すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2020/06/22~06/28

 こんにちは~だいぶ雨がちな週でしたね、このブログは日記以外の記事について日照りがつづいてますね……。

 日記です。1万8千字⇒2万1千字くらい。『全てのアイドルが~』『香港ルーフトップ』を読んだ週。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0622(月)

 ■見たもの■

  vtuber『復活の咎人コラボ』『咎人最強の男を決める配信』リアタイ視聴しました。

youtu.be

www.youtube.com

 いちから社の運営するバーチャルYoutuberグループにじさんじに所属する男子剣道部高校生vtuber剣持刀也さんと稲荷系大学生vtuber伏見ガクさんのオフコラボ配信をリアタイ視聴しました。

 二人の愛称である咎人は、「けんもちうや」と「ふしみく」で「とがびと」という語呂合わせですね。ふたりの邪気眼感も加味されたものと思われる。

 ふたりの都合が合わず、このご時世なのもあってひさびさとなった(120日ぶりらしい)オフコラボ配信は、配信準備画面からしてエモいイラストとエモい音楽で、「どうなってしまうんだ?」と逆に心配しましたが、これまでどおりワチャワチャ楽しい配信でしたね。

 前半ではアクションゲー『HEAVE HO』、後半ではRTS『Totally Accurate Battle Simulator』をプレイされていました。

 vtuberの定番ゲーとなった印象がある『Super bunny men』を知ったのも剣持&伏見コラボ実況プレイ配信からでしたが、今回もあまり見かけないゲームを発掘してきてますね。

(「vtuber heave ho」で雑にツイート検索かけたくらいだと、ホロライブ4期生のかたがたがやったくらいしかわからない)

 『HH』も『SBM』的なアクションゲーで、ええ感じに面白かったです。

 後半の動画にかんしては、こまかくタイムスタンプを記録してくれた麦鎧鑪さんのコメントが参考になります。(自分用にタイムスタンプめもっていたけど、このかたのコメントがあればすべてが事足りたので途中で投げました)

 試合の区切りだけじゃなくって、第7戦のとんでもない距離を跳んで一撃をきめたミノタウロスをアップでフォーカスしたところ、偶然にも顔つきまでガンギマっていて「こいつやばすぎる」となる場面やら、

「ダヴィンチ強すぎるんで禁止カードにします?」「オッケオッケw」

 あたりの遊びあるあるが楽しいところなど見所がきっちりピックアップされていてとても嬉しい。

 

前編

 4:15~配信開始

 7:08~二人の名乗り口上を決める

 14:51~『HEAVE HO』タイトル画面

 20:40~本編プレイ開始

 27:30~最初からやり直し

後編

 ●動画ページのコメント欄ですでに詳しく網羅されていたので、途中でメモほっぽりました●

 4:29~配信開始

 12:26~『Totally Accurate Battle Simulator』タイトル画面 13:03~ゲーム説明も兼ねた練習試合

 17:18~対決プレイ開始(コスト3000) 20:20~第2戦

 23:05~第3戦(コスト1万) 25:09~第4戦 28:49~第5戦

 30:20~第6戦(コスト5000)

 33:00~第7戦(コスト1万) 36:00~第8戦(ダヴィンチの戦車登場)

 

0623(火)

 『小説すばる』が届いたので読みました。

 Amazonでは売り切れだったので、hmv通販サイトを見たところ、在庫ありの表示が。「カートに入れる」をクリックするとしかし、「在庫なし」と出てきてカートに入らない。

 商品ページに戻ると在庫ありの表示と「カートに入れる」ボタンがある。クリックすると在庫なしでカートに入らない。

 ……げんざいのページのように、「購入不可」と出て「カートに入れる」ボタン自体がなくなったページに遭遇したことはあったんですが、売り切れ直前直後だとこうなるのか、と面白かったです。

(※けっきょくAmazonの割高古書を買いました。ぐや゛じい゛)

www.hmv.co.jp

(hmvの商品ページが7月号になっているのも面白い)

 

 ■読んだもの■

  伴名練著『全てのアイドルが老いない世界』読書メモ

 それは何ですか;伴名練氏による中編小説です。『小説すばる』2020年6・7月合併号p.148~183掲載。

 序盤のあらすじ;

 二人の少女が歌っている。

 王貞治が756号本塁打を記録したばかりの後楽園球場に設置されたおとぎ話の城めいたステージと花道。十時半という闇の世界で、投光機に照らされた真紅と群青のドレスが光を孕んで、一挙手一投足の軌跡を、虚空に刻んでいた。二人のパフォーマンスは二十一世紀のものに比べれば速くも激しくもない、コードが邪魔な有線マイクを手にしたままではターンさえままならないから。それでも観客は魅了され法被姿の親衛隊は次々倒れ、意識を取り戻せばよろよろと立ち上がる。

 二十曲以上が終わって歓声と拍手に包まれた舞台は、『今日は、皆さんに大切なお知らせがあります』アイドルの言葉に静まって(ビデオテープの映像越しでさえ場の気温が二度くらい下がったがわかる)、『私たちが二人でステージに立つのは今日が最後です』悲鳴と困惑の声に変わった。

 『私――普通の人類に戻ります』

 読んでみた感想;

 宇宙戦や小惑星帯をとりまく悲しき古臭いお約束と同じように、現実世界の古臭い慣例がSFに持ち込まれたりもします。作り手がじぶんたちの当然を事実だときめてかかって疑問をはさまなければ、いつだってそんな事態が起こるんです。

Similar to the sad baggage surrounding space battles and asteroid belts, we carry real world baggage with us into SF. It happens whenever we fail to question our assumptions.

 こんどSFを読むとき、登場人物が健康的なワーク・ライフ・バランスを送れているかどうか気にしてみて下さい。いや、正確をきせば:職業とよばれているものってなんでしょうか、脱希少性惑星間未来世界のなかでどう機能するものでしょうか? この炭素エネルギー経済の副作用がなぜポスト気候変動世界を目詰まりさせているのでしょうか? 有給職業という、労働をお金で返してもらう形をとった個人の寿命を第三者へ切り分ける個人間オークションの、歴史的な経緯はどこにありますか? ポストヒューマンの寿命による社会構造とはどんなものでしょう? 平均寿命が200歳の世界でさまざまな世代のひとが行動する場合の医学的人口統計学的制約はなんでしょうか? どうしてジェンダーが? 子供時代の世界とはどこのことですか?

