すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2020/05/19~05/25

f:id:zzz_zzzz:20200527112054j:plain こんにちは! 今週はいろいろ本を読めました。テキレボEX始まったので『紙魚はまだ死なない』第2版を忘れずゲットするぞ、筒井『上下左右』最高! 『誰のためのデザイン?』面白いって週。

 1万4千字ちかく 1万2千字くらい。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0519(火)

 宿直明け日で勤務日。友人からLINE電話がかかってくるも、寝ていたから取れなかったし、目がさめても頭が痛かったから会話は難しいと判断して寝ました。

 

 

0520(水)

 仕事休み。昨日が宿直明け→そのまま日中勤務した疲れからか、きょうも日中は寝て過ごした。

 ■社会■

  床屋に行くも時間切れだった

 19時までやっている(&ラストオーダー的なものは18時)床屋さんに、18時ギリギリに行くも今日はもう店じまいされていました。ここのところの影響でか、店長さん一家だけで回しているみたい。

 

 

0521(木)

 仕事休み。床屋さんへ髪を切りに行く。

 

 

 ■読んでいるもの■

  D・A・ノーマン著『誰のためのデザイン?新版』読み始める

 それは何ですか;D・A・ノーマン氏による名高い(ユニバーサル系の)デザインの本です。

 ノーマン氏はスリーマイル原発事故調査のメンバーとして「機械のインターフェースが悪い{「ヒューマンエラーだ(事故当時勤めていた当事者が悪い)」というより「エラーを招きやすい設計だった」ので、ここじゃなくても誰でもいつでも起こり得るものだった}」と欠点を見つけたり、今著執筆後にアップルやら何やら色んな会社を渡り歩いたかた。

 設計面でアフォーダンスとかを言い始めたかただというのは知っていたんですけど、ユーザー体験(エクスペリエンス)もこのかたが言い出したことなんだとか。

 この新版で主に改定されたのはアフォーダンス周りについてで、初版だと記述の射程が広すぎて、みんなが何でもかんでも雰囲気で「アフォーダンス」だと言うようになってしまったんだそう。なので、アフォーダンス{=afford-ance 直訳すると「余裕がある-性質」。そのモノ自体が持ってる機能、可能性的なもの。(むつかしい世界でいうところの「潜勢力」と同じ箱にぼくは入れました)}・シグニファイア{=sign-ifier 指し示すもの。ユーザーを一定の方向に誘導する看板。(むつかしい世界でいうところのシニフィエってやつですかね~?)}ともっと細かく区分けしたみたいです(……という理解でよいのか?)

 

 ある大学の吹き抜け廊下・階段に(人の誤った落下をふせぐために)配された、四角柱による柵を例にすれば。

 柵のアフォーダンスは"人を落とさない"ことというよりも"人を支える"ことであり、さらにつきつめれば"物を支える"余地のあるものだということ。"落とさない"ことでもなければ、その対象は"人"に限らない。

 なのでたとえば廊下で談笑が盛り上がった学生がその場にいれば、フェンスはもたれかかるための一時的なイスになる余地だってあるし、手に持った缶ジュースや教科書の一時的な置き場にだってなる余地がある。

 そのまま缶ジュースが放置されれば、自然発生のゴミ置き場になる。(放置された缶ジュースが「ゴミ置き場としてつかっていいんだ」と気づきを与える、偶発的・自然発生のシグニファイアとなる)

 ……そこでもしフェンスが角柱ではなく円柱だったらどうだろうか? 暗に「物を置くには適さない」という負のシグニファイアとなる。……みたいな感じっぽい。

 

 本にない例をじぶんで考えてみると、醤油袋なら、"器となる"余地がある(アフォードする)ことが袋のアフォーダンス、袋の端に切れ目を入れて「ここから切るのだ」と促したりあるいは直接印字で「こちらの側からならどこからでも切れます」と表したりする(シグニファイアする)のがシグニファイア……みたいな感じ?

