日記です。2万字くらい。
※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※
0629(火)
仕事休みでしたが、一日寝て過ごしたのでなにもできませんでした。
■身のもの■
就寝失敗
日中寝て過ごしたのですが、睡眠の質はわるく、逆に疲労感が増しました。
電気はつけっぱなしで、へんな寝相で眼球を圧迫したのか目は充血し痛み、頭も重い。
■アップしたもの■
先月から滞っていた日記をまとめてアップしました。
5月末からだから、「先々月から」か。
ネットの話題もじぶんの文章も、いろいろと疲れが出ている気がします。
ネタバレの是非をめぐるトピックが1ヶ月のうちに数度でて(しかもそもそもこの話題じたい、十年単位でたびたび見かけるものでもある)、スペースに対する不満が1ヶ月のうちに数度あふれ、先月か先々月きいた(呉座先生)ようなみたいな高学歴ツイッタラークラスタ(法クラ)の男尊女卑が物議をかもし……。
日記の文章はオチをつけるどころか、とくに面白い結論など全くたどり着けないまま、「こんなことがありました」という記録に終わり、ひどいときではリンクを張っただけで終わりさえ迎えていない、そんな虚無が延々8万字つづいている。
スクロールしても何も得られないこの茫漠は、このblogをやってきていちばん正確に(描写する意図なしに)描写できた、ぼくの人生らしい質感ではないかと思う。
0630(水)
■ネット徘徊■
地元をツイッターのひとが訪れていた
映える写真や懐かしの路地などを撮っていたり紹介していたりするツイッタラー。お気に入り登録しているかたのひとりが地元をおとずれ、見知った街並みの写真をそういう「時代性を感じる」ところとしてアップされておりました。
(ぼくの暮らす家はそこからバスで2、30分いった奥になりますが)
ネットの世界の人だと思っているかたが自分の住んでる空間にいたのだという事実は、これだけSNSが発達した現代においても、ちょっと脳のよくわからないところが刺激されますね。
地元はいわゆる「小江戸・川越」とかのあれとは違います、整理された観光地としてのレトロではない。観光地なのだがどこも金がなく、そういう小綺麗なリメイク・新陳代謝ができなかった旧観光地です。ふつうに原色ギトギトのトタン壁の建物とかがある、ただただ月日の移ろいによって元気をなくしていった風景ですね。
……そんな風におもっていたのですが、そうしてアップされた写真を見てみると「こんな素敵な場所あったっけ? ああここか!」と地元の魅力に気づかされる次第で面白かったのですが。
同時に、そういう場として自分が暮らしている土地が見られているのだなと思うと、
「た、たしかに古臭いのだが……」
みたいな、じぶんが田舎に住んでいることを認識させられてしまいますな。
0701(木)
■社会のこと■
五輪、covid-19のこと「本来であれば14日間自宅待機です。しかしながら、4年に1度の大会であり、選手が一生懸命努力を重ねてようやく……」
内閣官房の担当者
「本来であれば濃厚接触になれば、検査で陰性でも14日間自宅待機等の制限がかかるのが日本国内のルールです。しかしながら、オリンピックにおいては、やはり4年に1度の大会であり、選手が一生懸命努力を重ねてようやく東京大会にこられた方々。そういった方々を、濃厚接触したということで14日間隔離してしまうと、試合に出ることができなくなるという状況もあり、今の場合、ご質問の点については、今まさに関係者の間で何ができるのか、選手のためにそういったことを調整を行っているところです」Yahooニュース、日テレNEWS24『五輪選手 濃厚接触者も大会出場に向け調整』より
それらしい説明をしなくたって何も言わないデクのぼうであると見なされるのに慣れてしまった。
その理屈を、人生一生涯つづけていくつもりの仕事やお店を既にたたんでしまったり、畳もうとしている、瀬戸際にある人のまえで言えるんでしょうか……?
■インターネット徘徊■観たもの■
vtuber『【#イブラヒム3D】伝説、覗いてく?【にじさんじ/イブラヒム】』を途中から視聴
エニーカラー社通称えにからの運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属する元石油王系vtuberイブラヒムさんの3DCGモデルお披露目配信がやっていたので途中から観ました。
にじさんじは主にLive2Dモデルでの配信をおこなうvtuber団体なのですが、 チャンネル登録者数が10万人を突破したりなどするとお祝いとして3DCGモデルが用意される社内ルールがふんわりあります。
そんで晴れて3DCGの身体をえたにじさんじライバーは、2Dの顔を上下左右に傾ける程度に動かす程度だったこれまでとちがい、360度すべての角度から眺められる肉をもち、viconの細かなキャプチャで全身を動かせる出力方式をえたことをお披露目をしたりする流れがあります。
そんでナマっぽい存在感に「おおお……」となったり、モデリングの出来(とくに顔とか)に一喜一憂したりする。
「正面から見ると破綻ないけど、別角度からはなんか顔がへんじゃね?」とか、「手足がなんかヒョロいしカチコチしてて、ナナフシみたいじゃない?」とか。初期の3DCGについてはけっこうそういう話もでました。(突貫のにおいはあれども、量はそろっていたおかげでabemaTVのレギュラー放送『にじさんじのくじじゅうじ』に多数のライバーが出演できたわけで、これはこれでうれしい悲鳴でもありそうでした)
にじさんじの知名度が上がっていくにつれ新人さんの登録者数は最初からだいぶ多くなり(むしろ初期~中期のひとほど新規流入の機会がなく、伸び悩んだりする)、10万人突破はかんたんな目標となり、3DCGモデルの制作やお披露目のための自社スタジオ取りがむずかしい状況にあるようです。めでたい悲鳴ですね。
3DCGお披露目配信した現時点でのイブラヒムさんのチャンネル登録者数は32万人。さすがに30万人はスタートダッシュだけでどうにかなるものではない。普通に人気者ですね。
イブラヒムさんは先日のGooglePlayADのVtuber運動会でも優勝し100万円を獲得していました。めでたいこと続きでよろしい。
お披露目配信本編について。
温泉にやってきてお風呂に浸かり、そしておなじにじさんじのエクス・アルビオさんと体感ゲーをやって遊んだイブラヒムさんは、
