の案だった。

 それで、このときの方針は――ね?――ハリウッドとまともに勝負すべきではないっていう考え。もっとみじめなところでやっていこうと、そういう方針に立ってたんだよ。

(こくり)

 要するにね? "所詮なに言ったってアニメーションなんだ"、"漫画映画なんだ”。それでね? "いわゆるCGをつかった、お金をかけた――ね?――本格アクション映画のね? 勝負できるか!?"

 これで"これはトンマなタヌキの話なんです"っていう(笑)*10、そちらの路線に切り替えたんですよ。切り替えたっていうのか、そちらの路線を出したんですよ。

 だからぼくはこれは本当に大事な問題だと思う」

   ウォルト ディズニー スタジオ ホームエンターテイメント発売(ジブリがいっぱいコレクション)、浦谷年良監督『「もののけ姫」はこうして生まれた。』disc2・0:49:38~「第2章 生命が吹き込まれた!」宣伝作戦の始動より

1997年3月10日、『もののけ姫』制作発表記者会見にて、製作総指揮・徳間康快

ジュラシックパークのPart2、ロスト・ワールドが上映されますので――まったく――一騎打ちということになるだろうと思います」

   『「もののけ姫」はこうして生まれた。』disc3・1:09:38~

もののけ姫東宝宣伝部P矢部勝

日本人のなかのヒーローがやっぱり次から次へと消えていったなかで、この『もののけ姫』がね、たとえばそのこの夏ちょうど『ロストワールド』があったんで、"あの恐竜に姫が立ち向かうぞ!"っていうような構図は面白いんじゃないかと。日本人の意識をくすぐれるんじゃないかっていうことで日米決戦というのをぶち上げようと(ニヤリ)」

   『「もののけ姫」はこうして生まれた。』disc3・1:13:42~

 ……モノを売るひとが売り文句として言うぶんにはともかく、受け手であるぼくらまで真に受けて「そうだそうだ~」と胸を張るのは大分アレだなぁと思っていたんですが。

 こういうスレッドを見ると、

『日本(人)に限らず、海をまたいだ別の文化圏でも「愚かな大衆と、少数派だけど"わかってる"俺ら」という悦に浸るんだな、人類共通の心理なんだな』

 とやさしい気持ちになれますね。

 

ExDSG

 アニメが好きだと言う人は、なるほどたしかにそれを作る国の市民がお嫌いだ。
  Man for the people who say they like anime, they sure dislike the citizens of the country that make it.

↑17

   Reddit『Chainsaw Man BluRay sales not doing so hot』

 

 

0712(水)更新ぶん

 以下は……

 ……とポストをもらった投稿の再録。

 

 とりあえず文字を打つことを習慣づけたいなぁと、最近は軽率に記事を立てて更新をすることにしているんですけど、当然の結果として、むかし既にした話をまた蒸し返し繰り返す手癖のひとになっていますね。

 これはこれでどうだかなぁと考えものだ。

 

 ■ネット徘徊■

  『ゴジラSP』時の禁忌事項と、ドラフトで出た一案の実作化

 『ゴジラSP』制作時に脚本・シリーズ構成の円城塔さんが東宝側から言われたことは、『映画秘宝2021年5月号』掲載インタビューやGIGAZINEインタビューなどに載っていて……

円城:
だから「人は食べないでください」「他の怪獣を振り回すのはいいけれど、食べるときはご一報ください」「初代以前の時代にゴジラはださないで欲しい」といった感じの話はありました。

   GIGAZINE掲載、『インタビュー「ゴジラS.P<シンギュラポイント>」シリーズ構成・円城塔インタビュー、ゴジラ初の13話構成をいかに作っていったのか?』

 ……「初代以前の時代のゴジラはNG」はインターネット上の記事でも確認できます。

 

――本作の魅力のひとつである、緻密なSF設定は、最初から決まっていたのですか?

高橋 いいえ。最初はいろんなアイデアがありましたね。世界各国の代表がゴジラと戦うというような子供向けの案から、戦国時代の小国にゴジラが現れて財政を切り盛りしながら戦うという『武士の家計簿』のようなものまで……。

   双葉社刊(双葉社スーパームック、2021年7月13日第一刷)、『ゴジラS.P<シンギュラポイント>ファンブック』kindle版90%{位置No.132中 119(紙の印字でp.116)}、高橋敦史監督インタビューより(インタビュアー一角二朗)

 『ゴジラSP』本制作まえのブレストで出た、「高貴なかたが江戸城に居るままの世界にゴジラが……」/『武士の家計簿』×『ゴジラ』は、日の目を見る機会がいまのところないけれど。

 円城氏が提案するも周囲の反応はまずまずだったっぽい「怪獣襲来が、台風のような定期的に起こる災害のような立ち位置となった世界での物語」は、『信記録保管所』にて掌編化されました。非常に美しい作品なので、おすすめです。

kakuyomu.jp

{それはそうと、ちょい前に円城氏が脚本のテンプレについてまたスクリプト打ってるツイートやらマストドンでコメントしてたので、「おお~またなにか映像作品のお仕事をされるんスか!?」とどきどきワクワクしていたけど、実際どうなんだろう23年2月のコメントだった。本当になにかあるとしてもまだまだ全然さきのはなしか)

 

 

0714(金)

 ■読みもの■

  ゲームPないしD業務からネットゲーム内の犯罪の手口まで;『吉田の日々赤裸々。 『ファイナルファンタジーⅩⅣ』はなぜ新生できたのか』読書メモ

 田の日々赤裸々。 『ファイナルファンタジーⅩⅣ』はなぜ新生できたのか』を読み始めました。

 ファミ通の連載コラムと云うことで、桜井政博さんのコラムのようなゲームにまつわる四方山話かと思いきや、かなりガッツリFF14』「新生エオルゼア制作にかんする回顧録であるみたいですね。

 『FF14』をやってから読めばよかったなぁと後悔。「いや一旦閉じて、プレイ後にまた読めばいいじゃん」って? はは~なるほど『日々赤裸々。』未読のかたですか。無理無理、ふつうに面白いから続きを読んじゃうんですって。*11ぼくがいま開いているのはもう半分近い第22回です。

 

 発表当初さまざまな問題があった『FF14』が、いかにして「新生」されたのか?

 『吉田の日々赤裸々。』は、その問題の要点出しから改善のためのロードマップ作成、ユーザーとの連絡・折衝(するための窓口・ストリーミング番組の開始運営)そしてもちろん海外提携先とのやり取り…といった、プロダクトのディレクター兼プロデューサーによるモノづくり・製品送り出しの交通整理としての制作回顧録であり。

 同時に、ゲームシステム的を刷新をゲーム世界内で自然なかたちで行なうにはどうすればいいか? いかにして「新生」シナリオを閃き、そしてそれをどう面白いゲーム・ゲームプレイとするか詰めていく……といったクリエイターによる創作回顧録でもあります。

 『FF14』は、ぼくの両手の指で足りる友人のうち、中学時代の友人からも高校時代の友人からも「おもしろいよ」とすすめられていたのでいつかはやろうと思っていた作品でした。でもなんかやる気が起きなくて年単位で敬遠していたのだけど、吉田氏の言を聞くだけで、なるほど面白そうだと思いました。

(「新生」て看板は聞いたことあったけど、それってそんな直接的な意味での「新生」だったんだ……!?)

 

 また回顧録の途中途中では、吉田氏の他作ゲームプレイの思い出なども語られます。

 『エバークエスト』に『ウルティマ・オンライン』、『ダーク・エイジ・オブ・キャメロット』などなど。ゲームの内容だけでなく、名物運営やアップデートパッチ内容・パッチノートなどにも文字数が割かれているところは、ゲーム制作者である氏ならではの視点かもしれません。(実際、じしんのプロデューススタイルに反映されてるとの記述もある)

 オンラインゲームという、サービス終了してしまったら泡と化しがちな水物のカルチャーにかんする記録としても興味深く、たとえば第8~9回「仮想世界と現実世界」は吉田氏が一プレイヤーとして苦楽をあじわったルティマ・オンライン』プレイ回想記で、これが非常に面白かった!

 吉田はゲーム内システムのトレードウィンドウに自身のギルドが収集・加工した素材を置くと、もう一方のウィンドウに他ギルドのプレイヤーが置いたゴールドの山へマウスオーバーする。ゴールドの山の具体的な品数を――前段の会話どおりに高レート・64000ゴールドであることを――ゲーム内のシステム説明で確認したうえでトレードを了承。

「これでギルドハウス購入に一歩近づいた」

 とホクホク顔で見たバッグの中身に吉田は目を疑う。さきほど手に入れた金塊の山は、見た目そのままだというのに、なぜかたった6ゴールドとなっていた……

 『UO』ゲーム内で吉田氏が遭ったゲーム内詐欺被害とその顛末の体験談で、まずゲームのUI・アイコンなどをうまく使ったその詐欺の手口が面白いし。その後の展開がまたすごい。

 氏は日本の『UO』プレイヤーの大物が運営するBBS(BBSもまじで今となっちゃ聞かなくなったな)にじしんの不幸体験を報告したところ、別のプレイヤーからレスポンスをもらいます。

「数ヵ月ではありますが、引退したプレイヤーの全財産を預かり、『UO』の中でPKや詐欺などの被害に遭った人を救済する活動をしているので、ぜひ一度ゲーム内で会いませんか?」

 捨てる神あれば拾う神あり、なんとゲーム内非道の被害者にたいするゲーム内義援活動を自主的にされているプレイヤーと縁ができたのです。

 MMORPG創発性がよく伝わるエピソードですね。そしてこのお話はここで終わらず十数年さきまで展開するのですが……まぁそれはコラム本文でお読みいただくのがいいでしょうかね。

 

 

 ■ネット徘徊■

  嘘の月を知り、嘘の設計図、嘘のオバマ大統領、嘘の虹の多重円を思い出す

gigazine.net

 スマホのカメラのズーム機能により写される(※かもしれない)「嘘の月」について知見を得ました。

(※「ふつうの補正機能でもこのくらい鮮明なイメージは得られるんじゃないか?」と言っているかたもいる)

 現代の錬金術師であり、blog名でググれば「もしかして:セミになっちゃった」と疑問を呈され、じゃあと「セミになっちゃった」でググれば検索トップにそのblog『セミになっちゃた』が挙げられるという、「嘘のセミになっちゃった」の運営主でもある かもリバー師の記事で知りました。

ja.wikipedia.org

gigazine.net

pc.watch.impress.co.jp

 JBIG2形式を採用した一時期のゼロックスコピー機が出力する「嘘の設計図」(テッド・チャンのコラムで知った)とか。

 あるいは、モザイク写真を補正するAIが生み出す眉目が整い若返り非黒人化した「嘘のオバマ大統領」。あとは、各社の「最適化」方法の偏りによって、おなじモチーフであるというのに楕円になったりリンゴになったり花になったり星になる、各社テクスチャ・フィルタリングの「嘘の虹色の多重円」などなどを思い起こしたりする話題ですが、後者2つはわりと違うか。

 「それそのものを出してくれると思いきや、実はそうじゃない」という点に肝があり、前2者は(カメラやコピー機という)複製機(だから実態は違うとショッキング)だけれど、後2者は変換機なので「そりゃあ変換者によって偏りが出るか」みたいなアレになってしまうからでしょうかね。

 

 ■うろんなこと■

  あれが最後の一本だとはとてもじゃないが…

「わたしにはあれが最後の一本だとは、とてもじゃないが思えないんです……」

 日本中で注目をあつめた"やつ"がまた帰ってくる――

 おばけ煙突~リターンズ~

 

***

 

 ■踏むこと■

  どう踏めるか

(広告展開しなさすぎて「巷では公開日さえ知られていない」というお話もありますが、ことツイッターにおいては)

 聞き飽きた

 この

 一週間

 

(1222追記;「君たちは どう 生きるか」の公開時期でした)

 

 ■ネット徘徊■考えもの■

  すでに「パクリだ」「パクられた」とも言われなくなった存在について

 ブックマークしてなかったので申し訳ないことに、どなたがいつ何て言ったものか正確には分からないのですけど、春ごろ、

ゼルダ<BotW>シリーズは明らかなジブリ/宮崎アニメのオマージュ作品で、それについて誰もが認めるところだと思うけど、だからといって"パクリ"だ"模倣・盗用"だと非難する声は聞こえないし、あるいは"<BotW>シリーズがパクリだなんて!"と<BotW>にオリジナリティが無いなんて批判されたととらえて反射的に批判の否定をするゼルダファンの声もまた聞こえない。

 つまりジブリはもはや第一線で観られ検討を交わされつづける第一線の"作家"の作品群ではなく、他の作家が自作の素材としてそれを自由に引用・参照してよい(『ブレードランナー』風未来都市であるとかミュシャであるとか、名探偵とその助手スタイルのミステリであるとか、宮沢賢治であるとかシェイクスピアであるとかの)一つの(偉大な)様式・公共財・教養になったということなんだな」

 というようなツイートを読み、「……!」と思ったんですよね。

(2023/0808追記;X(旧名ツイッター)を見ていたら、ある人が<BotW>シリーズの発表まえ、『風のタクトHD』発売時のインタビューで、青沼氏が……

www.4gamer.net

青沼氏:
 あとはやはり僕が宮崎 駿さんの描く世界なんかが大好きで,「どうぶつ宝島」なんかを見て心をワクワクさせていた記憶が,ああいう絵を見ると甦ってくるんです。それもあって,風のタクトには,かつての自分がワクワクしていた“冒険”のエッセンスを込めています。

   4Gamer.Net(2013/09/28 00:00)、編集部:TeT&ライター:稲元徹也『任天堂の青沼英二氏に聞く,「ゼルダの伝説 風のタクト HD」と「ゼルダの伝説」シリーズ――「僕がこだわるのは,“ユニークな体験ができるゲーム”ということだけ」』2

 ……と言及されていたことを取り上げていた。そのかた自身も「そんな言及があったんだ~」と初耳といった具合だったけど、ぼくも寡聞にして初めて知りました)

 

 もともとあの作品も観に行くつもりだったんですけど、それとは別口で、

「くだんの<BotW>シリーズのハイラルの世界をよじ登ったり飛んだりやら、チョコボなる『ナウシカ』のトリウマそっくりな"(鳥っぽい)馬"でヴァリスゼアを駆けたりやらしているのに、その源流(と見れそうなもの)になんら益が行かないのは、あんまり気持ちのよいことではないな」

 とか思ったりして、とりあえず一枚目のチケットを買いました。

 

(1222追記;「君たちは どう 生きるか」の公開時期でした)

 

0718(火)

 ■観た配信■

  『桜井政博のゲーム作るには』「3Dゲームで酔う場合 【企画・ゲーム設計】」から、弊blogの類似話題の良し悪しを振り返る

 SFの感想をなにかしら書いておくと、伴名練さんあたりが書いたレビューなどが出てくる(あるいはすでにある)ので、

「はたしてじぶんの文章/見方のどこが足りてなくてどこが贅肉ついているか?」

 などをたしかめる一つの物差しとできるのですが*12……

www.youtube.com

 ……ゲーム周りも、わりかし似たようなことが出来るなぁと思いながら、井政博のゲーム作るには』きょう更新分を観ました。

・3Dゲーム酔いって何なの?

(感覚矛盾=)視覚と内耳とで情報が矛盾し、感覚がバグることだよ。

 現実の乗り物酔いとメカニズムは一緒(矛盾する情報が逆なだけ)

 車の運転手は、視界も体性感覚も同期してるから酔わない。

 車の添乗員は、体は揺れるけど、視界はスマホとかで別の動きを見てるから食い違って酔っちゃう。

 運転ゲームは、視界は動いてるけど、体は揺れないから食い違って酔っちゃう。

・1:30 3D酔いの防ぎ方紹介

 ①(トンネリング/ビネット効果)の説明

 ②フレームの固定(1:42)

 ③酔い止め薬(1:50)

 ④体調も影響。長時間プレイは避けよう(1:58)

・2:06 ゲーム側での予防デザインは?

