すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2019/08/13~19

 先週感想をあげた『Artiste』電子版がまだセール中ですね。8/24終わってました……。

 午前中は『マンモス展』感想をアップしました

 午後は日記です。8,600字くらい。

 

 

※読書メモなど別個に章立てたものはネタバレを含みます。ご注意ください※

0813(火)

 ■体調■

 下あご右奥歯周辺からうずくような弱い痛み。上あごも痛むような気がする。よく歯磨きをして、氷を含みながら眠る。誤飲するかもしれない。

 ■調べもの■

 『マンモス展』後に友人たちと飲み食いしているときに、「マンモスって美味いんだろうか?」という話がでました。

A氏「いっぱい狩られ食べられたのだから美味いのでは」

S氏「展示された冷凍遺体の鼻の感じがモツっぽかったから美味いのでは」

ぼく「いや鼻はおいしいのか? ブタの鼻とかなんも味しないじゃん?」

 という感じだったんですが、ググったところマンモスの味について書かれた本があるみたい(誠文堂新光社刊、福田正己氏『マンモス ―絶滅の謎からクローン化まで―』)で、さっそくポチりました。

 

0814(水)

 ■建物■

 洗面所の自動水栓がでなくなる。何週間かまえに業者さんを呼んで見てもらったところで、センサー自体は問題ない・配線の接触不良みたいということだった。業者さんから「やっても問題ない」と言われていたので、箱を開けて配線を抜き差ししたら出るようになった。

 ■体調■

 2、3日まえからあやしかった右奥歯周辺のうずきが、昼近くから気が散るレベルの痛みになった。うずきから1歩2歩すすんだ程度で、会話だって滞りなくできるけど、うざったい。上あごの周辺も痛むので、かみ合わせの問題だろうか? 薬局へアスピリンを買いに行きました。

 ■調べもの■

 『恐竜の魅せかた』で興味をもったサイエンス・イラストレーションについてググったところ、くだんの本で取材されていた当のサイエンス・イラストレーターの菊谷詩子氏が、オンラインコミュニティ『Rhytmoon』にてインタビューにこたえた記事を見つけました。ワーク・ライフ・バランス的な内容。

 ■読みもの■

 さもえど太郎氏『Artiste』を読む。4巻まで半額セールで手に入れたんですが、もっと世界に浸ってたくて最新5巻を正規価格で購入しました。そのうち長めの感想を書くかもしれない。{08/16書きました。(現実の料理を料理する;『Artiste』5巻まで感想)}

 いやどんな作品についてだって、自分が感じたり思ったりしたことを具体的に書き残して、後で読み返したりしたときの参考にしたいと思っているんですが。今作については、参考にしただろう現実のできごとを僕がぐうぜん知っていたので、「かも」と。

 僕のなかの認識として、「参考元の紹介・参考元(変奏元)との比較などがなされれば、読んでくれた人もなんだかそれなりのものを持ち帰れた気分になってくれるのでは?」みたいなことがありますし、比較対象があるというのは文章も書きやすいですよね。

 

0815(木)

 ■建物■

 洗面所の自動水栓がまた止まる。抜き差ししたらまた直った。もうしばらく様子見したい。

 ■体調■

 朝起きると右奥歯周辺の痛みがすごい。ドクドクいう感じ。ロキソニンを一錠のむ。

 ■読み物■

 『Artiste』がいま5巻まで読めば連載に追いつけることがわかったので、読書メモですまさず感想を書くことにしました。半額ポイント還元セールも8/22あたりに終了するらしいので、書けたらアップし、久々の月曜更新の弾は別に用意します(できるのか?)

 『天才シェフ危機一髪』や『キッチン・コンフィデンシャル』を再読し、ちょっと開いて最後まで読んでなかったkindle『調理場という戦場「コート・ドール」斉須政雄の仕事論』を読み終え、草思社文庫刊・神山典士氏『伝説の総料理長 サリー・ワイル物語』(この本は『ながたんと青と』読書の一助にもなるのでは? という期待もありました。)や木村俊介氏『料理狂』仏料理パートをつまみ食いしました。前3冊は、『Artiste』感想内で大なり小なり触れられました。

