すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

『FF16』プレイ日記

 『FF16』クリアしました~!

 サブクエ(たぶん)全部やって、フィールドに点在する強い敵リスキーモブ全討伐して*1、なんだかんだ75時間かかり申した。ボリューミーだと思いますね。

 リスキーモブ討伐よりもプレイスキルが必要な、回復・補助アイテム持ち込み禁止&スキルセット固定の連戦ステージ《石塔の試練》は、一か所だけクリアしました。一箇所クリアでもらえるブロンズトロフィ「巧者の証」は、プレイヤーの取得率10%だったんで、

「メインストーリークリアするともらえるトロフィは取得率20%だったから、ストーリーフォーカス/バトルフォーカスって区分けはたぶん正解なんだろうなぁ」

 とか思ったり。

 

 以下、クリア感想と、これまでの呟きの総まとめ。

 

0712(水)

 クリアした感想

  ▼設計図や航海図をもっと練ってほしかったが、その妙な設計図どおりに船は完成してるし旅を終えてるし、その点では満足・感服

 ここのところのblogでもさんざ愚痴った通り、メインストーリーやサブクエについてや映像演出いろいろについてもちろん思う所は結構あるんだけれど(笑)、各街のそれぞれ二ケタ人単位でいるNPCのセリフ(ほぼフルボイス)が進行度に応じて細かく変わったりして、工数・制作管理すごいな」「えらいな、立派な仕事だな……」みたいな気持ちがとりあえず勝ちますね……。

「こっちは木の甲板に帆だけどあっちはエンジン積んで翼も生えてて、妙な設計の船だな」

 とか、

インドに行くつもりが自由の女神のまえに辿りついたな、それもアメリカじゃなくてお台場の

 とか思いはするんですよ。

 するんですけど、それはそれとして、その設計図で建てた船としては設計図どおりにちゃんと組みあがっていそうで埃もなく立派な一大建造物だし、船員はテキパキ動いて海を渡れたわけで、その点においては大変満足してる……みたいな具合です。

(客に「でもしっかりお仕事されてたしな……」みたいな努力点・授業態度でもって上昇修正する学校の通信簿みたいな視点で評価されたら、1万円単位のお金を払って提供されるプロの作品としてはオシマイなんじゃないか? みたいな気持ちも、正直ありますがっ!

 まぁzzz_zzzzとしてはそういう視点ってどうやったって入っちゃうもんなんすよね、人間がつくったものを人間が受け取ってるんで……)

 

   ▽ストーリーについて。ここまででモヤモヤした点にフォローが入って良かった。(そんな長い時間モヤモヤさせない展開にしてほしかった気持ちはある)

 ここまでモヤモヤしたところについてフォローが入ったりしたりしましたね。

「他罰かつ自己反省的シーンで一言二言ふれただけで済ませられるものじゃないのでは?」

 などなどモヤモヤは晴れず深まりもしたけど、まぁフォローはあった。

{たとえばいくつかのレビューで……

主人公は物語が進むとマザークリスタルを破壊するテロ行為を行う。当然ながら人民に大きな被害を与えるわけだが、これに対して主人公はあまり疑問を持たない。ゲーム内ではマザークリスタルが悪であるという話はあるものの、プレイヤーに詳しい説明はなく、なぜかそれが正しいという「空気」で話が進んでしまう。

   文春オンライン(2023年7月9日UP)、渡邉 卓也『人種問題だけじゃない…『ファイナルファンタジーXVI』が国内外で“賛否両論”を呼んだ“納得の理由”』3

 ……という批判がでていますが。

 これも、主人公も口に出さないだけでふつうに「マザークリスタルを壊せば状況がよくなるはずが、事態はどんどん悪くなってるじゃん!」という旨の疑問・不安をいだいていたことが、終盤も終盤の他罰かつ自問自答な精神道場パートで一言ふれられているし。

 ラスボスを倒したところで万々歳にはならないだろうということもまた、ラスボスとの問答として「ベアラー差別とかはラスボスであるわたしとは関係ない、お前ら人間が自発的にやってることだから、わたしを倒したところでどうにかなるものじゃないし、もっと酷くなるぞ」「たしかにそうだろう。でもやらなきゃいけないし、乗り越えられるさ」みたいなそのものズバリの話題がなされる。

{ただ、神道場パートは、導入も「こっから精神空間につれてっておまえの意志をこなごなにしてやるぞ~」という感じのことをラスボスが主人公へストレートに述べたうえでなんのてらいもなくストレートに精神空間へと連れてかれるというスゴい段取りにふさわしい内容の「とりあえず一言ふれました」以上の要素がないもので、

「ここをこれだけサックリアッサリできるんだったら、序盤~中盤に顕著なこれまでのイベントの妙な引き延ばしとか物わかりの悪さとかは一体なんだったんスか~!」

 とはなりました。

「ここに辿りつく前の段階で、主人公らの大目標へ疑問をはさんだり不安を漏らしたりするひとがいてもいいよね」

 というのは当然のお話だと思います。じっさいクリスタル破壊まえのくだりではほかならぬ主人公が「えっクリスタル破壊ってなにいきなり?」と即座にツッコんだりしていたわけですしね。ただ他方で、アジト外の「協力者」「協力者の知り合い」がその役割を担っているものとしたのかなぁとも思わなくもありません。

 

 批判が出ているということは、このへんの塩梅がプレイヤーによってはただうわっつらのキレイゴトを言っているだけに聞こえてしまうのかなぁと思うんですが。(それはそれでまぁ理解できる。実際ぼくも感じた)

 zzz_zzzzとしては、ラスボスが言い主人公もみとめた「酷い状況」についても、主人公が言った「それも乗り越えられる」ということも、中盤以降からの白色テロであるとかあるいはラスボスイベント前にポップしたサブクエ群で具体的に描かれているんで、めちゃくちゃ浮いてるって感じはなかったですね。

(いや、そうして描かれた像についての良いか悪いかはべつのお話ですよ?

 終盤のサブクエスト群でちりばめられた「魔法がない状況での混乱」「と解決」。これらを組み合わせて現れる全体像は、清貧指向といいますか、現代日本人が言う「江戸時代(いまみたいな大量消費社会じゃないけど、大規模で高度な技術革新こそないけど大量絶滅の危険もまた無い。だからといって原始時代ではなく、暮らしに工夫や知恵があるロハス・ファンタジーとしての江戸)に戻ろう」的なあれでして。

 これにかんする可否の判断はまた別のおはなしなんですが……まぁ、とりあえず「セリフで言ってみただけ」に終わらせず、ちゃんと具体化されてはいる)

 むしろzzz_zzzzが気になったのは、主人公の性格について「なんでも一人で抱え込むクセがある」とか、主人公が他者から受け継いだ美点について総括する段で出た「一人でも多くの人を助けたいロザリア公家の~」みたいなセリフですね。

 こういうのを聞くとぼくは、

「いやいや、むしろ逆では?

 (おそらく"魔法や魔法同然の主人公補正に頼らず、みんなでどんな混沌も乗り越えられる"という大大目標のために)一部イベントで主人公が"サポーター"的立ち位置をやけに守ったせいで、つまりひとりで抱え込まず、依頼されたこと以上のはたらきをしなかったせいで生まれたとしか思えない犠牲もあったじゃん」

 と思うんですが、ここにかんするモヤモヤについてはけっきょく晴れませんでしたね)}

 

    〇ストーリーについて。長編ゲームの尺感って難しいっスね……

 60~70時間の尺における適切な構成ってなに?

 ほんと、なんなんでしょうね……。

 どうにかならんかったのかな? どうにもならんかったんだろうなぁ……。

 

「おそらくぼくよりもはるかに気が長い人が作っているんじゃないか? かったるいしミュート&暗転演出のたびにテンションが中断されるけど、その物差しでぜんぶ統一されてる気はするな……」

 という情状酌量要素はあるんですよ。

 "町のひとに聞き込みをしよう!""依頼主のもとへ戻り、集めた情報を伝えよう"と100歩単位の往復を必須とするイベント展開といい。

 バトルの"(敵の硬さから来る)渋さ"といい。

 バトル終了時やクエス終了時の数テンポの消音⇒暗転⇒リザルト画面表示⇒取得ポイントカウントアップ⇒取得アイテムの表示……と間を十二分にとった演出といい。

 ロードが全然ない一方で頻繁に入る暗転演出{扉を開ける⇒暗転⇒引きの構図とか(「閉じている扉を開ける」というアクションの時点ですでに、"暗転⇒暗転明け"に類似する効果があるけど、さらに暗転をはさむ)。事情説明をするくだりになると頻繁にはいる、"実は…"的マイム演技からの暗転⇒"そんなことがあったのか"というセリフとともに引きの構図で上から下へクレーンダウンショット演出(入れなくていいくだりでも、これが入る)といい……

 ……せっかちな人が作っていたら絶対こうはなってないだろう、という設定・演出・段取りがいろいろあります。

 

 この辺の情報配置は――「えっこれってどういうこと?」と戸惑ったり「ええ~おかしくね?」と思わずツイートしたくなったりするモヤモヤ展開は、メインクエストやサブクエストを進めていくと結構フォローが大なり小なり入るんだけど、そのフォローに数章後・数時間~十数時間~数十時間を経てようやく出会えるという情報配置は――もうちょっとどうにかならんかったのかなぁと思いました。

{たとえば、マザークリスタルを壊すために最寄りの町へ潜入した主人公が、町の顔役から協力を仰ごうとするも、「まずはこの町の問題を解決しろ!」と言われて真相をつきとめ解決するくだり。

 町の住民から色々きいてみると、マザークリスタルを管理する軍隊の横暴にまきこまれて大変であること、そしてなにより喫緊の大問題として、マザークリスタル産のクリスタルをほかへ横流しされてしまって、町はクリスタル不足に悩まされているということが見えてきます。主人公は横流し犯を突き止めて無事解決、町の顔役は主人公たちに協力してくれるようになります。

 われわれ主人公パーティが町のために頑張ったから、主人公パーティのために町が協力してくれるというだけなら納得できるんですよ。そこへ主人公の目標がのっかってくると、意味がわからなくなる。つまり……

町「おれたちはクリスタル不足で困ってるから解決してくれ」

主人公「解決した。クリスタルどうぞ」

町「ありがとう。ではその恩に報いて、君たちの目標であるマザークリスタル破壊おれたちの土地のクリスタル産出をストップさせること)に協力するよ」(???)

 ……という、理解に困る展開になります。

 

 別枠で顔役に話をきいてみると、「この町はもともと温泉街として栄えていて、クリスタル交易は無くても食えてた。だから大丈夫」みたいな話がなされます。

 そしてさらには、顔役がこれだけ楽観的なこともある種の布石としてとらえられそうなバックグラウンドが後半のサブクエストで明かされたり、そのサブクエストで「そんな明るい将来は、ただの楽観である」というようなストーリー展開がなされたりもします。

 だから全体をとおして振り返ると、そこまで変な話ではないのですが、その全体が俯瞰できるようになるまで十数~数十時間かかり……この違和感をそれだけの時間かかえていられるほど、zzz_zzzzは気長じゃありませんでした}

 

    〇シリーズ・ハード・プロダクト種々起因してそうな『FF16』の凸凹と、凸凹を均す「キレイな」設計図の他ゲームとについて

 <ファイナル・ファンタジーシリーズであることやゲームであることがゆえの凸凹もあれば。

{たとえば前にお話しした「ムービー銃」の『FF16』版

 何度も何度も切り結んでようやく一体倒せるバトルシステムの従事者である主人公や国の精鋭部隊・竜騎士のジャンプ攻撃よりも強い、カットシーン(イベントムービーパート)の一撃必殺投げ斧「ぐへへ女だ~」モブ山賊問題

(これはビジュアル関係の問題だけど、ビッグス&ウェッジの素肌さらしたファンタジー謎装備は、これだけフォトリアルになった世界のなかではやっぱり良くないんじゃないかな……。

 古き良き――でも「もはやそういう時代じゃない」牧歌的な象徴としてデザインしたとかならまだしも、そうじゃないからな……)

 

 意図した脚本・演出だろうけどその筋自体がチグハグに見えてしまう部分もあり。

(たとえば人気ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』みたいなネームドキャラであろうと等しく容赦なく死傷する「リアルかつ過酷」っぽいシーンが展開された……と思ったら、それとおなじ時空間で、全力疾走して主人公を追いかける敵大軍⇒ヒロインをお姫様抱っこする主人公⇒敵大軍が全然たどり着かない……みたいな見得切りとロマンのご都合主義めいたシーンが展開されたり)

(あるいは上のシーンにつづく、敵の大軍にかこまれ、気絶中のヒロインを抱えて主人公がピンチとなったくだり。

 シドと名乗る人物たちが一網打尽にしてくれた。シドの陣営のなかには昔飼ってた忠犬もいたので、ワシャワシャする主人公。シドに誘導されてかれらのアジトへ移動した主人公ら。アジトでシドからちょっとしたことを言われた主人公は「ヒロインをどうする気だ!?」と怖い形相で背中の剣を握る……

 ……犬をワシャワシャして、のこのこ徒歩でアジトまで移動した後で!?

