すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2020/05/12~05/18

f:id:zzz_zzzz:20200509225009j:plain こんにちは、今日も今日とて日記です。1万3千 1万5千字くらい。引き続き『APEX』をやり(初勝利)、死に飽きてきたり(キルデス0.0n位)、『ほぼほぼほろびまして』世界観エンタメ@都留的にも良い、『Do Race?』(マシン)スポーツにおける工作者/機械主義者的な人体改造が面白いとなったりした週。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0512(火)

 仕事休みでした。

 ■インターネット学級会■

  こんにちはで始めることにしました

 この記事から、書き出しをこんにちはから始めていこうと思います。

 というのも、わが過疎blogにつけられたスターにほいほい釣られて、そのかたのblogへ跳んでみて「!」とカルチャー・ショックをうけたからです。

 

 そのひとのblogに並んだ記事は、東方Projectの好きな楽曲紹介があったり、ボードゲームの紹介があったり(当方がやったことのないボドゲで興味がわきました)vtuber月ノ美兎委員長の配信紹介があったり……と、なるほどうちに飛んでくるのも納得の仲間感。ただし僕よりはるかに若いティーンエイジャーだそうで、リモート授業が心配だ、とかそういうお話もにじんでいる。

 いえ、東方だとかFateFGO)だとかのプレイヤーが若返りをしているというのは、(実例こそ存じ上げないものの)お話だけは伺っていたので「なるほどこういうことかぁ~」とそこまで驚きはありませんでした。

 31のぼくだって、『月姫』がでた00年当初は小学生で『東方紅魔郷』がでた02年当初は厨房*1です、当時20前後のメインプレイヤーからすれば「?」という存在だったでしょう。

 00年代に小学生や中高生だったぼくにとっての遊星さん(@『LOGIC&MATRIX』 ファイヤーエムブレムアーダン縛りプレイとか、『旋風の橘』爆買いとか、面白かったな……)やらテキストサイト名管理人さんがた、面白FLASH作家さん、『コンテストパーク』などで名を馳せたようなフリーゲームのクリエイターさん。あるいは『朝目新聞』の名物投稿者とか、なんならはてなダイアラーもそこに加えていいかもしれないですが。

 そういった"定期巡回先"として、20年代(小中高生の)オタクが委員長などにじさんじやらを選んでいたりする……というのは、なるほど納得ではあります。

 

 で、ようやっと「!」ポイントが何だったのか、本題です。

 そのかたがたの記事はどれも、「こんにちは」で始まって「ありがとうございました」で〆る、明確に他者に向けた文章だったんですよね。

 これって大事だよなとなりました。

 

 挨拶から始めようと思った理由は大きく分けて2つあって。

(まず世間的にはいちばん大事だけど、ぼくとしては小事のほうの理由から……)

 1つは、自分だけしか居ないものと思って(あるいは他人を過度に自己同一視して)、ひとさまから不快を招くふるまいをしてはいやしないか? もう少し節度ある態度を心掛けたほうがよいのではないか? という反省があります。

 

 ぼくがインターネットというものを、個人サイトの日記やあるいは2ちゃんねるという匿名掲示(=返事を期待してない断片的な書き込み群)から入ったやからだからなのか、このblogについても外向きなんだか内向きなんだかよくわからない運用をしています。(個人の自室の外延みたいな)

 vtuberさんの生配信時の実況チャットとかはよりひどく、脊髄反射的に脳内の印象をダダッ流しにしています。

 いや8割は配信者さんにみられ(てい)ることを前提として「よーしおじさん、配信で目にとめてもらえるような小粋で短い切れ味鋭いチャットを打つぞー」的な色気をだしつつアレコレ打つわけですが(もう見てらんない)、そうしたネタのなかをふりかえってみて、「ワイら的にはセーフやろ」とあまえて素朴にアウトな球を放っていたりしないか? という疑念がぬぐえません。

 そもそもチャット欄は(前述のとおり)配信者さんも見る即席お便り窓口(的スペース)でもあって、間違ってもワイらが自室でしたためるチラシの裏ではないし、気心知れた趣味の合うワイらが固まって背をまるめてヒソヒソ話してグフグフ気持ち悪い笑みをうかべる教室の隅でもないわけですが、いつの間にかそうであるかのように勘違いしてしまうことがあります。

 

 日記には書きませんでしたが、先週とある配信を見て、反省したことがあります。

f:id:zzz_zzzz:20200509225009j:plain

「童貞言うたら 異性と性的な繋がりを 持ったことが無い人や…

 それ自体は悪や無い…

 しかし 性的な繋がりを 持てないという事は 異性とそこに至るまでの 人間関係が構築できないと 見なされる…

 人間の半数と 信頼関係を築けないのは 最早 社会のノイズや…!」

 ギャグ漫画『スナックバス江』6巻109夜で、童貞・森田がはなつこの言は、このコマでもツッコまれている通り、極論によるボケなわけですが……31歳童貞であるぼくにとって、素朴な実感でもあります。

