すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

非道を仕様とする記法;『イン・マイ・カントリー』感想

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 先週は『虐殺器官』の作者・伊藤計劃氏のトリビュートの話をしました

 今週は「虐殺しろ」を「計画しろ」と表現した社会・映画の話をします。

 ジョン・ブアマン監督の実話原作映画『イン・マイ・カントリー』感想。

 3万3千字と長いのは、原語検討や他の本の引用や典拠表記も原因かと。

 

ジョン・ブアマン監督『イン・マイ・カントリー』のネタバレした感想が続きます。ご注意ください※

 

 

「やつらは私に千回恩赦を与えることができる。しかし、たとえ神やその他全員が私を千回許してくれたとしても、私はこの地獄とともに生きなければならない。問題は私の頭の中、私の良心に関わっている。それから解放されるには、たった一つしか方法はない。この頭をぶっ飛ばすことだ。なぜなら、そこが私の地獄がある場所だから。」

   現代企画室刊、アンキー・クロッホ著『カントリー・オブ・マイ・スカル――南アフリカ真実和解委員会<虹の国>の苦悩』p.202、一四章「心の深手に触れた手紙」内「ヘレナからの手紙(アフリカーンス語からの翻訳はアンジー・カペリアニスによる)」より

 約言

 興味ぶかいし自分の関心事ど真ん中で好きな作品です。

内容;南アの真実和解委員会開催から閉会までを記者の視点で追う。ただしマンデラ元夫人とか和解委員会員や元大統領の聴聞会などのビッグネーム・政争的な部分は取り扱わない。

記述;人物も物語もよく整理されてますが、細部は原作ルポほぼそのまま。

ここ好き;非道を脱臭する言葉や思考の数々。原作ルポからの拾いかた。前景後景をきちんと細かく演出してるのに、誇示しないさりげないなめらかな語り口。

 

※本文では、字幕と原語との比較したりしてますが、訳者の能力不足を指摘するものではありません。(ぼくは英検3級なのでそんな指摘できようもないです……)

 字数制限ゆえに省かれた部分などに面白味や「各シーンを紐づけるキーワードがあったりするな」と思ったので、その辺ひろった文章を日本語でもどっかで読めたほうがした方が良いだろうという気持ち。

 

 ざっと感想

 『イン・マイ・カントリー』は、マンデラ大統領就任後の南アフリカ各地でひらかれた真実和解委員会について取材した記者を主人公とした映画です。イギリス本国での原題は『Country of My Skull』で、原作であるルポルタージュから採られています。

 

「ジョン・ブアマンは映像を媒介としたテキストの構築の面白さが楽しめる稀有の監督です」

 と監督のジョン・ブアマン氏を絶賛するのは作家の佐藤哲也氏で、佐藤氏のレビューからぼくはイラー・オブ・パナマを観てクスカリバー』を観て「なにこの映像!」とブアマン監督の虜になりました。

 『イン・マイ・カントリー』は、上の作品群(やカルト的人気を放つ『未来惑星ザルドス』、『殺しの分け前/ポイント・ブランク』)のようなブアマンらしさは控えめな作品です。

 奇怪だとか実験的だと評される映像は――映画が映画であることに自覚的で、受け手にうさんくさく思われることさえ込みにした演出は――かなり抑えられています。

(もっとも『イン・マイ・カントリー』でも、夜をほぼモノクロにしてしまうような大胆なフィルタワークがあったり、後述するとおり他にも色々と面白いことをやってますが、しかし、そうした映像表現はドラマを押しのけてまで目立つような主張のつよさはありません)

 だからといって出』やら、直近に撮られた(実話原作映画という点では今作と同じなのに「ホラー」と評されもするングーンを越えて』やらのような映像的迫力でせめる作品というわけでもありません。セリフで明示的に説明することを避けて、異様なものを異様なままゴロッと提示することで観る者の言葉をうばう圧の高い筆致ではありません。

 

 しかしこれもまた彼らしい作品なのだと思います。

 ブアマン氏は劇映画の道へ進むまえ、ジャーナリストやBBCドキュメンタリー部門で働いてもいた人物です。かれはその筆力を、『イン・マイ・カントリー』において物語をなめらかに語るためへと注いでいます。ルポルタージュにしるされた膨大な証言や人物像*1は、いかにも現実らしい複雑さと散文さを持ち合わせていますが、映画*2はそれを起承転結的構成に編み直し造形しています。

 複雑な現実を扱いながらも、驚くほど飲み込みやすい。飲み込みやすいのに、呑み込みにくい。

 

 ブアマン監督であれば今作も過去の監督作のような剛腕を爆発させることだってできたでしょう。

 映画は原作に出てきたタイヤネックレス――タイヤをかぶせて燃やす南ア発祥の私刑――も映されなければ。濡れ袋――布をかぶせその上から水をかける拷問――も、それが公聴会で再現実演された*3ことも、しかも実演を求めた上院議員もまた拷問の被害者だった(彼はビニル袋窒息拷問の被害者だった *4)……なんて「『アクト・オブ・キリング』か」という状況も登場しません。

 新聞紙に排泄させ、肛門に指を箒を突き入れ反体制派の手紙を探した模様*5も。アフリカーンス語と英語複数の郵便物を送って後者にだけ爆弾を仕込み、(前者の話者でない)西欧からの神父だけを狙う暗殺の手管*6も。映画の主人公アナのモデルとなったアンキー・クロッホの自宅に脅迫の電話がかけられたこと*7も。真実和解委員会やメディアが働く市営ビルが放火されたこと*8も。

 しかしそれは、映画が悲惨を描いていないことを意味しません。

 『イン・マイ・カントリー』は、惨たらしさを克明に描き出します。たぶん映像化に向かない、でも、重要な異様をとらえようとします。

 

 ぼくはこの映画を面白く鑑賞しましたが、ぼくの感じた面白さというのは、語られる時事に対する興味深さからくるものも大きかった。

 劇中にもなぞらえがあるように(と言っても、飛ばし記事的立ち位置で、演者からも同一視を避ける声が出ていますが)、ぼくはクリストファー・R・ブラウニング氏による論文『普通の人びと――ホロコーストと第101警察予備大隊』や、ヴィクトール・クレムペラー氏の回想に基づく論文『第三帝国の言語「LTI」―ある言語学者のノート』を読むように、『イン・マイ・カントリー』を観ました。

 『イン・マイ・カントリー』劇中の真実和解委員会で明らかになるのは、殺人やレイプや拷問といった非道やその悲惨さの仔細というよりも、そうした惨たらしさをそうと思わず平然と行なうことを可能にした理論の奇怪です。

 職場(委員会や犯行跡地)と家庭(自分の家や父母の暮らすプランテーションとを往復する主人公の日々によって描かれるのは、それは例外的な過去の異界の出来事でなく、ただ単に証言によって顕在化したというだけで、委員会外のいまここにも――家族団らんの日常会話にも――浸透し、耳馴染んでいる空気であるということです。

 

 ブアマン氏がこの作品で描いたのは、奇怪で異様な事実をとらえようとする理解についてであり、その受容に至るまでの奇行や異貌であり、なめらかに言葉を尽くしてもなお捉えられない不可解さ――というか、言葉を尽くすことによってむしろ奇怪になってしまう事物のとらえがたさについてでした。

 

劇中証言からみる非道の脱臭化

 劇中の証言として取り上げられるのは、虐殺や強姦などの非道を、日常的仕事にするための脱臭化についてです。
 そもそも事件として取り上げられてこなかったという点で「なかったもの」あつかいだった非道は、真実和解委員会という席をつくってもなお、曖昧な語で言いかえられ、詳細を省かれてしまいます。

 非道をかたる加害者のことばを聞いていくと、被害者と加害者(じぶん)との距離を、あるいは自分のおこなった加害行為と自分自身とを離そうとする言い回しに例にしばしば出くわします。{「命令に従っただけ」という言葉がことある毎に聞けますが、これは恩赦の条件が(冒頭のテロップでも説明されたとおり)故意でないことも大事だったということももちろんあるんでしょうけど、その範疇にない・その一言に済まされない細部にけっこう出くわします}

 被害者はモノ扱いされることもあれば、反体制側あつかいされることもあり、(字幕にのぼらなかったり語の多義性からニュアンスが抜けたりしているけれど)動物化される場合もある。
 行為の正当化、主体の他者化もよく耳にします。国のために行なった、われわれのために行なった、自衛のため。

 字幕では一部抜けていたところだと、奴らにさせられた(force)ものとして――使役動詞受動態として非道が言い表さされることもありました。 

 

 上述した劇中の証言や展開は、(複数の証言を組み合せたり何だりという脚色はあるけれど)原作ルポ『カントリー・オブ・マイ・スカル』におおむね基づいていますが、ぼくが映画を観ながら思い浮かべたのは『第三帝国の言語<LTI>』や『普通の人びと』で紹介されたナチスドイツの人びとが交わしていた言葉や行動です。

 まあ『スペシャリスト 自覚なき殺戮者』の公開だって5年も前の時分ですから、そうした"陳腐な悪"像が扱われることはそう不思議じゃありません。『イン・マイ・カントリー』の興味深いところは、香月恵里氏が『アイヒマンの悪における「陳腐さ」について』で記したような、ハンナ・アーレント氏のあの有名な発表以後あらたな資料が発見されるにつれ妥当性が高まったアイヒマン像である"(忖度の末に)自覚的に過激に罪を犯す悪"も描いているように思えたところです。

 

 非道の曖昧化/加害対象の非人格化

 真実和解委員会の席で、「夫が連れ去られて2週間がたち、警察にたずねてみても一笑にふされた」との旨を言うソバンドラ夫人に、警察はこう答えます。

警察「ソバンドラ氏は/拘束対象でした 目障りな存在だったのです "計画しろ"と命令が」

委員「"計画しろ"? どういう意味ですか?」

警察「この種の命令の意味は/ひとつ 排除です "社会から/完全に排除すること" つまり抹殺です/他の意味はありません ソバンドラ氏を殺しました 私は ただ命令に従ったんです」

   ジョン・ブアマン監督『イン・マイ・カントリー』0:21:13~、0:21:24~、0:21:28~(字幕文から引用。スラッシュは改行)

 最後の「殺しました」は「murder」、そのまえの「抹殺」は「kill (him)」で、どちらも誰でも分かる端的な表現ですね。二つの語の使い分けは、 辞書的な区分けを見てみると前者は非合法的・意図的で、後者は必ずしも非合法ではない・(人以外にも使える)包括的な意味合いが含まれるみたい。

 簡明なその語に至るまでに、「get rid of thorn in flesh」、「make plan」、「eliminate」、「permanently remove from society」と、あれこれ味気ないもって回った言葉に言い換えられ、「殺しました」と言った後でもまた、「take out(=weblio英和辞典によれば、第一義は"物を取り出す"、第二義は"連れ出す"、第六義や俗語でようやく"殺す・破壊する"が出てくる)」などと迂回されます。
〔これは余談ですが、0:21:13の原語「The decision was made to get rid of Hubert Sobandla, He was a thorn in flesh. We were instructed to make a plan.」というセリフについて、字幕で「目障りな存在」と訳された部分は、そのように訳すのが妥当な慣用句でしょうけど、それはそれとして「thorn in flesh」は直訳すると肉の棘{=語源は新約聖書に記されたパウロの身の内の障害で、1611年欽定訳版でそう訳出されたようです。(聖書的な原義だと、パウロにとって障害だけどだからって抜いちゃダメなもの)}で、「目障りな存在を排除する」と「肉の棘を抜く」ではだいぶ印象が異なる気がします〕

 これはまさしく、原作ルポ『カントリー・オブ・マイ・スカル』のなかで著者アンキー・クロッホ氏が疑問にいだいた言い回しです。

スミス あなたの夫――あなたの夫と他の三人――を社会から抹殺するようにという指令が与えられた、という覚書のことを言われているんですか?

