日記です。2万字くらい。
vtuberさんの麻雀大会を見たり、映画『モンハン』中国版予告でみられるショットでWS兄貴への信仰を復活させたりした週。3月ぜったいに見に行くよ兄貴!
※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※
1117(火)
■ネット徘徊■
はてなブログの「ブログタイムマシーン」コーナー面白いけどそのうち調整が入るんだろうか?
はてなブログのトップページ的なところ(?)に、「ブログタイムマシーン」というコーナーが掲載されています。1年まえに話題をあつめた記事を再ピックアップするというコーナーで、「あぁそんなこともあったなぁ」と懐かしがったり、「こんなことがあったんだ」と勉強になったりするのですが、これって結構あやういサービスではないかと今更ながら気づき始めました。
某氏がパートナーを解消した、その振り返りをするような記事が1年前にバズりました。読んでいるこちらの胸まで痛くなる記事です。
それが上のコーナーによって再浮上していて、『悲劇的なデザイン』でとりあげられていた事例を思い起こしてしまいました。
「第四章 デザインは悲しみを呼ぶ」のなかの 意図せぬ残酷さ *1という項で触れられていた話題です。
『フェイスブック』ではかつて年末とかに「Year in Review」と題した機能をページに搭載していました。登録者の投稿ログを自動的にまとめてその年(だかもっと前だか)の振り返るようなページを個々に提供していたんですね。「ました」と過去形なとおり、しかし今ではオミットされている。
というのも、人生山あり谷あり、そうしてまとめられたページには、投稿時は楽しかったけど現在ではつらくなってしまった事象も載ってきてしまっており(病気になったとか、死別したとか)、ようやくつらい事態から立ち直ったひとが、それを見て当時の記憶が蘇って再び気が沈んだり……といった副次的な影響をあたえてしまったりもした~トカナントカなんですね。
フェイスブック「Year in Review」は、デフォルトのページ構成が、ユーザーの写真のまわりを風船が飛びひとびとがダンスをするという額縁がかざるというもので、暗い(暗くなってしまった)事物がピックアップされるとダメージが絶対はいる無神経なものだったらしく、それと比べればはてなの「ブログタイムマシーン」は、そうした油注ぎ構成ではないですが。
なんかそんな話が思い起こされる一幕でした。
■買いたいもの■
韓国往年の巨匠キム・ギヨン監督作6作10時間BOXほか
12月25日のクリスマスに、韓国往年の巨匠キム・ギヨン監督作を6作おさめたBD&DVDボックスが出るんだとか。収録作の上映時間は10時間を超すそう。やばいですね。
ここしばらく映画のビデオ漁ってなかったですが、DVDが高騰していたダグラス・サーク監督作も今はBDでけっこう揃ってるんですね~。
『翼に賭ける命』は曲芸飛行・エアレース映画ですね。あのウィリアム・フォークナー原作とのこと(原作未読)でしたが、まえ観たときはフォークナーでイメージするようなとぐろまいた物語というよりも、時制に乱れのない普通の作劇だったように思います。三角関係のメロドラマ部分にじれじれしてしまいました。
……ただ、むかしぼくが素朴に思った「ふつう」は、はたして本当に「ふつう」だったのだろうか?
あきらかに何か過去に色々あっただろうに、"回想シーン"とかはなかったような気もします。本当に「いま・ここ」の時間だけを追った映画だったような。時空間を簡単にいじくれるフィクションにおいて、時制を今だけにとどめるってけっこうふつうではないとも聞きます。
また観たらどんな感想になるかなぁ。
黒沢清監督の『CURE』4Kリマスターと、『蜘蛛の瞳』『蛇の道』新装版もついに出るんですね。発売予定を知ったときには「はやく出してくれ~」と思いましたが、すっかり忘れてたし、それ用のお金とかも準備してこなかったので我が家の家計が火の車ですね。自滅の刃。
1118(水)
■描きもの■
クリスタよくわからん……
『SAI』を再購入するまでは、ペンタブに付属してきた『クリップスタジオ』でお絵かきしようと思ったんですが、うう~ワカラン……。画力の問題で絵のことだけでもワカランのに、ソフトの機能までワカランとなるとなぁ。
色調補正がどこで行えるのかもわからない。説明書を読まなきゃならんですねぇコレは……。
1119(木)
元気に過ごしました。
1120(金)
■書きもの■
ぼくの文章の読みにくさは己の低能が原因だよなぁ……
アクセス解析にtwitterがピコンと出てきたのでパブサをかけたら、『Outer Wilds』論文の訳文読了ツイートをあげてくれてるかたがいらっしゃいました。
ツイートをたどってみたら「作品の素晴らしさを再確認できた」というような一言が付せられており、「あの論文いいですよね……勝手ながら紹介させてもらった冥利に尽きますわ……」と喜びもひとしおでした! やっちゃ~!!
ただ、ウ゛ッとなってしまったのが、そのまえに「読むのめっちゃ時間かかったけど」とあったことです。
論文の内容じたいはすっごく具体的で平易な内容なので、訳文を読むのに時間がかかったとすればそれはもう……他人様がサラリと飲み込める文章を組み立てられなかった訳者の能力不足以外に、原因はないわけです……。
これまで訳したミエヴィル氏のやつとか、一文が長い長いイーガン氏のやつとかなら
「訳文あやしいけど、あやしすぎるけど、でもほら、言ってることがムツカシいしね? ね??」
って言い訳できてたんですけど、さすがに今回は……。
よそさまがリンク張って紹介してくれた他の記事も(ひとさまの文章を訳したものじゃない、ぼくの頭から出力された感想文も)、わりかしそういうことを言われるので、もうそろそろ年貢の納めどき、自分の問題を直視せざるをえんくなってきました。
1121(土)
■体のこと■
体調をくずし一日中寝る
6時。みぞおち~みぞおちの下あたりが痛くて目を覚ます。ググったら胃の痛みとのことで、ウィダーインゼリーをとりあえず入れ、二度寝する。
8時。寝れたが痛みが微妙につづく。しっかり朝ご飯をとり、三度寝する。
15時。発熱している感があり、脱水かなぁという気がしたのでポカリスエットを飲む。四度寝。
19時。ご飯を食べる。身体のダルさは取れない。
21時回るまえに寝る。
1122(日)
■体のこと■
腹はたまに痛いが元気になる
2時に起きる。6時間寝たのでまあいつも通りの生活サイクルで起きてしまった感じでしょう。また二度寝し8時~9時あたりで起きる。
■見たもの■
引きの画で米粒大の人が飛ばされて、次ショットで実物のセットに実物の人をぶつける映画だ!;映画『モンスターハンター』中国版予告編を見る
ポール・W・S・アンダーソン兄貴が再評価されるキッカケの一作になるんじゃないかコレ!?
