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だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

速すぎる者/物/物語の行きつく果ては;『Do Race?』全3巻感想

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/z/zzz_zzzz/20220205/20220205163859_original.jpg okama『Do Race?』全3巻の感想です。5万3千 5万5千字くらい。

※以下、件の作品や話題にした事物のネタバレした文章が続きます。ご注意ください※

 

序盤のあらすじ(1話「空飛ぶドレスのシンデレラ」を中心に)

 2072年

「いいのかよお嬢ちゃん…?」

「うん!!」

 泣き叫ぶ少年に自分のクマさんを渡した少女は、一部始終を見ていた青年にほほえみ返す。

「キュウちゃんはなんでも譲ってしまうやさしい子なんです。みんなの笑顔のほうがうれしいって」

 孤児院の大人もまたニコニニコほほえむが、青年は口を結んでアオハト配送のロゴの帽子を深くかぶって目元を隠した。

 2077年

「いいかキュウ、しっかりブロックするんだぞ」

「うん!」

 普段着の青年にほほえみ返すキュウの目は真剣だ。セーラー服のうえにジュニアクラブ用ドレスを着たキュウはドレース競技場を舞うように飛ぶが、クラブのほかの子――ロコ――が睨むのをチラ見して先を譲ってしまう。

「オマエはあこがれの人と一緒にレースをしたいだけだもんな。だけど勝つとき勝てなきゃテストは受からない。代表入りできなければミュラなんて……夢のまた夢なんだからな」

「うん。テストは個人戦だしゆずらないよ」

 2080年

「あら…孫かしらね」

「はい! きっと夏みかんですね!」

 アオハト配送のユニフォームを着たキュウはニコッとほほえみ返す。

「キューッ!! 屋上かして!!」

 配送から戻ると野次馬とともに屋上へ上がった。

「ロコちゃんがんばれーっ!!」

 リムジンを見上げて笑顔で手を振るキュウに、車内で代表選手のユニフォームを着たロコは見向きもしない。そんなようすを配送会社の運営者である青年は無言で見つめる。

 

「……ドレース地球大会! ミュラ選手登場です!」

 実況の声はこれだけ離れていてもまだ響く。夜空に輝くドレース競技スタジアムに背を向けて、真っ黒の海をキュウは見つめる。物思いにふけっていると、ぼうっと光が現れた。

「虫? ……はわっ」

 ドレースのワープカップだった。つぼみが花ひらくようにカップが展開、ひとりのレーサーが降り立つ。

「ミュッ!」

 ミュラさまだ。ドレース全冠の女王ミュラさま。なんでも譲るボクが孤児院のスクリーンの最前列を陣どって中継を見ちゃったミュラさま。配達で渋滞につかまったなかでボクがふと眺めちゃう、スタジアムの壁に大写しにされたミュラさま。ぼくはレーサーになりたい女のこです。いつかいっしょにミュラとレースしたいです、そう宛名のない手紙を――

「君がこのハガキの"キュウ"で間違いない?」

 ――むかし書いたあのミュラさまだ。どうしてボクの手紙が届いているの。

「えっ!? はっはい、デモどうして……」

「でもなぜかしら。ハガキの子はレーサーを目指してるはず」

「!?」

「貧しいのか?」

「!?」

「レースは資金がなければ続けられない。だから3年前、入隊テストで合格をゆずった。そうなのか?」

「!?」

 瞠目したキュウは沈黙した後うつむいて、ようやく言葉をぽつぽつと返す。

「……レースはゆずってません。……それにボクは貧しくありません! 十分に生きてます幸せです。…だけどドレスは…ドレスだけは……家より高価なものだからムリなんです。ボクはテストの前から……あきらめると決めてたんです」

「君はまだ夢をあきらめていない。いちばん大事な夢だから、今くやしくて泣いてるんじゃないの?」

「!!!」

 顔を上げたキュウの瞳には、ミュラが言うとおり確かに大粒の涙が溢れこぼれていた。

「チャンスをあげましょうか?」

 そう言って女王は全裸になった。

 

 ドレースは宇宙のレース。ワープシステムを搭載した宇宙服(ドレス)を着て……はるか何億光年先のゴールを目指す。最速最長最先端にして最もクレイジーなレース!!!

 ドレース全冠の女王ミュラと一緒に駆けることを夢見て才能の芽を育てるも、まずしさとやさしさがあだとなって地球の狭い道路を配送員として働き走っていたキュウは、ある日あこがれのミュラと出会う。

 ミュラがドレースで勝ち得た星を売ってまで作らせ、そしてついさっきまで彼女自身も着ていた特注ドレス。これを貸与されてキュウがシンデレラ気分をあじわったのも束の間、彼女のもとへ地球などを植民地におさめる赤黒帝国の代表チーム"レッドスター"の選手がやってきて問答無用で発砲してくる力づくの強奪を試み、それをかわしてもでっちあげの罪状を片手にした帝国の将校が権力づくの強圧で迫る!

 人を人と思わないレーサーの非情と、気高いレーサーの温情、そのどちらにもふれたキュウは捕縛先の帝国軍敷地内でこう提案する。

「今からトライレースをしませんか? ボクはこのドレスで飛びます……そして、優勝商品はこのドレス!!」

 

約言

 とても面白かったしすごい作品です。興味ぶかくもある。大好き。

 内容;ハイテク未来競技レースSF漫画。

 奇天烈でファンタジックな展開を、いきおいと心意気のノリで魅せていく。さまざま出るレーサーたちの工夫・技巧のなかには、人を人と思わない身も蓋もないアイデアもある。(そして案外それは現実のスポーツ研究とも重ならなくもない

 ただしそれが達成される過程や詳細は空白で、理由は「未来だから」以上のものを明示しない。(だから、ふわふわした作品がダメなひと、ふわふわしてるところへ申し訳程度に理屈をつける作品がダメなひとには向かなそう/でもべつに「やあやあ我こそは科学的に正し太郎!」って作品では全然ないから、そんな悲しい出会いが起こるとしたらこの記事のせいです……*1

 記述;物語は年単位の場面転換もしつつテンポよく、対比変奏も重ねてリズミカルに進む。めくった次ページや隔ページで対照的なコマを持ってきたりと、本をめくる手も早まる。

 レースシーンは曲線のコマに装飾的なオノマトペなどポップかつケレン味がつよく、過重力の衝撃シーンはどこまでも重く、快走時はどこまでも軽やか。

 注意;主役の女性たちがたまに/心象の自己像が裸になる。

 ここ好き;迫力のレースシーン。首だけレーサーが首だけの理由。

 

ざっくり感想

 Do Race?』は、イラストレーターとしても活躍するokama氏によるSF漫画で、『ヤングアニマル増刊arasi』にて2016年7月から18年まで連載されました。

1話は白泉社公式ページや各漫画配信サイトで一部or全部が無料公開されていたりするものの、サイトの掲載方式は一長一短でもどかしい。くわしくは脚注で。*2

 ドレース漫画――未来のハイテクなドレスを着たひとびとが宇宙一を目指してレースする漫画です。

 

 okama氏がかかわり、作中で大きく取り扱われるのがハイテク衣装とその着用者についてであり、そこに競争がからんで……というと、まずおもいうかぶのが作家の倉田英之さんと組んだSF漫画CLOTH ROAD』

jumpbookstore.com

 繊業革命によって人類の文化は大きく変わった。ケーブルは糸に、基盤は布地に。極度に達したナノ・テクノロジーによりコンピュータは人々の服となった。

 それはコンピュータメーカーとファッションブランドの統合を意味し、服を仕立てるプログラマー=デザイナーと、その機能を最大に引き出すファッションモデルは時代の主役に躍り出る。世界は華やかになった一方、社会問題はなにひとつ解決していない。7つのトップブランドが支配し、下層民はショーWAR-KINGで憂さ晴らしして目をそらす。

 きょうもまた地方都市コロネットの暗がりのWAR-KINGランウェイ脇で、孤児の三流デザイナーの少年ファーガスが二流のモデルに怒鳴られていた。

 仕立てを教えてくれた養父が酒浸りでスケッチさえ見てくれず、憧れのトップブランド・ロイヤルカストラートの新作はビルの発光繊維画面(ショーウィンドウ)の向こう。自室の窓向こうでは、想い人のペルリヌさんが男と連れ立って闇に消えていく。

「僕は……一生ここから出られないのかな……」

 そんな日々が唐突に終わりを迎える。養父が病に倒れたのだ。莫大な手術費のためにボロ工房も売り払わなければ。

「もう……もう、どうにでもなれっ!」

 ファーガスが当たり散らす。赤い毛糸玉がはじき飛ぶ。

「わぁっ!」

 振り返るとそこにはじぶんと同じ金髪の、しかし瞳に光を湛えた少女がいた……

 ……根強い人気とたしかな評価を備えた傑作で、最近でも『惑星のさみだれ』アニメ化の報によって、ゼロ年代に青春を送ったわれわれover30のオタクたちが「では『CLOTH ROAD』も……!?」と一瞬盛り上がったほかにも(苦笑)、SFにまつわることなら個別の作品からムーブメント、ジャンル全体まで定性的・定量的に語ってみせる橋本輝幸さんが連載つでもSF入門』初回で取り上げたりしました。

 今作『Do Race?』も幅広いイマジネーションと鋭すぎて身もふたもない域まで踏み込むスペキュレーションで、毎ページ毎コマ魅了したり震えさせたりしてくれます。

 

 ……なんて褒めたわりにぼくは善き読者じゃありません。『Do Race?』の存在を知った頃には完結しており、存在を知った以降にしたって買おうか買うまいかしばらく尻込みしてました。

 (長期連載かそうでないかのラインと言われたりする)3巻という規模、既読者から漏れ聞こえる「打ち切られそうな予感」云々「打ち切りじゃなかった!」云々という感想(※いちおう公式見解としては、最終巻のあとがきでokama氏ご自身が「今作は最後までかくことができました! やった!! まんぞくです」快哉をあげています。氏の同人ub93 ドレース? ラフ設定集を読むに、最初から全3巻構想だったのでしょう。*3、ぼくがokama氏単独の作品を読んだことがない、白泉社なら電書はいつか半額セールやるんじゃね?……などが不安材料・買い控え材料でしょうか。

 

 でも、こうやって手に取ってみると、

「『Do Race?』を読むに、あのすさまじい『CLOTH ROAD』の世界って、okama氏もいろいろネタ出ししたり基幹構築に関わっていたりしたんだろうな」*4

okama氏単独作ほかも手に入れたいな」

 と考えを改め反省した、会心の中編漫画でした。

 

 1巻は主人公の生い立ち紹介と旅立ちバトル回。

 2巻は晴れてプロとなった主人公が前巻で敵だった人々と肩を組んでのデビュー戦。

 3巻は前巻で交流を深め人となりも知った人々とも肩を並べる一世一代の大勝負(1話から提示されたことについて問う要素もある)

 ……と巻ごとに区切りのあるカッチリまとまった3部構成であることも、okama氏の確かな実力者だという証左でしょう。

 ためしに1巻を買ってみて、楽しめたかたは続く2・3巻もお買い求めいただくとよろしそう。

 

 服というものを題材にして、どこまで転がしていけるか? CLOTH ROAD』はそのエスカレートが楽しい作品でした。なんと芥川賞作家でフィリップ・K・ディック賞特別賞作家などである)円城塔さんを驚嘆させるほどの奇想の加速ぶり。

 着る者とその服をデザインする者の関係性を軸として、1話目からし(最高のコスチュームコンテストによる)着る者同士の(モデルのウォーキングと戦いの王をかけた「WAR・KING」という)タイマン格闘戦があったり、かと思えば着る者同士のレースがあったり、コスチューム集団戦争、まではまあいいとして(いいか?)怪獣大戦争、果ては惑星レベルのデザインへと物語は展開していきます。

 さまざまなジャンル・トピックを横断する一大絵巻・百科全書的な物語が素晴らしかった一方で、最高のコスチュームコンテストはとにかく色々なんでもあり過ぎて、ちょっぴり「もうなんだってよくない?」みたいな気持ちにもなっていきました。(と言うとアレですが、「服・装いというものの多面性を見せる」という意味ではこのコスチュームコンテスト等は最高で、それが抜群に興味深く・面白いから何の不満もありません)

 

 そこ行くと『Do Race?』に出てくるハイテク服によるコンテストはドレース一本のみ。そのなかに様々なものが織り込まれたSFメカ競技レース漫画として素朴に面白かったです。

 どうすればドレースに勝てるのか?

 レーサーは前段でほのめかされた自身の欠点をどう克服するのか?

 ……といった経糸の楽しみがあり、それぞれのレーサーがそれぞれの装いと企みを違えて絡み合うことで紡がれるレース模様が『CLOTH ROAD』とおなじく多彩でたのしい。

 劇中競技の展開じたいが楽しめる競技マンガはそれだけで立派ですし、それが劇中オリジナル競技となればなおさらエラい。

 1巻の最初からぼくはレース展開に一喜一憂したんですが、あらためて振り返るとそれってすごいですよね、唯一無二の設定やルールだというのにスル~ッと呑み込めてしまったということなんですから。

 

 とりわけぼくが興奮したのは、ハイテク未来世界ならではのテクノロジーを活かした、ドレース用にチューンされた人体たちです。

 ブルース・スターリング作品について、あのへんてこなことを過激に加速する想像力が好きな自分としては今作もたいへん楽しい。

 レーサーたちは奇天烈でファンタジックですが、丸っきり荒唐無稽なのか? というとほんのちょっぴり疑問符をつけたくなる書き込みがあります。この記事の目次にも並べた現代ポピュラー・サイエンス本でも取沙汰されてきたような、いま・ここのスポーツが追求しているエッセンスでもあるのではないでしょうか。

なぜ okama 先生のまんがはすぐ終わってしまうのか?

漫画界の七不思議のひとつですが、実は不思議でもなんでもない。理由は実に明白です。 わたしたちがあまりにトロすぎるからです。

okama 先生のマンガは常に最高速度でまっすぐ駆けていきます。その速度に読者はおいつけない。

   『名馬であれば馬のうち』掲載、「まんが臨終図鑑2018〜(主に)二、三巻で完結してしまった今年のおもしろ漫画たち〜」記事内、『Do Race?』評

 ぼくは今作をとくにデイヴィッド・エプスタイン氏のポーツ遺伝子は勝者を決めるか? アスリートの科学(2014年邦訳)と並べて読みましたが、そうしたアスリートやその使用器具にまつわる生理や物理、工学などの面白味について語った本が『Do Race?』開始当初に出版されていたかというとそうでもなさそうで、『スポーツ遺伝子~』にしたって文庫版はまだ出ておらず、今作をリアルタイムで追っていたらこういう楽しみ方はできなかったでしょう。

 「時代が○○に追いついた」とか言っちゃうのは脳のどこかが焼けている人による陳腐な表現ですし、そもそも『Do Race?』はずっと先を駆けていますが、しかし追いつくための装備がようやく整いつつあるような気がします。

 "ブレードランナー"オスカー・ピストリウス氏が五輪の舞台で競走したいっぽうで、「テクニカル・ドーピング」なる言葉が世間で言われるようになり、現役オリンピアンの記録を超える走り幅跳びのパラリンピアン"ブレード・ジャンパー"マルクス・レーム氏は認められなかった昨今に不満をおもちのかた、いまから50年後に物語の幕をあける*5機械主義も生体工作もなんでもござれのハイテク未来のアスリートの頂上決戦なんて、どうです?

