日記です。8400 1万字くらい。Amazonビデオに『殺人捜査』のレンタル&セルがあるので、ご存じでない佐藤哲也ファンがいらしたらオススメです。『APEX LEGENDS』やり始めた(多分つづかない)。
※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※
0505(火)
■社会■
トム・クルーズ、宇宙へ
『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』『トップガン:マーヴェリック』トム・クルーズが宇宙で映画撮影することを、NASAが認める!NASA長官のツイートにより、国際宇宙ステーションが舞台(少なくともその一つ)になることが確定した https://t.co/9R3Nhb4l3f #HIHOnews
— 映画秘宝 (@eigahiho) 2020年5月5日
文字列みただけでにっこにこになってしまいました。
60~70年代の宇宙開発に沸いた時代の熱というのは、ぼくは宇宙好きで宇宙へ夢と恐れをいだいている人間だから、それなりにわかってるつもりでいましたが……しかし、肌感覚としてぜんぜんわかっちゃいなかったんだということが今回わかりました。
聞いただけで幸せになってしまった。
こと最近のトム・クルーズが気になって気になってしかたないのは、(いまだカルト宗教との幹部ではあるし私生活はメタメタだけど、それを映画のなかで活かせてしまえる点において。あるいは映画製作に文字通り体を張って熱意を注いでいる点において)トム様の映画狂人ぶりが半端でないということもあるけれど、たぶん、スターっていうのはこういうことだ、アメリカン・ドリームってこういうことだというのを実感させてくれるからなんだと思う。
……ただ、心配ではあります。宇宙は何かあったらどうしようもないところであり、撮影にはトラブルがつきもので、いよいよトム様は死ぬんではないかということです。「行ったれ行ったれトム様最高!」で笑顔で送り出していいものか悩んでしまう。
文字どおり、映画人として死ぬこと、をトム・クルーズ氏は人生設計に組み込んでいやしてないかという怖い疑問は、映画ファンなら誰しも大なり小なり抱いていることでしょう。
またトム様が生きて映画を完成させてくれたところで悩みどころはまだあります。
宇宙の次は? という疑問も、もちろんあります。
{トム・クルーズon事象の地平線とか、トム・クルーズvs虚数とか……? その意味で、トム様がユニバーサル映画の怪奇映画リブート企画にメインとして立ったのはけっこう納得いくことです。(頓挫してしまいましたがトム様がデルトロ監督『狂気山脈』に主演する企画が立てられていたのもわりあい納得いく話で、)トム・クルーズが探求の果てにSCPと接触する、というか、トム・クルーズ自身がSCP収容案件となるのは想像に難くない}
そうじゃなくて、
「それ、映画として撮れ高があんま想像つかなくない?」
ということです。俳優や撮影クルーのため安全に安全を重ねるでしょうから、トム様が活きる(見た目に)ハチャメチャな動き・光景は期待できなくない? と。
最近のトム様の映画は面白いけど、意味不明のこわさがある。撮りたい舞台やアクションがまずあるらしく、撮影中に脚本が書かれていくらしい。
ダンテ・ハーパーによる脚本が300万ドルという破格の高値で購入された『オール・ユー・ニード・イズ・キル』は、撮影時にどんどんと書きかえられて完成脚本は100稿をゆうに超え、もともとの脚本家の名前はWRITERのクレジットから消えてしまった。
『ミッション・インポッシブル』シリーズの近年の傑作『ローグ・ネイション』『フォールアウト』は、謎が謎を呼びだれが味方でだれが敵か分からないシナリオだけど、そもそも(アカデミー脚本賞も受賞したベテラン)監督兼脚本のマッカリーでさえもよくわからないまま撮っていたとかなんとかいう噂をきく。
{参考;シネマトゥデイ掲載『『ミッション:インポッシブル』新作、ほぼ脚本なしで撮影していた!製作プロセスまで破天荒 - シネマトゥデイ』やら、kirockyou氏の翻訳ツイート・撮影開始時の脚本は33ページだった(一般に1ページ=1分)やら}
ぶっちゃけ話題のシーンは、映画の中において、メイキングで想像がふくらんだほどには面白くなかったりする。ちょっとした小石が目にでも飛べば失明まちがいなしの航空機の外にしがみついてそのまま離陸するアクションが、OPのお笑い一コマだったときの衝撃と困惑。トム様じしんが長時間水中にいたというシーンは、本編だとCGくさくて「まじで潜り続けている」というもっともらしさがきえていた。
{スタント・アクションが物語の上でもしっかり面白かったのって、正直いって『ゴースト・プロトコル』の高層ビルとか位なものではないか……?
