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だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

きれいなガワの向こう側へ;『KANA-DERO』感想

 株式会社いちからによる"にじさんじ"というバーチャルYoutuber*1グループのひとり樋口楓さんファーストライブ『KANA-DERO』がビデオとしてついに発売されるそうです。

nijisanji.booth.pm

 注文しました。届くのがたのしみです。

 ライブはZepp Osaka Baysideで行われ、ニコニコ生放送で中継・タイムシフト配信もなされていました。以下はタイムシフト視聴時の感想です。当時メモ帳に書いてた日記から引っぱってきたもので、人物説明を少し足した以外はほぼそのままです。5千字には届かないくらい。

 

※『KANA-DERO』について歌唱曲名ふくめ、ネタバレした感想が続きます。ご注意ください。※

 

 

 ウェブマネーを購入してきて、『KANA-DERO』を観る。

 Vtuberグループにじさんじのひとり樋口楓によるファーストライブである。ファンからはでろーんの愛称で親しまれている銀髪関西弁の女子高生だ。

 ゲストとして、おなじにじさんじの仲間たちで同学年の学級委員・月ノ美兎(以上のふたりでかえみとなどと称してコラボ配信を行なっている。生活音だだ漏れの寝落ち配信https://www.nicovideo.jp/watch/sm33403671などでオタクたちを発狂させた)、ひとつ年上の静凛(以上の彼女らでJK組などと称してコラボ配信を行なっている。愛称はしずりん)、何百歳か上のエルフのえる(樋口とえるはかえると称してコラボ配信を行なっている。愛称はえるえる)の3人が登壇した*2
 お遊戯会を見に行く後方保護者面で臨んだ結果、「そんなナメた態度ですみませんでした」となった。
 思ったのの数十倍しっかりとショービズだったし、思ったのの数百倍は私的な時空間に思えた。
 パフォーマーとしての彼女(ら)のことも、一人のひととしての彼女(ら)のことも、ぼくは何もわかっちゃいなかった。

 いままで、観もしてないのに他人様をナメくさって、(プロへと巣立っていったようなトップ一握りを除く)歌い手さんだとかによるライブやらを単なるカラオケの延長線上にあるものとの雑な印象を持っていたけど{少なくとも、ぼくにとって『バーチャルカラオケ大会』とか『バーチャルのど自慢』とか、(一握りを除く)vtuberさんの歌ってみた枠とかは、その印象をくつがえすものではなかった}、ひどい偏見だった。
 選曲にドラマがあった。
 もちろん曲目に起伏がある、という意味もある。盛り上がるOPからしっとりとした中盤、さらにブチ上げていく後半……と、構成も考えられていた。
 そういう意味のほかに、物語的な意味があった。一小節一小節にこれまでの配信がよみがえるような、バックグラウンドがあった。

 

 ライブ序盤、最初のゲストの エルフのえる さんとのコラボ曲2曲目は『いけないボーダーライン』だったけど、これは示唆的なナンバーだった。
 前夜の配信で告知し、歌唱前にも練習したコール&レスポンスを行なって*3観衆を暖めた一曲目『けろっぐふろっぐ!』。ハモりを利かせ、ふたりの確かな練習量を感じさせる"聴かせる"二曲目によって、
「これはお遊戯会じゃない、お金を払うに足るパフォーマーの公演だ」
 と頭をはたいてくれる。

 中盤、後半と進むにつれて、どんどんと感情が高ぶっていった。でもそれは、歌のうまさによるものだけではない。

 はたして見てしまっていいものか、触れてしまっていいものか。そんな動揺してしまうくらい、樋口楓やその仲間の、パーソナルな領域に踏み込んでしまうような体験だった。

 聞き流して細部も忘れてしまうようなちょっとした何気ない会話が、伏線となってのちのち回収され大一番で昇華されるなんて劇的なことを、現実のひとの人生でおこなってしまってはいけない。たぶん何かの条約に違反する。もたずつくらずもちこませず。持ち込まれたぼくを見ろ、めちゃくちゃになってしまったじゃないか。

 

