すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』感想

 『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』を再読しました。

 以下、感想。5/24現在11,000字くらい。(これ以上は増えないと思う)

 

 

 

 ざっくり感想(1400字くらい)

 『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』は、911アフガニスタン戦争やイラク戦争に参加したアメリカの兵士や戦災に遭った現地市民たちが、冬の兵士公聴会という集会で話したことの採録集です。この公聴会は、反戦イラク帰還兵の会(IVAW)が開催しました。

 

 ひとりひとりのお話は文量も内容もじゅうぶんで、すくなくとも読み足りなくなることはありません。

{タテ22文字×ヨコ19行の文章を上下2段に並べられる字組(つまり、1ページあたり最大836字のせられる構成)で、証言が2~9ページ載ります。一人あたり大体4ページ位として、3000字くらいでしょうか。

 比較対象を並べると、オーラル・ヒストリーの大家スタッズ・ターケル聞き書き集よりははるかに短いし*1、それにならった村上春樹氏『アンダーグラウンド*2よりも短いですが、福田洋氏『にっぽん仕事の型録』*3より多いという感じ}

 証言者は隊も部署もさまざまですが、証言や証言間で整理されているので、読者は脳内である程度のパースペクティブが描けます。

「さっきの証言者の隣の地区に派兵されてました」やら「あの証言で出てきたあの戦争で、こういう役割をになってました」やら証言間をうめる言及がチラホラでていて、時空間的なつながりが示されていますし。

 証言は章題のトピックで大別され、各章のはじめには過去の研究を引いたりなどした概観がつけられていて、「証言される大変なあれやこれやは、特殊な一個人の他人ごとではなく、これを読んでる自分だっておこないうることだ」という導線がひかれています。

{たとえば、第2章『人種差別と非人間化』では、話の枕にアブグレイブ捕虜虐待(とそれを例外視したブッシュ大統領の「このような少数の人間が犯した行為は、アメリカ人の本質を反映するものではない」という発言)やハディサでの民間人24名虐殺事件(とそれを例外視するウィリアム・コールドウェル少将の「これらの事件は、つい、ひとからげにして扱いたくなるものですが……事例ごとに検討する必要があります」発言)を挙げたうえで、これはむしろ軍の教化の結果だよという話をします。デーヴ・グロスマン著『戦争における「人殺し」の心理学』を参照元にして、軍事史家S・L・A・マーシャル陸軍准将のWW2兵士の調査結果(WW2で交戦中に発砲した兵士は15~20%しかいない。平均的で健康な個人は、同じ人間を殺すという行為に対して、通常では自覚されない内面的抵抗があり、責任が回避できるならば、自らの意思で人の命を奪おうとはしない)を受けて、それ以降の訓練がどう改められて誰もが反射的に発砲・殺人できるようになったかを書きます。

 人種差別も兵士が殺人への抵抗感を低減するひとつの策であると説明され、ナチスかからルワンダベトナム戦争で敵をネズミや虫けらやグークスと蔑称で読んできた過去の事例を並べ、中東戦争で米兵があつかう「ターバン頭」や現地語とは真逆の意味にされた「ハジ」をその最新事例として位置付けます}

 章題をながめるだけで、戦争や兵士がどんなストレスを受けるかざっとつかめるくらい整理されています。

{第一章『交戦規則』では、その名のとおり戦地でどれだけ交戦規則があやふやで、非戦闘員まで攻撃対象とされたかがあつかわれます。

 第二章『人種差別と非人間化』では、現地や収容所での差別的な対応・差別語・認識についてが。第三章『民間人の証言』では、派兵された軍人がどんなものだったか現地市民側から。第四章『分断し、統治せよ』では、軍内のセクシャリティの乱れ(同性愛差別や隊内セクハラ性犯罪を軍隊がどう処理するか)についてが。第五章『帰還兵医療の危機と祖国における戦争の犠牲』では、退役軍人のための身体的精神的医療を満足に受けられなかった帰還兵当人や帰還兵や戦地で亡くなった兵士の家族が、第六章『企業による略奪と米軍の崩壊』では、正規軍の兵装不備や、正規軍人と軍事請負企業との給金・保障の格差が、それぞれあつかわれています。

