日記です。1万2千字1万7千字くらい。今月中には日記以外の記事を上げるぞ! 『紙魚はまだ死なない リフロー型電子書籍化不可能小説合同誌』を買い忘れたよトホホしかし全通販型即売会【Text-Revolutions Extra】などで再販される予定だぞ希望は捨てるな!……という週。(『悲劇的なデザイン』読書メモを追記した)
※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※
0428(火)
■書きもの?■インターネット徘徊■
また通知行ってしまっているのか?(ガクブル)
アクセス解析のなかに、他人様の管理ページ的なところから飛んできたものが。
むかしの記事は誤字脱字見つけるたびにいじっていて、『なめ、敵』感想はいまだに脱字取り切れてなくって都度修正してるんですが、もしやこれ更新するたびに、記事内で言及したリンク先やアカウントに通知飛んじゃってる?
ようわからん……。
■インターネット徘徊■
SF游歩道『SF遍歴、そしてSFファンとしての世代間隔絶』面白かった。他によかったネットで読める個人史
SF游歩道『SF遍歴、そしてSFファンとしての世代間隔絶』
ttp://shiyuu-sf.hatenablog.com/entry/2020/04/14/120000
を読みました。10年一区切りでものごとを考えてしまうけど、5~6年ちがうだけでも隔世の感が……と思ったが、平成元年2月うまれのぼくとは7歳差(学年だと8学年差?)だし、まあ10歳差みたいなもんか。
(むかしなつかしの直リン防ぎみたいなことをやってみましたが、これでも通知飛んじゃったりするんだろうか?)
14になった誕生日の次の日あたりに、父から「14になったんだからこれぐらい観ておけ」と『エヴァ』TV版・旧劇のDVDをまとめて渡され、
SF游歩道『SF遍歴、そしてSFファンとしての世代間隔絶』
ここ面白いなと思いましたが(「めっちゃサブカルチャーに理解もある! それどころか布教をする大人がいたとは!」と)、ただたんにぼくの親子関係が会話にとぼしいだけなのかもしれず。……家庭での話題共有ってどのくらいがふつうなのかよく分からないよなぁ。
〔ぼくの父は1950年代後半生まれで、アニメ関係はともかく、漫画はそれなりに読んでいたようだし{ちばあきお『キャプテン』('72~)の愛蔵版や、あだち充『タッチ』(’81~)などが本棚に刺さっている。かれにとって前者は中学生時代に、後者となると20代/社会人になってから連載されたものだと思うが……}。
そのほかについても、ぼくが『フルメタルジャケット』を観ていると「『地獄の黙示録』{'79}は観たことある?」と聞いてくる程度にサブカルに接してきたひとのようなのだし、書斎の本棚にささったものを見ると昔の美術展の図録があったりして。
わりあい自分と趣味が共通しているのだけど、その辺について詳しい話をしたことがない。
ぼくがオタキングやら何やらという人物を知ったのは『BSマンガ夜話』を観たからで、あの番組にぼくが出会ったのは、父が観ていたからだった。そうしてぼくは『攻殻機動隊』などの名作を知った。
あのひとはあの番組をどういった立場から見ていたんだろう……?{生きてるんだから聞けば答えはわかりそうなもんですが、いまさらあらたまって聞くのもおかしいし}〕
忘れないために書きます『京大SF研に入ってすぐオススメされた10冊』ttps://clementiae.hatenablog.com/entry/20140514/1400072647
とかもそうですけど、個人史って読むの好きです。田舎の本屋になぜかぶっささってる個人出版の謎人物の謎自伝とかたまに買ってしまったりします。
大川法律事務所『シャーロックホームズと京大ミステリ研の世界~綾辻行人氏らはいかにして生まれたか』
も最近読んで、面白かった。
1974年5月29日(注1)は、京大ミステリ研設立並びに結成集会を呼びかけた歴史的な日であるが、突然、京大キャンパス内に貼り巡らされたポスターの謳い文句は次のようなものであった。
「シャーロック・ホームズが君を呼んでいる」
1週間後の6月5日、そこに「シャーロック・ホームズ」の言葉に惹かれた多くのミステリ好き京大生が、京大教養部の一室に集まった。
大川法律事務所掲載、大川一夫氏著『シャーロックホームズと京大ミステリ研の世界~綾辻行人氏らはいかにして生まれたか』1.より
京大ミステリ研立ち上げメンバーであり、物議をかもした傑作犯人当てミステリ『ナイト捜し』の著者である大川一夫氏による京大ミステリ研黎明記。
野球で言えば「アンチ・ジャイアンツ派」が誰よりも、読売ジャイアンツを意識しているように、松田氏ほど、シャーロック・ホームズに熟知している者はいない。氏は言う。「それは『赤ら顔』の当てずっぽうだ」「それはまあまあ『ノア橋』の論理クラス」「しかし所詮『靴の泥』ですからね」などなど、氏との議論には、聖典を熟知していないとついて行けないのである。「所詮『赤ら顔』」という言い回しは、一時期、京大ミステリ研を席巻した流行語ともなった。
