すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2020/01/21~01/27

 日記です。11000 14000字くらい。この木曜から、一日一作短編ないし一章長編を読んでいくぞと決めました。やっていくぞ。手をつけたのは『グローバルヘッド』冒頭3作、『ロシアの女性誌』、『ミグ―25ソ連脱出』5章まで。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0121(火)

 宿直明け日。 帰宅後ご飯食べたらすぐ寝てしまったと思う。

 

0122(水)

 なにをしていたんだったかなぁ。

 

0123(木)

 日中フリ休で宿直日。

 ■読みもの■

 唐突ながら一日一作短編ないし一章長編を読んでいくぞと決めました。

  スターリング『グローバルヘッド』読書メモ

 未読だったブルース・スターリング著『グローバルヘッド』を読み始めました。語りがいろいろ凝っていてコレは面白いですねぇ! お話はテクノロジーの発展が使用者の政治思想信仰をより顕著に浮き彫りにしてしまう展開! ぼくが勝手に持っていたスターリングへの偏見が溶けそうな短編集ですよコレ。

 なお大体が読み途中なので、読み終わったら全然ちがう感想になるかもしれません。読み終えるかどうかはもちろん大事ですが、積む一方の末期積読者にとってはたとえ読み切れなくても崩そうとする姿勢、手を伸ばそうとする態度、本を開こうとする一動作を取ることがそもそも一大事なのですよ……

 れらが神経チェルノブイリ(01/31読了)は、ノーベル賞受賞のシステム神経化学者ホットン博士による同名の書物(2056年刊)の書評という体裁で、二十世紀末から初頭にかけての"事故が当たり前の時代"から勃興したシステム神経化学をひもといていく……架空書評・架空史(技術史)なのでした。(『GH』収録順で第1作)

 まず架空書評にはいるまえの、ちょっとした劇中時代の概観からして――炉心溶融だけでなく、タンカーの原油流出や汚染避妊具による大量感染などヒューマンエラーのからんだ未曽有のハプニングを、すべてひっくるめて「チェルノブイリ」の一語で表すようになった冒頭からして――ガツンと読者をなぐってきます。

 小説が架空書評(劇中書物『われらが~』は章立てられた本らしく、スターリング『われらが~』では一章一章こまかに検討されていくこととなります。)に入ると、第一章からぶっとんでいてエイズのレトロウィルスがもつRNA転写機構を、遺伝的欠陥に悩むひとを治療するための組み換えDNAをはこぶための荷馬として活用する、医療用HIVによる遺伝子レベルから治療可能な時代が語られていくこととなります。小説発表当初の「HIV(とか癌とか……)のいかんともしがたさが、そのまま良薬として転じられたら?」というこの転倒が良いっすねぇ。

 書評という体裁ながら、登場ガジェットが成立するための理屈づけもきちんと記されていて、この辺もきゅんきゅんきます。 (科学的・文化的な両面から)

 技術的などうこうを納得させられたとしても、使用するには抵抗感が噴出しそうな危ういアレさは残るわけですが、そこをまず"抽象語化されたチェルノブイリ"で殴りつけたことで、「そうした危うい綱渡りをしでかしてしまうことが当時の価値観だった」と裏書きされている。う、うまい!

 書評という語り口を選択した理由が、けっして「細部を詳細に詰めなくてよい、語らなくてよいから」といった消極的な逃げではない。

 2章以降は個人的な趣味としての利用からの事故、そこからの拡大っぷりがすごい。(今作の初出は1988年、デイヴィッド・ハーンが自宅の納屋で融合炉をつくろうとした6年もまえのことです。すごいなぁ)

 われみ深くデジタルなる』は、1409年(西暦2113年)に時空の織物を貫通させること(=次元転移)に成功したイスラーム共和国連合のお歴々の演説集。「(プリントアウト開始)」という一文から書き出されています。邦訳書で8ページほどで、さくっと読めます。(『GH』収録順で第3作)

 当然のヒジュラ歴表記が最高。

{脱線。かつてぼくはハルトムート・ビトムスキーによる2001年公開ドキュメンタリー『B-52』を観たとき、米国側とベトナム側それぞれの観点から(発砲数や被害者数、戦闘などの固有名詞など)ベトナム戦争をふりかえるパートで、アメリカにおける「ハノイの11日間戦争」が、ベトナムからすれば「12日間戦争」なのだと云うところで、「時間でさえ一致しないとは」とびっくりしたんです。そういう視点って1986年にはスターリングがフィクションのなかで、こんなさっくりしたボリュームの掌編で惜しげもなく投入していたことだったんですね}

