すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

『江戸の凸凹―高低差を歩く』展感想

 原宿は太田美術館の『江戸の凸凹―高低差を歩く』展に行ってきました。
 会期は6月26日まで。図録ありませんが、この展を特集した『東京人』誌19年7月号が置かれていて、いくつかの絵はすべてカラーで識者の解説・コメントつきで収録されていました。

 以下感想。4千字くらい。

 

※『江戸の凸凹』展のネタバレした感想がつづきます。ご注意ください※

 

 

約言

 面白かったです。

 内容;江戸の傾斜や窪地について描かれた浮世絵の企画展。

 記述;絵はダイナミックな構図の絵と風俗描写とが拝めました。展示は絵とその被写体となった場所をポイントした地図とが併記された構成。館員さんによる説明の付されたキャプションが一枚一枚あって、絵によっては現在の同地の写真なども並べてありました。

 ここ好き;歌川広重『名所江戸百景 水道橋 駿河台』=対比すごい。

 歌川広景『江戸名所道外尽 廿八 妻恋こみ坂の景』=風俗描写盛り沢山だし構図も面白い。

 歌川広重『名所江戸百景上野清水堂不忍ノ池』=土地のおかしみ取材。

 昇亭北寿『東都御茶之水風景』=シンプルなデフォルメかっこいい。

 

 感想

 面白かったです。

 紹介ページの浮世絵の大胆な構図に惹かれたわけですが、そちらの欲も満たされたし、風俗描写が興味深い作品もアレコレあるうえ、館の学芸員さんの文や写真による説明が付されたキャプションによって知識欲も満たされました。東京人誌『浮世絵で歩く東京の凸凹』号の鼎談や特集記事とはことなる内容です。

 

展示された絵について

 構図の面白さ

 いわゆる浮世絵で思い浮かべる奇抜な構図や、対角線で町と空とが区切られたデザインされた造形が面白かったですね。

 他方で、浮世絵師たちが西洋絵画から技法を取り入れた混交的な試みがあれこれ拝めました。透視図法を試みた作品があったり、人や塀の影が落ちて明暗のつけられた作品や、階調こまかな塗りで空気遠近をつけたものなどがあったりして、おなじ「浮世絵」で言い表せない、豊かなバリエーションがあります。

 その土地その時期ならではの光景・風俗が描かれていて、知識欲も満たされます。

  広重『名所江戸百景 水道橋 駿河台』のサイズ対比

 歌川広重『名所江戸百景 水道橋 駿河台』は大胆な構図の顕著な例でした。画面の縦にも横にもいっぱいにひろがる「く」の字の鯉のぼりと、その隙間にひろがるこまごまとした風景との圧倒的なサイズの対比。同色の鯉のぼりが小さくえがかれ遠近感を強調し、こまごまとした街並みにも旗が立って遠近の物差しとなる。

 鯉のぼりと竿のつくるフレーム・イン・フレームもおもしろく、「く」と縦線がつくる三角の画面内画面のなかに、富士山がたたずむ視線誘導がなされています。富士山の色を、地平線ぎわで白んだ空と同系統の薄灰色にした選択は、もちろん空気遠近的にもよいですし、線だけ見るとごちゃごちゃしているフレーム・イン・フレームのなかをすっきり軽くしてもいます。

 

  広重『名所江戸百景鉄炮洲稲荷橋湊神社』

 これまた歌川広重氏の『名所江戸百景鉄炮洲稲荷橋湊神社』も面白いですよね。

 画面を縦断する帆柱2本と、その頂点から張られた縄による斜線が4本走る構図。画面の下から2/5くらいに地平線を引いて、そのうえで広く取られた空には帆柱や交錯する縄の黄色い線だけがほぼあるような具合。

 川が青いだけでなく町も青黒い影に覆われているから、黄色の線(完璧な補色ではないけど、それにちかしい系統の色)がよく目立っていました。

 