「おれは……このあと行きたいところあるから行くから……じゃ!」
エクスくんと別れます。そうして向かったさきは……
「ハイというわけで、『SLOT劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[前編]始まりの物語/[後編]永遠の物語』をね、ちょっと、先行で打たせてもらうってことで」
1時間のお披露目配信のなかで、約34分間をカメラに背を向けて椅子に座って『SLOTまどマギ』最新作の先行"実践"配信。イブラヒムのお披露目というよりも、SLOTまどマギお披露目配信でした。めでたいこと続きでよろしい。
0703(金)
■社会のこと■
covid-19のこと;「Not bad, isn’t it?」
昨日の記事を読んだときは、政府がじぶんのすることへそれっぽい説明さえしないことについて、「"説明しなくても何も言わないデクのぼう"だと見なされているのだ」と嘆いたわけですが、政府のえらいひとのツイートを見たら考えがかわりました。
昨日のぼくは、性悪説のねじまがった性根に毒されていました。ひとから悪意を読み取るのはやめよう、ぼくらの政府はぼくらに寄り添ってくれている、これだけ共感をいだける親近感のわく政府もない……
河野太郎が世界からボコボコにされてる様子を翻訳してみた。
— kbdl (@kbdl11) 2021年7月1日
【発端のツイート】
日本のワクチン接種。悪くないでしょう? https://t.co/fvzJWKhzTA
リプ①
— kbdl (@kbdl11) 2021年7月1日
グラフ間違ってますよ。直しときました。 https://t.co/cnyS5xyI1G
リプ②
— kbdl (@kbdl11) 2021年7月1日
ふざけてんの?何ヶ月もなーんにもしないでいて、100人あたりの1日の接種がちょっと1位になっただけじゃん。ほとんどの人がまだ接種券を手にしてすらいない。別のグラフ見てみ。これでもまだ「悪くない」と?
AYFKM
「Are You Fucking Kidding Me?」の頭文字。
※「舐めとんのか」て感じ https://t.co/idiX60rEPD
リプ③
— kbdl (@kbdl11) 2021年7月1日
まだ世界平均より低い。 https://t.co/WGIyuVsYdq
Japan vs. Europe, lately. pic.twitter.com/vS5YUn3MyX
— KONO Taro (@konotaromp) 2021年7月1日
This is more informative. Still lack behind. pic.twitter.com/Hqhv2rEEnc
— クρίス (@chrmina) 2021年7月2日
……ぼくらの政府はぼくとおなじくらい頭がわるいだけなのだ。
即論破されるようなグラフを日本政府のえらいひとが海外に向けて示していて、本当にすごいことだと思いました。
■考えもの■
揮発するつもりの時空間でいだいた感情を記録する必要(はないのかも)
前回の日記で話題に出したことで、ひさびさに『SF×美学』配信を観たぼくの日記を読み返しました。
あの時からだいぶ月日が経ったので、あの文章を読んでぼくはじぶんが怒った理屈はわかるし「あの時めちゃくちゃイライラしたんだよな……」という風な過去形の記憶もよみがえりもしたものの、読んでいて怒りが現在進行形で再燃するみたいなことはありませんでした。
先週書いたツイキャスやスペースへのモヤモヤも、このように時間がたてば揮発していくのでしょう。
去年はほかにもツイートに対する野次馬記事を書いたこともありました。
その頃から「自分で書いておいてなんだが、どうなんだろうなコレ……」って思いつつ何か結論を出せていない問題がある。
(どこかオフィシャルな会場を取ったりお金を取ったりするのではなく、無料・突発的な時空間での)対面(の雑談)やボイスチャット、あるいはツイッターなどノータイム・短時間でよしなしごとを出力するメディアに対して、blogや本といった"流れる時間がおそいメディア"でどこまで反応していいものかどうか?
「どこまで?」とは、「どの時点の話題まで?」という話でもあるし、「どのくらいの粒度まで?」というお話でもある。
じゃばじゃば流れてきた日々の雑多なよしなしごとを、これに対応できる粒度のザルでふわふわと数コンマ単位で把握して、やっぱり数コンマ単位でざっくり(ツイートなどのかたちをとって)出力された「印象」。
それ自体もじゃばじゃば流れる全てのものごととおなじくコンマ単位で流れていくはずのその「印象」を、なんだか石板に刻まれた定言であるかのように一語一語じっくりネトネトやたらと眺められて槍玉にあげる非対称性。
創作物に対する「脚本の人そこまで考えてないよ」という声へ、ぼくは、
「いやそこまで考えていないのはお前であって、作者はそれ以上のことだって考えているかもしれないだろ! そう主張するお前がしなきゃいけないのは作品内の矛盾の指摘といった"脚本の人がそこまで考えていない"と結論付けるに足る証拠だろ!!」
と思うタイプなのですが。
「でも、日々のつぶやきとか口頭でしゃべったこととかは、まぁ、そこまで考えてないよな……普通に考えて……」という風に遅まきながら思えてきました。
数コンマ単位で入出力された何気ない雑感に、どれまで責任を負わせるつもりなんだぼくは? みたいな。
0704(土)
勤務日。避難警報の通知で起こされました。ところにより冠水があり、職場へ来れなかったひとも。
■読みもの■
円城塔『ポスドクからポスドクへ』のオンライン公開が再開!
ポスドクから小説家へ転身した円城氏が、物理学会誌から依頼をうけて発表した文章で、掲載誌が掲載誌なので、査読もはいっている/とおっていると云います。
じしんが小説で得られる原稿料や印税などをあけすけにしてその決して高給と言えない収入、生涯作家として食べていく雲行きの暗さをかたったうえで、ではなぜポスドクから作家になったのか? ポスドクで得たものを……
長い大学での生活で代え難く得たものは様々である.学恩が第一のものであり,第二,第三と続くのだが,物書きとして研究生活から何を得たかと問われたので,そちらに答えておくべきだろう.
死の恐怖と,肉体的な餓えだ.空怖ろしくなったので,やめた.