 さて先週のとある配信は、「上述したようなシーンや実感って、童貞以外にとっても常識だったんだなぁ」としみじみ感じる内容でした。

 そこからぼくは、

「配信者さんらは、たまたまワイらに趣味がかさなるところもあるかもしれないけれど、ワイらではけっしてないし。たとえかれらが素敵だろうが、ワイらは依然としてキモいままや……」

 などと反省していたんですけど、これにはまだまだ勘違いがありましたね。

 「ワイら」はvtuberさんが好きという点でだけ一致しているものの、オタク用語でいうところの履修(してきたアニメ)も違えば、現実的な用語であるところの履修(年度ごと世代ごとの教育指導要領とか)もまったくことなる、老若男女問わずさまざまな層から成り立っているということですよね。

 依然としてキモいままなのはワイらではなく、ワイだよ、ぼく自身だよ、範囲を自分勝手に拡大するな、ということですよね。

 ……そんなことを、今回通知欄をたどってようやく実感できました。

 そこを鑑みると、配信者⇔ワイらのキャッチボールの場であると同時に、ワイ以外にもさまざまなひとがいる社交の場で発するものとして、ぼくのチャット内容は自分本位すぎやしないか? もうすこし考えたほうがいいんじゃないか?

 と途端にはずかしくなってきました。好き勝手言える場だけど、だからといって何でも言っていいわけじゃないだろうと。節度たりてるだろうか? と。

 節度あるふるまいを多少なりとも心掛けるためには、だれかがいる・見てくれている前提で書いてみるのっていいんじゃないか? それには文章をまずあいさつから切り出してみるのっていいんではないか?

 そんな次第です。

 

 2点目は、他人だけでなく自分にとっても現状の出力はよくないのではないか? その改善策として「こんにちは」のマインドセットは有効なのではないか? ということです。

 先週の日記では鑑賞メーターに投稿した感想を発掘して、大体そのまま載せました。

 読んでくれたかた、なんだかさっぱりわからなかったでしょう。大丈夫、書いたぼくですらなんだかさっぱりわかりませんでした(笑) 笑い事ではない。

 鑑賞メーターの文章はまず第一にじぶんが読めればそれでよいという代物で、書いた当時からやばいと思いながら書いていましたが、読み返して反省しました。やばさが全然わかっていなかったと。

 久々に、かつて自分が鑑賞メーターにアップした感想を見て反省したのは、ぼくの「最低限、自分が読めれば良い用の文章」は、けっきょく、時を隔ててしまえば書いた当人であるぼく自身でさえもが「?」と、「ど、どういうことだっけこれ?」となにがなんだか意味不明で、ほとほと困惑してしまうくらいに内向きだということでした。

 これは結構にショックでした。鑑賞メーターはサービス終了まで使っていたサービスだったので、数百作ぶんの感想文があるわけなんですよ。それだけ時間をかけた思考の記録が、取り出し不可能かもしれないというのはガックリきます。

(『イン・マイ・カントリー』感想だって元は鑑賞メーターに投稿したものですから、全部が全部読めないというわけではないはずですが……)

 

 ふらっと訪れたひとさまが読んでも、何を言ってるのか分かるようにする。そういう心持ちで書けば、とりあえず、数年後にぼくが読み返したときに「?」とならないはず。

 そういう気持ちで書くことにしました。

 ……と思ったそばから、書き終わるまえの変なところで下書き状態から全公開にしてしまった(ので追記したし、それでも文章が伝えきれてない気がしたのでさらに追記しました)。さきがあやぶまれる。

 

 ■読みもの■

  (完)吉沢緑時『ほぼほぼほろびまして』全2巻読書メモ

 面白かったです!

 コミックス未収録の前日譚が公式サイトに、期間限定公開中みたいです。

 

 ゾンビ禍に見舞われてからしばらく経った日本の港町の一地域でサバイブするひとびとの漫画です。立派なゾンビSF。見慣れた日常の小物が、劇中人物のほんのささいな一工夫によって見たことのない異景へと変えられているところがよろしかった。

 異形の生態系が解き明かされていくさまが興味深く、たとえば言わずと知れた岩明均氏の『七夕の国』『寄生獣』や、あるいは、アカデミアでのキャリアがある(名大理学部生物学科卒・京大院動物学博士課程取得退学ののち、富山大人文学准教授)都留泰作氏の『ムシヌユン』がお好きなかたは、きっとお気に召すのではないでしょうか。

 

 今作も『ヤオチノ乱』同様、日参している『名馬であれば馬のうち』の運営者さん(のツイート)経由で知りました。

{とにかくアンテナが広く深いかたで(あと筆をうごかす手もはやい)、以前には、

『2019年に5巻以内で完結した面白マンガ10選+α』

 ttps://proxia.hateblo.jp/entry/2020/01/01/162000

『まんが臨終図鑑2018〜(主に)二、三巻で完結してしまった今年のおもしろ漫画たち〜』

 ttps://proxia.hateblo.jp/entry/2018/12/31/191044

『生きるのが最高になる2017年の単発完結(短編集、長編)漫画作品・私選ベスト20』

 ttps://proxia.hateblo.jp/entry/2018/01/12/193615

『人類が存続を保証すべき2017年の新作連載マンガ72選』

 ttps://proxia.hateblo.jp/entry/2018/01/03/211819

 ……といった記事を書かれてましたから、今作についてもそのうちシッカリした文章が読めそうな気がします}

 