 ムハンマドらがヒジュラ=聖遷=転住したことを端に発するこの暦だからこそ、次元転移がおおきなイベントとして語られるということなのでしょう。そこも巧い。

 イスラーム共和国連合指導評議会やイスラーム諮問議会に並んでエキスパート・システム議会なる団体が連名になった最初の演説からしてわろてしまいますし、つづく、初の次元転移士であり、意識を得たサイバネティック信仰者信仰機械=もっとざっくり言えば意識を獲得した人工知能による演説もまた良い。まるで改行の合図みたく挟まれる「(嵐のような拍手)」が笑わしにかかってきます。

 テクノロジーが十分に発展してもその使用者のイデオロギーは変わらない、というか発展したからこそ共同体の空気がより顕著に極端なかたちになって表れる……そんな一編で、そういう意味でも興味深かったです。

 さて、次世代作家のリアル・フィクションあたりが思春期だったアラサーSFファンであれば、伊藤計劃氏がかつてblogで書いた……

 かつて、サイバーパンク華やかなりし頃、そこに「国家」なるものはえらく希薄だった。それが80年代の気分、というやつだったのだろう。ハイテクノロジーを生み出す能力を持った多国籍企業が階層の上部にあり、ネットワークが国家の境界を消失させている世界。それが80年代の描く未来、資本主義の行き着く先であるはずだった。

(略)

 サイバーパンクの描いた未来には、この種のナショナリティに基づく「生臭さ」はなかった。そうしたものは綺麗に脱臭されていた。そこには右翼も左翼もなかった。いうなれば、資本とテクノロジー、それだけが世界を決定していた。あたりまえだ、国家というものが希薄な世界観の中で、右翼だの左翼だの国家や民族を軸にした価値観はそもそも成立しようがない。

   伊藤計劃:第弐位相』「攻殻2nd」より

 ……といったサイバーパンクを振り返ったコメントは既読でしょうし、伊藤氏のスターリング愛から「スターリング読まなきゃな」と思う一方でおなじ伊藤氏の口から上の文章とか「スターリングは楽観的」とかってお話も出ているから、スターリングをちょっと舐めてしまっていた部分ってあるんですけど、改めて実作を読むと……『グローバルヘッド』収録作ってわりと生臭そうだ。(『ハーモニー』がオマージュした『ネットの中の島々』だってそうだったと言えばそう)

 宙への飛翔』ルーディ・ラッカー氏との共著)(読み途中)は、一人称による物語小説で、上述2編に比べるとふつうと思いきやそんなことは全くないヘンテコな語り。語り手はフルシチョフ政権下ソヴィエトのカリーニングラート宇宙センター冶金技師助手で、「わたしは子供のころから悪いことをする者たちをよく密告したが」と平然と言ってのける心性の持ち主なのでした。(『GH』収録順で第2作)

 語り手は、そうした性格が当局に重要視され、KGBへ毎週レポートを上げる下っ端も下っ端の密告屋(ストゥーカチ)として拾われた……という生い立ちで、この『宇宙への飛翔』というストーリーは、そんな語り手が提出した報告書により精神病院送りとなった宇宙センターの腕利き情報技術屋について、その出会いから振り返ることでスタートします。

 一体くだんの情報技術屋がなにをしでかしたのか? 興味を引く書き出しで楽しいです。

(で、読み進めていくとこの書き出しで引っ張ったこと自体は別にたいしたことではなくて、これまでもさまざま主人公がしてきた日常のひとコマでしかない――ただし劇中の密告社会にとっては、という但し書きはつきますが――……たんなる本題の導入の導入だというのも、良いですね)

 

 サイバーパンク2大巨匠について、細部の詰め・文章技芸のギブスン&ネタ出し設定固めアイデア転がしのスターリングみたいなイメージをぼくは勝手に抱いていたんですが、スターリング氏もその辺についてふつうに凝ってる人だったんだなぁ。

 

 

0124(金)

 宿直明け日。

 

 

0125(土)

 出勤日。

 ■読みもの■

  ジョン・バロン著『ミグ‐25ソ連脱出 ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか』●2まで読書メモ

