すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

「おかしい」の先、「おかしくてかなしい」の更に先;『なめらかな世界と、その敵』のみの感想

 伴名練氏の短編『なめらかな世界と、その敵』が無料公開中(3月末まで)だそうです。

 ぼくは短編集を去年読んでから今に至るまで各作の感想を書いていますが、(本文7万字+余談3万字を書いても書きあがらない現状)ぜんぶ仕上がるまで待っていたら、無料公開が終わってしまうので、この短編の感想だけさきにアップします。

 2万字の感想です。そうです、この感想を読めるなら『なめ、敵』実作を読めちゃうよって文量です。ぜひ最初に貼ったリンク先で作品を読んでください。

 

※伴名練著『なめらかな世界と、その敵』やその他言及作について、がっつり結末までネタバレした感想が続きます。ご注意ください※

 

約言

 とてもとても面白いしすごいし好きな作品です。

 内容;短編SFです。

 重いSF愛は、SFを無批判に肯定し浸る妄信ではなく、駄目な所を駄目と言った上でそれを認めてこそ可能な美を見ようと進む凄い愛です。(この姿勢が特に明示的なのが『ひかりより速く、ゆるやかに』ですが、他の作品もだいたいそう)

 記述;文体や語り口が作品毎に変わり、その語りならでは出せる味を出しています。人物世界劇中独自ガジェットががっつり結びついた、雑味を排した作品構成と物語運びで、それゆえか劇中特異事象について「そういうものがある世界です、以上」という風に映っちゃう部分もありました。{各作の虚構が「この世界にはこういう虚構があるのだ」と読者に思わせる説明は十分あるけど、「現実にもありえそう」と思わせるほど十二分にはない}

 ここ好き;語りの多様さと、作劇への活用。先行作へのオマージュと批判と自作への反映。

 

ざっと感想と短編集他作への導線

 この感想では、表題作『なめ、敵』の魅力について書きます。

 短編集『なめ、敵』には、そのほか5作が収録されており、いずれも傑作です。

 作劇に合わせてさまざまな語り口が選択されていることは色々な感想や論考で言われているとおりなのですが、伴名練作品の魅力は、そうして選択された語り口やSFガジェット・場面や小道具などモチーフが、見事なかたちで独特のリズムを刻んだり、大きなコントラストを生んでいたりしていることです。

 「具体的にどういうことよ?」というのを、下記「▼、こそ;『なめ、敵』の一人称の語り口、並行世界をまたぐ語り手の意識」に書きました。

 一作一作、記述がうみだす運動はまったく異なりますから、この感想で検討したのとはまた別の読書体験がたのしめます。『なめ、敵』で「面白いことやってるな」と思えたかたは、ほかの作品もきっと気に入るでしょう。

{今回とりあげた言葉遣い方向だと『ゼロ年代の臨界点』が。今回とりあげなかったモチーフ展開方向だと(たとえば『なめ、敵』なら寒暖に関する場面の挿入ポイントや比喩表現がどこで使われているか)、『ひかりより速く、ゆるやかに』『シンギュラリティ・ソヴィエト』がすごい。

 とくに『シン・ソヴィ』は、佐藤亜紀氏が『小説のストラテジー』で詳細に検討してみせたシャマラン監督『サイン』の視聴覚表現による演出に蒙を啓かれたじぶんにとって「おお!」という作品でした}

 

 また、短編集『なめ、敵』は良い意味で読前の想像をうらぎられた作品集でした。

 ぼくが短編集を手に取ったのは、あの熱すぎるくらいに熱い「あとがきにかえて」に心打たれたからでした。本のオビやメジャーメディアの批評なども伴名氏のロマンチックな意味での「SF愛」について語った声が多い。

 そこでぼくは一時期ハマったけど今はそんな追えてないというぬるいSFファンなので、ちょっと引いてる部分もありました。

 でも、実際読んでみると、伴名氏の愛はそんなさわやかなものだけでもなければ、盲目的なものでは決してない。そんじょそこらのSF嫌いよりもはるかにSFの悪いところが分かっているし、悪いところは悪いと作中で取り上げもする。かといって、嘲笑するわけでもない。

 悪いところに目をつむるのではなく、受け止めて、直視したうえで行ける景色というものがあるのではないか? そういう重たい愛でした。

 そのダメだしが明示的なのが『ひかりより速く、ゆるやかに』で、明示されてないけどやばいことやってるとぼくが確信してるのが『シンギュラリティ・ソヴィエト』です。(そういう確信を抱くには現在古書価格一万円の絶版本を買ったり、読めないのに英語の本を買ったりして、持論を否定するには懐が寒くなりすぎて引くに引けないやばい状態にじぶんを置く必要がありますが……)

 『なめ、敵』にもそういった要素があって、「じゃあ具体的にどういうことよ?」というのを、下記「▼「おかしい」定番;先行作『町かどの穴』の三人称の語り口、作品と著者ラファティの作風について」以降に書きました。とは言ってもけっして、先行作(作家)と今作(伴名氏)とのどちらか一方が百パーセント良い……なんてこともないし伴名氏もそんなつもりないでしょう、『なめ、敵』はなおさら穏当なかんじです。「それも良いけど、これも良さでは?」という。

(なのでぼくの感想を読み、さらに『なめ、敵』を読んで「既存のSF批判てこの程度?」と拍子抜けされたかたも、ぜひ他作に手を伸ばしていただきたい。こんな優しい提案ばっかりじゃないんだ……)

 『なめらかな世界と、その敵』が面白かったかたは、ぜひ短編集を手に取ってみることをオススメします。

 

序盤のあらすじ

 うだるような暑さで目を覚まして、カーテンを開くと、窓から雪景色を見た。

 学校へ行く気を養ったあたしは部屋を出て食卓について味噌汁を飲んだら塩辛かったので、苺ジャムトーストをデザート代わりに食べ、茶碗を置いて家を出る。

 熱気に炙られた坂を勢いよく下って、狂い咲いた桜のしだれかかる並木道を駆け、早すぎる紅葉をサクサク踏みしだいて、凍った川面をすがめ走り抜ければ、学校が見えてくる。

ハヅキン、ヴァルトラ6ちょー面白いよー明後日発売だけどけさ並んで買ったぜっ」「じゃああたしも買おうかな」教室の扉を開けるや否や常代と談笑し、

「やよい明後日のシフト代わってくれなあい? デート入っちゃったから」コンビニの扉が開くや否やバイトリーダーの柴峰さんの写メを見せられ苦笑し、

「架橋、転入生が来るんだが覚えあるか? おまえと小学校のころつるんでたという厳島マコトだ」と職員室で先生に訊かれたあたしは、

「今日マコトが転入してくるんだって!」と驚きのあまりマコトを小突いた。後輩の指導をしていたマコトはおさげを揺らして振り向きふむふむと頷く。

 HRのチャイムとともに扉が開かれた時、あたしはうっかりお客さんから受け取った小銭をレジ下にばらまいてしまった。短髪のマコトを見て、尋常じゃない違和感を覚えたからだ。ひるまず明るく声をかけるとマコトはにらみを返した。

「あいにくだが、私は――転校してから三年間、どのお前とも再会したことがない」

「馴れ馴れしくしてすまん。ならなおさら積もる話もあるだろう? 一緒に走りながらでもどうだ?」

「部活などに割く時間は持ち合わせてない」

 マコトはきょう初めて笑ったけれど、それはぞっとするような、冷たい薄ら笑いだった。

「もう私の人生には、脇道も寄り道も無い」

感想

 ▼、こそ;『なめ、敵』の一人称の語り口、並行世界をまたぐ語り手の意識

 、こそが大事なことです。

★★☆☆☆タイトルどうかならんかったのか

なめらかな社会とその敵』ってタイトルの本があるよね。なんでパクっちゃたんだろ。昔、『世界の中心で愛を叫ぶ』っていうお涙頂戴の三文小説が流行ったとき、SFファンはハーラン・エリスンの小説から題名パクってんじゃんって思ったものだったけど、同じことをSF小説家がやらかしてどうするよ。(略)