(さらに細かく見ると。袋が"半透明"素材なら、袋の内容物を"透かし見る"余地がある、素材のアフォーダンス? いやシグニファイアかな?)

 自動車のハンドルなら、手で握って"回転させられる"(=ことによって回転させた方向に自動車の進路が変わる)のがハンドルのアフォーダンス、ハンドルの一部がボタン型にくりぬかれてるのも"押せる"ことをもたらすアフォーダンス、そのボタンに付された「ラッパのマーク」は(そのボタンが「クラクションのためのものだ」と表す)シグニファイア……みたいな感じ? ……いやこれはむしろ全部シグニファイア?

 

 よくわからない……。おれは雰囲気でアフォとシグニを使っている……。

 

 

 読んでいる感想;まだ序盤50ページ読んだだけですが、素晴らしいですねこれは。日本版へ独自に付された序文がうますぎる。

「日本何度も行ってるし素晴らしいよね」みたいな書き出しなので、「あ~はいはいたまに見かけますよねこういうおべっか」と思いきや全然違う!

 日本版序文では、電卓登場初期のシャープそろばん電卓を紹介して、機械の良し悪し(そろばんと電卓の得手不得手)・当時のユーザー事情(機械への習熟)を加味したデザインの困難を説いたり。

 あるいは、本編にて文章だけで紹介された{一般的には「物の出入りを妨げる」というアフォーダンス(シグニファイア?)が発揮されているが、事情を知る者(地元民)からするとそうではない}ゴム製の偽・車侵入防止ポールが、日本にあること・地名を詳述したうえで日本版翻訳チームによる補足写真を添付掲載したり……と、ここでしか読めない興味深い知見が描かれているんです。

 網羅的だし、具体例もさまざま図・写真付きで紹介してくれて分かりやすいです。

 

 50ページ程度読んだ現時点でも、『悲劇的なデザイン』が問題意識を同じくする本だというのがよくわかりました。あの本で紹介されていた様々なエラーを招くデザイン上の不備って、『誰のためのデザイン?』でとっくに提起されてたものだったんですね。

 ただ、だからといって先行する大著『誰のためのデザイン?』を読めばぜんぶ賄えるかというと案外そうでもなさそう。

 たとえば「クリスマス・ツリー効果」について。

 これはデザインがユーザーのミスを誘うという数多あるパターンの一つで、どんな効果かというと、

「機械が何でもかんでもピコピコとエラー・警告表示をするようにデザインすると、(一見ユーザーフレンドリーだが)それはそれでユーザーは何が重篤なサインで何がそうでないかわからず、すべてをただの背景として無視するようになるよ~」

 というもの。

 そういうデザインって日常にありふれているので――もちろん、実際に困惑した経験がある人は「あ~あれか~」となるでしょうけど――(幸運にも経験したひとがないひとにとっては・あるいは不幸にもあまりにもそれに悩まされてきたひとにとっては)ありふれているがゆえにそれ自体にクリスマス・ツリー効果がはたらいて、いまいちピンとこないひともいるでしょう。

 『悲劇的なデザイン』は、航空機や船舶にそなわった無数の表示計器がひきおこしたアクシデントを経過を追って具体的に紹介し、そして実機の写真を掲載することでその雑多さを読者(であるぼく)にダイレクトに拝ませてくれるから、しっかりインパクトが残ります。

 

 

0522(金)

 ■読みもの■

  『ユニバーサル・デザインの教科書 第3版』読書メモ

 それは何ですか;

 ユニバーサル・デザイン(UD)の教科書です。第3版。Kindle無料お試しページで大体どんな感じに話題を進めるかわかります。

 読む人への注意;

 kindle版のページは画像データです。(なので文字データ読み上げソフトには引っかからなさそう)

 読んでみた感想;

 大体3部構成で……

 ①・薬品のパッケージ(ダメな例と、UD化された例)を例に、具体的で詳細な検討をした章。何かを作るときに並べて読みたい、HOW TO的な実用感。(どんな具合か試読ですこし拝めます)