 

 写実性と象徴性と工数との折り合いが難しい部分もあり。

{「この写実的なグラフィックで、こういう大きなマイム演技はきびしい部分があるな」

 とか、

「かといって表情はけっこう硬かったりするんだよな」

 とか、

モーションをループさせざるをえない局面だけど、やっぱりこれだけフォトリアルだと、機械人形(アニマトロニクス)味が出てしまうな……」とか。

(序盤の少年時代における、訓練場から場内の父のもとへ行く数分・十数分のさんぽパートで味わえるものとしては適切かつ充実して思えたNPCの身振り・しぐさが、他の町や村でも見られる汎用パターンだったと知ると、ちょっと許容範囲を超えてしまうなぁとか}

 

 担当アニメーターの巧拙(これだけの大長編・大集団作業なので、そういう「?」はそりゃ多少は出てくる……)に思える部分もあり。

(「この歩き、これだけ頭~背中~尻が一直線に結べるうえに地面と垂直だと、重心が後ろにあるみたく見えちゃうな」とか)

 さまざまなところでいろいろなボタンの掛け違いが見受けられ、どういうスタンスで眺めようとしても、どこかしらなにかしらが引っかかってしまうところはあるんですよね。

 

「最近プレイした他のあれやこれやのゲームにしたって、要素だけ見れば『FF16』とおなじかそれより程度がひくい表現やスケールの小ささもあったんだけど、それがそれぞれの作品において自然なものとして見える(あるいは不自然なところを見せなくて済む)プランがあり、しっかり"そういう様式"として馴染んでいたよなとか。

 たとえばルダTotK』

 こちらの作品なら、『FF16』で機械人形味をおぼえた水準のマイム演技が随所にみられるけど、そもそものグラフィックやエフェクトが十二分に戯画的で統一されているので、違和感がなかったなとか。

 あるいはストランディング

 あちらの作品なら、"世界的名俳優をキャスティングしてキャプチャして、フォトリアルな映像でやるのがこれか~"と思ってしまうような、演出面脚本面でクサさ・"物語らしさ"を覚えることはあった。

 でも、それはあくまで小島監督らの趣味(=創意)にたいする是非の問題であって、クリエイターが意図しない部分でそういう"作り物らしさ"が露呈して見えちゃう部分はあんまり無かったな。キャラと3Dアニメ・音声付きでコミュニケーションしなきゃならないシーンを"設定上の必然として(※)"絞りに絞っていてそこをきっちり仕上げたコスト配分のおかげだな……とか。

(※『デススト』の世界はカタストロフ後・環境汚染中でひとびとの物理的移動・行動に大幅な制限がかかった大引きこもり世界であり、汚染された区域を往来する運び屋である主人公らとのやりとりは必然的に間接的なかたちとなる。

 もっぱら通信映像で済ませたNPCは、通信映像である当然として人物像が粗くなるし、ヒトしか映さない映像の当然として、配送物の確認などもふくめて動きはマイム的になる。

 そしてNPCのとる行動はほぼだいたい劇中現実においてもルーチンワークだから、配達者への出迎え・配達物の確認・状態の良し悪しの反応というループする必要がほぼないくらい短時間かつ同じ行動をとっても気にならない

 ルーチンワークだから、いくらループしたって機械感はうすいし。尺のみじかいアクションだから、いくらループしようと眺めていられるくらいのクオリティまでグラフィック担当者は注力できる)

 

 海に出る前に・そしてそもそも船をつくる前にがんばることの重要性をひしひしと感じ、思うんですよ。

 でも、その「きれいさ」ってたぶん、現行ハード・現行スタッフ・現行のゲームでできることを重々承知した一種の割り切りでもあるわけで。

{崩壊し荒廃した終末・ポスト終末的設定で人も町も少ないとか。(もっとも『FF16』もそういうきらいがないわけじゃない)

 『FF16』で不気味の谷をこしらえたマイム演技・モーションのループも。あるいは開かずのドアがマジョリティである町村や、重要バトルイベントにおける混乱した戦場としてしか踏み入れられない大都市群にかんじる書き割り感も、たとえば無人の惑星で人の気配は先達の遺留品があるのみという作品だったら、生じえないわけですよね。

「書き割りでガッカリ」

 ととるか、それとも

「書き割り程度でも描いてくれたこと、味わわせた気概を買う」

 ととるか? みたいな}

 多少の粗が出てしまうだろうことのほうをこそ割り切って、「それでも」とした『FF16』だからこそ味わえたものもあるわけですよ。

 

  ▼そのほかえらい点、不満な点箇条書き
   えらい点●●これまでのおさらい●●

{・序章(体験版プレイ可能箇所)の世界設定の見せかた、端役NPCの凝りかた(自宅の親へ話しにいく合間の自由行動時間に、これだけNPCがいっぱいかつクリスタル利用した姿など色々アニメしててスゴい)

 ・謎が謎を呼ぶ、興味の牽引力ある序盤。

 ・しりとり的に繋がれたシーンつなぎ(⇒詳しくは0613のプレイ日記へ)

{・前半あたりのサブクエストがおもしろい掌短編集ってかんじで良い(⇒詳しくは0630のプレイ日記へ)}{・魔法や「主人公力」にたいする作り手の問題意識。良いところでもあり、それゆえ楽しくないし大きな疑問を浮かべてしまったところでもある……。⇒詳しくは0701のプレイ日記へ)

   えらい点●●はじめて言及する点●●

・キャラクターが恐慌・狂乱して大騒動をおこしてしまったことのいくつかは「陳腐な悪の親玉が裏で糸を引いていたからだ」という陳腐な原因による(それ自体は冷める)ものの、だからといって100%本人の意思無視で操作されてやったわけではなく、当人も「100%悪の親玉が悪いわけじゃなく、ほかならぬ自分がやったんだから」とその責任をとるところ。

 {・ただ、クライヴは発端の事件について背負うべき責任は無いと思うし、いっぽうで現在時制のクエスト群についてはさすがに一人で背負わ「なすぎ」だと思う。もうちょっと自分(我・我欲)を出して動いてよくない?}

「えらそうなこと言ってるけどさぁ」とプレイヤーであるこちらが思う敵の陳腐さについて、主人公側から「えらそうなこと言ってるけどさぁ」とレスバするところ。

 {・ただ、けっきょくそれは、序盤の転換点となる「クリスタルをぶっ壊す」と言われたさいのクライヴの「え、それと今までの活動(ベアラー救助)とどういうつながりが……?」という真っ当すぎるマジレス疑問と同様、そもそも思わせたり言わせたりした時点で、かなりの負けなんではないか。(設計されたものをその範囲内でより良く仕上げることよりも、建造作業にはいるまえにまず、「その設計で大丈夫かどうか、図面段階で設計図をよく練ることが大事なのではないか」というのと重なる話題)

   ・ぐうの音も出ない完全無欠の何かと戦う道はなかったのだろうか}

過去の<FF>シリーズを踏襲しつつ、不評だったものをことごとく変えようとするところ。

{シリーズ一番人気『FF7』の環境テロリスト感の踏襲とか。

 『FFT』の「歴史」と異端者の踏襲とか。

 <FF10>シリーズの夢・魔法・主人公補正にたいする批判性を踏襲するような、『FF16』主人公の立ち回りとか。

 『FF12バルフレアの「主人公」ぶりに対する、『FF16』シドの徹底した脇役的・メンター的な役回り。

 『FF10』の感動からすると居た堪れなさ過ぎる『FF10-2.5』の主人公カップルの浜辺漂着にたいする、『FF16』のキャッチャーミットにずばんときれいに収まる異能を絡めた親愛描写(ただこのシーン挿入場所はなんなんだろうな……)

フーゴ・クプカを憎む町民

 ・フーゴの一件が終わり団結した町について自賛するんだけど、町がよくなったことを素直に喜んでるんじゃなくて、フーゴについてdisれるから当てつけでそう言ってるだけみたいな温度があり、非常によい。

 

   ▽不満な点●●これまでのおさらい●●

・序章の世界設定の見せかた・凝りかたが、本編だとむずかしかった点。

〔序章だと「こんなスキマ時間的なシークエンスにこれだけ詰め込むのか!?」と感心したNPCの多彩な動きが、本編の広い世界へ出ると汎用アニメだとわかったガッカリ感、「自宅の親へ挨拶に行く合間」程度の短時間なら充実して見えたNPCのモーションが、じっくり落ち着いた無時間的なシチュエーションだとさすがに同じ動きをループするだけのアニマトロニクス感を露呈してしまう。

 {遊園地とゲーム世界の相違点を乗り越えられなかった。*2}〕

・物語的都合、興味関心牽引展開のための「映画的」編集、「魔法・主人公力」への問題意識……いろいろな形で現れる「俺(プレイヤー)要らないじゃん」感。

{・自分がプレイしたい部分がイベントムービーパートで済まされてしまったり、プレイアブルパートで勝ったと思ったら続くイベントムービーパートで負けたりする、相互関係の微妙さ

・綺麗なつなぎ、謎が謎をよぶ展開がもたらす、(少なくともプレイヤーである俺が主導していない)だれかに編集された「物語」感主人公クライヴとプレイヤーである自分との隔たりが気になる。(⇒詳しくは0613のプレイ日記へ)

{・ミニマップが必要なくらい空間が複雑だったり、ドアが入れたり入れなかったり、コリジョン設定があったりなかったりする(⇒詳しくは0625のプレイ日記へ)

{・QTEの介入箇所の「プレイヤーである俺、いらないじゃん」感

(・おれはたまにボタン押して特殊攻撃するが、クライヴはQTEなしに華麗な回避や攻撃をするぞ。

 ・おれがボタンを押してガケを登ったり重いトビラを開ける雑務をこなすいっぽう。クライヴはイベントムービーパートでボタン操作なしに勝手に崖から落ちそうな主要キャラを掴み、持ち上げ、助けるぞ)

{・プレイヤーキャラクターのできること・できないことの線引きの適当さ。制作陣は「王子だから街中で樽を壊さない・走らない」と説明するが、ひとのものだろう宝箱はその場で開ける(⇒詳しくは0628のプレイ日記へ)

{序盤で呼んだ多数の謎や問題の、中盤以降の取り回しかた。「さっきまで取り掛かっていたあの謎・問題はどうしたの?」と戸惑いや「え、さっきはこう言って断ったのに、今回は同じ理由で賛同してる……?」と混乱したりした。(⇒詳しくは0630のプレイ日記へ)

{・魔法や「主人公力」にたいする作り手の問題意識。良さが見えないわけでもないけど、自制をきかせすぎてインタラクティブ性のひくいカメラマン(傍観者)的立ち位置になっていて、コミットする場合はときおり自己責任論的な立場をとなえてグロテスクでさえある。⇒詳しくは0710のプレイ日記へ)

 

   ▽不満な点●●初めて言及する点●●

回復魔法・医療行為中に自分の好きなひとが来るとその作業をほうりだすの、非常にこわい。

アクティブタイムロア(いつでも用語確認可能機能)

 ・これを起動するとシーンに一時停止がかかり、さらにはBGMミュートになるからテンションの断絶がおこる。

 ・こちらの用語解説で説明を任せて、本編イベントシーンで省かれてる部分がある。

 ・「そういうものか」と思って逐一確認しようとすると、本編イベントシーンで説明台詞がつくものもあり、二度手間になる。

 

通常バトルとステータス周り全般

 ・属性相性が無いうえにLv.も装備も消費アイテム所持限度も物語進行度依存型レベルキャップ制なので、けっきょくバトルに勝てるか否かはプレイヤースキル依存になってしまって、アクションゲーマーじゃない自分には面白くない。

  ・「トレーニングモードでコンボ練習したりコンボ開発したりして、実戦で活かしてね~」は結構にハードコアなんよ。

   ・モダンクラシックなアクションシリーズである<モンスター・ハンター>シリーズのほうがよっぽど自分にとって(J)RPGの戦闘の醍醐味を味わえる作品になっているのはちょっと驚きだった。(「このモンスターのこの部位をこの属性でつくと大ダメージ、毒を吐いてくるから単純に防御力に優れてるやつよりも毒防御もちの防具のほうが良い。つきましては素材を集めて特効武具防具を整えましょう」みたいな感じで試行錯誤)

 ・戦闘中に召喚獣やスキルを弄れないから、ゲームオーバー後のリトライ地点が戦闘の途中だと、「ビルドを見直して再戦」みたいなことがまったくできない(そもそも途中敗北するようなプレイヤーはビルドの楽しみなんて無いから関係ないか~!)

  ・(2024/05/14追記)敵の堅いこと不可避戦闘回数にたいして回復アイテムの出が渋いこと&一回のバトルで敵戦力があと何回追加投入されたりボスキャラの変身をのこしたりするかわからないことによる「最初の物資をどれだけゴールまで残せるか?」が肝となるマラソン型ダンジョン・バトル設定

   ・上述のような設定のためプレイヤーとしては回復アイテムを我慢しがちにしてしまうし、バフアイテムもどこで切るべきなのか悩んでしまい、結果として凡ミスが起き、かさなり、重大な事故へ至る……というヒヤリハットの法則的な形のあんまり気持ちよくないゲームオーバーをする。

    ・ボス戦まえに回復アイテム全補充するつくりじゃないうえにリトライ時に回復アイテム全補充というデザインなので、ゲームオーバー⇒リトライ時の敗北感(「おれアクション下手だわ……」感)がたかい(『FF16』よりゲームオーバー数多かったアーマードコア6』のほうがよっぽど挫折感がすくない

 

召喚獣バトルなどバトル全般

 ・堅くて長くて面倒くさい

 ・エフェクトが敵味方ともに派手で、敵の攻撃モーション・エフェクトが見えづらく、気づいたらダメージを食らってたりする。

 ・タイタン戦

  ・フーゴ・クプカのロザリス城や根城周りのイベント、なんなの?

   ・バトルは勝ったのに負け・捕まることとなる展開なに?

   ・根城での、いかにも怪しいことをしている最中のクプカを「いったい、なにを……?」て棒っ立ちで眺めるの、なに?)

    ・序盤の、主人公のお姫様抱っこに敵大軍が一向に追いつけないご都合主義時空間の逆をすることで、バランスをとったということですか?

  ・なにこの障害物走のミニゲーム。音楽もいきなりなに? これ以降これ系の音楽つかわれないのもなに?(「ロック」なBGMといえばFF10other worldですが、あちらは場違いであり異色の楽器をつかった異色の音楽であることがきっちり段取りされていたので違和感はなかったなぁ*3

  ・この機動力を活かさず、またチマチマ戦うの?!