   Amazonカスタマーレビュー、『なめらかな世界と、その敵』のoooooさんによるレビューより(略は引用者による)

 Amazonの商品ページを見てみるとこんなレビューが拝めます。

 このレビューには間違いと文意のわからないところがあって、片山恭一氏の小説は『世界の中心で愛をさけぶ』であって『世界の中心で愛を叫ぶ』ではなく、『世界の中心で愛を叫んだけもの』の著者ハーラン・エリスンもまた、コードウェイナー・スミスをもじったコードウェイナー・バードというペンネームを有するひとであり、伴名氏が範をとった鈴木健氏著『なめらかな社会とその敵』もまた、カール・ポパー著『開かれた社会とその敵』に範をとったタイトルであるということです。

 独立して存在するものごとはそうそうなくて、敬意であれ軽視であれ何らかの上に立っている……というお話はおいおいするとして、まず言いたいのはべつのこと。

 、こそが大事なことなんです。

 

 『なめらかな社会とその敵』から社会を世界に変え、を加えた伴名氏の『なめらかな世界と、その敵』は、無限の世界を自由に意識をまたぐことのできる"乗覚"という劇中独自の感覚器官をもったひとびとが日常をいとなむ物語です。

 "乗覚"をゆうした人物による、一人称現在形の語り口。そんな文体を選択した『なめ、敵』は、無限の世界を自由にまたぐことが朝飯まえ*1の劇中人物ならば当然の感覚をまじまじと表現することで、読者(であるぼく)に強烈な違和感を与え、そして物語を読みすすめる速度を左右します。

 、と。そして のコントロールがとてもうまい*2

 うだるような暑さで目を覚ましてカーテンを開くと窓から雪景色を見た

   早川書房刊、伴名練著『なめらかな世界と、その敵』kindle版1%(位置No.4781中 19)「なめらかな世界と、その敵」1より(太字強調、色変えは引用者による)

 『なめ、敵』の書き出しでは、2つの読点(、)を越え句点(。)に到達するまでの短い一文で、朝おきたばかりの語り手が夏と冬ふたつの世界をまたぎ見ます。

 

 読み手が劇中設定をのみこめてきたあとの――葉月も覚醒してじゅうぶんな時間が経って意識も明晰となり、朝食もデザートまでしっかりのみこめたあとの――登校シーンでは、6つの読点をまたがった一文で4つの季節をまたぎ見ます。

 ゆらり陽炎の立つアスファルトがあたしを迎えた

 三十度近い熱気に炙られた坂を勢いよく下っていい感じに汗をかいたら異常気象で狂い咲いた桜のしだれかかる並木道を駆け途中からは路面の早過ぎる紅葉をサクサクと踏みしだいて季節外れの雪化粧を纏った橋を凍った川面に目を眇めたりしつつ走りぬける頃には、丘の上に高校が見えてくる。

   『なめらかな世界と、その敵』kindle版1%(位置No.4781中 42)「なめらかな世界と、その敵」1より(太字強調、色変えは引用者による)

 こちらのシーンについては――語り手にとってルーティンワークだという物語内事実のとおり、葉月による世界の乗り換えもなめらかなのでしょう――書き出しに感じたような異物感や困惑を覚えずに、かなりスラスラなめらかに読めてしまいます。

 さらっと読める理由は2点、読点間の文章がながめで、書き出しのような息切れ感を感じさせないためと。

 そして、読点をまたぐ=季節(世界)が変わる……というある程度一定したルール・リズムでもってつづられているためです。そのルールづくりに、冒頭の一文や世界をまたぐ前後の文章も一役買っています。

 ゆらり、陽炎の立つアスファルト」「三十度近い熱気」に出迎えられた葉月が別世界を(別の季節へ)またぐ姿は、冒頭「うだるような暑さ」で世界をまたいだ葉月とおなじ行動・情動なので、この時点ですでに冒頭のような混乱はありません。(ちなみに文の終わりも、それぞれ「見た」「見えてくる」と相似してます)

勢いよく下って、いい感じに汗をかいたら異常気象で

駆け途中からは路面の早すぎる紅葉を

サクサクと踏みしだいて季節外れの

 読点のまえ、世界をまたぐ直前はほぼ移動の動詞{それも例外なく軽快な足運び。*3か、あるいは次の展開を予感させる言葉――それまでと異なる展開を期待させる言葉――でまとめられ。

 読点のあと、世界をまたいだ直後はほぼ場面転換を伝える言葉(おおむね異常な気象を伝えるもの)が受け継いでいます。*4

〔余談かも。ここに伴名氏の先達からの蓄積を見るひともいるでしょう。

(略)文章にこういう「移動の感覚」を埋め込むのは、じつは読者を次の文へ読み進めさせる秘伝のテクニックなのである。

   河出書房新社飛浩隆『ポリフォニック・イリュージョン 初期作品+批評集成』Kindle版56%(4796中 2667)、「SF散文のストローク――野尻抱介はハードSFの何を革新したか? 野尻抱介『サリバン家のお引越し クレギオン④』解説」より (略は引用者による)

  と語るのは飛浩隆氏。巻末解説をまかされた伴名氏が、書き手のブログやツイートまで掬ってまで詳らかに書いた結果、文庫本換算20ページを超す大論考になった短編集『自生の夢』の作者です。*5

 

 さて中盤からは読みやすい文章がつづきますが、並行世界から知識を輸入しようと何度も往復する放課後のシーンで読点がまた多くなり、いちだんと読みづらくなります。

 後半の葉月にとって意図せぬ事件の最中でも、読点が多い印象。急な場面転換もまた増える。

 

 終盤の競争は、多くの遠くの並行世界に片足をつっこんでのシーンで、前段で訪れた並行世界2つ(雪景色の世界と、松葉杖をついたマコトのいる世界)もふくめ計8つほどの別世界をまたぎます。ついに世界だけでなく葉月自身の姿さえもがはげしく変わる大またぎのシーンで、葉月も感覚の変容に酔ったり眩暈がしたりなんだり四苦八苦してますが、大変な葉月とは裏腹に、読んでるこちらとしては意外と戸惑いはすくない。

 なぜかといえば最初と最後の世界以外は、文頭を一文字あけた段落ごとに、片足をつっこんだ並行世界が統一されているからです。

{各段落の描写は並行世界のことが大部を占め、さらによく見てみると、別世界の景観描写以外のトピックについては、隔段落ごとに要点が絞られ、独特のリズムをきざんでいることがみとめられます。

 スタートから踏み込む順で奇数段落の世界(①雪の世界*6、③爬虫類の世界*7、⑤白骨の世界*8、⑦松葉杖のマコトがいる世界*9で葉月の意識にあがるのは、ースの進行状況マコトとの距離感です。

 そのあいだにある偶数段落の世界(②畳の世界*10、④金色の下生えが足元で溢れる舞台劇の世界*11、⑥星の海が眼下に見える宇宙の世界*12では、マコトはマの字も出てこなくて、葉月はちらちらと世界を切り替えることで起こるあたし自身の感覚の失調を気にします。

奇数の隔段落の相似について具体的に引いていくと、

 ①「速度が、増していくにつれて。」にはじまる段落の後ろのほうで「あたしの身体はコーナーを曲がる。」と記されます。

 ③そこから1段落またいだ「直線でさらに速度を増すと、」ではじまる段落の後ろのほうでは、「またコーナーを曲がる頃には、ほんの僅か、マコトと差が開き始めている」と記されます。どちらの段落でも葉月は段落あたまで速度を増して、段落おわりでコーナーを曲がる。

 ⑤そこから1段落またいだ「次いで視界に飛び込んできた路面の白さは、」ではじまる段落の後ろのほうでは、「あたしはもう、二歩ばかりマコトに引き離されている。」と記されます。