いや、『フォールアウト』の追跡は、じっさい本人が骨を折ったという裏書きが加わったことで妙な凄みがでてしまったし、『アウトロー』カーチェイス中の不慮のエンストなどもそれによって緊迫感が増したけど、そういう幸福な創発的発展ってなかなか無いもんです……。
(『オブリビオン』序盤の荒野のちょっとした起伏を越えるノーヘルバイク運転は、さらっと流されるカットだし物語的にも「あってもなくても……」なんだけど、盛大にコケてる撮影裏のNGを知っていることで、物語的にはさらっと流されるシーンなのに「でも、ここで下手すりゃ死んでたんだよな……」と妙な恐怖がよぎってしまって、映画にマイナスでさえある)}
特殊部隊がするようなヘイロー降下をトム様が何度も何度も行ない撮られた渾身のシーンが、さらっと序盤で流されたときの困惑。
ある意味贅沢なんだけど、むやみやたらな迷走と言えなくもない。
トム様の精力的な活動がもたらすものが、たとえば蓮實御大をうっとりさせるような映画的快楽というやつなのかは正直ぼくにはよくわからない。
トム様のがんばりがどう映画を面白くしているのかよくわからない面があり、ぼくはかれが映画狂人というよりもシンプルに狂人なのではないかと疑ってしまったりする。
トム・クルーズはもしかすると映画を作ってないのかもしれない。
けれど確実に、夢をつくっている。
0506(水)
■見たもの■
vtuber伏見ガク『【にじさんじ】ホラゲーまで雑談』をリアタイ視聴しました。
いちから社の運営するバーチャルyoutuberグループにじさんじに所属する伏見ガクさんの雑談配信をリアタイ視聴しました。
サムネからしてかつての配信でわれわれリスナーとふざけ合った、
「"虹色にしょ"? 虹色いいねぇ!虹色にしようぜ!虹色が最強だもんなぁ!」(リンク先、過去の配信視聴日記)
のノリ。平常運転ですね(?)
雑談の半分くらいは、個人でバーチャルyoutuberをやっているピーナッツくんと妹の甲賀流忍者ぽんぽこちゃんがホストとなって24時間配信を行なった大型コラボ企画『ぽんぽこ24』第3回(仕事と疲れでぜんぶは観れてないんですけど面白かった!! これもそのうち感想書きたい……)の振り返りでした。
この配信内でさまざま組まれた企画のひとつ『緑仙に企画を丸投げしてみた』にガクくんは参加しました。
緑仙くんとガクくんとのからみは多々あって、にじさんじの男性配信者に緑仙くん(や飛鳥ひなさん)書きおろしの(乙女ゲー的な)きゅんきゅんするボイスドラマを演じてもらう『にじメンズプロデュース企画』や、『存在しないアニメの声優オーディション開催』(見たぼくの当時の日記はこちら)、『にじさんじ料理対決!!』(見たぼくの当時の日記はこちら)、ほかにも二人での雑談コラボ配信とか色々あって、どれも楽しませてもらってますね。
ここのところの騒ぎでガクくんの学校も休校となり、だいぶ気が滅入っていたことを配信で言ったことの続報もあって、安心したところもありました。
「ふつうに不安になって病院行ったんスよ。プロ目から見て"大丈夫”って言われたんで(笑)」
「心配してもらえることはありがたい感じなんだけれども{、好きなように楽しんでもらえら全然(かまわないんで)}」
"(心療内科系の)病院行った"……という、どうしても重くとらえてしまう言葉を一気に晴らす"プロ(の)目から見て”。バッティングセンターでも行ったんか伏見? て感じでまじで吹き出して笑ってしまいました。
0507(木)
■考えもの■
「魔性の女」は聞くけど「魔性の男」は聞かないという気持ちわるさ
南海キャンディーズの山里さんと、女優の蒼井優さんの入籍合同会見のときのこと。ある女性記者と山里さんとのやり取りに、ずっとなんだかもやもやしてきました。
それは、女性レポーターが「蒼井優さんは芸能界一のモテ女優とずっと言われていて。芸能界の男性でもものすごくファンの方が多いと伺っているんですけど。その女優さんを独り占めしちゃったわけですよね?」と質問した際のこと。
すると、真剣な表情で山里は「みなさんの目の前にいる蒼井さんと違う蒼井さんを僕は見せていただいると思うんで。本当に純粋で、楽しいときには笑って、美味しいもの食べてるときには本当ころころ笑って、泣きたいときはすごい泣くっていう。魔性って単語を使っているけど、僕はそんな人間じゃないっていうのを一緒にいてずっと見ていたんで。みなさんが思う魔性から発生する心配は一切ございません」ときっぱり断言。
『女性自身』掲載、「山里亮太が結婚会見で見せた男気“魔性の女”否定に絶賛の声」より
「交際経験が多い(とされる)ひとにたいして、"魔性の女"との表現は聞いたことがあるけれど、"魔性の男"は聞かないですよね」
イマジナリー久能整@『ミステリと言う勿れ』(1話試し読みはこちら)が顔をだしてこんなことを言ってきます。
同様に"尻軽女"は聞くけれど、"尻軽男"(や"竿緩男")はきいたことがない。売女にくらべ売男/買男はどうだろう?
