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だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

冒険する/ほおばる確かな歯ごたえ;『星のカービィ ディスカバリー』感想

 任天堂・HAL研究所/熊崎信也ゼネラルディレクター『星のカービィ ディスカバリー』を達成度100%クリアしたので感想です。

 5万4千字くらい。

※以下、件の作品や話題にした作品の結末までネタバレした文章が続きます。ご注意ください※

 

 

約言

 とてもとても良かったし面白かったし、何よりお馴染みなのに活き活きしたシステムに感じ入りました。「換骨奪胎とはまさにこのこと」というすごさ。大好き。

 内容;

 ポストアポカリプス的世界を探索する、ステージクリア式3Dアクションです。ピンクの風船みたいなキャラを操作して、敵や事物を吸い込み飲み込む/ほおばることで、対象の特性を消化・援用しながら進みます。

 記述;

 ひらがなの多い文章に、頭身のひくく丸っこいキャラ・インターフェースなどがかもすほのぼのした調子に対して。一部キャラに施されたウェザリングや舞台のディテール細かな廃墟らしさが緊張と不穏を与えつづけ、終盤できちんとその暗い期待に応えてくれます。

 ステージを変えることで、見た目もプレイ感も物語の調子もがらりと変えていくデザイン・作劇も素敵。いくつかの場面は素朴に怖気がはしりました。

 ウェルメイドを極めた結果、血肉ある活きた物語体験を実現しています。『スーパーマリオ64』スター集め的な定番システムに対する作品・今作世界ならではの味付けがすさまじい。(とか脇の甘い言葉を書いちゃいましたが、ぼくは一時期ゲームから離れたライトゲーマーだからこれが今作初の発明かは存じません。先行例いっぱいあるクリシェだったらすみません……)

 1-1面が既存・新規要素をからめた創発的なアクション・リアクションの織物として出色。

 ただ1-1的な楽しみは、以降かなり薄くなる。1面で出たレギュラーたちをその後も活かしていく、応用問題的なつくり(。飽きのこない工夫は色々あり、漢字ドリルのような反復作業感はきわめて薄い)。今作独自の"ほおばりヘンケイ"の出番も、ボス戦ではほぼ無くなります。

 期待していた方向性とはちがいましたが、同じ動作を繰り返したからこそ得られる感動もある。

 ここ好き;

 劇中現実として落とし込んだ面ロック/アンロック。〆のQTEの、序盤プレイアブルパートからの地続き感。

 

(今回の記事ではことさら話題にしないけど大事な美点;)

 ・ロードが短い。(遡って『星のカービィ スターアライズ』をやると『ディスカバリー』の快速ぶりに驚かされる)

 ・(隠しコイン探しなど)"遊び"の要素もあるステージ選択場面で、誤ジャンプをふせぐワンクッション的選択肢が設けてあるなど、快適にプレイするための「地味だけど大事なデザイン」が練られている。

{『スターアライズ』では、カーソルであるカービィをランドマークに近づけるとステージ情報がポップして、Aボタンワンタッチでステージへ飛ぶかたちだった。Aボタンはステージ情報が出ていないさいはカービィがジャンプするためのボタンで、マップの適当なところでジャンプするとコインが拾えたりする。

 そのためマップ探索のつもりがステージへ誤って跳んだりした。(『スターアライズ』はマップ⇒ステージ間で数秒のロードを挟むので、誤タッチすると地味にストレスがたまる)

 『ディスカバリー』では、ランドマークに近づきAボタンでステージ情報を出し、さらに「はい/いいえ」の二択にこたえたうえでようやくステージへ飛ぶ設定}

 

どんな作品? 公式PVとか

www.youtube.com

 任天堂公式サイトに作品紹介ページがあります。今作独自要素である"ほおばりヘンケイ"などについても紹介されているので、くわしく知りたいかたはそちらをご覧いただくのもよいかもわかりません。

(でも"ほおばりヘンケイ"などこれ以上の話題は、紹介ページで覗けるだけで結構なバリエーションがお出しされてしまうので、本編プレイの興をそぐと僕は思います……)

 

ざっくり感想

 プレイしたときにはそれぞれ漠然とただ楽しいとしか感じていなかった/独立した興奮を覚えていた個々の要素が、じつは(〆の展開でつよく提示される部分に連なるような)どれもが協調してひとつの味となる*1包括的でコンセプチュアルに突き詰められた要素だった……というような面が論文を読んだことでクッキリ見えてきて、とっても興味深かったです。

 

 とくに、 良くも悪くも印象にのこるプレイヤーキャラクターやその乗物の挙動のピーキー。 

 さて人気ゲームに凝らされた、万人が気持ちよく操作できるための技巧というのは凄まじいものがあります。

 たとえば上の項でも取り上げたソラの桜井氏は、『週刊ファミ通』2005年9月9日号掲載のコラム「一触即反応」のなかで、プラズマテレビをつうじて『ファミコンミニ』で遊んだ際のフレーム単位での操作遅延の違和感に触れたうえで、クリエイターとしての自身の考えをのべています。

 ゲームのキャラクターがパンチするときのモーションに費せる描画枚数は、なめらかにアニメーションする現行ゲームのほうがもちろん多いですし、リアリスティックです。

 しかし実は、"腕を伸ばしていないときと伸ばしたとき"の2枚でしかパンチを表せないレトロゲームのほうが、(プレイヤーの操作⇒システムのリアクションやら、当たり判定の分かりやすさやらという)レスポンス自体は良好だったりする。そんな一例を述べたあと桜井氏は……

 それらしい動きより、操作感を。コレ、自分でもつい忘れがちです。

    エンターブレイン刊、桜井政博『桜井政博のゲームについて思うことDX』kindle版22%(位置No.232中 51)、「一触即反応」より

  ……と論考をしめくくります。

 とりわけぼくのなかで印象的なのが、セガの鈴木裕氏がディレクターをつとめたチャファイター』

 社会現象になったこの大人気格闘ゲームにも、じつはそうなるに足る、だれでもゲームを楽しめる凄まじい技巧が操作性の面でもほどこされていたのです。

鈴木 とりあえず格闘ゲームを作ることになったときに、まずはセガに来ていたおばちゃんや、事務方の人や、セガに見学に来た子供なんかを、テストプレイヤーに呼んだんです。

(略)

鈴木 (略)そして、彼らにもうデタラメにレバーとボタンを押しまくってもらって、裏でデータ解析して押されているボタンの頻度を分析したんです。すると、ゲームが苦手な人間がデタラメに押したときに、どんなボタンが入力されやすいかがわかるんです。そのリストの上から、よく使用する技を当てていきました。

   ADOKAWA刊(角川新書)、電ファミニコゲーマー編集部『ゲームの企画書(2) 小説にも映画にも不可能な体験』kindle版13%(位置No.3166中 403)、「『バーチャファイター』とゲームの操作性 鈴木裕×原田勝弘」より

 『Outer Wilds』のピーキーな操作性は、 きもちよく楽しくゲームできることに重きをおきがちなぼくとしては、「こういう形でしか出せない味というのがあるのだなぁ」と蒙を啓かれた心地でした。

   弊ブログ、2020年9月21日の記事『訳文;「"好奇心駆動型の冒険"とでも言うべき特殊なタイプの冒険に報酬を与えるゲームをつくりたい、それが『Outer Wilds』の主目的です」A・ビーチャム氏の論文より』より

 当blogでは過去に、学生の卒業制作からスタートした傑作SF冒険ゲームOuter Wilds』の当時の論文やらそこで引用された論考やらを勝手に邦訳紹介しました。

 そのさい、商業ゲームクリエイターが万人のたのしめる作品を提供するうえでどんな取捨選択をしているのかを引き合いに出し、『OW』のピーキーな操作感がいかに作品世界を豊かにしていたか感心しました。

「こういうところをちゃんとしているゲームは、いまどきなかなかないんだよねぇ」と宮本茂さんにほめられたことがあります。

 シリーズ最初の『星のカービィ』は、ゲームボーイ用ソフト。ゲームを始めるとすぐ、カービィが"飛行"しないと越えられない高いカベが出てきます。飛行とは、カービィが風船のようにふくらんで空を飛ぶこと。これでカベを超えるわけです。このカベは、飛行の操作がわからないとき、狭い空間で少し迷えば、カベを超えるための工夫をするだろう、と考えて配置したもの。狭い空間で行く手を妨げられることで、自然なチュートリアル、つまり操作説明をふまえていたのです

   エンターブレイン刊、桜井政博『桜井政博のゲームについて思うこと2 Think about the Video Games』kindle版68%(位置No.152中 104)、「教えてくれるな」より

 そうして話題にしたなかには桜井政博さんの初監督作品であるカービィにまつわるおはなしもありまして、書いた当のzzz_zzzzとしても……

「傑作といえど20世紀の白黒ドットのゲームボーイ作品を引き合いに出すのは、さすがに出された側がかわいそうじゃない? それはそう。かわいそう……」

 って心残りをいだいてたんです。

「できることが驚くほど増えた現行ハードでの『カービィ』の最新形は、一体どんな風になっているんだろう?」

 と気になり、手を出しました。

 これがすばらしい作品でした!

 桜井氏もすでに別会社を興しシリーズの製作に関わらなくなって久しいですが、『ディスカバリー』にも上で引用したようななめらかなプレイ感覚が変わらず今もありました。

 それでいてしかも、『OW』が実現したような――というか、それ以上に極まった――この作品世界・キャラならではの独自の歯応えがあったんです。

 

 

1-1面ビルドトータロスの魅力;万物を吸い込みほおばり活路をひらく快感と実感

 ポスト終末的混沌にみられる、詫び寂びのゲームデザイン

 ウェザリングが効いたポスト・アポカリプス的なビジュアルがすばらしい。室外機や配電箱など、ひとの目があまり触れない場所に置かれたモノの作りこみがいい。(『星のカービィ ディスカバリー』はバックヤードが異様に多彩だ)

 そして、荒廃した世界になじんだ雑味が今作の冒険をたのしくする醍醐味となっているゲームデザインがまたすばらしい!

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(記事上だとカスみたいな画質になっちゃうんですが、画像を左クリックしていただくとそれなりに大きい画像がポップされたり、「新しいタブで開く」とかやって下さると原寸画像が表示されたりしますので、気になった方はお手数ですがそちらをご覧ください。なお、フキダシ内の文章はともかく、画像内にごにゃごにゃ書いてる長文は、記事の下記文章と一緒か要約したものなので、目をこらして読まなくて大丈夫です!)

 たとえば緑の生える廃ビルのうえ、爆弾を投げつけてくるクリーチャー*2が待ちかまえ、大砲の砲弾が行き交うところ。

 いくつかコンクリの地肌が見えて筋状になっているのが見えますね。

   道を作る

 どんな大学の構内でも、石やレンガ造りの立派な建物の間には、芝や草の生えた何もない共有の広場があり、そこで学生たちは休息を取り、自由な雰囲気のなかで学問にいそしむ。学生たちはそのような広場に集まり、日光の下で腰を下ろしたり、昼食を取ったり、昼寝をしたり、読書をしたり、考え事をしたりする。しかしもし望めば、そういった場所では、人間行動における数学について非常にたやすく学ぶこともできるのだ。こういった敷地の設計者はたいてい、人々が歩くためにまっすぐで直角に曲がった歩道を作っている。しかし、絶えず反抗的な学生たちはたいてい勝手な場所を通るので、時が経つと芝がはげて土が掘られ、曲がりくねった踏み分け道ができあがるものだ。

(略)

 なぜ踏み分け道が形成されるかというのは、そもそも簡単なことだ。各個人は、貴重な自由意志の要求に従いつつも、同時にある傾向をもっているからである。まだまったく踏み分け道ができていない、芝で覆われた広場を思い浮かべてほしい。それを横切るときに人々は、反対側にあるパブや、さらに先にある教室など、明らかに行きたい方向を目指して進む。しかし、誰もが完全に直線に従って進むのは稀だ。人は水たまりを迂回し、でこぼこな場所やどろどろの場所や芝が濡れている場所を避け、一番歩きやすいところを歩くものである。

   早川書房刊(ハヤカワ文庫NF)、マーク・ブキャナン『歴史は「べき乗則」で動く』p.255~6、「第11章 では、個人の自由意志はどうなるのか」道を作る より(略は引用者による)

 サイエンス・ライターのマーク・ブキャナン氏は、物理学者ダーク・ヘルビング氏が1996年に理論化した踏み分け道の形成過程とヘルビング氏が理論を考えたシュツットガルト大学の構内をこんな風に紹介しました。

 

 上に引用した『星のカービィ ディスカバリー』ゲーム画面、その禿げたコンクリ道の途中にいる犬型ビーストは、プレイヤーキャラをその視界におさめていなければ、顔を後足で搔き搔きしたりなど思い思いのふるまいをします。そんな姿もあいまって、

「アニマルたちが行き来して、こういう"踏み分け道"ができたんだろうか……」

 と想像力をくすぐられるマップです。

 もちろん誰もがパブに向かうわけではないが、その他の人たちも、舗装した所を通るか、きれいな芝生に足を踏み入れるかで、選択に迫られることになる。初めのうちは複雑なことは何もない。それぞれの人たちは単純に自らで道を決める。しかし人々が選択をし、足跡ができてくると、状況は変わりはじめる。ある人が芝生に踏み入り、芝が踏みつけられると、その通り道はその後の人たちをほんの少しだけひきつけるようになる。

   早川書房刊(ハヤカワ文庫NF)、マーク・ブキャナン『歴史は「べき乗則」で動く』p.255~6、「第11章 では、個人の自由意志はどうなるのか」道を作る より

 またブキャナン氏は、"道っぽいもの"ができているのを目にした人が無意識のうちにそこを歩くようひきつけられ、さらに道らしくなり……という正の循環についても語っていました。

 ゲームプレイするぼくたちも、1-1面などをはじめとして随所に見られる(自然発生的な)"道っぽいもの"をなんとなしに歩いてしまうのですが、ここで立ち止まってよくよく考えてみると、これらがゲームプレイを快適にすすめるガイドラインとなっていることに気づかされます。

 前景の道のはしっこなら、青い帽子をかぶったクリーチャーの投げつける爆弾がとどく最長地点となっていて。

 そして、中景の道なら、オレンジの木箱を崩して大砲の軌道を変えてみると、コンクリの地肌が見える部分がじつは水道管が盾となって砲弾を避けて通れる安全地帯を示唆していたことがわかります。

 

 あるいは草原のに映える(補色である=)いクズ缶

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 そう、プレイヤーから最大の注目を浴びるこのゲームの主人公・マリオこそが、このゲームでいちばん大切なルールを伝えているはずです。というわけで、ここであらためてマリオをじっくりと観察してみましょう。(略)

「赤い」。いいですね!(略)

 マリオは画面の左の端にいて、右を向いています。そんなマリオが伝えていることは何でしょう? 残りのヒントも2ついっぺんに出してしまいましょう。

 ひとつめ。画面左に高い山。左に壁があり、塞がっているような印象です。

 ふたつめ。画面右には、明るい黄緑の草と、真っ白な雲。どちらも明るい色で目を引いて、プレイヤーの視線を右へ右へと引っ張ろうとしているようです。

(略)

 このゲームは何をしたら勝ちか。このゲームのいちばん大切なルールとは?