 ⑦そこから1段落またいだ「切れ切れに聞こえたのは、」ではじまる段落の後ろのほうでは、「全力疾走しているあたしを転々としながら、あたしはマコトに追いすがる」と記されています。2段落まえ4段落まえとおなじく、マコトとの距離が描かれる。

 上でまたがれたほうの偶数の隔段落たちの描写

②「グラウンドを区切るフェンスと、どこまでも続く畳の地平線が視界の果てでちらちらと切り替わる。(略)かえって距離感を失わせかける

④「息遣いしかない静寂の世界とのスイッチに眩暈がしそうになる

⑥「交互に切り替わる重力方向の変化は船酔いめいた酩酊感を引き起こす。酸素を必要としない身体と、酸素を求める肉体の転換もまた、何かの発作のようにあたしの神経を揺さぶった」)

 

 そして競争のあとのまたたき。

 葉月は連続する5つの文章5つの並行世界をまたぎ見ます。すべてが「を」で終わる各文に読点はひとつもなく、ことさら飲み込みやすいシーンです。

 

 『なめらかな世界と、その敵』は、葉月の選択を、その語り口でもって肯定します。一人称の語りによって、葉月(=語り手)の意識のゆるがなさをえがきだします。ひとによっては馬鹿だと言い捨てそうなふるまいを、マコトのもとへ行くさいの8つの世界八大地獄煉獄じみた四苦八苦を、酔うような気持ちわるさを、心地よいものとしてつづります。

 物語について、物事をどう語るかについて、呼吸一つまでつき詰めた今作は、『ひかりより速く、ゆるやかに』と別種の趣向ながらもしかし同様に、文字を追うのが楽しい、読むごちそうなのでした。

 

 ▼「おかしい」定番;先行作『町かどの穴』の三人称の語り口、作品と著者ラファティの作風について

 『なめらかな世界と、その敵』が面白かったので、エピグラフ(冒頭の引用文)としてつかわれた着想元かどの穴』をさかのぼって読んでみたぼくは驚きました。

 『町かどの穴』は、ある種つき放したような視点の笑い話ホラ話だったのです(。SF以外で言うと、落語『天狗裁き』みたいな。『町かどの穴』個人的には早着替えコントで観たいっすねぇ)

 並行世界から夫がつぎつぎとやってくることで繰り返される夫の帰宅。三人称の語りは、類似場面がでてくるたびに描写を省略してテンポよく進めていって楽しいですが、これを受けて『なめ、敵』の葉月の心情に寄り添った青春ドラマが出てくるというのはかなり不思議です。

 

 『町かどの穴』は、らっぱ亭*13氏運営『とりあえず、ラファティ』でひらかれた、好きなラファティ氏の短編投票企画『再び、あなたの選ぶ短編ベスト3』でも堂々1位、「愛すべきホラ吹きおじさんラファティの抱腹絶倒の21の短編」*14のひとつと言われれば「フムフムなるほど……」という一編ではあります。*15

 上述リンク先記事を眺めていると、そんなラファティ観に待ったをかける声が

もし一冊目に訳された本に「忘れた偽足」「昔には帰れない」「だれかがくれた翼の贈りもの」辺りが収録されていたら、今とは全く違うラファティ観が形成されていたのでは、と感じます。

   らっぱ亭氏運営『とりあえず、ラファティ』掲載、「再び、あなたの選ぶ短編ベスト3」伴名練氏の投票より(太字強調は引用者による)

 伴名練。

 そう、「SF界のホラ吹きおじさんラファティが語る、底抜けにおかしくて風変わりな物語」*16は邦訳作だけでも百を超すラファティ一側面でしかなかったのです。

 

 ▼"「おかしくてかなしい」ラファティについて語る"伴名氏の他ラファティ表敬作『一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)』

 伴名氏によるラファティの別の顔の紹介は、『なめ、敵』*17発表に先立つこと1年ほどまえ、R・A・ラファティ生誕百周年記念トリビュート小説集 つぎの岩』*18でもおこなわれました。題名のとおりラファティ氏をトリビュートした創作小説集で、伴名氏の寄せた蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)』は、のちに商業書籍『年刊 日本SF傑作選 折り紙衛星の伝説』に再録されています。

 各人にそれぞれ、「語りたいラファティ」があったので、ど真ん中のほら話は他の人に任せて、「ファニーフィンガーズ」「忘れた偽足」「最後の天文学者」のようなウエットな作品、「おかしくてかなしい」ラファティについて語るのが私の役目だった。

   東京創元社刊(創元SF文庫)、『年刊 日本SF傑作選 折り紙衛星の伝説』p.305「一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)」■著者のことば 伴名 練より

 『一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)』は、この世界のありとあらゆる事物を半分こにできるおかしな手を持ったシャム双生児の姉妹をめぐるすこしふしぎな小説で、パスティーシュ元であるァニーフィンガーズ』とおなじく――坩堝のなかへ手をつっこんで、この世界のありとあらゆる機械のありとあらゆる部品を取り出せる"おかしな指"で、遊び相手の鉄の犬も、算数も作文も、「見つからなければこの世界を永久に終わらせたほうがましかもしれない」と超難解な講座の教師さえ悩む新しい概念さえをも取り出せる少女をめぐる、すこしふしぎなラファティ氏によるその小説とおなじく――まさしく「おかしくて」

 そして、ふしぎな手でなんでも半分こにしてしまうために世間の大人から白目で見られ親ともそんな個性ゆえに齟齬がうまれ、双子のかたわれからも口をきいてもらえなくなって、世界の理にくわしい青白い男の助言から決定的な半分こをし、へだたれた双子のかたわれが涙をながす小説で、これまた『ファニーフィンガーズ』とおなじく――おかしな指(でできること)のために、そしておかしな指の一族が懇意にしている裏山のおじさんから教わった知識を常識としているために、教師など世間の大人から白目で見られ、母親とも齟齬がうまれ、彼氏とも「取り出せなきゃ世界を終わらせなきゃならないほど重要なことでもないよ」と言われもしたけれど聞き入れはできず、みんなのために古来よりさまざまなものを取り出し作ってきた"おかしな指"一族の決定的な個性のゆえに、彼氏との決定的なへだたりを感じてひとり涙をながすラファティ氏のその小説とおなじく――「かなしい」ラファティを、見事にすくい上げてみせた傑作でした。

 

 それでいて、双子姉妹を中心とした関係性の強さ、劇中独自ガジェットをシンプルにしたうえでドラマとガジェットとの絡まりを強化するなど*19、短編集『なめらかな世界と、その敵』収録作のそれぞれで見せてくれた伴名氏じゃなければ出せない味もあります。

 

 どちらの作品も同じように涙を流して終わるけれど、そこに至るまでの過程は似て非なるもので、親との齟齬は『ファニー~』みたくちょっとした会話の食いちがい性格の不一致レベルのふんわりしたものではなく『一蓮托掌』は親自体が半分この餌食にされてしまうという直接的な(=劇中独自ガジェットからダイレクトな影響される)ものとなり。『ファニー~』における彼氏の役回りをする姉とのいさかいもまた、(『ファニー~』ではふんわりやんわり話を振るといった感じだった彼氏とちがって)『一蓮托掌』の姉は、妹のふるう"半分こにする手"に対して明確に否定するかたちであらわれます。

 両作とも、大人たちの言葉を受けて、仲睦まじい主人公と彼氏・姉妹のへだたりが決定的なものになるのも共通しますが、『ファニー~』のへだたりが主人公が個人ではどうしようもない運命的な要素の自覚(主人公の意と関係ない"おかしな指"一族代々の気質について、大人たちからはっきりした説明をきくこと)であるのに対し。

 『一蓮托掌』のほうは、大人から聞かされるのはそうした運命的な要素についての説明であると同時に、「それを聞いたきみは何をすればいいか?」という"なんでも半分こにする手"のふるい手である妹自身の選択をうながす問いかけでもあり、決定的なへだたりは妹のアクションの結果(="半分こにする手"をつかった結果)として生み出されるという展開になっています。