……と宣言するポスドク残酷物語ですね。
ciniiの規模縮小によってしばらく非公開となってしまっていましたが、J-STAGEへの移行が進んでいるようで、いつのまにか再び読めるようになってました。
登場人物のひとりが院生だとはいえ、円城氏が脚本をつとめた『ゴジラSP』には別に活かされてはいないでしょうけど、手を伸ばしてみるのもおもしろいと思います。
■ネット徘徊■観たもの■
vtuber『にじさんじバーチャルパチンコ大会』一日目を観ました
えにから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじの面々がバーチャルパチンコ大会をひらいていたので観ました。
2期生出身・おいなり大学生系ライバー伏見ガクくん(パチカス)、3期相当seeds{の二期生(ややこしいな)}農家系ライバー舞元啓介さん(パチカス)、元石油王系ライバーのイブラヒムさん(スロカス)の、パチスロ好き3人が主催となり。
そして、解説に『777パチガブ』専属パチンコ/パチスロバーチャルライター上乗恋さんを招き、さらにはセガサミーさんらの協賛を得て2日に渡っておこなわれる大型コラボ企画です。
ルールは差玉に、ブロック全体ないし台ごとに設定されたミッションを達成したボーナスポイントを加味した合計勝負。
大当たり確率1/319の『ぱちんこCR真・北斗無双』、『ぱちんこCR聖戦士ダンバイン』。
大当たり確率1/199の「CR熱響! 乙女フェスティバル ファン大感謝祭LIVE』、『CRフィーバー戦姫絶唱シンフォギア』。
これらの4機種から自由にえらんで、1時間30分ないし2時間パチンコを回して勝敗をあらそいます。
まぁ運が決め手の大会ではあるのですが。
ブロックで初当たりを出したひとにはボーナスポイントがあるので、それ狙いでローリスクローリターンの1/199の台を最初に選択するひとや、そんなん無視してハイリスクハイリターンの1/319の台を最初から座るひと、題材の漫画アニメがすきだからその台に座る人など。あるいは終盤、1/199機種の台毎ミッションに挑戦してポイント獲得に舵を切るひと、一発逆転大当たりを狙ってダンバインへ走るひとなど……台選択にもそれぞれのバーチャルライバーの個性が出たなぁと面白かったです。
『にじさんじマリカ杯』などの大型コラボ企画は、えにから社スタッフのバックアップが大きかったようですが(なので主催の配信はえにから社のにじさんじ公式チャンネルで配信がされたりしました)、今回はガクくん主導の企画で、もともとは大会の運営進行はかれが一人で自宅で取り回すつもりだったようです。
それが安定した回線のあるえにから社のにじさんじスタジオで配信することとなり、スタジオを借りたおかげで舞元さんもオフラインでスタジオに合流。2日目の閉会の挨拶でもガクくんが触れていましたが、これはとっても良い判断だったなぁと思います。(当初の想定でうごいていたら絶対事故ってたね……)
初戦Aブロックの序盤は、参加者の画面共有や音量バランス調整に苦労していたものの、大会実況慣れしている舞元さんのゲラのつよいにぎやかな実況などにじさんじパチスロカス3人組や上乗さんのやわらかい試合解説やパチンコトークなどもあり、会話自体はとどこおりなく楽しく聞けた印象です。
予選Cブロックではバーチャル学級委員長・月ノ美兎さんも参加。委員長視点と、そして主催実況枠(2:04:10~)と2窓で同時視聴しました。
月ノ個人配信「あ、(大会進行の)舞元さんがアットエブリワンの表記まちがえて全員にとどいてないw」
大会運営配信「"舞元エブリワンをミスってるぞ"? いま直しました。なんでみんな知ってんだおれがエブリワンをミスったことを?(笑) ……"委員長がばらした"? わかりましたナルホド」
月ノ個人配信「エっ! あはは(笑) アットエブリワン ミスったことバラしたら鳩が飛んだんだけど(笑) バラすなバラすな(笑)」
……と、普段の配信では嫌われる他配信者や他配信について「こんなこと言ってたぞ」とコメントを飛ばす伝書鳩行為も、この大会ばかりは盛んに飛び交い、にぎやかな空気を生んでいました。
にじさんじのvtuberは、Live2Dを利用した2Dモデルでの配信が主ですが、チャンネル登録者数10万人を超えた配信者には3DCGモデルが用意されるような社内ルールがあるらしく、人気ゲーム『Detroit:Become Human』などで用いられたviconモーションキャプチャが配備されたにじさんじスタジオなどで3D配信を行なったりできるようになります。
また3DCGモデルの配信者は、そのモデルとそれに連動する簡易的なキャプチャ機材・プログラムをプレゼントされ、頭を上下左右にふる程度のキャプチャであるLive2Dモデルよりは融通がきく(けれどviconモデルほどには動けない)、上半身や手をバタバタできる"にじ3D(さんでぃー)"という方式で自宅からの配信ができるようになったりします。
にじ3Dのキャプチャは結構にガバガバで、腕が突然ビヨンと伸びたり、じゃんけんするにもノロノロと時間と精神力を必要としたり、またうまく動かせたところで
「手ぶりだけキャプチャ・出力されてどうするんだ? Youtuberといえばおなじみ、商品開封配信とかお料理配信とかをしようにも、"無"を開いたり、切ったり、焼いたりすることになるじゃないか?」
ということもあり、使い道に困る方式でもありました。
「……怒らせちゃったねぇ? わたくしの配信中にうるさくした罪、わからせてやるからねぇ?」
カメラに目線を向けていた"にじ3D"の月ノ美兎が後ろを向いて、背景で「無敵のタロス! 的確なタロス!」とうるさかったタロス教信者へ金ぴかの籠手をつけた両手をチャキっと構え、魔法をはなって爆殺する(0:02:17~)。