カプコン×ミラジョヴォ×PWSアンダーソンという、次第にどう楽しんでいいか分からなくなった映画『バイオハザード』座組による『モンスターハンター』ということで心配する声が多かった印象のある今作。
公開がちかづいてきたことで、さまざまな文化圏のトレイラーがお目見えするようになってきました。
製作初期の紆余曲折や不確かな情報、ファーストルックから馬鹿にするひとが出るなか、「アンダーソン兄貴だから、それなりのものに仕上げてくれるはずだ……」と耐え忍んでいた映画オタク・ぼんくらの諸姉諸兄もいらっしゃることと思います。
ぼくもそんな一人でしたが、だんだん信心がにぶってきていたので、けっこう恐々しながら続報を追ってました。
{どのくらい信心がにぶっていたかというと、アンダーソン監督が直近に監督したのがYoutubeプレミアム用のオリジナルドラマだったとかも知らんかったです。
『オリジン』は、制作をつとめるMika Watkins氏がシリーズ脚本を手がけた全10話のSFドラマ。10話シーズン1で打ち切りだそうだけど、IMDbは7点台(6千票集計)と悪くありませんね。アンダーソン氏のほか、ジョナサン・テプリツキー氏(『レイルウェイ 運命の旅路』『チャーチル ノルマンディーの決断』監督)や、フアン・カルロス・メディナ氏(『ペインレス』『切り裂き魔ゴーレム』監督)、マーク・ブロゼル氏(ドラマ『ディケンジアン』数話監督。『Troy: Fall of a City』はWatkins氏も数話脚本しているようだ)などが各話監督をつとめているっぽい。
W・S・アンダーソン氏が単独で監督にクレジットされた1~2話については無料で視聴可能な模様}
ポール・W・S・アンダーソン氏は、『イベント・ホライゾン』(大傑作!)や『ソルジャー』、ドラマのパイロット版(TV映画)ながらも英国を上から地下まで活かしに活かした『ザ・サイト/霊界からの依頼人』などなど、数々の力作を手がけてきた人物。
ぼくも名高い『イベント・ホライゾン』を後から観て、ゴシック廃教会な宇宙船にやってきた宇宙船員が、ゴシックホラーな怪異・不条理に見舞われつつも、なんとかそこに宇宙船員らしい条理を見出そうとがんばる、その涙ぐましいお仕事映画・宇宙船航宙映画っぷりに心をガッとわしづかみにされ。
そして監督作をあさっていくことで――『イベント・ホライゾン』の方向性の作品こそ、あんまり拝めなかったものの、それはそれとして――「なんかすごいひとだ……」とメロメロになりました。
『ザ・サイト/霊界からの依頼人』とかすごいですよ、事件を調査し資料をあれこれ見やるというミステリー映画あるある描写、あるじゃないですか? 地道にことがすすみつつも真相にちかづくにつれ徐々に不穏となっていくBGMが流れ、さいご衝撃の真相にたどり着いたときにカメラがグーンとズームしたり大きなSEがバーンと鳴ったりするアレですアレ。
あのミステリー映画あるある描写を『ザ・サイト/霊界からの依頼人』は車の運転中の主人公が行なうんですね。
そうすることにより、車窓の向こうで高速で流れる外の風景(街灯の光)が資料を明滅させ(見ている観客を不穏な気分にさせ)、そして主人公の資料調査が衝撃の情報に行き着いたと同時にかれの運転する車のまえにとつぜん老婆が現れ(車内に据えられたカメラは車が前進中である当然としてグーンと老婆に近づき)バーンと轢いてしまって(!)文字通りつよい衝撃が起こる……
……たいていの作品がカメラの外から撮影監督がカメラを操作したりやら劇伴音楽とかSEとかなにやらをつけることで行なっている演出。これを『ザ・サイト/霊界からの依頼人』は、映画内現実としてこれでもかと具象化してしまうんです。
『忘れないために書きます』さんも近作『ポンペイ』について、物語展開・演出のヘンテコさを紐解かれていましたが、なんか変なんですよねこのひと。
最近の映画全般や映画全般に対する評判をみていると、現実的な物語展開やら、作品をまたいでシリーズを通してきれいに紡がれた脚本やら、なめらかな心情描写やらが、近年ますます重視されているように思います。(じっさいぼくもそういったものを求めます)
そんななかで、たとえば衝撃の事実が明かされる場面がいかに衝撃的かを演出する際、グーンとカメラをズームしバーンという大きなSEをつける{自然だが、映画の文法に慣れたひとにとっての自然であって、じっさい自然ではない(だって脳内で鳴らないし視界もギューンってなったりしないじゃないですか?)演出をえらぶ}のではなく、主人公がグーンと車を動かし被写体に物理的に近寄ってバーンと自動車事故して人を轢く~だなんて全き荒唐無稽(しかし全て映画内現実で起こっている展開)をえらべるひと。
そんなポール・W・S・アンダーソン監督が、21世紀のアメリカ映画界でも有数の多作家であるということは・ハリウッドでなぜか干されることなく仕事が切れず、ぼんくらコンテンツ方面の職業監督をやっているということは――おもしろい画が見たいひとにとって――きっと幸運なことなんですよ。たぶん。
ただ、W・S・アンダーソン監督の代表作である映画『バイオハザード』は、シリーズを重ねるにつれそういうへんてこさ・映像的な面白さがどうにも見いだせなくなって、ぼくは最後まで付き合えてません。
(人気がなければ即終了のハリウッドで、シリーズをあれだけ続けられてしまったあたり、やっぱり変なことですが……)
おなじ座組でまたあの調子だとヤだなぁ……という気持ちは正直ありました。
映画『バイオ』、シリーズを経ていくにつれ、邦画を見るような安さがありましたし。一体どういうあれなんしょう……。
10月にでた{現代兵隊が異世界転移しクリーチャと戦う、という(『キングコング:髑髏島の巨神』方向の)カラーを打ち出した}英語圏版トレイラー、11月にでた(ゲーム版メインテーマ『英雄の証』をバックに、砂漠船や集落、「こんがり焼けました」など……モンハン世界の実写化というカラーを打ち出した)日本語版トレイラーを見ると、いったい映画『バイオ』の安さはなんだったのか、お金がかかってそうでビックリしつつも、「まだちょっとこわいな……」と思ってた。
{あちらのトレイラーでCGの出来に心配はなくなりましたが、竜と人とが同一フレーム上におさまったショットが少なくて、撮影にどれだけ手間をかけたのかが見えなくて心配だった。
「きっとこれは"ゴア・ヴァービンスキー監督『PotC』シリーズみたいな感じで~"と企画がスタートしたんだろうな」と商業的な製作経緯が想像される『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』も、中盤~後半で飛行船がお屋敷を襲うシーンとくらべて、クライマックスの大一番であるはずの飛行船同士が戦うラストバトルは特撮パートが財テク感あったんですよね……。
(たとえば飛行船備え付けの兵器が放たれるときの映しかた。