 ①演出を控えめに

  (足踏みの縦揺れを消す、乗物のフレームを固定)

 ●でも控えめにすると、面白くはなくなる……

 ②画面内に「画面が固定されているという情報」を増やす

 ……という3章12項を述べた3分の動画でした。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 『H:CotM』感想記事でおおきくあつかった、VRゲームの「酔わせない」技巧と「酔わせないことがもたらす演出の弱さ」とかなり重なる内容で、参考になりました。

「綺麗にまとめることができなくとも、漏らさず書こう!」

 がモットーなので端整さは比べるべくもありませんが、自分の記事もその限りにおいてはモットー通りの仕上がりとなっていたようで――「とりあえず取りこぼしはないな」と安心しましたし、プラスアルファが書けてもいたので――よかったです。

{「おれが書いたもの、頭がよくて知識が豊富なその道のプロの伝達能力なら3分の動画で済むんだ……」となってしまったら怖い}

 

 あらためて自分の記事を読み返したら粗も見つかりました。ここもよかった。

 たとえば「感覚矛盾」というタームを出したクセしてその説明がぼんやりしていたりなど。これについては直近で具体化するかたちに直しました(桜井さんの説明をだいたい拝借した)。書いた当時の自分としては、ワケあってぼんやりさせたんですが{「前段のじぶんの体験と、後段の他論考紹介文とで、その説明が大体できてる(だろう)し、同じメカニズムに関する描写がかさむのはウザったいかな」と思った}……「書き手」としての記憶が遠ざかったいま読んだら、そこにはただぼんやりした文章があるだけだと気づけました(苦笑)

(ぼくは前後のぼんやりした文章と合わせて読むことで、全体像として「0.4 + 0.1 + 0.4 = 1」くらいの理解が得られると思っていた。しかし改めて読んでみると、実際の文章は「0.4」と「0.1」と「0.4」とが混ざることなくただただ並ぶだけで、理解はまったく深まらないのだった。

 このセンテンスに必要だったのは、それらのぼんやりした文章群がひとつに組み合わせていいものだと、「あの凹とこの凸がくっつけられる」のだと判別できるだけの、一貫した理路による具体的な説明だった)

 

 粗に気づかされたりもしたけれど、じぶんの記事がある作品についてただつまらなかったと言うだけの記事におわってなかったのも良いことですね。つまり、

「作品の面白さもそれが至上課題ではなくて、何かとトレードオフになりうる一要素なんだ。(すべての面白くない作品が、"作者が面白いものを目指したけど失敗した作品"というわけではない)

 面白くはないかもしれないが、そのおかげで別の点では優れている作品もある」

 みたいな見方をできたところ・それについて話せたところまで行けたのはエラかった。

 

**

 

 ……しかし桜井氏の動画も、伴名氏の解説・批評も、間口を広げるためか尺の節約のためかワカランですが、引用文献の提示とか専門用語の提示とかを(カッチリ)しないのは結構モヤモヤするな~。

 けっきょくそれは、間口が広いようでいて、「じゃあ」とさらに進みたくなったさいに次の足場が見えなくて困ってしまう、難物なのではないか。実は、いわゆる"千冊読め"マンとか"現世代ハードの新作毎月やれ"マンとかよりもある意味で一層マッチョなやりかたなのではないか、と思えるんだけれど。

 まぁ「その辺まで漁るひとは、無くてもそのへんキッチリ調べるよ」と言われてしまえば、それはそうですね……。

 

**

 

 ただ、トンネリング/ビネットは、VRゲームでも用語が作品によってバラバラで設定変更のさいに困るから、誰かしらビッグネームが触れたりもっとデカい大元が舵取りしたりしてほしいところです。

(「"ビネット"がどんなものか辞書をひくまでもなく知っていて、そしてそれがゲームの演出上どんなものか"あ~アレね"とピンとくるような、ハイソサエティな好事家しかVRゲームはやるべきではない」というのであればまぁそれはそれで)

 まずそういう仕組みについて知らないひとは、

「ゲームで視点移動すると視界の隅に黒いマスクがかかる現象、何なんだ? さすがに没入感損なわれるから外したい」

 と設定画面をひらいてみても、それがどの項目で調整できるものなのかがまず分からないので困ってしまうし。

「なるほどこれ、トンネル効果/トンネリングって言うのか!」

 と知ったところで、それが他に「ビネット」と呼ばれていること、その名称で設定メニューに登録されている作品もあることを知らないと、やっぱり困ってしまう。

 

 ■ネット徘徊■

  トレンドワードをこするスパムツイートに悩まされるが……

 ツイッターのトレンドワードを拾ったスパムアカウントの繁殖は日に日にすごくなっていて、ある作品の感想をほかのひとがどんなこと言ってるのかワイワイキャッキャしたいときに困っているのですが、別のトレンドを見たところ、

「いや、そうやって困るのは嘘のトレンドであって、""""本物""""のトレンドであれば、スパムツイートが埋もれるくらい人間の生のツイートが溢れるんだな」

 と蒙が啓かれました。

 

 

■考えもの■

  「なんでもピコピコって言い表しちゃうオカン」の「オカン」のなんでも加減

 「メカニクス」とかそのへんのやつ、こと弊blogとblog主は「おかんがゲーム機ぜんぶファミコンとかピコピコとかって言っちゃう」くらいの解像度なんで、なるたけ口走らないように気を付けてないとなぁ。というかちゃん用語を勉強しないとなぁ……という話をしようとして、

「このたとえを今になって言うさいの"おかん"も、大概な解像度だなぁ」

 と思うなどした。ファミコンが40周年でSFCが30年くらい、ぼくの青春であるPS2でさえ23年前。さすがにそんな「ゲームに疎いお父さんお母さん」は、いま「親」ときいて世のひとが想像する「親」像からだいぶ乖離してきているんじゃないだろうか。

 いま12歳くらいのお子さんをお持ちの親御さんが何年生まれの何歳かといえば……大卒新社会人で結婚してその年に子をさずかったとして、34としましょうか。

 2023-34=1989

 つまり平成元年生まれですよ。この年のひとが小学校高学年~中学生のころのゲーム機ってPS2ですな。ぼくの青春とおなじですね、というか同い年ですよ。

 おれはこれまで一体なにをやっていたんだ……人生のきれいなレールに乗れていれば、いまごろオトンオカンと呼ばれ、そして思春期の子供から「この人は"わかってない"な~」なんてため息つかれたりちょっとナメられたりして複雑な気分を味わっているだろう生年なのに……。

 

 

 ■うろんなこと■

  対義語バトル

はっこうださん  ぶいえす  ますたーきーとん

矛盾脱衣 vs 合理着衣

ja.wikipedia.org

www.google.com

 

 

0720(木)

 ■blogのこと■

  こういうのはいい

 双龍ういうのがいい』が嫌いだ、読者の願望充足が気持ち悪い、ただの願望充足ならまだいい、ヒロインの造形が「女体化した男友達」で行くところまで行っている……というお話がツイッターで出たり消えたりまた出たりしました。

 ぼくも『こういうのがいい』を楽しめなかったクチですが……

zzz-zzzz.hatenablog.com

 ……それってむしろ、

「オタク友達/登場人物がとりあつかうオタク要素がかなり解像度ひくくて、けっきょく主役ふたりが嫌ってる合コン目的の有象無象と変わらないくらいボンヤリしているのだけど、そんな相似性になにかエクスキューズがある(ことを前もってほのめかす)作品でもなさそうだ。

 じぶんが原液だと信じて疑わないけどその実100倍くらいに希釈された水みたいなカルピスをずっと提供されてる心地でダメだった」

 という、正反対の理由によるものなんですよね。同じものを読んでここまで違う声が聞けるとは。

 

 そんなわけで自分の過去の日記を読み返したわけですが、「このころのぼくってこんな元気があったの!?」と驚きました。

 『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』のちょっとした記述についてdisるために、これだけたくさんの本をあさってたのか。

 それにひきかえ今のぼくときたら。いま再読したら楽しめそうな気がするな、ぼくも100倍に希釈されたカルピスだから……こういうのはいい。こんな悲しい話は。

 

 

 ■本のこと■

  Kindle PC版が動作不安定になってから数ヶ月が経った

 Kindle PC版を起動すると、表紙が並んだ本選択画面でも本を読んでる途中でも体感5割くらいの確率により、数分でエラーをはいて強制終了するようになりました。

 それだけならまだよかったんだけれど、しおり機能・ラインマーク機能も恒常的に死に、引けはするけどそれを一括表示するページが白紙のままウンともスンとも言わない。

 何度か再DL・再インストールしたけれど、一向に復調しません。気になったところにもう一度目を通したいとか、文章を引用するさいに引用箇所の説明をするさいとかがナカナカ面倒になってしまって、困りますね。

 

 たぶん問題はKindleにあるというよりも、バージョンが古いわがやのメインパソコンにあり、Kindleさん側としても「困ってるのはこっちですよ、こういうレガシーユーザーがいつまで経っても世代交代してくれないんですから」と思っていることでしょう。 我慢くらべだおれは負けないぞ!!

 

 

 ■生活のこと■

  萌えキャラになりたい

 なりたいですよね。

 なりたいんですよ。

 ここのところのblog更新スタイル(=適当に思ったことを適当に文字にする)をとっていてつくづく思うのは「なんておれはいけすかないやつなんだ」ということで、言ってる内容もトゲトゲしいかネトネトしており、内容を問わずその口調でさえもが何かこう、負の磁場! しばらくご遠慮したい陰気なオーラをまとっているんですわ。

(ここまで↑書いてややこしいことに、上の文章はぼくが「やだな~」と思ってる文章ではない。方向性は違えど、すでに自分基準で「がんばってる文章」ですね。愛想を振りまこう、というか、「近所で見かけるいいかんじのオタクのいい感じの語り口、アレみたく書きたいな~」と思いながら書いています)

 

水戸黄門出演時のzzz_zzzz;

「だからなりたいんですよね」

助さん;

「ご陰気!」(ご隠居のイントネーションで)

zzz_zzzz;

「萌えキャラに」

 

 「うっう~!」とかね、ほしいんですよ。自分の語彙として。感性として。そういう爽やかなアレがほしい。

{さてこの「爽」て字はよいですね。><。左記の目をした萌えキャラが4人もひとマスに収まっている。そしてそのさらに前景に、大の字になったひと。きらきらとしている。(きららとしているかは詳しくないのでよくわからない)}

 もちろんなれないのはわかってますよ、偽物ですよ。でも便所の芳香剤がそれはそれで不快な悪臭だとしても、さすがに本物の汚物のにおいよりかは、ぜんぜん素敵じゃありませんか。

 しかし「うっう~!」、一体どのタイミングで言うもんなんですかね。ただのおっさんだから分かんねえな。あうぅ……><

 

  つまりそれってさ(萌えキャラになりたい②)

 オジサン構文とかが生み出されるのと、おなじ経緯では。

 

 ……ぼく自身は、オジサン構文もそんな嫌いじゃないんだよな。使えないけど、読むぶんにはスラスラ読める。馴染む。

 弊blogの(日記記事ではない、個別の記事の)フォーマルな文体が『LOGIC & MATRIX』などテキストサイトウェブ日記サイト文体で、

「けっきょく所謂テキストサイトや、ひいてはそれを愛読していたぼくの(文章を軽くしたり、抑揚つけるための)文字装飾や文章のノリがそもそもな……」

 というお話なんスよね。うっう、うう……。

 

 

 ■うろんなもの■

  劇場版ちいかわ

…に先立って上映される、ちいかわたちによる映画鑑賞マナー

 ・で上映中おしゃべり(ひとりで)するモモンガ

  ・で上映中食い散らかし飲み散らかすモモンガ

   ・で周囲の席を蹴り散らかすモモンガ

 ・ちいかわたちもひそひそウフウフとおしゃべりに興じるバッドマナー者な気がする

  ・けれど、ちいかわたちが「シィー!」て諭されてシュン……となったら、非常に居たたまれなくて、とてもじゃないけど映画を観る気分ではなくなってしまうので、モモンガがいてよかった。

 

 ■考えもの■ネット徘徊■

  「読者になる」

と、そのはてなブログが新たに記事を更新したさいアラートしてくれるので便利なわけですが、いちまつの怖さがありますよね。

 はてなブログの基礎機能である「購読リスト」。その対象とするためのボタンが、ひとさまのはてなブログに現れる「読者になる」ボタンです。

 「読者になる」ということはつまり、「このサイトは自分にとって、わざわざ毎日手動で更新チェックをする価値がないサイトだ」と表明するということでもあるわけじゃないですか。

{たとえば毎日にちかいかたちで更新される『偽日記』さんや『基本読書』さんは「読者になる」必要がない(なんなら毎日アラートが入ってわずらわしいまであるかもしれない)}

 

 

0724(月)

 ■読みもの■

  エーコが見る『コロンボ』像の変化/政治的変化……本当に? 識者の声がほかにも欲しい

 このごろはポップフィション・一般書籍以外の電子書籍化が進んでいて大変ありがたいなぁと思います。とくにエーコ氏の著作は色々でて嬉しい。

   ▼エーコの新旧『コロンボ』評がおもしろい

 新シリーズの「刑事コロンボ」が順調に放送中だ。だがしっくりこない。たしかにピーター・フォークのロングコートは相変わらずクリーム色で、ブルックスブラザーズ仕立てではないが、洗濯済みで糊が利いている。

   河出書房新社刊(2021年7月5日発行)、ウンベルト・エーコ(和田忠彦監訳)ウンベルト・エーコのテレビ論集成』kindle版86%(位置No.6404中 5491)、「親愛なるコロンボ、装いも新たに」

 ンベルト・エーコのテレビ論集成』所収の愛なるコロンボ、装いも新たに」は『エスプレッソ』誌1985年12月8日号にされたコラムで、イタリアの物知りおじさんエーコ(53)による事コロンボ』新シリーズの評。名探偵バスカヴィルのウィリアムとその助手メルクのアトソンが殺人事件に遭遇する代表作薇の名前』がイタリアで出て5年、英語版が出て2年くらいの時期に発表されました。

 コロンボがイタリア系の警官なのは変わらない。しかしかれの住むアメリカでは、ニューヨーク州知事(マリオ・クオモ、大統領にだってなれる)の苗字も母音で終わり、フェッラーロ女史が副大統領の選出争いに少なくともチャレンジはでき、非常に著名な有力者がアイアコッカという。イタリア系コロンボが住むアメリカでは、イタリア系住民が子弟を名門大学に送り、ルーツへの誇りと敬意を育み、ユダヤ系やアイルランド系と対等に渡り合い、プエルトリコ系を見下ろす。

 マイノリティの意見に敏感な社会においては、とくにマイノリティが豊かとなり他と同化を進めるからには、コロンボがニンニク臭いイタリア系のようにふるまってはいけないのである。

   『ウンベルト・エーコのテレビ論集成』kindle版87%(位置No.6404中 5504)、「親愛なるコロンボ、装いも新たに」

 かつて放送されたシリーズとは打って変わって、その装いや「声、肩の向き」が清潔化し民族的特徴が薄められ「決然と信念にしたがい堂々と正面から敵と向き合う。クール」な新コロンボ像をつらつらと、しかし端的にまとめたエーコ氏は、そんな新コロンボについてイタリアの「視聴者がうろたえ、がっかりするのも無理はない」と首肯し、コロンボ』の住むアメリの話、ひいてはカルチャーやプライベートへと話題を移していきます。

 なぜだか、土地だけでなく、マスメディアの寵児や習慣なども、こうしたうねりに巻き込まれていく。たとえば、喫煙はますます下層階級の嗜好となる。大学教員や政治家の間では廃れ、アート、ファッション、出版といった限られた業界でのみ続く。喫煙は下品であり、自分の健康を気に懸けるほうが洗練されている。

 同じことがポルノにも起こっているのではないか。

   ウンベルト・エーコのテレビ論集成』kindle版87%(位置No.6404中 5518)、「親愛なるコロンボ、装いも新たに」

 監訳者のあとがきでエーコ氏のテレビ論を総括してひとこと話題にされるとおり、このコラムもまた、当時こそより一層その生臭さが表へ露呈していたテレビ・メディアの趨勢が念頭にあったのかもしれません。

 それゆえマイク・ボンジョルノは、凡庸さという価値の輝かしい実例をもって、大衆を説得する力を備えているのだ。みずからを偶像として差し出しながらも、劣等感を掻き立てることはないから、視聴者はかれに報いようと、感謝と愛を捧げる。同じようになろうと努力しなくても、誰もがすでに同じレベルにあるという理想のすがたがかれなのだ。これほど信者に寛大な宗教はなかった。かれのなかでは、存在とありうべきものの境界は無に帰する。かれは崇拝者たちに告げる。

「あなたがたが神なのです。そのままじっとしていてください」

   ウンベルト・エーコのテレビ論集成』kindle版3%(位置No.6404中 150)、「マイク・ボンジョルノの現象学

 コロンボの変化について裏事情をうがつ記述は、さかのぼること24年前、1961年に発表された他コラムにてエーコ氏が貶しに貶した、現代のテレビにより提供される新たな偶像――マイク・ボンジョルノ的「凡人(エヴリマン)と重なるものがあります。

 イタリア語版ウィキペディア機械翻訳にかけてみると、『刑事コロンボ』のイタリア語版の展開は、全国メディアでは1977年にRai2(ライ・ドゥーエ)でまず取り扱われ、その数年後Rete4(レーテ・クワットロ)でそのほかのシリーズが放送される運びとなったそうです。