大川法律事務所掲載、大川一夫氏著『シャーロックホームズと京大ミステリ研の世界~綾辻行人氏らはいかにして生まれたか』5.(1)より
当時のサークルやサークルメンバーの性格などが、身内のジャーゴン単位の細かさで描かれていて、適当にマウスをスクロールさせるだけで森見登美彦氏がダース単位でつかみだせてしまうような濃さと神秘があります。
京大ミステリ研には専用のボックスは無かった。そこで、ボックスを持っていた既存の「文学研究会」に対して、私達が交渉し、「ミステリも広い意味での文学の一部であろうから」とか何とか言って、週一回だけ専用で貸してほしいと頼み込み、その了解を得たのである。そして、毎週水曜日にボックスに集まり、「読書会」と「犯人当て」を行うというシステムを確立したのである。
ボックスはその後、私達が100%「乗っ取る」のであるが、それは、本稿とは関係ないのでその経過は省略する。
大川法律事務所掲載、大川一夫氏著『シャーロックホームズと京大ミステリ研の世界~綾辻行人氏らはいかにして生まれたか』5.(2)より (太字強調は引用者による)
省略したエピソードでさえ強い! 気になりすぎる何なんですかそれは詳しくお聞かせ下さい……。
■見たもの■
vtuber『ムカデ人間』同時視聴まつりをタイムシフト視聴しました。
(以下しばらく前回の日記に載せたものと同じ文面)
リンク先ニコニコ生放送配信会場(4月28日20時45分~ R15指定映画です。鑑賞にはご注意を!)。
いちから社の運営するバーチャルYoutuberグループにじさんじに所属する月ノ美兎委員長がニコニコ動画・ニコニコ生放送の企画『ムカデ人間同時視聴祭り』に登壇されるそうです。
(↑月ノ美兎委員長の最近の動画)
委員長はデビューした初期の配信で、リスナーからの質問に『ムカデ人間』(※『2』のほう)を観たと平然と述べ、清楚な外見とアクの強い中身とのギャップで界隈を賑わせた配信者さんです。「清楚な委員長」に(笑)がついてから2年という歳月を経ったいま、満を持して(?)の『ムカデ人間』案件です。
2020年はNHKの正月番組にも出て、音楽方面でもソニーミュージックSACRAレーベルでのメジャーデビューが進行中の委員長が、故郷へ錦をかざって凱旋。胸アツですねこれは……。
2年なんて「あっという間」という感じがする一方で、ファンのなかには遅きに失したという声さえ聞こえたんですけど、拡散と浸透はおそろしい、「トレンドに上がったから新作発表かと思ったら」という声がちらほら。委員長関係で「ムカデ人間」がトレンド入りした2年前と全く同じ反応ですよ!
{以前の記事で委員長のこれまでの活動について触れたときは、「うーんコレわざわざ喧伝することかな……こんな過疎blogに来る人ならみんな知ってるよね……?(わざわざ書くぼくが"""浅い"""人間だと思われちゃうから、インターネットの立ち回りとしてヤだな……いや実際あさい人間なのだが……)」と思ったりもしたんですが、リスナーも入れ替わりが意外とあるらしい界隈/委員長の活動域が広がった結果これまでについてご存じでないひともアレコレ出てくるのだから、何度言ったってよさそうですね。
クリオネやモツ煮込みミルクティーを食レポしたり、ストリップ劇場観劇体験を語ったり、2億円トイレで便所飯(カレー)したりラブドールレンタルしたり丸呑み性癖カフェで服をぬぎローションまみれてシャチに丸呑まれた体験談を報告する彼女のすがたは、語り継いでいかないといきませんね}
『ムカデ人間』公式さんともその頃からツイッター上でやり取りをし、相互フォロー関係となり、この同時視聴イベントにしたって先日も委員長が同時再生祭りについてつぶやく(そしてそれが7000リツイートされる)など、にじさんじリスナーからすれば周知のイベントでした。
すぐに「いや待って!!」となれたので、「こんなときこそ」という枕詞は万能ではないことが立証できた稀有な例 https://t.co/LilGwubid7
— 月ノ美兎🐰20時45分~ムカデ人間ニコ生同時試聴 (@MitoTsukino) 2020年4月17日
もともと映画館でのシリーズ一挙上映企画だったのが、ここのところの情勢変化で中止となって、同時再生祭りに方向転換が発表され(4/17リンク先記事)、そこからさらにニコ生での同時再生祭りに仕切り直し&映画に出演した主役の一人のテレビ電話登壇&vtuberの登壇が発表され(4/27)……と、『ムカデ人間』公式のかたがたの大変さと、苦難にもへこたれず関係各所と連絡をとりイベントを盛り上げようとする姿が透けて見えます。
「イベント成功してほしいな……」と素朴にいのってしまいますね。
(前回の日記に載せたものココまで)
さて本放送は満員御礼、ニコニコ無料会員であるぼくは無料立見席から追い出されたので、タイムシフト視聴しました。
{追い出されたり、再入場を試みたりする人も含んだ累計来場者数62万人/コメント数18万言。(同時間帯にあわせて配信された『ムカデ人間』のみの配信枠が来場者数7.8万人/コメント数4万言だったので、反響の大きさがわかりやすいですね)}