Next time you read a a work of SF ask yourself whether the protagonists have a healthy work/life balance. No, really: what is this thing called a job, and what is it doing in my post-scarcity interplanetary future? Why is this side-effect of carbon energy economics clogging up my post-climate-change world? Where does the concept of a paid occupation whereby individuals auction some portion of their lifespan to third parties as labour in return for money come from historically? What is the social structure of a posthuman lifespan? What are the medical and demographic constraints upon what we do at different ages if our average life expectancy is 200? Why is gender? Where is the world of childhood?

   チャールズ・ストロス氏のblog『Charlie's Diary』2018年2月6日記事Why I barely read SF these daysより{日本語訳は引用者による(英検3級)}

 ポスト・サイバーパンクSFでしたね(クソ雑言及)

 

 ちゃんとしたSF的な面白味については、よきSFオタ兄貴姉貴が語ってくれることでしょう。

 アイドル小説としての面白味についても、よきドルオタ兄貴姉貴が語ってくれることでしょう。 

 以下は自分の関心事にしか引き寄せられないダメなオタクの感想だよ。

 

 いつもどおり面白かったしうまかった!

 伴名氏の旧作『なめ、敵』のように、いつか長い感想を挙げられるかもしれないし出来ないかもしれない。そういう旨味が今作にもまた詰まってます。

 劇中あつかわれるトピックは、アイドルは存じ上げないもののvtuberをそれなりに見ている(がそれなりに追えてない)者として、「うんうん」とか「なるほど!」とか「そんな方向性もあるか……」とか思いました。(このブログの文章で関心がかなさるようなものは、過去の日記「ファンチかも。増えた配信時間・配信者数を、関係性萌えオタクがどこまで追えるか?」とかかな)

 

 序盤に置かれた新人アイドルトリオとのクロストークは、なかなかの虚無でとても良かったですね。

 『KANA-DERO』の彼岸を覚えているか?

 といきなり言われたところでそもそも観てないひとのほうが大半でしょう。

 アイドルのことは存じ上げないのでvtuberの話になってしまうんですけど、ZEPP OSAKAでおこなわれた樋口楓ソロライブ『KANA-DERO』。

 オタクたちが泣くほど感情をゆさぶられたあのライブについて、たまたま見学にきたランティスのプロデューサーは「なぜファンのかたがたはそこまで……」という具合に困惑したそうなんですがランティスPのいだいたものを、創作として演出するとこうなるのかな、とか思いました。

〔またvtuber話で恐縮なんですが……もっと下準備したうえで相手を掘り下げている(掘り下げ合っている)のが聞いててわかる、実りあるトークっていっぱいあるし{※1}。

 準備したけど歯がゆい・でも相手への上辺だけじゃない尊重が覗けて心地よいみたいなトークはさらにいっぱいあるんで{※2}、虚無感が強調された場面だなぁと思う。

{※1

 たとえば、すでにふれた樋口楓&ランティス社のプロデューサーらとの鼎談配信は、彼女のメジャーデビューCD『MARBLE』制作についてのある種のタイアップでしたが。

 漫画的なキャラをかぶったvtuberとアニメ・アニソン界隈という同じようで意外と異なるオタクの細部が取り上げられ、ファンが(配信の時事やらを埋め込みつつ)つくった曲を配信者自身が歌うvtuber界隈とプロのアイドル歌手とのちがい、youtuberとメジャーレーベルの活動の違い、vtuberをどのようにライブや音楽売買させていくのか(ほかの歌手・アイドルであれば地方ドサ回りとか音楽ショップで手売りをさせたりするが、vtuberはどうすれば?)~などについてメジャーレーベルのかたの視点が聞けるという、きょうみぶかい内容だったと思いますし。

 その第2弾『【#でらんてぃす】樋口楓”MARBLE”制作裏ばなし!BIGゲストもいるよ!【にじさんじ】』もまた、『ドラゴンボール』主題歌など数々のアニソンでおなじみ大ベテラン影山ヒロノブ氏をゲストに迎え、

「長く歌手活動を(しかもシャウト系を)していける秘訣とはなんでしょう?」やら

「(影山さん自身が著された)本でこの分野について苦労をこう書かれてましたが今は出来てらっしゃいますよね、現在に至るまでにどんな努力をされましたか?」という感じに本に書かれてないその先の空白部分に光を当てたりやらを、新人歌手・樋口楓が聞き出しているわけですよ。(そして影山さんの回答がまた、歴戦のロッカー/芸能活動者という感じでかっこいい)}

{※2

 歯がゆいものだと、このブログに見た感想を書いたなかだと、『vtuber/声優『A&G TRIBAL RADIOエジソン』月ノ美兎委員長出演回』とかがそう}

 また、うえで挙げたファンチ{=ファンのようなアンチ}日記に書いたような、"内輪だけが知ってるワンフレーズ"みたいなものもほぼなくて{のちのち重みを持ってくるような、高齢主人公への高齢煽りはあるけれど}、なおさら空虚さがつよい

 

 ライブシーンは、過去の日記にも書いた『にじさんじShout in the Rainbow!!最終回 追加難波公演』で「うぉおこんなこともできるのか!」とビックリ感動したような部分{天界から子犬(リスナー)たちと交信している女神という設定のvtuberモイラ様が、上手下手(ステージの左右)じゃなくてマジの上手=ステージの高所から地上へ降り立つ。/さよなら絶望先生』からの一曲で、開幕vtuberがブラブラ首吊り死体となって現れ、別のvtuberによって綱を切られて地面に落ちてゾンビか人形のように立ち上がるや「『KANA-DERO』からそう場数をかさねてないのに、より極まってきたな……」と感動した物語性が、当然のように取り込まれていましたねぇ。シンクロニシティ

 登壇からキッチリ考えられたショーはつよい。(食用菊p.156からの黄信号p.157からの二曲目p.181な)

 

(略)夜通しあなたの目覚めを待ち続けた私が眠りに落ちている、という塩梅で。全部録画してWEBに流しましょう」

   集英社刊、『小説すばる』2020年6・7月合併号p.174中段11~14行、伴名練著「全てのアイドルが老いない世界」(略・太字強調は引用者による)