  ・照準操作、フェニックスはLスティック、ラムウのフィートはRスティック、これはLスティックと操作がバラバラで困る。統一してほしい。

  ・「その技、もらうぞ!」の、勝手に物語が動いてる感

   訳も分からず吸収したガルーダ、譲渡されたラムゥときて、じぶんの意志で盗むという主人公の状況に対する認識が、各召喚獣に対する「吸収/ラーニング」のしかたの変化をとおして描かれているのだが、ゲームのプレイヤーキャラクターが成長するとプレイヤーである自分を置き去りにして勝手に展開されている感があり、乖離が目立つ。

 

 ・バハムート戦

  ・ゴジラモスラキングギドラだなぁ。

 

 ・オーディン

  ・灰の大陸周りの動静について知ったときクライヴが「叔父さんたちもこの大陸については注目してるから、大丈夫だろう。先を急ごう」みたいにするところ。

   ・「灰の大陸について未知すぎてワカラン……」て知略担当のヴィヴィアンが困ってたくだりなんだったの!?

    ・クライヴしかワープ使えないんだからワープして伝えようよ。{上でもちょっと言ったけど、別の局面でも「まぁ他は他で大丈夫っしょ」って態度を何度かするんですけど、はたして「そういうひと」と捉えていいのかどうなのか、よくわからない(そんな主人公クライヴを指して「なんでも一人で抱え込んで……!」と言われると、「むしろ他人まかせでは?」みたいにモヤモヤする)

  ・ライダーバトルだなぁ。

  ・必殺技を叫ぶのは結構キツいな。

   ・技名を叫ぶ必殺技、画面中央上の技名表示がなくなるのはなんなんすか? その線引きはなに?

  ・とりのこされた船員について何も気にかけず逃げる主役二人、だいぶ怖い。

 

 ・アルテマ関連

  ・灰の大陸のマザクリ近くに船がたどり着けるの、なんなんすか?

  ・精神道場の段取り感

   ・「さすがに入りが直球すぎるし、入ったあともあっさりしすぎている」というお話はしたけど。

    ・「こういう話ならzzz_zzzはすっきりした」を具体化しておくと⇒プレイヤーの預かり知らぬところで精神世界に移行してて、メインクエストやサブクエストでプレイヤーがもやもやするところについて全部ゴリゴリにネガティブな自己批判を繰り広げたり、ぎゃくに「現実だとそうにはならなかった幻想の成功体験」を積んだりしているクライヴの精神世界を、仲間が救出しに行く……みたいな話のほうがスッキリしたと思う。

 ・一本道肯定発言は開き直りじゃないか?

  ・最後のバトル、豪華でカッコよかったけど、最後まで「べつにゲームじゃなくてもよくね?」みたいな気持ちはやっぱり持ってしまった。

   ・これまでプレイヤーが戦闘中再設定不可などに悩まされながらシコシコ組んでバトル中せかせかと回してきた召喚獣アクションは、ムービーでさっくさく自由に多種多様に変えられるようになりました。

    ・それだけなら「プレイヤーの制御下から外れて、100%じぶんの意思で行動し物語をつむぐヒーローになったんだな」みたいに捉えられるんだけど、いっぽう完全なムービーではなくあほみたいなQTEも大一番で設定されているから、プレイヤーである自分はどういう立ち位置でいればいいのか、クライヴとの関係・距離をつかみそこねてしまった

   ・シリーズおなじみの属性相性などを採り入れた作品だったら、「あの属性だされたから、こちらはこの属性で対抗しよう!」みたいな、プレイヤーが主体的にとる操作として召喚獣切り替えアクションが楽しめたりしたのだろうか?

    ・そうすればDLCの匂わせ程度の出番しかなかった旧世界のお話も、たとえばフェニックス教が各地に断片的ながらも遺し紡いできた古代の知識をプレイヤーがサブクエ等で発見・受け継いでいき、最終バトルで「フェニックス教古文書でやった問題だ!」と活かされたり……みたいな展開があったのだろうか?

    ・「戦闘中3獣しかセットできないゲームシステムなんだからどだい無理じゃん」

     「なんでそういう悲しいことを言うの……」

 

 ・不穏な状況における「ブーーーーーーン」みたいなBGMの多用

 ・後半ずっと悪い日の光

 

 ・執行者

  ・最後の最後でイルミナティとかユダヤ陰謀論みたいなん放り込んでくるの、なんなの……。

 

0711(火)

 先日のブクマコメの補足プレイ動画

www.youtube.com

 先日のはてなブクマコメにたいする補足としてこのblogでじぶんがした話(="『ゼルダTotK』よりかムズいし、さすがに他ブコメの「攻撃連打してたまに回避するだけ」は言い過ぎ"という主張)は、未プレイのかただとまだ分かりにくいところがあると思います。百聞は一見に如かず! フィールドでプレイヤーが任意に戦える雑魚敵とのバトル模様をアップしました。

 こちらはLv.44、敵はLv.33で10レベル以上の能力的優位があることをご留意ください。

 

 0:02 たいていの敵はチョコボで駆け抜けられるのだけど、逃げ切れず交戦となった。

 0:09 敵からの1度目の攻撃
 まず敵の攻撃に対して適切なタイミングでR1ボタンを押すと行なえる"プレシジョンドッジ"をキメ(※1)、PD判定後□ボタンを押すことで発動する"プレシジョン・カウンター"を入れていたところ、敵からの更なる攻撃に対して極めて適切なタイミングで攻撃ボタン□を押すと行なえる"パリィ"(※2)をキメるかたちになり、反撃を連打した。
※1ただ避けたつもりがなんか出ました。{全体的に猶予時間は多いほうだと思うしその恩恵を大いに受ける側ですが、そんなぼくでも「エッ今のが!?」て驚いたくらい、かなり珍しい避けかたです。このくらい遅いタイミングでたとえば下記するタイタンの防御・反撃フィートやアビリティをつかったら普通に被弾しましたね……} ※2"プレシジョン・カウンター"のために連打してたら、なんかパリィになりました。ラッキー!〕

 

 0:19 敵からの2度目の攻撃
 敵の攻撃に対して適切なタイミングで、召喚獣タイタンのアビリティ(R2ボタン押し+)「レイジングフィスト」(□ボタン。任意変更可)を発動して被攻撃をノーダメージにしつつカウンターをする。
(1度目の被攻撃でキメたPD→PDカウンター、そのアビリティ版ですね)

 0:22 「レイジングフィスト」のカウンター中。敵のウィルゲージ(黄色いゲージ)が真ん中を割りそうが見える。

 そこでL2ボタンを二回押して助力を得る召喚獣ガルーダへ切り替え、ウィルゲージが半分を切り敵が息を荒げたのを確認するとともに○ボタンでガルーダのフィート「ガルーダエンブレイス」発動、敵を地面に寝かせて、L2ボタンを二回押し召喚獣を切り替え、そこへセットしたイフリートのアビリティ「ウィル・オ・クス」を発動、□ボタンの通常攻撃を連打しつつL2ボタンを二回押してタイタンへと助力を得る相手を戻す。

 

 0:34 敵からの3度目の攻撃
 さきほどの防御&反撃アビリティ「レイジングフィスト」はクールタイム中なので、○ボタンを押してタイタンのフィート「タイタンブロック」適切なタイミングで発動できたことで"プレシジョンブロック"となる。すかさず□ボタンを押しダメージ補正のかかった"タイタン・カウンター"を一発入れる。
 0:36 (タイタンカウンターは3連撃まで入れられるけど)敵がこちらの反撃にひるまず、左フックを振りかぶるので、反撃連打はしない。左フックをもう一度○ボタン「タイタンブロック」"プレシジョンブロック"□ボタンを押して"タイタン・カウンター"を再度キメる。
 0:37 敵のウィルゲージを全て削りきり"テイクダウン"状態にした。"タイタン・カウンター"を最終3撃までキメ、R2+△で召喚獣アビリティ「イグニッション」で追撃、□ボタン連打の通常攻撃コンボを決めつつL2ボタンを二回押しガルーダのスキルセットへ変え、R2+□で「ヒートウェイブ使用。

 

 0:50 切ない戦闘終了。
 つぎの被攻撃にそなえ、助力を得る召喚獣をタイタンにして通常攻撃コンボを決めていると、敵のHPが赤から灰色にかわり、スタスタとこちらを無視して歩き去る
 フィールド内の見えない境界線を敵が越えてしまい、HPなど各種数値と立ち位置を初期値にもどすリセット命令がかかってしまったのでした。アンラッキー……。

 

***

 

 zzz_zzzzがスキル構成とかコンボらしいコンボをぜんぜん考えたり練っていないこと、この構成でも出来るコンボ完走率も低いこと(動画内にもちょこっとだけ出せてましたが、□ボタン4連打は適切なタイミングで△ボタンを押すことで「マジックバースト」という魔弾を都度おみまいすることが出来るので、もうちょっと火力が出るはず)などによって、バトルの渋さがアップしている面はあるはずですけど……

 ……けど、さすがに一部はてなーが言うような「攻撃ボタン連打して、たまに回避ボタン押す」だけの戦闘じゃ無いこと、zzz_zzzzが言う「そう簡単じゃないからこそ疲れる」戦闘であることが、上の動画でわかってもらえるんじゃないかなぁと思います。

 

 

0710(月)

 進行度90%くらい。物語の大目標(=魔法・特権の否定)のため、主人公がその立ち位置(=魔法の一番の使い手・王子)を活かさない、"手助け""出来事の目撃者"程度のはたらきしかこなさない作劇について

『FF16』はプレイ時間59時間、進行度86%(※96%?)、「魔都への道」00%となりました。

(※体験版データを引き継ぐと、体験版の箇所10%が製品版の進行度に反映されないという噂がある。でも「96」にしてはまだまだ未開の地が色々ありそうなので、86が正しい気がする)

 はてなブクマコメントの補足としてこのblogで話した、バトルシステムのこと以外にもチョコチョコとプレイ記をつけてはいるんですが、どれもうまくまとめることが出来ず書き途中で、アップできてません。

「ノレていない」と思いつつも、60時間近くプレイできてるんだから面白いんですよ。面白いはずなんだけど……なんだろうなぁ。

 

 物語があつかう大目標{「魔法(魔法を使用可能とするクリスタル=クリスタルなしに魔法をつかえる奴隷)に頼らず利用しない、誰もが平等に"人"として生きられる世界を!」}と、そういう作品における主人公(プレイヤーキャラクター)の立ち位置・ゲームとしてのインタラクティブ性とに、ずっと悩み続けてしまう内容ですわ。

 『FF16』の世界は、その土地などに存在するエーテルを活用することで水を湧き上がらせたり炎を出したりする魔法が放てる世界で、ここでは、エーテルを貯めた鉱石クリスタルやらクリスタルなしに魔法を使える一部の人(ベアラー)やらを消費する日々がいとなわれております。

 クリスタルのなかでも山規模にでかい物はマザークリスタルと呼ばれ、それを中心として国が築かれたり、それをかけて侵略防衛戦争がおこなわれており。クリスタルなしで魔法をつかえる人については烙印を押され、ベアラーと呼ばれる奴隷階級として使いつぶされます。

 主人公クライヴはそんな現状に異を唱え「だれもが"人"として生きられる世界」のためにがんばる人間のひとりで、クライヴが目指す世界ってつまり「個々人の意志が尊重される世界」ってことなのですが。

意志が『FF16』にとってどれだけ重要であるか

 他ゲームで「スタミナ」とか「体勢」とかって表される値が「ウィル」と表現されているところにも見て取れる

 クライヴが、RPGの主人公としてサブクエストや時折メインクエストにて行なう「さまざまなひとから依頼を受けて、それを叶える」行動と、チョコチョコ噛み合わない(というか作品側がそれらを噛み合わせようとした結果、zzz_zzzzにとってはすごくモヤモヤしちゃう様相となっている)部分が出てくるんですよ……。

 

シド「傲慢なんだろうな "他人を救う"なんてのは」

シド「何だかんだと言葉を重ねても 結局は こっちの思いを押し付けたに過ぎない」

 主人公クライヴは、困っているひとを助ける。助けるんだけど、『FF16』クリエイターは十中八九「クライヴが何から何までこなしてしまったら、けっきょくそれは"何でも望みを叶えてくれる"魔法や奴隷がいる・個々人の意志なんて重要視されない現状と変わらない」という問題認識がある。

 なので、クライヴがこなすクエストはたびたび「手助け」程度におさえられ{たぶん『FF16』不評の声にある「お使い」は(一番の理由は「n人と会話する」みたいな部分に寄せられてると思うけど)クエストのこういう性質から起因するものもあるんじゃないでしょうか}、意思決定をして実際的な行動をおこす主体はあくまでクエストの依頼主たちである……というような塩梅となっています。

 つまりクライヴ≒プレイヤーは、結構なクエストにおいて、決定的な役割を果たさず*4その(第三者が主体となって行なった)できごとの一部始終を目撃するだけのカメラマン」程度の立ち位置になっているんですね。

 

 主人公が当事者である「ベアラー」問題についてもそう。

 『FF16』世界では、ベアラー売買が普通におこなわれており(国によって合法・非合法の範囲がちがっていて、ベアラー冷遇の国でさえ違法取引にかんする罰則があり、刑罰の施行もされる)、上流階級によるベアラー・親ベアラー派への白色テロだって起きたりしている(村がまるまる焼かれ、町の人々の99%が殺され吊るされ野晒しにされる)

 なので、ベアラー問題はどう小さく見積もっても、個々人の好悪感情や個々人のがんばりの有無を取沙汰すようなミクロな領域を超えた、もっとマクロな制度的・構造的な問題であり、ベアラー制度撤廃やらアファーマティブな取り組み(就労・就学などなどの不遇を是正するための重みづけ)やらが必要だってzzz_zzzzは思えるし。

 『FF16』のクリエイターも上のようにとらえているんだろうなぁと思うんですよね。

 

 『FF16』制作陣も上のように考えているからこそ、ゲーム作中でだって、主人公らのアジトでベアラーの子供や若者がはじめて読み書きにふれ楽しむようすが描かれているんでしょうし。

 あるいは「クライヴの父エルウィン治世下の公国がベアラーにやさしかったのは、エルウィンが親ベアラーの空気づくりをしていたからだ(※ただし具体的になにをやったかについて、zzz_zzzzがプレイした範囲では触れられた覚えがない……)」/「"風の大陸"の一国である鉄王国がとりわけベアラーに厳しいのは、この王国がそういう思想信条の国だからだ」というお話がでてくるんでしょう。

