すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2022/02/15~02/21

www.youtube.com

 日記です。2万字くらい。畳んだこの下にある文章とは無関係の話題なんですが{ひがみくせぇ点で湿度は多分同じですが}国営的TV局が海外の『ロング・ウェイ・ノース』など海外作品を拾ってくれるのは素晴らしいけど、同様にアートワークが美しい(だろう)国内の天才押山清高監督によるオリジナルアニメ『SHISHIGARI』を観る方法がないまま3年経とうかという状況はさすがにどうなんだろう。……と、雪を見たり『LWN』が話題になったりするたび思う。(長編版の製作がなされているんであれば幸いだけど音沙汰がなぁ……)

 頭痛で土日寝てたり、古橋旧サイトをあさったりした週。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0215(火)

 仕事が詰まっているのにやる気が起きなくて大変でした。

 

 ■ネット徘徊■

  スカイツリーの除雪作業の怪獣映画/ロボットモノ的怖さ

www.tiktok.com

 青い空をぱらぱらと舞い落ちる白い粉が、街頭までくると意外なほど大きいことが分かり、分かった瞬間には重々しい音を立てて地面にぶつかる。

 黄色い上着をはおったかたがたにより安全確保しての作業だったようなのですが、当の除雪作業従事者のかたがたが反射的に飛び退いてるのがまたおそろしい。

 富野ガンダムではメカが機銃を放つと空薬莢が落ち、つづけてメカの足元にいる人に巨大な金属の塊としての空薬莢がぶつかる……という光景が描かれていましたが、ああいうスケール感の錯誤(喪失と現出)が感じられますね。

 

0216(水)

 ■社会のこと■

  あれな内輪スラングの使用による謝罪

www.gamespark.jp

 たとえば「昇竜*1自体がこのゲーム強すぎる 昇竜ないキャラ人権ない」みたいな具合につかわれる、ゲーム/オタク界隈で聞くスラングとしての「人権」の誤用が問題となったそうです。

 今回のそれは「恋愛対象などの対象にあげられない」という意味で、「現実の170cm以下の男性は人権ない」とつかったところ……といった具合。

 (親身なアドバイスとして言った)「羊水腐る」からスターダムに陰りがでた倖田來未さんの一件を思い起こされているかたもいましたが、たしかにそのラインからすると、これはかなりきびしいということになりますね……。

 カジュアルに使っているけれど問題含みの言葉として原作レイプ」「飯テロ」、そして「地雷」「○○難民」を挙げているかたがいて、なるほどなぁと思いました。

 ゲーム関連(?)でけっこう普及してしまった語としては、「ガイジ」などの語源はすぐ見当がつく一方で、「沼」「沼った」などのことばが(ぼくはてっきり「泥沼にはまった」とか「ドツボにはまった」とかの類語だと思っていたんですが)知的障害⇒知障⇒池沼(「ちしょう」の変換。2ちゃん語)⇒沼という流れらしいというお話は、「そうだったんか……」と勉強になりました。

(ぼくもいくつか使っていたので別の言葉に置き換えたりなんだり工夫をしていけたらいいなぁと思います)

アビリティーが想定外の使い方をされることについて、どう思いますか?

A

アビリティーが想定外の使い方をされる場合、時には素晴らしい成果を生むこともありますが、逆に対策を要するような状況が発生することもあり得ます。セージのバリアオーブは恰好の例ですね。独創的なブースト、横に広がる壁の設置、その他予想しなかったアビリティーの組み合わせなど数多く見てきました。他方で、一方通行を作り出す浮遊する壁や、スプリットのスパイク設置エリアBに浮かぶ壁ブロック、オーメンのテレポートバグとのコンボなども頻繁に目にしてきました。

   ライオットゲームズ『VALORANT』公式サイト、「ASK VALORANT- 4月13日」リードキャラクターデザイナーJay Watford氏の言(一部の太字強調は引用者による)

 その界隈で独自に発展していった語彙は興味深く、たとえば創発的に攻撃手段が日夜開発されている『VALORANT』界隈から知った語彙で、セージのバリアオーブ(防御壁)を利用することで思いもよらない死角から攻撃したさいなどにプレイヤーやファンからあげられる快哉の声(「いやらしい攻撃」から転がっていっただろう)「えっちな壁」をこのblogでも話題にしましたが、まぁ行儀が良いかというとそうではないよな、とは思ったり。

(「言葉の向いた先にだれかがいる用法ではないし、なにか現実の悲惨から連想された比喩でもないし、問題ないのでは?」と思うんですが、じぶんの倫理観が信じられない)

 

 上みたいにあきらかなあれはともかくとして、ジェンダーエスニック関連の語は知らずに使っている気がしますね。

 女性嫌悪(ミソジニーな「スイーツ(笑)」はもはや使っているひとはいませんが、しかし、結果としてもっと直接的でひどい「まーん(笑)」や「まんさん」「女さん」(女性器が禁止ワード設定されて置き換えられた、という経緯だと聞く)が今なお生き残っているらしいのは、嘆くべきか喜ぶべきか(=「どれだけ全体の倫理観が上昇しようとも過激派はいるだろう」と、そして「その過激派だけが使っているものだと考えれば……」という向き)

 グレッグ・イーガン氏のエッセイを勝手に邦訳した記事で引用した、かつてイーガン氏が93年のインタビューで「現状の無批判的肯定」という意味でもちいた熟語「母性的声明(motherhood statement)」は、たぶん約40年後の現在の氏ならつかわないんではないかという気がします。

 あとは老害はエイジズムじゃないか(べつに「老」をつける必要はなく害悪とか迷惑なひとと言えばいいだけなので)と思うけど、ぼくもほかの人も結構つかってるよな、とか。 

 または、この日記のほかの項でも使う「中坊(厨房)」「厨」はどうか? とか。

 

 「グンマー」「修羅の国」「試される大地」みたいなものもおそらくきびしいでしょう。でも、じゅうにぶんにネタ化されている逆噴射総一郎先生の「メキシコ」はどうだろう、よくわからないな……。