 そして、両作とも涙をながして終わるの自体は変わりないけど、『ファニー~』が"おかしな指"をもつ少女オーリャドがひとり孤独に泣いたのに対し、『一蓮托掌』では、涙をながす少女(ふしぎな手をもたないほうの、妹に振り回された側である姉ですが)へ、おなじく"半分こ"に振り回された親が寄り添って、痛みを共有するかたちとなっています。伴名氏らしい味がある。

 ……あるのですが、ここで注目したいのは伴名氏の「著者のことば」です。上に引用した文からかれはこう続けます。

 パスティーシュを書くのは初めてで、「自分ならこういう展開や結末にするが、ラファティなら?」と悩みながら執筆するのは、得難い体験だった。

   『年刊 日本SF傑作選 折り紙衛星の伝説』p.305「一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)」■著者のことば 伴名 練より

 

 ▼ラファティの換骨奪胎としての『なめ、敵』

 『一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)』は、展開から結末に至るまでラファティ氏に寄り添った作品だった。では、伴名氏なら? ……そうした思索の結果が『なめらかな世界と、その敵』なのではないでしょうか。

 

 『なめ、敵』は発表自体は2015年12月末でしたが、伴名氏が今作や今作の元を練っていたのはラファティトリビュート作品と同時期だったことが推察されます。

{2014年11月発表の『つぎの穴』を読んだらっぱ亭さんのツイートによれば()、この段階で伴名氏は『町かどの穴』にインスパイアされた作品を『SFマガジン』編集部に送っていたようなのです。送った作品が(下永氏『三千世界』が発表された)2014年2月前後に書いていたもののお蔵入りとなった作品なのか、「一度ボツになった作品の弔い合戦」である改作『なめ、敵』自体なのかは不明ですが*20、『町かどの穴』に限らずラファティへ密に寄り添っていた時期に練られたのは間違いなさそう}

 

 といったところで、ラファティ氏諸作の換骨奪胎としての『なめらかな世界と、その敵』の話をしていきます。『なめ、敵』が彷彿とさせるラファティの作品は、実は『町かどの穴』だけではないのです。

  ▽『ファニーフィンガーズ』と『なめ、敵』、別世界を行き来し魔術を取り出す少女たち

 『ファニーフィンガーズ』を読んでいると、『一蓮托掌~』だけでなく、じつは『なめらかな世界と、その敵』にも影響を与えているのではないかと思われる場面や展開に出くわします。

 たとえば序盤のこんな展開。上でふれたとおり、『ファニーフィンガーズ』は、超難解な概念さえも取り出せる少女の物語でした。彼女は彼女のほか限られた者だけが行ける世界へ行って、魔術師*21とも称される3体の異形の力を借りてさまざまなものを取り出します。オーリャドの"おかしな指"にかかれば、超難解な講座の教師がなやむような超難解な概念と記号の体系だってこしらえられてしまえるのです。

オーリャドは、教科書や宿題のプリントを家から持ちだす。そして、歌をうたいながら修理店のなかを通りぬけ、部品室をぬけ、その奥にある部品室をつぎからつぎへと通りぬけて、丘の底の底のトンネルをくだっていく。

 「おお、ケルミスよ、アクモンよ、ダムネイよ、

  ねえ、用意して。答えのはいった坩堝を」

 オーリャドはそんな風に歌う。つぎに、答えの坩堝から鉄の答えをとりだす。それから宿題の科目に応じて答えを組み立てる。それをプリントの上へまるでスタンプみたいに押しつけると、はい、できあがり。

   早川書房刊、『SFマガジン』2002年8月号p.12下段22行目~13上段9行目、R・A・ラファティ著「ファニーフィンガーズ」1より

あたしはもう帰るわ、セリム。宿題もやんなきゃならないし、ジェレゾヴィッチ先生のためにあの概念と記号の体系をこしらえてあげなきゃ。あれはだいじなことなんでしょ?」

   SFマガジン』2002年8月号p.19上段24行目~、R・A・ラファティ著「ファニーフィンガーズ」2より

 オーリャドら"おかしな指"のひとびとは、そこまで重要で様々な発見と人類の発展に貢献しながらも歴史から忘れられた存在で、世間はおろかオーリャドの彼氏それどころか母さえも娘(やおなじく"おかしな指"のじぶんの夫/オーリャドの父)がなにをしているのかよくわかっていません。オーリャドは"おかしな指"のひとびとのもう一つの特徴によって、彼氏と決定的なへだたりを覚え、涙をながします。

 

 『なめらかな世界と、その敵』もまた、別の世界へと往復することで新たな概念――魔術書とも称される、図形や文字――を取り出せうる少女の物語です。葉月は友達のため重要な概念を運び出そうとします。

重要なはずの図形や文字は形のみが頭にかろうじて残っていたから、試しに、スケジュール帳の隅にペンで書きつけてみるけれど、それらが何を意味するのかわからない。

 覚悟を決め、通学路脇の川べりに座った。そして鞄から昨日買ったばかりのノートを取り出す。

 あちらへ行って、少しでも多い行数を目に焼き付けて、こちらのノートに記す。

 見て、戻って、書きつけて。見て、戻って、書きつけて。まるで門外不出の魔術書を、記憶を頼りに盗み出そうとする異端者になった気分だ。

   『なめらかな世界と、その敵』Kindle版6%(位置No.4781中 238)「なめらかな世界と、その敵」2より

 葉月の試みはここでこそ失敗してしまいますが、『なめ、敵』の物語がすすんでいくと、劇中世界の大体の人物がそのような能力の持ち主である必然として、葉月はじぶんのような試みを行なっている者が他にもいることを知り、さらには、よその異質な現実からもたらされた原理不明だし用途不明な概念をなんとかして実用レベルまで持ってきた者もいて、はたまた、そうすることで利益を得ている大人たちの企業さえ存在することを分かっていきます。

 ……挙句、葉月が別世界に跳び治そうとした友人マコトの乗覚障害だって、上述企業によって実用化された別世界の技術によりもたらされたものであることも。裏か表か面がちがうだけで、葉月の賭けとコインをおなじくするような真相です。

 物語の後半、葉月は無限の世界を行き来できる彼女だからこそできる方法で、大人さながら警察沙汰の事件を解決・マコトを救い出します。できなかったことができるようになる、なんと素敵な変化でしょうか! しかし、その特徴ゆえにマコトは隔たりを覚えてしまうのでした――葉月ではなく、特徴を有さないマコトのほうが。

 

  ▽「楽園よりも煉獄を」『なめらかな世界と、その敵』の罪人の応答

 ええ、と、どこか嬉しそうな声音で、一陣は応じる。

「この、なめらかな世界の人間は、誰もが絶対の理想郷に生きている。苦しみや悲しみを感じても、その苦しみも悲しみもない可能性を担保していて、実際いつでも行使できる。愛されなければ愛される現実に行けばいい。永遠の命が欲しければそれを達成している現実に移ればいい。彼らにとって、唯一の可能性を生きざるを得ない僕たちは、低次元の生物であり、理解できない存在であり、恐怖の対象であり、何よりも世界の敵なんです」

(略)

「だからこそ、僕たちはこの楽園を破壊する権利がある。世界を煉獄に落とす資格がある。僕たちは選ばれた人間なんです

   『なめらかな世界と、その敵』Kindle版10%(位置No.4781中424)、「なめらかな世界と、その敵」4より(略、太字強調は引用者による)

 マコトとおなじ乗覚障害で"異質な現実からもたらされた概念の実用化物の被害者"である男・一陣はこう述べます。ここで思い出すのが、園の女王』後半に登場する男の主張です。

