すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2020/06/09~06/15

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 だいぶつゆっぽくなってきましたね、今週もまた日記です。1万5千字2万5千字くらい。

 『ヴィジランテ』の構成美、劇中証拠品の血痕付カーテンや毛髪、焦げたマッチがそのまま紙のページに貼り付けてある推理小説『マイアミ沖殺人事件』のディテールがすごかった週。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0609(火)

  次の日が仕事やすみなので、夜更かしをしました。だからといって何をしたというわけでもなく……。

 ■読みもの■

  『好きな子がめがねを忘れた』5巻まで読書メモ

 それは何ですか;

 スクウェアエニックスガンガンJOKER』で連載されているマンガです。

magazine.jp.square-enix.com

 序盤のあらすじ;

 小村くんは隣の席にすわる三重さんが好きだ。メガネの厚めのレンズの奥の瞳に見つめられたい。クラス替えから3日目にしてそんな想いをかかえていたが、その願いが叶うときは意外なほど早く来た。眉間に深く大きな皺をつくって、三重さんはぼくをにらみつけている。そんな三重さんもかわい――

「……ところであなたは誰?」

 読んでみた感想;

 ちょっと絵柄の似かようところがある『からかい上手の高木さん』のような作品なのかなと思いきや、今作の主人公・小村くんは『からかい~』の西片くんとちがい、ヒロイン三重さんへの想いを自覚しており、メガネを忘れてあれこれドジをする三重さんをとにもかくにもサポートします。

 三重さんは、『からかい~』の高木さんみたく精神年齢の高いひとでもなければ/西片くんの思考をすべてお見通しするような才人でもありません。むしろ幼いほう。三重さんは視力のわるさゆえ・幼さゆえの天然・無自覚によって、小村くんを赤面させる行動をとっていきます。

 

 『からかい~』がイタズラ・対決といった枠組みを言い訳にして自覚的に接近する男女をえがいた作品だとすれば、『好きな子が~』はハプニング・無自覚的に接近する男女をえがいた作品と言えるかもしれません。

 自覚ある人の自由意思による行動は、近づくことも遠ざかることも自由自在ですが、しかし、極端なところまでは当人の意思が邪魔してブレーキがかかってしまうものです。

 いっぽう、自覚のない人の偶然の行動は、どこへ進むのかコントロールできませんが、しかし、そうであるがゆえに、ふつうであれば踏みとどまる領域まで軽く突っ込んでしまい得る。

 見えてないがゆえの超接近・身体接触がさまざま起こり、小村くんはそのたびにドギマギします。男の子のドギマギぶりがかわいい。青春。

 

 ……そうは言っても、ぼくらが少年時代に友達から隠れて読んだ『I's』や『BOYS BE…』や『ラブひな』『エイケン(もっと下の世代なら『ToLOVEる』とか、さらに下なら『ゆらぎ荘』とか?)などと違い、いわゆるサービスショットが出てくるわけではありません。 

 たとえば第1話、メガネをわすれたためにカバンのなかにしまった教科書の山のうちどれが次の授業でつかうものか分からなくなった三重さんは、小村くんの教科書を見せてもらうことにします。

 いつもの(背筋をのばした)姿勢では教科書の文章が見えないので、彼女は紙にギリギリまで顔をちかづけて俯き見たりするのですが……だからといってべつに、それによって襟の奥の胸元が見えちゃった~とかそういう下品な展開には向かわないんですよ。

 

 机をくっつけ中央に教科書を置き共有している状態で、好きな女の子がセンターラインを越えじぶんの近くにくる……小村くんをドギマギさせるのは、そんなことです。

 

 2話では、小村くんが三重さんを彼女じしんの下駄箱へ連れていったあと、足元が見えてないためにほどけていることに気づかなかった(し、自分でもむすべない)三重さんに代わって、彼女の靴ひもを小村くんが結びなおす場面が登場します。

 ぼくのような万乗パンツ大好きオタクは漫画でそういうシーンに出くわすと、そりゃもう「なんかの拍子にふと視線をあげてしまって、腰かけた三重さんのスカートのなかが見えたりするんでは!?」と迷妄で頭がいっぱいになるわけです。品性が下劣ですね。

 

 このマンガの小村くんはどうかというと、視線を上げない。ただただ靴ひもを結ぶ。

「何から何までめんぼくない このお礼はいつか必ず」

 などと言う三重さんに、「急に武士っぽくなったな」などと心の中でツッコミと言うまでもないツッコミを入れている。ここがジャンプじゃなくてよかったな、そんなんじゃ連載レースから脱落してしまうぞ!(そうか?)

 でも実際問題われわれが『なぎさMe公認』に夢中だったあの頃もしこういう状況が舞い込んだらどうですか、好きな子がこんだけ近くにいたらね、いかがわしい目を向けてるなんて思われたら最悪なので、極力視界から彼女を外すようにしますよね!

 そういう等身大のドギマギ感がこのマンガにはある。

 たしかに小村くんはジャンプの連載レースから脱落してしまうかもれない(要出典)、でもそれは、人生から脱落しないよう頑張るふつうの男子らしい切実なのです……(そうか??)

 サポートする者される者という関係性により二人の距離があまりに近づきすぎてる日がアレコレあるため、小村くん三重さんでない第三者(クラスメイト)から「付き合ってるの?」って噂されたり。思春期の人間関係っぺ~なぁオイ! となりますわ。

 

 ただまぁ――これは『僕の心のヤバイやつ』もそうなんですが――「コッチがそう勝手に思ってるだけで、キレイなあの子にとっては別になんら特別でもない、次の日には頭からキレイさっぱり消えてるような、どうでもいいことなのかもしれない」というようなどう転ぶかわからない現実的な不安定さ・寄る辺なさ・宙づり感は、けっこう早い段階でうすれてしまいますね。

 個人的な癖(ヘキ)の問題なんですが――『僕ヤバ』が巻を増すごとに身もだえさせてくれるように、別にだからと言って悪いということはまったく無くて、単なる趣味の問題なんですが――

「どちらの作品も、もう少し1巻時点の(『好きな子がメガネを忘れた』に関しては1巻前半の)綱渡りしてるみたいな空気をつづけてくれてもいいんですよ……?」

 というようなことも思いもしました。

 

 読書中のその他の雑念;

 今作は高校時代からの友人T氏からのオススメ作。

 かれからは、学生時代はPS3のゲームを長時間勝手にやらせてくれたり、社会人となって以降は『メイド・イン・アビス』アニメ版を徹夜で見せてくれたり……といろいろ教えてもらいました。

 (※これはべつに『好きな子がメガネを忘れた』感想にはなんらかかわってこない脱線の脱線ですが)

 T氏が海外版を所有していた『DeadSpace』シリーズの、いわゆる体力ゲージとかメニューウィンドウとかに類する(ゲームのプレイヤーが着ているパワードスーツに直接付属しているゲージとか、スーツ内臓OSの実際のメニューであるホログラム映像としてなど)プレイヤーにしか見えてないはずのメタ的な情報が、ゲーム内現実として同一階層上に自然なかたちで取り入れられた没入感の高いゲームデザインには驚かされました。

 『ヨルムンガンド』が好きなイメージがあるけれど、実際どうかはわからない。

(※『好きな子が~』感想にはなんらかかわってこない脱線の脱線オワリ)

 ぼくからは最近『僕ヤバ』がやばいぞと押しつけたり『チェンソーマン』もかわいい子がいっぱい出てきてヤバいぞ『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』もかわいい子がどんどん増えていくコメディで楽しいぞと押しつけたりしてました。

 そこで逆に「『好きな子がめがねを忘れた』に癒されてるぞい」と布教されたのでした。

 

 タイミングがよろしいことに1巻が期間限定無料配信中だったので読み、「いやもうこれゴールまであと一歩じゃん」1巻巻末オマケ漫画で、主役の男女がこども時代から当人知らずとはいえひと時の交流があった……ということが描かれたので「こんなん約束された勝利の剣じゃんか! なんなら〆のエピソードじゃん!」と満足してしまって、

「5巻まででてるの? 以下続刊なの?