 あるいは翻訳の世界でガラのわるい人のつかうことばとして関西弁を充てたり、田舎者として東北弁を充てたりするのはいかがなものか、とか。

 その点では、閉鎖的・狭量という意味での「ムラ」というレトリックもあれかもわからないですなぁ。

 ぼくがそのジャンルから遠のいたから忘れてしまっていたものとしては、きわまった作品群に対してつけられた「作者は病気」関連の誉め言葉。英語圏でも「ill」とか「fuckin」云々とか形容詞としてつかう例は未だに見る気がします。(「(緻密な書き込みで)病的に良い」とか「狂的にすばらしい」とか、日本語でも聞かなくはないか)

 『DoRace?』感想文でそうしたみたく、それにちかい意味合いのレトリックをぼくもごくごく最近でさえ使うので、戦略も全くなしに使わないように気をつけたいと思います。

 

 こういうお話はここまで大々的に燃えてなかっただけで前々から「どうよ?」と疑問を呈されているかたがおり……

 ……なるほどと思いました。

 でもUbu氏のツイートについているリプライのように……

 ……「どこまで禁じ、改めていくか?」みたいなことは思いもして、むずかしい。

 たとえばそういった言葉をつかう人に対して上記の識者のかたが表した「無神経だなぁ」という言葉だって、「無痛症のかたもいるんだぞ」というお話はできるでしょうし。

 

 あといろいろ気を付けておいたほうがよさそうなのは、なんだろうな、大きな主語による断定口調の断罪とか、下ネタとかですかね?

 『シンソヴィ』の感想をながめていると識者・一般読者問わず「夢か現か考え込んでしまう」「ディック的な云々」みたいな話が聞けますが、正直ぼくはこれ初読時ピンとこなかったんすよね……。

 夢か現か云々なんてお話は胡蝶之夢の昔からいくらでもあるわけで、気になってくるのはそれぞれの作品が「どのように現実らしさ(あるいは夢らしさ)を確保し、その境界を揺るがせているか?」じゃないですか。

ほとんど現実そのままだけど、少しだけあり得ない奇想が潜り込んでる……とか。まったくの絵空事だけど、細部の手触りは個人的な実感をズバリと言い当てられたような「あるある」と身に覚えのあることである……とか。まったくの絵空事だけど、精緻なスイス時計のようにきっちりかっちり現実の諸要素と嚙み合わせたうえで虚構へとズラされている……とか。

 たとえば少年時代のぼくに不安を植え付けた■トラレ』は、劇中独自設定こそありえない「他人が言わないだけで、自分の考えが周囲に漏れてしまっている」というものですが、しかしそうは思っていても、個人の経験(ふと雑踏で気になる人が視界に入って目で追ったら、ふいにその人がにらんでくるとか)や個人の生理的恐怖・不安(開陳したくない内心はだれしもあるものです。)とあまりに結びついて「もしや……?」「本当だったらどうしよう?」と揺さぶります}

 初読時のぼく自身は、

「いや、お話はめっちゃ面白いけど、シンギュラリティってそもそも宇宙開発(月進出)と二者択一できるようなものでは無し(今だって夢のまた夢のテクノロジーなのに、冷戦期でなんてとてもとても……)フィクションはフィクションじゃん??」

 としか思えなかった……というのが正直な感想です。いや正直じゃねえな。

オタクくんはすぐボルヘスとかレムとかディック出すの禁止!! ディック陳列罪ですよ!!!

 と毒吐きネットマナーを内心立てていたというのが本音です。

   当blog、「SFのロマンを剥ぐ;短編集『なめらかな世界と、その敵』感想」より

 ……弊blog、アウト~!

 

 

  小岩の下の暗がりにうじゃうじゃある「しゃらくさ」粉砕系(ルサンチマンor厨房)ネタツイ群もそのうち無くなるんだろうか

 上の流れを見て思ったのが、われらがオタク遊びツイート群って小石を持ち上げた日陰にうじゃうじゃしているじゃないですか?

togetter.com

 加藤よしきさんのネタツイ群とか、青春ドラマ(アニメ・漫画)やその予告の人物紹介のキャプチャにつづけて無関係の作品のシーンやキャプションを持ってくるネタツイ群。

 トラックで突っ込む全裸中年男性だったり半裸中年三島由紀夫だったりさまざまですが、まぁなんかしゃらくさい「青春」にたいする茶化すようなネタでコントラストをつけてワイワイキャッキャする点で共通している。

 ようするにドラえもんバトルロワイアルをしてみるとか、アンパンマンを劇画調に書いてみるとか、あるいはバイキンマン側の営みを慈しみをもって注目すると同時に彼らが「バイキン」扱いする裏にはカバオくんたち「世間」の偏見が……などと書いてみるみたいな、小中学生時代にわれわれが学校のお便りを裏紙にして描いて以来延々楽しんでいるノリなのですが、これはこれでまぁ、そのうち消えていく悪ノリだったりするんでしょうかね……?

 

  いまの子たちはどこでコンテンツ語りしておるんじゃろな……

 ノスタルジックな気分になったので、「朝目」でblog内検索をかけたところ、むかし日記で取り上げた、(zzz_zzzzのblogにスターをつけてくれた)東方Projectにじさんじvtuber月ノ美兎委員長の紹介エントリを書いていた学生はてなbloggerさんが、はてなのblogを閉鎖したことを思い出したりしました。

 はてなブックマークコメントから感じる「世代が上」感とか、vtuber関連になげかけられる言葉の見るに堪えないひどさ・雑さから(でもまぁフェミニズム関連になげかけられる罵倒よりかは遥かにきれいだけども。偏見で物を言ってるという点ではどちらも変わらないっすね……)、「はてなblogからああいう趣味の子が去ってしまうのはそりゃそうさな……」と思うんですが、じゃあリアルタイムで配信を追っているだろう現役リスナーがいっぱいいるだろう『好き嫌い.com』サイトの空気がどうかといえば、最前線の熱気は結構にぐつぐつと煮詰まった危うい域に達することもしばしばあって、これはこれで……。

(しかし映画ーシャル・ネットワーク』などに代表的な、悪しき価値観の体現者・醸成者としてマーク・ザッカーバーグをえがくさいに出てくる具体例が、

"『Facemash.com』のような「Hot or Not」二択サイトを半径100mの身近な人間でやっちゃう"

 だったことを念頭におきながら、"世の中のすべてのものごとを「好きor嫌い」で二分して身近な戦場にしちゃう"『好き嫌い.com』の存在を見ると、なんとも言えない気分になりますな)

 ああいう子がオタ話をできる場って今どこなんだろうな。なんか同好の士とうまいことめぐり合って、あの温かさを育みつづけていてくれたらいいなと勝手ながら思う。

 

 

 ■書きもの■自律神経の乱れ?■

  ここ最近の記事/日記は連想的/とりとめなさすぎるのではないか?