 こたえは「右に行く」(略)

 プレイヤーはゲーム冒頭にそのルールを直感し、当たり前すぎて言葉にできないほど深く理解し、信じてすらいます。

   ダイヤモンド社刊、玉樹真一郎著『「ついやってしまう」体験のつくりかた――人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ』kindle版11%(位置No.1988中 200)、「第一章 人はなぜ「ついやってしまう」のか直感のデザイン」内「メッセンジャーとしてのマリオ」より(略は引用者による)

 廃れた世界らしい――けれど、前述のとおり的に目を惹くほか、周囲の影のすきまを縫った日向に置かれることで明暗のコントラストでも目立っているなど、『Wii』のプランナーを務めた元任天堂社員の玉樹真一郎さんが『「いやってしまう」体験のつくりかた――人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ』で検討したような、視線誘導の妙がうかがえる――この赤い缶クズ*3に好奇心くすぐられて近づいてみると、木の陰に隠れてほぼ見えなかった珍妙なオブジェクトが眼前に現れます*4……

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 ……こんなふうに、『星のカービィ ディスカバリー』は、いまのゲームらしい写実的な描写*5をしつつも、一見そこらへいくらでも雑多に散らばっている「リアル」なゴミがじつは面白いゲームプレイを導くパン屑として熟慮のうえ配置されている*6、詫び寂びの美しさに満ち満ちているのですよ。

 

 目にうつる全ての物が吸ったりほおばれたりする冒険空間なのでは?;1-1面のワクワク感

遠藤 草原にビルが建っているっていうのを、それ自体を遊びにしないといけないなぁと思いました。(略)ディスカバリー』の基本となる遊びを1-1の草原ステージに全部詰め込んでます。

   アンビット刊(徳間書店販売)、『Nintendo DREAM』2022年06月号kindle版18%{位置No.102中 19(紙の印字でp.16)}、「3Dという新大陸への軌跡 開発者インタビュー」より、ハル研究所レベルデザインディレクター遠藤浩貴氏の発言(略は引用者による)

 1-1面の興奮たるや!

 

 おなじみコピー能力を駆使して、"特定のコピーのアクションでないと変化がおこらないオブジェクト"のリアクションを引き出したり。

 『ディスカバリー』で可能となった新アクション"ほおばりヘンケイ"の対象物が複数種いっきにお目見えして「これもほおばれるの? あれも!?」と、まるでオモチャ箱をひっくりかえしたかのように目新しいものが次から次へと出てくるうえ。

 "ほおばりヘンケイにより変化(リアクション)がおこるオブジェクト"が、背景小物だけでなくクリーチャにも織り交ぜられている。

 しかもオブジェクト変化は、カービィ(プレイヤー)のアクションが⇒ステージに及ぼすやらカービィが⇒NPCクリーチャに影響を及ぼすやらだけでなくNPCクリーチャの行動が⇒ステージに影響をもたらす……という、オブジェクト同士の連関さえあるところがすさまじい!

 

 目にうつる全てのものが――カービィと同じくらいの頭身・画調のクリーチャはもちろんのこと、一見すると非破壊オブジェクト/マップに見える写実的な筆致の背景小物までもが――"吸い込み"ないし"ほおばり"できるかもしれない、あるいは、間接的なはたらきかけによってなにか変化をもたらせるかもしれない……そういうさまざまな可能性を秘めた、活き活きとした世界が1-1面には満ち満ちているのです。

 

 1-1面の終点にたたずむ『ディスカバリー』の新顔トータロスたちのワクワク感たるや!

 荒廃したポストアポカリプス的世界にぴったりの、コンクリ建物をコウラがわりにする生態がおもしろいし、ゲームの敵としても、吸い込んだりほおばったり跳んだり……カービィができること――それもこの3Dの、そしてディスカバリー』世界でできること――すべてを投入しなければ倒せない存在で、歯ごたえがあります。

{先月末4月21日に書店へならんだ『Nintendo DREAM』2022年06月号で、レベルデザインディレクターを務めた遠藤裕貴さんも似たような趣旨の発言をされていて、「やっぱそうっすよね~!」と納得でした。

 以下にくわしく見ていきましょう}

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 前段で三角コーンを"ほおばりヘンケイ"することで、床面にきざまれたヒビに頭突きをかまして、穴を開けて砲弾をくぐり躱したり、噴水をつくって高所へ移動したり。あるいは中ボスのワイルドエッジを、盾をかまえた正面以外の面から叩いて倒したさきの1-1最終マップ。

 最終マップにいるトータロスは、硬い表皮とコウラに覆われてふつうの攻撃が効きません。

 ただし3D空間の上下左右高低にちらばるコインを集めていく過程で自然と登った建物のうえから見ると、背中のコウラにヒビが入っているのが見える……

 ……そこで前マップのワイルドエッジと戦った経験(一定方向の攻撃でないとダメージが入らないのでは?)と、ほおばりヘンケイの経験(コウラにあるヒビを"ヘンケイ"による頭突きで突くのでは?)が活きてくるのです。

 トータロスのコウラのヒビを突くためには三角コーンを"ほおばる"必要があって、コーンは蔓(ツル)に絡めとられて高所で吊るされています。

 そこでプレイヤーは、マップのなかにあるビルのひとつをハシゴやジャンプで登って、蔓のつたうコーンの近くに行き。近くのブレイドナイトやサーキブルといったクリーチャーを"吸い込み"、刃物をあつかうコピー能力を得て蔦を切ることでその目的を達成します。

 ハシゴを登ると見えるトータロスの背中(とそのヒビ)。そして頭上の蔓にからまれた三角コーン。

 そこからジャンプして一段高みにくるとビルの屋上が奥まで見えるようになり、そこにはブレイドナイトが剣を構えて立っています。(一段のぼるたびに一つ新たな目標がひらけてくるのがすごい)

「刃物系のコピー能力を駆使して、この蔓を斬って三角コーンを自由にするのでは!?」

 と思うでもなく思うわけですが、その発想が自然とでてくるようなステージ最初にニクいデザインがなされているのですよ。

 1-1面最初のマップでまずコピーできるクリーチャーとしてサーキブルが配され、その少し奥では、茂みに埋没したブロックを置かれています。

 サーキブルを吸い込んだカービィがコインや回復アイテム欲しさにブロックへカッターを振り回すと、副次的に茂みを刈りこむことになるんですね。

 植物を刃物系で攻撃する=植物が切れる……そういう経験が1-1の最初などで既に積まれているからこそ「あの蔓を斬ろう」という考えに至れるわけです。

{オブジェクトの配置もすごい。

 ビルを昇る最初のねらいとしては、コイン⇒コイン⇒(蔦のからまる)三角コーン……という一直線*7の最終目標だったコーンが。

 ビルを降りるさいにはソード(をコピーして蔦を斬る)三角コーン(をほおばりヘンケイする)⇒トータロス(の背中のヒビを"三角ほおばり"で突く)……という別の一直線*8/"次のねらい"のなかに組み込まれている。それも前のゴールが次のスタートになるリレー式のつながりではなくて、中間の繋ぎとして機能する……という有機的な連関で、「あれやって次これやる」式お使い感・作業感がうすい}

 

 そしてステージタイトルである「草原のビルディング」屋上に鎮座ましますビルドトータロスの攻略。

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 ここではビルディングふもとのトータロスを倒した直近の記憶がいやがおうにもよみがえるのに加えて。

 1-1面さいしょのマップで、大きな牛のアニマルの突進を、遮蔽物を利用して躱した経験(プレイヤーによってはこれは体験せずに、そのまま突進の被害者となったかも)や。

 前マップで高低差・"ほおばりヘンケイ"のアクションによる地形変化を利用して砲弾を躱したり高所へ移動した経験などが活きてくる……

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 ……道中での経験がすべてビルドトータロスという新顔を攻略する(あるいはその強さを際立たせる)ための布石として集約される{そして(オブジェクト同士のアクション・リアクションを間接的に誘導する)という新たな発想も必要とする}、アクションの美しい連関の網が、ここにはあります。

 

 

 (余談;1-1クリア時にふくらんだ『カービィ 俺カバリー』妄想)

「こんなに充実していて面白いステージが序の口も序の口1-1って、とんでもない作品なのでは!?」

 というのが1-1面をクリアしたときの誇張なしの感想。

 新しいマップに行くたびに新しいクリーチャもまた登場して、新しいなにかをほおばったり、オブジェクト同士の相互作用を間接的に誘導して、その場その時の解決を見出し活路を開いていく……なんでもありの百面相サバイバルに妄想がひろがりますよね。*9

 

 

極まった結果、生き生きとした血肉を得たウェルメイド

 以降は1-1で提示した基本形の変奏をみていくかたちに

 とにかくワクワクした1-1面でしたが、しかし1-1面は"ほおばりヘンケイ"の本編レギュラーバリエーションを提示・紹介する顔見世ステージだったらしく、ここで期待したような――新しいマップに行くたびに新しいクリーチャが登場して、新しいなにかをほおばったり、オブジェクト同士の相互作用を間接的に誘導して、その場その時の解決を見出し活路を開いていく――なんでもありの百面相・創発的なサバイバルは訪れません。

 

 そういったわけで今後のステージの肝要は「序盤で顔見世した"ヘンケイ"バリエーションをどう応用していくか?」という具合になっていき、つまり、

「ヒビの入ったシャッターがある……自販機ほおばりの出番だな」

「地面にヒビがある……三角ほおばりの出番だな」

 とか、そういうあてはめ問題や計算ドリルを解いていく気分が微妙にちょっと出てきてしまうのはどうしたって否めません……。*10

 

 各エリアの最後のステージで待ち受けるボス敵は、シリーズでおなじみの存在とおなじみのやりかたで戦うものも割合あって、そこはキャラコントロールやコピー能力の修錬が試される実力勝負。ボスと戦うにあたってトータロスのように"ほおばりヘンケイ"を駆使する機会は1割しかなくて、通常のマップにおいてもトータロス的ギミックを有したクリーチャがほとんどいないことに正直ぼくは落胆を覚えました。

 ここについていろいろ思うことはあるのですが、長いしネタバレを申し訳程度に隠しておきたいし、そしてなにより今回の記事でお話ししたいのは「こういった不満を補ってあまりある、別の美点にたいへん満足した」ということなので、脚注に伏せておきます。*11

jp.ign.com

問題として挙げられているのは難易度の低さが最も多く、他には「3Dになっても大きく生まれ変わっていない」といった意見を見かける。最も低いスコアはAusgamersの65点であり、「チャレンジがなさすぎる」と書いている。

   IGN Japan、クラベ・エスラ『『星のカービィ ディスカバリー』、ここ10年で最も評価されたカービィ作品に! シリーズ最高傑作と絶賛する海外メディアも多数

 クラベ・エスラ氏は、海外のゲームメディアによるレビューを横断的にまとめて紹介し、『ディスカバリー』にたいして挙げられた数すくない批判点として「チャレンジがなさすぎる」といった声を取り上げています。

 う~んこういうところがそう言われる原因なんでしょうかね。

 

 ……ドリルを解いてる感はちょっぴり否めませんが、しかしステージや解法は厳選されて重複は極力おさえられていて、また、予想をはずしてくる別解が用意されるズラシなどもあって、マンネリとは無縁*12

 既存の枠組みにたいして、吸い込みコピー能力やほおばりヘンケイを当てはめて再演する、"見立ての面白さ"があじわえるステージもあれこれあります。

(ドリルはドリルでも、漢字ドリルでえんえん同じ文字を書き写していくような反復作業感はないという感じです)

 そしてなによりカービィ』らしい雰囲気がゲーム全体をつつんでゲームプレイを楽しくしていて、

ウェルメイドも極めれば、独特の世界や体験の領域につきぬけてくれるのだ

 と感銘をうけました。

 これがおそらく、前述エスラ氏のまとめた、各メディアのレビューでおおむね言われる「革命ではなく進化」ということなのだと思います。

 進化ってなに?

 

 おなじみの流れに血肉をつけて生き生きと

 大枠は『スーパーマリオ64』のスター集めのようなおなじみのシステムなんですよ。

 マップ探索しステージ内に隠されたフラグ変数(マリオにおけるスター)を回収し、それが一定以上の達成度になればボス戦ステージをアンロックできる……というもの。

 『ディスカバリー』ではワドルディ(=『カービィ』シリーズの雑魚敵・味方キャラ)がスターの役目をはたします。

 なぞの次元のゆがみによって異星へと吸い込まれた、カービィプププランドの住民のうち、ワドルディは原生クリーチャへ捕縛・どこかへ運び込まれている不幸に見舞われている。カービィはかれらを助けに各地を回る……という結構です。

 で、ボス面は鍵のかかった門によって固く閉ざされており、そのステージで助けたワドルディが一定数以上になれば、それをアンロックできる……と。

 うん、おなじみのやつですよね。でもこれが意外なほど楽しいんですわ。

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 まずワドルディ救出が単体で愛らしく、きもちよい。それはあります。

 クリア画面右のミッション達成度合いが、檻とワドルディという図柄で表されているのがかわいいし、そして自分のプレイングによって檻からワドルディへ切り変えていくのがちょっとしたアニメーションと効果音も施されているから既にちょっと楽しい。

 そしてクリア画面でボタンを押下すればもっと楽しい。

 ボタンを押下するとクリア画面からワールドマップ画面へと場面転換するわけですが。

 切り替わるまえに、クリア画面左にいた実像のカービィらとワドルディらがワープスターに相乗りして飛び立つアニメーションが展開されます。

 そして鳥瞰図的なワールドマップ画面に移ると、無人のマップへ、ステージセレクトカーソルの役割を果たす"星に乗ったカービィら"がたった今クリアしたステージの上に滞空するアニメーションをともなってフレームイン(つまり、ステージプレイ場面とクリア画面とマップセレクト画面とを一続きの時空間としてカッティング・イン・アクション的につなぐ工夫がきちんとある!)