   『天才シェフ危機一髪』読書メモ

 ミシュラン星取りレストランからフードライターまで、さまざまな著名料理家に取材してその失敗談をまとめた本。取り返しのつかない事態が起こって、なんとかリカバーできた話、くるしいリカバーで「お客さんには気づかれなかったみたいだけど実は……」と罪の告白もあれば、どうにもならずキレ散らかしたり文句たらたらで終わるお話、けがの功名となった話など、さまざまなお話が載っています。

 

   『キッチン・コンフィデンシャル』読書メモ

 名シェフで作家業もしていたアンソニー・ボーデイン氏の自伝。ドラッグきめたりごみ置き場でアオカンしたりとロックな厨房事情が赤裸々に語られています。日本に支店を出したレストランへ出張したときのことや、料理人を登場人物にした自身の推理小説が邦訳された際の刊行イベントでふるまった早川書房地下レストランでの料理のことなども描かれていて、"外国人から見た(奇怪な)日本"フェチとしてもたまりません。

 

   『調理場という戦場』読書メモ

 70年代本場フランスで修業したひとの自伝・回想録。在籍期間や密度によってバラつきはありますが、フランスのさまざまな店について、店の立地や厨房・調理器具といったハード面から経営・料理指導方針・料理の役割分担などソフト面まで描かれていて、とても興味深かったです。けっこう体罰・鉄拳制裁・かわいがり主義ではある。

 活劇っぽいなあと思ったのが一店目。そこでは厨房の床に藁だかおが屑だかが撒き敷かれていて、調理中に食材屑やらソースやら油やらが飛んでも藁へと吸着するので床自体は汚れず、スタッフは汚れた藁を掃き新たな藁へ入れ替えればよいだけという衛生システムなんだそう。で、倉庫には補充用の藁箱があって、若き日の斉須氏は生意気な新人の頭をそこにつっこみ指導したのだと云う。モノが本来的な役割と異なるかたちで転用されることに弱いフェチとしては、とても面白く読みました。

 

   『サリー・ワイル物語』読書メモ

 ホテル・ニューグランドの初代総料理長をつとめたスイス人ワイル氏の戦前~戦後を追う伝記・フレンチ料理の日本輸入史。わりとこう人物史という感じで、厨房のようすはどう、料理方法はどう、という話はそうたくさん載っていません。ただ、ほんの少し載っている調理のディテールが面白くって、食料管理・運搬技術のない時代、日本にある食材だけでフォアグラ的な味わいをどのように再現するか……とか、興味をそそられるお話が読めました。

 

   『料理狂』読書メモ

 日本の著名なシェフたちに取材して、これまでの料理人人生を振り返ってもらうインタビュー集。『調理場という戦場』の斉須シェフとちがい、渡仏してすぐ挫折をあじわい帰国したかたのお話なども載せられています。

 

0816(金)

 ■体調■

 右奥歯の痛みは、うずくくらいな感じで気になるけど支障はないレベルまで落ち着きました。

 ■書き物■

 『Artiste』既刊5巻までの感想が書けたのでアップしました。(現実の料理を料理する;『Artiste』5巻まで感想)

 ■読み物■

   『網走の小型捕鯨 一追鯨士の記録(1971年〜1974年)』読書メモ

 猛烈にしぶい。マジモンの日誌でした。連日「出港せず」だけだったり、クジラと遭遇しても発見時間と見失う時間とが書いてあるだけだったりする。

 最初のカラー数ページに捕鯨のもようの写真が載せられ、本文にも欄外に都度補足説明が入りますけど、いかんせんしぶすぎる。「この座標で遭遇した」とかの説明もありません。

 本物の漁師さんが日々休まず自分のための記録として書き続けた、贅肉をそぎ落としたことば。こういう特殊性はあれどもしぶいものを活字におこして市場流通させるのは、なんというか採算度外視の偉業だなあと思いました。いぶし銀だ。

 ■ネット徘徊■

   有名作家、Amazonに投稿されたネタバレレビューに悲痛な叫び(Togetter)を読む。

 数ヶ月前の記事だけど、ネタをばらさず感想を書く知能がないぼくにとって、きつい記事でありました(。もちろん一番つらいのは作者さん本人なのですが)。

 Amazonカスタマーレビューは万人に全文表示で、対する当ブログは注意書きもしたうえでクリックしない限り本文を読めないようにしており、ぼくとしては事情がちがうという認識ですけどそれは甘えで、ネタバレを不特定多数に放流している点では変わりなく、作者から怒られても仕方ない気がする。