逆に経験人数の多い男性は"ドンファン"だ”色男”だなんだと、美名になることが多い気がします。
ビッチやスラットに対応する男への罵倒はなんだろうと考えて、思いつかないことへの気持ちわるさ。ビッチの息子(son of a bitch)、という言い回しで罵倒されているのははたして本当に息子なのだろうか?
さて『ミステリと言う勿れ』は本編のミステリ的な楽しさはもちろんのこと、主人公である久能整(くのう・ととのう)が世間ばなし的に挿し込んでくる、世の中の常識への疑問も見どころの漫画です。『スカッとジャパン』的なものというよりそれは、作家チャールズ・ストロスが言うような優れたSFの目指すべき方向に近い。
たとばいじめられている学生さんに、いじめられっ子をサポートしたい側が言う、
「逃げてもいいんだよ」。
四面楚歌・八方ふさがりな状況に置かれてしまったひとが言われたら気が楽になることばですが、『ミステリと言う勿れ』の主人公・整くんはこの美徳にも疑問をむける。
「どうしてイジメられた側が逃げなければならないんでしょう?
欧米の一部ではイジメた側を病んでると診断し、カウンセリングを受けさせます。イジメるくらいに病んでいる、だから隔離してカウンセリングを受けさせケアすべきと。
日本では逆で、イジメられている側をなんとかケアしようとする。DV被害者への対応もそうですが、逃げるのって大変です。被害者ばかりが損ばかりしていませんか」
というような旨のことを述べていきます。
整くんが疑問を呈すことは多岐にわたり、
「どうしてバージンロードは父親と歩くのが基本なのでしょう」
というのもその一つです。
なんとなくぼくは、「魔性の女」にも同じにおいを感じてしまいます。
男尊女卑の諸兄から、これに対する疑問が上がらないのも不思議なことです。
だれかへ魔性の女やら尻軽女やらとレッテルをはることで貶められているのは、男性だって大いに含まれる気がするんですが、そこへの反発というのも寡聞にして耳にしたことがありません。
恋愛はひとりで出来るものではなかなかなくて、双方の了承が(大体)あって始まって(最初ほどではないにせよ大体が)了承があって終わるものだと思います。
"魔性の女""尻軽女"が無視するのは、当該女性の実像だけではなく。彼女と付き合い別れることを選んだ男性各人の自由意志もまた無いものとなってはいやしないか? と思うんですが……。
なんて考えて「魔性の男」をググってみたら、めっちゃ使われている!!