 それは何ですか;ヴィクトル・ベレンコの半生の伝記と彼が1976年に起こしたミグ25を函館空港へ着陸させての亡命事件を扱った本です。ベレンコ本人の手記をもとにしたジョン・バロン氏の執筆で、ベレンコさんは「良い仕事をしてくれたと信じている」と評価しています。出版社がもうないため絶版。(ぼくが読むには? ⇒諭吉ちかい古本を買うか、or交通費往復2千円超・移動時間4時間余の図書館へ借りに行くか)

 なぜ読んだの?;くだんの人物がモデルになったフィクションを読んでいて、異同を確かめたくなったためです。

 読んでいる感想;この本自体が面白いですね。ソ連の文化風俗がたのしい。亡命事件の前後や軍隊生活だけでなくロシアの田舎生活も複数の地方について読むことができます{鉱山や集団農場など}。

 冷戦下の東の国について扱った劇映画では(たとえばベレンコ中尉亡命事件に着想を得たという原作のイーストウッド監督による映画化『ファイヤーフォックス』とかは)KGB(密告・監視社会)こわい」「プロパガンダこわい」みたいな部分ってよく描かれるわけですけど、『ミグ25ソ連脱出』で描かれたような、密告とは無関係に(そして医学生であるとか肉体労働者であるとか経歴階級関係なしに)「時期が時期だから」と動員される農耕模様なんて、映画で見た記憶がありません。興味ぶかかったです。

 医学生になって3日で農耕に駆り出され、数ヶ月単位で従事することとなるのは、かなり衝撃的です。

{たぶん歴史本とかであれば、こういうところこそ文量がさかれたりするのではないかと思う。

 じっさい世界史リブレット『歴史のなかのソ連』ではそういう農産関連のキャンペーンや動員について、よく聞く集団農場コルホーズ・国営農場ソフホーズが記されているのはもちろんのこと、当時のポスターが掲載されたり、ウィキペディアに項目が作られてもなければググってもほぼヒットしない事件について記されていたりする

 

 雪国ロシアらしい風俗・生活描写はもちろんのこと、WW2でもドイツが踏んだ田舎村に住む子どもたちが、裏山に落っこちてる銃弾をひろって火薬を取り出し(文字通り)火遊びするなかで、あやまって地雷をいじってしまって死傷者が出る……とか、味わいある戦後の遊びが描かれています。

 

 政権批判社会批判がビシバシ入っている本で、それ自体が一休さんを読んでるような検討ぢからがあって面白いです。

{3章の内容だったかも。

 たとえば「闇の力(※西側諸国のこと)はこれだけ堕落している!」という喧伝として、ウォーターゲート事件ベトナム戦争時の米兵による民間人虐殺事件などがソ連のお上からネガキャン紹介されると、ヴィクトル氏は「国のトップなど上の者の不正を下の者が暴いて、それがいけないことだと市民が紛糾できる社会なのか」と逆に感心したりする}

 当時のソ連国内市民がどこまで知り得ていたか否かとか、西側のひとが東側のことをどこまで知っていたか否かを精査できないぼくとしては、今著が(たとえば『少年H』が疑問視・批判されたような)後知恵孔明本だったり、あるいは名前貸しただけのCIAによる噓情報を含むネガキャン本だったりしても、わからないわけですが……わりと結構ベレンコ氏の記憶・印象がそのまま書いてあるのでは? と思って読んでいます。

 というのも、1957年~の(本著では1959年の)フルシチョフによるトウモロコシ増産政策/肉などの増産を報せる統計の報道を、ベレンコ氏は「寒い地でそんなん育つわけないじゃん」と地元の農家の声を聞き施行まえから疑問視していたこと/店に肉・乳製品などがぜんぜん並んでないことから乳製品・肉類の収穫増を伝える報道に否定的だったことを記しています。(『ミグ‐25ソ連脱出』p.46~47「2●ビクトルの探検」内)

 山川歴史リブレット『歴史のなかのソ連』p.43によると、食肉が一時的に増産したのは、書面上の偽記載というわけではなく、持続的な収穫を考えない一部地方官僚による場当たり的な失策があったそうなんです。

 生産増のための客観的な条件を欠くなかでフルシチョフが政治的圧力を強めたことが「リャザン事件」を生んだのであり、しかもフルシチョフはリャザン州の「成果」を大々的に称賛し、他の地域の政治指導者たちにも同様の手法をとらせる結果まねいた

 