 Rai2は61年11月にイタリアで2番目に開局されたTVチャンネルで、イタリア放送協会(Rai)が運営(Raiは国民からの受信料と広告料が財源)。Rete4局はもとは82年にアーノルド・モンダドーリ・エディトレが開局した民間TVチャンネルで、2年後にシルヴィオ・ベルルスコーニ氏のフィニンヴェスト社に買収。ACミランとスポンサー契約した直後の買収劇により、チームのユニフォームに「"女性視聴者をねらうTV局がサッカーチームのスポンサーだと示すのは好ましくない"というベルルスコーニとの合意のもと」Rete4のロゴではなく、代わりに『オスカー・モンダドーリ』のロゴが飾られた……

 ……そんな時分が、エーコ氏がこの『コロンボ』評が出た時分みたい。

(ちなみにベルルスコーニ氏がACミランを手に入れるのはエーコ氏のこのコラムの翌年86年、イタリアの首相を初めてつとめるのは9年後の94年のこととなります)

 よき習慣が粋と見做され、白ワインがウイスキーに取って代わる。コロンボ刑事は、妻一筋が家訓で、ブドウの文化を代表している。これで上流への仲間入りが約束された。

 喫煙量を減らせれば言うことないが……。

   ウンベルト・エーコのテレビ論集成』kindle版87%(位置No.6404中 5529)、「親愛なるコロンボ、装いも新たに」

 「よき習慣」の波を受けて「われわれが好むのとは別のコロンボとして一般化/脱臭化されつつも、なおも残る「下品」な悪癖を見る――しかしそのたばこの臭いははたしていつまで残っているのか疑問もにじませた、興味深いメディア論文化論です。

 

***

 

 なかなかたのしく読み終えたのですが、しかし、上のメモを書くためにウィキペディアを覗いたことで、よくわからなくなってきました。

   ▼エーコが語る新旧コロンボって、いつのだれ?;けっこう輸入順がバラバラっぽいイタリア版放送
  • 【確定事項】エーコ氏やイタリアの視聴者がその脱臭化を嘆いた「新シリーズの「刑事コロンボ」」は、『新・刑事コロンボ('89~ ABC)ではない(85年12月の評に、未制作・未放送の作品を論じられるわけがない)
  • 【あやふや】NBC時代の『刑事コロンボ('68~'78)7シーズン+αのイタリアへの紹介は、歯抜けかつシーズンをまたいだバラバラの順序でもって再構成されたかたちで77~79年・81年秋~82年冬に行われたらしく、エーコ氏がコラムを書いた85年当時に初めて翻訳紹介された回は無いっぽい。(85年当時の番組編成は、ちょっとググった程度じゃわからない)

 イタリア語版ウィキペディアに記載のイタリア初放送日(と、あとIMDbの★多い順ベスト43、NHKBSでアンケートが取られた☆ベスト20*13、主演ピーター・フォーク氏のお気に入りベスト4*14を)ならべると……

S1-7「パイルD-3の壁」77年07月06日★18、☆5

S2-3「アリバイのダイヤル」 77年07月20日★26

S1-4「二枚のドガの絵」77年08月03日★13、☆2

S1-3「ホリスター将軍のコレクション」77年08月17日★41ドベ3

S2-5「偶像のレクイエム」77年08月31日★32

S1-2「指輪の爪あと」77年09月14日★14

S3-6「愛情の計算」77年09月21日★39

S4-6「5時30分の目撃者」77年10月28日★28

S2-8「二つの顔」77年11月04日★16

 

S2-6「溶ける糸」78年07月05日★5、☆4

S5-4「闘牛士の栄光」78年07月19日★42ブービー

S1-1「構想の死角」78年08月02日★12、☆8

S3-4「意識の下の映像」78年08月14日★10、☆17

S2-7「断たれた音」78年08月16日★27

S1-5「もう一つの鍵」78年08月30日★34

 

S4-5「ビデオテープの証言」79年08月15日★20

S5-5「魔術師の幻想」79年08月28日★4、☆18、PF3

S2-2「悪の温室」79年09月12日★31

 

S6-2「黄金のバックル」81年11月01日★40

S7-2「美食の報酬」81年11月15日★22

S6-3「殺しの序曲」81年11月22日★21、☆11

S6-1「ルーサン警部の犯罪」81年11月29日★30

S7-4「攻撃命令」81年12月06日★9

S5-2「ハッサン・サラーの反逆」81年12月13日★35

S5-1「忘れられたスター」81年12月20日★8、☆3、PF2

S3-3「野望の果て」81年12月27日★19

 

S4-3「祝砲の挽歌」82年01月10日★11、☆6

S3-2「別れのワイン」82年01月17日★1、☆1、PF1

S4-4「歌声の消えた海」82年01月24日★17、☆9

S4-2「逆転の構図」82年01月31日★7、☆10

S5-6「さらば提督」82年02月07日★43最下位

S5-3「仮面の男」82年02月14日★29、PF4

S7-3「秒読みの殺人」82年02月21日★25

S7-5「策謀の結末」82年02月28日★33

S0-1「殺人処方箋」82年03月07日(★7~9)、☆12

S3-7「白鳥の歌」82年03月14日★6

S4-1「自縛の紐」82年03月21日★24

S3-1「毒のある花」82年03月28日★37

S1-6「死の方程式」82年04月04日★36

S3-5「第三の終章」82年04月11日★23

 ……こんな具合になり。総括すると、

77~79年はシーズン前半特集という感じで、S6~7からはひとつもなく

 81年(というか81年第四クール)シーズン終盤特集という感じで、シーズン6~7を主体にしてて、S1~2からはひとつもなく

 翌年(というか81年第四クールから引き続き週一ペースで放送された)のイタリアにおけるNBC時代初紹介のいったんの締めくくりとなる82年第一クールはS3S4を各4回、S7から2回、最初期のS0S1からもおなじく2回……と、初期終期をひろいつつの中盤シーズン特集

 という風に読めます。

 シーズン初回最終回(仮説①;一話完結ドラマといえど、シーズン初めは設定紹介・最終回は物語や設定や人物について〆たり深堀したりするネタになるのではないか? それがイタリア放送において前期に偏っていれば、エーコ氏のような感慨を抱くのではないか?)の分布の違いがどうであるか注目してみたり、各話の評価などをみてみたりもしましたが(仮説②;放送回の良し悪しが新旧イタリアの放送で偏っていて、とくべつ前期に良い回ないし後期へ悪い回が振られた可能性はないか?)、そこまで大きな違いがあるとも思えません。

 

 85年年末にエーコ氏がイタリアで『コロンボ』を観たのは事実として、そのときの『コロンボ』はどういう構成だったのか? イタリアの往年の編成どおり? それとも米国オリジナルの構成通りに放送しなおされた番組とかがあったのだろうか?

 イタリア初紹介順で放送されたのを観た場合だろうと、おおむね古い時期に制作されたものから新しいものへと紹介されているので、それによってエーコ氏のディスクリプションやそれにもとづく論考がおおきく変わるってこともあんまり無さそうに思えますけど、だからといって何も変わらないということもない気もして。

 そんなわけでこうしてタイプした次第です。

 

 

0814(月)

 ■身体のこと■

  寝不足由来だろう頭痛のダメージが大きくなってる実感

 更新が滞ってますが、元気に過ごしてます。

 途絶えた理由は体調をくずしていたのもある。(元気とは?)

 いや、活動不能なレベルで沈んでいたのは頭痛による1日だけなんですが、前後でなんかダルい日々がつづいています。

 徹夜をしたりなんだりしたあと頭痛に悩まされることは過去にもあって、今回もそれっぽい気がするんですけど(それか深夜まちがってエアコンを消してしまったことによる悪影響)、「痛いだけで意識ははっきりしてるし活動できる」という程度だった昔とちがって、ここのところどんどんダメージが大きくなっておりまして。

 頭の痛みが活動にまさり、パフォーマンス低下がひどい。そして、寝て休もう*15にも仰向けになると頭の脈動が響いて苦しく、寝られるわけないのに体育座り状態で寝ようとしたり、悶えるようになりました。

 今回の頭の痛みはそこまでひどいものではなく、「ちょっとパフォーマンスは低まるけど活動できる」し、仰向けになればちゃんと寝られる程度の軽い頭痛だったんですよ。

 だから気楽にかまえていたのですが、仮眠をとったうえで食事をとろうとしたら「物を食べるべく顎を動かすと、頭に痛みが響きわたる」(ここまでは前もあったかな。)し「一口食べただけで吐き気がする」具合になってしまって、「かるい頭痛」が昔のような軽さではない。

 「重い頭痛」に遭遇した時よりも、今回のようなシチュエーションのほうがより一層、肉体の衰えを感じますね。

メラゾーマを食らって大ダメージを受けるのは当然であり、また、冒険する地域の変化ともとらえられるけど(じっさい現在のほうが学生時代よりも生活リズムがめちゃくちゃなので)、メラで瀕死になったときはそういったなぐさめが出来ない、だからより大きなショックを受ける……みたいな感じか?}

 

 結果『Divinity : Original Sin - Enhanced Edition』を進められておらず、なので更新が途絶えてしまっているわけなのですね。

「ディヴィニてなければ書くことが何もない」。だいぶ……だいぶな人生だな。

 

 ■ネット徘徊■

  FANZAに見る時候

 日本には四季があり、春は梅や桜、夏は玉屋鍵屋、山の日の3連休めはFANZA回線ひっ迫メッセージが花開きます。

 

******

 

 FANZAの更新が0:00なので、コミケの新刊が電子卸しされないかと月曜がくるまで夜更かししました。こんな三連休の〆めかた/平日へのはみだしかたを、子どものころのぼくは思い描いていませんでしたわ。最高だね。

 

******

 

 コミケ新刊タグに、生成AIイラスト集がふつうに名を連ねていて、時代の移り変わりを感じる。

 

 

 ■観た配信■

  vtuberにじさんじ甲子園』でうずく「お前じゃない」痛み

 にじさんじvtuberによるeBASEBALL パワフルプロ野球の「栄冠ナイン」を用いたゲーム大会じさんじ甲子園』

 めっちゃアツく盛り上がれるこの企画の(幾人かのvtuberによる)育成配信を見ていていちばん脳味噌にクるのは、にじさんじvtuberの顔と名前を宛てられなかったモブの部員たちに何か良いイベントがおこると「お前じゃない!」と絶叫されたり、野球の試合中かれらが失敗したときに「なにしてくれてんのお前!? せっかく(任意の人気ライバー)がここまで頑張ってくれてんのにさぁ~~!」と罵声を浴びせられたりするところだと思います。

 

******

 

 ゲームが好きだから、漫画が好きだから、オタク趣味が合うから。

 ついお前は彼らをじぶんと気が合う仲間のように思ってしまうよね。

 でもお前じゃないんです。なにしてくれてんの?

 

 

 ■ネット徘徊■

  一貫性ある一個人みたいにGPT-Jへ「聞き込み」取材するNHKの記事はこれどうなの?

www3.nhk.or.jp

 だいぶ怖い記事でした。

 なにが怖いかというと、記事に挿入されるNHK記者と問題のGPT-Jとによる会話は、一見やりとりをそのまま引用した文章に思えるけれど、実際にはスクリーンショットをみるに少なくとも時系列を入れ替えてる)編集済みの文章なところ。

 時系列を入れ替えているだけならまだ百歩譲って良いですよ。でも……

他にもさまざまな質問を投げかけましたが、今回の出来事を本当のところどう受け止めているのか、正確に理解することはできませんでした。

 ……というNHK記者氏の文章を読むに、GPT‐Jとのやり取りのなかには、掲載に至らなかったノイズも確実にあったはずで、それが挟まっていたけど掲載文ではそこを削除した可能性さえなくもない。

 つまりこのNHK記事(記事執筆者)は、入力された情報に対して都度それっぽい情報を返すだけであるLLM(大規模言語モデル)との問答を、何か一貫した記憶と真意を持った「ふつうの人」への聞き取り取材みたく、意味のとおる会話文へと「ケバ取り」(!)してるんですね。

 

 個人的には、

「ミクロ面(個々人への情報伝達)では、LLMが一体どういうものか説明したうえで、LLMに対する錯覚を解くのが大事なのではないか?

 マクロ面では、自動運転車とおなじく、こういう"事件が起きた時にだれが責任を取るのか?"などを詰めていく(よう促す)のが大事なのではないか?」

 と思うんですよ。

 なのでぼくとしては、NHKニュースのこの記事よりも……

www.youtube.com

 ……ChatGPTを活用としたらドタバタ漫才になっちゃったストリーマーさんの試行錯誤のポスト(旧名ツイート)や動画を紹介するほうが、人類のタメになる気がしますね。

 ただNHKニュース班的には、「そういうのは処方や政治運動であって、われわれがやることではない」と思われているのかもしれず、むずかしい……。

 

 

 ■建てもの■はてなブクマコメント補足■ネット徘徊■

  ピコリーノや77年の児童柵転落事件について知る

kuruma-news.jp

誰もが1度は見たことある?…「謎の小鳥」が4羽乗った“車止め”の名前は? その知られざる誕生秘話とは

知らんかった~。{ググって,ピコリーノ発売の4年まえ・77年まで神戸夢野台高校転落事件(6歳児が65cmの道路柵に腰かけたところ,その向こうの4m下の校庭へ転落した事件)の賠償裁判が行なわれていたことも併せて知りました}

2023/08/07 17:36

b.hatena.ne.jp

 てっぺんに小鳥が4羽とまった車止め。「いま巷で話題の排除アートなのでは?」と言われることもあるこの車止めが、実は80年代うまれのベテランで、事故防止のための工夫だったんだという記事でした。

 アフォーダンスという概念を世に広めた――結果、のちのち一部意匠にかんしてシグニファイアへの修正へと邁進することとなった――ドナルド・A・ノーマン氏が88年に著した代表的論考のためのデザイン?』(増補改訂版。オリジナルの版で書かれてたかは知りません)にて、「本来そのような使い道は企図されていないが、利用者がもたれ・寄りかかるかもしれない」と言っていた階段の手すり。

 そんな所謂アフォーダンス的な問題が車止め⇔子ども間にも起こっていて、それをノーマン的な対策で解決した例が80年代初頭の日本に既にあったとは! おどろきでした。

 発売元のサンポールによる誕生秘話のほうがまとまりとふくらみがあって良いかな。{世代交代や、新種(カエル)の話題もある}

www.sunpole.co.jp

 ぼくはブランコを椅子代わりに座ってゲームボーイをプレイ中、ふと両足をあげてひっくり返ったことがあるので「さもありなん」と思ったんですけど、

「どのくらいの要望があって"商品として作ってみよう"と思い立ったんだろう?

 当時なにか代表的な事故とか、事故統計とかがあったんだろうか?」

 と気になりました。ググってみたところ、この小鳥付き車止め「ピコリーノ」がうまれた81年からさかのぼること4年前、77年まで「神戸夢野台高校転落事件」の損害賠償裁判がおこなわれていたことを知りました。

saiban.in

 夢野台高校の校庭に接するとある道路が子供たちの遊び場となっていて、もともと校庭と道路とで高低差があったので、転落をふせぐため2mの塀が建てられていたものの、道路が嵩上げされて塀と同程度の高さになってしまった。4件の転落事故と「危ない」という近隣住民の声をうけ、70~75cmの柵が設置されます(が、また道路はかさ上げされて、事故当時は65cmほどの高さになっていたそう)。

 近隣住民は、子供たちに柵に腰掛けたり・鉄棒代わりに遊んだりしないよう注意をしていたけれど、さらに事故が起こり……、被害者が道路の管理者に賠償をもとめたのが上述の事件・賠償裁判。

 けっきょく管理者側に責任ナシとなったとのことですが、「仮に賠償責任を負うとしたら、被害者の労働能力喪失割合は40%だからその後遺症の程度は自動車損害賠償保障法施行令の別表の等級の八級に該当(ググるとげんざいなら保険金819万円)だけど、無理な体勢じゃないと転落しないから本人の過失も口頭で注意するだけで制止しなかった保護者の過失も4割ある。(≒だから490万くらいを支払う)」という旨の文章もあり、防げるものなら防ぎたいところですね。

 

 そうなってくると、事件のあった地域周辺はピコリーノが多く生息するのでは?

 サンポールさんの記事では有志制作によるピコリーノ分布マップも掲載されていて、それを見てみると……

www.google.com

 ……そんなこともないのでした。ピコリーノの主な生息域は東京近郊なんでしょうかね。

 西には西のピコリーノ的動物がいるのかしら?