ノモンデ そうです。「緊急の事として、彼らは社会から永久に抹殺されるべきである……」という指令です。

スミス 公安部局に死の責任はあるが、それだと、責任を軍か警察のいずれに帰するべきか分からないというのが、査問の結論でしたね?

 

「私たちはどうしてこんなふうに、人間性を失っていくんだろう? アパルトヘイトという言葉が、急に婉曲語法のように鳴り響く!」

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』p.68、三章「より細分化され、広がっていく悲嘆の度合」内「ノモンデの泣き声は、新たな空間で永遠に鳴り響く」より

(※引用者注;「社会から永久に抹殺」は原著では「permanently removed from society」*9

彼らもまた「殺害」という言葉を口にしなかったが、「障害物を取り去る」とか「場所を清める」といった婉曲表現を用いた。

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』 p.71、三章「より細分化され、広がっていく悲嘆の度合」内「黒人狩りをする黒人ギャング団」より。

(※引用者注;「殺害」は原著では「killing」、「障害物を取り去る」は「to remove obstacles」、「場所を清める」は「to purify the fields」*10)

ジャーナリストや弁護士、犠牲者、聴衆は、プレトリアの恩赦委員会の開催会場のロビーに入っていっても、彼らには近づかない。私たちはみんな知っている、彼らが実行者だということを。彼らにとって殺人は、「除去する(eliminate)」「取り去る(remove)」「取り除く(take out)」という、お役所風の淡い色合いなど身に着けてはいなかった。彼らの任務は、スピーチをすることでも書類の入れ替えをすることでもなかった。彼らの任務は人を殺すことだった。

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』p.124、八章「罪はおのれの全責任とともに揺れ動く」内「どの話のどの部分に真実は身を隠すのか」より 

 

 また、かれの「計画」からは、そのディテールが省かれており、委員からつっこみが入りもします。(「37回も刺突したのはなぜ?」と)

 

  (脱線)第三帝国での類例

 こうした味気ない言い換えを聞いて思い出すのは、ナチ政権下ドイツの言葉づかいについて記したヴィクトール・クレムペラー氏の本『第三帝国の第三帝国の言語「LTI」―ある言語学者のノート言語』の一節です。

 加害する対象が人間であることから目を向けないようにすること、行為を抽象化すること。
  これを第三帝国は(というか指導者は)市民に求めたのだとクレムペラー氏は推察します。

 師カール・フォスラーが戦前に憤慨しかれも戦中になってからその語のおそろしさに気づいた「人的資源」という表現や、ベルゼン強制収容所の付き添い婦が軍法会議で説明する「十六"個"の囚人とかかわり合った」という数え方などについてクレムペラーは端的に考察すると、つづけて、簡便な母国語があるにも関わらず商人用語かつ外来語で言い換えられた「殺した」に紙面を割きます。

 そしてそこで取り上げられた語の一つ「liquidieren」を、別項で別の角度からまた触れます。

フランスのレジスタンスに対しては、しばらくの間は規則的に、これこれの数の人々がniedermachenされ(打ち殺され)たと言われる。

(略)

 ところがそれから毎日読む記事は、これこれの数の人々がliquidierenされ(粛清され)るというのである。このliquidierenという単語は商人用語であって、外来語としてその都度それにふさわしいドイツ語よりは、なお一段と冷たくて事務的な言葉であった。 

(略)

人間が粛清されるとは、まさに物的価値のように処理されるか整理されるかである。
 強制収容所の言語では、あるグループが射殺されるかガス死へと送られる場合には、der Endlösung zuführenされる(最終解決へ持っていかれる)と言った。

   法政大学出版局刊、ヴィクトール・クレムペラー『第三帝国の言語<LTI>』p216 (略は引用者による)

  外来語の合理的な使用のための非常に簡単な規則が立てられる。(略)外来語は、それに代わるドイツ語の十分にして簡明な代用語がない場合にのみ用いよ、この場合にはしかし用いるのだ、である。

 LTIは両側に向かってこの規則に違反している。

(略)

LTIはだいたいドイツ語にされたものを用い、あるときはLTIは何の苦もなく外来語を使う。
(略)

そして粛清するを意味するliquidie-renの代わりにはtöten, morden, beseitigen, hinrichtenなど、こんなに恐ろしいほど多くのものが自由に使える。
(略)

ヒトラーがひどく確実に知っていて、勘定に入れていることは、つねに、考えることをしないで、思考不能の状態に保たれるべき大衆の心である。外来語は厳かな印象を与える。それも外来語が理解されなければされないほど、いっそうなのである。それが理解されないという点で人を惑わし、ぼんやりさせるのであり、まさに思考の声を打ち消すのである。

   『第三帝国の言語<LTI>』p368-369(略や注は引用者による)

 

 またクリストファー・R・ブラウニング著『普通の人びと――ホロコーストと第101警察予備大隊』を開いてみると、こうした"言っていることとやっていることとのギャップ"にさらに驚かされます。

 『イン・マイ・カントリー』の「take out」にも通じるような「死」の言い換えであり、『第三帝国の言語』で取り上げられた(ユダヤ人を)殺す=死へ連れ出す隠語であるところの「(最終解決へ)持っていかれること。これについて『普通の人びと』では別のことばで言い換えられたうえで仔細を詳しく描いています。なんと「再定住」*11

 『普通の人びと』では、「処刑」についても言い換えがあります。

 「特別行動」と表すことで「普段おこなう護送任務の延長線上にあるものだろう」と思わせたり、それから時を経たとある部隊のように「通常通り行動するように」と表されることもある。

総督府において最終解決が止むを得ず小休止となったとき、第一〇一警察予備大隊はルブリン管区に到着したのである。一九四二年六月二〇日、大隊はポーランドにおける「特別行動」の命令を受け取った。この「特別行動」の内容は命令書に書かれていなかったが、隊員たちは護送任務につくのだろうと思い込むように仕向けられた。

   筑摩書房刊(ちくま学芸文庫)、クリストファー・R・ブラウニング著『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』p.101、6「ポーランド到着」より(97年刊旧版『普通の人びと――ホロコーストと第101警察予備大隊』p.86)

ヴォーラウフは部下に、通常通り行動するようにという他は、銃殺について何も言わなかった。――通常通りということは、間接的に、隠れようとしたり逃げようとした者、歩けない者はその場で射殺せよという意味で理解されていた。(略)近くの丘の上の機関銃座から作戦展開を観察できたケラー軍曹にとって、ヴォーラウフは「再定住」とだけ述べたのではあるけれども、セロコムラのユダヤ人が射殺されることになっていたことは明らかであった。

   『増補 普通の人びと』p.165(97年刊旧版p.150)、11「トレブリンカへの八月の強制移送」 (略は引用者による)

 処刑について、ただ単に語が言い換えられるだけでなく、その内容も捉え直されていることがわかります。将校が気にするのは、その進捗についてです。

ドイツ人将校たちは、この任務を一日で終わらせるためには処刑のペースが遅すぎることが判明するにつれて、徐々に心中穏やかではなくなってきた。「繰り返し報告がなされた。『うまくいってない!』とか『進み方が遅い!』というように。」

   『増補 普通の人びと』p.115(97年刊旧版p.98)、7「大量殺戮への通過儀礼――ユゼフフの大虐殺」より

  その模様をつたえるようすは、まるで在庫管理の記録のよう。

ミェンジジェツの「中継ゲットー」は、ラジニ郡の幾つかの町から、コマルフカやヴォンからは直接、チェルミニキからはパルチェフ経由で、九月と一〇月に、移送されたユダヤ人によって「再補充」された

   『増補 普通の人びと』p.175~6(97年刊旧版p.159)、12「強制移送の再開」より 

 

 非道の曖昧化/仕事として

 映画劇中ふたつめの会場でひらかれる真実和解委員会の焦点となるのは、電気による拷問です。ここで加害者の警察官は、全裸にし水をかけるなどの拷問の流れを説明し(すでにこの時点で興味ぶかい。「We used those little portable generators.」はまだよいとして、そこからは「You make the subject get undressed.」みたいな感じで、主語が自分でなく、説明書を読み上げるみたいになります)、そうした非道をはたらいた理由について、辱めたいからではなく、「伝導率を高めるため」と語ります。

(被害者からの批判を聞いて「電気技師ではないから、後遺症が残るとは知らなかった」と弁解します)

  (脱線)第三帝国での類例?

 ここでもぼくは、『普通の人びと』をすこし思い出しました。すでに取り上げた、非道を仕事と言い換えるマインドセットのにおいもありますが、それとは少しちがう観点です。

 ……いや思い浮かべただけで、実際にはだいぶ違う気もするんですが、面白い話なのでついでに書いておきましょう。

 ナチスドイツ軍人による銃殺仕事、こわいですよね、ひどいですよね。

 でもこれって、試行錯誤をかさねたうえでの、そしてさらには医学的知見を仰いだうえでの実地的・学術的にただしいノウハウであり。そして、従事するにあたって事前に講習だってなされもした、専門的作業としての側面があったのです。

特に大隊の医師であるシェーンフェルダー博士はよく憶えています。博士は、犠牲者を即死させるために、我々がどのように射撃せねばならないかを詳しく説明しなければなりませんでした。私は正確に思い出すことができますが、説明のために博士は人体の輪郭を描きました。少なくとも肩から上は描いたと思います。そして博士は、ライフルに固定された銃剣をあてるべき箇所を、狙いをつける目安として正確に指し示しました。

    『増補 普通の人びと』p.110(97年刊旧版p.94)、7「大量殺戮への通過儀礼――ユゼフフの大虐殺」より

  このような講習がおこなわれたのはなぜか?