FPSゲームでプレイヤーキャラクターの両手が映り込む画面構成、この両手のあいだに自分の後頭部を写すことで、配信者=プレイヤーキャラクターと見えるように配信する……"にじ3D"をそんな具合に上手く使うアイデア配信をした委員長は今回もまた、実機さながらのゲーム画面の手前に"にじ3D"の後姿を配置することで、現実のパチンコプレイヤーがおこなっているような"実践"動画の構図を、疑似的に再現してみせます。
にじ3D配信のあらたな扉がひらかれたような配信でワクワクでした。
パチンコの出玉はというと……
「え? どうした? どうした!? ね教えて! なにがどうなってるのみんな! みんな! なにがどうなって、あ? これもう万発? きてるきてる! 万発きてる!!」
……パチ屋の扉もまたひらかれるような配信でピカピカでした。
うめき声をあげた委員長はおもむろに手を挙げて、パチンコ台からカメラへ向き直り笑顔でダブルピース。
万発どころかなんこつ、みさくらなんこつまで来るような配信でした。
高校2年生なので夢のなかでですが人生2度目のパチンコだという委員長は、初心者らしく画面に映されるものに色々反応しながら賑やかなプレイングで、
「北斗無双! ぴゅんぴゅんぴゅんぴゅ~ん!……なにこれ!? "サウザー""星2こ半"……食べログだったら行かない数だ……」
といつも通りの冴えた反応をみせたり、かよっていた絵画教室の先生がかつてパチプロで、「パチンコというのはデッサン力なんだよ」が口癖だったと云うエピソードトークを話してくれたり……と楽しい配信でした。
0705(日)
宿直日。
■ネット徘徊■観たもの■
vtuber『にじさんじバーチャルパチンコ大会』二日目も観ました
昨日につづいてえにから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじの面々がバーチャルパチンコ大会をひらいていたので観ました。
ぼくは主催の運営実況配信と、エルフのえるさんや月ノ美兎委員長など参加者の個人配信を観ました。
ダンバインで40ラッシュ以上継続して「これパチンコの初めてさん用の動画としてよくないでしょ」とあまりにも当たりすぎて喜びつつもドン引きがちらつき、チャンス大の赤色演出から(赤よりも期待できない)青色演出にかわったときに「やっと青きた……」と安堵をもらすエルフのえるさん、
アイドルたちがライブコンサートをしている『乙女フェスティバル』に座って当たりつづけて、延々オタ芸を披露し続ける準決勝の月ノ美兎委員長、2試合連続で万発あたりだった絶好調の委員長がのぞんだ決勝戦のもようなど……、山あり谷ありのパチンコの醍醐味がつまったイベントでした。
実況席にしてもえるさんの後日の振り返り配信にしても、「だれかがいつまでも当たり続けて"パチンコってこんな簡単なんだ~"て勘違いしてお店に行く人が出るような展開にならなくてよかった」という旨のお話をされていたのが印象的でした。
(ほかにも、大当たりが映っても、ただ「凄い」と喜び持ち上げる局面はそこまでなかった記憶があり、「いやこんなに大当たりするようなことは滅多にないですからね!?」と上乗さん含めて注意含みの驚嘆をあげたりもされていました)
0706(月)
宿直明け日。
■買いもの■
『夜になっても遊びつづけろ よふかし百合アンソロジー』を購入。
kindleで出ていたので買いました。
本を買えても積むだけ積んで中身を開けていないグウタラ者なので、参加作家さんの過去に書いた作品などはぜんぜん読めてないし、読んでいたとしてもだいたい感想文を書けるほどまで自分の頭のなかで咀嚼できていない。
だから「これが良かったから期待できる!」とか「この方の作品はこんなオリジナリティが! きっと次作もすごいにちがいない!」みたいなお話はなんともほとんどできませんが、blogなどで面白い記事を書いてるかたがたなのでたぶん面白いでしょう。
どこの馬の骨とも知れないぼくが信用ならなくても、このアンソロジーに参加されたかたのなかで文筆について社会的信用をすでに得ているかたは多数いて、ざっと知ってるだけでも織戸久貴さん(第9回創元SF短編賞大森望賞受賞、第10回同賞最終選考)、谷林守さん(第10回同賞日下三蔵賞受賞)、千葉集さん(第10回同賞宮内悠介賞受賞ならびに竹書房刊・大森望編『ベストSF2020』の2019年度短編SF推薦作リストにノミネート*1。講談社treeにてリレー書評『読書標識』連載)、(評論の世界だけど)メフィスト評論賞円堂賞を受賞した孔田多紀さん、同人誌ながら『文學界 2021年1月号』でも紹介された『リフロー型電子書籍化不可能小説合同誌 紙魚はまだ死なない』のmurashit氏、笹帽子さんなどが挙げられるでしょう。
— Kiichiro Yanashita (@kiichiro) 2012年8月1日
「大森望絶賛」は信用していいのか? というお話はあり(笑)、「信用してみたところでみな特別賞的なもの、本賞を受賞したわけではないじゃないか」という話もありそうです。……たしかに……。
でもたとえ何も冠されていなくたって、面白かったり凄かったりする作品もありますよね。たとえば「八月の荼毘」がそう。
谷林守さんはこのblogでも感想文を載せた京大SF幻想研版『伊藤計劃トリビュート』で「The Pile of Hope」を書かれたりなどしたかた。
たぶん直近の過去作が「八月の荼毘」です。kindleなどにも流通がある『あたらしいサハリンの静止点』という同人誌に収録されたこの作品は、同アンソロジーの他作家の別作『回転する動物の静止点』とちがって、大森望編『ベストSF2020』の2019年度短編SF推薦作リストから漏れてしまっています。
じゃあつまらないのか? そんなことはない。
谷林守著「八月の荼毘」ってどんな作品?