 今作『ほぼほぼほろびまして』について、作者さんが自身のblogで明け透けな雑記を寄せてらして、リンク先のエントリでご本人は「映画『ワールド・ウォーZ』を参考にした」と仰っていて、具体的にどんなところがそうなのかを説明なさってます。

 ここで言っておかねばならないのは、映画版『WWZ』への悪評は、リンク先で吉沢先生が言われているような、ゾンビ映画であることを隠すような宣伝戦略による不幸な出会いから出たものばかりではありませんでした。

 佐藤哲也氏の小説評映画版の評がわかりやすいですけど、小説と映画とでだいぶ趣向がちがったことも、低評価の一因だったんです。

www.nicovideo.jp

 小説版は、視野ひろく視力もなかなか深い、よくできた災害・政治・社会シミュレーションであった。対する映画版は、ブラピという主役の顔が立ったお話におさまっているところがある、と。

 

 ……といったところで『ほぼほぼ~』に話をもどすと、原作小説ファンもご安心を、『ほぼほぼほろびまして』のゾンビ設定の作り込みとゾンビ禍にみまわれた世界を生きる人々の(それぞれ異なる性格・バックグラウンドを活かした)行動の巧みさ・幅広さからぼくが想起したのは、マックス・ブルックス氏による原作小説『WW Z』のほうでした。

 

 小説版『WORLD WAR Z(いまkindle版上下巻が半額ポイント還元セール中ですね……)は、さまざま扱われる各国のもようのなかに日本編も収録されており。これがまた人物造形から舞台から、細部まで日本らしさが全開のすごいパートでした。

 受験戦争に負けて以後、2ちゃん的匿名BBSに入り浸るようになり、芸能人の個人情報ダウンタウンの納税額とか)をdigることに精を出す引きこもりのティーンエイジャーの少年が、引きこもりだったがために世界で同時多発的に見舞われた初動の不幸(ゾンビから襲われたりゾンビとなったりするハプニング)を物理的に避けることができ、第一波が去ったあとのある程度落ち着いた(=生者は避難済み/ゾンビが点々とする)団地から地上をめざして降りていく……というエピソードです。

 神棚の御神体である御鏡の反射像によって背後のゾンビに気づくなど、アクション面でも日本らしさが絡んでくるところがすさまじいリサーチと造形ぶりでした。

 ただ『WWZ』は、作品の構成上(=地球規模のゾンビ禍とその対応が一区切りついた時点の世界を舞台に、各国のさまざまな人物にインタビューし編纂した……という体裁の、擬オーラル・ヒストリー)、各編は長すぎないコンパクトなサイズに収められており、オーラル・ヒストリーという体裁上、各パートの語り手の意識にのぼらないような冗長だったり些細すぎる細部は省かれてしまいます。

 

 『ほぼほぼほろびまして』は宇宙から地球~日本~日本の地方~地方の町~町のなかの建物とズームインしていく冒頭のコマ割りに印象的なように、一地域をいままさにサバイブしている少数精鋭を描いた作品です。

 登場人物へだれかがインタビューしたとしたらもしかしたら語り落ちてしまうような日常の細部の変容を、一挙一投足が生死を分かつ無数の思考と選択から成るサバイバルで取られた一手を、これでもかと拝ませてくれます。

 クローズアップされた一地域は、ぼくたちの知っている世界ですが、しかし見慣れたものではけっしてない。外置きのゴミ箱につかわれるような見慣れた水色の底深いポリバケツが、ほんのちょっとした一工夫でゾンビ対策防具になっている異景を、そこまでの試行錯誤をはぶいて初手で拝ませてくれます。

 ほかにもさまざま一変した光景が登場して、「せめて5巻くらいまで続いてくれたなら……。吉沢さんのイマジネーションをもっともっと拝みたかった……」となりました。

 『ヤオチノ乱』につづいて、路上観察学的に想像力を爆発させてくれた作品がまたひとつ終わってしまった。

 

 

 ■身の回りのもの■

  板ペンタブを新調した

 中学時代から15年くらい使っていたワコム/バンブーペンタブのペンとマウスがどこかへ行ってしまったので、「もうさすがに新しいのを買ってもいいのではないか」と現行タイプに新調しました。

 バンブーは当時1万円くらいで、中学生のぼくには大きな買い物でしたが、いまでは同種でもっと良いのが出てるんだからすごいことです。

 

 板タブを買うか、もっとお金を出して液晶タブレットを買うか悩みましたが、いくつか買い渋る要因がありました。

 実用面では2つ。

「だいぶ古くなったマイパソコンで、液タブ&現行お絵かきソフトの処理についていけるか?(遅延がひどくて使い物にならないのでは? 下手すればフリーズするのでは?)