 ためてた日記をアップしました。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 読み返して思ったんですが、ここ最近のじぶんの記事や日記は連想ゲーム的すぎる/とりとめなさすぎるのではないか?

 1月初めこそ、この傾向について「"有意義なことを言おう"みたいな気負いがそうさせているんではないか?」ととらえていました。

 でもそうじゃなくって、単にものごとを考えたり・だれかに聞かせるよう話そうとしたりするさい焦点をひとつに絞る能力が低下しているだけなように思えてきました。

 

 

0217(木)

 ■ネット徘徊■読みもの■

  『ヴィジランテ』119話から、古橋旧サイトをふりかえる

 『ヴィジランテ』が何度目かわからない佳境を迎え、ソリッドファイター[完全版]』へしみじみ思いを馳せていました。

 それでふと、入手経緯はわすれましたが、手に入れてからたぶん十年単位で積んでいた、古橋秀之さんの旧サイトのアーカイブを振り返っていました。

 この日記の下端に置いた文章がその成果(?)で、「119話の無料公開期間をすぎてからのアップではなぁ……」ということで先に別個にアップしました。

 しましたが、アップまえに読み直し、文章がめちゃくちゃだったので直し、アップ後に読み直したら文章がまだめちゃくちゃだったのでまた直し、朝起きてもう一度読み直したらまだまだ文章がめちゃくちゃだったのでもう一度直し……と、見るたびに直す羽目に。

「お、おれってこんなに話がまとめられない人間なんだ……」

 と愕然としました。

 

 ■観たいもの■観たもの■

  科学系モキュメンタリー;宇宙計画モノ『ムーンサルト ソ連極秘宇宙計画』『ヒューストンへの遺言』、アニプラ印の擬似動物番組『ドラゴンズワールド』

 ロシア産ロケット開発史モキュメンタリーーンサルト ソ連極秘宇宙計画』Amaプラに入ったとのことで、過去ネットフリックスで配信されていたューストンへの伝言』という宇宙開発競争モノのモキュメンタリーについて話題にされているかたがいました。

www.allcinema.net

 SF系のモキュメンタリーでは、ドラゴンの歴史・生態を追った科学番組風モキュメンタリーラゴンズワールド』{旧題『ドラゴン 実在の幻獣』(原題「Dragons: A Fantasy Made Real」「Dragon's World」「The Last Dragon」)}なんてのもありましたね。英国チャンネル4や『アニマルプラネット』チャンネルで放映されたこれはDVDが出ていて、後追いできます。

 DVDと違って配信は後から追いづらいのがむずかしいところですね……と思ったところで、「一時は配信されたがすぐに打ち切られてしまった」みたいな「てい」のモキュメンタリー/ホラーが今度は力を持ってくるのかなぁなんて期待が生まれたり。

 

 

0218(金)

 ■ネット巡回■

  バイオゴリラのパラドクス

 筋書きの重要性を話すひとを「ジャングルノドラマ筋書キ無イ」とバイオゴリラがめちゃくちゃにする――バイオゴリラ構文の型通りに……という、クレタ人は嘘つきだとクレタ人が言ったみたいなツイートで面白かったです。

 

  山崎貴『続ALWAYS』ゴジラとJホラーの親和性

 山崎貴さんが「東宝の『超大作怪獣映画』」のメガホンを取る……ということで、「東宝のアイドル」ゴジラと山崎氏にまつわる過去の言及が特撮ファンの手によって持ち寄られ、ああでもないこうでもないとお話しされていました。

―― 出てきそうでなかなかゴジラ本体は出てきませんが。

山崎 制作する上で意識したのは、ゴジラ本体より、ゴジラが起こしていること。例えば、家やビルが吹っ飛んだり、都電が飛んできたりとか、そういう部分です。最近のハリウッドの優れたホラーやパニック作品って、本体よりも、そいつが起こす周りのことを描いていますよね。その手法できっちりやろうかな、と思ったんです。なんと言っても、本人よりも噂話の方が凄い、ということがあるじゃないですか。本体を見せるよりも、断片的にその場にいる人だけが知りうる情報だけを提供した方がリアリティーがあるんです。それが俯瞰で見せたりすると、急に人ごとになっちゃうじゃないですか。

   ASCII.jp、千葉英寿取材『【インタビュー】昭和33年の東京に突如出現したアイツの真相を山崎貴監督に直撃!!』(色変え太字強調は引用者による)

 そして私は、自分がなぜ、ここまでこの場面を怖がるのだろうと同時に冷静に考えてもいた。恐ろしい者が画面に現れる訳ではない。そこで映っているのは、「怖がっている」リアクションなのだ。

   河出書房新社刊、小中千昭『恐怖の作法 ホラー映画の技術』kindle版10%(位置No.5028中 466)、「第一部 第二章 恐怖の記憶――ファンダメンタル・ホラー映画史」階上に居るもの より

 過去監督作(07年11月公開)『ALWAYS 続・三丁目の夕日』OPには、ゴジラに襲われる劇中劇があります。そこについて山崎氏は上のようなお話をされていたそう。もちろん05年公開『宇宙戦争』などが念頭にあったんでしょうけど(『宇宙戦争』に似た、走る車と追走していたカメラが車窓をとおって車内に入るショットとかがあったりする。『クローバーフィールド』は意外(?)にも『続』後の08年公開作品)山崎ゴジラはJホラー「小中理論」的存在だったんだな……と今更ながらびっくりしてしまいました。(黄土色部分はむしろ逆か?)