 そしてさらに、カービィらの隣にもうひとつ星があらわれカービィらの星からワドルディがひょっこり顔をあらわし、直前のステージプレイで救助した数だけもう一つの星へと乗り移っていき、乗り終えたらカービィ達へ笑顔をうかべ「バイバイ」と手をふって画面外へと去っていきます(「ワドルディの町」へと帰還するのだと劇中説明がなされています)

 かわいいですね。かわいいですな。

 

  愛らしいステージ内目標

 ワドルディを解放するためのステージ内目標が愛らしい~

 ワドルディのなかには、ステージに実景として隠匿されているかたがたのほかに、ステージクリア後のリザルト画面で条件達成していれば解放されるひともいます。

 ステージ内にちらばる特定オブジェクトを一定数あつめたらノルマ達成、一定時間内にステージクリアしたらノルマ達成……みたいなこれまたおなじみのアレなのですが、各ステージ一個くらいほのぼのニヨニヨするような目標があるんですよ。

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 たとえば廃ショッピングモールが舞台となる1-4面「こうよアライブルモール」のクリア目標のひとつは、「まい子にならずにモールを出る」(笑)

 なんともとぼけた目標ながら、"正解ルート"以外をえらぶとやり直しになるステージギミックと、舞台となったモールらしさと、カービィシリーズらしさとが噛み合った今作のベスト目標のひとつだと思います。

 

  生き生きした現実としてのステージロック/アンロック

 こうしてほほをゆるませながら1-1から1-4面を楽しくクリアしていくじゃないですか、すると1-5面、ロックされたボス面をアンロックする模様でほほがとろけ、達成感にコントローラをぎゅっと握りしめることとなるわけですよ。

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熊崎 ゲームの目的をこれまでのシリーズ以上にはっきりさせたいと思っていました。今回、ワドルディがゴールになったという、いわゆる「可視化」がゲームの目的を明確にしてくれたと思います。

   アンビット刊(徳間書店販売)、『Nintendo DREAM』2022年06月号kindle版18%{位置No.102中 16(紙の印字でp.13)}、「3Dという新大陸への軌跡 開発者インタビュー」より、ハル研究所/ゼネラルディレクター熊崎信也氏の発言

 『カービィ ディスカバリーはゲームによくある(フラグ集め・)ステージロック/アンロックの模様をワープスターに乗ったカービィが地域を浮遊する鳥瞰シークエンス(≒ステージセレクト画面)に、前述した提示数だけ(プレイヤーが救出した)ワドルディがぽこぽこと大挙して、門をぽかぽかと叩いて壊す……という劇中現実における事実描写として登場させています。

 

 わちゃわちゃしたアニメーションがたいへんかわいらしく、これだけでもう目のごちそうなのですが。プレイヤーとしてもワドルディが単なるクリアのためにあつめるフラグ・変数ではなく

「自分が"助け出した"血肉のあるキャラなんだ」

「ときには自分のためにつどってくれる、一緒に冒険に協力してくれる、別個の意思をゆうした仲間なんだ」

 というたしかな手ごたえが得られ、冒険をつづける励みとなる描写です。

 

  おなじみのミニゲーム・サブ機能も冒険の成果であり励みになる

 スーパーファミコンが子ども時代に現役だった世代にとって、『星のカービィ スーパーデラックス』を自分の家や友達の家で遊んだかたはそれなりにいらっしゃるのではないでしょうか。ストーリーモードも充実してましたが、そのほかのオプションもなかなか盛り上がりましたよね。歯ごたえあるボス戦ラッシュ「格闘王への道」をいっしょに協力プレイしたり、コピー能力を駆使しつつ速くそして多く食べものを摂る障害物競争「激突! グルメレース」でタイムを争ったり「刹那の見斬り」など瞬発力勝負に興じたり。

 あるいは直近の本編シリーズ作『星のカービィ スターアライズ』で言う「シアタールーム」で、本編のムービーパートを自由に見返してみたり……

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 ……『ディスカバリー』でも過去作を踏襲したミニゲームやオプションが用意されています。

 「格闘王への道」式ボス戦ラッシュ「コロシアム」や、「刹那の見斬り」のボタン増加版といった具合の瞬発力ゲーム「ドキドキ!せつなのつりぼり」、ムービーを自由に見返せる「ワドルディシアター」などなどが用意されています。「グルメレース」的な"ほおばりヘンケイ"を活用したタイムトライアルもまたある。

 ただし『スーパーデラックス』や『スターアライズ』におけるそれらがモードセレクト画面から選べるそれぞれ別種の「モード」であったのに対して、今作ではそのどれもが、救出したワドルディが一定数を超えるとホームグラウンドの「ワドルディの町」に建設されたり催しがひらかれたり、あるいはステージ途中にぬるっとプレイできたりするゲーム世界内現実であるところが相違点です。

 そしてコロシアムを勝ち抜けば、スターやコインあるいはコピー能力の設計図が手に入ったり、大物を釣り上げれば大量のコインが手に入ったりします。

 これらは冒険をより安全に進めるための装備を整えたり、世界理解の一助となるガシャを回したりするのに必要なものです。

 本編とミニゲームとが相互に結びつき、統一のトーンでまとめられていて、よく馴染んでいます。*13

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 そのなじみ具合は、「つりぼり」のような暗転をはさまずシームレスにミニゲームへ移行する展開なんて一目瞭然ですが*14。むしろそれ以外の、暗転もはさむミニゲームのほうが、その工夫がより一層わかりやすい

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 ©1995 HAL Laboratory,inc ©1995 Nintendoの表記があるタイトル画面の用意された"別のゲーム"風だった『スパデラ』の「格闘王への道」とそのクリア画面を、『ディスカバリー』「コロシアム」と比較してみましょう。共通点はあるけれど、違うところもけっこうある。その違いはどこから生まれたんだろう?

 「コロシアム」のほうはむしろ、本編のワールドマップからステージを選んで~実地へ進入~クリアするまでの様式を踏襲しているんですよ。

(「コロシアム」で挑戦する大会を選択する画面やクリア画面、ゲートをくぐったあと画面中央に選択大会のロゴが表示されたままコロシアム控室へ移る演出。

 これらはそれぞれ、ワールドマップからステージを選ぶ画面やクリア画面、画面中央にセレクトしたステージのロゴが表示されたまま進入する演出に重ねあわされている。

 なので、「コロシアム」のクリア画面は、"優勝"は「格闘王への道」のそれと同じピンク字を白く縁どった文字装飾だが、フォントは『ディスカバリー』全体の文字を踏襲しているかわいらしいものだし。"優勝"表示位置も、格闘王への道」の中央上ではなく、本編ストーリーモードの"ステージクリア!"とおなじ左上に置かれている。カービィの立ち位置だって格闘王への道」の中央ではなく本編クリア画面と同じく中央より少し左だ。

 そして「コロシアム」を征したカービィは優勝賞品をかかげるのだが、その賞品は「格闘王への道」におけるトロフィやチャンピオンベルトと違って、『ディスカバリー』本編ステージクリア時とおなじ報酬であり本編ストーリーモードに活かせる代物であるレアストーンやコインとなっている。

 また、賞品をかかげる場所も「格闘王への道」ではコロシアム会場だったのが、今作ではワドルディの町」へ戻ったあとでおこなわれ、ミニゲームと本編世界との地続き感をつよめている)

 

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 とくに「おお……!」と思ったのが、「はたらくワドルディカフェ」のリザルト演出

 ただ数字を増減させるだけでなく実景として「助っ人バイトであるカービィの給仕により料理を買えたワドルディ」をぽんぽんお呼びしていき、最終リザルトでワドルディらがよろこぶ姿が映される。

 これって、本編ステージをクリアしてワールドマップ画面へもどったさい、カービィらプレイヤーキャラクターだけでなくステージ内で助けたのと同数のワドルディも現れて、カービィに笑顔で手を振り町のほうへ帰っていく姿が実景として描かれていた本編の様式とおなじですよね。

 ゲーム内の報酬を、とにかく数字ではない実体として描くこだわりが今作にはある。

 

 

 予定調和に挿し込まれる不穏、型破りな不気味

  システムへじわりとにじむ不穏

 『カービィ』シリーズはかわいらしいよそおいに反してけっこうに暗い、重いという話もまた耳タコなとおり、今回もまた進めていくとなかなかにシリアスな展開となっていきます。

 冒険のもようはたのしいけれど、ふと、

「なんでここは廃墟になってるんだろうな……?」

ワドルディを攫っている何かがいるはずなんだよな……?」

 と正気に帰る瞬間がある。

 

 ゲーム内ガシャ*15の景品として出る各地の事物のミニチュア、それに付された説明文が、この忘れ去られた星にどんなひとが暮らしていたかや敵として戦ったあのキャラがどんな性格なのかを少しだけ教えてくれもします。*16

   ▼3面の舞台と、現実の遊園地に宿る時代精神;『月をマーケティングする』より

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 たとえば3面の舞台であるワンダリア跡地。

 まるっこいロケットと(遊園地のマスコットだろう)愛らしい造形をした犬のモニュメントの足元を、いかめしい犬型ビーストが徘徊しているファーストルックからして新旧の対比が素敵なこのステージ。

そうせつ者の名はワンダリア。あい犬をイメージキャラクターに、うちゅうへ飛び立つドキドキの夢物語をえがき本にまとめる。そのお話をもとに夢のテーマパーク、ワンダリアをけんせつ。

子どもから大人まで大人気となったという。

   星のカービィ ディスカバリー』ガチャルポンコレクションVol.2「ワンダリアのシンボル」説明文より

 ゲーム内ガチャを引くことで、その名前の由来や創設者の熱い想い、犬のマスコットにまつわる愛らしいバックグラウンドを知ることができます。

 なるほどたしかにワンダリアは装飾からアトラクションまですべてがすべて宇宙冒険でまとめられています。隅々まで行きわたったワンダリア氏の情熱たるや!

 こうした作り手の独自のつよい理想が原動力となった遊園地は、『ディスカバリー』のようなフィクションの世界に限ったことではありません。

1920年代に青春時代を過ごしたウェルナー・フォン・ブラウンも、当時、ヴェルヌやH・G・ウェルズクルド・ラスヴィッツの小説をむさぼるように読んでいた。特にクルド・ラスヴィッツの『両惑星物語』(邦訳は早川書房刊)は、ライフワークとなる火星探索に興味をもつきっかけとなった。(略)彼は米陸軍の監視のもと、大した仕事も与えられずにニューメキシコ州ホワイト・サンズ・ミサイル実験場でドイツ人ロケット科学者仲間と冷や飯を食わされていたとき、『Das Marsprojekt』という小説を書き上げた。ヴェルヌやウェルズやラスヴィッツの小説が自分の人生を変えたように、火星探索を描いたSF小説を書けば、彼らの小説と同じように人々の心を動かせるかもしれないと考えたのだ。(略)これがフォン・ブラウンによる最初で最後のSF小説となるはずだった。ところが皮肉にも、小説を描くために技術的な問題を細かく追求したことが、コリアーズ誌の宇宙特集へとつながり、さらにその特集に影響を受けて、ディズニーのテレビ映画が生まれた。

   日経BP社刊、デイヴィッド・ミーアマン・スコット&リチャード・ジュレック(関根光宏&波多野理彩子訳)『月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』kindle版14%(位置No.5147中 706)、「1 はじまりはフィクション SF小説、ディズニーランド、「2001年宇宙の旅」」より(太字強調・略は引用者による)

ディズニー映画『宇宙旅行』とトゥモローランド

 1950年代の月をめぐるマーケティングにおいて、次の節目となったのは、アメリカの家庭が1955年3月9日の夜に、リビングルームにあるまだ目新しい家電製品のスイッチを入れたときのことだった。アメリカの全人口のおよそ3分の1にあたる4200万人ほどが、ABCテレビでゴールデンタイムに放送されていた娯楽番組にチャンネルを合わせた。

(略)

 『宇宙旅行』は、アメリカのお茶の間にディズニーの名前を浸透させたウォルト・ディズニー初のゴールデン番組『ディズニーランド』のなかで放映された。(略)過去のディズニ―作品を再放送するだけでなく、1955年7月18日にカリフォルニア州アナハイムにオープンする、彼自身が手がけた初のテーマパークの宣伝にもなっていた。(略)ディズニーは、「トゥモローランド」のコンテンツが足りないことに気づいていたため、映画制作スタッフの主力であり、アニメ制作者としてのキャリアも長いウォード・キンボールに、未来世界を連想させる作品を作らせた(25)。

 (略)キンボールは、特集におけるおもな寄稿者だった3人に助言を求めた。宇宙飛行を広めた作家のウィリー・レイ、宇宙医学の権威ハインツ・ハーバー、そして当時、米陸軍レッドストーン兵器庫のロケット開発チームのリーダーだったフォン・ブラウンである。

   『月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』kindle版15%(位置No.5147中 729)より(略は引用者による)

フォン・ブラウンは宇宙の新たな宣伝マンとして理想的なキャラクターだった。人々をひきつけるカリスマ性があり、国全体が意志と決意を共有できれば有人宇宙飛行は実現可能だ、と信じこませるだけの知性と自信を備えていたからだ。当時のアメリカは、GDPが拡大した勢いのある国で、人口も増え、多くの人が大学まで進むようになっていた。コリアーズ誌が宇宙特集を宣伝するために利用した冷戦期特有の不安感はたしかにあったものの、未来の可能性は無限にあると思えた時代だった。

 1950年のこうしたアメリカの空気を誰よりも理解していたのが、ウォルト・ディズニーだろう。彼は、家族で楽しめる娯楽作品やテーマパークを作り、国民の切なる願いに(物事が単純だった過去の時代への郷愁と、新たな冒険を求める気持ちと、昔のようにフロンティアを開拓したいという夢に)直接訴えかけることで、「不安の時代」から逃避する手段をアメリカ人に提供していた。彼は過去を振り返るだけでなく、人々に未来への希望を持たせることの大切さもわかっていた。手つかずのフロンティアが広がる古き良きアメリカのイメージを再利用し、カウボーイ帽を宇宙服のヘルメットに置き換えたのだ。

   『月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』kindle版16%(位置No.5147中 767)より

 マーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』(14年10月邦訳)でディズニーの宇宙モノとトゥモローランドの誕生経緯や意義についてこう話すデイヴィッド・ミーアマン・スコット&リチャード・ジュレック氏の語り口は熱っぽいですが、あながち誇大広告でもないらしい。

 『ディズニーランド』にチャンネルを合わせなかったアメリカ国民の2/3のひとびとがみな『宇宙旅行』に興味がなかったわけではありません。べつにいくらでも観返せるだろうから観ませんでしたという層もいました

 ……家庭用ビデオデッキなんて無い時代に?

 ワシントンでは、宇宙旅行』を見たアイゼンハワー大統領が、その翌日、映像を貸してほしいとディズニーに電話した。ウォード・キンボールによると「スタジオに電話がかかってきたとき、最初に取った交換手は、大統領本人からの電話だとは信じなかったようだ」という(28)。ホワイトハウスが『宇宙旅行』の映像を借りている2週間、国防総省の役人もそれを見た。数カ月後の7月29日に、アイゼンハワー大統領が、1957年にアメリカ初の人工衛星を打ち上げることを発表すると、ネブラスカ州選出のカール・T・カーティス上院議員は議会で、ウォルト・ディズニーと彼が手がけた『宇宙旅行』は、政府に対して、ひいてはアメリカの人々に対してすばらしい働きをしたと述べた(29)。

   『月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』kindle版16%(位置No.5147中 788)より(太字強調は引用者による)

 アイゼンハワー大統領らホワイトハウス国防総省ペンタゴンの人間たちです。

 ははぁ官僚たちだけが盛り上がったパターンですか? いえいえ民間の大企業もトゥモローランドに飛びつきました。

アナハイムのディズニーランドに「トゥモローランド」がオープンした。このゾーンの目玉となったのは、鼻先が針のようにとんがった高さ80フィート(約24メートル)のロケット型アトラクション「TWAムーンライナー」である。フォン・ブラウンの助言をもとにディズニー社のジョン・ヘンチが設計したものだ。ロケットにはTWA(トランス・ワールド航空)のロゴがあり、当時のTWAの主力旅客機ロッキードコンステレーションでおなじみの赤と白の独特の配色がほどこされ、1986年に実現される宇宙定期船をイメージして作られていた。このアトラクションは、企業とのタイアップ企画の先駆け的存在でもある。スポンサーはもちろんTWAだ。

   『月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』kindle版17%(位置No.5147中 812)より(太字強調は引用者による)

 TWAトランス・ワールド航空はアトラクションのスポンサーとなり、

「A new world of happiness」

 とトゥモローランドの広告を打ったINAノースアメリカ保険会社はディズニーランド旅行向けの保険をとりあつかいました。

 有馬哲夫さんは開園当初のトゥモローランドについて、「ムーン・ライナー」とゴーカート以外に目玉がなかったこと、企業PRのパビリオンの多さに注目します。

 しかし、二一世紀の今日から見て、オリジナル・ディズニーランドに存在していたトゥモローランドほど驚くものはありません。目をひくものといえば、そそり立つような「ムーン・ライナー(月ロケットのこと)」というモニュメントとゴーカートを走らせる「オートピア」くらいしかありませんでした。

 残りはほとんどが企業PRのパビリオンでした。モンサント・ケミカルの「化学の館」、カイザー・アルミニウムの「アルミニウムの殿堂」などなど。

 「オートピア」と「ムーン・ライナー」さえ、それぞれリッチ・フィールド石油とトランス・ワールド航空というスポンサーがついていました。

   新潮社刊(新潮新書)、有馬哲夫『ディズニーランドの秘密』kindle版59%(位置No.2041中 1182)、「第5章 トゥモローランドは進化する」、すぐにトゥデイランドになったトゥモローランド より

 人気はアメリカ国内だけにとどまらず、アトラクション「ムーンライナー」のプラモデルがセルコル社から英国で販売されるなど多岐にわたりました。

 

    ▽ガシャのフレーバーテクストが埋める楽しみと余白の不穏

 『ディスカバリー』のワンダリア跡地のマップを見ていくと、アトラクションのロケットがおもちゃになっていたり、アトラクションのゴーカート場には、劇中世界にあったらしい大企業3社の看板がならんでいたり……と、ここにこもる余熱は、トゥモローランドの情熱を彷彿とさせます。

 ゲーム内ガチャ景品のほかの説明を見てみれば、車メーカー「ホライン社」について「ゆうえん地の 乗り物も、ホラインせい らしい」*17と書かれていたりと繋がりがより一層見えてきますが、他方でライトロンワークスのかんばんフィギュアに付された「エレクトロやバイオ、うちゅう開発にまで力を入れ、けんきゅうしせつにも とうし する 巨大きぎょう だった。」*18という気がかりな情報も。

 宇宙テーマの遊園地だからスポンサードしたのだろうか?

