『バビロンまでは何光年?』を読んだので感想です。7500 1万2千字くらい。脱線多め。
※以下、道満晴明著『バビロンまでは何光年?』のネタバレした文章が続きます。ご注意ください※
約言
面白かったし凄かったです。
内容;記憶喪失の地球人とかれを拾った宇宙人のオンボロ船によるボンクラ惑星巡りです。
記述;毎度の道満作品らしくデフォルメのきいたシンプルな絵柄で、デフォルメのきいたお話が展開されます。矢継ぎ早に投入されるネタの物量が凄いですが、道満作品らしい造形の深さも覗かせますが元ネタ開陳系のアレではあまり無い(から無知な僕は凄さがよく分からない)。お笑いスケッチ集という感じで、道満作品としてはエモにあまり振られてない印象(。 同作者の『ニッケルオデオン』や『メランコリア』を求めると「違うな」となる)。ただしペース配分や趣向が違うというだけで、毎度(? いつにも増して?)凄いことやってるな(/やってそうだ)と再読して思いました。
ここ好き;キャラ固定の続き物らしいシーンの反復変奏と変化(=一話完結系の道満作品では珍しい楽しみ)。食事描写。
ざっと感想
記憶喪失の地球人バブと、かれを拾ったオンボロ船の乗り手ホッパーとジャンクの3人の旅を描いたスペースオペラです。
1巻完結で、わりとサラっと読める作品。道満晴明氏は登場人物も舞台もバラバラなオムニバスも何作か手掛けているかたですが、今作は1話から最後まで主役固定の続きもの。
サラっと読めない道満作品なんて無いのですが、サラッと読めてしまえるのが不思議なくらいに凝縮されている、ページを開いてしまえばたちまち自分でも不可解なくらいにどうしようもなく感情を動かされてしまうのが道満作品という印象がありました。
ワールズエンド サボタージ pic.twitter.com/Ern7hGpf60
— 道満晴明 (@dowmansayman) February 9, 2019
ツイッターで1万超のいいねを獲得した『ワールズエンド サボタージ』がよい例ですよね、たった4ページの掌編だっていうのに、この情報密度と情感のとてつもなさったら何なんでしょう?
上の掌編から発展させた上下巻のシリーズ『メランコリア』も素晴らしかった! 一話完結の短編たちが後半になってつながりが明らかになっていく爽快感、そしてひとまとまりの長編としての姿が見えたときの途方もないスケール、読んでるじぶんがいだいた情感たるや……。
しかし今回は感情的にもサラっと読めてしまった。
その点でぼくは、「せっかくオムニバスでなくて主役固定なんですから。道満先生の近作『メランコリア』で複数回キャラを出すことにより積み重ねた以上のパワーを見せてくれてもよいんですよ」とも思いましたし、「設定紹介人物紹介から数ページで最高点に到達してた『ニッケルオデオン』の各掌編群は、道満先生的にも神がおりていたんだろうか?」とも思いました。
(『メランコリア』については3話までが配信サイト『pixivコミック』で、下巻の最初の1話にあたる「Figure14.Nursery story」が『集英社コミック公式S-MANGA』にて試し読むことができ。『ニッケルオデオン』については小学館公式サイトで『赤』から1話、『緑』から2話、『青』から1話の計4話分を試し読むことができます。一話完結なのでどこから読んでも良いかと思います。『ニッケルオデオン【青】』で試し読める「Grimm DEAD」と『メランコリア下巻』の「Nursery Story」の、二作ともおとぎ話のお姫様をモチーフにしながら全く異なる色合いと、別方向ながらもどちらもつよいガールズフッドだけでも、道満氏の芸風の幅広さが伝わるかと思います)
正直いって初読時はそこまでピンときませんでした。
「だいぶ不遜な感想だけど、まあ、こうしたサラっと読めるし楽しい、軽い読みものが年1くらいで読めて、たまに前述作のようなくっそでかいエモーションで震わせてくれたら最高じゃない?*1」
とかって言い聞かせるように思ってました。