 

 ……そうなのか? のりにのった奇人変人博覧会だけがうりなのか? 上のまとめかたは、「初読時にのこした読書メモをちょっくら手直しすれば、blog定期更新の成果物にできよう」と皮算用していたぼくの甘い考え。

 見るべきところ、読み直して気づけたところはたくさんあって、おととしのメモでは5千字だったものが、今回5万字にもふくらんだのがその証拠。

 クレイジーなドレースに命の危険もかえりみず極限までかける登場人物の突っ走った姿や思考は、臨死体験をするほど極限まで走った現実のレーサーラッシュ 絶望を希望に変える瞬間太田哲也さんなどと重なって見えさえする一方で、さらには、揺れるバスのなかで本をひらいて気持ち悪くなったぼくやら、実家から遠い現場の仕事に間に合わせるため電車のなかでメイクするかたやらといった、いまここを歩く自分たちをふりかえって見る心地にもなりました。

 

 

感想本文

 (助走)速くなる者、良くなる物

  まるでシンデレラのガラスの靴;『<10秒00の壁>を破れ!』に見る陸上選手と靴メーカーの二人三脚

"スパイク戦争"

 時代とともに進化をとげてきたのは、走りの技術ばかりではありません。

(略)

 スパイクは、走るときに選手と地面が接する、まさにスピードが生まれている現場で働く道具です。スパイクがどんな働きをしてくれるかによって選手のパフォーマンスは大きく左右されます。そんなスパイクの進化もまた、陸上競技の進化の歴史にほかなりません。

   講談社刊、高野裕太『<10秒00の壁>を破れ! 陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』kindle版80%(位置No.2586中 2053)、「第4章 進化する走りの技術と道具」"スパイク戦争"より(略は引用者による)

 スポーツといえばちょうどつい先日開会式がおこなわれたばかりのオリンピックが有名ですね。どんどん良くなっていくオリンピックの世界記録更新の歴史は、選手が身につける競技道具の改良の歴史でもありました。

 たとえば高野裕太『<10秒00の壁>を破れ! 陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(16年2月末刊*6の4章では、陸上競技の選手のスパイクが戦前から現代までどう変わっていったのかが概観されています。

 戦前だと地下足袋のようなシューズを履いていた日本選手は、海外シューズメーカーにならって長い鋲のようなピンをつけたシューズを履くようになり。トラックが土からポリウレタン素材にかわると、スパイクも靴底をナイロン樹脂製へと世界的に改めます。

 さらに時代がくだって技術も進歩し、選手とメーカーが二人三脚でつくる開発競争がくりひろげられることとなり、とくに象徴的な出来事として高野氏は91年の東京世界選手権の決勝レースを取り上げます。

「はだしの感覚で走れるスパイクを作ってほしい」

 ルイス選手のこんな要望をかなえるために、軽さは譲れない条件だったのです。それは丈夫さを犠牲にしてもかまわないという徹底したものでした。

 そこでミズノは、軽さを極限まで追求するために技術と工夫をつぎ込みました。

  『<10秒00の壁>を破れ!』kindle版84%(位置No.2586中 2133)、「第4章 進化する走りの技術と道具」"スパイク戦争"より

 84年ロス五輪で幅跳びをふくんだ四冠、88年ソウル五輪で100m走二連覇をはたしたカール・ルイス選手とミズノがかれのためにつくった、プラスチックのピンなどから成る――トラック以外で歩けばつぶれてしまうくらい――軽いが脆い特注スパイク。

 対するバレル選手とアシックスの陣営は、(略)接地したときにかかる力をできるだけ逃がさないことを重要視しました。前に述べた「エネルギー効率」を追い求めたのです。

(略)

 この開発で大きな役割を果たしたのが、その前の年に兵庫県神戸市の郊外に完成していた研究所でした。

 選手ごとの特徴を引き出すような、きめ細やかなシューズづくりをする伝統を受け継いだ研究所には、さまざまな観点から選手の動きや能力を計測し、分析できる専用装置と技術者がそろっていました。

   『<10秒00の壁>を破れ!』kindle版85%(位置No.2586中 2152)、「第4章 進化する走りの技術と道具」"スパイク戦争"より(略は引用者による)

 当時の世界記録保持者リロイ・バレル選手とアシックスがかれのためにつくった、建造したばかりの研究所の圧力センサーや赤外線マーカーのモーションキャプチャなど当時の最新計測機器により導き出されたピン配置の特注スパイク。

 相まみえる新旧世界記録保持者がそれぞれ履いた靴は、その人だけのその場かぎりの一点物で、まるでシンデレラにあつらわれたガラスの靴のようでさえあります。

 

  獣になる、異形になる;『オリンピックに勝つ物理学』が提示する力学的に正しい選手像と『スポーツをテクノロジーする』のまじめな水着/人体改造

 速いということは力学的に優れているということでもあります。

 おなじ投擲競技でも、すらっとしたやり投げの選手にくらべて砲丸投げの選手が100kgをゆうに超す重量級なのはどうして?

 身長的に頭一つ抜けていたイアン・ソープ氏が水泳でも頭一つ抜けていたのはどうして?

 リンピックに勝つ物理学』(12年刊)で望月修さんは、(上の例なら前者の疑問であれば運動量保存則を補助線にもちいて、後者であれば造波抵抗係数とフルード数の関係をもちいて)スポーツのなかにも見出せる物理学的根拠をさまざま紹介していき、そしてそれぞれの競技解説の締めくくりとして、各種目における理想的なアスリート像を提示します。

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 「つま先からかかとにかけて長いほうがよい」などと付記されたその姿かたちは『マン・アフター・マン』などドゥーガル・ディクソン氏の想像する未来生物たちを眺めるようなおかしみを抱かせますが――フリップ芸なんて形容するかたもいらっしゃるんじゃないかと思うくらいですが――しかしたとえば陸上「短距離選手の理想的体型」が、北京オリンピックで出場可否を議論された"ブレード・ランナー"オスカー・ピストリウス氏により一躍有名になった陸上競技用義肢を装着したアスリートの姿に似ていると気づくと、ちょっと見方が変わってきます。

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 Cの字をしたチーターの後肢にインスパイアされて、フィリップスは初期設計に着手し試作品を作り始めました。軽くて丈夫で強い、そしてエネルギー還元もまた良い素材を追求し、カーボン・グラファイトへと落ち着きます;航空宇宙材料のエンジニアであるデイル・アビルドスコフ*7の助けも借りて、フィリップスは何百というモデルを自身でテストして試作品を改良していったのです。

 Inspired by the C-shape of a cheetah's hind leg, Phillips developed an initial design and began building a prototype. He searched for lightweight, durable, strong materials that also offered energy return. He settled on carbon graphite; with help of aerospace materials engineer, Dale Abildskov, he refined his prototype, testing hundreds of models himself.

   Lemelson-MIT program掲載、『 Inventor of the Week, January 2007: Van Phillips』より{翻訳は引用者による(英検3級)}

 ヴァン・フィリップス氏の発明であり、現代陸上競技用義足の基礎となった「フレックス‐フット チータ」*8は、その名のとおりチーターに着想を得て開発されました――奇しくも「チータに学べ」と提案した望月氏とおなじように。

 

シドニー五輪(2000年)

 北京五輪レーザーレーサー(LR)につながるハイテク水着時代の幕開けです(図11)。米航空宇宙局(NASA)や、バイオメカニクスやサメの著名な研究者たちも加わり、大変高度な研究開発を通して水着の歴史に革命を起こしたといっても過言ではないと思います。

   日経BP社刊、北岡哲子『スポーツをテクノロジーする』kindle版14%(位置No.2584中 327)、「CHAPTER1 オリンピック競泳水着をテクノロジーする」1964年から2014年までの進化を一望する

 どんどん良くなっていく競技道具の発展史は、人体改造の歴史の様相を呈してもきます。

 昭和と平成の境目うまれのぼくにとって印象的だったのは、前述イアン・ソープ氏の長身を真っ黒につつんだ2000年シドニー五輪のスピード社による高速水着「ファストスキン」!

 ポーツをテクノロジーする』(17年11月刊)北岡哲子さんによる東京五輪以降の競泳水着の開発史*9を読むと、その特異なすごさが一層よくわかる。

 1964年東京五輪ではナイロン(ポリアミド)100%の合成繊維をトリコット式に編んだ競泳水着は、次のメキシコ五輪では着用者に合わせた凹凸の縫製となり、ミュンヘンでは肩を動かしやすいようカッティングを変え、モントリオールでは素材をポリウレタン弾性系に変え、肩甲骨をあけたレーサーバックスタイルが誕生、ロス五輪ではワッペン式の国旗がプリントとなり、ソウルでは東レとミズノによる新素材の発明、水着はどんどんなめらかになって92年バルセロナの「アクアスペック」で頭打ちを迎えます。

 そうして96年アトランタで別軸が示された後の2000年、ざらっざらの「ファストスキン」が生まれたそうです。

 Vの字を並べたような「表面リブレット形状」が全身を覆うフルスーツタイプの水着。

 表面をどれだけ滑らかにしようと発生してしまう乱流をV字の溝によって縦渦をわざと起こして抑制する逆転の発想・造形は、ネイチャーテクノロジー(生物模倣技術)による産物で、ヒトよりも速く泳ぐ先達――サメの皮膚を参考にして生まれたと云います。

 もう一つの逆転の発想、これまでであれば素肌を見せていた肩甲骨まわり(自由に動かせるように、むしろ可能な限り布を除けてきた部分)もピチピチの水着におおわれ、それどころか足や腕の先まで水着につつまれるという窮屈そうなフルスーツ構造もまた、人でなしの発想から生まれています。

 全身を覆って肌を露出させないフルスーツというデザインも斬新でしたが、これも抵抗削減のための発想から生まれました。人間が泳ぐときに受ける全抵抗の70~90%は形状抵抗だといわれています。流体の中を進む物体の後ろ(下流側)には渦が発生し、その渦が大きければ大きいほど物体を後ろに引っ張り、抵抗は大きくなります。特に、その物体の形が凸凹していると、流れが物体から剥がれることによって渦が生じやすくなります(図13)。逆に流線形にすると、渦の発生を抑えられて形状抵抗を削減できるのです。

 すなわち、人間の体の凸凹をできるだけ抑えて流線形に近い形に補正するとともに、水流により生じる筋肉の振動や変形を抑えて抵抗の低減を図るために、できるだけ体を覆うスタイルが誕生したのです。

(略)

 新幹線車両や船の形状など、広く工学的に応用されていた概念を水着に採用したことは、確かに進化だと思います。

   『スポーツをテクノロジーする』kindle版14%(位置No.2584中 349)、「CHAPTER1 オリンピック競泳水着をテクノロジーする」1964年から2014年までの進化を一望する

 人体を新幹線などに整えるという点だけ見れば、チーターの後肢にならった義足をつける*10・サメ肌にまなんだ水着を着る……といったアプローチと似ていますが、速く動けないのはその人がいくら頑張ろうとどうにもならない、人間のからだそれ自体に起因する問題なので、人体というノイズを取り除いてしまおうという引き算が導かれる点で大違いの発想ですね。*11

 まるでガラスの靴を履くためにつま先や踵を切り落としたシンデレラの義姉妹みたい。

 

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 あるいはCLOTH ROADに登場する大国*12ユニイズムのトップモデルであるカピスルの水着のよう。*13

 大黄河を遡上する禮魚の群れにぶつかりもがく主役のジェニファーを尻目に、カピスルは水中をヌパァッとすすみ、体を伸縮させて魚群のあいだをチュルッと抜けてみせます。
 カピスルの「ぬるっ」*14とした「全身タイツ」*15スーツには、オイルが塗布*16されており、また、全身を覆う理由は防寒のため*17と説明されますが、ヒゲっぽい長いひもは特に劇中説明ありません(シュノーケル的役割なのかな? それともセンサ?)。察するにナマズウナギあたりを模したもので、オイルは魚の体表を覆って身を守るムチンを参考にしたのでしょう。 *18
 カピスルのスーツを前述「ファストスキン」の脚色と見たぼくを、また興奮させるイマジネーションが『Do Race?』にはありました。

 

 速くなりすぎる者、良し悪し不明なほど改められる物;『Do Race?』のエスカレーション

  ポップなキャラが/今ここのスポーツ研究が、身も蓋もなく加速する

 さて未来のハイテク世界を舞台にした『Do Race?』は、100m10秒の世界ではない超音速超高速レース物です。

 第1巻の段階で、そんな早業を人間が行なうことによる問題が取り上げられて、そうした問題に対するハイテク世界ならではの対処もまたさまざま描かれています。

 問題ってなに?

「あの アヴリルさんおたずねしてもいいですか?」

「? ええ」

「照明の色 変わりましたか? コースから色が消えました これって…」

「ナニ!?」

「……それは"グレーアウト" アナタ…気絶の10秒前ですわ」

   白泉社刊(ヤングアニマルコミックス)、okama『Do Race?』1巻kindle版73%(位置No.195中 139~140)、「5th race 暴炎インサイドZONE」より

 まずGで問題になるのは、血液です。人間の血液循環システムは1Gで設計されています。

 プラスGがかかると血液は足の方向に移動し始めます。そこでまずやられるのが目です。白黒画像になり、そしてだんだん視野が狭くなります。これにも耐えて、さらにGを増加させると、真っ暗になります。

 それ以上がんばると、意識がなくなります。

   パンダ・パブリッシング刊、渡邉吉之著『戦闘機パイロットの世界:"元F-2テストパイロット"が語る戦闘機論』kindle版63%(位置No.4414中 2756)、「第5章 いざ戦闘任務へ」5 Gの話 Gravity より

 第二次世界の頃、戦闘機パイロットはごく普通の格好をしていた。通常、連合軍のパイロットは戦闘服と羊皮のジャケット、毛皮のヘルメットを着用していた。コクピットにはまっすぐな姿勢で腰かけていたが、偉大な空中戦の物語を読んだものなら誰でも知っているように、きつい旋回をやらかすと、戦闘機パイロットは「意識がふうっと薄れる」傾向があった。この「ブラックアウト」は人間にからむ機動限界といえた。なにが起きたかというと、旋回によって発生したGのせいで、心臓がいくら血液を送りだそうとしても、それを上回る勢いで血液が脳から下がってしまい、結果的に視力と聴力が失われたのだ。

   新潮社刊(新潮文庫)、ブライアン・ジョンソン著(平賀秀明訳)『テスト・パイロット』p.253~4、「第六章 中間学期」より

 ヒトの体がどこまでの過重力に無傷で耐えられるかは、その過重力にさらされる時間の長さに左右される。十分の一秒なら、加速度の方向に対する姿勢によって、15から45Gに耐えられるとされている。これが一分以上となると、限界値は一気に低くなる。重たくなった血液は、一分もあれば一滴残らず下半身に大集合し、脳は酸欠に陥って意識を失う。そのままの状態が続けば死ぬ。NASAの遠心機を使った訓練について、ジョン・グレンはこう書いている――16Gは「持てるかぎりの気力とテクニックをかき集めて、ようやく意識を保っていられるかどうか」だ。再突入の際、宇宙飛行士が横になるのはそのため――血液が下半身に溜まるのを防ぐためだ。

   NHK出版刊、メアリー・ローチ著(池田真紀子訳)『わたしを宇宙へ連れてって 無重力生活への挑戦』kindle版33%(位置No.5158中 1656)、「6 宇宙酔い」より

 F1などモータースポーツや戦闘機パイロットあるいは宇宙飛行士が直面する、過重力下での感覚の低下やブラックアウト(意識喪失)です。

 重力のかかり具合に応じてパイロットの下半身を締めつけるなどして血流が下がってくるのを防ぐ耐Gスーツの開発・改良によって現代の戦闘機パイロットは9Gがかかろうとも飛行できるようになりましたが……

 次に5G。これはアクロバット飛行するときに使うGです。ここまでくると、耐Gスーツに締め付けられる感じが痛みに変わります。気を抜いていると目の前が暗くなっちゃいます。マスクは下向きに顔を引っ張り、まぶたを開けているのにも力が必要です。(略)

 6Gです。これから先は本気の体力勝負です。当然、普通の呼吸はできません。小さく強い呼吸をします。それによってちょっとは耐G性能が上がるといわれています。下腹に力を入れて……「ふっ! ふっ!」と息を吐く感じでしょうか。顔はほっぺたが下に引っ張られ、馬面になります。また、体の柔らかい部分の毛細管が切れるのが分かります。上腕の下面などは「プチプチ」といって、露骨に毛細管の限界が分かります。

 7G~8G。もはや自分との戦いです。どれだけがんばれるかが勝敗を分けます。

 9G。これは訓練された人間の限界でしょう。これ以上は我慢できません。9Gでいられるのもたぶん10秒程度でしょう。それ以上は黄泉の国……。

    『戦闘機パイロットの世界:"元F-2テストパイロット"が語る戦闘機論』kindle版64%(位置No.4414中 2776)、「第5章 いざ戦闘任務へ」5 Gの話 Gravity より

 ……意識が保てるというだけで、呼吸は特殊になり*19毛細血管の切れるのがわかるほどの痛みと我慢の世界だと云います。ひ~。

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 そんな過重力の衝撃を、okama氏はマンガならではの表現によってあらわしてみせます。

 傍目にすごい縦長のコマや、見るからに気持ち悪そうな左側ページの曲線によるコマ構成はもちろん、小さなコマも見逃せません。

 乱れる呼吸や上げられない手、仰向けの航行姿勢*20など、過重力にたいする身体の異変や耐えるための工夫も『Do Race?』にはしっかり取り入れられています。

 キャッチーな左側ページもまた、コーナーを曲がるレーサーたちをそのまま捉えんがための曲線であり、過重力がカーブでいっそう強くはたらくことに気づくと、この奇天烈な見開きページは劇中現実や物理現象をそのまま忠実にとらえようとした結果にも思えてきます。

 

 あるいはクラッシュ

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「アタシは1度……死を体験したことが…ありますの…… それはゴール前で起きたクラッシュの時 爆発の中…アタシは気をうしなった

 目が覚めた時は病院のベッドでしたの

"……これがヘルメットの緊急ワープ…?"