 デザインの面白さ

  昇亭北寿氏『東都御茶之水風景』は、岩肌がすっきりシンプルにまとめられていて面白かったです。これは下で触れていく面白味とも重なりますが、東京人誌『浮世絵で歩く東京の凸凹』号p.38~で今作について鼎談が載せられていて、この深い渓谷は「本郷台地からの侵攻を防ぐために掘られた江戸幕府の戦略的な濠である」ことが皆川典久氏によって説明されています。すべてがこのような簡素な描線で仕上がっているわけではありませんから(谷のうえの木々はディテールもしっかりしていますし、西洋絵画の技法にならったのか塀や雑踏の一人ひとりに細かく影付けもなされています)、もしかすると地肌の人工ぶりを表すためのデフォルメなのかもしれません。

 崖の赤さは関東ローム層の赤土で、渓谷をつなぐ黄色い建造物も渡邉晃氏によれば水道橋の語源となった水掛け(水道)なのだそう。

 

 和洋混交された試みの面白さ

 二代歌川広重氏『名所江戸百景 赤坂桐畑雨中夕けい』がすてきでした。雨で視界のかすむ空気遠近が、ぼかし摺り(グラデーション)を多用した凝った塗りで再現されています。前景~中景で草原の緑から白へのグラデーションがあり、そのうえの後景(山道と木陰が一体となったもの)で雨の青い空気から灰色へグラデーションがあり、そのさらに上の遠景(奥の山の木々。葉は後景ほどはっきりしてない)には、後景より薄い灰色のグラデーションがあります。山道を歩く人影も透かしてある。

 版画という媒体ゆえ色がベタ塗りでぱっきりと分かれがちだし、作風からか影もあまりつけない浮世絵のなかで、これは目をひきましたね。

 

 風俗描写の面白さ

 山の便所(壁に落書きがある)で鼻をつまむ従者とか、野犬同士の格闘とか、傾斜を転がる臼の落とし物に人が当たるとか、風俗描写がよかったですね。

 みなさんは、愛宕山を登っていくクソでかいしゃもじを握りしめて兜かぶったジジイがいたことをご存知でしたか?

 

 もっとも、ぼくが楽しめたのは、たんに素人だから紋切り型とそうでないものとの区別がつかなかっただけなのかもしれません。たとえば便所のにおいに鼻をつまむ姿は、同展について特集企画の組まれた東京人誌『浮世絵で歩く東京の凸凹』号p.26によると、『北斎漫画』にならったものだそうで。{ググって画像を比べてみると、たしかにそのまま。畳んだ傘(? 楽器?)に草履の鼻緒をとおすといった細部まで『北斎漫画』から便所内外の落書きやお触書も忠実です。 ただし、へのへのもへじや男性器の落書きは今作オリジナルのつけたしみたいですね}

 

 知識欲方面以外にも面白い絵があれこれとあって、それもよかったですね。ドラマ・活劇のにおいがかなりあって、一目にいきいきと楽しい。

 野犬同士が格闘する絵にしてもそこにとどまらず、野犬の喧嘩に人間のミカン売りが巻き込まれ路上にぶちまける、ぶちまけたミカンを群集が拾う……と一枚のなかでさまざまな動きへと派生・連鎖しています。

 そもそも物の転がる絵がちらほらあるのも、活劇作家の思考のようなかんじがします。坂を人が昇り降りするためのものでなく、物が転がりうる舞台装置としてとらえる思考。

 

  浮世絵のジャーナリズム①;『名所江戸百景 品川御殿やま』

 歌川広重氏による『名所江戸百景 品川御殿やま』は、(リンク先の国立国会図書館のそれとちがい太田美術館の版だと)赤味がかった黄土の崖が印象的な一枚なんですが、この土地この時代ならではの描写なのでした。これは東京人誌『浮世絵で歩く東京の凸凹』号p.42~で皆川典久氏が語るところによれば、ペリー来航にともなう台場建設のため、絵に描かれた地を「土取場」と設定、建材とした。それによって生まれたのが絵の中央に描かれた地面と鉛直な崖なのだそう。いまでは線路敷設のために平らかになってしまって、もう見ることはできないんだとか。

