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だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

社会の構成要素としてのポケモン;『名探偵ピカチュウ』感想

 『名探偵ピカチュウ』観に行ってきました。

 以下感想。(13日8000字くらい。これ以上の加筆はないと思います。*1

※ロブ・レターマン監督『名探偵ピカチュウ』のネタバレしています。ご注意ください※

 

 

ざっくり感想

 はじめ2D字幕版を、翌日さらに3D吹替版(4DX)をおかわりしました。

 文字数に限りある字幕版でもセリフのディテールが大事にされていて、どちらを見ても同じようにメインストーリーを楽しめるし、小ネタにくすりとできると思います。

 二度も観に行ったとおり、かなり満足いたしました。

 映画を観ているあいだ、ポケモンが現実にいる世界について、頭とお金が使われた映像にうっとりしどおしでした。

 「そんなネタあったあった」「なるほど、あの設定を現実的な解像度にしたらたしかにそうなる……」と頷き楽しみ懐かしみハッとさせられたりしながら観ました。(ただし、ぼくが『ポケットモンスター』をプレイしていたのは、『コロコロコミック』から通販した『ポケットモンスター青』からニンテンドーアドバンスの『ルビー・サファイア』までだから、詳しい人からしたらまた違う評価もあるでしょう)

 映画のなかではじめてきちんと拝めるポケモンバトルにゲンガーが出てきて、カメラが戦うポケモン二頭を回り込むような構図でおさめたとき、『青』をはじめて起動したときの興奮が蘇りましたし、『ポケットピカチュウ』要素さえあってにやにやしました。

 ないなあと思ったのは自転車要素くらいでしょうか。

 

 ストーリー自体は、『ロジャー・ラビット』や『ズートピア』といったノワール映画探偵映画をリスペクトした先行作から、伏線回収など緻密な構成*2を抜いて、さらに幾人かのキャラをあんまり活躍させ切れてないようにした感じです。

 探偵仕事についても主人公コンビがじぶんで解くというよりも、カモが真相をくわえて向こうからやってきてくれて次に行くべきことも教えてくれるみたいな展開がつづいて、お仕着せのシナリオをなぞらされている感が若干あります。

{いやこれは、登場人物の動きやストーリー的必然として仕方ない部分がかなりあり、二週目はふむふむと思いながら拝めたわけですが、事情をしらない1週目の段階では、お使いっぽいなと思いました。

(たとえば映画の中盤あたり。ネタバレが強いので注釈に隠します。*3)}

 ……つまり出来がめっちゃ良いわけではない……。

 おなじロブ・レターマン監督による『モンスターVSエイリアン』の個性豊かなキャラがみんなで協力して、サンフランシスコを救ったり世界を救う姿。あれを期待して観に行くと、「ちょっと違うな」と思うかもしれません。ぼくは思った。

 

 とはいえ、展開自体はまとまっていて文脈が整えられているし、各シーンにアイデアをあれこれ盛り込んでるし、悪くないと思います。
{今作は各幕のピークに”落下する”シチュエーションが用意してあって、主人公がどう反応するかの変化を描いています。

 映画の前半で暴走したポケモンから逃れるため円筒形のダストシュートから降りることを尻込みして、ピカチュウに煽られていた主人公の今後の活躍に期待してください。(また、ダストシュートを滑り降りるさまは黄色いビニル素材でしたが、終盤でもとあるキャラが黄色いビニル素材の代物を滑り台みたいにする場面があります。でも序盤では逃げるためでしたが終盤のほうはそうじゃなくて……という、シチュエーションの対比もよかったですね)}

 

 お話の根幹はそんなかんじなんだけど、色々と考えられてると思う。どこに頭を使ったのか?

 画面の面白さ、キャラの動きの面白さです。

 

手振り身振り、動きのある会話劇

 『名探偵ピカチュウ』という名のとおり、今作も”亡き父の真相を追う”過程で、聞き込み・現場検証・推理といった探偵仕事がそれなりにこなされます。当然、会話劇も多い。
 でもぜんぜん地味でもなければ退屈もしませんでした。
 会話劇が見ていて面白い、動きのある映像になっているためです。