 第二部は圧巻だった。

 JK組(3人)→楓と美兎(2人)→でろーん(1人)の流れがすごかった。
 とくに委員長の退場がすさまじく、楓と美兎が二人で歌う2曲目は、でろーん発案・実作業による工夫(歌う曲にぴったりテーマの合うような、配信で二人がこれまで交わした会話からのサンプリング挿入)もあって、あまりに切なくて眩しくて困ってしまった。
(二人の歌う曲目は、ライブ中で歌われてみて初めてわかる流れだったのだが、実のところ、タイムシフトで後追いしたぼくには察しがついていた。それどころか、曲中の演出でさえ、うすうす勘づいていた。
 ライブを受けたファンから漏れ出た呟きやら、今回の伏線といえるような関連切り抜き動画やらを、知らずに見てしまっていたので。
 ある程度は身構えていたはずなのに、それでもこらえきれないものがあった)


 ゲストとの曲目はそれぞれ、二人用に誰かが作ったオリジナル1曲と、既存曲1曲との2曲が歌われた。
 えるえるとのコラボ曲は前述のとおり『いけない ボーダーライン』で、これはパートによってはけっこう色っぽい声色を出したりする曲なのだが(『キューティハニー』みたいな)、ここで二人の"らしさ"が出ていてよかった。
 でろーんは、ふだんの雑談では茶化したりスルーしたりするのに(にじさんじがはじめてAbemaTVで冠番組をもった『くじじゅうじ』最初の放送でも「歌がうまい」と司会のタイムマシーン3号さんに振られて、合唱でやる気のない男子学生みたいになっていた)、こと歌などのパフォーマンスでは、こういう大一番でストレートにそういう声色を出せるパフォーマーで。
 対するえるえるは、彼女の実力からすれば声の幅がひろくて色っぽい声も出せるし、じっさい配信中ふざけている時はいくらでも出せしている{デビュー当初は、「人妻では?」と噂されたりもしてたっけ(笑)}んだけど、こういう場面になるとちょっと控えめになってしまう(。悪いというわけではなくて、それこそが彼女らしくって良いというお話)。

 しずりんとの『God knows...』は、『ハルヒ』直撃世代の自分としては非常になつかしいものがあったし。特設バンドderoon5の見せ場もあって、しずりんの周囲の人を大事にしてファンと一緒に実況プレイもたびたびする彼女らしさも感じさせる楽曲だと思った。
 じつは視聴中は正直そこまででもなかった。いや、ライブ中に生着替えしたりだとか、3Dの肉体ならでは出来ることをいちばん拝ませてくれたのがこの曲目で、技術(?)的なところでは一番感心したんだけど。
 でも第二部も見て振り返って、しみじみと良さがにじんできた曲だ。
 JK組3人が歌った『Dream Triangle』にもあるように、時間やら空間やらそれぞれ別の道を歩んできた人々が、なぜだか交わってしまったのがこのにじさんじという箱で、それを端的に表しているのが『God knows...』という12年余まえの懐メロなんじゃないかなァ、なんて。
 また、第二部の歌を聞いて印象良くなった部分もあるんだけど、それは後述。

 

 最初、ライブで既存曲を歌うと知ったとき、正直ぼくはちょっと「う~~ん?」となった。
「それぞれオリジナルのコラボ曲がいろいろありそうだから、全曲オリジナルで行けそうな気もするけど……?」
 と思ったからだ。
 けど、これについても、
「いやそうじゃないな」
 と思いなおした。

 

 楓と美兎の2曲目は、ほかの人がそうなのと同じく、既存曲だった。

 ただしイントロに一工夫あって、それまでの配信でふたりが会話したことの抜粋が流される(のちの配信曰く、これはでろーん自身が編集したのだと云う)。その内容は、それぞれの人生観や死生観を語ったときのもので、それまでの明るく楽しい雰囲気から一転、パソコン越しなのにぼくは襟元をただした。

 

 にじさんじは、絵師さんデザインのLive2Dモデルやら3DCGモデルやらを受け取って、そこに魂(いわゆる中の人)が入って動くというスタイルで、それを見てぼくは笑ったり悶えたり熱くなったりする。
 配信中には楽屋オチのような話も聞こえるし(「まず発足時にガワだけ複数人まとめて公表されたので、自分がどのガワに入ってもいいように一通り声を考えてシミュした」とか)、配信外では中の人バレなども(ネット社会なので)見ようと思ってなくても視界に入ってしまうのだが(しかもそうして紐づけられたバックグラウンドのなかには、実年齢どころの騒ぎでない、踏み入ってはならないような部分さえある)、配信を見ているぼくは彼女彼らについて、そのモデルを借り物だと思うことなんてなく、そのガワとその魂とでひとつの生きた存在として認識している。