 いや1巻でここまで親交ふかまったら2巻以降はそんなん余生でしかないのでは?」

 と食指がのびなかったんですけど、T氏が、

「個人的には4巻がすこすこでした」

 と言うので、「ほ~~ん?」と4巻まで購入。しかし……

「なるほど~。なるほど……。

 ……ぼくに『COD』やら各種FPS、『MGS4』や『DeadSpace』や『RDR』を、最新ゲーム(当時)のただグラフィックが精彩になっただけではない凄味を味わわせてくれたT氏も、社会の荒波にもまれすぎて、すっかり萌え豚じゃないか……

 と最初かなしくなってしまいましたが、首をふって考え直しました。

「いやいや豚ってもT氏だ(腐っても鯛のイントネーション)、きっと野心的なこころみが待ってるにちがいない」

 と5巻も買いました。調査のためね、調査の。

 

 

0610(水)

 仕事休み。午前が終わるくらい遅くまで寝たり起きて昼ご飯食べてまたすぐ寝たり。

 ■読みもの■

  『図書館の大魔術師』4巻まで読書メモ

afternoon.kodansha.co.jp

 まさか魔法がRPGばりに強いバトルファンジーだとは!!

 いまのところは知識・思索ベースの図書パートが主で、暴パートはふりかけ程度なのですが、これから比率が変わっていくのかしら?

 

 面白いですね~世界設定・構築と絵の迫力とで勝負するタイプの作品だ。

 見開き2ページをまるまる使った大ゴマを動画的に2連発する/大ゴマへでかでかタイトルをどんと乗せるなどの演出は、「来るぞ来るぞ」と分かっていてもゾクゾクしてしまいますね。

〔しっかし、大ゴマを連発してその差分でもって動画的に見せる演出は、『図書館の大魔術師』以外ではほとんど見かけたことのない演出*1なのに、異様にクサく感じるのはなんなんだろう?

 

 しかしまだまだ先が長そうだ……。

 地方で貧乏生活をする主人公が、劇中世界ですごい力を持っているすごい図書館のすごい司書と出会って、

「将来じぶんも司書として本のために仕事したい!」

 と目標を立て数年後、図書館司書養成学校へ受験することとなり、地方からすごい図書館までの旅が描かれ、図書館に辿り着いてその街並みに圧倒されたり、受験してその結果が発表されるまでで3巻ぶんの尺が費やされ(第一章完)。

 第4巻に入って第二章開始、晴れて養成学校へ入学した主人公の暮らしもはじまるのですが、学校の平常授業がはじまるまえに4巻がおわりました。

 ……現時点では、作品が完結するのが先か、はたまた読者が死ぬのが先か? と心配になってしまうたぐいの作品に思えます。

 数巻でこまかく章立てされてくれるっぽいから、まとめ買いするある程度の指標が立てやすそうでありがたい。

 

 設定面にお話を戻すと、『図書館の大魔術師』世界においてひとびとが魔法をつかえるかどうか・その効果の強弱は、本人の気質と環境要因とがからんでくるよう。{その人が持つ魔力(ゲームでいうところのMP的なもの)は、人の手が加えられてないなまの自然にふれあえばふれあっただけ増える傾向にあるみたい。

 文明が発展していっている時代なので、都市部の人々は世代をへるごとにだんだん魔法が弱くなっているそうです}

 主人公は田舎の貧民として、そしてさらには土木作業に従事していたりしたこともあってか、魔力がすごいらしい。やったね。

 ひょんなことから本の魔物があばれて都市の巨像をこわし、像の足元にいたひとびとが瓦礫に押しつぶされようとしたとき、主人公が火事場の馬鹿力的マジックパワーを発動させて、身の丈の数倍ある巨大で重い石像をまるでアトラス像よろしくしっかり抱えたりします。

 地方にいただけでそこまで強い魔力をもちあわせるものなのか? 主人公の出自も気になってくるところです。

 

 今後の展開への妄想;

 もしかすると、ヨーロッパの若者たちが(学業修了後に)遠出して古代ローマルネサンスの古跡にふれたりアルプス山脈を登山したりエルサレムなどの聖地を巡礼したり……と云うグランドツアーの『図書館の大魔術師』版が拝めたりしないかなぁと期待してしまいますし。

 あるいはメテオラなど不思議な立地の聖地とか。

 この書き込みでああいうものが描かれたらとんでもないごちそうになりそうです。いやなる(断言)

 

 また、多様な人種がうずまき、差別や見世物商売なども出てきた作品なので、魔力の取り扱いが劇中どんなものであるかによっては、(魔力はないけど技術はある)知識人が(魔力はあるけど使い道がない)文明と程遠い被差別階級を適当に攫ってきてE缶みたく使い潰していく総力戦なども拝めるのかな……とワクワクしてしまいますね。

 

 読書中のその他の雑念;

   ▼ココ・ヘクマティアリティについて

 今作は高校時代からの友人T氏からのオススメ作。

 かれからは、学生時代はPS3のゲームを長時間勝手にやらせてくれたり、社会人となって以降は『メイド・イン・アビス』アニメ版を徹夜で見せてくれたり……といろいろ教えてもらいました。『ヨルムンガンド』が好きなイメージがあるけれど、実際どうかはわからない。

 ぼくからは最近『僕ヤバ』がやばいぞと押しつけたり『チェンソーマン』もかわいい子がいっぱい出てきてヤバいぞ『君のことが大大大大大好きな100人の彼女』もかわいい子がどんどん増えていくコメディで楽しいぞと押しつけたりしています。

 そんなやりとりのなかでオススメされた作品なのでした。

 

 1巻を読んで、こう、なんといいますか、司書のお姉さんキャラに導かれて少年の世界が開ける感じに(まぁ王道なんでしょうけど)、『ヨルムンガンド』味をかんじて、

「T氏の趣味がなんとなくわかってきたかもしれない、司書のおねえさんはちょっと、サイコ成分を抜かしたココ・ヘクマティアルみたいじゃない?

 いやぼくがオススメした『チェンソーマン』ヒロインのマキマさんのほうこそココ・ヘクマティアリティ*2がバリ高いひとだから、あれを勧めた者に今作が薦められるのは当然のながれというか、推薦者の趣味というよりT氏がソムリエとして優れているというだけでは……?」

 などとクドクドしつつ、1巻読み終わって「さきの長いお話のようだから、巻をもっと重ねてから読んでもよさそうだ」となりました。

 そこへT氏が、

「あの司書のお姉さんは最新刊でホニャララでした」

 と言うので、「ほ~~ん?」と最新4巻まで購入

 この4巻にきて件のお姉さんもまたココ・ヘクマティアリティをガン上げしてきたのでビックリしつつもニヤニヤしてしまった。性癖~!