 だけど……

"身体がナイ!!"」

   白泉社刊(ヤングアニマルコミックス)、okama『Do Race?』1巻kindle版73%(位置No.195中 143~145)、「5th race 暴炎インサイドZONE」より

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 搬送先の病院に運び込まれてから二時間が過ぎる頃、僕は集中治療室のベッドの上で、混濁した意識の中から徐々に徐々に覚醒していた。

 何か気がかりな夢を見ていたような気がした。目を覚ますと、視界は灰色一色だった。何かが被されているようで、何も見えない。

 誰かが僕の体に触っている。会話の内容を聞くと、どうやらふたりの看護婦が僕の体を消毒しているようだ。ああ、じゃあやっぱり怪我をしたんだ、と思った。でも、なぜか痛みをほとんど感じていなかった。痛くないのだから、たいした怪我ではないのだろう。

 とにかく、医務室で寝ている場合ではない。メカニックはクルマの修理をもう終えて、僕を待っているのだろう。早くフェラーリコクピットに戻って、再スタートの準備をしなければ。

 そう思って起き上がろうとしてみたが、体はぴくりとも動かなかった。

   幻冬舎刊(幻冬舎文庫)、太田哲也『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.43、「七十二時間の命」レーシングドライバーのプライド より

 1998年雨の富士スピードウェイで多重クラッシュに巻き込まれた川崎育ちの「日本一のフェラーリ遣い」太田哲也さんは、範囲40パーセントの三度熱傷*21の重体となった――そしていわゆる「三途の川」的な夢すら見た――事故後はじめての覚醒をそうつづります。

 高速レースに事故はつきもので、そうした過酷さが『Do Race?』にもしっかり盛り込まれています。(ただし劇中世界のテクノロジーは発達しているため、太田氏がその後何度も何年も送った手術とリハビリ生活は『Do Race?』の主役たちにとって無縁のものですが)

 

***

 

 現実の高速動作は、遠心機などを通じたパイロットの鍛錬にくわえて、耐Gスーツや乗り物の機体性能の向上、ほかにも操縦にコンピュータ制御をかける「フライ・バイ・ワイヤ」の発明・発展による失速(ストール)現象をおこす閾である揚力限界をこえない航行の厳密化などなどテクノロジーの賜物ですが、『Do Race?』のレーサーたちもまた劇中テクノロジーの恩恵を受けています。

「加速Gは体重に比例してかかる だから頭だけになったアタシは 通常の10倍加速Gに強い!!

   『Do Race?』1巻kindle版74%(位置No.195中 145)、「5th race 暴炎インサイドZONE」より

 たとえば、劇中に登場するレーサーのひとり"生首のアヴリル"アヴリル・レッドレオは「高速移動時にかかる重力はレーサーの体重に比例するから」との旨で、その異名のとおり頭だけ生体にして首から下はすげ替え可能なモノに改めることで、軽量化して負荷自体を軽減させます。

 サイバーパンクの書記長ブルース・スターリングが創造したポストヒューマン未来で言えば、機械主義者的な発想ですね。

 

 さて瞬発力や持久力にかんするトリビアとして、「速筋・遅筋という筋肉の質が」云々とか、あるいは「高地トレーニングや山間部に住むひとびとは、血中に取り込める酸素の量が多いためそれだけ運動が」云々……というお話は、かなり耳なじみのあるトピックになってますよね。

 それに比べると、現実の科学で考えられているのにフィクションのなかで意外とあまり聞かないのが、身体の部位と物理学的関係です。

 デイヴィッド・エプスタイン氏ポーツ遺伝子は勝者を決めるか? アスリートの科学(2014年邦訳)で、1998年コペンハーゲン筋肉研究センターのおこなったケニア・カレンジン族(長距離ランナーを多く輩出している民族)と他の民族との比較調査を紹介しています。

 長距離走におけるカレンジン族の優位性についての多数の逸話や主張を検証するために、世界的に有名なコペンハーゲン筋肉研究センターの研究チームが、一九九八年にデータの評価に取りかかった(8)(9)

 カレンジン族の少年と、コペンハーゲンに住むデンマークの少年も調査対象に含まれた。

   早川書房刊(ハヤカワ文庫NF)、デイヴィッド・エプスタイン著『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか? アスリートの科学』Kindle版56%(位置No.7854中 4355)、第12章「ケニアのカレンジン族は誰でも速く走るのか?」より

 カレンジン族のエリートランナーとヨーロッパ人のエリートランナーとでは、平均して遅筋繊維の比率に差はなく、デンマークの少年も都市部に住むカレンジン族の少年や農村部に住むカレンジン族の少年と差はなかった。農村部に住むカレンジン族の少年の最大酸素摂取量は、都市部に住み、活動量の少ないカレンジン族の少年よりも高い値を示したが、それでもデンマークの活動量の多い少年とほぼ同等の値だった。

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』kindle版56%(位置No.7854中 4364)

 えっ遅筋もほかと変わらなければ、酸素摂取量でさえもおなじなの。カレンジン族の身体的優位性なんて実は無いのか? ……いえいえコペンハーゲン筋肉研究センターは重要なちがいを発見できました。

 研究者たちによる最もユニークな発見は、脚の長さよりも、むしろ脚周りの寸法だった。カレンジン族少年の下腿の容積と平均的な太さは、デンマークの少年よりも一五%から一七%少なかったのだ。これは重要な発見だった。脚は振り子のようなもので、振り子の端が重いほど、振り子を振るのに多くのエネルギーを必要とする(*3)

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』Kindle版56%(位置No.7854中 4373)(太字強調は引用者による)

 足首にわずか五〇グラムの重りを取りつけただけでも、ランニング時の酸素消費量が一%増えることが、別の研究チームによって確認されている(アディダスの技術者が、軽量シューズの開発時に同様の結果を再現している(11))。

 つまり、デンマーク人ランナーと比較すると、カレンジン族ランナーの下腿は約五〇〇グラム軽い(略)。そのため、一kmにつき八%のエネルギーが節約される計算になる。

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』Kindle版56%(位置No.7854中 4386)(略・太字強調は引用者による)

 なんとも身も蓋もない計算です。

 既成概念や思想や神秘のヴェールをどうにか掃って、身も蓋もない何某かを見つめようとする・思いもよらない新たな角度から考え直してみるのもまた、研究のたのしいところでしょう。

 そういう楽しさが、『Do Race?』にはあります。

 

アヴリルは昔からずっと…私のこと お仕事で飛んでる と思ってる

 私がそのために作られた子供だから

 ドレースのために量産された クローンの1人だから」

   『Do Race?』1巻kindle版87%(位置No.195中 170)、「6th race セーノで0mm」より

 超高速移動を実現させるため、ほかにはレースチャンピオンからクローンをつくる(レースにうまい=重力にも強い)という手段がとられます。

 B・スターリングで言えば、生体工作者的な発想ですね。

「アスリート同士に/外国のひとと結婚してもらって優秀な選手を」

 みたいな話を著名人がつぶやいて物議をかもしたのは2010年代後半~20年代はじめのことでしたが、これって居酒屋の与太ではなくて、そうした検討はじっさい真面目におこなうひとがいるし、検討どころか実行にうつす共同体だってあったりする。

 身長二二六㎝の姚明(ヤオ・ミン)は、かつてNBAで最も高い身長を誇る選手だった。両親は二人とも中国の非常に背が高い元バスケットボール選手で、中国バスケットボール協会の引き合わせで出会った。

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』Kindle版81%(位置No.7854中 6348)、終章「完璧なるアスリート」より

 中国オソロシヤなんて色眼鏡をかけている場合ではなく、東西南北を問わずそういうことを試みているところはあって、エプスタイン氏は遺伝子型によってトレーニングプランを整えるオーストラリアの団体を紹介しています。

オーストラリアのフィッツロイに本社を置くジェネティック・テクノロジーズ社の動きは早かった。同社は、顧客のACTN3遺伝子の型を九二.四〇ドルで検査するという(ちなみに私はR型を二つ保有してる)。二〇〇五年、オーストラリアのナショナル・ラグビー・リーグのチームであるマンリー・シーイーグルスは、所属選手のACTN3遺伝子を検査し、その結果にしたがってトレーニング方法を変えていることを認めた。

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』Kindle版45%(位置No.7854中 3487)、第9章「人間はみな黒人(とも言える) ――人類の遺伝的多様性」より

 『Do Race?』はこうしたプロレーサーたちとのっけからバッチバチの競いあいが拝めます。

 

 速すぎる物語、ページをめくる快感

  いやそれって1巻だけの話じゃん? てか1巻時点でそもそもさ?

 1巻の時点でこういった具合なので、ついにプロの世界へ踏み入れたその後にでてくるレーステクや選手たちには、より幅広くより際どいアプローチをついついぼくは期待してしまいましたが*22。ドレースがただのレースではなく宇宙を股にかけるレースたる所以であるワープ航法が登場する2巻、3巻とすすむにつれて、

「天才とは?」

「圧倒的な天才をまえにして、そうじゃないひとはどう向き合えばよいか?」

 という精神論や人生論的なドラマの比重が大きくなっていったように思います。

 そんなカラーは、今作における記事上で話題にしたCLOTH ROAD水泳シーンと類似シチュエーションを比べるとわかりやすく……

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 ……『Do Race?』第3巻18話でもまた、コースとしてえらばれた舞台に自生する動物たちがレーサーの行く手をはばみ、レーサーがそれをすり抜けていくシーンが登場します。

 『CR』では、すりぬけたトップモデルのカピスルだけでなく、自然の驚異にたいする防護策を考え・具体的に仕込んだデザイナーのチャコ(黒髪の女性)もまたクローズアップされていますが。

 一方『DR?』では、

「ミュラはミュラだ!!」

 との実況アナウンスが響き、レーサーたちも「……すごい」と同様の反応をしているとおり、レーサーのミュラのライディングテクニックの凄さだけが取りざたされています。(キュウやミュラクロのメカニックは顔やセリフがありますが、ミュラのドレスを仕立てた人物は登場しない。まるで彼女が魔法でこしらえたかのように)

 こうして振り返ってみると、

「そちらについてはもう『CLOTH ROAD』で詳しく書いた」

 ということなのかもしれず、

「いや"天才/凡才"も『CR』の主要テーマだったな? でもあちらは親子論、師弟論的な向きがつよく……」

 とも思い直したり思い直し直したり、なんにしてもあわせて読むとよりいっそう味わい深い作品なのやもしれません。*23

 

 また既読者がこの記事の「ざっくり感想」に目を通したなら、

「いやこんな未来へは行かないでしょ」

「科学要素はエッセンス(本質)じゃなくてフレーバーでしょ」

「なにがスターリングだ、ボディもシャーシも肉抜きしまくったクソ小学生のクソ改造ミニ四駆じゃないか」

「ポップ&クールなビジュアルのチキチキマシン猛レースでは?」

 という声をあげることでしょう。

CLOTH ROAD』について

(略)

――戦闘シーンでは、毎回毎回、誌面が小さく思えるような空間の広がりというか、グルーヴ感を、よくこれだけで表現できるなと感動しています。空間構成とか空間認識力が独特ですよね。

 そうですか? あまりパースとかはとらないですね。戦闘シーンの空間感はのりで決めてます。街の中とかは、建物、喫茶店、家の広さとかを気にしながら描いたていたりしますけど。

   美術出版社刊『コミッカーズアートスタイルVol.2』p.13、「okama」より(略は引用者による)

 ここまででzzz_zzzzはさも科学的にすばらしいかのように言ってきましたが、『Do Race?』はそれ以上にその場その時のノリや心意気がすばらしい物語です。

 ぼくは最後まで読んでも結局ドレースが重力や空気抵抗などのある場における競走なのかそうじゃないのかさえよくわかっていません。

 劇中にでてくるさまざまな奇想について、達成する過程や詳細は余白が多くて、ざっくり「未来だから」以上のものは提示されていません。

 過激なへんてこが実現する過程を地道に埋めていく説得力もまたスターリング作品の持ち味ですから、『Do Race?』をそれになぞらえるのはその意味で正しくない雑な言及です。

 

 とある宇宙SF漫画・アニメへ本職研究者・開発者がよせた苦言にたいするバックラッシュも記憶にあたらしい昨今ですが――そしてぼく自身このblogでチャールズ・ストロス氏のこんなエッセイグレッグ・イーガン氏のそんなエッセイを勝手に邦訳紹介してきましたが――そういった科学にくわしいお歴々にご登場ねがいでるまでもなく、

「……数ページ前の理屈からするとこの解決はおかしいのでは? けっきょくここはどういう法則下の世界なんだ?

 どういうレース状況なんだ?」

 みたいな疑問がうかばなくもない。zzz_zzzzがそう思うくらいなので相当な世界なのではないか?

 ぼくみたく、

「そうそう、高速で動くと……なんか? 重力? すごいらしいよな~~~!!」

 と盛り上がれるひとが一番たのしめる作品なのかもしれません。

 

「あの子はドレスを着こなしてる!!」

「……完敗だわ」

   『Do Race?』1巻kindle版91%(位置No.195中 178)、「6th race セーノで0mm」より

 ドレースは、レースというよりむしろ、素敵なドレスを着た素敵なモデルがランウェイを入れ代わり立ち代わり現れて見得を切る、ファッションショーを拝むような態度でのぞむのが一番たのしい見方なのかもしれません。あるいはバーレスクを?

 世界構築はパンツみたいなものです。はく必要はありますが、見せびらかすべきではない――バーレスクの催し物でもない限り。

 衣装に耳目を集めさせる足場組みが世界構築です。

 世界構築のなされなかった宇宙の王様は、そのおろしたての衣装に茶色いタイヤ痕じみた染みを内からつけてしまうかもしれない危険を冒しています。パンツはいてないので。

  Worldbuilding is like underwear: it needs to be there, but it shouldn't be on display, unless you're performing burlesque. Worldbuilding is the scaffolding that supports the costume to which our attention is directed. Without worldbuilding, the galactic emperor has no underpants to wear with his new suit, and runs the risk of leaving skidmarks on his story.