 

 とくにゲーム終盤、主人公と協力関係にあるとある地方の親ベアラー一派が、メインクエストの余波で浮いたベアラーを買って保護しようとするサブクエスはそんな、個人の限界を感じさせるお話です。

 このサブクエでは、けっきょく売り手が一枚上手で、協力者は口約束を反故にされ、買おうとしていたベアラーたちはこのゲームのメイン舞台「風の大陸」と海をはさんだ地図の描画範囲外にある外大陸の他国へ貰われてしまう。いっときは憤慨する協力者だったが「でも外の大陸は"風の大陸"とちがってベアラーを厚遇するので、おまえらに買われるよりもかれらははるかに幸せな生活が送れるよ」と反論されて下を向くしかない……という顛末となります。

(もしかしたら今後、さらなるサブクエがあったりするかもしれませんが、とりあえずはそんな風に〆られます)(クリア後の追記;このサブクエでこのトピックはおしまいでした)

 また、べつのサブクエでは、「アジトの仲間のようすがおかしいので事情を調べてくれ」と頼まれたクライヴが、その仲間を調べてみると、ベアラー誘拐の犯人をひとりで探っていることを知る。そこでクライヴは補佐として件の仲間とともに調査をすすめ、誘拐・売り渡しの現場へ介入、実力行使で脅威を排除し、ベアラーを保護、誘拐密売の張本人と対面します。対面した結果、ベアラー密売人についてクライヴの仲間はそのまま野へ放り出すのですが、その理由を「密売人は他国人であるし、私たちにそれを裁く権限はないから」と仲間は説明します。

 

 ことほどさように、ゲームプレイ中ちょこちょこと「社会をとりまく問題」や『「問題ある制度・構造」とそれに従っていることへの問題』にぶち当たるわけですね。

 先述サブクエの協力者やクライヴの仲間は金も権力もないのでその程度に終わっちゃいましたし、それはそれで「まぁそうさなぁ……」なんですが。

 でもここで、

「イヤイヤそもそもわれらがクライヴってさ?」

 というそもそも論が浮上します。

 そもそもわれらが主人公クライヴは、もともと一公国の王子であり、その公国が本土襲撃にあったさい混乱を鎮めた救国の英雄でもあります。

 ベアラー問題を、国といった大規模なコミュニティ単位で制度・構造から大きく変えられ得るような地縁も力もあるわけですよ。たとえば大公家健在をアピールして復権するとか、そこまでいかなくても「首都襲撃事件を解決したのはベアラーである自分だ」とか主張するなどしてベアラー蔑視を覆す(くつがえしきれるかどうかはともかく、一石二石は確実に投じられる)ような流れを、クライヴは作れるはず。

 じっさいかれは、生き別れた叔父と再会したさい「いっしょに祖国を建て直さないか?」と誘われたりします。

 でも「じゃあクライヴがそういうことをしちゃったら、けっきょく階級制の温存とか、ヒーロー待望論・実力主義の称揚とかみたいな話になっちゃう」という危惧もまたクリエイターが持っていそうな気がしまして、コトはサックリきれいに運んでくれません……。

 叔父から祖国復興をこわれたクライヴはそれを敬して遠ざけます。

 断るさいクライヴは「誰もが人として生きられる世界を」云々「父が存命時に作っていた公国のあの平和な関係性を、世界規模に広げたい」云々といった理由を唱えるんですけど、

「叔父の提案を断ってまでやることがこれ?」

 メインクエスト・サブクエストについて、ぼくはモヤモヤしてしまう。

 

  ▼依頼主やモブのNPCの主体性を重んじた結果、主人公(に近い主役級キャラ)が「持たざる者」へ"自己責任論"を説教するグロさ

 上で述べたような難しい要素がたぶん絡んだ結果として、クライヴ(達)のはたらきかけや作中のベアラーへの態度は、zzz_zzzzにとって理解にこまる状況をしばしば起こす。

 たとえば因縁の相手であり今もなお自分たちを害しようとする相手へ討ち入りをせんとする人々からサブクエストを受託したクライヴは、その場にいる誰よりも強いのに非戦闘員の避難を請け負い、討ち入り員の出発を見送る。そして避難誘導したさきで、討ち入り場で魔物が飼われていることを知らされて現場へ助太刀へ急行……

 ……するも、手遅れの状態に立ち会うこととなり、「復讐のむなしさ」の目撃者となる。

「せっかく復讐を果たしたっていうのに、こんなにもむなしいなんて……」

  討ち入り陣営のなかでひとり生き残って復讐を果たした一人がそんな旨を語ります。

 が、zzz_zzzzの胸にはモヤモヤが詰まりに詰まりまくってるわけですよ。

「いやこのむなしさは、"復讐のむなしさ"とかじゃないでしょ! クライヴが最初っから助太刀してたら起こってない、防げたはずのものじゃん!」

 と"むなしさ"のお仕着せ感が気になってしまう。

 もちろん上のモヤモヤはzzz_zzzzが勝手にそう感じただけの主観であり、作品においては妥当性のない可能性だって大いにあります。

 反感をいったん蔵にしまって、作品のなかでの妥当な理屈=クライヴがそうしなかった妥当な理由をさぐるのが建設的な作品受容でしょう。

 といったわけで、

「でもサブクエでもチラッとにじんでいたとおり、ああいうこと*5もあったわけだし、復讐に手を貸さないのはキャラとしては自然か……?」

 ……などとなんとか折り合いをつけようとするじゃないですか?

 上のサブクエをこなせるのと同じ物語進行状況で、受託できる別のサブクエストをやったところ

「あっちと違ってこっちは最初っから助太刀するんかい!」

 とモヤモヤは反発にかわってしまう。

 旧知の仲のひとびとが(じぶんたちに居住権など無い)廃村へ居住しようとする気持ちに寄り添うこちらのサブクエストでは、主人公クライヴが取る手助けとして、"先住する「野盗」を排除"する実戦闘要員を務めたりする。戦えるんじゃん!!

{そしてそれ以外のモヤモヤもあらたに溜まりますね。

「野盗って何なんだよ?

 こっちもあっちもそこへ住む正確な資格・権利なんて持ってないだろ。放棄された村を引き受けて生活してるのは"野盗"なんだろ。そこへ後からノコノコとやってきたこちら側。どちらがそう呼ばれるにふさわしいのか?

 ……もしかしてクリスタル争いの縮小再生産を見せる皮肉とかそういうあれだったりする?」}

 

 クライヴが介入するか否かの線引きとか、野盗という言い回しについてモヤモヤしつつも「なんかまぁこういうものだ」「この後フォローがはいるかもしれない」とほっかむりを決め込み、居住後のサブクエ「後篇」をやります。するとこちらはこちらで新たな困惑が

 「前篇」で野盗を排除したことで、クライヴ旧知のベアラーたちは廃村へ五体満足で移住できた。しかし、そこで新たな問題が浮上する。ベアラーは自由になって自分たちの村を持ったはいいものの、

「命令がないと俺たちは何をしたらいいのか、おもいつかない」

 と無気力になってしまったのだ。無気力なベアラーに移住を支援した非ベアラーが悩まされつつも叱咤激励、ベアラーが心機一転、解決に至る……

 ……といった内容が「後篇」のサブクエスト。

 この叱咤激励がたいへん悩ましい……。

 

 無気力なベアラーになされる激の内容はつまるところ、

「けっきょくは本人の気の持ちようであり、ほかならぬ自分自身ががんばらなきゃいけない」

 という旨で、それ自体はハード本体価格数万円・ソフト1万円のゲームをやる(やれるような)我々はきちんと受け止めなきゃならないアレですし、

「だれもが"人"として生きられる世界を」

「個々人の意志が尊重される世界を」

 といった大目標とも通じていて、物語的な一貫性はあります

 でも『FF16』世界にとっては禍々しい魔合体。「持てる側」が「持つことを許されなかった側」へ放っていいものではない、あまりにもグロテスクな暴論じゃないですか。

ここで出てくるひとびとの名前が「ベアラー」で統一され、だれの個人名も出てこないのもまたスゴい)

 主人公(に近い側)が唱え 賛同される「正論」ってこれ、ャンゴ 繋がれざる者』(もしかしたら『イングロリアス・バスターズ』など近年のタランティーノ作品を参照したうえで更にブラッシュアップしたんじゃないかと感じる)イパーインフレーション』悪しき思想として描かれた「奴隷は奴隷の待遇に満足してるんだよ、だってほんとうに不満があるなら反抗するでしょ?」という(「選択肢がそもそもない、有無を言えない」環境を無視した)"本人の自己責任論"的な詭弁・ヘリクツなんですよ。

 

***

 

 そんな具合に、プレイヤーとしてはできることがもっとありそうに思えるのにプレイヤーキャラクターとして介入しないしできないシーンがたびたび展開されることとなり。

 その結果「問題意識が浅い」「当事者意識が薄い」「無責任」とうつってしまう、ただ見てるだけの"観光"のにおいが全体的にただようことになるんスよ。

(メインクエスト終盤で発せられる「クライヴ、全部ひとりで抱え込むのは悪いクセだぞ!」みたいな言葉も、けっきょくこの辺のバランス感覚のせいで、

「いや、クライヴがあなたのおっしゃるようなマジのぜんぶ抱え込んでくれる"俺が俺が"タイプだったら、コッチはここまでモヤモヤしてないんスよ……」

 となる)

 むずかしいですねこれは……。

 

 

0706(木)

 さすがに攻撃ボタン連打してたまに回避ボタン押すだけじゃ死ぬ

b.hatena.ne.jp

 「『FF16』の戦闘は簡単だ」「『エルデンリング』が売れていることをもっと考慮にいれてもいいのではないか」という批判があるらしい。

 『FF16』を43時間・進行度69%(79%?)やっている感想としては、「ゼルデンリング」なんて仇名を述べる人もいた『ゼルダの伝説TotK』よりも(ゲームオーバー数こそすくないものの)はるかに難しいので、プレイヤー層のちがいを感じます。

(体験版のデータを製品版へ引き継ぐと、体験版でプレイ可能な冒頭の10%が未プレイ扱いになるという噂がある)

 

 バトルの難易度・歯ごたえは、プレイヤーの操作能力や趣味に左右されるので、そういう人もいるんでしょうなぁと思うのですが……

proverb FF16やってるけど、四角ボタン連打してたまにR1押すゲームになってる

 ……ブックマークコメントにある「□ボタン(攻撃)を連打してたまにR1ボタン(回避)を押すゲーム」はさすがに言い過ぎじゃないでしょうか。

 たとえばゼルダTotK』のたいていの敵は、敵の攻撃に対してパリィ{=回避ジャスト(ないしガードジャスト)}を決められれば、その直後にこちらが入れたカウンター攻撃は敵の体勢を崩してくれるんですけど。

 でも『FF16』の場合はパリィ……と書くと語弊があるな、プレシジョンドッジ直後攻撃をきめたところで、ダメージとスタミナゲージの削りへ補正が入るだけで、こちらがプレドッジを取った相手の攻撃がコンビネーション技の途中の一手であれば、こちらのカウンターも気にせず二撃、三撃とつづけてきます。

{※『FF16』には、敵の攻撃にたいして一定タイミングでR1や防御ボタンを押すと行なえる「プレシジョンドッジ(ないしプレシジョンブロック)」という、『ゼルダTotK』で言う回避ジャスト・ガードジャスト相当の猶予時間で行なえるアクションと。

 敵の攻撃に対してシビアなタイミングで攻撃ボタンを押すとおこなえる「パリィ」という、二種の回避・カウンターアクションがあります。「パリィ」はだいぶシビアで、アクション下手には難しい}

 なので、プレイヤーは、相手の攻撃があたる直前にタイミングよく回避ボタンを押すだけでなく相手がこれからしようとしている攻撃が単発攻撃なのかコンビネーション技なのかを読んだり確認したりしたうえで、カウンターをどれくらい入れるか決める必要があり、

「プレドッジできた! 反撃だ! うおおお連打連打!」

 と考え無しにおこなった結果、つづくコンビネーション技を無防備で受けるかたちになって、逆に痛手を負うこともあるんですよ。体験版でプレイ可能な序盤も序盤の敵からしてそうです。

 

 『FF16』の戦闘(=攻撃&回避のボタンをいつ・どれだけ押すかの選択)はむずかしい。

 ただ、「むずかしい」のは「むずかしい」んですけど、それ以上に「根気が必要で、疲れてしまう」と言うほうがzzz_zzzzにとってもっと適切な表現です。

 リニアなシナリオで戦うことになる戦闘のレベルデザインはかっちりコントロールされていて。プレイヤーキャラクターの攻撃力は、モンスターを倒すなどすることで得られる経験値によって上下する素の肉体の膂力と、装備できる武器の強さとの合算なのですが、膂力についてはモンスターのこぼす経験値がメインクエストの進行度でコントロールされているから、ある水準以上へあげるには面倒くささが勝つようになっていますし。武器もまた、メインクエスト(とサブクエスト)の進行度によって取得できるものに制限があります。

 キャップされたPCの攻撃力に対して、イベントで戦う敵の体力は多めなので、攻撃・被攻撃の機会も多く、分母が大きいのだからミスすることも増えます。

 プレドッジして攻撃して技撃って、またプレドッジして攻撃して、クールタイムの終わった技を再度撃って、プレドッジして攻撃して……を何度も何度もして。ようやくスタミナゲージを削り切ったので連打して、ゲージが復活したら、「プレドッジして攻撃して技撃って」をまたやって、スタミナゲージを削り切って……を何度もして、ようやっと敵の体力をゼロにできるんですよ。

{この戦闘の渋さは、プレイヤーであるzzz_zzzzがスキル構成を練り効率よいコンビネーションを考案・練習してないせいもあると思うんですけど。

 でも、一部はてなブックマーカー氏が言うような「四角ボタン連打してたまにR1押すゲーム」は、いったいどういう状況なの? とよく首をかしげてしまう。「ただ□ボタン押してるだけ」だったら、もっともっと渋い通常攻撃4連撃しか出ないから、「たまに回避ボタン押す」なんてもんじゃ済まないはずなんですよね。

 『FF16』には装備欄をそれぞれひとつ潰してセットできる、オート攻撃装備とか、オート回避装備、回避可能状況ならスローモーションにする装備などがあり、それをつけて戦闘しているというならそういうシチュエーションもあるのかもしれませんが(ぼくは着けたことないからどういう感じになるのかワカラン)、その場合は「その装備はずしてマニュアル戦闘へ切り替えたらいかが?」というお話なんスよね。

 バトル面についての声としてほかに印象的なのは、感想ツイート漁ったさいちょっと引っかかった、

「コンボ技を自主的に編み出してスタミナゲージをより大きく削る方法を考えるより。発動時のムービーが長い技を連発して、クールタイムを稼いで、また長ムービーの技を撃って……とやったほうが雑につよいのが萎える。コンボボーナスなどの重みづけを調整してくれたら嬉しかった」

 みたいなお話。これについてはそのひとが何をどう考えて言っているのか分かったりました。(試したことないので、そのツイートがゲーム本編のディスクリプションとして妥当かどうかは知らん)

 でも「攻撃ボタン連打してたまに回避ボタン押すだけのゲーム」は、理解がおいつかない……

 

 不可避であるイベント戦闘も多め。

 雑魚戦⇒雑魚戦⇒雑魚戦⇒ムービーパートをともなう中ボス戦⇒雑魚戦くらいまでは「まぁそういうものか」という感じですが、そこからさらに雑魚戦があり、

「ついにロックマン』のボスまえ小部屋みたいなのに来たぞ」

 と扉をくぐったさきにまた雑魚戦……みたいなステージ構成です。疲れるよ~!