 「正しい」処刑法を知らない者による間違った処刑は、血や肉片が飛び散って処刑者や同僚たちに心理的ストレスを与えたためです。

 第一中隊と対照的に、第二中隊の警察隊員は執行方法について何の講習も受けていなかった。最初、銃剣は照準の補助として取り付けられていなかった。そこでヘルゲルトが供述しているように、「犠牲者を不必要に傷つける」「かなりの数の誤射」があった。ヘルゲルトの指揮する部隊の警官の一人も同様に、正確に狙いをつける難しさに言及している。「最初我々は自由裁量で撃っていました。高く狙いすぎると、頭蓋骨は全部破裂してしまいました。その結果として、脳髄と頭骨が至るところに飛び散ることになったのです。そこで我々は、銃剣を首の上に当てることを教えられたのです。」

    『増補 普通の人びと』p.116(97年刊旧版p.99)、7「大量殺戮への通過儀礼――ユゼフフの大虐殺」より

(それでもやっぱり心理的な負担が大きかったので、ポーランド人に実行を外注するようになったりもしました)

 また、この処刑は"慈悲の一撃"とも呼ばれていたそうです。

 なんと処刑にかかるこのプロトコルは、処刑対象のためを思ってのことでした(という正当化がなされました)。加害対象が過度に傷ついたと知りうろたえた『イン・マイ・カントリー』の拷問者が重なって見えなくもな……いやあ無理くりですね……。向こうは加害者のストレス軽減のために、こちらはより拷問の効きがよくなるように(=加害者のストレスも大きくなりそうな方向に)ノウハウが培われていったわけで、すくなくとも劇中のこれとナチスのあれとを一緒にはできません。

{ただ個人的には、そもそも電気拷問という所業自体がプレッシャーが少なそうだと思います。

 プラグを当てれば効果が発揮できるうえ、感電で震えるようすも見た目はそこまでひどくない。「自分はいま被害者に不可逆的な損傷を与えている」とは、感触的にも見た目にも実感しにくそう。

 これと、殴打したり手足を切断したり殺したりするのとでは、やっぱり前者のほうがプレッシャーが少なそうだとは思います。原作ルポでも、死体を埋めたり野犬に食べられるのにまかせていたことについて、「焼くのは(全焼まで8時間かかるそう)心理的につらかった」という旨の話が出てもいました}

自分が銃殺に加担しなくても、いずれにせよユダヤ人の運命が変わることはなかっただろうという安易な合理化に加えて、警官たちは自分の行動に対して別の正当化を編み出した。なかでも、おそらく最も驚くべき合理化は、ブレーメンハーフェンから来た三五歳の金属細工職人であった。

私は努力し、子供たちだけは撃てるようになったのです。(略)なぜなら私は、母親がいなければ結局その子供も生きてはゆけないのだと、自分で自分を納得させたからです。いうならば、母親なしに生きてゆけない子供たちを苦しみから解放(release)することは、私の良心に適うことだと思われたのです。

 (略)ここで「苦しみから解放する(release)」といわれている言葉のドイツ語はerlösenであり、宗教的意味に用いられると、「救済する(redeem)」あるいは「救い出す(save)」ことを意味する(略)。「苦しみから解放する」者は救済者(Erlöser)‐救世主(the Savior)ないし救い主(the Redeemer)なのである!

   『増補 普通の人びと』p.128~9(97年刊旧版p.115)、7「大量殺戮への通過儀礼――ユゼフフの大虐殺」より

ドリュッカーの第二中隊所属第二小隊には、ジュッタとハーリーと呼ばれた二人のユダヤ人の炊事人がいた。ある日ドリュッカーは、ここを出発しなければならないので、彼ら二人を射殺するしかないと述べた。警官たちはジュッタを森に連れて行き、話に夢中にさせておいて後から射殺した。そのすぐ後で、ハーリーはイチゴを摘んでいるところを後から拳銃で頭を撃たれた。(略)一九四二年頃には、ドイツ人‐ユダヤ人関係の標準とされていたものは、これから殺されるという精神的苦痛を与えない迅速な死であり、それが何と人間的思いやりの模範だと考えられていたのであった!

    『増補 普通の人びと』p.、7「大量殺戮への通過儀礼――ユゼフフの大虐殺」より(中略は引用者による)

 

 加害対象の動物化

 先述したとおりソバンドラ氏に対して警察はかなりひどい攻撃をしていたのですが、委員からそこまで攻撃した理由について問われた警察がにやつきながら返したことばも興味深かったです。

字幕「激しく抵抗を」

原語「Hubert fought like a tiger.{私訳;ヒューバート(=被害者の名前)は虎のように格闘したので}」

   『イン・マイ・カントリー』0:22:08(原語は聞き取り)

{これはあんまりにもあんまりな比喩なので、つづく「心臓病で/薬が手放せぬ者なのに?」0:22:09と訳された委員の返事のなかでも触れられていました。(原語「How doesn't men with a heart condition fought like a tiger?」)
 
 そうした動物化は、劇中ではじめて出てきた告発のなかにも登場します。

 ビン詰めされた人の腕について被害者の母が訊ねる。

彼は答えたそうです/"うすらバカの手だ" "反体制者の手なのさ"と

he answered "It's a baboon's hand, a bottled hand of a Communist." 

   『イン・マイ・カントリー』0:18:58(字幕より。原語は聞き取り)

 「baboon」は第一義でヒヒのことで、転じて粗野なひと、醜いひとのことを指すそう。

 シマウマの絨毯を複数枚も敷き、ヤマネコやジャッカルやイノシシの剥製をいくつも壁に飾った屋敷。そこで暮らすブレンダン・グリーソン演じる白人上官えらい人デ・ヤーガー大佐も、また、自分が乱暴してきた人々を動物にたとえています。

 拷問を受けて死んだ同胞エディが、少年か少女か不明な姿で発見されたことにたいして、

「"恋愛と戦争では手段を選ばない"と格言にもあるだろ(私訳。字幕では「戦争は"何でもあり"さ」。西洋圏のことわざで、初出とされるのは、エリザベス朝英国の作家ジョン・リリーの作の一節)」0:44:07

 とうそぶいて、「恨んではいない」と訳出されたセリフの中で、たぶん。

 ここの原語は、聞く限りだと、

I don't hold it against them and other dog.(私訳;奴らも他の犬も俺は恨んでない)

   『イン・マイ・カントリー』0:44:04~(原語は聞き取り)

  なのです。 

 

 行為の正当化/主体の否定化(自衛のための/使役動詞としての非道)

 非道をおこなった経緯について、相手から暴力を振るわれたための自衛だったという証言が散見されます。

 すでに述べた、ヒューバート氏から「虎のように格闘fought like a tiger」されたので暴力がエスカレートした警察もその一例です。「トラのように格闘」は原作ルポにおけるリチャード・ムタセ氏家族を襲ったポール・ファンヒューレン氏の証言から採られたもので、このさい著者のクロッホ氏は「fought」に注目しています。

「われわれはリチャード・ムタセと『格闘した〔fought〕後』とーーまるでそこに競技に匹敵する何かがあるみたいに。

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』p.121、八章「罪はおのれの全責任とともに揺れ動く」内「どの話のどの部分に真実は身を隠すのか」より 

 

 ほかにも、白人で警察のえらい人デ・ヤーガー大佐は、米国黒人記者ラングストンにアパルトヘイトの必要性を聞かれ、こう答えます。

字幕「テロ続きの社会では/普通の法は無力だ」」

原語「When you're under constant attack from terrorists. normal rules are no longer bright.(私訳;※テロリストから攻撃に絶えずさらされ続けたら、もはや普通の法の光は及ばない)」

  (字幕で訳されなかった所として、デ・ヤーガー大佐は続ける)

 原語「you have to do what you have to.(私訳;なさねばならぬことをなす必要がある)」
 (※ここの「テロ(テロリスト)」という表記は重要で、デ・ヤーガー氏は、ラングストンがアパルトヘイト時の反体制派武装勢力)について「ゲリラ」0:43:05と称するや否や、「テロリストだ」0:43:09とすぐ訂正を入れている) 

   『イン・マイ・カントリー』0:42:46~より(原語は聞き取り)

 映画の中盤で、白人家族を地雷で殺した黒人たちが、そんな非道をおこなった理由をこう話します。

字幕「平和的な共存を/連中が拒否したから――」

原語「We tried peaceful means many years, but they never listened to us.(私訳;われわれは平和的な手段を永く試みたけど、奴らは聞く耳を持たなかった)」 

 

字幕「実力行使に出たのさ」

原語「they forced us to take up a gun. (私訳;奴らがわれわれに銃を取らせたのだ)」

   『イン・マイ・カントリー』0:56:07~ 原語は聞き取り

  (脱線)第三帝国での類例

  ここで思い出すのは、第二次大戦下の大ドイツの新聞やラジオ放送で発せられるも普及しなかったcoventrieren(コヴェントリーのようにする)という動詞や、自国ドイツと敵国イギリスの空爆との表現にちがいについて書いた『第三帝国の言語』の一節です。

コヴェントリーはイギリスの「軍需生産中心地」であった――まさにそのものずばりで、ここに住んでいたのは軍関係の人々だけであった。というのはわれわれは、どの報告書にもあるように、原則的にはただ「軍事上の目的地」のみを攻撃したし、「報復」しかしなかったし、イギリス人とは違ってよこしまなことは断じてなかったのである。イギリス人というのは、空襲を始めるとなると、さらに「空の海賊」として主として教会や病院を爆撃したのである。

   『第三帝国の言語<LTI>』p183

 あるいは、『普通の人びと』のこんな事例。

トラップ少佐はあの早朝の演説で、ユダヤ人を敵の一部だとする、流布されていた観念に訴えたのである。彼は、ユダヤ人の女性や子供を射殺するときは、敵がドイツを空爆し、ドイツの女性や子供を殺してることを思い出すべきだ、と述べたのであった。

   『増補 普通の人びと』p.130(97年刊旧版p.116)、8「大虐殺の考察」

ホフマン大尉――彼は一六歳でギムナジウムのナチ組織に、一八歳でヒトラー・ユーゲントに、一九歳で党と親衛隊に加入した――は、政治的、イデオロギー的要因を常套的な手法で否定しようとした。「私の一般親衛隊への加入は、当時親衛隊が純粋に防衛的団体とみなされていたという事実によって説明できます。