 第七章『GIレジスタンスの将来』は、趣向をすこしかえて、軍入隊中で反戦を唱えたりブログを書いたりメディアの取材に応じるなど言論活動をしてきたかたの体験集。八章の結びの言葉と合わせて、問題について公言することは、けっして反軍や非国民ということではないんだよとエールを送るような内容でした

 

 どの人も話すことがすっきり整然とまとめられていて、ほとんどの人が顔出し実名。言及には裏取りもなされているそうで、つまり大なり小なり編集が入っているんではないでしょうか?

 100%彼ら自身のことばだとしても、ひとまえで何かを喋ることの大変さは残ります。あけすけなようで、実際どうなんだろうか? そういう疑問がのこります。

 たとえ事実だろうと恨みを買いたくないし、顔が出ている以上は保身をしてしまいたくなる。たとえ本当だろうと第三者がいなくて(見つからなくて)証拠のないことを言わせるわけにはいかないし、きわまった思想信条を唱えられてはほかの証言の正当性まで疑われてしまう。 

 この本に載った証言の数々は、どこかブレーキがかかった理性的なことばの連なりのように思えたりします。

 『冬の兵士』が速報性とは無縁なのは、そうした配慮がきいた証左かなとも。

(門外漢がはじめてこのトピックにふれる、具体例つき総論としては良いけど。別個でさまざまな情報へふれてきた識者からすると、物足りないかもしれない)

 

 それでも時折、いつのまにか理路だった導線が導火線にかわって、ポンと個性が爆発するような局面がおとずれます。一般化できない、ナマのなにかに触れてしまったという、驚きにちかい興味深さをかんじます。いま読みかえすと、ここにいちばん関心が行きました。

 

さまざまな反戦の立場、さまざまな戦争の問題

 ひとことに"反戦"と言ったってさまざまな経緯や立場がある。

 『冬の兵士』はさまざまな声をまとめることで、それを伝えてくれます。

 

 "反戦"とか"戦争の悲惨さ"とかってことばからぼくが連想するのは、"空襲にまきこまれる市民"とか、"食うに困って火事場泥棒するも家主にバレて袋叩きにあう"とかなんですが、『冬の兵士』を読んでじぶんのバイアスを確認しました。

 いや、敵武装勢力からの昼夜を問わないテロによる緊張で身をくずしてしまった人だとか死傷がでないわけではないのですし、第三章に『民間人の証言』とあるように大きく扱われもします。でもそれは一つの見方でしかないなあと。

 

 第一章『交戦規則』で帰還兵が告白するのは、自分たちがどれだけひどい目にあったのかという被害についてでなくて、自分たちがどれだけ他人をひどい目にあわせてきたかという加害についてです。

 公聴会に立ったひとのなかには、派兵中から現地の人と会話し自分たちの印象についてたずね、自分たちのいらぬお節介ぶりを悔やむひともいれば*4。死体を2週間置き腐敗させたあとに記念写真撮ったりする無法を働いたことについて言い訳せず、自分たちの親しい人がこういう目にあったらを考えて下さい(だから反戦です)と話すひともいます*5

 

 武装勢力からひどい目にあったけれど、批判の矛先はかれらにむけず、母国の上官が命じた作戦の愚かしさを告発するボーイスカウト然とした声もあれば、戦闘と無関係のところで上官から同僚からさまざまなひとから悪意を向けられた苦痛の声もあります。

 

 個人の体験談はもちろんのこと、団体としてどういう指針が公示されているかも触れられていて、後者についてぼくは知らないことばかりでした。

 たとえば軍隊内の同性愛差別や男尊女卑的性格について、個人の体験談は「こんな感じ……?」と読むまえから思っていたとおりの内容だったりするんですね。

(もちろん個人の実体験だからこその、想像をこねくりまわすだけでは出てこないような生々しいディテールがあります。ただし、大まかなところは想像の範囲内。

 ……と書くととてもアレですが、読むまえから想像がつくのも、ここまで性犯罪被害者のかたがたが勇気をもってごじぶんの体験を語ってきてくれたからこそできることです。この本で告白されたかたがたも、つぎの世代の礎になってくれるでしょう