 

   ▼掲載誌のカラーという、有って無いような垣根

 『図書館の大魔術師』がアフタヌーン系列で連載されている作品だと知ってビックリしてしまった。

 月刊のサンデーとかマガジンとか、あるいはガンガンでやってそう……みたいなイメージだったので。(主人公の故郷に生息していた一角の獣の成長後なんて、少年漫画・アニメの相棒動物的ルックスだ)

 

 ストーリーラインも、まぁ既刊4巻のうちでもチラホラとトゲが見えはします。

{たとえば入学試験で他受験者が主人公(ら)に対して言うやっかみが「あなたがここまで残ってこれたのは、あなたの実力ではなく、少数種族にたいする優遇措置だ」という旨で、しかもその受験者はその試験でも有数の知識量の人物で(じっさい学び舎をおなじくすることとなる)、そんなひとでさえも偏見をぬきにすることはできないし、むしろ知識があるからこそ対立意識を強くもってしまうだとか}

 ……しますが、今のところのメインエピソードは、わりあい、そういう偏見・不遇は、それにへこたれない主人公の純真さ・ひたむきな努力を際立たせるエッセンスというような具合です。

 田舎の村のなかでも外れにすむ混血児である主人公が、すごい都市のすごい図書館の司書と出会ってそのひたむきさに胸を打たれて思い出の本を貸す。主人公がそれを読もうとしたところ、田舎図書館の館長もしている成金商人に「田舎図書館から盗んだ」と誤解され取り上げられるも、館長の娘に諭されたり田舎図書館でおこった別の事件などから主人公の人となりを知って謝罪・改心する……とか。

 あるいは、見世物小屋で幽閉されている珍しい動物を見た主人公が、自分の境遇もかさねて動物の所有者である強欲な商人に「譲ってください」と頼み込み、鞭うたれる。主人公は、商人が違法に捕まえたり所有したりしているわけではないので、「動物が解放されてほしいのは、その待遇がかわいそうだと思うじぶんの単なるエゴだから」と黙って痛めつけられる。

 そんなさまを見て、知的で不良っぽい世の中を知ってそうな少年や、町の不良な何でも屋が胸を打たれて、主人公に助太刀する……とか。

初代編集長のモットーは「読者の頭とポケットの中身まで知る」。毎号とじ込みはがきでアンケートを募りました。ジャンプのテーマ「友情」「努力」「勝利」もアンケートから出た言葉です。子どもの悩みを調べると、一番は進路。次に成績、お小遣い、運動能力、大きく離れて異性関係と続く。みんな将来について悩んでいる。成績が悪い子も向上心を持っているんですよ。友情に支えられ、何かを成し遂げようと努力し、やるからには勝つ。そう考える健全な子どもに向かって雑誌をつくってきたんです。

   東京新聞(web版2018年7月14日掲載)、『友情・努力・勝利と私たち 少年ジャンプ創刊50年』週刊少年ジャンプ編集長 後藤広喜のインタビューより

 道徳・教訓ばなし的というか、少年漫画的というかな健全さがけっこうにある。

 もしくは、この読書メモの最初のほうで書いたアトラス像的な主人公の活躍みたく、特別な訓練もしていない子供が、大人でさえビックリするくらいの魔法を無意識のうちに発揮して、人々を救って見せる……といったエピソード。

 これも、久保帯人先生『BLEACH』の主人公・一護がただの一般人だったのに不可抗力的に死神代行をまかされた途端、身の内にやどしたすさまじい霊圧でもって、存在を知ったばかりの劇中モンスター虚(ホロウ)を倒してみせた序盤をほうふつとさせるような、主人公主人公したヒロイックな活躍です。

 

 ストーリーの語り口も、4巻の引きのように隠し玉はアレコレあるようですが、傍目には登場人物の誰もにかなり(ダイアログ・モノローグ両面で)セリフが多めの、余白がすくなそうな作品に思える。

{たとえば司書養成学校への入学試験編では、試験官が、試験のねらいなどについて、かなり事細かにモノローグしてくれていたり。

 上で書いた試験中の、受験生から言葉にされた偏見に基づく同チームの受験生へのdisは、読者に対してはその場のナレーションで「これは件の受験生の偏見で、じっさいにはそんなことない」云々と補足解説がなされます。

 のちのち明かされた試験の目的(わざと難題・不合格などをつきつけ、受験生がどんな風に取り組むかを見る。有能でも相手を思いやれずギスギスしてたらダメだよ~みたいな。)からすれば、この受験生の言動は減点対象のはずだから、聞き耳を立てていた試験官が表情を変えたりペンを走らせたりしそうなものです。

 そうした試験官のリアクションを偶然にも主人公がみてしまって「あっ試験官が血相を変えてるっ、図星なのか?」と動揺したり。

 ぎゃくに、視線や表情など言外の情報からひとの感情をよみとる(技能があると後に明かされる)もう一人の受験生はウラもわかってるから平然としていたり……

 ……みたいな感じで、その場では読者にも答えをあたえずサスペンス(宙づりの状態)を持続させたり、試験がどういった向きのものかの布石を置いておく作劇もできた気がします。

 そういう作劇がぼくの言いたい「余白」というもので、そういう作劇は個人的には『アフタヌーン』とか『IKKI』とかに載っている印象がありました}

 

 いっぽう週刊少年ジャンプでいま(アニメ化などが決定し)長期連載ベースに乗ってそうだけどまだ刊行巻数はヒト桁台である若い作品が、わりあいぼくが中高生のころイメージしていた『アフタヌーン』や『IKKI』のにおいを漂わせていて、

「掲載誌なんて有って無いようなもので、どの分野の人もさまざまな先行作を勤勉に貪欲に吸収して、わがものとしているのだなぁ」

 などとしみじみ感心してしまいました。

 

 チェンソーマン』はどんどんとキャラが退場していくし、キャラのモノローグは少ないし、そもそも主人公以外はほぼ描かれない。心の声を読者がきくことのできる主人公でさえも、特殊な境遇と性格の持ち主であるがゆえに、ネジが抜けていて、共感できるとは限らない。

 作者の藤本タツキ先生は『無限の住人』沙村広弘明先生のファンで対談もおこなっており、『チェンソーマン』劇中でオマージュを捧げた(と明言された)作品は、榎本俊二『斬り介とジョニー四百九十九人斬り』(アフタヌーンコミックス)や五十嵐大介『魔女』(IKKI)、伊藤潤二『潰談』……とかなんとか。

 

 『呪術廻戦』は、モノローグも多く、作劇も冨樫先生や久保先生フォロワーとして明示的なオマージュはある。いっぽう、ざっくざくとクールにキャラを切り捨てられる作劇だし、端々の展開はなんとも日常の細部を――イヤな部分もふくめ――正確に捉えて生々しい。

 なかでも小沢優子のエピソードは印象的です。

 主人公の同級生である呪術学校生徒が街を歩いていたところ、見ず知らずの同年代の少女から声をかけられる。カフェだかに場所を移し話を聞いてみると、小沢さんと名乗る彼女は主人公の中学時代の同級生で、「その証拠に」と中学時代の主人公とじぶんの写真を見せる。

 「だれ?」と首をかしげる呪術学校生。そう、中学時代の主人公といっしょに映る小沢さんは、いまと全然ちがうデブスだったのだ。彼女の思い出ばなしはそんなルックスについても大きく関係ある話だった。

 その容姿のために心ない生徒からあざ笑われることの多かった中学時代の小沢さんにとって唯一の癒しが主人公だった。かれだけは唯一じぶんの容姿について気にせず明るく接してくれたのだ。小沢さんは主人公に恋心をいだくも、しかし

「わたしが告白したところで……」

 と想いを告げられずにいた。

 だが、時はたち上京・高校への進学という環境変化によってそんなじぶんへイメチェンが偶然おきた。そしてさらには、故郷と離れたこの町で主人公(と呪術学校生徒)が歩いているのを見かけた。こんなことってある!?