 ②・ユニバーサル・デザインとは? どんなことを気をつけねばならないのか? という概論。(①に比べると概論的だけど、具体例がそれぞれ載っていて良い感じ)

 ③・PPPに即した製作過程についての概論。(ここはさすがに一般論)

 ……という感じです。

 先日『悲劇的なデザイン』について、(ユニバーサル・)デザイナーとしてのスタート地点に立つための入門書として良さそうというお話をしましたが、『ユニバーサル・デザインの教科書』は、そうしてユニバーサルデザインに興味を持って門を叩いた初学者がいだく次の疑問――つまり、

「そういうのが大事だと分かった。じゃあ実際にデザインするうえで、具体的にどこをどう気にすればよいのか? チェックポイントを網羅したい!」

 に答えてくれる本だと言えそうです。

 

 ②で紹介されるUD品のなかには、右利きだけでなく左利きも、それどころか足や口で使えるペンなどが紹介されたり、重い外門を力の弱いひとでも行き来できるようにするワンプッシュスイッチが紹介されたり。

 逆にふだん目にする何気ない日常風景への疑義も提起されています。

(電話がかかってくると「プルルル」なり「ジリリリ」なりとがなり立てるアナログ電話は、はたして聴覚の弱いかた・まったく耳の聞こえないかたにとって、電話を受信中であることを鳴っていることを伝えられるだろうか? とか

 ……つい「電話が鳴っている」と書いてしまったけど、この表現がそもそも音に関する情報を入出力できることが当たり前だと思っているひとの語彙ですよね)

 

 さまざま紹介されるなかで、アメリカのかたが書いた『悲劇的なデザイン』で取り上げられているのに『ユニバーサル・デザインの教科書』では言及がほぼない観点もあって、「ユニバーサル」の指すもののコミュニティによる偏りがのぞけました。ほかの国のUD本も手に入れて比較したら面白そう。

 

 

 ■ゲーム■

  『One Shot』プレイメモ

 それは何ですか;

 謎解きゲーです。太陽の失われた世界に、もう一度光をもたらすべく、プレイヤーキャラクターである猫耳人間のニコは、プレイヤーの助けを借りて行動する……というもの。

 月ノ美兎委員長の配信で知ったゲームで、面白そうだったから購入し、じぶんの力でクリアしようと思いました。

 プレイする人への注意;

 Steamのカスタマーレビュー欄はネタバレがあったりするので、目に入れないようにするのがよいです。この感想もこれ以上読まないほうがよい。

 遊んでいる感想;

 ところどころ挿入される一枚絵がすてき。どこを一枚絵にするかも考えられているなぁと後々おもいました。(光る物、光る世界の眺望といったものが多い)

 謎解きは、今作ならではのものが半分と、もう半分は懐かしのパズルという感じ。(倉庫番的な場面や、パネルを点灯させるものなど)

 

 

0523(土)

 ■ゲーム■

  『APEX LEGENDS』プレイメモ

 高校からの友人A氏に誘われて久々に起動したのですが、何もかもわからなくなってましたね……。(A氏はレベル70台、500戦プレイヤーになっていた。ぼくはまだ50戦もしてないよ!)

 敵と戦わなくても、ふつうに迷子になって死ぬレベルへ逆戻り。キャリーしてくれようにもキャリーされようのない根本的な駄目さ加減。

 

 

 ■読みもの■

  『デザイン人間工学の基本[分冊版]基礎編』読書メモ

 それは何ですか;

 人間工学的な視座に立ったデザインの本です。一冊の本を二分して前半を収録。巻末の索引が『基礎編』にも併録されていて使いやすい。

 読む人への注意;

 kindle版のページは画像データであり、文字データを読み上げるソフトには適していないかもしれません。

 読んでみた感想;

 『ユニバーサル・デザインの教科書』よりも教科書的な内容ですが、写真図版多量で、件の本とおなじくとっつきやすいです。

 「人間工学」と銘打たれたとおり、人間の身体器官についてのデータが多い。背筋力や、視力&視標面照度(lx)の性差・年齢別変化のグラフkindle版45%位置No.255中113(紙の印字でp.110)}やら、気温湿度にたいする不快指数やら……いろいろあります。