 ちょっと気になった一日でした。

 

 

 ■読みもの■はてなブクマコメント補足■

  野田サトル『ドッグスレッド』1~3話読書メモ

ynjn.jp

 野田サトル氏の最新作ッグスレッド』が連載開始されましたね。めっちゃ面白いです。

 どうにも無料公開は1話と最新話だけなようで、3話が無料公開されたのと交代で第2話が有料限定となってしまいました。また、改作まえの打ち切りになった旧版ピナマラダ!』にかんしても、高校入学してしばらくまで公開されていた無料公開部分が、一気に狭まってしまいました。

 ざんねんなことです。

 というのも今作、旧版と読み比べながら連載を追ったらより楽しい作品なんですよ。

 

 改作のおもしろさが味わえるのは第2話からが本番で、まず驚かされるのがエピソードの凝縮ぶり。旧作では(2~7話まで)6話かけてやった展開がたったワンエピソード(!)に収められています。

ynjn.jp

[第3話] ドッグスレッド - 野田サトル | となりのヤングジャンプ

再構成が複雑に。旧版8~12話が主軸だが,試合前に行われた5(廃校)6(他校との因縁)の回想が試合中に一息に挿入,11→12のタックル潰れ→耐えが同一話内で,ロウの反則は今版2話源間弟の行為の反復という納得の形に再構築された

2023/08/10 18:22

b.hatena.ne.jp

 第3話までくると改作の醍醐味がでてきます。

 6話分のはなしを1話の尺で語るからには、そりゃ~~省かれた展開がいっぱいあるわけなんですけど。新版第2話で旧版から漏れたエピソードは、つまらないから落選したわけではなくそれが一番おいしく感じられる適切なタイミングで提示するために一旦引いただけの場合もあるのだ……ということが第3話で見えてくるんです。

 たとえば旧版『スピナマラダ!』だと源間弟ひきいる北陸中との公式試合まえ、第5・6話で中断をはさんで飛び飛びに語られた、宮森中の廃校とアイスホッケー部顧問移籍・北陸中との因縁にまつわる過去。

 げんざい連載中の新版『ドッグスレッド』だと、過去話は因縁の北陸中と試合している真っ最中に、かれらを睨みながら第3話のワンエピソード内で一息に語られるかたちへと改められています。

 旧版5・6話の過去の因縁話が盛り込まれた一方で、後段へオミットされたものもあります。

ロウ「キーパー入れてリングの中では6対6!? 同じ人数なら多勢に無勢なんて関係ないじゃないか!!」

部長「全員がリンクの上で戦うと思ってたのか?」

ロウ「よしこれなら勝てる」

部長「まあ…やればわかるよ」

 アイスホッケーにおける人数差がどういった状況を生むのか、『スピナマラダ!』では最初に説明された部分は、今後のエピソードへと後回しにされています。

 『ドッグスレッド』では、ロウvs源間弟、宮森中vs北陸中という取っ掛かりやすい人間ドラマ・対決の構図がまず前面に打ち出されています。

 

 さらに、もっと素材の味が活きるよう煮込み直した部分だって見えてきました。

 まずぼくが感心したのは、両中学の因縁が語られるリンク一時退場シーンの発端となる、主人公ロウの反則。これも『ドッグスレッド』は非常に納得いくドラマを展開しています。『スピナマラダ!』だとロウの反則は多段でおこなわれ、一度目は一見さかしらなチョンボ、二度目はがむしゃらにがんばっていたら敵をスティックでたたいてしまった……という不可抗力として描かれます。

 チョンボはサッカーで言うオフサイドで、「いくらロウがフィギュア一筋つったってなぁ……」と、さすがにサムく映ってしまうものです。二度目は悪くないですけど、「悪くない」以上の感想がありません。

 

 新版『ドッグスレッド』のロウの反則って、ともすれば旧版よりも馬鹿らしく下品なものなんですよ。

 なんたって、スティックで「意図的に」相手選手をたたいてしまう――それも、股間にスティックを通して足止めする……というものです。『クレヨンしんちゃん』かな?

 でも、今作においては、まったくもって納得いく自然な反則なんですね。

 というのもこれ、第2話の源間弟との私闘にさいして、かれからやられたことの再演なんですよ。

 フィギュアスケート一筋で生きてきたロウが、ずかずかタックルで削られることが当たり前であるアイスホッケーの過酷なもようを身をもって知っている最中に、「とすれば」アイスホッケー選手である「源間弟から先日やられたあれも合法なのだろう」と思ったとしても、しごく当然のことでしょう。

 

 あらためて比べて「おおっ!」となったのは、試合開始(フェイス・オフ)場面。アイスホッケー初試合のロウがコート中央の円に闖入したままとなってしまう構図。その展開じたいは旧版と変わらないのですが、ロウが部外者でやらかしていることが誰の目にもわかりやすい構図へと変更されました。

 身を丸めて構えるひとびとのなかで、じしんが幼い頃から鍛えてきたフィギュアスケートの始まりのようにピンと美しく立つロウ――このたたずまいは、『ドッグスレッド』で新たに描かれたものです。

 これも旧版になかった要素だったのか。でもまぁそうかとも思います。『スピナマラダ!』のロウは、フィギュア/スケートを捨てようとしたり他にもいろいろと思い悩む「ふつうの人間」なんですよね。結果として『スピナマラダ!』の序盤は、3歩進んで2歩下がるみたいな逡巡が非常に多い。

 『スピナマラダ!』版ロウの祖父が井上雄彦作品風なとおり、井上氏の『リアル』が一軍として継続的に掲載されていた当時の『ヤングジャンプ』では『スピナマラダ!』のノリは割合なじむものだったかもしれないけれど、それにしたって厳しかったのは打ち切られた現実が証明してもいる。

 

 語り直された『ドッグスレッド』におけるロウは、公式演技の場でやらかしてしまったもののフィギュアスケートの経験を前向きに自分の中で携えた「美しさ」に一家言あるフィギュアスケーターとしてキャラ立ちしています。

 源間弟から学んだアクションで反則・一時退場をうけ、じぶんたちのチームメンバーの裏事情を知り、宮森中のひとびとを「美しい」と言ってのけ、かれらとともに再度アイスホッケーのリンクに立つ――フィギュアスケーターらしい美しい技巧を駆使して。

 ロウのこのまっすぐなめらかな軌跡は、『ドッグスレッド』でしか拝めないものです。

 

 新人漫画家・野田智の行ったり来たりのぎこちないけれど味のある紆余曲折を推す声もあるでしょうけど、長期連載を見事完結させた野田サトルが、一挙手一投足をテキパキと動かすことで今度はどこまで進みたいのかを、ぼくはいまは見守りたい。

 

 

 ■ネット徘徊■はてなブクマコメント補足■

  ご当地アイドル事件関連の判決文を改めて読む

www.asagei.com

www.dailyshincho.jp

「愛媛農業アイドル自殺訴訟」勝訴した社長が語る「テレビ報道」への疑問 「なぜ『ミヤネ屋』は判決を報道しないのか」(抜粋) | デイリー新潮

第①③訴訟は遺族弁護側HPに判決全文pdfあり,「1億円」可否は①の話(証拠不十分を超えた疑問視が) 事件は誰も悪くない悲劇て印象だけど,活動の対価の可否は「これで合法…芸能は親類には勧められん」と正直思う

2023/08/13 18:12

b.hatena.ne.jp

 ご当地アイドル「愛の葉Girls」メンバーの自死にまつわる4つの訴訟すべてが終わりつつあります{第2訴訟は控訴取り下げ、そのほかは地裁でアイドル事務所側が勝ち、第1・第3については高裁や最高裁で控訴棄却。第4訴訟については高裁も遺族側による名誉棄損をみとめる地方裁の一審原審を維持、遺族側は上告中……なんだけど、遺族側弁護士のひとりが上告期限を過ぎてそのまま終了になった部分もあるらしい(?)}

 旅立たれたかたのご冥福をお祈りするとともに、関係者のかたがたの心の平穏を願います。

 以前の日記でも書きましたが、まず、事務所の責を問い損害賠償をうったえた遺族ら原告がそうするにいたった経緯や、うったえられた被告である事務所の反論が各ゴシップ誌サイトで掲載されているほか。第1訴訟第3訴訟判決文pdf遺族側弁護士日本エンターテイナーライツ協会の公式サイトで公開されていて。

 また遺族側弁護士の提出した関係者陳述書について「不当だ」とうったえる被告側アイドル事務所から、原告側関係者陳述書の署名にかんする現場の録音資料・文字起こしが、事務所公式サイトにて発表されています。(「これはちょっと……」と思わされる内容)

 こんかい話題の第4訴訟は、その遺族側による記者会見等の是非についてアイドル事務所側から問われた訴訟ですね。日本エンターテイナーライツ協会さんから、一審判決控訴審判決とについてそれぞれ報告記事がなされているけれど、こちらは第1・3訴訟とちがって判決文pdfの公開はされていません

{0815追記;判決文はそのほかウィキソースへの転記記事があるっぽい。(①高裁2審

 判決文PDFは人物が黒塗りされてたけど、ウィキソースの転記記事は、人物ごとに記号化されててわかりやすい}

(2024年4月25日追記;第4訴訟の詳細についても現在は、日本語版ウィキペディアに判決文をもとにした詳細なまとめが掲載されています)

 

 たいへんインパクトあった「やめるなら1億円払え」発言。これの有無をふくめた是非は第1訴訟で検討されました。

{一番の理由は証拠不十分なんですけど、その詳細は「疑わしきは罰せず」的なアレを超えて、時系列とその時々の行動を並べたうえで「アイドルの恋人Bとその親Cは、Cの運転する車内でアイドルから"1億円支払えと言われた"と聞いた~って証言しているけど、LINEやら口頭やらでアイドルがそのほかの友人・親等へ報告・相談できるタイミングがあったのにそれを話題にしなかったのは不自然じゃね?」という旨の、遺族側の主張へ否定的な疑問をはさむもの『東京地裁 平成30年(ワ)第37265号 損害賠償請求事件』p.26~27)

 

 第4訴訟の判決文が読めてないから、ぼく自身の印象としては第1・3訴訟の判決文pdfを読んだとき同様、

「事件じたいは誰も悪くない、それぞれがちょっとずつボタンを掛け違えてしまった悲劇だと思うけど。活動の対価などについては、これが適法なら親類に芸能活動は勧められないな……」

 というものから変わりありません。

 そういった立場のため、

「すべての訴訟が遺族側の敗訴でおわりそう、かつ、同時に遺族側に寄った発信をしたメディアへの責任が追及されはじめた現在、裁判の勝ち負けをもって"遺族側が無理筋の主張をしていたクレーマーだ"ととらえられ、じっさいのアイドルの活動状況が顧みられないのはあまりにも悲しいな……」

 と思っています。

 

 いやね、事務所の方々が熱心・親身だろうことは、ウィキペディアの活動経歴NHK「恋する地元キャンペーン」PRアイドル、独立リーグ地元野球チーム応援ソング指名、農協直売所イメージアイドル、2年連続台湾遠征、国体応援大使、俳句の甲子園応援隊……)や判決文を読むだけでも分かるんですよ。

 原告らは,原告■■が,被告従業員であった■■■■(以下「■■」という。)に対し,平成29年11月17日に同年12月2日のイベントを欠席させたい旨を申し出たのに対し,そのような相談は(略)本人からのものでないと聞くことはできないと返答したことや,同年11月29日に元旦に休みを取りたいと申し出たのに対し,「全国区のタレントを目指していく上で元旦のように世間的に特別な日こそ,活動すべきではないかと思います。ご家庭の事情はおありでしょうが,ここはお母さんとしても応援してほしいところです。」

   口頭弁論終結日令和3年7月6日・令和3年9月7日判決言渡し・同日原本交付、『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払賃金請求事件』p.30~31、第3 当裁判所の判断、「1 認定事実」2(2)より

 事務所側の発表などを読むに、親御さんとのやりとりも結構にあったらしいし、それはたしかだろうと思えます。

「うん。俺もお前に対して色々と納得いかん。なので、また話し合おう。」

「私に対してですか!?わかりました!いろいろ教えてくださいm(_ _)m」

「うむ。貴方の物の考え方受け取り方、その他色々あちこちにダメ出ししたい。というか今の貴方の考え方、やり方で本気で全国いけると思ってる?世の中ナメるにも程があるぜ。まあ詳しくはまた話しするわ。」

   口頭弁論終結日令和4年3月3日・令和4年6月9日判決言渡 同日原本領収、『東京地裁 平成30年(ワ)第37265号 損害賠償請求事件』p.16、「第3 当裁判所の判断」1 認定事実(3)カ より

 野次馬として読める範囲だと、くだんの地方アイドルの活動模様は、地方の熱心な部活動のエース部員とその保護者と部活動顧問のやり取りのように見えてきます。じっさい、第3訴訟において、アイドル事務所側は活動をこう言ってもいます。

本件グループの活動は,職業活動ではなく,体験学習やアマチュアスポーツに近いもの

   口頭弁論終結日令和3年7月6日・令和3年9月7日判決言渡し・同日原本交付、『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払賃金請求事件』p.16、(被告の主張)より

 ……といったところでひとつ疑問がうかびます。

 はたして、活動に数十時間単位のコストと金銭が発生し・学業とのスケジュール被りさえ生じ・スキャンダルやイベント不参加,遅刻などに対する罰金ペナルティなどもある契約関係『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払賃金請求事件』p.4~10 {※ただしイベント不参加の罰金ペナルティが実施されたことはない。遅刻や忘れ物による報酬の減額はあり、オファーイベント不参加による月一「専属料」の不支給はあったとのこと(『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払賃金請求事件』p.34)}〕が、熱心な部活動でいいのか?

 

 たぶんレッスン料とかイベントの経費などは事務所もちだろうから、「その点では優秀な部活動なんじゃないか?」って思うんですよ。

「事務所が言う"職業体験・アマチュアスポーツ"のなかでは――全国区の活動・事務所入りへの足掛かり(組織)としては、お金が掛からないどころか、いくつかの局面ではおこづかいも貰えるわけで、よいことなのでは?」って。

 でも参加の可否を当時中学生であるアイドル本人にゆだねたうえで、受験2日前の瀬戸内海をまたいだ他県でのイベント参加が促されたり*16〔未成年、それもギムキョの子の自己責任だとするのはあまりにむごい

保護者からの休みの申し出に対しては「アイドル本人からの申し出でないと聞くことができない」と返されるいっぽうで、じゃあアイドル本人からの「学校に行きたいので同日のイベントを欠席したい」という申し出に対してもまた、「お前の感想はいらん。学校の判断と親御さんの判断の結果をそれぞれ教えろ。」などとメッセージを返される状況(『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払賃金請求事件』p.30~31)ダブルバインドで、もしzzz_zzzzがおなじ状況に置かれたら一体どうすればいいかふつうに困惑すると思う}〕

 家族との会話もそこそこに、学校を転学することが事務所~アイドル間ですすんだりなど、ほかの領域をおかす領域で食い込んできて「この道以外を細める」タイプの部活は、あんまり無いし不安になりますね。

(寮完備のスポーツ校も、ある程度、大学へエスカレーターの道があったりするじゃないですか)

 

 ほかの道を圧迫するレベルの活動だというのに、くだんのかたがたによる地産地消フェアでのアイドル活動が、ぼくが小学校の夏休みに地元神社で舞う(午前9時30分入り~11時おわり。昼飯食べて退社。交通費神社持ち)ことより遥かに大変なのに、その時ぼくが頂戴したお金より安いのは、さすがにショッキングですよ。

 午前10時から午後6時までスーパーの「販売応援」(&土日は音楽ライブ付き)として活動して、全17日で計1万1000円『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払賃金請求事件 判決文』p.10~11}ですよ。

 裁判所の判断では、参加は強制じゃなくてアイドルの自由意思にもとづくものだったし、この計1万1000円もライブのない平日にイベント参加してくれたことに対する事務所からの激励金だし、「販売応援」にしたって「地産地消フェアに出店した店舗において,元気に声を出して来場者に呼びかけたり,店舗で販売している特産物等のPRをしたりして,売り場の雰囲気を盛り上げる活動であって,直接,お客に商品を売って代金を受け取るなどの売り子業務はしていなかったことが認められる。(略)販売応援は店舗における販売活動そのものとはいえず,芸能的要素を伴った活動であったというべきである。したがって,(略)販売活動に限定したとしても,労働基準法上の労働者であったと認めることはできない」{『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払賃金請求事件 判決文』p.34~36}から、適法だよ……ということとなったわけですが。

 たとえ日本国が認めたとしたって、これはさすがに、あんまりにもあんまりじゃないですか。

{ちなみに、CDのギャラは売上*8%÷一軍メンバー人数、チェキのギャラは5%(『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払賃金請求事件 判決文』p.4)とある。