「買うなら画面が大きなものを買いたいが、わがやのパソコンデスクはそのへんちょっと置けそうになくない? (ナナメに立てかけるにしても、キーボードの配置をどうする?)」

 人生設計面でのアレがひとつ。

 いちから全部デジタルで描くなんてナカナカなくなったし、なんなら絵を描くことさえあまりなくなった現状をかんがみねばなりません。

「液タブ買って埃かぶらせたら勿体なくない? 学生ならともかく31歳だぞ? 定年までに貯金をどれだけ貯められるか考えていかなきゃならん年齢だぞ?」

 と。

 

 筆圧感知とかは中学でバンブーを購入した当初はパソコンのマシンスペック的に重い処理で、遅延がひどかったので以後その機能はわがやでは無いものと思ってここまで来ましたが、さすがに現行機はその辺はなめらかですね。(でもいろいろブラシを凝るとヤッパリきびしい)

 線はわりときれいに引けますが、ひさびさに絵を描いたことで、人体と服のシワそしてかわいいキャラを描くためのスキルパネルが初期位置レベルでだめだということを思い出したので、さっそくいやになってしまいました。(スキルパ……認知が『シャニマス』に侵食されてる……)

 色塗りスキルも高校~大学時代がいちばんフォトリアルに仕上げられたけど、あれは何だったんだろう。オーパーツと化してしまった。ただまぁ根性でやってただけだから、もっと効率よい&応用の利く体系立てた描きかたがありそうな気がする。

 推しがアゴの下でピースしているところを何も見ずにふんいきで描いたら、SSR冬優子のパクリになっちゃったので『シャニマス』に侵食されてる……となりました。

 

 

0515(水) 

 ■読みもの■

  横田宅真&伊瀬勝良『すべての人類を破壊する。それらは再生できない。』1~4巻読書メモ

 日常会話がことごとく90年代末の時代臭をまとっていて、出てくる語彙を辞書でめくるたびにことごとく20'sだった『夜に生きる』レベルに感動してます。

 もっとも、ぼくは『マジック・ザ・ギャザリング』についてはまったく知識のない門外漢なので、この漫画が主立ってあつかっている本チャンのディテールを汲み取れないところがネックですが(どなたかガッツリ解説を書いてくれてないだろうか……)、対戦のこまかな機微はひろえずとも、MTGを物語の大枠のモチーフレベルでもあつかってくれている(前段も前段で手に入れたカードがここぞという場面で再登場するとか。)から問題なく楽しめてます。

 カードの外の普遍的なモチーフによる変奏だけ見てもさまざまあり、かつ丁寧で(自転車二人乗りの推移や、夕日など野景による展開など)、それを追っているだけで楽しいんですけど、それだけにあきらか詳しくて細かいMTG関連のディテールのおいしさが(読み手の知識不足により)ちょこっとしか味わえないのは惜しい。

 ただ、あの頃も今もぼくはMTGをやっていない、あの熱気を味わっていないということによって、逆説的に(?)、『すべての人類を~』世界の/青春のかけがえない一回性、世界のかぼそさ儚さみたいなものは、やっていた人よりも分かったりする面があるかもしれない……などと自分をなぐさめます。(タイプしてる最中から「クソ屁理屈だ」と思ってしまうくらいにアレだから全くなぐさめにならない……)

 

 キャラクタ性と戦略との同期などは、当然のように編まれています。たとえば、中二病という言葉がない時代の中二病である主人公は、黒単カードの使い手で。

 いっぽうの、表の学校では堅物委員長だけど、内心ではノストラダムスをほんのり信じている/願っているようなヒロインが「すべての土地を破壊する」《ハルマゲドン》や広範囲の除去《大変動》といったカードの使い手で……といった具合。

 

 その辺まではいけるけど、こまかなバトルの組み立てはさすがになぁ。ざっくり四季とかではなく月・週刻みで〔というか、ブースターパック発売・普及・実戦への投入単位で。{この公的な時間表記(=西暦月日基準)と、かれらの私的な時間(=カードやTCG大会開催時期基準)との混交もすてきだ}〕、カッチリ順繰りに細部を描いているようなので、この辺の機微がわからないのはちょっとくやしいところです。

 

 

0514(木)

 宿直日。午前2時ごろいったん起きる。

 

 

0515(金)

 宿直明け日で仕事休み。深夜に起きた疲れから、日中なにもできず。

 ■見たもの■インターネット徘徊■

  【偽典】ブリキのプロトン【高い城のアムフォ】

www.youtube.com

 まさかのSF! 『ブレードランナー』的な世界をやってくれたと思ったら、

 まさかの特撮! 巨大メカバトル!