(第三象限「あたらしいサハリンの静止点」収録。kindleなど電子書籍流通アリ)
序盤のあらすじ;
大本営発表(昭和二十年四月八日)
沖縄本土決戦始まる
空母等十五隻撃沈 撃破十九隻
沖縄本島を巡る決戦は日に劇化の一途を辿り、敵は本島周辺に数百隻の艦艇、輸送艇群を輪集せしめ、わが防衛陣の破壊を企図してゐるが、わが軍は敵来襲の三月二十三日以来二週間にわたり反撃の機会を練り、遂に帝国陸軍第十一特務隊三千名の特攻精神を炸裂せしめて四月五日夜一斉に決起し……
にわか雨のようにB二九の大規模爆撃が大阪の街を訪れた夜は、警報のサイレンで目が覚めた。昏くも鮮やかな遠くの空は、学校で見た北野の浮世絵を思い出させた。昨年末の短歌会で今中先生が持ってきたもので、敵国様式の洋館、瀬戸内の海とが描かれた鳥瞰図だった。その浮世絵も空が真っ赤に彩られていて、私は、
「これは夕焼けですか、朝焼けですか」
と尋ねたところ、先生から「素直な疑問で宜しい」と嬉しそうに大笑いされ、八重乃さんに浮世絵は結構雑に彩色されることを教わった。
防空壕のなかで、八重乃さんの顔がよぎった。そしてあの浮世絵は無事だろうか、とも思った。
突然、爆音がひびいた。恐怖が闇の中を包むには十分だった。
明日、新しい<十一兵>が造霊廠に運ばれてくるのを考えて、頭の片隅が憂鬱だと叫んだ。そして、その後に罪悪感を覚えた。その考えはきっと不敬だったから。サイレンの響きわたる夜のなかに私の意識は溶けた。
翌朝、機銃掃射の一閃した一軒を横目に、しだれ桜の花弁がちらちら落ちた帰路を歩いて二時間かけて閨町の地元に戻ると、工場は空襲を受けて操業停止、勤労は一日お休みで校舎待機だとわかった。
「現金な子ね、女学校のことになると」
疎開やお姉様(せんぱい)方の勤労奉仕、負傷に伴う<徴霊>が重なって、全校生徒が半分近くになったとはいえ、河野高等女学校の赤土色の西洋建築は田んぼだけの場所に悠然と佇んでいる。
「お久しぶりです」八重乃さんの絵に書いた見本のようなはにかみを見、「それ、新しい子の?」裁縫をする洋美さんに声をかける。まえの登校日以来ひさびさの再会だ。
「彼女だけ制服がないのもなと。間に合ってよかった」
去っていくだけでなく、新しく転入生だって現れるのだ。
「実は、転校生が一日早く学校に来ている。それで、その……」
「……玖条久那です」
窓の外からは陸軍の人々の号令が聞こえてきて、私たち三人が絶句していたから、教室の中によく響いた。
そそくさと去っていった先生が眉間に皺を寄せていた理由がわかった。おそらく彼女もまた自分がそういう存在だということは百も承知だったのだろう。こちらが質問する前から聞きたかった答えが返ってきた。
「……米国から、日本に戻ってきました。父が米国人です。よろしくお願いします」
ただ、私が言葉に窮した理由は八重乃さんや洋美さんとはちがっていた。
私たちの用意した白い制服を送ればこの子が毎日来てくれるのではないかという的外れな印象で頭が染まって、つまりは思考が凍りついてしまっていた。
感想;
<十一兵>第十一特務隊が前線で奮戦し内地を防衛する第二次世界大戦末期の大阪、桜の舞う女学校で勉学と火花の散る工場で勤労奉仕を往復する櫻子は、転入生・久那に心惹かれる。久那はB29を差し向けるアメリカから戻ってきた、日本人の母と米国人の父をもつ金髪碧眼の同級生だった……というお話です。
閨(ねや)川など劇中の地名やらは作品独自のものですが、参考文献として大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』など第二次世界大戦にかんする史料が挙げられているとおり、現実に大なり小なりならったものも結構あります。
どこまでがリサーチで、どこからが創作なのか? 『八月の荼毘』だけから判別するのはむずかしいくらい虚実が溶け合ってます。
先輩(お姉さま方)から手縫いの制服を贈られる……なんて「それなんて百合?」な語彙もエピソードも、大枠は寝屋川の女学校で言われたりおこなわれたりした単なる現実*2でしかありません。
悲鳴はプロペラ音にかき消された。あまりに低い高度を、米国の戦闘機が奔った。篝火の明かりに、操舵手の顔が闇に一瞬浮き出た。
第三象限『あたらしいサハリンの静止点』kindle版76%(位置No.3929中 2947)、谷林守「八月の荼毘」(太字強調は引用者による)
とりわけ感じ入ったのはこの描写。
もしにわかオタクのぼくが戦時生活を絵なり物語なりに描こうと思ったら、こういう描写はぜったいに避けちゃうんです。
これは前にも書いたことだと思うのだが、空襲体験についてずっと思っていたことがあった。
というのは、実際に自分の頭上を敵機が飛び過ぎてゆくのを見た人の実にたくさんが、「操縦している人の姿を見た」と記憶していることについてだ。そうした談話、回想記事が多く存在していることついては、1990年頃『うしろの正面だあれ』という映画に携わった頃から意識するようになった。当時はまだ作画の現場にも空襲体験のある人もいたし、レイアウトマンとして描くべき状況を明確にするためにある程度積極的に本を読んだりもした上でのことだった。
機銃掃射をするために超低空に入ってきた飛行機だったら、あるいはそういうこともあり得るかも知れない。だが、夜間空襲のB-29についても「操縦している人の姿を見た」という話がたくさんある。中には「首に巻いていたマフラーの色」についての記憶もあれば、「女が操縦していた」というようなものも多々あった。
今回の『この世界の片隅に』でのレイアウトマンでもある浦谷さんと飛行機が低空で飛ぶ現場に行っては、見ている自分たちからの距離だとか飛行高度を勘案しながらも「やっぱり見えるわけないよねえ」といっていたのだった。WEBアニメスタイル、片渕須直『1300日の記録』、「第112回 操縦席の人の顔」(太字強調は引用者による)
戦時下の広島・呉へと嫁ぐ女性"すず"を主人公にしたこうの史代氏の漫画『この世界の片隅に』。このアニメ映画版を監督した片渕須直氏と監督補・画面構成の浦谷千恵氏は、WW2の空襲での体験談について「見えるわけないよねえ」と考察します。
こういうのをハンパに読んでるんでぼくは書けない。でも谷林氏はそういう半可通の受け手が半笑いで読むのをおそれない。語り手である閨(ねや)川の学生・櫻子は操舵手の顔をしっかり目撃する……