 まず「おっ?」と思ったのは、映画の序盤、探偵の父が亡くなったと云う連絡をうけてライムシティ警察署にやってきた主人公と、父が懇意にしていた刑事との会話劇です。

 デスクを挟んで向かい合って喋る主人公と刑事を、カメラはそれぞれ切り返して映していくのですが、喋る刑事の正面からのぞむショットでは、演者の渡辺謙さんが悲しみと親しみをにじませた名演をする姿を画面中央に写すと同時に画面右端にかれのパートナーであるブルドッグ然としたようせいポケモン・ブルーをとらえていて、主人公を威嚇し睨み続けます(意図せず"良い警官・悪い警官"スタイルの取り調べをやっているようなビジュアル)。

 会話劇のおわり、部屋を出るべく帰ろうとする主人公に、同じく刑事が立って近づき「お父さんは君を置いてつらくきびいしい探偵仕事をしていたけど、お父さんは君を大事に想っていただろう」といった旨の言を刑事が主人公に話す……そんなかんじの場面では、カメラは刑事にくわえて壁際にかけられた刑事の家族の写真をおさめます。

 大予算映画でも(ゆえに? どのブロックバスターも、顔が売れ演技自慢の大スターが出ないことないので……)ありがちな、棒立ちの人の顔だけを写すようなアップショットによる構図=逆構図の切り返し(=ようするに、画面右に喋ってる人Aの顔・左に聞いてる人Bの後頭部を映した構図を撮って、Bが喋るときは画面左にBの顔・右にAの後頭部を映すだけ)を連続するだけのショット構成ではないんですね。

 

 『名探偵ピカチュウ』の会話劇は、キャラを引きぎみに捉えたミドルショットを主体として、身振り手振りや位置変えなどあれやこれやと動くさまをきちんと捉えていきます。

 イキリオタクな感想ですが、久々に「映画を観たなあ」という気分になった*4

 「映像として面白い」というのは、「見ていて楽しい」というだけでなく、噛めば噛むほど味が出てくるという意味もあります。
 キャラを動かすこと・そう振り付けることにきちんと意味を設定している(。場面の演出材的な意味でも、キャラ性格的な意味でも、両面から)。
 たとえば映画序盤の、事件の真相も不明(というか、どういう事件だかさえもよくわからない)で主人公とピカチュウだって出会ったばかりのため仲が良くない頃のとある会話について。
 プリンの歌が飲んだくれを机につっぷさせる夜のダイナーで、探偵ピカチュウは探偵らしくその場でくるくる歩きながら思索しつつ会話をします。
 名探偵とはいえピカチュウです、あのカミナリ型の尻尾が往来するたびに大きく振り回されることとなります。ピカチュウと目線を合わせる位置にいる主人公は、意図せずあの黄色い尻尾にビンタされることとなり、顔をしかめまくりながら会話する……混乱と異音(倚音)の多いシーンにしています。

 そうした騒がしい異音/奇妙な倚音が、終盤の探偵シーンや二人の会話シーンになると――言わずもがなですが――解消されたり、しーんと静かになったりすることで、真面目さシリアスさを高めに高めたりするのです。

 

ポケモンが私たちと暮らしている」『名探偵ピカチュウ』の描写

 現実に存在しない架空の存在(今作ならポケモン)をどう実写の世界(役者や舞台小物) にほんとうにあるものとして受け手へ信じ込ませるか?

 ロブ・レターマン氏はかつて(共同)脚本・監督した『モンスターVSエイリアン』で、低予算映画のモンスターと人間社会を見事にからめてみせました。

 『名探偵ピカチュウ』でも彼の想像力は存分に発揮されていて、今作では「ポケモンが現実にいたら、どのようなかたちで実社会の構成要素となるか」という部分に想像力をふくらませ、具現化するところに重きがおかれています。

(脱線)監督の過去作『モンスターVSエイリアン』の想像力

 『モンスターvsエイリアン』では、『ブリット』(’68年公開)をはじめ数々の映画でカーチェイスの舞台としてサンフランシスコの坂道を、『MvsA』では妖怪巨大女が乗用車をローラースケート代わりにして滑り降りたり、秘境から捕獲された半魚人が下水道を縦横無尽に進んだり、実験で虫と合体してしまったマッドサイエンティストが市電を改造して爆走させたりします。アメリカ映画でおなじみの民家を囲う白い柵は、巨人が蹴躓く引っかかりとなり、夜の民家のホームパーティに闖入した人食いアメーバがゼリーを口説き、屋外プールを半魚人にとびつきます。

 

社会の構成要素としてのポケモンの姿

 『名探偵ピカチュウ』のなかのポケモンヒトカゲが屋台の焼き料理屋のバーナー代わりになってたり、ゼニガメが消防士として活躍してたりするのです!