 こちらもzzz_zzzzからすればギョッとしちゃうけど、チェキ一枚1000~2000円として5%は50~100円。アイドルがレギュラーとなった2016年の当該地域の最低賃金は717円とのことだから、1時間のあいだに14~7人とチェキが撮れればだいたい最低ラインをクリアする感じか。

 CDは1222円で、2017年に一枚リリースしている模様。ジャケットの人数で分け前を5等分して、1枚あたりのギャラは20円くらい。アイドルユニットのYoutube公式チャンネル登録者数は現在1170人*17で、1170*20=2万3400円。10枚ずつ買ってもらえたら嬉しいボーナスだけど、それで1年暮らしていくには100枚ずつ買ってもらわないと厳しい}

 

******

 

 ちなみに、判決文pdfに引用された契約事項には芸名にかんする条項があって、「なるほど能年/のん問題もこういう契約があってのものか~!」とラピュタを発見したパズーの心地になった。

(芸名を使用する場合の権利帰属)

第6条 (略)がタレント活動において用いる芸名(ペンネーム等を含む)に関する権利は,被告に帰属する。

2 略

3 (略)が本名を芸名とする場合,本条及び本契約の他の条項に定める芸名に係る規定は,タレント活動を行う場合にのみ適用する。この場合,本契約終了後もなお効力を有する。

   口頭弁論終結日令和3年7月6日・令和3年9月7日判決言渡し・同日原本交付、『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払賃金請求事件』p.6~7、(略)は引用者による(ただし「第6条 2 略」は原文ママ

 

 

0816(水)

 ■読みもの■

  フォイエルバッハバイエルン犯科帳』未訳事件を英訳版で読み、澁澤龍彦氏のネタ元の一つに気づく

 blogで感想記事をアップしてからもう4年が過ぎた(このblogもなんだかんだそんなにやってるんだな……)、ドイツ近代刑法学の父フォイエルバッハによる19世紀ドイツ(当時のバイエルン王国)刑事事件まとめ本イエルン犯科帳』

zzz-zzzz.hatenablog.com

 上述の邦訳本って、原著で紹介される32件の事件のうち6件だけを取り扱う抄訳本だったのだけれど、英語圏での抄訳版Narratives of remarkable criminal trials』では邦訳されなかった事件が9件ほど読めるんですよ。「せっかくそういう本があるってことまで調べたのに、そこで満足して数年経っちゃった。中身にも踏み込んでみよう」と、機械翻訳にかけながらナナメ読んでいます。

 

 とりあえず上から3件ざっと読んだかんじ、邦訳本に収録されなかった事件も興味ぶかそう! ただしキャッチーな事件ではあるけれど、3件中2件は顛末自体はあっさりしているといいますか、ぬるっと犯行が発覚して、ぬるっと逮捕され、ぬるっと刑に処されてるって印象です。

 邦訳された『バイエルン犯科帳』は、司法判断的においしいもの(当時の価値観にかんするフォイエルバッハ氏の筆が走っている章)をピックアップした感じなんでしょうかね?

 

 1・2は邦訳あるので飛ばして……

 3「FRANCIS RIEMBAUER, the Tartuffe of Real Life(フランシス・リムバウアー、現実世界の『タルチュフ』)は、聖職者とすけこましとの二重生活を送っていた人物の話。

 鍵穴ごしに事件現場を目撃するシーンがあり、現実で悲惨な目に遭っているかたがいるものごとでこう言うのは不謹慎ですけど、勢物語』を読んで塀の下部にあいた穴をくぐって秘密の逢瀬をする場面や、草子』を読んで心穏やかならぬ人がその場を往ったり来たりする場面に出くわしたさいの「(最近の)フィクションで観たアレ! こんな昔っから(現実に)あるものだったんだ!!」という感動があります。

 

 4「THE UNKNOWN MURDERER; or, the Police at Fault(不明の殺人者;あるいは警察の不始末)は、ダイイング・メッセージ物のくくりに入るでしょうか。

「ひでぇ悪党だ! ひでぇ悪党だ! 斧だ!」

 かけつけた"地獄"*18の他客に対してルプレヒトができる精一杯の返答だった。床には鋭利な何かで切り裂かれただろう帽子が転がっており、ルプレヒトの頭は大きな切傷から血があふれている。帽子とおなじく床へ転がされてしまっていた重い体が酒場の客たちにより談話室(パーラー)へ運ばれた頃にはもう、うめき声と意味不明なつぶやきを言うだけになっていたルプレヒトだったが、しかし一言、顔見知りの犯行かどうか訊ねられたとき、興奮して発した一言だけは明瞭だった。

「娘よ! わが娘!」

 ……読み書きができず、記憶と口約束ですべてをこなしていた金物細工職人クリストファー・ルプレヒト。小さな酒場"地獄"にてかれの頭を切り裂いて逃げた犯人さがしは、頭部へのダメージによってほぼ喋れなくなってしまった被害者の言葉をめぐってその「真意」や事件当時のひとびとの姿を解釈し再解釈する、『藪の中』的な興味ぶかい展開をみせていきます。

 事件/捜査の顛末は、題名にもあるとおり(当時の)捜査のプロトコル的な問題を露呈させることとなり、「これは『バイエルン犯科帳』に収められてもいいんじゃないか?」って思いました。

 「横断的検証の重要性」といいますか、とにかく足で稼ぐ以外なかっただろう世界と、それ以外の見方が大きくなっていく後代とのはざまという感じのインシデントレポートですね。

 ……いや、当時の人々だけが起こしうる問題なのか? フォイエルバッハ氏の指弾がはじまってようやく警察のヘマが見えた自分としては、とてもそうとは思えないのでした。

 

 細部で興味ぶかかったのは、刃物の持ち手は日本に暮らすじぶんとしては刀/剣道のイメージが強いから、つい左手が下というイメージを抱いちゃうんですけど、(19世紀ドイツの)木こりのハチェット(斧)の持ち手は、利き手が下(刃物から遠い側)になるらしいというところ。

(重要参考人として挙げた木こりの斧の刃に血のシミがあったので問うたところ「手が寒さであかぎれていたから、それで付着したんだと思う」との返答がきた。「荒れてる手は右で、刃にちかい側となる手は左だからおかしい」と更に問い質したところ、その木こりが左利きとわかったので捜査は振り出しにもどった……というような記述がある)

 

 5「ANNA MARIA ZWANZIGER, the German Brinvilliers(アンナ・マリア・ツヴァンツィガー;ドイツの「ド・ブランヴィリエ侯爵夫人」)は、ゴシックホラー的に描けそうな内容。

 病弱な判事などをかいがいしく世話した 優しき未亡人アンナ・シェーンレーベンは、ゲプハルト家の奥方をこれまでどおりの献身で看取った。奥方の逝去後もゲプハルト家に仕えていたが、体調不良はそのほかの家族、それどころか家を訪れた客人たちにさえ及んだ。ついにゲプハルトの当主もアンナへ疑念の目をむけ、アンナが担当外の塩甕をいじくっていたこと、シェーンレーベンという名が偽名であることが見えてきた。「彼女は甕へなにを? 彼女が世話したこれまでの主人たちは本当に病死だったのだろうか?」 アンナが過去に世話したひとびとの墓を掘り返したところ、地中に白骨はなく、まるでつい先日亡くなったかのような遺体があった……。

 ……家政さきの主人たちにヒ素を盛り次々と毒殺した(なので被害者はヒ素の防腐効果でミイラ化した)、ドイツ版"ド・ブランヴィリエ侯爵夫人"、アンナ・マリア・ルヴァンツィガー氏の顛末です。

 ググってはじめて知ったんですけど、このひと・この事件は澁澤龍彦さんやらコリン・ウィルソン氏やらさまざまな文筆家に取り上げられているらしく、それらを参考に人博物館』さんが一記事へとまとめられています

 『殺人博物館』さんの記事でも、紹介者によってプロフィールがバラバラであると困惑されていますが、つらい身の上のほうがどうやら正解のようです。(「売春」については……そう表すかどうかはひとによって分かれそうですが、恋多い人生だったのもまた本当らしい)

 澁澤氏の『毒薬の手帖』でさらっと記された自殺未遂についても、自伝をかいつまんで紹介したフォイエルバッハ氏の記述を読むと、印象がかわります。アンナは『若きウェルテルの悩み』に涙し、『パミラ、あるいは淑徳の報い』を読んで夢を見ます……そりゃ見たくもなりますよ、後見人により15で嫁がされたじぶんと年嵩の倍はなれた夫は、養わなければならない子供が2人いるというのにワインを1日10本呑むような放蕩人なのだから。

 

 『バイエルン犯科帳』英訳版と『殺人博物館』さんがまとめたものとではいくつかの異同があって、ゲプハルト家の奥方が臨終のさい「アンナに毒を盛られた!」と言ったかどうかは解釈の余地があり……

 お産から7日後となる5月20日、ゲプハルト夫人は亡くなった。夫人は苦しみのなかこう叫んだ。「天はなんと慈悲ぶかい! あなたは私に毒を与えたもうた!」夫人は日ごろから病弱であり、そのうえお産の時期に逝ったので、その死は何の嫌疑も生じさせず、グラゼル夫人やグローマンのときと同じく遺体はすみやかに埋葬された。

  and on the 20th May, seven days after her confinement, she died, exclaiming in her agony, " Merciful Heaven !  you have given me poison ! " As Madame Gebhard had always been sickly, and moreover had died in childbirth, her death excited no suspicion, and, like Madame Glaser and Grohmann, she was buried without more ado.

   internet archive(2007年07月31日14:56:30再UP)、アンゼルム・フォイエルバッハ(英語版編集Lady Duff Gordon)『Narratives of remarkable criminal trials』143

 ……「"天命のおはなしをしている"と読むのが普通なのでは?」というのがzzz_zzzzの見解。

 ゲプパルト家の主人がゲストともども嘔吐など体調不良に見舞われる3ヶ月後の8月末までアンナがくだんの家に仕え続けたことを考えると、夫人のことばをアンナの罪の告発と聞いたひとはいないんじゃないでしょうか。

 

 この事件にふれたべつのインターネッターによるお話を読むに、アンナを紹介した文献のなかには、どうにも彼女が"ヒ素を「真の友達」と言った"とするものがあるっぽい。カッチョええですね。

 また、『毒薬の手帖』をひらいてみると……

 一八〇九年に彼女は逮捕されて、処刑されたが、死ぬ前に、「あたしの死刑は人類にとって好ましい事件です。毒で人を殺したいという気持を、どうしてもあたしは抑えきれないのですから」と言ったそうである。

   河出書房新社刊(河出文庫、2011年4月28日発行)、澁澤龍彦『毒薬の手帖』kindle版69%(位置No.2188中 1500)、「◆砒素に関する学者の論争」

 ……これまたカッチョええ記述があります。

 澁澤氏が紹介した後者は――彼女の生い立ちをけちょんけちょんに言ったプロフィールと同じく、飛ばしかと思いきや――フォイエルバッハ氏の本(英訳版)にもほぼ同様のことが書いてあるのですが{澁澤氏の言及は『毒薬の手帖』「砒素に関する学者の論争」でのことで、その初出は1963年(昭和37年『宝石』誌での連載)。『バイエルン犯科帳』邦訳出版の四半世紀以上も昔というから驚きですね}、前者は見当たりませんでした。

 なにかの本にそういったことが書かれていたとしたら、それはたぶん、

フォイエルバッハないしアンナを観察した官憲の記述したことが、彼女自身の発言と混同されたのではないか?」

 と思います。

 Narratives of remarkable criminal trials』においてアンナが「自分の全てであり最高の友人(best friend)」と言っているのは、2度目の家政先・毒殺したグローマン氏だとか自分が手をかけた人のことで。フォイエルバッハ氏はたとえば「彼女はグローマンへの殺意こそ否定したが、しかしいっぽう、毒入りとそうでないものとが入り混じった飲み物へかれが手をつけるのを止めなかったことは認めた……彼女にとって"最高の友達"だというのに」という旨で自伝上の彼女と現実の彼女のふるまいとのあいだの矛盾を指摘します。

 そうしてフォイエルバッハ氏は、彼女が逮捕されたあと検証のためヒ素と対面したさいのようすを描写し、彼女の「真の友達(truest friend)」とはなんなのかを考察するのです。

 毒薬を混ぜたり盛ったりすることはそのうちアンナの日常仕事となっていった。:お遊びが本気になって、最終的には毒薬そのものに対する本物の情熱をもってアンナは実践していった。

  In time mixing and giving poison became her constant occupation ; she practised it in jest and in earnest, and at last with real passion for poison itself, without reference to the object for which it was given. 

 長い習慣とじぶんへ誠実に奉仕してくれることへの感謝から、アンナは毒薬への愛を育んでいった。真の友達として、いつも一緒の連れ合いとして見なすようになったのだ。

  She grew to love it from long habit and from gratitude for its faithful services, she looked upon it as her truest friend, and made it her constant companion.

 ポケットからヒ素が見つかって彼女が逮捕されたとき、そして検証のためクルムバッハで彼女のまえへ置かれたとき、アンナは喜びに打ち震えながら歓喜に輝いた目で白い粉を見つめていた。

  At her apprehension arsenic was found in her pocket, and when it was laid before her at Culmbach to be identified, she seemed to tremble with pleasure, and gazed upon the white powder with eyes beaming with rapture

 この毒薬への愛情はもしかすると、あの残酷極まりない犯罪を自白し死刑宣告を受けたアンナが、なぜ回想録において自身の行ないを「ささいな過ち」と言ったり、この程度の「軽微犯罪」のために自身を破滅へと追い込んだ他者の不正義や残酷さを糾弾したり、そして不運の始まりである「ただ大きすぎる」だけの自分の「敬虔」を誇ったりしたのかをいくらか説明してくれるかもしれない。

  This love for poison may perhaps in some degree explain why she, who had confessed the most atrocious crimes and was under sentence of death, in her written memoirs speaks of her deeds as " slight errors," accuses of cruelty and injustice those who could bring destruction upon her for the sake of such " trifling offences," and boasts of her " piety" as only " too great," and as the origin of all her misfortunes. 

 なるほどたしかに習慣は、われわれをあらゆるものと和解させ、そしてわれわれの愛する者が残酷極まりない犯罪をおかしたときも容赦するほうへ傾けるのだ。

  So true is it that habit reconciles us to everything, and that we are inclined to excuse the most atrocious crimes when they are committed by one we love. 

