以下、日記です。(7万字)
『FIRST SLAM DUNK』すごかった。『リアル』再読したら医学クラの人が感動してた人体の不思議手術をドラマに必要不可欠なモチーフにしてるといまさら気づいた。『コスモボール』の深夜アニメ枠で観た感はなに? 映画『モンハン』から「無人島に呉越同舟」モノ映画を漁った……といった感じのクールでした。
※言及したものごとについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※
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週一更新するつもりで一日ごとに書き貯めようとしてたから、ふつうにエンドマークを踏めてないものがいっぱいありますが、もう何を書こうとしたのか忘れきているんで、さすがにタイムアップでしょう。そのままアップします……。
0115(日)
■covid-19のこと■
はやり病により勤務がけっこう変動し、職場へ2泊3日の短期滞在することとなりました。
0116(月)
職場でお泊り勤務、2日目。
夜のおともは坂永雄一「夢野夏草の青の時代」です。
夏草ゆかりの地に行こう、どの程度、絵が現存しているかは分からないが、あの青い世界の一端にもう一度出会えたならば。
19世紀末に生をうけ、45年に亡くなった画家・夢野夏草。その代表作である肖像画へ妙に引き寄せられた「私」は、休職を申し出て職場と人間関係からはなれ、夏草のゆかりの地と絵をめぐる旅にでる。滞在先は夢野の故郷。じしんの目利きした絵をかざった部屋を貸し出す好事家と知己を得て、昼も夜も夢野と向き合い、素人批評家の解説を聞く日々を送る。「私」は次第に、夢野の絵がうごめいて見えるようになってきて……という探求型小説です。
walkingchair/「サ!脳連接派」による奇想同居アンソロジー『何と暮らして?』収録。
『美術の物語』でエルンスト・H・ゴンブリッチ氏は――読み返してないアヤフヤな知識でふりかえりますと――美術史を「見ているもの」と「知っているもの」との絡み合いとして描きます。
活き活きとしたあのツタンカーメンの像に代表されるように、古代エジプトは人物を写実的に立体的にかたどれる芸術的センスが培われていた。
横顔に正面の目がついているあの壁画に代表されるように古代エジプトは人物を記号的に平面的にしか描けないほど芸術的センスがなかった。
こうした立体造形(写実的)と平面絵画(お約束表現がある)との奇妙はローマ帝国であったり何だりにもみられていて、ここにゴンブリッチ氏は後世のための記録媒体としての要素がつよかったがための制約をみます。
「見たものそのまま」よりも「知っていることをできるかぎり盛り込みたい」がために、横を向いていても真正面の目がついていたりする……「知(≒固定観念)」に縛られた創作を。
そこから遠近法の誕生、工房や室内ではなく外へ出てじっさいの自然光下の事物をありのままにとらえようとする印象派の登場などをながめていくことで、「見たものそのまま」を捉えようとする芸術の変遷を見て、カメラが登場し心理学が隆盛することで(見たものをそのまま描くのではなく)「心に思い感じたことやものをそのまま」描くようなフォービスムやらキュビスムやら現代芸術の拡張性を話題にしていくことになります。
「夢野夏草の青の時代」では、夢野のえがくアヴァンギャルドな作品についてその表層から制作経緯、作家のバックグラウンドなどを眺めていくうちに、アヴァンギャルドの芸術家たちがどうしてそういう様式をめざしたのか? その理由や起源なども掘り下げられていくことになります。
ゴンブリッチ氏が話題にしたような、「見ているもの」と「知っているもの」とのめくるめく交錯と衝突、発展のもようが今作にも盛り込まれていて、なかなかに面白かったです。
0117(火)
職場でお泊り勤務、3日目。いろいろとグダグダしてしまって、けっきょく20時までいた。
委員長の配信が観たかったので無理やり帰った。
0120(金)
■ネット徘徊■
「じぶんの提案どおりに直すとがっかりする漫画編集者」をきっかけに語られる編集&漫画作業の光と闇
(これってめちゃ「はあ?」と思われることなんじゃ?と思いながら書いているのですが)例えば、作家さんとネームの打ち合わせをしていて「こう直した方がいいんじゃない?」と僕が提案したとします。後日その作家さんから僕が言った通りに直しただけのネームをもらうとですね、…ガッカリするんです。
— 担当J(治部) (@tantoJ_margaret) 2023年1月17日
少女漫画誌マーガレットの編集で副編集長の治部さんのツイートをきっかけとして、いろんなかたがたが漫画家&編集の関係が語られていました。
集英社畑のひとでは、『アイシールド21』『ワンパンマン』作画の村田先生(と嶋編集)。
僕の初代担当の嶋さんは、最初の打ち合わせで「僕はネームに対して色々意見を言いますがその通りには直さないでください。才能ある作家さんは皆僕の意見より面白く直して持ってきます。これを常に念頭に置いてください。」言ってくれました。僕の考えうる限りベストな助言だったと思っています。
— 村田雄介 (@NEBU_KURO) 2023年1月19日
ジャンププラスで作画を担当した猫井ミィ氏……
例の件で反応を見てると基本掲載される前提で話す作家さんと連載前や読み切りで四苦八苦というか苦労した人で感じ方変わりそうかな。俺はめっちゃくらってる方なのでどうしても恨みがましい気持ちが出てしまう。勿論力の無さゆえなんだけども2~3 年収入無いとか想像もしてないだろう
— ねこいみぃ (@yapon0) 2023年1月18日
……などの反応があるでしょうか。
おおきくわけて、
「自分は似てるけど異なる、こういうマネジメントを受けてやる気が出た」
「自分もこういう酷いマネジメントを受けて、がっかりした」
という二種類の思い出が語られていて、温度差に"整"えましたね。
光の編集&漫画作業
たぶん同じことを仰っていた編集さんが以前にいらしたので、思い出マンガを描いてみました https://t.co/4ndUNHqGrU pic.twitter.com/gGaubpDZ23
— 吟鳥子@休憩中 (@gintoriko) 2023年1月19日
闇の編集&漫画作業
昔の担当編集さんが、「持ち込みの新人を泣かせるのが趣味」と公言してたの思い出しちゃった。「ここは何故こう描いたの?このシーンの意図は?」って事を隅々から突っ込んでいくと答えられなくなってしまいには泣いてしまうと。それが楽しいと。
— 遠藤海成 (@minakichijapon) 2023年1月18日
あの人何を思ってわたしにそんな話したんだろ。
罵詈雑言で埋まったファンレター(正確にはファンレターではなかった)を内容を知らずに編集部で読まされて、受け止めきれずに呆然としてたら
— 遠藤海成 (@minakichijapon) 2023年1月18日
「そういう意見もあると勉強してもえたら良いと思って」と口元に微笑を浮かべて言われたよ。
って話を以前ツイートした事があるけどこの編集と同一人物だよ。
後にしっかり問題を起こして新人持ち込みの担当から外されたり新規で担当作家を持てなくなったりしてたのでちょっとだけ安心してください!
— 遠藤海成 (@minakichijapon) 2023年1月19日
これ系の話ですごい昔に殴り描いたのがあったけど
— くりきまる (@kurikimaru) 2023年1月18日
どうしてこれを描いたか理由は忘れました
たぶん嫌なことがあったんだろうなあ https://t.co/dyZcnB7C9b pic.twitter.com/cSfsm8cNa3
少女漫画描いてた時の編集さんが、全く同じ事言ってました。
— 津々巳あや (@aya67b) 2023年1月19日
少年誌に移ったら対応が180度変わって人間扱いをされるようになったと感じました(笑)
少女漫画誌とその他は編集のやり方が全く違うというのが肌感としてあります。決して間違いというわけではなく、女性向けは特殊なんですよね。 https://t.co/4JbmY4PlGZ
すごい燃えてるな…(主に漫画家達に)
— 尾崎かおり (@innobad1) 2023年1月18日
同じこと言う編集者は多いし
言ってる意味はわかるので炎上しすぎて気の毒だけど
新人は載せてもらいたい一心で訳分からなくなりながら必死で言われた通りに直してるのに
編集者がなんとなくで「こうしたら〜」って言ってるだけじゃただの「お客さん」と変わらない https://t.co/T9vynueSyJ
「このコマ大きくしてみて下さい」と言われて
— 尾崎かおり (@innobad1) 2023年1月18日
そんなんで面白くなるわけないだろと思いながらも
そうしなければ載せないと言うなら直さなきゃならないわけで
(1コマ大きくするだけで後のコマが全部ずれるので大変)
やっと直したものを見て「あれ〜?良くないな〜なんでだろ」とか言われる
当たり前だ💢
編集者は漫画描くプロではないので
— 尾崎かおり (@innobad1) 2023年1月18日
基本的には編集のアイディア通りには直さないで
なんで直して欲しいのか意図を懇懇とヒアリングして
それならこうした方が良くなると自分で考えたものを出す
意図を聞いても納得できなければ無視する
時には仕事降りる
でも新人の頃ににそんなことできるわけないよね
担当の提案通りにしかネームを直せないケースって…大体 作家がいっぱいいっぱいな時。つまりは乗れてない。
— 渡辺 潤 (@Junwatanabe1968) 2023年1月19日
編集者は、ダメ出しだけでなく作家の良い箇所を伸ばすことを。
作家は、編集者が“読者”でもある事を忘れずに、楽しんでもらう気持ちを。
作家と編集者はチームであって、
敵ではない。 https://t.co/JvZHLHZpGF
作者としてはこれでいいと思ってる場合、別にどこも直したくなんかないんだけど「こことここを直し」たら載せてくれるって言うんなら、仕方ない、じゃあ妥協してそこだけ直すか、って考えもあるわけで、勝手に編集の夢語られても知らんがなって思う漫画家もいると思いますね。 https://t.co/S93U3xWlSp
— 山本貴嗣 (@atsuji_yamamoto) 2023年1月18日
作家のネームに対する編集さんのやつ
— 町田 粥【続編連載中◆吉祥寺少年歌劇】 (@machi_kayu) 2023年1月19日
「社員編集者はネームの時点でも労働に賃金が発生するのに対して
作家は掲載までは労働対価が一銭も発生しない」
というのを骨身に染み渡らせてる人と会話したい
全編集部の壁に貼った上で新人研修でも1番に伝えてほしいくらい
自分も連載準備だと思ったらネーム全修正繰り返したうえ読み切りに後退したり、その間の無収入が原因で今火の車です 自分の力不足とはいえ、もっとやりようがあっただろうと思います。今はskebで食いつないでます https://t.co/oTJu51l8wR
— 蘿蔔なずな a.k.a suzushiro nazuna (@szsr_nzn) 2023年1月18日
0125(水)
■書きもの■
『巨人の肩で跳ねる;月ノ美兎の企画の面白さ』
「巨人の肩で跳ねる;月ノ美兎の企画の面白さ」をアップしました。
初アップ時は「もっと書けるけど、これ以上がんばるのは悪凝りだろうし、論点がゴチャつきもするだろうし、これでいいのでは」と思えたんですが。
気力体力が回復してくると「これはこれで配信に無関係の話題が浮いてる気がする。ちゃんとするべき」と揺らぎ、いろいろ追加して現代社会論ぶってきました。(この辺の改稿はたぶん1月中に終わったと思う)
そこから「オモコロ記事にかんする話は、もっと広域をちゃんと浚った(とわかる)文章にすべきだ」と思ってそちらも書き足し書き足し、記事の文章じたいは2/6現在「これで完成だな!」という感じです。
(図表については、『性癖食わず嫌い王』のそれぞれの画面構成のちがいについて話したところとか、もう一個くらい追加してもよいかもしらん)
「卯年だしウサギの話をします。"巨人の肩に乗る"って言い回しがあるよね、月ノ美兎も『登人』ってゲームやってたとおり、巨人の肩に乗るのがうまいぜ!」
という記事ですね。
つくづくじぶんはダジャレのひと(止まり)であるなぁと、よく確かめられた記事でした。
「えにからは、第三者によるにじさんじライバーへの誹謗中傷通報フォームを置いて、自社ライバーの精神衛生の保護に力を入れてるよ!」
って話をした直後に、
「委員長の動画では、ライバーがライバーを誹謗し、ライバーがライバーを中傷し返す煽りあいが見られるよ!」
って話をするノリに、フフッてなってもらえたらうれしいっす。
記事本文のなかの……
いや、ヴァーチュアルを――「実質上」と「仮想的」を――ふてぶてしいまでに自由に行き来し現実世界を占拠する委員長は、そして大前提を信じられず境を土足で踏み入れようとするへそ曲がりの不信心者も見据えたうえで視聴者へおまえもインターネット型の手足を生やしてみせろ別世界へジャンプしてみせろと煽る委員長は、もしかするともっともっと妙ちくりんかもしれないと思いさえします。
……このくだりはじつは「大言壮語なレトリックに見えて、ただ単に動画の内容をそのまま書いてるだけ」の文章でして、こういうモノやこういうモノ語りを増やしていけたら嬉しいなぁと思います。
***
「zzz_zzzzが日記記事をアップしてない間に、委員長の動画・企画がいっぱい出た。
いろいろ感じたことはあるし、日記記事でちょこちょこ話題にしてるけど、肝心の日記をアップしていないためそれにかんするぼくの文章をよそ様は見ていない。一つの個別記事としてまとめたら、読みでのあるものに(しかもゼロから一つの記事を完成させるほどの労力を書き手がかけなくて済むものに)なるんじゃないか?」
という邪念によって生まれたエントリなんですけど、けっきょく同じ動画・企画にかんする話題でもイチから書いたものが大半となりました。
「記事としてうまくあてはめれなかった」みたいなカッコいい理由だったら良いんですが、単純に未アップの日記記事のタイプ状況・整理がテキトーすぎて、それについて話題にしていたこと自体をそもそも失念していたなどの哀しい理由が優勢です。
▼文面をよく考えたほうが良いかもしれない箇所について
▽『空耳』と『お邪魔しまぁす!』
委員長の動画『お邪魔しまぁす!』の話をするさい、『奇想同人音声誌 空耳』の話をしました。
「これらがzzz_zzzzのなかでどう関連しているのか、いまいち言葉足らずかもしれないな」
と思いました。
『空耳』を読んだところ、木澤佐登志さんの論考で、いくつかの作品は「解像度」を高めることでひとつの代替現実を創出しているものもあり、それを聴取することはある種のヴァーチャル体験(=別世界へトぶ体験)となるんだ……と云うお話がありました。
もちろん、音声作品などはいくつかメディア的制約があるわけですが{たとえばインタラクティビティの乏しさ・無さ(別世界に受け手側からははたらきかけ不可能か困難であること)や、聴覚(動画なら+視覚)情報以外の感覚への刺激のとぼしさ・無さなど}氏の論考だとトびたい人々にとってそのへんは気にならないものだとされます。
いっぽう別のかたの論考では、「メディア的制約はリスナーとして没入感を損ねるよね」というお話がなされています。ぼくとしても、そちらのほうが妥当だと感じます。
委員長の『お邪魔しまぁす!』はその辺のメディア的制約について、まずリスナーへ直接的にはたらきかけして再生環境自体を整備・拡張させているところが面白いし、その輪にノれない人にたいして別軸の物語をはしらせていることがまたおもしろ凄い。
これ単体で見て聞いておもしろい動画なんですが、
「『空耳』を取り上げることで、『お邪魔しまぁす!』のアプローチ自体の独特さも伝えられそうだ」
そういうもくろみで話題にしました。
▽現代のコンテンツの風潮(?)と委員長について
この記事では、委員長の企画がたりから離れた寄り道をいくつかしました。
ひとつは前述した同人音声評論のおはなし(と、そこから離れた木澤氏の他論)。
もうひとつはヘンリー・ジェンキンズ氏による『スター・ウォーズ』のメディア横断作品の魅力語りや、コンヴァージェンス文化語り――前述シリーズやリアリティ番組『アメリカン・アイドル』の作品&ファンコミュニティの両輪的発展、コンテンツ側が多様な受け手を獲得するためのハブづくりについての考察――ですね。
にじさんじ・ホロライブのストリーマー系vtuberの魅力や台頭時代にオタクたちのあいだでトピックになった、「解像度」のたかい「関係性」について。
「このトピックについて、ジェンキンズ氏の論考が参考になりそうだ」
と思った次第。これについてはここでわざわざ補足説明をしなくても、記事だけで充分つたえられているのではないでしょうか。
ぎゃくに、木澤氏の論考はつながりがよく分からなそう。
さまざまある木澤氏の論考のなかで、加速主義について今後待つ労働人生を憂いた「大学院生の病」としての側面へフォーカスし・マーク・フィッシャー氏について「オルタナティブな現実を欲望していた」みたいなまとめを取り上げたzzz_zzzzは、それぞれを表現する語との類似性を根拠として「(vtuberらによる)胎内回帰ASMR(の受容)は、暗黒啓蒙・加速主義的価値観の日本版発露だと木澤氏は言っているのでは」というお話をしました。
月ノ委員長が所属する、「"エンタメ経済圏"を加速させる」ことをモットーにかかげたバーチャルYoutuber団体にじさんじの運営母体・学生起業エニーカラー(旧いちから)って、そういった意味でけっこうに現代社会の一事象らしさがあるなって思ったんですよ。なので、記事で引用しました。
ただこれ、ジェンキンズ氏の話題とちがって、記事内で直接つなげた発言はしませんでした。
理由は2点あって、ダジャレ的な連想であやういと思ったし、「委員長の企画の面白さ」という主題からどんどん離れていくとも思ったためです。
○ストリーマー系vtuberを追いかける虚無感
また、この記事では、ストリーマー系vtuberを追っかける楽しさと疲労・「飽き」や虚無感についても話せないかな? と思い、ウロチョロしました。
ストリーマー系vtuberをフォローするのって楽しいし、そういう「配信者の生きざま」が感じられる配信スタイルによってにじホロは発展したわけですが……
……他方で、年間法定労働時間の半分どころか超過さえするストリーマーを追いかけるのって、ふつうのコンテンツ受容じゃないわけですよ。比喩でもなんでもなく人生じゃないですか。
そしてそんな配信者たちの「関係性」なんて物理的に追えるわけないんですよ。
ストリーマー系vtuberは、単純接触時間的にかんがえてご近所さん以上にご近所さんというポジションになっているし、じっさい個人配信ってそういう要素がけっこう強い。ぬるっと配信が始まって、本題にぜんぜん入らないまま進んで、ぬるっと終わる。
「大会おつかれさまでした」「(音楽)ライブおつかれさまでした」という看板の配信で、最初30分40分ほど無関係な話をする。
大会のチームメイトだった他配信者の「キッズ」――おのぼりさん的ファン――が落ち着いたかどうか気にしながら配信をはじめ、同時接続者数がさがった頃合いを見て大会の話をするのを見るに、意図的に一見さんやミーハーを遠ざけてる配信者さんさえいる。
ご近所づきあいも親戚づきあいも没交渉なオタクが、こんなんいつまでも続けられるわけなくね?
ほかのリスナーがどうか存じませんがzzz_zzzzは付き合いきれないし、じっさい観なくなった配信者もたくさんいます。
これまでずーっと付き合いつづけているリスナーなら、各配信者のチャンネルは「阿」といわれれば「吽々」とうなづける居心地のよい井戸端がずーっと広がっているんですが……
(↑の「吽々」も、vtuberファンならクスクスしてもらえるか呆れるかしてもらえるだろうダジャレですが、門外漢からすれば「……はぁ、そっすか」ですよね。こういう文脈のわかりづらいネタがそれぞれのストリーマーの配信には無数にある)
……ちょっと間をあけてしまったら最後、そこは知らん人や知らんできごとにかんする知らん話をつづける親戚の集まりみたいな"ついていけない空間"になっちゃったんですな。
そういう"フォローしなきゃ話についていくことさえできなくなる面倒くささ"に耐えきれなくなった人にとって、委員長の配信はかなりハードル低くて良いなぁと思いました。
長大で複雑な文脈(関係性の網)はすごいけど、けっきょくその網目にからめとられる最初のきっかけってなんなのよ? というお話をしたかった。
短くてそれ単体で面白いものこそめっちゃ大事ですよね、委員長の配信みたいな。
……そういう話をしたかったんですね。
波及する他配信者さんのお話も、ここに絞ったエピソードトークになりやすいので他配信者さんのファンじゃなくても楽しめる範疇におさまってくれる。いろんな面で、サクッと追いやすい。
『巨人の肩で跳ねる』のなかで「コンヴァージェンス・カルチャー」「トランスメディア・ストーリーテリング」にたいして異を唱えているのは、上のような考えからくるものもあるんですけど、「あまりにも長くなりすぎるかなぁ」とテキトーに省略した結果、そのへんが伝わりにくい話になってるかもしれません。
うまい組み込みかたを思いついたら何とかしたいな。
(え、「2/6現在「これで完成だな!」という感じです。」とは一体……?)