 そしていてもたってもいられずあなたに話しかけたんです……そんな彼女の過去と現在までを聞かされた呪術学校生徒は、恋の応援を買って出たところへ、主人公が偶然おとずれる。

 呪術学校生徒は、そこでハッと危惧する。

 ……明るい主人公のことだ、彼にとってはほがらかに接したその他大勢のひとりだろうし、しかも今はだいぶ容姿が変わってしまっている。顔なじみと気づかず初対面として話しかけられたら、小沢さんは傷つくのでは? と。

「小沢じゃん なにしてんの?」

 主人公は歳月もなんのその小沢さんを小沢さんと即座に気づいてみせた。そしてしばし談笑。離れていた時間をかんじさせない、温かな雰囲気につつまれる。

 呪術学校生が「いい感じじゃん」とホッと胸をなでおろしたものの、しかし小沢さんが告白することはなかった。

 主人公から昔と変わらずほがらかに声をかけられたことに、彼女はむしろショックを受けたのだった。

 いまの痩せたわたしならワンチャン……と動いたそんなじぶんは結局のところ、中学時代のじぶんをバカにしていた(し小沢さん自身も嫌っていた)外野とおなじ穴のむじなだったのだと。じぶんもかれらとおなじく外見の美醜にしばられたゲスであり、じぶんが好きになった主人公の姿勢とはまったく程遠いものではないかと。外見がかわろうが私の内面はなんもかわっちゃいないんだと。

 

 偏見をもたず誰とでも分け隔てなく接する……そんな少年マンガの主人公らしい健全な好青年ぶりが、『呪術廻戦』においてはむしろ他者に劣等感を抱かせ、埋めがたい溝をうんでしまう{こうした構図は、(こちらは26巻まで出ている若き看板シリーズですが)堀越耕平著『僕のヒーローアカデミア』の主人公デクと幼馴染爆豪との間にもみられる}

 そんな心理を、『呪術廻戦』は一から十までぜんぶ言語化するのではなくある程度の余白をのこしながら、しかし読者の大半が汲めるくらいには誤解をまねかないよう、ちゃんと描いてみせます。

「こういう心理がえがけるひとのバトルは、そりゃあ面白いよなぁ」

 なんてあらためて思います。

 

 『図書館の大魔術師』に話をもどしましょう。

 今作は、さまざまな語り口がみられる作品です。

 劇中「物語」「主人公」といった要素があつかわれ、あたかも物語の一ページであるかのような"劇的(ドラマチック)"なシチュエーションにたいしては、動画・映画的な演出・装飾(上述したような演出のほか、画面の上下に黒いマスクがかけられた映画のスクリーン風のコマもあります。"劇的(ドラマチック)"な場面でよく用いられる)がなされます。

 歴史説明パートでは影絵や人形劇調でなされ、『図書館の大魔術師』劇中の現実には、西洋的な彫像もあれば、そうでないものもあり、ここにも様々な様式の混交がみられます。

 ぼくの目には少年漫画的におもえたストーリー展開・様式も、巻や章を積み重ねていったら、「子供時代をあつかった第1章~司書見習いをはじめたばかりの4巻という序盤だからこそ採用された結構だった、思えば遠くにきたもんだ……」というような郷愁をいだきかねない、そんな全容の知れなさがあります。

 

 5巻以降も出たら買いたいですね。調査のためね、調査の。

 けっして4巻のあけっぴろげな女子寮描写にやられたというわけではないです。ほんとですよ?

 

 

  石黒正数著『天国大魔境』4巻まで読書メモ

 近未来ポストアポカリプスSF/終末世界を舞台にしたロードコミックです。

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 子どもたちが暮らし学ぶ清浄なゲーテッドコミュニティにおけるドラマと、その子どもの一人に顔つきが似たティーンエイジャーくらいの少年とそれより年上の女性が荒廃した世界をうろつくロードコミック。この2つのエピソードが並行して描かれていきます。

 世界を荒らすヒルコ(人食い)という不死身に近い異形(『遊星からの物体X』の物体Xみたいな)と、ヒルコがうろつく都市で細々と生活する人々との関係性、さまざまなコミュニティが描かれて楽しい作品です。

 

 第2話の廃墟探索で、ティーン側主人公コンビが見せる(知識経験を感じさせる)"常習"ぶりと(それでもなお未知の領域がままある)"慣れ過ぎなさ"に「おっ!」となったかたなら、既刊すべて買っていいと思います。

 先日読んだぼほぼほろびまして』もそのシチュエーションについて膨大な思考の跡を感じさせる地に足の着いたサバイバル描写が魅力的でしたが、今作もまたすばらしい。

 ティーン側主人公コンビが訪ね歩く、世界に点々とする小さなコミュニティがそれぞれ素晴らしいんですけど、情報提示がやっぱりすごいですよね。ミステリ的な楽しみがある。 

 ファースト・インプレッションからして読者に「なるほどこういう世界なのか/人物なのか/クリーチャーなのか」と納得させて余りある事物を提示してくれるんですけど、それがその場限りの出オチに終わらない、さらなる層がある。

 キテレツな化け物であったり、いかにもモブっぽい暴徒であったりなんでもいいのですが、たとえどんなものであろうと終末(後)世界でなおも存続しているシロモノです、廃墟や死体となってない*3だけの理由が存在するはずですよね(大なり小なり程度はあれども)。そういった厚みがきちんと存在する作品なんですよ。

 主人公らは、終末世界を生き延びてきた人物らしい嗅覚でもって、セリフであったりコマ内に描かれたキャラの動きであったりから漏れ出た痕跡を嗅ぎ取って、その第一印象のしたにある実態をつまみ出していきます。

{主人公マルのもつ劇中世界でも珍しい特殊能力"マル・タッチ"と――ヒルコにさわると手が内部にめり込んで、その核を直接にぎり潰せる=ヒルコを完全に殺しえる能力と――似たコミットメントが、世界単位で実行されている作劇といえるかも}

 たとえば親善派の態度にほだされ主人公らが人情を見せたところで、敵があっさり裏切り斬殺する、やら。

 あるいは、悲鳴やらを聞きつけた主人公たちが現場に到着した時にはもう人が死んでいて、異形だけがたたずんでいる、やら……

 ……あまたの作品でそれなりに見かけるだろう殺伐描写ヤラレ描写。

 そんな一コマふたコマで流される展開に、多義を埋め込み、再度めくっていく『天国大魔境』を、アルドリッチ監督『ワイルド・アパッチ』を探偵劇として大いに楽しんだぼくが、楽しめないわけがない!

(両作とも、一方が人情に流され・一方が冷静に裏を読み諭す場面があったりするのも共通点)

 『ワイルド~』は(場面の第一印象が)グロテスクへ振り切っていましたが、一方で『天国大魔境』の暴力や死体描写はカラリと乾いていて、日常の謎のような雰囲気があるのもまた面白いです。

 かたや対立いちじるしい西部、かたやひと段落ついてしまった終末(後)日本……それぞれの世界の「ふつう」の感性というのを考えていくのは、そこで可能な表現というのを探り、作劇を練っていくのは、かなり楽しそうだ。

(まぁ、作り手の側が、どこまで・どんな方向性で作品を準備していくのか知りませんから、これは単純に、ぼくが「じぶんがコンテンツに何を求めているか」という話でしかありませんが……。

 無学者のなんちゃってアナール、カルチュラル・スタディーズのカの字も知らず同ジャンルとの比較検討もしないままに大数を語ってしまうという、偏見に基づく雑語りをしてしまった)

 『天国大魔境』は、ソリッドな筆致のなかにも階調をおそらく設けていて、無菌的なゲーテッドコミュニティの子が唐突に・垣間見るエロやグロと、外の世界で生きるティーン組の覗くエロやグロとのあいだには、だいぶ温度差があるように思います。そこも好き。

{前者は色っぽいし・えげつない。(病に伏せる子の裾の端などからのぞく肌のおどろおどろしさ。かわいい少年少女の顔が丸々突然アレになるえげつなさ!)

 対して後者は、さらりと読める。(4巻の天才科学者による手厚い看護をうける恋人の、なんと清浄でほほえましいこと!)