 タイトルのとおり『高い城のアムフォ』のスピンオフ配信ですが、世界も作りこみも別レベルになっていて驚いてしまいました。

 

 もともとのチャンネル「人形劇系異世界Youtuber 高い城のアムフォ」では、アムフォというひとが、世のYoutuberがやるように、自己紹介や身の回りのことを話してみたり、歌ってみたり演奏してみたり食べてみたりする……しかし彼女の生きる世界は西洋ファンタジー的な世界なので、話される言語は独特で、音楽も食べ物もまったく別種のもの(!) というチャンネルでした。

www.youtube.com

「なるほどこれがバーチャルYoutuber……!」

 と驚かせ魅せたチャンネルです。

 バーチャルYoutuberの大多数は、二次元のガワをかぶった配信者で、設定は有って無いような印象が正直つよいですけど、アムフォさんのように、まったく別種の世界を生きるまったく別種のひととして活動をしているひともいて、デビュー当初にいくつかの配信を観て、

「これは配信を量産できるものでは確実になし、大変すぎるのでは……?」

 と思っていたんですが(想像面でのネタ出しはもちろん、思いついただけでなくネタに合わせた世界も実作しなければならず、それをどのように撮るかなども考えなければならない)……半年ぶりの配信である『ブリキのプロトン』は輪をかけてとんでもないことになっていました。「半年でよく用意できたな……」とこわくなってしまった。

 

 こういう創作系vtuberさんはあれこれいらっしゃるものの、なかなか出会いがなくて存在自体に気がつけない、ということが多い。出会いの場といったら『ぽんぽこ24』の枠企画間のvtuberさんの投稿動画紹介枠くらいしか思いつかない。

 

 バーチャルYouTuber蟹さんなどは現在も精力的に活動されていて、動画がアップロードされたら見に行くお気に入りの料理系Vtuberさんです。

 ギャラドスを料理し、食べてみる『ダンジョン飯』的な試みをされていたり……

www.youtube.com

 月ノ美兎委員長のヘアピン的な代物を料理し食べてみたり……

www.youtube.com

 さいきんでは古書店から余分に誤送された本でハンバーガーをつくられたりしていました。

www.youtube.com

 

 

0516(土)

 仕事休み。雨が降っていたので出かけずに、だいたい寝て過ごしました。

 ■読んだもの■

  (完)okama著『Do Race?』全3巻読書メモ

 もしかしたら単体記事にするかも。

(『Do Race?』の紹介をしつつ、スポーツ/レース周りのポピュラーサイエンスや一般書籍を紹介する……みたいな)

(2022/02/08追記;単体の記事にしました。再読して以下の読書メモから改めた部分もあります。ぼくは初読時にも今作をかなり楽しみましたが、そのとき思った以上に良い作品というお話をリンク先記事でしました)

zzz-zzzz.hatenablog.com

 それは何ですか;イラストレーターとしても活躍するokama氏によるSF漫画。ハイテクなドレスを着たひとびとが宇宙一を目指してレースをします。

 読んでみた感想;

 okama氏がかかわり、作中で大きく取り扱われるのがハイテク衣装とその着用者について、そこに競争がからんで……というと、脚本家・作家の倉田英之さんと組んだ傑作CLOTH ROADがありましたが、今作も幅広いイマジネーションと鋭すぎて身もふたもないスペキュレーションで魅了してくれます。

 

 『Do Race?』の存在を知った頃には完結しており、(長期連載かそうでないかのラインと言われたりする)3巻という規模、漏れ聞こえる「打ち切り云々」「いや打ち切りではなく云々」という読者の感想(※最終巻のあとがきではもともと短期連載で、想定どおりのボリュームである旨が述べられています)、ぼくがokama氏単独の作品を読んだことがないなどの点から及び腰だったんですが、

「『DoRace?』を読むに、あのすさまじい『CR』の世界って、okama氏もいろいろネタ出ししたり基幹構築に関わっていたりしたんだろうな」

okama氏単独作ほかも手に入れたいな」

 と考えを改め反省させられた、会心の中編漫画でした。

 

 1巻は主人公の生い立ち紹介と旅立ちバトル回。

 2巻は晴れてプロとなった主人公が前巻で敵だった人々と組んでのデビュー戦。

 3巻は前巻で仲良くなった人々と別れての星をかけた争奪戦{1巻で主人公の足を止めさせた、他人に譲って自分を殺す(レーサーとしては最悪の)性格にかんする解決もある}……

 ……という3部構成という感じで、スッキリしています。

 ためしに1巻を買ってみて、楽しめたかたは続く2・3巻もお買い求めいただくとよろしそう。

 

 服というものを題材にして、どこまで転がせていけるか? 『ClothRoad』はそのエスカレートが楽しい作品でした。

 着る者とその服をデザインする者の関係性が描かれ、1話目からし(最高のコスチュームコンテストによる)着る者同士のタイマン格闘戦があったり、かと思えば着た服による集団レースがあったり、集団戦争、果ては惑星レベルのデザインへと物語は展開していきます。

 さまざまなジャンル・トピックを横断するような百科全書的な物語が素晴らしかった一方で、最高のコスチュームコンテストは色々なんでもあり過ぎて、「もうなんだってよくない?」みたいな気持ちにもなっていきました。(と言うとアレですが、服というものの多面性を見せるという意味ではこのコスチュームコンテスト等は最高で、それが抜群に興味深く・面白いから何の不満もありません)