 中東人を治療することを収容所付きの衛生兵はじめドクターでさえ拒否するため{ちなみに拒否するひとも(民間人を撃った兵士らがトリガーハッピーでないのとおなじく)ふつうのひとだというとらえ方で、「同胞を殺したかもしれない人に援助するのか?(反語)」という心情が紹介されています}、ひとり人工呼吸をおこなった衛生兵が、周囲の軍人から「あいつはホモだ」と村八分にされてしまう……そんな証言を読んで、「マックの女子高生は実在する!」となりました。

 でも、同性愛者差別をうけたかたがそれを軍に報告すると、差別をしたかたでなく被害者が追放されるということが、クリントン政権期にうまれた「訊くな、言うな」政策にのっとって運用した結果でてきてしまうなんてのは思ってもみませんでした。

(Servicemembers'  Legal Defense Networkによる『Arguments for Repealing Don't Ask, Don't Tell』*6を参照した『冬の兵士』p.157からの孫引き知識を書くと。

 「訊くな、言うな」政策はもともと、同性愛者厳禁だった米軍規則を緩和するものなのだそうです。この政策によって性的嗜好に関する質問や発言を禁止することで、かつてはじかれてしまっていた異性愛者以外の兵役を可能にする……と。94年に施行以来この本が書かれる08年までのあいだに1万1千人以上が追放処分となってしまったんだとか。)

 

あちらが立てばこちらが……

 『冬の兵士』はさまざまな声をまとめています。なので、それ単体でなら「なるほど」なんだけど、通しで読むと「なるほど?」「どうすりゃいいの……?」と首をかしげ頭をかかえてしまうような、状況の不透明さ主張のむずかしさを目立たせてしまっていることもあります。

 第一章『交戦規則』なんて、証言がつみかさなることで余計にわからなくなる代表例でしょう。

 最初の証言のひとは複数の派兵経験をつうじて、交戦規則の変遷・あやふやさをまとめてみせていますが、こうした概観も、ほかのひとの証言を読んでいくにつれ、かれの部隊周辺限定での常識だったんだなと印象がかわっていきます。

 交戦規則カードの裁断からして歪んでいたと持ち出すひともいれば*7、そもそもカードなんて一度も渡されたことがなく、「交戦規則の代わりに従え」と言われたと"五つのS"なる標語を暗唱するひと*8もいました。(余談ですけどこうした頭文字だけとった標語、軍隊についての書き物でちらほら出てくるので、それらしいなあと思います)

 証言者の偏りによるわからなさもあります。証言者は階級が上のひとでも三等軍曹三等兵曹など低位の下士官で、作戦を立てる側がいません。そのため、本を読みすすめていっても、なぜこんなあやふやな交戦規則が出されたのかはほとんどわからないまま、わからなくて困ったということばかりがわかっていきます。

 

 むずかしいなと思った例としては、「個々の兵士の不満ってないものねだりなのではないか?」という点です。

 『冬の兵士』ではたびたび軍人への医療の微妙さが言及されます。

肩を脱臼し、肩関節の軟骨を損傷したのですが、簡単にレントゲン写真を一枚撮られて鎮痛剤モトリンをいくらか処方されただけでした。軍がどんなにモトリンを処方したがるか、軍隊内部の人間ならよく知っていることです。

 『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』p.199、陸軍三等軍曹イーライ・ライト氏の証言

医師たちは鬱病用にゾロフトを処方しましたが、しばらくするともっと具合が悪くなったので(略)医師と私は合意のうえで、その薬物療法をやめることにしました。

(略)