   『増補 普通の人びと』p.244(97年刊旧版p.222)、17「ドイツ人、ポーランド人、ユダヤ人」

 

 

非道を伝える/捉える言葉の異様化

 真実和解委員会で語られた「事実」は、メディアを通すによってさらに奇怪になっていきます。

 『イン・マイ・カントリー』でフォーカスされるメディアは二つあり、アフリカから遠く離れたアメリカはワシントン・ポスト紙の黒人記者ラングストンによる報道と、そして主人公・詩人である地元白人記者アナによる報道のふたつです。

 

 ラングストンの報道は、はじめは落ち着いた調子でしたが、視聴者の遠さゆえにそして扱いの小ささゆえに、センセーショナリズムに走ったりしてしまいます。

 

 もう一方のアナはどうかといえば、取材対象との近しさやアナの感性の繊細さから、母国の伝統や宗教的装飾あるいは自身の詩情によって美化に走る傾向があります。彼女は徐々に事態の重さを受け止めていきますが、それはそれで別方向の奇怪へ変じていきます。

 彼女は次第に距離感を保つことができなくなり、終盤では公共的な事実をひもといていく記者というよりも隣人との日常を見落としていた一個人として、一対一の対決をしていくこととなります。

 

 外国黒人記者の報道;必要悪的誇張にも本音が

 真実和解員会を取材した米国ワシントン・ポスト紙の黒人記者ラングストンのおそらくはじめての口述は、

字幕「警察による処刑の実態が/次々と暴かれ――  制度の暗部が浮き彫りに…」

原語「Severed hands, graphic accounts of assassinations by Security Police marked testimonies today, as the country faces」

   『イン・マイ・カントリー』0:23:52(/は改行。原語は聞き取り)

  というものでした。

  映画中盤でラングストンの記事が7面の底に小さく載ったことにたいして、かれが「警察による虐待は/身近な問題だろ すまん うっかりしてた 犠牲者は どうせ黒人さ!」*12と憤慨したことから察するに、すくなくとも取材はじめのほうにラングストンが書いた記事は、先述した口述報道(0:23:52~)のように、とくべつ煽るような内容ではなかったんじゃないかと思われます。

(たとえ白人と黒人とのあいだにある権力構造や、警察の腐敗を批判する意図があろうとも、出てくる言葉は抑えたものであったのではないかと)

 

 さて、ラングストンがつぎに手掛け一面をかざることになる記事はどうかといえば……

"命令だ"と自らを/正当化したナチス

南アの罪人たちも/同じ弁解をした

人間は制度さえ許せば/こんなにも残酷になれるのか

"南アのホロコースト" "大虐殺" "この国の白人は/全員が犯罪者である"(※引用者注;「大虐殺」の原語は「genocide」)

   『イン・マイ・カントリー』0:52:00、0:52:06、0:52:10、0:53:08 字幕より。/は改行

 ……といったセンセーショナルな文章が並ぶようになります。

 下項「(余談)」でふれたとおりこれはかなり踏み込んだ表現で、ラングストンを演じたサミュエル・L・ジャクソン氏もインタビューのなかで「あのなぞらえは妥当とは言えない」という旨のことを言うくらいです。

  (余談)今作でのホロコーストやジェノサイドという語の報道使用は考証的に妥当か?

「"ホロコースト"や"ジェノサイド"という語を報道で使用することが、どの程度妥当なものか?」

 ここまで読んでくださったかたのなかには、そのような疑問をいだかれているひともいるかもしれません。

 『イン・マイ・カントリー』公開から遡ること2年まえ*13高木徹氏が2002年に著した『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』によれば、その語は扱いが難しく、公言することがためらわれるものだったはずだからです。

 (『イン・マイ・カントリー』劇中年代95~96年から少し遡った)92年ごろボスニア紛争のさなか、ボスニア側に雇われた米国PR会社ルーダー・フィン社が政敵であるユーゴスラビアの行いをナチスになぞらえ"ホロコースト"という語をもちいたところ、ユダヤ人社会からの反発を買ってしまい、以後その語で形容することを避けるようになりました*14。"民族浄化"という語はいまでこそ人口に膾炙していますが、世界規模のメディアに登場した当初は、"ホロコースト"を使えないルーダー・フィン社による苦肉の策だったのです。

 一方、ボスニア紛争でNYのタブロイド『ニューズデイ』紙の一面を飾ったオマルスカの『死の収容所』報道を現地取材なしの又聞きで書いた(そしてその記事でピュリッツァー賞を受賞した)ユダヤ系記者ロイ・ガッドマンは、

「われわれは、記事を書くのに"package"が必要だからね。強制収容所はそれにぴったりだったんだ」

「自分の記事が早く出れば、より多くの囚人の命が助かるかもしれない、と思ったんだ」

   高木徹『ドキュメント戦争広告代理店』(講談社文庫)p.213、p.217

 と答えていることも、高木氏は取材しています。

 

 つまり、何かをナチスになぞらえ"ホロコースト"の語で括ることは、熱の入った記者のごくまれに出てくる飛ばし書きとしては、そうおかしな語ではない……という風にも取れます。

 『戦争広告代理店』に載っていたユダヤ系社会の反発と、『イン・マイ・カントリー』劇中でそれになぞらえられた地元白人アナの反応は、立場こそ違うけれどよく似ていて、なかなか興味深かったです。

 

 

 地元白人記者の報道;行為の美化と口をつぐむ惨さ

 アナのモノローグは、同じブアマン監督『ラングーンを越えて』を超える、詩情あふれるモノローグで。真実和解委員会で証言される、息子のものも含めて無数の黒人の腕が瓶詰にされ飾られた警察署についての話や、全裸にした老夫の股間にプラグを差して電気拷問されたりなどの過去。これらを涙ながらに語るひとびとを見てアナが思い描くのは、

よそいきの服で集う人々 母親たちが 妻たちがー 悲嘆を吐露しにやってくる 真実は女性の姿 とても身近なのに/誰も知らぬ女性の姿

   『イン・マイ・カントリー』0:19:30~0:19:42 字幕より

  だとか、

最後の審判に臨む/魂たちのよう 人々は声をあげる 次々と過去を語る 教室に座り/じっと耳を傾ける私たち 歴史の授業よ 陰惨な過去を暴く/歴史の授業

   『イン・マイ・カントリー』0:30:48~0:31:02 字幕より

  だとかといった大仰なもので、そうした内心を走らせるアナの(ときに彫像のような)姿も、明暗の強い古典的に美しい上にゆったりと優雅なカメラワーク・尺によるショットで捉えられています。

{こうしたノローグ自体は原作のアンキー・クロッホ氏による地の文の時点で存在します。しますが映画のアナは、アンキー氏に比べて裏を見てこなかった純朴な現地白人という色を強めているように思います。

 そうした印象をまず持たせるのが、映画冒頭の真実和解委員会開催にさいして開かれた記者会見の一件です。

 原作のクロッホ氏が委員会メンバー構成から恩赦の対象となるタイムスパン決定に窺える各政党の思惑など生臭いところまでふくめて詳細に描いているところの、会自体の甘さ・白人側への都合のよさ。これについて映画『イン・マイ・カントリー』では、劇中記者の一人から詰問の弾がはなたれるも、映画の主人公アナが「ウブントゥですよね?」と、取材をする記者というよりも委員の側に立って、委員らに都合のよいような(=余所者である前質問者を門前払いするような)質問にならない質問をして出張る場面があります。

 

 だからといって映画のアナは、無知というわけではありません。

 たとえば実家で働く老いた黒人が真実和解委員会に登壇し、むかしながらの名乗り口上をするシーン。ここでアナは米国人記者ラングストンにその歴史的民族的経緯を説明しますが、この口上は原作ルポにおいてはアンキー氏にとってなじみのないヨソの古い伝統で、口上をした赤の他人の首長や通訳者からどういったものなのか教示をうけたことでした*15。その点で映画のアナは、郷土愛のつよい純朴な人です}

 

 そうしたアナの物語に水を差すのが、彼女の相棒ドゥミの存在です。

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 被害者家族と加害者の証言のあまりのむごさにアナが泣き退席したあと、彼女以外の観衆がエスニックでスピリチュアルなエモい歌{劇中では説明されませんが(そして説明しない距離感がよいと思います)、この歌自体もこの時空間ならではの♪『senzeni na, senzina na...(私たちが何をしたっていうの? 私たちが何をしたっていうの? 私たちのたった一つの過ちは肌の色)』というなかなかすごい歌です。}を歌うなか、米国黒人記者ラングストンが「なんでみんな泣いてないんだ?」と疑問を浮かべる。それに対して、ドゥミは口角をあげてこう答えます。

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よくある話だからさ/涙は もう涸れた

   『イン・マイ・カントリー』0:23:15 字幕より

  だれも泣かずに声もふるわせずにスピリチュアルな歌を歌えるほどにありふれた真実。(ただし映画はそこで終わらせずに、ドゥミの瞳をよくみれば潤ませることで、彼のことばと見た目とを更に多層的にしている)

 黒人たちは、放牧や農作業、洗濯物をしながらアナのラジオ報道を聞きます。アナの家庭で家政婦をしているらしい黒人女性こそ「もうたえられない」とばかりに報道の途中でラジオの電源をオフにしますが、そのほかの黒人たちは、番組によって立ち上がったり一瞬手を止めたりするものの、オフにすることなくラジオを流し続けます。

 アナとバックグラウンドの近いだろう、ラジオ局のプロデューサーである年上の白人女性も、放送内容について笑顔でほめたりなんだりしてきます。(渋い電話をよこすこともありますが、それは証言内容に放送禁止用語が使われていると聞き間違えたからで、何にしてもただの仕事でしかありません)

 

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 「歴史の授業」のほうのモノローグでは、ドゥミは「アナ バスが出ちまうぞ」0:31:07と大声をあげることで、詩情を走らせるアナの姿を相対化します。

{ここのアナの感傷は、陶酔と言いたくなるくらい凄まじいものがありました。

 真実和解委員会の傍聴席のおわりから「最後の審判に臨む~」と始まった彼女のモノローグは、場面転換し閉会後で証言者が一輪車で去ってカメラからもフレームアウトしてもなお続き(フレームインしたアナのようすがナカナカすごい。証言者を追いかけ更なる取材するわけでもなく、ただ大地に佇み「じっと耳を傾ける私たち」と心の中で唱えます)、取材陣もバスが出発しようというなかでも続きます。