 

 『FF16』について「難度をあげて/高難度版をはじめから選ばせて」と言うひとの求めるプレイ体験がなんなのか、全然わからないというのが正直なところ。

「ただ敵が硬くなったり敵の攻撃力が上がったりするだけだったら、より一層めんどくさくなるだけじゃね?」

 と思ってしまう。

 ぼくにとっての理想の『FF16』の戦闘は、攻撃/被攻撃1回あたりの重要性を上げてもらって、敵のスタミナゲージをいちどゼロにして連打を入れたあとには体力が半分以上けずれている~くらいのバランスにしてくれたらうれしかったですね。

 

 

0630(金)

 進行度50%くらい。サブクエ単体の面白さと、メインクエの複雑さ

 『FF16』については、進行度44%まで来ました。

(PS5のホーム画面で見られるパーセンテージで、そこに付された説明によればメインクエストの達成率とかなんとか)

{※体験版のセーブデータを引き継いでしまうと、体験版でプレイ可能な冒頭10%ぶんが反映されないらしい。もしかすると54%くらいの進行度かも(「せっかくだから」と最初からやり直そうとして、英語音声にしたら肌に合わず、ゲーム本編中に日本語へ切り替えようと思ったけど切り替え方がわからなかったのでけっきょく少年時代編がはじまったところで終了。体験版クリアデータを引き継いだ過去がある)

 いわゆるバトル部分については、いろいろ選択肢に幅とトレードオフがでてきて、いまの進行度でも、ひとによって「おれは素の回避ボタンだけでもパリィとれまくるから、特殊技のスキルセットは高火力の大技構成でいくぜ」とか「回復技火力は抑え目でも安全重視でいきます」とか、「ウィルゲージ(スタミナ)崩し後の無防備時間を発生させることを優先したスキルセットでいきます」とか、だいぶ異なる戦闘スタイルとなりそう。

 装備に関しては、武器防具についてこそいまのところ選択の幅があまりない一方、アクセサリ類は種類もあり、そこで、

「基礎ステータスアップを取るか? アイテムの使用量アップをとるか? スキルのダメージアップを取るか? 発動時間短縮を取るか? ウィルゲージ崩しを取るか?」

 とプレイヤーごとに違いが出そうですね。

 

  ▼サブクエストが面白い掌・短編集って感じでおもしろい

 サブクエストがとにかく面白いっすね。読み物としておもしろい掌・短編集って感じ。それぞれのコミュニティを掘り下げたり劇中の独自要素について具体例を示してくれたりする内容で非常によい。

{「主人公の戦闘における教師役の配偶者がくらす村」と、「その次に訪れる村」との両方にある「失せもの探し」サブクエストの対照性とかかなり良い。

 ネタバレになるけど、

 前者では「"いなくなった人"について固有名詞こそ出されないけれど具体的な行動習慣が村の様々な人から話題にされ、最終的にそのひと固有のバックグラウンドが前景にくる」のに対して、「後者ではクロエという"いなくなった愛玩物"について具体的な外見的特徴ばかりが話題にされ、それ以上は踏み込めない」。

 それぞれの「地域における、ベアラーに対する差別意識のちがい」がよくわかるサブクエストであるし、「行方不明」の原因がそれぞれ違うのもまた素晴らしい。(マーサのいる町での「失せもの探し」もいいですね)

 初見時のインパクトは後者のほうがつよかったんですけど、振り返ってみると前者のクエストも素晴らしかったなぁと思います。前者のクエストは、ぼくらの身の回りでも馴染みあるひとも多そうな「認知症のひとが現在の状態と記憶のなかの”現在”との齟齬に困る」問題が、「永らく仕えていた職場をお家騒動でおわれた」がために生じてしまったというわけで、

「メインストーリーでえがかれる地図規模のマクロな変容が、個々人というミクロな状態へどんな影響を与えてしまったのか?」

 の語り口として、これはちょっとすさまじいんじゃないでしょうか(このサブクエの「ちょっとほんわかした気分になれる結末」への持っていきかたも、メインストーリーである「”五年後”編におけるクライヴの新たな役回り」にも通じる「継承とロールプレイ」で、そこもウマい)}

 

  メインクエストで扱う要素やキャラの内面の複雑さについて

 面白いんですけど、メインストーリー(メインクエスト)に関する戸惑いはわりかしあって、扱う要素やプレイヤーキャラクターの内面が複雑すぎる。

 くわしく述べると……

  • プレイヤーキャラクターらにたいして、複数の謎・問題が同時にふりかかっている。
  • そういう別々の問題・問題への対処を、ただ一本のメインクエストのなかで一緒くたに扱っている。
  • そのために、いっぽうの問題について手詰まりとなっていったん追求の手をやめたときに「さっきまで取り掛かっていたあの謎・問題はどうしたの?」と戸惑いが生じる。

 ……って具合に、うまくお話にノッていけない感じですね。

 たとえば、

「このマップ(イベント)へ突入するとストーリーが大きく動きます。やり残しは無いですか?」

 と念押しされるくだりがあるんですけど、ここらへんの展開はそういう複雑な要素をあつかう難しさが如実に表れているなぁと思うんですよ。

主人公「なんか知らんけど、祖国がひどいことになった。突然あらわれて祖国をひどい目にあわせたあの召喚獣はいったい何なんだ(a1)、その寸前で見かけたフードの人物とはいったい(a2)元凶に復讐してやるぞ(A)!」

 というのがタイトルクレジットまでに提示される主人公の動機(これをAとします)

 奴隷の身にやつしながらも、Aを解決する機会をさぐっていた主人公は、ある日、シドという人物と出会い、窮地を救われます。

シド「おれは"奴隷を救ったり"(b1)など、"誰もが人として死ねるような世界をつくる"(B)活動をしてるんだ。俺の仲間にならないか」

主人公「おれにはAという目標があるんで、一緒に行動は無理」

シド「そっかぁ」

 というのが前々段の展開。いろいろあってAはだいたい終わります。

(このAの終わりも、

「発売まえのPRで登場人物紹介などを見ちゃってたから、まぁ"そうなのかな?"とは思ってたけど、本編のここまでの情報だけで"そうだ"と言われても納得できない。余白が多すぎる。

 もうちょっと段取りが細かくないと、ぼくにゃあついてけねっすわ」

 と思ったりするんですが……長くなるので省略したい*6

主人公「真相はわかった、a1もAも終わった。その道中であの一件で祖国というか祖国の奴隷制度も、今こうして一緒に旅してるあなたもひどいことになっちゃったことがよくわかったよ。解決したいね」

主人公の相棒「そうだね」

主人公でもa2という謎は残るんで、この真相もこれはこれで追いかけたい」

主人公の相棒「そうだね」

主人公「シドの仲間になろう(b1やBのためにがんばるよ)

 ということで、シドの仲間となるべく、かれらの隠れ家を再訪します。

 どういうことで? ……さっきは「Aを追求したくてシドと別れた」のに、セリフの順序が複雑なのでこっちでは「Aを追いかけたいからシドの仲間になる」と、同じ理由で正反対の行動をとるという、よくわからない展開になってる。

(「a2も気になるけど、これ以上は調べようがないしbについて見てみぬフリなんてできない。bを解決しよう」でよくね?)

シド「よし仲間になってくれたんだな。じゃあ一緒に”クリスタルをぶっ壊そう”(C)!!」

主人公「えっ、bをするんじゃないの?」

シド「それはそうなんだけど、Cも喫緊の問題で、結局BのためにはこのCをする必要があるんでさぁ(C=b2?)……」

主人公「そっかぁ」

 という展開となります。

 結構デコボコしているし、デコボコぶりを作り手側も承知しているからこそ主人公がシドへ疑問をはさんだりもするんだと思うんですよね。

 ひるがえって、メインクエストとサブクエストとが分かれた作品の中でも、メインクエストだって複数同時にポップして選択するタイプの作品は、そういう違和感をかなり緩和するやりかたなんだなぁと思いました。

 

 

0628(水)

 作り手の売り文句は面白いけど、真に受けてスカッとジャパンすべきじゃない

 さすがに「言うほうも言うほうだが(ただ売り手がそういうプレゼンをするのはわかるし、巧いなぁと思うが)"さすが!"みたいに頷くほうも頷くほうだよ」と思ったので呟きますわ。

 スクウェアエニックスYoutube公式チャンネルFINAL FANTASY XVI』発売直前!情報総まとめスペシャル生放送』2:33:00~にて……

www.youtube.com

吉田P

「たとえば"樽、壊せるか壊せないか?"みたいな話もけっこうしたんすよね。

 高井さんがね、ディレクターの判断として、

"クライヴだよ? じぶんの国のなかで樽壊して回んないだろう。あと普通の人が生活してるところで駆けずり回るとか物壊すとか、そんな男じゃやっぱじゃないんです彼は。王子だから。

 それはしたくない。できないんじゃなくてやりたくない。

 入れないところは別にいいんだ"

 と」

高井D

「なので、たとえばテーブルがあるようなところでも、"バトルがある(舞台の)、必然的に壊れちゃう可能性もあるよね"ていうものは壊したりしてます、もちろん」

  Youtubeスクウェア・エニックス(2013年6月17日UP)『『FINAL FANTASY XVI』発売直前!情報総まとめスペシャル生放送』2:33:00

 ……プレイヤーキャラクターの出自や性格も考慮したうえで、プレイヤーがインタラクションできる範囲を決めている、というお話をされていて、その一例として「そこらにある樽などが壊せるかどうか(壊さない)、市街のなかで常識の範囲を超えた往来ができるかどうか{パルクール的に?)駆けずり回らない・全ての建物などに入らない}」が挙げられていました。

 ぼくはこれ、達者で素敵なセールストークだと思うけれど、それゆえ今後このひとらが発信することについて眉に唾をつけて見ざるを得ない不誠実な発信だと思うし、本心でそう言っているなら自分たちの作ったものへの客観視が不十分だと思う。

  ▼「(元)王子だから樽は壊さない」ではなぜ祖国の思い出の村の敷地内の宝箱は勝手にあけるんですか?

www.youtube.com

 上はロザリア公国の大公の嫡男であるプレイヤーキャラクター・クライヴが、少年時代の思い出もある公国内の村イーストプールへ再訪するさいのプレイ動画です。

 イーストプールは苦境におかれていて、村のほうぼうで溜息が漏れ聞こえます。

「今年の収穫じゃ冬を越せるか分からんぞ」

「村を出て他に行く当てもないし、どうしたもんか」

 と沈んだ会話をする村の男2人や、収穫物について検める村の女がいる目と鼻のさきでクライヴは、屋外へ置かれているとはいえ常識的に考えればくだんの女性の所有物であろう区域に置かれた宝箱を足で蹴って開け、なかの金品を手に入れるというたいへん非常識だし非倫理的な行動をとることができます。

 そういう配置・デザインがなされているゲームで、上に引用したことばのような発想にぼくは至れませんし、聞いたところで「なるほどたしかに!」とも思えません。

 

***

 

 ミニマップの件ともども、売り手がこういう売り文句を言うのはわかるんですけど、そういう「傍目には他者の声へ応えてるように見えるけど、実際のところ"なぜそういう批判(不満)が出るのか?"クリティカルな部分にたいして触れていない、のらりくらりとした答え」という自作にたいする自己擁護にたいして、ファンから、

「さすが吉田! そうだよね~。そういう作品上の意味を汲まずに杓子定規をあてる"わかってない"クソIGNやプレイヤーほんと笑えるよな~」

 みたいな反響がおこってるの、なかなか……うん、なかなかですよ。*7

(ちょっとした線引きで周囲の反応がまるで変わってしまう、そして「線の向こう側」のひとはひとじゃないのでどれだけひどいことをやってもいい……というような"線引きのこわさ"。

「こういう"うまい"立ち回りをできる人たちが、そういう要素を作品の大きな軸として扱えば、そりゃあ面白いものができるよね」という話でもある)

 

