すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2022/02/01~02/14

 日記です。3万9千字くらい。先日の『DoRace?』感想文を書く際に読んだ本の感想を書こうとしたら一向に進まず一週間余が経ったのであきらめて一旦アップです。そのほか、没られた企画としてフォークナー脚本ホークス監督の吸血鬼映画があったことを知った週。

 

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0201(火)

 きょうもインターネットで摩耗しました。

 

 

0202(水)

 きょうもインターネットで摩耗しました。

 

 

0203(木)

 ■読みもの■ネット徘徊■

  谷原章介さんの連載書評『谷原書店』がきちんとした読み物で良い

book.asahi.com

 『プラネテス』にまつわるレビューをググって知った俳優・タレント谷原章介さんのレビュー(構成:加賀直樹)がなかなか良かった。

 これは単発の書評ではなく『谷原書店』という連載書評コーナーの一編だそうで、ほかの回も読んでみたところ、そちらもまた面白かった。通読しようと思います。

 

 作品についてきちんと具体的に紹介・検討したレビューだし、自分じしんの経験談や読者にとって身近な話題をまじえたそれ単独で楽しめるタイプのエッセイとしてもしっかり読みごたえがある。

 本田さんによる句作ゼミ漫画しとんで』の書評もすばらしい。劇中人物のひとりレンカさんの一句を谷原氏は引用、その面白さを一語一語とりあげて、句からひろがる世界について語り。

 そして「では世間的にすばらしいとされる演劇界の星シェイクスピアの脚本・ダイアログとくらべてどうだろう?」とそれぞれの長所短所を挙げたうえで、『ほしとんで』のあの面白いゼミの内容を紹介。意味が一義的にさだまらずそれを受けた人のなかで自由に広がる余地のある句のよさと、話題が自由に広がるゼミのよさとを語ってみせます。

 その良さが、TV番組の句作コーナーとはまた違う魅力であることをたしかめると、(政治家として大活躍の橋本氏が巣立ったTVや、ひろゆき氏などのインターネット有名人、インターネットの個人チャンネル、政治家の麻生氏vsマスコミなどなどにあるような)「論破カルチャー」へ疑問をなげかけ評を〆る。

「そうだった。

 『ほしとんで』は、そういう芯の強さに裏打ちされたゆるさがあるのだった」

 と1巻のエピソードが思い起こされるような素敵な評でした。

 

 

0204(金)

 ■社会のこと■書きもの■

  ネタバレサイト運営会社らが書類送検されたそう

書類送検されたのは「漫画ル ~無料漫画感想ネタバレビュー」というサイトを運営していた東京 渋谷区にある会社と44歳の経営者です。

(略)

警察によりますとおととし5月、大手出版社、小学館のアプリで掲載されている漫画「ケンガンオメガ」の60話と62話のほぼすべてのセリフやストーリーを説明した文章を無断でインターネットで閲覧できるようにしたとして、著作権法違反の疑いが持たれています。

   NHK、『「ネタバレサイト」運営会社など書類送検 著作権法違反疑い』(略は引用者による)

 気になる作品をググってみると結構な割合でヒットする、作品の内容を掲載誌があらたに出るたびに毎エピソード毎エピソードを全部こまかく文字にするタイプの「ネタバレサイト」。

 ああいうサイトが書類送検されたそうで、「客観的に見て/法的に見て、うちはどうなんだろうな……」と暗くなってしまいました。

 このblogの感想エントリのような「ネタバレ感想」は、じぶんとしてはまったく別物のつもりで書いてますが……

被害にあった作品を連載する小学館マンガワン編集部は、書類送検された経営者が運営していたサイトについて、「漫画の絵の掲載は少ないながら、セリフなどの文字内容や情景をほぼそのまま抜き出し、ストーリーが詳細に分かるように掲載する点に特徴がある悪質なネタバレサイトでした。弊社では、漫画の文字のみであっても著作権法違反に当たり、刑事責任を問う必要があると考え、福岡県警に摘発をお願いしました。

   NHK、『「ネタバレサイト」運営会社など書類送検 著作権法違反疑い』

 ……被害者の小学館さんはこうおっしゃっています。

 先月感想記事をアップした『とめはねっ!』はまさに小学館のマンガ。

www.j-cast.com

wpb.shueisha.co.jp

たとえ軽い気持ちであったとしても、漫画のスクリーンショットをSNSやブログに著作権者の許諾無く投稿(アップロード)する行為は、法で定める一部の例外(※)をのぞき、著作権の侵害にあたり、場合によっては刑事罰が科され、あるいは損害賠償請求の対象となります。悪質な著作権侵害、ネタバレ行為(文章によるものを含みます)に対しては、発信者情報開示請求をはじめ、刑事告訴、損害賠償請求などの法的手段を講じることもありますので、ご注意ください。

著作権法上の「引用」の条件を満たす場合など。

 別の会社では、『キン肉マン』の最新話更新後にツイッターでやいのやいの言う感想ツイート群について、「ネタバレだから控えるように」「集英社さんと共にそれなりの罰則をかんがえます」と、作者ツイッターや週プレNEWS公式サイトで「お願い」が出されもしましたね。

 感想文について、作品に対する評価をだれかの指図で変えるつもりはありませんが、権利的な問題で怒られることは避けたいなぁと思います。

 

***

 

 (2/17追記;とか言いつつ、直上の谷原氏の書評にかんするぼくの記述はこれ、「ファスト書評」とでも言えるものなんじゃないか……?)

 

***

 

 うちのサイトのネタバレ具合が引用の範囲内におさまっているかどうかとは別の話として、「ね、ネタバレサイトって会社で運営してるんだ……!?」と驚きました。

 いろいろな界隈のよしなしごとをまとめた「まとめサイト」が複数運営人による集団作業で賃金だって発生するものだったりするそうですから、ああいうサイトだってそういうものか……。

 

 ■ネット徘徊■読みもの■書きもの■

  ぼくが知らんだけで、ツイートにとどまらない作品語りはいまなおネットに色々とあり、なかなか端整

note.com

 東大の文芸サークル新月お茶の会さんがnoteで書評を定期連載されていることを知りました。更新頻度がすごい! 個人はもちろん(このblogなんて日記でさえもがっつり1クール沈黙しましたからね……)、団体を見回しても、きちんと定期更新できているところはなかなかないのでは!?

note.com

 また、アンソロジー『異常論文』などメジャー出版社の本へ作品を載せてもいる青島もうじき氏がnoteでほぼ毎日エッセイを書いていることを知りました。

 最近でも、大阪大学総合学術博物館の特別展『身体イメージの創造 感染症時代に考える伝承・医療・アート』の詳細なルポ日記を投稿されていましたが、すごいときには毎日読書感想文がアップされており、世の中にはすごいひとがいるものだと驚かされます。

 

 以上のnoteはすでに名の知れたかたがたによるものなので、「名サークルは/プロはすごいな」と思って終わりなのですが……

 ……プロダムで活躍はまだされていないだろうかたによる、端的で纏まった書評・論考を読むと、「このレベルを書いてしまえるのか……みんなすごいな……」って動揺してしまいますね。

 

 

0205(土)

 きょうもインターネットで摩耗しました。

 

 

0206(日)

 インターネットで摩耗するのにつかれたので、記事をアップしました。

 ■見た配信■

  vtuber『凍った足元には、気を付けてね!』

www.youtube.com

 気をつけようと肝に銘じました。

 

 ■書きもの■

  『Do Race?』感想文をアップしました

 先日の日記でも言ったとおり、日記以外の記事をアップしました。この調子でどんどん当初もくろんでいた感想文&お絵かきblogへと軌道修正していきたい……。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 先週の日記を書いた当時はたしかにエンドマークを踏んだと思ったのですが、なんだかんだ追記事項は増えたので、結果としては寝かせて正解でした。

(前にも日記で言った気がしますが、今回の記事で、「ボトルシップや車いじり、そば打ちといった社会人の余暇時間全投入型趣味として、ぼくにとって読書感想文があるんだろうな」という思いを強くしました)

 

 感想文はたしか金曜深夜あたりには寝かせきり、「ついに"更新日"とうたった月曜0時に予約投稿するときが来たか……!!」とホクホクだったんですが、

「5万字を月曜日の0時に置かれても困るだろ」

 と思い直し、日曜お昼にアップしました。

 

 すでに日記で読書メモを(けっこうな文量)のこした作品なので、「それに細部を補足・膨らませれば簡単に感想文が書けるだろう」と思ったのですが、全然そんなことありませんでした。人生うまくいかないものです。

 読書メモが5千字くらいで、今回の感想文が5万3千字。出典表記で嵩が増した部分はかなりあるんでしょうが、単純計算でおよそ10倍ということで、だいぶ内容も変わりましたね。

 読書メモではスポーツ科学のお話だけを語って終わりでした{し、じっさい記事つくりはじめはそれ以上の風呂敷は持ってませんでした(苦笑)}が、今回の感想記事ではそこも膨らませつつ、スポーツやモーター・スポーツファッションにかけるひとの突っ走り具合を見ていこう! という感じになりました。

 

 あとは、せっかく腰を入れた記事なので、漫画としての魅力を話したかった。

 画の迫力コマ割りの面白さ、それがどのように他場面と結びついて漫画として味わい深くしているかについて話しました。

 感想記事を書いてから知ったけど、ニコニコ静画の実況コメントをよむとイラストレーターの漫画だ(からつまらない)」、話が飛び飛びでわからない、という旨の(ぼくとは正反対の)声がいくつかありました。

 「漫画としてよく出来てるし、面白い」という話をすることはあんがい新規性があることなのかもしれません。

 また、節度のきいた*1とめはねっ!の良さ・凄さを個別記事として述べられたけれど、逆に奇抜なヴィジュアルや設定/画力の暴力みたいな作品だってすばらしいものはもちろんすばらしいわけで、両方のお話をしていけたらblogがゆたかになるな~と。

 

 ページめくりに関する作劇演出について、漫画をめくる冒険という論考本がむかし話題となりましたが読んでません……。さすがにこういう話をするなら読まなければなと思ったのですが、メジャー出版社からではなく同人で、めぼしい古書屋さん/メルカリなどでは見つかりませんでした。

 

***

 

 前回の感想文では、その文のスタンスについて、

「既読者が読む批評的なものか? 未読者が手に取ってみたいとおもえる書評的なものか?」

 どちらにするか決めかねてしまうことに悩みました。

 今回の感想文では、

作品についてのお話と、作品を受けて自分が思ったこと、その配分をどんな具合にすればいいか? 後者について"感想文"でどこまで取り上げるか?」

 について悩みました。

 

 その作家が味わったと明言がとれていないものを/参照していないだろうものをゴチャゴチャ並べると、作品という主役について添えられたキャプション(追従物)としての感想文というよりも、その作品を肴にしてやいのやいの自分の話をしたいだけ、という感じが漂ってきてしまいます。

(いや、感想文と言おうがなんだろうが自分からなにかを発信する以上、そうじゃないものなんてあるのか不明ですし、少なくともぼくには「私」を完全に排除したものなんて書けませんが、「クサさの強弱はあるのではないか?」と

 

 もちろん「自分の話」が面白ければ問題ない気がします。

 けれど、高山宏御大や荒俣宏御大あるいは藤森照信御大などなどそのほか任意の碩学に感銘をうけたひとが、あこがれのかたがたがそうした具合にじぶんも語ろうとした結果が、ネットのほうぼうに転がっている、碩学からあたまの大きさと学識とセンスを抜いたスッカスカのカスの牽強付会オタク雑語りなのではあるまいか?