▽改稿でちょっとケアした部分
○「……この話でAを推してる理由って、この話者がBの良さに気づけてない/Bのアンチってだけじゃないの?」と思われないようにする
AとBを比較したお話を聞くとき、
「……この話でAを推してる理由って、この話者がBの良さに気づけてない/Bのアンチってだけじゃないの?」
と疑問がよぎったりしませんか?
ぼくの今回の記事もそう判ずるかたが出るような甘さがあると思ったので、初アップから改稿するさい、オモコロやら令和ロマンさんの企画をもっと広範に・ちゃんと言及し、そんな疑念のわく余地を少なくしました。
○令和ロマンさんの動画を「斬新で攻めた企画」と絶賛するかんそう氏の記事は、褒め殺しのdisでかわいそう。
詳しく書いた結果、むしろその嫌味ったらしさを上塗りする事態もまねいてしまいました。
令和ロマンさんの(というかセルフボースティングしなければならないマスのパフォーマーの?)活動にはさすがに「大変な立場だな……」という気持ちを隠せませんでした。
ぼくはあの記事のなかで、令和ロマンさんの一部動画のスタンスとそれらの動画を「尋常ではない」上手さの「斬新で攻めた企画」と持ち上げるかんそう氏のRealSound掲載記事についてキッパリ異を唱えることとなりました。
斬新でもなけりゃ攻めてもないし、尋常ではなく上手い企画でもないでしょうというお話ですね。
かんそう氏が評価した令和ロマンさんの企画もだいたいが委員長とおなじく、巨人の肩に乗る「チョイ足し」企画だとおもうんですよ。
「コメント欄にらめっこ」は後発企画だと分かったうえで見ると、あの動画のいちばん面白い部分は令和ロマンさんが既存の企画にくわえた新機軸によって生み出されたものなので、むしろちゃんと言ったほうがよいんじゃないかなと思いました。
(もっともメインの話題である「先輩LINEチキンレース」は、後発企画だけどそうと言わないという"芸人世界のしょーもないマッチョさ"が、先輩へタメ口きくことへの怖さを増強させてるから、難しいところがある気もするんですが……)
人気ブロガーかんそう氏の記事のうち、僕の目にも入ってくるほど耳目をあつめた記事のなかで、リサーチ系のものではないものにかんして大体そう思うんですけど、話題にする対象を過剰なまでに絶賛してみせる氏の態度は――とくに今回のように、シンプルな価値判断として斬新でもなければ攻めてもないし令和ロマン当人だってそんなつもりで作ってないだろう企画に対してそこまで言うことは――「褒め殺しによる一周まわったdis記事なんだろうか?」と疑問を抱かせさえします。
zzz_zzzzも気を付けたいところです。
0124(火)
■見たもの■ネット徘徊■
なむ『【ゲームさんぽ】歩荷の人と背負うデス・ストランディング』
なまぐさ坊主のなむ氏が、有識者をゲストに迎えてゲーム実況をする人気配信『ゲームさんぽ』。
歩荷の秋本真宏さんとその友人まだら牛さんをゲストに、ポストアポカリプス世界アメリカで配達人としてがんばるゲーム『デス・ストランディング』を実況プレイする回を観ました。
山登り界隈でつかわれる「一本取る」の語源やら、登山技術用語のトラバースと「へつり」、「ごぼう」といったところの解説。
劇中独自生物にかんする話題で出た「きちょタン」が面白かった。
{もともとは、ベア・グリルス用語(をネット視聴者が略した派生語)だそう。
アキモト氏が配信のなかで、歩荷の先輩からアクシデント映像を見せて勉強させてもらったお話を語られていたこともあわせ、「自然とがっぷり四つで向き合うお仕事においても、ネットや人とのつながりは切っても切り離せないものだなぁ」と思った}
0130(月)
■読みもの■
さんだいもんだい
▽『新しい日 / Newdays』
2019年執筆。
「〈雪〉に触れたかどうかなんてことはちっとも重要じゃないのよ。とにかくあれが通り過ぎたあとでは、なにもかもがきっと変わってしまう」
新しいなにかの到来にたいする漠然とした嫌悪を、具体的にえがいた掌編。
普段なにげなくおこなう所作をつうじて、夫婦間の溝が露わになる「日常の一コマ(スライス・オブ・ライフ)」という感じのスケッチですが、ちょっと違うのは家の外で世界は特異な現象にみまわれていること。そしてさらには、この物語がこのようなかたちになった大きな法則もまたあるらしい……
……つまり三題噺だと云うことですね。
作品紹介や『カモガワ遊水地』の作品コメントによれば、空舟氏はひとからお題をもらって創作をされていた時期があるようで、ここで紹介した作品もおおくはそんな経緯でうまれたみたい。『新しい日 / Newdays』がそれらと違うのは、作品最後に3つのお題が提示されているところ。
外部から舞い込んできた異物に対する違和感をナチュラリスティックに描いたこの物語のなかで、マジの外部から舞い込んできた異物(さんだい)はなんだったのか?
配置の妙をおもしろがったり、クイズとして読んだりするのもまた一興なんじゃないでしょうか。(はたして君はときあかせるか、このさんだいもんだいを!?)
年末年始でみなさんがこぞって万物をふりかえったり、おおきな文章をあれこれお蔵出しされています。それを読んだ結果、
「こんな旨い詀(レビュー*1)は食べたことない…いや、そやない。1年前に食べた記憶がある。旨い、ほんま旨い。これに比べるとzzz_zzzzの詀はカスや」
と心の中の京極さんがおっしゃってきました。
ない袖はふれないのでそこまで上ることはできませんが、ふれる袖なのにふれてない部分はなんとかすべき。
ということで、去年の日記で書いた紹介文のうち、一言で済ませてしまった作品についてアレコレ書き足しました。(「普段何気なく~」からが追加したパート。なんでここまで短かったかというと、ほかの紹介で力尽きてしまったのと、そもそもなんかうまい紹介が思いつかなかったのとの合わせ技ですね)
うえの紹介文では興をそぐので途中で切り上げたこと。
『新しい日 / Newdays』の物語は、風船からもたらされる<雪>という"外部からの異物"によって者や物が一変しつつある世界にたいして、「私」は受け入れられず卑近な拒否の身ぶりをし続ける……というあらましなのですが、この作品自体もよそから与えられた三題によって成立している経緯があり、そしてその三題とは何かというと、上で太字青字フォントで強調した「風船」「降雪」そして「薬用石鹸キレイキレイ」なんですね。
つまり、物語的な外部を拒否する「私」らしい行動自体が、作者が外からあたえられたお題であるというねじれ構造になっているんですよ。ここがなんか面白いなぁと思ったので、そこに意識が行くような紹介をしたかったという感じです。
「クイズとして読んでも面白いんじゃね?」
という最後の一文はそぼくな本心で、作者の外から寄せられた三題についてどう処理するかは書き手によって色々わかれそうだなぁと思ったんですよ。
今作のように「外部」として扱うパターンもあれば、逆に「内部」のものとして馴染ませるよう努めるパターンもあるでしょう。
物語的な立ち位置はもちろん、語りかたにもヒントがあるかもしれない。抽象的な語り口のなかにポンと卑近で具体的な固有名詞が出てくる、とか。逆に、そのお題がでてきても違和感ない語り口でつたえきる、とか。
0202(木)
■考えもの■
PS5&PSVR2買うか迷う日々
PS5は、仕事休みに近所の家電屋さんへ行けたら・そしてまだ在庫がのこってたら買おうと思います。(追記;2/10買った)
労働でクタクタしすぎて物欲が湧いている。
PS5の悩みどころ
でも欲望のおもむくまま買っていいものか?
プレイステーション5を買うかどうかはまじで悩みどころですね。
- 個人的には今そこまで「絶対ほしい!」という欲望はない。
- ロード時間が激減するのは魅力的。
- ゲームシステムは(いまのところ)あんまり代わり映えしなさそう。(さらなるブレイクスルーは次世代くらいになるんじゃないか?)
- マイクロソフトによる買収の結果、『フォールアウト』『オブリビオン』などを生んだベセスダの新作タイトルの発表の場はしばらくのあいだXbox/PCになりそう(独占な雰囲気さえ出してるが、「時が経てばPS5版も出るでしょさすがに……」とは思う)
- PSに限ったことじゃないけれど、既に『カリスト・プロトコル』日本コンシューマ版が発売中止されたり(PC版はSteamで流通中。PS3で海外版やるしかなかった『デッドスペース2』も日本版がしれっとSteamで出た)と、国内家庭用ゲーム機は作品数が「CEROをクリアしてまで出したいメーカー」に限られる。
PSVR2の悩みどころ
- PSVR2は気になる。
- ぼくにとって次世代機がほしい一番の理由は、「PSVRをはるかに凌駕する3Dビデオ・ゲームの再生環境がほしい」で。
- ↑が一番であり、そしてほぼ唯一の理由といっていいんじゃないか?(もちろん先述の「PS5だとロードが爆速になる」というのも魅力的だ。でも、ぼくはそもそも「ロードが爆速」な状況をまだ味わったことないし、PS4のロード時間を「そういうもの」として受け入れている。そこまで不満がないのだ)
- でもPS5は3DBlu-Ray非対応だから再生機器として買うなら別のヘッドマウントディスプレイを買ったほうがよい。(PS4もバージョンアップで3DBD対応となったが、VRが出るまえに行われた。現状のPS5はPSVR自体にはすでに接続可能であり、かつPSVR2発売が今月という状況でバージョンアップの話が聞かないということは、3DBDの再生機として使える可能性ってかなり低いのではないか?)
- なんならDMMもPS5対応予定だけどその時期不明らしいから、ハイスペック3Dポルノ再生機としてもしばらくの間はつかえない。
- (2023/02/22追記)PSVR2発売当日になんとFANZAアプリも対応したとのこと。ソニーより映画産業よりFANZAのほうがはるかに3D映像にかんして意欲がある。
- PSVR2は下方互換はないから、旧PSVR製ゲームをハイスペック機で楽しむことはできない。
- 「お前らPS5はもちろんPCも買ってないんだろ?(文句いいたいだけで、本当のゲーマーじゃないんだよ)」というPS5ゲーマーの煽りがむかつく。
- こっちは「おれはこんなもんのために4万5千円はらったのか」ってPSVR購入初日に後悔してるんだぞ。いくらだって尻込みするだろ。
- PS5(6万5千)+PSVR2(7万5千円)でさらに14万円出す。それでも3DBDは見れないし旧世代ゲームのグレードアップも望めないとなったら……。14万にプラスして別メーカーのハイスペック3DBD使用可能なHMDを買う?(計20万出費する? 最初から別メーカーのHMD買っておけばよくね?)
- PS5やPSVR2の互換性のなさをかんがみると、ソニーはPSVRを、"非の打ちどころのない3Dビデオ再生機/3Dゲーム"として認識しているか、あるいは「問題はあっても、後代へのフォローなんてしなくていい」と考えているとしか思えない(。やったことない人向けに説明するとPSVRは、「肉眼でドットが見えるくらい解像度が粗いために引きの絵とかカスだけど、まぁニュアンスはつかめるから……」と自分で自分をだまくらかしなぐさめてようやく楽しめるオモチャでしかないものだ)。「そんなメーカーのハードを買い続けるべきなのか?」という疑問がおおきい。
翌日0203の日記へつづく!
0203(金)
■買えなかったもの■
スマホがないとゲーム機も買えない
スマホの画面がほぼ死にトランシーバー化したまま1クール過ごしていること、それにより得られた教訓は既に書きました。
先述の教訓にくわえて、スマホの画面が死んでると、
ということが新たに分かりました……。
(↑PS5・PSVR2などの話は、じっさい買ってみての記録へつづく!)
近所のノジマは店頭在庫かぎりでプレステ5がいくつか販売中なんですけど、PS5を買うにはノジマの会員であるQRコード/QRコード表示ページに書いてある番号を提示できないとダメで、スマホの画面が死んでるとそれが分からないので詰んでしまうんでした。(トホホ)
ノジマの会員証をつくるときに提示した、じぶんの名前も住所ももちろんわかるし、ケータイの電話番号もわかるし(掛けてもらえば通話機能は活きてるので、そのケータイの持ち主であることもある程度証明できるし)、運転免許証など公的文書も出せる。
でもQRコードで認証や会員番号がわからないと紐づけできないんですって。もうちょっとどうにかならんスか。
また……
全日本空輸(ANA/NH)は、羽田空港第2ターミナルに4カ所ある保安検査場上部に設置している大型デジタルサイネージ(電子看板)を2月9日に撤去する。出発便などを表示しているもので、今後は同社のモバイルアプリ「ANAアプリ」で情報提供するという。
……空港の乗り降りも大変になるかもしれません。(国内線関係だけで、またこの第2ターミナルにおいても、小型モニタだって有人カウンタだって残すとのことですが)
さてアニメ映画版『ハーモニー』では、さまざまなデジタル掲示板に満たされた日本生府の空港が登場しましたね。
あの光景自体は、劇中ハイテク都市のハイテクぶりをつたえる視覚的説得力をもっていたと思うのですが{アニメ『ハーモニー』のCGIは、凝るべきところを間違えてるし基本的な常識に欠けていると思うのですが(だって拡張現実に表示された数値を信じるならあの世界の人間の平熱は34℃とかなんだよ)、『虐殺器官』の拡張現実表示都市より、よっぽどしっかりした光景だったと思う}……現代よりももっとハイテクな小型携帯端末が、もっともっと生体に必須レベルで普及した世界において(そして資源の節約がもっともっと過敏に訴えられている世界において)、あの光景は実はそこまで正しくないのかもしれないなぁなんてことを思ったニュースでした。
(ARレンズに映るオルタナ世界が、今スマホでインターネット覗くときみたいなポップアップ広告だらけになったら生死にかかわるから、AR広告には一定量以下におさめる規制がかかるだろうし。
そうなってくると物理広告が元気になってくるだろうから、そこまで現代とビジュアルの変化は起きないんじゃないか? と思っていたけど……)
0204(土)
■書きもの■
先日の記事に図表をつけた
先日アップした記事を読みかえしたら、かたまった多くの文字のせいで脳が再読をこばむので……
やら、
やら、
やら、
……やらという図表をつけました。
でも、はたしてコレ、付けるのがほんとうに正解なんだろうか?
ここのところのブームによって職場へ2泊3日したりなど1月はなんかもうアレでした。
休日がとれてなかったり、お休みの日を迎えてもただただボーッとしていることが多い、文章読めないモードに入ってるんですよね。
だから今回の図版追加は、「文章読めないモード」に入ってる現状からすれば正しい判断なんですけど、
「元気なひとが読んだら、逆に、この図版は話の腰を折られるトリガーとなるのでは? 文章が断片化されたことで、情報を頭に入ってこづらくさせているのでは?」
という不安があります。
「文章読めないモード」に入ってしまうと、句読点の位置やら量やらの良い塩梅がてんで分からんくなってしまうんですよ。(←という文章も、「つら~っと書いちゃったけど、"塩梅が、"にしたほうがいい? わかんない……」てなります)
で、そんな曖昧な不安よりも、大きくてハッキリした疑問もありまして。
まとめかたが下手すぎて、そもそもこの図表じたいの出来がわるくね……?