{0817追記;『「ネタバレの美学」ワークショップの感想』(あなたのkugyoを埋葬する)

 そうしたネタバレに関して、あれこれ検討・議論されている記事(上記リンク先)を見かけました。まだ全部は読めてないですけど、ぼくがぼんやり考えていたようなこともとっくのとうにしっかり検討なさっていた。カッコから下の文章は、リンク先の議論を読んでないどころか存在を知るまえに書いたもの。周回遅れな部分もあるでしょう。追記オワリ}

 それなりに古い作品についてだけ詳細なネタバレ感想記事を書いて、じぶんの目やらがどの程度見えてて・どの程度無知なのか来訪者にわかってもらったうえで、最近の作品についてはあれこれボカす……というのが良いのかな。う~んでもそれだとなぁ……というのが次の話題。

 ■

   【追記あり】古市憲寿さんが芥川賞選考委員にいろいろ言われちゃってる件を読む。

 この記事には補足があって、参考文献として提示された小説の作者・木村友祐さんからの反駁・お話もあります。選評全容はツイッターで検索かけると読者が写メったものが上がっていたりします(いいのか?)。

 上の記事や、そこで触れられていた去年の『美しい顔』盗作疑惑問題、そして今回ぼくが書いた『Artiste』感想とも関連する話題ですけど、古市さんの作品への選者による批判や『美しい顔』批判に対する出版社側の擁護(「全文ネット掲載するので真相は君の目でたしかめてくれ」といった旨の、むかしの攻略本みたいな反論になってないお気持ち表明みたいなもの)は、なんだかふんわりしていて、

「結局どこがどう似ている(/似ていない)と言いたいんだろう? 聞いた側がじぶんでふたを開かないことにはわからないって大変じゃない? 言った人がまず論拠を示してほしくない?」

 と困惑してしまいます。

 そこがないのに、どうしてある創作物Aがべつの創作物Bの「パクりだ」と主張すること/あるいはそうではないと弁護することができるんでしょうか? まったくわからない。

 選評者のかたがたは言わずと知れた作家たちですが、「あのすごいかたがたが仰っているのだから」と思ったところでこのモヤモヤが晴れるかといえば、そんなことないのでした。

 

 「パクりだ」「盗作だ」あるいはちょっと趣向が違いますけど「二番煎じだ」。

 そんな言葉で十把一絡げにくくられる作品でも、自分で読んでみると「うーんそうだろうか?」と思うようなことがあります。

 読んでみると大枠が似ている作品もあれば、細部が似ている作品もあり、指摘された部分はたしかに似ているけどそこは単なる現実であるという作品、指摘された部分はたしかに似ているけどそこは単なるジャンルの紋切り型であるという作品という場合もある。さらには、たしかに創作物Bからいただいているけど、作品全体を俯瞰してみるとその部分に込められた意味合いがことなる作品(たとえばBを揶揄するために引用されたパロディであるなど)もあるし。……さまざまな作品がおなじ言葉でdisられてしまうのは、「それでいいんだろうか?」という気持ちになります。

 なかには、類似箇所を具体的に並べ挙げることのできない、「似ている」と主張される部分が主張者の頭のなかにしかない作品に出くわすことだってあり、「さすがにこれはないよ」と思いますが。

 ただまあ最後の極端な例をのぞけば、列挙した事例は「受け手送り手の許容範囲のちがいだ」と言われてしまえば、それまでのことなのかもしれません。

 でも、パッと見とか箇条書きとかで同じように見えても、ちょっと順序を入れ替えただけで、隙間にちょっとした創作を差し込まれただけで、たったそれだけのことで印象って全然変わってしまったりすることってあると思いますし、そうした微妙な機微・些細な手際によっても作品内の文脈は練りあげられていくものだと思うのです。(それが法的に問題ないかどうか、とは別問題として……)