でも再読したらこれはまじに不遜な考えで、「いやこれスゴいじゃん!!!」となりました。
(脱線)掌編時のキャッチーな面白さについて
ひるがえって『ニッケルオデオン』などのキャッチーな魅力というのは、掌編というサイズゆえに要請された部分があったのかな? なんて思います。
撒いた種を片手で足りるくらいのページ数のうちに、必ず花開かせねばならない。なので、とにかく無駄なく詰将棋のように一コマ一コマが機能し、花の生長が目覚ましく見えるコマ運びにならざるを得なかったし。そのシチュエーションや関係性なども、そのページ数で読者がズズッと長い説明なしに飲み込むことができたり・読んでいて感情をドライブさせられたりするような、最大公約数的なものが選ばれざるを得なかったのかな? ……なんて思います。
道満氏を高く評価する人物として、芥川賞受賞作家の円城塔氏がいます*2。
円城氏はゲンロンSF創作講座用に準備した覚書のなかの一編「ハメ手をもつこと」で、誰もがいやが応にも気持ちを盛り上げられてしまう語り口や話型について触れていたり。別の一編「ストーリーアーク」で、物語の話型やエモーショナルアークの基本形について触れていました(もっと詳しくは、たとえば暦本純一さんが感想を残されている、円城氏の東大での講演『小説と人間の間で起こっていること』で語られたりすることになるのかなと思いますが、講座を受講するお金も講演みにいく余裕もなかったのでよくわかりません……)。またまた別の一編「長さ、大きさを把握すること2」「例:でかいものを雑に入れない」では、作品の尺とそこで語りうることについて触れられています。
円城氏が開陳した勘所は、道満氏の掌編の凄味を把握するための一助になりそうな気がします。
世の傑作が何巻も費して到達するような大きな情感を(『ニッケルオデオン』などのような)掌編のサイズで達成するためには、そんな風に、読み手が(描かれているもの以上に)強くイメージを喚起させられたり反応したりするショートカットキーをぽんぽん連打するようなことをせざるを得なかったのではないか? なのでぼくみたいにぽやぽや雰囲気で読むようなやからが本を開いても、めちゃくちゃ気持ちよくなれてしまったのではないか?
甘味塩味うま味酸味苦味という5大味覚のうち、前者3味は(その味が認められるということは、糖・ミネラル・アミノ酸など生命維持に必要な成分を摂取できたことを意味するため)食経験のない赤子でも生得的においしく感じるそうなんですが*3、そういうような誰にとっても美味しいお話や関係性・シチュエーションを道満氏は掌編のさい的確に押しているんじゃないか? とぼくは考えています。
道満氏はたとえ掌編であっても扱う題材がけっこうに独特だったり複雑だったりするために(たとえばコピ・ルアクなりヴンダーカンマーなり、それ一つがウィキペディアで一記事たてられるくらい珍しいものだったり。あるいは吸血鬼モノを描くにしても、同ジャンルの他作品でも省かれやすい吸血鬼の奇怪な生態というディテールを主眼にしたり……)そんなこと感じもしませんでしたが、よくよく考えてみるとそんな風に思えてきます。
長編時の面白さについて
ぼくがビビッときた掌編集でもうかがうことのできた数多の手管や抜群の作劇力が、『バビロンまでは何光年?』のような(ふつうの連載漫画からすると短いとはいえ)長いスパンの続き物で発揮されるとどうなるか?
道満氏はぼくのようなぽやぽや読者でもびくんびくんと反応できてしまうような手管を取らなくてもよいけれど、異様な引き出しはもちろんそのままお持ちである。
ということで、『バビロンまでは何光年?』のさらっとした読み味というのは、実のところ、なんてことないコマや何気なく流してしまうセリフが、二桁三桁ページ後のどこかで、ぼくなんかがほわほわ読むのでは言語化どころか意識さえできない形でいつの間にか転がされ、開かれてしまう。すごいことが起きているのになにかが起きていることさえ感知できない……そんな書き味のために生じたものではないだろうか?