本放送がはじまると委員長は簡単な自己紹介をしたのち(0:00:56~)、『ムカデ人間』について、
「知らないかたのために(笑)、簡単にご説明すると、人間の口と肛門を繋げる……その異常なアイデアで、全世界を絶句させ、世界各国で爆発的大ヒットと上映禁止騒動をくりかえしてきた、映画史上もっともやばいシリーズ」
と、初生配信での「分からない方の為に説明させて頂きますと、人が3人拉致されて、口と肛門を繋げられるっていう……」をリフレインさせた作品紹介をします。
委員長は以前の配信でも言っていたとおり、『ムカデ人間2』をご学友との付き合いで観ただけで、『ムカデ人間1』は未見。
『ムカデ人間1』の主演の北村昭博さんと話すネタがあるのかと杞憂しましたが、しかし(北村さんが出演された他作)『地獄でなぜ悪い』『TOKYO TRIBE』鑑賞者であるため話がはずんでいました。
委員長らは日本、北村さんはロサンゼルスからのビデオ電話ということもあって、会話はラグがあり、会話が重なりお見合いすることもなきにしもでしたが、しかし委員長が園子温監督作の名をだしたことで、北村さんが(オランダ出身のやばいやつトム・シックス監督から、日本出身のやばいやつ園子温監督など)クセのつよい監督と付き合う撮影現場のお話をしてくれたり。
そうしたきっかけもあってか、今シリーズのこととなると毎度聞かれると云う食傷質問「ムカデ 人間にされるとしたら前まんなか後ろどこがいい?」の答えも、北村さんは毎度返してきたという「沢尻エリカ様の後ろがいい!」という夢物語にとどまらず、園監督のツテで沢尻エリカ様に会ったさい沢尻さんも偶然『ムカデ人間』鑑賞済みで『ムカデ』トークで華が咲いた……といった、貴重な体験談が掘られもしました。
同時視聴帯も、委員長の視聴環境はここのところのトラフィック増大を受けてかカクカク再生の部分もあったりしたようですが、『シャニマス』実況プレイ時にシリーズ過去作からの知見をさっと引っ張り出して相違点を端的に批評してみせたように、この『ムカデ人間』鑑賞においても、(委員長が観賞済みである)『ムカデ人間2』のあらすじを一文程度にみじかくまとめ、『1』と『2』の博士ポジションのひとの性質のちがいとそこから来る展開のちがいを端的にまとめてみせたりしていて、かなり興味深かったです。
{シリーズ物ということで、回を重ねるごとにエログロをエスカレートしているのかな? と思いきや(じっさいエグさは『1』よりも『2』のほうがつらいそうですが……)、委員長のお話を聞くと、それは決して、2匹目のドジョウ的にただ単に悪趣味になっているわけではなく、登場人物のバックグラウンドの違いからくる必然として各作の相違が生まれている……みたいで、『2』や『3』に興味が湧きました}
『ムカデ人間』自体も面白い映画で、素朴に「監督の他作を見てみたいな」となりました。
世に言われている/観る前に抱いていたイメージとことなり、意外なほどにリッチな物語映画といいますか、今作はエログロや糞尿表現がかなり抑えられてるんですよ。(配信用にカットされてるのかもわからんですが……)
ムカデ人間をつくりたい博士についても、ドイツ出身の医師で、シャム双生児の分離手術の名手として知られた、室内を伝統的な調度品でかためたマッド・サイエンティスト……ということで、ナチスの臭いを感じさせるバックグラウンドがあり。キワモノに思われた日本人出演も、つなげさせられる人々のエスニック(日本人とアメリカ人)からすれば、意味ありげです。
頭でっかちも楽しめる文脈をととのえつつ、映画作家的な意欲もうかがえる。
あのみょうちくりんな連結体勢は、
「万が一だけどアレ、現代でモーションピクチャーを行なうための方便もあったりしないか? もしや???」
って感じがなきにしもあらずなのでした。
後列は口がふさがっている/先頭の人物も外国人なので、登場人物のコミュニケーションは、話し言葉を介さない非言語的なもの(ボディタッチや目くばせ、その場で考えだされた簡単なハンドサインと単純な掛け声)により行われ、みょうちくりんな体勢はグロさよりも何よりも、あの体勢で取りうる最大限のアクションへの感動を呼び起こします。
車が止まることなく往来する直線的な道路(高速道?)をゆっくりゆっくり横へ横へと眺めるファーストショットに始まって、野グソだったりタイヤのパンクだったりによって自身の車を止めたり止まったりした者が、マッドサイエンティストの餌食となる。
傍目からは平屋に見えるマッドサイエンティストの家のなかで、秘密裏に築かれた螺旋階段。蹴込板のなくいろんな角度から撮りやすそうなその階段が、きちんとアクションの舞台として活かされる、作劇の真っ当さ。
いや、
「まさかこんな転用が!」
とおどろき喜んでしまうような、"事物が本来の役割とは異なる用法で活用される"展開はほとんど見られません。ですが「あれがああなったら楽しそうだな」ということを大体おがませてくれる、手抜かりのなさがある。
0429(水)
お休み日。寝て過ごしました。
0430(木)
『悲劇的なデザイン』を読みました。そのうち感想を上げます。