 アナは0:30:55で会場外の校庭で立ち止まってからというもの、0:31:30ごろまで眉間に皺をよせた物思いにふけった顔で微動だにしなくなります。そしてそこから更に数分、カメラにその横顔を向けつづけます}

 

 ジョン・ブアマン監督はアナの美しい語りを美しく彩ります。そうすることで、アナが装飾できない異様のむごたらしさをも準備します。

 さて、「真実は女性の姿」とのアナの詩情にボイスオーバーされる証言者ソバンドラ夫人にはモデルがいることが、原作ルポを読むとわかります。ノモンデ夫人が彼女のモデルで、彼女も「社会から永久に排除(permanently remove from society)」の対象とされたために*16、心臓病持ちの夫が連れ去られたまま帰ってこない*17女性です。ノモンデ夫人が仰向けに倒れ叫び*18公聴会は一時休廷となり、『senzeni na, senzina na...(私たちが何をしたっていうの? 私たちが何をしたっていうの? 私たちのたった一つの過ちは肌の色)』が歌われ*19、女性記者も泣いてしまう*20

 ノモンデ夫人の泣き声は、原作ルポの著者クロッホ氏が「真実和解委員会がどんなものかという決定的瞬間」と語る姿です。どんな模様か引用してみましょう。

「私にとって、このときの泣き声が真実和解委員会の始まり――テーマ曲、決定的な瞬間、プロセスがどんなものかという究極の響き。彼女は色鮮やかなオレンジ・レッドの服を着ていて、しかも仰向けに身を投げ出して、あの声……、あの声の調子……、それはずっとずっと永遠に私に取り付くはずよ。」

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』 p.66、三章「より細分化され、広がっていく悲嘆の度合」内「ノモンデの泣き声は、新たな空間で永遠に鳴り響く」より

 一見映画のおなじ場面ですが、大きく異なるところがあります。現実の女性が色鮮やかなオレンジ・レッドの服を着ていたのに対して、映画のソバンドラ夫人は――そして「よそいきの服」とのアナの詩情にボイスオーバーされた最初の証言者も、どちらも――鮮やかな水色のドレスに身をつつんでいるのです。

 『イン・マイ・カントリー』が描き出すのは、青のコントラストです。

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 アナの詩情でまとわせられた「よそいき」の鮮やかな青いドレスの女性と。アナが言葉をつぐむしかない――男の無骨な犯行回顧がボイスオーバーされる――くすんだ灰色じみた青いゴミ袋を身にまとった、少女かどうかもわからない灰色の死体とのコントラストです。正反対の色相ではなく、同色相のなかの――それも、並べてみてようやく違いがわかる程度の――対比。これが『イン・マイ・カントリー』のえがく世界なのでした。原作ルポで語られた青いビニール袋の挿話を、映画はきっちりと引いたうえで映像化しました。

 青いビニール袋が骨盤を取り囲んでいる。「あっ、そうだ。」墓場案内人が思い出す。「彼女を裸のままにしてたんで、一〇日後に彼女はこんなパンティをこしらえましたよ。」彼は軽蔑したふうにひひっと笑った。「ほんと……、彼女は勇敢だった。」

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』 p.176

 

 

 地元白人記者の報道;激しい怒りと孤立、抑うつ

  初回の取材では泣いて委員会から退出したアナも、しばらくするとラジオ報道を「何番から何番の順でテープを流して」という風に無表情で、あるいは椅子に片膝たてたリラックスした姿勢でさばけるようになります。

 映画を観ていくにつれ、それは彼女が慣れていったためなのもあるんでしょうけど、それ以上に平衡をうしなっていっているからだとわかってきます。取材対象となる事件がどんどんエスカレートしていくので、そのたびに泣かされていき、自家用プールで子供たちがはしゃぐ横でのティータイムも、アナはそのことで悩まされます。

警察の公安部が/拘留中の女性をレイプしたの

政治的な手段としての/レイプは正当?

   『イン・マイ・カントリー』0:50:55、0:51:05 字幕より。/は改行

 こんな話題を、ティータイムで集まっただけの子どもの保護者へ振ってしまう。

 ティータイムになされる世間話は、電気柵の設置にかんしてや、医師の海外移住にかんしてです。これはおそらく、真実和解委員会で出会った電気プラグによる拷問や、医療もうけられず不具や死体になった人との対置でしょう。

 アナは日常から孤立していきます。

 

 そして先述した黒人記者ラングストンの白人糾弾記事。アナは否定し怒り、逆ギレ肯定し、動揺しながら取り繕い、そして落ち込みながら「あなたが正しい」と認めます。認めたことでさらに平衡をうしなってしまう。 

「知らなかったの」

「知っていた、でも細部の具体例までは……」

 ラングストンとの口論のなかで、そう述べます。アナの返事は、電気プラグによる拷問をおこなった警察の証言とも似た響きです。

 事件やラングストンの記事へアナがとった否定的反応は、おそらく真実和解委員会や原作者アンキー氏の報道に寄せられた普通の現地白人の反応をなぞっているのではないかと思われます。そしてそこからのアナの心の推移もまた、原作ルポに登場する識者(精神科医ショーン・カリスキーやステレンボッシュ神学校教授ピット・メイリンp.225)が連想した、エリザベス・キューブラー=ロス氏による死の5つの受容過程に沿っているのではないでしょうか?

 フリーステート州のあるコラムニストはこう書いた。「それ相応の反感で真実和解委員会を拒絶しよう――委員会は確証のない証言に基づいて、アフリカーナーをすべての悪の見せしめとして描こうとしている。確証のない証言が<ボーア人嫌い>の真相になった。」

 「あきらめることはない」とカリスキーは言う。「人が『これらは真実ではない、偏見だ』と言わずにおれないと感じるのは、真実和解委員会との関係の最初の段階を示している。以前、人々は何も言わなかったが、今では少なくとも情報を否認している。」彼は末期症状の患者が経験する五つの段階についてふれた。事実の否認、激しい怒りと孤立感、交渉・取り決め、意気消沈、そしてついには受け入れが生じる。

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』p.178

 ラングストンへそして彼の記事にたいして大声で迫ったあと(=事実の否認や激しい怒りと孤立)、知っていたが全てではないと戦線をいじり(=交渉)、退席したあとの気落ちし(=意気消沈)、ラングストンに「あなたが正しい」と言う(=受け入れ)……ぼくにはそのように読めます。

 そしてこの5つの過程は、記事をめぐる反応だけではなく、最後の大一番となる農場の秘密拷問所フラクプラースについてでもうかがえます。

{フラクプラースについて聞かされたであろうアナはラングストンに「聞いたことないわ。本当にあるの?」と存在に疑問をていし(=事実の否認)、委員会を退くデ・ヤーガー大佐にひとり叫んだり・弟の厩に立ち入るのをしり込みし(=激しい怒りと孤立)、弟へ涙ながらに質問し・葬式の場でも母とふたり家にこもって黙します(=意気消沈)}

 ひいては真実和解委員会一連のできごとをめぐるアナの暮らしにも当てはまりそうです。

 さてラングストンを肯定し自分の不備を認めその場は収まったアナでしたが、彼女の混乱はつづきます。真実和解委員会がここで収まらず、加害者被害者の関係が複雑化するのと同じように。

 アナは真実和解委員会へ途中入場するようになります。そして、傍聴席で見ず知らずの隣人に証言内容を揶揄してゲス極まりない深い豊齢線を刻みつつも瞳に喜色はなく、周囲をギョッとさせる笑い声をあげ、さらには立ち上がって証言に割り入って茶化した質問をし、かと思えば少女のように不安げに泣き、ラングストンに肩を抱かれて退席したりする。

 原作ルポにもこの奇行は出てきますが、『イン・マイ・カントリー』は、視聴覚芸術としての強みを活かして、アナの異貌をその奇行を見事に描き出しています。

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 アナが取り乱した例は、黒人反体制派による白人家族をも巻き込んだ地雷テロでした。ここまででアナがなんとか受容した状況(=白人官憲から黒人への暴力、白人民間人としてそれを等閑視していたこと)とはまったく異なる事態です、混乱も無理もない。ないが、しかし、そうした物語的な道理や理屈を超えて、アナの顔に浮かぶなんとも形容しがたい異様は、観ているぼくをギョッとさせ、不快にさせたりシンパシーを覚えさせたりやっぱり不気味に感じさせたり……と(このブログ記事で先述したような)お行儀のよい理解を阻んで心をかき乱します。

 

 アナの孤立はより一層きわまって、家庭のなかでも居場所がなくなったことが目に耳にわかるかたちで描かれます。

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 前半・真実和解委員会の第1回参加後の帰宅シーン*21では、明るく暖かな家族との触れ合いが文字どおり描かれています。末っ子が出迎えてきて抱きつくのでその場でだっこし、家政婦と会話し荷物をわたし、書斎からペンを動かす手を止めて離席し歩み寄ってきた夫とハグとキスをかわし、喧嘩で泣いている次男の鼻血をぬぐい、長男からのキスをおでこで受け……と、家族全員とのボディコンタクトがありました。

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 対して、それとほぼ同じカメラワーク・同一構図の繰り返しによって描かれる中盤の帰宅シーン*22はどうでしょうか。こちらでは、アナの文字通りの孤立が映し出されます。

 委員会が終わってすぐ帰ってきたわけではないのでしょう、アナたちの家は日中とちがって黄みがかった白い電灯で染まって、色相の幅が狭まっています。カメラは一度目の帰宅シーンよりも引いた位置から玄関をのぞんでおり、部屋の間仕切りの格子が画面をより細かくちいさく区切っています。

 息子たちは、アナを出迎えることなく別室でテレビを見つづけ(カメラには足の束だけが見える。画面左から右へ向いた足。それは、青のゴミ袋の少女の遺体や終盤の農場の遺体と同じ向きです。「脚ですって」)、もうすでに帰ってしまったのか家政婦の姿はなく、夫も書斎にも居間にもアナの目には映りません(。じっさいには夫はソファで寝ていただけで、アナの帰宅に1テンポ遅れて反応し、のそりと音もなく上体を起こしていく)。アナは夫からの呼びかけに驚きの声をあげビクリと振り向き、無表情で見つめたり作り笑顔をしたりしたあとで近づくこともしなければ(夫も異変に気づき立ち止まる)、「荷物重いわ……」と説明的で独り言のような言い訳をして食卓に荷物をいったん置くていで、彼から体ごと背いてしまう始末。

 