味覚でたとえ話をつづければ、酸味苦味というのは本来は人にとって美味しいものじゃないそうなんですね(酸味は腐ったもの、苦味は毒のあるものに多くふくまれるため)、でも現実の大人がコーヒーをがばがば飲んでいるように、人間は経験をつむことでそれらの味を、本能的に感じる"危険のシグナル"としてではなくて、美味しさを見出すことができるようになるんだそうです *4。『バビロンまでは何光年?』でも、現実の人間社会が動物のフンを炒ったコーヒー"コピ・ルアク"を高価で売買するようなフクザツな文化体系をつくったような、不思議なものを美味しいと感じさせてしまうような手管が行われているのではないか?*5
そんなことを思いながらの再読でした。*6
有名な話ですが、うま味が(甘味塩味酸味苦味のような)基本味のひとつとして立証され一般紙に大々的に報じられたのは最近1998年ほどのことでした。提唱も立証も日本人研究者が中心となっていますが、うま味を凝縮した「だし」自体は英語圏のスープストック、フランス圏のブイヨンやフォン、中国圏の「湯(タン)」などなど古くから広く扱われているものではありました。不思議なものですね。*7
また、オックスフォード大学の実験心理学者でイグノーベル受賞者のチャールズ・スペンス氏によれば、科学者によっては「金属酸や脂肪酸、あるいは"こく味"をはじめとする十五を超える種類の味を基本味に加える者もいる」*8そうです。「私自身聞いたこともないような味がほとんどだ」そう続けるスペンス氏もまた、独特の味覚についての研究者であり、ポテトチップスを噛んだ時の音からコンピュータで高音を強調加工したものを聞きながらチップスを食べると、実際よりもパリパリ・サクサクしておいしく感じる……という研究によって2008年イグノーベル賞を受賞した、音響調味(ソニック・シーズニング)の第一人者です。かれの研究所に招待されたことで、英国最速でミシュラン三ツ星を獲得した『ファット・ダック』店は音も食材とした料理『サウンド・オブ・ザ・シー』を発表しました。生物誕生以来から続く食事も、今もなお開拓が続けられているようです。
今回の感想でもぼくが面白がれるだけの旨味は見つけられたし書き出せもできましたが、ぼくでは気づけないことが星のようにあるだろうという敗北感もかんじてます。ほかのかたの感想や批評があれこれ出てきて、道満氏が開拓しつつある(であろう/もしかしたらすでに開拓し終わった)その辺の不思議な旨味を解説してくれるようになってくれるとありがたいですね。
ネタの宝石箱;先行作が数ページかけたネタを数コマで使い潰す
初読時にもわかったのは「相変わらずのアイデアの宝庫っぷりだなあ」ということです。
上でリンクを張った先で読める9エピソードでも全く足らない道満氏の異様な引き出しは今作でも開かれています――というか、ちょっと壊れてるくらいの勢いで大盤振る舞いです。
「サラっと読み流してしまったけど、数十ページとか1巻とか費やせるようなすごいネタが、今ふつうに2コマ落ちみたいな小ネタとして使い潰されたっぽくない……?」
とヒヤっとなります。前述の通り数ページかければ道満氏はきれいにオチのついた情感たっぷりのお話として纏められる史上稀に見る作劇能力をお持ちのかたなのですが、今回は数コマで終わる与太として凄いネタがぽんぽん放られています。まるで四次元ポケットを漁ってあれでもないこれでもないと投げ捨てていくドラえもんみたい。
{ページ跨ぎの正味2ページで消化される第一話のヒロインなんて、ショートショートの達人・星新一氏でも数ページもの文量を費やしたネタですわ(ネタバレ防ぐ目的でタイトルを脚注表記にして隠します*9)}
『バビロンまでは何光年?』では、出会って終わりだった先行作にたいして、出会ってからの直接的なコミュニケーションのドタバタへとネタを転がし紙幅を割く……といった違いがあり、設定を加味した下品なネタが楽しいです。
『バビロンまでは何光年?』の食;オマージュと脚色
先行作オマージュも多いけど(『銀河ヒッチハイクガイド』やら『ドラえもん』やら。最近のネタから「黒塗りの高級車に追突してしまう」展開やら。たぶんぼくが分からなかっただけでもっと沢山あるんでしょうね……)、ただなぞっておしまいにしない創意がある。
そうして見ていくと、ネタのまとまりが凄いことになっていることに気づきます。
目につくのは飲食にまつわるシーンの多さです。
オマージュ元が今作でどう転がされているかを見ていると、飲食にからめた改変があるように思えます(……と言いつつ、本棚から見つけ出せず元ネタをちゃんと読み返せてません。元からあるネタだったらごめんなさい!)。