宮澤 これをコンテンツとみなしていいのか、という怖さもそもそもあり……。剥き出しで提示される生の“感情”を目の当たりにするうちに、キャラとしてのロールプレイと、魂から漏れ出る「素」の区別がどんどんつかなくなって……。nmmn歴の長いアイドルオタクの方たちから言わせれば何を今さら、と思われる部分もあるかもしれません。しかしですね、イベント当日にホテルで「お泊り配信」とか言って2人の生活音を聞かせてくることなんてどんなアイドルにもないと思うんですよ!

   note掲載、Hayakawa Books & Magazines(β)『百合が俺を人間にしてくれた――宮澤伊織インタビュー』

 SFのことも文学のことも存じ上げないのでやっぱりvtuberの話をします。

 作家の宮澤伊織さんに声がよく似ているらしいバーチャルワオキツネザルのワオが、現代の百合作品について概観した配信を『なめらかな世界と、その敵』をもじって、『なめらかな関係性と、その敵』と題して行なっていました。

www.youtube.com

 古代キマシタワー文明の廃墟でワオは、「関係」「関係性」とのちがいを、関係から関係性への変化を、「営業」「本物」とのちがいを、変遷の重要性を、「営業」や「本物」という一言=静的で固定された、関係だけではいいあらわせない移り変わり=動的で複雑な、関係性の面白さを説いてくれました。

 

 そこへ伴名氏が、現代アイドルの――人物間の「関係性」について自覚的に言及し、どのように自分(たち)を売り出していくかさえ概観するひとびとの――物語を、コンビとして活動し後楽園球場をファンで埋めつくすも解散、その後70年間ずっとソロ活動をしてきたアイドルの物語をくりだしてきた。

 オフの日はビデオテープ時代のライブを何度も何度も反芻し、現在の時制/新人アイドルとトークする仕事においてもなお、その最中ではなく、トークを「採録した」記録のチェックという「過去を見る行為」にしかならない*1キャラを主人公にした物語をくりだしてきた。

 

 ……伴名氏はすでに『ゼロ年代の臨界点』や『ひかりより速く、ゆるやかに』などで存分にビブリオジョッキーぶりを輝かせてきていましたが、短編集出版によってか一躍、発信も受信も頻繁な表舞台へ乗ったことで、ここにきて氏のフリースタイルバトラーとしての才覚が見えてきましたね。今後の活動もより一層たのしみです。

{というか、他作もそのときどきの何某かにたいしてなんらかのアレがあったのかもしれませんが、その当時のシーンについて知らないために、その勘所がぼくにわからないだけなのかも。

 どなたかその辺フォローアップしてくれるとありがたいんですけどね

(『ゼロ臨』については、あれだけ感想を長々書いたけど、タイトル元ネタだろう『ゼロ年代の想像力』とか『美少女ゲームの臨界点』とか読み返してない/読んでないし、あの時代の現代思想サブカル論壇は食わず嫌いしてきたので、きちんとした認識がぼくにはないんですよね……)

 

 『KANA-DERO』の彼岸を覚えているか、あるいはサンマの跳ねた夜の街を?

 と言われたところで、そもそも観てないvtuberファンのほうが大半でしょう。

 vtuberグループにじさんじに所属する遠北千南さんと矢車りねさんとの最後のコラボ生配信であった『事故物件』実況プレイ配信、『【事故物件】俺たち、一緒に住めないのかな【ヒモと財布】』を観たぼくは、『KANA-DERO』に幻視した幕引きとはちがうけど、あれくらいに素晴らしい幕引きというのは他にもあるんだ、ということを知りました。

  しかし改めて振り返ってみると、当時のじぶんが思ったほどには、わきあがった感情に違いがない。

 委員長が去ったあとは、樋口楓がひとりで歌いつづけることになる。
 ハモりなどは無くなるわけで、単純にそこで鳴る音楽的にはシンプルになる。
 なるんだけど、むしろここからが豊かに奏でられる本番だった。

 ひとりになってから歌われる彼女の曲(『楓色の日々、染まる季節』)が、『God knows...』をやわらかくしたようなイントロで、(別にパクリだとかなんだ言いたいわけでなく)配置関係から勝手にドラマを見出してしまった。
 でろーんはたったひとりで歌っているんだけど、そうじゃなくて、過去のいろんな出会いをふまえたうえで舞台に立っている――そんなドラマを幻視してしまった。


 さっきしずりんが見せたみたいに着替えをして。

 さっき制服の委員長が「なんか私とバラバラで違和感ありますね」みたいなことを言った私服から、制服に着替えて。

 さっきえるえるがアレコレ指揮していたようにサイリウムリアクションを、率先して指示して。

 そんな風にして、でろーんは歌っていた。

   ブログ過去記事『きれいなガワの向こう側へ;『KANA-DERO』感想

でも、遠北さんの人生はこれからも続いていくし、矢車さん達との付き合いだってきっとずっと続いていく。そんな夢がたしかに見られる素敵な町で夜でした。

    ブログ過去記事『日記;2020/03/31~04/6』「vtuber『【事故物件】俺たち、一緒に住めないのかな【ヒモと財布】』を観ました。

 どちらも、"これまであったものが消えたとしても何らかのかたちで続いていくこと"への好感がわきあがっています。それって結局、終わりにたいする拒否感なのではないか。

 そんなことに気づかされた『全てのアイドルが老いない世界』の中盤と幕引きでした。

 それは『KANA-DERO』とも『【事故物件】俺たち、一緒に住めないのかな【ヒモと財布】』ともちがう幕引きだけど、でも、あれらくらいに素晴らしい幕引きは他にもあるんだということを知りました。

 こんどこそ本当にちがうもの。でも本当に素晴らしいもの。

 

◆◆◆

 

 あと、これは(これも)自分のことで、「作品の着想元はなにか?」とかそういう話ではありませんが……。

 ぼくがほかのところで関心をいくばくか持っていたことにたいして、「なるほどこういうことか」と気づきが得られて、そういう意味でも読めて良かったです。

 『天国大魔境』を最近たのしんだ関係で、『全てのアイドルが~』を読んでぼくは、1巻発売時になされた石黒正数氏のインタビューのことをちょっと思い出したりしました。

うーん、例えるなら……。そうだな、シャッター商店街の話を描こうとして「ネット通販に客を取られてもうやっていけないし、店を閉めよう」っていう内容にしちゃってました。要は言いたいことをそのまんま描いてしまっていたわけです。のちに「それでも町は廻っている」で同じテーマを扱ったんですけど、そのときは商店街の近所で育った女子高生の立場から、お店が1つ潰れるってことに対する身勝手な感想と現実というふうに、全然違うアプローチの仕方ができました。