 

 そこ行くと『Do Race?』はハイテク服による競技はレース一本のみに話題をしぼった、SF競技レース漫画として話題が集約、素朴に面白かったです。

 どうすればレースに勝てるのか? レーサーは前段でほのめかされた自身の欠点をどう克服するのか? といった経糸の楽しみがあり、レース模様自体が目の離せない物語になっている。

 とりわけぼくが興奮したのは、ハイテク未来世界ならではのテクノロジーを活かした、レース用にチューンされた人体たちです。

 

 1巻の段階で、超高速レースを人間が行なうことによる問題{F1などモータースポーツや戦闘機パイロットが直面する、高重力下での色覚の喪失やブラックアウト(意識喪失)}が取り上げられて、そうした問題に対するハイテク世界ならではの対処もまた(主人公と対決する複数人の、プロがプロたるゆえんというかたちでもって)描かれています。

 

 たとえば、あるレーサーは「高速移動時にかかる重力はレーサーの体重に比例から」と、頭だけ生体にして首から下はすげ替え可能なモノに改めることで、軽量化して負荷自体を軽減させます。

 サイバーパンクの書記長ブルース・スターリングが創造したポストヒューマン未来で言えば、機械主義者的な発想ですね。

 さて、瞬発力や持久力にかんして、「速筋・遅筋という筋肉の質が」云々とか、あるいは、「高地トレーニングや山間部に住むひとびとは、血中に取り込める酸素の量が多いためそれだけ運動が」云々……というお話はかなり耳なじみのある話題になってますよね。

 それに比べると、現実の科学で考えられているのにフィクションのなかで意外とあまり聞かないのが、身体の部位と物理学的関係です。

 デイヴィッド・エプスタイン氏は『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか? アスリートの科学で、1998年コペンハーゲン筋肉研究センターのおこなったケニア・カレンジン族(長距離ランナーを多く輩出している民族)と他の民族との比較調査を紹介しています。

 長距離走におけるカレンジン族の優位性についての多数の逸話や主張を検証するために、世界的に有名なコペンハーゲン筋肉研究センターの研究チームが、一九九八年にデータの評価に取りかかった(8)(9)。

 カレンジン族の少年と、コペンハーゲンに住むデンマークの少年も調査対象に含まれた。

   早川書房刊(ハヤカワ文庫NF)、デイヴィッド・エプスタイン著『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか? アスリートの科学』Kindle版56%(位置No.7854中 4355)、第12章「ケニアのカレンジン族は誰でも速く走るのか?」より

 カレンジン族のエリートランナーとヨーロッパ人のエリートランナーとでは、平均して遅筋繊維の比率に差はなく、デンマークの少年も都市部に住むカレンジン族の少年や農村部に住むカレンジン族の少年と差はなかった。農村部に住むカレンジン族の少年の最大酸素摂取量は、都市部に住み、活動量の少ないカレンジン族の少年よりも高い値を示したが、それでもデンマークの活動量の多い少年とほぼ同等の値だった。

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』Kindle版56%(位置No.7854中 4364)

 えっ遅筋もほかと変わらなければ、なんと酸素摂取量だって違いがないの。カレンジン族の身体的優位性なんて実は無いのか? ……いえいえコペンハーゲン筋肉研究センターは重要なちがいを発見できました。

 研究者たちによる最もユニークな発見は、脚の長さよりも、むしろ脚周りの寸法だった。カレンジン族少年の下腿の容積と平均的な太さは、デンマークの少年よりも一五%から一七%少なかったのだ。これは重要な発見だった。脚は振り子のようなもので、振り子の端が重いほど、振り子を振るのに多くのエネルギーを必要とする(*3)。

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』Kindle版56%(位置No.7854中 4373)

 足首にわずか五〇グラムの重りを取りつけただけでも、ランニング時の酸素消費量が一%増えることが、別の研究チームによって確認されている(アディダスの技術者が、軽量シューズの開発時に同様の結果を再現している(11))。

 つまり、デンマーク人ランナーと比較すると、カレンジン族ランナーの下腿は約五〇〇グラム軽い(略)。そのため、一kmにつき八%のエネルギーが節約される計算になる。

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』Kindle版56%(位置No.7854中 4386)

 なんとも身も蓋もない計算です。

 既成概念や思想や神秘のヴェールをどうにか掃って、身も蓋もない何某かを見つめようとする・思いもよらない新たな角度から考え直してみるのもまた、研究のたのしいところでしょう。

 そういう楽しさが、『Do Race?』にはあります。

 