 

 石黒先生の(デビュー当初とくに色濃く見せていた)大友克洋フォロワーらしさと、15年以上連載をこなしている実力者であるご自身のイマジネーションとが組み合わさった、円熟の作品という感じ。

 

 

0611(木)

 カレーだった気がします。 

 

0612(金)

 宿直日。

 

 ■社会■

  金ローが盛り上がっていた

 書いたのは翌日なんですけどね。

 日本テレビ系列の『金曜ロードショー』がにわかに活気づいています。

 今週からつづけて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』三部作+『レディ・プレイヤー・ワン』を放送するという楽しい月間に入ったみたいで、インターネットのオタクの諸姉諸兄がもりあがってました。観測範囲内だと、一時期の『ラピュタ』以来の視聴率じゃないでしょうか。

 レーガンネタやら、「大人になった今見るとマーティの父の非モテムーブがわかりすぎてつらい」やら、楽しいつぶやきが拝めました。

 

 子ども時代と変わらず、同じ映画が同じ番組で拝めるのって素晴らしいことだと思いました。ぼくは橙色の背景に映写機をまわす紳士が幕開けていた時代の子どもです。子供用の寝室へ「さぁ寝た寝た」と促される幼いころでも、金ロー(ジブリ放送回?)はなぜか見てよい番組だった覚えがあります。

 サンゲツのCMは、夜更かしして映画をみている特別な心地と結びついて、あの企業名読み上げを思い出すだけでもう、ぼくは頭の奥がむずむずします。

 

 ビデオを買えるようになったいまとなっては、金ローも全然観ていないんですけど、金ローを観られないことへ、その時間帯に家におらず仕事をしていることへ、「うわぁ昔とは違うんだな」とたしかな時間の経過を実感してしまいました。

 

 

0613(土)

 宿直明け日。

 ■読みもの■

  『ヴィジランテ』79話読書メモ

 『ヴィジランテ』がいま佳境も佳境に入って、毎話毎話とてつもなく面白いです。

 それは先々週の日記でも書いたことで、詳しくはそちらへ跳んでいただければありがたいところですが、最終章はうまくいかない事態のうまくいかなさが説得力もって描かれていて楽しい。

 うまくいかないと言えば、先々週の心づもりではこの文も、「詳しくは」のつづきは「こちらの単体感想記事へ」と書けているはずだったんですけど、これが心算通りに行ってないのはもう「zzz_zzzzがぐーたらだからじゃん!」という一言に尽きるじゃないですか。『ヴィジランテ』最終章は、そういうのとは違う、さまざまな変数がからんだ、さまざまな陣営が最善を尽くそうとした結果としてのうまくいかなさ具合で……。

 

{今回更新されたことで、コミックス未収録かつポイント必須公開エピソードが、無料会員登録時にまかなえる3話を超えてしまいましたね……

 ただしコミックスは『ヴィジランテ』だと大体9話ぶんが収録されるようで、10巻に収録されるだろうエピソードは73話~81話まで。79話を読むかんじ、あと2話38ページだけじゃたぶん終わらない=11巻も出るので、リアタイ追っかけ組へ転換するタイミングはまだまだありそう

 10巻発売までに、日記じゃない感想文を書き上げるぞ!!(アッこれは10巻発売にも間に合わないパターン)}

 

 待ちに待ったEP.79「No.2ヒーロー」です。

shonenjumpplus.com

 78話引きのガンギマったエンデヴァーからすると驚くほど冷静な、No.2ヒーロー+サイドキックとのチームアップ仕事が今話の中心です。

 

   ▼79話;必殺技のズラしにより描かれたヒーローの格

 持ち場の避難を完了させたサイドキックが、それぞれの"個性"である炎を立てて、遠方で統括的位置にいるエンデヴァーへ合図を送るちょっとした一コマが冴える。

『ヴィジランテ』は、チーム・団体活動としてヒーローが仕事をこなす描写がたくさんで素晴らしい……)

 

 そうしたチームワークによる安全確認を済ませたうえで放たれる、エンデヴァーの今エピソード初出技"業火燎原ヘルファイアストーム"。めっっっちゃよかったですね。(初出だよね?)

 『ヴィジランテ』8巻EP.55「これがヒーロー!!」(タイトルからして79話の前奏的だ)においてNo.1ヒーロー・オールマイトが見せた"ネブラスカ スマッシュ"との対比も美しい。

{今スピンオフにおけるネブラスカスマッシュは、『ヴィジランテ』で巻をまたいで出張るヴィラン"シックス"のはなった有翼増殖爆弾生物を「腕1本で竜巻を起こして すべての"子爆弾"を巻き込んで誘爆させた」ことで、人ひとり怪我をさせず街を危機からすくった技でした。

 エンデヴァーの腕1本で巻き起こされた、人工的な・制御された火災旋風もまた、人ひとり怪我をさせず、蜂型の子爆弾だけを巻き込んでヴィランへと進んでいきます}

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〔有翼増殖生物爆弾ヴィランに対して、右手を掲げ"個性"で竜巻を起こす必殺技を披露するヒーロー{エンデヴァー(上)とオールマイト(下)}が見開き2ページをつかった大ゴマで描かれたシーン。
 口をあける塚内刑事がいるのも共通点です。{ただし驚きの対象は、片やエンデヴァー、片やヴィランと異なる}

 エンデヴァーの必殺技は、塚内刑事{大ゴマ右上}と見解をたがえる部分こそあれど、事前準備として射程範囲にいる人の避難・封鎖をしたうえで行なったもので、大ゴマ左下にはかれを慕うサイドキック達のしたり顔が描かれています。
 それに対し、55話で見せたオールマイトの必殺技は、ヴィランの不意打ちに即応したもので、塚内刑事はおろか他のプロ・ヒーローでさえも予想外の神業でした。〕

 ヴィランのはなつ蜂を、炎の"個性"で燃やし窮地を脱する場面。これってじつは前半のエピソードで脇役たちによって描かれていたんですね。

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 だからエンデヴァーが出張るとわかった時点で、まぁ燃やすだろうと察しはついていて何割くらい焼かれない箇所が残ってくれるかとダメコン思想でガクブルしてたんですが……いやぁこんな小粋な収拾がなされるとは。

 

 No.2ヒーローの実力はもちろんのこと、ヒーローたるゆえんを見せてくれる出し入れでした。

 原典である『僕のヒーローアカデミア』でも、主人公ら雄英学園の1年生たちがプロ・ヒーロー事務所での職場体験をおえ、別件から寮生活となった時分に。各自"必殺技"をつくろうという課題に打ち込む姿/そして開発した必殺技がついに本番などで発揮されるカタルシスもまた描かれてきました。

 そんな必殺技をこう使ってくるとは! と興味深かったです。

 しぶい! そして正しきスピンオフですよ!

 79話の必殺技の顛末は、学園モノ(心技体が未熟な学生が失敗し学び実をむすんでいく成長譚としての面がどうしても主だってしまう代物)である『ヒロアカ』原典では、なかなか扱いづらい方向の演出に思えますが、しかし原典で重きを置いているテーマをきちんと描いている。

 

 79話の必殺技には、活劇の魅力が詰まってます。

 必殺技で必殺しない――それによってNo.2ヒーロー・エンデヴァーの如実にえがきだしてしまう発想の転換

 かれのヒーローたるゆえんは、その強大な"個性"を(穏当な道をのべる警察の意見に自論を唱えて却下し)ふるう武力=災害クラスの必殺技をくりだせることにあるのではなく、(巻き沿いを食らいそうな第三者がいるとサイドキックから伝えられるや否や)そんな必殺技をアッサリと打ち止めにできる、己の厳格な倫理にある――それを端的ながらもガッツリ描いてみせたのが、79話だったんじゃないでしょうか。

 

 必殺技前後のひとびととの会話もまたよい。

 別に75話の手紙とかみたいな感動って全くない、些細なやり取りですが、これがあるのとないのとでは大違いなんでしょうね。

 読めば読むほどすごいバランス感覚のエピソードです。

 塚内刑事の言にエンデヴァーが否をとなえた前半だけ見ると{いやそれ単体で見ても、いたいけな少年にトラウマを与えたいつぞやの「邪魔だ」の一言で切り捨てたりはせず(笑)、具体的な反論もなされ、その内容も正論なんですけど。『ヴィジランテ』前半の巻での会議でみせた鼻息あらい悪即斬な姿勢もあいまって}、エンデヴァーは聞く耳もたない俺様なヤヴァいひとっぽく映ってしまわなくもない。

 そこへ血相を変えたサイドキックからの連絡へ、エンデヴァーが素直に即応してみせた後半があることで、かれが文字どおり「聞く耳を持ってる」ひとであると伝え、さらには暗にエンデヴァーがなぜ巨大な事務所を束ねるリーダーなのかも描いてみせています。

 

 今エピソードを読んだことで、原典のエンデヴァーに抱いた印象も(良い意味で)修正せにゃならんなと思いました。

 『ヒロアカ』原典のあの人々の(エンデヴァー自身さえも反省を見せたりする)思い出のなかのやばいエンデヴァー像。

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 あれだって、時間経過にともなう記憶整理によって(、「邪魔をするな」と言われた側にとってとくに印象的だろう)ヤバい面だけが当人たちの記憶に残ってしまっただけで、実際きちんと全編再生されれば案外「……エンデヴァーがそうしたのも分からなくもない!」と思える程度に、まっとうな理屈があったりするんじゃないか?