0211(土)
天候不良で勤労シフトが変更された。1月末の勤務変更ぶんの休みもまだ取れてない。
ここのところまいど週2のお泊り業務があり、来週も同様である。(しょっぱな月曜から宿直だ)
0212(日)
日中を寝て過ごしました。
■買ったもの■
PSVR2(予約した、入荷時期未定の二次販売ぶん)
けっきょくPSVR2も地元の家電量販店で買いました(予約しました)。
さすがにいまから予約はおそくって、販売日当日入荷ではなく、時期未定の次回販売ぶんとのこと。入金じたいは予約したその時なのでお財布がさむいですね。(プラス1万円の三年間有効物損保証もつけました)
ただそのくらいで良いかもわかりません。2/10(金)にPS5を買ったんですけど、開封せず箱のままです。セッティングしてません。ぐでーっとしてます。
心身ともにぐだぐだしていて、新年一発目の記事でのマニフェストとは裏腹に、さまざまなことにたいしてネガティブになっちょりますね。
行動をおこさず非活動的であるという意味でもそうだし、うごいたさい負の勘定を露わにする方向に向かってしまうという意味でもそう。
たとえばソニー公式blogのPSVR2にかんする「徹底解説」記事。それに付せられた……
徹底解説! PlayStation®VR2
そもそもPS5自体がブルーレイ3dに対応していない
2023/02/08 10:42
……にぐったりし(オブラートに包んだ表現。じっさいにはカチンと来ました。そして言葉が穏当になるよう抑えながら)、IDコール付のコメントを追記しました。
ぼくもリンク先記事のコメント欄のかたがたもそんなことは百も承知で、もともと3DBD非対応だったPS4がのちのアップデートで対応された前例があるから、「けっきょくPS5はどうなんですか?」というお話をしてるわけなんですよ。
(別企業といえば企業だし、アメリカや日本リージョンでの円盤はないもの)ソニーピクチャーズエンターテイメントも2022年8月に3D Blu-rayを出してますからね。3D映画/3DBD市場は、死んでるようで、今なおわずかながらに息しつづけてしまっているんですよ。
うえの「徹底解説」記事でPSVR2について「PSVRとの後方互換はない」とあらためて明言されているいっぽうで、3DBDについて非言及なのは、気にしている人にとって本当にモヤモヤするポイントなんです。
そういう事物について、PSVR1を持ってなけりゃ*23D映画にも興味ないひとからの周回遅れなうえ的外れの「そもそも」話を聞いてしまって、負の感情をおさえられませんでした。
「ひとを馬鹿にしたいためだけに、じぶんがなんとも思ってない話に首突っこんでくんなよ」ってこういう感覚か、と勉強になりました。
(0501追記;
「こんな些細なことでどうしてここまで苛立ってるの」
と、我がことながらひいています……。本当にへとへとだったんだなぁ)
0213(月)
宿直日
■ゲームのこと■
「知らん人がもらえる」知らんソシャゲのCM
ソシャゲの「いまなら(そのゲームのSSRキャラ)もらえる」という宣伝文句、何なんだろうなぁと毎度思う。
02/17(金)
■ネット徘徊■
「仮想」だけど設定無視の「実質」が大事にされるストリーマー型vtuberの難しさ
あおぎり高校に品格なんか求めてんじゃねえ
— ヤギコウジ (@YagiKaujiWOR) 2023年2月17日
銀魂に自重求めるようなもんだぞ https://t.co/oX1BQ9HUG5
Vtuberわからない人向け翻訳
— ❤ (@a___utsu_4_oO) 2023年2月17日
「ブヒ!ブヒブヒブヒブヒ!🤬ブヒィーーー!!!!!!🤬🌋」
ちなみにあおぎり高校はVtuberのメタ発言ネタ等も多くガチ恋勢向けではないグループだと思ってます。
どこかで見かけたものですが「あおぎり高校に品格求める」は「銀魂に自重を求める」に等しい https://t.co/IYX8qzJBA5
あおぎり炎上て、
— 阿闍梨丸。@美容?ブログ (@ajari_official_) 2023年2月17日
あんだけ喘いだり下ネタぶち込んだり好き勝手してたのは喜んでたのに、男とゲームしただけでピキる豚の世話しないといけないVTuberも大変やな
ピキってる豚はせめて見た目改善しようなhttps://t.co/hgx61CMvTS
— 阿闍梨丸。@美容?ブログ (@ajari_official_) 2023年2月17日
あおぎり高校が炎上したと聞いたので調べてみたら、くっそくだらないことで炎上していた。こんなことで謝罪しなければならないたまちゃん可哀想。オタクくん、いつまで女性VTuberの彼氏になる妄想してんの?マジキモいんだけど。
— 桜木 (@sakuragi_piano) 2023年2月16日
またvtuberが燃えていました。
「じぶんはぼっちだ」「陰キャだ」と自称していた女性vtuberが、「ライブの稽古」とツイートしたその日に男友達とオンラインゲームでCO-OPしていたことがsteamのステータスから明らかとなり、経緯説明配信がひらかれ、そこで「男友達とあそぶためにメンバーシップ限定配信をずらしたこともあった」と追加説明がなされたりしたことで、ガチ恋気質のオタクたちが狼狽したり怒ったりして、その騒ぎっぷりをみた界隈の外のひとが「そんなことで騒ぐとかw」と囃し立てて大賑わいとなりました。
(月に何円かの会費をはらって入会できるメンバーシップ登録者限定配信。やらなくてもやらなくても良い)
ようするに、以下の「非モテ」自認の相違から生じるかなしいディスコミュニケーションの「陰キャ」版で……
……「おれたちの仲間(陰キャ・ぼっち)だと思っていたけどそうじゃなかった、嘘つかれた」と闇落ちしたオタクたちの怨嗟なのですが、その熱が冷めないうちにゴシップツイッタラーから更なる火種がまかれ(同団体所属の別vtuberからのタレコミ、という真偽不明の別ゴシップ。「流行り病で休んでいたが、実はその感染源は……」というもの)、vtuberによるリアル人狼ゲームにオタクたちのざわめきは大きくなり、つらいことになっていました。
このvtuber団体は、vtuberブーム初期から活動していたけれど色々な余波によってくすぶっていたのが、ここ最近"vtuberあるある"というvtuberのオモテとウラを面白おかしく4コマ漫画的に(『欽ドン!良い子悪い子普通の子』的に)まとめた小芝居Shorts動画を定期的に発表することで一躍人気となった団体です。なので、
「ネタ団体なのだから、そこへ品性を求めんなよ」
みたいな声も出るわけなんですけど(それと同時に「じぶんたちがネタにしていた時事にいざじぶんたちが当事者となってみると、ほかのvtuber団体とおなじ対応しかできないのかよ」というような方向性の落胆の声も出た)、その最近のムーブメントへ至るまでには、兄弟団体による「ゲーム部プロジェクト」が演者のブラック労働告発で炎上した煽りを受けた低迷期があり、そこから演者発信によるASMR配信やPixivFanBOXでの月1万円支援者との1対1通話(昨年末終了)へ方向転換してサバイブしてきた過程があります。
YoutubeがASMR動画にきびしくなったことを受けてか、くだんのvtuberさんはニコニコ動画で有料ASMRチャンネルを持ってもいます。vtuber団体でいえば、ASMRにつよいDLSiteと同じ経営母体へ移籍もしました。
面白Shorts団体としてではなく、ふつうにそのvtuberさんのことが(ガチ恋方向に)好きで追いかけていたひともいるはずで、上のような「ネタをネタと見抜けないやつは(vtuberファンをするのは)難しい」的言説は冷笑以外のなにものでもなく、これはこれでメンタルをぐんにょりさせてくれます。
「オンラインゲーム一緒にやるくらい良いじゃん、オタクは潔癖症すぎるw」
というご意見はわかりますが、オンラインMMORPG『FF14』きっかけで後藤真希さんが不倫をした例や、オンラインMMORPGの『ドラクエⅩ』きっかけで加藤夏希さんやタイトル不明のオンラインゲームきっかけでざわちん氏が恋愛・結婚まで発展した過去がある以上、ガチ恋さんらのなかで心が乱れちゃうひとがいるのはぼくにはわかるし。
それがダメだというのであれば、統計的にどうでもいい些細な珍事を過大視してしまう全ての人々がダメだというお話になります。
また、友達付き合いだと分かっていても心が乱れてしまうひともいるでしょう。そもそもネトゲきっかけで友達がほいほい出来るようなひとなら、vtuberの配信に時間なんて割かずじぶんのネット生活にそそぐわけですからね。
(一応)アイドル売りしているVtuberに対して、ファンがプライベートな部分まで詮索して裏切られたとか攻撃しているの見ると、中身がAIのVtuberを相手に一生お人形遊びみたいな問答している方がはるかに健全だと思えてくる
— highland (@highland_sh) 2023年2月17日
Vtuberのアイドル売りというシステム自体がファンのそういう行動を誘発しているんだとしたら、それは「一部のファンが悪いのであって売り手は悪くない」っていうのを超えてて、そのシステムを作ってる企業側にもある程度罪があるだろうと思う
— highland (@highland_sh) 2023年2月17日
男オタクの乱れっぷりが印象的ですが、ジャニーズ二宮くんらの匂わせ批判などのとおり、べつに男女問わずガチ恋は大変なことになるものです。
そしてそれは別に異性愛にかぎりません。
デビュー当初に「Key作品で感情を知った」とオタクトークで人気を博したにじさんじ所属vtuber卯月コウくんらが、同団体の他vtuberとバンドを組んで楽曲披露したさいは、
「俺らを置いていくんだなコウ……」
とかれのファン"卯月軍団"から怨嗟の声がひびいてました。
vtuberとは言い条、フィクションをめぐるお話だって作品論を超えて作家論それどころか「細田の女性観が」「新海誠の童貞臭が」とか、最近ですと「アニメ嫌いの中山ドラゴン」罵倒であったりとか、そういう属人的な井戸端ゴシップに終始してしまうように、けっきょく「人」を見てしまうものです。
vtuberはとくに、長時間配信による高い単純接触効果が見込めるし、配信者同士の関係性萌えやらガワからはみでたナマの"魂"の面白さやらが話題になる、リアリティ番組的な味が魅力の分野――(ゴミ当番や回覧板の受け渡し、自治会費の納入・回収当番などといった)リアルであれば生じるはずの煩わしさを省略した、ネット越しのご近所づきあい・井戸端会議とさえ思えてしまう――なので、芸能界の淘汰圧を勝ち抜いた一握りのタレントさんがたによるTV番組やショービズのコンテンツよりもおおむね緩いつくりなのに楽しめてしまうしやみつきになってしまう光と表裏一体の闇として、こういうパニックは切っても切り離せないのではないでしょうか。
着ぐるみをわざわざ剥がすような行為や、そこから攻撃することは悪いことですが、他方で、個人的には昨今の交友歴・恋愛遍歴を公言したうえで人気を博しているvtuberさんもふつうにいるんですよね。
陰キャでもないのに陰キャを自称してvtuberファンに多いだろうそういう界隈からの共感を得ようとするような姑息なマネはやめて最初からそのようにすればいい……みたいなことも思ったりしないでもない。
0219(日)
■買ったもの■
ユニバのセール映画
itunesがユニバーサル映画を509~八百云円セールやってて、色々買いました。
『バトルシップ』、『アポロ13』、ヒッチコック作品(評判の『裏窓』や『鳥』もあれば、興行的には良くなかったけど「殺し」のシーンがシネフィル筋に評判の『引き裂かれたカーテン』など)も対象でした。
■観たもの■
けっきょく今回の土日もPS5を箱から出さずに終わりましたが、さいきんの(≠最新の)(つまり令和に入ってから公開された)映画は2本観ました。
一本目は、
ポール・W・S・アンダーソン監督『映画 モンスターハンター』
です。世評はよくないけど「好きな監督だし、楽しめるだろう」と思って配信セル取り扱い当日に即買いし、いままで寝かせていた作品です。(いまならAmazonプライム会員なら無料で観れます)
結論から言えば、かなり厳しかった……もうちょっとちゃんと、一本の作品として終わらせておくべき。
ソリッドシチュエーションなサバイバルをするのはえらかったと思うんですよ。物語面ではさびしいけど、映像面でチャチさを感じることって全くありませんでした。
今作の物語の畳み方があまりにもザクザクかつ尻切れすぎる。『バトルシップ』とか2016年ポール・フェイグ監督版『ゴーストバスターズ』――あるいはED入る直前で「ジョーカーが街に……」「なに? いかなきゃ!」みたいな感じで有名ヴィランの登場をほのめかしつつ「バットマンの戦いは今後もつづく!」と終わる『バットマン ビギンズ』みたいなタイプ――のよくあるブロックバスター映画の「EDロール後に続編へつなげられそうなちょっとオマケがある」とか、そういうアレじゃ全然ないんですよ。
モンハンを求めてるひとにとっては、竜が謎文明子飼いのスーパーミニオンとしてWAVE防衛攻撃をするタワーディフェンスゲームを見せられるので困惑するでしょうし。そこはそういうものとして受け止めたひとにしたって、
「なんか口頭でさらっと設定説明が入ったのも束の間、物語の発端であるワープタワーも守り手のドラゴンも倒さずヌルッと終わった」
とやっぱり困惑するんじゃないでしょうか。
DAILY DEADから受けたインタビューでは、モンスター選定理由を語り、ロケ地での苦労をかたり――そしてVultureでの『ショッピング』などキャリア初期から振り返ったインタビューとおなじく――今作の参照元としてジョン・ブアマン監督『太平洋の地獄』('68)を挙げ、「そのような展開は、このゲームの面白味である」ということを語っています。
SYFYから受けたインタビューでは、ゲーム『モンスターハンター』について「(『トゥームレイダー』の)ララ・クロフトと違って」主人公キャラをプレイヤーが自由に弄れるキャラメイク機能があることにも注目しています。こうしたゲームシステムが、映画の主人公が『映画 モンハン』世界について何も知らない部外者(≒観客の分身的存在)という造形につながっていったのだそうな。
***
さて、インタビューにでてきた『太平洋の地獄』は「アジアの孤島に日本軍海軍兵とアメリカ空軍パイロットが流れ着いてしまってさぁどうしよう」という映画です。
展開や人物設定について『キングコング:髑髏島の巨神』('2017)がオマージュをささげており、類似展開のある先行作として女白軍兵と男赤軍兵が孤島にのこされてさぁどうしようという映画『女狙撃兵マリュートカ』(’56)、{人数はだいぶ多くなりますが日本軍と米軍の小隊同士が孤島にのこされてさぁどうしようという映画『勇者のみ』(’65)}、後発作として79年のバリー・B・ロングイヤーの小説('79ネビュラ賞ベスト・ノヴェラ、'80ヒューゴー賞ベスト・ノヴェラ等)『わが友なる敵』('79)を原作とする「異星に地球軍兵士とドラック星人兵士がのこされてさぁどうしよう」というウォルフガング・ペーターゼン監督『第5惑星』('85)、サンディ・カローラ監督『処刑惑星』(’2010)、未邦訳作で『In to the White』('12)などがあるらしい。
ぼくが鑑賞済みなのは『太平洋の地獄』と『第5惑星』。
WW2の敵対国同士という歴史的な補助線がひけるうえにずっと緊張感がたもたれつづける『太平洋の地獄』や、冒頭~中盤で劇中世界の戦争描写と(直立2足歩行でこそあるけど、ヒトと見た目のことなる)異種族への嫌悪がえがかれる『第5惑星』に対して、『映画 モンスター・ハンター』は対立の原因がふわっとしています。
地球人は狭量で傲慢であるという認識をおもちであれば、
「うんうんそうですよね、地球人は狭量で傲慢ですよね~」
とむしろスラスラ呑み込めるでしょうし、
「今回の主役たちは理解力にとぼしい差別主義者なんだな」
とサクッと切り替えられれば問題ないでしょう。しかしなまじっか主役たちが多国籍軍なせいで地球人側を「差別主義者枠」に入れづらく、しかもミラ・ジョヴォビッチ氏演じる主人公はそのなかで唯一、現地民の弓矢の意図を攻撃ではなく警告にあったと察する素振りをみせていた人物なので、余計に「どうして対立しているんだろう?」という困惑は晴れません。
繊細といえば聞こえはいいですけど、なんかぬるっと対立してぬるっと共闘するようなぼんやりどうでもいい関係性に100分付き合うのはせっかちには向きません。
***
アクションは、やっぱりショット自体は、予告編を見たときの感想をかつて日記に書いたとおりよかったと思います。今どきこれだけプラクティカルな実体感あるアクションってあんまり拝めない。
冒頭のファンタジックな船の難破シーンからしてすばらしい。
砂の海を走る帆船、という大枠じたいは『PotC』シリーズ第三作『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』とかぶる部分があります。(あとはスピルバーグ監督『タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』とか)
アンダーソン監督の近作『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』も、ダルタニアンと三銃士の関係性や物語のノリそしてアクションなどが、『PotC』を思わせるところがあったので、「またか」といやになった人もいるかもしれません。
でも、『PotC/W'sE』(や『タンタンの冒険 ユニコーン号の秘密』)が「砂の海を船が走る」というインパクトの強さだけでもって展開された、ちょっとした白昼夢的なシーンだったのにたいして、この『映画 モンスターハンター』はそこへとても実体的な難破シーンを盛り込んでいて面白かったです。
砂の海をすすむ船に怪獣が近づき、船が不穏に揺れて船内の吊り照明(実景セット)が揺れ(0:02:52)船長が無言で動き、玄人戦士(演;トニー・ジャー氏)も彫像を象るナイフを止め(0:02:56)、遅れて見張り(?)*3が怪獣を発見。玄人が「ディアブロス!」と怪獣の名を叫び、船内でコップを持ち歓談していた若者兵士も玄人の大声を聞いて表情を硬くし振り返る……も時すでに遅く船全体に衝撃がはしる(0:03:02。飲むためではなく、即座に卓へ乱暴へ置かれて皿とぶつかり跳ねたり、あるいは怪獣の衝突でどこかへ飛ばされたりする光景のために、兵士の手に持たれたコップ!)。帆から延びる網々のシュラウドに手をかけていた船員が衝撃で落ち甲板へ叩きつけられ、怪獣のたてる大きな砂飛沫に表甲板の操舵手が呑まれて、無人となった操舵輪が空転する(0:03:19)。
(このままでは船は岩山へ向かってしまうということで)船長がターザンジャンプで駆けつけ(0:03:20~。後景・被写体はターザン中の船長だけど、前景に空転する舵をキチンとうつした構図が良い)、左右へ暴れる帆桁(ブーム)を避け・それどころかブームを片手で掴んで保持したうえで舵を取り続ける。(0:03:35~。アクシデントをものともしない、船長と操舵手の格の違い!)
とはいえ急場は急場だ、船はこんどは大きな波を越えて、空を見上げながら大きく跳ねる。綱をもつ兵士は足が浮き体を甲板と並行になりながら耐え、そのなかでひとりは耐えきれずそのまま宙を舞う。玄人兵士が片手で掴んで助ける。(0:03:50 画面左前景に玄人兵士、中央に助けられた若船員、画面右奥にディアブロスの大開きの口)
若船員のひとりは助けられたが玄人の手は有限なので、耐えきれなかった他船員は綱から手を離し甲板にぶつかり、船体の傾きの関係で壁となった甲板をそのほかのタルなどの小物とともに滑り落ちて、手すりを折り砕きながら更に落下(0:03:57)、怪獣のツノに背中から串刺しにされる。
若者といっしょに転げていたタルは、甲板に水を爆ぜまき散らしながらバウンドして勢いを増し、そのさきには玄人兵士の無防備な頭が……
……というめくるめく混乱とそれを抑える秩序それでもなお強大な混沌が展開されていきます。
***
さて、上述したくだりの時点で既に、あやしいといえばあやしかったんですけど……
{シュラウドに手をかけていた人はなにをしていた/なにをしようとしていたの? (もしかれが見張りであり、交戦となったから降りてきたのだとすれば「どうしてディアブロスの接近に気づけなかったの?」という疑問がうかぶし。もし上にあがろうとしたのだとすれば、そこまで上に行く理由がわからない)とか。そもそも砂の海を走る帆船なんていう平時から震動すごそうな乗物のなかで、このときばかりは不穏に揺れる吊り照明ってなに? とか。
とくに気になったのは、「音に反応する」習性がある(しかも人が走る程度の震動で位置をしっかり把握できる能力がある)と分かっている怪獣ディアブロスのいる地域をただただ普ッ通ゥ~に走るそのやりかたは合ってるの?(間違ってますよね?)という点。
小回りもきかないし速力さえディアブロスに勝てない以上、ほうぼうへ音響爆弾ダルをデコイとして飛ばし散らしながら進むのが上策でしょうし、じっさい中盤で主役ふたりはそういう策略を取りましたね。
(あるいはスリングショットやメルノスなど翼竜で宙を舞って地盤のあつい小山の上や大岩の上へ行き、太鼓などを鳴らして"餌"を撒いて、相手が食いつこうとしたところでスリングショットで船に帰還すれば物資を節約できてアツいなと思うのですが)
「この中盤の大一番のために、この"竜が無数に占拠する世界"で長らく活動してきたはずのプロの集団が、ここまでサバイブし続けてこれたまるで分からないトーシロ集団として犠牲になってる」
と思えてしまう}
……現代のアメリカ陸軍レンジャー部隊が出てきたところで、疑問点はもうどうしようもなくなってしまう。
現代の銃火器がきかないのに、肩でかつげる程度の剣を人力で天から地へ振り下ろす突き刺し攻撃が効いたり、スリングショットでの巻取り運動で助走つけた程度のナイフ攻撃が効いたりする怪獣ってなに?
もちろんこれは『パシフィック・リム』とかだって同じ問題をかかえているわけなのですが、そちらはミサイルや火器がちいさく儚いのに対して、巨大メカのパンチやキックは、巨大メカの動力がクソデカかったり、武器となるメカの体がとにかく巨大で重く硬そうであったりするがゆえ「なんか効きそう!」と感じられる範疇になっていました。
あるいは『エヴァ』方向もよさそうだ。「兵器らしい兵器は劇中現実でも高い攻撃力を有しているけど、怪獣がへんな存在で、特定の方法じゃないと突破できないバリアが張られてしまう(のでそれを突破できるメカが活躍する)」という方向性。
それを考えると、『映画 モンハン』世界製武器も(映画中盤からプラクティカルなエレメントをまとってましたが、そうじゃなくてもっと)ゲームのエフェクトっぽい魔法っぽいエレメントを最初からまとってたのなら、上述したような疑問が生じなかったんじゃないかな~と思いました。
もちろん映画は見世物なので、「拝めて良かった!」と思える代物になっていればなんだっていいわけで。たとえばぼくは、(飲むための小道具じゃなくって)怪獣の衝撃がどれだけ大きいかを視覚化させる小道具として「若いハンターが手に持った飲食物」について褒めましたが、そこについて気になるひとはいるでしょう。
{物資がきつくなることも予想される航海だから、飲食物を大事にするムーブを取る人も居てよいのでは(たとえば食べ物が砂塵にまみれるまえに覆いをかけるとか)と思うひともいるでしょう}
すべては匙加減の問題で、ぼくにとってはあんまりよくない味付けでした。
***
さて前回の日記記事『日記;2018~19』は、その当時鑑賞メーターに残した映画感想文はほとんどオミットしてるんですけど。なかなか切なくなったので、W・S監督の傑作パイロットスペシャル『ザ・サイト』、デビュー初期のアート志向な意欲作『ショッピング』、アメリカに移ってからの佳作『ソルジャー』の感想を追加しました。
***
もう一本は、
ワン・ハオ監督『ザ・モンスターハンター 魔界都市』
結論から言えば、かなり厳しかった……もうちょっとちゃんと、一本の作品として終わらせておくべき。
今作の物語の畳み方って、『バトルシップ』とか2016年ポール・フェイグ監督版『ゴーストバスターズ』みたいなEDロール後にちょっとオマケがあるとか、そういうアレじゃないんですよ。
『映画 モンスターハンター』より「一旦おはなしがおわった」感はある。あるけど、「ぼくたちの戦いはまだまだこれからだ!」エンドだったあちらのほうがまだマシな終わらせかたかもしれない。さすがにこれ、前後編の前編ですよね『ザ・モンスターハンター 魔界都市』……?