 

***

 

 話題が拡散しない(読んでるかたがそう感じない)ような書き方はないかなぁと、ウ~ンって頭をひねりながら書きました。

 『Do Race?』は第一話のタイトルにもあるとおりシンデレラ・ストーリーだし、靴・足・シンデレラあたりがトピックとしてあれば、それなりにまとまりが出るのではないかという算段です。

 あとは「思考・行動がトんでるひとが出てきてトんだ光景を拝ませてくれる作品だよ」という感想文として、思考のトんだ話運びがないというのもウソくさいから、この論調ならトんで正解だと思ったりもしまして。

 だからべつの作品や本からの引用や話運びもまた、『DR?』の作劇でなされたような、しりとり的モンタージュ前後で正反対の話をぶつけるかしようとがんばってみました。みましたが、「じゃあzzz_zzzzのほかの文章とくらべてどうか?(そこまでトんでるか? 執拗に韻とかコントラストで攻めてるか?)」というとあんまり違いがない気もして、やっぱりきびしく思ったりする……。

 

 何か書こうとするとだいたい、blogで紹介したストロスorイーガンorミエヴィル氏のエッセイをひっぱってきがちで、さすがにもうちょっとボキャブラリをふやしたい。

 「まぁでも最近は伊藤伊藤言わなくなったからちょっとは進歩したんでは……?」とblog内検索を「伊藤計劃」で掛けたら、話題にしてない月がないレベルでヒットしてびびっちゃいましたよ……。こわい。

 

 

 ■読みもの■

 上述の感想文のために読んだ本たちについて一言。つまみ食いだったり全部読んだりと違いはあれども、もっといろいろ読んだわけですが、感想文がうまいこと出てこないので書けたものだけ置いておきます。

  okama(画)&倉田英之(脚本)『CLOTH ROAD』(完)読書メモ

 それは何ですか;

 ウルトラジャンプで連載されていたハイテク衣服SF漫画です。

 序盤のあらすじ;

 繊業革命によって人類の文化は大きく変わった。ケーブルは糸に、基盤は布地に。極度に達したナノ・テクノロジーによりコンピュータは人々の服となった。

 それはコンピュータメーカーとファッションブランドの統合を意味し、服を仕立てるプログラマー=デザイナーと、その機能を最大に引き出すファッションモデルは時代の主役に躍り出る。世界は華やかになった一方、社会問題はなにひとつ解決していない。7つのトップブランドが支配し、下層民はショーWAR-KINGで憂さ晴らしして目をそらす。

 きょうもまた地方都市コロネットの暗がりのWAR-KINGランウェイ脇で、孤児の三流デザイナーの少年ファーガスが二流のモデルに怒鳴られていた。

 仕立てを教えてくれた養父は酒浸りでスケッチさえ見てくれず、憧れのトップブランド・ロイヤルカストラートの新作はビルの発光繊維画面(ショーウィンドウ)の向こう。自室の窓向こうでは、想い人のペルリヌさんが男と連れ立って闇に消えていく。

「僕は……一生ここから出られないのかな……」

 そんな日々が唐突に終わりを迎える。養父が病に倒れたのだ。ぼろいが立派なこの工房も、莫大な手術費のためには売り払わなければ。

「もう……もう、どうにでもなれっ!」

 ファーガスが当たり散らす。赤い毛糸玉がはじき飛ぶ。

「わぁっ!」

 振り返るとそこにはじぶんと同じ金髪の、しかし瞳に光を湛えた少女がいた……

 再読した感想;

 やはり傑作でした。

 初読時はとにもかくにも、拡張されていく服・身体の定義――超天才ガーメントのあたらしい「家族」の本領がお披露目されたときのインパクトが記憶に刻まれた作品だったのですが、あらためて読むと、かなり丁寧に段階をふんでいたのだなと面白かった。

 まず人がおり、そこから……

  1. すごい服を着た人(モデル)
  2. クラシカルな美しい服によくある意匠(植物を模したような)の服を着た古い時代の天才(ジューン・メイさま~!!)
  3. 五感強化人間的天才(ヴィンテージやダメージ系のファッションにつよい、臭いに強いフェロらグラウンドダークと。スポーツメーカー的な超絶身体能力のマチュピチュらニケ)
  4. ケモノにならったネイチャーテクノロジー(生物模倣技術)(ウナギ的な水泳機能をもち、さらに……)/全環境型の服のひと(……防寒・防炎・水中能力を一着でこなすユニイズム)

 ……と歩んできたうえで、5.超天才ガーメントのあたらしい「家族」たちが来る、という流れ。

 そうは言ってもインパクトがつよい。

 その4と5にあるギャップを、その後のエピソードで4.5(3.5?).植物の特徴をふくらませた機能をそなえた本気衣装のメイさま、や、4.75.からくり細工の世楽の天才衣装/(服に人をではなく人を服に合わせる世楽ヨコヅナの体系変化が埋めていき、クライマックスへ……となる。

 

 トップモデルがどんどん亡くなりトップブランドさえもが無くなる総力戦のなかで、CPUたん*2を讃えるモノリスは我関せずで引きこもるのも、世界の広さに一役買っていて素晴らしい。

 

 okama氏のイマジネーションの爆発した各地の風景・文化風俗がすばらしい。街並みだけで数ページ数コマ使ってくれるうえに、大ゴマとなるともう眼福きわまりない。

 それぞれのトップブランドとその服・着用者の思想・文化風俗ががっちり手を結んだ物語がすさまじい。

 主役たちがしばらく滞在する、「安っぽ」くはあるけれど均一なクオリティの代物が、衣服どころか建物、そして人物までどこまでも続くユニイズムはもちろんのこと。

 大カタストロフを起こした世界の終焉(の危機)に対して、騎士道精神をはつらつとさせてトップブランドたちを束ねようと意気込むチャリオットと。侘び寂びの精神から「世界終焉」についても「それはそれで……」と受け入れてる世楽との対立がすばらしい。

 

 ただその一方で、あらためて読んだことで序盤のいくつかの大ゴマやセリフについては「んん?」とかしげるところも出てきました。

 大仰すぎたり、妙な泥くささがあったり。あるいは、発話者と読んでいるぼくとのイメージがうまく共有できずに上滑りして聞こえたりする場面がありました。(この辺のストーリー展開でいえば、すべてが速い『Do Race?』のほうがキャラの感情面についてひっかかることなく読めたりする)

 主人公ファーガス&ジェニファーがコンビを組んでのデザイナー/モデル経験としては、私的には知り合いの元モデルとの練習を、公的なWAR-KINGとしては美々介戦くらいしか未だこなしていない時分、読者としては公式戦2戦目となるところで、ジェニファーから「あいつはいつも私の予想外のことをしてきてくれたから」みたいな強い信頼が口に出されるシーンがあります。

 ここについてぼくは、「ま、まだzzz_zzzzはファーガスのすごいところをそんなに見てないよ……」と正直ちょっと戸惑ってしまいました。

 

 一部のセリフや演出にはノれなかったけれど、やっぱり歴戦の作家・脚本家がてがけたダイアログや会話の活かしかたは厚みがあるなぁと感心もしました。いや弁舌が素晴らしいとか詩情があるとか、そういうのとはちょっと違う。

 たとえばトップモデルのカピスルの発案により、ユニイズムvsファーガスら主人公コンビでトライアスロンをすることになったとき、そのルール説明を当のカピスルがすべて行なうのではなく、デザイナーのチャコも会話をつないでいるところ。

 説明シーンの後、カピスル&チャコの二人きりの場面となったときに劇中で開示がされているけれど、

「この説明をこのようにしたから、このキャラはファーガスらについてこう考えている」

「この説明のなかに全く無関係なあの情報を言ったから、あのキャラはファーガスらについてああ考えている」

 ……と、一連の説明シーンが単なる説明シーンにおちず、そのなかでもそれぞれのキャラが別個の意図をもって独自のことばをつむいでいて、そしてそれを素材にしてかっちりドラマが紡がれているんですよね。すごい。

(あと、"「ユニイズム」編には関係ないけど『クロスロオド』においては忘れてはならない大事な話題"をちょっぴりでもトピックとして挙げておくのは、連載モノでは――とくに月刊連載のマンガでは――かなり重要なことなのではないかとも思う)

 

 ほかにもグラウンドダークのフェロ・フレグランス&ニケのマチュピチュというトップモデルコンビの「約束」もうまい。

 トップモデル勢揃いのクロスロオド大会/しかし連覇者メイ様不在/主人公たちも別場にいて、ジェニファーはメイと一緒に殴り込みをたくらみ、ファーガスはもっと大きな世界の危機についてあれこれ頑張っている……という状況という、読者の意識としては前座として考えているシーンで、どうでもいい感じにサラッとなされた世間話的ダイアログが、その後この二人にとって大事な合言葉としてずっと転がされていくこととなるんですよね。

 セリフを無駄にしない物語効率のたかさをかんじる転がしかただし、意図してかせざるかは存じませんが、こういう「些細なことにこだわり慈しむこと」が、さまざまなひとや舞台で何度も何度も織りなされていって、『クロスロオド』という凡才が"凡才ゆえにできるやりかた"で愚直に歩む物語を、より大きく、より確かなかたちへ仕立てていってもいます。いろいろとすごい。

 

 序盤からあれやこれやと出てくる「天才⇔凡才」という話題は、次第に親子や師弟の話題となっていき、解決策としては「いかにして巨人の肩に乗るか、ハックするか」という勘所となったような気もします。

 並び立つ者同士が競争したらどうなるか? という視点はひかえめで、そうやってふりかえると『Do Race?』という作品は、過去にやってきたことをふまえたうえで新雪の野へ向かう、えらい作品だったのだなぁと思いました。

 

  ニキ・ラウダ著『ニキ・ラウダF1の世界』読書メモ

 それは何ですか;

 実話原作映画ッシュ プライドと友情』の主役レーサーの1人、ニキ・ラウダ氏によるF1メカニック/ドライブテク解説本。

 読む人への注意;伝記ではなく、ドライビング・テクニック本です。半生や事故・事故後の生活についてのお話は巻頭巻末のインタビューにちょっと載っている程度。

 読んでみた感想;

カーブの見取図に点線で進路を示し,ここがアペックスでここでアウトに寄る,といった説明の入った”ラウダのコーナリング・テクニック図解”を期待して本書を購入された読者があるとしたらまことにお気の毒だが,心配はいらない。現代の最速ドライバーといえども,各コーナーに存在する唯一の,しかも誰でもすぐに見わけられるラインをみんなと同じように通るだけなのだから。

   二玄社刊、ニキ・ラウダ武田秀夫訳)ニキ・ラウダ F1の世界』p.97~8、「4 F1の操縦法」コーナリング より

 コーナリングについてこんな但し書きが入る本ですが、そういう華やかな技巧とは異なるけれど、しかし見ようによってはそれ以上にファンタジックなレースの細部、レーサーの独特の語彙がたしかめられる本です。