艦載機のすばしこい動きは、直接自分の生死につながる怖さを感じさせられたことがあります。艦載機と呼ばれた小さな飛行機が、突然頭上すれすれに飛び廻って、搭乗員の顔まではっきり見える所まで近づき、機銃掃射といわれる射撃をくり返すことがありました。
宣成社刊、大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』p.8、「第31期生」朝の光の中に家を見つけた より(太字強調は引用者による)
中西先生が、「逃げろ」といわれ、東の門(甲斐田門)の方へ走られた。私たちもばらばらとその後を追った。ところが、上から艦載機が追ってくる。つんのめるような感じで走って、えんどう豆畑へ入った。飛行機はぐーんと機首を下げ、機関銃でうっている若い男の顔が見えた。もう半泣きで、友達と手を固くつないで走った。
宣成社刊、大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』p.46、「第31期生」畑の白い豆の花が脳裏にやきつく より(太字強調は引用者による)
高射砲の発火装置の真管作りの流れ作業で、休みなく働いてはサイレンの音で、近くの山の粗末な壕穴に逃げこんだある日、長時間の退避でのどが乾くので、オッチョコチョイの私はヤカン置場に立ち寄り、一人遅れて壕への道を水をこぼすまいと走っていた。戦闘機が走る人影を狙って低空に飛来しようとは思いもよらずに。私の一メートル位横を弾がパッパッと走った。当らない時は当らないものだなあと、妙に不敵な思いで、見上げたら、ドアから黒い服の機銃士が見えた。恐怖であるべきはずのものが、戦乱の巷にマヒしてしまったのだろうか。
宣成社刊、大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』p.181、「第33期生」傷跡だけ多くて より(太字強調は引用者による)(「真管」は原文ママ)
何と言っても強烈に瞼に焼きついているのは、枚方工廠が機銃掃射を受けた時のことです。空襲警報が鳴るや否や、聞こえてきた爆音に防空壕へ転がるように避難したのですが、最後に飛び込んで振り向くと、低空飛行の米軍の艦載機に乗り込んでいる飛行めがねをしたアメリカ兵が一瞬目に入り何ともいえない恐怖を感じました。そしてこの異様な体験は永く私をとらえて離しませんでした。
宣成社刊、大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』p.211~212、「第33期生」大切なものを燃やしたくない思い より(太字強調は引用者による)
……寝屋川の女学生の目にはっきりそう見えたように。「私」が感じ得た現実を『八月の荼毘』はありありと展開してみせる。
空襲を「にわか雨」*3みたく感じるようになってしまったり、金髪碧眼の余所者を排他しそしてそれに違和感をいだきつつも従ってしまったり、「敵国」だとして大多数から排除される文化について一部のひとが理由をつけて戦前同様学ばせる体制をいくらか維持したり*4……他国との長期的な戦争であるとか、散華や英霊をたたえる大日本帝国であるとかというさまざまな異様に身をおいたひとびとの「異なる感覚」を、細やかなグラデーションと色相でもってえがいています。
劇中世界にある複数の文献を渉猟する擬論文小説・擬史料コラージュ小説/第10回創元SF短編賞日下三蔵賞受賞『『サハリン社会主義共和国近代宗教史料』(二〇九九)抜粋、およびその他雑記』で発揮された媒体ごとに異なることばの肌理(キメ)は、『八月の荼毘』でも健在で。
櫻子の一人称の物語の前後には、大本営発表や、劇中プロパガンダ映画の宣伝、戦後の研究書などがインサートされ、戦時下日本の異様な空気を充満させていきます。
このblogで感想エントリを書いたなかで言えば、ジョン・ブアマン監督の映画『イン・マイ・カントリー』とアンキー・クロッホ氏による原作ルポ『カントリー・オブ・マイ・スカル――南アフリカ真実和解委員会<虹の国>の苦悩』。これについて『第三帝国の言語<LTI>』や『普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』を思い起こしながら見たり読んだりしたかたなら、オススメの一作です。
たとえば『八月の荼毘』後半の戦況についてシビアな軍部のインテリが(こちらが攻撃をしかけた)真珠湾を起点に戦争をかたる一方で、冒頭の大本営発表の主語が(沖縄戦の記事だというのももちろんあるんでしょうけど)「敵来襲の3月23日」を起点にした「防衛陣」であるギャップ。
これなんて、第二次大戦下の大ドイツの新聞やラジオ放送で発せられた*5coventrieren(コヴェントリーのようにする)という動詞や、自国ドイツと敵国イギリスの空爆との表現にちがいについて(ドイツ系ユダヤ人である著者がその建前ぶりを揶揄しながら)書いた『第三帝国の言語』の一節と重なるような視差でしょう。
コヴェントリーはイギリスの「軍需生産中心地」であった――まさにそのものずばりで、ここに住んでいたのは軍関係の人々だけであった。というのはわれわれは、どの報告書にもあるように、原則的にはただ「軍事上の目的地」のみを攻撃したし、「報復」しかしなかったし、イギリス人とは違ってよこしまなことは断じてなかったのである。イギリス人というのは、空襲を始めるとなると、さらに「空の海賊」として主として教会や病院を爆撃したのである。
法政大学出版局刊、ヴィクトール・クレムペラー『第三帝国の言語<LTI>』p183(太字強調は引用者による)
あるいは、『普通の人びと』のこんな事例とか。
トラップ少佐はあの早朝の演説で、ユダヤ人を敵の一部だとする、流布されていた観念に訴えたのである。彼は、ユダヤ人の女性や子供を射殺するときは、敵がドイツを空爆し、ドイツの女性や子供を殺してることを思い出すべきだ、と述べたのであった。
筑摩書房刊(ちくま学芸文庫)、クリストファー・R・ブラウニング著『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』p.130(97年刊旧版p.116)、8「大虐殺の考察」(太字強調は引用者による)
ホフマン大尉――彼は一六歳でギムナジウムのナチ組織に、一八歳でヒトラー・ユーゲントに、一九歳で党と親衛隊に加入した――は、政治的、イデオロギー的要因を常套的な手法で否定しようとした。「私の一般親衛隊への加入は、当時親衛隊が純粋に防衛的団体とみなされていたという事実によって説明できます。