   コミックナタリー掲載、『「天国大魔境」特集 石黒正数インタビュー』より

  ここで石黒先生が気にされているのは、「物語の醍醐味」「事をどうるか」ということなんだと思うんですよね。

 この日記のさいしょに引用した円城塔氏は、その5年後の夏、サイバーパンクの書記長ブルース・スターリングにより想像された不死の世界について、スターリングが予想できなかった余白をひとつ具体的に指摘します。2019年8月16日、全然関係ないですけどそれは伴名氏の短編集『なめらかな世界と、その敵』が発売される4日まえのツイートでした。

 つぶやきを読んでから「なるほど」とポンと手をたたいたものの、じぶんでそこから考えてみることなく頭の片隅に追いやった円城氏のそのつぶやきを、『全てのアイドルが~』(=『小説すばる』2020年6・7月合併号p.176)読書中に思い出しました。

 物語ってこういうことなんだと思いましたね。(雑でも何でもなく、ただただしみじみそう思いました)

 

 

 ■社会のこと■ネット徘徊■

  「批判文化が日本を技術後進国に」の裏にあったかもしれない権威主義/批判されたのは有象無象の集合知

 クサい話をします。

 

 下記の記事がバズっていました。文中ではもっとダイレクトに「「批判」の文化がすべてをぶち壊しにする」「アプリをリリースした人に降りかかった地獄」といった文言もありますが、「そう言うのも納得だな……」というくらいに強い罵倒が批判者からとんでいたようですね。

 別件ですが、ぼくはふだん野次馬してばかりのゲスであり、かんたんにひとを見下して冷笑しがちな悪癖がある人間なので、「ぼくもそんな地獄をつくってる一員だな……」と反省しました。

驚愕のド素人の開発だったことが判明」と言われたりとか。そりゃあ心折れますわ。

(いやぼくは機械オンチなので、リリース当初にあったという「iOS版で初回起動したときにBluetoothへのアクセスを許可していなかった場合、アプリを二度と起動できなくなる(次回起動時にアクセス許可をオンしてもダメ)」ことがいかほどの不備か分かりませんが……)}

simplearchitect.hatenablog.com

 なるほどそんな悲劇がと記事を読み、ついでにはてブを読んで、このツイートを知り……

 ……さらに上の記事で擁護されたアプリが生まれた背景(の一説)を、日経新聞記事で知りました。

www.nikkei.com

当初は内閣官房が調整を進め、4月に一般社団法人「コード・フォー・ジャパン(CFJ)」などにアプリ作成を任せる方針を出した。だがその後、アップルとグーグルが「アプリ提供は保健当局に限る」などの条件を示し、政府は「想定と違う」と困惑。担当も厚生労働省に移って「大企業のほうが安心だ」との意見が強まり、5月に、マイクロソフトの技術者らのチームにアプリ開発を依頼するよう方針転換した。

    『出遅れた接触アプリ 企業選定迷走「失われた1カ月」 マイクロソフトなど開発』 2020/6/16付日本経済新聞 朝刊(太字強調は引用者による)

 この日経新聞記事には筆が走った文章もあるようです。

 ただ、『メソッド屋のブログ』さんの記事やそこで「最も真実に近い」とリンクがはられた『ビジネスインサイダー』の記事(「アプリ開発をマイクロソフトという企業が請け負った」案件ではない」)も、厚生労働省加藤大臣が会見で発表した認識※「パーソルプロセス&テクノロジー株式会社に委託しております。同社に対しては私どもHER-SYSを既にお願いしているところでありますので、その追加開発に係る変更契約という形で、お願いしております。その下で、同社から日本マイクロソフト社とフィクサー社に対して、再委託がなされていると承知しております。」とは一部ことなるところが見られるようです。

(※この発言については、『#接触確認アプリ #COCOA の無償ボランティア開発美談は本当か?』で知りました)

〔個人的な雑な印象論ですけど。

 『メソッド屋のブログ』さんや『ビジネスインサイダー』記事で取材にこたえた開発者の認識はこれはこれで真実なのでは? と思います。

 御本人としてはボランティアでやってるつもりだったんでは? と。さいしょはほんとうに個人的にやっていたものが、{一国一アプリという例のあれによって}結果として国に認められるかたちになった……くらいなアレではと。*2

 ただし書きされた「マイクロソフトのスマホアプリ開発環境である「Xamarin」(ザマリン)で開発されており、サーバーとしても同社のAzureを使う。そのため、マイクロソフト関係者がコミュニティ支援に多く関わっている」との文章に違和感を覚えるひともいるかもしれませんが、特定の会社の開発環境なのだからその会社{で仕事をしたことがある}人が多くなるというだけの話におもえる。 

 『ビジネスインサイダー』の記事には、MS関係者の名前が上がりますが、ボランティアだからこそむしろ当然のことなのではないでしょうか。

 金銭が発生しないからこそ、それまで培ってきた信頼関係だとかが大事になるわけです。見ず知らずの赤の他人に無銭でなかなか頼めないし、{ぼくのような薄情な人間からすれば}力になろうとも思えないものです

 

 日経新聞6/16は誤報なのか?

 いやこれはこれで、ひとつの真実をとらえそうなのではないでしょうか。

 注目したいのは、マイクロソフトが実際仕事を請け負ったかどうかではありません*3。意思決定にさいしてそこを重視したひとがいる(だろう)ということです。

 最初の記事で「コロナの現状を見て、「自分が何か貢献できることは無いか?」と考えて、アプリ開発者である廣瀬さんが始めたことです。彼の会社の仕事とは一切関係ありません。」と説明されたことが身内擁護のウソだと言いたいわけじゃないですよ。

 日経6/16記事に書かれたような、

 事態の収拾にむけて手を挙げた善意のひとが複数いて、そしてそのうちのだれの仕事(アプリ)をえらぶかという段になって、仕事の中身よりも、仕事人の属性(作成者が所属するマイクロソフトという大企業)が重視された……

 ……というのも、それはそれでとってもありえそうだなぁとぼくは思いました。

 

   ▼同時期の権威主義ダーウィンも喜んでいる」

 過日も与党である自民党が、自分たちが推している改憲の正当性の主張として、ダーウィンが言ったとされているだけで全く別人が言ったことを、あたかもダーウィンが発見した科学的事実であるかのように・そして社会へ当てはめられるかのように濫用していました。

news.yahoo.co.jp

 