私は自分の意に反して病院に行きました。涙を流していたという理由で、それこそ涙ながらに送られたんです。どうしてそれが私の過失になるのでしょうか。さらに、この心理学者は、私がゾロフトを飲むのをやめたことにも腹を立て、「治療拒否」だと言ってゾロフトをまた飲むように強要しました。私は強姦のことを持ち出しましたが、強姦の件で私を診察しているのではないと言いました。そしてまた、もうバーリントン基地にはいないのだから「強姦のことを忘れなさい」とも言いました。

 『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』p.175、6、匿名希望氏の証言

 

退役軍人医療制度への加入を申請したけど、手続きだけで最低三ヵ月はかかった。やっと精神科の治療を電話で頼むことができたとき、あと三ヵ月は予約が取れないと言われたので取りませんでした。

 何日か後に法律を調べたら、退役軍人省は予約を求める人間には最長三〇日以内に予約を入れなければいけない、と書いてあった。

『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』p.191、海軍三等兵曹ゾリー・ピーター・グッドマン氏の証言

軍隊を出ると、私は学生になりました。同時に、ロングビーチの退役軍人医療制度に登録しました。除隊後、三年経った今も、書類手続きさえ済んでいません。レントゲンとMRIを受けただけで終わりでした。

『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』p.195、海兵隊予備役伍長エリック・エステンゾ氏の証言

 

 退役軍人医療制度は申請してもなかなか進まず*9、診察を受けてもごく短時間で杓子定規に薬物療法をすすめられたりする*10

 なぜそうも冷遇されてしまうのか? 非戦闘時に負ったケガについての証言も少なくなく、軍・政府もそこまでカバーしたくないということなんでしょうか? それとも頭数の足りなさを埋めるため負傷兵を負傷兵とカウントしないことにしているとか?(べつの証言では、軍との契約を満了したはずの兵士が再派遣される政策ストップ・ロスなどが触れられていますし、そういったこともありえなくもなさそうです)

 医療をおこなう側からの証言もあり、そちらはそちらでなるほどというものでした。

バージニア州リッチモンドにある退役軍人病院に研究助手として職を得て、PTSDと外傷性脳損傷の研究にあたりました。

 『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』p.202、陸軍予備役三等軍曹エイドリアン・キニー氏の証言

 キニー氏はPTSDや外傷性脳損傷の研究の顛末を以下のように語ります。

 この研究班は、帰還した兵士の外傷性脳損傷を検診する仕組みを開発しようとしていました。非常に高い教育を受けた人や事情に通じた人がたくさん参加していて、検診の確立に取り組んでいました。もう少しで成果が出るというとき、私も加わっていた電話会議で誰かがこう言いました。「ちょっと待ってください。この検診法を始めるわけにはいきません。外傷性脳損傷の検診を始めたら、数万人の兵士が検診で疑いありと判断されることになります。

 『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』p.202、陸軍予備役三等軍曹エイドリアン・キニー氏の証言

 キニー氏にとっては上層部の横暴を告発するつもりで挙げただろうこの電話会議の"誰か"氏による見解。この見解の妥当性は、『冬の兵士』でまとめられた証言によってつよめられてはいやしないでしょうか。

 治療をしっかり受けられるような体制が整ってほしい。そうだそうだ。母国外国とわずケガ人へ治療を行なう体制が整ってほしい。ごもっとも。

 それはそれとして、『帰還兵医療の危機と~』とまとめられた章以外の、まったく別問題を扱っているはずのさまざまな章で受診・施術の難点をかたる証言者が何人もいる。

 そりゃあキャパオーバーになるよなあ……。どちらも立てる回答はあるんだろうけど(たとえば戦争するのが間違いだったとか。でももう戦争してしまっているわけで……)、うーん……。

 

顔出し実名でうったえる大変さ

 証言はいろいろとあけすけに思えますが、実名顔出しゆえの・第三者が発言内容を裏取りする構成ゆえの難しさも感じます。

 ひとまえで大事なことをしゃべる大変さといいますか。

 嘘は言えないし、嘘じゃなくても証拠がないことは嘘扱いされうるから言えないし。個人の感想も極端すぎれば、意見を異にするほかのひとまで一緒くたに「こういう集まりね」と白い目で見られてしまうし……自他ともに配慮する大変さ。