共有される情報は恐ろしい

「小中理論」の一つの項目に、「共有される情報は恐ろしい」というものを設けていた。

 主に実話、もしくは実話的な(つまりリアルな)怪談映画を作る上で有効な話法の一つである。

 ある体験――、例えば違和感を抱かせる黒い人影を見た人物がいる。しかしその人物は、その体験を自分の心理的影響による幻視に違いないと、理性的な納得をしようとする。

 ところが全く別の人物が、自分が見たものと同じとしか思えないものを見たと証言(したり、子どもであれば絵に描く)、"それ"が客観的に存在するのだと判明し、その人物(と同時に観ている観客)恐怖が共有される――。

 怪談物語の構成に於いて、こうした描写の積み重ねこそが、その映画の"怖さ"の大きさに繋がるのだ、と私は主張している。

   『恐怖の作法 ホラー映画の技術』kindle版28%(位置No.5028中 1363)、「第二部 第一章 「自己責任」系」共有される情報は恐ろしい より

 監督、或いはキャメラマンは、ワンショットで情報量を最大限に入れ込む事を半ば本能的に指向する、と気が多い気がする。幽霊が出現し、それに恐怖する人物を描くという場面に於いて、幽霊ナメで人物バスト(ショット)、というアングルはまさにそれに当たるのだが、うしたアングルが暗示するのは、その場面の視点がその人物から遊離してしまった事なのだ。恐怖している人物を客観視する視点であり、言わば「醒めた」視点と言える。

   『恐怖の作法 ホラー映画の技術』kindle版28%(位置No.5028中 1363)、「第一部 第四章 恐怖の方程式――「小中理論」とは何か」B 脚本描写について より

 

 

0219(土)

 ■身のもの■

  頭が痛くて寝ていた

 2時まで起きる。⇒11時まで寝る。⇒昼たべて15時まえに寝る。⇒19時起きる。夕飯たべる。動ける程度の鈍痛。23時に寝る。熱はなし、味覚嗅覚もふつう。

 

 

0220(日)

 ■観た配信■

  vtuber月ノ美兎『好きなコンテンツのwikiを編集するオタク etc. 【あなぐラジオ】』アーカイブ視聴

youtu.be

 エニーカラー社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属するバーチャル学級委員長の月ノ美兎さんが短めネットラジオを配信されていたのでアーカイブ視聴しました。

「このラジオはBGMがありません。自分けっこうラジオっ子だったんですけれども中学生ぐらいのとき。そういうBGMのない独りしゃべり、みたいなやつがねけっこうね、あのー、好きでもあるので」

 すっごくよい空気感~。

 委員長ファン向けの比較で言うと、エッセイ集ノさんのノート』だったり、にじフェス同人誌用イラストを液タブで書き続ける作業配信だったりが好きなかた向けのテンション。

 個人的な体験だと、学生時代の友人と集まって飲み食いして2次会おわって友人宅に行って、だらだらAmazonプライムでアニメ通し視聴したり、スーファミボンバーマンやり終えたあと~くらいの、もう寝るか寝るまいか、そういう深い夜に沁みる空気でした。

 

 

 ■身のもの■

  頭が痛くて寝ていた

 7時ごろに起き、朝ごはんを食べる。→昼たべて14時ごろ寝る。⇒19時起きる。夕飯たべる。頭痛なくなる。23時ごろまた少し痛くなる。我慢するのもうっとうしくなったのでロキソニンを1錠飲んでしばらくして寝る。熱はなし、味覚嗅覚もふつう。

 近眼がつよめにでて遠くのものにピントを合わせるのがいつも以上に難しい。

 

 

0221(月)

 ■身のもの■

  元気になった

 0時に寝て7時に起床。元気になりました。

 

 ■読みもの■書きもの■

  先週の日記の『オスカー・ピストリウス自伝』読書メモを補足・訂正した

 先週の日記の『オスカー・ピストリウス自伝』読書メモで書き漏らしがあったのと、ふつうに頭から抜け落ちてたことがあったので補足・訂正しました。

 ピストリウス家は離婚・父が職を失うなどの貧乏エピソードがある一方で、読んでいてあんまり困窮した感じを受けないんですよ。

 その具体例として、「ピストリウス氏の兄がティーンエイジャーのころ免許取って早々にイカーとして(書き洩らし)を取ったこと」を挙げたんですが、具体的な車名を書き忘れてました。フォルクスワーゲンです。

 で、もうひとつ、書き漏らしではなくふつうに間違えていたのが、免許のくだり。

 じっさいには免許をとれる年齢ではない17歳でフォルクスワーゲンを買って乗り回していた、というお話でした。もっとすごかった……。

 

 ■読みもの■

  松本陽介『その淑女は偶像となる』29話(完)読書メモ

shonenjumpplus.com

 感情をゆさぶる「がんばったけど報われなくて、それでも浮かべるやせ我慢の笑顔」という味の濃ゆい作劇で魅せてきた今作が、最後の最後に、顔を見せない演出でしっぽりまとめてみせたのがすてきでした。

 松本先生の引き出しはもっと広いこと・さらなる活躍に期待できることが拝めてよかった。

 

 最終話で読者をすごいところに置いてきたな、とびっくりしつつ、でもそうかぁ、そうだなたしかに……と納得もしつつ。

 ジェームズ・マンゴールド監督『ウルヴァリン』、ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督『乾いた人生』……スクリーンの下の地中としての、観客席としての墓・死者の視点。

(ということで、今さらながら19年にドス・サントス回顧上映があったのを知った。行きたかったぜ)

 

 

 ■書きもの■

  読者増に繋がってそうな作品語りは、語る人の多さ(賑やかさ)と、未読のじぶんもなにか掘れる「未踏領域」がありそうな語りなのではないか

 

 

 