「ことほどさような身体・器官にかんするいろいろな計測データ・指標を参考にして、さまざまなデザインを考えていきましょう

 というお話。

 「人間工学に基づいた道具」といった謳い文句の商品ってお店に行けばわりあい拝めるかと思うんですが、「どういう計算・テストがなされたものなの?」というところを知れて楽しいです。

 ここまでの本でも左利きにとって不便なハサミとか出てきたわけですが、たとえばペンチについて「そもそもお店に並んだあのペンチって優秀ですか? その機能を最大限に活かすフォルムって、ほんとうに現行の形状なの?」といった眼差しが拝めるのは、『デザイン人間工学』ならではのように思えます。

kindle版39%位置No.255中100(紙の印字でp.97)、「4.人間の身体情報」4-2.人の形態と運動機能2(人体計測、人のかかわるものの寸法、作業域) 表4-2.8「手になじむ道具のデザイン」より}

 この本には、電車の吊り革の今昔も載っていたりするんですけど、ぼくは円形から三角形になったことは認識内でしたが、輪の向きが(吊り革を持つ)ひとの体の向きに対して平行か垂直かまではぜんぜん頭になかったです。

〔昔は平行で、いまは垂直。吊り革を招き猫ポーズで持つ人はあまりおらず、旧式の吊り革は「ふつう」90度ねじられて人々に掴まれた。

{これ、「気をつけ」「前ならえ」をしたり人が走ったりしたときの手のひらがどちらを向いているか顧みれば、「なるほどたしかに……」なんですけど(いや、吊り革以外に他の例とかが挙げられてるわけじゃないから全然正しくないナルホドかもしれませんが)、気づかないもんですよね。コロンブスの卵だ}〕

 

 先日の日記で言った「クリスマス・ツリー効果」にしても、「じゃあ人間が無視せず認識・処理できる最大値ってどの程度なんだよ?」という疑問が出てくるわけですが、それについての指標も載っています。

〔視覚的記号ならたとえば、輝度のちがいによる記号なら最大で4段階、推奨2段階まで。色彩{色彩・明度・彩度の組み合わせ}なら、最大24・推奨9まで。ただし前述色彩は色の記号で、光の色彩はまた別とか。

 聴覚的記号なら、音の高さは5段階まで、推奨は3段階まで……といった具合。kindle版60%位置No.255中151(紙の印字でp.148)、「ヒューマン・マシン・システムの入出力系」6-2.操作具 表6-2.1「視覚と聴覚のコーディングに対する最大の刺激数」より}

 この値はElsevierで1991年に刊行された、Cushman, W.H., Rosenberg, D.J著『Human Factors in Product Design』p.141から採られているそうです。kindle版60%位置No.255中153(紙の印字でp.150)引用文献より}

 

 余談。

アフォーダンスという用語はギブソンが提唱し、ノーマンが自著の『誰のためのデザイン?』で世界中に広めた概念である。しかし、最近、誤解を与えるということからノーマンが別の用語を使い出しているが、本書では馴染みのある用語となっているので、そのまま使用することにした。

   『デザイン人間工学の基本[分冊版]基礎編』Kindle版3%{位置No.255中 7(紙の印字でp.4)}

 おれたちはふんいきでアフォを使ってる……。

 余談も余談。

 伊藤計劃著『虐殺器官』を、三巷文氏による漫画『ハーモニー』的に膨らませるなら、今著で描かれているような方向での書き込みとか見てみたい気がしますね。

{人間工学にもとづいた銃器とか(すでに現在でもいくつかありますけど)}

 

  『デザイン人間工学の基本[分冊版]応用編』読書メモ

 それは何ですか;

 人間工学的な視座に立ったデザインの本です。一冊の本を二分して後半を収録。

 読む人への注意;

 kindle版のページは画像データであり、文字データを読み上げるソフトには適していないかもしれません。

 読んでみた感想;