 ▼「リャザン事件」  フルシチョフによる食肉増産の訴えに応じて、リャザン州党第一書記A・ラリオノフが一九五九年に食肉生産を三倍にふやすと宣言した。この年目標は達成されたが、この「成果」は、繁殖のことを考慮せずに家畜を屠殺し、近隣諸州も含め付属地から半強制的に食肉や家畜を買いあさることでえられたものであった。このためリャザン州の畜産は壊滅的な打撃を受け、次年度の生産は激減した。打撃は近隣諸州にもおよんだ。

   山川出版社刊、松戸清裕著『歴史のなかのソ連』p.43、③‐「アメリカ合衆国に追いつき、追いこす」内「フルシチョフのキャンペーン」より

 その辺は『ミグ-25ソ連脱出』では触れられてないので、「何でもかんでも取り上げて叩いたるぜ」という本では、少なくともない。

 

 当初の目的は?;達成できそう。目当ての作品を書いた作者さんが読んでるかどうかは知らないけど、並べてお話をすることが充分できるトピックの一致と違いがある。ただまぁ、読んだうえでこう脚色したとしたら、かなり自由な改変だなぁと思う。

 

0126(日)

 10時ごろまで寝て昼飯食べて19時近くまで寝て過ごしました。

 

 ■気になるゲーム■

   隣(ミエヴィル)の川は青く見える;幸せの青い川は日本にもあった(『龍が如く7』スクショを見た)

 昨年チャイナ・ミエヴィル氏のロンドンについての写真付きエッセイ『London's Overthrow』を読んださい、ショッピングカートやタイヤが礁をつくる、汚い緑の川をそのまま取り上げていて「すごい土地を見つけてくるなぁスゴいなぁ」と思ったわけですが、さて以下は今年発売の『龍が如く7』のスクリーンショットです。

 ……幸せの青い川はこんな近くにあったんだ。よそのことばっかり見てないで、国内のクリエイターの仕事も追わなきゃだめですね。すっげぇ。

 

 ■読みもの■

  ジョン・バロン著『ミグ‐25ソ連脱出 ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか』●3まで読書メモ

 3章のあらすじ;ソ連軍に入隊したベレンコは、ジェット戦闘機パイロット課程を卒業し、結婚、本隊員としてしばらく過ごした後ミグ-17の教官へ配属され、書類仕事の面倒に苦労したり、エリートパイロットとなってもやはり動員される農耕仕事に辟易する。

 教官となって数年を経たベレンコはミグ-25戦闘機乗りへの転属を願い出るが、将校から却下され、「配置換えをしてくれなければ隊内の不品行を暴露する」と脅して精神病院送りとなり、しばらくして良い担当医に当たった結果そこから救い出され、晴れてミグ-25の戦闘機乗りになる。

 しかしベレンコがミグー25パイロットとして配属された先は、極東の僻地で最悪の環境であり、結婚当初からじぶんと違って富裕層出身で金銭感覚にへだたりがあった妻との関係もまた決定的に悪化する。ベレンコが上申した職場の具体的な環境改善は基地の幹部から却下される一方で、不祥事をうけて国のお偉方の査察が予告されるや否や職場について見掛け倒しの改造が急ピッチで進むこととなり、その土木作業にベレンコ含めた基地所属隊員が数ヶ月ものあいだ動員されることとなった。

 我慢の限界を迎えたベレンコは森で一晩うろつき、ついに国外脱出・亡命を決意、計画を練り準備をする(。亡命当日の模様は、1章冒頭で描かれたのでこの章では触れられていない)

 

 3章の感想;この日記のうえのほうで読書中メモをのこしたSF創作『宇宙への飛翔』スターリング&ラッカー)で記された、ソ連で反体制とみなされて精神病院送りとなった人が、現実の当事者目線から描かれており、「おお!」となりました。

 僻地勤務となったがために、都市部ではめぐりあえない僻地の政治犯と会話する機会が出てきたりするのも、パースペクティブに広がり・奥行きをあたえてくれていて面白い。

 ドラマ的な文脈がでてきて、けっこう整理された物語にも思えてきました。

 ヴィクトルが好感をいだいていたとある人物について、着替えの最中かれの持ち物として聖書が見つかり、「当局へ報告するか?」「いや……」とやり取りする一幕がある。1章の祖母と同じように、好感ある人物がソ連と異なる神を信仰するひとだった……ということで、ヴィクトルが亡命へ傾いた遠因として描かれているように思う。

 兵隊生活としては、航空機の燃料についての記述が興味深かったです。兵器用のアルコールを酒にするシーンは(西側の)戦争映画だとそれなりに見る展開ですが、それが非交戦時の平時の母国からしてそうだ、というのは、なんだかソ連ならでは感が……。