***
ファッションとしてのスチームパンクが画面をにぎわせつつも(アンナミラーズの制服みたいなアレをヒロインが着たりする)、煙ひとつない時分の上海。官憲でさえ知る人がいないけれど、実はこの世のなかには「宇宙の門」をくぐってやってきたゴーストが人心を狂わせマンホールの隙間からモクモクと煙をまきあげながら実体化して悪さをしており、ごく少数のゴーストハンターが人知れずそれを狩っている。
寡黙で眉目秀麗なゴーストハンターが毎度のようにゴーストをたどっていったところ、絶世の美女マジシャンが手品の実演中にゴーストに襲われているところへ出くわす。ショーの観客には、彼女に懸想する警察副所長(だっけ?)がいて、ちょっとした三角関係が形成されてゴーストハントに茶々が入り取り逃がし、事件は女性マジシャンの誕生会へ集約されていく……
……というお話です。
既存作を並べてどんな作品か大雑把に説明すれば『ゴーストバスターズ』(異界の門とゴースト崇拝者。ゆるいゴーストハントコメディノリ、2016年フェイグ監督版の「事件現場が大きな魔法陣を形成する」大仕掛け)と、ガイ・リッチー監督版『シャーロック・ホームズ』(歪曲収差・色収差のつよくでたスローモーション映像で推理。「いったん事件は解決されるけど……」な「最後のアレ」)を合わせたような感じの作品ですね。
先行作よりも良いところだってある(たとえばゴースト崇拝者が異界の門をひらく目的と、ハンターたちのバックグラウンドとがからみあう物語展開)一方で、お話がとにかくゆるい。
EDクレジット込みで80分の短尺だし色々やってくれているんですが、それでも妙にかったるく感じてしまいました。
0221(火)
■買ったもの■
ジャニック・フェイジエフ監督『コスモ・ボール COSMO BALL』
▼10分くらいまでの感想
SFスポーツ映画です。監督はジャニック・フェイジエフ氏で、過去には作家の佐藤哲也さんが評価されていた『オーガスト・ウォーズ』でメガホンを取りました。
GYAOで期間限定無料配信がはじまったからとりあえず序盤10分くらいを観たら、これがなかなかの物量の作品で、HD画質のセル版を買ってみることにしました。
暴れる黒い蛸足異星人チェルノを白い知の巨人ベロが戦い地球の奥底へ沈めて20年が経った。
環境変動のおこった地球では、空を見上げるのが日課になった。昼でもありありとわかる、あの砕けた月を見る? そうではない、中空に浮かぶ巨大TVに投影される、「コスモ・ボール」を観るのだ。超能力を利用したスポーツに老若男女問わず世界じゅうが熱狂していた。主人公はその人気をつよく実感しているひとりだ。
「空なんて見上げてないで仕事しろよ!」
じぶんにそっぽを向いて試合に夢中である職業安定所の窓口職員へそう文句を言ったところ、窓口のブラインドをおろされてしまった。辺りを見れば、みんなが窓外の巨大テレビを見上げている。腹いせにブラインドを下げたところ、袋叩きにされてしまった……
……というのが冒頭10分くらいの話。
初戦については「コスモ・ボール」の上手下手や技巧こそいまいち把握しきれないし、人物のやり取りはちょっとコミカルではあるものの、とにかくしっかりスポーツ映画/SF映画をやっています。試合の展開(序盤こそ調子がよかったけれど、なにかチームプレイに問題あるらしく、逆転され最終的に負けてしまった)にあわせてスタジアムの観客やTV観客のようすが挿し込まれて、スポーツ映画らしい迫力があります。
ほかのスポーツ映画とちがうのは、スタジアムがSFな清浄空間であり、観衆は地球人のほか宇宙人(直立二足歩行のヒト型ではあるけれど、特殊メイクかCGかによる異形である)も無数にいることで、観衆は応援チームのユニフォームを着たりしているのはもちろんのこと、フェイスペイントも腹ペイントもする力の入れよう。
試合のあいまに点描される「試合に熱狂するTV観客」の姿は、主要舞台であろう――ヤシの木が立ち並びラクダが歩き、配給の水をもとめ行列をなす――熱帯化した昼のモスクワをはじめ、雪ふる夜のフロリダの川辺で「コスモボール」中継を見る人々やらピラミッドのさきっちょだけが息をする水の国エジプトやらなにやら、そのまま宇宙戦争のあおりをうけた未来世界をつたえる景観描写の役目もはたしています。
▼最後まで観た感想
なんか、ぼくがティーン時代に観た深夜アニメみたいな内容だ……!
冒頭のあの水配給の列に並ぶ主人公のシーンからしてそもそも一貫していた、ということなんでしょうけど。
10分以降は「コスモ・ボール」がもうだいぶ後景にしりぞいていて、なんと2戦目(決勝戦)は没収試合になります。「コスモ・ボール」選手の異星人としては巨漢のシリウス人(だっけ?)チームと、身の丈が倍以上ある巨人族がチームの2種族いるんですが、「シリウス人チームが暑さによわい」という特徴が示された(けれどコスモボール戦でとくに活きない)くらいで、見た目がちがう以上の違いは出せてません。
じゃあなにが大きく取り沙汰されるかといえば、全地球憧れの真正直優等生美女アスリート"ナターシャ"と、悪の帝王の娘であるお色気ヤンキーという日本のアニメみてぇにかわいい美女2人とのアニメみてぇな三角関係モノ。
(宇宙をぎゅうじる異星人の首脳会議にもひとり、ボディラインをくっきり見せるアニメみてぇなナイスバディ女首長がおり、漫画ライトノベル原作の実写邦画よりも、よっぽどアニメアニメしてます)
そういう視点でふりかえってみれば、冒頭の主人公の初お目見えの時点でそういう趣向だったと気づかされます。
行列がすすむも、立ち止まったままの主人公。なぜかというと、主人公はまえではなく横を見ているから――市民による「コスモ・ボール」の壁画が作成中で、その中央にえがかれた地球代表のナターシャに見とれているから。
さてその壁画の横の暗がりでは、悪の帝王の娘が主人公を見つめている。娘は主人公が動くタイミングを予想してカウントダウンを開始する――行列の脇に立つ街灯を事故にみせかけ倒して、一歩すすんだ主人公にぶつけるつもりなのだ……
……というのが冒頭の水配給の行列シーン。
劇中スポーツはつまるつまらない以前のところしか描かれてませんが(これ自体は賢明な判断だとおもう)、ただ、だからといって全体のお話がめっちゃ面白いかというとそんなことは正直ないんですけど……。
いや、悪くはないんですよ。
最初こそ「この設定をロシアの映画会社がやっちゃだめだろ」と引く"悪役"まわりのも――劇中でそのものズバリ「核」にたとえられるしインフラへの有効活用の道も示される高エネルギー兵器を生み出す、黒の「悪い」異星人「チェルノ」。かれが悪さをして環境破壊をしたので、地下で厳重隔離されている……というお話を、ロシアの映画会社がつくっている――、終盤まで見ると「なるほど」となりますし。
主人公の親世代の恋愛模様(それも、トム・クルーズ氏とジェニファー・コネリー氏みたいな「年かさを重ねているけど、美男美女」ではない二人の関係)が描かれたり、端役の一般市民たちが団結して立ち向かうさまがアクションとしてしっかり映されたりするのも、世界をひろく感じさせてくれて素朴にうれしい。
……悪くはないけどめっちゃ面白いわけでもない、こういう他愛ないお話をこの規模の大予算でやれるところが凄いと思ってしまった。
0227(月)
宿直明け日で、午後から先月ぶんのフリ休日。
■観たもの■
ジョン・ブアマン監督『太平洋の地獄』
リッチな孤島映画
とにかくリッチな映画でした。あまりに引きだしが豊富。
先住者である日本兵はとにかく器用で、映画がはじまった時点ですでに、島にある木々などを組み合わせて貯水器をつくったり、魚を捕るしかけをつくったりしています。
米兵との対立が深まるにつれ日本兵は竹槍の砦をつくったりするんですが、ぎゃくに平静をとりもどすと、竹を並べて熊手をつくって地面に向け、白砂の浜に枯山水の紋様をきざんでいきます。
野をいじくる両者の手つきはとてつもなく大がかりで、天変地異の様相さえあります。米兵にいらだった日本兵は、序盤も序盤で大規模な野焼きをして熱と煙で燻り殺そうとするし、ひとたびふたりが意気投合すれば、いかだをつくるため小山の竹を切って下へ投げてを何度も何度も繰り返し、海に緑の平面をつくりだします。
船はがっつり完成するし、青々とした海へ漕ぎ出すし、帆を張ったり荒天に見舞われ帆を下ろしたり補修したり……と航海描写もブ厚い。
なんやかんやのすえに辿り着いた光景が凄まじくって、もちろん、息をのんでしまうような無音・後代の黒沢清監督による傑作『CURE』を思い起こすような荒涼ぶりもすばらしいのですが、色相によるコントラストにもびっくりする。
0228(火)
仕事休み日。
■観たもの■
ウォルフガング・ペーターゼン監督『第5惑星』
リッチな孤星・植民主義批判映画
佐藤哲也さんの映画評では5点だった作品ですが、これは良いですよ。かなりリッチな映画だなぁと思いました。
原作『わが友なる敵』は未読なので小説の時点であった展開かは知りませんけど、79年9月号発表ということで映画『エイリアン』との同時代性をかんじる設定であり、そして『エイリアン』で拝めなかった部分への掘り下げがなされた作品だと思いました。
『エイリアン』は、異星で採掘をおえたウェイランド・ユタニ社の貨物船ノストロモ号がその帰路の途中たいへんなことになるという作品で、採掘模様じたいは描かれませんでした。
『第5惑星』は、地球人vsドラックの星間戦争のウラで地球人は異星を資源のとれる狩場として異星人を奴隷労働させているのですが、これは映画中盤以降のメイントピックとなり、異星の採掘場が大きなセットとギミック沢山の豊富な小道具によって映されていきます。
不時着さきの異星在来のものとして、カブトガニ的クリーチャに、アリジゴク的クリーチャ、流星群、飲み水の池などなどが登場し、そこへ地球軍・ドラック軍の大破した戦闘機が置かれるわけですが、それらを余すことなくドラマに役立てていて素晴らしい。
まず飲み水がひとつの焦点となったり(貯水器がリズムをきざむ落水のポタポタ音!)野焼きで敵兵を燻り殺そうとしたりした『太平洋の地獄』とおなじく、『第5惑星』でもまず水がフィーチャーされます。
でも『第5惑星』で注目をあつめる水は飲み水としてのそれではありません。あくまでドラックが水浴びをするための/持ち場から目を離すための水の溜まり場であり、ポタポタ音はこわれた戦闘機が立てる漏油であったりします。
戦闘機の燃料をみつけた地球軍兵士はそれを池にそそぎ、火をつけます。
『第5惑星』では、バチバチに火花を散らしグツグツ煮える対立や不和がたびたび登場します――文字どおり。
燃える池での一件ののち、紆余曲折あって仲良くなり立派な家を一緒に建てるまでになったふたりも、目と鼻のさきで流星群が降り注いでしまうと、それぞれの種族に対する嫌悪を叫んで取っ組み合いのけんかをしてしまいますし。
袂をわかれた地球人兵士は、グツグツ煮える赤い溶岩地帯をすすむことになります。
0302(木)
■ネット徘徊■
「映画についてのおはなし」のはなし(伊藤計劃『グラディエーター』評を読み返す
ひさびさに伊藤計劃さんの『グラディエーター』評を読み直しました。
(いちおうレビューの性質を書いておくと、どれも劇場公開中の映画についてのレビューであり、未見のひとでも読んでいいどころか、むしろ未見の人が映画館へ行ってくれることを目的として書いている「紹介」文とのこと)
むかしぼくが感銘をうけたのは……
「グラディエーター」の「野蛮さ」とはなにか。それは、目的や物語を逸脱し、制作中のある時点から止めようが無くなってしまった、「世界全部」を細部まで構築する意思にあります。
「ローマ帝国全部作る」
これを聞いて、ほとんどの人は馬鹿だと思うでしょう。どんなにふんだんに予算が与えられていても、多くの映画は物語に必要なセットだけを組み、物語に必要な人数のエキストラだけを雇います。そうした映画は、知らず観客にと「物語に奉仕している映像」という印象を与えます。
「ブレードランナー」以降、大予算で退廃した未来都市を描いた映画はいくつも作られました。しかし、それらの映画が「ブレラン」と違うのは、物語に関係しないオブジェの完全なる欠落です。ブレランでは、物語に関係しないものが物語に関わるものを圧倒していました。市場の人ごみ、動物市場の動物たち、セバスチャンの部屋の人形たち。ブレランの画面は、物語に関係のないオブジェで埋め尽くされていました。
必要性を遥かに超えた、画面を過剰にすることへの意思。フレーム内に物が横溢していないと不安に襲われるとでもいうかのように、画面を何かで埋め尽くすことへのフェティシュ。それは単に物語からの逸脱であるどころか、物語をおびやかす行為に他なりません。なぜならば、そこにはメインの物語を単なる「この世界の1エピソード」に矮小化せしめる「物のレジスタンス」があるからです。
だから、リドリーは「ローマを描く」ことをしません。「ローマを全部作ってしまう」のです。
この野蛮さ。この、アホと呼ばれても仕方のない過剰さ。我々は「グラディエーター」を観て、画面内における、物語に関係のないオブジェのあまりの多さに驚きます。装飾品が人間の顔と等価となるような、「モノ」や「ヒト」の氾濫に呆れます。そこには物語を大きくはみだした、過剰なる意思がはたらいているのが明らかです。主人公の物語をおびやかす、千個のモノや通行人それぞれの物語の存在。過剰さとはすなわち、モノやヒトを主人公の物語に従属させないという意思であり、それはつまり「世界」を創造するということなのです。
「異世界」を描くとはそういう過剰さを作家として「生きる」ことなのです。伊藤計劃『SPOOK TALE』、「グラディエーター」評より
……この辺の、「映画ってドラマ以外にもいろいろな醍醐味があるんだよ」というお話でしたが。
あらためて開いてみるとですね、そこ以上に、伊藤氏のプレゼン力の高さに感服してしまいました。
だって、一息に聞ける「お話」のなかで……
- 「映画における"過剰"さとはなにか? (ドラマの奇天烈さ? 違う)」
- 「ドラマをやろうとして失敗を重ねてきた、最近のリドリー・スコット監督作品回顧」
- 「『グラディエーター』のローマのR・スコット原点回帰的な魅力(舞台の・画面の物量的すさまじさ)」
- 「『グラディエーター』コモドゥスのコスチュームデザイン(黒の迫力。この演出の直近の源流が、最近のR・スコットの迷走作*4にあることを指摘)」
- 「③と④との対照的な描きわけからくる、『グラディエーター』という映画の色彩設計の魅力」
- 「魅力的なのは"世界"だけじゃない(『グラディエーター』のドラマ、キャラの魅力、"この世界の1エピソード"型モノ敷き詰め映画でとりうる最善のドラマとは何か?)」
……と、作品論はもちろん作家論まで、そして作品論についてはシナリオや役者にかぎらずロケセット大道具・服飾・各シーンの画面の質感まで多種多様な要素が語られているんですよ。
ドラマについて映画雑誌評的・文芸評的に、テーマについて思想論壇的に、あるいは視覚聴覚表象についてシネフィリックないしテマティスティックな表層批評的に、伊藤さんのこの評より色々書けるひとはいるでしょうし、書いたものもすでにきっとあるでしょう。*5
でも、これだけ多様な要素をバランスよく端的になめらかかつ平易に述べる、筋のとおった「話芸」を一発ぶてるかたは、さすがになかなか居ないんじゃないでしょうか?
{もちろん、はてなダイアリー時代の伊藤氏のとある記事がちょっと焦げた(①、②)みたいに、こういう(思想的バックグラウンドや過程をいくらか省いたうえでの)言い切りは個人サイト時代だからこそできた部分はあるのかもしれません。現代の長文記事のなかには、第三者からの誤解を避けるため留保・前置きをさまざま入れざるをえなくなってそうなってしまったケースもあるのやも。
他方で……
・書き手がなにを主張したいかゴールを決めない(わからない)まま見切り発車で書き進めた結果としての迷走
・「とりあえず気づいたこと・思いついたことは全部書く」しかない取捨選択能力の不足・自己編集能力の欠如
・書き手だけがたのしい連想ゲームや知識のひけらかし
……によって文章がくどくど伸びてしまったケースも結構あるんじゃないかと思うんですよね。すくなくともこのブログはそうです}
{03/03追記;いつものおどけで終わらせちゃって、伊藤さんのレビューがどう端的か書いてなかったので追記します。
伊藤氏が取り上げた、ローマに広がっていくコモドゥスの(ナチ的な)黒と、ローマの雑多な色。
ここに注目すれば、氏が語ってない中盤の主人公マキシマスが見舞われる悲劇がどうしてああも惨たらしいのか(煤炭で真っ黒になった実家と家族)も、(氏がほんのり述べた)結末で何故かすかなりとも「幸福」感をいだくのか(モノクロに近いけど、たしかに色相がある彼岸。黒い影の濃いコロシアム場内からカメラがぐいーっとクレーンアップすると橙色の眺望が……)も、つるーっと呑み込めるんですよ。
伊藤氏がそんな誘導(教育)するつもりで書いていたかはともかくとして……
……語りすぎないレビューの一形態として「いちばんめだつ最大公約数だけ提示して、あとの手計算部分は(レビューから実物を手に取ってくれた読者へ)まかせる」*6のは、なかなか良いやり方だと思った次第}
2000年6月公開だから25歳のときのレビューなんだよな。今のぼくとギリギリ10離れない時分だ。いやはや凄まじい。
小説作家デビューまえの氏にさえ追いつけないというのに、もう氏と同い年になってしまったよ。
0303(金)
■ネット徘徊■自律神経の乱れ■
きょうのきゅうりキャット現象
面白インターネット界隈のなかでも肌に合うひと合わないひとがいて、ぼくがどうにもダメなのは、すてきな映画の予告へ4コママンガのオチ的に異物を持ち込むひと、むずがゆい恋愛青春劇の最後にトラックをつっこませるひと、イラストや写真にたいして穴埋め大喜利をやってるひとです。
— katooonline (@katooonline) 2023年1月22日
うんこドリルやおしりたんていで育った世代がなんて呼ばれるか心配
— katooonline (@katooonline) 2019年4月21日
この風に乗ってコオロギの粉も少しは飛んでるんだろうな
— katooonline (@katooonline) 2023年3月2日
(1228追記;本題を書き忘れてた)
3月、学校の調理実習でコオロギパウダーをつかったニュースで世間がざわつき、こういう「微レ存」的なつぶやきも流れてきたんですね。
「うぉ~こういうイヤ~なつぶやきをするひとはアイコンからしてうんこなんだ~つよい自己言及~」
と思ったんですが、あらためて見たらふつうにかわいいクリスマスツリーでしたね。イヤ~なのはzzz_zzzzのほうだった……。
さて、猫が視界の隅にキュウリを置かれるとビックリして飛びのく動画が一時期はやりました。これは「きゅうりをヘビなどと勘違いして本能的に反応してしまうんじゃないか?」という説があります。
それをふまえて、ビル室内へ入り込んだ枯れ葉をゴキブリと勘違いして飛びのいたりする現象をzzz_zzzzはきゅうりキャット現象と勝手に読んで蒐集しているのですが、今回のこれもコレクションのひとつにおさめました。
0313(月)
■書きもの■
『VRの戸を握る 良き入門、そして;『Horizon Call of the Montain』感想』をアップしました。
PS5+PSVR2ゲーム『HCotM』の感想記事をアップしました。
- "酔い"対策の幅広さのすばらしさ、と、それを利かせ過ぎて控えめな演出に対する不満
- 登攀ゲーとしての面白さ、と、先行VR登攀ゲーより簡単なシステムが必ずしも悪いことばかりでないこと。登攀パートの、『HCotM』の配慮が行き届いた演出からハミ出た迫力
……を語った記事です。
①と重なるトピックで、⓪と番号を振りたいこの記事のそもそもの大前提として……
- 記事執筆者(プレイヤー)は"VR酔い"耐性がどのくらいあるのか・プレイ時の状態はなにか(酔い止めは飲んだ? 飲んだとしたら何を? どのくらい?)