   ○「天国よりも地獄を」他ラファティ作『田園の女王』の罪人の叫び

 男は身をこわばらせた。ピクリと震えた。また撃たれたのだ。しかし、死ぬまで絶叫をやめないつもりらしかった。

「電車王国のきさまら、みんなくそくらえだ! 自動車に乗ったひとりの男は(略)電車に乗った男百万人分の値打ちがある! この怪物のハンドルを握ったとたんに、黒い心臓が大きくふくれあがる気持を、きさまらは一度でも味わったことがあるか! この跳ねまわる宇宙の中心から全世界をあざ笑うとき、なまなましい憎しみでうっとりとなる気分を、一度でも味わったことがあるか! 上品ぶった野郎どもは、犬にでも食われろ! チンチン電車天国に行くよりも、おれは自動車で地獄へ行くほうを選ぶ!」

   講談社刊(講談社文庫)、R・シルヴァーバーグ他編『世界カーSF傑作選』p.245、R・A・ラファティ著「田園の女王」より(略、太字強調は引用者による)

 『田園の女王』R・A・ラファティ氏による短編で、C・アーチャー氏が自身の若者時代を振り返る昔話と、老いてひ孫カップルと送る現代の休日とを描いた作品です*22

「わしは目はしのきく若者じゃった。目はしがきくため、自分がすべてをわきまえとるわけではないことも、ようくわきまえとった。そこで、物知りの人びとを訪ね、どんなふうに遺産を投資すればよいかと、助言を仰いだ」

 州になったばかりの若く活気ある1907年のオクラホマで、成人し巨額の遺産を受け継いだC・アーチャーは、その使い道をなやんでた――自動車産業が栄えると見越してハーヴェイ・グッドリッチなる男による新興ゴム会社へ投資するか? それとも支線拡大のため株主募集中のチンチン電車会社へ投資するか?

 アーチャーがそう思い出話を聞かせる相手は、ひ孫カップルだ。彼らはローカル線に乗り、美しい準郊外の田園を回る休日を過ごしている。蜜蜂が黄色い雲をつくり2メートルを超すトマトが実り、さまざまな果樹園が広がる田園詩に甲高い音と異臭が入る――密造自動車が現れたのだ! かれを見て電車のなかのひとびとは……というお話です。

 

  日本での流通状況は、講談社刊(講談社文庫)『世界カーSF傑作選』収録の一作として紙の書籍がでたきり途絶えていますし、伴名氏の好むラファティ短編ベスト3からこそこぼれていますが、自作『一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×イ)』でオマージュした『ファニーフィンガーズ』と並べて、

「これや「田園の女王」が『昔には帰れない』に入らないらしいので、ラファティ短編集はもう一冊出さなきゃいけないですね。」

 と述べた重要作。

 『ファニーフィンガーズ』が主役の子供時代と大学生時代との2時代がえがかれたように、『田園の女王』も主役の若いころと老年期と2時代がえがかれた作品で、こちらも件の作とおなじく、前代の「なるほど陽気な酒呑みホラ吹きおじさんか~」と納得のとぼけた調子からすると、信じられないくらい重い調子を含んだ次代パートがくるので、高低差にびっくりします。

 酒場でいきなりキレ散らかされたり真顔で滔々と説教がはじまるアレを、計算ずくの周到な芸術にした感じ。(『ファニー~』は情動方面にさめざめと、『田園~』は風刺方面に寒々ときました)

 

 作品の簡単な紹介したところで、この項の最初に引用した場面について(そして『なめらかな世界と、その敵』について)話を戻します。

 『田園の女王』終盤、アーチャー家族は密造自動車乗りに遭遇します。家族の乗ったチンチン電車から放たれるライフルの銃弾の雨にさらされながら、密造自動車で走る男が叫んだセリフがうえに引用した文章です。

 「天国のような世界に生きる多数派のふつうのひとびとから疎んじられ地獄にいるマイノリティのほうが、じつは特別な存在なのだ」

 そんな旨を投げかけた男は、そのまま爆死します。密造自動車乗りを捕まえたところで看守を殺し脱獄しまた広野を走りだしてしまうからです。男の死に電車内では乗客から歌声がひびいたりします。

 男への非道に対しては、ひ孫娘から「なぜあの人たちを殺さなきゃいけないの、曽祖父さま?」「あの人たちがドライブするのが、なぜそんなに悪いことなの?」*23と異がとなられたりするのですが、そんな温和な彼女もけっきょく男のライフスタイルに強い拒否を示していきます。

「この匂い! とてもがまんできないわ!」

排気ガスじゃ。こんな匂いの中に生まれ、こんな匂いの中で一生涯を過ごし、こんな匂いの中で死んでいきたいかね?」

「いやよ、いや。それだけはごめんだわ」

   講談社刊(講談社文庫)、R・シルヴァーバーグ他編『世界カーSF傑作選』p.244、R・A・ラファティ著「田園の女王」より

 なかなかひどい世界です。ひどい世界なのですが、

「われわれの生きる自動車社会のように、ローカル電車が主線として普及した社会だったら?」

 そんなif世界の変わりようを描いた作品なので、劇中人物がその酷さを分かる必要がないというか、わからないからこそ――劇中人物にとって常識だからこそ読者は劇中世界とのより強いギャップを味わえるというわけです。

 

 そして「昔はよかった」幻想*24を批判した作品でもあります。

 ひどい世界はひどい世界だけど、そのひどさは、自動車社会に生きるぼくたちとくらべてどれほどのものなのか?

 温和派のひ孫娘が、終盤で決定的な拒否を見せるまえに唱えたあの異にしたって、「なぜそんな悪いことなの?」のあとにつづいた、

「 ふつうは人けのない荒地を走るだけでしょう? それも真夜中の二、三時間だけよ」*25という言葉は、穏当なようでその実、それを言われた特定の肌の色や性別や宗教信徒やあるいは特定の趣味を持っているかたがたにとって(現代ならたとえば、C・ミエヴィル氏がグライム音楽などを好む若者を取材し、その酷さを取り上げたフォーム696制度やら、たとえばストリートでサッカーをすることを禁じられたりといった反社会的行動禁止命令やらに悩まされるイギリスの若者にとって)悪い意味で耳馴染みのある、持てる者ゆえの傲慢な言葉だったりやしないでしょうか?

 自動車乗りの男の姿に共感を覚える読者もそれなりにいることでしょう。

 

 ラファティ氏が、抑圧的な社会とそれに追従するふつうのひとびと、そして彼らからすると荒々しい異物であるけれどその実自由であるマイノリティの姿を描いたのは、『田園の女王』が初めてのことでもなければ、それが最後というわけでもありません。

(作品のネタバレを増やしてもアレなので、本文ではなく余談でしますが、前述伴名氏が「今とは全く違うラファティ観が形成されていたのでは」と述べた作品もふくまれます)

 今回の感想で挙げたいくつかの作品に言えるのは、"凡庸な多数派が、ある種運命的なまでに変えがたい存在である"ことと、"虐げられがちな少数派の人々がその実すごいパワーや自由な個性を有している"ことです。

 特殊な種族の特徴と同種族の大人たち複数人からの言及だったり、(のちに自分も老いてそうなる)街の年長の名士たちの考えといった世論だったり、進化論的必然だったり……理由はさまざまながら、とにかく皆かたくなな運命的と言える変えがたさでもって(『田園の女王』はとくに印象的。「語り手が分岐を選んだ前半をうけて、この後半なの!?」ってビックリします)、若者たちはくじかれますが、くじかれる一瞬は温かく輝かしく華々しい。

 くじかれたあとは……? というと、「どうなんだろう……」というところですが。(前述のとおり爆死したりするので)

 

   ○『なめらかな世界と、その敵』の罪人の応答への応答

 『なめらかな世界と、その敵』『田園の女王』それぞれの作品に登場し犯罪的アクションを起こしたマイノリティと、それに対するリアクションの違いは興味深いものがあります。