 ベレンコは部下の機上整備士の一人がアル中で素行が悪いため、しばしばとがめられた。盗みはする、酒は飲む、ミグー17の冷却用とブレーキ装置用のアルコールを売り飛ばす……。

 実は隊の連中は司令官も将校も兵もベレンコ自身もみんな、このアルコールを始終飲んでいたのだ。タダでふんだんに手に入るだけでなく、航空機用のアルコールなので、市販のウォトカより純度が高かったからである。事実、航空機用のアルコールは闇市では引っ張りだこで、隊内でも白い黄金と呼ばれていた。

   ジョン・バロン著『ミグ‐25ソ連脱出 ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか』p.102、●3「最初の脱出」より

  一方、ベレンコが身の回りの雑事から“社会が良くならなかったり、欠点が報道されなかったりする理由”を悟る場面は、ソ連にかぎらぬ世界中のさまざまなコミュニティで「うんうん」と頷かれるものではないでしょうか。

 ベレンコはその月、候補生の除隊に必要な書類の作成におおわらわであった。山のような書類を捌きながら、ベレンコはついに、それまで自分のクラスから除隊させられるものが出なかった理由、初年兵をいじめても二年兵が処分されないわけ、あのアル中の整備士がクビにならなかった理由、無頼でどうしようもない者以外は候補生が除隊させられないわけを理解した。

 党は一定期間内に一定数の有能なパイロットを養成するよう命令していた。党はパイロット、将校、兵すべての者を“新しい共産主義的人間”に鍛えあげるよう命じていた。それがすなわち党の計画であった。したがって、部下を公然と処罰したり、候補生を除隊させる司令官は、みずからの無能をさらけ出し、計画をぶち壊したとして、党からけん責され、処罰される危険があるのだ。

    ジョン・バロン著『ミグ‐25ソ連脱出 ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか』p.103~4、●3「最初の脱出」より

 この読書メモ内で取り上げたほかにも『ミグ-25ソ連脱出』ではソ連のダメなところがさまざま描かれますけど、今著の面白いところは、これらが文化風俗紹介にとどまらず、ヴィクトルの起こすアクションの小道具となる――ヴィクトルが将校にじぶんの要望を通すための交渉材料として用いる――ことです。こんな物語的にしっかり面白い本だとは思いませんでした。うれしい誤算!

 この交渉材料の選択がまた興味ぶかいんですよ。

 娼婦を呼び寄せた将校のスキャンダル(を暴露するぞと脅すこと)が交渉材料となるのは誰もが納得することでしょうし、無能だけど(連帯責任的な要素が強く出るコミュニティのため素通りとなって)正規パイロットとして合格してしまったひとが起こしたアクシデントだって「まぁそうさなぁ」とうなづくものですが、この交渉の口火をきる一発目の爆弾はなんと、航空機用アルコールの隊内での常飲なのです。

(脱線;伊藤計劃著のSF小説『ハーモニー』でも、健康に重きを置く劇中未来社会に生きる主人公が自分の意向を通させるために上官を脅す材料として、おなじくコミュニティ内の飲酒不品行の暴露を取り上げていましたが、現実世界でそれがあったとは……)

 

  高柳聡子著『ロシアの女性誌』読書メモ

 それは何ですか;ロシアの女性誌における時代別の内容とその変遷を18世紀後半から現代まで追った本です。ソ連時代の内容に注力。版元の群像社さんによる紹介ページには目次も記載されています。

 読んでみた感想;めっちゃ面白いです。ソ連でのフェミニズム台頭が興味ぶかかった。

 1970年代後半~1980年代初頭に、サミズダード(自主出版)により地下で出回るかたちで、ソ連におけるフェミニズム女性誌がついに誕生したそうなんですね。『女性とロシア』誌、そして前掲誌の編集者が分派した『マリア』誌。『マリア』誌は名前のとおり、ロシア正教の色合いがつよいものだそうで、“欧米のフェミニズム理論は、特殊な状況にあるロシアたちには適用できないことが宣言される”p.68。ようは、女性が女性としての喜びを享受できるような社会を目指そう、女性の強みって愛だよ、といったもの。

 女に生まれるのではない、女になるのだ――これは我々の社会ではありえぬほどに難しい、なぜなら――男の社会ではなく女の社会だからだ。

 人類全体にゆきわたるひずみは、精神だけでなく生理的にも壊れた不妊の人造人間(ホムンクルスを創り出した。神経症患者にして永遠の胎児は、結局のところ充分に成熟することなく、性を獲得することができないのである。(一〇頁)