{1、2週間のうちにこの本についてだけ書くか~みたいなことを思っていたんですけど、トピックの似通いそうな本(で有名なやつ)もおさえておいたほうがよいかなぁ? どうするか? みたいな。
むかし名前と本説明ページだけ読んで気になったものの当該書を手に取らずにいて、そのうち「読みたい」と思ったことさえ忘れてしまっていた、『誰のためのデザイン?』などのドナルド・A・ノーマン氏の存在を思い出したので、それを読んでからにしようかな……とも}
ということで(?)伊藤計劃氏の過去ログ漁りをしてたのですが、伊藤氏が『妻の帝国』既読者で、傑作と評価していることに気づきました。
そりゃあ伊藤氏‐佐藤亜紀氏の作品・言論活動の関係(直接的な言及のほか、評価している作品のかぶり具合とか)は辿りやすいのでぼくも知っていましたよ。でも、伊藤氏‐佐藤哲也氏との関係(とくに哲也作品を読んでいるのか? 読んでいるとしたらどう仰っていたか?)って(佐藤氏らと映画を観に行ったりなんだりされたなどの、ちゃんとした文書に記されたこと以外は)知らなかったので、「へぇ~」となりました。
「妻の帝国」は傑作ですね。大好きです。「民衆国家」の先鋭化による崩壊、それ自体はオーウェルの「動物農場」と対して変わらないんですけど、不条理感はこっちのほうが上ですね(ていうか「動物農場」は寓話だから不条理じゃないか)。IDAさんのおっしゃるとおり、ジェンダーチック、フェミチックな視点で読むのはどうかなあと。ものすごい普遍的な話なんで(別にスターリニズムや独裁、それどころか戦争すらも歴史的に見て男性の専有物ではないのだし)。
s p o o k t a l e b b s掲載、2005年(?)1月21日00時48分53秒の投稿『mixi始めました』より(internet archiveから掘り出し)
(0507追記)
どうせまたすぐにはアップしないんで、ちょっと読書メモも、どこを引用するつもりであさっていたかも書いておきましょうか。
■読みもの■
『悲劇的なデザイン』読書メモ
『悲劇的なデザイン』は、ユニバーサル・デザインについての本です。IT関係のユーザ・インターフェースが多いですが、ほかの例もあれこれあります。
(ぼくとしては、マクナマラが合衆国国防長官へ誘われたために勇退した10年後のフォード・モーターが起こしたフォード・ピント事件のあの費用対便益分析――設計不良に気づいていながらも「事故被害者への賠償金よりも、設計不良を改善するための費用のほうが高くつく」から直さない道をえらんだ――について、ウィキペディア以上の仔細が知れてよかった)
ユニバーサル・デザインに関する本はいろいろ出ていて、実際にデザインするうえで実用的なのはほかの本なんだろうと思います。今著はたとえば「じゃあ悲劇を起こさないために具体的にどうデザインすればよいのか?」「デザインするうえで実際どういうところを気を付ければよいのか?」そうした手引・チェックリスト的な部分にこたえてくれる本ではない。
しかしそれは『悲劇的なデザイン』が、非実用的な本であることを意味しません。
今著が大きく取材し掲載しているのは、ユーザー・アンフレンドリーなデザインによってユーザーが実際にどのように四苦八苦したかです。
あるデザインを「悪いデザイン」ではなく、「悲劇的なデザイン」としてとらえるための感情の記録です。
デザインの教科書やハンドブックに列挙されるいろいろな注意点を、ただただこなすだけのポイントにしないための情報です。
注意点を注意しなかったせいで悲しむひとがいるということへの、なぜそのようにデザインしなければならないのかへの気づきを与える本です。
「じゃあ悲劇を起こさないために具体的にどうデザインすればよいのか?」
再度言いますが、『悲劇的なデザイン』はそうした疑問に答えてくれる具体的で網羅的な処方箋ではありません。
しかし、悲劇を悲劇と見なさないひとはそもそもこの「じゃあ」を頭に浮かべません。
デザイナーとしてのスタートラインに立つ。その意味で今書はただしく入門書であり、実用的なのです。*1
個別の感想文で引用するつもりの投稿。前半5段目までを引用するつもり。
というのは、実は、自分がプチ障害者(4級)になったことなのでした。
何ヶ月か前、ある視聴者の方から「あるラジオ番組のページが見れなくなったんですが」という電話を頂き、チェックしてみると、そのページはリニューアルして、フラッシュやクリッカブルマップな画像を多用したグラフィカルなページになっていた。
その方の使っているブラウザを聞くと「ホームページリーダー」という答えが帰ってきた。最初はホームページビルダーの間違いかと思ったけど、あれはWYSIWYGエディタでブラウザじゃないし、と思って調べてみると、それは視覚障害者用の読み上げブラウザだったのだった。
視覚障害の人にとって、ラジオというのはテレビよりも重要なメディアのはず。大好きな番組のページが、ある日情報を吐き出してくれなくなった失望。ソースをみると、マップにはろくにalt属性も書いていなかった。デザイナの欲望が、そのページを本当に必要としている人たちをはじくようなシロモノに変えてしまった。