 寮の共有スペースで『アメリカン・アイドル』を視聴する学生を観察した研究者たちも、似たパターンを発見した。学生たちは様々な出演者に対してそれぞれ異なった種類の感情的投資を行ない、個々の出演者の相対的な長所を毎週議論していた。出場者たちのキャッチフレーズが皮肉として会話の中に自然と現われていた。何回か放送を見逃しても、番組のルールと出場者についてある程度知っているので、友人の助けを借りて番組の視聴に復帰できる。番組を見るつもりなしに共有スペースに入り込んで、結果的に番組を見続けた人もいた。番組を見ることが寮のコミュニティの社会生活の中心になるにつれて、熱心な視聴者は週ごとに増えていった。面白いことに、最終回は期末試験とスケジュールが重なっていたので、学生たちはテープに録画しておいて、すぐには見ずに[試験が終わったら]皆で一緒に見る約束をした。

   晶文社刊、ヘンリー・ジェンキンズ著『コンヴァージェンス・カルチャー ファンとメディアがつくる参加型文化』kindle版26%(位置No.9746中 2435)、「第2章 『アメリカン・アイドル』を買うこと――私たちはリアリティ番組でどのように売られるか」あなたたち同士でお話ししてね。 より

marshmallow-qa.com

 みなさんは円居十字軍/イヌー界隈に読むマンガ観るアニメ映画を支配されて何年経ちましたか?

 界隈によるつぶやきを追っていくと、山口貴由氏作品とからめたお話が出たり、次いで『ニンジャスレイヤー』とからめたお話が出たり、さらには山風忍者伝奇とからめたお話がでたり……と読む人を増やしていくとともに連想作品もまた増やしながら、段々と『忍者と極道』そのものの魅力をくっきりさせる方向へと語りが固まっていくのが面白いですね。

 かくいうぼくもにぎわいに引き寄せられて『忍者と極道』と出会った一人ですけど、今作にかぎらず大なり小なり読者増に繋がってる作品語りは、語る人の多さ(賑やかさ)と、未読のじぶんも読んでなにかしら発見ができるだろう「未踏領域」のうかがえる語りなのではないか、つまり(あるとも知れない)鉱脈をみんなで協力して掘り起こす巨大事業の/解釈共同体の一員と成れることにあるのではないか……みたいなことを考えてしまいますな。

 

***

 

 ひるがえって自分の感想は……なんといいますか……墓標っぽくね? と思わなくもない。

 

 とりあえず今のところ感想記事で取り上げた作品は(読んで面白さがわからなかった/読んで得られるところの少なかった作品について語るのは、書ききるまでモチベーションがつづかなかった関係上)「面白かった(面白い)からおすすめですよ」という作品なんですが、だからといってぼくの文章を読んで「じゃあ取ってみるか」と動いてくれるひとはいない気がするんだよな。

 いちおうぼくの感想文(最近のもの)はオチを伏せている。

 伏せてはいるが、うまい伏せかたではない。「この先は君の目でたしかめてくれ!」式攻略本にかんじる興ざめ感をたぶん読んでいるひとは味わう。

 ぼくの感想文がそのさきに提示するのは、ぼくがお膳立てし・伏せたカードをめくってどんなものか確かめに行く「確認作業」なんだよな。たぶんこれがいけないんだと思う。

 じゃあどうすればそうしないようにできるのか? ……それがわかっていれば、日参アクセス数30~50(内9割検索エンジンから)のblogになってはいないだろう……。

 

 「おれはこう味わった」という報告という気持ちが9割なので、(記事の方向性としては)べつに手にとってもらわなくてもいいっちゃいい(もちろん取ってくれたらうれしい)のだが(、「じゃあ書評的な記事を書けるか?」といったらここのところの日記で言っているとおりぼくには書けないし、また)、「じゃあ独り立ちした立派な孤島になれているか?」といえば、目をそらすしかない……。そちらの道についてもまた、悪しき怠惰の言い換えとしてのアマチュアリズムの海にずっぷり浸かっているためきびしい。

 「批評です!」と言えるような腰を据えたものではない/と言いたくない心根のよわさがあり、問題点があろうと「まぁ趣味でやってるひとが楽しそうにやっていることへ水を差すのも……」とひとさまのやさしさに甘えて見逃してもらい、他方であくまで「感想」と言い張ることで「感想文にしては……」と"がんばったで賞"を貰うこずるさがある。

 きびしい。振り返るとだいぶきびしいよおれ……。

 

***

 

 さて引用した『コンヴァージェンス・カルチャー』の上のくだりを読みなおして思ったこと。

 ぼくはソシャゲとか『Wordle』とか、あるいは『ヤンジャン!』など毎日ログインで閲覧ポイント増加系の漫画閲覧アプリとか、いくつかのネット更新漫画とかをみんなことごとく更新日を忘れたりなんだりして途中リタイアしてしまうんですよ。それで「読み忘れない良い方法、なにかないかな?」とか悩むでなしに悩んでいたんですが、そう悩むのって結局ぼくがソーシャルにつながってないがゆえって部分はあるんだろうな……なんて気づきを得ました。それについてふつうに盛り上がってるコミュニティに居れば、更新日になればだれかしら/波及的に盛り上がってるから、べつに自分でリマインドしたりする必要はねーんだわ。きびしいっすね。きびしいな。

 

 

※18禁の話題※

 ■ネット徘徊■

  上の世代のお兄さまお姉さまがたは古×秋で盛り上がられたりされたんだろうか?;古橋秀之旧サイトの日記を読む

 夜中、アキヤマ君に電話。酒も入って、話デカくなるなる。
『そりゃもう、今はちっぽけな俺だけど、いずれはヒューゴー賞ネビュラ賞も全部俺のですわ』
「いやそうは言っても、よそから見たら、ニッポンなんて『どこにあるかもわからん国』っしょ」
『ですからそこは「ニッポンが生んだアキヤマ」ではなく「アキヤマを生んだ国ニッポン」になるわけです』
「うわあ、さすがはビッグバン級の自信(『E.G.コンバット』あとがき参照)の持ち主だ」
『そりゃもう爆発なだけにノーベル文学賞だって取っちゃいますよ俺は電撃文庫
「電撃でかっ!?」
 で、どこから湧いて出るんじゃその自信は、という話。