 ……そんな疑念をいだかせるくらいの『ヴィジランテ』エンデヴァーの仕事ぶりですよ。

{じっさい引用した夜嵐イサナくんの幼き日の挿話は、断片的ですが、ほかの回想のコマから行間を埋めてみると、

「地にうつぶせになって倒れる敵を踏みつけて捕縛している最中のエンデヴァーに、幼イサナくんがサインを求めたんではないか……?」

 という風に読めます(そうだとすれば「怒られなかったほうなのでは?」とさえ思う)}

 

 エンデヴァーさんがやべえ強いことは、読むまえから分かってたことですが、これほどまでやべえ理性的な確固たるヒーローであるということは正直ちょっとわかってませんでした。かっこいい……。

 『ヴィジランテ』は対決を重視しなくてよいからこそ、(『ヒロアカ』原典でもステイン編で大きく話題にされるとおり)人を救う存在としてのヒーローという立ち位置をあれやこれやと描いていてくれる作品ですが、そんな姿勢がまさかここでもこんなかたちで盛り込んでくるとは。うれしい驚きでしたよほんと。

 

    ▽79話で気づかされた、類似個性で組む利点

 そして、ヘルファイアストームの出し入れ自由な炎のあつかいを見て、「あっそういうこと?」と思ったこととして、一見ヤバそうに見える炎関係の"個性"をあつめたエンデヴァーの事務所の利点。

 『ヴィジランテ』79話を読むまでは、フレンドリーファイアやコラテラルダメージがおおきそうな炎にかんする"個性"を活かすには、水とか酸素うばうとか、そういう"個性"のひとびととチームアップしたほうが良さそうだと思っていたんですよね。

 『ヒロアカ』原典でも、エンデヴァー自身からして、炎"個性"のデメリット(=生命活動が危ぶまれるレベルの熱をからだに貯めかねない)への対処として選んだ道が、氷系統の個性を有した子を得る、ということだったわけですし。

 

 でもそもそも、自分で火を出したりしまったり出来ている(=コントロール可能な)以上、劇中の"個性"もちの炎は、物理現象としての燃焼とはちょっと違う存在なのかもしれない。

(『ヒロアカ』原典の爆豪くんがあつかう爆発のように、完全に化学的生成物・物理現象で、汗腺からニトログリセリンを生成する"個性"による産物だというパターンもあるでしょうけど)

 また、水やら何やらで火を消すという方法は、一見よさそうに見えるけど、複数の"個性"をつかってそれぞれを打ち消しあった結果という、倍以上のコストをかけて無を生む……という非効率的な仕事でもある。

 であれば1+(-1)=0というようなチームアップではなく、じぶんで0~1を扱える"個性"となるよう鍛えたほうがよさそうです。

 

 『ヒロアカ』原典でも描かれているとおり、じぶんの"個性"を強化したりあるいは習熟するために、コツを知ってる同じ系統の先輩(それも最高峰!)に師事するというのは理にかなってる。

 火のあつかいをしくじって、じぶんで御しきれない事態を生み出してしまったとしても、ほかに炎をいじくる"個性"の持ち主がいるのであれば、その人らと組んで共同で制御すればよい。

 

 また、炎の"個性"もちがチームアップすれば、ある種の応用や節約もできそうです。

 たとえば直線的に火を放射するだけの"個性"の持ち主Aが敵ヴィランと戦ったとして、その火炎放射が外れたとき、味方に水の"個性"もちBができることは、外れた火を自身の水で消すことのみだ。

 一方、火をあやつる"個性"もちCがいたら、Cはその火を鎮火もできるし、Aのだした直線的に走った火をCの"個性"で強化したり、曲げたり、再度飛ばしたりすることでより確度の高い一手へと補助もできる。

 ……そんなかんじで、今回エンデヴァーさんが独力で出して鎮火してみせたヘルファイアストームも{『ヴィジランテ』本編でえがかれた理屈からして素晴らしいんですが(都市の地形を生かし火災旋風化させてパワーアップ!)}、点々と立つ炎の"個性"もちのサイドキックがバックアップすれば火力増強したり、一部抑制したりとさらに応用がききそうだなぁなんて妄想しながら読み終えました。

 

    ▽79話のここがすき;事物の破壊描写 

 特撮映画ファンの端くれとして、ちらっと描かれるヘルファイアストームで木の葉々が巻き上げられて、風によりつよく飛ばされている(熱源にちかい)葉が火の粉となったコマに次いで、そこらで見かけるコンビニののぼりが旗部分だけ燃えたり、バイクの椅子クッション部分だけが燃えたりするコマが描かれた一連のくだりはとても興奮いたしました。

 大ゴマどーんでキャラがドドーンでも良いけど、こういうキャラ補正でどうにもならん部分を、日常(にあるもの)がどのようなリアクションを見せるかが、破壊描写の””"格"""をきめるんスよねぇ……。

(『ヒロアカ』原典も、巻をかさねるにつれ――ジャンプトップ連載陣の作画力の恐ろしさよ――エスカレートする物語を盛り上げて余りある、すさまじい破壊描写が拝めるのでそちらも楽しい)

 

   ▼79話と、55~56話の対比関係

 さてこの記事ではすでにヘルファイアストームとネブラスカスマッシュとの比較をしましたが、シリーズを追いかけているひとならお分かりのとおり、広範にわたって対比反復変奏がみられるんですよね。

 最終章の他話とおなじく、79話もまた古橋&別天の構成力の緻密さにゾクゾクしっぱなしのエピソードでした。

 55話は、(7巻からはじまった)街のランドマークタワーお披露目イベントにおそいかかる神出鬼没正体不明のヴィランの操る有翼増殖爆弾生物を得物とした自爆テロという「災害的な脅威」に見舞われた市民を「ヒーローが助ける」表舞台のできごとがひと段落つくエピソードであると同時に、56話からの血なまぐさい、舞台裏の灰色領域での戦いへと――神出鬼没ヴィランvsその所在に独り気づいた自警者ナックルダスターとのタイマン対決――へと向かうヒキの回でもありました。

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 55話内での表舞台パートの〆は、爆弾型ヴィランすべてを巻き込み誘爆し終えて消えてゆく"ネブラスカ・スマッシュ"の竜巻と、その起こし手であるプロヒーロー・オールマイト、彼の雄姿をたたえて駆け寄る群衆たちというコマでしめくくられます。

 群衆のなかでも主人公コウイチとその友人ポップはひときわオールマイトに近い位置におり群衆から差別化されています。

 主役だからそう書いただけだろう、なんてことないコマも、(群衆を避難・封鎖したうえで)プロヒーロー・エンデヴァーが炎の竜巻を放った現場にポップとそしてコウイチだけが入っていった79話から振り返ると、とても示唆的な一コマであったことに気づかされます。

 

 古橋&別天コンビの構成力は緻密で、対比反復変奏はちょっとした細部にまで及びます。

 街の地形を読み切りヴィランの居場所を正確にとらえたナックルダスターは、55話でスナイパーライフル(!)*4の照準をヴィランに合わせる=明確な殺意を向けるも、56話で偶然にも「なにかが射線を横切った」*5ために手元がくるい、一撃必殺を逃してしまいます。

 必中の攻撃が、第三者の割り込みによって失敗に終わる……ついさっき読んだばかりの展開ですね。

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 56話において、われわれ読者にとってのヒーロー・ナックルダスターの思惑(シックスの暗殺)をはばんだ(=フッと消える攻撃対象)"射線を横切った鳥"