「魔性の女」が2100万件なのにたいして、「魔性の男」は800万件ほどと、女のほうが多いのはたしかなのですが……、うん。
ぼくがただたんに無知で偏ってるだけですね。たはは……。
0508(金)
■TVゲームのこと■
『APEX-LEGENDS-』チュート~2戦した
それは何ですか;
米国老舗ゲームメーカーであるエレクトロニック・アーツによるバトロワ系多人数FPSです。3人1組20チームが一つのマップに降り立って、各地に撒かれたアイテムで装備を整えつつ戦い、最後の一組をめざす。
装備が現代・現実的な『PUBG』とちがって、『APEX』は(同EA社製の『タイタンフォール』シリーズと世界設定を同じくしている作品だそうで、)巨大生物の骨格が建物になっていたりするSFな世界のゲームで、エネルギー兵器などがある。使用できるキャラもロボがいたりワープできたりSFな味付けがなされています。
やってみた感想;
システムがざっくりわかりやすくてよかったです。(ゲームうまい人は初見から活躍できそう)
バトロワ多人数FPSでは(?)、銃を手に入れるだけではだめで、それに合った銃弾も拾っていく(異なるタイプの銃弾は持ってもバックパックを圧迫するだけの無駄)となり『PUBG』では弾薬が5.56mm弾やら7.62mm弾やら……と、慣れるまで「?」が浮かぶ仕様でした。
『APEX』ではライトアモやらヘビーアモやらスナイパーアモやらエネルギーアモやらざっくりした区分けで分かりやすい。
各キャラ特殊能力があって(あるキャラは回復技がつかえる、あるキャラはバリアを張れる……みたいな感じ。ワープして敵の裏を取りやすい・激戦区から離脱しやすいみたいな戦闘方面に特殊能力があるキャラもおり、いろいろです)、単純なFPS/TPSのプレイングスキルがない人(銃を構えても的に当たらないとか)でも、チームに貢献できそうなところがよいですね。
(もちろん、チャンピオンになるためには、『APEX』巧者としてのスキルを培っていく必要があるんでしょうけど……)
『PUBG』未プレイでこの形式のFPS/TPSは初めてやったんですけど、「なるほど従来のFPSとは別ゲーだわ……」となりました。ゲームはやってこそっすね。
ワケわからんところから撃たれてワケわからんうちに死んでしまった。
従来のFPS/TPSではあまり気にしていなかった兵站、とくに銃ごとの弾薬の違いを意識せざるを得ないシステムで、プレイしてみて思ったのが、『PUBG』で育った世代による物語のアクションシーンは、これまでとはちがった勘所が前提条件になるのではないかと思いました。
現状でも、小銃ウィンチェスターM73と拳銃コルトSAAはおなじ1873年に生まれた銃で、おなじ銃弾を使え回せたなんてトリビアは有名な気がしますし、マニアックな作家は「この銃器とあの銃器は銃弾が使いまわせる」などの知識を活かした作劇をしてくれていたりするわけですが……『PUBG』で育ったひとにとっては(マニアックではなく)身に沁みついた当り前であって、もっと出番が多くなっていったりなんてするのではないかしらん?
0509(土)
お休み。日中寝ていて、夕方A氏と『APEX LEGENDS』をプレイ。共闘まえに練習したところ眼精疲労でぐったりしてしまい、体調面から時間を一時間ばっかしズラしてもらう。ご考慮感謝。
0510(日)
勤務日で宿直日。
■社会■
検察庁法改正案について
こちらの記事だと争点がようわからんかったんですが、
こちらのnote記事は、反対派の誤解にたいする訂正をしたうえで、そのうえでなおも残る不明点をさらっていて、とても分かりやすかったです。
いま出ている案は初代ではなく、肯定派が仰るような「定年退職の年齢を、現況(長寿化・年金受給年齢の高齢化)にあわせて一般並みにするよ」というお話ピッタリの案がそもそも出ていたのに、それを退けて、内閣都合でさらに延長できる可変式になっているのが現行案ですよと。なるほどなぁ。
ぼくとしても、すでにあれこれ明文化されていた過去の法解釈からちゃぶ台を返し、口頭でぐにゃぐにゃ変えられてしまう法律って何よ、こわい! という印象をもちました。
一つ目は、文化、伝統、自然、歴史を大切にする国であります。
(「江戸しぐさが伝わってないのは、江戸っ子が明治政府に虐殺されたから」という胡散臭すぎる起源をもつ)江戸しぐさやEM団子問題、公文書削除問題もそうなんですけど……「大切にする」と唱えられた歴史とは、伝統とは一体なんなんだろうという印象です。
さて。
ふだんツイッター大喜利やつい先日までFANZAの音声作品などオタク話をしていた人が、まじめに「これは本当にやばいことですよ」と仰るのでこれは本当にやばいことなのだと緊張がはしりました。
どこで聞いたかも不明な又聞きなんですが、とある邦画の巨匠が、
「クローズ・アップで役者の顔を大写しにするのは1本の映画90分のうち1ショットが理想だ。これが2ショットあればその衝撃は半減するし、3あれば三分の一になるし、のべつまくなしそこらにあったなら何の変哲もないゴミになる」
という旨を仰っていたそう{と記憶していたけど、そこまで極端ではなさそう。ググってみると山中貞雄監督の言らしいことはわかった(『ウィキペディア』「クローズアップ」の項で出典なしにふんわりした言が書かれている)}。そういう緊張感がある。
0511(月)
宿直明け。
■買いもの■
Amazonビデオに『殺人捜査』のレンタル&セルがある!!!