 『なめらかな世界と、その敵』は犯罪におよんだ男の声*26を、勝手にわめきちらす狂人の叫びにしません。

 一陣のことばは理路整然と読みやすく、適切な句読点のつけられた劇中随一のなめらかなことばです。

「愛されなければ愛される現実に行けばいい。永遠の命が欲しければそれを達成している現実に移ればいい。」

 再び引用したこのセリフも、よくよく見れば一文に「たられば」仮定条件をふくんだヤヤコシイ入り組んだ文章ですが、読点がひとつもないのにサラっとのみこめてしまう

 『なめ、敵』は犯人のことばを独り言にしません。

 主役であるマコトとの対話のなかで徐々に明らかにされてゆく一陣の主張は、(そもそも一陣の凶行の被害者であったはずの)マコトに決定的な変化をもたらします。

 そしてマコトだけでなく、彼女の異変を見つめる葉月にも。

 葉月は遅れながら自分の失態に気づくのです――じぶんの一陣への対応やマコトへのやさしさは、『田園の女王』でいうところのチャールズ老の聞く耳をもたないかたくなさと、ひ孫娘の穏当なようでその実持てる者ゆえの傲慢さ、どちらをも持ち合わせたものだったのだと。

{この一陣の存在感、影響力。ここでも、前述の感想で述べた(いつか感想文アップできるといいなぁ……)『ひかりより速く、ゆるやかに』の被害者家族協会の立ち回りがそうだったような、端役を端役としない展開がみとめられます}

 この気づきは、多数派少数派こそ逆なれど、『ファニーフィンガーズ』の幕引きでオーリャドが涙した決定的なへだたりです。

 ラファティ氏なら気づいたところでおしまいでした。

 ラファティ氏のパスティーシュ『一蓮托掌』でもやっぱり少女が涙を流しておしまいでした。

 でも伴名氏なら?

私自身がオマージュを書く上で気を遣っているのは、先行作品に対する敬意と、先行作品を乗り越えようとする意識の双方を持てているかどうか、という点です。

   note掲載、Hayakawa Books & Magazines(β)『【往復書簡】伴名練&陸秋槎。SFとミステリ、文芸ジャンルの継承と未来について』伴名練氏の書簡より

 気づいておしまいにできないのが伴名氏なのでした。

 気づいたらはじめてしまうのが伴名氏なのでした。

 葉月は更なる一歩を踏み出すのです。

 『なめらかな世界と、その敵』は、マイノリティを憧れの特権的な存在とせず、圧倒的に持てる者であるマジョリティの側に立ったうえで、『ファニーフィンガーズ』の涙の代わりに汗をながし、『田園の女王』のペシミズムのさきへ進もうとする作品なのでした。

 葉月のすすんださきに見える光景は、この感想で挙げたいくつかのラファティ氏の作品の終盤で見せる一瞬の輝きにも似てます。

 あたし自身のスケールさえよく分からない闇色の空間で、あたしが踏み、蹴った地点にだけ光の帯が生じた。そこから何か途方もないエネルギーが生まれ、未来が生じた。

   『なめらかな世界と、その敵』Kindle版13%(位置No.4781中 578)、「なめらかな世界と、その敵」5

 世界という世界が豊饒な虚空の中に形づくられるのだ。球形の世界だけではない。十二球面体の世界、さらにもっと複雑な世界すらも。映されるのは虹の七色だけではない。七の七乗、さらにその七乗の色彩までも。

 明るい光の中で星々が鮮やかに輝く。暗闇の中でしか星々を見たことないものたちよ、沈黙せよ!

   (ネタバレ防止のため出典元は伏字に)河出書房新社刊(河出文庫)、山岸真中村融編『20世紀SF④ 接続された女』p.354~5、R・A・ラファティ著「空(スカイ)」

 宇宙から地表へと突き刺さった神罰の大槍を。

   『なめらかな世界と、その敵』Kindle版13%(位置No.4781中 611)、「なめらかな世界と、その敵」5

 青空の時代――それがなんだったか知っているかね? それは光の流れに乗ってくだってくる輝かしい死の剣だった。

   (ネタバレ防止のため出典元は伏字に)早川書房刊(ハヤカワ文庫SF)、R・A・ラファティ著『つぎの岩につづく』p.347、「太古の殻にくるまれて」3

興奮と恐怖と全力疾走とで、心臓が割れそうなくらい、肺が破れそうなくらいになっていて、体が弾け飛びそうだ。永遠に爆発まで一秒前の爆弾みたいだった。

   『なめらかな世界と、その敵』Kindle版13%(位置No.4781中579)、「なめらかな世界と、その敵」5より(略、太字強調は引用者による)

  "空飛ぶもの"の若者たちが、アンジェラを下へ運んで降りて、雲ゴケのベッドに寝かせた。アンジェラは恐怖と痛みで真っ白になり、染まった血で赤くなっていた。それでも彼女は微笑んでいた。

(略)蝋ムシのロウソクにだれかが火を点けた。

   (ネタバレ防止のため出典元は伏字に)青心社刊、R・A・ラファティ著『翼の贈りもの』p.18、「だれかがくれた翼の贈りもの」

  (そして一陣のことばとも似ています。さきに引用したとおり一陣は乗覚者の世界を、苦しみとも恐怖とも無縁の楽園だと表し、自分たちの世界を煉獄にたとえます。

 葉月は終盤の競争で、文字通り「恐怖」し、「心臓が割れそうなくらい」になり(≒苦しみ)、「永遠に爆発まで一秒前の爆弾みたいだった」と認識します。

 それはまさしく、一陣が挙げた楽園の暮らしとは正反対の態度です)

 ……似ていますが、葉月は目をそこで閉じません。

 輝きの去った何の変哲もない冷たい夜のなかで葉月は、そのさきの光(=明日)を、まだおとずれない暑さを、きっと見出せると目をひらきつづけて、うだるような夜風をその身でうけとめ、物語は終えるのです。

 

 

余談

 本文内や下で出した作品のうち、あれこれ記号がついてますがこれらは、

 ☆=伴名氏が影響関係を明言した作品

 ○=氏が読んでいることの確認できていて、関係もありそうな作品。

 △=読んでいることは確認できたが、関係なさそうな作品。

 ▲■=読んでいることが確認できない作品(関連性の大小で▲■をつかいわけた)

 ……という感じでつけてます。

 感想本文で省いたラファティ他作

 感想本文で言っていた、「抑圧的な社会とそれに追従するふつうのひとびと、彼らからすると荒々しい異物であるけれどその実自由であるマイノリティの姿」が描かれた作品について。ラファティは全然読んでないのでモチーフが類似する作品はもっとあるかもしれません。Fマガジン2014年12月号』に邦訳作品長短編のレビュウと紹介があり、読書の参考になりそうです。

 たとえばここから挙げる直下3作と感想本文でふれた『田園の女王』は、奇しくも坂永雄一著間からはみだすものを読む 邦訳全短篇紹介*27で大別された8項のうち1項◆せまい谷の外へ*28と題された項でみんな紹介されている作品なのです*29。坂永氏はその項で上述4作に加えさらに8作も紹介されていますが、それさえ氏ラファティ邦訳短編106作のうちの1/9程度という幅広さ。

 坂永氏のツイートによれば長篇『蛇の卵』もこうしたテーマを扱った作品とのこと。

 上の感想本文でぼくはラファティ作品を悲観的に見てしまいましたが、牧眞司ファティの終末観』*30を読むと、ラファティ翻訳者井上央氏の解説なども引きながら「諦めて投げやりになったりニヒリズムに陥るのではなく、けろりと「抗い」つづける」*31ラファティのヒーロー像について語られているではありませんか。

 井上氏と同じくラファティ翻訳者で特殊翻訳家である柳下毅一郎ントは怖いラファティ*32も、一見ぼくのラファティ観を肯定してくれそうでその実、結論が同じというだけでそこに至る過程も異なれば精度も段違いの内容です。ラファティ作品に見られる「圧倒的な厭世観と人間嫌い」「人があまりにも簡単に死ぬ」*33ことについて、作品検討はもちろん、作家の宗教信条を氏の発言なども引きながらフォーカスする骨太の作家論。えっこわい。

 「いや批評家(?)の意見とかどうでもいいんで。感想本文曰く、そもそも日本のラファティ観って偏ってるらしいじゃん?」とお思いのあなたもご安心、ラファティ氏当人がSF観を語るFのかたち』*34インタビュー*35、井上氏との14年間におよぶ書簡集抜粋*36と盛りだくさんありますよ!