 前編『基礎編』では道具を扱うユーザーの初期条件の紹介が大部を占めました。

 後編『応用編』では、ソフト面ハード面と場合分けしてデザインをどう行なっていくか区分けして、さらにハード面ではコントロールパネルのデザインや監視制御卓、自動車内装、キーボード……などといった具合にもう少しこまかい事例を見ていきます。

 ソフト面ハード面のデザインについて触れたあとは、ユーザ・エクスペリエンスを重視したデザイン、バリアフリー&ユニバーサル・デザイン、安全性を重視したデザイン、頑丈さ(ロバスト)、修復しやすさ(メインテナンス)、エコロジーを重視したデザイン、サービスをデザインすること……などとそれぞれ章立てて検討していきます。

 『ユニバーサル・デザインの教科書』などにも「視力の悪い人のための文字配置(フォントサイズ)を考えましょう」というお話があるんですけど、『デザイン人間工学の基本[応用編]』では、

サイズ以外にもいろいろ違いがあるよね、実際どのフォントが見やすくてどれが見にくいのか並べてみたよ

 というお話になります。

kindle版24%位置No.259中60(紙の印字でp.273)、「9.ヒューマン・マシン・インターフェース(ハード系)のデザイン」9-9.自動車の内装デザイン、「図9-9.12 上から読みやすい順番に並べた書体」より}

 

0524(日)

 ■ゲーム■

  『APEX LEGENDS』プレイメモ

 昨日にひきつづき、高校からの友人A氏に誘われてのプレイ。昨日の今日なのにA氏はまたレベルが上がってて引きました。(ここが香川県じゃなくてよかったね……)

 とりあえず今回は迷子にならずに済みました。

 また交戦時についても、実戦するまえに射撃訓練場で30分くらいエイムの練習をしてからのぞんだので、銅4ランクマではひとり倒すことができました。

 

 

 ■社会■

  素人考えを書いたがやっぱり消す

 いろいろ書いたり消したりしています。まとまらないまま置いておきます。やっぱり下げておくことにしました。

 

 

  ■読みもの■

  筒井康隆著『上下左右』読書メモ

 それは何ですか;

 言わずと知れた文豪・筒井康隆氏の短編です。10ページ。

 電子書籍の『定本 バブリング創世記(徳間文庫)』で読みました。扉絵と、巻末著者解説とがついてお得ですが、後述するとおり注意が必要で、今作に限って言えば電子版はあんまり装丁はよろしくない。

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 そのほか流通ある本としては、『SFマガジン700【国内篇】 (創刊700号記念アンソロジー)』にも収録されています。いろんな作家のいろんな作品が読めてこちらもよいです。紙の書籍しかないので、整理ができないぼくは積読の山に埋もれてどこにあるのかわからなってしまいました。ぼくはもう少し注意をしたほうがよい。

 上下左右バラバラの地平に立った戸建ての家々がならぶ扉絵をめくったあなたの目に飛び込むのは、見開き2ページいっぱいに広がるマス目だらけの横長の四角です。

 太い線で縁取られた大きな横長の四角のなかの、枠格子は正方形*1だけどで、縦に4段横5マス程度のスケールで区切られています。格子のなかは黒一色の枠も白一色の枠もありますが、たいてい文字/文章が並んでいます。

 枠内の文字は、

"テレビ(3ch)(今日午後五時二十五分頃、UFOと思われる発光飛行物体が、市内赤川町赤川台団地の第十二号棟と(略)"

 とかかれた右端最上段のマスみたく、だいたいが印刷されたフォントです。他方、

"坊主「妙法蓮華経観世音(略)"

 とかかれた右端中段のマスみたく手書き文字による例外のマスもあります。

 

 四角い枠の左右の両端の外には小さな四角がそれぞれ付け足されていて、上の2段の両端には縦長の長方形で縦縞のもの、最下段の両端にはそれより小さな横長で無地の四角がつけられています。