 ……ひとつひとつの例はなんてことないネタです。なんですけど、画作りがブ厚かったり(たとえばアバンタイトルで謎のポケモンがあやしく飛ぶ夜から、ピジョットの群れが飛ぶ朝へとつながれたタイトル後の本編の風景ショットにぼくは思わずため息が漏れました。まるで印象派絵画のような、農家と家畜とが朝日の明暗で彩られたまさしく「牧歌的風景」。そこへ溶け込んだずつきうしポケモンバッフロンのあまりの自然さに)、投入されるネタがかなり沢山あって(たとえば予告でも出てきた裏社会のポケモンコロシアム、本編ではその場にはドゴームが何体も配されていて、DJのイケイケな音響として活躍してたりする)、裏を覗かせる多段活用もあり、観ている側が想像をふくらませるようなネタ構成です。

 上で述べたゼニガメが消防士する姿は、劇中メイン舞台"ポケモンと人の融和社会"ライムシティの広報的な映像としてTVに映されるんですけど、じっさい主人公が目にするゼニガメと人間社会との絡みは、TV局のセット裏でモップ清掃する清掃員と一緒になってバケツ代わりに働くというもの*5。一種類のポケモンをつかって、脚光を浴びる表舞台と、黙々と仕事をする舞台裏とが表されている。

社会の歯車ではないポケモンの姿

 ここまでだと「社会の歯車としてのポケモン」と言ったほうが正確ですが、それにとどまりません。うまいのがカビゴンの存在ですよ!

 劇中メイン舞台を点描した風景的なショットで、カビゴンが大都市の大交差点のど真ん中で寝ていてその周囲をカイリキーが交通整理して車を迂回させたりするカットがありました。
 こういう、(ポケモンをいまの社会にある何かの代替物として当てはめるのでなく)社会をポケモンに寄せるアプローチもあって、なかなか世界が豊かでした。

 ヒロインのパートナーのコダックもそういった存在です。

 この感想の最初のほうで「自転車がない」と言いました。なんとヒロインは自家用の自動車を走らせる立派な社会人(TV局のインターン記者)です。ゲームではあまり出番がない車ですが(ないよね?)、『名探偵ピカチュウ』の車は「『ポケモン』世界で車を出すなら、こうだ!」という力強い説得力がありました。どんな書き込みがあったんでしょう?

 コダックは「ねんりき」といった技を覚えるポケモンで、ゲーム内の図鑑だとかれは「頭痛に悩まされていて、痛みがひどくなると不思議な力をはなつ」といったような生態が説明されています。そうした設定をかんがみた結果、ヒロインの運転する自動車内では、穏やかな曲調の音楽が流れるんです。コダックの心の平穏を保つための彼女の気遣いであることが劇中でも説明されています)

 これまた感想の最初のほうでぼくは今作について「キャラを活躍させ切れてない」と言いましたが、これは「クライマックスで複雑なチームワークが発揮されたりしない」というだけで、キャラの退場のしかたは「このキャラならではだな……」と納得がいくものでした。

 ヒロインは終盤、大都会のど真ん中のセレモニーのさなか行なわれんとする陰謀をあばこうとして動くものの、失敗してしまうんですが、これがぼくには無駄骨につぐ無駄骨だと感じてしまう。

 ポケモンとそのパートナーに襲いかかる陰謀が明らかとなったとき、観ているこちらが「ははあ~前段でコダックに自動車のなかで待ってるよう指示したこと(=ヒロインと相棒コダックだけは別々の場にいること)が活きてくるのね!?」と思っていると、コダックはなぜか外に出ていて、観ているこちらとしては「う~ん、前段のねんりきみたいなことをするのか?」と思っていると、さらっと彼女らも敵の策に絡めとられてしまう(えええ……)。

 まあ策にはまったために彼女はピカチュウと意思疎通できて結果オーライみたいになるんですが、今作の探偵ピカチュウは人語を理解していますから、べつにヒトのままだって意思疎通ができるわけです。であればぼくとしては、彼女がヒトとしてピカチュウに話しかけたほうがお話が面白くなりそうだなと思いました。都市でのセレモニーに赴くまえの森で、ヒロインと主人公はこんな会話をします。