   『Charlie's Diary』2018年2月6日、チャールズ・ストロス「Why I barely read SF these days」より{翻訳は引用者による(英検3級)}

 作家のチャールズ・ストロス氏は自身のblogで、映画的な見栄えを優先した『スターウォーズ』の宇宙戦とその影響下の最近のSF小説を批判し、その問題をこう言いました。

 『Do Race?』は『スターウォーズ』的作品ではありませんが、okama氏がフューチャービジュアルを手掛けた『トップをねらえ2!』や1巻謝辞で「ネームを読んでもら」った「トモダチ」*24として挙げられただろうかたがたもかかわった「ガイナックス/トリガー/カラーの一部の(ややこしいところを語り口のうまさで回避したり、勢いやビジュアルで押し通した)SFアニメ的である」と言えそう*25で、日本という一地方版"パンツ履いてないSF"とは何なのか検討したり批判的総括したりする道を歩むのは興味ぶかそうです。

 

 ただそれを行なうにはぼくじゃ到底知識が足りませんし、そもそも上述みたく我にかえったのは初読から2年後こうやってキーボードに向かってようやくなんですよね。『Do Race?』はそういう理を通り過ぎて置き去りにするほどの、相当に相当なストーリーテリングでもあります。

 

  最小手数の連関

 この記事の上のほうで引用した『名馬であれば馬のうち』さんの評はフレーバーでなくて、『Do Race?』はほんとうに速い。そのうえ無駄なく有機的な作劇なのです。

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 白泉社の試し読みマンガParkの無料公開範囲である1話序盤で2072年の幼少期から77年のジュニアクラブ時代、80年の配送員時代を点描するくだりだけでそのリズム感と無駄のなさがよくわかります。

 72年の第一コマが「アオハト配送」と印字された段ボールが届けられた孤児院玄関前のエスタブリッシングショットであるように、80年の現在についてもアオハト配送と印字された飛翔体を写したコマから始まります。

 そうしてどちらの年代でもコマ内右に立つキュウがコマ内左に立つ人(ぬいぐるみを欲しがる男の子/老婆)へ配送物を差し出すようすがうかがえ、そして「はい!」「うん!!」と年齢以外かわらない笑顔をうかべてみせます。

 もちろん差し出したものは、幼少期のそれは善意から私物でしたが現代のそれはお仕事であるという点で違いはあって……

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 ……幼いころであればドレースの試合中継がTVではじまれば、アオハト配送の青年たちも無視して院の仲間たちの誰よりもはやくスクリーンのまえへ駆け寄っていたキュウは、現在ではアオハト配送員として一般車両の渋滞の途中にならんで列を乱さず、ドレースのスタジアムを横目に見るだけになっていたりもします。

 そして"全冠の女王"ミュラがスクリーンに大写しにされれば、(駆け寄ったときや他の鑑賞シーンから察するに、足を浮かせたドレースの操縦体勢をまねしながら眺めていたらしいところを、このときばかりは)体を起こして「ミュラ……!」と口をぱかーっと開けて目をキラキラ輝かせていたキュウが、スタジアム壁面に飾られたミュラのイメージを渋滞から遠巻きに見て、「(ミュラ……)」と口をむすんで困った笑みをうかべるだけになっていたりもします。せつない。

{幼少期はミュラも見上げるキュウ(の正面顔)(漫画的な構図によって)同一コマ上に収まっていたのが、現在はミュラは3コマ目・キュウの正面顔は4コマ目とそれぞれ別枠にいる(現実的な構図となっている)のも、せつなさを強めている}

 

 この調子で話していったら全ページ引用してしまうことになるので省きますが、キュウが配送する姿に感じたせつなさの理由はそれ以外にもあります。

 上で引用した「現代にちかいふつうの街並み」のうえをふつうに飛ぶ配送員キュウの姿と、77年ジュニアクラブのokama氏らしい創意ゆたかなファンタジックな競技場を眼下に曲芸のように飛んでみせた若きキュウの姿とにあるその静と動のギャップにだってせつなくなるし。

 上でも言いましたがちょっとしたことでも足を浮かせたドレースのごっこ遊びをしていた無邪気な幼少期のキュウが、けっきょくレーサーを見上げる「その他大勢」となってしまったことにせつなくなる。

 引用したコマにあるのはせつなさだけでなくて、たとえばミュラの掲げたシャンパンなんか素晴らしい。一話のつづきを読んでいくと、それが単なるそのコマ限りの"勝者の記号"ではないこと、ミュラが全冠の女王たる所以をみせつける小道具となることに驚かされます。

 

  ページをめくる快感

 『Do Race?』は速く無駄なく有機的なうえ、ページをめくっていくのが快感となる作劇でさえあります。

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 第一話からページをめくるのが楽しくて、たとえばミュラに詰問されたキュウが、「ゆずってません 十分に生きてます幸せです」などと反論するくだり。『Do Race?』がはじまって一番の長ゼリフをキュウは述べますが、しかしうつむいた顔は影が濃く落ち、目が見えない。

 めくった次ページの第二コマ(第一コマはグレーの背景コマなので実景としては一コマ目)では、見えない目元が実は悔し涙であふれていたことがわかります。

 ……ページの前後でキャラなどが正反対の様相を見せたりなどすることが『Do Race?』には随所にあって、だからページをめくる手が自然とはやくなります。

 

「あの…実はボク 音速…初めてなんです」

「大丈夫

 最初のうちは痛くないから」

   『Do Race?』1巻kindle版58%(位置No.195中 114)、「4th race ピンヒールで突き進む未来」第5・6コマ

 さきほど引用した過重力の重さのまえを体感するまえに、キュウとベテランレーサー銀座瞳はこんなやりとりをします。

 さて、では実際にGをかけてみましょう。

(略)

 アフターバーナー着火、加速し始めます。加速を確認したら、水平飛行しながら右60度バンクします。これで2Gを体験できます。Gスーツにも注気が始まり、この時点ではまだ心地よい感覚です。この程度のGならば10分くらいは平気です。

 その快感に酔いしれていると、速度が増してきて音速を超えそうになります。

   『戦闘機パイロットの世界:"元F-2テストパイロット"が語る戦闘機論』kindle版64%(位置No.4414中 2768)、「第5章 いざ戦闘任務へ」5 Gの話 Gravity より(略は引用者による)

 元F-2テストパイロット渡邉吉之氏によれば、加速しはじめは痛くないし、それどころか快感でさえあるらしい。

 『Do Race?』もまたそんな感覚をヴィジュアルのみで描き出してみせます。

 見開きの右側全面をつかった一コマが、画面近方右下から遠方左上へすすむレーサーたちを疾走感あふれる一点透視的構図でとらえます。黒字だけど白く縁どられた「パン」というオノマトペの半濁点が――下端がひらかれ「∩」の字になった「゜」が――奥に見えるリングとつらなり、その"抜け感"をつよめます。

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 見開きの左側ページで直線でくぎられた4段、オノマトペがなく効果線の速度感だけがあるコマを積んで前フリをしてページをめくると――

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 ――あの重い重い「ド」がくる。

 さきほどの「パン」のコマと、進みたい方向はコマ左上と一緒。しかし、画面右下近方へキュウは押し込まれている。

 ちょうど見開きページの右端第一コマ同士が、動的なコントラストを成しているわけです。

 左側ページの対比も面白い。

 さきほどの4段とちがい、こちらの4段6コマは曲線により構成されて。そして左下最後のコマに登場するリングのつらなりは、さきほどのキュウの瞳のなかのそれとちがって完全にくっついて「バームクーヘンみたい」抽象的になっている。左を向いたキュウの表情のそれぞれの違いと同様に、おなじ高速航行のシーンでも「パン」は緊張した意識下の場面、「ド」のほうは意識が曖昧になった危険域の場面と描き分けられている。

 ここからさらに進めば、アヴリルの体験したクラッシュ――見開き右側ページは「ドンッ」、左側の4段3コマは緊急ワープの多重円と、最下段に病床で仰向けになった顔――ということになるのでしょう。

 こう気持ちのよい作劇が『Do Race?』には随所にあります。

 

  速すぎる人の思考・感覚

 どうしてそんな奇天烈なストーリーテリングが必要とされたのか?

 そこまでしなければ、速すぎる者の奇天烈な思考は描けないということなのかもしれません。

 たとえばさきに引用したアヴリルのクラッシュの顛末。アヴリルが病床でパチッと目をさましたコマからページをめくると、前段のコマで映されていなかった顔の下がどうなっているのかわかる驚きのコマが次いで来る、ページをめくるのが楽しくなる作劇がここでもなされていますが、注目したいのはその次のくだり。

 ページをめくってドレースの過酷さにアヴリル同様おどろいたぼくは、同じページにつづくコマでさらに驚く。

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アヴリル「"身体がナイ!!"」

キュウ「そんな!」

アヴリル「心配なさらないで 体はいくらでも再生できますのよ 治療費も保険ですみますわ

 でもアタシはその時…

 "これでもっと速く飛べる"」

   『Do Race?』1巻kindle版74%(位置No.195中 145)、「5th race 暴炎インサイドZONE」より

 ドレース中の事故で首だけになったアヴリルはおどろいたのも束の間それをプラスにとらえて目を輝かせます。

 ぼくはここでもやはり「日本一のフェラーリ遣い」を思い起こしました。雨の富士スピードウェイで範囲40%三度熱傷から一命をとりとめ、事故から20日ほどして骨髄炎のため右親指のさき1センチほどを切断手術したレーサーの太田哲也氏は、医師にこんな提案をします。

「まあ、太田さん、そんなことを言わないで、じっくりと治しましょうよ、治るものだから。それに右手がそんなじゃ、まだハンドルも握れないでしょ?」

「そうそう、先生、右手のことなんですけどね。痛くてたまらないんですよ。こんなんじゃあ、どうせ治っても使いものにならないだろうから、もう切っちゃいましょうよ」

 ムチャクチャである。でも、本気でそれが良いアイデアだと思っている。

「えっ!? 切るんですか?」

「そうです。僕にいい考えがあるんです。カーボンで腕を作るんです。僕のメカニックは加工がうまいから、きっとすごい腕を作りますよ。軽いし、強いし。実は僕が乗ってたフェラーリは、ボディもサスも、全部カーボンで作りなおしているんですよ。カーボンの腕は僕のメカニックに作らせるから、先生はそれに神経をつなげてくれればいい。どうです?」

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.136

 『クラッシュ』のこの記述は、「小学生でもわかりそうな」*26「非現実的なこと」を言ってのけてしまうくらい自身の容態の深刻さをどれだけ分かっていなかったか・混乱していたかの一例として挙げられたものですが(その前段では幼児退行的体験が語られたり、直近のくだりとしては親指の切断について、手術直後「目は覚めているのに、夢と現実の境界線がわからなくなってしまっていた」*27太田氏が、「包帯ぐるぐる巻きの大きな手が、あまりにも重く感じられたから」「黒くて大きな昔の電話機が手術で取りつけられたのだと思っ」て左手で殴りつづけるようになり緊急やむを得ず身体拘束措置が取られた経験などを語っている)、興味ぶかいのは氏が自嘲したのはその実現不可能性のみで、それをしようというアイデア自体には違和感を抱いていないんですよね。

 僕は、サーキットに戻る方法について考えた。今すぐに運転することはさすがに難しいとしても、現場に僕がいれば、チーム代表として采配をふるって貢献することができる。F1のウィリアムズ・チームの代表者、「車椅子の闘将フランク・ウィリアムズ」みたいに。

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.132

 ニキ・ラウダとは往年の名ドライバーで、F1レースの事故で大ヤケドを負い、瀕死の重傷となった。再起不能と報じられていたが、突如数か月後のレースに復帰し、顔から血を噴出させながらゴールしたという。(略)レースの世界では知らない者はいない英雄だ。

 以前、僕に対するファンからの励ましの手紙の中で、「日本のニキ・ラウダになってください」という文面が多かったことを知った片平先生は、ラウダのヤケドの程度を調べていたらしい。

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.151(略は引用者による)

 レースの世界には車椅子の闘将フランク・ウィリアムズも、火傷から6週間後にF1レーサーとして復帰し4位という上位につけたニキ・ラウダもいたわけで、そのラウダがレーサーになる覚悟を固めたきっかけ*28であるヨッヘン・リント氏は、事故死したあと年間チャンピオンとなりました。事故や復帰はつきものだから、太田氏の考えも十分王道かも。そうなのか? おかしいだろ。

 こういう突っ走った思考回路は、ほかの局面でものぞけます。太田氏はまぶたの植皮手術でしばらく包帯をしながらの生活をおくった後はじめてタクシーに乗ったさい、ただの安全運転なのに「乱暴な運転をしているわけではなかった。道路工事がいっせいにはじまって道が掘り起こされているわけでもなかった」*29と振り返るほど、「クルマが蛇行して、そのたびに車体がロールして、体が左右に揺すられる」*30感覚を味わいます。

 一年くらい引きこもり生活を送って以降、自家用車はもちろんバス車内でも本やケータイを覗くと吐き気がするようになってしまって「運動をしてなかったから三半規管が衰えてしまったのだろうな」と思ったぼくみたく、ひとによっては事故・入院生活の後遺症ととらえてもおかしくないところでしょう。

 でも太田氏はそういう「ふつう」を飛び越えていく。

 どうやら目をつぶったまま生活をしていたことで、視覚以外の感覚がとぎすまされ、特に平衡感覚が磨かれたのだろう。怪我の功名で、この敏感な感覚がずっと残るとしたら、僕のドライビングは一段階も二段階もさらに高いレベルに達することができるはずだ。

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.170、「妻と子どもたち」はじめての外出 より

 

 ここから太田氏の入院生活は、医師から「ニキ・ラウダの10倍の重傷」と聞かされて現状認識をしていったり、上でもちょっとふれた3度目の手術となる目蓋の植皮を受けたり、火傷で拘縮した皮膚が文字どおり裂けて血が出るほど/皮膚がまだつかず赤い肉はおろか黄色い骨や腱の見えたままの手足を動かすリハビリをしたり……といった本格的なほうへ向かっていきます。

 精神的にも肉体的にも過酷な長いリハビリ生活に耐えられたのは、レーサーとしての経験が活きたと云います。

 木下先生は「本当にそう思うと痛みがとれるわけ?」と最初は半信半疑だったが、痛みの程度を計るV・A・S(略)では、確かに僕の痛みのスコアは半減していた。

 この感覚は、レーシングカーに乗っているときの精神状態と似ている気がする。

「三〇〇キロで競走して怖くないのですか」と尋ねられることがよくあるが、運転しているときは特殊な精神状態になっているから、あまり怖さを感じない。

 以前は違った。デビューしたばかりの頃の僕は、ヘアピンなどの低速のテクニカルコースが得意で、その反面、高速コーナーは苦手だった。

「この速度で何かが起こったら間違いなく死ぬ」と思ってしまうのだ。(略)

 その頃、たまたま僕は、ある雨のレースでものすごい追い上げをしたことがあった。そのとき、不思議な感覚を覚えた。

 まるでレーシングカーと一体化したロボットのような「もうひとりの自分」が勝手に運転をしていて、「日常の太田哲也」が後ろから客観的に見ているような感じだったのである。(略)

 「もうひとりの自分」の運転を見ているような感覚になると、スピードに対する恐怖感が薄れていってドライビングに集中できる。高速コーナーが怖くなくなり、クルマが二〇〇キロオーバーで横滑りして暴れても、平静な気持ちでカウンターステアを当てて修正することができるようになった。(略)

 次第に、特に精神集中をしようとしなくても、それまでへらへら笑っていたとしても、レーシング・スーツに着替えてヘルメットをかぶった瞬間に、もうひとりの自分が現れるようになった。

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.157~9、「戻るべき場所」ラウダの一〇倍 より

 『Do Race?』ベテランレーサー銀座瞳が、「恐怖は利用するモノ 飲み込まれてはダメよ」とアドバイスする*31ように、キュウはドレースに臨むことでさまざまな恐怖と直面していきます。

 レースをする前から、スタート台の高さに「はわわわ……」と顔面蒼白になります*32し、レースの最中ならよりひどい。

「 ……それってたぶん ぜんぜん 追い抜ける!!

  だってこのドレス もう一段シフトギアがあるんだもん

 

  後ろからブラックアウトが迫ってる

  これ以上すこしでも加速したら引きこまれそう

 !!!

「だけどあきらめたくない!!!」

   『Do Race?』1巻kindle版75%(位置No.195中 147~8)、「5th race 暴炎インサイドZONE」より

「ミュラさま ボクはたどり着きます

 たどりついたら…

 !!