(脱線。ぼくはそういう風に反応したり動いてしまうタチなのですが、世の中そういうひとばかりではないとすれば、それだけ他人を自分と変わらない存在だと思わせる証言だったということで、それはそれですごい語りだと思う)

 

 たとえば証言者は「ひどいことをした」と語ったり現地で撮ったひどい写真を提示したりします。あるいは賞状にしるされた「功績」と実際の状況とのギャップについて話したり、軍上層部を名指しで批判したりします。

 一方で、自分たちがしたひどいことについて、過剰かもしれないけど自衛のためだったとか、物資不足ゆえのなかでプロトコルを遂行しようとした苦肉の策だった(好んで死体撃ちをしていたわけではなく、ほかにモノがなかったので死体を照準調整の試射用的がわりにした)とかといった具合に補足します。

 おなじ部隊のひとには感謝をささげがちですし、ひどいことをしていても濁しがちです。

 軍の将軍クラスの偉い人や政治家は名指しのつよい言葉で批判されますが、どうしても「TV中継中の野球選手へ野次れるみたく、床屋で政談できるみたく、じぶんと遠い存在だと思っているからこそそう言えるのでは?」という疑いがもたげてしまう。

 クサめの主張――陰謀論的なものでさえもが、きわまった天然の電波でなくて、どこかで見たようなものをトーンダウンさせた養殖もののように思えます。

 それはほかのトピックについても同じことで、あれだけさまざまな事例の出された「戦場の怪物じみた蛮行」も、どこかでデジャブを抱かせる、ありふれた「蛮行」だとも少し思いました。(再読であることを抜きにしても、そう思えるんじゃないだろうか)

(まあこれはうがった見方で、人間はそこまで高尚な生き物ではないというだけなのかもしれません。すくなくとも僕は自由に動けません。自分にとっては特別なことをしたつもりでも、できのわるい三文芝居めいたものになってしまったりする。初日封切の映画について感想を書いてみたら、すでにほかの人がもっとうまいこと書いていて、「えっパクってないのに劣化コピーと思われる……」となったり、傑作について自分の素直な感想を書いたつもりで自分がそれを手に取るに至った批評をそのままなぞった話をしていて、「ま、まじの丸パクリの劣化コピーを書いてしまった……」となったりしました)

 

情報源としては早くない証言集

 そのへんの手堅さがあらわれているのは、証言であつかわれるトピック。情報としては既知のものも結構あるんですよね。

 たとえば第五章『帰還兵医療の危機と祖国における戦争の犠牲』で触れられる帰還兵への医療的な保障の渋さ・書類や手続きで煙にまくような姿勢だとか。第六章『企業による略奪と米軍の崩壊』などで何度も触れられる*11、壁や床に鉄板や防弾ベスト・土嚢を後付けして補強した「よれよれ装甲」の軍用車だとか。

 これらは、この公聴会がひらかれ本(原著)が出版された2008年からさかのぼること3~4年、TVドキュメンタリ『Off to War』で取材されていたことでした。

 このドキュメンタリはNHKBSで『アーカンソー州兵、イラクへ』という邦題などで計4回4時間におよぶシリーズとして抜粋放送されたため、めざといかただと第一回の放送された2004年年末にはそのやっつけ日曜大工ぶりや中東の砂色の荒野をオリーブグリーンの迷彩車がすすむさまで不安になったり、最終回が放送された05年7月には大ケガした家族の世話におわれて手続き書類が郵便ポストに入っていたことに気づかず、書類を確認した時には保障期間が終わってしまって途方にくれる家族の姿に暗くなったりしたことでしょう。

 

 同章で証言される、兵士が暗視ゴーグルの電池さえなくて困ったり、別章で証言される無関係のところを誤爆したりといったことも、HBO社で08年7月より放送されたTVミニシリーズ『ジェネレーション・キル』(ローリングストーン誌の記者のルポに基づくドラマ)で映像化される程度にはこの時点で既知の事柄でした。