……も書きました。この⓪によって情報の有用性は十二分に確保できたんじゃないかなぁと思います。
今作の記事やほかのVRゲーの記事を読んでいて思ったのが「記事執筆者(プレイヤー)がどの程度"VR酔い"耐性があって、プレイ時にどのような状態にあったのか(酔い止めは飲んだ? 飲んだとしたら何を? どのくらい?)」が不明である記事が大多数なんですよね。
そのへんについてちゃんと触れた文章は多ければ多いほど良いと思ったので書きました。
"そのゲームが酔うか否か?"って評者によってバラバラすぎるのに、ちゃんと語らないのは問題だと思うんですよ。
たとえば『RIGS』はとにかく「酔う」と評判の作品で、かくいうぼくもメカ操作パートを10分と操作できず気持ち悪くなってリタイアした作品なんですけど。「気持ち悪いというほどまでの酔いではない」と反対の意見を言っているメディアもある。
年間数十万円をマンガに費やすと述べたひとについて「ウソだ」とあやしんだ層を「その程度の出費を疑うくらいの経済状況だなんて……」と憐れむ声がつよかった昨今、世間の皆々様であればPS4Pro+初代PSVRとそのゲームに対する出費なんてたいしたものじゃないんでしょうけど、ぼくは、
「おれはこんなもんのために4万5千円はらったのか」
って初代PSVR購入初日に後悔しましたからね。あんなチャチなオモチャを「まるで現実!」みたいにもてはやしたメディアの提灯記事は本当に反省すべきだと思うし、無邪気に言ったのなら無責任だと思っています。
VRゲームのレビュアーであるぱソんこ氏によれば、「作品の客観的な"酔い"度合いをはかる/提示する流通システムは、既存のVRゲームハードの販売サイト/コミュニティには実装済み」なんですけど……
「VR初心者には何がいいVRゲームなのかわからないのでフリーパスを配るべき」という意見を定期的に見るのだがこれは「PS Store側にゲームを評価、分類する機能がないのが問題」なんだよな(なぜならSteamやQuestではユーザーレビューが機能しているので)
— ぱソんこ (@passonco) 2023年3月13日
Questストアの「プラットフォーマーが判定したVR酔い度数」はPS Storeにも導入しとけばいいとは思う(Steamは……むずかしいねんな)
— ぱソんこ (@passonco) 2023年3月13日
……他流通サイトとちがってPSストアには「その作品がどれだけ酔うかユーザーによる評価をつけるシステムがない」ので、PSVR2独占である『HCotM』は、それがどれだけ"酔う(酔わない)"作品なのかを知るてがかりがあまり無いということになります。
そのへんの悲しいすれ違いはつぶしたほうがいいので、こういう内容を書きたかった(書いた)次第です。
そもそも「blogを更新したい」という欲望があり、この感想記事は、
「アップ済みのプレイ日記をちょっといじれば簡単に個別記事が仕上がるのではないか?」
「そもそも手に入れた人が限られ、感想の数もすくない作品なので、感想をアップすること自体に意義があるだろう!」
という下心や勝算から生まれたエントリなのですが。
他方で、
「(言及数の)分母が小さくなるということは、ひとつの声がほかへ与える影響は大きいはずだ。こういう作品への言及こそ、慎重になるべきなのではないか?」
という疑問を無視するのはちょっとむずかしいですよね。見栄っ張りなので「テケトー書いて"その程度"の枠に入れられるのが怖い」というアレもある(笑)*7
なので、①についてはzzz_zzzzが初代PSVRのゲームをことごとく放り投げた経験とその詳細(酔った)を振り返ったうえで、『HCotM』がいかにしてそれへ対策しているか、VR空間での"酔い"対策の論文をいくつか挙げつつ注目してみることとなりましたし。
②については、過去のゲームの登攀システムと、それと重なるような現実世界の登攀を……
- シリーズ旧作PS4『Horizon Zero Dawn』{('17)やPS3『アンチャーテッド』で有名な}立体「点つなぎ絵」式登攀システム
- Switch&WiiU『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』('17)のどこでも自由に登れるシステム
- PS4『デス・ストランディング』('19)の自由だけど歩くのさえバランスを取らなきゃならない移動システムと、道中でおきる『道迷い遭難』的な選択(ミス)
- QuestVR<The Climb>シリーズのVR&モーションキャプチャ式コントローラならではの登攀システム
……を振り返りながら、相違点・『HCotM』の独自性とはなにかを考えてみることとなりました。
■ビデオゲーム■
『HCotM』ラス前おかわり(30分で酔う)
収集物(ステージのどこかに散らばってるユニークアイテム。手に入れるとちょっとしたゲーム世界内の設定が言語化される)のコンプリートくらいはしたいので、未回収のステージのなかから、ラストひとつ手前の面をおかわりしました。
30分くらいで周回できたんですが、収集物は見つからず。ふつうに酔いました。
睡眠時間3時間くらいだったのがいけないのか? わからん……。
0327(月)
■身の回りのもの■ネット徘徊(vtuber配信)■
魔の生活サイクルから抜け出せない
平日=労働で体力・気力を減らし、終業後の自由時間に(要求されるHPやMPが高い)知的/複雑なタスクをこなす余裕はない。vtuberの配信など気軽にたのしめるエンタメを観て気力を癒す。
休日まえの平日=「あしたは休日だから」とvtuberの配信を夜おそくまで観る。
休日=
夜更かしの結果、午前おそくに起床。「もう昼飯ちかいし」と朝ごはんを抜く。
昼飯に「せっかくお家だから」と好物のスパゲッティ(ソースを余らせないよう2人前)や買い貯めた麺処まるわさんのバジルソルトつけ麺を食べる。
その結果としてたぶん血糖値が上がり、起きたばかりだというのにまた眠くなる。
昼寝する。
起きたら夕方・夜になってる。もうどこかに出かける余暇時間は無い。
かといって家で知的/複雑なタスクをこなせるほど、頭はハッキリしていない。(寝すぎてか睡眠時間の区切りがわるいのか。はたまた仮眠のつもりで雑な姿勢で寝たりすることもあり)頭が痛かったりボーッとしたりしているし、のども痛かったり目もシバシバする。寝返りがうまくできていないのか、首も背骨もなんかダメなときがある。でも眠くない。そんな状態で見れるものはLive2Dのvtuberさんの配信くらいしかない。
休日後の平日=休日によって生じた変な生活サイクルをひきずったまま労働にのぞむ。体力・気力がすり減る。
……という無間地獄サイクルに入っています。(とか言ってblog更新した月曜日、家帰って「ちょっと仮眠とろう」と横になったら気づいたら18時が気づいたら22時30分になっててビビリましたね……)
『Vtuber最協決定戦 ver.APEX』の季節がまたやってきた
vtuberさんがたの配信は、梅が咲き卒業式がおわり、今年もまた『Vtuber最協決定戦 ver.APEX』の季節をむかえました。
「V最」は個人や企業さまざまなvtuberさんが一堂に会しゲームをプレイし優勝をめざす人気イベントです。副題にあるとおり、60人20組同時対戦のバトルロワイヤルFPS『APEX LEGENDS』が得物となります。
V最も8回目。選手層は前回にもまして広がって、参加チーム20組のうち1組は英語圏vtuberアクセル・シリオスさん(ホロライブで知られるカバー社運営ホロスターズENのvtuberさん。正直どんなかたか知らん)、1組はコリアン圏のvtuberハユンくん(エニーカラー社運営のにじさんじのvtuberさん。韓国語が第一言語で、日本語英語も話せるトリリンガル)にそれぞれリーダー権がわたされ、英語が第一言語である選手のトリオと、韓国語が第一言語の選手が過半数であるトリオがうまれました。イベントの配信環境も変化があって、今回はTジョイプリンス品川・横浜ブルク13・Tジョイ京都・Tジョイ博多の4ヶ所でパブリックビューイングも開催予定と更なる飛躍をとげました。
4月15日の本大会のまえ1週間ほどは、全チームが参加しての専用マッチ(試合)部屋でのカスタムマッチ練習配信がひらかれるのが通例なんですけど……
……プロゲーマーチームなど一部の有力者以外ひらけなかった以前と違い、1月のアップデートによってユーザーのだれもがカスタムマッチをひらけるようになった今年はちょっと違いますね。
1ヶ月まえの現時点でも、暖かいところから順繰りに桜が咲くように、熱の入ったチームが専用のマッチ部屋を立て他チームやリスナーを招いてマッチ人数限界60人を埋めるフルカスタムマッチが連日夕方から深夜・早朝まで4~9時間ほどひらかれている盛り上がり具合。(ぽやぽや観ているとサックリ1時2時になります)
ぼくは前回とおなじく……
……樋口楓(愛称でろーん)さんが所属するチームと、卯月コウ(愛称うづコウ)が所属するチームを追いつつ。ほかのチームもつまみ食いしています。
1年経って新キャラも追加された『APEX LEGENDS』では、去年とはまた最適戦略・最適キャラ構成もけっこうな変化がみられているものの、今大会のでろーんも60選手中オンリーワンのキャラピックとなるだろうランパートで戦うもよう。アツいぜ。
他メンバーのキャラピックは、「移動キャラ」ヴァルキリーや「索敵キャラ」シアが加わる予定っぽい。
前大会では、ランダムにかわる安全地帯の最終収縮さきを読み、有力な地形・拠点を迅速に辿り着いて防御をかためる定石"先入りムーブ"チームにたいして、その根城のドアを破壊できるランパートの専用武器シーラでカチコむ圧倒的後入りムーブがとにかく華やかでしたが……
……これって紆余曲折あったうえでたどり着いたもので、ヴァルキリーを入れた構成・"先入り"ムーブなども試したけれどそちらはいまいち奮わなかった結果でもあるんですよね。
ランパートはシーラのほかの固有装備として"増幅バリケード"という設置式の簡易防壁兼ダメージ増幅装備を5枚ほど張ることができるんですけど――そもそも初動のうごきだしがいまいち速くなれなかったというのもありますが、たとえ先入りできたとしても――帯に短し襷に長し、陣地を守りきるには簡単に壊されてしまって頼りなく、シーラが暖気を終えて敵を押し返し砕く火力を発揮するまえに沈んでしまう印象がありました。
{なので、増幅バリケードを素通りする爆撃などに対処するため、それらを防げるドームシールドを張れるジブラルタルをエマたそまるがピック。
チームのIGL(イン・ゲーム・リーダー)で、そして忍者のような「遊撃キャラ」レイスを操り敵トリオへ神出鬼没の致命傷をあたえる実力者レイドくんを、ランパートのバリケードやジブラルタルのドームという2種類の盾で守り援護するような立ち回りとなりました。
(敵チームの浮いた誰かをみつけてレイスが単騎撃破したうえでポータルを引き、味方のふたりを呼び寄せ、3vs2の数的有利なファイトにもちこんだり。逆にレイドくんがうまく行かなかったら、自陣へもどってバリケやドームの裏で安全に回復したり……みたいな)}
そんな過去とは裏腹に、いまのところの有志カスタムマッチだと胡桃のあさん率いるでろーん&兎咲ミミチームの中入り・先入りムーブはけっこう上々の戦績。
もちろん、オンラインゲームらしいシステム的変更による影響もあるでしょう。今大会までにランパートは微強化パッチ(増幅バリケードの設置中体力がふえ設置時間がみじかくなり、シーラの起動時間がみじかくなった)をくわえられましたし。
有力(メタ)キャラ・戦術も変わってカタリスト(=前回大会ではまだ未実装だったキャラで、不可視壁を展開できる)&シア(=敵の居場所をリアルタイムマーキングできる)の"合法ウォールハック"コンビ構成が主流となって、クリプトがかなり影をうすくしているから、クリプトのEMPで増幅バリケードのエネルギーシールド部分を剥がされる機会がすくないこともあるかもしれません。
でもそれだけじゃなくて、ランパートでプレイヤーTOP91位プレデターとなった"みこだよ"氏がメインコーチとして迎えられたのも大きそうに思えます。
前大会よりも置く位置の精度も張り直し速度もよくなった陣地構築とシーラの当て感によって、帯にも襷にもなれる攻撃的後衛としてでろーんがしっかり機能してます。
初期着陸地点(ランドマーク)のドラフト抽選や全チームが出そろい全体練習マッチが行なわれることでチーム構成や戦術もまた変わってくるでしょうからあくまで「この時点では上々」と云うだけですが、
「前回と今回でこんなガラリと違う立ち回りが拝めるものなのか~!」
とうれしい驚きとともに配信を追ってます。
チームで掛け声をだして攻撃対象をひとつに定めて一斉に射撃する"フォーカス"合わせもだんだんと揃ってきてますし、本大会でどこまで仕上がるか楽しみです。
いっぽう、ぶいすぽ所属vtuber橘ひなのさん率いるうづコウ&渡会雲雀くんチームもなかなか観ていて面白い。
笑いの沸点がひくい記録的大ゲラのオタク女ひなーのと、自分とおなじにじさんじ所属で箱の先輩を立てに立てる陽キャのオタク男ひばと組んだうづコウが、とにかく活き活きしてます。
ひなーのチームのコーチはプロゲーミング/ストリーマーチーム・Crazy Raccoon所属の元プロMondoさんで、zzz_zzzzはMondo氏について『APEX』の実力はもちろん言語の壁とかれの性格から結構にコワモテな印象をもっていました。うづコウもおなじようなイメージをいだいていたみたいなんですが、とにかく絶好調なので、顔合わせ早々に……
【APEX/V最協S5練習】Mondoがアイス好きなこと知ってお得意のお人形遊びを始めるコウ #卯月コウ #渡会雲雀 #橘ひなの #Mondo
— いながわ (@Inajun2434) 2023年3月20日
【🔗https://t.co/WjlAzsLLPt】 pic.twitter.com/LYxrk4yt5t
……お得意のお人形遊びの素材にしていました。
(オールタイムベスト級の伴名練氏による中篇SF「ひかりより速く、ゆるやかに」では、一部の創作や創作者/それを楽しむ受け手がもちうる"現実を自分勝手にエクスプロイトするお人形遊び性"への批判もあって、くだんの作品を読んだぼくは襟元をただす思いだったのですが、
「あの批判は常識的だけど、こういうやりとりを見てみると、結構ケースバイケースなのかもしれないなぁ」
と思ってしまいました。本人を目の前にしてナマモノ二次創作やって、それでふつうに場が和んでるという……)
3人のチームワークがとにかく息が合っていて、フォーカス合わせもすでに完璧。
たとえばうづコウが狙撃を外したさい反射的に出た「くそっ、なめやがって……」一言に対して、雲雀くんが、
それに対しうづコウも間髪入れずリヴァイ風に呼びかけ、
とふたりでワンフレーズずつリレーしてリヴァイのセリフを詠唱。その後も、
「70……(ダメージを相手に与えた)」「ナイス……」「進化したぁ……」「おい八九寺ィ、アーマー交換するぞ」
戦闘の状況報告を延々モノマネでやり続けます。
このチームはIGL(インゲームリーダー)のひなーのが移動キャラのヴァルキリーをあつかい、ほかのふたりはリヴァイと阿良々木くんという神谷2枚積み構成という尖りつつも安定感のあるチームとなりそうですが、まだ波乱がありそうです。
やはり真面目に優勝をめざしていますから、衝突もあるわけですよ。
リーダーのひなーのへコウが異を唱え、対決を申し込み、太鼓持ちのひばさえもが先輩に厳しい目をむける……
橘ひなの 「あたし朝比奈みくる(の声マネ)できるよ」
卯月コウ「おぉい! おれもできるぜ!! 対決しようぜ」
渡会雲雀「まじで?(審判として)厳しいっすよ俺」
……朝比奈みくる声真似選手権勃発。
うづコウの味がある"みくる"、ひなーのの完成度の高い"みくる"が披露され、ひばも拍手、感銘の声をあげます。うんうん、そうだよね、ひなーの圧勝とはいえ、好い勝負だったよn……
渡会雲雀「え、ガチでうまかったな……!」
橘ひなの「ぁりがとぅござぃます~」
渡会雲雀「うわっ、みくるんだ!」
橘ひなの「"みくるん"やめて?(照笑)」
渡会雲雀「うわ、すごいパーティが……え俺もやりたい」
橘ひなの「え? なになn」
渡会雲雀「みくる。いきまーす」
……流れるように第2回朝比奈みくる声真似選手権開催。
1IGL2神谷もできるし3みくる構成もできるというなかなかのトリオで、作業のお供にする配信はこの一ヶ月まったく困らなそうですわ。
(『APEX』のゲームプレイ自体もふつうにこのチームも良い感じで、もちろんそっちも楽しみです)
……いや、作業するものも、体力気力も無いんですけどね(トホホ)
0330(木)
■観たもの■身の回りのもの■
『THE FIRST SLAM DUNK』から、中学卓球部員時代の体育館履きの底を思い出す
あの映画にはもう、しぐさ単位とか、たたずまい単位とかで、
「ああ、生きてるな」
みたいな感動があり。(お絵描きクラスタとしての)じぶんの肥やしにするにはあまりに高度で腹をくだすしかない、みたいな敗北感もあり。
あの映画にはこういう「やりにいってる」構図は何一つなくて(と言ったらさすがにウソで、「これ関連はトンネル的意匠でいくぞ」とか、「あれ関連は真上からの俯瞰でいくぞ」とか、色々と一本の物語映画としてまとめる変奏的映像はあったのですが、それはそれとして)。
てらいの無い構図とカメラワークで、たとえば会話しながらもバッシュの底を手でぬぐってる何気ないしぐさであるとか、あるいは「うわぁ、折れちゃった……」と観ていてしみじみ辛くなるような、ついさっきまで燃えて走っていた人がちょっと背をまるめて上下動おおきめにゆるくケイデンスを落とすたたずまいであるとかの、「スポーツ選手の実在感」がただただゴリゴリとかかれていって、凄かったんですよね。
ゴリゴリって、なにに?
フィルムにとかそういう話はいましてません。
観ていて「あ~」ってなったんですよね。いや、ぼくはインターハイに出場するようなバスケ部員じゃなくて中学で引退したザコ運動部員だし、そもそもバスケ部じゃなくてそれと網で区切られた陰キャの中学卓球部員だったんですけど、じぶんが3年最後の夏で団体戦のレギュラーから落ちて、個人戦もなんか次地区大会出場できるような上位に駒をすすめるまえの序盤も序盤で、あと数点で相手のマッチポイントだとなったときに「うわぁ俺の3年こんなとこで終わるのか」と思っちゃって、せめてもと掛け声をだすんだけど「うわぁもう出してるけど、出してるだけじゃん」と余計に情けなさが加速されたんですよね。そんなふうに海馬をこうゴリゴリと掻かれて昔の記憶が掘り起こされていって、凄かったんですよね。
体育館履きの底を手でぬぐうのは、うごいているうちにゴムの靴底へ床のワックスとかゴミとかが付着してグリップ力が落ちていくのでそれを拭って回復させるためなんですけど、まぁぼくは卓球部員なんで、それも市大会数回戦負けの弱小部員なんで、手でぬぐったことは無いんですよ。
ぼくはそんなステップしなくて大丈夫な手打ちのツブ高中国ペン(『ピンポン』のペコのあれです。戦型はちがうけど)のショートマンだった(湯浅版『ピンポン』のアクマみたいなやつです)というのもあるけど、それよりもなにより、「手で拭くの?」「拭いてそのあとどうするの?」と尻込みしたからなんですね。
拭ったら、靴底についてたゴミは当然じぶんの手につくわけじゃないですか。ばっちぃじゃん。不快じゃん。タオルで拭く? じゃあそのタオルで顔とかもう拭けないじゃん。
うちの部のエースは、きゅっきゅきゅっきゅと床を鳴らしながら動きまわるカットマンで(『ピンポン』のスマイルのあれです)、その子はだから、頻繁に靴底を手でぬぐっていました。
ぬぐった手を卓球台のネット近くの面でさらにぬぐってたんですが、じゃあぼくもそうやればいいじゃんって、なんかそれも「みんなやってるけど、反則だったりせん?」と気になって(でも調べなくて)、やれなかった。けっきょく手が汚れるのは変わらないしね。
だからもうね、沢北はえらいんですよ。なんかカッコいいこと言ったりキメたりしながらもね、ちゃんと手で靴底をぬぐえるんだもん。
0404(火)
■読んだもの■
河部真道『鬼ゴロシ』10巻まで読書メモ
河部真道『鬼ゴロシ』10巻を読みました。
kindle版が1巻については7割引きの229円、2巻については半額の382円とやすくなっているけど、話の区切りがなかなかあれで薦めづらい所がありました。
なんかね「話の区切りがつかない」というか、どこへ向かっているのかいまいち見えない霧中をしばらく進んでいるような作品だったんですよね。
うえで試読できる第一話、序盤こそ、日本地方都市版『燃える男』/『マイ・ボディガード』という印象があった今作ですが……
……幕開けで読者へ印象づけられる「妻子を犯し殺した5人の奇面にたいする復讐譚」の暗い興奮は、じっさいページをめくっていくと、その道のりがどれだけ遠く険しく曲がりくねって困難であるかがつきつけられて、しおしおに萎えに萎えていくかたちになります。
奇面たちがその面をはずした表の姿は職業も年齢もばらばらで多様であり、警察、商店街、町を牛耳る役所、地域一帯を牛耳る大企業……みたいな具合で出自をたがえていて。主人公が復讐の道を進もうとすると、上述したような地域・階層の老若男女が無数に(本当に無数に!)ポップして、それぞれがそれぞれのドラマを繰り広げます。
加虐欲・性欲、出世欲、策謀、家族愛、親殺し、野心大望、理想……それぞれがいだいた目標へめざして繰り広げる挿話は、枝葉末節と云いきるにゃ長すぎて太すぎて、時たま「むしろ主人公のほうが、かれらのドラマを邪魔する脇役、土地にまいこんでしまった外来種なのではないか」と感じられるほどです。
主人公のまえに現れるのはかれへ暴力をふるう人間だけじゃなくて、
「オッ、奇面組がなにをしようとしているのか、その政治面・舞台背景面について掘り下げる探偵役・主人公の相棒役かな?」
と思わされる人物などもいるわけですが、その時たまたま目的や欲望が一致しただけなので、かれはかれでかれなりの速度でどんどんと突き進みます。
そして主人公が台風の目となる混沌と少し距離を置いたところで、地方風俗史学者がこの劇中舞台の研究をしており、じつはこの土地にはたびたび大量殺戮の限りを尽くす「鬼」の存在があらわれた来歴がチラつき、と……
本書に記されているとおりの土地が我が国には間違いなく存在する。そしてそこに置かれた鍋が何かの事情でひっくり返ると、すっかり煮詰められた関係性があらわになって強固な「おのれ」が活動を始める。鍋をひっくり返すのが戦争である。最初に戦争があるわけではないし、戦争によって社会的な関係性が棚上げにされるわけでもない。まず傍目にははっきりと見えない関係性があって、その延長線上にたまたま戦争があり、関係性で結ばれた個人の行動形式が戦争によって変更されるだけなのである。ここで戦争はなし崩しに国際政治の原理から切り離されていつの間にか地方風俗に回収され、煮詰められた関係性を次の段階へ進めるための材料となる。得体の知れない見栄や因縁のせいで攻撃の対象にされるソ連軍こそいい面の皮であろう。そのような戦争のなかで英雄を探し出すのは困難だし、正義を見つけ出すのは不可能に近い。それだけではない。いったんことが片づいたあとでは、事件全体がスキャンダルにまで貶められる。それも全国的なスキャンダルではなく、どこか遠くの、聞いたこともないような土地で起こったスキャンダルである。我々は新聞の社会面でそのたぐいの記事に目をとめて、現場にいたはずの俗物じみた人物をおもしろおかしく想像するが、『戦争の法』ではそうした俗物じみた人物が地元の因縁をまとって山ほども現われ、それぞれに「おのれ」を発揮する。
……佐藤亜紀『戦争の法』文春文庫版巻末、佐藤哲也氏による文春文庫版解説の一節がしっくりきそうな、煮詰まりに煮詰まった闇鍋がここにはあります。
その土地の者でないぼくらからすれば、ポンポポンポと投入される新顔はTLのポン助おたくたちがキキとして目くばせしはしゃぎ合う類いの「トンチキ」のように見え――サプライズ・ニンジャ理論、犬溶接マン、あなたがグヘグヘ楽しんだものは『鬼ゴロシ』にもあります。それも1ダースどころの騒ぎでなく――、4ヶ月に1度でる最新刊だけ読んでいると「なんでこうなってるんだっけ?」と迷子になることは正直ある(笑) けれど、とにかく数コマで文字通り消える端役の端役でさえも妙に濃い顔とアクションを見ているうちに「まぁいいか」となりもする。
「まぁいいか、しばらくはこのドライブ感に身を任せて、買い支えて連載がつづいていけば全容把握回もそのうちくるかもしれない。そのときがきたら改めてまとめ読みすればよい。
また、そのときが来なかったとしても、これだけのドンチャン騒ぎのトンチキを見せてくれるのだからそれはそれでかまわない」
という感じで購読をつづけて、4巻、5巻とどんどん巻数だけがふえていきました。あと死体の数とか、瓦礫の数とかも。東西南北どころか天からさえ死屍累々がポップする。
『鬼ゴロシ』、地方を牛耳る暗黒企業への復讐ものの枠組みを取り、「敵の死体を車にくくりつけて市中引き回し」「治安出動を阻止するために知事の乗る飛行機爆破」みたいな圧のある展開を画の格好良さで全部押し切る超絶バイオレンス作品ですよ(3巻P128、5巻P197より引用)https://t.co/OFgo5W9jtK pic.twitter.com/aX7XcHKKKv
— Mamoru Tanibayashi (@notfromSakhalin) 2022年1月23日
いよいよまとめ読みするに相応しいときがきました。
地方都市のさまざまなところでミクロな乱戦を連ねていくことをつうじて、徐々に徐々に人や陣営、この地域についての情報が小出しにされていった今作は、大台をむかえたこの10巻で点と点とがある程度むすばれて、ついにこの騒動を取り巻く地政学的な大きな見取り図が小市民の目にも描けるようになりました。
それを『鬼ゴロシ』は、これまでとおなじく人々のアクションのなかで/アクションとして描きます。
10巻では台風の目である主人公は拘束されて脇に退き、そのほかの人物にフォーカスが当てられています。
主人公同様9巻ぶん2000ページちかく掛けてがんじがらめにされてきた――というか主人公よりも一層の複雑さと厳しさでもって抑圧されてきた、主人公を主人公たらしめる圧倒的フィジカルも意志も持たない――小さいひとびとが、家庭から役場や大企業まで・過去から未来まで張り巡らされた幾重もの長い太い、そして勝新太郎やら松田優作やら「作者がじぶんの好きな配役で"俺が考えた最強の映画"を漫画で撮ってる」と言われるような「顔」の立ちすぎた主人公の敵対者たちによる(拡大公開ブロックバスターでもしないほど劇的な剛腕でもって)広げに広げた鎖のすきまから、ついに在るかさえ定かでない「自分の見たかったもの」を垣間見る。
その眺望があまりにも開放的でうつくしい。
気づいていたはずだ 見て見ぬふりした違和感に!!