 あるいはレースチャンピオンからクローンをつくる(レースにうまい=重力にも強い)という手段がとられます。

 同じくB・スターリングで言えば、生体工作者的な発想ですね。

「アスリート同士に/外国のひとと結婚してもらって優秀な選手を」

 みたいな話は居酒屋の与太ではなくて、そうした検討はじっさい真面目におこなうひとがいるし、検討どころか実行にうつす共同体だってあるわけです。

 身長二二六㎝の姚明(ヤオ・ミン)は、かつてNBAで最も高い身長を誇る選手だった。両親は二人とも中国の非常に背が高い元バスケットボール選手で、中国バスケットボール協会の引き合わせで出会った。

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』Kindle版81%(位置No.7854中 6348)、終章「完璧なるアスリート」より

 中国オソロシヤなんて言ってる場合でなく、そのほかの国でも、遺伝子型によってトレーニングプランを整える団体もあります。

オーストラリアのフィッツロイに本社を置くジェネティック・テクノロジーズ社の動きは早かった。同社は、顧客のACTN3遺伝子の型を九二.四〇ドルで検査するという(ちなみに私はR型を二つ保有してる)。二〇〇五年、オーストラリアのナショナル・ラグビー・リーグのチームであるマンリー・シーイーグルスは、所属選手のACTN3遺伝子を検査し、その結果にしたがってトレーニング方法を変えていることを認めた。

   『スポーツ遺伝子は勝者を決めるか?』Kindle版45%(位置No.7854中 3487)、第9章「人間はみな黒人(とも言える) ――人類の遺伝的多様性」より

 

 1巻でそうなので、ついにプロの世界へ踏み入れた『Do Race?』続刊やその後にでてくる選手たちには、より幅広くより際どいアプローチを期待してしまいます。

{薬学的アプローチとか(まぁドーピングもそうですし)、長期的継続的な競技生活を維持していく上での弊害とか(減量などによる摂食障害やら何やら)。スピード社・カーボン義足・ナイキシューズなど着々と進歩していくスポーツ用品関係でのブレイクスルーとか……}

 

 2巻3巻はどちらかというと、精神論的・人生論なアプローチが大きくなります。

 そうした掘り下げだってokamaさんがやろうと思えば当然できただろう……今作を読んで氏の創造力に絶対的信頼をいだいたぼくとしてはそう思います。

 ですが、その辺を描かなかったことについて不満がわかない程度には、今作を読んで氏の構成力にもまた確かな信頼をいだきました。

{4~5巻構成であれば、主人公の出自とかももうちょっとあれこれ描かれたのかなとか、赤黒連合まわりのことももう少しなめらかに描かれたのかなとか思わなくもない。意図された唐突だとは思うけど、納得いく唐突と納得いかない唐突(=直截に言えば「残り話数をこの辺で告げられたのかな?」という邪推へとびつきやすい唐突)というのはありますよね。

(……とか思っていたら、『名馬であれば馬のうち』さんがすでに端的にまとめていた。

なぜ okama 先生のまんがはすぐ終わってしまうのか?

漫画界の七不思議のひとつですが、実は不思議でもなんでもない。理由は実に明白です。 わたしたちがあまりにトロすぎるからです。

okama 先生のマンガは常に最高速度でまっすぐ駆けていきます。その速度に読者はおいつけない。

   『名馬であれば馬のうち』掲載、「まんが臨終図鑑2018〜(主に)二、三巻で完結してしまった今年のおもしろ漫画たち〜」記事内、『Do Race?』評ttps://proxia.hateblo.jp/entry/2018/12/31/191044#Do-Race%E5%85%A8%E4%B8%89%E5%B7%BBokama%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%82%AA%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%81%97%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%95

 

 また、『Cloth Road』の魅力であった、多様な衣装がそのまま着る人の思想信条・文化圏のシンボルみたいになっていた面白さ、それによってさまざまな美(的な観念)を描きだした手つき。

 これを『Do Race?』に期待すると、そこもちょっと違うものがお出しされてきたかな? という印象。各人のドレスはいかにレースで一着となれるかに特化していて(いかなるレースをするかという点に関して、各人にブレはないし、さまざまな勝利のための工夫が見られる)、バックアップする団体間の代理戦争というにおいは限りなく抑えられています。(だからといって、各人の性格がドレスだけを見て分かるかというと「?」)

 さながら顔のいい人々版チキチキマシン猛レースといったにおいが漂うわけですが、この「代理戦争感のなさ」が2巻終わりから猛烈に活きてくる。

 レース外でうごめく大人たちのキナ臭さ・無粋にたいして、表舞台にたつ年若い少女たちの掛け声が・大人になれない青年の叫びが、どうしようもなく胸を打つ。

 

 ■TVゲーム■

  『APEX』で初チャンピオンになる

 初めてチャンピオンになりました。といってもぼくは、ランダムでいっしょになった見知らぬ味方お二人におんぶにだっこで、いつも通りほぼなにもできなかったんですが……。

 味方が3キル4キルで、ぼくが1キルという感じ。

 狭まりきるまえの後半で、われわれがむかった方向の敵をつぶせたから、ゾーンが狭まりきっていく終盤にかんしてわれわれトリオは、逆方向から向かっていた他3勢力がつぶしあってくれるのを眺めるだけ。最後に漁夫の利をいただいた印象。

 

 全戦をとおしてのキルデスレートは、0.03とかそんなむごたらしいありさまなのですが(ぼくとトリオになってしまった諸姉諸兄すません……)、それでも勝てる可能性がある、というのはなかなか素晴らしい事です。

 

  『APEX』A氏とのCO-OP

 高校からの友人A氏との3度目のAPEX。ぼくより数日はやくゲームをはじめたA氏はAPEX漬けの日々で、すでにレベル50以上。ぼくの5倍以上ある(そんなに?)