ヒロインのひとりカレルレンは、悪魔的な見た目をしたオーバーロード人の褐色美女で、宇宙を回って文化レベルのひくい宇宙人に知恵をさずけたりするボランティア活動家です。ボランティアした星々には在りし日の地球も含まれていて、彼女は昔の人にすごい技術を教え授けたりなどしたそうです。つまりアーサー・C・クラーク著『幼年期の終り』のオーバーロード・カレルレンを参照したキャラなんですが、具体的にそれらがなにをしたのかには違いがあります。
『幼年期の終り』原典のカレルレンがもたらしたことといえば、「第一は、確実な経口避妊薬の普及」*10で、「第二は、血液の精密分析によって子供の父親をつきとめる方法」*11。(読み返すまで忘れてましたが、『バビロンまでは何光年?』が親子のはなしになるのが『幼年期の終り』のストーリーに関係しているだろうのはもちろんのこと、さまざまな人種と情事に及ぶのでさえ『幼年期の終り』のこのガジェットを道満的に汲んだ結果なのかも。しっかり読みくらべたらもっと味が出るんでしょうねきっと)
第三に反重力によるエア・カー(=「二十一世紀は、一国の国民を全部自動車に乗せるという二十世紀の偉大なアメリカ人の成功を、さらに大規模にした形で受け継いでいた。二十一世紀は世界に翼を与えたのである。」*12)。
カレルレンが世界史研究財団に、半永久的な貸し付け契約(余談ですが、改めて読んでみてこの一言良いですね。独裁者じゃなくて「一介の公僕」*13であると云うカレルレンの自称が、自称じゃなくて本当なんだなと思わせる卑近さを「貸し付け契約」というディテールがあたえてます。)のもとにわたした「過去五千年の人類の歴史のほとんどが、一瞬のうちに、誰にでも手の届く存在に代わる」*14「時空の四次元連続体における座標を決定するための一連の精巧な装置が組み込まれている」テレビ受信機が、「人類の信仰のうちに生きていた種々雑多な救世主たちは、その神性を永遠に失」*15わせたりもしました。
いっぽう、本作『バビロンまでは何光年?』のカレルレンが過去の地球でやったことといえば、一つに「水をワインに変える程度の分子変換器」*16を授けた……というのがあったそう。『バビロンまでは何光年?』独自展開として、飲食物にからんだガジェットが投入されていることがここでも確認できました。
そうしてあれやこれやを改めて振り返ってみると、『バビロンまでは何光年?』は、しぐさや身ぶりによってキャラの似通いやキャラの関係性の似通いが、そしてその変化が示されていたりする作品なのではないかなあ、なんて読んでいて思いました。
『バビロンまでは何光年?』の食;劇中での変奏
オンボロ船で寄る食事
「#5」で回転ズシのお店"ビッククランチズシ"に一行が立ち寄り、ヘンテコ宇宙的設定によってごちそうにありつけない主人公バブの姿がえがかれます。さまざまな宇宙人が存在している世界らしく、とんでもなくヘンテコなスシのありようから、
お前らどんな食文化してんだ
秋田書店刊(ヤングチャンピオン烈コミックス)、道満晴明著『バビロンまでは何光年?』kindle換算16%位置No.209中34(紙の印字でp.31)第2コマ
と、バブはあきれたりします。(⇒寿司ネタという点では「#10」、⇒他人の食の趣味についてのバブの反応という点では後述する「#22」)
「#9」では宇宙船を改修した一行が3人で地ビールの美味しい星で乾杯したりする。 *17
「#10」で序盤で提示されたバブの記憶喪失の手掛かりがありそうな、お目当てのアーカーシャに到着し。「#11」でバブの在りし日の記憶が描かれるわけですが、このエピソードの最初のページでさっそくバブがバブと呼ばれるまえ(ダニエルであったころ)に在りし日のアキハバラで回転寿司を食べた一幕が登場します*18。
カレルレンと双子と食事
アーカーシャを去ったバブら一行が、つぎに訪れた惑星スミソニアンにてカレルレンと再会し、「#14」で一緒に食事をします。前段のアレで出来たカレルレンとバブの子も一緒です。カレルレンはパフェを食べる子どもたちの口を拭いてあげたりする。
「あー ほらほら」「こんなに汚しちゃって」
「ママわたしも」
『バビロンまでは何光年?』kindle換算42%位置No.209中88(紙の印字でp.85)「#14」第2~3コマ