F1は一瞬たりとも路面から浮くことを嫌ってそうならないように設計・開発されたものであり,現在のようにウイングで積極的に抑えつけていればなおのこと簡単に地面を離れたりはしない。だがいくら頑張っても,コースの起伏がたまたまお誂え向きに出来ていると,さすがのF1もこらえ切れずに離陸してしまう。そういう場所がニュルブルクリングとモントフイチに存在する。もう少し詳しくいうと,ニュルブルには離陸する地点が2箇所もある。どの車もこの場所では飛び上がることを避けられないので,車体の底にマグネシウムの補強板をとりつけて着陸時の破損を防いでいるチームもある。

 車が離陸してしまったらどうするかというと,(略)

   二玄社刊、ニキ・ラウダ武田秀夫訳)ニキ・ラウダ F1の世界』p.94、「4 F1の操縦法」跳躍 より(略・太字強調は引用者による)

 F1レーサーならではダウンフォース/グラウンド・エフェクトが考慮された時代のレーサーだから一層?)の表現として面白かったのが、コーナリングについて説明したところなどで、「離陸」「着陸」という語彙がつかわれるところ。これだけスピードを落とさなければ「曲がり切れずクラッシュする」とかではなくて、「車が浮く/飛ぶ」。たいへん興味深かったです。

 急角度で立ち上がっている縁石はいついかなる場合も避けて通った方が安全である。たとえ外側にドリフトする場合でもだ。ニュルブルクリングの縁石は高さ50ミリもあり,しかも完全に垂直に立っているから,ぶつかればまずサスペンションがこわれるだろうし,車の挙動も不意に変化してとんでもない結果を招く。

   二玄社刊、ニキ・ラウダ武田秀夫訳)ニキ・ラウダ F1の世界』p.98、「4 F1の操縦法」コーナリング より

 とにかく路面表面とのかかわりについて興味深い。

(以下の「」は正確な引用ではありませんが……)

モナコは初日こそ路面がきれいだけど、本選はもう午前中にF3が走ったあとにやるスケジュールだからコースはタイヤ屑がいっぱいだよ」p.140とか(まぁ「タイヤ屑が大変」というのはふつうの中継・実況を観ているだけで耳タコではありますが)、「ブラジルのインテルラゴスの直線路は、アスファルトのレーンが平行にいくつか走っていて、境界線がデコボコだから跨がないようにしたほうがいい」p.92とか、そういう目線が山ほどあって、読んでいるだけで『マリオカート』の画面端に表示されるような二次元平面でイメージしがちなコースが、三次元的な肌理(きめ)のあるテクスチャとして立ち上がってくるところがある。

 

  太田哲也『クラッシュ―絶望を希望に変える瞬間』読書メモ

 それは何ですか;

 雨の富士スピードウェイでクラッシュし、全身のうち40%に三度の熱傷を負った太田哲也氏の半生・手術リハビリの日々の回顧録です。

 『ラッシュ プライドと友情』の感想を追っていたら、この本を話題にだしているかたがいたんで読みました。

 読んでみた感想;

 もちろん車関係のお話や、つらい手術・リハビリ生活は勉強になりました。

 数か月まぶたを開けられない生活をおくっているひとが、腕にギプスをさせられたことで「手の先に黒電話をつける手術をさせられた!」と錯覚して、ギプスをしていないもう片方の腕で延々叩き続けたり、あるいは足をおなじような感じで安静にさせられたさい、「水を入れたバケツに足を漬かされてる」と錯覚して、「はやく抜いてください」と先生にお願いしたりするなどの状況が、そのまま載っておりまして。

 とにかく大変だなぁと思いました。

 

 『Do Race?』感想文でも引用したとおり、第一線のレーサーの極まった思考回路も面白い。

 雨の富士スピードウェイで範囲40%三度熱傷から一命をとりとめ、事故から20日ほどして骨髄炎のため右親指のさき1センチほどを切断手術したレーサーの太田哲也氏は、医師にこんな提案をします。

「まあ、太田さん、そんなことを言わないで、じっくりと治しましょうよ、治るものだから。それに右手がそんなじゃ、まだハンドルも握れないでしょ?」

「そうそう、先生、右手のことなんですけどね。痛くてたまらないんですよ。こんなんじゃあ、どうせ治っても使いものにならないだろうから、もう切っちゃいましょうよ」

 ムチャクチャである。でも、本気でそれが良いアイデアだと思っている。

「えっ!? 切るんですか?」

「そうです。僕にいい考えがあるんです。カーボンで腕を作るんです。僕のメカニックは加工がうまいから、きっとすごい腕を作りますよ。軽いし、強いし。実は僕が乗ってたフェラーリは、ボディもサスも、全部カーボンで作りなおしているんですよ。カーボンの腕は僕のメカニックに作らせるから、先生はそれに神経をつなげてくれればいい。どうです?」

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.136

 『クラッシュ』のこの記述は、「小学生でもわかりそうな」*3「非現実的なこと」を言ってのけてしまうくらい自身の容態の深刻さをどれだけ分かっていなかったか・混乱していたかの一例として挙げられたものですが(その前段では幼児退行的体験が語られたり、直近のくだりとしては親指の切断について、手術直後「目は覚めているのに、夢と現実の境界線がわからなくなってしまっていた」*4太田氏が、「包帯ぐるぐる巻きの大きな手が、あまりにも重く感じられたから」「黒くて大きな昔の電話機が手術で取りつけられたのだと思っ」て左手で殴りつづけるようになり緊急やむを得ず身体拘束措置が取られた経験などを語っている)、興味ぶかいのは氏が自嘲したのはその実現不可能性のみで、それをしようというアイデア自体には違和感を抱いていないんですよね。

 太田氏はまぶたの植皮手術でしばらく包帯をしながらの生活をおくった後はじめてタクシーに乗ったさい、ただの安全運転なのに「乱暴な運転をしているわけではなかった。道路工事がいっせいにはじまって道が掘り起こされているわけでもなかった」*5と振り返るほど、「クルマが蛇行して、そのたびに車体がロールして、体が左右に揺すられる」*6感覚を味わったさいの経験談もすさまじい。

 一年くらい引きこもり生活を送って以降、自家用車はもちろんバス車内でも本やケータイを覗くと吐き気がするようになってしまって「運動をしてなかったから三半規管が衰えてしまったのだろうな」と思ったぼくみたく、ひとによっては事故・入院生活の後遺症ととらえてもおかしくないところでしょう。

 でも太田氏はそういう「ふつう」を飛び越えていく。

 どうやら目をつぶったまま生活をしていたことで、視覚以外の間隔がとぎすまされ、特に平衡感覚が磨かれたのだろう。怪我の功名で、この敏感な感覚がずっと残るとしたら、僕のドライビングは一段階も二段階もさらに高いレベルに達することができるはずだ。

   『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間』p.170、「妻と子どもたち」はじめての外出 より

 

 『DoRace?』感想文で言わなかった部分としては、本の最初のほうで「自分自身で書いた本だよ(ゴーストライティングじゃないよ)」という話がなされているけれど、本当にできすぎなくらい物語物語した体験談がえがかれていて、ちょっと驚きました。

 太田氏が(レーサーとしてのシートを失った期間中)車雑誌に試乗記事を書くことで生計を立てていた兼業ライターだということを差し引いても、というか、そちらとは別方面のライティングスキルが必要とされるだろう内容なんですよ。

 事故直後の混乱した意識のなかで太田氏は、子供の悲鳴を聞いたり「あの世の住人」らしい「もう十分がんばったよ」的な"いかにも"なことを言う黒マントの男と出会ったりし、それをふりきって現世に帰ってきます。

 そして手術リハビリなどの日々をこなしていった後半~終盤で、この臨死体験にかんする解き明かしがなされていくのでした。

 一説によれば夢は記憶を整理しているときに見てしまうものといいますが、太田氏の臨死体験もそんなかんじで、黒マントの男やあの"いかにも"なセリフの具体的な起源までもが解明されていく。

 正直「文化的な固定観念から見えてしまった紋切型の共同幻想だろ」と思っちゃったそれが、太田氏の脳裏にうかぶのも当然の血肉を宿していくさまはちょっとすごい。

 ただまぁ、そうして血肉のついた黒マントの男とセリフの正体は、本の途中に答えや糸口がころがっていたりしないミステリ的にアンフェアな正体ではある。(ただし「人生の伏線回収!」とふるえている人に読者としてとなりで立ち会う感慨はあじわえます)

 そこから進んで臨死体験とじっさいの状況を照らし合わせて齟齬をみつけたり、「では真相は……?」と推理がなされたりする過程は、けっこうフェアだったような気がします。(わざわざ読み直したりしてないから実際はぜんぜんアンフェアかもわからんが……)

 

 いや「ミステリとして面白い」と言えるほどのものではないけれど、しかしこの探偵行為は、「日本一のフェラーリ遣い」という輝かしい自己像が不運にも壊れてしまった著者が、みずからの自己像を人生を新たに編み直すという切実な行為に思えてならず、素朴に感動してしまった。

 

  アラン・ヘンリー『F1マシン:デザイン&テクノロジー』読書メモ

 それは何ですか;

 アラン・ヘンリー氏によるF1の設計やテクノロジーの解説本です。

 読んでみた感想;

 ダウンフォースの重要性に気づいたあたりの時代の本なので、各チームがおこなった多様な試行錯誤が紹介されていて、レギュレーションのすり抜け・改訂もまたいろいろあって、たいへん面白かったし興味深かったです。

 

 本にはファン・カーの発明~禁止までの顛末も記されていて、ふんわり「ダウンフォースのために、ボディとかウィングとかちまちまやらず、扇風機をつけた車」ということは知っていたものの、それを搭載するにあたっての「ルールブックの盲点を突く」みたいな過程は知らなかったので、非常に興味ぶかく読みました。レギュレーションに記された語の定義をしっかり詰めるのが大事なんだな……。(リンク先ウィキペディアの記事でもその辺について記されているので、気になる方はそちらをお読みください)

 ウィキペディアを見たら、アニメにおいては『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』がファン・カーを扱っているそうで、「信頼してるひとがときどき好評をつぶやいていた作品だし、いつかはぜったい観ておかねばな……!!」という思いがつのりました。

 

  『オスカー・ピストリウス自伝 義足こそが僕の足』読書メモ

 それは何ですか;

 ブレードランナーのニックネームで知られる義足の短距離走オスカー・ピストリウスの自伝です。

 読んでみた感想;

 義足のディテールはもちろん、南アフリカの白人家庭の暮らしみたいなところもうかがえてそちらの意味でも興味ぶかかったです。

 坂道をおもちゃの車でくだる幼き日のピストリウス兄弟。いきおいが出すぎて進路は壁! このままでは激突してしまう!! というピンチに、兄が幼きピストリウス氏の足を外して車輪にかませてブレーキ代わりにする……などなど、義足の活劇的転用がおもしろかった。

 もちろん義足はめちゃくちゃになるし、そのほかのやんちゃエピソードでも義足がめちゃくちゃになる。つまりそんなやんちゃができるほど裕福な家庭であると暗に読んでしまうのですが、そうなようなそうでないようなふしぎな心地になってきます。

 「高い義足を乱暴にあつかって、いま思うとぼくは……」というぐあいの反省の弁も出てくるし、父が職を失ったり離婚してシングルファーザー家庭になったり……と、かなり大変そうなバックグラウンドが触れられます。ただ、ふしぎと家計に困窮した感じはあんまり受けない。