ポケモンに話しかけても伝わらないよ」

「でも気持ちは伝わる」

 もしヒロインがヒトとしてピカチュウへ声をかけたのであれば、この印象的な会話がシーンをまたいで伸びる縦糸として活きてくるように思いました。

 そうした気持ちはあるけれど、現在のかたちも「このキャラならこうなるな……」という納得感があります。

 ヒロインがコダックに車の中で待つよう話すのも、パニックしがちなコダックのことを想って当然の行動ですし、コダックが外に出てきてしまうのもヒロインが好きなかれらしい行動です。主人公らの活躍によって陰謀がうちくだかれて、街に平和がもどったとき、ヒロインはまずコダックの無事を確認して抱きしめます。その姿を見てぼくが言いようのない幸せな気分になるのは、主に扱われる陰謀とその瓦解に関するストーリーやら主人公とピカチュウを巡る関係性を面白くする歯車としてではない、彼女らの関係性がしっかり描かれてきたからこそでしょう*6

 

非実在物と実在物の視覚的な絡ませ方は定石

 視覚的・直接的に非実在物と実在物を噛み合わせるかという点では「今作だからこそ!」みたいな斬新な表現はほぼないような気がします。
 新奇性こそ感じませんでしたが、石橋をたたいて渡っているような堅実な描写がさまざま拝めます。

 スティーブン・スピルバーグ監督『ジュラシックパーク』シリーズでは、恐竜が人や物に当たったりはもちろん、恐竜が人を舐めたり、鼻息が人の髪をたなびかせたり窓を曇らせたり、足跡を残したり(わざわざ雨のぬかるむシチュを用意して)、歩いた振動が役者の持つゼリーを震わせたりなんだりしたこととで*7、実在感を強めさせたわけですが。
 『名探偵ピカチュウ』では、もちろん人や物との絡みもありますけど、それ以外は液体関係が主で、序盤にベロリンガが主人公の顔をなめたり・ピカチュウがコーヒーを吹き出して主人公にかけたりする(後者は濡れた描写よくわからんかったです。4DXだと水が顔にかかるので、かなり臨場感がある)。

 せっかく色んな属性・わざのあるポケモンだから、ヒトカゲが人を燃やしたり火災報知器を作動させスプリンクラー作動させちゃったり、こおりタイプのポケモンが冷製商品売ったり、ピカチュウが電撃で辺り一帯の照明を明るくしたり電化製品を猛運転させたりなんだりやってくれたら嬉しかったんだけど、そういうのはあまりありませんでした。カイリキーが車やらをひしゃげたり、壁に拳型の穴を開けたりレベルもなかった気がする。

{いや、ピカチュウに関しては、近い展開はあります。

 ありますが、火花や雷のエフェクトが出るだけなので……。『アメリカン・スナイパー』やTVミニシリーズ『バンド・オブ・ブラザース』『ザ・パシフィック』の着弾描写が火薬等による特撮でなくCGだったときに萎えるタイプの自分にとって、あまりおいしくない描写でした。

(ただこれも、"社会の構成要素としてのポケモン"としてはすごい描写で、好きだし感心しました。電気電子機器類で満たされた現代社会において、ある施設に忍び込んだりなんだりするプロが相棒とするのは、電気を操れる類のポケモンである、という*8。なるほど……なるほど……。『WatchDogs』みたいなかんじで『WatchPikachu』とか出ないかな……)}

 ただ、CGキャラの影とか反射とか鏡像とかがすごかったです。背景が明るすぎて鏡像なんてほぼ見えないくらいの窓(実景)にもレンダリングしてましたよ。

 

 どちらもCGだと思いますが、「おっ」となったのは、リザードンの羽ばたきで煙が渦巻いたところでしょうか。

 鉄柵に囲まれたリングでバトル中、ポケモンの調子を狂わせる色付きの煙を多量にかいだリザードンが興奮・混乱して背中の翼をうごかし空を飛んでしまったところ、その羽ばたきによって煙が攪拌され、パニックが観衆ポケモンにまで及んでしまうシーン。リザードンはもちろん煙もCGなんだと思いますが、前後で人やポケモンや物やのアクション・リアクションが連鎖して*9、非常に面白かったです。