 宇宙開発はどこまで進んでいたのだろう?

 トゥモローランドは米国の宇宙開発の後押しとして政治利用もされたようだが、ワンダリアのほうは……?

 

 さて3-3面「びっくりホラーハウス」でプレイヤーは、ギザギザの歯をした宇宙人の口型の入口をくぐって、暗闇に照明が螺旋状に並ぶトンネルを進むこととなります。

 さて今作の導入は、故郷プププランドの空に突如"☆"型の裂け目「ナゾのうず」があらわれ、その中へカービィらが吸い込まれて、暗闇に水色の枠線のひかれたトンネル状の空間をとおって別時空へ吐きだされる……というもの。この裂け目は、見ようによってはギザギザの口に見えなくもない

 

 「びっくりホラーハウス」は、いったいどんな意図で作られたものなんだろう?

 ゲーム内ガシャはなにも語ってくれません。

 

   ▼不穏を確定するステージ内小目標の文章

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 風化した背景だけでなく、ポップな色合いの活きた人工物がまた怖い。

 冒険をすすめていくと、ピンクの丸――あきらかにカービィだ――におおきな罰印をつけた張り紙があることに気づきます。それにぶつかってみると、画面右下にステージ内目標の進捗をしらせるメッセージがポップする。

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「手はいしょを はがす」

 文字もなく文化だって違うからどうとでも読めそうな代物を、いまここに描かれ貼られた明確な悪意の産物であるとつきつけてくる。

 手はいしょってなに。

 だれがなんのために描いたの。

 ゲームシステムを生き生きとした劇中現実に変えた『ディスカバリー』は、その手つきをそのまま不気味へつなげてきもするのです。

 

  予定調和のシステムを破る後半への転調

 4面、崇高美をかんじさせる氷雪のホワイティホルンズの古い教会(4-5面)にたたずむステージボスは、シリーズおなじみのキャラなのですが、ウェザリングのきいた毛皮をまとい、『ロード・オブ・ザ・リング』や『ゲーム・オブ・スローンズ』的な風格を帯びています。

 おなじみの得物を取りこぼしたあと、この舞台にピッタリの太く長い西洋古典建築のような石柱を得物にするなどの雄姿が、そうした気高いイメージをつよめていました。

 バトルを終えれば、ここまで(1面あたりだいたい5つなので)20回くらい繰り返してきた「パラララッパ、ラッパパ♪」のファンファーレにあわせてダンスをするステージクリア・シークエンスへ移るわけですが、フラグ集め・ステージロック/アンロックというシステムを見直した今作は、シリーズおなじみの展開にもメスを入れます。

 

 メスを入れるというか、その"型"の魅力をより活かす展開と言ったほうがただしいでしょうか。さすがにゲームプレイ動画を抜粋するのも興を削ぎすぎる気がするのでざっくり言えば、

カービィたちにただ"パラララッパ、ラッパパ♪"してもらうのではなく、その時間にもメインストーリーを進めよう」

 という展開があるんですよ。

 もっともこの発想じたいは今作にはじまったことではなく、ちょっと振り返るだけでも本編シリーズ直近作で識者からの評判もたかい星のカービィ スターアライズ』でだって行われていました。

 あちらの作品では「ラッパパ♪」しているさまと『スターアライズ』の鍵のひとつ紫色の毒々しいハートのオブジェの暗躍しているさまとを同一画面上に併置して描く展開が、序盤も序盤から登場しています。

 でもだからといって、『ディスカバリー』の一部「ラッパパ♪」シークエンスがもたらしたような衝撃はありませんでした。*19

 

 カービィたちだけを大写しにして「ラッパパ♪」するという様式美を刷り込みつづけたうえで、ようやく20回を超えた段で初めて型破りな演出をほうりこむ……

 ……だからこそ4面の「ラッパパ♪」シークエンスはショッキングなのですし、さらにこれまた『ディスカバリーボスクリア後のおなじみであった"ワドルディの町"へもどる流れも打ち崩す型破りを畳みかけて、そのまま休憩をはさまず次のエリア(5,6,オモテ面フィナーレのあるエリア)へ行く展開に、胸がくるしくなるわけなのですよ。

 

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 このシステム的物語的な転調がぴったりはまるような後半ステージのロケーションや難度の変化もまたすばらしい。*20

 

 文明が途絶えた感はありつつも詫び寂びといいますか、春夏秋冬の風光明媚がたのしめた前半エリアにたいして、5面からの後半エリアは、荒涼で過酷で不気味です。

 5面オリジネリア荒野大地では、はじめの大陸では丸く鮮やかだった犬っぽかったビーストのかわりに、荒っぽいオオカミ的な似て非なる別種が周囲を徘徊している。

 3面ワンダリア跡地ではアトラクションの出し物としてお目見えするだけだったオバケが、場所をえらばず本物のクリーチャとして登場するし。

 ボス(5-5面)の住処には、それまでの面でチョロチョロとワドルディ救出目標として小出しにされてきた小物をつかったギョッとするマップの作りこみがあり、初めて踏み入れたときは素朴に背筋がゾゾッとしました。

 

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 6面レッドガル禁足の地では足元は溶岩が流れており、空からは火山の火球がふりそそぐ。

 ふよふよ浮いていればそれなりに攻撃や敵をやりすごせる『カービィ』シリーズにおいて、その優位性をうばうようなステージや敵の配置がさまざま組まれています。

 6面がおもしろいのは、そうした過酷さが、過酷な自然環境や先祖返りしたかのような凶暴化したケダモノのくらす未開の地域だからそうだ……というお話にしていないところ。

 そこまで旧文明の残骸を間借りしているかのようだったクリーチャたちが自分で作ったのだろう新たな文明がうかがえるのです。

 そうして作られたケモノたちの文明は、どれもが好戦的なのがなかなかつらい。

 ステージの入口には厳めしい顔つきをしたケモノの巨大なモニュメントがあり、そのさきでは木組みの物見櫓の上から見張りのケモノが侵入者がこないか目を光らせている。ワドルディらの囚われた檻を思い返せば、あのモニュメントと似た造形だ……

 ……6面では、カービィらに対して明確な敵意・害意が向けられていくことになるのです――モノとして建築物として具体化され練り上げられたネガティブな意識を、ぼくたちプレイヤーは見ていくこととなります。

 6面で原生クリーチャたちが築くステージは、プレイヤーにとってホームグラウンドとなる"ワドルディの町"がほのぼのと牧歌的・ミニゲームたくさんのストーリークリアとほぼ関係ない寄り道ステージであることとこれまたきれいな対照性をきずいていて素晴らしい。

 とくにワールドマップで覗ける6面と「ワドルディの町」とが、6-1面「アツアツの禁足地へ」とチュートリアル「はじまりの地」の対称的なコントラストといったらもう!*21

 

 さてなんかいい感じに、ほっこりエピソードとしてバズリ散らかした任天堂公式スタッフインタビューにおけるHAL研スタッフの言「カービィがかわいそう」

「……たしかにほっこりするけど、ゲームとして大丈夫か?」

 と不安になりもしたおことばでしたが(苦笑)、でもはたしてこれ、額縁どおりに受け止めていいものなのかどうか? ストーリーも終盤になったここにきて、疑問は確信にかわります。

 HAL研はたしかにカービィをかわいがっている。

 しぃ虐、ゆ虐、ちいかわの読者がそれらを愛好しているのと同じように

 かわいそうはかわいいなのだ、と。

 

「ほのぼのから崇高美、サイコホラー、なんでも演出できるなHAL研究所……」

 と逸材ぞろいぶりに感心してしまった。なんでもできるな。

 

 よそさま/メディアのレビューを見ていくと、IGN Japanに掲載された渡邉卓也さんのシリーズ作にくわしい経糸的な比較評のように「物語に物足りなさを感じた」「物語に関しては前作『星のカービィ スターアライズ』がすごすぎた」との声も聞きますが、ぼくはこの評価と真逆の感想をいだきました。

 『Nintendo DREAM』2022年06月号 のインタビューで熊崎ゼネラルディレクターは、ワドルディをゴールにしたことによる「ゲームの目的の"可視化"」からこう言葉を継ぎます。

熊崎 ゲームの目的をこれまでのシリーズ以上にはっきりさせたいと思っていました。今回、ワドルディがゴールになったという、いわゆる「可視化」がゲームの目的を明確にしてくれたと思います。カービィがこれまで「旅をして何かを追っていたら、気づいたら敵の本拠地に来ていた」というような、ちょっとのんきなところもあったのですが、今回はエフェリンから助けて!」と言わたり、ワドルディを救出するという、明確なストーリーで通せました。

   アンビット刊(徳間書店販売)、『Nintendo DREAM』2022年06月号kindle版18%{位置No.102中 16(紙の印字でp.13)}、「3Dという新大陸への軌跡 開発者インタビュー」より、ハル研究所/ゼネラルディレクター熊崎信也氏の発言(「言わたり」は原文ママ

 『スターアライズ』がステージを漫然と進めていくとボス面に(『スターアライズ』の物語の鍵である)紫のハートにより心乱されたキャラ/各地にいる悪玉の信奉者がなんか知らんけど居るという感じだったのに対して、『ディスカバリー』は初めて出会ったキャラを助け一緒に冒険し仲を育んだりなんだり(エフェリン)、荒廃した地を立て直したりワドルディの町)などなど……ディスカバリー』には物語的な山や谷がきちんとあります。

 

 ちょっとした行動を何気なくおこない続けて劇的な地平へ

 一見おなじみの型に見えて、手が加わっていたり、型それ自体をフックにした転調を入れて揺さぶったり……

 ……星のカービィ ディスカバリー』の"型"は、守りに入った消極的な紋切り型のマンネリ伝統芸能でなくてより新しくより良い面白味を提示するためのこうすることを自覚的にえらんだ攻めの"型"

 いっぽん芯のとおった体幹のつよい作品だとぼくは思いました。

 

 正直ぼくは1-1面の驚きと楽しみがずっとつづくような、なんでもありの百面相みたいなゲームをやってみたかった気持ちもあります。

 ありますけど、でもぼくはバリエーションのしぼられた所作を繰り返したことでしか出せない情感を、今作で味わってしまった

「そんなものもほおばるの!?(笑)

 と最初は吹きそうになったり、中盤からは「オッこれもいけるんスか~(笑)」とニタニタしたり、後半は「これがあるからこのヘンケイの出番だな」と無感動に型へはめるまでになじんだ日常となったあの"ほおばりヘンケイ"。

 これがフィナーレのクイックタイムイベント(QTE)を織り交ぜたムービーパートを(プレイアブルパートとシームレスな)歯ごたえのあるものにしています。

 

 もういちどIGN Japan渡邉氏の評をみてみると、「近年の「星のカービィ」シリーズは敵キャラクターに壮大な設定が用意されており、ラストバトルの演出もかなりのものである。今回はそれがいつもに比べると味気なく見えてしまった」との声がありますが、ぼくはむしろ正反対の感触をいだきました。

 

 

  (脱線)一見の自然は意外と人為;自然の猛威だけでなく人為の緑冠をかぶる軍艦島。東京の石造建築に見る震災やグローバリズムの波。劇中の土地に理路の網を張り巡らせた『Outer Wilds』

 さてストーリーについて終盤なかなかの大風呂敷が明かされ、広げられはするものの、全体としてはダイアログやモノローグをいくつも積み重ねていくような作品ではありません

 だからといって、マップや小道具にサブテクストを散りばめ織り込んだ、狭義の「環境ストーリーテリング」の力をいちばんに押し出した作品かというと、それも多分そうではありません

 もちろん細部について目を止めれば、今作の事件やそれぞれのステージの物語や星の歴史がある程度うかびあがるような趣向はあり。そこについて考えることは(この記事でもごにゃごにゃ言ったとおり)楽しいです。

 ですが、点と点をつなげきるには余白がけっこうに多い。

{たとえば異星の文字はぼくたちの世界の言語を置換したもので、読み解こうと思えば読み解けるし、挿入歌も歌詞の意味がゲーム世界に合った内容となるよう意図されているそうです*22。また、そこまで気合を入れなくとも、異星文字でえがかれた企業の名前やどんな会社だったかの概略などは、ゲーム内ガシャでその看板などミニチュアを手に入れることで知れたりする。

 しかしその知識はあくまで(そこそこ金策が限られるゲーム内通貨と引き換えにして)ランダムで入手できたりできなかったりする付帯情報でしかないので、それを知れるかどうかは確率問題だし、ぜんぶ手に入れたところでなお余白が多い。

 ミニチュアの対象はキャラや小道具・大道具で。星や大陸、ステージの大分類小分類といった世界そのものをモデルにしたものもありません。*23

 クライマックスのダイアログで舞台の大枠が明かされたときに生まれる一番おおきな感情はあくまで、

「えーこれこういうお話だったのか!?」

 という驚きであり。これまでの道中が即座に思い起こされて「あーだからあれはああいうことになっていて、それはそういうことになっていたのか!」と(パズルがかっちり嵌まっていく)ひらめきや納得を得ることのできたかたは少なそうな気がします。

(道中のあれやそれは、一旦プレイが落ち着いた時分に「今になってよくよく振り返ると、"ああいうことで、そういうことだった"ととらえてよい、のかな? よいんだろうな、たぶん……」という感じではないでしょうか)

 アクションゲームとして「次に何をすればいいか」を懇切丁寧に且つ(作業感を覚えさせない)さり気ない演出で指し示してくれるデザインは、こと物語面――劇中世界の成り立ちにかんする情報提示などに対しては発揮されていません。

 さいしょに話題にした『Outer Wilds』はそういう面白味が一、二を争うくらいに高く評価された作品で、その観点では『星のカービィ ディスカバリー』はまったく別種のゲームです。