 あの立場を79話においては、劇中世界におけるヒーロー・エンデヴァーの思惑(ポップ☆スターの炎殺)をはばんだ(=フッと消された攻撃)"割り込んできた木っ端"としてコウイチが務めます

 

 鳥くらいならまだよいですが、別人との重ね合わせもまたなされていきます。

 ポップのもとへ"個性"を駆使して向かうヴィジランテ・コウイチの移動は、56話で"師匠"のもとへ"個性"を駆使して向かうヴィラン・シックスの移動と重ねられています。

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 "個性"を駆使して、蛇行しながら市街を高速で進む者の背後から距離を置いてとらえたコマ。どちらも画面近方から遠方へすすむ構図。(左のシックスは直線的で、右のザ・クロウラーは曲線的)

 モノを蹴ってビルの上を跳ぶ"個性"もちの、真横姿を捉えた構図。(シックスは鳥を踏み台にして殺す。クロウラーはアスファルトから蹴上がる。また、前者は黒い影が落ちており、後者は光がにじむ)

 誰かに向かって進む"個性"もちを、画面遠方から前景へ迫るような構図でもってとらえたコマ。(すすむさきには、シックスの場合は闘うべき"師匠"がおり、クロウラーの場合は助けたい友人がいる)

 ……順序こそ多少の前後はあるものの、一連のコマでしっかり対比がなされています。

 真っ黒い影に笑顔をうかべるシックス、陽光をにじませた逆光の影を背負い必死の形相のコウイチという対照性にゾクゾクきますねぇ。

 

 ふたりの対称はそれだけにとどまりません。

 56話でナックルダスターの視界に鳥が入った後をふりかえりましょう。

 ヴィラン・シックスは被弾しますが鳥のおかげで急所への直撃をまぬがれ、事態を察知、発砲者のもとへ"個性"をもちいて街を走り跳び急行、ナックルダスターと相対して、ついに自分の名を明かしその出自やプロヒーロー・オクロックへのあこがれを語ります。

 しかし、その想いはナックルダスターに一蹴されてしまう。

ナックルダスター「オクロックを真似たがるような奴が 本当にオクロックの"個性"を手に入れたなら―― それは最悪の敵(ヴィラン)でしかない 社会の害悪として取り除かねばならん

シックス「…あー そっスか 敵(ヴィラン)認定ね

   集英社刊(ジャンプコミックスDIGITAL)、(脚本)古橋秀之&(作画)別天荒人『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-』8巻kindle版31%(位置No.196中 61)、EP.56「英雄に非ず」より(太字強調は引用者による)

  ぼくたちは同じようなやり取りをその後にもう一度聞いています。

「自警団(ヴィジランテ)…だと?」

「然るべき資格を持たずして ヒーローの真似事をする輩…」

「つまり 敵(ヴィラン)ということだな

   少年ジャンプ+掲載、(脚本)古橋秀之&(作画)別天荒人『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS-』EP.79「No.2ヒーロー」p.19より(太字強調は引用者による)

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 ついに腕も芯も強すぎるヤバいおっさんから、真似ごとをする敵(ヴィラン)認定を下されてしまったコウイチ。

 80話以降どうなるのか、続きが気になるところです。

 さて上述したとおり、古橋&別天先生が対比変奏をキッチリカッチリやるかたがたであると認められたところで、先行きみえない不安を解消するため、変奏もとである56につづく57話「爆弾になる男」をひらいて予習してみましょう。

 うん、廃屋を自壊させ、屋上から地上まで堕ち、自分自身の身体をも自壊させての生死不明の激しいバトルを展開するエピソードでしたね

 ……。

 もしかしたら、あと2話38ページでほんとうに終わるかもわからんですね。

 さようならコウイチ……。

 

 

 ■社会■

  注意にならない注記について;「この作品には不適切な表現が含まれますが~」

www.cnn.co.jp

 コレどのくらいの注記がなされるんでしょう?

 気になりますね。

「この作品には不適切な表現が含まれますが、作品の発表された時代背景・芸術的価値を考慮し、当時のままとしました」

 ……みたいな例の一文で済ませるのか、それとももっと大々的で具体的な説明がつくのか?

 

 個人的には、例の一文で良いんじゃないかと思いますし、「詳しい注記がなされなければ流通してはならない」ような制度・風潮ができたりでもしたらこわいなぁと思いますが。

{事細かな注記をつけることは、『風と共に去りぬ』くらいの文芸的価値があるとみなされてもいる有名な作品なら、まだ可能かもしれませんが。

 しかし、そうじゃない(改めてdigってみようという人がオタク以外いなくて、リターンがそう見込めない)娯楽作やB級作品へまで同等のコストが割けるのか? と云うと、それはかなり厳しいんではないか……? という危惧があります

 ……それはそれとして、差別的な表現の有無にかかわらず、すべての作品・言論に付けてもらえると嬉しい情報として、作品で描かれたものの考証的妥当性{や芸術的な妥当性(※)}や、発表当時の受け手の反応(の変遷。主流派のリアクションから少数派の意見まで)、さらには現代の視点から見てどうか? ……といったことの網羅された解説。

 そんなものがアクセスしやすいところに置かれてくれたら、(読む読まないはべつとして)とってもありがたく思います。

 

 かつての事物が、

 「n年代の空気を刻印した」「あの時代を代表する傑作だった」

 「賛否両論わきおこったセンセーショナルで画期的な論考だった」

 ……みたいなすごい文句をともなってリバイバルされるさい、個人的に気になってくるのは、

「じゃあn年代性ってなによ? 前代や後代とどう違うのか?」とか

「賛否って具体的にどんなリアクションが?」とか、あるいは、

「時代を経てどんな議論・検証にさらされたのか?」

「ここから他作家・論者・研究者はどんな影響を受けて、そこからあらたにどんなものを生み出したのか?」

「リアクションに対する作者論者からの反論は?」

「あらためて世に並べる意義・意味は?」

 といった、その事物がどのようなパースペクティブに収められているのか総括した見取り図的な評価だったりするわけなんですけど……その辺までフォローアップしてくれた復刊ってなかなかお目にかかれない。

(さいきんだと、『増補 普通の人びと ─ホロコーストと第101警察予備大隊』は、発表後の反響・論争を著者や解説のかたが、本論ばりに長大な文量でしるしてくれていて、改めて出した意義をつよく感じました)

 美点を喧伝し部数をさばかねばならないだろうフィクションならともかく、研究とか論考とかでも局所的・一面的な解説しかなかったりすると、「なんだかなぁ」と思ってしまいます。

 

(※)芸術的な妥当性とは?

 話題にした差別的な表現がある作品で例をあげれば、たとえば作者じしんは差別的な人物じゃないけれど、劇中で差別的な劇中人物を描くためにあえて差別的な言動・行動をさせている……とか。

 あるいは、劇中の差別的表現は作者のナチュラルな差別的な思想にもとづくものだけど、そうした差別的表現が劇中のほかの表現と対比反復変奏をなしていて、作品にとって切り離すことのできない重要なモチーフになっている……とか。

 そういうことを指してます。

 

 

 ■聞いたもの■

  vtuber/声優『A&G TRIBAL RADIOエジソン月ノ美兎委員長出演回

 を聴きました。

 『ラジオ エジソン』は声優の江口拓也氏と高橋未奈美氏のおふたかたがパーソナリティを務めるウェブラジオです。

 今回ゲストとして月ノ美兎委員長が出演されると聞き、チャンネルを合わせることに。 

(委員長の出演パートは、タイムフリー聴取版のタイムスタンプで、00:22:58~00:48:15

 委員長はいちから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属する高校2年生学級委員vtuberさんです。ラジオ内容も委員長ならびににじさんじの紹介的な要素のつよい具合でした。

 

 ホストの高橋さんが、事前に委員長の配信をいくつかご覧になってどんな人物かを予習してくださっていた……とのことで、ラジオの空気は好い意味でのもどかしさがありましたね。 