 お金に困った困ったという声がピストリウス氏から出てくる一方で、具体的なビンボー苦労話は語られず、代わりにティーンエイジャーの兄が初めてのマイカーとしてフォルクスワーゲンを購入して17歳で乗り回していた情報(※南アの自動車免許は18歳から)がしれっと提示p.87されたりする。

 

***

 

 氏がオリンピックなどに出られるのは「ピストリウス氏の義足が、健常者より有利であるとは言えない」というスポーツ仲裁裁判所の裁定を受けてのことで、それがあるからなのでしょうけど、スタートダッシュの弱さはこの自伝においては義足/健足のちがいではなく、周囲を気にするラグビー選手として過ごしてきたために気が散って集中できないという精神的な問題としてあつかわれています。

 その具体例としてピストリウス氏は、パラリンピック初参戦時、隣のランナーの盤外戦術にピストリウス氏がどれだけ心乱されたかだとかが記されているんですけど……こうした描写は、いま読むとかなしくなってしまう。

 

  望月修『オリンピックに勝つ物理学』読書メモ

 それは何ですか;

 講談社ブルーバックスから出ている、スポーツにまつわる力学の解説本です。

 読んでみた感想;

 なかなか勉強になる本ですが、まじめな顔で延々ギャグを織り込む、知的お遊び本という趣です。

 というのも望月氏は各章の最後を、考察したスポーツをやるにあたって理想的な体型の図示で〆るのですが、そうして提示されるその理想のアスリートはたとえば……

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 ……「つま先からかかとにかけて長いほうがよい」と付記された理想の短距離走者像のように、『マン・アフター・マン』などドゥーガル・ディクソン氏の想像する未来生物たちを眺めるようなおかしみを抱かせるものなんです。

 この体型にするにはトレーニングでどうにかなるものではないでしょう。

 

 ないでしょうが、しかしたとえばうえに引用した陸上競技選手の理想像が、北京オリンピックで出場可否を議論された"ブレード・ランナー"オスカー・ピストリウス氏により一躍有名になった陸上競技用義肢を装着したアスリートの姿に似ていると気づいて、ちょっと見方が変わりました。

f:id:zzz_zzzz:20220130115308j:plain

 Cの字をしたチーターの後肢にインスパイアされて、フィリップスは初期設計に着手し試作品を作り始めました。軽くて丈夫で強い、そしてエネルギー還元もまた良い素材を追求し、カーボン・グラファイトへと落ち着きます;航空宇宙材料のエンジニアであるデイル・アビルドスコフ*7の助けも借りて、フィリップスは何百というモデルを自身でテストして試作品を改良していったのです。

 Inspired by the C-shape of a cheetah's hind leg, Phillips developed an initial design and began building a prototype. He searched for lightweight, durable, strong materials that also offered energy return. He settled on carbon graphite; with help of aerospace materials engineer, Dale Abildskov, he refined his prototype, testing hundreds of models himself.

   Lemelson-MIT program掲載、『 Inventor of the Week, January 2007: Van Phillips』より{翻訳は引用者による(英検3級)}

 ヴァン・フィリップス氏の発明であり、現代陸上競技用義足の基礎となった「フレックス‐フット チータ」*8は、その名のとおりチーターに着想を得て開発されました――奇しくも「チータに学べ」と提案した望月氏とおなじように。

 ……という感じで、個人的には「次世代のエクストリーム・スポーツの参考書になりそう」と興味ぶかく読みました。

 

  ザビーネ・ケーム『シューマッハ-F1、プライベートのすべてを語る』読書メモ

 それは何ですか;

 F1の皇帝ミハエル・シューマッハ氏はじめての公式フォトブックです。

 読んでみた感想;

 いろいろと写真があってうれしい。タイトルどおり、プライベートの話題が多い。メディアへ塩対応だった理由の告白とかがあった。(ただ、どこでどうセッティングしたりこういうコースなのでああいう練習したりした/実戦でそうしたから勝ったor負けた……みたいな詳細な記述をもとめる向きにはあんまり面白くなかった)

 

  ZEITGEIST MEDIA『皇帝ミハエル・シューマッハの軌跡―Danke,Schumi! 』読書メモ

 それは何ですか;

 F1の皇帝ミハエル・シューマッハ氏にまつわる、ドイツのテレビ局RTL全面協力のフォトブックです。

 読んでみた感想;

 いろいろと写真があってうれしい。参加レースと勝敗情報がつらつら並ぶような「正史」概観ってかんじではありますが(どこでどうセッティングしたりこういうコースなのでああいう練習したりした/実戦でそうしたから勝ったor負けた……みたいな詳細な記述をもとめる向きにはあんまり面白くなかった)、マシントラブルやマシンのレギュレーション違反なども記されていて、「言わないわけにもいかないし、でも……」みたいな、本営に都合のわるい情報をうまい感じに言うにはどうすればいいか苦心が見えるのがおもしろかった。

 

 

0207(月)

 ■書きもの■

  外部でこのblogが話題にされても気づきにくくなってきた

 『OuterWilds』関連の勝手に邦訳記事をいろいろなかたに読んでもらったり紹介してもらったりした結果、blog訪問者数が揺らぐことがあたりまえとなり、日参アクセス数25前後をさわさわしていた麦穂の平原時代とちがって、外部さまからの言及へ気づきにくくなってきました。

 30~120くらいのちっぽけな揺らぎですでに手に負えなくなっているのが情けないところですけど、ありがたい悩みであり、できるだけすべてのリアクションを拾って承認欲求を満たしていきたいところですね。

 

  『OW』論文について;Curiositiesをどう訳すか/造語はやっぱ注釈入れといたほうがいいかな……

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 『OW』論文の勝手に邦訳記事を読まれたかたから(ありがとうございます!)、「Curiosity(Curiosities)」と「curiosity」についての訳語についてツイートされているかたがいらっしゃいました。

「ほかのかたが読んでも悩ましいところなんだな……」

 と頭をかかえてしまった。

 zzz_zzzzのこの記事/blogでは「curiosity」を「好奇」、頭文字が大文字の「Curiosity(Curiosities)」を「好奇」と訳しています

 「好奇芯」は造語ですね。アップ当初からしれっと使っているくせに、そんな自分ワードをつくった理由について説明してなかったので、遅くなりましたが経緯を書きます。

 まず①curiosityについてweblio辞書ケンブリッジ英英辞典を引くと、不可算名詞として「好奇心」や「珍奇」、「物珍しさ」というinterstに近い意味。可算名詞として「珍奇なもの」とか「骨董品」というstrange objectに近い意味の語であると出てきます。

 他方で②論文で説明される「Curiosities」とは、いろんな「関心ポイント群」の矢印があつまる中心であり、『OW』のコンセプトである「好奇心駆動の冒険」の「curiosity」とも重なる語でもあります。(その意味で、鬼頭氏の「珍奇品」は、「好奇心」と字とひびきが似ていて素敵です)

 

(※以下、こっから『OW』についてネタバレが入るので、未プレイのかたはご注意ください※)

 

 また③『OW』ゲーム本編での存在としては、各惑星の物理的な中心にあるものである。その中心にあるものは、持ち運べる「品」らしい「品」=物質であることもあれば、物性にとらわれない情報であることもある。つまり物質であるとはかぎらない(?)んですよね……

 ……色々と悩んだ結果zzz_zzzzとしては、「好奇芯」という造語をこねくりだしました。

 

  はてな記法による脚注コマンドと、ツイッターの埋め込みリンクは相性がわるいらしい

 ということで上記の説明を勝手に翻訳記事に脚注として追加したんですが、脚注リンクに失敗して"((ウンタラカンタラ~))"というのがそのまま本文にデンとおかれる形になってしまっていました。

 ツイッター以外の埋め込みリンク――たとえばAmazonとか*9――だとうまく行くらしい。

 

 

0208(火)

 今日もインターネットで摩耗しました。

 

 

0209(水)

 ■読みもの■ネット徘徊■

  海老名毅『弁護士が斬る刑事コロンボ』

 『刑事コロンボ』の事件が現実の日本で起きたら、法的にどのような判断がなされるか? という本職の弁護士さんの公式サイトによる連載記事でした。

 フィクションの描写を現実の専門家が検討してみる、という試み/お遊びは枚挙にいとまがなく、先日も『ゼロ・グラビティ』の描写を現実の宇宙関係の会社「宇宙技術開発株式会社」さんが自社サイトで検討してみた記事について知りました。

 だいたいの場合はその作品が好きだから趣味でやっていらっしゃるんだと思うんですけど、ある種の自己宣伝としておこなうひと/企業もあるのだろうか、とも思いました。

 フィクションをまじめに検討することで、現実のお仕事にたいしてどのくらいまじめに取り組むかを間接的にしめすセルフピーアールとしての設定考証。

www.maeda.co.jp

 「前田建設ファンタジー営業部経由で知った」というひともなんだかんだいらっしゃるのかもわからん。

 

 

0210(木)

 ■書きもの■

  『ドレース』感想文の出典表記を一部削除・リンクに置き換える

 せっかくインターネットの文章なので、出典表記について、リンクを張ることにし、記事(本文・脚注)で初登場時以外は刊行元と作者名を削ることにしました。(とりあえず『Do Race?』感想文はその表記にしました。面倒くさいので他の記事には手を付けてない)

 5万字の文章のなかで73箇所kindleから引用をしたらしく、1000字くらいが削れました。

 

 

0211(金)

 祝日で仕事休みです。

 ■身の回りのもの■

  雪が降ってないか確認のため早起きする

 早起きをして、雪が降ってなかったのでまた寝ました。

 

 ■読みもの■観たもの■

  H・ホークス監督『空軍/エア・フォース』等のウィリアム・フォークナーのノンクレ仕事箇所

 文豪ウィリアム・フォークナー氏がハリウッド映画の脚本をいくらか手掛けたことは知られていますね。

 ウィキペディアallcinemaを見るとそこまで多くないように思いますが、IMDbにずら~っとuncreditedが並ぶとおり、それらでフォローがなされていないだけでフォークナー氏がかかわった作品は結構あるらしい。

空軍 エア・フォース(字幕版)

空軍 エア・フォース(字幕版)

  • Howard Hawks
  • ドラマ
  • ¥1528

 ハワード・ホークス監督軍/エア・フォース』itunesAmazonPrimeビデオも実はそんなフォークナー氏のノンクレ(一部シーン脚本リライト)仕事のひとつで、トッド・マッカーシー氏による評伝『ワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督*10をひらいたところ、その担当箇所がしるされておりました。

 フォークナー氏が担当したのは2シーンあって一つは1:25:40~あたりの感情の抑えられた愁嘆場

九月、戻ってきた週のうちにホークスは旧友に会いに行き、フォークナーは二日間で、クインキャノン戦死のシーンの大幅な改良版を書き上げた。それは戦友たちがクインキャノンの横たわるベッドを取り囲み、死にゆく彼を――彼はそれまで何度もしてきたように操縦席で確認の呼びかけを行い、彼らはそれに応じることで――もう一度、離陸の気分にさせるというものだった。これは実に印象深い理想的な手直しの一例であり、同時にホークス的なプロフェッショナリズムとストイシズムの真骨頂でもあった。

   フィルムアート社刊、トッド・マッカーシーハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督』p.390、「24――第二の結婚、そして真珠湾攻撃とB17爆撃機」より