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 自然ひとつ取っても、その価値観のちがいは見えます。

 『ディスカバリー』ではてっぺんから草木の茂る廃墟がばーんとお目見えします。こういうビジュアルの現実の廃墟で有名なのは軍艦島でしょうけど*24……

 島に緑がなかったという私のアナウンスを裏切るかのように、軍艦島正面の山肌にはジャングルのような緑が這いつくばっている。これは四十年近くの間に、島と風が種子を運んで来たものである。ここでかつての端島の写真を観光客に見せて、この生産現場にまったく「緑」が存在していなかったことを証明する。また、島の中腹のコンクリート斜面にうっすらとペンキで緑に塗られた場所を指差す。島民は、一九四八年(昭和二三年)の映画にちなむ「緑なき島」と呼ばれることに反発しながら、少しでも緑がある風景を作りたかったのだ。

   実業之日本社刊、坂本道徳軍艦島 離島40年 人びとの記憶とこれから』p.44、「第一章 軍艦島の現在」より

 ……でもそもそもこれ、ゼロから百まで自然が猛威をふるった結果かというと別にそうではありません。

 艦島の生活<1952/1970>:住宅学者西山夘三端島住宅調査レポート掲載の、西山氏による70年代の写真をみてみましょう(上の画像の右)

 軍艦島の屋上はそもそも町が栄えていた当時から草木が茂っており、「"緑なき島"と言われた島の子どもたちに緑に触れさせたい」と住民が島外から船で土を運んで屋上に盛った人為的で計画的なものなんですよ。*25

 「でも現在は伸び放題ですよね、やっぱり自然の力はすごいんですよ!」という声もあるかもわかりません。こんどは2015年刊艦島と巨大廃墟たち』村田らむ氏が取材した写真(上の画像の真ん中)と見比べてみましょう。

 たしかに段ちがいに繁殖した部分はありますが、いっぽうで70年時に茶けたりコンクリートの地肌が見えたりしているところは現在も禿げたまんま。自然がいくら複雑怪奇といえど、元手がないと難しいのでしょう。

 佐藤健寿THE ISLAND』(2018年)には軍艦島の全景を空撮した写真などもありますが、建物に生えているものはそこまで多くもない*26。身の回りにある町並みを見渡してみれば「まぁそんなもんか~」って感じもしますね。

{そんな簡単に根付けて繁栄できるのなら、屋上を年単位で清掃していないビルなんて無数にあるでしょうから、草木をフサフサと頭にたくわえたビルをもっと日常的に確認できてよさそうなものです。(吹き溜まりや側溝あるいは微妙にできたひび割れといったちょっとしたスペースに、土が集まり種がワンチャン運ばれ草が生きる……くらいなものじゃないでしょうか)

 頭のイントロダクション・シーンは例外として、『Outer Wilds』のほぼすべての物語(ナラティブ)は、プレイヤーが冒険しながら発見できるように世界のなかへ埋め込まれています。

 物語の各ピースは、ゲーム世界の太陽系の歴史を包括するにふさわしい古代人(訳注;ゲーム本編におけるNomai)の物語をつたえます。アメリカ南西部の先住民アナサジ族に着想をうけたこの古の種族は、ゲーム世界の宇宙よりも古くから存在するとあるオブジェクトをさがしてこの太陽系を何百万年もまえに旅しました。
   With the exception of the introductory sequence, nearly all narrative in Outer Wilds is embedded within the world for players to discover as they explore. Each piece of narrative fits into an overarching history of the solar system, which tells the story of an ancient race (inspired by Anasazi culture from the American southwest) that traveled there millions of years ago in search of an object older than the Universe itself. 

   USC Digital Library掲載、アレックス・ビーチャム著『Outer Wilds: a game of curiosity-driven space exploration :: University of Southern California Dissertations and Theses』{訳文は引用者による(英検3級)}

 ヘンリー・ジェンキンズは物語による建築にまつわるエッセイ*27のなかで、探偵物語は埋め込み型物語の普遍的な形式だと主張します。なぜならそれらは「プレイヤーに手がかりの調査や空間の探査(exploration of spaces)を積極的におこなう動機づけをし、過去に起きた物語を再構築しようとがんばるわれわれに理論的根拠をもたらしてくれる」※9 のだと。

 『Outer Wilds』にはプレイヤーの探索を駆り立てる陰謀も殺人もないとはいえ、「関心のポイント群{Points­-of-­Interest。引用者注;『OW』世界の惑星の最深部にそれぞれある、ゲーム世界の太陽系の歴史にまつわる物語のおおきな疑問にたいする答えをかかえた「好奇芯(Curiosities)」について知らせ、そこへたどり着くための手がかりとなる情報を提供する存在}」は空間的に‐埋め込まれた手掛かりに類しますし。POIsは、プレイヤーを太陽系の神秘を解読できるようにするわけですから。

   The idea behind this POI­-Curiosity web is that no matter where the player chooses to explore first, she will stumble across a POI that attempts to pique her interest about one of the four Curiosities. In Henry Jenkins’ essay on narrative architecture, he argues that detective stories are a common form of embedded narrative because they “motivate the player's active examination of clues and exploration of spaces and provide a rationale for our efforts to reconstruct the narrative of past events.”※9 Although Outer Wilds has no murders or conspiracies to drive player exploration, POIs are analogous to spatially-­embedded clues that enable players to decipher the mysteries of the solar system.

※9 Jenkins, “Game Design As Narrative Architecture”, 2004

 の組み立ての決定的な面は、POIsも好奇芯(Curiosity)もどちらも完璧に知識ベースのコンセプトであることです。POIsは好奇芯を物理的に解錠などしません。その代わり、好奇芯へ到達することに通じる、れっきとして存在する仕組みにかんしてのより深い理解をプレイヤーにただ教えます。(つまり、ほぼありえないでしょうけど、全部どころかひとつもPOIsを見つけなくたってプレイヤーが好奇芯へ辿りつくことは、技術的には可能です)

 好奇芯が物語上の主要な疑問へ答えるだけの(そしてそれ以外になにか有形の報酬を差し出したりしない)ただそれだけの存在であるという事実は、プレイヤーに特定の体験をしてもらうよう意図してつくりだしたものです。宇宙について、宇宙がどのようなはたらきをしているかについてもっと学びたい……そんな目的にもっとも強く支えられながら冒険してもらうよう狙っています。

 これはまた、「宇宙にくらすわれわれの立ち位置について、われわれの太陽系の歴史についてといった根本的な疑問にとりくむ」※10という、現実世界の宇宙探査が目標とするものの反映でもあります。
   A crucial aspect of this setup is that both POIs and Curiosities are completely knowledge‐­based concepts. Instead of physically unlocking Curiosities, POIs simply teach players how to reach them through a deeper understanding of existing systems (which means that it is technically possible, although highly unlikely, for players to reach a Curiosity without finding all or any of its POIs). The fact that the Curiosities themselves exist solely to answer major narrative questions (and offer no other tangible rewards) is intended to craft an experience in which the most strongly-­supported purpose for exploration is to learn more about the Universe and how it works. This also mirrors the goal of real­world space exploration to “address fundamental questions about our place in the Universe and the history of our solar system.”※10

※10 NASA, “Why We Explore”, 2013

   USC Digital Library掲載、アレックス・ビーチャム著『Outer Wilds: a game of curiosity-driven space exploration :: University of Southern California Dissertations and Theses』{訳文は引用者による(英検3級)}

 映画がつねに線形(リニア)じゃないのと同じように、ゲームも永遠に現在時制に固定されてはいません。多くのゲームには真相が明らかになる瞬間だとかあるいは過去の行動に光を当てるアーティファクトだとかが含まれています。

 ドン・カーソン曰く、ゲームデザインにおける技芸の一部は、没入感をそこねることなくそしてプレイヤーの首にむずがゆい感覚をあたえることないかたちで環境のなかに埋め込まれた物語情報を見つけ出す巧みな方法にあらわれます:

「段階わけされた領域は……過去のできごとにたいしてやあるいは一寸先にひそむ危険な可能性の示唆にたいしてゲームプレイヤーが自分で結論に至れるよう導くことが[できます]。

 数例を挙げると…壊れて開いたドア、まあたらしい爆発痕、衝突した乗り物、はるか高くから落とされたピアノ、炎で炭と化した廃墟」(25)

(略)

 カーソンはこのような物語装置を「サクヌッセンム辿り」と名づけました。

   Games are no more locked into an eternal present than films are always linear. Many games contain moments of revelation or artifacts that shed light on past actions. Carson suggests that part of the art of game design comes in finding artful ways of embedding narrative information into the environment without destroying its immersiveness and without giving the player a sensation of being drug around by the neck: "Staged areas...[can] lead the game player to come to their own conclusions about a previous event or to suggest a potential danger just ahead. Some examples include...doors that have been broken open, traces of a recent explosion, a crashed vehicle, a piano dropped from a great height, charred remains of a fire."(25)

(略)

Carson describes such narrative devices as "following Saknussemm,"

   ヘンリー・ジェンキンズ著『物語による建築物としてのゲームデザイン(GAME DESIGN AS NARRATIVE ARCHITECTURE)』{訳文は引用者による(英検3級)}

 の「原因と結果」の例は、「サクヌッセンム辿り」とわたしが呼んでいるものです。

 ジュール・ヴェルヌの著した『地底旅行』にちなんだ命名です。この物語の主人公は、岩々へ刻まれるも見えづらくなったイニシャルの跡*28を追いかけます。跡の主は冒険の先達、16世紀アイスランドの科学者アルネ・サクヌッセンムです。

 このようにしてゲームプレイヤーは、先を進む架空のゲームキャラクターの後にのこされた「パン屑」を拾うことでストーリーに引き込まれます。

 環境全体にちらばったノートを完成させるにせよ、危険な生きものの破滅的な足跡を追うにせよ、この「原因と結果」エレメントはクリエイターが語ろうとしている物語のドラマ性を高めてくれます!

   Another example of "cause and effect" is the use of what I call "Following Saknussemm." Derived from the story Journey to the Center of the Earth by Jules Verne. In Verne's story the main characters follow a trail of symbols scratched into subterranean walls by their adventuring predecessor, a sixteenth century Icelandic scientist, Arne Saknussemm. In this way, the game player is pulled through the story by following "bread crumbs" left behind by a fictitious proceeding game character. Whether you create notes scattered throughout your environments, or have the game player follow the destructive path of some dangerous creature, "cause and effect" elements will only heighten the drama of the story you are trying to tell!

   informer『Game Developer』掲載、ドン・カーソン著「環境ストーリーテリング:遊園地産業から学ぶ没入型3D世界の創造(Environmental Storytelling: Creating Immersive 3D Worlds Using Lessons Learned from the Theme Park Industry)」{訳文・文字色替え太字強調は引用者による(英検3級)}

 クリエイティブ・ディレクターのアレックス・ビーチャム氏の製作論文にもあるとおり、『Outer Wilds』はそういう、"一見すると自然による無作為な混沌だけど、よくよく探ってみると過去の文明がかかわり現在のかたちになった歴史的経緯がきちんとある意図的なもの"や"自然の産物だけど、一定の自然法則によりそうなっている異質な秩序による事物であり、その法則性は過去の文明などにより見つけられたり示唆されたりするもの"がさまざまな星にべつべつの文脈をたずさえて遍在してるんですよ。

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 たとえば『OW』の最初の惑星「木の炉辺」には山やいくつか洞穴があって、そのひとつは過去の文明の痕跡があります。一見すると橋は壊れているうえ滝にふさがれて入れないここは、べつの手段で奥へ探索することができ、門前に「採掘場2b」と古代文字で標識のあるそこをくぐってみると、岩肌には無数のくりぬき跡や、その岩の暗闇で光る妙な材質、その妙な岩でいっぱいにした容器が転がっているのを見つけられます。

 その巨大な空間はなんのために生まれて、削られた砂土はどこへ行ったのか?

 「採掘場2b」ってなに。1とかaもあるの? 「あったけど今ない」としたらなぜ?

 ……『OW』の宇宙のなかにはその答えがきちんとあって、プレイヤーはたどり着くことができます。

 そこにあるものはなにも変わらないはずなのに、冒険をすすめる前と後とで景色がガラリと変わって見えてしまう……そんな不思議な体験・知覚の変容が『OW』のすごみのひとつであります。

www.youtube.com

 さて建物の大理石につかわれた化石を探すのは、TVで特集されたり文春オンラインでも記事にされたりするほど街歩きのホビーとなっていますね。

 石材の名前を知ると物語が見えてくる

 (略)石材の種類(銘柄)がわかると、産地、岩石の種類、形成年代などがわかる。すると、どんな人がどんな思いでどのようにして運んできたのか、どのようにしてできた岩石なのか、背景にある物語にいろいろと想像をめぐらすことができる。

   イーストプレス刊、西本昌司『東京「街角」地質学』kindle版8%{340ページ中 15ページ目(位置No.2193中 151)}、「CHAPTER1 街角地質学とは何か? 石材を見て楽しむ基礎知識」01東京の街を彩る石の生い立ち、▼石材の名前を知ると物語が見えてくる より(略は引用者による)

 名古屋市科学館主任学芸員の西本昌司さんは京「街角」地質学』でそんな楽しみをさらに掘り下げています。なんでも、東京の建物につかわれた石を見れば、化石などはもちろんのこと、もっと近現代の人間社会の断面だって窺い知れるのだと云う。

 たとえば、「円」の字型に見えるという俗説で有名な日本銀行本館の1階外壁につかわれた、瀬戸内海の岡山県笠岡市北木島からはこばれてきた花崗岩「北木石」に、「「石造建築には頑丈な花崗岩が望ましい」と考えていたらしい」*29設計者・辰野金吾さんの理想と、関東の石工にとって慣れない材質だったがゆえに工期が遅れていった現実*30を。そして2階以上に貼られた神奈川県湯河原町のデイサイト「白丁場石」に、そこから怪我の功名的な機転を見たり*31

 ほかにも「新議事堂には国産材だけを使用するという方針となっていたため」*32建設の10年前から「全国の石材が探査され、材質の試験などが行われた」*33すえに建てられた国会議事堂の内装の、三十数種類もの国産大理石が一堂に会した博覧会ぶりを褒めつつも、ひとつの産地で「短期間に必要な量を揃えるのが難しかったことの裏返し」*34関東大震災後の苦難の時期にあつめた苦労を見たり。

 あるいは、国産石材の帝国ホテル・インペリアルタワーなど80年代の大再開発事業に、伝統のブランドであるヨーロッパ産大理石だけでなく、アフリカやインド韓国など非ヨーロッパ圏のさまざまな御影石なども輸入品がつかわれていったところへ価格競争に勝てなかった国内採石場の陰りを見たり*35……

 ……産地や材質ごとに石材の活躍年代をまとめた「東京における建築および装飾用石材の趨勢」など年表とともに語られた西本氏のお話とおなじように、『Outer Wilds』の石の遍歴は面白い。

 

 ひるがえって星のカービィ ディスカバリーの自然と都市の関係性ですが、記事上部でもあれこれ詫び寂びについて言ったとおり「ケレンと"もっともらしさ"がよい塩梅にブレンドされた茂りかただ」と楽しめる一方で、そういった方向性の味の濃さをぼくは、『ディスカバリー』の土地からは感じ取れませんでした。

 上の例に似たところで話をすれば、1-3面「ごろりんロード」で主人公カービィは、劇中舞台の先住民がのこした採石場らしきものから岩がごろりんと転がってくるのを躱しながら、囚われの仲間を解放していきます。

 劇中文明の文字で書かれた看板や、それに関する劇中ガチャ景品のフレーバーテクストから、プレイヤーはこの採石場(らしきもの)がどんな企業によって作られたものか判じることはできますが、この山の建物屋内に入れるわけではなく、それ以上の詳細を知る方法はありません。

 「ごろりんロード」の岩は、あくまでアクションを楽しくする障害物でしかないわけです。

(略)改めてカービィというキャラクターの特徴について見直してみた時、いろんなものを食べて、伸びたり縮んだりする、「変幻自在なヘンテコな奴」という個性が改めてカービィならではの3Dアクションに必要な特徴だと思ったんです」

   任天堂『開発者に訊きました』星のカービィ ディスカバリー」、CHAPTER3 ちょっとしたスパイス より、ハル研究所所属で今作のゼネラルディレクター(/企画全体と、キャラクターデザインやサウンドなどの監修、演出やストーリー、テキスト執筆などを担当)熊崎信也さんの発言(ただし略・改行空白追加は引用者による)

――なにを「ほおばらせる」のか、についてはどのような検討があったのでしょうか。

「我々人間が知っているもの、つまり自動車のように、どう動くかがすぐに想像できるもの、土管のように、身近に目にするもの、でも、カービィにとっては未知なもの。

 それをカービィがほおばって、命を吹き込んで動き出す、という遊びが良いなと思ったんです。

 そこから、自動車や土管などがその辺に転がっている、「▶かつて文明があった世界」が生まれていきました。」

   任天堂『開発者に訊きました』星のカービィ ディスカバリー」、CHAPTER3 ちょっとしたスパイス より、任天堂所属で今作のアソシエイトプロデューサー二宮啓さんの発言(ただし改行空白は引用者が追加した)

 任天堂公式サイト『開発者に訊きました』によれば、カービィならではの3Dアクションはなにか考えたさいに「ほおばりヘンケイ」が生まれ、そこから今作の舞台が決まっていったと云います。

 原初に3Dカービィ(とそれによりどうゲームとして楽しんでもらうか?)があり、そこから世界が生まれたのであり、逆ではない。この辺がもしかすると、『OW』との相違点なのかもしれません。

 

 それでもぼくが、『OW』とおなじく楽しんだと話す理由ってなんなの?