 

脱線ふたつ。遅いが悪いわけではない

 脱線1。これはこれで強みがあると思います。

 速報性という意味ではほかに譲ってはいるものの、恒久性という点においては紙の本って強いなと思いました。

 ビデオが出るかどうかもわからず再放送さえあるかあやしいTV番組にくらべて、本屋や図書館にいけば長期間おいてある本のアクセスし易さたるや。

 ぼくがくだんのTVドキュメンタリを観たのも、『冬の兵士』が出版された数年後、2011年前後に再々々放送された番組を偶然録画していたからだったと思います。『ジェネレーション・キル』も、日本語訳ビデオで楽しむには17年8月まで待たねばなりませんでした。

 脱線2。

 上では「既知」と言ってしまいましたが、まるきり同じというわけではなく、そのちがいはけっこう大きなポイントだと思うので、『冬の兵士』を読んでよかったなあという部分です。さまざまなひとがさまざまなことに取材してそれぞれ発表されたがある。

 NHKBSで映されたのは邦題のとおりアーカンソー州兵でしたが、『冬の兵士』で似たような言をするのは、別の部隊のひとびとなのです。ウィスコンシン州陸軍兵*12であったり、海兵隊*13であったり。『アーカンソー州兵』シリーズのざっくりした運用が、アーカンソー州だけの局所的なスコールとかではなく、海兵隊やらの大きな組織でも共通の問題だったとわかって、この見渡すかぎりの曇天ぶりに、どんより暗い気持ちになるのでした。

 

発言が整えられているからこその

 石橋をたたくような語り口だからといって、個の味がないわけではありません。

 むしろ大半がよくコントロールされているからこそ、そこからはみ出たちがいが際立って見える、ある種の演出効果さえ発揮しています。

 たとえば、兵士から戦士の報告を受けた遺族が泣き崩れる……というのは映画でもよく見かける光景のような気がします。でもそれってどれだけ固定観念にしばられていることか。

 私はコスタリカで生まれました。不法入国者としてこの国に来て、家族の面倒をみるためにできる限りのことをしました。

 『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』p.213、兵士の遺族カルロス・アレドンド氏の証言

 カルロス・アレドンド氏は語ります。

 子供たちをアメリカン・ドリームと呼んで育てていく日々のことを。新兵募集係が高校に来て2万ドルで彼の息子を釣ったことを。入隊願書には保護者のサインがどちらか一方だけあればよかったことを。息子が自分に相談しなかったことを。家族や恋人に送る手紙が次第に暗く後ろ向きになっていったことを。

 報奨金を進学資金にすべく入隊するのはよくある経緯で、『冬の兵士』の証言者のなかにも何人か登場しますし*14、ほかにもTVドキュメンタリ『Off to War』や米軍初の女性特殊部隊にかんする伝記『アシュリーの戦争 -米軍特殊部隊を最前線で支えた、知られざる「女性部隊」の記録』*15などでも数人でてきました。入隊してからの手紙の文面変化にしたって、どこかで見かけたことがあるようなものです。

 低所得者階級だけど好青年へと育った長男が、好青年ゆえに、家庭でまかないきれないキャリアアップ資金を得るべく兵士になって、好青年ゆえに戦地で滅入り、道半ばで亡くなってしまう……そんな、どこにでもいるしどこにでもある若者の人生を、アレドンド氏は語っていきます。つとめて理路整然とわかりやすく、それでいて、どこにでもいてどこにでもある家族の痛みと愛情とをたずさえた視点から語っていきます。父子の思い出はよどみなく、とんとん拍子で訃報がとどいた日まで流れていきます。