   群像社刊、高柳聡子著『ロシアの女性誌(ユーラシア文庫9)』p.68~69、「第3章 非合法のフェミニズム雑誌とソ連の現実」内「1 『女性とロシア』と『マリア』」より、『マリア』誌からの引用

  察するに、はやい段階から男女平等がうたわれたソ連において、女性の社会的自立/労働自体は、すでに達成されていると。むしろ欠けているのは、家庭に生きる喜び・母親が母親として成ることだ、と。そんな感じのお話みたいなんですね。

ホムンクルスという語彙がかっこいい)

 

 『マリア』誌の主張はこれだけ聞くとちょっとキワモノで、『女性とロシア』誌のひとびとと別れたのはその辺も一因のようですし(関係自体は良好)、地下をとおして国外のフランスなど西洋のフェミニストに読まれた結果として一笑に付されるなど、反発もあったそうなんですけど。

 でも、『ロシアの女性誌』を時系列順に読んでいくと、『マリア』誌の主張は、そうそう変な考えとも思えないんですよね。

 『マリア誌』が出る50年ほどまえにあたる1920年代のソ連の合法女性誌『労働婦人』紙面では、たしかに"女性の家庭内労働が「終身奴隷(カバラ)という語で繰り返し表現され"p.27一九一八年の全ロシア女性労働者大会では、「家族は社会にとって必要なものではなくなるだろう、コミュニズムの勝利によって、すべての家事と家族の世話は集団、労働者国家じたいが負うものとなるからである」"p.28と謳われたそうなのです

 そして『マリア』誌などが発刊された同時期のメジャー女性誌でも、“女性に不向きな職業、女性の健康を害し危険の伴う職種の紹介が始まってい”p.72ったそうなんです。

  先述の『労働婦人』誌の1979年5号では、「未来の母親と軽労働、健全な職場について」というテーマで(医師らにも意見をあおぎ)、軽労働とみなされてきた紡績工場の労働実態(女性労働者が臨月まで工場ではたらくこと)に疑問を投げかけられていたり、別の11号では毎日30キロの装備をつけて仕事する炭鉱測量師業などが取り上げられていたりするそう。

(『女性とロシア』『マリア』誌については、細かい主張とかが載ってる邦訳・紹介本があるらしい。書内で紹介されていた関連本も読みたい)

 

 ■見たもの■

  vtuber『【#でらんてぃす】樋口楓”MARBLE”制作裏ばなし!BIGゲストもいるよ!【にじさんじ】』観ました。

www.youtube.com

 いちから社の運営するvtuberグループにじさんじの樋口楓さん(愛称でろーん)の、バンダイナムコアーツ・ランティスからのメジャーデビューCD『MARBLE』制作裏話についてランティススタッフさんを交えてトークする配信第二弾を観ました。

 前回はでろーんの個人チャンネルで行われましたが、今回はにじさんじ公式チャンネルに場所を移しての配信です。BIGゲストがあまりに大御所でびっくりしてしまいました。(概要欄にもあるとおり影山ヒロノブさん!)

 影山さんはでろーんの楽曲にかかわるゲストで、でろーんはでろーんで影山さんの著作を読みかれの創作観をある程度知ったうえで臨んでいたみたいで、どちらのファンにとっても面白い配信になっていそうな気がします。

インタビュアーとしてすごい優秀だなと思ったのが、でろーんは影山さんの著書を読んでることを「本読みました! よかったです!」という社交として用いたのではなくて(※)、「本でこの分野について苦労をこう書かれてましたが今は出来てらっしゃいますよね、現在に至るまでにどんな努力をされましたか?」 という感じに本に書かれてないその先の空白部分に光を当てているところ

 (※いや、その域だったとしても普通にすごいことなんですけどね。多分それなりにタイトなスケジューリングのなかで、オフに本を一冊読んでくるって。

 日常の対人関係でもそうですし、たとえばこれは別の配信者さんですけど、月ノ委員長の凸待ち配信に現れた卯月コウさんみたいに、ライバーさん間で趣味に合った話でも、配信までに消化できるか・トークに出せるほどまで自分の中で血肉にできるかって、なかなか難しいわけですよ)