 

   助ける、ほおばるミクロナラティブ

 都市計画家(アーバンプランナー)は自分たちのつくる空間の使い道や意図を予め隅々まで決めてしまおうなんて企むべきではないとケヴィン・リンチは提案します:「岩という岩がみな物語を伝えてくるような風景(ランドスケープから、新鮮な物語を創造するのは難しいかもしれない」(28)

 リンチが提案する都市デザインの美学はむしろ、「詩的で象徴的な」ポテンシャルを空間に授けることです:「そんな場所の感覚じたいが、そこへやってきた誰しもの行動を元気づけ、より多くの思い出の轍を堆積させる」(29)

 リンチの本からゲームデザイナーが学べることはたくさんあるでしょう、プレイヤー起点に生成される物語を支えるゲームプラットホームの製作へ移ったさいなんて特に良いのではないでしょうか。

   Lynch suggested that urban planners should not attempt to totally predetermine the uses and meanings of the spaces they create:"a landscape whose every rock tells a story may make difficult the creation of fresh stories"(28) Rather, he proposes an aesthetic of urban design which endows each space with "poetic and symbolic" potential: "Such a sense of place in itself enhances every human activity that occurs there, and encourages the deposit of a memory trace."(29) Game designers would do well to study Lynch's book, especially as they move into the production of game platforms which support player-generated narratives.

   ヘンリー・ジェンキンズ著『物語による建築物としてのゲームデザイン(GAME DESIGN AS NARRATIVE ARCHITECTURE)』{訳文・文字色替え太字強調は引用者による(英検3級)}

 『OW』クリエイティブ・ディレクターのアレックス・ビーチャム氏が卒業制作時代の同作に関する修士論文で引用した語による建築物としてのゲームデザイン(GAME DESIGN AS NARRATIVE ARCHITECTURE)』

 この論考で著者のヘンリー・ジェンキンズ氏は、都市空間の物語的ポテンシャルを重視したケヴィン・リンチ氏の市のイメージ』ゲームデザインの参考になりそうだと紹介しています。

外界を知覚するにさいし,観察者自身が積極的な役割を演じなければならないし,そのイメージを発展させるのにも,創造的役目を受け持たなければならない.変化する要求に応じてそのイメージを変化させる力をもっていなければならない.細部にいたるまで緻密に決定的に秩序立てられた環境のもとでは,活動の新しいパターンは育たないであろう.岩のひとつひとつにまで物語がまつわっているような風景からは,新しい物語は生まれにくいであろう.現在の都市の混乱のただ中にいるわれわれにとっては,このことは危急の問題ではないかもしれないとしても,われわれの求めるものが,究局的な秩序ではなく,ますます発展しつづける可能性をもつ未完結な秩序なのだということを,このことは指摘しているのである.

   岩波書店刊、ケヴィン・リンチ丹下健三&富田玲子訳)『都市のイメージ』(1979年9月20日第12刷)p.7、「Ⅰ 環境のイメージ」わかりやすさ Legibility より。(「究局」は原文ママ。文字色替え・太字強調は引用者による)

 都市または大都市の形態が,なにか巨大な,層をなした秩序を表現するものでないことは明らかである.それは連続性をもち,全体としてまとまっていながら,入りくんでいて流動的な,複雑なパターンであろう.それは,何千もの市民の知覚的な習慣に対して柔軟で機能や意味の変化に対して開放的で,新しいイメージの形成を受け入れるものでもなければならない.それを見る人々を新しい世界探検へと誘うようなものでなければならないのである.

 われわれは,たんによく組み立てられたというだけの環境ではなく,詩的で,象徴的でもある環境を必要としている.それはそこに住む人々やかれらの複雑な社会をはじめ,かれらの願望,歴史的な伝統,自然の背景,そして都市世界がもつ複雑な機能や運動などのすべてを表現するものでなければならない.しかしストラクチャーの明晰さとアイデンティティの鮮明さこそ,強力なシンボルを育てるための,第一歩である.都市は目立った,しかもよくまとまった場所に見えることによってはじめて,これらの意味や連想を分類し,編制するための舞台となりうるのである.このような場所という感じそのものが,そこでおこなわれるすべての人間活動を活潑にし,記憶にとどめられるものを増すのである

   岩波書店刊、ケヴィン・リンチ丹下健三&富田玲子訳)『都市のイメージ』(1979年9月20日第12刷)p.151~2、「Ⅴ 新しいスケール」より(文字色替え・太字強調は引用者による)

 また、上の論考でジェンキンズ氏はこうも説きます……

 所的な事件ないし私が微物語(ミクロナラティブ)と呼ぶ規模からでも、ゲームに物語(ナラティブ)は入り込みます。セルゲイ・エイゼインシュテイン監督戦艦ポチョムキンオデッサの階段シーンにおいて、ミクロナラティブがどんなはたらきをするか一緒に考えてみましょう。

 まず第一に認めてもらいたいのは、たとえどれだけシリアスで気品ある作品だろうと、そのシーンが本来的には大多数のゲームと同種の材料(マテリアル)を取り扱っているということです――階段は、上に登ろうと頑張っている一団(小作農)とそこを下り降りている別の一団(コサック兵)とが争う空間です。

 エイゼンシュテインは、短い物語のユニットを通じて、大規模なコンフリクト(対立/葛藤)のともなう感情的な交戦模様を強烈にしました。ここでのミクロナラティブのうち乳母車を押す女性はもしかすると世界一有名かもしれません。それぞれの構成単位(ユニット)は文化的類型(ストック・キャラクター)に頼っていたりメロドラマのレパートリーから引っ張ってきたりしています。数秒以上つづけて登場する者はだれもいませんが、エイゼンシュテインは多様な事件をクロス・カッティングすることによってそれを引き延ばし(そして感情的なインパクトを強烈にし)ています。

 エイゼンシュテインは、じしんの映画において上述したような感情の詰めこまれた要素を「アトラクション」という語を用いて説明しています;現代のゲームデザイナーなら「記憶に残る瞬間(メモラブル・モーメント)」と呼ぶかもしれません。

 ゲームにおけるメモラブル・モーメントが物語的フックに頼るのと同じくらい、レーシングゲームのスピード感といった)五感(センセーション)や(スノーボードゲームで急に青空が広がるといった)知覚(パーセプション)に依っているように。エイゼンシュテインはアトラクションという語を、深い感情的な衝撃を生み出す作品内の要素を説明するために広く使用して、そして作品のテーマは個別の要素を通じたり横断したりして伝達できると理論づけました。

 大規模なプロットの筋道をつくらないゲームでも、プレイヤーの感情的な体験を形づくるのにこうしたミクロナラティブへ強く依存しているかもしれません。

 ミクロナラティブはカットシーン(/ムービーパート)である場合もありますが、別にそうである必要はありません。

 フットボールゲームをプレイ中のあなたが決めた素晴らしいタッチダウンに対して敵選手が見せたプログラム済アクションによるシンプルな反応も、ミクロナラティブとして想像し得るのです。

 Narrative can also enter games on the level of localized incident, or what I am calling micronarratives. We might understand how micronarratives work by thinking about the Odessa Steps sequence in Sergei Eisenstein's Battleship Potempkin. First, recognize that, whatever its serious moral tone, the scene basically deals with the same kind of material as most games - the steps are a contested space with one group (the peasants) trying to advance up and another (the Cossacks) moving down. Eisenstein intensifies our emotional engagement with this large scale conflict through a series of short narrative units. The woman with the baby carriage is perhaps the best-known of those micronarratives. Each of these units builds upon stock characters or situations drawn from the repertoire of melodrama. None of them last more than a few seconds, though Eisenstein prolongs them (and intensifies their emotional impact) through crosscutting between multiple incidents. Eisenstein used the term, "attraction," to describe such emotionally-packed elements in his work; contemporary game designers might call them "memorable moments." Just as some memorable moments in games depend on sensations (the sense of speed in a racing game) or perceptions (the sudden expanse of sky in a snowboarding game) as well as narrative hooks, Eisenstein used the word, attractions, broadly to describe any element within a work which produces a profound emotional impact and theorized that the themes of the work could be communicate across and through these discrete elements. Even games which do not create large-scale plot trajectories may well depend on these micronarratives to shape the player's emotional experience. Micronarratives may be cut scenes, but they don't have to be. One can imagine a simple sequence of preprogrammed actions through which an opposing player responds to your successful touchdown in a football game as a micronarrative.

   ヘンリー・ジェンキンズ著『物語による建築物としてのゲームデザイン(GAME DESIGN AS NARRATIVE ARCHITECTURE)』{訳文・文字色替え太字強調は引用者による(英検3級)}

 ……ゲームプレイヤーの感情的な体験を形づくるさい、大きな筋書きによる物語的フックとおなじくらいちょっとしたコントローラ操作によって起こる五感的知覚的刺激、プレイヤーキャラのアクションやそれに対するNPCのちょっとしたリアクションといったような微物語(ミクロナラティブ)が重要なのだと。

 じつは『OuterWilds』って、ゲーム世界の各地に散らばる情報を集めプレイヤーの頭のなかで全体像をまとめていくのが楽しい作品であると同時に、ゲーム世界をじっさい動き回って、さまざまな方向に「調査道具を差し向け」たりゲーム内文献を「読み取」ったりするちょっとしたアクション(の積み重ね)とその反響自体が楽しい作品なのですよ。

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「「かつて文明があった世界」というゲーム全体の舞台は3Dでの遊びを考えるところから導き出したアイデアでしたが、ステージの一つひとつのデザイン設定は、遊びから考えられたもの、デザイン重視で考えたもの、どちらもありました。
 いずれにせよ、ゲームをプレイするうえでの「感情を揺さぶる遊びのテーマ」を大切にして制作しています」

   任天堂『開発者に訊きました』星のカービィ ディスカバリー」、CHAPTER3 ちょっとしたスパイス より、任天堂所属で今作のアソシエイトプロデューサー二宮啓さんの発言(ただし改行空白や色替え太字強調は引用者による)

 『カービィ ディスカバリー』もまた――というか『OW』以上に――とにもかくにも救出と"ほおばり"という何気ないアクション・そうされた側のリアクションを延々と重ねていく作品であり、

「その手ごたえだけで、これほどまでの情感がわきあがるのだ」

 と驚かされた作品でした。

 

 冒険の、"ほおばり"の手ごたえってなに?

 それは、カットシー(/ムービーパート)カービィが”吸い込み”に付随して偶然おこなった、プレイヤーは見ているだけの最初の"ほおばりヘンケイ"でもなければ(もちろんこれも大事ですが)

 1-1面で目につく位置にある、次なる"ほおばりヘンケイ"でも、クリアに必須の第三の"ほおばりヘンケイ"でもありません(もちろんこれらも大事ですが。プレイヤーがアクションを起こすことで初めて"ほおばり""ヘンケイ"したときの手ごたえはなかなかのものです)

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 キャラやコイン、回復アイテムである骨付きマンガ肉といったデフォルメされた色合いでエフェクトによる後加工で光り輝いてさえいるカービィ』作品らしいオブジェクトではない1-1面の大枠のカメラの中心からすこし外れた、行ってみようという好奇心をくすぐれられたさきの――視覚的にもシステム的にも脇道の――何気ないもの。でも気になるもの。

 フタを開けてみなければ吉とでるか凶とでるかはわからない……そんなものをグリグリとこじ開けてみる歯ごたえを、そうして開けてみたなかにある(かもしれない)ちょっとした幸せを、この作品は本編の最初の脇道として提示します。

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 そしてプレイヤーであるぼく自身のそんな経験・感覚が、(プレイヤーキャラクターがプレイヤーの操作を離れて勝手に動くがために、作品の受け手が「プレイヤー」というより「観客」という気分がつよくなるはずのカットシー(/ムービーパート)で構成された本筋のクライマックスでど真ん中を走ってしまうんですよ。

 

 クライマックスの手に汗握る面白さは、今作でも数少ないQTE(クイックタイムイベント)を盛り込んだカットシー(/ムービーパート)による効果もあるでしょう。

 ゲームがインタラクティブシネマとして取り沙汰されてから数十年、イベント中にボタン操作してプレイヤーを物語進行にからめる作品はゴマンとあるわけですが、今作のそれは何ともすばらしかった。

 すばらしさの秘訣はたとえば主役の顔を大写しにしたアップ・ショットを「ここぞ!」というときだけに絞ってそのインパクトを高めた往年の映画などを思わせる、節度のきいた渋い演出力の賜物だという点ももちろんあります。

 しかし、ディスカバリー』の絞りに絞ったQTEがすごいのは、そうした一回性の珍しさではありません

 初めて出くわした特別も特別な状況なのに、「この場面ではこう"する"よな」とここまでプレイしてきた経験がよみがえる、身に沁みついたおなじみの感触をもたらしている点にあります。

 カービィという任天堂屈指の大スターの活躍をながめるのではなく、プレイヤーである自分じしんがここまで冒険してきたひとりとして「ここは"こう"アクションをするんだ」「してみせたんだ」と思い感じるクライマックスは今作ならではのものです。その感触をただただ噛みしめ、しみじみ感じ入ってしまいました。*36

 

 余白の多いこの作品にたしかな納得をえてしまうのは、プレイヤーが『カービィ』シリーズにおぼえる魅力と魔力を、作り手がよく理解しているからでしょう。

 どうしてこの星は忘れ去られたの?