『増補 普通の人びと』p.244(97年刊旧版p.222)、17「ドイツ人、ポーランド人、ユダヤ人」(太字強調は引用者による)
そもそも日本の寝屋川の現実の女学生の意識のなかとか。
本十八日午後、敵機が、わが本土に對し、大東亜戰争開始以來、はじめて來襲した。京浜、名古屋、神戸の軍事施設をほとんど爆撃する事なく、無辜の民衆に對する爆撃を行ひ、その暴挙はまことに憎むべきものである。我が空・地兩防空部隊は、遲滯なくこれを反撃し、九機を撃墜してゐる。
宣成社刊、大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』p.62~63、「第31期生」高女時代の三冊の日記 より
こうした言い換えと実体のギャップの極致が<十一兵>で、『TPoH』の学徒情報モニターや『『サハリン~』の<先生>などがそうであったように、あるものがまったく別種のなにかのように読み替えられたり書き換えられたりしてしまう社会の仕組みや、そうして生まれたギャップと接する個人の心性を谷林氏は今作でも巧みに描き出してみせます。
<十一兵>の影はうすい。
<十一兵>はまず巻頭の劇中「大本営発表」の記述のなかに登場しますが、(フォントサイズ的に)こまごまとした文章のなかで、さまざまな部隊や兵器と並んでカッコなしの第十一特務隊として描かれ(そしてその描写は、ならんだほかの事物もまたそうであるように、個々の具体的な詳述は避けられており)、注意力散漫なぼくのようなやからからすればサラッと読み飛ばされる存在です。
櫻子を語り手にした本編がはじまって早々に、<十一兵>は防空壕に入らないこと、そして<十一兵>が空襲後に数を増やすだろうことが記されていて、それがどんな存在であるか明示的にほのめかされていて。さらには中盤までにインサートされる劇中史料を読めば、予想どおりの社会的な仕組みさえもが明かされてしまいます。「ははぁ~、いわゆる大日本帝国的なあれやそれが、劇中独自テクノロジーで比喩じゃなく実体を持っちゃったということね」とサラッと呑み込めてしまう存在です。
<十一兵>は影がうすい。空気のように。
櫻子の物語でまず大きな存在感を見せるのはむしろ、転校生・久那と、彼女との交流をつうじて、敵国アメリカの血が入っているというだけで「違うもの」として遠ざけ排斥する戦中のひとびとの集団心理のギャップです。
久那に興味をもち交流していく櫻子の一人称視点による物語と、幕間的に挟まれ並置される劇中史料の抜粋的文章とのあいだには距離感があり、この読み味のちがいが面白い。
お国の空気を遠巻きに見るような櫻子の視点は、はじめ、読者のぼくにとって――物心ついたときには第二次世界大戦から半世紀以上へだたりがある自分にとって――、劇中世界へスッと入っていけるための広い門戸のように機能します。
櫻子の物語と幕間の記述のギャップは、そして、国の空気から外れていく櫻子たちの歩みをティーンエイジャーらしいほわほわとした足取りとして活き活きと見せたりします。
さらにふたりが「私たち」と一語で言い表せるくらい距離を充分ちぢめたところまで読みすすめていくと、これまた読み味がかわって、それぞれ独立して読んでいた櫻子の物語と幕間の公的な記述とが一続きの空間として立ち現れてきたりもします。
ぼくたちの身の回りの、空気のように馴染んでしまってふだんは顧みない「当然」。ふとしたきっかけで立ち止まって「それ」を注視してしまい、そうして立ち現れてしまった血肉あるディテールに頭がくらくらしてしまう感覚。
それに通じる感触を『八月の荼毘』は見事に浮き彫りにしてみせてくれます。
上の「通じる」という言い回しは、「達成度が微妙に足りない」というのをやんわり濁したみたいなお話ではありません。「そのひとの感覚は究極的にはそのひとだけのものだ」というお話でして、上のような感触を味わったころにはぼくの目はもう櫻子は、読者の分身なんていう風に映ってなくて、その世界にしっかり立って己が人生を生きる一個人として、ハッキリ輪郭が見えています。
終盤はもう、すこしでもしあわせだとよいなぁなんて思いながら読んでいくことになる。現実のだれかにそう思うみたいに。そういう「通じる」です。
今作について、同人サークルねじれ双角錐群のかたがたによる読書会ログがネットにアップされていて、土地勘がないぼくなどは読書の手助けとなりました。また、『あたらしいサハリンの静止点』を一緒に出版した織戸久貴氏の京都SFフェスティバル2019アフターノートによれば、「『あたらしいサハリンの静止点』収録作「八月の荼毘」を書くさいに谷林さんは『終わりのセラフ 一瀬グレン、16歳の破滅』を参考にしたとのこと」とのこと。
「八月の荼毘」から『16歳の破滅』へ、あるいは『16歳の破滅』から「八月の荼毘」へ向かわれるのも楽しそうです。
そしてもちろん、作家のさらなる新作に期待してみるのもよいでしょう。
夜に溶けそうな部屋の中で、布団から起き上がり、隣の縫張先輩を見おろしている。
先輩は布団の中で吐いている。
激しくえずく声が私の部屋に響き、さっき一緒に食べたスープが布団の上からカーペットに広がっていく。吐き出した中に黒く濁った赤色が混じっているのは血だろうか。
「……喉、大丈夫?」
「――何を入れたの」
「身に覚えあるんじゃないですか?」
私の返事に、彼女の身体がびくりと固まる。
「縫張先輩、いつからだったんですか?」
……積まずにすぐ読んでしまいたくなるなんとも続きが気になる導入である、谷林氏の最新作「彼女の身体はとても冷たい」はアンソロジー『夜になっても遊びつづけろ』収録。kindleで出ていますがいかがすか。
(2021/12/27追記;「彼女の身体はとても冷たい」の感想を後日かきました。じっさい面白かった)
■ネット徘徊■読みもの■
大森望氏は「大森望絶賛」に負けない解説を披露する、
「大森望絶賛」をネタにした識者や一般読者の知見・ウィットをもとめてググってみたら、大森氏による『風の名前』解説がひっかかり、読んでみました。
話をすすめる段取りが、ぼくのこの日記の直上「買いもの」記事と多々かさなっていて、「ぼくの文章は車輪の再発明だったんだな」といいますか、巨人の肩はきっちり見ておいたほうがいいんだなぁとしみじみ思いました。