 寡聞で恥ずかしながら、ぼくが影山さんについて存じ上げているのは、アニメのOPでの歌声だけでした。今回の配信で影山さんがロックについてその成り立ちからふまえたうえで語るのを聞いて、

「歌声だけじゃなくって本人自体が熱く、芯の太い人なんだな」

 と感銘を受け、本とかも読んでもっと深く知りたくなりました。

 でろーんの質問によってどのように作曲するのか少し語ってくれたりとか、音楽家としての影山さんのお話も聞けましたね。

 ハッシュタグから募集したツイートのなかから取り上げた質問もよかった。

「影山さんの年齢(※現在58歳)まで喉を維持する秘訣とは?」

 「間違いだけどそれでも良い」と影山さん自身も仰ってる通り、これはある種の生存バイアスかもしれませんが、一つのロッカーのありかたとして凄味がありますね。

(なんでも考察しちゃうでろーんファンの端くれとしては、長く音楽で歌で頑張っていこうと考えてくれているのかなと、彼女の心根みたいなものもうかがえてそこも嬉しい)

 

 この配信自体は『MARBLE』販促のための突発企画なのかな? と思いますけど、願わくは、レギュラー企画になってほしい。

 前回のプロデュース業ディレクター業について語られた配信も、とっても面白かったんですよね。

{レコーディングで歌手へどういったことを指示するのか? CDなどを売り出すためにどんなことをしているのか? ライブについては? vtuberという存在でどんなプロモーションができるか? ……とか。(これはP業D業の仕事ではないけれど、「カラオケ導入ってどういう流れなの?」とかもなるほどそうなんだ~と興味深かったです)}

 ここまでの2回のような感じで、相手を重んじるまじめなアーティスト・樋口楓が、ほかの先輩歌手・演奏のかた・作曲家さん・編曲さん果てはプロデューサーディレクター裏方スタッフを招いて、音楽観やら仕事観やらを聞きだすようなトーク番組として続いてくれたら、すっごくうれしいですね。

 

 

  vtuber月ノ美兎アーティスト生活向上委員会』無料視聴分まで観ました

 いちから社の運営するvtuberグループにじさんじ月ノ美兎委員長の、ソニー・さくらレーベルからのメジャーデビューを記念したオフイベントです。恵比寿で行われ、ネットでの中継配信もされていました(一部有料)。

 前述のとおり寝どおしだったからウェブマネーを補充できていないけど、我慢ならず無料視聴分だけ観てしまいました。

 無料視聴ぶんでは一曲歌唱披露と、月ノ美兎カルトクイズが行われました。

 「こう来たか!」という企画ですね。

 「月ノ美兎史上いちばんバズったツイートは?」「すべったツイートは?」と、複数のツイートを提示して会場の観客に多数決をとるというもの。これまでの活動の振り返り要素もちょっとありますね。

 委員長は、昨年末には2019年を振り返るような配信を行なっていて、それ以前にも初配信を同時視聴して振り返る配信などなど、さらには「10分でわかる 月ノ美兎」シリーズなど配信の名場面自選切り抜き動画も上げていて……と、さまざま総括的配信をおこなってきたかたですが、それらとかぶっていない上に面白いという、うまいアイデアだなぁと思いました。

 カルトクイズのなかには、会場の人から一文字ずついただいたメッセージを委員長の同期(樋口楓氏、静凛氏)JK組のグループチャットに送って、2人からのリプライが何か当てるいうものもあり、クイズを出す委員長⇔答えるリスナーという関係性を超えて、クイズを委員長とリスナーが一緒に作って、答えがなにか委員長も一緒に考えるという、一風変わった関係が構築されていました。

(懐かしの安価スレみたいな感じですけど、スレ立てしただけでおなじ「名無しさん」がするのと、ガッツリ顔を持った配信者がそうするのとでは、だいぶ印象がちがう)

 年始の新衣装お披露目配信もそうだったように、委員長のイベントは、リスナーも一緒になって時空間を作っていく双方向性・創発性がつよいなぁと思いました。

 

0127(月)

 宿直日。

 

 ■読みもの■

  ジョン・バロン著『ミグ‐25ソ連脱出 ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか』●4~5読書メモ