 もうひとつは、かなり序盤の0:15:02~。戦地へ向かう飛行機のなかで、アメリカ本国のランドマークを眼下に世間話をするシーン

もうひとつのシーンは、ジョージ・トビアス扮するブルックリン育ちの若者がカリフォルニアを揶揄するという喜劇がかったもので、明らかにフォークナー好みに仕上がった。「太陽は輝き、何も起きない。これを知るまでには六十年かかる」という具合だ。

   フィルムアート社刊、トッド・マッカーシーハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督』p.390、「24――第二の結婚、そして真珠湾攻撃とB17爆撃機」より

 ホークス監督日限りの命』は、『急転回』『急旋回ボート』として邦訳があるらしいフォークナーの小説『Turn about』を原作とした映画で、それはallcinemaにも記されているとおりなのですが、この評伝によるとじつは映画の脚本も一部手掛けているのだと云います。

 

  ウィリアム・フォークナー脚本の吸血鬼映画(没)

 没になった映画はさらにたくさんあるのだと云います。一例としてブレーズ・サンドラール『黄金―ヨハン・アウグスト・サッター将軍の不可思議な物語』(『ハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督』p.234)や、イリナ・カーロヴァ(irina karlova)のゴシックホラー小説『ドレッドフル・ホロー(dreadful hollow(『ハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督』p.456~7*11などなど。

 前者は全108ページのシーンごとト書きが、後者は(どの程度の内容かは不明だけど)きっちり脚本があるんですって。

「ドレッドフル・ホロー」は小説家としてのフォークナーの仕事と同様に魅惑的な類似性がある。彼の頻繁なテーマとなった、悲しむべき近親交配のねじれた家族を思い出させるもので、違いはここの登場人物がアメリカの南部ではなく、トランシルヴァニアに先祖を持っているということである。

 可愛らしい十九歳のジリアン・デアが、グランジ(農場)と呼ばれる、あるイギリスの家のアナ・ツェーナー伯爵夫人の話し相手(コンパニオン)という職を得る。その家には、サリという名の恐ろしげな女性もまた暮らしている。のどをはぎ取られて血を抜かれた兎が見つかる(これは、サリが血で一杯の椀を持って台所にいるのを目撃された後のこと)などの奇妙な出来事と、巨大な蝙蝠のようなものがジリアンに向かって飛んできて、外国語で呪いの言葉を吐くことから、彼女は自分が気が変になっているのだと恐れるようになる。サリが彼女を部屋に閉じ込め、これによりクライド博士が警察に訴えることになる。博士の父はツェーナーの秘密を知っていたのだ。

 後にジリアンが、ツェーナー一族に血を与えようとしているのが発見される。伯爵夫人が、蝙蝠の形となって、侵入者を襲ってくるが、気の狂ったサリが彼女をつかまえて斧で殺し、頭部を切り落としてから、墓場まで連れていく。

 その馬鹿馬鹿しくなりかねない一連の出来事へのフォークナーの取り組みは、たえず知的なもので、決まり切った表現を巧みに処理し、無理な筋の展開に対応して勝利を得ている。台本がうまくいくように、不明なことをそのままにして興味をつないでいる。効果的に生み出された雰囲気以上に、会話がおかしな地元の方言でいっぱいの傑出したものとなっている。それはイギリスに設定されているにもかかわらず、彼の南部の話し方のように書かれているのだ。その時代にしては暴力的で少し異常で、ホークスに新しい女優を見つける絶好の口実を与えるような主役が設定されている。この脚本はホークスを興奮させ、彼は何年も、それの支援への興味をにスタジオに持たせようとした。

   フィルムアート社刊、トッド・マッカーシーハワード・ホークス ハリウッド伝説に生きる偉大な監督』p.456~7、「27――独立への衝動」より(「興味をにスタジオに」「ツェーナー一族に」は原文ママ

 分かるようでいまいちよく分からない粗筋ですが(苦笑)吸血鬼モノとは!

 ググったかんじ日本でも、アカデミアの世界では2001年には法政大・大和田英子氏による科研費のでた研究出版『Faulkner, Haiti, and Questions of Imperialism』がおこなわれており、ファンダムでも吸血鬼にかんするニュースを蒐集していたらしいgooブログ『VAMPIRE NEWS』さんが2006年末に記事を書いていたり……と、フォークナーファンや吸血鬼ファンにとってはとっくのとうにご存知の遅報なんですけど、知らんかった~。

 王道ジャンルの、土着化や別の様式とむすびついた語り直し……といったトライは面白そうですな。

 たとえばふだん往来する通学路のぼろい橋、その重ね塗りが剥げた下にのぞく赤であるとか。放課後の教室の、机の上に逆さまになった椅子が乗りならぶ光景の奇妙さであるとかに、ゴシックの不気味や妖しさを見出してみるとか。すでにある

 じゃあ吸血鬼を深夜のコンビニに出没するような夜型人間ととらえて、バックヤードの暗がりにいる店員と目と目が合うロマンチックな交錯を描いてみるとか。これもすでにあった

 世界的な文豪・監督といえど撮られなかった没作品よりも、いまここに現にあるものの凄さをきちんと見つけ・見つめることこそが、本当にたいせつなことなのではないか?

 

 

0212(土)

 ■見た配信■

  『CR CUP Valorant 第二回』DAY1をリアタイ視聴しました

www.twitch.tv

 プロゲーミンググループCrazy Raqoon主催のゲーム大会CRカップが開かれたので観ました。使用ゲームはここのところ盛り上がりを見せている『Valorant』ですね。

 ぼくも去年このゲームによるストリーマー大会ABEMA presents VALORANT VICTORY CHALLENGE』を観た日記をのこしています。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 今回のCRカップは、大会本番にさきがけて1週間程度のスクリム練習が積まれ、この土日の2日をまたいで大会本番がひらかれます。

 初日がアッパー/ロウアートーナメントによる予選、二日目はロウアートーナメント決勝&下位順位決定戦をおこなったのち、アッパー無敗者vsロウアー勝者による決勝戦(と3位決定戦)。

 

 エニーカラー社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属する記憶喪失系vtuber叶さん視点で鑑賞しました。

 叶さんが今回組んだチームLook at Foreverは、リーダーにCRのストリーマー・バニラさん(『PUBG』キルレート世界1位など)、他メンバーとしてニコ生からの実況プレイヤー・わいわいさん、『レインボーシックス・シージ』ロイヤルフラッシュ大会でも叶さんとチームメイトだったストリーマーCRうるかさん(『APEX LEGENDS』最高ランク:プレデター世界3位など)、ゲーミングvtuber団体ぶいすぽっ!所属の紫宮るなさん(『スプラトゥーン』最高ランク:全プレイヤー中15位)、そしてコーチにRoBeeeeさんという布陣。

 『VALO』のプレイ経験(プレイ時間)的には叶さんがトップ2くらいなのかな?

 

 『VALORANT』というゲームは攻撃側が時限爆弾をしかけて爆発させるか防衛側が爆弾を解除させたり守り切るか、全滅させるかによって勝敗を競うタクティカルFPSです。

 同時期に大会がおこなわれたゲームのなかだと『レインボー・シックス・シージ』にルールは似ていますが、写実とトゥーンのあいだくらいのグラフィックからしてそうなように、キャラも各キャラ固有アビリティも一部武器などもファンタジーに寄った作風です。また、キルなどでお金を稼いで以降のラウンドで武装を整える(死んだ味方の武器を回収したり、逆に相手がはぎとったりする)要素も『R6S』との相違点。

{『R6S』というより、ざっくりファンタジー『カウンターストライク』みたいな認識です(で伝わるひとはそもそも『Valorant』ぼくなんかよりご存知でしょう~)}

 「このラウンドはエコで(=出費をおさえて)次のラウンドで仕掛けよう」とか「このラウンドは負けはしたけど、相手に強い必殺技(ウルト)を吐かせたぞ」とか、得失ラウンド以外の変数がいろいろあって、ラウンド数的には大差がついていたのに気づいたら逆転されている……みたいなことも少なくない。

 

 前線で戦うデュエリストという役割のキャラは、反射神経や射撃精度・キャラコントロールにすぐれた実力者がつとめることが多いのですが、今回はバニラさん(プレイヤーキャラはレイナ)と叶さん(PCはジェット)が担当。

 『VVC』だと叶さんは後衛のセージとして、妙ちくりんなところに魔法の壁を建ててその上から変態的な狙撃をして場を荒らしまくったイメージがつよかったですが、今回はまた違った役回りということで、たいへん面白かったです。

 

 

0213(日)

 ■見た配信■

  『CR CUP Valorant 第二回』DAY2をリアタイ視聴しました

www.twitch.tv

www.youtube.com

 プロゲーミンググループCrazy Raqoon主催のゲーム大会CRカップが開かれたので観ました。使用ゲームはここのところ盛り上がりを見せている『Valorant』ですね。

 大会二日目ではアッパートーナメントのどこかで一度敗けたチームによるロウアートーナメント決勝戦や、トーナメント無敗のアッパー勝者とロウアー王者がぶつかる決勝戦などが配信されました。

 zzz_zzzzはロウアーファイナルはにじさんじの葛葉くん視点、決勝は初日につづきにじさんじの叶くん視点で鑑賞。

 

***

 

www.youtube.com

 チーム"秘伝の一族"としての葛葉くんは『VVC』同様「スカイ」を操作し、索敵やらフラッシュバン(閃光手榴弾的なアビリティ)で戦闘を支援していました。ロウアーファイナルは昨日いちど直接対決をして敗れてしまったチームとの再戦・雪辱戦!

 エイムが乱れたり索敵アビリティをうまく走らせられなかったりと傍目に緊張が見えて、こちらもドキドキはらはらしながら観戦しました。

 

***

 

 叶くんであったり、LaF別メンバーうるかさんであったり、秘伝の一族の別メンバーCRありさかさんであったり……大会/決勝という緊張感のなか必ずしもずっと最高のパフォーマンスを発揮しつづけられない局面はどうしても訪れてしまうもの。そうした谷場にたいしてどう応えるか、それぞれの個性が拝めてそこも面白かったです。

 練習カスタムマッチでも味方を巻き添えにしたりと誤射がなくはなかったうるかさん操るソーヴァのウルト(必殺技)決勝戦でもちょっと「ミスった」と声をあげてしまうくらいに発動を誤ったらしいのですが、うまいことふんばって/ミスが運よくチャンスにかわった……という場面もあれば。

 葛葉さんやありさかさんのように、いろいろと事故った場面はあれども、終盤で複数キルをおさめるなど復調してみせたかたがたもいれば。

 叶くんのように(いやかれも終盤、王手をかける大事な局面で大活躍したりしていたんですが)、前日のファーストブラッド(戦闘での初キル)取ったラウンドとラウンド勝利が等号でむすばれるような試合があったりなどの、攻撃的でキャッチーな貢献の記憶や手ごたえも残っているだろうに、DAY2はマウスの震えなどもあってかどうにも同じような貢献がむずかしそうと見るや否や、うまく切り替えて、前線の情報をとにかく多く取ってくる斥候として進む・死んだら他チームメンバーの視点をザッピングして耳を澄ませて広域で的確な報告を逐一つづける……という仕事に徹するかたもいる。

 

 「叶くんはほんとうに色々よく見てるな~!」と思ったのが、両チーム4人ずつ倒れて残るはわいわいさんと敵チームプレイヤーの1vs2という緊迫した場面での一コマ!