自分で歩いたりするのはそう苦じゃないんだけど、揺れる電車の中で15分以上立っているのは、結構つらい。でも、7割の人は杖をついているぼくをみると瞬間に寝たフリモードに入ってしまう。はたから見るとかなり滑稽な眺めなんだけど、まてよ、自分だってWEBで同じことをしているんじゃないだろうか。
テーブルはレイアウトに使うことで、フレームを切ることで、クリッカブルマップを使うことで、画像のボタンを多用することで。ぼくはあの電車の座席で寝たフリしているひとたちとまったく同じことをしていたんじゃないか。
というわけで、極力画像ボタンは少なめに、テーブルタグは表作成以外には使わず、ナビゲーションはテキストで読めるものにしよう、でも見た目を素っ気無くするのも嫌だから、それなりに自分の美意識が自己満足できるようなデザインにはしよう。という明確な目標を立ててやったのが今回のリニューアルでした。
思えば、こんなにコンセプトがはっきりしたリニューアルははじめてだったかもしれない。今まではだらだらと思い付きでやってたからなあ。
まあ、裏を返せば、自分がこういうマイノリティ、ハンディキャップをいささかなりとも負う身になるまでは、何も考えないデザインというものが、ある種の人間を排除しているということに気がつかなかった、あるいはわかっていたけど無視していた、鈍感で弱い人間だったということなんだけど。こういう立場にならなくても、アクセシビリティということについて真剣に考えている人間はいるわけだし。
実は、ぼくの命を助けてくれたのは、盲目のハリの先生だった。6年ものあいだ「座骨神経痛だね」と誤診しつづけてきたあの医者たち。けれど、そのハリの先生はぼくの太腿を触るなり「これは中に何かあるね」と言い、知り合いのお医者さんでCTをとるよう薦めてくれたのだった。あの眼の見えない先生がいなければ、ぼくはいまごろ残りの命を数えて泣いていたかもしれない。だから、あの先生に恥ずかしいことはしたくないと思った。もちろん、このページは映画にゲームと視覚優位のコンテンツだから、視覚障害の人がアクセスしているとは思えないけど、でも、自分を助けてくれた、どの西洋医学の医者たちより賢明で(いま思い返すと恐ろしいことだけど、6年間の間、触診してれたのは18人の医者のなかであのハリの先生だけだったのだ)思いやりのあるあの人を「排除」していると思うと、自分が嫌でたまらなくなる。そんなことは絶対にゴメンだ。
というのが、今回、レイアウトをCSSに切り離そうと思った動機なんですな。ちょっと真剣な話で疲れたけど、でも、みんながテーブルをレイアウトに使わず、画像でナビゲーションすることに気を使うようになるといいな、フラッシュを単にカッコイイからといって意味もなく使うのをやめてくれるといいな、と思って書いてみました(ええ、このページがそういうことを言えるような、技術的に立派なシロモノじゃないことは分かっています、はい。もっともっと勉強いたしますので、もうちょっと待ってくださいな)。
伊藤計劃『リニューアルの理由』より{s p o o k t a l e b b s掲載、2003年(?)1月29日23時02分45秒の投稿(internet archiveから掘り出し)}太字強調は引用者による
0501(金)
日中おやすみで宿直日。寝て過ごしました。
■社会■インターネット徘徊■
ネットとリアルの倫理基準のズレについて
先週のラジオ番組『オールナイトニッポン』での発言をうけて、ナインティナインの相方・矢部氏が久々の番組登壇、岡村氏へ説教をすることに。
岡村さんの発言については「そりゃ燃えますよね……」と思うし、岡村さんのような魅力ある男性とちがうとはいえ(精神的にどうだったかはさておき、岡村さんは金持ちで面白いかっこいいオッサンですよね)、いまだ異性に対して気後れしまくりな単なるキモいオッサン(だよなぁ31は。)ぼくにとって、矢部さんのお話は「ぼく自身も改めねば……」と思う内容で、気をつけていこうと思います。
{じっさい最近の日記でも、聞かれてもないのに猥談へ走っていたし。(ぼく基準では「まぁ大丈夫だろう」という範囲の話ですが、しかし「あれが大丈夫なわけないだろ」と指摘する気さえ失せブラウザバックという人が全くゼロだなんては言い切れない) }
それはそれとして、ネットではいくらでも確認できるハイソサエティな界隈と、じぶんの生活圏とのギャップを感じてしまった。
じぶんの生活圏では、飲み会の席や喫煙所でわりとどうしようもない下ネタだとか、あるいはお昼休みの事業所内のお茶菓子タイムのときにネットで投稿されたら炎上間違いなしのジェンダー観やら政治観、エスニック観やらその他倫理観が男女へだてなく飛び交ったりしていて。
ぼくはそういう場に居合わせたとき(そもそも無口なので)何を言うでもなくスルーしているし、ぼく以外のだれかが「それはちょっと……」みたいに物申す場面なんて出くわしたことがないんですけど、ほかのかたがたは一体ああいうときどうしているんだろうな……。そもそもそんな場に出くわさないんだろうか……?