『三銃士~』中盤では、後景に洋館のそと・中景に動く飛行船が艦砲射撃をするさま・前景に実景の洋館が小道具の火薬で爆発するさまそれぞれが同一フレーム上で一望できるようなショットをしていたんですね。
しかしそれが終盤の大一番である船同士の対決となると、構図がみょうに狭苦しくなるんですよね。クライマックスなのに。
ドンパチやる画を積み重ねていて、物語上「空戦」のシーンだということは充分理解できる絵ヅラなんだけど、ただし一つのショットに映されるのは攻撃する画だけ、被弾する画だけ……というような具合になっていて、そうした構図が選択されている理由が「作家の意図的な創意であるというよりも、これ、単に予算の問題なんじゃないか?」という風に思えてならない……そんなシーンになっています。
こうした構図の狭苦しさは、もっと大予算のジョーダン・ヴォート・ロバーツ監督『キングコング:髑髏島の巨神』終盤にも感じました。せつないことです)}
でもショット尺がながい中国版トレイラー見たら不安解消、リッチな怪獣映画が見れるぞ! やりましたね兄貴!! と興奮してます。
砂漠船の活躍もたのしみたのしみ。
{操船描写は『三銃士~ダ・ヴィンチの飛行船』でいろいろ拝めたし(建物の頭にぶつかり座礁した飛行船が、積み荷をおろして浮上しようとするとか)、『三銃士』はシリーズ展開もにおわされていたから、ほかにもさまざま考えていただろうし……}
※中国版では、英語圏版や日本版では写されていない竜も写されていて、ネタバレを気にするひとは見ないほうがよいかもしれません。ただ、「日本版予告だけでは怪獣をどうカメラがとらえ、アンダーソン監督が演出するか分からなくて心配だ」というかたは、あちらも見ると、ある程度の判断材料になると思います。
とにもかくにも0:30~の荒野で頭のふとい双角が印象的な竜ディアブロスが、頭をおおきく動かし、頭に乗っていただろう人を振り飛ばすショット群ですよ!
手ブレがある手持ちカメラを右から左に大きくパンさせてのショットですが、人はもちろん竜だって全身がしっかり収まって余白がある"引きの構図"で撮られています。
なげだされたひとの飛距離・ディアブロスの膂力の客観的な提示こそが主目的といった感がある、ぼくが怪獣映画で見たいと思うような一目でスケールのおおきなショットです。
(つまり、おなじ手持ちカメラ的映像でも、2000年代後半~2010年代前半に一世を風靡し『007 慰めの報酬』の大御所アクション映画シリーズや『世界侵略:ロサンゼルス決戦』など怪獣映画モンスター映画へもその撮影構図・カット割りが浸食した、ポール・グリーングラス監督作や『ハート・ロッカー』など最近のキャスリン・ビグロー監督作とは違う方向性で撮られているわけです)
次ショットだろうものでは、さきほどのショット尻に写された(ひっくりかえって天にタイヤを向けた)装甲車とそれを盾にしているかのような第三者がいた地点――そこを目と鼻の距離にカメラを据えて、(CGではない)実物の装甲車のタイヤに(こちらもCGではない)現実の人間が砂煙を巻き上げながらぶつかっていくさまが映されます。
人体に付着した砂煙は、ショット単体だと、振り飛ばされた人の軌道や速度(怪獣の振り払いから得た運動エネルギーの大きさ)を可視化・補足するものですし(往年の西部劇・時代劇でも、馬が疾走するショットでは地面に砂塵が勢いよく巻き上がるように、灰を撒いたりなんだりしたと云います)。
シーンの流れのなかで見れば、ひとに砂煙がついているのは、前ショットで竜から振り飛ばされている途中で岩に当たったことを受けてのもので、ショット同士のつながりを強くする(カッティング・イン・アクション的)工夫でもあります。
{アクションの末端をどうするか・どこまで実物で行なうか?
これって、作り手の個性が出る気がする。
いや、傑作モンスター映画『キングコング:髑髏島の巨神』をすこし見直して、ふんわり思っただけで、論として固まっていませんが……。
『髑髏島の巨神』にも『モンハン』にも、CGの巨大生物の暴力によって人が吹き飛ばされるアクションがあるけれど、『髑髏島』では吹き飛ばされた人は遠景で爆発して死にます。(爆発は、CGかあるいは別撮りした火薬による爆発を合成したかのどちらかだと思う)
それ以外にも『髑髏島の巨神』は、序盤の見せ場からCGの巨大生物の足に踏み潰されて退場したり(=カメラから映らなくなる)なんだり……と、アクションの末端がCGやら合成別素材で塗りつぶされて終わることが結構に多いんですね。
いっぽう『モンハン』予告編の少なくともこのシーンは、CGのモンスターから得た運動エネルギーは、実物の車に実物のひとがぶつけられるというかたちで実体化して終わります。
予算に苦心が見えるアンダーソン監督の旧作『三銃士~ダ・ヴィンチの飛行船』も、クライマックスでCGの飛行船にCGの砲弾やCGの炎がCGの飛行船に当たるような空戦描写をしていても、大きく局面がうごくところについては、実物をつかったショットを取り入れています。
物語展開として飛行船の浮袋に穴が開く場面では、実物の布に実物の穴を開けたり(絵ヅラは、布地だけを、それも穴が開くことになる限定的な範囲だけを写した狭苦しいショットで、この映画のこのシーンの一カットに挿し込まれなければ「飛行船が割れた」とわからないもの。節約を感じさせます。でも、現物を用意した)。
物語展開として浮袋に穴が開いたことで浮力を失った飛行船が、地上の建物の尖塔に串刺しされる場面でも、引きの絵こそCGだけれど(とはいえこの引きの絵もフォトリアルでリッチな仕上がりではある)、実物セットの飛行船の甲板に実物セットの尖塔を突き刺すショットを盛り込んだり……。
黒沢清監督は、カットを割らずにワンショット内で人を殴ること・ひとが(演技ではなく)本当に殴られていることを大事にされていた/実写映画がいだいてしまうドキュメンタリ性を――たとえフィクションであっても、現実の世界で現実の人間がそのように動いたということ、そのように見える光景が現実に起こってしまいそれをカメラが収めたということを――重視されていたけれど、どこまでCGでどこまで実物を用いるかという判断、これもまた大事な采配なのではないかという気がしてなりません}
あるいは1:05~の爆炎にたじろぐ飛竜(リオレウス)のショット。
画面左前景に弓矢をはなったトニー・ジャー演じる熟練ハンター、画面中央遠景に飛竜をのぞむショットで、膝上までカメラに収まった前景の熟練ハンターよりも、距離のはなれた遠景にいるリオレウスのほうがデカい・翼をひろげたら横長のスクリーンの横幅さえハミ出してしまうという、巨大な存在の巨大さを捉えるのにふさわしいコンポジションにぞくぞくしちゃいますわ~。
なによりえらいのは、ハンターと飛竜のあいだの地面に、米粒大のなにかがうごめいているところ!