 あ…あなたは?」

「ボクは君の…夢」

   『Do Race?』1巻kindle版81%(位置No.195中 158)、「5th race 暴炎インサイドZONE」より

 ドレースの脅威であるブラックアウトを恐れずエンジンを爆発させて、生死をさまよったとき、キュウは太田氏と似たような境地にたどりつきます。真っ暗な意識のなかに、空色の長髪をした少女があらわれ、目をさましたキュウはその子に変じてドレースをかろやかに翔けます。

 「君の夢」。「恐怖を感じた時 鳥肌になったり ショックで髪の毛が白くなったりするのと同じ」*33「心的変化だ」*34、「ゾーン」*35*36。空色ロングヘアのキュウをなんと形容するかはひとそれぞれで、

「あなた青くなると強気になるみたい」

   白泉社刊(ヤングアニマルコミックス)、okama『Do Race?』2巻kindle版69%(位置No.195中 134)、「11th race あわあわチェリーピンクマーメイド」より

 アヴリルによれば見た目だけでなく性格にだって違いが見られるのだといいます。

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「かわいいっ!! オヒメさまみたいっ!!」

   『Do Race?』1巻kindle版83%(位置No.195中 161)、「5th race 暴炎インサイドZONE」より

 空色のキュウを見上げて孤児院の少女が目を輝かせて口をぱかーっとひらきます――幼いキュウが全冠の女王ミュラへそうしたみたいに。

 

  だれが「ドレース」を売っているのか?;『みっともない人体』の男の欲が伸縮させるシンデレラの靴、『フランク・ウィリアムズ F1こそ我が命』の広告が伸縮させる車体

シンデレラの物語は衣服の精神病理学にとっての格好の事例であって、そこにはたくさんのモチーフが含まれている。つまり、かわいらしい足を求めて国事のことなど忘れてしまった、靴のフェティシストである王子さまも出てくるし、残酷な母親も登場する。身にまとうものに自らの身体を合わせようとした、殉教者的な姉妹も登場する。そして、こうした問題にすこしも悩まされることなく、シンデレラが登場してくるのだ。

   鹿島出版会刊、バーナード・ルドフスキー『みっともない人体』p.11、「序文」より

 バーナード・ルドフスキー氏は服と人体にまつわる論考っともない人体』(1971)の序文として、『シンデレラ』に描かれるような女性の小さい足の歴史的文脈(中国の纏足やアメリカはアンディ・ウォーホル靴屋のために書いた広告画など)にまつわる考察からはじめます。そしてこの序文のなかで、いくつかの見解を提示して〆ます――たとえば「人間の衣服と動物のそれとはおおむねおなじ目的をはたしているようにみえる。すなわち、それは異性をひきつけるためのものなのだ。ただ人間と動物のばあいには性の役割が逆転している。(略)動物たちは大きな羽飾りだの足だのによって異性をひきつけるが、人間のばあい、女性は人工的な装飾物によって男性の気をそそる」*37とか。

7 誰が「永遠のベストセラー」を売っているのか?

 いっぽうで、このような批判が続出しているにもかかわらず、プリンセス・ストーリーは大量に生産され、消費されている。その人気は一向に衰えを知らない。

 いまプリンセスもので大儲けしているのは、だれでも知っているアメリカの企業である。関連商品も大売れである。(略)

 しかし、プリンセスものが発明されたのは昨日今日のことではない。(略)

 マールブルク大学で学位をとった武庫川女子大学教授の野口芳子さんは(略)「国家体制と異文化受容」という論文(前掲『ジェンダー学を学ぶひとのために』二三九――二五二頁)のなかで、野口さんはつぎのように述べている。

グリム童話は幼児期に絵本というかたちで日本人に親しまれてきた異文化のひとつである。『白雪姫』や『シンデレラ』が提示する結末、結婚=ハッピーエンドの結末に、夢や憧れを抱いてきた女性は少なくないと思われる(略)

 野口さんによると、グリム童話が日本に導入されたのは明治二〇年で、このように早くグリムが日本に導入されたのは、ドイツの国家主義的な体制や文化を日本に導入して、フランス、イギリス、アメリカなどの民主主義的な体制や文化を防ぐことを意図していた、当時の日本の政治文化の影響があったと考察している。

   筑摩書房刊(ちくま新書)、若桑みどり『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』kindle版33%(169ページ中 54ページ目、位置No.2200中 705)、「第二章 プリンセス・ストーリーとジェンダー」7 誰が「永遠のベストセラー」を売っているのか? より(略は引用者による)

 若桑みどり氏は姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門(2003)で、プリンセス・ストーリーにまつわる資本主義的な面や国家の思想教育的な面を紹介したうえで、『シンデレラ』のディズニーによるアニメ*38グリム童話双方とに共通するメッセージを以下のように抽出します。

双方に共通するメッセージは以下の三項目である。

 ○他律的な女性の人生設計――理想の男性を待ち、これと結婚し、その地位財産を自分のものにすること。これが女性の「幸福」。

 ○社会上昇志向――階級の高い男性との結婚によって低い地位の女性が階層を上ること。これが女性の「成功」。

 ○幸福になる女性の条件。

  ・白い肌 赤い唇 黒い髪

  ・小さい足

  ・孤児(かわいそうなよるべない境遇)

   男性の保護と優越性を確認させる。

  ・働き者――家事をよくやる。

  ・素直 従順 明朗 やさしいという性格が勝利をもたらす。

   『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』kindle版65%(169ページ中 108ページ目、位置No.2200中 1413)、「第四章「シンデレラ」を読む」3シンデレラと女の仕事 より(「黒い髪」は原文ママ

 晴れてプロレーサーとなり、練習に四苦八苦しつつもキュウは、その帰り道で先輩に連れられて街中のクレープを食べに行ったりする楽しい日々をあじわいます。

 ファンに囲まれ逃げだしたので満足に口にできなかったそのクレープは、ドレースのドレス風で。プロレーサーのなかにはスポンサーであるお菓子産業の看板を(空力的有効性など度外視だろうかたちで)ドレスにかかげるアイドルチームなどもあり。

 そうした資本主義社会の制約を背負わないキュウたちはキュウたちで、代理戦争としてドレースをみている国々からのバックアップを受けています。不当逮捕などをされたキュウはもちろん、ミュラクロもまた結果を出せなければ(姉たちがそうされたとおり)捨てられ妹の代のクローンへ代えられてしまう残酷な運命にあり、ポップでキュートな作劇だけれど彼女たちの置かれた状況はとても重い。

 

 シャンパンで華麗に祝杯*39をあげてみせたミュラ、甘いジュースで乾杯*40したキュウたちレッドスター……ドレースの輝かしい日々は、せせこまとした和室で正座して*41お茶*42をはさんで汗をたらりと浮かべながらぎこちない笑顔をうかべたりする*43、大人の社会に取って代わられてしまいます。

 キュウが注目選手として招かれ過密な取材攻勢を受けるメディアのスタジオ*44。そのスタジオカメラの裏の暗がりには、ネコかクマかのクッションないし大型ぬいぐるみなど、キュウ宛のプレゼントが沢山あるけれど、しかしAmazon的な箱はあってもアオハト配送の箱など影かたちもなく、キュウがいる現況がふるさとからいかに遠く離れた「よそ」の世界かを強く感じさせます。

 

「このほかにも、モーターレース業界の外から初めての商業スポンサーを得ることができた。それがT・W・ワードという、工作機械の製造メーカーだった」

(略)

(略)これは当時としてはじつに進んだ考え方だった。こうしてテッド・ウィリアムズが加わり、プロジェクトがスタートした。われわれはピアースが乗るブラバムのウィンド・スクリーンにワードの小さなステッカーをはり、彼らの小切手を銀行に入れた。テッドは79年に亡くなるまで、財政面でチームをがっちり支えつづけてくれた。本当によくしてくれたよ。どれほど大きな貢献だったことか。あんな男はめったにいるもんじゃない」

 この契約に先立ち、フランクは進取的な野望を抱いて、合衆国を本拠とするレイノルズ・アルミニウム社にアプローチを試みていた。レイノルズもピアース・カレッジのF1進出に興味を示すハイテクノロジー企業のひとつではないかと思ったからだ。

   ソニー・マガジンズ刊、アラン・ヘンリー(守部信之訳)フランク・ウィリアムズ F1こそ我が命』p.105~6、「苦闘の日々」より

 太田氏のあこがれの「車椅子の闘将」フランク・ウィリアムズ氏は、石油やタイヤ会社や「煙草会社以外のスポンサーを開拓したことでF1のスポンサーシップの発展において草分け的役割を果たした」*45商魂のひとでもありました。ウィリアムズの車体にはほかにもサウジアラビア国営のサウジア航空や日本のキヤノンなど世界中の企業のロゴが飾られました。

 『Do Race?』の「水を注いだら魔法の味!」キャンディカップが劇中世界で人気であるお菓子アイドルチームの奇天烈なドレスが空力的に不利かどうかは劇中描写がありませんけど、カナダのビール会社ラバットの広告が車体を変形させる本末転倒な例はたとえばウィリアムズ氏のF1カーの一つウィリアムズ・FW13に見られます。

 1991年向けのキヤノンFW14をかいまみたかぎりでは、ウィリアムズは多様なスポンサー陣のさまざまな要求をじつにうまく調整している。美的観点からいうと、マシンのカラーリングにはとくに見るべきものはないかもしれないが、経費全体に対するスポンサー料の割合に応じ、金額にみあった利益をスポンサーが得られるように細心の注意が払われている。(略)

 ときには、マシンの設計の変更によって周到に割りふった場所分けがふりだしに戻ることがある。パトリック・ヘッドがそうした状況をつぎのように語っている。「90年シーズンの開幕時にラバッツが割りあてられていたスペースは、サイドポッドの前方にあたるモノコックの両サイドだった。ところが、開発計画の結果、サイドポッドが長くなり、予定していた彼らのスペースがなくなってしまったんだ」

「彼らはなんとかあと8インチほどサイドポッドを延ばし、そこにラバッツのスペースをとれないかと訊いてくる。われわれはその形で風洞実験をしたが、効果がかなり薄れてしまう。結局、サイドポッドを4インチ延ばすことで落ち着いたが、こんなことはめったにあることじゃないよ!」

   ソニー・マガジンズ刊、アラン・ヘンリー(守部信之訳)フランク・ウィリアムズ F1こそ我が命』p.140~1、「7 コマーシャル時代への挑戦」より(略・太字強調は引用者による)

 

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 大人たちにとってはてきぱきと仕事できる社会でも、あるものにとっては肩身のせまい鳥籠だったりする。

 前述したメディアのスタジオには、キュウの友達である鳥のハトピーも見えます。きれいだけど身動きはとれないだろう器のなかに収まって、背筋をのばして「クポーッ」と暗い声をつぶやく。

 前述の和室にもハトピーは立ち会っていますが、やっぱり小さな器になかへ収まって、首をのばして沈黙を保っています*46

フェルカー:きみと一緒にモデナからオーストリアへ帰る途中,インスブルックでお茶を飲んだことがあったね。夜中の11時に車を止めて店へ入って行ったら,みんながいっせいに拍手した。とても感動的だったけど,ああいうことも気に触るのか。

ラウダ:いやだね。コーヒーを飲んでくつろごうとしているのに駄目になっちゃうんだから。みなさん有り難うと言うのも馬鹿げてる。すべてぼくの意志に反したことだ。(略)迷惑なんだ。

フェルカー:昔はそんな風に思わなかったろ。

ラウダ:昔は嬉しかった。「あ,ラウダだな」なんて言われて喜んだものだ。でもはじめのうちだけで,すぐにそっとしておいてくれと思うようになった。別にえらぶってそう思うわけじゃなく,騒ぎがわずらわしくなるんだ。いつもいつも大勢に取り囲まれてると自分だけの時間がなくなって,そのうち正常な人間ではなくなってくる。ジャーナリストとのつき合いも同じだ。

   二玄社刊、ニキ・ラウダ武田秀夫訳)ニキ・ラウダ F1の世界』p.21~2、「1 F1ドライバーの条件――ヘルベルト・フェルカーのインタビューに答えて――」より(略は引用者による)

 太田氏のあこがれのニキ・ラウダ氏は、ファンに取り囲まれ愛想をふる日々への疲れを漏らす。そしてジャーナリストへ語気をつよめて嫌悪します。ラウダ氏が罵るのも無理もない。なぜなら「800度の火の中に40秒」*47居ることとなったあのクラッシュで負った、火傷し「頭全体が今の3倍くらいに膨れ上がって」*48水ぶくれした顔だというのに、いやだからこそ――

ラウダ(略)そのあと1976年にニュルブルで例の事故を起した。ぼくが病院にかつぎ込まれたあと,吸血鬼みたいに血に餓えたカメラマンが大勢病院のまわりにたかって,何とかしてめちゃめちゃになったぼくの顔を写そうとする。病院は出入制限してぼくの部屋も面会謝絶になっていたのに,とうとうひとりだけこうもりみたいに侵入して来た。ぼくが身動きはおろか声も出せないで寝ている横に立って,悠々とぼくの顔を映写機で大写しにして引き揚げて行った。あんなひどいことをするやつは人間じゃない。

   二玄社刊、ニキ・ラウダ武田秀夫訳)ニキ・ラウダ F1の世界』p.21~2、「1 F1ドライバーの条件――ヘルベルト・フェルカーのインタビューに答えて――」より(略は引用者による)

 ――社会は特ダネの食い物にしてしまうのですから。

 

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 身動きはおろか声も出せないレーサーを食い物にするだけではありません。

 ドレースの社会はレーサーから身動きはおろか声も出せなくしさえする。

 1巻2話のスパイ容疑で逮捕され体育座りするしかないキュウを囲む天地に長い長方形の四角格子の本物の檻はもちろんのこと、2巻8話で「行き場のない姉たちを支えてる」ミュラクロが語るクローンたちの家もまた、正方形にちかい四角格子をならべて檻のよう。そして3巻15話でキュウが里帰りした孤児院の、つまりふるさとのブランコでさえもが――遊具として遊ばれることなく――天地に長い四角格子をつくってキュウを囲む、檻じみた佇まいを見せます。

 ブランコに座ったキュウは院の大人から、彼女がドレースを望んだことが原因となって生まれた周囲の秘密の事情を教えられ、座り込んだまま言葉を失ってしまうのでした。

 15話のこのくだりは、ある種コミカルな2話の軍政の強引さもなければ、8話の未来の競争社会のハイテクすぎる遠さもなく、日本のどこにだって見かけられそうな生温さを建材にしてなし崩し的に築かれてしまった閉塞で、逃げ場がなくてどうしようもない。

 

 檻は唐突に姿をあらわし、レーサーたちをがんじがらめにする。

 この唐突さを「打ち切りが決定した漫画みたく」と形容するかどうかは読む人によるでしょうしその妥当性についてぼくは何とも言えませんが、もし「ロシアとウクライナのあれこれみたく」と形容する人が万が一いたら――脳のどこかが焼けているのはたしかだとして――「今読むからこその感覚だ」と言わざるをえないのもたしかです。

 その意味では「時代が『Do Race?』に追いついた」と十分言っていいのかも。そうなのか? ブレグジットを、失われた30年を、911を、ユーゴスラビア紛争を、ソ連崩壊を、ベルリンの壁崩壊を、湾岸戦争を君は読めたか? この世界は打ち切り漫画ほどの理路を持ち得ているか?

 

  キュウはどうしてドレースする?;『Ai』『だから私はメイクする』自分のための21世紀ファッション観、『クラッシュ』する太田哲也の絶望と希望

 この学生たちには、そういう「美しい召使い女」が「玉の輿にのる」というストーリーは、しんから虫酸が走るのである。学生たちの批判している四つの点を裏返すと、彼女らが望んでいる愛のあり方はこうなる。

 第一に、外見や体の美しさだけでなく、人間の全体を愛してほしい、性的なオブジェ(小さい足)にされるのは耐えられない。第二に、自分は、外見や身分の高さではなく、人間としてすてきな人を愛したい。第三に、自分の力で運命を切り開きたい。第四に、召使い女にはなりたくない。

   『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』kindle版65%(169ページ中 109ページ目、位置No.2200中 1425)、「第四章「シンデレラ」を読む」3シンデレラと女の仕事 より

 若桑氏は2001年におこなったじしんの講義で『シンデレラ』を観た学生による批判的検討から、彼女らにとって理想の愛のかたちを推察します。

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「死んだらどうなるの?

 笑ってるパパとママに会える

  だけど会えなくなる人がいる

   これから会いたい人がいる

    あきらめく……ナイ!!

   針の先のチャンスはどこ?」

   『Do Race?』1巻kindle版49%(位置No.195中 95)、「5th race はじめての夜はハチャメチャジェットコースター♪」より

 先行レーサーたちがクラッシュして千々に砕けた破片が迫って、自身もクラッシュへ巻き込まれんとする窮地のなかでキュウは死を思い人を想います。

 わたしは、自分が山の中でひとり死んでいる様子を想像した。

 わたしをいじめている中心のあの子は、わたしが死んでいるのを見たら、後悔するだろうか? 泣いて謝ってくれるんだろうか?