 (※)ミニマップが画面表示されないのは、それだけを見て操作してしまって没入感をそこねることを防止する意図だそうなんですけど。

 じっさい本編をプレイしてみると、その画面はメインサブクエストの目的地アイコン表示/説明文表示によってかなり煩雑/逼迫されているし。また、ミニマップがない&プレイヤーキャラクター・クライヴの移動能力がふつうの/一般常識あるヒトの範疇であるがゆえに、クライヴとを直線で結ぶ目的地表示が余計な迷子を誘発したりもします(たとえば、目的地ガイドアイコンだけ見るとおなじ地平上のところでも、そこへたどり着くには別所にある階段を上って降りていかなきゃならない……といったことがある。たとえばモンスターハンターワールド』の導蟲システムは、3次元マップの凸凹に沿ったかたちで最短経路を表示してくれるので、そういった迷子はおこりません)

 マップのあれこれある建物(当然ドアなどもモデリングされてる)には、「開けられるドア/開けられない"賑やかし"のドア」があり、プレイヤーが実地で「ここは入れるんだな/ここは入れない書き割りなんだな」と不気味の谷を綱渡りするという、ミニマップが表示されていれば味わう頻度が少なくて済んだ類いの確認をすることになります。

 

 

0625(日)

 プレイ時間10時間くらい。作り手の決めた線引きがじぶんと合わない

『FF16』プレイ状況。わがやの主人公クライヴのレベルは20前半で、援用できる召喚獣の力は2種となった。

 ・zzz_zzzzのプレイ時間はだいたい10時間くらいだけど、たぶんひとによっては5~6時間くらいでたどり着ける進行度なんじゃないかなぁと思う。

※以下、プレイ時間10時間くらいにおける最大のサプライズ要素に触れた文章が続きます。ご注意ください※

jp.ign.com

 たとえば上のレビューで渡邉卓也さんが言う「10時間」はたぶん、3種の召喚獣の助けを借りられる状態になってからだと思う。

 

・羊谷知嘉さんの『ゼルダTotK』評では「『FF16』の(体験版が出た時点の)評判がなかなか良いことから、オープンワールドであることはべつに良作の必要十分条件じゃないと言えるだろう」みたいな話のきっかけとして扱われていたけど、「伝聞じゃなくって羊谷氏じしんがプレイしたら、『FF16』もまた普通に低評価するんじゃないだろうか?」という疑念がある。

 ・あの評では『TotK』の冒険に対する報酬のしょっぱさが指摘されていたが、『FF16』もフィールド上の宝物(分かりやすい「キラキラ」オブジェクトに釣られて進むと、だいたいモンスターが配置されてるので、戦闘への報酬でもある)などはふつうにしょっぱい。

  {・しょっぱいけど、そもそも「探索する価値あるアイテムなんて落ちてないですよ」「アイテム探しのためにフィールド歩き回らなくていいですよ」というメッセージとして受け取ったほうがいい極端なしょっぱさで、「しょっぱいからダメだ」という話もなんか違う気がする(フィールドにころがるキラキラオブジェクトないし宝箱が入手可能なアイテムなんだけど、「2ギル」とかだったりする)

 ・あの評では『TotK』のプレイヤーキャラの成長システム・戦闘課題の単純さを指摘していたが、『FF16』各召喚獣からの祝福システムは、バトルスタイルで使い分けるというよりすべてを満遍なく使うかたちになる。

  ・いや、シンプルに攻撃ボタン&防御回避ボタンを押すタイミングの巧拙についてを「戦闘」「正攻法」として評価して、パラセールやダイブ・登攀・トーレルーフなどといったそれ自体がダメージソースとならなそうな「移動」時に主として活用するアクションを戦闘に転用したり、敵の攻撃がプレイヤーキャラのそうした移動アクション活用の機会をうみだすトリガーとなったりする……という、ゼルダTotK』のひとつのアクションが戦闘へも移動へも活用できる多義性について、とりたてて「但し書き」をしなかったあの評を読むに、敵味方ともに攻撃&回避ボタンのタイミングが色々ある『FF16』の戦闘は、羊谷氏には高評価かもしれない。

 

・まず言っておきたいのは、ぼく自身は『FF16』を楽しくプレイしています

・体験版で感心した、魔法が日常になじんだ「魔法パンク」ならびに……

 何でもかんでも蒸気機関でおこなうスチームパンクなんてジャンルがありますけど、『FF16』では魔法パンクやらクリスタルパンクやらとでも言うべき世界が広がっていそうな気配があり。しかもそこにとどまらず、「それってけっきょく奴隷パンク、旧来の階級社会なんだ」というお話になるようで、「なるほどなぁ」となりました。

・魔法がある。

・魔法はあるけど個人が行使できる範囲には限界がある。

・にもかかわらず、"わぁキレイ"と感嘆できるほどの文明がある。

 =使いつぶしてよい人材が無数にいる・そう線引きすることや中央集権・上下構造を許す階級社会なのだ。

 ……魔法と奴隷が日常としてなじんだ「奴隷パンク」な世界は体験版以降もつづいていて、面白いです。

(ただ、序盤の舞台は、奴隷たちが自治できるような「地図から消えた」外れ者たちの集落が主で、それにまつわる差別やらが目立って行われているであろう「いま・ここ」の現場についてはZZZ_ZZZZはようやくつま先を踏み入れた程度の進捗なので、その真価がまだはっきりつかめていません)

・戦闘システムについても、3種の召喚獣の助力を得たうえで挑めた体験版「召喚獣バトル体験パート」ではいまいちピンと来ず中ボスで即死していたんですが、ようやくバトルに慣れてきて、体験版よりも乏しい召喚獣取得数であるにもかかわらず当該チャプターを楽しめたし、2種の召喚獣の助力を得て以降のチャプターもさらに楽しんでいます。

(けっきょくデフォルトで所有している、簡単パリィ/オートガードアクセサリやオート攻撃アクセサリはいちども装備せずにゲームをすすめられています)

・楽しくプレイしているが……

 ……ただ、ゲーム側が(一度)提示する「こういう作品世界です」「ここはプレイヤーが操作する範疇です」という諸要素が、その場面その場面によってマチマチなので、「そういう方向の作品ではないんだな」やら「ここではこういう風な展開なんだ」と認識の軌道修正をする機会が多い{し、それでもうまく擦り合わせができない部分も(すでに)出てる}

 

  ▼リアリズムと様式美の物語の噛み合わせの悪さ

 ・たとえばビジュアルそれに乗る物語との噛み合い。

  ・実写と見紛うばかりのビジュアルだけど、他方で「現実だったらそうはならないだろう」という物語的お約束がふつうにアレコレあって、そのたびに戸惑う。

   ・だいたいの戦闘なら、複数回何十回と攻撃をくわえたのち*8HPがゼロになることはイコール死を意味し、血だらけのフォトリアルな死体がたびたび描かれることとなるのだが。

    他方とある戦闘のとあるキャラについてはすべての戦闘同様ザックザク斬り燃やされて血をながしてHPがゼロとなるけれど、このゼロは「戦闘不能」というだけで死んでおらず、生命活動自体は続いている……ということになる。

   ・プレイヤーキャラは、(プレイヤーキャラを攻撃しようとする)敵の大軍が駆けつけるなか、そんな戦闘不能なキャラをお姫様抱っこで数~十数歩の位置までノッソノッソと運ぶのだが、大軍はそんなノッソノソ運搬を主人公が終えるまで待ってくれる。見得切りと様式美の物語が展開されてしまうのだ。

    {・羊谷氏 ⇒ murashit氏 ⇒ はてブコメ欄やはてな匿名ダイアリーあるいはzzz_zzzzのような木っ端bloggerから成るわれわれ井戸端いっちょ噛み勢へ……

      と盛り上がり(や話題の発散・周回遅れのループによる「濁り」)を見せる「ゲームにおける自由度」話で、「ムービー銃」て概念を初めて知りました。この前後でぼくが話す「匙加減」の妙は、なるほどコレと同じだったり近かったりするものだなぁ}

 

  ▼精鋭・竜騎士のジャンプより強い、一撃必殺モブ山賊の手斧

   ・プレイヤーキャラは世界に8体(8人)しかいないとされる召喚獣へと変身できるドミナントを暗殺すべく動いたりするスゴ腕傭兵部隊の一員で、かれもその傭兵部隊の隊長も、バトルで複数回・何十回と剣をふるってようやく人ひとりを倒せる主人公と敵対するほかの国の精鋭たちの攻撃力も同様である。

    主人公らがそうやってヒイコラしている相手である別の国の正規軍の暗殺部隊の精鋭たちは、そこらの名もなき山賊から手投げ斧を次々と頭にクリティカルヒットさせられみんな一撃で絶命してしまう

    ・召喚獣とかその祝福とか暗殺部隊とかに目を向けてねぇで、この山賊を雇ったほうがいいのではないか。

     ・この精鋭部隊を即座に壊滅させる山賊、戦闘能力があまりに高いのでそのイベントムービーパートをみたとき最初「国家間の策謀のあらたな一手か……?!」と思うんだけど、即座に「グヘヘ女だ~~~!」と単なるモブレイプ要員であることが明らかにされるから、ほんとうにびっくりする。

     (・シドたちのコミュニティが大国の官憲たちに潰されることなく――それどころか気づかれることさえなく――存在できているからには、もっと規模の小さいだろうこういう山賊たちが好き勝手に潜伏したり自活したりできないというのも変な話なので、そういう意味ではもっともらしいのだが……)

      ・虚心坦懐にのぞむと、『FF16』世界において召喚獣が起こす天変地異レベルの暴力(じっさい水平方向に百m単位で、垂直方向に十数m規模の地形変動がおこる。主人公周りだと、クライヴは気絶で済んだけど、仲間は死んだ)とおなじくらい、山賊の手斧が強い(全員必中で死亡)し。山賊の手斧投擲よりも、軍に一握りしかいない<FF>シリーズおなじみの竜騎士による「ジャンプ」攻撃のほうが断然よわい……ということになる。

       ・上に折り合いをつけたとする。つまり「気をひきしめて頑張ればかなり持ちこたえられるけど、強者でもちょっとした気のゆるみで一撃死してしまうくらい、命がはかない危ない世界なんだよ」というあたりで納得したとする。すると今度は、『FF16』のクライヴやクライヴらロザリア公国大公家没落の発端となる事件のゆるゆるセキュリティぶりが問題となってくる。

        ・一瞬の気のゆるみが命取りとなるシビアな世界だよ――なるほど。では、国の要人が一堂に寝る砦への入場を、完全に顔が隠れたひとびとについて(たとえば見張りの知人がひとりいたとか、大公夫人のお墨つきであることを確認したとか)アイデンティファイも何もなしに許してしまうロザリア公国の見張りたちのボケボケぶりはいったいなんなんだ?(ということで、上の折り合いも間違いなので、さらなる擦り合わせをしなきゃならないワケですね)

         ・じゃあzzz_zzzzはどういう展開なら納得いったの? たとえば「最初に積んだ酒に毒やら睡眠薬やらが入っていて{こういう展開をスムーズにするために、さいしょの探索パートにいた"在庫チェックしているひと"。このひとのセクションに、裏切り内通派が茶々を入れていたりなんだりしているかたちで改変する。あるいは固定イベントとして存在する、運搬中のベアラーと接触するイベントで、そういう策謀を仕込んだってよい(あの運搬係がすごくビクビクしているのが、ベアラー蔑視の階級社会ゆえのビクつきじゃなくて、工作がバレないか心配でヒヤヒヤしていたのだとのちに分かる)それに乗じて攻め込まれたが、酒を飲まないクライヴを中心とした数名だけは大丈夫だった」とかのほうが、ぼくは納得いきます。

 

  ▼ついたりつかなかったりするQTE・インタラクション

 ・たとえばQTE(クイック・タイム・イベント)の有無

  ・「ポップする"攻撃ボタン/回避ボタン"に従って時間内にボタンを押すと、特別なモーションの攻撃/回避をできます」「鍔迫り合いアニメ時に"□ボタン連打"が出たら連打しましょう、その連打数によって勝敗が決まります」といったルールが提示されるがプレイヤーのボタン操作なしにプレイヤーキャラクターのクライヴが攻撃をしたり回避をしたり、鍔迫り合いしたりする、"魅せ"の攻撃回避・鍔迫り合いがあり、それがイベントシーンを締めくくるトドメの一撃となったりする。

   ・おれ(プレイヤーのインタラクション)要らないじゃん。映像作品でいいじゃん。

 

  ・×ボタンを押すとドアを開けられたり、そこからさらに指定されたボタン(R2)を長押しすると重いドアを持ち上げられたりするぞ。臨場感アップだ!アダプティブ・トリガーが利いて、ボタンがじっさいに重たくなる(コントローラ内部のモーターが動いて、押す力に対して反発する)

   ・プレイヤーの操作なしにクライヴが自発的に動いて、崖から落ちそうなキャラを掴み持ち上げ助けるカットシーン(イベントムービーパート)があるぞ。

    ・おれ(プレイヤーのインタラクション)要らないじゃん。映像作品でいいじゃん。

 

  ▼ミニマップをつけてくれ①(こっちの戸は開くがあっちは開かない。こっちは水たまりだがあっちは池)

・明確な不満として「歩行可能不可能な区域作り手側のさじ加減でつくるのであれば、ミニマップをつけてくれ~! ミニマップ不要なくらい分かりやすい記号化をしてくれ~!」という思いがある。

 ミニマップを見て実景を見ないプレイングは、ある意味では没入感が損なわれているかもしれない。でもミニマップがないことで、プレイヤーは「傍目には通行・干渉OK(あるいはNG)」な物体が、このゲームにおいてインタラクト可能なモノかそれともただの書割であるかを実地調査し、その線引きの曖昧さと向き合わなければならなくなっている。

 たとえば建物家屋についてこっちは開閉可能なドアだけどあっちは違う/こっちはいつか通行可能になる出入口だけどあっちは違うといった曖昧さと。おなじ平原ステージ内にある、滝がジャバジャバ降り注いでるけど水深は浅いため往来可能な浅瀬と、とくに水源は見当たらないけど実は水深がふかく侵入不可能な湖といった匙加減と。

 一般的なゲームの砂漠ステージに浮き立つ蜃気楼とかよりも、はるかに迷宮ですよ『FF16』序盤の平原。

 ・現行版でたびたび感じるこうした「冷め」(というか"ガワだけ立派なだけで所詮は作り物だわな"という「醒め」というか)は、ミニマップがある場合ならここまで(多く・大きく)意識にのぼらなかったものだと思う。

 

   ▽ミニマップをつけてくれ②すり抜けられる葡萄の列、入れない茂み、避けられない公道での戦闘

 ・表示されたアクションボタンを押すことでプレイヤーキャラクターが「障害物を動かし」たり、「しゃがんでくぐっ」たり、あるいは「ヨットットと大胆なステップを踏ん」だりという特殊な――特殊と言うほど特殊じゃないけど、プレイヤーにゆるされた汎用アクションじゃ再現できない――アクションをして「通行可能な障害路・狭所」があったり。

  あるいはあるイベントムービーパートにおいて、「地下水路があってそこから砦内へ侵入できる」という知識をプレイヤーキャラクター・クライヴ*9が述べ・機転をきかせることで「通行可能」となるなんらかの地形があり・そうやって正面衝突を避けることができる見張りがいるなどしたりする一方で。

  ・たとえば序盤も序盤のぶどう農場(SNSでモデリングがすごいと話題のあそこである。ちなみにこのぶどうの生垣はプレイヤーキャラクターらにとってぶつかることなく素通り往来できる量子的ゆらぎオブジェクトである*10から村へとプレイヤー自身が操作して移動するプレイアブルパートでは、現実世界であれば(あるいは直近の「・」で触れた、"特定のアクションボタンがポップする類の特定の「通行可能」区域"でクライヴがやってみせる行動力がここでも発揮されれば)余裕で踏破できる程度の入り組み具合の草むらゲームメカニクス上進入禁止であるがために、ぜったいに表通りでたむろする敵勢力と正面衝突せざるをえない……という匙加減について、みなさんどうやって呑み込んでいるですか?