 やっぱり/いや思っていたより遥かにラファティ氏は奥深そうだ(。なにせ件の誌では名翻訳者にして名解説者山形浩生氏まで「ラファティアーキペラゴ』30年ぶりに読み直したが未だにわからん……」との旨の敗北宣言されておられるくらいですしね……)。digればdigっただけ面白そうです。この記事で興味をもたれたかたは是非ラファティ氏の実作に手をのばしてみてください。

 古の殻にくるまれて』*37もまたそうした作品のうちの一つで。次々と人が死に不妊となり肺に粘液がたまり気腫ができ体が奇形化していく世界の激変のさなかを描いた第1部、激変した世界に適応しつつあるひとびとの姿を描く第2部、激変した世界が日常となったひとびとの姿をえがく第3部のそれぞれの時代で、風の強い高原にある<山の上クラブ>の会合をえがいていきます。「マスクをつけろ。でないと死ぬぞ」と警報屋が声を張り上げる物々しい書き出しから語られる中身はラファティらしい変てこな激変。初心者にもオススメしやすいとっつきやすい作品で、事実この作品でラファティ氏に初めてふれたぼくは、図書館へ本屋さんへラファティの本を探しにいきました。

 激変した世界で保守的となり老成した多数派に対してマイノリティが試みるのは飛行です(。やはり法律違反行為となります)。『太古の殻~』の空飛ぶひとびとは若き日の自分たちであり、配偶者です。法律違反だ、狂人だと言いつつも、憧憬が見える。せつない。

 (スカイ)』*38は、"スカイ"と呼ばれるドラッグを服用したうえでスカイダイビングをする若者たちを描いた作品です。地底で採れる素材をつかったドラッグがあれば、飛行機も空気のない高所まで飛ぶことができ、人々は哲学的で明晰な思考もできるし、それ以上のこともできます。一瞬のスカイダイブを"スカイ"が永遠に変えるさま、若者たちのあじわうその目覚ましい気持ちよさ美しさを今作はえがきだします。

 そして冒頭の"スカイ"を用意するドラッグの売人の薄汚さが予感させるように、若者は圧倒的な勢いでみじめに潰えます。あまりに圧倒的なのでスラップスティックでさえあります。ぼくにとってはスラップというかスプラッターで、現実がそうであるように容赦がなさすぎて、ただただ不気味でこわかった。

 今作で対比されるのは空の明るさと地底の暗さ、若者と老人。

 れかがくれた翼の贈りもの』*39は、進化論的変異の過渡期で若者が翼を有しはじめた世界を、そんな若者を娘にもつ親などから見た作品です(。今作の翼についてもやはり法律でもぐ必要がありますが、もがなければもがないでそれもまた……)。伴名氏が挙げた「今とは全く違うラファティ観が形成されていたのでは」という3作のうちの1作。

 書き出しのティーンの子と親らしい噛み合わない会話、大仰な名前の若者グループの姿、居酒屋でくだを巻いてるおっさんのセリフにも思えるコウモリについてなどがやわらかい口調で描かれ、"光り輝くもの"たちやら"コウモリの翼"団やらところどころ漏れる劇中独自事物について「なんだろう? 比喩? 中二病?」とふんわりした認識で読み進めていくと、学者らしい学者の堅い世界説明が来て、ふんわりしたなかにも見え隠れしていた暗雲が決定的な輪郭をもってしまう。そうしてはっきり詳述された身体的特徴は、若者たちの暗い将来を現実的なものとする一方で若者たちの飛行が夢物語でないことへの証左ともなって、そうして空を飛ぶ若者の奇妙な身体と大気とがからんだ物理法則のなせるいたずらを現実に描く契機となります。おそろしくも美しい作品です。

 には帰れない』も空と若者がからんでいる作品と言ってよさそうです(。ただしこれは『田園の女王』発表後の作品)。伴名氏が挙げた「今とは全く違うラファティ観が形成されていたのでは」という3作のうち2作がそうなのでした。

 ふるさとの野には小さな月が隠れており、笛の音色でそれを浮かび上がらせて月のうえで遊んだ子ども時代を、結婚し子を得た大人の時分にもういちど再訪する作品です。

 飛行と音楽という点では『~翼の贈りもの』と、臭気にいやがるマジョリティという点では『田園の女王』と重なりますね。(『ファニーフィンガーズ』の裏山もくさいらしい)

 

 べつに空も高速の乗物も特権的なマイノリティもでてきませんが、れた偽足』は、無限にあるもののなかでただひとつある(んだかないんだかな)気がかり、余人からはもちろん自分からしてもどうでもいいような(しかし気になる)部分をあつかっているという点において、『なめ、敵』とも重なるような(というか、読んだ中ではじつは一番密接に関係してそうだとさえ感じる)内容でした。じぶんのなかで咀嚼しきれてないので、具体的にどう、ということも言えず、とうぜん感想本文に組み込むこともできませんでしたが……。

 

更新履歴

(誤字脱字修正は適宜してるので省きます)

03/09 22時 アップ。

03/11 夜   修正。らっぱ亭さんのご指摘により、『SFマガジン』「伴名練総解説」の『一蓮托掌~』評者のかたを別人と勘違いしていた点について訂正する。追記『一蓮托掌~』解説について追記する。 

03/12 深夜  追記。『忘れた偽足』の話がふんわりしすぎていたのでもう少し書く。

3/14  朝    追記。登校シーンのなめらかさについて、『町かどの穴』のギャップあるシーンを例にもう少し分かりやすく補足した。

3/23 夜    修正。余談のあらすじいくつか修正

        追記。『SFマガジン2014年12月号』を読んだので書き足し。

3/24 夜    追記。ネタバレ回避策を思いついたので本文最後に数作引用を足す。

*1:文字どおり。

*2:個人的な印象です。ほんとうは形態素解析(?)にかけて客観的データをど~んと出したいところですが、なんもわかってないので……。

*3:「踏みしだいて」という重たそうな(しかし滑りやすい紅葉のじゅうたんを歩くなら当然の)足取りに「サクサクと」を前置したりなど、さらっと凄いことをやってますね……

*4:今作を読んで気づいた逆説ですが、不意打ちは「不意打ちで」と書くと読む側にとって不意打ちじゃなくなるんですね。ギャップのある文章間を、異常を伝えることばでつなぐと文の前後のショックがすくなくなります。たとえば……

 その夕方、ホーマー・フースは家路をたどり、金色の常套句へと帰りついた――無二の親友である駄犬、幸せなてんやわんやの毎日の舞台である完全無欠の家、いとしい妻(略)

(略)ホーマーはいとおしげにレジナを抱きしめ、組み伏せ、大きなやさしいひづめで踏みつけて、彼女を(どうやら)むさぼり食いはじめた。

    早川書房刊(ハヤカワ文庫SF)、R・A・ラファティ著『九百人のお祖母さん』p.415~6、「町かどの穴」より(中略は引用者による)

  ……という文章がもし「組み伏せ、人外の怪物らしく、大きなやさしいひづめで踏みつけて、」だったらどうでしょうか? 前者に類するのが『なめ、敵』書き出し起床時の文章で、後者のように繋がれているのが登校の文章です。

*5:{余談も余談ですが、『ポリフォニック・イリュージョン』には、飛氏の初期の小説のほか批評もあれこれ収められていて、小説を読んだり映像作品を観たりするのがもっと楽しくなりました。なかでもオススメなのが、上で引用した(もとは富士見ファンタジア文庫から出ていた野尻抱助氏のライトノベルクレギオン』シリーズの文章の美しさをつまびらかにしていく前述の解説と。