(1)大森望氏はたいへんな読書家であり、読んだ大量の作品を一定の評価軸にならべられるたしかな批評眼の持ち主である。アンソロジーを編んだり、小説コンテストの審査員として批評したりする機会もたいへん多い。
(2)一方で、大変な読書家であるがゆえにたくさんの書評やオビ文を書いてもおり、「大森望絶賛!」という旨の文言が拝める機会もまま多い。5つ星の基準が甘いというような見方をされていることもある。
伴名練『なめらかな世界と、その敵』が、大森望さんのレビュー(本の雑誌)で5つ星を獲得して喜んでいた編集者がいましたが、「日本で最も星の数を気にする」僕からしたら、まだまだですね。大森さんのレビューで本当に味わい深いのは、5つ星ではなく、4つ星半なのです。→
— 塩澤快浩 (@shiozaway) 2019年9月19日
上の解説は、大森氏を(1)と見なしているかたにとっても――「とりたててこのジャンルが得意ではない(むしろたいていの異世界ファンタジイに食傷している)大森が言うんだからまちがいない。」――、(2)と見なしているかたにとっても――「解説者の褒め言葉なんか信用できないという人のために、『風の名前』に寄せられた多数のコメントの中から、代表的な二つを抜粋して引用する」――、「対象の作品が良作である」と確たる論拠を挙げて主張していて、さらにはどちらの大森氏についても興味がなく「誰が評価しているとかどうでもいい。どんな作品か知りたいんだ」ってかたへも――「それでもまだ信用できないという人のために、このシリーズのおおまかな設定を紹介しよう」――なにかしら参考となる知見がしめされています。
とてもバランスのとれた評だなぁと思いました。
***
大森望氏は「大森望絶賛」に負けない解説を披露する、じゃあ……
大森氏の解説を読んでいてだんだん首がかしげてきたのが、「大森望絶賛」は本読みのあいだでニヤニヤとネタにされる肴ですけど、
「じゃあ肴にした読者は、大森氏の解説をネタにできるほどじぶんが読んだ本などについて言葉を尽くしているのか?」
という疑問です。
この日記の別日でも話題にした……
・ある作品とそれにまつわる他の受け手の感想について「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」とネタにする人が、だいたい"脚本の人がそこまで考えてない"と言えるまでの論拠を考えていない(提示していない)問題
……やら、blogで言ったことはない気がするけど結構10年単位で気になっている……
・「ツッコミどころがありすぎる」と言いつつツッコミどころを具体的に(沢山)挙げるレビューは珍しい問題(ヘタすりゃツッコミどころ一つも上げない言及もある)
……やらと同工異曲ですね。
なんかそんなつもり全然ないのに背筋を伸ばさにゃならんなぁと反省する読書でした。
*1:竹書房刊、大森望編『ベストSF2020』p.439、「2019年度短編SF推薦作リスト」より。
*2:「お姉さま方」という語彙は、高女三十一期生が女子挺身隊結成式で読んだ祝辞のなかに登場。
このとき御卒業の榮譽を擔はれましたお姉さま方が、
宣成社刊、大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』p.53、「第31期生」三十期生は卒業後女子挺身隊員として枚方工廠に より
上級生から下級生へ手縫いの制服を贈ることについては、三十四期生の手記の中に登場。
第二次世界大戦中の女学生の制服は、国が定めた全国共通の黒のサージ(人絹と混紡)の布地で、へちま襟に白の掛け襟をかけ、ウエストでベルトを締めた上着に、四枚接ぎのセミフレヤーのスカートといったデザインでした。私たち新入生が着用する制服は、当時五年生に進級されたばかりの三十期生の方々が洋裁の教材として、仕立てて下さいました。
五年生から一年生への制服の受け渡し式が行われ、級の教室で制服を頂き、ひろげてみると、胸ポケットの上に、一年い組○○○○様、五年い組○○○○、と書かれた紙が入っていました。制服は着用する生徒一人一人の寸法に合わせて仕立てて下さったのでした。上級生の方々の真心のこもった手作りの制服を着用して、高女三十四期生は誕生いたしました。
宣成社刊、大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』p.282、「第34期生」戦時下の家庭科教材実習 より
『八月の荼毘』で縫われる制服は「白のブレザー」。空襲後に煤をかぶった黒い人々と対照的で、劇中の学校について明るいイメージを文字どおり感じます。
*3:寝屋川の女学生の手記での類似表現としては、
焼夷弾が雨のごとく落ち、市の中心部を東西に消失しました。
宣成社刊、大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』p.184、「第33期生」焼け跡に立ちて より
があります。女学生たちの手記を読んでいると、空襲の記述は続いて降ったと云う黒い雨とセットで記述したものが散見され……
辺りが昼間だというのに薄暗く、遠く大阪方面の西の空が真黒に見え、急ににわか雨が降り出した。何となくぶきみで、恐怖感が一瞬脳裏をかすめた。ようやく空が明るくなり出したころ、大阪方面がB29の爆撃に偶ったらしいとの報が入り、私たちも早々に帰宅させられることとなった。
……もしかすると『八月の荼毘』櫻子がそう思うのは、こちらの記憶もくんだものなのかもしれません。
*4:『八月の荼毘』閨町にある女学校の一部クラスでは、英語の授業が戦中も継続されていますが……
私たちの組では、英語も授業に含まれていた。校長先生が、「敵の言葉を知らずに戦争に勝てますか」と、教育委員会に啖呵を切ったという逸話が残っている。
第三象限『あたらしいサハリンの静止点』kindle版66%(位置No.3929中 2550)、谷林守「八月の荼毘」
……これは、寝屋川高等女学校でもじっさいに行なわれたことでした。
当時英語は敵国語ということでどんどん廃止されました。四年生になった時点では、受験組であるい組のみが英語の授業を続けました。当時の森安校長の英断で残されたと思います。外部の圧力に対して"戦争に勝つためには敵を知らねばならない"というふうなことで、頑張られたということだったと記憶しています。
宣成社刊、大阪府立寝屋川高等女学校『女学生の戦争体験記』p.135、「第32期生」葦牙 より
*5:ただしあまり普及しなかったらしい。