左手でスプーンをくわえパフェをほうばる褐色の男の子ヴィタの口元をカレルレンが拭き、色白の女の子ヴィタも拭いてとせがむ……そんな母子のようすを、対面に座ってコーヒーを飲むバブは微笑みながら――しかし、距離感を感じさせもする表情で――眺めます。(この少し前のコマでは、バブは「ズズ」とひとり別の料理――コーヒーを飲んでいます)
オンボロ船で寄る食事
「#17」では、宇宙船モノらしく、船外活動とそこからの迷子が描かれますが、やはりここでも取り上げられるのは飲食物で、出したものを無駄にしないハイテク宇宙服がおしっこを飲料として回した結果バブが溺死・孤独死しそうになるドタバタ劇が楽しいです。
(オチで「あっ シートに 染みがっ」と漏らすホッパーの姿は、「シートが びしょびしょだ」と涙をうかべた「#1」の姿を思い起こさせます)
「#22」ではブッフェレストランでの一幕がえがかれます。いっしょに旅をする動物系宇宙人ホッパーの虫食的な郷土料理を見たバブは、「うっ おまっ」「これっ…」と絶句しますが、
いやよそう…
自国の料理を バカにされる 辛さを宇宙一 わかっているのは 我ら 英国人 なのだから
『バビロンまでは何光年?』kindle換算67%位置No.209中140(紙の印字でp.137)、「#22」第5コマ目より
と、それ以上の罵倒は避けます。前述「#5」での一幕とはえらい違いです。
(ここに限らず、ほかのエピソードでも人間が出来ていったことのが描かれていますね。昆虫型生命体・ケイ素生命体・人型生命体の3星人の候補から選んでひとりと懇ろになる「#1」、非ヒト型生命体2種と寝たのちヒト型宇宙人と懇ろになる「#2~3」ナノマシンで女体化し、7本ペニスのある宇宙人や少年型宇宙人と寝ようとするも寝られず、3人目と懇ろになった「#7」など、奔放な性生活が描かれた序盤に対して。
双子といっしょに旅することになった中盤「#15」では、家族らしいことをというバブの望みから訪れた動物園的施設で、2組の動物が繁殖しているさまを「見ちゃダメ!」と双子たちの目をふさぎ、もっと過激な3組目についても「これはダメっ」と再度目をふさぎました)
このエピソードは「フィッシュアンドチップス」をホッパーや自分の子供たちに紹介して終わります。(が、3人ともに難色を示されます)
で、なんやかんやあって「#最終話」幕引き、このコマの足元の看板に描かれているのは……という話をしようと思っていたのですが、再読したらそこよりも書きたいことができました。
バブと双子と食事
「#23」で四次元人から手紙を受けたバブは、子供たちを連れて招待さきを訪れます。
「コラ コラ 勝手に 食べちゃ…」
ずず
「美味しい」
「マナーも教えてやらないと」
『バビロンまでは何光年?』kindle換算71%位置No.209中147(紙の印字でp.144)、「#23」第2コマ~3コマ
「プレゼントも いっぱい」
「それは さすがに ダメ」「お行儀よく なさい」
『バビロンまでは何光年?』kindle換算71%位置No.209中148(紙の印字でp.145)、「#23」第1コマ~2コマ
褐色の男の子ヴィタが勝手に右手でスプーンですくってスープを飲むのでバブが右手を出して止め、色白の女の子アッカが勝手にプレゼントを開けようとするので、バブが後ろから制止します。
このバブと双子のシーンがぼくには、「#14」のカレルレンと双子によるシーンの父子版に思えて仕方ありません。
そしてさらに、ここで見せる双子の姿が、バブと似通って見えて仕方ない。
このシーン単体でも、引用したコマとコマの間には、
ちょぴ
「うん こりゃ 美味い!」
『バビロンまでは何光年?』kindle換算71%位置No.209中147(紙の印字でp.144)、「#23」第4コマ~5コマ
と、「勝手に食べちゃ…」と止めようとしたバブが指で味見してしまう(親失格、でも悪友のような、あるいは「この親にしてこの子あり」とヴィタとの似通いを見出せるような)シーンが描かれていますが。
他のエピソードと合わせて見てみると、「ずず」とスープを飲むヴィタの姿は「ズズ」とコーヒーを飲むバブみたいに見えますし。箱めがけて両手をのばすアッカの姿は、「#20」で訪れた"ゴミ惑星"にて劇中作『ふたりはプリッキャ』超限定フィギュアを両手でもって掲げるバブの姿が重なって見えます。
四次元人と双子と食事(四次元人のさずける楽しい事)
「#24」でアッカとヴィタの双子たちのまえに「君たち双子と 友達…いや 家族になりたいんだ」*19と現れた四次元人。
君らのパパ やな奴だよね パパらしい事 何もしないし
アイツと 旅してて 楽しい事なんて なかったろ?