   ▼3月5月のOSSを利用したCOVID-19特設サイトへの批判と反響

 そういう観点から振り返ってみると、この選択にはもう一つの批判が背景にあったのでは? ……なんて風に思えてきました。

togetter.co

菅野完 @noiepoie そういえば、大阪府コロナウイルス特設サイトって、東京都の完全パクリなんよねw pic.twitter.com/FHiXjuW3bJ

2020-05-06 07:28:58

   https://twitter.com/noiepoie/status/1257799474644164612

 東京都がだれでも利用可能なオープンソースソフトウェアとして公開した情報をもとに福井県の高校生が立ち上げたサイトや、おなじOSSを利用した大阪府(Code for Osakaの協力を得て立ち上げた)サイトに対して、識者から「パクリだ」なんだと強い批判が寄せられたこと(そしてそれについて「パクリだ」と言った人へさらなる批判が寄せられた=炎上したこと)、みなさん覚えてらっしゃるでしょうか。

 

 無知なぼくは「OSSってなに?」「なんで"パクリだ"と言うとそんな怒られるんだろう?」という感じだったんですが、それについては、こちらのnote記事が勉強になりました。(内容は穏当。OSSを知らない人をたたくような内容ではありません)

note.com

 

 OSSを知らない識者(とその炎上)に対して、OSSを知ってるITの識者による解説記事ですね。100以上のブックマークをあつめたりもしました。

 また、菅野さんの「パクリ」発言については、ブックマークはつけられていないですが、togetterではこういうまとめ記事もつくられていました。(こちらは不穏)

togetter.com

togetter.com

 

 ただ、上の穏当な記事と下の不穏な記事どちらにも共通するふしぎな点として、うえで引用した菅野さんはつづけてこうツイートもしており……

菅野完 @noiepoie 東京都のコロナウイルス特設サイトをパクった大阪府ではあるが、サイドバーのメニュー構成みたら、「ああ、吉村知事は、本気じゃないな」ってのがわかる構成になってるのがおもろいw 下衆さはこういうところに出るpic.twitter.com/HSj0HOs7hm

2020-05-06 07:37:18

   https://twitter.com/noiepoie/status/1257801571225591808

  ……つまり菅野さんのつよい罵りには、サイトデザインの「パクリ」だけでなく、東京と大阪というふたつのサイトでコロナ対策や情報提示でなにが削られなにが加えられていたかtwippleあたりを見ると、住民・事業者向けメニューでなく「知事からのメッセージ」を入れたりしていたこと)の批判もあったようなんですが、そこについて上のnote記事やtogetterの記事はノータッチか過少視されているんですよね。

 ここには、「OSSを知らないひと」や「元しばき隊」や「菅野さん」というガワ・属性だけを見て、中身(かれの言った批判の詳細)を見ないふるまいがある。

 

   ▼ガワだけ見て中身を見ない

 高校生やCode for Osakaの活動やらが批判にさらされたOSSという中身を知らないひとから、ガワだけで「プロの/東京のパクリだ」と指弾された)のと。

 それについて批判したひとへの反響として、さらなる批判や、批判ではないにせよそれを話の枕にしたリアクションがなされた(「OSSという中身を知らないひと」「元しばき隊」「菅野完」というガワだけで取り上げられ、そのひとが何を言ったのか中身についてはスルー)のと。

 今回のいくつか同時進行していたオープンソースでの共同作業のなかから一つをえらぶ段になって大企業(出身者)が重視された(らしい)こと。

 ……どれもわりとこう、根をおなじくするものであったりしないでしょうか。

 

 

 この項でぼくが問題視した部分が、世の中的に正しいかどうかはわかりません。実態としてぜんぜん違っていたり別問題かもしれない。

 しかし、これはぼく自身の問題としてしっかり考えていかねばならないことだと思いました。自分自身の問題に取り組むうえで良い契機となりました。

 ここをぼくがきちんと考えられるかどうかでうんこを漏らすか漏らさないかが変わってくるのです、ということで次項。トイレで小便をする夢を見るとほぼ寝小便を垂らしてしまう31歳が、ついにうんこを漏らす夢を見た話。

 

 ■けさ見た夢■

  大便をする夢

 珍しいことに夢だと自覚できた夢で、内容というのは大のほうを漏らすというものだった。

 明確に便意をいだき、夢見ているぼくは必死に出さないよう頑張るのだが、内臓はそんなぼくの意思をあざわらうかのように蠕動する。

 夢のそとの実際のじぶんが(=仰向けになったじぶん)が接するベッドと尻にあいだに第三者があらわれ、徐々に嵩を増していくような体感があった。

 

 寝小便を垂れるとき、ぼくは意識受動態仮説をつよく信じる。じぶんが「手を動かそう」と意識するまえ――平均およそ0.5秒まえ――から、脳に手を動かすための準備電位が生まれていることをたしかめた、ベンジャミン・リベットの実験などを論拠とする説だ。「わたし」がそう動こうと思うまえから脳はそう動こうとしている……とすれば「わたし」という意識は、自分の身体が動いたことにそれらしいつじつまを合わせているだけなのではないか? とかなんかそんなやつだ。

 リベットじゃないしうろ覚えだけど、こういう実験もあるらしい。なんでも、店にならべられた商品を客が買うとき、ある条件①ではAという商品がいちばん売れ、②ではB、③ではCがよく売れた。

 購入理由を聞いてみるとバラバラな答えが返ってきたが、その違いはどうして生まれたのか? 実はそれぞれ通路に近い側から①ABC、②BCA、③CABとならべかえただけで他に違いはない……つまり単にいちばん手に取りやすい位置にあったものがいちばん売れたというわけだ。

 しかしそのような理由をこたえるひとはいない。このもっともらしい理由を後からこねくりだした「わたし」とは一体? と興味ぶかい実験だ。

 

 ぼくにとってのトイレの夢と夢の外との典型例を書いてみよう。

 寝小便を垂れるとき、ぼくは夢のなかでもトイレに行って小便器で用を足している。

 じぶんがトイレの前にいると自覚できるや否や「これは夢だ」と夢のそとのぼくも自覚して、

 すぐさま膀胱を締めるのだが抵抗むなしく、

 ガンガンに漏らしてしまって目が覚める。

 