 こうした感覚自体は、原作ルポにも登場します。

続いて精神分析家は、ボードに平行線を引いた。「これが真実和解委員会の軌道で、こっちが皆さんの個人的な人間関係の軌道とします。本能的に皆さんは、委員会の軌道が皆さんの個人的な軌道に悪影響を及ばさないでほしい、と思っておられるでしょう。皆さんが現に経験しておられることから、友人や家族、恋人を守り、今までどおりでいたい、と。影響されたこと全部をだれかに伝えるのは不可能なこともわかっている。ほとんどの人が家族からまったく身を引いてしまう。

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』p.232

 『イン・マイ・カントリー』は映画的・物語的な脚色をすることで、その感覚をはっきり際立たせています。喜・楽から怒・哀へ段々とくだっていく坂道的な物語に整えられています。

 むごたらしい証言に立ち会っていくことで生じたストレスからくる孤立感や奇行……これに対して原作ルポではその都度医学的アドバイスやその助言を反映した家族とのふれあいや休職などが描かれていて、現実がそうであるような凸凹とした展開なんですが、映画ではバッサリとカット。

  代わりに、同じく悲惨に向き合う同職の記者と過度に親睦をふかめたり、かれに現地白人家庭(アナの両親宅)を紹介するといったシーンが挿入され、上の"五つの過程"でいうところの"取引"のような「(文化的偏見から対立していたふたりが誤解を解いていくという点においては)問題が改善されているけれど、いや別にそうでもないよね?」という不安定な態度へと推移していきます。

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{たとえば取り乱した次の公聴会で、証言にまじる現地の伝統をラングストンへ素直に教えているアナの様子は、第一回の現地警察制度について吐き捨てるように説明した頃と比べてふたりの距離感も言葉も対照的だし、心温まる光景であります。

 それと同時に、二人が知人の範疇に収まらないほど近し過ぎるうえ、上で画像を挙げた、アナが取り乱し途中退場した公聴会での失態をなぞるような光景でもあり(どちらも、証言の合間に、画面左に座る男へアナが私語を喋るショットです)、不穏でもあります}

 原作ルポに登場した精神分析家は、さきほど引用した言葉をさらにこう続けます。

でも、正気を保つために、皆さんは委員会の軌道上に皆さんの個人的な生活を作り出してしまう。委員会の中に皆さんの個人的な人間関係を再度作り出してしまう――父親や母親、兄妹、恋人、わが子をそこに見い出してしまう。

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』p.232

 

 すごいなと思ったのは、『イン・マイ・カントリー』はアナの無知・甘さだとかアナの奇行だとか不倫だとかを上述のように描きつつも、べつにそうすることでシニカルに嘲笑おうというわけでもなければ、上から目線で改善すべき欠点だというわけでもないことです。

 誰にでも起こりうるできごととして、仔細に描いています。原作ルポではいきなり夫からの糾弾で始まり、だれが相手ともどんな過程であったかも窺い知ることのできないブラックボックスであった不倫。この仔細を『イン・マイ・カントリー』は、ふたりの距離の縮めあい{不可抗力的接近から、共通の話題の発見(両者ともに子供がサッカーを……)、協力しての仕事でのシンパシーなど……}から関係の露見・後始末までしっかりと描きだします。

 

 そして仕事の上でも利のある行為としてしまっている。

 アナのシンパシーたっぷりのラジオ放送によって感化された黒人女性から(真実和解委員会にではなく)彼女へとタレ込みがきた、少女の遺体発見取材。これによってラングストンは、デ・ヤーガー大佐の語ったことが口から出まかせではなく、本当のことだと確信がもて、更なる追求をしていくわけですね。

 そしてラングストンは、アナが発したことからまず知って彼女の身内からさらに知見を深めた「ウブントゥ」という精神に感化されたからこそ、デ・ヤーガー大佐が大ネタを口滑らせるに至ったのです。

 

 外国黒人記者の報道;飛ばしでない記事とは

 先述の一面記事を書いたラングストンは、先述した口論のあと、アナが謝り記事を認めたのと同じように、彼もまた謝り記事の白いFAX紙を握りつぶします。(あの記事においてはラングストンもまた、アナという小さな具体例を知っているにも関わらずに十把一絡げに白人を非難していたわけで、この時点でかれが謝ったのには納得がいきますね)

 『イン・マイ・カントリー』が面白いのは、謝意を上述シーンだけで終わらせず、そこからさらに発展させて、ラングストンの反省が本心であったことを、映画の終盤のかれの報道仕事の仔細によって描いていくところです。

 映画の後半でアナと共に拷問部屋のある農場を発見したラングストンが、それをネタに書いた記事を見ていきましょう。

 1:23:09で大写しにされる「Torture Farm Mass Graves」という見出しの一面記事、そこに載っている文をセリフにしたであろうラングストンのモノローグは、

農場は旧政府が所有し/運営を行っていた この事実は旧首脳陣の関与を/示唆している

The farm was owned and funded by the Apartheid government, and implicates the government in murder and assassination.

   『イン・マイ・カントリー』1:23:01字幕より、/は改行。原語は聞き取り

 と、アパルトヘイトを行なっていた旧政府・旧首脳陣に限定したうえで、「かれらが殺人(murder)や暗殺(assassination)を行なっていた」という表現にとどめています。かつての記事にあった虐殺(holocaust)という表現は、今回は見受けられません。

 掲載された写真も、昼間の現場検証中の(=解決にむかう最中の)もようを俯瞰して引いた映した構図です。その前の晩にアナとラングストンが川近くで猪に今まさにかじられている死体でもなければ、そのさらに前の、長年の弾痕や凶悪な拷問器具がのこる地下の暗い拷問部屋のものでもありません。

 現実に賛否両論を呼んだオマルスカの『死の収容所』報道よろしく、ラングストンだってそこを取り上げることもできたでしょうし、映画劇中でもそこを撮っただろう記者の存在は容易に想像できるくらい背景の書き込みが充実していますが、すくなくとも彼はそうしなかった。

 ジャーナリストという職業の者ならではの謝罪のかたちが、映画のなかで描かれているのです。

 

 ラングストンの改心によって事件は解決を見せ、映画はエンドマークを迎える……と思いきや、それで話は終わりません。

 真実和解員会全体をとおした受容の過程において、これはある種の「取引」的な途上段階に過ぎなかったのです。

 

 

日常に染み込む非道の思想

 映画の前半から登場し、コントラストの強い明暗で映されたデ・ヤーガー大佐。狩猟趣味もあり、白人上位思想も隠そうとしない彼は、原作ルポの収容所農園フラクプラースの所在を証言した警察5人やその指揮官ユージン・デコックを合体させたような人物ですがジョン・ブアマン監督は、ジョージ・ワシントン大学の学生新聞『The GW Hatchet』掲載のインタビューで、アパルトヘイトによる影響の一つとして「デヤーガーやデコックのように、ヒューマニティを失った怪物的存在になってしまった人もいます」と両者を並べて語っています)、それでいて彼らとはまったく別種の存在でもあります。

 彼らは私の兄弟、いとこ、学友と同じくらい身に覚えがある。

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』p.132、第八章「罪はおのれの全責任とともに揺れ動く」内「心の闇は開かない」より

 原作者アンキー・クロッホ氏は警察5人を自分たちと近しい存在だと記述しました。『イン・マイ・カントリー』ではさらに踏み込んで、収容所の下手人のひとりが主人公アナの弟であったと脚色し、果ては非道を可能とする思想を弟に限らないさまざまな人――先述したとおり、それはアナ自身も含まれます――との日常会話や身ぶりにまぎれこませることで、問題を異国の異形によるものとせず、より身近でより切実なものとして扱っています。

 

 加害対象の非人格化

 ヒューバート氏を殺した警察の言をもう一度振り返りましょう。かれはヒューバート氏を「ヒヒ」と言うと同時に、「コミュニスト」扱いもしています。

 こうした、"思想による差別化"が劇中最初に登場したのは、そもそもいつ、だれが、どんなシチュエーションだったのか?

 じつは初出は、委員会といったのハレの時分ではなく、娘が真実和解委員会を取材することを強く批判したアナの父の口からなんとなしに発せられたものでした。

 兄弟家族が木に吊るしたブランコで遊んだりする牧歌的な朝、クリスマス帰省を終えて現住所に戻ろうと車に向かうアナへ、彼女の父は「我々を陥れるための謀略だ they are trying to break us.」*23と言い、さらに、

they mean everything of their Communist.(私訳;奴らはみんなコミュニストだ)

   『イン・マイ・カントリー』0:7:40

 とつづけます。

 

 加害対象の動物化

「ヒヒの手だ」

「奴らも他の犬も俺は恨んでない」

 これまで証言台や取材のなかで、こうした言葉が出てくるのは前述したとおりです。

 では、こうした"加害対象の動物化"が劇中で最初に出てきたのはどこだったか?

 それは冒頭の主人公アナの実家である農園に忍び込んだ牛泥棒へ対応したアナの弟ブーティの言葉のなかにありました。赤いクリスマス飾りがかけられた楽しげで暖かな台所で血によごれた手を洗うブーティに、アナの夫エドワードが白いタオルを差し出しつつ「警察に任せたら」と言うと、ブーティはこう答えます。

字幕「白人は狩られるのさ」

原語「It's open season on whites now.」

   『イン・マイ・カントリー』0:07:03

  「open season」は「狩猟解禁期」のこと、つまり動物扱いしているのは、むしろ奴らなのだ、ということですね。

 

 行為の正当化/主体の否定化(自衛のための/使役動詞としての非道)

「われわれは平和的な手段を永く試みたけど、奴らは聞く耳を持たなかった。奴らがわれわれに銃を取らせたのだ」

「なさねばならぬことをなす必要がある」

 これまで証言台や取材のなかで、こうした言葉が出てくるのは前述したとおりです。

 ではこうした"自衛のための、使役動詞受動態"が最初に出てきたのはどこだったか?