「知らなかったとは言わせない」
(略)
何かを感じたハズなのに見なかった!!! 薄皮の下のおそるべき現実!!
河部真道『鬼ゴロシ』10巻kindle版28~30%(位置No.220中 61~66)
10巻でとある人物は、上のように奮起します。
このモノローグにぼくは「あぁ、おなじ釜の飯を食べてきた仲間だなぁ」と思っちゃうわけなんです。
世界が安定した場所であると信じられる間は、我々は幸福です。きちんと見てきちんと書くことが文学として機能することの幸福を想像してみて下さい。残念ながら、今日我々は――少なくともそのうち最も感じやすい、鋭敏な、或いはそうあらざるを得ない者には、そうした幸福は何重にも括弧で括って、この不幸な世界から注意深く切り離すことによってしか実現できないと知っています。世界が煮えたぎる時、それまでの言語はその上に浮く薄皮一枚の上でしか機能しません。きちんと見てきちんと語ろうと思えば、従来とは全く異なる言語表現の様式が必要になります。
時折、文学の気まぐれは興味ぶかい光景を出現させます。
どこまでも薄皮一枚の上の住人であり、『ソーラー』の日本語訳出版の際にはインタビューでそう明言した作家でもあるイアン・マキューアンの『土曜日』はそうした作例のひとつです――薄皮一枚の上に生きて死ぬ人間がその下の世界に否応なしに接触することで、何が変り、何が変らないか、を、あくまで薄皮一枚の上に留まる規範的な文学の形式で捉える、という、これは珍しい試みです。
主人公はロンドンに住まう脳外科医です。裕福で、まだ四十代で健康そのもの、街の中心部の、十八世紀に設計された円形の広場に面した瀟洒な建物に居を構え、妻は報道関係の法務で働く弁護士、妻の父は教科書に作品が載るような大詩人、娘はオクスフォードの学生で詩の賞を受賞した才媛、息子は学校教育からはドロップアウトしたものの国外でも演奏活動をするブルースのギタリストという、腹立たしいくらいに幸福な人生を送っています。丸谷氏の「市民小説」などというものではない薄皮の上の住人、と言っていいでしょう。その娘の受賞を祝うために久しぶりに家族が揃う土曜日の早朝、目が覚めた主人公は窓の外を見ると、ヒースロー空港に着陸しようとする飛行機が炎に包まれたまま低く空をよぎるのが目に入ります。
これが、この小説を象徴する光景です。高級住宅地の暖かい寝室の窓から、夜明けの空を、彼とは無縁な境遇にある誰かのテロによって炎上し、少なくとも彼ではない乗客を乗せて墜落する飛行機を目にする――これは後でエンジントラブルに過ぎなかったことがわかるのですが、少なくともこの時は、彼はそう思い込みます。謂わば、見て見ぬふりをしてきた足下の薄い皮の下にあるものが見えた訳です。
佐藤亜紀『小説のタクティクス』p.152~3
とにもかくにもごった煮だけどバックグラウンドとしてかなりカッチリとしたものを敷いているらしい『鬼ゴロシ』の作劇。
これがはたして、「("個人の努力による立身出世"など)"顔を得る"なんて物語の信じられない今日(こんにち)的な価値観のもとで描いたからこそこうなっているのだ」ということなのか?
{主人公はヒロイック極まりないけど、ちょこちょこ出てくる歴史パートは「そんなヒロイックな存在も、歴史的に見て定期的にあること(それぞれの政治力学のなかで"こういう状態"におかれた人は"こうなる"もの)だ」とする視座として読めるし。
また10巻のある人物がえられた眺望もさまざまな思惑がからんだ結果であって、「"個"が独力で切り開いた結果ではない」とも読める}
それとも、ヴァービンスキー監督版『ローン・レンジャー』のような(リンク先;佐藤哲也『くまのあな』評の追記で言われるような)、「今日にエンタメ活劇をするのは大変なのだ/今日的な感覚で必要とされる"もっともらしい"描写を、エンタメとして構築するうえで活かすと、こういうかたちになる」ということなのか? ちょっとよく分かりませんが{04/04追記;作者のツイッターアカウントがあったので適当に検索かけたけど、実際にはそちらは食べてないらしい(ドン・ウィンズロウ作品①②やらジェイムズ・エルロイの小説・映画やらの読了・観了ツイートはなされているかな~くらい)}、この10巻ですべてのもとを取った気分です。いやはや。
***
さて上に引用したくだりは、本のもととなった講義について聞き書きをファンのかたがアップされていてネットでも詳しい話はあるていど読めるんですが、その講義録では作家の伊藤さんが「『土曜日』面白かった」と述べた(のを佐藤氏が聞いたという)話があって、コレおふたかたが対面されたときに話題にだされたのかなぁと未だに気になってる。(たぶんblogなど一般公開範囲のネットではそういう話をしていないハズ。『ベンドシニスター』の話はガッツリされているけど)
あと今よむと、ファンタジーに対するツッコミは「た、たしかに……どうしたもんスかねぇ」となってしまった。
{「"(孤独なひとが)押し入れに籠って見る空想(ファンタジー)"ってスローガン、押し入れに好きなだけ籠れる時点で、そのひとは恵まれてるよね。本当に大変なひとは、そんなところへ籠ろうもんなら即引っ張り出されて殴られてるよ」というツッコミ}
0405(水)
■観たもの■
『シン・仮面ライダー』/NHKドキュメンタリー鑑賞メモ
あんの映画も実は観ていたのですが、例によって感想を書きあぐねていて、そうこうしているうちに20日余が過ぎ、メイキングドキュメンタリー番組のBSでの初放送が過ぎた時分になりました。
辛抱たまらんくなってきたので書いてしまうと、映画じたいはしみじみ感動したんですけど、ドキュメンタリーをチラ観して「エッそういうつもりで撮ってたの!?」と困惑してます。
殺陣の段取り感{演武をこなしてるウソっぽさ(たとえば次の一手が念頭にあるうえでそこへ向かって両者が動いてる予定調和感とか)}はたしかにそうだと思うんですけど、そういうちゃぶ台返しがおこったさいに「そもそもこんな徹頭徹尾様式美、両者の思想信条を開陳するまでの埋め草として用意されただけの作り物・オママゴトとして戦闘する脚本を書いておいて、なぁにが"殺意が~"じゃボケ!!!」とだれかが言うべきだったんではないでしょうか?
制作陣もほんとうにあれらをガチで恐ろしいなにかとして撮ってるつもりだったらね、「あんなことでへこたれるハンパな組員はいねぇ!」とかタンカ切ってねぇで、あのドキュメンタリー公開後に「あ~だからあんな鬼気せまる恐ろしい戦闘が……」みたいな話をする観客が全然いないことに危機感をもったほうがいいんじゃないでしょうか?
{そもそも、(別作・別班だろうとはいえ)パワハラ過重労働で是正勧告を去年うけたばかりのシリーズで、こういうアレが流れるのあまりにこわすぎるよ}
スクリーンにうつされる改造人間たちのすごさよりも、その画角の外の裏方さんらのすごさのほうが話題にされる映画なんてあまりにも悲しすぎやしませんか。
以下、初見時の感想。
{あと、ぼくは『ヱヴァ破』連日鑑賞派なので、今回のライダーキック・バイク運転シーンはほぼ「う~ん……」となりました。
「なので」ってなに? 『ヱヴァ破』のライダーキック(やそれに向かうまでの空中戦)って、たとえば使徒の触手攻撃(をかわす2号機のアクロバット)や、あるいは一点へ連射された釘式銃の釘がつくる塔が2号機のキックによって割れ、2号機が割れた釘のぶんだけ進み、次の釘が割れ、2号機が割れた釘のぶんだけ進み、徐々に速度を上げていき……というかたちで、だだっぴろい中空に、パースペクティブの物差しとなるものを提示して迫力を出してたんですよ。
いっぽう今回のライダーキックやバイクは、結構なシーンが――もしかすると一文字がバイクについて「孤独になれるから好き」的なお話をしている、つまりゲンドウ・シンジくんがイヤホンで音楽聞くのが好きだと話すような文脈でお話をしていることと関係するのか?――無人かつ風のふいてない無味乾燥な人工的な場かあるいは雲ひとつない真っ青な空というその速度感をつたえるための比較対象がなにもない「無時間」的なもので、そうでなければ白色灯が等間隔でならぶ狭く暗いトンネルであるという、むしろ閉塞感をかんじる窮屈なアクションだった……って印象です。
それらを経たうえで、最後の最後にようやっと出てくる、ライダーだけじゃなくって画面左下にながれる外灯も一緒にとらえた「速度感のある・時空間の連続性をかんじられる移動シーン」がきもちよかった……
……って感じですねぼくは}
3/18(土)
マスク着用がゆるくなった(/一方で濃厚接触の定義などは変更がない)最初の休日ということで、「映画館いける最後のタイミングかなぁ」とあれとかこれとか観てきました。
『シン・仮面ライダー』
『シンウル』によって「エヴァって(言われてる以上に)ウルトラマンだったんだ……!」という気づきを得られたわけですが、
『シンカメ』によって「エヴァって仮面ライダーだったんだ……!」という気づきも得られました。
変な映画だったんですけど、その「変」さに統一感があり、最後までしっかり楽しめました。
「映画監督は、我を殺し奉仕する奴隷なんです。"原作の良さ"を理解継承するためや大多数の観客がより楽しんでもらえるような娯楽性を提供するために、全力を尽くしています」
というような話を庵野氏じしんはパンフレットへ寄せているし、たしかに、無料配信されてる『仮面ライダー』を見てみると「こんな変な映像展開・筋書きの作品だったんだな、本郷vsショッカーのバイクレースに挟まれる天地逆転ショットとか、『シン仮面』の幕開けショットよりもぜんぜん意味不明だ。違和感をいだかない程度の"変さ"にとどめたんだな」とも思いましたが。それはそれとして、今作を観た観客さんは……
SHOCKERの箝口令により感想は控えてましたが、公開になったので…
— 桜井 政博 / Masahiro Sakurai (@Sora_Sakurai) 2023年3月18日
原作とまったく異なるのに、すごく原作感がある!
だから作風は暗くて孤独。
万人向けとは言いがたいけど、芯(シン?)を同じくして守りつつ、大胆に昇華させた手腕が素晴らしい。
令和に観られたことが幸せです。#シン・仮面ライダー https://t.co/wvH6O9XCbQ pic.twitter.com/a59e5LGKQv
……「万人向けとは言いがたい」と予防線を張らざるをえない作品だと感じていたり、「庵野が」というお話をしたりしていて、かくいうぼくもそのような印象をいだいてしまいました。
『シン・ウルトラマン』同様に、主人公は"ヒーローというふしぎな変人を「ふしぎだ」「変だ」と思っている存在であり、同時にひきつけられもしているから「ヒーローというふしぎ」について理解したい探求者でもあり、そしてさらにはひょんなことからその「ヒーロー」という役割を演じることをおしつけられてしまった存在"なんですが、『シン・ウルトラマン』においては……
・"役割を演じてることを周囲に明かせない"
・"ロール対象である最初のヒーロー同様、2代目ヒーローも素がふしぎだし変人である(。でもそもそも初代ヒーローについて観客は何も知らないから、その辺がよくわからない)"
……という成り行きゆえにその辺が後半まで見えなかったのにたいして、『シン・仮面ライダー』は序盤でそのへんの立ち位置についてサクッと説明して"探求物語"の結構が打ち出されている。そのうえ後半……
・"たいがい不思議な変人である二代目ヒーローについて、三代目ヒーローが不思議だし変だな、でもなんか魅力的だし一緒にがんばりたいな"と思ってうごく、再々継承が描かれる
……ので、非常に呑み込みやすくなっていました。
「"万人向けとはいいがたい"と言われたうえで観てみると、そこまで変ではないな」
それどころか、
「『シン・エヴァ』をふくめここのところの庵野氏が企画や総監督や監督や脚本を大なり小なりかかわった作品のなかで『シン・仮面ライダー』いちばん呑み込みやすいのではないのではないか」
とすら思う作品になっていました。
{04/07追記;いやさすがに『シン・ゴジラ』が一番ウケがいいとは思いますよ。
『シン・ゴジラ』も……
- 「変なふしぎなもの」=国を未曽有の危機と混乱にさらす怪獣・それを生み出した(らしい)死した博士(・主人公の変人官僚、矢口)
- {『シン・ゴジラ』のヒーロー矢口もたいがい「変なふしぎなもの」だけど。その「変さ・ふしぎさ」は、問題について皮算用し不謹慎にネタにする他の年配政治家にたいして「正論や情をとく、理想に燃える若い政治家」のような文脈におさまって、変人ぶりが(他の『シン』ヒーローたちほど変なかたちには)顕在化・悪目立ちしない}
- 「変さ・ふしぎさ」を解明すること≒国の未曽有の危機・混乱を解決すること
……「探求物語」ですし。
しかも「その"探求"に明確な答えが与えられる物語」でもありますから。探求したさきの地に足ついてる感・満足感もおおきい。
- 国の危機を解決する手段をふた通り提示して(「変さ・ふしぎさ」を解き明かし、ナンカスゴイ薬品をつくり、ナンカスゴイ作戦を実行する絵空事だが素敵なソフトランディング or 問題ふくめた辺り一帯を、核という現実世界で一番すごい兵器で壊滅させる現実的だが悲惨なハードランディング)、現実的な手段のひどさ・雑さを(WW2の悲惨をつうじて)分からせたうえで、フィクションらしい手段の良さ・手続きの具体性をえがいた
- 上述「絵空事のソフトランディング」について、その手続きの現実な面倒くささ(納期・報連相)を書くことで絵空事にもっともらしい説得力をあたえた
このへんの塩梅はやっぱり強い。
強いけど、『シン仮面ライダー』を観たあとだと、
「『シン・ゴジラ』単体だと、矢口をいわゆる"変人""変人ゆえに浮いた存在"という箱に収めてしまったけど。じつはそう簡単に片づけていいものじゃなかったっぽいな……!?」
みたいなことはどうしても思ってしまう}
たぶん、『シン・エヴァンゲリオン』でシンジくんがたどり着く「落とし前をつける」モードも、『シン・ゴジラ』の変人官僚・矢口がたどり着く「この国を見捨てず、最後までやろう」モードも、『シン・仮面ライダー』本郷とおなじような心境なんですよね。
矢口も『シン・仮面ライダー』の本郷も「臭い・着替えろ」と身内から指摘されるくらいにがんばりつづける(けど自分のにおいはわからない)し、人が死んだあとのカオス{=それは自分が責任がある(と矢口・本郷が考える)現場である}に対して頭を下げる。
ネルフの処置で弾け飛んだアヤナミの遺品をシンジは届けようとするし、ショッカーの処置で泡となって消えたひとの遺品を本郷は届けようとする。
ある『シン』作品で「よくわからないな」と思った劇中人物の行動は、ほかの『シン』作品を見ると同じような行動が拝め、そちらを見てもやはり「よくわからない」のは変わりないんだけど、それぞれの作品の前提の違いなどから輪郭線はそれぞれちがっていて、よく分からないなりにクッキリしてくる……そのくらい一貫した何かがあるように感じられる。
***
『シン・ゴジラ』から毎度言われていたリアリティ・ラインの線引き{「世間その他大勢」の平板さ(見えなさ)・キャラ性のつよい(『シン・ゴジラ』で主人公矢口は、泉へ「君の"キャラ"には助けられた」と礼を言う)セリフ回し・映像}は、もはや余人がなにか言えるようなものではなくなっています。しかも作品の設定が設定(人造人間)ゆえに「つくりものである」ということが劇中で明示されたうえで展開されているから、なおさら「そういうもの」だとして受け入れられる。
変身がすむまで待つような様式美、ごっこ遊びの世界。
たたかいの推移も、「はい人間全員殺す凄い毒~」「はいそれさえ効かない最新人造人間~」とか、「はい人間じゃ届かない空へ逃げます~」「はいそれさえ追いつく凄い乗り物~」とか、小学生のバトルごっこの世界です。
『シン』シリーズのスターキャスト的配役がおままごとの色をつよめさせる。「そういうものだ」と受け入れてしまえば、まぁそれなりに楽しめるんです。
ぼくは今作を観ていて、『ステキな金縛り』とか悪いときの三谷幸喜映画を思い起こしました。それを「変だ」「つまらない」とかんじながらも「これを"そういうもの""面白い"と思えるのが"わかってるやつ"なんだよな~~」と訳知り顔で作り笑いをうかべ、楽しいんだと言い聞かせていた昔のぼくを。
ぼくは『シン・エヴァ』なども思い起こしました。数々の"読本"を生み出したけど今となっては「もうそれはどうでもよくね?」と辟易としてるひともまた多そうな"作り手の匙加減でどうとでもなるだろう部分"について、それでもなおやり続けるしそれどころか増やし続けるところに、よくわからない凄味を感じたことを。「さよなら全てのエヴァンゲリオン」つったって、本当にいちいちすべてのエヴァンゲリオンがさよならするところを描かなくたってよさそうじゃないですか、でも書いちゃった。
その"段取り"へ、
「おれにはその重要性がさっぱりわからないけど、あんたほどのかたがたがこうするからには、やらないといけないんだな……」
と、強迫観念めいた強い使命感を勝手に読み取ってしまって、のけぞってしまうあの感覚を。
「そういうものだ」と思って『シン・仮面ライダー』を観ていると、「変身するのをただ待っているんじゃなくて、おなじ"すごい作り物"として新参者にその魅力・引力をわかってもらいたいからそうしてるひとがいたりなんだったりと、戦う人が"そのようにして戦いたい"からそうやっているのだ」というのが見えてくるつくりに、妙に「はぇ~」と感心してしまったり。
{けっきょく(「復讐を」とパイロットがやり取りするアメリカの飛行機の攻撃がさくっと失敗に終わって撃ち落される)『シン・ゴジラ』からこのかた、
「虚構(特撮)における暴力・破壊をみるさい生じる感情(と庵野さんが『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』で述べたりするもの)と、現実の暴力・破壊をみるさい生じる感情はちがうけど、その違いとはなんなのか?」
「なにか理由があって暴力や破壊を行使している他者がいるのであれば、それについて歩み寄り(理解や理解しようとする態度)が大事なのではないか」
という思索というか、庵野さんなりの一貫した答えを延々えがいてきているのだろう}
工場と目と鼻の先の郊外で野宿っぽいなにかをし、そこへ怪人の手先が訪れたところで、モッタモタと片づけをしたりする手つきが、妙に印象にのこったり。
"なぁなぁ"で進行しているように見えた政府の秘密組織が、タイプキャストの覆面のしたから非情かつシステマチックな得体のしれないなにかをチラリと覗かせたさい妙におそろしくなってしまったり。
仮設施設的な殺風景のなかで、タオルでほぼ全身をかくしたヒロインが、素足だけ出してもぞもぞ動くさまが妙になまめかしく見えてしまったり。
(正直ぼくは上映中ずっとルリ子に萌え萌えでしたよ。「こ、こんな、アニメから抜け出してきたみたいな"キャラ"が、三次元でこれだけくっきりと存在しているなんて……!?」と震えました。本当にかわいい。
『シン・ウルトラマン』で現代日本屈指の役者・男性女性アイドル畑のひとびとの二重アゴをまじまじ写し「万人がふつうのおじさんおばさん」なのだということを突き付けた、あの煽りショットが、『シン・仮面ライダー』においては、ルリ子の美しさ・愛らしさ・明るい空をせおって自身をかすませる儚さへと繋がっている)
クモオーグのまとう衣服のジッパーが開けられて腕がさらに二本あらわれるさまの、妙な存在感が気になってしまう。