 これについて、①については小学生のときには気づいた。混沌におもえる状況に小学生のぼくは一定の法則を見いだせていた。

 ②~については中学生のときに段々とできるようになった。ただし小学生の時分とちがい遭遇は稀になったので、順応できる(③をできる)ようになるまで時間がかかった。

 ③は高校生のころには可能となった。

 ④については中高生の時分には「この歳にもなって……」ととてもショックを受けたが、今となっては粛々と処理するだけだ。

 

 たぶん、"トイレに行ったから尿意を解消する"という夢みる自分の認識とは裏腹に、おそらく夢のそとのぼくの第一手こそが尿の放出なのだろう。きっと、"トイレに行って用を足す"という夢は、唐突な現実をもっともらしく思えるよう夢のぼくがこねくりだした遡及的なファンタジーなのだ。

 成人男性の貯水量は多く、30を超えたおっさんの老廃物はとても臭い。

 しかし自律神経が失調すれば、どうあっても漏らすときは漏らすのだ。

 

 そうは思っていたけれど、あくまで小便のお話だ。よもや大までとは。

 寝小便はぼくに自由意志の不在を信じさせる一方で、ぼく自身の個の実存を実感させる福音でもあるかもしれない。

 寝便者として着実なキャリアアップを歩んでいる。

 モノに溢れ情報も飛び交いフェイクニュースでさえもが多量にあって、社会活動はほどよくモデル化され業務はマニュアル化され、人員は代替可能となっていっている現代社会で、個人がこれだけ確かな実感を得られるものはない

 だからタイラー・ダーデンは痛みを求めた。

 たぶんダイベンを求めるひともいる。

 

 それはそれとして30をこえたおっさんの老廃物は臭い。小便でさえとても臭い。ましてや大などしゃれにならない。

 寝小便と意識受動態仮説についてはじっさいかつて漏らしている最中に実感したことだが、現代社会に生きる個人の実存としての後者については事後諸葛亮だ。

 6月23日のぼくはただただ動揺していた。

 暑苦しい夜~早朝だったことを除いても、体全体にじっとりと嫌な汗をかんじる。

 いつも通り止まらないんだろうと思いつつ、それでも止まってくれと祈っていた。

 

 敗北感が充分にふくらんだところで、ようやく目が覚めて身体も起こせるようになり、ノータイムでトイレに行った。小便はこんもり出たが大便はでなかった。

 重みのある衣類は汗を吸って臀部にしっかり張り付いていただけで、意外なことにパンツにはシミ一つついていなかった。

 

 ここでぼくは、イーガンのエッセイの一節を思いだす。

 わたしが疑念を抱いているのは、かつてのわたしも含めて大勢の宗教の信者たちの体験した神秘主義的経験の核心が、それを覆うパッケージほどには重要ではないかもしれないということです:宇宙に目的があると信じることは、言い表しがたいほどの恐怖がわたしたちの歴史のなかに、そしてもっと些細なみじめさが日常生活のなかにあるにもかかわらず、終末には何ごとも最善に向かうだろうと約束してくれます。これは強力で魅力的な観念です;いちど掴んでしまったらもう手放すのは難しく、それを守るためにとにかく大規模な正当化を行なうひとだっていることでしょう。

 It would be absurd to over-generalise from my experience, but equally absurd to treat it as singular. Perhaps neurologists will eventually pin down a particular mechanism associated with the kind of religious practice I’ve described, but to me it seems equally likely that the mechanisms will be diverse. What I do suspect I once shared with a great many religious believers is not so much the core of mystical experience as the larger package that was wrapped around it: the belief that the universe has a purpose, and that despite the unspeakable horrors of our history and the smaller miseries of everyday life there is a promise that everything will be put right in the end. This is a powerful and appealing notion; once you have it in your grasp it’s hard to let go, and some of us will go to very great lengths to rationalise holding on to it.

   グレッグ・イーガン『Born Again,Briefly』より{日本語訳は引用者による(英検3級)}

  寝小便にさいしてぼくが信じた受動態仮説は――結末が幸福か破綻かという違いはあれども――イーガンが腐した宗教的教義なのではないか。

 トイレの夢を見てから夢のそとでの放尿を防げたことは、ごくごく稀ながらあるにはある

 ということはつまり、尿意→トイレの夢→排尿という因果関係どおりの順序でものごとは発生していて、寝小便をふせげないのは、じぶんの膀胱がゆるいだけなんじゃないか。

 それをぼくは科学的なジャーゴンを濫用することで(じぶんの弱さと無関係に)避けようのない必然であるものの箱に雑にほうりこんで否認しただけなのではないか。

 30を超えようが漏らすときは漏らす。

 でも抵抗は無意味じゃない。

 寝汗はいつのまにか下着から乾いて消えた。押し入れにかたづけられないままベッド脇においていた毛布が臀部あたりでまとまっていたのをどかして、ぼくはさわやかな気分で二度寝した。

 

 

0624(水)

 テキレボEXで頼んだ品物がとどきました。みなさまありがとうございました!

 ぼくはそういうことやったことないんで本当の大変さというのはわからないんですけど、そんなぼくでも、梱包漏れをふせぐためだろうチェック票だとか見てしまうと、慎重に丁寧にあれこれ色々と考えてくださったんだろうなというのが想像できました。

 本当おつかれさまでしたという感じです……。

 

 

0625(木)

 宿直日。

 

 

0626(金)

 宿直明け日。

 ■読んだもの■

  ルフィナ・ウー&ステファン・カナム著『香港ルーフトップ』読書メモ 

 それは何ですか;

 ルフィナ・ウー氏とステファン・カナム氏による、香港のコンクリートビルの屋上へ別個につくられた「無許可建築」、屋上住居を取材した本です。

 ウー氏はウォータールー大学で環境科学と建築学の学位を取得し、精華大学CCSEP客員研究員を務め、建築学の学士論文・修士論文でAIAメダル授賞。カナム氏との共同プロジェクトで2008年国際バウハウス賞3位受賞。

 カナム氏はドキュメンタリー作家。

 巻末には、帯を寄せた大山顕氏の解説のほか、香港大学の社会事業・社会行政学部准教授アーネスト・チュイ氏による『香港の屋上家屋:概論』p.246~259(本文は12ページで、p.258~9は出典)が掲載されています。

 読んでみた感想;