   『Narratives of remarkable criminal trials』177~178

 

 

0821(月)更新ぶん

 オッサン化が進み、新作を完結して(≒打ち切りになって)から読む 墓参り的接触が多くなった。『死の島』参照作として『竹田くん』『ザ・バンク』が好き。『ゆらゆらQ』3巻『マロニエ』8巻読んだ。『境界のエンドフィール』1~3巻面白い、『上田文人の世界 』は俗なゲームクリエイターとしての一面が見れて良かった、といったお話をします。

 

 ■読めてないもの■

  積読の山はまだまだ険しい

 先日の記事のとおり積読の山をほんのわずかだけ登りました。

 "そのうち読もう"リストのなかには、経済学者タバロック氏による私掠船の論文などもあり、海賊と経済関連でいえば賊の経済学』もリスト入りしたまま未踏である。いまググったらとっくのとうに絶版になっていて、古本価格がたいへん高騰してしまっているようだった。(Amazonの18,890円は論外として、メルカリなどでも5,999円)

 12年まえの出版らしい。「そのうち」では全然なかった。オッサンの時間感覚だなぁと思う。

 たぶん世のさまざまな未完結作品群も、この感覚基準で「そのうち」なのだろう。「まだ出ないのか」と学校に通っていた時代あれほどまでに喉をかきむしった次刊までの渇きは、いまや無い。

 「えっもう出たの?」と感じることが多くなり、「まとまったら読もう」というスタンスで動くのが基本となってしまったし、それどころか「なるほど評判がいいわけだ、面白い。3巻打ち切りを惜しむ声もわかる」とお墓参りすることも多くなってしまった。延々と盆がつづいている。

 

 ■考えもの■

  『竹田くん』ほか、良い「死の島」参照作について

 知識と経験と、取材力が合わさったらこんな凄いことができるんだなぁって感心した。

 

***

 

 トム・ティクヴァ監督らが建築写真集を片手に撮った『ザ・ンク 墜ちた巨像』の一シーンもitunesをポチってざっと見た感じ、イゼーオ湖・カルビーニ防衛産業のロケーションがそれっぽいが、ここだったかなぁ?)、オーディオコメンタリで『死の島』モチーフだと言っていたような記憶がありますが、じっさいどうでしたっけ。

 さて建物はどう考えても(実際はドイツの街なかにある)ザハ・ハディド氏設計のファエノ科学センターなのだが、はたして実景のイゼーオ湖にそれを合成したんだったか、それともイゼーオ湖自体もマットペイントで全て作り物なんだったか、その辺の話となるともう、まったく欠片も覚えていない。

 

 『竹田くん』や『ザ・バンク』くらい具象性がつよいと、比喩(というか作り手の作為性・あざとさを覚えてしまう領域)を超えて、「撮れちゃったもの」感がでてきて、良いなと感じる。

(もっとも、FGO Memorial Movie2023』くらい象徴性・物語性を打ち出してる作品は、それはそれで良い)

 

***

 

(「良い『死の島』があるということは、良くない『死の島』もあるの?」

 考えがもっとまとまったら、そのうちお話しする機会もあるかも。

 ないかも)

 

 ■考えもの■

  「謎部活モノ」という発明

 スクールアイドル部って設定は、とてつもなくクレバーなのではないか。

 

 アイドルとプロデューサーとの関係をあつかったフィクション(たとえば『アイマス』)に対して、(ハイタッチ要素は論外として、それ以外のシナリオ部分についても)「だいたいのばあい未成年である年下の女性相手に、プロデュース・マネジメントする大人としてこういう所業はいかがなものか」と反発をいだいたり、そういう声を聞いたりすることって少なくない。

{ぼくが「ええ~……」と思ったのは、『シャニマス』の摩美々まわりとかかなぁ。

 気だるい女性・摩美々を町で見かけたプロデューサー(プレイヤーキャラクター)はそのオーラにてぃん!と来てアイドルへとスカウトする。

 いざ摩美々がアイドルとして活動をしてみると、案の定その気だるい性格のままに遅刻をしたりなんだりするのだが、プロデューサーはそれに対して「おまえは責任感がない」とかそんな旨の叱責をするのだ。

 たしかに遅刻したりするのは酷いことだが、摩美々は摩美々らしさをそのまま発揮しているだけだし、そんな彼女を良いと言ってスカウトしたのはプロデューサーであるはずなのに、この言いぐさはないだろうとシナリオを読んでいて思った(それを言えるだけの段階的措置を踏んでいない、と思った)

 でも先日話題にした判決文記載のアイドルの契約書や活動実態からふりかえるに、あの辺の「完璧ではない人間らしさ」「自主性・個性をほめるわりには段階を経ずいきなり責任感や社会性を問うたりもするライブ感」って実は、リアリズムによるものなのかもしれない。

 

 海外公演までするような立派な活動であるいっぽう、事務所の大のおとながそれを「職業活動ではな」(p.16)い、「体験学習やアマチュアスポーツに近いもの」(p.16)だと裁判所へ宣言できるアンバランスな業界。これをそのまま描けば倫理的に非常に悩ましい様相となってしまうけど、そうじゃなくて、同世代の生徒たちで運営される「部活動」(それも顧問の影が薄い、同好会タイプの。)での一幕とすれば、その辺のカドが立たなくなる。

 

 (現実のお仕事を高校レベルで行なうというタイプの)「(謎)部活モノ」は、フィクション史に名を刻むべき発明ではないか。

 

***

 

 およそ受け入れがたいけど単なる現実であるものごとを、高校生が部活として行なうならイケる感覚。

 この感覚って、現場でネコが「ヨシ!」と言ったり、ちいさくてなんかかわいいやつが「わぁ」「わぁ」言ったり。受け手にとっての異界であったり(「おそロシア」、「真の男がいるMEXICO」、「ジャングルの掟」、「アフリカでそれ通じると思ってんの?」、「ジパング」、「試される大地」、「グンマー」。「ゆとり」、「昭和」、「戦前」、「中世の暗黒時代」。「スイーツ(笑)」、「ウェーイwww」、「DQN」、「和室界隈」、「"女さん"」「ジャップオス」「オカマ」。「異同」をわける視線には、多分に見下しがからむ)。喜劇の文脈で語ったりすればイケるのも多分おなじ理屈であり、よくよく考える必要があるんだろうなぁ……。

 

 

 ■ネット徘徊■

  安いようで安くない『21世紀の啓蒙』kindle

 21世紀の啓蒙 上』kindle版が1,672円だ。「4割引きか~スゴい!」と思ったが、この論考は2月に文庫化しており、前述価格はそれにほぼ合わせたかたちっぽいようなぽくないような、そんな感じらしかった。(下巻kindleは紙の文庫本と別ページになっていて、ハードカバー版とおなじ値段)

 紙の文庫本は1,760円。ちくま学芸文庫みたいな値段だけど、おそろしいことにちくま学芸文庫ではない。

 文庫本といえばお気軽お手軽なイメージで、じっさい初出時より大幅に安くなっているのだけれど、野口英世2人いて何とかなる価格になるなんて。じぶんにとっての「文庫本」像と、だいぶ離れてきたなぁ。

(もっともぼくが物心ついたときにはもうワンコインで買える時代は過去の物だったし、夏目漱石1人の肩に収まるものでもなかったが……)

 デフレな価値観が身に沁みついてしまっている。

 

***

 

 とはいえ電子書籍が出てくれるだけでありがたいことだ。場所を取らない点/乱雑な所蔵から物をさがす時間的気力的コストがゼロで済む点で電子書籍は、紙の書籍よりも何よりも代えがたい。

 紙しか出ないあれやこれやを振り返り、「本読みは安いようでぜいたくな娯楽だなぁ」と思う。

 まじで皆さん、物をどう収蔵してらっしゃいます?

 

 ■映画のこと■ネット徘徊■

  漏れ聞こえる感想に『バービー』観たさが高まる

 海外ファンのはしゃぐ方向性で燃えた映画ービー』の感想がぽつぽつ耳に入るようになってきました。すこぶる評判がいいですね。

 漏れ聞こえてくるシーン/人間観がなんともすごそうで、たいへん気になります。

※ここから又聞きのネタバレ要素アリ※

 話をきくに、アンジェイ・ワイダ監督による舞台劇の映画化で非常に重苦しいまじめな実録映画ントン』フランス革命を成功させた政治家たちが、その後の恐怖政治について議論紛糾するも、そこで渦中の人物のひとりがラ・マルセイエーズを歌うとみなで斉唱しだし、議論がうやむやになってしまう)みたいな人間模様が展開されるらしいんですよ。

 達観・卓見だと思いますが、同時に、「ミニシアター系でやられたようなことが、子どもに大人気のポピュラーホビーの映画でやられるというのは、何というかすさまじい時代になったものだ」と思ってしまいもします。

※ネタバレ終わり※

 

 ■自堕落もの■体のこと■

  土日が寝て終わった

 またしても土日が寝ているだけで過ぎてしまった。(土曜は6時から職場を行ったり来たりで休日らしくない休日だったのだが、それを差し引いても寝休日だった……)

 

 ■読みもの■ネット徘徊■

  「脳へのチップ埋め込みで、ギターを弾けるようになった男」のその後

wired.jp

 脳を切開せずに済む脳コンピューター・インターフェース(BCI)、Synchronの紹介と懸念に関する記事。

 この記事末部で懸念を表明するイアン・バークハート氏が、ほかの記事で既知のひとだったのでなかなか大変だなぁとなった。

www.technologyreview.jp

 イアン・バークハート氏はかつてへのチップ埋め込みで、ギターを弾けるようになった男」として話題になった人物。2014年に脳コンピューター・インターフェイス(BCI)臨床試験の被験者となり、当初の予定(12~18ヶ月)を過ぎた2016年に論文が発表され、各種メディアで話題を集める。それもあってかBCIの装着が継続されるも、2019年から研究は資金難におちいり、2021年、本人の頭皮接続部の感染症により除去したとのこと。世知がらい。

wired.jp

 さて直上の記事、劇中ハイテク技術によってギター演奏できるようになり父娘がよろこぶ世界設定描写からはじまるョゼ・パジーリャ版『ロボコップ(2014)を観たあとくらいに読んで「へぇ~!」と思った記事なんですが。

 改めてちゃんと読んだらビックリ、これ「ギターを弾けるようになった男」のお話じゃなくて、「音楽ゲーギターヒーロー』をプレイできるようになった男」のお話だったんですね。

 記事タイトルこそおかしいですけど、本文も写真もちゃんと『ギターヒーロー』だった。勘違いして覚えたzzz_zzzzがわるい。

「研究発表・紹介がPRみたいになってるものってあるけど『悲劇的なデザイン』も終盤はそういう取材対象の言い分を紹介するだけのPR的に響く)、こういうレッドヘリングがあるんだ」

 とおもしろかった。

 

 ■読みもの■

  雨隠ギド『ゆらゆらQ』1~3巻読書メモ

www.hakusensha.co.jp

 らゆらQ』の新刊が出たので読む。愛らしくて好き。

 化け狐と人間との間に生まれた大家族の末っ子少女を主人公とした漫画で。周囲に愛されるずんぐりむっくりしたありのままの自分と、母兄姉のようなスッキリしたモデル頭身でキレイな理想の自分とで揺れ動くドラマも面白い。

 

 

  岩本ナオマロニエ王国の七人の騎士』1~8巻読書メモ

flowers.shogakukan.co.jp

 ロニエ王国の七人の騎士』の新刊が発売されたので、現行チャプターの「ハラペコ」編を既刊から通しで読む。

 1巻前半が主要人物である7人の騎士兄弟の紹介。

 おなじく1巻後半~3巻が、長男である"眠くない"が隣国のひとつ"夜の長い国"へ遠征へいく章。

 3巻後半~5巻が、五男"獣使い"が"生き物の国"へ遠征へいく章。

 5巻末部~9巻以降が、末っ子の七男"ハラペコ"が"食べ物の豊富な国"へ遠征へいく章。

 8巻は「ハラペコ編クライマックス」との売り文句だったが、次巻につづいた。いちばんボリューミーで、この調子だと今後はどうなるのか。

 

 非常に立派なファンタジーだと思う。

 藤田和日郎氏が得意とするような力強い描線とか、効果線や「フキツケ」・「タタキ」による画面演出とか。あるいは、冨樫義博氏が得意とするような書き込みを多くし写実性も上げるとかといった「キメ」「見せ場」の演出効果をもちいず、そのままのテンション・絵柄でゾッとするような光景をぽんと放ってくるところがやっぱり凄い。(見開き大ゴマとかは使われるけど)

 

 ドラマももちろん魅力的である。

 章主人公である7人家族の末っ子的ポジション・ハラペコは、誰からも愛される可愛い自分(「かわいくあらねば排斥されてしまう」という、実際的な処方箋であるとともに父からの呪縛のようにも描かれている)と腹を空かせたありのままの可愛くない自分とで揺れ動くのだが。

 いっぽう、ハラペコの旅に同行するマロニエの貴族は、貴族である以外に強味のない臆病な自分についてコンプレックスをかかえていて、それが、訪問先の異国で遭遇した緊急事態のさい「強者を装う芝居を打つ」ことで周囲の恐怖心をコントロールし、危機をしのぐ。

 8巻では、ハラペコの想い人である若い料理人が(その前巻では、他国の料理人と出会ったことで、じしんの料理人としてのバックボーンの薄さに悩むのだが、第三国の料理人からの「一見すごいあの中年男性料理人は、見てくれだけで料理の腕はショボい」という話に励まされる)、美しく装おうことを「身の程をわきまえろ」という旨で他者から否定された過去に悩まされていたことがわかる。

岩本ナオ作品はこれまで――『町でうわさの天狗の子』の金ちゃんが代表的ですけど――「モブっぽい」を遥かに通り越してマイナス方向に振り切れている、捨てキャラにしか思えないキャラに、読んでいて切なくなってしまう立体感を与えてきましたが、この若い料理人はそら比べるとだいぶ穏当な「モブ」感ではある)

 料理人のトラウマは、オシャレ用品を渡した別の他者からの「君に似合うと思ったから渡した」と言う場面によってたぶん幾らか和らぐ……

 

 ……こと「外ヅラと素」「建前と本音」の問題になると、どちらかというと「ありのままの自分が大事だよ」みたいな話になる傾向にある気がするんだけど。

 『マロニエ王国と七人の騎士』ハラペコ編では、

「本音を言うことも重要だが、同時に、装うことだって必要だし、装いかたにもさまざまな方向性があり、たとえば"美しく"と同じ語で括れる装いでさえも一色じゃないのだ」

 という一義的じゃない回答を、複数の人物のドラマが同時に展開されていくことによって描いていて、しかもその多層性は、ハイティーンの若者たちのお話にとどまらないらしい。

 8巻の末部で時代が過去にとび、回想編にはいる。これまで影絵で描かれてきた、王家の実像らしい。ハラペコ編が9巻へとつづくことに対して「長い」という声も聞くけど、この展開はたいへん納得がいくもので、zzz_zzzzとしては隅々まで心ゆくまま描いてほしいところです。

 本音と建前とについて取り沙汰すなら、歴史や政治のプレイヤーへと焦点が向かうのはそりゃあ当然そうなるよなぁと思うわけなんです。だってそれらのコンフリクトが強く大きく出るところだろうから。

 

  週刊連載を生き抜くタグライン;近藤たかし(作)&アントンシク(画)『境界のエンドフィール』読書メモ

ynjn.jp

 界のエンドフィール』を1巻読み、けっきょく3巻まで買ってしまった。

 たぶんこれの主軸は病院の新米リハビリテーション従事者を主人公にしたお仕事マンガなのだが、おそらく理学療法士作業療法士(=身体の運動機能を回復させるひと)言語聴覚士(=会話能力を回復させるひと)の仕事をきわだたせるために/週刊連載マンガ誌の掲載レースを勝ち抜く強力なアテンションを得るために、

「元刑事である療法士のもとに、失職の原因となった未解決事件の重要参考人が要リハビリの重傷者として運び込まれた」

 というすさまじいタグライン(一行概要)が設定されていて。

 たとえば事件解明に関係する一言が、症状ゆえにろれつが回らない一言となってしまうものの、言語聴覚士によって解読されたり。事件当時と現在との違和感が、主人公の療法士知識によって具体化されたりする。

 

 「パワーワード」やらツイッター漫画の隆盛が良くも悪くも目立つ昨今、正直申せば「ははぁ、これはそういうあれですか」と正直最初は眉間にしわを寄せてしまいました。

 でも開く巻を増やすにつれて「早合点だった」と反省しました。とにかくクレバーだ。

 まず主人公の設定がうまい。

 なじみ薄い専門領域/劇中世界を読者に見せたり共に学んだりする新米でありつつ。別業界からの転職者でもあるがゆえに、「新米がすごい機転・活躍をする」フィクションあるある展開にある程度の説得力を与えている。

{もっとも、これだけなら先行例はゴマンとあるだろうし(「チート能力」を授からないタイプの異世界転移・転生モノも、大きな目で見ればこのバリエーションでしょう)、ほかの属性なしにピュアな新米であるからこそ一層ドラマが活き活きしている『フラジャイル』などあるわけで、そこまでほめるアレではないのかもしれない}

 

 上で言ったワンラインについても、読み進めていくと耳目を惹くための出オチとか「設定のための設定」という感じはなくて。主人公である元刑事のバックグラウンドも、このワンラインが成立する特殊な状況の人間模様もとりあえずのところ非常によく馴染んでおり、隙がない。

 

 事件を解決するためには怪人物が健康になってもらうしかないのだが、

「もし犯人(=社会的に問題ある人物)だったとして、そんなひとに元気になってもらっていいのか?」

 というジレンマがあり、そしてまた、こちらは当然のことながら、

「過去に因縁があり、現在も心中おだやかでない自分が治療に携わっていいのか?」

 という問題がある。

 これについて『境界のエンドフィール』は、

「でもそれって、どんな患者にだって同じじゃないか?