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「大丈夫日記」00年01月28日

 どういう入手経緯だったか失念してしまいましたが、作家の古橋秀之さんの旧サイトああ古橋っ!!』アーカイブを手に入れ、例によって積ん読山脈の一峰となっていたのですが、「マイPCの記憶媒体もいつ飛ぶか分からんからさっさと読んでしまおう」とぼちぼち崩しはじめました。

  法政大学社会学部卒・金原瑞人創作文藝ゼミ出身。そしてマン研にも入っていた古橋氏の旧サイトには、デビューまえの同人漫画のちょっとした紹介だったり、既存作のファンアートだったり、じしんが電撃文庫から出した一次創作の(挿絵家とはまた別個に古橋氏がごじぶんで書いた)設定イラストだったりが載せられていたり。あるいは丈夫日記」と題したページには、ごくごく私的な日記がしたためられていたりしておりました。

 後者のページでは98年03月~00年03月までの古橋氏の足跡がつぶさに知れます。

 さて武蔵野美術大学・マン研に所属していた伊藤計劃さん('74生)によるはてなダイアリー時代のエントリが先日バズったばかりですが、'71年生れの古橋氏はかれのすこしうえ。

 いかつい厄介オタクな伊藤氏の記事でdisられた昭和と平成の境目89年生まれであるぼくとしては「またいろいろ小言をいわれるんでは……」と身構えてしまうところですが(笑)、伊藤氏が小説家デビュー前から気合の入った日記・レビューを残されていたのと違い、すでにデビュー済みの古橋氏の日記はかる~いかるい身辺雑記というかんじで、ぼんくらオタク暮らしが知れます。

『E.G.コンバット』秋山瑞人(原作・イラスト ☆よしみる) メディアワークス
 モノカキの友人兼師匠のアキヤマ君のデビュー作。
 買いなさい読みなさい。
 身内だから言ってるんじゃない。すげえんだ、面白えんだ。
 お話は「宇宙の戦士」とか「エンダーのゲーム」とか「トップをねらえ!!」のパターンで、主要登場人物は全員女の子--と言ってしまうと引いてしまう人もいるかもしれないが、料理の仕方が目茶目茶目茶グー。
 おまけに、彼本来の芸風はゴリゴリのサイバー&ミリタリー&ハードボイルドで、そんな彼が「よしみる先生のノヴェライズやるっス」と言ったときには関係者一同「正気かーっ!?」と応えたものだが、フタを開けてみれば、彼の漢気(おとこぎ)パワーは見事にギャルものに昇華されていた。
 NIFTYの会議室の書評に「『不屈』と書いて『けなげ』と読む少女達」てな書き込みがあったが言いえて妙。それよそれ。

 この事実は、彼が「仕事」のできるモノカキであることをも示している。
 それに比べてわしは「小説の才能もないかも……」と、かなりブルーな気分になりつつエディター画面に向かえども、執筆進まず。とほほー。
 ちょっとマジで「小説書くのやめようか」と思う。
 彼がいなければわしはモノカキになっていなかったと思うが、彼がいるゆえに「才能」という言葉に悩む。微妙な位置関係。

 ちなみに、「ソリッド2」は7月にも出ない。とほほほほ。

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「大丈夫日記」98年06月05日

 いや当時の古橋氏は、1巻が発売されて早々に打ち切りが決まったというのにそれを知らされないまま、続きとなるリッドファイター』2巻3巻相当の原稿をひーこら記し。

 それと並行してカプコンを退社したあとに外部スタッフとして(=毎月きまった給与がある社員ではない、成功報酬的傭兵として)とあるゲーム会社のとあるプロジェクトに参加するもこちらもまた泥舟企画で成果が出ずひーこらし……

 ……貯金をくずし保険を解約し親兄姉に生活費を借りる困窮生活をおくる、精神的にも肉体的にも相当に相当ソリッドな暮らしをなさっていたらしいのですが、オタク話についてはそういう陰がほとんど見えないドぼんくらっぷり。

 小説や創作物を読むと古橋先生ってぼくにとって天上人なのですが、でも、この日記をよむかぎりにおいては"時代がちがうだけの同類"的な親近感をおぼえてしまいました。

{ぼくがお金なくて買えなかったオタク雑誌に載っていた倉田英之さん('68年生れ)のエッセイとか、あるいはぼくがティーン時代に巡回してたゼロ年代テキストサイト『LOGIC & MATRIX』とかをいま読み返すと、フォント芸やらイジリなど言葉の"当たり"の強さやらに尻込みしてしまうんですけど、古橋氏の日記などはわりと抵抗なく読めました}

 ただまぁ上にも引用したとおり古橋氏は顔がひろくアクティブで、そこはぼくとはえらいちがうところ(笑)

 古橋氏の高校・大学・元職場・電撃作家仲間との交遊録といったおもむきがあり、とりわけラノベ読みである自分としては「アキヤマくん」と連日のように会ったり深夜に電話したり……と仲睦まじいようすを、たいへんほほえましく読ませていただきました。

 

 ぽつりぽつりと世間をにぎわせていた時事問題のお話もあり、当時の空気みたいなものもいくらか知れる。

 zzz_zzzzは社会のことなんて、このblogでもblogの外でも(なにか言えるほどしっかりした意見をもってないキャパオーバーの問題だったり、あるいはストレスフルでふれたくなかったり、もしくは面倒くさかったりという理由から)スルーをきめこむことが圧倒的に多いんですが、古橋氏の日記を読むと、「ある程度は書いておいたほうがいいかも」とか反省したり。

 凡庸でも素朴でも(あるいは書いたその時点から「なんかカッコつけたこと・お行儀よい建前を言っているな~」と思うようなことであっても)*2記録媒体にのこしておかないと、あとでふりかえったときにあらわれるのは、理想化された(あるいはもっと理想化された)偽者の自分だったりするのではないか? そんなことをちょっと思いました。