 

 友だちがほしくてしかたなかった。

 母に甘えたくてしかたなかった。

 

 ここからいなくなれば、幸せな世界に行けるのかもしれない。

 いじめもなく、やさしいお母さんとお父さんのいる世界に。

 

 死にたいと願えば願うほど、人恋しさが募った。

   ディスカバートゥエンティワン刊冨永愛『Ai 愛なんて大っ嫌い』kindle版24%{194ページ中44ページ(位置No.1454中 337)}、「第二章 抹殺されたわたし」より

 川崎にもキュウと同じ悩みと渇望をかかえた少女がいました。

 十五歳の春、わたしはわたしを抹殺することに決めた。

 

 スカートを四十センチ、ハサミで切った。裾は自分でまつり縫いした。

 いちばん厚いルーズソックスを履いて、上着のポケットに手を突っ込み、ローファーのかかとを踏んづけて引きずるように歩いた。

「かったりーな、あいつ、やっちゃうべぇ」

 口調も変わった。

   『Ai 愛なんて大っ嫌い』kindle版27%{194ページ中51ページ(位置No.1454中 385)}、「第二章 抹殺されたわたし」より

 50年前のルドフスキー氏の考察とは裏腹に、いまここで世界をまたにかけ活躍するスーパーモデルのひとり冨永愛さんがi 愛なんて大っ嫌い』(2014)でみずから述べる川崎の故郷ではじめてメイクをした理由には、男への媚びなんてまったくありません。

 離婚してそばにいない父、声を上げてもこちらを見ない母をもとめた子ども時代。「おい、宇宙人」「板!そこの板女、返事しろよ」「もやしゾンビ女!」*49そんな言葉をぶつけられた小学校時代。友達ができ「何をするにも三人いっしょで、お揃いのものを持ったり、休み時間にずっと喋っていたりした」*50ものの、じぶんは小学校時代からの親友であるふたりに後から加わった他校出身の「付け足しの余分」*51にすぎず、「二人に嫌われないようにと、細心の注意と、せいいっぱいの愛想を振りま」*52くことで「疲れていった」*53中学校時代。そんな「わたし」を殺すために、それどころか「わたしが死ぬ代わりに、あいつらを殺してや」*54るために、冨永氏はローファーのかかとを踏むのです。

 青いアイシャドーをまぶたに塗りまくった。1・5センチの付けまつ毛をした。眉毛は抜いて1ミリ、2ミリに細くした。

 ショートホープの箱をブレザーのポケットに忍ばせ、通学途中や学校でも、ところかまわず吸った。

 楽しかった。

 なんでもできるような気分になれた。

   『Ai 愛なんて大っ嫌い』kindle版28%{194ページ中52ページ(位置No.1454中 395)}、「第二章 抹殺されたわたし」より

 

宇垣 だからこそ私は、「そういう奴から自分の身を守るためによそおってんだよ!」という気持ちでいます。さきほど「強い女」という言葉をつかいましたけど、もっと言うと、私にとってのおしゃれって、戦闘民族が戦いに行く前にする顔に施す紋様とか、古代の人たちが願掛けのためにしていた入れ墨とか、そういうものなんですよ。

(略)

――いや、めちゃくちゃわかります!(笑)

宇垣 なので、私の格好に文句を言ってくる人がいると、「してやったり」という気持ちになります。私に、私の生き方と違ったものを求めてくる人が近寄ってこないのは、私にとってすごく心地よいことですから。

   柏書房刊、劇団雌猫編著『だからわたしはメイクする 悪友たちの美意識調査』kindle版32%{179ページ中 54ページ(位置No.1944中 611)}、「CHAPTER1 自分のために」インタビュー01 宇垣美里 より

 劇団雌猫から私はメイクする 悪友たちの美意識調査』(2018)の取材にこたえた現代の女性たちからもまた、冨永氏と同じような意識がうかがえます。

 だれかのためではなく、自分じしんの好きな「生き方」や「こうありたい」理想の具現化として、衣服を着たり化粧をしたりする。*55

宇垣 自分が好きな格好をしているときは、すごく誇らしげに歩けるような気もします。長時間歩くのは厳しいハイヒールなんかも好きで、わざわざ手荷物として持参して、仕事中だけ履いたりとか……。ヒールをカツカツ言わせて歩くと、「気に入らないことがあったら、これで踏みつぶしちゃうぞ♡」という気持ちになれるんです。

   『だからわたしはメイクする 悪友たちの美意識調査』kindle版33%{179ページ中 55ページ(位置No.1944中 625)}、「CHAPTER1 自分のために」インタビュー01 宇垣美里 より

 ぼくがとくに素敵だなとグッと心つかまれたのは、最初のエッセイ「あだ名が「叶美香」の女」のとある一場面。メイクにかける気高い意識が一流のレーサーばりに走っています。

 化粧がマックスで濃かった頃、その濃さからあだ名が”美香さん”だった。ゴージャス&ファビュラスなことで有名な芸能人・叶姉妹の「美香さん」に由来するネーミングである。当時の彼氏に初めてスッピンを見せた時には、震える声で「千原ジュニアみたいだね……」と言われた。正直、男性芸人にたとえられたショックより、オフとオンで、千原ジュニア叶美香ほどの差が生じるくらい、理想のメイクができているのだと認められたことの方が嬉しかった。

   『だからわたしはメイクする 悪友たちの美意識調査』kindle版33%{179ページ中 10ページ(位置No.1944中 107)}、「CHAPTER1 自分のために」あだ名が「叶美香」の女 より

 ツインリンクもてぎサーキットでひらかれたオールスターレースで優勝を果たした「日本一のフェラーリ遣い」太田氏らの車は、「フェラーリ」や「王者」の華やかなイメージとは裏腹に、まったくもって泥臭いものでした。

ついに僕たちは優勝を果たした。レースの世界では、ビリだったクルマが最後に一番になるなんて、めったにあることではない。

 観客席ではいくつものフェラーリの赤い大旗がふりかざされている。僕らのピットは狂喜乱舞だった。たくさんの帽子が宙を舞う。(略)

 プログラムのチーム紹介の欄で、「訪れたフェラーリのピットは、フェラーリの高級イメージとは違って、質素だった」と書かれて苦笑いしたこともある。

 チームの広報担当者には、「レースクイーンのひとりくらいいなくては、スポンサーにアピールできませんよ」と言われていた。

 一方、エンジニアからは、もっとマシーンの開発資金が必要だと突き上げられる。どちらにも金をかけたいが、予算は限られている。結局、代表の権力を振りかざして、ホスピタリティには金をかけずに資金のほとんどをクルマの開発にまわしてしまった。質素に見られて当然だ。

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.98~9、「日本一のフェラーリ遣い」夢を乗せて走るプロジェクト より(略は引用者による)

 さまざまなものを切り詰めてでも、一番を走りたかったのです。どうして?

 自問自答する。フェラーリって何なのだろう?

 F1はクルマを売るための宣伝材料? レーシングカーとは別物の高級車? カッコだけのイメージで銀座や六本木を流す?

 ――それだけじゃあないだろう。やはりフェラーリはスポーツカー・レースで戦う姿があってこそ、はじめてプライドを持って街に出られる。フェラーリはクルマを売っているのではなく、「感動」を売っているのだ。だからこそフェラーリや僕を応援してくれる人たちが大勢いる。まして僕は、フェラーリには恩がある。このままでいいのか? 今、おまえがやらなくて誰がやる?

 ――フェラーリのGTカーを、もう一度レース・シーンに復活させよう。

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.93、「日本一のフェラーリ遣い」夢を乗せて走るプロジェクト より(略は引用者による)

 

 いまから50年後のハイテク未来に生きるキュウたちはどうしてドレスを着るんだろう? どうしてドレースするんだろう?

 恩人を人質にとられたキュウやミュラクロらの置かれた状況のように、やむにやまれぬ事情によるお仕着せという面もあるでしょう。

 「夢」の空色ロングヘアに変じたキュウや首だけアヴリルのように、現代の女性たちにとってのメイクに近い面もあるでしょう。

 

 夢をあきらめ他者へゆずってみるのもひとつの道で、そのさきには、やさしい上司のもと笑顔で仕事をこなす「幸せ」な「十分に生きて」る日々があります――真っ黒な海を見つめて、悔し涙を流す日もまたあるとはいえ。

 だからといって夢をどこまでも突き進んださきは――憧れのミュラは幸せなのか?

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 3巻14話で、ドレースを引退することを公表したミュラは、そのことについて「本当に引退してしまうんですか?」とキュウに問われたさい、

「……その決断おそすぎたくらいだ」

 と述べます。

 ミュラは10年無敗の全冠の女王ですが、そのせいで「スタートブリッジに立った時点でレースを放棄する国もあ」り、自分が「譲りあえないコトも殺しあわずに解決したい……そう願う人類の理想に支えられている」はずのドレースを台無しにしているのだと。
 そう語るミュラの姿は、影の濃い、右を向いたうつむき顔や、あるいは、真っ黒ベタ影のシルエットに瞳と口が白い点として浮き出た正面姿で描かれます。そんなふたりの会話をキュウの友達・鳥のハトピーも聞いていますハトピーのコマはページ左上に置かれます)

 ここのミュラは、なんだか1巻1話の夜の海辺のキュウとおなじ影をかかえているようにぼくには見えます。

 ドレースの代表チームのレーサーになることをあきらめた黒髪ショートヘアの少女キュウは、そのことについてドレースの全冠の女王ミュラについて問われたさい、
「テストの前から……あきらめると決めてたんです」
 と述べました。
 キュウはジュニアクラブで大差をつけて1位でしたが、その裏のあと一歩で代表チームになれなかった同級生の号泣や、「オマエは不法滞在の難民だ 国籍もない オマエに金を貸すヤツはいないだろう」という成人男性の指導者からのことばなどを受けての決断でした。
 あきらめた理由と現状の「幸せ」を語るキュウの姿もまた、ほぼ真っ黒ベタ影のシルエットに目だけが白い点として浮き出た正面姿や、あるいは影の濃い、右を向いたうつむき顔で描かれていました。そんなふたりの会話をハトピーもまた聞いていましたハトピーのコマはページ左上に置かれています)

 

 ドレースから降りた道にも乗った道にも、けっきょくその先には真っ黒な影が待っているとしたら、ボクたちはどこを進めばいいんだろう?

 

 さまざまな人々といっしょに、色とりどりの思いを翼に、キュウはドレースを翔けていきます。

 それはオールスターレースを優勝した太田氏らのように涙ぐましい、ひたむきな飛翔です。

 そんなチームなのに、一年間、いろいろな人たちが協力してくれた。資金を提供してくれたチーム・パートナーの中には、必死になってフェラーリを維持してくれる会社員の人もいる。別のレースで稼いだ金を、このフェラーリの開発につぎ込んでしまったレース屋がいる。テントやテーブルも借り物でまともなホスピタリティ施設もないのに、笑顔で手伝ってくれたたくさんのボランティアの人たちもいる。最終的にはレースクイーンも広報マンもみんなが、手弁当で集まってくれていた。金銭的には誰もいい目に遭わなかったが、誰しもが満足そうだった。

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.99、「日本一のフェラーリ遣い」夢を乗せて走るプロジェクト より

 それと同時に、翌年の雨の富士でクラッシュした太田氏らのように痛々しくどうしようもない。

 ひとみを灰色ににごらせ意識を真っ黒に飛ばし髪も真っ青に変え、エンジンも焼き尽くしワープカップも使い潰す激走です。

 さきほどはせせこまとした器に収まったハトピーやいつの間にか社会の檻に押し込められてしまうキュウたちの立つ瀬のなさについて触れましたが、超高速でリングをひとつひとつくぐっていくドレース以上に窮屈なものはこの宇宙にはないかもしれません。

 者と物との境界があいまいになり、どこを走っているのかよくわからなくなりさえするドレースのなかで、それでもキュウはなにかをつかんでいきます。

 そうしてつかんだものは、

「そんなのあり?」

「けっきょくこのドレースって何なんだろう? 競技として成立するレギュレーションがないのでは?」

 とあきれ怒ってしまいかねない、子供のバトルごっこみたいにでたらめな、お菓子のように甘いものだったりもするのですが*56、振り返ってみればたしかにその扉のノブは見えてもいました――ずっとずっと昔から。音速を超えて、彼女の頭に奇天烈なことがよぎり始めたころにはもう。

 

 物語は奇天烈を極めて、読む者の脳さえも焼き尽くす速度で走ってみせます。

 それを壊走と形容するか快走と形容するかは読む人によりますが、壊れたさきで得られるものもまたあるのではないでしょうか。

 呼吸が荒くなっている。地下室の扉を開け放ったように、目の前が一気に明るくなった気分だ。体の芯が熱い。喉の奥に燃えるような熱さを感じた。

 次の瞬間、頭の中から張り裂けるような大きな音が聞こえてきた。何かが破壊されたような大きな音だった。

 ――クラッシュだ。

 クルミが割れて、殻にひびが入ったのだ。

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.293、「新しい誕生日」クラッシュ より

 太田哲也さんは療養さきで出会った先輩患者から殻にかんする話を受けて、じぶんじしんの内にある殻にきづいて打ち破ります。

 ワープにつぐワープでドレースをひた走るキュウもまた、ワープカップという殻と出会ってやぶって扉をひらいていきます。

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 『Do Race?』を読みすすめることで脳に咲く火花は、思いも寄らないどこかにまで着火して心地よい。

 1巻2巻最終3巻とページをめくってめくってめくった果てに、なぜだかぼくは1巻をまたひらいています。また? そうなのか? そうしてぼくは、秒で読み飛ばした場面をはじめてじっくりと見ています。「1st Race」序盤も序盤、アオハト配送のオジチャンとおなじくイライラやきもきしたはずの――そして単なる本題に入るまえのフリとして読み流したはずの――、チラチラと後ろを振りかえるジュニアクラブ時代のキュウの姿が、ここにきてどうにも目に焼きついてはなれてくれないのです。

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 あなたの場合はどうです?

 

 

 

更新履歴

(誤字脱字修正は適宜)

2/6 13時  アップ 5万3千字

2/8 0時  加筆 5万5千字 「キュウはどうしてドレースする?」に、太田氏フェラーリチームのオールスターレース話を足した。

2/10 朝  変更 5万5千字 出典について本文脚注それぞれで初登場時以外の刊行元・作者名を削り、リンクに置き換えた。

2/12 16時 追記 5万5千字  『ub93 ドレース? ラフ設定集』を読み、もともと全「ざっくり感想」の打ち切り部分について補足

6/01 加筆 5万6千字 過重力により色が感じられなくなる劇中用語"グレーアウト"が、現実のパイロットの感覚と相似することを追加

 

 

*1:もしこの記事経由で『Do Race?』を手に取ってくださった(ありがとうございます!)ものの「科学的に面白いと聞いて読んだら全然ちがうんですけど!?」とお怒りになったかたいらっしゃいましたら、ご不満はぜひzzz_zzzzに仰ってください……

*2: 白泉社掲載版は1話途中まで試し読み可能{2ページずつ表示。途中までだけどキリはいい(キリというか続きが気になるヒキである)}

 マンガPark掲載版は1話ぜんぶ試し読み可能(2ページずつ表示。だけどエピソードは前後編の分割掲載。分割位置もおもしろくない)

 ニコニコ静画掲載版も1話ぜんぶ試し読み可能冒頭5ページがフルカラーで収録!(コミックスのセル版でも見れないからありがたい……)しかし扉ページ以外は一ページずつの表示。あと実況コメントが流れてくる機能つき(良くも悪くも、読んでる印象がコメントに引っ張られてしまう……)}

*3:最終巻までお読みの方は、

「え? 打ち切りではないとは言い切れなくない?

ちょっとつめこみすぎて読むのに疲れたと思うけど次回作では調整します…!!

   白泉社刊(ヤングアニマルコミックス)、okama『Do Race?』3巻kindle版99%(位置No.189中 187)より

 との反省も述べられていたじゃないっすか?」

 と疑問におもわれるかたもいらっしゃるかもしれませんが、おそらく、全3巻想定でプロットを考えたが、実際連載してみたら端折るところが出てきた、という感じなんだと思います。

 本編2巻「13th race」で予選市民レースから決勝までさっくり点描されたチェリーカップの決勝で、キュウと戦った(けど省略された)男の子シーロミ。『ub93 ドレース? ラフ設定集』のかれのラフ設定を載せたページでokama氏はその経緯をこう説明しています。

シーロミは…全3巻でまとめられなくなるのでパスしました…というか、ストーリーの全体像はいっきに作ったのだけどこの内容が3冊で入いると考えた構成力・・・・無能!

   okama『ub93 ドレース? ラフ設定集』p.51

*4:ここのところはぼくがそう思っただけで、実際のところはよく知りません。件の作品がコミックス3巻まで出ていたころに、okama氏が『コミッカーズアートスタイル』で語ったところによれば……

CLOTH ROAD』について

(略)

――ストーリーに関しては、完全なものが倉田さんから来るのでしょうか? okamaさんの方から提案したりということはありますか?