コウモリオーグの異能によってうごめく人々のぬるぬるとした「人形らしさ」におぞけが走ってしまう。
ハチオーグが群衆をおなじく「人形」にしているように見えて(コウモリオーグのひとびとはCG、ハチオーグの町民は実写のひとびとによるライブアクションという差異があるように)、側近たちからプラーナを受け渡されたり変身時に着替え用目隠しを立て/外ししてもらったりなんだりする……つまり女王バチ&働きバチ的コミュニティ/というか座長と劇団員といった具合の「一座」/というか地下アイドルコミュニティ(ハチオーグと、じぶんの生命力をけずってまで彼女へ力を与える信奉者の姿は、「『全てのアイドルが老いない世界』のアイドル&ファンの関係性みたいだな」と思いながら観た)を形成しているところに、妙な愛らしさを覚えてしまう。
そしてこの設定のおかげで、ほかのシンのあれこれとおなじく根幹にある「現実と虚構の両輪がだいじなのだ」というようなフィクション論的な志向が(この辺のアレコレについて詳しくは、クロダオサフネ氏周りのふせったーをご覧いただければよいと思う)、劇中でふつうに明示されるかたちとなって、こちらについてもスッすと呑み込みやすくなっていました。
旧劇場版はもちろんのこと『シン・エヴァ』においても{最後の舞台は現実っぽいけど、すでに存在しないアレコレがわざわざ復活したり取り入れられたりしたものだと知っているひとでさえ(素朴に「つまり現実でもなければ懐古でもなく、想像・理想的ななにかだ」とは考えず)}「最後のあれ、なんすか?」「けっきょく"現実に回帰せよ"ってこと?」と困惑・落胆するかたがいたんですけど(おれはツイッター・スペースで一部のオタクが「なんだったんすか?」「……な、なんだったんだろう……」別の話題へさくっと移す、としているのを聞いたぞ)、さすがに『シン・仮面ライダー』においては万人が「つくりものである」「それでもなお」「だからこそ」と素直に受け取れるんじゃないでしょうか。
一瞬で跡形もなく消えてなくなってしまえるつくりものたち。
でも、その「消える一瞬」について、『シン・仮面ライダー』は異様に立体的に具体的にえがきます。泡へのメタモルフォーゼにぼくは、年甲斐もなくギョッとし、怖気を走らせてしまった。
そして(メカのKが、一瞬「映写機の不良?」とうたがうくらい、ビシっと停止するいっぽう)、自身の心身状態について心配をなげかける政府の人々へ「だいじょうぶです」という旨を返答するも、重心がさだまってなくてその顔がぐらぐらと揺れてる本郷のアップショットに、とにもかくにも感じ入ってしまったのでした。
***
そんな具合に、「変は変だけど楽しめた」「ふつうにキャラに愛着をもったし、感動してしまった」作品となったわけですが。
さいきんの庵野作品で直接言及されたり明示されたりする、
「単なる暴力などに代表されるようなふるまい(ひとりよがりな欲望の発露、全能性の発揮)はそのいっときこそ快感かもしれないが、行使したじぶんもそれを行使された側も気が晴れないか決定的な消失をもたらすだけのむなしいものなのだ(≒<エヴァ>でエヴァに乗ったシンジくんがネルフ本部を足蹴にするさい、砂場の砂山を崩す少年時代の姿が重ねられるのはそういうことだ)。
そしてそれをどんどんエスカレートさせたところで、行きつく先は全能の神同士の対決となり、そこで"排斥"というスタンスをとると(どちらも全能の神なので)けっきょくいつまでも決着はおとずれないのだ(≒『シン・エヴァ』の満を持してのエヴァ対決が、さまざまな舞台をまたいで千日手をくりかえす茶番格闘となったのはつまりそういうことだ)」
「理不尽的なまでに自分の欲望を叶えられる実行力をもった存在は、その実行が乱暴すぎるために暴力に見えて/つながってしまっただけで、そのひとが求めているゴールはべつに暴力じゃないかもしれない。だから一見すると理不尽・排除・暴力にみえるそのふるまいの奥の心理・ルールを解き明かそう」
みたいな達観は、きもちよい視聴覚表現の極致みたいな『ヱヴァ破』やら、旧劇やらのさまざまなグロテスクや心に痛い展開をえがいてきた庵野氏だからこそ説得力をもつ反面、「はたしてそうした作家のバイオグラフィ的な補助線ナシに、その作品単体でおれは納得できているか?」というと大いに怪しいところがありまして。
ぼくが設定面ですさまじい(圧巻の強大さであるとか、身も毛もよだつ惨さであるとか、とにもかくにもな虚しさであるとか)とされる存在やふるまいのすさまじさを把握しきるまえに、ドンドン「そういうもの」が描かれたものとして、「そういうものだ」として進んでいく作劇に、
「おれはこういうかたちでヒーローを観たかったのかな……?」
みたいな釈然としなささはやっぱりついて回ってしまうのでした。
つくりものとしての、「庵野さん」が受け取り・観客へ継承しようとしている「それら」としては上記のようになんとなく頭で理解した。しましたよ、でも、ぼく自身の素の感情としてスクリーンにうつされた存在・ふるまいにたいしてストレートに「強大だ」「むごい」「むなしい」と心動かされたか? と自問すれば、
「違う」
と言わざるを得ないというか……。
0408(土)
■ネット徘徊■
覚悟はいいか?兄弟
4/5夜に公開されてからzzz_zzzzは延々、月ノ美兎委員長によるカバー版『Around the World』を視聴してます。
歌声や劇伴・MIXそして改リさん作画による委員長のイメージに合わせたMVの出来の良さにまず驚き、「そりゃ即日100万再生されるよね」(04/08 12時現在108万再生)と納得しつつも、動画へ寄せられたコメントの国際色にまた驚嘆。
Youtubeの人気ch『THE F1RST TAKE』系列のニュースメディア『THE F1RST TIMES』に取り上げられたりなどなど、原曲やMONKEY MAJIKさんの幅ひろく根強い人気をいまさらながら知りました。
今回のカバーについて感想をめぐっていくと、委員長が去年の大規模イベントにじさんじフェスティバルにて平井堅『ポップスター』を学祭Tシャツで歌ったこともふくめて「ノスタルジーとして平成/2ちゃん的流行を楽しむ時代がやってきた」みたいなお話をされているひとをちらほら見かけたんですけど、むしろぼくはそれに対するアンチ的なところを感じましたね。
『Around the World』って、発表当時2ちゃんをやってたへそ曲がりオタクにとって(つまりぼくですが)むしろ嘲笑の対象だった、と記憶してます。
「捕鯨」のスラングとアヘ顔めいたアホ顔のスクショでおなじみ『こち亀』など、香取慎吾さん主演ドラマやあるいは27時間テレビを冷めた目で見て{たとえば「湘南ゴミ拾いOFF」(をを楽しく自宅PCの前という安全圏でヲチして美味しいトコ取りして)}、くだんの曲が主題歌につかわれた『西遊記』についても「なまか(笑)」なんて小ばかにしてたひとはそれなりに多いんじゃないかと思います。
委員長は16歳なのでその当時の風潮はじかに吸ってないでしょうが、「上の世代的にはまぁなんかそういう雰囲気だった」というのはご存知だったというお話をどこかの配信でされていたような記憶があります。
じぶんのファン層にそういう層がいるだろうことを知ってるなかでこういうカバー動画をバンと120%の全力投球で世に出せるのは、ぜんぜん「"あの頃"の美化・懐古」じゃないですよ。
委員長のカバーで歌の全容とPVの{(当時的にはハンス・ベルメールとかクエイ兄弟的な異形感や仄暗さだったのかもしれないけれど)いまのSCPとかリミナル・スペースの雰囲気に通じるような}キテレツさをいまさら知って、あの当時"おれらじゃないもの"を馬鹿にして見下して食わず嫌いしてたむかしの自分が恥ずかしくてたまらんくなりましたよ。
そしてbilibili見て三たびのビックリですよ。
bilibiliでの転載動画は委員長の元動画よりさらに素早く大きく伸びてて、げんざい関連動画3本合計164.9万再生(125.3万再生+別垢の同転載11.5万再生+オリジナルMVとの比較動画28.1万再生)。一番のびてる125万再生の動画は、bilibiliにおける「全站排行榜最高第13名{全ジャンルのリーダーボードTOP13位(直訳。トレンドランキング的なものっぽい)}」をいま記録しています。{きのうの夜は15位だった。上がっとる……!(20時時点では138.1万再生で12位に。上がっとる……!)}
伸びた理由は……
肥宅小画砸
我猜路人都是被封面吸引进来的(),播放量涨好快啊
(Google翻訳「通りすがりの人はサムネに惹かれたんだろうな()、あっという間に再生回数が増えた」)
2023-04-06 17:02 👍8190
恰似不觉
我一眼还以为是什么R18G的东西,还想“b站这么劲爆?”(Google翻訳を適当に改変「ぱっと見18禁のやつかと思って"bilibiliでそんな爆発物が?"と思いました」)
2023-04-06 20:00 👍204
……懐かしの語彙でいうところのサムネバキューム、不思議で魅力的な動画サムネイルに釣られてやってきた人が多いのでは? というものがひとつ。
また、動画内の弾幕(動画内に流れる字幕型コメント)を読むに、「レッツ・カンフー!」が……
,-'"ヽ
/ i、 / ̄ ̄ ヽ, _/\/\/\/|_
{ ノ "' ゝ / ', \ /
/ "' ゝノ {0} /¨`ヽ{0} < ニャーン!! >
/ ヽ._.ノ ', / \i `ー'′ '.  ̄|/\/\/\/ ̄
/ }.
i' /、 ,i..
い _/ `-、.,, 、_ i
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(,,/ , ' _,,-'" i ヾi__,,,...--t'" ,|
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`` ` ! 、、\
!、_n_,〉>.,,......、
_、 _ ヽ `'i ,‐.., ___,,,,,,,、
'|ニ- / !│ ,! ゙'" l l ゙ ゙l,
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l .! ! l \ _,,,,,,,) | ,, `゙‐'゜
! | / | ヽ` /..,,,,,_. `''-、 ,┘゙,k
ヽゝ-__-‐'ノ | .'(__./ .,、 `'、. | '{,,___,,,,,,,,、.
─‐'''´ ヽ,、 _./ `'-、,,ノ . 'v,_  ̄` : ,,,l
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……「ニャーン!(ひよこ)」的なおかしみ/ツッコミ誘発力を生んでいるっぽい。(弾幕を読んで「あ~言われてみればたしかに、ビックリ軟体人間って別にカンフーじゃないのか」と思ったのですが、本国のかたにとって中国雑技団的アクロバットがそもそも現実の人間に実現可能か疑うレベルで謎のモノだというのはちょっと驚きでした)
さらにコメント欄をのぞいていくと、その辺のファーストインプレッションもふくめ……
typicalcollapse
第一遍的时候惊奇,第二第三遍发觉歌本身很好听。第四遍看着歌词听,突然感动得有点泪目
(Google翻訳「1回目はビックリ、2回目、3回目は曲自体がとてもいいなと思いました。 4回目は歌詞を読んで思わず涙が出ました」)
2023-04-06 23:11
伊丽莎白日鼠(囚人)*8
这是什么?中华娘美兔!亲一口。这是什么?中华娘美兔!亲一口。这是什么?中华娘美兔!亲一口。(Google翻訳「なにこれ……? あっチャイナっ娘みとみとだ! ちゅっ。なにこれ……? あっチャイナっ娘みとみとだ! ちゅっ。なにこれ……? あっチャイナっ娘みとみとだ! ちゅっ」)
2023-04-06 00:09
けっこう日本と似通っているのですが、これまた「へぇ~!」と思ったのが……
三二闰
以前了解和看过这位的整活,知道是超级古早整活V,没想到这么能整。(
{Google翻訳を適当に改変「この人の整活は以前から知っていて見たこともあり、超古代の整活Vtuberであることは知っていましたが、ここまで良いとは思っていませんでした。(」(「整活」が「なにかパフォーマンスをする」とか「ビデオゲームする」みたいな感じらしい?)}
2023-04-06 18:57
灵魂收割者秀吉
主要是这个封面[喜欢],不过点进来之前我还以为是哪个动画短片,没想到是月之美兔这个好早之前的vtb我只知道她很能整活
{Google翻訳を適当に改変「このサムネ (好き)をクリックする前はこの動画を短編アニメだと思っていて、月ノ美兎の動画だとは思い至りませんでした。わたしは彼女について、とても生き生きした整活をする古参vtuberだということしか知りませんでしたから」}
2023-04-06 19:06
……委員長について「名前は/"おもしれー女"だという噂は聞いてたけど、ここまでおもしれーとは/アーティストとして魅力的だとは知らんかった」という声がけっこう多い。
翻訳字幕切り抜きの再生数からうかがえる委員長の海外人気は、「日本語トークが主戦場のライバーであるからか、そこまでではないな……」という印象があり、他言語圏は全然だし、それに比べれば上向きも上向きの中国語圏でだって割とそれなり(けっこうな数の動画・配信が中国字幕付で出回っているし、数万~十数万は再生される)という感じなのですが、
「これきっかけで(再/新たに)注目するファンも出てきたりするのか~!?」
と思っちゃうくらいににぎわってました。
0409(日)
■ビデオゲームのこと■
PSVR2『C-Smash VRS』体験版
体験版をだしてくれてありがたい!
けど、この体験版はむしろ体験させなくてよいレベルじゃないだろうか……?
宇宙に浮くシンプルな未来建築で、スカッシュ的スポーツを楽しめるゲームです。チュートリアルと、3DVR版ブロック崩しといった感のあるトレーニングモード、そして対人戦が体験版でも可能らしい。
プレイヤーの物理座標がプレイヤーキャラクターのVR座標とある程度関連するみたいなんですが、微調整だけでLスティックでの移動が最適かな。
2mの操作スペースでは、ふつうにスペース外に飛び出すから注意です!
ぼくはふつうに窓ガラスを殴っちゃったよ。壊れなくてよかったね。
トレーニングモードはあまりにも作業作業しすぎているし、チュートリアルで学んだ溜め技の(再)使用条件が不明で、ストレスがたまりますね。対人戦については休日昼間に10分くらい対戦相手を検索しても出会えなかったのでやれませんでした……。
あとモード選択画面からそのモードへ移行するさいの長い移動アニメーション、毎度やるんだろうか……?
PSVR2『Drums Rock』体験版
ハードの譜面までやりました。かなり満足感がえられました。
ドラムセット一式を模した5つのパネルの位置へ降り迫るモンスターにたいして、タイミングよく叩くと音楽を奏でて魔力を放つ祭具(?)をもちいることでモンスターを撃退する音楽リズムゲームです。
難度アップのためか、「奏でる音は同一でも、ちがう場所へ振ってくる"ノーツ"を叩かなきゃならない」譜面がでてきて、そこは違和感があります。
しかし、今作では「降ってくるノーツは今作ではモンスターであって、音符ではない」というところで、ちょっとその辺のギャップが解消できている……ような、それでもまだ厳しいような。
VRならではのシステムもありますが、ちょっと難もあり。
肩へ手をやりスティックを握って取り出し、ドラムをたたく。スティックを上へ振りつつ離せばスティックが宙を舞い、キャッチすればスコア倍増の特殊な打法ができる……
……というシステムで、スティックを握り離しをするには中指でおせるコントローラ裏のL1・R1ボタンを押下⇔離すか、あるいはタッチセンサーが反応するほど軽く握る⇔離すかする必要があります。
ボタン押下だと疲労がおおきく、指に力を入れっぱなしになるので手首が硬直して動かしづらい。タッチでやりたいところですけど、誤爆が多い。
なんならボタン押下でも誤爆して勝手にスティックが宙に放られたりする。
スティックの誤爆はさておき、もっとシンプルに「ラインに合わせてノーツをたたく」部分はどうか?
直感的にできそうだけど、アナログのドラムスティックとドラム(コントローラ)がどれだけ直感的な(そしてファジーな入力を許容してくれる)代物かを教えられるようなシステムでもありました。バチもドラムもVRである今作は、「ドラムをたたいたつもりが空振りだった」ケースがちょこちょこ発生します。
慣れればどちらも無くなる問題な気がするんですけど、いまのところは以下のような疑問がわいてしまって集中できない。
VRゲームについて「まるで現実であるかのような没入的体験が!」という謳い文句はよく聞くけれど、こういう作品をやるとむしろ「アナログ物体として得物を用意できないひと向けの、マイムしても虚無感にみたされない程度の視聴覚的をあたえてくれる、"劣化コピー的代替的体験"」がVRゲームなのか? みたいな疑問がわいてしまう。
VRであること・VRゲームであることになにか独自の意味/プラス要素をもたせられないことには、その疑問はついて回るんじゃないだろうか。
0413(木)
■読みもの■
井上雄彦『リアル』1~15巻まで
それは何ですか;
骨肉腫で右脚を切除手術をしたのち車イスバスケ選手となるも暴力問題をおこしチームから退団した戸川清春、バイク事故でナンパした同乗者を半身不随にさせ・暴力問題などで高校を退学した野宮朋美、野宮の同級生でなんでもそつなつこなすバスケ部キャプテン高橋久信の3者の人生が並行して描かれていきます。
読んだ経緯;
『バガボンド』が面白かったので『リアル』も読み、リアルタイムで追いかけました(中高生時代)。9巻あたりからは「コミックスは買っておくけど未読のまま積んでおく」かたちとなり、22年秋からロングラン公開中の映画『THE FIRST SLAM DUNK』が面白かったので既読分もふくめまとめ読みしました。
読んだ感想;
追っかけていた当時はぼんやり感じる程度だったんですが、あらためて読んでみると今作は、ジャンプで連載されていた国民的人気マンガ(連載時は「第一部完」とつけられた)『スラムダンク』の精神的続編/もう少しリアリティライン高い世界における再話のような作品ですね。
『スラムダンク』主人公・桜木花道にふられていた初心者性とそれを埋めてしまえる天才性、ケンカにあけくれる暴力的なまでのエゴイズムやそれゆえの舐め・ハマったときのひたむきさ、愛嬌。三井寿の周囲を見下し抑圧する上から目線と徒党性……
……このへんのあれやこれやが3者に適度にわりふられていて、夢と現実とがバランスをとれるギリギリの極致で終わった『スラムダンク』の、そのさきが描かれていていく具合になります。
骨肉腫が顕在化するまえ100m11秒台という将来有望なスプリンターだった清春は、車いすバスケの世界でもその天才性を発揮するが、『スラムダンク』安西先生のような精神的技術的な指導者にそう巡り合えるはずもなく、フィジカルだけではどうにもならない壁にぶちあたる。
春子さんどころの騒ぎでなくバスケを応援・協力してくれる想い人もいるけれど、だからこそ尻込みややっかみだって生まれてもしまう。
改心して古巣に溶け込もうとする清春……という「成長劇」のむずかしさにも『リアル』はメスを入れる。他者を受容する「成熟」と言えば聞こえはいいけれどそれはつまり、高みを目指さずこじんまりとまとまり妥協してしまうということなのではないか?