 屋上住居といえば聞こえはよいですが、建材はだいたい板金(トタン)・木材・煉瓦・プラスチックなどによる小屋で、隙間が至るところにあります。

 雨漏りがひどいせいでどの部屋も水浸しになるから、雨が降ると家人が泣き出してしまう家p.61。

 ……というのは想像がつくけれど、(断熱材などもちろんないために)少しでも熱の流入をふせごうとカーテンを閉めっぱなしにしている(それでも夏は蒸し風呂状態になる)家p.69などは、意外と考えがおよびませんでした。

 窓をふさいでしまった家p.53もあり、つぶした理由は泥棒が入られたためだと云います(2度目のことらしい)。これも意外と想像つかないことかもしれない。

 ただ、「そっかーキツいな」と思っていると、豪邸屋上家屋があらわれたりして想像を超えてきます。

 深水埗の12+1階建てのエレベーター付建物のうえに築かれたとある屋上家屋p.77~では、300平方メートル(=90.75坪=181.5畳)を2世帯だけが暮らしており、その屋上家屋は生活用・余暇用・屋外と三分され、生活スペースには浴場さえあり、自動マージャン卓のおかれた余暇スペースp.89にはエアコンに扇風機にととても快適そうです(「最大6台置けるスペースがある」と記されているが、6台所有しているのかどうかよくわからない。間取り図を見るに、2台は常設されているみたいだが)。収納箱や物干し綱がおかれた屋外空間はバスケットボールの試合すら可能な広さ。

 

 

 深水埗(1~3)、観塘(4)、大角咀(5)の3地区5つのコンクリートビルと、18組の家族の略歴が載せられています。(それぞれ3、3、2、3、7組が紹介)

 各ビルについてが各1ページで、そして住民各家庭のバックグラウンドと生活もまたそれぞれ1ページにまとめられ、各住居ひとつひとつの図面(真上からみた間取り図/ビルと当該家屋とをうつした、縦横高さがわかる等角投影図)とそして内装・外観の敷地面積が掲載されています。

 

「九龍城を見たかった人たちへ贈る」

 帯にはその文句がデカデカと載っていますが、グレッグ・ジラード&イアン・ランボット『九龍城探訪 魔窟で暮らす人々』で記されていたみたいな、そこだけで全てが完結しうる一つの町であるかのような空間を期待して読むと「違うものが出てきたな」と思われるかと。

 『九龍城探訪』では、製麺業に肉加工業、カフェ、ゴム加工業・定規製造・ゴルフボール製造、理容師、救世軍幼稚園・牧師、歯科医・漢方医・医師、警察、電気工事兼エンジニア・水の供給担当……とさまざまな人と仕事が取材されていたわけですが、『香港ルーフトップ』は住居一択

 住居だけだからこそ、それぞれのひとがなにを家に置くか、各人の色が強く出ています。

 便意はビルのちかくの公衆トイレまで行かねばならない屋上家屋にすむ中年女性p.35は、デトックス作用があるコンピュータ制御のスパヘッドを居間の中心に置き、それをそのときどきで収納棚やテーブルとして兼用する。

 パキスタンからの労働者p.231は巨大なパラボラアンテナで母国語のTV番組を見る。別のパキスタン人p.237は、以前は共同住宅で暮らしていたが静けさをもとめて屋上住宅へ移住したんだとか。

 また、屋上家屋の下のビルそれぞれの違いも面白い。

 広東式ショップハウス(一階が商店で上階が住居の建物)、11階建てだがエレベーターのない昔ながらな中国式共同住宅(唐楼)、12階建てで比較的あたらしい西洋式共同住宅(洋楼)、工場地帯で人口過密地区の横にながい建物など、さまざま出てきます。

 

 チュイ氏の概論はちょっと読んだかんじ興味深い。

 大山氏のものも、日本の屋上家屋についてお話しされていて{日本におけるイメージ=『美味しんぼ』主人公の山岡ハウスと、現実・現代にあるモノについて大山氏が知ってる例を。(どう借りるの? 誰が借りるの?)}、なかなか面白かったです。 

 

 

0627(土)

 ■読んだもの■

  『チェンソーマン』75話

 ずらっと並ぶ人名の羅列という点で、2016年は恐怖表現として『ザ・カルテル(4月23日邦訳版出版)と『君の名は。(8月26日日本公開)、福音として片渕須直監督版『この世界の片隅に(11月12日日本公開)クラウドファンディング者クレジットと、とてもアツい年だったんだなぁと思いました。

 こうした演出では、『捕虜大隊シュトラフバット』(2004年)もすごいと聞きます。

ちなみに最終話のエンディングロールでは赤軍に存在したすべての懲罰大隊のリストが紹介され、それが画面に収まりきらない、という有様には見ていてちょっとぞっとした。

   佐藤哲也『大蟻食の亭主の繰り言』「映画のこと」内『捕虜大隊シュトラフバット』レビューより

 エレム・クリモフ監督『ロマノフ王朝の最期』でも、画面いっぱいに人名がずらりという場面がありましたね。(第一部01:03:08~)

www.youtube.com

(写真撮影の音がこわい。これが第二部(0:40:49~)での、「紳士の皆様こちらを振り向いてください、歴史のために」と記者に声をかけられた要人が一斉にふりむき写真を撮られ、お歴々から地に並んだ戦死者や収容所囚人たちの集合写真を延々つなげたスライドショー場面への前奏なのでしょうね)

 ほかにも(第一部0:27:37~)、宗教関係の行進をうつしたモノクロ記録フッテージ映像のうえに、各戦争とその人命損失の数字を字幕でデンと乗せつつ、貴族の饗宴のカラー映像が挿し込まれるというシーンもありました。

 

 無機質な人名の羅列に、"顔"を与えるという表現もありますね。ベトナム戦争の慰霊碑に手をあててうなだれる白髪の男性をえがいたリー・テターの『リフレクションズ』とか。

www.vladimirarts.com

 『チェンソーマン』今話の最後のコマも、前述絵画とは真逆ではありますが、ある意味、顔が印象的なコマでした。ちょっと『シン・ゴジラ』のラストショットを思い出したりも。これまた2016年だ。

 

 『チェンソーマン』は色んな表現様式を取り入れていて、それがきちんとこの作品でしかだせない異質な光景として出てくるので、本当にどうなるかわからない怖さがある。

 