 ヘソ曲がりのオタクとか子にDVを働いた過去のある親とか、性格が合わなかったり問題があったりする人へ施術を担当することなんていっぱいあって、そのたびに"自分には合わない""できない"とやるのか?」

 という普遍的な仕事論へと拡大した反論がつけられ、しかも「そうは言っても限度があるじゃん。じっさい家族への手術とかは行わないらしいじゃん」といったなおも残る反発に対しても、この作品ならではの理屈も用意されていて(「病院に深く根付いているらしい陰謀と、そこについて疑念を向ける非・院長派の職業治療者の政治力学。主人公は入職したばかりの新米であるがゆえ・そういう当然の告白を素直に言ってくれる人物であるがために、キナ臭い案件の担当にむしろ"適任だ"となった」)、読んでいて引っ掛かりが無かったり・引っ掛かることを利用したストーリーが展開されて、たいへん立派だと思う。

 

 

  放射能アリからゴジラへ/記者に請われる「学者」像……一般書や新聞における「生物」の淘汰圧;ジョフリー・ウェスト『スケール 万物を支配する「大きさ」の法則』読書メモ

 ジョフリー・ウェストケール 万物を支配する「大きさ」の法則』をポチった。サンタフェ研究所の所長をつとめた一線の科学者による生物・都市論っぽい。

 おそろしいことに数日後、kindle内検索で二重になった上下巻をみて、ソフトカバー版を買っていたのにすっかり忘れていたのだと気づきました。

 グールドーウィン以来 進化論への招待「第6部 大きさと形――教会、脳、惑星」21章「大きさと形」にて、フィクションの巨大生物を反面教師・ガリレオを教師としてやった議論がこの本でも繰り返されているのだけど(グールドのほうがわかりやすい)、話のきっかけとしてグールド氏が『放射能X』のアリを挙げたところを、ウェスト氏は『ゴジラ』(レジェンダリー版)を挙げていました。

ゴジラって長寿だし生息域が広い怪獣だなぁ」とあらためて。

 

 また、興味ぶかかったのが、巨大生物の科学的実在性の話題はなにもウェスト氏が勝手に言い出したものではなくて、記者に「そのようなエッセイをひとつ、先生おねがいします」と請われたものだということ。

 私がスケーリングについて多少知識があると聞いた女性記者は、「楽しく、おバカでおたくっぽい感じで、(新作公開と結びつけて)ゴジラの生物学について(中略)そんな巨大動物の歩く速さとか(中略)代謝で生じるエネルギーとか、体重とか」が知りたいということだった。

   早川書房刊(2022年12月15日電子書籍版発行、ハヤカワ文庫NF)、ジョフリー・ウェスト(山形浩生&森本正史訳)『スケール 万物を支配する「大きさ」の法則[上]』kindle16%(位置No.4361中 660)、「第2章 すべての尺度――スケーリング入門」、「1.ゴジラからガリレオまで」より

 「楽しく、おバカでおたくっぽい感じ」な科学者(の言葉)は、そうしないとメディアの紙面に生息できない、淘汰圧のはたらいたものなのかもしれないなぁなんて思ったり。

 

  他ゲーに刺激を受け「一番乗り」に奮い、このハードで実装できるか不安になり、他ゲーの出来を見て安心する……俗なゲームクリエイターとしての上田氏の姿;『上田文人の世界』読書メモ

www.kadokawa.co.jp

 文人の世界 ~言葉のないゲームはどのように生まれたのか?』面白かった。『ICO』『ワンダと巨像』『人喰いの大鷲トリコ』の作品紹介とそれらのクリエイター上田氏にたいする取材本である。

 前述3作の設定資料とかムービーパートの絵コンテとかも併載されている。

www.famitsu.com

 『ICO』のパートは、『週刊ファミ通2021年12月16日号』電書版と重なる部分が大きいうえ、あちらで収録されていたけどこちらにはないものも結構ある。

(『ファミ通』の『ICO』20周年企画における著名人寄稿は、音楽クリエイターからは大島ミチルRadioheadジョニー・グリーンウッド、米津玄師。クリエイターからは宮部みゆき、ギレルモ・デルトロ、浅野いにお大今良時ゲームクリエイターからは宮崎英高、ヨコオタロウ、『風ノ旅ビトジェノヴァ・チェン、ノーティドッグ共同社長ニール・ドラックマン……という錚々たる顔ぶれで、とくに宮崎氏の寄稿は「大学卒業後、ゲームと無関係の企業で働いていたとき、友人宅で『ICO』を勧められ、その体験と物語のあまりの美しさに現職を退職。フロム・ソフトウェアの門を叩いた」というあまりに極まりすぎてるエピソードなのだが、それらを差し置いて米津氏のエピソードだけ収録されたのはふつうに惜しいと思う)

 とはいえ絵コンテとかが文字潰れしてない解像度で拝めるデータだったりと嬉しい。

 『ICO』の敵キャラが「影」であるゲームプログラミング上の理由なんかは、『ファミ通』ICO20周年特集では読めなかったものだった。へぇ~!

ほぼ日刊イトイ新聞「ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。」の『ICO』取材vol.4で聞けた話と重なるけど、さらに踏み込んだ身もふたもないお話だった*19

 上田ゲーの余白の多いシナリオ/お話の見せ方について――「予告編以上の本編は存在しないんじゃないか」(≒受け手の想像したもの以上に良いものはないというようなお話)は以前にも聞いたことがあるけど、そうじゃなくて――"余白じゃない部分の指向性"といいますか、「どういうゲームであるか、何をすればゴールとなるか、伝えるビジョンは最初に伝えている」という旨のお話は初めて聞いた気がする。

 

 上田氏のことはインターネットに転がるロングインタビューだか座談会だかや、きわめて技術的な試行錯誤にかんする、アーティスティック(※1)/エポックメイキングなクリエイターとしての面しか知らなかった。

(※1城の構造がじつは子宮を模しててウンヌンカンヌンみたいなやつ。かっちょいいデザインのサイトで写真といっしょに読んだ覚えがあるのだけど、今となってはどこにあるのか分からない)

(※2

dengekionline.com

game.watch.impress.co.jp

 

 なのでこの本で語られる、もっと俗っぽい等身大の製作者としての面が拝めたのは興味深かった。

 もちろん、今まで抱いていた「アーティスト上田文人」像におさまる話題もある。

 ビジュアルについて同時代のゲームとどう差別化するかとか(ゲームの主流なシーンは原色/曇り空の作品が多いから、もっと自然な色彩の世界をつくるぞ!)はまさにそんな感じだし、『ワンダと巨像』エンディングにまつわる卓見には今なお驚かされる。{『ワンダ』のエンディングは当時ビデオゲームではあまりなかった(と上田氏は云う)「悲劇性」を打ち出したもので、参考元は『ロミオとジュリエット』の「すれ違いエンド」なのだそうですが、しかし「死別」の「悲劇性」て弱いと。だから「他方は生き返り・他方は赤ん坊になる、という"記憶や時間による別れ"」としたんですって。そうやって考えてみると、たしかに「死別」「自己犠牲」って「悲劇」は「悲劇」なんだけど「物語のひとつの王道」、「気持ちよくなれる悲劇」だわ}

 やっぱすごい、別の畑からやってきた異質な天才なんだな上田氏は~!

 

 でもたとえば『スーパーマリオ128』等を見て発奮し……

 発売前だったニンテンドーゲームキューブのデモンストレーション『スーパーマリオ128』で、変形する円盤の上を跳ね回るマリオの姿を目にしました。また、ニンテンドー64対応ソフトの『ウェーブレース64』では(略)。自在に変形していく環境がキャラクターへ及ぼす影響と、キャラクターの行動と環境の相互作用。それらの情報から「しがみつき」が必要なボス戦を連想していたのです。難易度は高そうでしたが、誰よりも先にその「しがみつき」を実現したいという思いがありました。

   KADOKAWA刊(2023年8月2日発行 ver.001)、上田文人の世界 ~言葉のないゲームはどのように生まれたのか?』kindle35%(位置No.186中 66)、「Chapter2 ワンダと巨像」、「「ワンダと巨像」に込めた思い」中「『ワンダ』だけの新要素」より(略は引用者による)

 ……『ワンダと巨像』の巨像という"動くステージ"に合わせてプレイヤーキャラクターも相互作用するという、革命的だし今なおユニークに面白い――たとえば『ゼルダBotW』イワロック戦に食べたりなさを覚えたのは、確実に『ワンダと巨像』既プレイだったからだ――あのシステムについて「他がやってないから一番乗りしたかった」みたいな話をしていたり。

 あるいは同じく『ワンダ』の広い自然やらといった技術的にむずかしくて現行ハードのスペックで実装できるか不安なことについて、他ゲーで達成されている(『MGS3』のジャングル)のを見て、「プレイステーション2でも大量の草木を表現できるという確証を得ることができました。何の手がかりも無いまま開発するのは、常に不安との戦いでとてもしんどい」*20と安心を得るところなどは、同時代の同業者の作品をにらみ喜怒哀楽する一ゲームクリエイターという感じで、

「凡(およ)その作品をフォローしているからこそ、非凡へ辿りつけるんだな」

 とよりいっそう畏敬の念が生まれた。

 やっぱり突然ポンと降ってわいた天才は居なくて、大事なのは下積み! 地道な積み重ねなんだな……。

 

  『非才!』が改題され復刊していることを知る

 気になったときには絶版で、古書価が高騰していた本としてほかに、マシュー・サイド才!』がある。『失敗の科学』や『多様性の科学』が人気の著者の第一作である、「成功に必要なのは才能か、それとも努力か?」論。

 サイド氏が異色なのは、オックスフォード大学哲学政治経済学部首席卒業者にして、全英卓球チャンピオン(オリンピック2度出場)であること。

www.kawade.co.jp

 氏の訳書は2022年に能の科学 人と組織の可能性を解放し、飛躍的に成長させる方法』という本が出ているんだけど、実はこれがくだんの『非才!』の改題復刊本なのだと今知った。発表から歳月が経って間違いだと分かった部分もあるらしく、そこがちょっと改題復刊本の解説で語られているとかいないとか。二重に気になる。

 こういう再会があるのも盆だからこそなのかも。

 

 

0828(月)更新ぶん

 okamaヘレン・ケラー』伝記漫画を読んだ、おとぼけルポ記事のおとぼけかたに一定の指向性をみた、ウミガメのスープ(英国中世人口激減編)をだすよ、富岡次郎『イギリス農民一揆の研究』読み始めた、『街角さりげないもの事典』読み始めた……といった感じの近況報告記事です。

b.hatena.ne.jp

 はてなブックマークとの関連ではここ。

 

 ■読みもの■

  okama『まんが人物伝 ヘレン・ケラー 三重苦の奇跡の人』読書メモ

mangagakushu.kadokawa.co.jp

 川まんが学習シリーズ まんが人物伝>okama氏が一冊担当していて、題材がヘレン・ケラーだった、ということをいまさら知って動揺します。

「2017年の作か。

 okama氏が網膜剥離となったのは一体いつの時期だったんだろう(くわしくは『Bまで恋はAiまかせ』ご参照のこと。ゆくゆくは病跡学で扱われる資料的作品になったりもするんだろうか)。この頃にはもう?」

 とたいへん俗な情念をふくらませて本をひらいたんですけど、けっきょくシーン構成のうまさに感心して読み終えました。

 乗馬も飛行機も乗ったりなど、とにかく逸話だらけの偉人であるけど、okama氏のケラーは、病をえるまえの幼児期に母と水浴び遊びをし(これは大前提なんだけど、伝記的作品のなかには省略されているものもあるみたい)、病を得たあとの不便については"スープをうまく飲めない"とか、"濡れたドレスを乾かそうとして延焼させてしまう"とかといったシーンが採られ。

 好転するエピソードとしてサリバン先生と出会ってあの有名な「Water」をし(まぁ当然ですね)、親睦をふかめたサリバン先生と海辺へ旅行し、そしてさらに年嵩を重ねれば、病床のサリバン先生の遺言を受け、先生なしで船に乗り海を越え……と、ケラーの成長が水(辺)でまとめられて淀みない。

(来日時のエピソードはやはり海面から鳥居が顔を出す厳島神社にひとつのフォーカスが合わせられています)

 

 1巻物の子供向け学習マンガ/偉人伝記漫画であることにはかわりないんだけど、それでも滲む色はあるかもしれない。読み比べてみたら意外と面白かったりするかも?

 

 ■ネット徘徊■

  あこがれる人とのかかわりかた;『テニプリ作者の“神対応”に称賛集まる 結婚式を挙げるファンに跡部景吾「参列するぜ」』

nlab.itmedia.co.jp

 ストリーマーとゲームプレイコラボなどをしている赤坂アカ先生しろまんた先生など、距離がちかいクリエイターっていっぱいいらっしゃいますが、そうした露出の多さが親近感を生むのではなく、(氏はじぶんとは到底およばない別世界の人間だと感服してしまうような)別次元のスター性を発揮しているかたは稀有なんじゃないでしょうか。

 こういうすがすがしい生き方、人とのかかわり方をしたいものです。すごい。

 

 ■読みもの■はてなブクマコメ補足■

  『名馬であれば馬のうち』「夢と魔法の王国への旅2023 告知エディション」読書メモ
夢と魔法の王国への旅2023 告知エディション - 名馬であれば馬のうち

panpanya先生サイン会レポと同山椒魚? 併読し,人混み/ベイマを見てフーコー論へ転ずる等,トボケの一貫性に気づく。前回の盥回し整理券や今回前半のアイスと比べ,後半の閉口遊具群は解像度が一段上で,素朴に切ない不条理だ

2023/08/22 15:41

b.hatena.ne.jp

 『名馬であれば馬のうち』さんのファンタジックなレポ記事で、京都住まいのサンショウウオ氏が、京の東にあるディズニーランドへ行ったりなんだりします。

 サンショウウオ氏が活動者として『名馬~』で登場するのは2度目で、の漫画家 panpanya 先生は実在したッ!! 衝撃と慟哭の緊急サイン会レポ!」の語り手とたぶん同一魚なのではないかと思う。

 ファンタジックなとぼけた記事だけど……

 なるほど、京都名物のいけずと言われればもてなしのうちかもしれないな、とひとり合点しているあいだに店員に促され、会場内に入ります。
 予想はある程度していましたが、人がいっぱいです。いっぱいすぎます。
 なんというか、人を人として認識できないレベルでいっぱいです。なんというか形から人だと察しはつくのですが、それがふだんおもっているような人権を有した存在としての人と視るのがむつかしい。おぞましい別の何かに見える。時代が時代なら独裁者が生まれ、虐殺が起こり、統計学が完成していたことでしょう

 ベイマックストゥモローランド・エリアに出没する大きくて白いぶよぶよした物体です。ロボットらしいです。エリア一帯は自動販売機から売店のグッズに至るまでこの白いまんじゅうの意匠にあふれ、ときおり街宣車のような車がのろのろ走りながら「わたしはベイマックス、あなたの心と身体の安全を守ります」と繰り返し呼びかけています。とてもディストピアっぽいです。監獄が誕生して以来、権力はこのような仕方でわたしたちを抑圧しようとするのですね

 4年前でも今回の記事でも、ふつうの実景ルポからフーコー論的な世相斬りへズレていったりなど、そのおとぼけには一貫性がありそうで、そこもまた面白かったです。

(空似だとしたら「こんなウオが2尾もいるのか」というお話になり、それはそれで面白い)

 

 panpanya先生サイン会レポ記事では、整理券をもらうも一向に進まない不条理に見舞われたサンショウウオ氏ですが、ディズニーランド来園レポ記事では、一向に食べられないスゴイカタイアイス、コイン挿入口を潰されて一向に遊べないペニー・アーケードの遊具群などに出くわします。

 ふわふわとユーモラスな不条理劇、サンショウウオ氏の見るオモシロ日本は、ふんだんに挿しこまれた写真によって現実的な解像度を得て、とっつきやすいおおきな面白味があるのですがトマソンに代表される路上観察学的な楽しみもある)、その解像度ゆえに4年前の記事のようにただニヤニヤしているだけではいられません。

{インフラ関係やら容量を減らしていく飲食物など色々さびしくなっていく日本に生きていると、それらの同一線上のこととして映り、素朴に「辛(つら)……」てなっちゃう。「ひん(貧)っ……」なっちゃう

 

 そんな記事の最後でサンショウウオ氏がまきこまれる不条理に対して列挙するあれやこれやは、オモシロいものがこの記事を読むぼくらの手の届くレベルで現実にあったり、生まれつつあったりするらしいことを伝えるもので、「こ、こいつ~!」というところも含めて、ちょっと感動的だったりしました。*21

 じぶん自身はめっきり出歩かなくなり、周囲もどんどん寂びれていってる気がしますが、ぼくの視界に入らんだけで、よくわからんもの、むやみやたらとかちかちなもの、ふわふわなもの、おもしろそうなものがマジであるらしいのは嬉しいことです。

 

 ■ネット徘徊■

  創作内「エセ日本」の話題からなぜか海外文学市場を心配する

togetter.com

togetter.com

 「オモシロ日本」描写がちまたで談笑の肴になるとき、劇中人物が日本の参事官の従者として2年暮らした「京都の近辺」の「すばらしく美しい水上の楼閣」がどう見ても金閣寺であるゼーバルト民たち』「アンブロース・アーデルヴァルト」がこすられたためしがない。

 海外文学読みは気高いなぁと感心するより、「どうやって成り立っているんだろうこの市場」という心配が先に立つ。(単に人口の問題に思うので)*22

 

 

 ■うろんなもの■ゲーム■

   ウミガメのスープ(英国中世 人口激減編)

大問】

 1381年、イングランドの役人は頭を抱えた。人口調査をしたところ、4年まえと比べてどの州も1万人ほど成人住民がいなくなったのだ。3割減ならまだいいほうで、半減した州さえある。それだというのに喪失を悲しんでいるようすもないのだ。

 数ヶ月と経たないうちに役人は死んだ。一体なぜ?