地べたに座っていた人が、飛竜の顔をたたく火矢の爆発への反射的なリアクションとして、体重をあずけていた左手も前にだして防御する姿がとらえられているんです。
パースペクティブの補足にもなるし、こういうさまざまなリアクションがあってこそ、非実在物の実在感が増してくれるんすよね。
(『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』でも、最後の最後のチャンバラにおいて、高所で戦う主役と悪玉が端まで追い詰められ「あわや落とされそう!」というシーンを俯瞰ショットでとらえたさい、落下したさきの地面に米粒大の市民が歩く姿をおさめることによって、主役らの戦地がどれだけ高所であるか演出してました)
こうした竜と人とを同一フレーム上に収める手つきは、0:22~の、ディアブロスが、トニー・ジャー演じる熟練ハンターの火矢に射られるショットにも見られます。
日本版予告の0:38~で短くまとめられたカットでは影も形もなかった、荒野を逃げる米粒大のひとのすがたが画面下に確認できました。
中国版予告編をみたことで、『モンスターハンター』はベテラン監督によるたしかなアクション映画・怪獣映画モンスター映画として仕上がってくれているだろうと確信をもてました。
はたして本編では、アンダーソン兄貴の兄貴たるへんてこさがおがめるのか? 来年3月はぜったい映画館に行って確かめてやろうと思います。(3月でもまだまだ情勢は治まってないだろうから、できれば同時で有料配信やってくれると嬉しいですけど……)
vtuber『雀魂バーチャルインターハイ』観ました
バーチャルYoutuberの皆さんが麻雀ソフト『雀魂』Yoster主催の麻雀大会をひらいていたので観ました。
にじさんじからは4月にひらかれたYosterさん協賛・同ソフトをもちいた『にじさんじ最強雀士決定戦』決勝に進出したメンバーなどが出場。
『雀魂』公式チャンネルでは、多井隆晴プロ&元雀士で声優の小林未沙氏による解説・実況配信が行なわれ、それぞれの卓をかこんだ配信者さんの会話は、各配信者さんの立てた配信枠のほか、天開司チャンネルにて、先鋒・中堅・大将戦が全編中継されていました。
とにかく口の回る4人が揃って、丁々発止のドヤドヤしたやり取りが楽しい先鋒戦。
ただでさえ緊張する真剣勝負で、麻雀覚えたてだったりなんだり、さらには競技用(覗き見防止)のディレイ配信にとまどい恐縮しているなか、「ベテランなんで」と余裕しゃくしゃくの剣持さんも「みんな配信枠に囚われてマルチタスク強いられてるじゃないですか? ぼくベテランなんで配信してないんですよ今」とべつのいみで大丈夫か心配になる中堅戦。
どこが勝ってもおかしくない、解説・実況席もボーナス含めた点数計算に盛り上がった、実力者ぞろいの決勝戦……と、それぞれ聴きごたえがありました。
先鋒戦のグウェル・オス・ガールさんは、『にじ雀士決定戦』参加時と同様、{平常心で妙な角度からの棘をはなちつつ(「われわれがこのままずっと続けたら、麻雀大会自体を壊せてしまえるな」とか}本当に安定したトーク回しで楽しかったな。
中堅戦、試合前インタビューで「吐きそう」と言っていたコーサカさんは麻雀にひときわ集中していて、口数少ない対戦者の中でもひときわ無口でしたが、たまに喋ると面白い。
大将戦、とあるかたが大きな役であがったときの、音声越しにはっきりつたわる精神の揺れっぷりがよかった。ドタドタ音がしているなと思ったら「ははは(笑) わかんないどうなったんだオレ? (ドタン) あ~落ちちゃった、銀盾くずれた。いやな予感がする」(笑) ※銀盾=チャンネル登録者数10万人を超えたYoutubeクリエイターに授与されるシルバークリエイターアワードのこと
■読みもの■
難有だらけのバトルロイヤル;久正人(作)&KRSG(画)『全時空選抜最弱最底辺決定戦』(完)2巻まで読書メモ
それは何ですか;
久正人氏が原作(ネームまで)を手掛け、作画をKRSG氏が手掛けた漫画です(2巻完結)。
読む人への注意;1巻のあとがきでは「2巻以降は」と言われてあったものが2巻で終わってるので、高確率で打ち切りだと思います。
(「おれたちの戦いはまだまだこれからだ」エンドですが、主役たちが一つの転機を迎え、変化した一区切りついたところで終わっているので、満足感はあります)
序盤のあらすじ;
サラリーマンは目を覚ますと、自分が砂場で眠っていたことに気づく。目の前には四角、の塊――ファミコン時代のドット絵のような。
「第一回戦 第172試合!! 吉澤ヒトム選手 VS 2G選手」
砂の向こうは円形の壁が囲んでいて、壁の上には笑みをうかべこちらを見下す観客が大勢いた。
ポンッ
「え?」
ドット絵上の物体の先から立方体がうまれ、ふよふよとこちらへ飛んできた。
「昔のシューティングの最初のほうに出てくるザコ機っぽいな」
とサラリーマンが思ったころには立方体がからだに触れ爆発、髪を消し炭にし皮膚を焼き肉を飛ばして頬骨を露わにさせ死んだ。
「2回戦! 第86試合!!」
「え?」サラリーマンは目を覚ます。目の前には巨大な棍棒を持った原始人。「え? え?」振りかざした棍棒が前に出したサラリーマンの手を折り砕き頭蓋を割って眼球を飛び出させ死んだ。
「三回戦!!」目を覚ましたサラリーマンはネコ科のモンスターの爪に顔をえぐられ皮膚をはがされ死んだ。「四回戦!!」一つ目のキノコの怪物の毒ガスで口から泡を吹いて死んだ。
決闘場で何度も死に続けているうちに、サラリーマンは自分がなぜこんな目に遭っているのかを振り返った。
「もう何もしたくない… このまま2年くらいこうしてたい… でも会社… 俺が責任問われない形で会社が休みにならないかなー……」
ベンチに寝そべりながら煙草をふかすサラリーマンの目にダンプカーが目に入る。
「例えばダンプカーが突っ込んで」「会社がぶっ壊れたら休みだよな」「あ でも 無関係の運転手さんが死んだら可哀想か…」「なら極悪非道のテロリストが」「計画のためにダンプを盗んで あ ちゃんと盗難保険に入ってる会社のダンプね」「で 運転中に心臓発作で …あ 苦しまずに死んで」「夜中の誰も出勤してない会社に突っ込んで」「で 休み」
ん? え!? マジでダンプ!? 際限なくつづくぼんくらサラリーマンの妄想は車の前照灯が眩く迫ってもなお続く。
ひかれたら… 軽くなら… 乗ってるのが極悪なテロリストで… 俺が事故ったおかげでテロが未然に防がれて… 結果褒められた上に… 会社休める!?