 ■見たもの■

  vtuber『真夜中のウィスパーボイス縛り歌枠(ウクレレもいるよ!)【にじさんじ/月ノ美兎】』をリアタイ視聴しました

www.youtube.com

 いちから社の運営するvuberグループにじさんじに所属する学級委員vtuber月ノ美兎さんによる"歌ってみた"配信をリアタイ視聴しました。

「♪大人たちが眠る夜に シークレットコール るるるるるる」

 第1曲からウクレレ弾き語りによる『えらばれし子供たちの密話』(原曲;吉澤嘉代子 )

 ハワイ旅行で手に入れられて以降、代表曲『Moon!』 など、なんどか披露されていたウクレレ弾き語りも、いくつかの曲でまたしてくれてました。

 眠れない夜に再生したいリストにまた一つあらたな動画が追加されましたね……。

 

 かつての委員長の「歌ってみた」配信といえば、

 『海に落とされないように歌う配信【クリスマス】』のように、よくわからない設定で歌われてましたが(笑)、今回はそういうアレ無しで最初から最後までかっちりウィスパーボイス歌配信。

 歌配信にかぎらず他のジャンルにしても、委員長は変化球というか、なにかしらネタを混ぜたうえでないとやらないひと、みたいなイメージをちょっと持ってましたが……。

(ASMRをするにしても、できなさそうな人たちで集まってネタに振りきったり)

www.youtube.com

 ここのところ『世界のアソビ大全』や『魔女の家』といったvtuberさんがよくやってる/やってた配信をたてつづけにやられていたりと、直球ど真ん中をほうってきていて、これがまた逆に新鮮で楽しい。

 あれこれ見られた配信での変化球は、もちろん委員長のセンスの賜物でしょうけど、「もしかするといくばくかは、オタクらしい予防線でもあったのかな?」なんて思わなくもない。

 うろ覚えでさっとソースが出せないので単にぼくの捏造記憶かもしれませんが、いくつかの実況プレイ配信が完結まで行けてないのは、「プレイングがへたすぎて生配信でやるのはちょっと……」みたいな話をされていたような気がします。

 

 今回の直球ど真んなか歌配信は、自信のあらわれだったりやしないでしょうか?

 疑問というか希望ですが。

 歌以外のおみやげを用意せずともだいじょうぶだと、委員長が思えるようになったならよいなと思いました。

 ソニーでのメジャーCDへの信頼をたかめてスヤスヤ眠れた夜でした。

 

 

0628(日)

 ■身の回りのこと■

  マウスがこわれた

  左クリックが押しっぱなし判定になったり二重三重クリック判定されたりするようになりました。

 その誤クリックが画像ビューアでの画像削除コマンドとおなじであるっぽく、気づいたらゴミ箱に画像がすてられたりしてめんどうくさい。

 はてなblog編集中の問題としては、デフォルト設定されたボタンを複数回実行したりとこれまためんどくさい。

 

 

更新履歴

06/29 午前2時ごろ アップ。1万8千字くらい。

06/29 夕方 追記 『「批判文化が日本を技術後進国に」の裏にあったかもしれない権威主義/批判されたのは有象無象の集合知?』について追記。結論の変更はない。(『開発コミュニティー破綻? 接触確認アプリの問題点と批判の在り方で激論』あたりの記事を読んだのでそれを文中に反映させた)

06/30 午前 追記 『「批判文化が日本を技術後進国に」の裏にあったかもしれない権威主義/批判されたのは有象無象の集合知?』について追記。「ガワだけ見て中身を見ない」という結論に変更はないけど、一例(と自分が思うものを)さらにくわえた。

「▼3月5月のOSSを利用したCOVID-19特設サイトへの批判」について、菅野さんへ寄せられたリアクションを見直したところ、菅野さん批判者の炎上は「かれのガワだけ見て発言内容についてはそこまで見られてないように感じられた。これもガワだけ見て中身を見ない一例だなとぼくには思えたのでそれを書き、「▼3月5月のOSSを利用したCOVID-19特設サイトへの批判と反響」とあらためた)

 

 

 

 

*1:『ひかりより速く、ゆるやかに』同様、「いま・ここ」と「かつて・そこ」の文章の使い分けが光る。

*2:{この辺の認識は、Yahooに掲載されたITmediaNEWSによる『開発コミュニティー破綻? 接触確認アプリの問題点と批判の在り方で激論』ともあまり違いないので、そう変なアレでもなさそう。しかしこの記事でも、いちばん気になるところはボカされているんですが。(

そもそも、COVID-19Radarは厚労省の開発するCOCOAそのものではなく、日本マイクロソフトの社員である廣瀬さんが個人開発で始めたプロジェクトだ。コード・フォー・ジャパンのプロジェクトも並行して進む中、それぞれが採用を前向きに検討していた米Appleと米Googleの共通通信規格が「1国1アプリ」「保健当局の開発」に限られることが分かり、厚労省が主導することに決定。これに伴い、厚労省は開発をパーソル&プロセステクノロジー(東京都江東区)に委託。同社は日本マイクロソフトとFIXER(東京都港区)に再委託したという。

   Yahoo掲載、ITmediaNEWS『開発コミュニティー破綻? 接触確認アプリの問題点と批判の在り方で激論』(※「パーソル&プロセステクノロジー」は原文ママ

 「これに伴い、厚労省は開発をパーソル&プロセステクノロジー(東京都江東区)に委託。」の委託した理由こそぼくは気になるわけですが……。(※「パーソル&プロセステクノロジー」は原文ママ

 このへんについて触れられているのは、2種の記事があり、

日経6/16『出遅れた接触アプリ』で言われた「大企業のほうが安心だ」

大臣の6/19会見内容や日経の6/19別記事『接触確認アプリ公開はなぜ遅れた?コロナのIT対策を率いる橋本厚労副大臣を直撃』で言われた、「パーソルプロセス&テクノロジー社がすでに請け負っているher-sysと連携させたい」という旨

 パーソルプロセス&テクノロジー社はMicrosoft MVP アワード Microsoft Azure 部門を2年連続受賞した社員をかかえる会社だそうで、MSをベースとした開発環境での知識もつよそうだし、たしかに連携がしやすそうだ)}

*3:いやまぁ、前述したとおり大臣の答弁によれば実際(パーソルプロセス&テクノロジー株式会社からの再受託というかたちで)請け負ってるとのことなんですけど、それはそれとして。