 1v3からひとり倒すもなおも数的不利な状況、コンテナをはさんで敵がいるだろう最前線で、さぁ顔を出そうかというところで待ったをかける。

「リロード!」

 残弾数が僅少だったのでした。プレイヤー本人はもちろんのこと味方やリスナーだって敵にばかり注意がむかってしまうところで、この一言はたのもしすぎる。

 

 

0214(月)

 ■身の回りのもの■

  早起きして雪が降ってないか確認する

 5時まえに起きて、雪が降ってなかったのでまた寝ました。

 

 ■ネット徘徊■

  あなたも漫才/漫談をつくってみませんか;芸人の技芸をねじ回しする記事群

xcloche.hateblo.jp

 人気ゲーム『Wordle』の最適解を研究したエントリにつづき、かもリバー氏による構造ネジ回し記事がまたアップされていました。今回の題材はミルクボーイの漫才。

 フローチャート化されたミルクボーイの漫才は、1993年<言語の把握>以後の映画みたいな趣で面白い。

あなたも映画を作ってみませんか

 一九九三年、土地台帳管理局の各部署のヴィデオデッキ採用決定に伴い、商業映画とアンダーグラウンド映画は時を同じくして危機に突入した。<言語の把握>によって映画活動がいまや万人に可能な体験へと変貌した結果、各人が専用の映画作品をながめる習慣になじむようになり、映画館には閑古鳥が鳴いていた。(略)利用者は「プロット・パターン」という、非常に広範な規格化された一連の組み合わせを使って存分に書き込むことのできる合成シナリオの「ケージ」を購入する。組み合わせのパック付きのパターンが一つあれば、それだけで、たとえばアントニオーニの作品なら一五七五一本つくることができる。(略)

 

 アントニオーニのための合成シナリオ

 とある(x)広がり(y)、荒寥としている(z)。かの女(k)は遠ざかってゆく(n)

 変換

 x 二つの、三つの、無数の。網目のような。迷宮のような。とある(ただし男性名詞単数)。

 y 島。都市。高速道路のジャンクション。ドライブイン・パヴェージ。地下鉄。油田。ピオルテッロ・ヌオーヴァ。エウル。屋外の大量のダルミネ社製鉄パイプ。自動車の墓場。日曜のフィアット・ミラフィオーリ。閉幕後の万博会場。八月一五日の宇宙センター。学生たちがワシントンに出払っているUCLAのキャンパス。フィウミチーノ空港。

 z だれもいない。果てしなく広い。太陽の乱反射により視界不良。濃霧。粗い鉄条網のため通行不可能。放射能反応あり。広角レンズにより歪曲。

 k かれ。男と女の二人連れ。

 n (略)

   河出書房新社刊(河出文庫)、ウンベルト・エーコ(和田忠彦訳)ウンベルト・エーコの文体練習[完全版]』kindle版46%(306ページ中 134ページ)(位置No.4399中 1994)、「あなたも映画を作ってみませんか」(略は引用者による)

 ウンベルト・エーコ氏は1972年のエッセイなたも映画を作ってみませんか」で、アートフィルムの巨匠たちを構造分析し、分節とヴァリエーションを提示してみせました。

 合成シナリオが後ろに行くにつれ、部品一つ一つがやたらめったらと巨大になって、

「たとえ部品部品で分節化できても、その組み合わせの妙が名作とそうでないものを分けている/作家か否かを分けているのだろうし、その部品さえも普遍的な型をとりだすのはむずかしいんだなぁ(笑)」

 といった具合のおかしみをかかえてエーコ氏のエッセイを読み終えたのですが、かもリバー氏のミルクボーイ漫談分析もまた、そうした名作/駄作を分かつ妙について思いを馳せさせながらも、ちょっとせつない気持ちになっていく。

 そもそもその、、ってなにさ? どうしてその差は生まれてしまうの?

あなたにも本が作れます

DO YOURSELF A BOOK

『あなたにも本が作れます』(Do Yourself a Book)の興亡史が書かれれば、そこに学ぶべきことはさぞ多いだろう。出版界の癌のように現れたあの新商品は、非常に激しい論議の的となったため、現象自体が論議に覆い隠されてしまうほどだった。そのため、この企てが挫折に終わった原因も、今日にいたるまで明らかになっていない。誰もこの点について世論調査を行おうとはしなかった。それももっともなことかも知れない。恐らく、このたいへんな見世物に判決を下した読者たちは、自分でも何をやっているのかわかっていなかったのだ。

 (略)わたしはこの"小説組み立て器"の初版をいまだに覚えている。それはかなり大きな本の形をした箱で、その中には取扱説明書と、目録と、"組み立て用部品(エレメント)"の一揃いがはいっていた。部品というのは様々な幅の紙テープで、ここに小説の断片が印刷されている。(略)セットの取扱説明書にの指示は通常いくつかの再結合の手本を示しており、欄外の色刷りの数字がそれぞれの手本に立王していた。(略)罪と罰』や『戦争と平和』を手に取って、その登場人物たちを好きなように変えられる、というわけだ。ターシャ(トルストイ作『戦争と平和』のヒロイン)が駆け落ちをし、堕落するのは結婚の前でもいいし、後でもいい。スヴィドリガイロフをラスコーリニコフの妹と結婚させてもいいし、一方ラスコーリニコフは法の目を逃れてソーニャとともにスイスに出てもかまわない(すべて『罪と罰』の登場人物)

 セットに付けられた取扱説明書のふれこみによれば、このセットによって小説の素材の構成の規則を学ぶことができるし(「駆け出しの作家の皆さんにぴったし!」)、心理的投射のためのテキストとしてセットを使うこともできる(「あなたが『赤毛のアン』をどうしたか言ってくれれば、あなたがどんな人か、当ててみせましょう」)とのことだった。一言で言えば、これは作家を志す人たちの"訓練装置(トレーナー)"にして、あらゆる文学愛好者のための気晴らしだった。

   河出書房新社刊(河出文庫)、スタニスワフ・レム沼野充義訳)『完全な真空』kindle版40%(位置No.5306中 2101)、「あなたにも本が作れます」(略は引用者による)

 ……その点ではエーコ氏よりも、1970年のレム氏による『完全な真空』収録の一書評なたにも本が作れます」に近しい読み味のエントリと言えるかもしれません。

 この書評によれば、文豪の名作文学の文章をならべていくだけで本がつくれてしまうという創作キット『あなたにも本が作れます』は、かがやかしい看板に反して、

「誰でも四ドル出せば自分の家でこっそりと、殺された古典作家たちの無防備の死体を使って黒ミサができるようになったようなものである。恥辱と言うほかない」

 と別の書評子が嘆き痛烈に批判するような不謹慎な代物だったそうなのです。

 このキットの取扱説明書には「"不適当な"結合」をしないようわざわざ警告がしてあって、つまり「押すなよ、ぜったい押すなよ!」@ダチョウ倶楽部的手法で"不適当"な結合をうながす、名作蹂躙キットだったのだと。

 『高慢と偏見』の文章にゾンビを足してみる、みたいなふしだらな遊びがいくらでも行えてしまえるわけなんだと。

 先述の引用文からも伺えるとおり、(文学界にとって喜ばしいことに)この創作キットはたいして売れなかったそうなのですが、それでもすこし装いを変えながら細々と子孫を成したとも云います。

 もっとも、売れなかった理由にしても「名作を守りたい、越えてはならない一線があるのだという、人びとの崇高な理性が勝ったのだ!」みたいな輝かしいものでもなければ。世代交代して出てきたものも、エーコ氏の「あなたも映画を作ってみませんか」的な知的遊戯でもなく……

 ……日本国内においてはもともと国書刊行会から「文学の冒険」という叢書の一冊として登場したレム氏のこの連作集は、実験小説や前衛小説として名高い作品集ですが、今回リンクを張った記事などを読んだうえで「あなたにも本が作れます」を振り返ってみると、

「じつにわれわれ凡俗の心情・ふるまいをよくとらえたリアリスティックな小説だよな」

 とか思ったり。

 

***

 

 ミルクボーイがステージで披露する練りに練った「本ネタ」と、それと似て非なる「CMのシステム」ネタ。かもリバー氏の記事は、そんなふたつのネタの違いを見つめた、ものがなしく世知がらい内容ではありますが、そんななかで記事の中盤、「CMのシステム」ネタの生んだ忌み子・凡庸な(常識的に「良い」、実用性のある)雑音群みたいなかたちで列挙されたうちのひとつはシュルレアリスティックで面白い

 このシステムはこのシステムで、もしかするとミルクボーイのふたりがどれだけネタを煮詰めていても出てこないかもしれない飛躍を生みだし得るのかもしれないと、希望をいだける面白さです。

本当になんぼあってもいい/スポンサーが売りたいもの(CMのシステム)

  • 十連ガチャ
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   はてなblog、『セミになっちゃた』22年2月14日、「ミルクボーイの漫才風CM全部みる」

 拳銃情報て。

 なんぼどころか一本だってその場にあったらうれしくないよ!*12

 シュールレアリズムの詩には、日常の世界で近い関係にあるものを離し、遠い関係にあるものを結びつける、という方法があるそうなんですが、例えば"石と薔薇"とか"動物園とエンジン"などのように、遠いイメージのもの同士をぶつけて意外性を演出することを、僕はどこかで意識しているのかもしれません。僕のなかでは、「書店」と「モデルガン」と「強盗」は、けっこう"近い"もので、そこに、「ボブ・ディラン」という"遠そうな"ものをくっつけるのが、僕の好きなバランスなんですよね。

   幻冬舎刊(幻冬舎文庫)、『ミステリーの書き方』kindle版57%(位置No.7924中 4474)、「第4章 ミステリーをより面白くする」◆書き出しで読者を掴め! 伊坂幸太郎 より

 作家の創意ではなくなし崩し的にうまれたであろう「ミルクボーイ・なんぼあってもいいもの⇔拳銃情報」は、「書店・モデルガン・強盗⇔ボブ・ディラン」という天才作家がこねくりだした「掴み」と肩をならべられるくらいインパクトある遠近感です。

「なんぼもあればそりゃ一本くらいホームランも出るってもんでは?」

 う~ん、たしかに!

 たしかにそれが、川端康成にチャーハンを食べるでぶの鰯、コンクリートの裂け目から咲く向日葵、その向日葵から落ちる銀色の鉛筆のキャップなどのような長い長い夢を見せてくれるかはあやしいところです……。

hanfpen.hatenablog.com

 

***

 

 さて芸人さんの技芸に関する紹介記事としては上述のとおり械仕掛けの鯨が』さんがあれこれお書きです。

 ねじ回し記事としては先日(つっても昨年末だからもう3ヶ月まえか……)間が折り重なって爆発した』さんが、街裏ぴんく氏による漫談の味をひもといていました。

hiragi-noon.hatenablog.com

 ……そうしてねじを回された結果として、かもリバー氏の記事ではフローチャートやら真面目な顔して紛れ込ませた拳銃情報やらが。かにパルサー氏の記事ではミメーシス性のつよいオマージュ漫談やらが、それぞれ登場するのもまた面白かったです(かにパルサー氏は最近の創作で、「実在人物による講演の文字起こし」といったていの小説を書いておられた)

 どちらもおなじ「ねじ回し」という語でくくってしまいましたが、これだけ違うもんなんですね。

 回した対象のちがいはもちろんあるんでしょうけど、こういう記事で露わになるのはもしかすると、ねじを回す側の個性だったりするのかもしれない。

{たとえば、ぼくがおんなじ記事をかける頭の持ち主だったら?