 牛泥棒を撃ったあと自宅に戻った台所でブーティはこう語ります。

字幕「警告に従わないやつは/撃つしかない」

原語「We always give them a warning, but if they run away, we have not choice to we have to shoot. (私訳;ぼくたちはいつも警告しているんだけど、彼らに逃げられてしまうと、彼らを撃たなきゃならないという選択肢以外を持てないんだよ)」

 

字幕「俺に銃を使わせる/あいつらが憎い」

原語「I hate them forcing me to put the gun another human being pull trigger, Anna.」

 

字幕「最悪だよ」

原語「I hate them for that.」

   『イン・マイ・カントリー』0:6:25、、0:06:37

 「いつも(many years、always)」和を唱える私たちと、それを無視する彼ら。彼らの行ないによって「銃を取らせられてしまう(they forced us to take up a gun、them forcing me to put the gun)」私(たち)。

 家の農園をまもる日々をおくる白人のやさしい弟がある夜もらした言葉と、真実和解員会の白日のもとで糾弾される黒人の虐殺者とは、まるきり同じ言葉をのべているのでした。

 

 知らなかった/知っていたけど

 こうした含みのあるブーティの態度は、初見時からも引っかかるひとが多いでしょう。観直してみてぼくが面白いと思ったのは、引用したくなるくらい印象的な言葉を発するかれよりも、それを聞くアナの動きです。

 ブーティから上記のようなことを言われたアナは、それ以上つっこまず、会話を自然な身振りによっておしまいにします。

 ブーティから受け取った上着を食卓のテーブルに置く、というかたちでかれから背を向け離れます*24。映画中盤の帰宅シーンで、食卓に荷物を置くていで夫から背を向け離れたのと同じように*25

 思えば、中盤の飛ばし記事について口論が終わったのも、ドゥミに「ラジオ放送の時間まであと1分だ」と言われてラングストンとの口論から背を向け離れたからでした。

 

「みんな知ってただろそんなこと」

 終盤の厩でなされるブーティとの会話は、アナが返す言葉もなく言いよどみ、無言で立ち去ることで終わりますが、もしかするとこれは、劇中ではじめて彼女が言い訳なしにーーつまり、ほかでもない自分自身の意思としてーー身内へ見せた背中だったのかもしれません。(追記;ブーティの最後の言葉は「行け」なので、アナはそれに従っただけととらえるほうが自然かもしれません。その場合でも、一度背中を向けて歩み出しつつももう一度振り返ったりするなど、やはりラングストンの口論などとは異なって、他人の言葉に従いきらない、アナ自身のおこないよどみがあります)

 じぶんが気づいてないことはどうしようもありません。彼女の自覚は、内に秘めていたことについての告白は、ここから始まるのです。

 

 原作と映画、2組の母娘について;行為の受容

 原作ルポの終盤で真実和解委員会に登壇するのは、ドゥミサ・ンツェベザ(Dumisa Ntsebeza)氏やウィニーマンデラ氏(!)、元大統領のピーター・ウィレム・ボタ氏などです。つまり世界的な南アのビッグネームが公聴会に立つことで、政争や真実和解委員会自体のキナくささが扱われていきます。

 

 ンツェベザ氏は黒人弁護士協会所属の弁護士で、真実和解委員会のメンバーでもある。そんな彼が過去にテロ事件を指示・実行した疑惑が浮上し、それに対しアンキー氏自身が内部批判的な報道をしたりとゴタゴタしました。

 ウィニーマンデラ氏は言わずと知れたネルソン・マンデラ元大統領の元配偶者ですね。彼女の乱行があれやこれや挙げられるなかで、とりわけ大きく取りざたされるのが、マンデラフットボールクラブフットボールをする人々もいたけれど、ギャング集団としても有名だった。ギャングとしてのフットボールクラブにはウィニーの娘ジンジも懇意にしていて、ジンジは自分の部屋の食器棚にAKを隠し、使用法の講習会などが開かれた。ウィニーの孫にあたるジンジの子の幾人かはフットボールクラブの人との間にできたとみなされている。)と彼女とによる少年暴行殺人事件が、マンデラ解放の邪魔にならないよう揉み消されたのではないか……という疑惑です。

 この疑惑をめぐってウィニーマンデラ氏は、公聴会で真実和解委員会のボスであるツツ大主教と対決、罪を認めないの認めるのと、大変ゴタゴタしました。

 結果マンデラ元夫人は、少年殺害について罪を認め謝罪しましたが、それはツツ大主教の投げかけをそのままオウム返しするだけの形だけの謝罪だった……というのが当時の世論でした。

 

 それに比べると映画が終盤であつかう問題は、だいぶ小さくこじんまりとした話題に思えます。映画は南アフリカ現地でロケ撮影もあり、公開に際しマンデラ元大統領が評価したなどの話もあります。関係各所への配慮によって、そうした際どいネタが扱えなかった可能性がなかったとは言い切れません。

 でもぼくは、このかたちだからこそ『イン・マイ・カントリー』は凄いのだと言いたい。

 映画のアナの母は、窓外に人々が列をなすなか一人部屋にこもっていたところをアナに声をかけられ、自身の過去の不倫とそれを夫へ隠したことの問題を語り、アナへ自身の二の舞を演じないよう暗に諭します。そしてアナは、自宅で夫にラングストンとの不倫を告白し謝罪します。

 原作を読む限りでは、アンキーの母にそういう過去の異人種ロマンスがあったという話はありませんから、ここについては全くの創作なわけですね。

 また、デ・ヤーガー大佐がラングストンに言った、"殺人は性交の高揚と似ている"という印象。これも原作にないところです。つまりこの等号は映画ならではの要素ということです。

 

 非道の(殺人の/不倫の)秘密をかかえた年配の女性と同じ道に歩んでいる若い女性。それに対する(公衆の面前での/当事者2人だけプライベートでの)告白と謝罪(形だけの/心からの)

 ……そういう風に展開をまとめてみると、原作(現実)のウィニー母娘らと映画のアナの母娘とが対称・対照をなしているように思えてならないのです。

 

 人の生き死にや大統領クラスがかかわる政治問題に比べると、個人の不倫問題なんてちいさな問題に思えますが、しかし、アパルトヘイトと真実和解委員会追求のなかで起きたのは、必ずしもそのような大それた問題ばかりではなかったわけです。真実和解委員会にはさまざまな罪の告白が寄せられました。

 午後一二時の直前、黒人の若者六人が、ケープタウンの真実和解委員会のオフィスに入ってきた。彼らは、申込用紙に必要事項を記入するし、宣誓もすると言い張った。彼らの申請書は簡潔に述べている、「無関心に対する恩赦」と。黒人居住区のバーで陽気な土曜日の夜を過ごしていたとき、彼らは恩赦申請の締切りや、いかに多くの人々が起きていたことに対して、ただ見て見ぬふりをしたかについて話し始めた。

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』p.167、一一章「恩赦ーー亡霊を伴った道ゆき」内「一転、恩赦申請のオンパレード」より

 イースタンケープ州のある女性画家は、自分の絵にアパルトヘイトの残虐さが反映していないと感じたので恩赦を求めている。

   『カントリー・オブ・マイ・スカル』p.166、一一章「恩赦ーー亡霊を伴った道ゆき」内「一転、恩赦申請のオンパレード」より

  法も世間も関心を寄せないけれどしかし現に歴として存在するそうした細かな具体例に、真実和解委員会という席をつくっても解決しえない問題に焦点を当てたからこそ、『イン・マイ・カントリー』の凄さがあるのではないか、ぼくはそう思うのです。

 

 『イン・マイ・カントリー』は、報道記者として追っていたかつて・そこの国内の非道、報道をしていったことでいま・ここで起こしてしまったじぶんの非道というそれぞれの非道に関してある種の決着がつけられます。

 不倫にかんする夫からの糾弾場面は前述したとおり原作ルポにもありますし、不倫相手にかけた言葉自体も原作ルポでアンキー・クロッホ氏が述べたことから拾っていますが、しかしその言葉がどこで・だれに述べられたものか? そこについて実は映画版独自の改変がなされているのでした。

 「実話をもとに」した映画らしい、現実に寄り添った穏当で真っ当な作劇をしていったなかで、最後の最後で(現実がたどりつけなかった)大胆な飛躍してみせる。その飛躍はともすれば批判を招きかねない(し実際、感想をめぐると難色をしめすひともいる)奇怪なもので、しかしそれはよくよく考えると理想的な真っ当さを有してもいそうで、それをここぞとばかりに正しく美しく撮ってみせる……現実をただ追認するだけではない*26、劇映画監督ジョン・ブアマンの底力をもうかがわせてくれる改変でした。ぜひ見比べ読み比べてみてください。

 

 

作劇について  

 ここまで社会派描写の面白さについてあれこれ書きましたし、物語的な脚色(創作)や映像演出についても大なり小なり触れましたが、ジョン・ブアマン監督なので、そうしたものは知識充足的なウンチクにおさまらず、映像的な要素や物語的な要素として処理され、映画のなかでしっかりした文脈を形成されています。

 

 灰色の世界と、そこに至るまでの様々なジャンル物的結構

 特に面白いのが、アナからはその明るい性格について感謝されるドゥミが、映画前半で別の一面をのぞかせ話す「違うね "黒か白か"だけじゃない 時には灰色だ」*27

 このセリフ自体はなんだかどこかで聞いたような気がしなくもない、紋切り型のセリフなようにも思えますが、そこはブアマン監督なので、映画劇中に視覚的モチーフとしてマジで灰色の世界が出てくることへの自己言及なのでした。

 風光明媚な山で野ざらしにされた、顔は白骨で体はミイラ化し灰色の少女の死体だとか。冒頭や中盤や終盤に登場する、彩度がおとされてほとんどモノクロ映画風になる夜のシーンだとか。血痕などない彩度の低い灰色じみた農場地下室だとか。

 そのほか、中盤にラングストンが手掛けた「南ア・ホロコースト」の一面記事(のFAX)が白黒写真な一方で、改心したラングストンによる終盤の「大量の墓」記事が同じ一面でもカラー写真なのも、もしかしたらこうした文脈を汲むものなのかもしれません。

 

 前監督作『テイラー・オブ・パナマ』は映像的技巧や、人物によって物語や映像ががらりと変わって、混交する面白さが魅力でした。(元007ピアース・ブロスナンが女ったらしな007風のスパイ活動をしたり、いよいよ冷戦的なパラノイアがいよいよ形を持ち始めると『博士の異常な愛情』的な管制室・会議模様が登場したり)

 今作『イン・マイ・カントリー』もそうした語りの混交がーージャンルの様式とたわむれるようなところがないわけではなく、観直すとその辺も楽しめました。そもそも冒頭からして、エモいコーラスによる南アフリカの大地を映したナショナルジオグラフィックっぽい空撮ショットの連なりと、荒い画質の手持ちカメラによるアパルトヘイト下の白人による黒人への乱暴・連行場面のドキュメンタリ的映像との並行モンタージュなわけですしね。

(そしてエモいコーラスは、劇中での使いどころからも分かるとおり、ただエモいだけでなく「私たちが何をしたっていうの? 私たちが何をしたっていうの? 私たちのたった一つの過ちは肌の色」という歌詞の『senzeni na, senzina na...』で、空撮ショットは次第に広大な耕地や、自然の中にぽつんと立つ囲いの中のプランテーションを映してゆき……と、観光映像やギャップのはげしい場面というよりも、その両方のつながりを示す"起源をめぐる一つの物語"になっている)