『バビロンまでは何光年?』kindle換算73%位置No.209中152(紙の印字でp.149)、「#24」第2コマ
そうバブをけなした直後の四次元人がアッカとヴィタの双子たちにしてやるのが、「30億年前に絶滅したオピタカの実をジュースにしたもの」*20を飲ませることでした。
母からパフェ、父からフィッシュアンドチップス、四次元人からスープやジュースと、三者三様の食事が双子に振る舞われています。
オピタカジュースを飲んで双子は「おいしい」とつぶやきます。ただその顔は無表情でしたが。
旅の楽しい事とは?;瞬くネタのように
四次元人とバブとの親権あらそい、バブが父としてどうかという問題は、子供たちの抱擁と彼らのことばで解決を見せますが(出会った当初はバブに対して文字通り距離を置いていた双子――カレルレンの背に隠れしがみつき無言でにらんだ双子――の姿とのコントラストが見事です)、そこで述べられた言葉を読んでいるぼくがさらっと受け入れられてしまったのは、悪い意味で予定調和的な展開だからということではなくて、ここまでで十二分に描かれていたからなのかもしれません。
「パパと一緒に 旅するのは 楽しかった」
「いろんな所で いろんな物が見られたし」
「機関室の オイルの 匂いも」
「固いベッドも 今はすごく 懐かしい」
『バビロンまでは何光年?』kindle換算95%位置No.209中199(紙の印字でp.196)、「#最終話」第4コマ
機関室やベッドについては、「#23」のふかふかの布団*21と、「#15」の機関室の簡易の子供部屋*22とでセリフの上でもある程度触れられていました。
ではセリフの前半部――旅の楽しさとは?
やはりこれも、食べ物と結びついていたのではないかと思います。
『バビロンまでは何光年?』を再読して、ぼくは何てことない一コマに感動してしまいました。
「#18」で強制観光惑星ロイクマの星域へとウッカリ入ってしまった一行は、地元の珍味を食べるつもりもないのに食べて肥えに肥えてしまいます。(なぜそうなったかは、本編を読んでのお楽しみ。申し訳程度のネタバレ回避)
最初は「チビたちも喜ぶ」と乗り気だったバブも、観光が言葉とは裏腹にとてつもなく物騒であることがわかります。前述の食事もまたそうした物騒なイベントのうちの一つでした。
こどもたちに船で待っているよう伝えたバブらおなじみの3人が命からがら観光をこなし船に戻ると……
「… おかえりなさい」
ゲフ
『バビロンまでは何光年?』kindle換算50%位置No.209中105(紙の印字でp.102)、「#18」第5コマ
……肥えに肥えたふたりの姿が。
「#18」のこのオチは、次回ではもとの体型に戻っている程度にまったく何ら本筋に影響ない、軽いオチなわけですが、再読したらなんだか感動してしまいました。
母の手料理も、父の地元の料理も食べられなかった双子たちは、たしかにこの旅のなかで満足いくまで食べてもいたのです。
「おかえりなさい」
このあほみたいなオチのなかで何気なしにほうられた会話が、ゲフという汚いげっぷが、じつは今作において初めて双子からバブへと自発的に発せられた一言なんですよね。(動物園的施設でバブへそれぞれひとつずつ吐いてますが、これはバブに指図されての返事です)
終盤のあんなセリフが発せられるまえから彼らはとっくに友達いや家族で、だから驚きもせずにさらっと読めてしまったんだ、と思いました。
星の瞬きの ようで ロマンチック じゃないか
『バビロンまでは何光年?』kindle換算15%位置No.209中32(紙の印字でp.29)、「#5」第6コマ
回転ズシのへんてこギミックを説明した動物系宇宙人ホッパーは、へんてこさをそんな風にまとめます。(そしてこれも、意味深に言うようなコマではなくて、言ったと同時にバブのツッコミが入れられるような、その場で流されてしまうボケでしたが……)
ぼくにはその場限りの肥えに肥えた父子3人の一コマが、星や月のえがかれた即席子供部屋の布団カバーと同じかそれ以上に、輝いて見えたのでした。
更新履歴
2019/09/24 3時ごろ アップ。(全7500字くらい)
同日 10時ごろ 道満作品のなかで初読時からびびっときた作品とそうでなかった今作とがどこが違ってなぜそうなっているのかについて考えた部分が、説明不足なように思えたので書き足し、「(脱線)掌編時のキャッチーな面白さについて」「長編時の面白さについて」と区分けした。(全8400字くらい)