『殺人捜査』とは?
1970年制作のイタリア映画で、アカデミー賞外国語映画賞・カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ・国際映画批評家連盟賞と3つの栄えある映画賞を受賞している作品です。
映画本編を観たわけではありませんが、佐藤哲也氏が自身のサイトで珍しく(10点満点中)8点という高得点をつけた作品です。哲也氏をして、
と言ってしまうほどの内容だそうで、氏のレビューもいつもの体裁ではなく、解説・考察にちかいものとなっています。
(なので、哲也氏のレビューをお読みでないかたは、鑑賞後にクリックするのがよいかも)
ほかにも、7点だけど一時DVDが中古のみで高騰していた『我は海の子』も配信していたりしますね。{これは鑑賞済み。航海映画・漁映画好き(?)のひとにはオススメのやつです}
ちょっとまとめてみようと動きましたが、人力では「あ」から始まる映画を振り分けるだけで1時間以上かかりそうだ。
こういうときスクリプト(?)とかを組めるたしなみが自分にもあればなぁと思います。
『我は海の子』鑑賞メモ
『鑑賞メーター』のログを引っ張り出してみました。自分用に書いたのでひとさまがよんで分かるかどうか分かりません。なんならいま自分が読んでも「?」ってなり、理解するまでに時間がかかる。
『鑑賞メーター』自体は一作品250字までだったんですけど、自己レスで追記しまくったので、それなりに長い感想も(それこそブログの感想記事より長いやつさえ)それなりにある。
それをブログ更新用のタネにすればいいんですが、メモ帳形式で保存してなかったんでただコピペするだけでも面倒なんですよね……。
▼左舷右舷(というか風上風下)どっちからゴミを捨てるかを先輩が新人に唾を吐かせ教授など、些細な所から風・船上生活を描いてくれる。
▽帆船からドーリー船(字幕ではボート)に乗換え海に出る時の叩かれ具合が凄い。(結びを解きあるいはフックに固定し複数人で卸し、乗り手側もフックと別に船固定用の綱を引くのに、身体が浮く)
▽終盤の大荒れに行く前の段階からすさまじい角度で帆船が進む。
▼延縄漁、手釣りと二種から描かれる漁の模様は地味ながらも丹念に、大なり小なり危険(落下)を伴い描かれていて、見応えタップリ。
(↑ここまでがシステム上の文字数制限内で、↓ここからがコメントとして付け足した文章)
▽手釣りで取り上げる際の重さ(主人公の釣った魚を師マニュエルが補助し2人で取り上げる1:08:55一方で
⇔マニュエルの好敵手ジャックは1人でやると魚が落ちたりする1:19:45)。
銛を使って魚をボートから帆船に移す際の重さ(大人たちが歌ながらリズミカルに軽々放り投げるようにして帆船に入れる(0:31:30、1:20:35)一方で
⇔主人公の少年はそうでない。主人公が魚を落としそうになるも船に柄をつけ持ちこたえ、マニュエルが自分の銛も刺して一緒に上げる1:19:57 腰で持ち上げる重さがとてもよい)。
歌いながらの解体作業(船が揺れ手を切ったりする)などなど。
○会話劇でも、手足を動かし作業し、耳や目も仕事から離れない……というところに感心した。
▽中でも楽しかったのは、漁を終えたボートに縄等をかけ帆船へと引き上げ片付けるとき、(スペースの節約からか)鉛直方向に積み重ねていく模様。
不満をしゃべり続け船長を追う少年の行く手を(5番の延縄の樽を運ぶ)漁師が「失礼Excuse me,son」とさえぎる形となったり32:28、目を見て話していた船長が少年を無言で肩を触ってどかして進み0:32:55「ボートを上げろ!(Hoist away,Jack!)」と船員のジャックに声をかけ、少年は「邪魔だ(Stand away,boy)」と(ジャックに)言われ肩を引っ張られどかされ倒れ、その後ろをドーリーがやってくるようすが楽しい。
(別の者が積むために現れ、立ち上がる少年をさらに倒し、帽子も落ちる)
○1:19:06~で主人公は、主人公の師となった船員マニュエルと下ろし作業中(「All right, up, up, up.」upに合わせて綱を引く)に「Hurry.」と後頭部を引き寄せられて3番のドーリーを躱したりする。
▽夜通し仕事をして積載量限界まで魚を積んで帰路につく漁船が、周囲の漁船に手紙を預かって回る所なども素敵だった。