「お前 実に駄目だな 最適だ お前を私が統べるこの時空代表の最ザコキャラに認定しよう 私の為に戦ってこい」
眩い光は後光となって、迫る物体はダンプじゃなくて、ギリシャ神話に出てきそうな四翼の壮年(ダンディ)となってサラリーマンのもとへやってきた。
……そうだ、そうだった。そうして自分はこの闘技場に立たされたのだ。
サラリーマンは経緯を思い出したものの、「じゃあ目の前の対戦相手もおなじように訳も分からず呼び出されたのか」と戦意はなくなり、それまで同様死に続ける。
「予選の総当たり戦はすべて終了しました!! その中でも一勝も出来なかったザコ中のザコの5選手をご紹介しましょう!!」
サラリーマンは目を覚ます。
「スペースオペラ時空からK選手!! 剣と魔法時空からスライム選手!! マスコットモンスター時空からゴッヂン選手!! 妖怪時空から豆腐小僧選手!! 人間時空から吉澤ヒトム選手!!」
ザコの決勝戦バトルロイヤルを前にして、サラリーマンはどうするか。
「戦うなんて勇気は到底出ない でもー」
読んでみた感想;
ひょんなことから会し、さらには一緒に神々から逃げることとなった最弱5キャラ。弱いだけでなく性格にも難があって、いろいろと厳しい時空間がつづきます。
幅広い事物とその事物ならではの個性を生かした作劇なら右に出るもののいない久正人氏が手掛ける異世界転移モノということで、とても期待していたシリーズでした。
久先生のこれまでの仕事といえば19世紀の傑物事物が大集合した世界を股にかける改変歴史スパイアクションの傑作『ジャバウォッキー』に、神話伝承都市伝説のクリーチャが一堂に会した探偵・抗争・復讐劇『エリア51』、歴史上の偉人が大集合した対宇宙戦争ヒーローアクション『ノブナガン』などなどと傑作ぞろいですからね。
さてこれまでの久作品は、主人公格は好感を持てるキャラばかりでした。
それが今作では逃げる上に周囲を馬鹿にするヒトムをはじめ、性格にも難があるキャラばかり。
『スターウォーズ』世界からやってきたような人型メカに隠された真実とか、「あの世界ならこういうことがあってもおかしくないんじゃないか?」みたいな久先生らしい想像力の働かせ方が楽しかったですが、それはそれとして、読み手の感情の置き所が難しかったのかなぁとも思います。
主役たちを追う刺客は、じぶんたちと同じ境遇のザコキャラたちで。勝とうが負けようが嫌な気持ちが残るし(=マイナスな感情にも、悲しいとか切ないとかやるせないとか、そういう気持ちの良いマイナスな精神状態ってあると思うんですけど、そうはなれないような展開)、また、どうなればゴールになるのか先も見えない作品だったので。
ザコ同士が潰しあっている上には、当然それを指図したり見物したりする神々がいて、この神々もいずれはどうにかしなければならないだろうと思うわけですが、いかんせん主役らも敵もザコだけだから、どうやってもどうにもならないだろう……という。
桂正和著『ZETMAN』でも感じた煮え切らなさといいますか、上位存在の掌の上なんて状態でザコ同士がたたかうことに、「そこ同士がアレコレしたところで、事態は一向に進展しないよなぁ……」という足踏み感は否めません。
{ただ、20巻かけて第一部完「俺たちの戦いはまだまだこれからだ」エンドな『ZETMAN』とちがい、『全時空選抜最弱最底辺決定戦』は1巻2巻という序盤も序盤、主役の顔見世・書き込みに注力するのは当然なので、なんも落ち度はないと思いますが……。
裏があり着々と進行しているけど序盤は読者がうかがい知れることではない……という、『宝石の国』の語り口が一番有効なのかなぁなんて思います。(あるいは、こちらは別に劇中でも隠してないからまたちょっとちがうけど「序盤で出てくる敵はモンスターに見えてドローンタイプの斥候部隊でした。序盤の戦闘データをもとに、7巻にして満を持して人型タイプの敵が登場」というジャンプが誇る遅効性SF『ワールドトリガー』の物語展開も、ここに含めてよいかもしれない)}
『Outer Wilds』制作論文で語られた、オミットされた初期イントロダクションの不評理由や、『名馬であれば馬のうち』さんの制作経緯まとめ記事で紹介された『ズートピア』初期案に異をとなえたアンドリュー・スタントン氏による批判点を思い起こしもしました。
主役や敵のザコのザコさ加減は(主体性のなさとかやる気のなさとか、逆に「なにもしない」ことにかけてはがんばるところとか、謎の自分ルールに固執して周りを無視するところとか)、読者のひとりであるぼく自身がかかえるザコさ加減で、かれらがどんな冒険をしていくのか、もっともっと見ていたかった部分はありますが、でもまあ「そりゃあウケないだろう」という納得もあります……。おれたちは魅力的ではない……連載レースを生き残れるほどには……。
(今作のというわけではなく)さまざまな創作物に対する評価として、「感情移入できなかったからダメ」だったみたいな声がありますけど、これって正しいんだろうか。
もっと詳しくつきつめると、「創作物の連載を追いたいと思わなかった」というのはつまり「そのキャラとながい時空間一緒にいたいと思えなかった」、「友達として良きパートナーとして好感が持てなかった」とかそういうことなんじゃないか……なんてことを思ったり。