*1:更新履歴;最初3500字くらい⇒20時7000字。『モンスターvsエイリアン』の話を追加などした

*2:これにかんしては別サイトさまの下記記事が微にいる解説で、とても興味深いです。これを読んだことで『ズートピア』鑑賞がより楽しくなりました。

『ズートピア』におけるハードコア反復/伏線芸のすべて - 名馬であれば馬のうち

*3:ぐうぜん戻った警察署で事故当時の記録映像を見た主人公ふたりは落胆するも、「事故についてはわかった。父のことは残念だったが、まだ謎は残ってる。ピカチュウの記憶喪失のなぞを探ろう!」とふたりが気を取り直すや否や、第三者が現れて、「事故当時のほんとうの模様はこれだ!」と見せられ、ピカチュウ記憶喪失の模様もざっくりとした回答が得られてしまうところとか。 ここから更なる転がしがあり、主人公らが主体的に記憶を――誰かから提示されたわけではない、彼らだけのほんとうを――掘り起こす場面もあるわけですけど、最初は「なんか展開あらっぽいな!?」と思いました

*4:と書くからイキった感想なんですよね。全方位からたたかれてしまう……。

 いや、{蓮実重彦(や彼に薫陶を受けた黒沢清の映画論)に感化されたタイプの)映画オタクが好きな映画って色々あって、他にも宙づりの状態に向かっていく・イマココの光景を収めていく(=回想をつかわない、物事について容易に言語化可能な要素を求めない。因果関係を巡ったりとかしない)やら。劇的な出来事(爆発とか)と現実の人とをきちんと同一フレームに収める(=別個に収めたショットのモンタージュであたかも同じ場に居合わせたみたく装わない)やらというのもあるのかな。『名探偵ピカチュウ』は、冒頭のミュウツーによる爆発が巻き起こるショットだけ研究員がいなくなったりしたりする通り、その辺の趣味に十全にこたえる作品ではありません。

(ぼくは、『名探偵ピカチュウ』の回想の入り方とか好きなんですけどね。窓から差し込む表通りのネオンで七色に彩られるメインルームから主人公が一歩奥に入ると、低彩色の光が差す子供部屋があって、そのまま低彩度の回想につながれたりとか。画面奥に鮮やかなメインルームを、画面手前に子供部屋を同じフレーム上に映すショットもあって、絵つなぎも丁寧だし。その前段の主人公の故郷でのくだりも、カラカラに近づく主人公のショットで画面奥にきっちり草むらから彼を見守る友人の赤い帽子を目立たせていて、えらいなあと思いました)

*5:『ロジャー・ラビット』の劇中映画スタジオ舞台裏をえがいたシーンで、アニメ映画『ファンタジア』の登場キャラである魔法の箒(セル画)が実写の小物の箒を握って掃除する光景が思い浮かんだ。とてもウケました

*6:ピカチュウと別れた主人公がその旨や「ライムシティ都市部に戻ろう」とヒロインと話すとき、ヒト二人の顔が映されたカット終わりで、ヒロインが下を向いて画面外のコダックへ「行こう」とうながしたところが好きです。こういうショットがあるから、「『名探偵ピカチュウ』のカメラが捉えるものとは別の世界を彼女らは見ていて、過ごしてきたのだ」と素直に思える。

 ちなみに渡辺謙演じる刑事は事態が収拾したさい、まず周囲の人へと寄り添います。序盤で、父親とは旧知の仲とはいえこれまで会ったこともない青年に親身になったのと同じように

*7:近年の有名作『パシフィック・リム』で芦田愛菜さん演じる幼モリ・マコがごみ収集場の陰に隠れたさい、足元の水溜まりが震えたのはその延長線上の表現でしょう。ロブ・レターマン監督『モンスターVSエイリアン』で挙げるなら、都市のガラス張りのビルが巨大メカの歩みと共に震えるのもそうですね

*8:素人は監視カメラも気にせずペンチでフェンスをバキバキ断つ

*9:人の動き(リザードンのパートナーが煙のアンプルを壊して煙が漏れてしまう)⇒ポケモンの反応・動き(リザードンが煙を吸い、飛ぶ)⇒モノの反応(リザードンの羽ばたきで空気がかき回される)⇒人やポケモンの反応(観衆に煙が回って、ポケモンがさまざまな暴走をする)⇒モノの反応(暴走したポケモンの一頭ドゴームがいつもより過激な音楽を奏で、水槽のガラスが振動し割れ、水がこぼれる)⇒ポケモンの反応(割れた水槽から出されて地上ではねるコイキングピカチュウが認める)……と連鎖する