   ・「ほかのゲームだったら出来るだろうことが出来ない」ことへの疑問・不満というより{ほかのゲームと比較してどうこう言ってるつもりはないし、感覚としてもこれ単体に思うことのつもりだけど、ほかのゲームもプレイしている以上それらとの比較・相対評価が全く混ざってないとは言い切れない(たとえばぼくが「『FF16』の爆速ぶりスゲー!」と感じるとき、ぼくは絶対評価=「自分の生理的感覚vsこの作品のロード時間」という構図のなかで評価しているつもりだけども、「じゃあワープをつかったりトーレルーフを使ったりするとそれなりにロードを挟むSwitch『ゼルダTotK』やら、おなじPS5でもマップ選択時にちょっとしたロードを挟んだ記憶がある『ホライゾンCotM』やらとの相対評価でそう下している部分は、全く無いというわけですね?」と問われたら、「100%絶対評価、とは言い切れないかもしれない……」となる)、「この『FF16』という作品内において場面場面によってモノやコトが出来たり出来なかったりする」ことへの疑問・不満です。

 

 ・「フェニックス・シフト」などを特別に駆使できるわれらが主人公クライヴの戦いっぷりについて――「フェニックス・シフト」は召喚獣フェニックスの祝福をうけた彼にしか使えない瞬間移動術だけど、それで到達できる範囲は相手側も余裕で目視・察知できるから、ちょっと凄いダッシュ以上のものではないその瞬間移動術によってただただ愚直に正面衝突するしかない戦いっぷりについて――「さすがフェニックスの騎士」と作品世界のつわものから称えられると、ぼくはどうしても、

「でも名もなき山賊さんたちは、人知におよばぬロングレンジから手投げ斧で一撃必殺キメてるんだよなぁ……」

 というモヤモヤが浮かんで消えてくれない。

 {・モヤモヤを気にしだしたら、「カタパルトはあるけど弓矢はない世界ってなに」とか、「冒頭の合戦風景、歴史モノの戦争シーンが参照されているにちがいないけど、ガワだけじゃなくって、グラディエーター』のカタパルト→火矢⇒白兵戦(それもただの正面衝突じゃなくて、ゴリゴリに接近戦をいどむ「蛮族」に対して、ローマ側は盾でガチガチで前線をかため・脇から騎馬隊&山犬が荒らす……というバリエーション付き)という遠距離⇒近距離へと戦闘域を推移させていくシステマチックな流れも込みで参照してほしかったな。幕開けから兵科も戦術もバラバラ混在してる戦闘について"乱戦になったな"もなにもない……」みたいな話にもなり……}

  {・「理屈がいまいち分からなくても、展開されている光景は"まるで現実だ"と思ってしまえるほどの写実性であり、こうした完成度こそ視聴覚芸術における正義でしょ」&「現実だってしっちゃかめっちゃかアホなことだらけでしょ」 vs 「だからって限度はあるでしょ。だからこそこうやってゴニャゴニャぼくは言葉を重ねているわけだし」&「現実がそうだからって、どうして下限をみなきゃいけないの? また、上澄みはどこにあるの? マラソン大会の最下位走者の周回遅れのゴールについて楽しむのは、それはそれでひとつのエンタメだけど……」}

 

 ・いまの進行度でもプレイヤーキャラクターについて、記憶・認識に不透明なところがあるキャラであるっぽいことがほのめかされており。

  その辺がもしかしたらプレイアブル/カットシーンや視点やアダプティブトリガーやハプティック・フィードバックをどの局面でどう使うかにからんでたりする可能性は否めない。

   ・でもここまでプレイした感じだと、(プレイヤーがいちばんおもしろがれるようなかたちで)好きなように物語り・演出し・場面転換・ザッピングをしているだけなのではないかという不安が晴れない。

    ・プレイヤーキャラクター=クライヴは、{ゲーム開始時こそ歩くことしかできないが、走ったり、「特定ボタンを押すと特定アクションを起こせる」サイン表示下で特定ボタンを押すことで崖を登ったり(ようするにゲーム冒頭らしいチュートリアルですね)QTEによるボタン操作を伴わずクライヴが勝手におこなう"魅せ"回避などをしたりチュートリアルではないのかもしれない……)頭を打って失神して過去編をはさんだことで、「少年時代の記憶を思い出したから、フェニックスの能力を援用できるようになった」というようなシステムメッセージとともに、ボタン操作によってフェニックスの能力を行使できるようになる。

     ・ということはつまり、フェニックスの能力を行使することが許されなかったゲーム開始当初は(すくなくとも能力行使する部分の知識について*11記憶喪失状態にあったっていうことか?

      ・だとしたら「さすがはフェニックスの祝福を受けた騎士。暗殺部隊の傭兵として仕事しているという噂は本当だったんだな」ってなに? 本編開始時まえの傭兵時代からフェニックスの能力を援用しながら戦ってたからこそその噂が立つわけでしょ?

    ・冒頭でクライヴがたとえば召喚獣の祝福により可能となる瞬間移動能力)「フェニックシフト」などをつかわず素の運動能力のみで天変地異をサバイヴしようとしていたくだりとそれにつづく過去編(回想編?)明けの能力開放は、プレイヤーがさまざまな操作権限を一気にあたえられて混乱しないための都合のように思えてしまう。

     ・過去編でのベアラー(奴隷)とのやりとりも、初見のひとの反応であって、ベアラーが当たり前に存在する世界で15年生きてきたひとのアレではないでしょう。

(過去篇でのクライヴ少年とベアラーとの邂逅じたいは、ほかのエピソードとの対比変奏のなかに収められる、構築的に整っているエピソードではある。

 過去編でクライヴ少年は、すれ違ったベアラーが落としたリンゴ的な果物を拾って服の胸のあたりで汚れを掃ったうえで渡そうとするのだが、ベアラーはそれについてどうしていいかわからずフリーズしてしまって「余計なことをしたな」と気まずい思いをする。

 現代編でクライヴ青年は、ベアラーたちが平和に暮らす隠れ家へ案内され、そのコミュニティの長であるシドから、リンゴ的な果物を――服の胸のあたりで汚れを掃ったうえで――渡される……が、受け取れない)

      ・プレイヤーキャラクターは、プレイヤーが作品世界や作品の提示するストーリーを眺めたり介入したりするための分身(ないし窓)である場合もあれば、出自も育ちも固まった意思のあるキャラクターである(プレイヤーはあくまでその生きざまを特等席で見れるだけの「透明な帯同者」にすぎない)場合もあり。それらをなんかよいあんばいに混ぜ込んだ、プレイヤーが都合よい感じで同一視したりしなかったりできる「感情移入」の対象である場合もあり、作品の(作り手の)それぞれのさじ加減でうまい感じに創られているものと思いますが、

「『FF16』の匙加減はzzz_zzzzがスルスル呑み込める塩梅とは、ちょっと違う感じになっていそうだなぁ」

       という10時間です。

 

 

0613(火)

 進行度10%。体験版をプレイした

 話題のアレの体験版もやりました(せっかくPS5もってるんだしね)

 なかなかよろしいんじゃないでしょうか!

 ただ、満たされた気分をひとさまと共有すべく「体験版の感想」をそれらしい単語であさってみたら「その先の展開をふくんだプロモーションを観たひとの感想」もいっしょに出てくる罠にはまって、かなしい思いをしたのでご注意ください。

(「そんな展開になるの!?」とびっくりしたのはもちろんだけど、「わりと序盤であきらかになる展開なんだろうけど、完全初見であれば驚けただろうところを発売まえから普通に明かしているんだ……」ともなった)

 

 体験版はセーブデータを本編にそのまま引き継げる序盤収録パートと、召喚獣バトル体験パートの二部構成。後者はちょっと触って「過去のプロモーションでクリエイターさんが実演してみせた部分っぽいな」と察し、それ以上記憶が鮮明になるのを避けて終了しました。

{ぼくの操作能力だと、序盤パートはなんとか行けたけどバトル体験パートはかなり厳しかったんで、製品版をプレイするときは「ストーリーフォーカス(=ストーリー楽しみたい人向けのモード)」にしようかな(回復薬の個数制限がなければ物量ゴリ押し作戦も辞さないのですが、なんかそういうアレはなさそうなので……)

(ゲームプレイ部分の簡単なモードを「ストーリーフォーカス」と言い表しているのはすごく優しいし、しかもそれが選択肢の初期位置になってるのは、「簡単なモード」を選ぶことへの抵抗感を可能なかぎり下げてくれていてありがたい。

「仲間やアイテムについて時限条件やトレードオフ設定や、クソみたいなタイムアタックや雷除けミニゲームなどをプレイヤーに強いてきたFFシリーズが……!?」みたいな感動がある*12

 たぶん、バトルのセオリーは敵のバランスを崩したり敵の頭数を減らすまではジリジリちょこちょことやって、崩れたら連打をしかけるのが筋なんでしょうけど、

「回避ジャストをキメた」⇒「よっしゃ回避後攻撃フィーバーだ!」

 て別ゲー由来の誤った感覚が抜けないので、敵の初撃にたいしてジャスト回避後攻撃をキメたあとつい連打しちゃって、敵側の二手目をふつうに食らって「あ、あれれ……」となりました。

 たとえ連打グセがなくなったとしても、撃破に必要な数のジャスト回避をこなせる巧緻性も根気もないから、苦戦することにゃあ変わらない気がする。

アクションゲームの楽しみってたぶん、じぶんだけのコンボを編み出しそれをどんな状況でも出せる/出せるような段取りへ持っていけるとか、あるいは敵にすごい攻撃を何度やられてもぜんぶ目をつむった状態でかる~~く跳ね返せるとか……ってくらい再現性たかい「確たる技術」を体得するのが楽しみであり醍醐味だと思うんですけど。

 ぼくは堪え性がないので「もう一回パリィできた/弱点突く方法わかったならもうコッチの勝ちでいいじゃん」となっちゃうんスよね……)

 

 ストーリーや演出にかんして。

 お話自体は「序盤も序盤だなぁ」ってかんじですね、謎が謎を呼んで終了。正直これだけではなんともですね。

 体験版プレイ可能箇所だけでも展開には山と谷とがあるんですけど、そっちはそこまでノれてなくて(物語における「山と谷」については「そっか~」程度の感想。「映画など映像作品では普通に楽しめるはずのなめらかな映像展開」が、逆に第三者的な距離感を生んでしまった印象です。プレイヤーキャラの感情の上下を、我がこととしてではなく、一枚壁をへだてた別所から眺めた気分でした。ただ、好感をもつべきキャラに好感をもてはしたので、「文法に慣れれば楽しめるんじゃないか?」と希望をもっています。だってせっかくPS5買ったんだし……)、世界設定・世界観に「おっ」となりました。

 

 序盤も序盤だからなおさらそうなんでしょうけど、リニアかつイベントムービーパートカットシーン)が多くって、けっこう「映像物語の一部シーンを操作できる作品」感がつよくはあります。

 オープンワールドゲームが増えた昨今、一本道ゲーに難色を示される風潮が(なおも?)ありそうですけど、zzz_zzz個人としては、

オープンワールドだろうと、プレイヤーのインタラクションに対する細かく大きなストーリー・エンディング分岐がないのであれば、それは道幅が広いだけの一本道ゲーなのでは?」

 と思うタチで、

「適切な情報を適切なタイミング・密度で受け取れるのであれば、そのつたえかたはどんな形でもよいだろう」

 って人間です。そのスタンスの人間からすれば、体験版で味わえるパートはなかなか良い塩梅でしたね。

 

 戦場と目と鼻のさきの砦のなかで、荒々しくて狡猾そうな偉い人々がタバコの煙をくゆらせながら行なう会議シーン。そこで、強者のひとりが青く光るクリスタルを杯にもってき水を注いだり会話しながらほのかに青く光る指先をパイプへもってき火をつけて吸ったりする姿がありまして。この時点で、

「おお、魔法が日常になじんだ世界だ!」

 とワクワクしました。

 しばらくして戦場からはなれ、牧歌的でおそらく善良側に属しそうな主人公クライヴの故郷の城内へと場面(プレイヤーがキャラを自由に操作できるプレイアブルパート)が移るのですが、そこでまたドキドキですよ。

 井戸に手をかざしてさきほどと同じ青い光をつよく輝かせているひとがいるので、物珍しさに近づいてみると、

「おお、クライヴぼっちゃん、ごきげんうるわしゅう。ちょっと待ってくださいね、いま奴隷(ベアラー)に浄水させていますから~」

 といった旨のことをほがらかに挨拶されるんですわ。

「おお~魔法と奴隷が日常になじんだ世界だ!」

 

 何でもかんでも蒸気機関でおこなうスチームパンクなんてジャンルがありますけど、『FF16』では魔法パンクやらクリスタルパンクやらとでも言うべき世界が広がっていそうな気配があり。しかもそこにとどまらず、「それってけっきょく奴隷パンク旧来の階級社会なんだ」というお話になるようで、「なるほどなぁ」となりました。

・魔法がある。

・魔法はあるけど個人が行使できる範囲には限界がある。

・にもかかわらず、"わぁキレイ"と感嘆できるほどの文明がある。

 =使いつぶしてよい人材が無数にいる・そう線引きすることや中央集権・上下構造を許す階級社会なのだ。

 ……なるほどなるほど!