0502(土)
宿直明け日で出勤日。公共料金の支払い等で外に出るつもりがそのまま仮眠が本就寝となりました。
0503(日)
きのう家に帰って本をすこし読み、すこし仮眠を取ろうと思って気づいた時には日曜8時だった。
■社交■
リモート飲み会をしてみた/できなかった
LINEアプリをつかってリモート飲み会をしてみました。夕方にテスト的にした最初は参加人数3人(通話時間10分?)、夜にしたやつが1人(S氏が孤独に耐えかね数分で閉じられたようだ)、仕切り直して2人(30分くらい?)。
S氏は連日リモート飲み会をしており、そのさい深夜2時なりなんなりまでしていたと云う。前夜とのギャップにS氏は「たはは……」と乾いた笑いをしてましたが、そもそも頻繁にグループチャットが動くアレでもなし、むしろ「ほかのグループは"何時に始める"といった事前連絡もなしによく集まったな!?」としか思いませんでしたわ……。(なんでみんなそんな即応できるんだ。中高生時代のチャットルームばりのフットワークの軽さだよ!)
グループ自体が6人だから、2人でも参加率33%、3人なら50%参加、割合的にはそんな悪くないのではないでしょうか。{いやまぁ1人でも20%参加なわけですが(笑)}
LINEで複数人でビデオ通話してみての感想としては(人づきあいが狭く少ないので初めて1対1以上の通話をしました)、シャリシャリ・キーン的な雑音が気になる。また、ひとが同時にしゃべったときは、なんだか一方の声が出力されてない気がする。
スマホのスピーカの設定の問題なんだろうか?
また、興味深かったのは「マイスマホって、構造的にたぶん、長時間のビデオ通話を想定されていないだろう」ということ。現状の突飛さはこんなところからもにじんでしまうものなんですねぇ。
スマホのマイクは(アンテナがある面を天井部としてみたとき)底部にあり、画面/スマホの自撮用カメラが床と垂直になるよう置く(立てかける)と完全にマイクがふさがってしまいます。
ナナメに立てかける形でも集音率の低下は避けられないわけで、どうしたもんかな。
まぁそもそも長時間テレビ電話するつもりのなかった去年からして、そこを覆うタイプのスマホカバーを装着するとこちらからの声が著しく届かなくなる(セロハンでふさごうものなら無音になる)ことに気づいて「不便だなぁ」と嘆いていたわけですが……。あれれ、常時非常時かんけいなしにただ単にこのスマホの設計がいやいや、みなまで言うまい……。
■そこつもの■
釣れなかった魚は絶対に大きい;『紙魚はまだ死なない - リフロー型電子書籍化不可能小説合同誌』を注文するも支払い期間を過ぎて買い逃す
物をいかに語るかへ興味がある者のひとりとして注目していた同人誌がついに発刊・発売されました。
さまざまな理由からリフロー型電子書籍にするのが不可能な小説を参加者が書き寄せ編まれたオムニバスで、上中下3段で別々の語りが横へ横へと進行しいつの間にか同期したりする小説(『春霞エンタングルメント』)やら紙面が小説の舞台となる4つの部屋から成るアパートのかたちそのままの小説だとか、はたまた「どう読めばいいんだ?」と気になる判例雑誌を模した体裁で2050年の事件を語る作品(『中労委令36.10.16三光インテック事件(判レビ1357.82) 』)やらインターネットの攻略Wikiを模した作品(『ボーイミーツミーツ』)だとか、プレビューで拝める範囲だけで楽しすぎる内容です。
『(前略)三光インテック事件(判レビ1357.82) 』は3月に書いた感想文のなかでチラっと触れた、皆月蒼葉氏の新作。
皆月氏の過去作には『日本史の中の深海棲艦』というまんま歴史書の書き味で、艦これキャラが現れた改変歴史世界をえがいた怪作もあり、こちらはリンク先BOOTHびびび文庫さんからpdf版も流通しているようです。
『春霞~』は、広瀬正『ザ・タイムマシン』の終盤(=タイムマシンに乗った人とそうでない人と、二つの並行世界が、上下二段のそれぞれで描かれる)を思い起こしもしますし、あるいは柴幸男氏/ままごとの演劇(たとえば『わが星』とか『反復かつ連続』とか)が思い浮かんだりもしますが、また別種の趣向がうかがえます。
〔集英社文庫の『タイムマシンのつくり方』Kindle版から『ザ・タイムマシン』の文章を、ままごと公式サイトの「ままごと戯曲公開プロジェクト」から『わが星』の脚本を、それぞれ下に引用します。
『ザ・タイムマシン』についてさらに付け加えるなら、この電子書籍版は、リフロー型電子書籍とはどういうことか、そしてリフロー不可型小説をそうしようとしたときのむずかしさとはどんなものかが端的に味わえます。
{『ザ・タイムマシン』の文字列ははじめ、文字データとして配置されています。電子書籍ビューアのウィンドウサイズやビューアのシステム側で設定できる文字サイズ変更やフォント変更などに対応して可変したり、一文字一文字ワード検索かけたりシステム内マーカーを引いたりドラッグした文字列だけをシステム内辞書と照らし合わせられたりできます。
しかし下に引用したような(タイポグラフィ的面白さのある)上下2段組シーンに至ると、途端に(文字が文字データとしてではなく)画像データとして置き換えられてしまい、上のような機能を利用することが不可能となるのでした}〕
一文一文が文字数単位でキッチリカッチリ整えられた『ザ・タイムマシン』が顕著ですけど、ぼくが上に挙げた2者の作品は、シンフォニックな美しさが印象的な作品でした。『春霞~』は、プレビューで拝める範囲から予想するに、もっと雑多で多声的な時空間を展開し(ているのに)、不意に重なってしまったりもする偶然の美しさに重きが置かれていくことになるんでしょうか?