逃避行を応援しようにも、かれらが「逃げたい」とつよく思ってるのかもよく分からないし、逃げてほしいほど好きなキャラでもないし、どうでもいい……みたいな。そういうアレだったりしないかな。
いや2巻打ち切りだともうそういうレベルを超えて、そもそも手に取ってみようとも思ってもらえなかったとかそういう話になるんでしょうか。
ここまで今作のことを考えていくと、では、ぼんやり頭が悪く性格もわるい人物が、とくに「これだ」という強い目的意識やゴールも何もなくダラダラつづけているだけのこのblogを、一体だれが読むんだ……? なんでおれはblogつづけているんだ……? みたいなじぶんじしんの実存への疑問も浮かんできたので、この辺でやめにします。
私家電書では一番じゃ?/スポ根修行の歴史的根拠(大正);富名腰義珍(船越 義珍)『琉球拳法 唐手 リフロー版』読書メモ
それは何ですか;
大正11年に著された、富名腰義珍氏による琉球唐手の指南書です。富名腰氏は大正10年に皇太子(のちの昭和天皇)が海外御巡遊されたさいの唐手体操台覧にて指揮をされたかたで、空手の松濤館流の開祖とのこと。
▼ありがちな私家電書の形式について
国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている稀覯本を、私人が電子書籍化しAmazonで販売している品物はいろいろありますが、たいていの電書はコントラストを弄ったくらいなもので、ページがそのまま画像情報として保存されています。
デジタルコレクションのデータは、文字が裏映りしていたり、一ページ一ページ開くのがとても重かったりするので、この手間賃と考えればそうした私家電書もありがたい品物だったりするんですけど、「でも気合を入れれば読めるしなぁ」と手が伸びなかったりします。
▼『琉球拳法 唐手 リフロー版』の一工夫ふた工夫
「リフロー版」の名のとおり今著は全文字が文字情報として保存されています。また、単にリフローされているだけでなく、旧字は現用漢字にあらためたうえ、固有名詞や専門用語に原本にはない注も記載されていて、さらには(前後で記した箇所について)「詳しくはn図参照」みたいな文章については、ひとつひとつリンクが張られています。
この本をしっかり読んだかたが起こされた電書なんだなぁとニコニコできます。
読んでみた感想;
試みに、日本地図を紐解いて一瞥せよ。南日本の果てに縄の浮いたように細長く見ゆる一列の島々がある。これがいわゆる琉球群島ですなわち今の沖縄である。
富名腰義珍(船越 義珍)『琉球拳法 唐手 リフロー版』Kindle版17%(位置No.2346中 73 )、「第一章 唐手とは何ぞや」一 歴史より
とのかっこよく書き出す今著は、諸説ある唐手の来歴を紹介しつつ、祝賀のさい沖縄の男性がみせる舞踊に唐手との共通性を見出し、「永い間の遺伝性に基づいて流れて来た」*2ものとし。
さらには唐手の体育上・護身術上・精神修養上の意義をサックリまとめたのち。
ついに唐手の型を絵つき写真つきで紹介していきます。
型や訓練の紹介は具体的で、稽古につかう巻き藁のつくりかたが寸法付きで記されていたりします。
この型・訓練が面白い!
貫手の説明を見てみましょう。
貫手(ぬきて)にも一本貫き、二本貫き、四本貫きと様々あるが、要は平素の練習にあるので容器に氷或いは豆、進んでは砂、小石等を入れて指先を鳴らして其の他、畳まきわら等にて十分練習しておくと時に依り、拳以上に利くことがある。
富名腰義珍(船越 義珍)『琉球拳法 唐手 リフロー版』Kindle版32%(位置No.2346中 724)、「第四章 唐手の組織」一 手技より(太字強調は引用者による)
あるいは蹴りの説明を。
飛蹴(とびげり)は蹴上(けあげ)とは少しく趣を異にし飛びながら両足で蹴るのである。型にも多く出ているので、形だけの練習はそれでもよいが実際の稽古は石下駄、鉄下駄等を履いて足を慣らすことが肝要である
富名腰義珍(船越 義珍)『琉球拳法 唐手 リフロー版』Kindle版35%(位置No.2346中 779)、「第四章 唐手の組織」二 足技より(太字強調は引用者による)
漫画や映像作品あるいは小説の格闘モノやその他スポーツ根性モノなどで、まことしやかに登場するスゴイ特訓。
あれらが民明書房的なうろんなデマカセではなくて、歴史的な裏付けあるマジな実践だったなんて! 今著を読んでみてビックリしました。
(学生の男女が登校途中に角でぶつかるシーンも、遡ると明治の小説まではいきつけるというお話とおなじくらいビックリですよ)
蹴上(けあげ)とは顎又は上段蹴放(けはなし)の場合に多く使用するので、この蹴方(けかた)は左足に身体を支え極めて迅速に蹴り上げ同時に強く早く引かないと敵に掬われる恐れがある
富名腰義珍(船越 義珍)『琉球拳法 唐手 リフロー版』Kindle版35%(位置No.2346中 774)、「第四章 唐手の組織」二 足技より
蹴上について実用的なメリットデメリットのレクチャーがあった直後に飛蹴の石下駄鉄下駄アドバイスなので、衝撃はいっそう強い。
1124(月)
■そこつもの■
ネットマネーの種類を間違える
SAI支払いにはつかえないネットマネーを買ってしまいました。ううう。
PC修理代など、ほかの面でいろいろと出費がかさんでるし、ここできちんとクリスタの使い方を覚えるべきか……?