  私は隊員たちに、その場を離れてくれと三〇分以上、懇願しました。夥しい数の家族に作用するPTSDが私を襲います。彼らはそれについてまったく何もしませんでした。私が、立ち去ってくれと懇願しながら狂ったようになっていく様子を、海兵隊員たちは三〇分以上も見ていました。私が行き着いたのはライトバンの中で、そこで私は海兵隊員のライトバンにガソリンで火をつけたのです。私は、体の二六%以上の部分に第二度と第三度の火傷を負いました。一週間後、私は息子をボストンで埋葬していました。フロリダ州ハリウッドのことでした。

 『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』p.217、カルロス・アレドンド氏の証言

 石橋を叩いて散った火花から一気に人間が燃え上がる。

 映画よりも劇的な、というかフィクションでそんな展開がでてきたら「嘘くさ」と素直に飲み込めないような現実が、『冬の兵士』ではちらほらと転がってきます。

 

 下に引用したべつの兵士のことばなんて、小説が1冊ぶんかけてたどり着くような、それだけの紙幅をついやしてようやく読者が受け止められる準備がととのうような情動です。

 私たちは絶えず、自分たちがそこにいることを正当化しようと苦心しており、次の標語を思いつきました。「あなたのお悩みを代行します」。海兵隊のきわどい笑いのセンスから言っても、これはかなり笑えます。(略)

 ポール・ブレマーがお気楽でいられるように、幕僚長らがお気楽でいられるように、議会が苦労しなくていいように、そして、イラクを破壊する政策を継続しつつ、その国民のことをいかに気にかけているか大統領が延々としゃべり続けられるように、私たちがお悩みを代行するというわけです。

 そして、アメリカ国民がお気楽でいられるように、これらのことを私たちの名において続けていけるように、世間の人びとがショッピングセンターや各自の日常生活にさっさと戻っていき、すべては世もこともなし、というふりができるように、私たちがお悩みを代行する。今現在の状況について、もっとも私の心をかき乱すことの一つがこれです。

 『冬の兵士―イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実』p.63、海兵隊予備役三等軍曹アダム・コケッシュ氏の証言

 繊細なひとのまじめな素朴な述懐なのかもしれないし、聴衆に向けた気取ったパフォーマンスなのかもしれない。なんにせよ劇的です。

 それぞれの人にそれまで数年数十年と積み上げてきた人生経験やらつちかってきた信条やらがあるわけで、それをもってすれば明解な筋道でも、それをたった5ページ程度にまとめあげようとすれば、どこかしら、ギャップというか、その経験信条を共有しない者にとって戸惑い途方に暮れるような獣道がでてくる。

 いやべつに、「読んでる自分がするっと納得できるまで言葉を尽くしてほしい。もっと紙幅をかけてほしい」という話ではないです。飲み込めなさこそが、ノンフィクションのひとつの面白味なのかなと思いました。

 

 一般化できないナマっぽい未加工の部分が、まじめに作ったとしても冗談にしか思えない真っ黒焦げの素人料理が、ゴロっと転がってきて、それをそのまま「そういうものもある」と受け手にとらえさせるような語り(? 形式?)について。

 改めて読むと、このへんにいちばん関心がむきました。

*1:『「よい」戦争』でタテ27字×ヨコ25行の上下2段組(1350字)で、1~10ページ証言が載る。最初の証言10つくらいを割り算し一人あたり5ページとして、6750字くらい。

*2:最初の証言10つくらいを割り算すると一人あたり7300字くらい

*3:最初の証言10つくらいを割り算すると一人あたり2000字くらい

*4:p.55

*5:p.66

*6:元記事はhttp://www.sldn.org/binary-data/SLDN_ARTICLES/pdf_file/3195.pdf ですが、リンク切れしてるような。

*7:p.57

*8:p.70

*9:p.253

*10:p.175、p.192、p.253

*11:p.238、p.251、p.279

*12:p.238

*13:p.252~3

*14:p.111、p.247、p.253

*15:「両親が学費を負担できないのは知っていたため、彼女は州軍に志願した。州兵になれば、大学奨学金がもらえるのだ。」株式会社KADOKAWA発行、ゲイル・スマク・レモン著『アシュリーの戦争』p.39