 古橋氏の日記やエッセイは、「追記」に「追記の追記」にとさまざま余談がつけくわえられていて、そうして書き足されたものは、さいしょに言ったことの訂正だったり、くわしい補足説明だったり……がほとんどです。不格好ではあるけれど、でも、誠実だとぼくはおもう。

 

   ▽未プレイヤーにまで逸話が耳に入る『To Heart』人気の余波

zzz-zzzz.hatenablog.com

 そしてもちろん当時のオタクの空気のディテールもまた興味ぶかい。

 このblogでも新間大悟さんによる二次創作漫画の感想エントリをしるしたTo Heart』人気のすさまじさが、意外な(?)角度から知ることが出来ました。

 今となっては当時の熱気がいかほどのものか分かりかねる部分があり、古橋氏も『TH』未プレイヤーなので「『TH』が当時のオタクたちにとってどれだけ大事な作品だったか」みたいな当事者の直接的な声は日記を読んでもうかがい知れないのですが、だからこそより一層すごさがつたわってくるものがあります。

 本を借りにきた(略。友人氏のニックネーム)にイメクラの話などされる。
 今度某コスプレイメクラで、あの耳がオプションで2千円するマルチでやることになった(女の子に「今度はやっぱマルチですよ~」言われた)のだが、どういうシチュエーションから攻めるべきでしょう、みたいな。

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「大丈夫日記」00年01月14日(略は引用者による)

 なんと友人氏がイメクラで『ToHeartマルチを題材にしたプレイを提案・宣伝されたんですって。後日の日記を読んでみると、この話題は口に出されたにとどまりません。

 夕方、(略。友人氏のニックネーム)くる。例によって風俗話。
 彼の行きつけの店では例の二千円のマルチ耳はもうやっていなかったそうである。装備すると声が聞こえにくくなるので不評とのこと。
 しかし(略。友人氏のニックネーム)、せっかくその日のためにTo Heartのセリフチェックをし、シナリオも持参したのであるからして、と、通常制服にてマルチプレイ
 二人でやってもマルチプレイ

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「大丈夫日記」00年02月16日(略は引用者による)

 実践模様まで記録に残してくれている

〔原典だと聴覚増強パーツであるはずのものが、逆に聞こえづらくしているという細部がたのしい。しかも2000円以上にストレスが発生するのか……

{「はわわ」とか言わせておけばいいってわけにもいかないらしい。(そもそも原作ではほぼ「はわわ」言わんらしいから、世間一般の「マルチらしさ」は、当時と今とではまた違いがあったりするのかもしれない……)}〕

 で、
「シナリオってどんなん?」
「えーとですね、『おや、マルチは動物と話ができるのかい? じゃあ俺のカメ(以下略)」
「うわあ、ベタだなあ」
 だが、懲りすぎても相方がついてこれないので、こういうのはベタな方がいいらしい。
 アドリブの鍵はベタネタの蓄積量と検索スピードだそうである。あともちろんテレが入ってはイカン、と。うーむ、奥が深い。
 ちなみに相手の人は、イメージプレイがめちゃ上手い、店で一番人気の人だそうである。それ、客が10人いたら10人それぞれに合わせられるってことだよな。よく考えたらすごいな。芸人魂ですな。
 もっとも、コスプレイメクラにあって、イメージプレイをする客というのは意外と少ないそうである。3、4割だとか。
 しかし「そこを抜かしたらただのヘルスではないですか」と主張する(略。友人氏のニックネーム)
 あと、後学のためオプションで聖水プレイを所望し「飲まれますよね?」と聞かれる、の話とか。うーむ、奥が深い。

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「大丈夫日記」00年02月16日(略は引用者による)

「うーむ、奥が深い」ではないが(笑)

 話す友人氏も友人氏ですが、聞く古橋先生も古橋先生だよ!(笑)

 

   ▽事物に対して一歩ふみこむ古橋氏の姿勢

 古橋氏はほかにも『閑話放題』という、もっとまじめなエッセイらしいエッセイページを配されていて、そのひとつディアブロは初期のオンラインゲームDIABLO for Macintoshをプレイされた初日の思い出ばなしなのですが、ここもなかなか興味ぶかいエッセイでした。

 上のイメクラ体験談をにこにこ首突っこんで聞く古橋氏の姿勢は、なにも気の知れた友人だからおこなえたことではないらしい。

 Mac版『ディアブロ』をはじめた古橋氏は、単語レベルの、しかもその単語すらつづりを間違えるレベルの英語力を駆使して、見ず知らずの先輩海外プレイヤー〈DIABLO~DX〉氏と交流をふかめていきます。

 そうしているうちにまた知らない他者がかれらのもとへ現われる。しかも〈DIABLO~DX〉氏とちがって何だか妙だ。

 そうこうしているうちに、知らないうちに入ってきていた〈DARK ANGEL〉というプレイヤーに遭遇。と思ったら、いきなり斬りつけてきた。
「わ、あぶねえな、PKか?」
 と思ったが、その後攻撃してくるわけでもない。マウスが滑ったのかね。
 すかさず挨拶するほどチャット慣れしてないので、なんとなくつかず離れずの距離を取っていると、〈DARK ANGEL〉、今度は〈DIABLO~DX〉に斬りつけてる。
 と思ったら、反撃喰らって瞬殺されてる。
「俺、こいつ嫌いだ(英語)」と〈DIABLO~DX〉。
 その後、〈DIABLO~DX〉は〈DARK ANGEL〉を蘇生させ、
「ゲームに入ってきたら『Hi !』くらい言えよ(英語)」
〈DARK ANGEL〉、反応ナシ。
「『Hi !』って言えっての(英語)」
 反応ナシ。
「言えるだろ、『Hi !』くらい(英語)」
 反応ナシ。
「『Hi !』って言えよてめえ!!!!(英語)」
 うわー、なんか激昂してるぅ~~!