■体のこと■
腹はまれに痛いが元気
朝や夕方など少しお腹が痛いけど、元気になりました。
記事がバグる理由がワカラン
はてなブログのページ作成画面にはデフォルトで3つの作業画面がそなわっています。(「編集見たまま」「HTML編集」「プレビュー」)
日記を書いていたら埋め込みリンクが真っ白になったりと変な見え方をするようになったので、「プレビュー」画面をのぞいてみたら、「編集見たまま」画面のようには記事が組めてませんでした。後半の記事が、なぜか中盤に挿入されているんですね。
ためしに「公開」にしてみたら、下書きプレビューどおりの変な組み方で投稿されてしまいました。
「編集見たまま」画面から変になった文章を全文、1日ずつコピペしたところ、そちらは文章の組み換えが起こらんかった。ワカラン……。
■書けないもの■
ゲーム作りたい期に入った
小説の感想記事や未公開作品の野次馬記事を書くために、円城塔氏の読書メーターからいろいろと本を読んでみる日々を送っているのですが、飽き症なのとバックレ癖があるため別の妄想をして逃げています。
『コンテストパーク』が元気だった時代にフリーゲームをいっぱい楽しんだ人間として、ゲームを自作したい熱をくすぶらせつづけているわけです。と言っても形にできるプログラミング能力その他諸々もないわけですが……。
それどころか、そもそも作りたいシステムも物語もないってのが常だったんですけど、今回はそこが埋まったので、ちょっと詰めてみようと妄想したり調べものしてます。
格闘技の本を読んでいるのもその関係で、 ただ地力がないので、完成が一向にこない永久期間に入る(エターナる)のは目に見えており、公開はblogの埋め草になると思いますが、まだひとが読んで面白く思えそうなレベルまでまとまった内容になっていないので、もう少し寝かせます。
アップできない理由はもうひとつあって、ほかに調べ始めたのは、たとえば篆隷文体や鎮墓石や鎮墓獣についてで……
{鎮墓獣(ちんぼじょう)。大学にもコレクションされ、ベスト100セレクト公開されたり。あるいは文化遺産として東京国立博物館で保管・展示されたりしている、由緒正しきもの}
……まぁふつうに18禁ゲームを考えているんですよね。このblogで一緒くたにしてよいものかなぁ。いまさらか?
■18禁の話題■
朝チュン時間の立ち絵差分があるゲームとかアツそう
▼朝チュン差分の効能(ソフトフォーカス、過去の深掘りの引き金)
▼そんななか朝チュン差分を用意しないことでキャラを深掘る
FANZA利用者/検索結果の統計なんてあるんだ
英語圏の18禁動画サイトpornhubや、ファンフィクション小説の人気ジャンルの統計、2006年AOLが公開し(て物議をかもし)た65万7426人分の検索履歴(履歴は2006年1月1日~3月31日の三ヶ月間分)をふくむデータセットなどから、男女の性的関心を眺めていく研究はオギ・オーガス&サイ・ガダム著『性欲の科学』、セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ著『誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性』など(※こっちはポーンハブの確認が主/そももそも性欲の話じたい、数多ある話題のなかの一つ)で扱われています。
日本における研究は寡聞にして存じませんが、今回ひとつ、それに類するデータ自体はじつは2018年、日本の(DMM系列の成人向け)サービスFANZAから出ていたみたいなんですね。知らんかった~。
男73.6%、女26.3%利用(動画については69.8 : 30.1でした。((※ただし登録って自己申告じゃなかったかな? この辺はポーンハブの統計もどうだったかなぁ……。もし自己申告だとしたら、前述AOLがなぜかブッパしたデータほどには信用性はなさそうな気がする。)))で、男女ともに寝取り・寝取られジャンルが人気1位。
女性では2位の「中出し」が男性においてはトップ10圏外というちがいが気になりますけど、出される側が女性とは限らないよなぁと思いました。(BLでの好きなシチュとかだったりするのやもしれない)
面白いのは、FANZA動画女性部門では3位の「レズ」が、FANZA同人(漫画)女性部門ではランキング圏外で。
FANZA同人(漫画)女性部門では5位6位の「ゲイ」「ボーイズラブ」が、FANZA動画女性部門ではランキング圏外であること。品揃えによる影響なんでしょうか?
FANZA動画では男性5位女性2位に位置する「痴漢」は、FANZA同人だと男性25位女性9位。これもけっこう意外な結果でした。
3次元コンテンツでは男女ともに五本の指に入るほど人気があるけど(キャラの身体的特徴みたいなものもあるから、シチュエーションに絞ったらさらに上)、2次元の分野では男からの需要は下がる。そしてどちらにしても女性からの支持のほうが高いという。
かなしいことに痴漢に遭ってしまった女性の割合はかなり高いと聞きます。(WeToo Japanさんのアンケートに答えた女性のうち70%が、弁護士相談プラットフォーム「カケコム」さんのアンケートだと64%が痴漢被害の経験者だといいます)
それでも創作物だと人気ジャンルであるという事実は、「それはそれ、これはこれ」という虚実の分別が大きいのかもなあと思いました。
(もちろんポルノの利用者なんて少ないでしょうから、世の痴漢フィクション視聴者の女性が、みんな現実では痴漢に逢ったことない人である可能性もあります)
『誰もが嘘をついている』や『性欲の科学』で紹介されている、女性利用者のうち1/4がポーンハブでレイプ物を検索したり、95年のある実験に答えた女性の1/3が「男のすべての要求に従わなければならない奴隷になった自分」を夢想したりするという知見。
これについて但し書きされる「とはいえ別に現実にそうされたいわけじゃない」「そう言いつつも、その夢想は相手がじぶんを愛しているという暗黙の前提があってのことだ」という感じのことを補強する結果のように、FANZA女性利用者の痴漢モノ需要はおもえますね。
女性によるポーンハブ上の検索上位には、読者の多くにとって嫌悪感を催させるものもある。女性に対する暴力を含むポルノの検索だ。女性による検索の優に25%は女性が被る苦痛や恥辱を強調した動画を求めてのものだ。「痛ましいアナル責め」や「公衆の面前での凌辱」や「極端に暴力的な輪姦」などだ。女性の5%は同意を伴わないセックス(「レイプ」や「強制された性交」)の動画を(同サイトでは禁止されているにもかかわらず)探している。そしてこれらすべての検索語の検索率は、男性に比べて女性のほうが2倍にも及ぶ。もし女性に対する性暴力をテーマにしたポルノがあれば、私のデータ分析は、それはほぼ常に女性に偏って好まれるであろうことを示している。
光文社刊、セス・スティーヴンズ=ダヴィッドウィッツ著『誰もが嘘をついている~ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性~』kindle版38%(位置No.4896中 1796)、「第4章 秘められた検索」多彩なる好みの世界より{※ただし、同項で次いでただし書きされているように、取扱い注意な情報です。「もちろんこうしたデータを受け入れるにあたっては常に、空想と現実生活の違いを忘れないことが重要だ。確かにポーンハブを訪れる数少ない女性のさらに一部はレイプものを探している(見つからないが)のは事実だ。しかし当然ながらこれは、女性が実生活でレイプ願望を抱いているということではないし、もちろんレイプの罪を軽くするものでもない。ポルノ関連データが教えているのは、時に人は、自分の身に起こってほしくないこと、人には決して言えないことを空想するということだ。」}