 それは既存曲を歌うことだって同じことで、オリジナルじゃなくたって借り物のカラオケ大会にはならないのだ。
 歌詞やメロディはほかの人が考えたものだけど(そしてオリジナル曲と違って、彼女らに当て書きされたわけではないけれど)、彼女らがその曲を歌う意味があり、その歌じゃなきゃいけなかった背景がある。
 それを聞いているぼくは、彼女らの生の思いにたしかにじかに触れている(気分になる)

 そんなことをひしひしと感じた楓と美兎の2曲目だった。

「気を付け、着席。以上、月ノ美兎がお送りしました」
 歌い終えた委員長は、彼女が配信終了時にいつもする挨拶を言う。でもこれは、もちろんその直前のでろーんから聞き手へ向け振った「(いま歌った歌について)みんなどうだったー?」質問の返事ではないし、「美兎ちゃん今日はありがとう」への返事としても変で、会話がつながっていない。その言い方もこれまた妙で、彼女がエイプリルフールにお遊びで演じた自身のヘアピン(の擬人化)みたく上ずっていて、早く言い切りたいみたいに駆け足だ。
「楓ちゃん、」
 そして饒舌な彼女に珍しく、静かに、絞り出すように数単語だけ言う。
「ありがとう」
 そう言って駆け足で退場する。

 

 お遊戯会ではないと言ったけど、『KANA-DERO』にはいくつかお遊戯がある。
 でろーんのまじめな歌と観衆のサイリウムリアクションで燃やされたエルフの森に、「ちょっとー!」と怒り顔の小芝居をして入場するエルフのえる。
 3人でコラボのパートから楓と美兎ふたりだけでコラボするパートへと移るために、「足゛がつ゛っだぁ゛!」と奇声を上げて(にもかかわらず、ピョンピョン跳ぶように足取り軽く)退場するしずりん。
 そしてここ。
 どんな形かは分からないけど、いつかどこかで、別れのときは必ずやってくる。
 目指す道が変わったとかそういう前向きなものかもしれないし、裏をにおわせるような猿芝居で締めくくられるかもしれないし、楽屋裏を見せるなよと思いたくなるような暗い怨念渦巻くものかもしれないし、あるいはそうした一言さえないままに、ふっと消えてなくなってしまうかもしれない。
 いつか来るだろう別れのときが、見てるこちらが赤面してしまうような、こんな面はゆくまばゆい形であればよいなとぼくは思う。

 カメラのまえを往来するサイリウムのさきでまたたく委員長の姿が、とてもきれいだった。サイリウムは委員長の要望どおり赤。かつて『ニコニコ超会議』に数多いる演者のひとりとして参加したときは統一できなかったサイリウムの色だ。彼女のイメージカラーなんだけど、このときばかりは彼岸のようだとぼくは思った。

 

 委員長が去ったあとは、樋口楓がひとりで歌いつづけることになる。
 ハモりなどは無くなるわけで、単純にそこで鳴る音楽的にはシンプルになる。
 なるんだけど、むしろここからが豊かに奏でられる本番だった。

 ひとりになってから歌われる彼女の曲(『楓色の日々、染まる季節』)が、『God knows...』をやわらかくしたようなイントロで、(別にパクリだとかなんだ言いたいわけでなく)配置関係から勝手にドラマを見出してしまった。
 でろーんはたったひとりで歌っているんだけど、そうじゃなくて、過去のいろんな出会いをふまえたうえで舞台に立っている――そんなドラマを幻視してしまった。


 さっきしずりんが見せたみたいに着替えをして。

 さっき制服の委員長が「なんか私とバラバラで違和感ありますね」みたいなことを言った私服から、制服に着替えて。

 さっきえるえるがアレコレ指揮していたようにサイリウムリアクションを、率先して指示して。

 そんな風にして、でろーんは歌っていた。

*1:3DCGやLive2Dによる漫画絵キャラのガワをかぶった動画配信主のこと。にじさんじのひとびとの自称はバーチャルライバー

*2:上演前後のアナウンスを魔法少女勇気ちひろが担当。愛称はちーちゃん。ちーちゃんのライブ振り返り言及はこちらでまとめられているhttps://www.nicovideo.jp/watch/sm34467786

*3:https://www.nicovideo.jp/watch/sm34460716