同日 昼ごろ 「オンボロ船で寄る食事」項で「#17」のエピソードについて書き足した。(全8800字くらい)
同日 昼ごろ 「(脱線)掌編時のキャッチーな面白さについて」「長編時の面白さについて」のレトリックを食事関係で整えた。(全9700字くらい)
同日 昼過ぎ 味覚についてウンチクを足した。(全1万字くらい)
2020/08/26 『幼年期の終り』でカレルレンの地球にもたらしたことを追記する(全12000字くらい)
*1:「ということは現状がベストでは?」そうかも……。
*2:円城氏は読書メーターにて『ニッケルオデオン【赤】』へ「素晴らしいので他の人には教えない。」、『ニッケルオデオン【青】』へ「奇跡じみている。」とコメントをつけています。
*3:講談社刊(講談社ブルーバックス)、佐藤成美著『「おいしさ」の科学 素材の秘密・味わいを生み出す技術』kindle換算4%位置No.2324中69、第一章「おいしさとは何か」中「味はシグナル」参照。
*4:『「おいしさ」の科学 素材の秘密・味わいを生み出す技術』kindle換算4%位置No.2324中74、第一章「おいしさとは何か」中「味はシグナル」参照
*5:(2023/04/07追記)そもそもコピ・ルアクは、「動物のフン」だけど「(ジャコウネコが食べたけど、わりと原型のこしたまま排泄した)フン化したコーヒー豆」なので、この話では正しくない例か?
*6:そもそも、『ニッケルオデオン』でさえ、掌編のキャッチーな面白さの奥で、各掌編をまたいで通底する隠し味というかトーンというかがうかがえそうな底知れなさがあり、それが幕引きの掌編をより味わい深く際立たせているように思えました。
*7:『「おいしさ」の科学 素材の秘密・味わいを生み出す技術』kindle換算13%位置No.2324中292、第三章「おいしさの素を知る」中「だし うま味とは」参照
*8:KADOKAWA刊(角川書店単行本)、チャールズ・スペンス著『「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実』8%位置no.4584中347、「第一章 味」より引用。
*9:以下、白字→『悪魔のいる天国』所収の『愛の通信』←白字ここまで
*10:早川書房刊(ハヤカワ文庫SF)、アーサー・C・クラーク著『幼年期の終り』kindle版30%(位置No.5356中 1583)、「第二部 黄金時代」6より
*11:アーサー・C・クラーク著『幼年期の終り』kindle版30%(位置No.5356中 1583)、「第二部 黄金時代」6より
*12:アーサー・C・クラーク著『幼年期の終り』kindle版30%(位置No.5356中 1590)、「第二部 黄金時代」6より
*13:アーサー・C・クラーク著『幼年期の終り』kindle版7%(位置No.5356中 352)、「第一部 地球と上帝たち」2より。
*14:アーサー・C・クラーク著『幼年期の終り』kindle版31%(位置No.5356中 1617)、「第二部 黄金時代」6より
*15:アーサー・C・クラーク著『幼年期の終り』kindle版31%(位置No.5356中 1625)、「第二部 黄金時代」6より
*16:秋田書店刊(ヤングチャンピオン烈コミックス)、道満晴明著『バビロンまでは何光年?』kindle換算13%位置No.209中27(紙の印字でp.24)、「#4」第1コマ
*17:『バビロンまでは何光年?』kindle換算26%位置No.209中54(紙の印字でp.51)
*18:『バビロンまでは何光年?』kindle換算33%位置No.209中68(紙の印字でp.65)第4コマ
*19:『バビロンまでは何光年?』kindle換算73%位置No.209中150(紙の印字でp.147)、「#24」第4コマ
*20:『バビロンまでは何光年?』kindle換算73%位置No.209中153(紙の印字でp.150)、「#24」第1コマ
*21:『バビロンまでは何光年?』kindle換算71%位置No.209中149(紙の印字でp.146)、「#24」第2コマ
*22:『バビロンまでは何光年?』kindle換算46%位置No.209中97(紙の印字でp.94)、「#15」第2コマ~