 台詞まで入った完全なものをあげてもらっています。僕はブランドの設定とかを考えるくらいです。

   美術出版社刊コミッカーズアートスタイルVol.2』p.13、「okama」より(略は引用者による)

*5:『Do Race?』は2072年から始まる。メイン舞台は2080年あたり。

*6:この記事で挙げるほかの本同様okama氏が読んだという話は聞きませんし、『Do Race?』へ活かすにはさすがに遅い。

*7:このカタカナは川村一郎『海外に診ける新しい義足足部の動向』にならいました。

*8:フレックス-フット社は2000年にアイスランドのオズール(ÖSSUR)社に買収されており、ピストリウス氏らが使う「チータ」も厳密にはオズール社の製品です。そしてこれがフィリップス氏のチータの子孫であることはfacebookで同社が言っているとおり。

*9:日経BP社刊、北岡哲子『スポーツをテクノロジーする』kindle版11%(位置No.2584中 260)、「CHAPTER1 オリンピック競泳水着をテクノロジーする」1964年から2014年までの進化を一望する

*10:もっとも、チーターを参考にしたフレックス・フットで走る感覚はむしろ健常者がそうしたときの感触に近いのだという声もあります。

<ああ、脚で走っているという感じがするぞ>

 と彼女は喜んだ。ふだんの義足では、いかにも道具を使って走っているという感じが抜けなかった。ゴツゴツとした走りなのである。だが、板バネには軽さやしなやかさがあった。道具とは違う、まさに脚そのものの感覚が少しだけよみがえってきたように思えた。

   2013年、東京書籍刊、佐藤次郎『義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦』kindle版57%{285ページ中 169ページ(位置No.3145中 1765)}、「第6章 いのち輝く 病をとび越えた女性ジャンパー」ふと思いついた幅跳び より

 骨肉腫で右ひざ下を切除した走り幅跳びのパラリンピアン谷真海さんは佐藤次郎氏にフレックス・フット式義足をはじめて着けた心地をそう話していました。

*11:もしかしたら義足走者についてそう思うひともいないとも限りません。

 レースの序盤は、短距離ランナーとしての僕の最大の弱点だ。

   白水社刊、オスカー・ピストリウス&ジャンニ・メルロ(池村千秋訳)オスカー・ピストリウス自伝 義足こそが僕の足』p..101、「第6章 アテネパラリンピックへの挑戦」アテネパラリンピック南アフリカ代表になる より

 さてオスカー・ピストリウス氏は立ち上がりが弱い。スカー・ピストリウス自伝 義足こそが僕の足』において、その理由を氏は精神的な部分に重きを置いて説明し……

僕は好奇心が強いので、どうしてもまわりが気になる。そのせいで、レースがはじまってすぐに頭をあげ、早い段階で上半身を直立させしまう。本当は、少なくとも最初の三〇メートルは下を向いて走ったほうがいい。そうやって正しい姿勢を保ち、すこしずつ背中をまっすぐにしていくべきなのだ。

   白水社刊、オスカー・ピストリウス&ジャンニ・メルロ(池村千秋訳)オスカー・ピストリウス自伝 義足こそが僕の足』p..101、「第6章 アテネパラリンピックへの挑戦」アテネパラリンピック南アフリカ代表になる より(「させしまう」は原文ママ

 ……そこからじしんが取り組む「ゾーン」法の紹介へと移っていきます。

 いっぽうラアスリート』山田清機氏の取材にたいして、リオパラリンピック400mリレー銅メダリスト佐藤圭太選手をサポートするXiborg遠藤謙氏は、べつの見解を提示しています。

 では、義足はズルいのか、ズルくないのか。遠藤は米国のMITに留学していた時代、ピストリウスの走行データを計測する現場に立ち会うという、貴重な経験をしている。遠藤によれば、そのとき集められたデータが示していたのは、義足のランナーと健常者のランナーの走りは"別物である"という驚くべき事実であった。

「当時、ドイツの研究者が義足の足首と健常者の足首の動きだけを比較して、義足のランナーと健常者が一緒に競争するのは不公平だという論文を発表していたのですが、言うまでもなく、人間は足首だけでなく全身を使って走ります。たとえば、義足の人は足首がないのでスタートでは床反力の上がり方が健常者よりも小さくスタートダッシュが利きませんが、一方で、義足には筋肉がないので義足自体が疲労することはありません。よく四〇〇mや八〇〇m走は”疲労物質との戦い”と言われますが、義足は疲れないのです。ピストリウスはスタートダッシュが利かないので一〇〇m走は苦手ですが、四〇〇、八〇〇が得意なのはそのせいだと考えられます」

   PHP研究所刊、山田清機『パラアスリート』kindle版75%(位置No.3172中 2343)、「トリガー」より(太字強調は引用者による)

 遠藤氏が言うドイツの研究者はおそらくピーター・ブリュッゲマン(Peter Brüggemann)で、2007年11月ケルンのドイツ体育大学で国際陸上競技連盟(IAFF)エリオ・ロカテッリ氏とともに行なった調査にもとづく研究でしょう。

 その前段ではローマのゴールデン・ガラ大会で撮影された記録をローマ大学の専門チームが検討していて……

僕の歩幅はほかの選手より大きいとは言えないと結論づけた。ただし、レースの段階ごとの走りの変化がほかの選手とちがうことも指摘した。四〇〇メートルを走る場合、健常者ランナーの大半は、最初の七〇メートル以内でスピードが頂点に達する。ところが僕は、スタート直後はあまり速度が出ず、次第に加速していき、二〇〇~三〇〇メートルの間でスピードが頂点に達するとのことだった。この指摘を受けて、ロカテッリ氏はさらに実験が必要だと判断した。

   白水社刊、オスカー・ピストリウス&ジャンニ・メルロ(池村千秋訳)オスカー・ピストリウス自伝 義足こそが僕の足』p..152、「第9章 国際陸上競技連盟の実験調査」孤独な戦い より

 ……というながれ。

 ブリュッゲマン教授の報告書はピストリウス氏のオリンピック出場に否とした08年1月の判断の根拠となりましたが、これを不服としたピストリウス氏らはスポーツ仲裁裁判所CASに上訴、2月ごろMITであらためて詳しく調査される運びとなりました。遠藤氏が立ち会ったのはおそらくこのときのことなのでしょう。

 CASは、ピストリウス氏の「義足がほかの選手より技術面で有利な材料になっていると結論づけることはできない」(『オスカー・ピストリウス自伝』p.171)という裁定をくだし、北京オリンピック等の舞台をピストリウス氏は踏むこととなりました。

 

 義足の選手には上述した長所短所があるほかにも、さまざまなデメリットがあります。板バネの足のつよすぎる反発力が生身の関節や太もも、腰に負担をかけたりもする。

 あるいは足元の感覚がないため、走るような激しい体勢は不安がつのったりもします。膝上切断者であればより一層の恐怖がうまれる。黎明期のランナーのひとり石橋政昭さんは佐藤次郎さんの取材にこうこたえています。

 走れば両足が地面から離れる。浮いた足はまた着地させなければならない。浮いた義足がもう一度地面につく、その瞬間が何より怖いのだ。大腿義足で走ろうとすれば、まずはそれが最初の壁となる。

「義足の方をつく瞬間。それが恐怖なんですよね。恐怖とのすごい戦いです。ついた瞬間、ヒザがカクッと折れるんじゃないか。それが怖いんです」

   『義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦』kindle版5%{285ページ中 59ページ(位置No.3145中 496)}、「第2章 黎明 草分けのランナー、大会へ」義足ランナーの先駆者 より

 慣れてトップランナーとなったとしても、2007年英国グランプリでピストリウス氏がそうだったようにオスカー・ピストリウス自伝』p.148)、雨でグリッピングも効かず視界不良の状況であればレーンを気づかないうちにはみ出してしまって失格処分をうけることもある。

 また、長時間の/ハードなトレーニングを行えないなどのデメリットがあります。義足のつけはじめは、歩いただけで断端から血が出て激痛におそわれます。そのせいで歩けさえしない場合もある。

<この義足、合ってないんじゃないか>

 と疑うほどの痛みはなかなかとれなかった。鈴木は初めて、義足とはそういうものなのだと悟った。義足を使いさえすればすぐにでも走り回れるように思っていたのは、まったくの幻想にすぎなかった。

 あまりの痛みに鈴木は立ちすくんだ。一歩も踏み出せなかった。(略)

 それにしても痛みは強烈だった。脚のどこが痛いとも言えない。とにかく全部痛いのである。しびれもある。立っていることさえできない。

 そのうち、やっと一歩を踏み出すことはできた。しかし歩けない。一歩出し、しばらくして次の一歩を出す。それしかできないのだ。痛みも続いていた。出血もした。ふつうは2時間ほどリハビリを続ける。だが最初は10分、20分しかできなかった。

 歩けるようになるのに、結局3ヵ月もかかった。

   『義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦』kindle版5%{285ページ中 137ページ(位置No.3145中 1389)}、「第5章 未知への突進 新たな道を開いたプロ選手」痛みとの戦い より(略は引用者による)

 これだけ壮絶な義足装着が、事故前ハンドボールで国体の県代表に選ばれ筑波大推薦入学も決めたスポーツマンの――そしてのちのパラリンピック5大会連続入賞・世界で二番目のT44部門2m越えの走り高跳び選手・鈴木徹さんの――体験談だというのだからおそろしい。

 そんな繊細な部位に激しい運動によってさらなる負荷を加えるわけですし、そうした負荷は切断神経腫の要因となります。

義足のせいで、まめができたり、切断端神経腫に苦しめられたりした。神経の先端部分が成長しても、切断面より先に広がっていける場所がないので、神経腫という良性腫瘍ができてしまうのだ。これが耐えがたいほど痛い。おまけに、足の切断面がとても敏感になり、足を動かすのがつらくなる。ましてや、歩くことなどとうてい無理だ。三、四ヶ月、家の外に出られない時期が何度かあった。

   白水社刊、オスカー・ピストリウス&ジャンニ・メルロ(池村千秋訳)オスカー・ピストリウス自伝 義足こそが僕の足』p.34、「第2章 冒険の日々」より

 また、装具の合う・合わないや、よい装具士と巡り合えるかという問題もあるでしょう。ピストリウス氏のように、地元南アフリカの少年時代から装具をつくってくれていた技士が優秀で、大手競技義足メーカー・オズール社にスカウトされ、そのまま担当が継続した……なんて幸運なケースはそうそうあるものではないでしょう。

「たかちゃん、すごいぞ」

「そうそう、それでいいんたよ」

 臼井は顔をほころばせて声をかけた。柳下孝子は夢中で走った。

<できる、できる、私は走れる。ちゃんと走れる……>

 油圧のヒザ継手はいつも使っているものとはだいぶ違っていた。使うのにかなりの力がいる。しかし、しっかりと蹴れば早く曲がり、早く戻る。だからこそ走れるのだ。

 (略)すっきりと晴れた青空。吹きすぎるそよ風。いくら走っても疲れは感じなかった。走るのを怖いとは思わなかった。

   『義足ランナー 義肢装具士の奇跡の挑戦』kindle版5%{285ページ中 27ページ(位置No.3145中 125)}、「第1章 最初の一歩 「義足で走る」活動のスタート」私は走れる。ちゃんと走れる より(略は引用者による)

 日本の義足走者は1992年の柳下孝子さんが最初だといわれていますが、柳下氏が走りだしたのは、義肢装具士の臼井二美男さんがアメリカの競技用義足を手に入れ、柳下氏へはたらきかけたからでした。

 歴史的にどうにもならないひともたくさんいたことでしょう。パラリンピックが開かれたのが1960年のことで、切断者が参加したのは実はさらに日が浅い1976年のこと

 競技用義足の一流メーカー・オットーボックは第一次世界大戦の犠牲がなければ起業しませんでしたし、日本の切断パラリンピアンの話題で名前が出ないことのない鉄道弘済会は、もともと30年代の鉄道従事者のために国鉄鉄道省が設立した福祉団体でした。

 従来の重い生活用義足から、カーボンによる軽い義足が誕生するには航空宇宙学の発展を待たねばなりませんでしたし……

「こっちはオットーボックのCレッグという膝継手。これは高級品ですよ。車並みの値段。

   白水社刊、山中俊治『カーボン・アスリート 美しい義足に描く夢』p.26

 ……いまなお競技用義足は社会保険の適用外で、着用するかどうかは懐事情もからみます。

*12:わかりやすさ重視で「大国」と書きましたが、実際には「トップブランド」。国は国として別にあるみたい。{ただし世界をまたにかけた重大イベント・会議などに出てくるのは「トップブランドのえらいひと」であって、旧来の「国のえらい人」(=「王」とか「大統領」とか)ではない}

*13:集英社刊(ヤングジャンプコミックスDIGITAL)、okama(漫画)&倉田英之(脚本)『CLOTH ROAD』5巻kindle版75%(位置No.176中 133~4)、「Stitch38 Threat of the earth」より。

*14:『CLOTH ROAD』5巻kindle版66%(位置No.176中 117)、第一コマ、「Stitch37 Pride match!」より。

*15:『CLOTH ROAD』5巻kindle版66%(位置No.176中 117)、第二コマ、「Stitch37 Pride match!」より。

*16:『CLOTH ROAD』5巻kindle版78%(位置No.176中 137)第三コマ、「Stitch38 Threat of the earth」より。

*17:『CLOTH ROAD』5巻kindle版68%(位置No.176中 119)、第四コマ、「Stitch37 Pride match!」より。

*18:ちなみにカジキのぬるぬる肌に着想をえた親水加工水着の開発をミズノが発表するのは、カピスルの水着が登場した翌年2008年のことらしい。

*19:余談ですが、過重力下の呼吸法のコツは、微妙に意見が分かれるのかもしれません。

 イギリス陸軍回転翼機試験飛行隊でアパッチのシニアテストパイロットをつとめたのち欧州宇宙機関に入り、ガガーリン宇宙飛行士センターで訓練を受けたティム・ピーク氏は、そこで教わり味わった過重力体験と知識をこう述べています。

 わたしは重力加速度(G)が徐々に高まるにつれ、胸の上におもしを積みあげられていくような感覚を味わった。呼吸が難しくなり、胸がつぶれるのを防ぐために、筋肉を緊張させねばという気になった。実際、筋肉を緊張させて胸郭を「ロック」し、腹を使って空気を大きく撮り込むのはベストな呼吸法だ。

   日本文芸社刊、ティム・ピーク著(柳川孝二監修・柴田里芽翻訳協力)『宇宙飛行士に聞いてみた! 世界一リアルな宇宙の暮らしQ&A』kindle版30%(位置No.324中 96~97)、「第2章 宇宙飛行士の訓練を紹介しよう」Q遠心加速器の訓練で気分は悪くなりませんでしたか? より

 本文でも引用したサイエンス・ライターのメアリー・ローチ氏はNASAの宇宙飛行士ペギー・ウィットソン氏に取材して……

肺がふくらみきることがないよう、短く浅い呼吸をくり返すこと、肋間筋より強い横隔膜の筋肉を使うこと。ウィットソンは、それでもやはり相当にきつかった。

   NHK出版刊、メアリー・ローチ著(池田真紀子訳)『わたしを宇宙へ連れてって 無重力生活への挑戦』kindle版33%(位置No.5158中 1667)、「6 宇宙酔い」より

 ……との知見を紹介しています。

*20:リュージュやとくに土田和歌子さんがの駆る姿で有名な競技用ハンドバイクの乗り手に近い体勢と言ったほうがよいかもしれません。

*21:幻冬舎刊(幻冬舎文庫)、太田哲也『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間p.111、「凄まじい痛み」地獄の熱傷浴より。

*22:薬学ドーピングをおこなったりもそうですし、アヴリルが置き換えていなさそうな脳の領域にメスをいれてみたりとか。現代でも筋電義手コンピュータ制御義足などがあるわけで、そういう方法もよさそうです。