 2月14日の投稿だし、最後にチョコだけが並ぶ"ほしいものリスト"を置いてしまうかもしれん。もちろんあのセリフとともに……*13

 

   ▽セックス・ドラッグ・バイオレンス、全て揃ったベストセラーといえば

 見る者によってぜんぜん違うものが見えてくるもの、といえば……

いつかウィリアムズが、面白い小説はないか、と訊いたことがあった。手持ちの小説は全部読んじまった、と。どういうのがお好みですか、とアレックスが訊きかえすと、そうだな、エンターテインメントがいい、とウィリアムズは答えた。セックスドラッグバイオレンス。するとアレックスは笑って聖書を差し出したのだった。 

   虐殺器官kindle版16%(位置No.4769中 721)、第二部「1」より

 ……伊藤計劃殺器官』のこの聖書のくだりが印象的でしたね。

 さてこの記述がアンディ・マクナブ氏のAS戦闘員』からの参照であることは知っているかたは知っていることですが……

 ある日、ベッドに寝そべって尻を掻きながら紅茶を飲んでいると、フランクがはいってきた。「退屈だろう?」

「ああ、なんにもしないで、ただぶらぶらしてるだけだ」

「本が欲しくないか?」

「ああ、どんなのがある?」

セックス暴力陰謀なんでもござれというやつがある」

「そうか。読んでみよう」

 そこでフランクは、自分の部屋へ行き、その本を取ってきて、私のベッドにほうった。それは聖書だった

   アンディ・マクナブ『SAS戦闘員』p.182「15」より 

 ……さてこのノリ、どの国らしいと思いますか?

 翻訳家の山岸真氏は、『SFマガジン2007年8月号』の『虐殺器官』書評界水準のポスト9・11SF」について、小説第一部にあたる「軽口を叩きながら遂行する暗殺ミッション」*14に日本の小説にない(そして伊藤氏が「ペンネームと同名のサイトで多くの映画評を書いている」*15アメリカ映画さながら」*16の味を見出した山岸氏は、小説の汲んだ現代社会考察や「地理的・人類史的に広い視野に支えられた」*17「骨太な思弁」*18ブルース・スターリング氏やニール・スティーヴンスンなど第一線のSF作家になぞらえ――ここは文庫版『虐殺器官』に抜粋引用されたところでした――、後半に明らかとなる"敵"や目的の意外性・「軽口の中に知的な議論」*19を交える主人公たちと、(「作者がサイトでたびたび熱く深く語る」*20押井守作品とを比較する楽しみも提示します。

 ……ようするに山岸氏としてはアメリカ映画のノリを見出したわけですが、先述のとおり、元ネタはSASイギリス特殊部隊の実在人物である。

 では英国ノリなのか?

 いやいやべつにそうとも言い切れないんじゃないか?

涙ながらの却下――編集者への読書レポート

 作者不詳『聖書』

 正直言って、この原稿を読みだして一〇〇頁目にさしかかる頃には、もうすっかり夢中になっていたね。全編アクション、現代の読者が現実から逃避するために書物にもとめるすべて、セックス(それもたっぷり)、不倫、男色、殺人、近親相姦、戦争虐殺なんでもござれときてる。

   河出書房新社刊(河出文庫)、ウンベルト・エーコ(和田忠彦訳)ウンベルト・エーコの文体練習[完全版]』kindle版50%(306ページ中 147ページ)(位置No.4399中 2168)、「涙ながらの却下――編集者への読書レポート」

 『SAS戦闘員』からさかのぼること20年余まえ、ウンベルト・エーコ氏は1972年にしるした面白エッセイながらの却下――編集者への読書レポート」セックス殺人戦争(≒暴力)なんでもござれの小説として聖書を取り上げています(『ウンベルト・エーコの文体練習』に収録。ちなみにこの本に収録の別エッセイ「もうひとつの至高天」を伊藤計劃氏は05年4月映画『コンスタンティン』評でエピグラフとして引いています

 ……アメリカ映画的でもあり、イギリスの軍人的でもあり、イタリアの知識人的でもある。

 それってつまり?

 70年代のイタリア知識人のユーモアを、時代のくだったゼロ年代アメリカ映画観客のようなわれわれ一般大衆も楽しめるくらい進歩した……という素敵なお話なのかもしれませんが。

 そうではなくて、人類はどこまで行ってもいつまで経っても三文小説の域から出られない……というお話だったりしないでしょうか。

 

 ……いやいや人間、日々アップデートできるものです、当blogでもついさっき新たな思いつきをしてみせたばかりです。ということで、これに、ねじ回し記事を読んだら出てきた「そうして露わになるのは、ねじを回した人の個性なのでは」という最新の自論を適用してみましょう。すると……

「おれは上のようなことを33にもなって平気で書けてしまう、いつまでたっても中二病から抜け出せないきびしい存在だ」

 ……というお話になり、きびしい。ただただきびしい。なんでそんな悲しいことをさっきおれは言ってしまったんだ……。こんな悲しい事実は一本だってあっていいものではないですよ。

 

 

 ■読みたいもの■

  企業(or団体)×SF……の積読の山

1920年代に青春時代を過ごしたウェルナー・フォン・ブラウンも、当時、ヴェルヌやH・G・ウェルズクルド・ラスヴィッツの小説をむさぼるように読んでいた。特にクルド・ラスヴィッツの『両惑星物語』(邦訳は早川書房刊)は、ライフワークとなる火星探索に興味をもつきっかけとなった。(略)彼は米陸軍の監視のもと、大した仕事も与えられずにニューメキシコ州ホワイト・サンズ・ミサイル実験場でドイツ人ロケット科学者仲間と冷や飯を食わされていたとき、『Das Marsprojekt』という小説を書き上げた。ヴェルヌやウェルズやラスヴィッツの小説が自分の人生を変えたように、火星探索を描いたSF小説を書けば、彼らの小説と同じように人々の心を動かせるかもしれないと考えたのだ。(略)これがフォン・ブラウンによる最初で最後のSF小説となるはずだった。ところが皮肉にも、小説を描くために技術的な問題を細かく追求したことが、コリアーズ誌の宇宙特集へとつながり、さらにその特集に影響を受けて、ディズニーのテレビ映画が生まれた。

   日経BP社刊、デイヴィッド・ミーアマン・スコット&リチャード・ジュレック(関根光宏&波多野理彩子訳)『月をマーケティングする アポロ計画と史上最大の広報作戦』kindle版14%(位置No.5147中 706)、「1 はじまりはフィクション SF小説、ディズニーランド、「2001年宇宙の旅」」より(略は引用者による)

 企業(or団体)とSFのコラボはここ最近でいくつかあったけど、全然読めてないなと思ったのでふりかえり、メモりたいと思います。

 日立×円城塔氏による間小説集』がありました。

www.hitachi.co.jp

 2016年、リコー×クリエイターによる西暦2036年を想像してみた』もありました。

jp.ricoh.com

 瀬名秀明氏、ゆうきまさみ氏、千倉千代丸氏、磯光雄氏、円城塔氏、柴田勝家氏、倉田タカシ氏、水口哲也氏……作家、漫画家、ゲームクリエイター、アニメーターに研究者まで……幅広いかたがたが並んでいる。

www.hayakawa-online.co.jp

 『AIと人類は共存できるか?』人工知能学会創立30周年を記念したアンソロジー

 

 2017年、東北の国際リニアコライダー計画とのコラボSFアンソロジーが登場しました。岩手県政策地域部 科学ILC推進室の協力によるもので、東北ILC準備室長/岩手県立大学長/高エネルギー加速器研究機構長をつとめた鈴木厚人氏による序文が付されている。

www.hayakawa-online.co.jp

 

 2019年~現在進行形の企画として、清水建設×日本SF作家クラブによる設的な未来』があった。

www.shimztechnonews.com

 

 2021年には『WIRED』で6月、「メディア・広告の未来」を題材にしたSFプロトタイピング小説を津久井五月、小野美由紀氏らが発表。

wired.jp

wired.jp

 同『WIRED』では10月、「ワールド マーケティング フォーラム 2021」の1セッション「鎌倉市×SFプロトタイピング」用の小説が吉上亮氏から発表されている。

wired.jp

 

 ググった結果わかったこと;

 いろんな試みがあるらしいことがわかりました。

 SF作家の小説を読める機会が増えるのはうれしいけれど、ぐうたら者なのでろくに読めておらず、またアンテナ感度もわるいので存在に気付いてさえいないということさえありました。

 あくまでn=1の意見だけど、「これがPR戦略じゃないといいな」と思いました。こんな怠惰な人間が読むようなジャンルでPRをかけることはだいぶ分が悪いんじゃないかという気がしてならず、また、そんな分の悪いところにお金を注ぐ団体が――それも僕が知ってるような大企業が!――いらっしゃるということは、好感はもてるけど正直不安で仕方ないからです。

 

 ■観た配信■

  vtuber『衣装の感想会とゲームもしちゃうよ~!! #JK組おそろい衣装リレー 【JK組/にじさんじ】』リアタイ視聴しました

www.youtube.com

 エニーカラー社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属する月ノ美兎委員長、樋口楓さん(愛称でろーん)、静凛先輩の通称JK組の3人が、おそろいの新衣装をおひろめ&実況プレイ配信をされていたのでリアタイ視聴しました。

 ファンタジックなよそおいということで、コラボプレイするゲームはァイナルファンタジー14』

Aimless Story

Aimless Story

  • 静凛
  • アニメ
  • ¥204
  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

 しずりん先輩のソロ曲『Aimless Story』が、『FF』おなじみのテーマ曲『プレリュード』オマージュであったり、しずりん先輩のソロライブ『Recollection』でも『FF14』プレイヤー配信者"光の戦士"たちが勢ぞろいしてのパフォーマンスがあったり……と、しずりん先輩の実家とも言えるゲーム。

 委員長やでろーんは『FF14』未プレイでしたが、このコラボのために8時間ほど序盤のチュートリアルなどを履修したうえでのおひろめとのこと。

 

 月のうさぎをイメージした杵装備の委員長、弓のでろーん、魔法使いのしずりんというそれぞれの新衣装に合わせて、『FF14』のキャラの役割も委員長がオノを持った前衛タンク役、でろーんが弓をもったアーチャーとして中盤で支援役、しずりんは後衛で回復魔法などをとなえる白魔法使い。

 この日記ではCRカップの話題をしましたが、こちらの配信はカジュアルゲームプレイの楽しみが詰まった配信となっていて、ゲームっていろんな楽しみ方があるんだなぁとしみじみしました。

 初心者(委員長)のわちゃわちゃプレイを、中級者(FF14初心者だけど他ゲームの玄人でろーん)や経験者・上級者(しずりん先輩)がによによほほえましく面倒みる内容。

でろーん「こんなディズニーシーみたいな……」ダンジョンを見て一言(0:31:10)

しずりん「おぉ~(笑) 表現いいねぇ~♪」

しずりん「ハイここで? タンクが? "ディフェンダー"を入れて?」(0:31:22)

委員長 「アッ…ナルホドわたく「そう!」しが~!「先頭で行かなきゃならない」行くのね?」

しずりんディフェンダーを入れて?」

委員長 「じゃ行きますよ~?」

しずりんディフェンダーを入れて?(笑)

<ディフェンダー発動>

委員長 「行きます! ……お゛り゛ゃあ゛あああああ!!!!