 

 魔法とそれを行使(増強?)するためのクリスタル、そしてベアラーと呼ばれる奴隷。これらの当たり前に存在する世界が、現世代機で出力可能なフォトリアルなビジュアルに見合うだけの物量で、かつ、メインストーリーの進行を著しく妨げない程度に絞ったかたちで配置されていて、これは良いですね。

 

 イベントムービーパートの挿入タイミングはかなり細かい印象で、もちろん操作方法のチュートリアルも兼ねてるパートだから仕方ない部分もあるんでしょうけど、それを差し引いても、

「ここも完全ムービーなんだな。台詞をボイスオーバーで進行させる半イベント半プレイアブルパートでもよさそうだけど……」

 と思う部分もないわけではありません。(ジャンプしたりぐるぐるしたり……といった操作確認をしている間抜けなアクションで作戦イベントシーンへ入ってしまった)

 

 人物のおおい群像劇だからか、プレイヤーキャラクターが立ち会わない時空間のムービーも色々でてきます。また、同じキャラが視点人物でも現在と過去を往復したりもします。

 そのつなぎ自体は、しりとり的モンタージュによる場面転換がもちいられたり*13、あるいは対照的なもの同士をつらねた対位法的つなぎ*14が採られたりなど、映像作品としてはふつうにシメるところをシメてくれる作劇です。興味を牽引するトリガーも大小さまざまあって、謎が謎を呼ぶ展開で手堅い。

{「奴隷のかれは昔は貴族だった? なぜ?」とか、「冒頭の召喚獣バトルはなに? どういう経緯で?」とか、「謎の召喚獣(? 魔物?)はなに?」とか、「炎の召喚獣が二頭?」とか}

 プレイヤーキャラクターの一時的変更・視点のザッピング自体はシリーズ過去作でもあれこれあったわけで、とくに奇抜でもない。(『FF6』レオ将軍操作パートとか、『FF12』の冒頭とか良いっすよね)

 ただ少なくとも現時点では、視点の置きどころに戸惑ってしまって、物語や主人公クライヴに入りこめてるとは言い難い。

 クライヴだけに視点や操作権を固定・追従させたうえで、かれの山アリ谷アリの人生を若年期から時系列順につづってくれたほうが、zzz_zzzzはスッと呑み込める・素直に楽しめるような気がします。{クライヴにまつわる来歴をふくめた「謎」を牽引する語り口が、クライヴとプレイヤーである自分とに距離を生んでいる

 吉田プロデューサーは今作の魅力のひとつを「ジェットコースター的体験」としてプレゼンしたと。そう又聞きしましたが……

news.denfaminicogamer.jp

 ……すくなくとも体験版の展開はジェットコースターに乗るひとをその外で見ている気分になる。

(06/15追記)

 zzz_zzzzがうまくノレていないのは、

  • 「情報(≒物語)の授受権・編集権・監督権がプレイヤーである自分にない」という疎外感をおぼえているため(≒他人事はどうでもよくなっちゃう)
  • プレイヤーである自分が情報送受信の主体じゃないと感じるし。いまじぶんが受け取ってる物語情報は劇中現実のありのままのRAWデータではなくあきらかに何かしらの監督・編集が入った加工済みの情報だと感じるが、しかしその情報がだれの監督のもと提示されているものなのか? 主語がわからない」と感じているため

 なのだと思う。

 ムービーゲーと言われるしzzz_zzzz自身も終盤は「これゲームでなくても良い気もするな……?」と思った『デスストランディング』は、思い返してみると、そのへんの視点の統一・情報提示者の記名(クレジット)がかなりはっきりしていて、『FF16』体験版プレイ可能パートにおぼえた戸惑いはない。

 『デススト』ではムービーパートのカメラは、おおむねプレイアブルパート同様プレイヤーキャラクターであるサム/それも現在時制のサムに固着していて――プレイヤーはプレイヤーキャラクター・サムの過去を実景の映像としては(たしか)共有しない――、チョコチョコと他者のシーンが流されるさいは「この人の体験したことを、サムとその人が"いま・ここ"でこういうことをして共有できる状況にあるがために(サムがその人からいま伝聞しているから/感覚をつなげるハイテクガジェットをサムがいま繋げているから)映像化してます」という段取りをカッチリ整えている。

(06/15追記オワリ)

 

 かと思えば、「ここはプレイアブルパートなんだ?」とネガティブな意味で感じる場面もあって、

「プレイヤー操作によるバトルで勝とうと負けようと、けっきょくつづく物語展開(カットシーン/イベントムービーパート)がその結果に応じて分岐せずただ一つだけに定まっているんであれば、プレイアブルパートを抜かして全部ムービーにするか、事前のバトルパートのほうを続くムービーに沿った戦績しか取れないような出来レース的マッチメイクにしてほしい」

 とモヤモヤしました。

(不条理を味わわせることを意図した場面だろうけど、納得できる不条理とできない不条理があり、zzz_zzzzにとっては後者だった。

 ゲームプレイヤーによるインタラクションを無視・否定する展開は、「べつにコントローラ握らせる必要ないじゃん。一方通行の映像作品でいいじゃん」という虚無感をいだいてしまう)

 

 プレイヤーへ実質的にはじめて自由行動がゆるされる故郷の城内散策パートで、すぐ近くに立つヒロインへ話しかけようとしてLスティックを傾けたら(ゲームプレイしたてで仕様の把握があいまい故に)プレイヤーキャラクターがぎゅん!と"走り"アクションをしてしまって、ヒロインをおびえさせることになるあたりは、牧歌的だけど戦の匂いがつよい不穏な状況に合っていて非常によかった。

 こういうのが意図的に仕込んだ配置であることを祈って、本編もプレイしてみたい思います。

 

www.famitsu.com

 英語がオリジナルの録音状況らしいので、製品版では英語でやってみるか? どうしようかなぁ。

 

 ミニマップの必要性は、

「序盤体験版のようなステージ・イベント構成なら今後も無くて大丈夫だし、L3ボタンの目的地表示を使わなくて済むだろう。けど、前後のステージや出入口の差別化が、今後も体験版程度にぼんやりした感じだとぜったい迷うな……」

 て感じですね。

 体験版でプレイできる森~廃村パートはステージクリア式QTE的な移動アクションでステージが区切られていて、移動アクションを経るたびにイベント/イベントバトルが起こる。ランダムエンカウントバトルは無い。)の一本道なんだけど、「次のステージに行こう……あ、こっちじゃないや。さっきこっちから入ってきたんだった……」という悲しき"方向音痴・注意力不足あるある"が起きましたね。

 これは森~廃村だから印象的なランドマーク・シンボルがつくりにくかった部分があると思うので、今後に期待です。

 じっさい森~廃村パートの次章、砦のチャプターはその辺の情報提示に抜かりありませんでしたからね。

 砦のチャプターでは、前段のカットシーンで(前章・廃村のくだりのサブキャラクターによるふりかえりが話題である)宴会を見せたうえで、後段のプレイアブルパートで宴に使われたその部屋へ再訪させることにより、雰囲気の変わりぶりをプレイヤーが比較対照しやすいかたちで提示してくれていました。

 

 

 

更新履歴

 誤字脱字や文章が変なところは見つけ次第いじくってます。重要な変更箇所について。

07/13 アップ

2024年05/14  追記改稿

(「いろいろ不満あるけど、クリア時の感想がすべてだな~」と思ったので、時系列新→旧順の方式にしたが、読み返したら見にくかった。そのため「▼そのほかえらい点、不満な点箇条書き」にそれまでのおさらい&リンクを足した。またそれとは別件で、バトルシステムが楽しくなかったことを追記した)

 

 

 

 

 

*1:こちらはトロフィ出たから確実。

*2:ドン・カーソンが「遊園地デザイナーは来園者について手や腕をずっと乗り物のなかで収めているものとして見積もれるのでかれらの体験全体を細かくコントロールし造形できる一方、ゲームデザイナーはプレイヤーが思いどおりに触れられ掴めて放り投げさえできる世界を開発している点」や。

 ロバート・コルトリンが乗物型アトラクションホーンテッド・マンションについて「ある方向を見せたくなければ、乗り物を回転させて別のものを見せればいい。『ホーンテッドマンション』が有名なマジシャンのカッパーフィールド型のイリュージョンなら、『ミスティック・マナー』は少人数相手に至近距離で行うクローズアップ・マジックといえます。」講談社刊、ジェイソン・サーレル著『ホーンテッドマンションのすべて』kindle版41%(位置No.139中 57・紙の印字でp.54)}と説明したトピック。

*3:2024/05/17追記;作曲家・音楽監督の独断専行を、プロデューサーらが追認したかたちらしい。ううむ……。

吉田 「14」も「16」も祖堅正慶というサウンドディレクターと組んだんですけど、僕はいつも、音楽の方向性は作品のテーマに合わせて最初に決めちゃうんです。例えば「14」は、ゲーム内で麻雀もできれば家の中でくつろぐこともできるし、激しい戦闘もあるという、ある意味テーマパークのような世界なので、音楽のジャンルもありとあらゆる種類のものを作ってもらいました。地域に合わせて使う楽器を決めていくという作業を最初にやって。でも逆に「16」のときは「これは大河ドラマだから絶対にクラシックから外れないでくれ」って言って。超王道なクラシックのサンプルをひたすら聴きながら「この戦闘はこんな感じで」って祖堅にお願いしてましたね。

のっち へー! そんなに具体的に伝えるんですね。

吉田 最初はお願いを聞いてくれるんですけど、たまに無視されます。結局、タイタン戦はめちゃくちゃロックな曲にされたし(笑)。

   音楽ナタリー、『のっちはゲームがしたい! 第16回(後編)』、「吉田直樹さんが思う「FFらしさ」って?あの壮大な世界をどうやって作り上げたのか教えてもらいました」2

*4:(……と書くと語弊があるか? クライヴが依頼を達成しなきゃそもそも事態が次に動かないんだから。うまい言い方が思いつかないな)

*5:2024年5月14日追記;何を思い出して「ああいうこと」と言ったんだっけな……?

*6:zzz_zzzzの疑問としては、

「クライヴはおれがイフリートであり、祖国にひどいことをしたんだ。と絶望してるけど、クライヴが"吸収"とやらをおこなえる人物であるなら、"クライヴ≠ひどいことをしたイフリート"の可能性もあるよね。"ひどいことをしたイフリート"であった人物は別にいて、クライヴはその第三者がひどいことをしたあとで吸収しただけのひとな可能性だってあるじゃん」

 とか。

「真相についていまいちよくわからないまま、"L3+R3 受け入れる"って強制されても、プレイヤーであるおれ受け入れたくないんスけど!? イフリートなしで戦わせてくれよ!

 となりました。

*7:最初「つらいですよ」と書いたんですけど、この「つらい」もこと<FF>シリーズで使うと、挑発みたいでいけないですね。

*8:「複数回何十回という攻撃に耐えるHP」という点についてここでは青字にしたけど、「現実的」というよりかはゲーム的な要請であって、「現実ならこんなん一度でも食らったら死ぬか、よくて重傷だろうレベルの斬撃や炎だよなぁ」と思う。

 ここで青字にした情報は、(その前の前の段で青字にした)「この作品世界は、こういう設定で動きますよ」という前提(としてzzz_zzzが理解したもの)みたいな感じでお願いします。

*9:プレイヤーはそんなこと知りません。初見の舞台だし、プレイヤーキャラクターを操作して事前に地理や地図を仕入れたりするイベントもないから、プレイヤーが介入できない時分においてクライヴが独力で得た知識です。

*10:キャラと接触した際の「揺れ」リアクションは設定されてる(けど現実であれば「揺れ」で済まずにぶつかるし、これこそ「通行できない」箇所・オブジェクトでしょう)

*11:めっちゃ歯切れの悪い、ゴチャゴチャした書きぶりになってしまう。というのも「思い出した」過去編・少年時代を締めくくる"フェニックスvsイフリート"の戦いが、現代の青年時代のクライヴの瞳の内に映るシーンから『FF16』は幕を開けていて、かつ、クライヴは自身の奴隷生活について「弟の仇を討つために日々を過ごしてきた」という話もその後にするので、少年時代の半生すべてを忘れていたとは捉えがたい。

*12:他方で、「うち"サーモン"は扱ってないんですよね……」と苦笑した行きつけのお寿司屋さんが、気づいたら鮭の刺身を常備するようになり、けっきょく数年後つぶれてしまった哀しい記憶もよみがえる……。

*13:たとえば冒頭は、炎の召喚獣同士の対決⇒焚火を見る主人公クライヴ……と、「炎つなぎ」で時と場のことなるシーンがつなげられ。

 青年時代のクライヴから若年時代のクライヴへ、時系列をおおきく移るシーンでは、青年時代のクライヴが気絶し、暗転⇒気絶から目覚める若年時代のクライヴへ……と「気絶つなぎ」がなされます。

*14:たとえば現在の奴隷/傭兵時代から⇔若年期の貴族時代へ。