 どうしてビースト軍団はあんなたくらみを?

 ……『ディスカバリー』は劇中舞台の成り行きを終盤になってダイアログで語らせつつも、そこに至るまでの経糸を、道中のあれやこれやがプレイヤーの頭にパッと思い起こされるようなかたちでは用意しません。でも説明不足だとは感じない。

 よくよく考えればそれも当然、それらはすべて、スターに乗ってあまたの空間を冒険し、何だって吸い込んでみせ何だって喰らってわがものとしてみせる『カービィ』シリーズを楽しんだかたなら、言われなくても知っていることだからです。

 吸い込み・飲み込み・飲み込んだ対象の力を得る気持ちよさに、ゲームボーイスーパーファミコンのコントローラをにぎった子ども時代のぼくは魅了されました。『カービィ』シリーズも30周年*37、64だったりGCだったり*383DSだったりWiiリモコンだったり……各時代の任天堂製ゲーム機であそんだひとはだいたい知ってることでしょう。

 

 気持ちいいけどでもこれ、ふつうにえぐくね?

 ……『カービィ』シリーズをプレイしているとふとよぎる正気の疑問に、『ディスカバリー』は目をそむけません。

 

 ほかに道はないのか?

 それも、すべてを過去にして別物として仕切り直すような革命ではなく、ここまで歩んできたぼくたちならでは踏み出せる足取りは?

 飲み込んで成り代わるのではなく。ほおばるだけ――一時的にその力を借りるだけ。呑み込まずに、じぶんと異なるなにかだれかと出会い触れ合うことの楽しさを、歯ごたえを、今作は発見したのでした。

 

 

 

今作にかんする他者の評など

 任天堂公式発者に訊きました : 星のカービィ ディスカバリー』

 バズったやつ。

 ワシントン・ポスト掲載、Gene ParkKirby’s creators on developing accessible games, and the darker horrors of the series』

 Gene Park氏による開発者インタビュー。上のインタビューが発表されたあとに取材された記事のようで、その掘り下げなどもある。

 DLCについて、『ディスカバリー』のそれについては何も語っていないけど、『星のカービィ スターアライズ』は難度高いものがウケた~みたいな話がされていて、ぼくとしては不安になる。

 アンビット刊『Nintendo DREAM』2022年06月号掲載、Dという新大陸への軌跡 開発者インタビュー」

 5面までの各ステージ、各ボス、各キャラに関するスタッフのお話が聞けるほか、初期のイメージボードなども一部掲載されています。ぐだぐだアップし損ねていたじぶんの感想文と重なる部分があったので、「おれの感想文が、階段機知の事後諸葛亮におもわれてしまう!」とあわあわした。いやまじで自分ひとりで感じ思ったことなんすよ今回の記事も……。

 ラベ・エスラ氏『『星のカービィ ディスカバリー』、ここ10年で最も評価されたカービィ作品に! シリーズ最高傑作と絶賛する海外メディアも多数

 IGN Japan掲載の、海外メディアのレビューの分析記事。

 邉卓也さん『星のカービィ ディスカバリー - レビュー』

 IGN Japan掲載のレビュー。CO-OP二人協力プレイの所感や、既存作と比較した評価なども聞けて興味ぶかかったです。

 「賛」だけでなく「否」も述べるレビューで、「ウラ面が退屈」という点ではぼくも同意見なのですが、「物語に関しては前作『星のカービィ スターアライズ』がすごすぎた」「ラストバトルの演出もかなりのものである。今回はそれがいつもに比べると味気なく見えてしまった」との評価が違うところ。

 元徹也さん『「星のカービィ ディスカバリー」レビュー』

 GAME Watch掲載のレビュー。ゲームシステムや作品世界などの魅力を概観する紹介的な色味のつよいレビュー。

 シリーズおなじみキャラとはいえ/ストーリー上の役割の解説などは全くないとはいえボスキャラの顔見世場面のスクリーンショットもあるので、そういう情報を仕入れたくないかたはご注意を。

 最後のゲーム画面など、「ぼくもここスクショ撮った~!」と共感しました。

 

 

更新履歴

(誤字脱字修正は適宜)

5/11 1時  アップ 5万4千字

5/12 0時  追記 5万5千字 「ワドルディの町」と6面マップ、チュートリアル「はじまりの地」と6-1面の相似・対照性を示した画像を作成・挿入した。

5/12 18時 追記 5万6千字 缶クズの画像を追加した。また『「いやってしまう」体験のつくりかた』を引用することで、ゲームクリエイターがどのくらい誘導的なデザインを作品へ施すか示せそうな文章をくわえた。

9/05 20時 改稿 『ディズカバリー』屋上の緑から軍艦島の緑の話題について付した図版を、旧来の3枚組のものから、『ISLAND 軍艦島』の写真を足した上下二段4枚組のものへ差し替えた。

2023/01/06 追記改稿 「どんな作品? 公式PVとか」を追加。

 

 

 

 

*1:(あるいは結果的に、なってしまった)

*2:ポピーブロスJr.。シリーズお馴染みのキャラ。

*3:とは言っても缶自体はこれまでもたとえば星のカービィ スーパーデラックスなどで回復アイテムとして出ていましたが。

 あちら(や今回でも"自販機ほおばり"カービィが吐きだし、回復アイテムとして確実に機能する缶)とちがって、存在を強調するようなエフェクトは、この記事で話題にしたい缶クズにはついていません。

*4:ただし、上のながれは"さんかくほおばり"のまま来た場合です。

 口がからっぽのままここへやってきた場合は、樹木と虎縞の安全ポールとのあいだに三角コーンがポップして、それに近づけばその奥にある水道管も画面に写されるかたちとなっています。

*5:もちろんデフォルメは利かせてありますが、冒頭のプププランドの景観などよりも現実的ですし、Switch版つまれ どうぶつの森シリーズの事物が「こと細かかつ、元の題材の個性をうまく抽出して"リアル"だ」と言うのと同じ意味で「リアル」です。

*6:のだろうとプレイしていて強く感じる

*7:意味的なアレではなく、本当に一直線に配置されてる

*8:意味的なアレではなく、本当に一直線に配置されてる。

*9:

 たとえば巨石がごろごろ転がってくる山の採石場ステージをプレイしたぼくは、「そのさきに軍艦島アパート的廃墟があったらどうだろう?」と妄想しました。

 屋上には自販機のある休憩スペースが、上階ではほうきを動かすおなじみのクリーチャ"ブルームハッター"が、しかしほうきを捨ててやさぐれて寝ている。下階にはクリーチャがひしめいている(規定の時間に鳴り続けるだけとなった始業ベルががなり立てると、一斉にアパートの扉がひらいて幽霊的なクリーチャが出発、ありし日の仕事場を目指す……とか)

 単純素朴に下降するのはできるけど、"じはんきほおばり"の火力は高低差が空き缶の水平軌道とかみ合わず、モンスターラッシュをアクション下手がのりきるのは大変……という難易度。

「このステージにはじつは抜け道があり、閑散とした上階で缶をポイポイすることで判明する。

 空き缶の音にブルームハッターが目覚めて、そして缶を見てキビキビと仕事をして、ゴミをまとめてアパートのダストシュートへ放り込むのだ。

 アクションが苦手なひとはそちらから降りれば安全にクリアできるのだ……」

 ……みたいな!

 

 あるいは本編ステージのいくつかでは、迷子のひな鳥を親鳥のもとへ誘導するミッションがありました。そこに"ほおばりヘンケイ"が組み合わさっても面白そうだ。

 おどろおどろしい奇妙な風音がひびき、下階ではコツーンコツーンと不気味な音がどこからともなく鳴っている建物の屋上で、ダイナブレイド的な巨大な鳥が巣づくりしていて、巨鳥へ近づくと襲い掛かってくる。

 そのまま真っ向勝負で戦って、倒せばその奥のワドルディたちを救出できるし、ステージクリアとなる。

 しかし鳥の巣をよく見ると、割れたタマゴの数とピヨピヨと元気なひなの数が合わない。そして異音の正体は、下階から伸びる気送管がかなでているということもわかってくる。

 管をとおって建物室内に降りてみると、無色透明の窓に気づかず進もうとしてぶつかり泣いている泣いているひながいる。そこで"わっかほおばり"カービィの風を送って気送管のまえまでひなを誘導し、管へと送るとひなが管を上昇してキュポンッと抜けて、飛び立ち、巣に戻る……

 ……みたいな!

{ここの建物にちらばる書類をよく見ると、気送管が元気だった時代の文化的にもっともらしいうえにゲーム終盤の伏線となるような内容(=マシュー・グッドマン氏が本にまとめた、19世紀アメリカで繰り広げられたP.T.バーナム氏ら興行師もからんだ報道合戦の対象物みたいな)が記されていたりするとなお嬉しいですね}

 

 もしくは文明の残り香として、もとの住民たちがいなくなったあともプログラム通りに動きつづけるロボみたいなものもいましたね。

 そんな具合で掃除ロボのルンバみたいな敵がいるか、工場の検品機構つきベルトコンベアみたいなのがあって、手はい書を参考にカービィを襲ってくるとする。そこで"ほおばりヘンケイ"してそのお手本のカービィの見た目から外れることで、監視の目をかいくぐる……

 ……みたいな!

*10: 後半にかんするネタバレになりますが、1-1面ビルドトータロスまでの流れに魅力を感じたぼくとしては、EDクレジット後のウラ面は、あんまりおもしろくなかったです。

 ぼくがこの記事のうえのほうで言った「計算ドリル感」というのはこういうステージのことを言ってます。

{ただし、このくだりはお遍路めぐりみたいなもので、つまりあるていど苦行をつんでこそ後の満足が大きくなる類のものだと思うので、意図的だろうし物語的に不自然な構成だと感じません。

 また、直近の本編シリーズ過去作カービィ スターアライズ』のサブゲーム「星の○○○○(マルマル) スターフレンズでGO!」は輪をかけて退屈だったし「星の○○○○」と比べればストーリー面での面白さがあるので、あるいは元祖・桜井氏による直近のディレクション乱闘スマッシュブラザーズSPECIAL「灯火の星」モードは比べ物にならない無味乾燥ぶりでしたから、「"アクション好き"以外にも楽しめるウラ面」としてはわりと良いのではないかという気がします。

「星の○○○○」にかんしては、「完走するのに1時間かかるマラソンを、数十いるキャラ一体一体で何度も何度もタイムアタックするのは運動部だけなんよ……」とzzz_zzzzは思いました。

 「灯火の星」はせめて、桜井氏が宣伝動画で語るような――他作品でいえば実況パワフルプロ野球』の「シナリオ」モードのように――"見立て"の面白さ・解説を作品内に付せていればもっと印象は違ったと思うんですけど、「あの膨大な間テクスト群をひとりで楽しむのは、よほどのゲーマーかつ富豪でないかぎり無理だ。そうした文脈をぬくと、"特殊なセッティングのスマブラキャラと延々たたかいつづける単調なモード"、としか感じられないよな……」というのがぼくの所感です)}

*11: zzz_zzzzがいだいた不満ってなに?

 オモテ面のボス戦からして大体そうなんですけど、キャラコントロール技能ばかりが求められる。その一方で、空き缶などが冒険の糸口になるステージデザインや"ほおばりヘンケイ"を駆使して活路をひらくなどのディスカバリー』で新たに提示した面白味が拡張されることはほとんどないんですよね……。

 たとえば「ピンクの、ふわふわな」カービィを檻にしまっちゃいたい(し、工作癖だけでなく収集癖があるっぽい)アルマパラパとのバトルなんて、この記事の上部で妄想したような"ほおばりヘンケイ"で見た目を変えて監視の目をかいくぐる~といった展開などできそうなものじゃないですか?

 前作カービィ スターアライズ』は、作品独自の"フレンズアクション"に代表される"複数プレイヤー(/NPCでいっしょに動いて起こす特別なアクション"が、平場だけでなくボス戦やイベントでもたびたび活かされていて、とくに小惑星クード」ステージなどは、マップ攻略(での試行錯誤)とボス戦(での昇華)とのつながりが明示的で楽しかった~!

 ああいった感じで『ディスカバリー』も、たとえば股をくぐれるほどの巨体がひとつの面白味となってるゴルルムンバに対して、(道中のステージで経験済みの)壁にめり込んだ自販機をほおばったまま身じろぎして周辺の壁ごと倒したあのアクションをここでもおこない、ゴルルムンバを下敷きにすることで地に伏せさせて、頭(が弱点ということにして、そこ)への攻撃を可能にしたりとか。

 もしくは、カービィを端から端まで吹き飛ばす肺活量の持ち主であることを『ディスカバリー』で見せつける、シリーズおなじみのウィスピーウッズとのバトルにおいて、おなじみの緑の頭をゆすって木の実などを落とす攻撃によって、自販機などの『ディスカバリー』世界らしい(そして一部はほおばりもできる)ゴミを落とすようにして、そしてカービィウィスピーウッズの吐息の暴風にたいして"自販機ほおばり"などで増量することで風をしのいで(逆に"ドームほおばり"などは、元の球体も転がされるし、ほおばっても飛ばされるなど、不正解のオブジェクトもある)近づいたりとか。

 キャロライン戦では、彼女がいったん姿を消して強襲してくるサーカス的・手品的なあの攻撃に対して、(道中のおばけ屋敷ステージの経験を活かして)暗闇を"電球ほおばり"で照らしてタネをやぶったり。

 (これはだいぶ本編からかけ離れてきますが)キャロラインが本編で投げナイフをした要領で、周囲を真っ暗にして(ゴーカートやコースターなど乗り物をうごかす機会に恵まれた面なので)サーカスでおなじみ"火の輪くぐり"の輪で攻撃してきてもらうようにして、その対処としてカービィは舞台に放置された乗り物を"ほおばり"、ジャンプ台を駆けて激突攻撃できたりとか。

 デデデ戦なら、後半のかれの得物である石柱をぎゃくに"ほおば"って反撃したり!……

 ……そういうことが出来たらぼくはより一層たのしめたんじゃないかなぁ。

 

 とくにウラ面は、ステージ内小目標に「ノーダメージでクリア」などがあるオモテ面とちがってそういう縛りがないじゃないですか?