 おたけびをあげる委員長。戦闘をおえて行き止まりにあるメモを拾い、ダンジョンの未踏地帯を探索します

委員長 「なるほどこっちは行き止まりだったんですね。じゃあ戻るか……」

でろーん「オッケー」

委員長 「ミッあれ? どっから来たんだっけ? みぎ? ひだり?」

でろーん「あのタンクやばいです凛せんぱーい!(笑)」

しずりん「よくあるよくある(笑) 初見のタンクさんはよくあるから大丈夫大丈夫(笑)」

 抽選参加のリスナープレイヤーNKさんがサイリウムを振って順路を示すのがまた面白い(笑)

委員長 「みなさんついてきてください! わたくしについてきてください(キリッ)」

委員長 「あ゛~敵がいますよ皆さん! 気を付けてくださいね!」

しずりん「あ~"ディフェンダー"切っちゃダメっ(笑) ディフェンダーは、ディフェンダーは、ID、ダンジョン入ったら一回押すだけで大丈夫……

 さきほどしずりんから説明があった、一度発動すれば永続使用可能なアビリティ"ディフェンダー"のON/OFFボタンを2戦目にはいってもう一度押してしまい、切ってしまう委員長(笑)

 たぶん配信まえの事前合わせでもレクチャーがあったりしたんでしょうけど、まぁ頭に入っていかないっスよね……わかるわかる。

 バーチャル高校2年生の委員長・でろーんに対して、ひとバーチャル高校年うえであるしずりん先輩はふだんの配信でもお姉さんらしい立ち振る舞いを見せてくれるのですが、そんな先輩の包容力がいかんなく発揮された配信でした。

 わりと抜け作な委員長の抜け作プレイにたいして、ネタでも貶すことなく丁寧に同じ説明をしてくれていて、理想の既プレイヤーってかんじでした。

 

 配信者の視点カメラで前を遮らないように後ろへ退いて、そしてラインなんてマップのどこにもないのにキレ~~~に一直線に並んで距離をたもったリスナープレイヤーの観衆といい、とにかく熟練プレイヤーの粋なはからいが拝み倒せる配信で、とてもよかったです。

 

 他方で、「で、これシャキーンって言うやつ!!」と、うっきうきで『FF14』ネタを解説するしずりん先輩なども拝めて、たいそうほほえましかった~。

 

 

 ■社会のこと■

  中絶経験の有無を、性的に奔放かどうかに結び付けるな

 きょうもさまざまな有名人の色とりどりのゴシップが世間をにぎわしている。

 そんなひとつとして、とある有名人について「中絶経験がある」と話題にだされたようだ。その真贋はどうあれ、そこだけを取り上げてふしだらだなんだと言うのは間違っている

 性行為は一人でできるものではない。コンドームが主な避妊方法である社会においては(ましてやアフターピルの認可も下りない日本であればなおさら)、けっきょくのところ男性側が着けるか否かがいちばんのファクターだろう。女性側がつけてほしくても言い出せない、言っても聞いてもらえない場合もあろう。

 また、避妊をしていてもできてしまうときはできてしまうものだし、していなくても結婚をするつもりだったが破談してしまったことだってあるだろうし、いろいろな可能性がかんがえられる。

 

 ■自律神経の乱れ■

  陰キャ/モテない認識の違いについて

 ゴシップから派生しての話題なんですが、vtuber界隈でたまにざわざわすることとして、陰キャ非モテ(モテない)定義(の各人でのブレ)がもたらす悲哀はあるよなぁと思います。

 今月誕生日を迎えて33歳となったことで、恋人いない歴33年とまた一年更新した非モテのじぶんとしては、過去に恋人(配偶者、パートナー)がいたり現在いるひとが「じぶんは非モテである」と自称することに対して、モヤっとした暗い感情をおぼえなくもない。

 イメージ戦略としてそういう嘘をついているひとは男女ともにいるんでしょうけど(『DGS』や『マクロスF』リスナーとしては、客観的にイケメンな小野Dに対してどちらかというとモテない・モテたい発言をしていたひろCが結婚していて子供までいることをフライデーされたときは「う~~~ん」となりましたよ……)――そしてそういう売り方をしているひとびとについてぼくは「彼女/彼氏いたことあるのに"いたことない"などの嘘をつくのはやめようよ」と思うけど――、他方で少なくないひとはほんとうに「非モテだ」と自認していて、本心からそう自称しているものと思いもします。

 この揺れについてはたぶん、なにをもって「モテていない」とするかの各々の認識・実感の揺れから生まれているんじゃないでしょうか。

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 「モテない」を、複数人から一斉にアプローチをかけられたり、恋人が途切れることのない状態となったことがないとしてとらえる人もいれば。

 是非(有無)の問題、つまり持ってるか持って非ざるかでとらえる人もいらっしゃると。

 前者は人数や期間の多寡を基準にして見ており、後者は1か0か二元論で見ている……というのと、あと、多寡論でも自分を基準にした相対的な評価でものを見てしまったりするので、そこでまた悲しい意見の相違が発生してしまうのでしょう。

 1人と一瞬だけ付き合った程度の微モテに対してさえ、まったくの非モテであるじぶんとしては「いやモテてるじゃん。ふざけんなよ……」とどうしても思ってしまう。

 

 小島アジコ氏の例のように、長年ひとりで生活してきて、たまたま良い人と巡り会えたという状況のかたが、

「いや頻度・量的にモテてない状態が人生の大半なのに、それで"非モテ"じゃないというのは感覚的になじまない」

 というのはまぁわかるんですけど、でも、これがたとえば「そんなことまで知ってるなんてオタクだね~」とか言われた場合なら「いや、(おれよりそれについて詳しかったり好きだったりするひとはいっぱいいるから、それと比べると)ぜんぜんオタクではないっすわ……。ぼく程度がオタクなんて名乗るのはとてもじゃないけどおこがましい……」みたいなためらい・謙遜がはたらくじゃないですか。

 こと非モテやらがトピックとなると、どうしてそのためらいが発生しないんでしょうね?

 「非モテではないでしょ」と言われたときに、「たしかに(おれよりモテてない人はいるし)非モテではないっすね」とならず「いや(おれよりモテてる人はいっぱいいるし)非モテっすよ……」となるのはなんか釈然としない部分がのこります。

 まったくの非モテであるひと本位で物を言ったとしても、世はまさに中年童貞200万人時代、日本の人口1億2580万人として1.5%ということで、珍しいは珍しい存在ですが、でも『シャニマス』のSSRアイドル(1%)よりも中年童貞のほうが多いという状況ですよ。年齢や性別を問わなければ、恋人とのふれあい皆無タイプの非モテはもっと増えるでしょう。vtuberを熱心に見ているような層となればなおさらです。さくっと無視できるボリュームゾーンか? というと、そうでもない気がします。

 少子高齢社会が進むことはよろしいことではありませんが、もしかすると、ぼくのような非モテコミュ障もある意味では生きやすい時代になったのやもしれませんね。

「コミュ障ではないだろ!」

 いや、ぼくコミュ障の陰キャっすよ……。いちおう中学時代からの友達が3人・高校時代からの友達が4人はいるけど、片手の指で足りてしまうし、かれらにしたって年に1回会えば良いほうくらいの付き合いですからね……こんなんで「コミュ強」なんて名乗るのはとてもじゃないけどおこがましいっすわ……。*21

 

 

※18禁の話題※

 ■読みもの■

  太ったおばさん『クラニー同盟』がFANZAに来ていた&最新5話が追加されてた

hutottaobasan.booth.pm

 かにパルサー周辺で話題の太ったおばさん先生の最新長編ラニー同盟 1』FANZAに来てました。変則的設定の催眠モノですね。いろいろとこんがらがっていますが、合意の上でどうというお話ではないのでキツいかたはキツいと思います。

 なんかページ数が多いなと思ったら、去年購入した時には1~4話収録されたコンテンツだったのが、なんと5話まで追加されたアップデート版でした。

 BOOTH版『クラニー同盟 1』をお持ちの方は買い替える必要はないのでご注意を。

 BOOTH版もタイトルや値段そのままに、5話まで追加された状態となってました。

www.pixiv.net

 舞台設定・細部が独特でふしぎで会話劇もすばらしい、たいへん面白い漫画なんですけど(じゃなきゃBOOTH、FANZAと同じものを二度買いしないよ!)。全年齢向けのマンガ『リバーサイノ』などがそうだったように、分量だけで言えば一波乱も二波乱もあったうえでとっくに閉じている尺ではあるから、萌えエロコメとしてのぬるま湯をずっと浸かって漂っている感はあるっちゃある。いや、ずっと続いてくれて良いんだけども。

 

 

 

 

 

*1:「ききすぎて逆に特異な領域に入っている」とぼくは思うがそれはさておき……

*2:あえてこういう言い方をあえてしますが……。時が経つのは本当にはやい。クロスロオド時に沸き立つ「CPU!」「CPU!」も、そのうちオマージュ元(?)を忘れてしまいそうだ。(「D・V・D!」)

*3:『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間p.136。本文の次のカギカッコも同じページからの引用です。

*4:『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間p.124。本文の次と次のカギカッコも同じページからの引用です。

*5:『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間p.170。

*6:『クラッシュ 絶望を希望に変える瞬間p.169。

*7:このカタカナは川村一郎『海外に診ける新しい義足足部の動向』にならいました。

*8:フレックス-フット社は2000年にアイスランドのオズール(ÖSSUR)社に買収されており、ピストリウス氏らが使う「チータ」も厳密にはオズール社の製品です。そしてこれがフィリップス氏のチータの子孫であることはfacebookで同社が言っているとおり。

*9:はてな記法の脚注内に、ツイッター埋め込みリンクを置いた場合、そのまま本文に「((はてな記法の脚注内に~))」と表示される文章となってしまう。

 では、ただの埋め込みリンクの場合は?

www.amazon.co.jp

 ……このとおり、

*10:余談だけどこの本に記されたホークスとフォークナーの出会いは大酒呑みとプロフェッショナルにまつわるもので、それ自体がホークス監督映画みたいで驚いてしまった。

*11:巻末の作品索引はなぜかこのページの記載がなくて惜しい。

*12:拳銃情報があることは大事だし、拳銃がその場にあるのに誰も注目も報告もできない状況は大問題だけど、そもそも現代日本社会は「拳銃がないことが当たり前」の共同体なので、拳銃(情報)がぽんぽん出てくるような状況は異常事態だし、うれしくない……という意味です。

*13:しかしそういう欲気色気雑念のあるやからには、ああいう記事は書けないんだろうな……

*14:早川書房刊、『SFマガジン2007年8月号』p.7第3~4行目、山岸真著「世界水準のポスト9・11SF」より

*15:『SFマガジン2007年8月号』p.7第5~6行目より

*16:『SFマガジン2007年8月号』p.7第7行目

*17:『SFマガジン2007年8月号』p.7第13~14行目より

*18:『SFマガジン2007年8月号』p.7第14行目より

*19:『SFマガジン2007年8月号』p.7第21行目より

*20:SFマガジン2007年8月号』p.7第22~23行目より

*21:「(知識などが豊富という意味での)オタク、ではない」も「非モテ(コミュ障)ですよ」も、じぶんを低く見積もるという点においては共通していて、結局のところは自己肯定感の問題となるんでしょうね。