 話題作でさまざま批評もにぎわった(ともすれば余人からドキュメンタリ的だとか現実がそうであるように照明設計もいまいちだとか言われもする)シン・ゴジラ』が、怪獣と主役らをいかにカメラに捉えていたか、空の色や血の色をどのように映したか……といったショットから色彩設計から視たうえで、過去の庵野作品の表現との異同をたしかめ、『春と修羅』の色彩表現や『太陽を盗んだ男』との関連を検討する名論考かつ名ブリコラージュ『シン・ゴジラ断章』。

 ぼくが飛さんの小説以外の文章をはじめて読んだのは、伊藤計劃さんの没後特集の記事で、そのさいは正直「回りっくどくて何言ってんだか分かんねぇな……」と思ったものです(し、この記事に関しては、再読時もそこまで印象がかわってません)が、上の二論考は明解でよかったです。ぼくみたいに苦手意識もってるひとも印象かわるかもしれませんよ}

*6:『なめらかな世界と、その敵』kindle版12%(位置No.4781中 545)

*7:『なめらかな世界と、その敵』kindle版12%(位置No.4781中 554)

*8:『なめらかな世界と、その敵』kindle版12%(位置No.4781中 563)

*9:『なめらかな世界と、その敵』kindle版13%(位置No.4781中 573)

*10:『なめらかな世界と、その敵』kindle版12%(位置No.4781中 550)

*11:『なめらかな世界と、その敵』kindle版12%(位置No.4781中 559)

*12:『なめらかな世界と、その敵』kindle版13%(位置No.4781中 569)

*13:SFマガジン』にもラファティ氏について寄稿している、日本のラファティ愛好家。(『伴名練総解説』でもラファティパスティーシュ『一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)』の解説を担当されました)勘違いしてました。らっぱ亭さん、本来の解説者の倉田タカシさんスミマセン……。人違いしておいてアレコレ言ってもかたなしですが、ちなみにSFマガジン 2019年10月号』p.348の倉田タカシさんによる解説は「怪物には怪物をぶつけるんだよ」と言いますか、ラファティを降ろし実作をしたためた伴名氏の『一蓮托掌』を語るためには、評者もまたラファティを降ろさねば語れないということなのか開口一番「創造とは枷との踊りである、とソマデホ族の諺が教えるように」かましてくる名解説です。世の中にはさまざまラファティ降霊者がいるのだと勉強になりました。(ほんとスミマセン……)

*14:早川書房刊(ハヤカワ文庫SF)、R・A・ラファティ著『九百人のお祖母さん』裏表紙の紹介より。

*15:(余談じぶん語り)ただし、アラサーくらいのSFファンは、タイムトラベル要素をふくんだ泣かせるフィクションに触れてSFに興味を持ち、とりあえず新潮文庫時間SFアンソロジータイム・トラベラーを手に取ってみて、抑圧的な社会とそこに流されてしまう矮小な自分を気にせず飛んでいく異端者の姿をえがいた古の殻にくるまれて』を読み「最高じゃん……ラファティっていうのか、他も読もう」となってラファティ氏の邦訳第一短編集『九百人のお祖母さん』の表紙を見て「えっ」と面食らいつつも中身を読んでみて「そっか……」と泣き笑いをしたり、ばし天の祝福より遠ざかり……』を読み「最高じゃん……スチャリトクルっていうのか、他も読もう」となって『スターシップと俳句』を手に取り、天目茶碗のために自殺する未来世界の日本人や全自動マリオみたいな感じでレールなしジェットコースターで次々と自殺していく未来日本の遊園地を読み「そっか……」と泣き笑いをして、大人になったひとも少なくないんじゃないでしょうか?

*16:早川書房刊(ハヤカワ文庫SF)、R・A・ラファティ著『つぎの岩につづく』裏表紙の紹介より。

*17:『なめらかな世界と、その敵』を初めて収録した『稀刊 奇想マガジン 準備号』は15年12月31日流通

*18:2014年11月25日文学フリマにて発表

*19:『ファニー~』の劇中独自ガジェット"おかしな指"一族の個性は、①鉄っぽい体で遅成長・長命である。②裏山のるつぼからなんでも取り出せる"おかしな指"の持ち主である。③"おかしな指"族は古来よりみんなのためになんでも取り出してきた。④裏山にすむ太古から生きる魔術師のおっさんたちからあれこれ教わり、るつぼでの理を常識として物事についてをしゃべる。……といったところですが。

(母親との齟齬は②によって生じ。超難解な講座の教師との齟齬は、④②によって。彼氏とは①をきっかけに交流をもつようになり、③によって諍いがうまれ、①によって決定的なへだたりを感じる……といったところ。話題は分散していて、そして意外と②が関わることってすくない)

 対する『一蓮托掌』の劇中独自ガジェットは、①´シャム双生児。②´なんでも半分こにできるふしぎな手の持ち主である(使い手は妹レイジー)。③´世の双子は古来より創世の逸話がある……といったところ。

(親との齟齬は②´によって生じ、世間の大人との齟齬も②´によって生じ、①´と性格の不一致によってたびたび諍いをしていた姉妹の決定的なへだたりもまた、③´を聞かされてどうしたいかを決めた②´の使い手・妹レイジーが②´をふるうことによって生じる……といったところ。物語の焦点が②´にさだまっています。)

*20:(個人的には前者だと思いますが。『なめ、敵』が見送られた当該作だったら、「まさか、表題作が危うく世に出ないところだったとは」なんて言った早川編集部はツラの皮が厚すぎる……)

*21:早川書房刊、『SFマガジン』2002年8月号p.18上段4行目、R・A・ラファティ著「ファニーフィンガーズ」より

*22:R・シルヴァーバーグらが1979年に編んだ『世界カーSF傑作選』収録の一作で、日本では講談社講談社文庫)から出版されています。

*23:講談社刊(講談社文庫)、R・シルヴァーバーグ他編『世界カーSF傑作選』p.243、R・A・ラファティ著「田園の女王」より

*24:日本で言う「江戸はよかった」ってやつですね。

 余談ですがこういうことを言うひとは(/そしてぼくみたいに「やだよ」と思うひとは)どこにでもいるようで、ルネ・クレール監督による1952年の映画ごとの美女』なんて、ままならない今を生きる青年が、年長者の言う「昔はよかった」に従い昔へさかのぼり、またままならない日々を送っていたところ、さかのぼった昔にいた年長者の言う「昔はよかった」に従って昔の昔へさかのぼり、またまたままならない日々を送っていたところ、さかのぼった昔の昔にいた年長者の言う「昔はよかった」に従って昔の昔の昔へ……と延々タイムトラベルしてました(笑)

*25:『世界カーSF傑作選』p.244より

*26:余談ですけど、この行動自体が二段構えで面白いですよね。じつは世界精神型の悪役(=「世界に認識の変革を迫るヴィジョンを演出することで、ある事物の本質を抉り出すことそのものを目的とし、どんな現世利益的な欲も動機や目的にはしない、そんな悪役」)だったという。

*27:『SFマガジン2014年12月号』p.80~88

*28:『SFマガジン2014年12月号』p.85~86

*29:『太古の殻にくるまれて』は厳密にはその前項◆生まれ変わる世界で紹介されてるのですが、当項でも取り上げられています。

*30:『SFマガジン2014年12月号』p.100~101

*31:『SFマガジン2014年12月号』p.101上段28行~中段1行より。

*32:『SFマガジン2014年12月号』p.96~97

*33:『SFマガジン2014年12月号』p.97上段17行、20-21行より。

*34:『SFマガジン2014年12月号』p.47~51

*35:『SFマガジン2014年12月号』p.53~61

*36:『SFマガジン2014年12月号』p.66~69

*37:1971年『Quark』#3収録。邦訳は早川書房(ハヤカワ文庫SF)『つぎの岩につづく』ほか、新潮社刊新潮文庫時間SFコレクション タイム・トラベラーに収録されていますが、どちらも絶版。

*38:1971年『New Dimensions I 』収録。

*39:1978年『Rooms of Paradise』収録。