「委員長、と見せかけて! 委員長の枠を超えてる委員長なんですよ!!」00:24:24

 と初手からゲシュタルト崩壊した高橋さんによる他己紹介が面白い。

 

 いろいろ魅力があって紹介したいけど、どこからどう手を付ければよいか、なにをどう言えばよいか困ってしまう……という感じの、「本当にあれこれ見て下さったんだな~」とニコニコしてしまうし「むずかしいっすよねぇ……」と共感してしまう言葉の詰まりかたで、好感をもちました。

年始に友人と鍋をつついたさい、なし崩し的に推しのvtuberを紹介することとなったが、うまくプレゼンできなかった過去が思い起こされました。あるある……

 高橋さんのトークは、おべっかじゃなくって本当に配信/vtuberをご覧になってるんだなというのがわかるトークで、

「メジャーなゲーム(の実況)も勿論やってらっしゃいますよ、サムネはすごいけど」00:26:50

 といった、門外漢からするとなんのこっちゃですが委員長リスナーなら「そうそうw」とうなづくことしきりの一言とか、委員長のエピソードトーク0:33:44~のオチであるところの「BANされたんですよ」という言葉について、vtuberオタクであるぼくはさらっと聞き流してしまうところですが、

「バンっていうのは配信が止まっちゃうことですね」00:35:17~

 と門外漢むけに補足してくれたりだとか。

 聞いていて「高橋さんもよう見とる」と納得のトークなんですよ)

 

 ラジオとしての面白さは、正直言えば『ラジオエジソン』当該回でもちらりと話題にでた『にじさんじvs鷲崎健の異次元トークFight!!』(リンク先;当ブログの過去の感想)のほうを上げてしまいますよ、そりゃあね?

www.youtube.com

 でも、『ラジオエジソン』の距離感もまたよいですね。

 さて『にじvs鷲崎』では、(ヒカキンさんをはじめとした、しっかり動画編集がなされた、タイトなカット割りの)Youtuberさんと、vtuberのなかでもにじさんじなど生配信を中心としたタイプのvtuberとの配信スタイルのちがいなど、「そもそもvtuberってなんなの?」ってところから紹介が入っていたわけなんですけど。

 『ラジオエジソン』では、その辺はサクッと省略されていて、隔世の感なのか視聴者層のちがいなのかあるいは単に尺の問題なのか分かりませんが、「けっこう違うもんだなぁ」となりました。

(委員長じしんによる活動紹介00:26:24~も、『にじvs鷲崎』で言ったことと大体いっしょだったんですが、おなじ「一風かわった場所への訪問・体験談をイラスト付きでレポートをしたりしてます」についても、『にじvs鷲崎』では「バーチャルだから色んなところに行けるので、ストリップ劇場に行ってきた話などもするんですよ」という旨の具体例を一言あげていましたが、『ラジオエジソン』ではそれ以上の掘り下げがなかったりしました)

 

 00:33:44~00:35:40はエピソードトーク

 全年齢向けゲームながらちょっと肌色の多い『プリズンプリンセス』を実況プレイして早々にBANされたときのことが話題となりました。

 下ネタ方向の話題チョイスという点においては『にじvs鷲崎』でのストリップ劇場鑑賞体験談を話したりしたのと同路線なのですが、このトピックには、昨今のCOVID-19対策によるリモートワーク/出社禁止で、AIでの動画チェックによる誤BANがふえたYoutubeの当世事情もからんできていたわけですよね。

 委員長はその辺の事情もしっかり端的に説明されていて、「アッなるほど確かに、ただ下なだけでない、興味ぶかいエピソードだなぁ」と気づかされる振り返りトークでした。委員長は着眼点がほんとすばらしいな。

www.youtube.com

 話を終えたあとの「どうですか江口さん?」と委員長のトークスキルをドヤる高橋さんの後方リスナー面もよかったですね。

 

 

0614(日)

 仕事休み。午前が終わるくらい遅くまで寝たり起きて昼ご飯食べてまたすぐ寝たり。こうやってなにもなせないまま時間だけが経過していきます。

 ■読んでいるもの■

  布とかマッチとか毛髪の貼られた本;『マイアミ沖殺人事件』読書メモ

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 デニス・ホイートリー著&ジョー・リンクス原案による「世界で初めて企画された捜査ファイル・スタイルの推理小説」、その邦訳版です。

 後述するとおり「本ってここまで出来るんだ!」と凄いメディウムの凝りようで驚かされましたが、表紙に写されているとおり、原著は紐で綴じられたより一層にファイル然とした代物だったみたい。

 豪華ヨットの船内で乗客が消えた。その事件現場で捜査・事情聴取をするケタリング刑事の報告書5通と添付書類・物品、それを受けて指示を出すシュワップ警部補(=安楽座椅子探偵ポジション)のメモと添付書類・物品から成る往復書簡小説とも言えそうです。

 

 存在はNAVERまとめで知りました。熱心で知識豊富なかたはどこにでもいるもんですねぇ。後述のとおり、奇書が読みたいアライさんもご紹介されていました。

 紙の書籍としては、木原喜彦氏『実験する小説たち』でも取り上げられているんだとか。

 読む人への注意;

 ぼくが入手したのは大判本です。文庫版も出ているそうですが、同じ作りになっているかは存じ上げません。

奇書が読みたいアライさんの紹介ツイートを拝見するに、モノ自体が封入されているのではなく、写真に撮りカラー印刷したページになっているんでしょうか? )

 

 なんで読んだの?;

 紙魚はまだ死なない リフロー型電子書籍化不可能小説合同誌読書へむけて、先行するリフロー不可型小説・へんてこフィクションを味わっていく試み第3弾。(えっ「第2弾の読了報告・感想はどこですか?」うーんどこでしょう? 謎ですね……)

 読んでみた感想;

 本をひらいて数ページで、早速「おっ」とワクワクしました。

 本のページとは紙のサイズも材質もインクもフォントも何から何までちがう「電報」や「メモ」が綴じられているんですよ。

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  ただまあこの程度なら「凝ってるじゃん~」と思いこそすれ、驚きません。ですが、

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 それがページにそのまま、事件現場で発見・採取した(と文章で記述された)カーテンの布地そのものが貼っつけられていたり……

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  ……無色透明袋に入れられた髪の毛(を模した繊維)や使用済みマッチという端の焦げた木片がくっつけられていると、ディテールの細かさ・メディウムの多様さに、というかそもそも紙じゃないもので本が構成されているという点で脳が混乱して気持ちよくなってしまうんですよ。なにこれ!?

 

 

0615(月)

 宿直日。

 なので「もうこれ以上書くこともなかろう」と6/15になって朝日も見ないうちから即座に投稿してしまったんですが、休み時間にあれこれ追記しちゃいました。

 もう少し寝かせてもよかったかもしれません。

*1:{明確に記憶にのこっているのは久正人著『エリア51』の十神会議編のアレ(最高の演出!)で、他になにがあったっけな……? 見得をきるケレン味演出で限定しなくてもそんな多くはないような。}

*2:ヨルムンガンド』の少年の手を引いて別世界を教えてくれるお姉さんキャラ、ココ・ヘクマティアルっぽさを指す造語。さっき考えた。

*3:あるいは、いままで存続していたものが、今のタイミングでそうなった

*4:余談ですがこの得物のチョイスも良いんですよね……。

 このヴィラン銃口をむけられたのは、ナックルダスターが初めてではないんです。

 前段である(『ヒロアカ』原典のキャラ・ファットガムが出張った)大阪捕り物劇において、ふつうの劇中日本警察が拳銃を向けています。そのさい銃倉にこめられていたのはゴム弾でしたが、ナックルダスターは実弾。劇中世界のふつうの発砲をえがいたうえで、ナックルダスターのふつうでない殺意を際立たせている……というわけです。

*5:集英社刊(ジャンプコミックスDIGITAL)、(脚本)古橋秀之&(作画)別天荒人著『ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミアILLEGALS-』8巻kindle版26%(位置No.196中 51)