小説を読むという行為は、そこに書かれている文章を暗記するものではない。読み手は一般に、一言一句を記憶するわけではないし、主人公の名前さえすぐに忘れてしまったりする。昔読んだ小説のおちが思い出せないということはよく起こる。小説がどの視点から語られ、そこでどんな人称や時制が使われていたかを覚えていることはまずない。 そこには、記憶できないような何かがあるが、書き手が直接的に作業しているのは、その忘却される部分、視点や人称、時制等々である

   東京大学大学院 情報学環 佐倉統研究室『卓越講義《円城塔がやってくる!》』要旨より(太字強調は引用者による)

 話題の芥川賞その受賞作家で、今はべつの文学賞の選評者をつとめたりもする円城塔氏の講演要旨にはこのようなことが書かれていましたね。

 

 さて古市さん作への選評はまったくよくわからなかったぼくですが、そういった趣旨の批判でとても納得がいったものがあります。それは……と続けていくとどんどん長くなっていくな? この辺で終わりにしとこう。ここまで読んでくれたひとはすみません。

 

0817(土)

 宿直日。

 ■建物■

 みょうなところに水たまりが。これ、先日いじくってもらった室外機のホースからの排水ではなかろうか? それがカバーした配線(? 下界の室外機の管?)にびしゃびしゃあたってるんだが、大丈夫なんだろうか?

 ■体調■

 右奥歯周辺の痛みはほぼ無痛になりました(歯をかみ合わせると響きはする)。この程度ならたまにあるので、歯医者さんに行くべきかどうするか悩む。

 ■書き物■

 昨日のうちに公開した『Artiste』感想いじりがようやく終わりました。誤字訂正などはあれども、これ以上書きかえることはないでしょう。書き足し書き換えしていくうちに出た語彙と合うよう、文章の〆も整えようとした結果、ワザップジョルノみたいな幕引きになった。整ったのか?

 『マンモス展』感想もだいたい仕上がりました。人生初の予約投稿です。それなりの文量となりましたが、ただまあ当日の日記と下記読書メモなども組み合わせてますから、日記まで読んでくれる物好きな人がいるとしたら二度読む部分が出てきて、あんまりおいしくなさそう。

 ■読み物■

 福田正己氏の『マンモス ―絶滅の謎からクローン化まで―』を読みました。まず開いたのは「マンモスの肉はウマいのか?」から。下の読書メモは、ほぼそのまま『マンモス展』の感想に組み込みました。こっちを削除して読みたければそっちへ飛べ、というのは面倒くさいので、そのままにします。

 ほかにも『マンモス展』感想で触れてる本を読みました。感想は省略。

   福田正己氏の『マンモス ―絶滅の謎からクローン化まで―』読書メモ

 結論から言うと、味についてやどんな味(と推測できそう)かは書かれていませんでした{。たくさん食べられていたことや、どんな部位を食べられていた(と考えられそう)かは記されている}。

 発掘される冷凍マンモス肉はどうか(地中温度の経年変動グラフを出しながら、「図からわかる通り冷凍庫より熱く、これではたんぱく質や脂肪の酸化はまぬかれない」とそもそも食べられませんという結論)という話から、マンモスが生きていた頃の先史モンゴロイドにとってはどうかを検討します。同時代の縄文人の食生活やいまを生きる非農耕民(先住民イヌピアックや西シベリアのネネツの人々)の食生活を引き合いにだしつつ、調理方法などを推測、さらに考古学的証拠{遺跡内の骨はどうなっているか(砕かれているから、現行非農耕民とおなじく髄を取り出し食べてそれを塩味として味わっていたんではないか? 髄を食べるってどういうことかは、別資料ですけど岸上伸啓氏『極北地域にくらすイヌイット (世界の食の情景 14: カナダ)』リンク先pdfが参考になりそう)、ほかの痕跡はどうか?}にもとづいて地固めをします。

 さらに味については、先史モンゴロイドが1日1キロくらいマンモスを食べていたことや、現代人の近縁のゾウの扱いにふれることで(盛んなゾウの密猟・密売によって、象牙以上にゾウ肉が流通されていて、しかも儲けもゾウ肉のほうがケタ違いに大きい)、暗にうまそうなことをほのめかすに留めています。(現行ゾウ肉の味がどんなものかなど記述はありません)

 

 ……と一読して思ったんですが、『マンモス展』感想でコピペしたさいに「待てよ」となりました。どうとも取れる、ぼやかしたお話ですねコレ。まったく逆に読むこともできるし、むしろそうとらえるほうが自然かもしれません。