女性は支配的なアルファ・ヒーローが好きだが、今のロマンス小説には、ヒーローが超えてはいけない一線が存在するように思う。女性に暴力を振るったり、女性を心理的に虐待するようなヒーローは書けないのだ。しかし、1970~80年代のロマンス小説には、残酷なヒーローが登場するものも多い。道を踏み外したヒーローもいる。『炎と花』のヒーローは、冒頭のシーンで処女のヒロインを事実上、レイプする。そしてのちに、彼女を娼婦だと思っていたと弁解する。1982年にキャサリン・コールターが書いた『悪魔の抱擁(Devil'sEmbrace)』では、18歳のヒロイン、キャシー・ブロウガムがステキな青年と結婚式を挙げる直前に、34歳の貴族クレアがヒロインを誘拐し、縛り上げたうえで、荒々しくレイプする。そしてのちに、彼女はクレアのとりこになる。
(略)
しかしロマンス小説の読者は、レイプ犯や人殺しのヒーローを望んではいないだろう。ストーリーの最初のほうで、ヒーローにちょっとした女性蔑視の言動があったり、ヒーローがまぬけだったりしても、彼らがヒロインに出会ってから変わることになるから、喜んで我慢するのだ(*29)。実際には、ヒーローが最初からアルファとして登場する小説は、全体の半分程度しかない。
阪急コミュニケーションズ刊、オギ・オーガス&サイ・ガダム著『性欲の科学 なぜ男は「素人」に興奮し女は「男同士」に萌えるのか』kindle版35%(位置No.7009中 2361、2389)第5章より(*29は「Knight(2009)」とあり、『Passionate Ink: A Guide to Writing Erotic Romance』などを書いたロマンス作家アンジェラ・ナイト氏の論考を参考にしたものと思われる)
女性たちは、自分のロマンスのヒーローには、ココナツのようであってほしいと思っている。つまり、外側はハードで手強いが、中身はソフトで甘いということだ。だれもが甘い中身を味わえるというのではダメで、ヒロインだけが彼の殻を破れるというのがいいのだ。ヒーローがヒロインに優しさと思いやりを示してくれるのなら、ほかのみんなに対しては、どんなにこわもての支配者であってもかまわないというわけだ。
オギ・オーガス&サイ・ガダム著『性欲の科学』kindle版35%(位置No.7009中 2407)第5章より
女性が男に犯されることを夢想するのはよくあることで(*15)、女性の学者たちも一般の女性たちも、こうした夢想に理解を示しながらも、戸惑い、不安を感じている(*16)。しかし、想像の世界で興奮するからといって、現実の世界にそれを望んでいるわけではないようだ。心理学者のメレディス・シバーズは「興奮するのと、認めるのは別ものだ」と主張する(*17)。実際には、多くの女性が、想像上のレイプはかなりのレベルの合意にもとづいていることを強調している。
オギ・オーガス&サイ・ガダム著『性欲の科学』kindle版40%(位置No.7009中 2736)第6章より
16 Meana(2010).https://www.nytimes.com/2009/01/25/magazine/25desire-t.html?pagewanted=all
LeitenbergandHenning(1995).「女性の30%が『男のすべての要求に従わなければならない奴隷になった自分』を想像したことがあると答え、22%が『自分が男にひどい目にあわされた後に官能を覚えるセックス』を想像したことがあると答えた」
オギ・オーガス&サイ・ガダム著『性欲の科学』kindle版92%(位置No.7009中 6403)第6章脚注16より
ファンフィクションサイトにも、さまざまなタイプの「合意のない」セックスを描いた作品が掲載されている。なかには、非常に暴力的だったり、女性の名誉を傷つけるようなセックスを描いたものもあり、そうした作品は、分類用のこんなタグがつけられるほど増えてきている。「虐待Abuse」、「暴力Violence」、「嗜虐的性行為BDSM」、「拷問Tort[ure]」、「恥辱Humil[iation]」。こうしたタグは、アダルトファンフィクション・ドットネットのハリー・ポッターものでは、セックスジャンル別人気ランキングのトップ10に名を連ねている(*20)。
オギ・オーガス&サイ・ガダム著『性欲の科学』kindle版41%(位置No.7009中 2777)第6章より
フルカラー同人の彩色もいろいろあるんだなぁ
フルカラーの成年作品って商業・同人問わずいろいろありますよね。
フルカラーの作品は、近年だとなおさらよく見る印象。白黒で印刷するより出費のかさんでしまう紙の時代から、デジタルだけでやり取りするような時代になったからかもしれません。
美少女ゲームから実行プログラム部分を抜いたみたいな、紙芝居然とした「CG集」はたいていフルカラーなので、そちらとの競合もあるのかもしれません。
白黒で漫画を描いてきた作家がデジタルの同人作品を全編フルカラーで投稿されたりする姿も見かけます。
さいきんの同人作品を眺めてみると、「おっ」と目を惹くカラー作品をあれこれ見かけるようになりました。
ぼくがティーンのころには石恵先生の塗りがたいへん名高かったですし、『コミックLO』表紙のたかみち先生なども画集が出るほど有名でしたが、そういうのとはまた違う潮流がありそうです。
美矢火著『二人の相性』シリーズ、地方に暮らす幼馴染の関係をえがいたこの作品では、彩度をおとした塗りで、セピア調というか、週刊誌の再生紙調というか、郷愁をさそわれます。
かみしき著『放課後ブラガール』シリーズ、下着をキーアイテムにしたこの作品では、モノクロにプラスして一色相、彩度の高い色をベタ塗り的に配した、ポップな画調。(たとえば黄色を配したページでは、青空もプールも黄色に塗られる)
おなじ路線上の作品を「具体的にこれ」って挙げるのはパッと思いつかないんですけど、『堀さんと宮村くん』に代表されるHERO先生の『読解アヘン』に掲載されているようなトーンでしょうか、キャラのやり取りもさわやかです。
どちらも演出の一要素として色彩がもちいられている作品のように見受けられます。
モノクロの現実に、テレパシーで伝わった情景だけがカラフルに思い描かれる学園モノNOBEL著『妄想テレパシー』(講談社『最前線』「ツイ4」)や、モノクロの世界にカラフルな音楽が切り込んでくる石川香織著『ロッキンユー!!』シリーズ(集英社⇒インディーズ)、ジャンププラスなどでちらほらみられる読み切り群など、発表媒体がデジタルの漫画のなかにはそういった作品って結構あったわけですが、エロ漫画の世界もまたその波が来ているのかなぁなんて。
普通の陽キャが異常な陰キャとロックンロールに出会う話 1/18 pic.twitter.com/tAzRQHAFT1
— ロッキンユー/ロッキンニュー!!!■新装版(上)発売中 (@rocking_new) 2019年11月21日
作家の技巧の巧拙によらない、演出の一要素としてもちいられたものがあるんだなぁと。