 

 アナの詩情が風光明媚に彩られたり、彼女とラングストンが情事をかわすところでフェルメールみたいに美しく光と影とが際立っていたり(光で縁取られた窓枠、映り込みも綺麗……)。また彼女とラングストンとの涙ながらの口論が十字の光さす教会や、それと似たような構図と明暗とが設計された厩で弟への涙ながらの質問がなされるところの(ひびわれた白と木の部屋に画面左奥にブーティ・画面右手前に影の濃いアナが立ち、セピア調でまとめられたショットはまるでレンブラントの『アトリエにある風景』)、まるで文芸映画か宗教映画かといった結構。

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  デ・ヤーガー大佐周りのシーンが、背の高い柵付き見回り兵つきのお屋敷や、巨大なコロニアル建築の巨大な外観を引きの構図で映したり。あるいはお屋敷室内の剥製を明暗つよいショットで捉えたり、大佐から教えてもらった農園内秘密収容所フラクプラースに向かう車内を流れる木陰が明滅させたりすることによる、まるで社会派映画やサイコパスホラー映画のような結構。

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 こうした、審美的に正しい数々のスタイルを描いたうえで物語的な収拾をつけ、クライマックスのシーンをそれらとは異なるビジュアルを持ってくるーー明暗としてはすこし弱い、灰色っぽい夜のシーンとするあたりがシビれました。

 

 この単純な明暗としてはちょっと弱いかもしれない夜のシーンも、面白い視聴覚表現が盛りだくさんで、乗員を車から出して両手をつかせるよくある拘束シーンをラングストンにだけ行わせて、ドゥミを車内に座らせたまま会話をするところもウマい。

 終盤のこのシーンにだけふって湧いて出たギャングは、ドゥミのいる運転席側のサイドウィンドウの奥に立ってしゃべるため、画面内画面をつくりだし異界のやりとりとして描いています。

 ……と、この辺だけなら丁寧な仕事だなあという域かもしれません。

 面白いなと思ったのは、ギャングが車外に立つラングストンや車内に座るドゥミと会話する際にそれぞれ視線を合わせてしゃべるところ。

 ギャングが立ったり座ったりすることで、かれを画面中央におさめるカメラもクレーンアップダウンしたりするーーそうすることで高所に群衆がいて、低所に裁かれる個人がいる構図が強調されることとなります。意図してか偶然か、この高低の人物配置はデ・ヤーガー大佐の召喚されたコロニアル建築での真実和解委員会のような人物配置と重なるものがあります。

 これまでのシーンではアフリカというイメージどおりの、とにかく暖色系で暑そうだった空間が一変して、この夜だけはただの息がたばこの煙のように白く色づき多量に吐き出される寒々とした時空間となっていて、そうして視覚化された呼吸がとだえ闇にそまる幕切れがこわい。

 

 この灰色の夜は、冒頭の白人プランテーション家庭から黒人の牛泥棒への制裁シーンや、後半の秘密拷問所フラクプラースのシーン、上述した終盤のシーンといった恐ろしいシーンだけでなく、前半にも登場しました。2つめの真実和解委員会会場をあとにした3人が"ハマドゥラス"で過ごす夜のことです。

 あのぎこちなくもほほえましい夜のようすを思い返すと、終盤のブーティのことばのなんとさびしいことか。厩での会話の場面、シックな色相と影のこい明暗に彩られた映像のなかで、ブーティはーー額を汗に光らせ馬の影を肌に落としつつーーこう言います。

字幕「俺たちのためさ 白人の安全のため」

I did it for us, so our people could sleep safe.(私訳;みんなのためにやったんだ、ぼくら人々が安心して眠れるように)

字幕「手を血に染めて守ったんだ」

I got blood on my hands so we could all sleep safe.(私訳;ぼくは手を血に染めたんだ みんながずっと安眠できるように)

字幕「承知だろ? 皆 知ってた」

We all knew this.(私訳;みんな知ってただろそんなこと)

   『イン・マイ・カントリー』1:26:56~、1:27:07~、1:27:10~

 

 

 ふつうの様式で人々の別々の人生をえがく

 上述したような画面のトーンの違いをともわなくても、『イン・マイ・カントリー』はそれぞれが別々の世界に生きる個人個人を同一画面上に収めていく作劇を採っています。

 劇中で複数回ひらかれてそのたびに立地や室内や観衆をまったくたがえていく委員会の時空間。証言者(=被害者や被害者家族)と加害者と委員そして観衆とによる関係性の変化やちがいが見ごたえあります。人々が視線をどこに向けていて、どんな表情をしていて、どんな言葉づかいで、そしてその場に座ったままかか動くか……さまざまな動きがあります。

 

 そういったピントのあう部分がしっかり演出されているのはもちろんのこと、被写体以外がボケる程度に被写界深度がそれなりのバストショット・クローズアップショットでも、ボケた背景で人物がきちんと動いているんですよね。観返してその面白さに気づきました。

 第一回真実和解委員会のおわりのほうのシーン。泣き出し退席するアナに対し、左隣のアメリカの黒人記者ラングストンが紳士的に白いハンカチを渡す一方で、右隣のアナの助手で現地黒人のドゥミは冷たい目を向ける。これだけでもすごいのに、傍聴席をよく見ていくと、歌う群衆に交じってレコーダーを起動させ歌を録音する外国人記者の動きがある。

(ここまで通し読んでくれたかたなら既にご覧ですね。 この感想のなかほどで提示したドゥミのアップショット、その画面右のピンぼけした背景にいる、手を挙げレコーダーを回す記者の話です

 中盤の山から死体を掘り出したあとたまらず顔をそむけるアナのアップショットでも、やはりピンぼけした背景で外国人記者がカメラをかまえ写真を撮る姿がうかがえる。

 極めつけはラングストンが自身の記事の扱いについて憤慨するショット群で、かれのわきのピンボケした背景では、ラングストンの大声にビクリとすることもなく、グラスを持ち談笑する人々が映されていますが、じつはこの一人は名もなきモブじゃなくて、主人公アナであるということがほかのショットと並べて見て判じられます。

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{ラングストンが怒る最初のショットから実はアナの姿が確認できますが、別にこれはエスタブリッシング・ショットではありません。この舞台の室内ショットがドゥミ(上にスクショした画だと左最前景のひと)から始まり、次のショット(上にスクショした画)で歩くラングストンをカメラが追いスクショの位置に止まるというカメラワークなので、アナには目が行きにくいです。中景の有色人種の男はラングストンの大声と物音で振り向く一方で、アナは談笑したまま。なので、中盤の「知らなかった、小さな具体例までは……」の口論は重く響きますね……}

 前景後景をしっかり演出しつつも、ピントずらしをしたりあるいは前景後景すべてにピントのあった構図を選択したりなどによって作り手の側から視線を誘導することはせず、現実がそうであるようにさりげなく展開していく。

 ぼくにとってコンテンツ受容はだいたい初摂取時が最高潮なんですけど、こと『イン・マイ・カントリー』はそうしたさりげない作劇のおかげで、再鑑賞したときのほうがより響きました。じぶんがいかにさまざまなことを見過ごし生きているかをかえりみてしまい、終盤の会話がかさぶたをはがしてしまったみたいにじくじくと痛かった。 

 

 

主な更新履歴

 09/07 0:44 アップ。

 09/07 10時ごろ 「原作と映画2組の母娘について行為の受容」を追加。

 09/08 深夜 図版と文章の追加。(0:22:28劇中第一回公聴会で泣くアナ0:23:18第一回公聴会で聴衆について話すドゥミ1:12:42劇中第三回公聴会でラングストンに耳打ちするアナ

 09/26 『戦争広告代理店』と『イン・マイ・カントリー』との発表時期などについて書き直し。

'2020

 05/23 「原作と映画、2組の母娘について;行為の受容」末尾に、映画の結末部についてルポとの違いを書き足す。

 

 

*1:邦訳版で27文字×24行の縦横二段組を400ページ連ねています。

*2:映画版脚本はアン・ピーコック氏。

*3:現代企画室刊、アンキー・クロッホ著『カントリー・オブ・マイ・スカル――南アフリカ真実和解委員会<虹の国>の苦悩』(以下、原作)p.104、六章「濡れ袋とその他の幻想」内「恥辱が記憶を絞め殺す」より。

*4:原作p.108、六章「濡れ袋とその他の幻想」内「真実があばく別種の真実」より。

*5:原作p.110、六章「濡れ袋とその他の幻想」内「嘘と記憶喪失のはざまで」より。

*6:原作p.182~183、一三章「各地で血の雨が降る」内「マイケル・ラプスリー神父の証言」より。

*7:原作p.124~126、八章「罪はおのれの全責任とともに揺れ動く」内「一本の脅迫電話」より。

*8:原作p.115~、八章「罪はおのれの全責任とともに揺れ動く」内「ムタセ夫妻殺害に関する警察分署長ジャック・ヘフターの説明」より。

*9:Broadway Books刊、Antjie Krog著『Country of My Skull: Guilt, Sorrow, and the Limits of Forgiveness in the New South Africa』kindle版15%(位置No.7295中1082)より

*10:『Country of My Skull』kindle版16%(位置No.7295中1120)より

*11:ガリツィア(97年刊旧版ではガリシアで41年夏と秋に屋外での大殺戮がおこなわれ、42年春に最初の強制移送の波に洗われたあと、同地42年8月に移送が再開された1か月後のこと。第133警察予備大隊の通常警察指揮官からガリツィア地区レムベルクの通常警察司令官へなされたとある報告では、ガリツィア~ベウジェツ{42年3月にガス室による殺人が準備された(p.82)と云う強制収容所がある地}への強制移送について、その用件が「ユダヤ人の再定住」p.67(97年刊版p.51)と題されている。

*12:0:45:56~ 字幕の引用。

*13:劇映画は企画から完成まで時間かかりますから、ざっくり同時期とぼくとしては言いたくなります。

*14:講談社刊(講談社文庫)、高木徹『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』p116近辺を参照。

*15:家系の披歴=原作ルポp.188

*16:原作ルポ p.68

*17:原作ルポ p.62

*18:原作ルポ p.66

*19:原作ルポ p.66

*20:原作ルポ p.66

*21:0:24:22~

*22:1:00:00~

*23:字幕から引用。原語は聞き取り。

*24:0:06:43

*25:1:00:53

*26:いやそれはそれで大事なことですが。誰もクローズアップしないせいで、無視されたまま存在にすら気づけないものは無数にありますよね。

*27:0:46:20