 だいたいのゲームがそうであるように、上位のプレイヤーが下位相手に無双するかなしい事態をふせぐために対戦は実力が均衡するよう自動で調整してくれるシステムがあり、実力のちがう者がチームを組んだ場合は、チーム内でいちばん強い人にあわせてマッチングされる。そのため対戦相手も、ぼくだけで戦うよりも強い人たちがマッチングされているらしい……。

 実際うごきには洗練が見えます。エイム力や立ち回りがぜんぜんちがう。接敵=死という等号がむすべる。(ぼくだけでやると? 接敵≒死ですかね……ぼくくらいのレベルになるとこの微妙な違いがわかるんですよね……うん……)

 

 

0517(日)

 勤務日。

 ■社会■

  トレンド入りにした語にどきりとする日々

 芸能人の名前でも、企業の名前でもツイッターのトレンドやニュースサイトの急上昇ワードに並ぶと悪い意味でどきりとするようになって久しい。

 911後に航空機/自動車利用率と航空事故率と自動車事故率に相関がみられたように、というかそれを調べたひとが出たように、エレベーターの稼働率エスカレーターの稼働率とを調べるひとがでてくるのだろうか。

 

 ■読みもの■

   杉浦次郎著『異世界でがんばる』読書メモ

www.pixiv.net

 webで連載中の個人漫画です。本にしたら数巻ぶんのエピソードが公開されていて、絵はいわゆるネーム相当(場合によってはweb漫画版『ワンパンマン』より粗い程度)のもの。

 最初のほうこそ異世界転生モノのお約束をなぞっていく(奴隷を買って保護するとか、傷ついた奴隷を癒すとか)んですが、その時点ですでに別種のにおいがただよってます。

 奴隷商人との交渉からして、主人公である"いま・ここ"の世界から転生した若者らしい倫理観をもったやさしい青年が、現場を踏んだことのない不慣れななかで精いっぱい頭をはたらかせて本心を悟られないよう演技し、対する奴隷商人はそんなかれの内心を読みきって大枚をふっかける……というちょっとしたコン・ゲームが展開されているんですよ。

 

 異世界転生の特典として"なんでもつくりかたが分かるレシピ"というチートアイテムを手に入れた主人公は、奴隷の傷をいやすアイテムづくりをはじめたり、アイテムづくりのための金策をはじめたりします。その過程で、買ったうちの元気なほうの奴隷と仲をふかめたりする。

 序盤はしばらくの間いわゆる環境チートとかスローライフ異世界転生の雰囲気ですすみますが、上のようなチートを駆使した結果として、異世界転生者に対して悪感情をいだく現地民や、さらなるチートを求める先輩異世界転生者のアンテナに主人公が引っかかるようになってしまい……と転がっていき、『ハンター×ハンター』のような異能力バトル漫画となります。

 バリッバリの頭脳戦だし、サクッサクの容赦ない窮地だし、ゴリッゴリの総力戦です。展開がよめない。

 いろんな勢力がこちらへやってくる一方で、逆に「そんなところに!?」とこちらから向かっていく展開もあり、本当にどうなるかわからない。

 

 チートを授けてくれる神的存在・上位存在/召喚した王侯貴族が、清廉潔白ではなく利己的であるというキャラ配置も、それによって割を食った主人公が歯向かう展開も、それ自体は 異世界転生モノではそれなりに王道展開なのですが(アニメ化した『幼女戦記』や『盾の勇者の成り上がり』とか。『ハズレ枠の【状態異常スキル】で最強になった俺がすべてを蹂躙するまで』も自分を追放した同級生やそれを扇動した女神やらに敵意を剥き出しだけど、71万字すぎた現時点では直接対決はまだまだ先かなぁという感じ)、そこに至るまではわりあい時間がかかり、しっかりみっちりレベルをガン上げして「勝てるぞ」というところで挑みがちなので、「なろう」について多少読んでいる者としてはそのギャップからなおさらドライブ感がすごい。

 

 

0518(月)

 宿直日。

 ■書きもの■

  なにもすすまず。

 自堕落から不規則な生活がつづき、不規則な生活でおった疲労が、休日を圧迫しています。最近の休日はまじでぼ~っと過ごすor寝てるのどちらかなので、記事用の読書をなにも進められていない。

 今月中になにか記事を書けるんでしょうかぼくは本当に?

*1:2ちゃん全盛期でもキッツいジャーゴンでしたが、いま使うと死語だし何重にもキッツいですね、これ。