DIABLO~DX〉、再び〈DARK ANGEL〉を瞬殺、蘇生。

 蘇生された〈DARK ANGEL〉、
「Thank you」

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「閑話放題」98年05月02日投稿、「初ディアブロより

 煽りに煽りちらかす荒らしプレイヤーだ!? 不気味な〈DARK ANGEL〉氏に釣られるように、〈DIABLO~DX〉氏もプレイヤーキル&リスポン&キルという、初期のオンラインゲームらしい野蛮をはたらいていく。居合わせたくねえ……。

 でもそこで回線を切らないのが古橋氏の性格みたい。

「Thank you」
 とか言ってて、少なくとも敵対の意思はない。さらに続けて、
「No English」--ああ。
 そこでわし、
「nihonjin desuka?」

「soudesu」

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「閑話放題」98年05月02日投稿、「初ディアブロより

 そうですそうなんです、〈DARK ANGEL〉氏は英語力にとぼしい外国語圏のプレイヤーだったのです。

 あの不気味な沈黙も、ただ単に相手の会話が読めず、返答することばも持ち合わせていなかっただけだし。煽りに取れなくもない「Thank you」だって、蘇生魔法をかけてもらったというゲームシステム上のふるまいは分かったし、あいさつレベルの英語は返せるから発せられただけ。

 わかってしまえばなんてことないお笑い時空間ですね。

 でも、踏みださなければわからない。

 

 思えばリッドファイター[完全版]』はそんな暴力的なディスコミュニケーションと、不器用なコミュニケーションの物語でした。

 乳揺れについて大声で盛り上がるオタクも、台パンして灰皿をゆらすヤンキーも、お嬢様学校の生徒さんも、コインを入れなくたってボタンとレバーをがちゃがちゃやってるだけで楽しめちゃう家族連れのちっちゃい子も、だれだってふらりと訪れうる、人種のるつぼとしてのゲームセンター

 熱意に燃える新人プログラマーから、帳簿とにらめっこし事業計画を練る年配の管理職、その間で板挟みになる中堅マネージャーが一丸となって――そして、テストプレイヤーとして学生や、学生プレイヤーを卒業してゲーム雑誌ライターへアガった青年や、そんな"成熟"を拒んで修羅道をひた走る青年など(当時はまだプロゲーマーなんて影も形もありませんでしたから)、大人になった子供や大人になれなかった子供など、中間層のひとびとが大なり小なり関わり合う、世代のるつぼとしてのゲームプロダクト

 そうした場所や事物に向かうさまざまな人々や思いが交錯し、衝突し、砕け、そして一瞬一フレームくらいは一緒の方向をむくことだってある(かもしれない)、そんな時空間にかんする切実な物語でした。

 

 朝起きて、まず『ホワイトアウト』の続き。
 おもろかったです。ラストの方なんぞは、近ごろ涙もろくなってるせいか、ぽろぽろ泣いてしまいました。
 メインストーリーは骨太で単純、すらすら思いだせるくらいなんだけど、それを六百ページにわたってみっちり書き込み、しかもダレさせない。ううむ、わしにもいつかこんな物語が書けるのか!? いや書けまい。とほほほほ。

 ここでふと「才能」というものについて考えてみるのこと
 最近思うのは、人間の「潜在力」というか「達成力」というか、「バイタリティ」とか「なにごとかをなす力」と言ってもいいんだけど、そういうのは結局生まれつきのスペックなのかもなあ、ということ。
 世間的には「一点集中でなにかをやり続けた人が成功する」ってのが常識ではないかと思うけど、それにしたって、「おなじ時間だけなにかを続けた場合の仕事量」、あるいは「おなじ量の仕事をどれだけの短時間でできるか」ってことを考えると、よーするに話は「単位時間内にどれだけのことができるか」--要領の良さとか頭の回転の速さになってくるわけで。これってやっぱ「才能」の問題だよなあ。
 で、そういう意味で言うと、わしみちょーな、人並みよりだいぶトロい&根性と体力がない人間は、どうも根本的にダメですな。あー。
 あと記憶力のなさもな。来世に期待。

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「大丈夫日記」98年09月24日(太字強調は引用者による)

 大学の後輩でモノカキの「師匠」秋山瑞人さんがほめていたという真保裕一氏の長編小説ワイトアウト』を読んで、古橋氏は自身のトロさ&根性と体力のなさをなげきます。

shonenjumpplus.com

 いやいや先生、一点集中でなにかをなさりつづけてますよ。

 古橋氏が脚本を担当するィジランテ 僕のヒーローアカデミア ILLEGALS』119話を読んで、しみじみそう思うのでした。

 

 

   (▽落穂ひろい)

 上はひとまとまりの文章のつもりなのですが、そちらとはちがって、以下はとくに取り留めない落穂ひろいです。

    ○秋山先生お墨付きの良作

『ああ、堂々の自衛隊』宮嶋茂樹 双葉文庫
 面白かったです。アキヤマ君のツボだというのもよく判る。
 あー、わしも自衛艦に乗せられてどこか遠くの国に運ばれてしまいたいですよ。初日で後悔すると思うけど。

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「大丈夫日記」98年09月22日

 kindleが出ている本で、過去に買ったまま積んでいた本でした。そのうち読まねばなぁ……。

 

    ○ネットのだれかからの駄作認定;今も昔もかわらん作家の悩み

 田中哲弥さんのホームページに「検索エンジンで新作の評判を見てみたらぼろくそに書かれているページがあって目茶苦茶腹が立つ」ということが、冗談半分に書いてあった。
 似たような経験はわしにもあって、そういうのは当然たいへんくやしいのだが、反対に自分が他人様の創作物をくそみそに言ったこともあるよなあ、と己を恥じてみることしばし。

   古橋秀之『あああ古橋っ!!』、「大丈夫日記」99年01月27日

togetter.com

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 Amazonなどの大サイトによるネタバレ評や駄作評にこまる作家先生やファンの悩みは近年でもあれこれ思い起こされますが、90年代からそうだとは。

 19世紀の作家もさまざまな批評家のガター&スタンプに悩まされたんでしょうし、たぶんどの時代でも変わらないんでしょうね。

 

 

 

*1:ストリートファイター2』の昇竜拳に代表される、技発動中に無敵時間がある技

*2:あ、古橋氏の見解がそうだという意味ではないです。