 扉絵をもう一度見てみると、タイトルの横に、

"三階、右から二つ目の部屋はあなたの部屋です。あなたのセリフを入れてください。"

 と書かれているのが見える……そうです今作は、団地とその部屋割りを模した枠格子に、それぞれの部屋にいる人物事物の声や音が記された実験小説なのでした。

 

 なんで読んだの;

 全通販型即売会【Text-Revolutions Extra】にて第2版が取り扱い中だった(6/3 即売会終了のため、テキレボEXのほうのアイテム個別ページへのリンクは外させていただきました。テキレボ取り扱い分が残っていたら後述タイトルでリンク飛べるようにしたBOOTHのほうで通販委託されるとのこと。気になった方いらっしゃれば、是非そちらもチェックしてみてください。)紙魚はまだ死なない リフロー型電子書籍化不可能小説合同誌読書へむけて、先行するリフロー不可型小説・へんてこフィクションを味わっていく試み第一弾。

 同誌収録の『しのはら荘へようこそ!』に言及されたツイートから、筒井氏の小説の存在を遅ればせながら知りました。

 

 読む人への注意;

 Kindle版だと今作は画像データとして処理されています。書籍のページ割どおりに画像データも分かたれているものと思う。

 PC版Kindleリーダ{バージョン1.26.0(55076)}のデフォルト設定だと1ページずつ表示で、見開き2ページずつ表示するやりかたがわからないひと(ぼくです)・拡大縮小するやりかたがわからないひと(ぼくです)だと、紙で読んだ時とはだいぶ違う読書感になりそうです。

 

 読んでみた感想;

 面白かったです。すげ~!

 先日話題にした広瀬正『ザ・タイムマシン』のような、文字単位におよぶキッチリカッチリした文章配置がさらに複雑になんと19マス×数ページに及んで行われています。

 

 小説の実験的な構造を知ったうえで手に取ったのでアレですが、「かなり親切な情報提示がなされているな」と思いながら読みました。前情報なしに読んでも、察しの良いかたなら1ページ読んだだけで(扉をふくめて2ページで)呑み込めそう。

 右端最上段をテレビ中継にして、劇中舞台の情報提示をし。

(同じ段のほかマスは、2階の学生のマスをのぞけば)テレビのマスの直下の3階のマスは先述の坊主の読経、最下段の1階のマスは"電話「RRRRRRRRRRRR」"とかといった、さながら"読む環境音"というものが並んでいます}

 その左隣のマス(一階の夫と妻がいるマス)とその最下段のマス(四階の夫と妻がいるマス)で階層構造をやんわり意識させる。

(最初の見開き2ページでは、右から2つ目・下から3段目のマスだけが空白で。察しのよいかたはここで、扉ページで「あなたの部屋」と言われた「三階、右から二つ目の部屋」がこのマスのことで、団地を模したページ構成なのだと気づきそうです)

 さらに左隣の2マス分の大きさのある横長のマスで、枠内の人物が「この団地のこの建物の中で、4DKはここだけなんだ。よそはみんな、2DKだ。」と言うことで、読者に「なるほどこれは団地なのだ」と納得させます。

 

 『上下左右』は77年発表の作で、筒井氏も自作解説でおっしゃっているとおり、似通う構造の実験小説であるジョルジュ・ペレック著『人生使用法』の原著は翌年78年刊行なんだとか。

 ぼくが思い浮かべるのは2本の映画です。(筒井氏がご覧かは存じません)

 単純なレイアウトで言えば、上下2段×横2つの4部屋を輪切りにして画面いっぱいに並べた構図で上へ下へ右往左往のドタバタアクションをしたショットが有名なバスター・キートンキートンのハイ・サイン』(1921年)が思い浮かびます。

www.youtube.com

{リンク先のタイムスタンプで18:40~が当該ショット。その前段18:34では上階の床にあいた穴から下へ(埃を立てつつ)落ちて下階のひとをぶつかり倒す場面なども}