 4章のあらすじ;チュグエフカの基地からミグ-25を飛ばしたヴィクトルが黒雲をぬけると滑走路が見えてきた――千歳基地ではなく函館空港だ。ミグ-25が着陸するには滑走路が1/3足りない。おまけに再度のターンはできないほど燃料は底をついている。ヴィクトルは旅客機を躱し、なんとか強行着陸する。ヴィクトルは獄舎で歓待を受ける。ビールを頼むも「ソ連から麻薬を盛られているとの誹りを受けているので、注げません」と却下される。裁判を受け即日不問となり、裁判中に渡されたソ連では禁書の書物――ソルジェニーツィンやロバート・コンクェスト『大粛清』――を読み明かし、感銘を受ける。ソ連大使館一等書記官との悶着を終え、アメリカに引き渡され、ボーイング747に乗って感銘を受ける。

 4章の感想;サクッと難のない章で、追跡を撒く護送模様なども楽しいし、カルチャーギャップも面白い。

 このご馳走を特別誂えと思ったベレンコは誰がこしらえたのかきいてみた。基地のむかいにあるごく普通のレストランから取り寄せたものという返事だった。

   ジョン・バロン著『ミグ‐25ソ連脱出 ベレンコは、なぜ祖国を見捨てたか』p.144、●4「日本の獄舎で」より

  5章のあらすじ;ティーブン・スタイナーが9月5日11時過ぎにブルー・ジーンズにスポーツ・シャツ、スニーカーという軽装で国務省に入り、自宅から持参したヨーグルトとダイエットコーラを冷蔵庫に入れ夜勤に臨む。日をまたいだ0時47分にキッシンジャーの側近から要請を受けたアフリカに関する情報を打電した旨を記帳したその数十分後、アメリ国務省監視センターにNOIWON(全国作戦・情報監視官網)の警戒警報が響き渡る。「こちら国防情報局(DIA)。NOIWONは警戒態勢に入れ。米第五空軍からの第一報によるとソ連ー25型戦闘機が日本北部の函館に着陸した模様……」

 5章の感想;4章のヴィクトル亡命について、アメリ国務省監視センターの模様はどうだったか、日本とソ連のやり取りはどうだったか。難物なポリティカルサスペンスが記述された章でめっちゃ面白かったです。

 せっかくのミグ-25だ、喉から手が出るほど欲しくてたまらないがハト派から待ったがかかる。「米ソ 緊張緩和(デタント)下の時勢で、機体接収とかのあからさまな行動はマズい」。日本だってミグー25を変にいじらせてソ連を刺激したくない。日米そしてソ連にとって角の立たない塩梅は? それを満たすために日本はどんなことをすればよいか? バッチバチの諜報合戦外交戦広報戦が描かれていくんですよ!

 3国のヴィクトル・ベレンコの行動についての(対外的な)とらえ方の相違とかアツいですね。

 亡命を即日認めるアメリカ、ヴィクトルの強行着陸を不時着だ・ヴィクトルの保護を誘拐監禁だとして断固批判する/民間人を装いあの手この手でミグやヴィクトルに接触を試みるソ連……と、ここまではまあ想像どおり。予想外の活躍をしていたのが日本で、日本がヴィクトルの亡命を「領空侵犯であり、乗り手は銃を所持し空港内で発砲さえした犯罪者だ、よって領空侵犯を示す動かぬ証拠品(ミグ-25)や被疑者は事態究明までこちらで確保させていただく」と別軸を理由につっぱねる。おおー!(いやぼくは実際のやり取りは知らないんですけどね)

 そうしたマクロな部分はもちろん、細部についてもこういう視点の違い・意味の変換が行われていて、たとえば4章でさらっと描かれた情景{ヴィクトルが顔を映されたくないために(ワンチャン海にフライトジャケットなどを浮かべて、「パラシュート脱出するも死亡した」なんて偽装できないかと狙っていた。)自分で頭にジャケットをかぶって歩いたp.139さま}を映したスクープ報道写真。この報道写真は、ソ連によって「頭巾をかぶらされて連行されている!」と日本の非道を伝えるプロパガンダの素材となったり。

 ガッツガツ書き換えられていく情報戦にきゅんきゅんします。 

 ベレンコ中尉亡命事件に着想を得たりなんだりする作品は『ファイヤー・フォックス』を初めとしてアレコレあるわけですけど、そのまま物語にしたほうが面白くない? とさえ思ってしまいました。

 

 国務省監視センターの模様もいいですよね。伊藤計劃氏がおどろき称えたトニー・スコット監督『スパイ・ゲーム』のCIA本部的な――それ以上にゆるい?――、ふつうの「お役所オフィス」感。夜勤職員の前日就寝時間についてや、持ち込み私物夜食についてから始まるお仕事風景!