▼漁船に拾われるまえの富豪の世界も書き込みがまた面白い。
○秒刻みのスケジュールをこなす富豪の父と、そこに胡坐をかいてぐずぐずベッドの上に朝食を持ってこさせたりする息子の、賄賂も脅迫も偽装も厭わない狡猾さがいい。
この息子の朝食風景が、そのふるまいだけでなく小道具まで「身に沁みついた習慣」という空気を醸成していて、息子へ給仕された食膳の底は、ベッドで寝たまま食べられるように脚が出るような仕掛けがほどこされている。
▼作劇はテンポが良く(エドガー・ライト氏のご先祖様といった感じのジュースづくりなども登場)、各アクションは一定の文脈に乗せられるよう登場して流麗。
▽主人公により細工された樽の網に絡まったジャックがドーリーから転げ背中から落水し、船上に引き上げられる(網は他人が切り、櫃に食い込んだ釣り針を抜いてもらう作業が後に待つ)1:09:21
⇔主人公が延縄の樽を帆船に持ち上げようとしてドーリーから前向きに転げ落水し、船上に引き上げられる(網は主人公が自身の手で切り、皮膚に食い込んだ釣り針を抜いてもらう作業が後に待つ)1:24:05
▽BGMに乗せたセリフ無しの"熱心に仕事中"だというモンタージュの中でさらっと流されるショットが泣けた。
劇中序盤で父にたぬき寝入り・演技を咎められつつ布団をかけてもらっ(て父が部屋を出る音を聞いたあと起きてドア方向を見つめ)たぼっちゃん(ベッドのスプリングの利き具合や布団の光沢ある素材が凄い。ブラインドから挿す月の縞々の採光は彼にかからない。)0:20:02が、銛を支えに立ちながら本当に眠ってマニュエルに起こされ仕事に戻る(マニュエルが両手を頬にやり主人公と目を合わせるが、覚醒したころには右手側に去り、主人公は左手側に向き直って作業に戻る)さまを月夜と炎が輝かしく照らすところ1:20:36が泣ける。
▽客船で出会った同世代の少年たちに「飲めないだろ」「飲めるよ」と強情をはり主人公が飲み干したバーのテーブルの上に並ぶグラスが6杯0:23:18ならば、拾ってもらった漁船で出会った大人たちに「片付けろ」「片付けない」と強情をはり空腹にあえぐ主人公のまえに無造作に並ぶ甲板上の魚の頭も6つ0:35:13。
▽学校で父に買わせた輪転機の回転運動から、師匠の漁師マニュエルの手釣りの釣り糸を伸ばす回転運動へ。(どちらの場面でも主人公の少年による仕事の成果は取り上げられる)
○(一度去ったマニュエルが再び現れて主人公の両の手首をそれぞれ握り、魚を握らせて船下の海へ放らせた0:41:14ことの変奏のように)一度去ったが再び現れた父と主人公が岸からそれぞれ水面に花輪を海に放って手と手を握り合ったあと0:41:14の幕引きが、タイヤの回転が目覚ましい台車に乗せたボートとそれをけん引する車の後席で身振りつきで談笑する親子の図なのは、マニュエルの遺品が手回しハンドルによる円運動を伴うハーディガーディだからなのかもしれない。
▼お話は、親の七光りをふりかざし親からもらった金や地位で同級生や教師を買収しあるいは恐喝しそれどころか詐欺で罠にかけるクソガキが→貧乏漁船に拾われ給金を得てお金のありがたみを知り、正直に物を話す子になる……という話なんだけど、それでまるきり改心という訳でなく、改心した結果として(実の親父はべつにぼくのことなんてどうとも思ってないし、ぼくひとりで生きる! 漁師になる! という)別のクソガキ性を発揮するという所がすごかった。
大人たちは、この辺の主人公の「改心」が一過性のものだ(というか、別に本人がこれを天分として決めてるわけじゃなくて人間関係の遠近でそう言ってるのだ)と承知した上で、じゃあどうしようかと動くことになるのがまた。
■好きな言い回し■
中間領域を言うと思いきや
好きな言い回し。蓮實御大ではなく、インタビュアーのホ・ムニョン氏の発言ですけど。
(私と親しい仲間たちはどちらかというとギロディが大好きです)
ホ・ムニョン(翻訳;イ・ファンミ)氏の質問 {考える人掲載、『映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー』「第4回 ショットが撮れる、要注目の監督」}より
「どちらかというと」から極論につなげるのは楽しい。