 そしてただ「戦う」ただ「キャラコン技能の習熟を試す」という意味ではさらなるやりこみ要素のコロシアム最終カップだってあります。

 "ガチンコ実力バトルがそこまで楽しくないひと"向けの・"『ディスカバリー』の道中が楽しいひと"向けのアトラクション的な解法もやってみたかったです。

*12:ただしEDロールを一度見たあとのやりこみ要素はその限りではありません。

*13:「BGMとかムービーとかミニゲームって、やりたいと思った時にすぐやれるほうが良いんじゃないですか? そんな面倒な選択方法は、無駄に疲れるだけの悪凝りなのでは?」

 ご安心を。金策である「つりぼり」や往来するコピー能力の鍛錬所は村の出入り口のすぐ近くにあってストレスを感じるまえにやりたいことができますし、「ワドルディシアター」でムービーを見るのは入館時だけちょっと一手間ありますが、その後は連続で好きなように拝めます。

 ミニゲームも劇中音楽再生やムービー視聴も、毎度ちょっとずつやったり観返したりしたいというよりは、一気にまとめてやりたいことが多いだろう・そして大体のひとは一回やったら満足してやらないだろう(苦笑)から、この仕様はとても実用的(プレイ実態に合ってそう)に思えます。

*14:星のカービィ スーパーデラックス』のモード選択画面から遊べるミニゲーム「刹那の見斬り」。画面に「!」が表示されたときにボタンをすかさず押すことで敵を斬る、反射神経を試されるゲームです。
 『星のカービィ ディスカバリー』の「ワドルディの町」内で遊べるミニゲーム「ドキドキ!せつなのつりぼり」。こちらは画面に表示されたボタンをすかさず押すことで魚を釣るゲーム。
 「せつな」に明示的なとおり、「つりぼり」は「見斬り」を踏襲したミニゲームですが。

 暗転による場面転換をして、専用のタイトル画面へ移行する「別のゲーム」風である「見斬り」のよそおいに対して、「つりぼり」は場面転換をはさまずシームレスに移行する「ゲーム世界内現実」となっています。

*15:ゲーム内の呼称では「ガチャルポン」。

*16:

「「ワドルディの町」では、他にも集めたコインでフィギュアをゲットするといった収集要素もあります。

 フィギュアは全部で約250種類あるんですけど、ただ集めて楽しむだけではなくて、キャラクターやアイテムの説明書になっていて、さらに今作の世界の謎に興味のある方に楽しんでいただけるようなものを書かせていただきました」

   任天堂『開発者に訊きました』星のカービィ ディスカバリー」、CHAPTER4:もっとやんちゃに、自由に より、ハル研究所所属で今作のゼネラルディレクター(/企画全体と、キャラクターデザインやサウンドなどの監修、演出やストーリー、テキスト執筆などを担当)熊崎信也さんの発言(ただし改行空白は引用者が追加した)

*17:星のカービィ ディスカバリーガチャルポンコレクションVol.1「カーショップのかんばん」説明文より。

*18:星のカービィ ディスカバリーガチャルポンコレクションVol.1「ライトロンワークスのかんばん」説明文より。

*19:そもそも『スターアライズ』のクリア・シークエンスは、プレイヤーを驚かせようと意図されたものではないでしょうけど。

*20: カービィ ディスカバリーでは、1~4面(はじまりの大陸)と、5~6+α面(禁足の島)とでそれぞれワールドマップが分かれています。
 前半と後半のちがいが難易度で表現されているのはもちろんのこと、ステージの地理や気候や植生・棲息するアニマルのちがいが対照的なかたちで提示されているために、ぼくは踏み入れたそばから緊張が走りました。

 チュートリアル「はじまりの地」の出発地点は、画面近方の中央下の陽光を照り返す砂浜にプレイヤーキャラクター・カービィを据え、そのさきにはな南国的な植生の森が画面奥までつづいており、画面中央遠方にその森の出口がトンネルのように配されている……というもの。
 対する5-1面「命はじまる大荒野」の出発地点は、画面近方の中央下の影がおちて暗い砂の地カービィを据え、そのさきには土色一色の岩崖が画面奥までつづいており、画面中央遠方にその洞窟の出口が配されている……というもの。

 森ないし洞窟へ踏み入れるとどちらのステージでも犬型のビーストが一匹、プレイヤーキャラクターを待ち構えています。チュートリアルでは、まず敵として「かわいく見え」るとゲーム内で説明されるオレンジ色の犬型ビースト「ガルルフィ」が一匹配されている一方で、5-1面では暗い土色をした「ゲンシガルルフィ」が一匹配されています。

 そしてそれぞれの狭所をぬけたさきには広い地平が待っています。
 チュートリアルで待っているのは、敵アニマルもいない緑化した道路が画面遠近方向へ縦に伸び、そのさきには抜けるような青空と画面中央を背の高いビル、ビル窓に反射する陽光がまぶしい輝かしい世界
 5-1面で待っているのは、砂の道が画面遠近方向へ縦に伸び、黄砂が吹きすさぶさきにぼんやりと灯台が小さく浮かぶ、暗く荒涼とした世界です。中景には複数のゲンシガルルフィと銃弾を飛ばしてくる別の犬型の敵「バーナード」がおり、開けた地へきたプレイヤーが景観を眺めているのもそこそこに襲いかかってきます。

*21:ワドルディの町」は、(正面に主役の肖像2つが建つ)円形の花壇を中心として、扇型にひろがる町です。遠方の傾斜のうえにはシリーズお馴染みキャラ・メタナイトが目を光らせ外敵から町を守る「コロシアム」があります。

 6面「レッドガル禁足地」は、(正面にビースト軍団の長レオの肖像2つが建つ)円い輪になった溶岩が周囲をかこむ6-1面を中心として、扇形にひろがるエリアです。遠方の傾斜の上にはボスが目を光らせ好みのキャラを探し世界を侵略する最終面があります。

*22:

「現地語は、オリジナルで作ったのですが実際に読み解けるようにしたのもポイントです。

 ゲーム内では過去の世界で大流行していたという設定の現地語の歌も流れますが、実は歌詞も読み解けば、ちゃんとこのゲームの世界に合ったメッセージになるように、作詞しています。

 こういう設定は、ゲームの世界観へのちょっとしたスパイスみたいなものですけど、深く知りたい方にとって冒険への没入感にもつながりますので、私たちクリエイターのこだわりが活きる部分ではないかと思っています」

   任天堂『開発者に訊きました』星のカービィ ディスカバリー」、CHAPTER3 より、熊崎氏の発言(ただし改行空白は引用者が追加した)

*23:株式会社ハル研究所カービィ スターアライズ 公式設定資料集』をよむと、

「ぼくが素通りしていった各ステージに、これだけいろいろな設定が……!」

 と驚かされますから、今作もぼくが汲み取れなかっただけでいろいろんな創造があるんだと思います。

 『スターアライズ』ほどでないにせよ、『ディスカバリー』もゲームをプレイしているだけではそうしたさまざまな設定を本なしで理解するのが難しい作品だとぼくは思いました。

{ここでぼくが言っているのは、IGN Japan渡邉卓也さんのシリーズ設定考察記事みたいなハルカンドラとかなんたらかんたらのカービィ本編シリーズ世界の云々は関係なく(そんな予備知識がなくても楽しめますし、『ディスカバリー』の情報だけでキャラの対比関係はわかります)、「『ディスカバリー』世界でセリフとして明示される情報を、それを聞くまでに予期したりそれを聞いたあとでステージを見返して"そういうことだったのか!"とスッキリするのは難しい」というお話です}

*24:あとはプリピャチとか。

*25:

「緑なき島」と言われた島の子どもたちに緑に触れさせたいとの思いから、島外から船で土を運び、子どもも総出で屋上まで運びあげて作ったもの。野菜の収穫祭があったり田んぼでコメも作ったという。

   創元社刊、NPO西山夘三記念すまい・まちづくり文庫 編集代表松本滋『軍艦島の生活<1952/1970>:住宅学者西山夘三端島住宅調査レポート』kindle版35%(位置No.165 中58)、◆写真編、「住宅」16-20号棟(日給社宅)より

 屋上庭園は16~20号の9階建アパートの屋上に設けられており、最盛期はここに畑や水田がつくられ、カボチャが鈴なりといった風景も見られたが、「終結期」にはベンチが数脚置いてあるに過ぎなかった。

   創元社刊、NPO西山夘三記念すまい・まちづくり文庫 編集代表松本滋『軍艦島の生活<1952/1970>:住宅学者西山夘三端島住宅調査レポート』kindle版85%(位置No.165 中140)、◆調査レポート編、片寄俊秀軍艦島の生活環境」(3)公共施設、厚生施設、商業施設 ②遊び場、レクリ施設 より

*26:上の脚注で話題にした、人がいなくなり自然が野放図となった代名詞プリピャチにしたって、建物の間に林立することはあれど、建物自体へは屋上にちょろっと緑が見えていればトップの繁殖具合らしい。

*27:21年にアップした記事で勝手に訳して紹介しました

*28:「岩々へ~跡」の原文は「trail of symbols scratched into subterranean walls」。

 辞書で意味を確認すれば「subterranean=地下の/秘密の」「walls=壁(の複数形)」という具合で、意訳が過ぎるかもしれません。前者はまぁいいかもわかりませんが「『地底旅行』なんだから"地下"では?」みたいな疑問はよぎりますし、wallsが岩々になるほうは訳した自分からしても距離があることばだと思います。

 小説を開いてみると、サクヌッセンムの暗号が刻まれているのは①羊皮紙と②火口の岩と③地底の岩などで、「地下の」はおかしい。そして「壁」というのも我々がイメージする「壁」ではありません。

 ②と③の状況をそれぞれ引用すると、②は……

Je l'aperçus, les bras étendus, les jambes écartées, debout devant un roc de granit posé au centre du cratère, comme un énorme piédestal fait pour la statue d'un Pluton. Il était dans la pose d'un homme stupéfait, mais dont la stupéfaction fit bientôt place à une joie insensée.

みると、彼は、地底の王者プルートンの像をささえる大きな台座のような、火口の中央の花崗岩の前で、両腕をひらいて立っていた。彼の姿は、びっくり仰天した男のそれであったが、やがてその驚きは、気でも狂ったような喜びに変わった。

(略)

Et, partageant sa stupéfaction, sinon sa joie, je lus sur la face occidentale du bloc, en caractères runiques à demi-rongés par le temps, ce nom mille fois maudit:

わたしはの西側に、年月を経てなかば消えかけたルーン文字で、あのじつに呪わしい名前を読みとったとき、叔父のように喜びはしなかったが、やはりびっくりしてしまった。

   仏語原文はProject Gutenbergより。邦訳文は、東京創元社刊(創元SF文庫)、ジュール・ヴェルヌ(窪田般彌訳)『地底旅行』kindle版40%(位置No.4305中 1978~、1682)、16より(太字強調は引用者による)

 ……という具合で、③は……

Et, prodigieusement intéressés, nous voilà longeant la haute muraille, interrogeant les moindres fissures qui pouvaient se changer en galerie.

Nous arrivâmes ainsi à un endroit où le rivage se resserrait. La mer venait presque baigner le pied des contre-forts, laissant un passage large d'une toise au plus. Entre deux avancées de roc, on apercevait l'entrée d'un tunnel obscur.

Là, sur une plaque de granit, apparaissaient deux lettres mystérieuses à demi rongées, les deux initiales du hardi et fantastique voyageur:

 そこでわたしたちは、興味津々として絶壁にそって歩き、回廊に変わっていそうな小さな割れめをくまなくさがした。

 こうしてわれわれは岸がせまくなっている地点へたどり着いた。海はほとんど岩の足もとを洗っていた。せいぜい幅二メートルぐらいの、やっと歩いて通れるくらいの道しかなかった。そして、ふたつのつきでた岩のあいだに、暗いトンネルの入口がみつかった。

 そこの花崗岩の表面には、半分消えかかったふたつのふしぎな文字が、大胆で、じつにすばらしい旅行者の頭文字がきざまれていた。

   仏語原文はProject Gutenbergより。邦訳文は、東京創元社刊(創元SF文庫)、ジュール・ヴェルヌ(窪田般彌訳)『地底旅行』kindle版86%(位置No.4305中 3698~)、39より(太字強調は引用者による)

 ……という具合。そんなわけでこう訳しました。

*29:イーストプレス刊、西本昌司『東京「街角」地質学』kindle版30%{340ページ中 85ページ目(位置No.2193中 628)}、「CHAPTER2 人間の営みを感じる石めぐり 石材でたどる日本近代化の歴史」01近代的な石材利用のはじまり(明治)、▼北木石 安山岩から花崗岩の時代へ より。

*30:

当時の石材加工は手作業で、石工たちの経験がものを言うところだが、安山岩を日常的に扱ってきた関東の石工にとって、硬い花崗岩は扱いづらい石材だったのだろう。工期を短縮するため、石工は東西南北の4組に振り分けられ「最も早くできた組に1万円の報奨金を出す」と競争させられたという。

   『東京「街角」地質学』kindle版30%{340ページ中 86ページ目(位置No.2193中 631)}より

*31:

 濃尾地震による名古屋や岐阜の惨状を知った設計者の辰野金吾は、まだできていなかった2階以上を軽くすることで耐震性を向上させようと考えレンガ造りに変更した。ところが、それを知った川田総裁が「総石造りとして承認を得たのに、株主たちに対して申し訳が立たぬ」と激昂したため、薄くスライスした石材をレンガの上に貼ることにしたという。このために選ばれた石材が白丁場石だった。

   『東京「街角」地質学』kindle版30%{340ページ中 86ページ目(位置No.2193中 631)}、「CHAPTER2」01、▼白丁場石 花崗岩のピンチヒッター より

*32:『東京「街角」地質学』kindle版39%{340ページ中 122ページ目(位置No.2193中 834)}、「CHAPTER2」02華やかな石材の時代(大正~昭和初期)、▼国会議事堂建設がもたらした石材 より。

*33:『東京「街角」地質学』kindle版39%{340ページ中 122ページ目(位置No.2193中 834)}より。

*34:『東京「街角」地質学』kindle版39%{340ページ中 124ページ目(位置No.2193中 857)}、「CHAPTER2」02より。

*35:

 1980年代になって建設された高層ビルには、内装の輸入大理石に加えて、外壁の低層部にも輸入御影石が使われていることが多い。帝国ホテル・インペリアルタワー(1983)では、内装にフィリピン産石灰岩テレサベージュ」、外壁低層部はインド産の赤い花崗岩「ニューインペリアルレッド」。ヒルトン東京(1984)では、内装にフィリピン産「ライトフォンタン」、ホテルの玄関壁と外構にフィンランド花崗岩「バルチックブラウン」が使われている。ヨーロッパだけでなく世界中から輸入をしていたことがわかる。彩度が高い色調の石材が好まれていたようだ。

 このように、大規模再開発事業では、広い面積を覆う同じ石材(大理石と御影石)が必要であるうえに工期も短くなって、その分、品質が揃った石材を短期間のうちに大量に調達することが求められるようになったと考えられる。その結果、ブランド力もあるヨーロッパ産大理石に加えて、アフリカ、インド、韓国などから御影石花崗岩)が輸入されるようになっていったのだろう。その陰で、国産石材が使われることは少なくなっていった。

 国内の採石場は小規模で、短期間での大量調達に応えられず、輸入石材との価格競争に太刀打ちできなかったのである。

    『東京「街角」地質学』kindle版30%{340ページ中 86ページ目(位置No.2193中 631)}、「CHAPTER2」03 現代における石材の多様化(戦後)、▼再開発で輸入大理石が多様化(1970~80年代) より

*36: そういったわけでぼくは『ディスカバリー』を推しますが、単純に優劣の問題というよりかは、「そもそも目指すところの違いもあるのではないか?」と思えもします。

 ご長寿作品の特番って、大別して二通りあるんじゃないですか?

 週一で1年間エピソードを重ねる日曜朝のアニメやヒーロー物が、レギュラー放送と別個で春休みあたりに放映するお祭り映画(『プリキュアオールスターズ』みたいな)と、一本の作品として完結した『大長編ドラえもん』的映画

 前者ではその映画かぎりの夢のドリームマッチやら特殊なコスチューム、必殺技なんかも出ちゃって華やかで、後者は必ずしもそうじゃないですけど、どちらも面白いという点では変わりない。

 『スターアライズ』と『ディスカバリー(オモテ面)の違いは、そういう趣向のちがいであるようにも思えました。

*37:コピー能力システムが登場するのは第二作『星のカービィ 夢の泉の物語』(1993)。『ディスカバリー』作中でも「30年」の歳月があるものが登場し、それは……。

*38:エアライド』楽しかったですね~!