 そうした視座を導入して描かれる人間のケの日々という意味では、54年公開の、記者が自室から近所の建物を覗き見し、いくつもの窓の向こうや建物外で繰り広げられる幾人もの生活をヒッチコック監督の『裏窓』が。

 『裏窓』では、夫婦がいたり犬を愛でる老夫婦がいたりオールド・ミスがいたり悩める作曲家がいたり……それぞれが独立した生活を営みつつも、誰かのひいたピアノの音楽が部屋をまたいで別の誰かの耳にはいってそのひとの心境へ変化を与えるなどの創発的な関係性がえがかれます。

www.youtube.com

 そうして振り返ってみると『上下左右』は、人間観察ドラマ的にも楽しめる(いや『裏窓』ご覧になったかたならご存じの通り、ほかのヒッチコック作品がそうであるように、事物が本来の役割とは異なる活用がバンバンなされたアクション映画として面白いんですよ)『裏窓』の地道な部分を、70年代日本の団地という舞台らしい細部で見事にえがく(※){『上下左右』でも、先述した『裏窓』のワンシーンのように、ピアノの練習をする部屋がある一方で、別の部屋から漏れ聞こえた音に独り身だろう運転手が反応する……といった、創発的な関係がえがかれていました。(※2 2021/08/08追記。これも時事ネタかもしれない)}と同時に、学生運動や過激派が世間をにぎわせたこの舞台・時代ならではの奇怪さ(といっても山岳ベースあさま山荘が72年、『腹腹時計』発行や連続企業爆破事件が74~75年あたりで、もう下火?)(※3 2021/08/08追記。時事ネタはまだまだあるかもしれない)を経由することで、そのまま『キートンのハイ・サイン』的な――舞台までぶっ壊しながらドタバタする類の――スペクタクルへとつなげてしまう大きなダイナミズムが魅力な一作でした。

 〔※70年代日本の団地という舞台らしい細部とはたとえば……

 UFOブームとか{ピンクレディの人気歌謡曲は『上下左右』発表と同年の77年年末発売}。

 カギっ子とか。

 習い事としてのピアノ{ググったら出てきた『井上公人著『日本におけるピアノ所有の社会的意味の変容に関する分析―威信財から教育財、教育財から選択的贅沢趣味財へ』によれば、1970年代の家庭のピアノ普及率は10~15%くらいだったみたい。また同論考によれば、62年からはTV番組『ピアノのおけいこ』も放送されたんだとか(『上下左右』に登場する19部屋のうち1部屋(=5%)がピアノをやっているのは妥当っぽい)}とか〕

{※2※3 2021/08/08追記。

 初読時は無知ゆえに思い至れなかったが、上にも書いた母娘によるピアノの練習に悩まされた団地の上階(真上の部屋の)住人の男が殺人に至る(帰ってきた人も殺す)という展開は、今作発表の3年まえ、1974年におこったピアノ騒音殺人事件を参照しているのかもしれない。

 もっとも、『上下左右』の運転手とちがってピアノ騒音殺人事件の男は国鉄や自動車会社や鉄工所など勤務などいくつか入退職をしてその当時は無職で。そしてかなり突発的だった『上下左右』とちがって、ピアノ騒音殺人事件の男は入室時に電話をペンチで切り娘の一人を殺害後のこりの娘と母の帰りを部屋内で待ち伏せした……など、かなり計画的な犯行だったらしい。

 この事件について取材したノンフィクションとして、上前淳一郎氏が気 ピアノ殺人事件』を著していて、こちらについての読書メモは下リンク先の日記に書きました。

 犯行に対するメディアや著名な音楽家團伊玖磨さんそして市民がしめした加害者への意外な共感。静穏権をもとめて集会をひらく"騒音被害者の会"などなどを紹介することで、「変り者」が起こした特異な事件ではなく、どこでもだれでも起こしうる現代都市問題としての視線が興味深かったです。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 