直下『わが星』「白いカーテン~」辺りのシーンの、音声動画(ままごと公式チャンネルから)
リンク先動画は『反復かつ連続』の抜粋映像。(ここまで見せるならきちんと全編公開したほうがいいと思う……)
「カートに入れる」となったと気づいた瞬間すぐさま注文したぼくでしたが、支払い受付期間である3日間は、仕事・休みだが仕事疲れで寝てそのまま宿直・宿直明け~日勤の疲れで起きられず……で、過ぎちゃってました。てへへ……。
完売となりました。「入荷お知らせメールを受け取る」の登録数によっては増刷を検討しますので、希望される方は登録をお願いいたします。
BOOTH、ささのはストア『紙魚はまだ死なない』商品ページより
完売となりました。
増刷再販を、参加予定の全通販型即売会Text-Revolutions Extra(テキレボEX)に向けて準備しており、テキレボEX後にBOOTHでの再販を予定しています。BOOTHでの購入希望の方は、「入荷お知らせメールを受け取る」の登録をご検討ください。
BOOTH、ささのはストア『紙魚はまだ死なない』商品ページより
リフロー型電子書籍化不可能小説合同誌『紙魚はまだ死なない』の増刷再販を決定しました。参加予定の全通販型即売会Text-Revolutions Extra( #テキレボ EX)に向けて準備します。テキレボEX後にBOOTHでの再販を予定しています。https://t.co/OpEt93wA53
— 笹帽子 (@sasaboushi) 2020年5月6日
とのことです。やったー! 忘れないようにしなければ……。
(ただこれ、「BOOTHで"入荷お知らせメール受け取る"ボタンをポチったけど、テキレボEXで買っちゃった」場合、作り手さん困るか……?)
■見たもの■インターネット徘徊■
vtuber『#鷹宮に捧げる物真似選手権 【にじさんじ/鷹宮リオン】』を観ました。
いちから社の運営するバーチャルYoutuberグループにじさんじに所属するお嬢様系vtuber鷹宮リオン様の配信を観ました。
リスナー参加型の物真似披露コーナーで、にじさんじ内でも同趣向の企画がいくつかあったんですけど(※)、今回は3時間を超える地獄ですね……(笑)
(※過去のモノマネ大会だとたとえば……。
月ノ美兎委員長が、自身のモノマネを募集した『月ノ美兎の声真似を募集した結果・・・』。いくつか切り抜き動画も上がった配信ですが、過去の日記で感想書いたとおり、一から観てほしい面白さです。
あるいは、にじさんじゲーマーズ出身でポケモンファンの笹木咲さんが、ポケモンの声マネを募集した『 【 #笹キッズポケモン声マネ選手権 】みんなのモノマネ聞かせてもらおうやないか。【笹木咲/にじさんじ】』とか)
ここのところはキビキビと予断をゆるせない昨今ですが、いい意味でゆるい、まったり気易い時間を過ごしたいときには、リオン様のソロ配信ってすごく良いよなぁと改めて確認できた配信でした。
ぼくが大ウケしたネタは、『マリオテニス』で戦うヨッシーとキノピオです。
料理をするでびリオンのモノマネもよかった。10月の料理配信以降(リンク先ぼくが日記に書いた感想)、リオン様とでびでび・でびるくん二人による料理風景は何度か配信されている人気企画で、鷹宮リスナーなら誰でもわかるし勿論リオン様にもわかるネタだというのがよいし(※)、モノマネされたかたが御自身で料理をされるという動画自体も凝っていて良かった。
{※ 一種の共感性羞恥なのかもしれんですが、ひとが素朴に困惑しているところ(というか、困惑してそうに見えるところ)を見るとぼくは、そうした困惑の引き金がじぶんでなくても、いたたまれない気分になってしまうんですよね……
(たぶん本人は別に何も負の感情を抱いておらずフラットな状態なんだと思うんですが、外見にはそう受け取れないことってわりにあるじゃないですか。
めっちゃおいしくても食レポ番組のように他人にわかるかたちで表現するひとがごくごく少数なように。
配信だと、だれかに見られていることを意識して感情をわかりやすく出したりするサービス精神が発揮されたりするでしょうから、それがオフになったとき、本人からすればプラマイゼロの心境が、見ている側からすると頂点とのギャップによってあたかもネガティブゾーンへまで落っこちているように錯覚してしまう}
さて配信者数も視聴者数もふえたにじさんじでは、メディアリテラシーやら安全対策の関係で、配信上にリスナーの声が載るという機会が、以前ほどには格段になくなっているんですよね。
うろ覚えですが、リスナー個人へのDMやメールのやり取り禁止だとか{配信者さんのなかには「廃止された今だから言っちゃいますけど」と、「実はウィルス対策ソフトとか不十分なまま普通に個人のマシンで不特定多数のおたよりを受け取り読んでたので、悪意ある人が何かしてきたら対応しようがなかった(笑)」みたいな旨のお話をされるかたもいました}、実況プレイをリスナーたちとマイク音声ONにしてやり取りするの禁止だとか(これはたぶんリスナーではなかったと思いますが、ある配信者が大人数参加型ネットゲームをしたときにたまたま18禁ポルノの音声を垂れ流す愉快犯ムーブの荒らしプレイヤーと相席してしまったハプニングがあったりなどした)、かつては普通に行われていたけど、今では「やめときましょう」となったものもいくつかある。