 

 

展示について(絵と現在の写真との妙)

 絵が描かれた場所の、現在の写真が並べられてるのはかなり幸せでした。土地勘のないやからにとってこれは理解の一助にも百助にもなりました。

 浮世絵のジャーナリズム②;『名所江戸百景上野清水堂不忍ノ池』

 絵と写真とで(モノの描き方はもちろん浮世絵なんですが、それを除くと、建物や自然物の位置関係、サイズ感など)そこまで違いがないところもあったりして、描き手のリアリズムに驚かされました。

 とくにためになったのは「こんな筆が走ることってある?」とナメて見た歌川広重『名所江戸百景上野清水堂不忍ノ池』の幹が円を描く松、これが現在の写真にも収められていたことで。それをとっかかりにして、じつは当時からの名物だったと知ることができました。(素朴に「はぇ~」てなりました)

 

 いつかどこかを映す窓としての絵

 そのほか絵と写真との比較で面白かったのは、両者がかならずしも同じ時期に撮られていないことで、絵が桜の時期で写真が木々が緑の時期だったりしたセットを見て、ふと「現地に行けないひとや現地に行きはしたが特定時期には行けなかったひとも、こうして浮世絵をながめて名所や風光明媚を楽しんだんだろうか」などと思いをはせたりしました。

 浮世絵は今では高価な美術品ですが、当時はかなり安価だったと云います。うちわの図柄なのかな? と思えるような、丸っこい扇型の枠に描かれた絵もありましたね。

 『江戸の凸凹』展では、空に花火や虹など一瞬またたいて消えるものも取り上げられていましたーーその当時に描き手が予想していたか否かはともかくとして、結果的にそうなってしまった大きなものまで。1770年代に隅田川を埋め立てつくった繁華街"中洲"を描いた絵や、同地が寛政の改革によりただの浅瀬へと戻って以後の幕末のもようを描いた絵なども同展では紹介されています。

 ここではないどこかのいつかを切り取り保存するメディアの強みを感じた鑑賞でしたし、そこへさまざまな情報を紐づけて見るものに美醜や快不快だけでないさまざまな評価軸を見出させ興味を向けさせる展示という形式の強みを感じた鑑賞でもありました。

 

 

(余談)太田美術館について

 はじめて行ったんですけど、「和モノ専門!」という雰囲気に満ち満ちていて、すごかったですね。実用的な利点から選択されたことも多いと思われ、素朴に絵に集中できるのもありがたい。

 館内に靴をぬいで上がる畳の展示スペースはあるわ、石灯篭のある石畳の空間が(中庭とかではなく)室内床の地続きであるわ、物販は手ぬぐいだわ……とにかく「和!」て感じでした。展示スペースはけして広くないんですが、よくよく考えれば浮世絵のサイズからするとかなりの数が展示できる充分な広さですし、浮世絵と向き合いやすい態勢づくりとして導線が制御しているようにも思えます。(前後へ数列になって後ろから覗くようなこと、さすがに浮世絵でやったら何も見えませんからね……)

 館内をまわっている間はそうした実用面での利点には思い至りませんでしたが、直感的に好感がもてました。

「これは狭いんじゃない……ワビサビの世界なんだ……」

 せまい空間も和の物のなかにあればそうした文脈に回収され、相補的に雰囲気をよくしていました。

 

 室内の照明は落とし気味で、ぎゃくに展示ケースのなかの照明は明るくなっていて、絵に集中できてよかったです!

 そういう照明配置なので、有名どころの美術館でさえたまにある(額入れの)ガラスに周囲の反射像があらわれてしまって、肝心の絵が見えない……みたいなことがなかった。(で、このほの暗さもなんだか、おごそか~な気分にさせてくれましたね)