 『マンモス展』図録にて、サハ共和国マンモスミュージアム館長もまた、マンモスの味について答えています。気になったかたはそちらを手に取るのもよろしいかもしれません。

 

 ぼくの読解力がとぼしいだけで、語り口はかなり明解だと思います。

 どこまでが物的証拠のある(妥当性のたかい)ことで、どこからが人々のあいだで共通理解をえられた通説で、どこからがほかの人から同意が得られたわけではない福田さん個人の想像なのかが、きちんと分けられ示されている文章。勉強させてもらいました。

 

0818(日)

 宿直明け日。

 ■建物■

 朝、あかるいなか見たけど、やっぱり屋根上からのしずくが下階の配線にあたっている。

 ■体調■

 歯の痛みはほぼなし。噛んださいの響きもよわくなった。

 ■書き物■

 下書き中の『マンモス展』感想に、マンモスやゾウの味について記されていたりいなかったりする本やら記事やらを読んだので、本文にも反映させました。現代人にとって美味いと言えないかもしれないのはわかったけど、昔の人にとってはどうかというところはわからなかった。

 写真をあれこれ貼りました。ぼんやり回っているから心配でしたが、似たような角度の写真をあれこれ撮っていたり、それがちょうど昔の人の描いたものと同じ向きだったので、一定の脈絡で写真がそろえられてよかったです。

 

0819(月)

 ■読み物■

 コモンズ発行のリチャード・リーキー&V・モレル氏らの著ノンフィクション『アフリカゾウを護る闘い──ケニア野生生物公社総裁日記』を読んでいます。とても面白い政争・戦争劇ですが、これもゾウの味情報はなさそう。食べてるふしがない。

  『アフリカゾウを護る闘い』読書メモ

 ケニア野生生物局局長などをつとめたリチャード・リーキー氏自身による、80~90年代ケニアにおけるゾウ密猟者との闘いの記録です。 

 タイトルに偽りなく闘ってます。ぜひ西部劇につよい座組で映画化してほしいですね。

 西部劇のなかには、武器商人から強力な新型の連発銃を買った先住民vs旧式の単発銃の騎兵隊……みたいな図式のものもあるんですが(J・フォード監督『黄色いリボン』など)、1980年代ケニアもそんな感じだったみたい。密猟者はAK47でばかすか撃ってくるけれど、対する野生生物局のレンジャーはWW1時代の骨董品でボルトアクション*1で一発一発のろのろと対応しなければならない。「軍隊と警察のみが自動装填銃や高度な武器を使用する権限を有する」p.102とケニアの銃器法にさだめられているからで、警察と共同作戦というかたちでないと現場に向かうことも許されず、行った時にはすでに密猟者はいない。ということでリーキー氏は政争・根回しをしていくことにります。(着たことのない制服を着て会合に出たり、部下を亡くした警察官僚にかれらが使う銃を自分で撃ちリロードしてもらいその頼りなさを自覚してもらったり、新しい銃を(NATO使用するヘッケラー&コッホG3を)配備してもらいそのうえ携帯使用許可を大統領から得たり。

 密猟の手口やそれについた呼称なども紹介され{ゾウに車を傍づけして至近距離から射殺するロードサイディングとか。倒したゾウは場合によってはその場に埋めたりなど隠して、安全な頃合いに掘り返し牙を得るのだとか。(すると食用に売買は考えられてない?)}、密猟者の出自や密猟する理由も個人的利益だけに済まされないキナくさいうわさも出てきて、戦争の様相となる。

 まだ半分も読めてないですがとっても面白いです。

*1:

ここのレンジャーの士気が高まったと二人は言うが、まだ不足しているものがたくさんあった。ブーツ、密猟者を追跡するときに必要な無線機、それにまともなライフル。シビロイと同じで、ここのレンジャーが持っていたのも、第一次世界大戦中に東アフリカ戦線でイギリスがドイツに対して使用した、ボルト式の三〇三口径のエンフィールド・ライフルだった。

   コモンズ刊、リチャード・リーキー&V・モレル氏『アフリカゾウを護る闘い──ケニア野生生物公社総裁日記』p.88-9