 実験的/前衛的作品と聞くと、ぼくなんかはその趣向の奇抜さにばかり目がくらんでしまうし。じっさい作り手の側も「そういう語り口を思いついちゃった」から書いた(=語られるもの自体については後からこしらえた)ものだって、きっとあると思うんですけど。

 『上下左右』をいま読んでしみじみ感嘆してしまうのは、

「ある事物の特異さを語るためには、どうしてもこの特異な語り口を採用せざるを得なかった」

 と読む側が納得してしまうほど、語られたものと語り口とが(密接に)関係してくれる作品は強いなということと。

 実験作がほんとうに(前例のない)実験だった時代からそこまで構築されているのがまた本当にすごいことだなということです。(※)

 

 ……ただまぁそれは、いわゆる実験作だけでなく、一見してオーソドックスに思える作品においても言えることなんでしょうけど。

 「まさしくこれだ」ということば、身振り、ショット、線。それをいかにして見つけられるかという。

 

(※というかむしろ、普通でない=マジで前例のない時代だったからこそ、なぜ普通を取らなかったのか独自の意義を設定/明示しないといけなかった……ということなのかな)

 

  『ウェブユニバーサルデザイン』読書メモ

 それは何ですか;近代科学社から発行されている本で、インターネット・サイトにかんするユニバーサル・デザインのことが記されています。

 読む人への注意;Kindle版はページが画像データとして処理されています。

 読んでみた感想;さまざまな人々がウェブのページをそれぞれどのように捉えていて、デザイナーはどんなサイト・デザインをすればよいか?

 各人で場合分けをして具体的に記されていて、とてもよかったです。

(高齢者ならこう、視覚障害のかたならこう、色覚障害のかたならこう……という具合。それぞれの人が用いているビューアの紹介や、どのように見えるかエミュレータの紹介などもなされています)

 自分でも少しは気を付けているつもりはあったんですけど、全然かんがえられてませんでした。

 ここまでこのblogにアップした感想文はほんの数本ですが、しかし、そんなわずかな数の記事のなかにも、「それってNGだよ」とダメ出しされている記述がいくつかありました……。なんかうまい直し方を考えねばなりませんね。

 

 たとえば、『なめ、敵』の感想文では、作品間や作品内の表現の類似にフォーカスするさい、強調としてフォントを太文字にし、ピックアップ個所が複数ある場合はフォントの色を変えていたのですが、色覚障害者の視界エミュレータで見ると、きわめて分かりづらい色遣いをしています。

 対策としては「さまざまな種類のある色覚障害のどれであっても見分けのつきやすい色へと変更する」。

 もっと良い方法として、「赤字・青字で引いた箇所が」ではなく「①②ABで示した箇所が」など記号で示す。アンダーラインとその種類(実線・点線・波線など)を引くなどが思いつきます。

 しかしこれでも、視覚障害のかたにとっては、文意がとりにくくなったり、読み上げリーダーに反映されなかったりしそうです。

 

 なので、引用後に抜き出しピックアップが適切なのかな? ……という気がしますが、はたして文字数制限内で収まるだろうか?

 

 各記事もまぁ考え物なのですが。

 そもそも、hatenablogにプリセット(※)された内の一つであるこのサイトデザイン自体にも抜本的な改造が必要そうなので、なんとかしたいなぁと思います。

 別アドレスへジャンプできる箇所の文字色と、ただの地の文である黒字との区別がどうやらつきにくいらしいんですよね。

 目に優しい色合いをえらんだつもりが、ぜんぜん優しくないデザインだったっぽい。

 

(※プリセット関連で言えば、画像に対する代替テキスト入力もだいぶこれやりにくくないですか? 入力画面は1行ぶんしか見れず、長文を打っている途中でなんかの拍子に閉じてしまった。はたして誤タッチで閉じてしまったまでに打った文章が入力できているのか・自分がどんな文面をどこまで打ったのか? 後からどう確認すればよいのか? なんもわからん……)

 

 

0525(月)

 宿直日。

*1:だと思ったら厳密には実際には横長の長方形ですね。