今回のは、ツイッターの公開アカが、この配信用のハッシュタグをつけてあるいは鷹宮リオン様へのリプライとしてツイートに添付するかたちで投稿した音声・動画をながめていくというもの。
生配信とはいえ傍目に"取捨選択されたんだろうな”というのがうかがえる『月ノ美兎モノマネ選手権』という配信もあれば(100通のうち20通に絞って紹介されました)、今回のリオン様みたく、ウィンドウショッピング的にほのぼの眺めていく配信もあったりもして、さまざまな色がでるなぁと思います。
(鷹宮さんの配信でいえば、配信に使用可能なフリー音源サイトを開いて、気になったものを片っ端から聞いていって、「これいいね~」「こっちもいいね~」「そういえばああいう曲調のものだと、あんな作家の曲も好き~」とそちらを検索かけたり……とする配信がありましたが、今回のもああいう雰囲気に近い)
いやリオン様もけっこうな量の取捨選択をしてくれていたのですが(投稿作を事前に視聴したうえで、めぼしいものをファボっておいてそれだけを配信に載せてました)、それでも投稿は大量で、配信時間も3時間を超す大長編に。
1分以上の投稿もそれなりにあり、それ単体でみればそこまで長くはもちろん無いわけですが、チリ積もで10個紹介すれば10分以上かかるわけで……。
投稿時間の長短と(あくまでぼくの感覚として)面白かったか否かは、(例外はいくつもあったけど)だいたい反比例関係にあった気がします。
個人的には胸に手をあてて考えたいトピックでした。
{ハガキ職人ではないにしても感想文ブロガーであるぼくが普段読むのってどういうものかといえば、ツイッターや『読書メーター』など感想SNSの短文感想だったりするわけなんですが。
しかし、こと自分で感想文を書こうとすると、そうした読み手としての実感を無視して、むやみやたらな長文を書いてしまう。
ぼくがそのような方向へ進んでしまうのは2軸あって、一つは、
「そもそも書くために積読をくずすようなズボラになってしまったので、ある話題にかこつけてそれと関連性がうすそうなものも"関連してそうなものだ"と言い聞かせ、関心があるうちに消化したい」
というある種意図的にやってること。
もう一つは単に、「自信の無さや不安から来るもの」。
自分個人の視点なんて大したものじゃないのを知っているから、それだけでは心もとなく見えてしまって、なんとか「厚み」(だと自分が思うもの)を出そうとしてしまうという。
とりあえず気づいたことを全部列挙してみたりだとか、同じものについてほかのかたがどう言ってるか調べて紹介してみたりやらモチーフの似通った作品とを紐づけてみたりだとか。……そうした「工夫」をしてみることで、じぶんの「薄さ」をどうにかしようとする。
そうすることで目論見どおり厚く濃くなる場合がないとは言いませんけど、でも、そもそも目指すゴールを見据えてないままステレオタイプな「工夫」を行なっているから、その文章に即した近道・推敲の類いではないわけです。「工夫」するまえ以上に「薄い」ものとなったり、良い部分も悪い部分もごった煮の福袋となったりしてしまう場合のほうがむしろ大いにあるわけですよ。
たとえば目指すべきゴールが「紫色で絵をえがく」と見えているひとは、紫色の絵の具と筆を買ってくるという最短経路を取ったり、あるいは「いま赤い絵の具をパレットに出したから、青を足せばよい」と最適ルートを選択できますが。
ぼくなんかがする「工夫」は、「なにかが漠然と足りない気がする」という不安から来るものなので、赤い絵の具へ青だけでなく水色とか緑とかも混ぜてしまったり、筆を用意すればいいのに箒を用意してしまったりする……たんなる逆効果であることがわりあい多い。
短ければ、中身が面白い場合は密度の高い切れ味鋭いものとなるし、中身がつまらない場合でもすぐ終わるからダメージは少ない。短さは正義だなと思いました}
あほなことを楽しそうにやってる人らの姿が存分に拝めて、心がやすまりました。
0504(月)
仕事を終えてごはん食べてソファで寝てしまい、起きたら23時。う~~ん……。
■身体のこと■
寝不足でマスクはこわい
ぐだぐだ夜更かししてしまい、寝不足で日中マスクを着けて過ごしたところ、夕方くらいから息苦しくなってしまった。
サージカルマスクなどは新たに手に入らなくなってしばらく経つので、布マスク+内側に使い捨てで不織布を入れて生活しているんですが、設置がなんか悪かったようで、鼻に吸いつき、気が遠くなる。
*1:(いやぼくはデザイナーじゃないからそう言い切るのは雑ですが……)