野宮は、気に入らないことがあるとすぐ手や足がでるエゴイストだ。殴るし蹴るが、その理屈にはたいてい一定のスジがあり、裏表がない。自分のことでも他人事でも情緒ゆたかに反応して、それゆえ人と人とをつなげる天然タラシである――つまり一昔まえの不良だ。
野宮は学校で、バイト先で、学校でもバイト先でもないところで、さまざまな目標をぶち上げ夢を語り、ひとびとを感化させる。
でも情緒豊かで夢いっぱいの不良とはどういうことか? 端的に言って短気であるということで、なにごとも長く続かないから人生はうまくいかないし、手が出てなにもお咎めナシで済むには『リアル』のえがく地平は写実的すぎた。野宮の夢の数々は、ただひとつのゴールに向かって突き進むということができなかったゆえの右往左往、「己」を支える背骨がどれほどか細い人間であるかという証左でもある。
高橋は、弱小校で野宮と並んで光る有望なバスケ部キャプテンだが、周囲をランク付けして悦に浸りふつうのクラスメイトと徒党を組んで気に入らないやつをいじめるジョックスである。
かれのいじめは三井のような「挫折した不良」による(羨望まじりの)悪癖ではない。学校で「ふつう」にイケてるやつがその位置を守るためにおこなう「ふつう」のマウンティング行為である。身障者となったさい、かれが浴していた「ふつう」がかれ自身を苦しめる。
「『スラムダンク』以降のマンガだなぁ」
と思うのが「高橋はジョックスだからバスケ部である」という部分が多分にありそうなところで、挫折したバスケ少年が再度バスケに憧れ「バスケがしたいです」とひとこと言えれば話はスムーズなのだが、高橋はそもそも自分がなにをしたいか、なんでバスケをしていたのかイマイチよくわからなくなっている。
上下の波があるけど日本代表候補にもなって割合順調な清春、挫折つづきだがいっしゅん表舞台で光を浴びる高揚がある野宮にくらべて、とにかく地を這うような高橋の「ふつう」の入院生活は読んでてツラくなってくるけれど、かれが「ふつう」の性格のまま何かを見出しそうなコミックス後半はそれゆえにすさまじい。
(「AランクやらEランクやら連載初期から言っていたこれが、ここにつながってくるのか!」と素朴に驚いた)
***
圧縮率が高い作品だ。いま再読するとそう感服します。
15巻だけど「この内容をよく15巻で」と思ってしまうくらいに、描かれていることは多岐にわたる。それだけ省略・端的な記号化が利いてるんですよね。
よくキレるし、よく泣く。
たとえばある人物がふっと「折れてしまった」場面は、リビングいっぱいにゴミと酒が転がるという(最近の例でいう『タコピーの大罪』的な)センセーショナルな一枚絵の迫力で「どういう場面か」をまず分からせています。
原恵一監督版『カラフル』(2010)のお母さんが玄関に腰かけポリタンクからストーブへ灯油チュルチュルで給油中に、ついぼんやりしてストーブの許容量を超過、玄関へ灯油をあふれさせてしまう……みたいな「リアルな(地味な)崩壊」ではありません。
(連載当時許容されていたリアリティとして浮いていたか否かはちょっとわからない)
べつに、井上氏がそのようなこまかい描写力を失しているというお話でもありません。センセーショナルな大コマにつづくのは、"ソファに腰かけTVをぼーっと見ている人物が、リモコンを操作するも、電源を消せない。リモコンの電池がきれているのだと気づくも、そのままソファに腰かけたまま動かず、ぼーっと見続ける"……という光景で、この感触はかなり身近で、ツラくなります。
でも「じゃあ後者だけでいいか?」と言うと、あの大ゴマがあったからこそ主要人物のドラマにはさむ挿話としてサックリまとめられた気もするんですよね。
また、連関もすさまじいと思いました。
さきの大ゴマも、前段でこの人物について「だれかのためにやる気にあふれてる」状況として整理整頓をがんばる姿が描かれたあとでのことで、センセーショナルではあるけれどそのキャラが「折れた」描写として自然なんですよ。
こういう連関のうまさが強く出ているのが、高橋のコンプレックスと、高橋が興奮するかれと同室のベテラン悪役プロレスラーの試合風景。
歩くどころかまだ床からベッドへの移乗もままならない――つまりリングロープをまたぐことさえできない、もじどおり戦力外の――プロレスラーがどうやってプロレス興行をおこなうのか?
プロレスラーの試合シーンではそこが一つのサスペンスとなるのですが、レスラーはじしんの不遜な悪役(ヒール)性を活かし、リング外で戦いつづけ、いよいよリング内へあがるとなったら、後輩を呼び寄せじしんを神輿として担がせ下させ、観客に不調を気づかせずにリングへ上がります。
レスラーの姿に興奮・歓喜する高橋がいい。
高橋はかつて、駅の階段を駅員と父にかつがれることで登ろうとしたさいに、じぶんを遠巻きに見下す「ふつう」のひとびとの視線に耐え切れず、拒んだ過去があります。
それがあったうえでのこの「担がれ」!
『リアル』はリアルであるという以上になにより、ほかで見ないような多様かつ何気ない場面・要素が劇的に映える/脈絡をつける井上雄彦の巧みなストーリーテリングにほれぼれとさせられる作品でした。
***
https://t.co/lneVripgzW
— 庭 (@niwa_yukichi) 2021年7月12日
一番、外科医って人体をこう見ることができるんだって感動した術式です。
人体・医学方面の面白知見をよく紹介されている庭さんのツイートで「はぇ~」となったこのローテーション手術も、『リアル』で取り上げられていて、しかもそれがドラマの素材として活かされています。
主人公のひとり清春は、骨肉腫で足を切断・塞ぎこみ、じぶんが恋心を抱いているおさななじみも顔を合わせることなく避けるようになります。
足をひきずる姿を遠巻きに見つめられる他者の視線や、「清春のためを想って」というかたちで他者からの面会を謝絶する父から透けて見える「障害者の息子を他者に見せたくない」失望などが描かれますが、おさななじみに対して清春がいちばん気がかりにしているのはそれらかというと、ちょっと違うらしい。
『リアル』4巻収録エピソードで、家へ来たおさななじみをドアの外で拒絶したあと清春は、
「こんなの見せられるかよ」
と自室でひとりごちます。天井から俯瞰するかたちでえがかれた清春の姿は、切断手術後の右足と左足がおおきく写されるかたちとなり、そこで読者ははじめてズボンの下に隠されていた、その手術部の詳細を知ります。
そこには切断面があるわけではなく、ヒザの皿のかわりにカカトをむけた右足首がある。
その様相をこそ清春は「こんなの」と吐き捨てたのでした。
しばらくして清春は、車イス生活をおくる大人と他校の同年代の子のふたりと知り合います。
同年代の子は沈黙する清春にちかづくとズボンの上から施術部をさわり、ローテーションだと看破します。そして、
「この施術にしたってことはまだスポーツをやりたいんだよね?」
と見抜き新たな道を示すのでした。{4巻、紙の印字でp.96(kindle版でp.100)}
ローテーション手術という、その道のひとでなければ馴染みのないトピックを、ただジャーナリスティック・トリビア漫画的に紹介するのではなく、それを受けた人の心情を(被施術者の身体運動にとって有益であり実用的であることと、そうは言っても知っていてもギョッとしてしまうような見た目であること。そういう機微を)とらえたうえで、ドアや衣服という境界ごしに他者を遠ざけたり、入り込まれたりする、二者間以上との関係性のドラマを展開するモチーフとしてしまう。
(右ヒザについても、生身のじぶんについても、ここからさらに掘り下げられていくことになるのですが、今回はこのへんで一旦〆めとくとして)
あまりになめらかな作劇なので、読み返すまでここでぼくはこの手術にかんする情報を得ていたことをすっかり忘れていた。
(というのはさすがに低記憶力の言い訳だけど、でも冗談ではなく本当にちょっとそう思うんです)
0414(金)
■ネット徘徊■
サークルのきめ
でもおれがサークルに入って一番ここおかしいよ……と思ってたのは30過ぎたおっさんたちが毎週例会に来てバルトの「声のきめ」を援用しながら何時間も延々と女性声優に関してのみ論じてたのを聞いてたときだな
— ▫️ (@Megapolisomancy) 2023年4月13日
あとは震災の二年後だったんだけど、東京という都市システムは災害によって揺さぶられ実際は崩壊してしまったのにみんな”崩壊していないふり”をしているのだ、という話を毎週延々としていて、関西人にとってはそれは18年前に通った議論でありそれが完全に無視されてるのマジで傲慢すぎるなと思ってた
— ▫️ (@Megapolisomancy) 2023年4月13日
とはいえ震災後に生まれた神戸人にとって災害とは老人たちが切断された腕の傷跡を見せながら語る思い出話であり東京人にとっては現に事故に巻き込まれ目の前で東北人が腕を切断されたところ自分たちは打ち身を負っただけという状況でその生々しい記憶の話をする状況であり結局比べられないなと今は思う
— ▫️ (@Megapolisomancy) 2023年4月13日
よそのコミュニティについて、おもしろディテールが語られていて「へぇ~!」と楽しんでおりました。
弊SF研、駒場祭時に何十年も毎年やってきて数時間居座って持論を披露してくる五次元おじさん、エーテルおじさん、アルキメデスおじさん、月はチーズおじさんなどがいて彼らのためにもこのサークルは潰す訳にはいかないと思ってたけど実際潰れる頃には彼らも平均85歳くらいになってたし潮時だったんだな
— ▫️ (@Megapolisomancy) 2023年4月13日
UFOおじさん、等価交換おじさん(きったねー古本を置いていってこちらがいいと言ってないのに勝手に一部100円で売ってる会誌を持っていく)のことを忘れていました、すみません
— ▫️ (@Megapolisomancy) 2023年4月13日
最後にやってきたとき自分は多くの機関に狙われていてもう長くないので君たちにこれを託すと言われ資料をもらったやつを俺がまだ持ってる、しかも哲学科のSF研会員が不完全ながらも資料を整理し注釈を加えた痕跡があるんだよな pic.twitter.com/1fTHeGjynh
— ▫️ (@Megapolisomancy) 2023年4月13日
この上下に引用した話題については、のほほんとしてられない凄味がありますね。
定期的にクォークの存在絶対認めないマンから謎のメールが送られてくる pic.twitter.com/HaYRNWno5i
— カソクキセンパイ@ワコォ (@AccSempai) 2023年4月13日
こういうかたがたと自分ってなにがちがうんだろう? みたいな点で、きびしい気持ちになってしまう。
(一部のものごとについてババ~ッと長々自論を展開する自分とのちがいとは?)
0419(水)
■世間のこと■
「読め」「見ろ」わかったわかった死ね
「読め」とか「見ろ」とかってオタクがよくやるアレが大嫌いです。
「あなたがそう言うに至った詳細が聞きたい」と思います(が、そうした願いが140字より多くかなえられることはあまりない)
「読め」とか「見ろ」とかって文言を見聞きするたびに実際そうなさってきたひとがそう仰るなら仕方ないことですし、そういったかたの反論は謹んで拝聴させていただきますが、しかしその願いは絶対かなわないのが悲しいところです。なぜならそういう立派なかたがたは、この小見出しを読んでみんな死んでしまったからです。
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あれらの文言からヘソ曲がりのぼくが本当に読んだり見たりするためには、何かしらの戦略が必要な気がして、たとえば誰にたいしても敬語で話し普段は懇切丁寧にロゴスを説くひとが、ふと一回こっきり「見ろ」とだけ述べたら、さすがに動かされるのではないかとか思うのですが(じっさいぼくは蓮實重彦さんが「実質○○」のしょうもなさを延々語ったうえで「でも『動くな、死ね、甦れ!』の凄まじさを前にすると、私もそのような"○○のような~"を愚直に並べる以外のことばが出てこない」といった旨で降参したコラムを読んで、往復数時間かけてSHIBUYA TSUTAYAへ行きVHSを借りに行きました)、「そういうひとはそもそも"読め"とか"見ろ"とかで済ませようとしない」というジレンマがあり、また、なんにでも「読め」だの「見ろ」だののたまう御仁も、このようなゴチャゴチャうるせ~ヤツへ届けたくてそうおっしゃってるわけでは確実になく、ここでぼくが言っている悪口もまたべつにあなたへ届けたいものかというとそうじゃない場合が多そうで、刺さらなくていいトゲを刺してしまってやっぱり悲しい。
0429(土)
■読みもの■
田中靖規『サマータイムレンダ』読書メモ
アニメの評判がすこぶる良い『サマータイムレンダ』原作漫画を読んでいます(※)。全13巻のうち9巻まで読み終えました。
ほうぼうから評判の良い作品で、たしか織戸久貴(ななめの)氏だったかがスピンオフが面白いと話題にしていたのが最後の一押しになりました。
PS2の名作ゲーム『SIREN』を彷彿とさせるような作品ですな。
『SIREN』は複数人の視点をザッピングしながら各人のドラマと、そして劇中舞台のおおきな秘密を解き明かしていく作品ですね。
その魅力のひとつとして、マップに転がる100のアーカイブによってその輪郭をより確かなものにしていく環境ストーリーテリング(ヘンリー・ジェンキンズ氏が言ったような語用としての。くわしくは弊blogでかつて勝手に訳したコラムをご参照ください)があります。
壁画や掛け軸、小学生の落書き。古文書、日報(古新聞)、役場報や広報紙、グラビアページ付雑誌紙面、ジャポニカ学習帳的シロモノの絵日記などなど……
……テクストらしいテクストをいろいろ閲覧することができ、それぞれの「らしい」文体でもって綴られた情報は、事件の真相や因果関係の補足となってくれるわけなのですが。
そういうサブテクストらしいサブテクスト以外にも、たとえば登場人物の学生証や警察手帳、グラビアテレホンカード(なつかしい~)、図書貸し出し用カード、地元名産品(とその料理法)、地元神社のおみくじ、登場人物のアクセサリや地元で大事にされているいわくありげなシロモノなどなど! とにかく色んな小道具(プロップ)が、どれも現物をつくったうえでゲーム素材として落としたみたく写実的なイメージとともに用意されていて。
お話を解明するための手がかりというよりも、『SIREN』世界にかんして確かな手触り・実在感を与えてくれるテクスチャのようなものとして、非常にすばらしかったんですよ。
『サマータイムレンダ』に話をもどすと、漫画本編じたいは遅滞なくザクザク行動し続けるタイムループ物なのですが、コミックスでは「記録」と題された連載ミニコーナーが掲載されていて、これがちょっと凝ってて素敵なのでした。
1巻はジャポニカ学習帳的なシロモノの絵日記(学習帳の表紙も併載)、2巻は登場人物が描いた小説「沼男」(もっとそれらしい装丁のものが絶対あるんですけどたとえば『粘膜人間』やら『拝み屋怪談 鬼神の岩戸』やら角川ホラー文庫とかにありそうな感じの表紙がまたいい)のAmazon的通販サイトの商品ページ、4巻は廃墟探訪blogの写真多数の記事など。
★★★★★ アホ
投稿者 消極的ニヒリズム 2016年6月4日
主人公のキャラが立ってない?特別な力を持たせる?
んなこたクソどうでもいい。アホなの?ミステリに無駄なキャラ付けなど不要。そんなものが読みたければジャンプ漫画でも読んでりゃいいんじゃない。
1人のお客様がこのレビューが役に立ったと答えています。
集英社刊(ジャンプコミックスDIGITAL、2018年デジタル版発行)、田中靖規 『サマータイムレンダ 2巻』kindle版99%(位置No.198中 197)、本体・裏表紙より「記録#002 南雲竜之介「沼男」レビュー」より
キャラが立っていて特別な力がある、ジャンプらしい異能バトル漫画として寄り道するヒマのない本編を、うまく肉付けしていて面白かった。
僕がゲームに求めるのは、
世界観>音楽>演出>物語である。
創られた世界を主人公となって動き回り、「体験する」ことをこそ欲している。
集英社刊(ジャンプコミックスDIGITAL、2020年デジタル版発行)、田中靖規 『サマータイムレンダ』kindle版96%(位置No.198中 196)、「あとがき」より
9巻の「あとがき」で作者の田中氏は、執筆中にプレイしたゲーム『デス・ストランディング』の感想を記すさいに上のようなお話をされていて、
「なるほどそういう趣味のかたであれば、こういう部分も描きこんでくれそうだなぁ」
と思いました。
(※)knidle7割還元セールをやっていた際に手に入れました。
対象はそのとき売上がよかったのであろう人気作ばかりで、「『ちはやふる』も対象かぁ、ふつうに全巻もってるわ」などもしかしたら浮かせられたかもしれない出費について考えてしまったりもしましたが(苦笑)、ジャンプ作品を中心にいろいろ手に入れられました。
ショッピングカートへほうりこんだなかには『しょせん他人事ですから』もあります。タイトルさえ知らなかったこの作品をセール中に手に入れられたのは、ご近所の読了ツイートを目にしたからです。まだ読んでないけど面白いに違いない。その節はありがとうございました。
▼田中氏の『デス・ストランディング』レビュー・ゲーム観がおもしろかった
で、さきに引用した田中氏の『デス・ストランディング』レビューは他のところでもちょっと面白かった。
良いゲームは、遊んだ人の中に何かを残す。
それはゲーム的達成感や映画的感動だけに留まらない。
ほとんどのゲームは、一人称視点であれ三人称視点であれ、
プレイヤーが主人公を操作することになる。ゲームの中では、誰しもがフカン的視点を持つことができるのだ。 そして良いゲームの場合、世界に対してフカンするこの行為(ゲームプレイ)こそが、プレイヤーの現実での視野を広げてくれる。
集英社刊(ジャンプコミックスDIGITAL、2020年デジタル版発行)、田中靖規 『サマータイムレンダ』kindle版96~7%(位置No.198中 196~7)、「あとがき」より
*1:鮎のイントネーションで読みます。
*2:持ってたらPSVRでの3D映像鑑賞に不満をいだくにきまってるので。
*3:というか、単にこのキャラの趣味なんだろうな……。
*4:ちなみに『ハーモニー』で引かれた「小鳥が凍え死んで枝から落ちようとも、 決して自分を惨めだとは思わない」というロレンスの詩は実は『G.I.ジェーン』にも出てくるものだし、くだんの作品ではピンク色の軍服の冗談も出てくるから、伊藤氏はリンク先のレビューで言うほど『G.I.ジェーン』を駄作とは思ってなかったんじゃないかとも思う。
*5:前述したとおり「CINEMATRIX」での伊藤氏のレビューは、未見の人のための「紹介」とのことなので、そもそもそんな「がっぷり四つでネタバレ全開大解剖!」みたいなものではない(※)わけですが……そこを考慮しても、きっと。
(※『ダンサー・イン・ザ・ダーク』評とか、むしろ鑑賞後に読むべきだろう文章もあり、どこまで徹底されていたかはわからないんですが、まぁ、そういう趣旨で書かれているはずの文章ではあるはず……)
*6:そのほかに書くとしたら、一見さんがどれだけその作品だけを見てもわからない、作家の来歴とか作風などの作家論的な部分。
*7:いや、半可通がそれっぽいことを書こうとすることほど、テケトーなこと・その書き手を遠巻きにしたいことも無いわけですが……。
*8:囚人=委員長ファンの総称