 

 あるいはアヴリルの首から上は劇中そのままに、首から下について再考したりとか。ドレースのレギュレーションが2巻収録「7th race」でミュラが言うとおり「ヘルメットを装着しているか否か?」であるなら、頭と胴体がつながってそこから手足がついて……という「ヒト型に合わせた現行のドレスのかたちは本当に正解なのか?」と疑問を呈すことができそうです。

{よく見るとすごい形になってはいるんですけど、もっとトガったかたちもありそうだなとか――たとえばパトリシア・パッチーニ氏による"車らしさ"の抽出物『カー・ナゲット』シリーズが、実用的なものとして採用される道とか。(ただその理想形はミサイルなどとなりそうで、戦争に代わるスポーツであるはずのドレースにとっては論外かもしれません。またアヴリルは1巻のレースの結末をああ評しもしました。競技から視点でも、個人のモットー視点でも、アヴリルが"ひと"のかたちをとどめている理由は、劇中にでてくることだけで想像できなくもない)}

 ぼくの考えについてアヴリルやドレース運営がどう思うかはわかりませんが、ネルソン・ピケ氏なら賛同してくれたかもしれません。

 「レーシングカー・デザインの基本原則が忘れられてるんじゃないか――そんな思いが長年頭の隅にあったんだ」と、マーレイはふりかえる。「そのひとつは、マシンの重心をできるかぎり低くすることだ。当時、われわれはあの縦型のBMWエンジンをややもてあまし気味だった。1週間かけて風洞実験しても、ラップは0・5秒も縮まらないんだ。これじゃ打つ手はたいしてないなと思いながら85年シーズンに入ったんだが、低車高のマシンをつくれとネルソン・ピケが熱心に勧めていて、チームをそのことでせっついていたんだよ。」

   CBSソニー出版刊、アラン・ヘンリー(守部信之訳)『F1マシン:デザイン&テクノロジーp.161、「第4章 風洞の奥の光」より

 ブラバム・BT55は、ドライバーの背中の角度が約35度の特異なポジションによる超低身ボディが特徴的な86年のF1カー。低車高をもとめたネルソン・ピケ氏はBT55に乗ることなく同年ウィリアムズ・ホンダへ、翌年ゴードン・マレー氏はマクラーレンへと、ドライバーもデザイナーもブラバムを去るという「ラジカルすぎた失敗作」ですが、ピケ氏の主張は移籍後も変わらない――というか、さらに過熱しました。アラン・ヘンリー1マシン:デザイン&テクノロジーによれば、イギリスに本拠地を置くウィリアムズ母体と同郷のナイジェル・マンセル派とホンダが招いたピケ派で内部対立がおこるなか、ピケ氏はこんな主張をしたのだと云います。

 ドライバー位置をできるだけ低くすることへのピケのこだわりは、86年に彼がウィリアムズに移籍してからも持続した。彼がこのこだわりを培ったのはF3時代である。シルバーストーンの直線で、ピケはラルトのコクピットでシートベルトをゆるめ、1インチほど体を沈めることで2、300回転を稼いだのである。ナイジェル・マンセルよりずっと小柄なピケは、もともと車高の低いFW11Bよりさらに低い、自分の体にあった特別のシャシーをつくってくれパトリック・ヘッドをうるさく悩ませた。「僚友」を出し抜く材料は何でも利用しようと懸命だったのだ。

   CBSソニー出版刊、アラン・ヘンリー(守部信之訳)『F1マシン:デザイン&テクノロジーp.161、「第4章 風洞の奥の光」より(略・太字強調は引用者による)

 

 あるいはたとえばこの感想記事で後述するように、キュウのような状況下で覚醒する人は現実にもいて、というかむしろ『超人の秘密 エクストリームスポーツとフロー体験』(2015年10月邦訳)のように「いわゆる"ゾーン"(とかフロウ状態とか)は一歩まちがえれば死ぬ窮地にぶっつけ本番で立たされてこそ入りやすい」という主張さえある。

 簡単に言えば、エクストリームスポーツのアスリートが高山やビッグウェーブ、急流などから無事に生還しているのは、ひとえに、スポーツ界でよく言われる「ゾーン」に入っているおかげである。極限のヒューマン・パフォーマンスの限界に挑もうというときには、フロー状態になるか、死ぬかという、厳しい選択になる。

   早川書房刊、スティーヴ・コトラー(熊谷玲美訳)『超人の秘密 エクストリームスポーツとフロー体験』kindle版3%(位置No.6748中 138)、「序 なぜフローか」より

 キュウが覚醒したのはキュウが天才だからか、それとも天才になる環境がそろっていたからなのか?

 後者だとすればキュウのような状況にさまざまな人を置けさえできれば、「ゾーン」に入れる「天才」を量産したりそのなかからひときわ優れた「天才の天才」を厳選したりという道もひらけるのではないか? ……みたいな。(そして宇宙規模にわたる無数のひとをキュウ的状況においやる変数が都合がよいことに……みたいな)

*23:いやまぁ、ワープにまつわる作中のアプローチも、ワープ自体の難しさやスケールの違いからそう感じるだけで、1巻と変わらずいろいろとやってくれています。

 凡才たちの研究や対抗がいろいろと登場し。そうして天才的に広げられた風呂敷は、のりのよさを抜いたらまったく何も残らないわけでもなくて、たとえば「修学旅行先でもなんでも鬼形くんのもとへ恐怖新聞が届いている状況をかんがみるに、恐怖新聞を利用すれば超光速通信も可能なのでは?」というかんじのことを『読書で離婚を考えた。』で考える円城塔さん的な突き詰めたものが包まれている気もします。

 また、「のりはのりだよな」ととらえたとしても、主人公がすごいドレスを手に入れられたきっかけや、1巻のドレースの決着のつけかたからすれば当然の展開で、へんなところはありません。初読時はぶっとんだ部分ばかりが印象に残りましたが、「読み返すとうまいことまとまった物語だなー」と感心したり。

*24:謝辞で挙げられたのは「豊田さま、田島さま、小松さま、鶴巻さま、コヤマさま、杉谷さま、田中さま、絶叫さま、ウエダさま、イヅナさま、撫荒さま」。

 無知なので全員はわかりませんが、鶴巻和哉さん(『トップ2!』の原案・監督、『フリクリ』監督)コヤマシゲト(『トップ2!』メカデザイン、『プロメア』キャラデザ『キルラキル』アートディレクターなど)ウエダハジメ(『フリクリ』コミカライズ、『トップ2!』設定協力)いづなよしつね(『トップ2!』メカニックデザインや『フリクリ』ゲストメカデザイン)、撫荒武吉さん(『トップ2!』メカニックデザインなど)なのでは。

*25:エンジン出力がアヴリルのドレスにはエンジンが1つしかない……そのかわりオマエの3倍の加速力がある!」1巻kindle版75%(位置No.195中 146)}から、「このエンジンの力の源は太陽の400000000000倍」3巻kindle版40%(位置No.189中 75)}「あなたの星の力の9000000000000倍」3巻kindle版42%(位置No.189中 79)}……と、規模がどんどん大きくなっていくところとか。なんかたまに、心象の自己像などが裸になったりするところとか。

*26:『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間p.136。本文の次のカギカッコも同じページからの引用です。

*27:『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間p.124。本文の次と次のカギカッコも同じページからの引用です。

*28:

フェルカー(略)きみもおそらく18歳の時にはなるべきか否かなんて考えないで,ともかくレーサーに乗りたくて夢中で頭が一杯だったに違いないんだ。なるべきかならざるべきかと本当に自分に向かって確認したのか。したとすればいつだか言えるか。

ラウダ:もちろん。1970年9月5日さ。ヨッヘン・リントが死んだ日だからはっきり憶えている。

   二玄社刊、ニキ・ラウダ武田秀夫訳)ニキ・ラウダ F1の世界』p.21~2、「1 F1ドライバーの条件――ヘルベルト・フェルカーのインタビューに答えて――」より(略は引用者による)

*29:『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間p.170。

*30:『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間p.169。

*31:白泉社刊(ヤングアニマルコミックス)、okama『Do Race?』1巻kindle版39%(位置No.195中 76)、「3rd race はじめての夜はハチャメチャジェットコースター♪」第6コマより。

*32:『Do Race?』1巻kindle版38%(位置No.195中 75)、「3rd race はじめての夜はハチャメチャジェットコースター♪」第2・3コマより。

*33:『Do Race?』1巻kindle版81%(位置No.195中 162)、「5th race 暴炎インサイドZONE」より

*34:『Do Race?』1巻kindle版81%(位置No.195中 161)、「5th race 暴炎インサイドZONE」より

*35:白泉社刊(ヤングアニマルコミックス)、okama『Do Race?』3巻kindle版6%(位置No.189中 11)、「14th race レッドカーペットでさようなら」より

*36:『超人の秘密 エクストリームスポーツとフロー体験』のように、ゾーンやフロウなどと言われる状態は、命が危険にさらされるエクストリーム・スポーツのアスリートほど入りやすいと唱える向きもあります。

 キュウはスタートの高台に立つも顔面蒼白で尻込みする一方で、ドレースで素晴らしいパフォーマンスを発揮してみせますが、こういった人物は意外と現実にもいるらしい。

「それまでスケートボードで見てきたどんなものより、三倍は大きい気がした。クレージーだと思った。今見てもクレージーだよ(3)」。そのブラウン自身がその後メガランプで計算ミスをして、五〇フィート(一五メートル)の高さから真っ逆さまにクラッシュしたことは、触れておくべきだろう。

   早川書房刊、スティーヴ・コトラー(熊谷玲美訳)『超人の秘密 エクストリームスポーツとフロー体験』kindle版9%(位置No.6748中 565)、「第1章 フローの方法」ダニー・ウェイと超人への道 より

 クレイジーなドレースと同じく「クレージー」と評されるメガランプの産みの親ダニー・ウェイ氏は、一度着地に失敗して「足首を粉砕骨折してキャベツのように腫れ、膝も正しく動いていな」くて「前十字靱帯が断裂」もしている状態で、もういちどスタート位置まで階段を10階ぶん昇って、100フィート(30m)以上の長さのスロープをくだって、70フィートのギャップジャンプをして、万里の長城をまたいでみせました

 過去に挑戦して失敗・亡くなったBMXライダーもいる万里の長城の飛び越えを成功させたウェイ氏ですが、べつに高いところが得意なわけではないらしい。

信じられないかもしれないが、ウェイは高所恐怖症なのだ。ウェイのマネージャーのひとりであるダリル・フランクリンはこう言っている。「ダニーと一緒に、場所探しの旅行をしたことがあるのですが、高い場所に行くと、ダニーは顔面蒼白になるんです。こわがって、早く降りたがります」。

   『超人の秘密 エクストリームスポーツとフロー体験』kindle版10%(位置No.6748中 637)、「第1章 フローの方法」ダニー・ウェイと超人への道 より

*37:鹿島出版会刊、バーナード・ルドフスキー『みっともない人体』p.14、「序文」より。(略は引用者による)

*38:

 この本は、私が二〇〇一年から二〇〇二年にかけて川村学園女子大学の人間文化学部生活環境学科で教えたジェンダー学の講義をもとにしたものである。

(略)

 中身は非常に単純な構成で、プリンセス・ストーリーを題材にしたディズニーのアニメを見て、学生と教師が双方向で意見を述べあう形式になっている。

   『お姫様とジェンダー アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』kindle版3%(169ページ中 7ページ目、位置No.2200中 52)、「はじめに」より(略は引用者による)

*39:『Do Race?』1巻kindle版21%(位置No.195中 41)、「1st race 空飛ぶドレスのシンデレラ」より

*40:白泉社刊(ヤングアニマルコミックス)、okama『Do Race?』2巻kindle版83%(位置No.195中 161)、「12th race ボクたちの乗り乗りランウェイ」より

*41:『Do Race?』3巻kindle版13%(位置No.189中 24)、「14th race レッドカーペットでさようなら」より

*42:『Do Race?』3巻kindle版28%(位置No.189中 15)、「14th race レッドカーペットでさようなら」より

*43:『Do Race?』3巻kindle版14%(位置No.189中 27)、「14th race レッドカーペットでさようなら」より

*44:『Do Race?』2巻kindle版97%(位置No.195中 190)、「13th race Dream Stageへのスキップ&ステップ」より

*45:ソニー・マガジンズ刊、アラン・ヘンリー(守部信之訳)フランク・ウィリアムズ F1こそ我が命』p.126、「7 コマーシャル時代への挑戦」より

*46:スタジオのそれとちがって、こちらではお茶をいれる湯飲みのなかということで、見ようによってはコミカルであり、創意があります。

*47:二玄社刊、ニキ・ラウダ武田秀夫訳)『ニキ・ラウダ F1の世界』p.211、「全快を祝って」より。

*48:二玄社刊、ニキ・ラウダ武田秀夫訳)『ニキ・ラウダ F1の世界』p.211、「全快を祝って」より。

*49:ディスカバートゥエンティワン刊、冨永愛『Ai 愛なんて大っ嫌い』kindle版23%{194ページ中43ページ(位置No.1454中 329)}、「第二章 抹殺されたわたし」より

*50:『Ai 愛なんて大っ嫌い』kindle版25%{194ページ中46ページ(位置No.1454中 343)}、「第二章 抹殺されたわたし」より

*51:『Ai 愛なんて大っ嫌い』kindle版25%{194ページ中46ページ(位置No.1454中 348)}、「第二章 抹殺されたわたし」より

*52:『Ai 愛なんて大っ嫌い』kindle版25%{194ページ中46ページ(位置No.1454中 350)}、「第二章 抹殺されたわたし」より

*53:『Ai 愛なんて大っ嫌い』kindle版25%{194ページ中46ページ(位置No.1454中 351)}、「第二章 抹殺されたわたし」より

*54:『Ai 愛なんて大っ嫌い』kindle版27%{194ページ中50ページ(位置No.1454中 383)}、「第二章 抹殺されたわたし」より

*55:「CHAPTER2」の章題が「他人のために」、「3」が「何かを探して」とある通りそれだけでもないのですが、そうした声はほかの章でもたびたび聞けます。

 一例としてC2の「アイドルをやめた女」なら、それまではしまむらで服を買っていた女性がアイドルとなったことで、"アイドルはいつ何どき誰に見られても「可愛く明るく爽やか」でなければならない"と教えられ、マネージャーやアイドル仲間に叱咤や助力を乞うてファッションを覚え、実家住まいで時間の取れないなか「泣きながら何度もアイラインを引きなおし」たり時折「電車で編み込みを」したりした日々がふりかえられています。

 小題のとおり女性はアイドルを卒業するのですが、では現在このかたがアイドルメイクを全くしなくなったかというと、そうではないんだそう。他人のためにしていたメイクは今では、自分が「気合を入れたい時」の「武装」になっているんだとか。

我ながら面白いのは、「気合を入れたい時にあえてアイドルメイクをする」という技を習得したこと。ステージでやっていたようにケープで前髪を固めてバッチリまつげに武装すると、ピリッとした気持ちになれる。ライブ前を思い出すからかな? 就職の面接時にも実践し、今の会社に内定をいただきました。

   柏書房刊、劇団雌猫編著『だからわたしはメイクする 悪友たちの美意識調査』kindle版50%{179ページ中 84ページ(位置No.1944中 625)}、「CHAPTER2 他人のために」アイドルをやめた女 より

*56:他方「そもそも現実の競争のレギュレーションだって、どこまで厳格なものか?」というご意見もあるでしょう。

 たとえばファン・カー――「ダウンフォースがほしいならボディとかウィングをどうこうするんでなくて、冷却用ファンをつかえばいいんじゃね?」というブラバムBT46は、「いやこれエンジンの冷却用で、空力のためじゃないですから」と公式大会でいったんは走ってみせました。

{もっともブラバムはその言い訳を通すために、レギュレーションの定義を検討し、その定義をはみださないトンチ設計を――ファンの吸気経路を二つにして一方は空力、一方は冷却という「本音と建て前」構成に――してみせもし、そして『F1マシン:デザイン&テクノロジーp.137によればファンの慣性でギア・シャフトが回転しないような特別なドライブ機構をつくりもしました(ここまでの段取りがあるかどうかが、印象を分けるポイントなのかも)}