 

【質疑応答】

黒死病ですか?」いいえ

「飢饉ですか?」いいえ

「英仏百年戦争は関係ありますか?」はい

「外国侵入ですか?」いいえ

「居なくなったのは男性ですか?」いいえ

「英仏百年戦争は休戦中ですか?」はい

「居なくなったのは女性ですか?」はい

「居なくなったのは未婚女性ですか?」はい

「住民の数は役人じしんがその目で確認しましたか?」いいえ

「消えた各1万人は死んでいますか?」いいえ

「この人口とは人頭税納入義務者人口ですか?」はい

 

【大正解】

 英仏百年戦争で国庫不足となったイングランドは1380年10月5日ノーサンプトンで開かれた議会により、不足分の16万ポンドを調達する新たな施策を採用した。

 すなわち、全成人に頭割り3グロート(12ペンス)の人頭税を課すこと。例年にくらべ3倍もの大増税だった。

 1381年、各州に配置された人頭税徴収官が配され、補助人もつけられ、村落の市長・村長・コンスタブル(巡査・保安官的なやつ)ベイリーフと交渉する形でもって徴収が開始された。

 暴利を支払えない町村は、コンスタブルによる自発的協力や農民からコンスタブルへの脅迫により、人頭税徴収対象者を過少報告した。その結果、「奇怪でかつ不可能なほどの男性の過多と未婚女性の欠如という珍現象をしめした」*23のだった。

{未婚女性を過少報告した理由は、下記種本には記載されていなかった。(子供もおらず誤魔化しがきくということか?)}

 政府は町村の欺瞞を摘発し、徴発の是正すべく偽報告者への罰則を検討・国王使節を派遣したものの、それが市民の怒りを買って一揆の引き金となり、地方裁判官や書記、没収官が殺され、州長官領主館や荘園が襲撃にあい、ロチェスター城の包囲・囚人の解放されるなどの大反乱(いわゆるワット・タイラーの乱へとひろがっていくこととなる。役人はその巻き添えとなったひとりだったのだ。

 

 ■読みもの■

  富岡次郎『イギリス農民一揆の研究』読書メモ

 上みたいなクイズをポチポチしたとおり、

「富岡次郎ギリス農民一揆の研究』、せっかく電子書籍化されているんだから買っておくか」

 と買いました。1966年に発表された富岡氏の京都大文学博士論文(博論)で、要旨と審査結果については、京大のデータベースで読めます。

repository.kulib.kyoto-u.ac.jp

 基本的に事件について官憲の資料を当たって図表化したりという研究で、門外漢としては「社会とか歴史で博士号取れたんじゃないの?」と思う内容。序盤から非常に面白く、つづきもたのしみです。

 主な話題となるのは1381年以降の農民一揆についてのようで、たとえばリドリー・スコットビン・フッド』の舞台とは一世紀ちがうわけですが、お上による法は『ロビン・フッド』同様「おれがルールだ」といわんばかりの(というか実際言ってる)大胆な運用でつらい。

 素朴な「人月の神話」めいた勘定がたびたび出てきて、生産量のひくい農地にたいする解決として、収穫法や技術を改良するのではなく「農奴の頭数を増やせばよかんべぇ」という力技がたびたび取られるんですけど、読み進めていくと「それらさえまだマシなほうだったんだ……!」と分かってきます。

 

 読んでて興味深かったのは、農民もけっこう頻繁に不当だと裁判所へ訴えていること。

 下々から「"農奴だから"ってこんな賦役を命じられたけど、おれは自由民なんすよ」と訴えた例がいくつか列挙されるくだりがある。(し、それを「いやおまえ農奴な」と却下する裁判所の判決も)

 あるていど生活に満足してないと/現状のシステムが公平に機能していると思ってないと、そもそも「司法へ訴える」という行動に移らないだろうから、「農奴は自由である(あるいは農奴と自由農は区別がつかないくらい自由がない)」んだろうなぁと驚いた。

 いや、

農奴も実際には、"暗黒中世"のウェザリング利いた汚い下層民みたいな生活をしていなくて、余暇の楽しみとかいろいろあったみたいだよ」

 みたいなお話は、テリー・ジョーンズ&アラン・エレイラ『中世英国人の仕事と生活』などチラホラ耳にすることですが、正直言って、「そうは聞いても、実際どのくらい?」ってピンとこないところがあったんですよ。

 こういう記録を並べられると、「自由だったんだろうなぁ」とようやく体感できますね。

 

***

 

 そんなわけで面白く読んでいるのですが、うえでも言ったとおり1966年発表の論考であります。人間の年齢ならそろそろ定年を迎える月日が経っているわけで、その後の反響とかが気になりもします。でも電書で手が届きやすいのはコレだし、それ以外が無いから選択の余地がそもそも……。

 市民解放されていた近所の大学・大学図書館がCOVID-19禍をうけ第三者の利用を謝絶されて以来、アカデミズムに触れるハードルはかなり高くなってしまいました。

 その道の研究者(たとえば歴史)がジャンルファンと会話して、後者の知識がポップなフィクションであったり(たとえば司馬遼太郎、数十年まえの研究であったりして苦笑する……という世間話は尽きないですが、たぶんこのギャップって今後はもっと広がるんじゃないかなって思ったり。

 

 

  『街角さりげないもの事典 ~隠れたデザインの世界を探索する』読書メモ

www.kobunsha.com

 角さりげないもの事典 ~隠れたデザインの世界を探索する』を買いました。

 原題『The 99% Invisible City: A Field Guide to the Hidden World of Everyday Design』のとおり、ポッドキャスト<99% Invisible>のテーマ別傑作選みたいな本なのだそう。

 Amazon商品ページの抜粋をみるに、見開き2ページごとにきっちり装丁されているタイプの本のようで、紙の本で読んだほうが情報が頭に入ってきやすいと思います。

 紙の本であれば挿絵と文章がページ内に並置されている構成も、電書の構成だと挿絵ページまでめくってめくって戻って、また自分が読んでた文章までページをめくってめくって進めて……と、手間のかかる往復をしなきゃなりません。

 

 世界のさまざまな街角にある面白いなんらかを、手書きイラスト付きで紹介していく本で。たとえばイギリスの町中に平然と立つ建物のある区域からある区域までだけが実はファサード(正面)しかないハリボテである(そしてそれは産業革命期の歴史がからみ……)とか、オーストラリアの公園に立つオベリスクが妙に臭うんだけどそれは設計者の思惑どおりだった……とか、面白いネタがどんどん出てくる。

 

 さりげないもののさりげない工夫だけでなく、余人が知らないだけではっきり目立つもののはっきり目立つ違いなども紹介されています。

 たとえばニューヨーク州シラキュースのどこにアイルランド系の地域があるかは信号機を見ればわかるんですって。

 ティペラリーヒルの交差点に架かる上下縦並びの信号機は、一般的な並び(上から赤・緑)とはさかしま(緑・赤)になっている――というのも住民が、親英アルスター統一党のシンボルカラーである赤が、アイルランドのシンボルカラーである緑より上にあることに腹を立て投石して破壊したりしたからだと云います。

 『さりげないもの事典』があつかうのは英語圏だけではありません。日本の信号にも、他とは異なる独自性があるのだとか。それは実は……

 

 本文にも小項立てられて紹介されるトマソン的な代物は今のところありません。それについては他の読みものを当たるといいんじゃないかと思います。(たとえばサンショウウオ氏のルポ記事とか)

 物の来歴とかがお好きなかた、それもそれなりの分量(それ単体で1冊の本にするほど長大ではないけど、だからといって一口豆知識ほど小さくない)をいっぱい得たいかたなら本書は持ってこいなんじゃないでしょうか。

{「おお~人気ポッドキャストのベストセラーとな。……となればTED的にめっちゃ面白かったりする?」

 と思ったんだけど、そこは意外と昔からあるウンチク本みたいな懐かしいにおいがしますね。つまりダダダ~と情報が羅列されて、とくにオチとか無い。そういうのがキツいかたにとってはキツいと思う。

 ようするに今この文章を読めてるあなたには関係ない話でした(読んでくれてありがとうございます……)}

 学校の「朝の読書」タイムとかでこういうのが読めたら非常に楽しい時間を送れたんじゃないかと思うんだけれど、さすがに4000円はイカツイぜ。文庫化してくれたらうれしいな。

 

 ■社会のこと■身体のこと■

  土地の祭りだ/トシで登るな/ホシノパーツが

 祭りの準備をしました。木に登るのがかなりイカツクなっていました。登れてよかったです。(登れなかったら大ケガしてるので)

 こちらの希望としては、桜の木の幹が終わって枝がひろがる始点へ、提灯の電線コードをかけたいわけです。

 ということで脚立で高度をかせいだうえで、地面と水平にのびる太い枝へ、まず懸垂というか、鉄棒を腹でぐるりと回るやつ(のグルンとする前で終わるかたち)のようにして上へあがろうとしました。

 しかし30代の肥えた自重と衰えた筋力ではむずかしかった。

 そこで前述の枝に抱きつき、右足をあげて引っ掛け、"豚の丸焼き"を無様にしたようなかんじのムーブで木の太い枝のうえに登りました。

 利き手である右手のひら(親指の付け根と、おなじたかさの小指側)は樹皮の凸凹にしたがっていちばんうえの皮が剥けました。赤い皮膚が外気へさらけだされただけで、血は出なかったです。

「おおお、おれはいまfigure-riseLABOになってる……!」

hobby.dengeki.com

 と感動した。

 左胸には黄色いアザが横にじわりと、左の力こぶ周りには紫のアザができた。ううう。

{でも子供のころよりもこういうケガをして――というかダメージを負うつもりがないアクションでボロボロ部位破壊がおこって――「にんげんの(おれの?)からだ、とくに皮膚って脆すぎでは……?」と思うことが多くなった気がするな。}

 

  土日の筋肉痛状況

 土曜日は前述の準備で、筋肉痛となり、なにもできなかった。

 日曜日の祭り本番では、筋肉痛がかなり和らいでくれて、たいへんありがたかった。

 

 ■読みもの■ネット徘徊■

  『漫画のモザイクどれにするか問題』面白かったが、最近の作家は大変だと思った

tokuniaru.fanbox.cc

 先述の千葉氏といい、直上リンク記事のなか氏といい、「おもしろい(お話ができる)人は、自身が表舞台で披露するおもしろい(だろう)お話を、無料のインターネットで宣伝するふるまい自体がそもそもおもしろいよな」と思うわけですが、けっきょくそのくらいポンポン面白いものを生み出せる人じゃないと、ぼくのような下流まで届くくらいしっかりしたかたちにならない、みたいなことなのかな。

伊藤計劃さんもぽんぽん面白与太話を生み出せる人だった、という漫研仲間による思い出話ありましたね)

 

*******

 

 

 

*1:花粉が飛んでるかどうかはTVを観てないから存じません。

*2:でも平日だよね、休校になったのか? ハッピーマンデー制度も施行されて久しいし。いまはそういう感じになってもおかしくない(……と、ググったら2000年開始だからそろそろ四半世紀らしい! まじっすか)

*3:映画かなにか別の作品でもこういう切り返しがあったんだけど、なんだったか忘れてしまった。

*4:1コマ目は、「それ単体で見るなら蟻ヶ崎さん&猫田くんは左下に置きたいな」とか、2コマ目は「"残りを猫田くんが"は真ん中あたりに置いた方が読みやすいんじゃないか?」とも思うのだが……

 ……前者は3コマ目との兼ね合いでビッグ・モーの巨漢より左に蟻ヶ崎さんを置きたくない。後者についてはオリジナルのフキダシ位置からそこまで変えたくない、というような理由からこんな配置にしました。

*5:ぼくが(メジャーどころから出ている本とはいえ)バイエルン犯科帳』『カントリー・オブ・マイ・スカル』『狂気 ピアノ殺人事件』を取り寄せ読むような人間になったのも、根底に柳下氏らの珍品digへのあこがれが絶対ある。

*6:ここですでに「ひとさまのblogやら何やら」を明らかにしていないとおり、自堕落さによって完璧におこないきれてはいない。

 そういう立派なスタンスのひとって、「じゃあ」と指折り数えていくとですね、思った以上にいっぱいおりまして……

*7:もちろんそういう味付けもできる作家ですが。

 『ヴィジランテ』第1話の見得きりや、<ケイオスヘキサ>シリーズや『シスマゲドン』。あるいは『ソリッドファイター』終盤の格闘ゲーム小説じゃなければ不可能な、独特すぎる語彙による記述のように、ふるった場合は「ふつう」どころの騒ぎではなく濃いが……!?

*8:『SAVE THE CATの法則』とかで説かれる「筋書きは短文(ログライン)で簡潔に説明できるうえにインパクトあるものを!」てやつ、なるほどコレ日本語圏におけるtwitter連ツイ漫画の見出しとかパワーワードとかってやつですな。大事だなぁ。

*9:……と訳したけど、違うかなぁ?

*10:ちなみに声は笑っているが顔は全然笑ってませんでした(現実の笑いなんてそんなものかもしれませんが……)

*11:ぼくは『FF16』については時折・複数人のかたがおっしゃる「やめどきが分からない」という評価がよくわからなかったんだけど(敵が硬いとか、人から人へ往復を要求されるとか、テンションの途絶要素がいっぱいあるので)、この本についてそう言うのは分かるな。

*12:もちろん伴名氏にかぎらず、日本の小説はだいたい文庫化にあたり解説がつくので、そういう遊びはどのジャンルでだって出来るのですが。

(でも『総解説』になると、圧縮率的に短歌や俳句みたいなものなので、400字詰め原稿用紙単位で原稿料をもらうプロのレビュアーになりたいとかでない限り、タイプが違い過ぎて参考にならないかな……)

*13:なお『ブログ刑事ぼろんこ』さんのこちらの記事を参考にしました。

*14:なお『YAMDAS現更新履歴』さんのこちらの記事で知りました。

*15:休むというか、耐えというか。苦痛を感じる時間を、眠って意識を飛ばすことによってスキップしようというスタンス。

*16:『東京地裁 令和元年(ワ)第23219号 未払い賃金請求事件』p.31

*17:各動画の再生数から見る固定ファンは600人前後なのではないかと思われるが……

*18:酒場のニックネーム。ドイツ語のほうの「hell」だったりしない? と思うが原著にあたれてないからワカラン。

*19:(イトイ新聞「ご近所のOLさんは、先端に腰掛けていた。」の特集は、全5回におよぶ連載企画で。

 1回(2002年7月25日)は、マーシャ(福嶋真砂代)氏の『ICO』感想と、その感覚について最後の最後で総括する上田D海道Pの一言について。

 2回(2002年8月2日はハードスペックに応じたキャラクタデザインについて。{「白っぽい表現(女の子の肌の色)というのは、もっと人間ぽく表現することもできるんですよ。そうすると現状ではマネキン人形にしか見えない。もう少しポリゴン数とか描画スピードが上がればちゃんと人間らしく見える表現ができると思うんですけどやったところでマネキンにしか見えないのであれば少し落としてでもリアリティがあるようにしようと。」}

 3回(2002年8月15日)は各国のソフトパッケージと「美しい絵」について。

 4回(2002年8月23日)はヒロインと敵(影)の造形・AIについて。

 5回(2002年8月26日)は『ICO』のミソスープ性について、それぞれ話題にされています。

*20:上田文人の世界 ~言葉のないゲームはどのように生まれたのか?』kindle35%(位置No.186中 67)、「Chapter2 ワンダと巨像」、「「ワンダと巨像」に込めた思い」中「『ワンダ』だけの新要素」より

*21:いや、そういう記事であることは、ふつうに記事タイトルにもうたっているんですけどね。タイトル前半と記事のサムネイルに反映された写真とによって、旅レポ記事だと思い込んで読み進めました。

*22:おもしろいことうまいことを言いたくならないひとが全くゼロの界隈というのは考えづらく、海外文学読みでもたとえば『エリクソン「ルビコン・ビーチ」のアメリカ1とアメリカ2みたいな話ではない』と但し書きしたうえで{頼まれもしないのに(笑)}「日本1」「日本2」「日本」』と勝手に分類しだして『ラスト サムライ』のレビューをしたりするひとがいるもんだと思う。

*23:講談社創文社オンデマンド叢書、2023年2月1日発行)、富岡次郎『イギリス農民一揆の研究』kindle10%(位置No.722中 69。紙の印字でp.50)、「第二章 一三八一年の大反乱」(ロ)百年戦争と税制度 より。