日記です。3万7千字くらい。『ゴーストバスターズ(2016)』は劇場版がオススメ(エクステンデッド・エディションはおすすめしない)という週。(もうちょっと調べものをしたら個別記事にする。今回と今後の個別記事で二度通知が飛ぶのはうっとうしいだろうから、一部メディアへのリンクは省きました)
※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※
- 0301(火)
- 0302(水)
- 0303(木)
- 0304(金)
- 0305(土)
- ■観たもの■
- アイヴァン・ライトマン監督『ゴーストバスターズ(1984)』再鑑賞メモ
- アイヴァン・ライトマン監督『ゴーストバスターズ2』再鑑賞メモ
- ポール・フェイグ監督『ゴーストバスターズ(エクステンデッド・エディション)』(2016)鑑賞メモ;3作中いちばん面白いし凄いが、EE版は足踏みが多くてダルい
- ▽80年代版がゆる~く出したものを、カッチリ物語に必要不可欠なものとして料理する2016年版の巧みさ
- ▽EE版は足踏み展開が多い
- ○「つまらないネタでも30回繰り返せば…」クドさは作り手のギャグ観的には良いかたちなのかも?
- ○EE版で話の流れがわかりやすくなった部分はあるが……
- ▽米国史の暗部的なおもむきさえあるゴースト・悪玉たちの出自
- ▽『ゴーストバスターズ』主人公エリン・ギルバートと『食べて、祈って、恋をして』エリザベス・ギルバート
- ▽頭のわるい醜男会計士ルイスの無能ぶりを無能なままドラマチックに彩るぼんくらな80年代版にたいして、頭のわるいイケメン受付男ケヴィンの無能ぶりをシビアに描きつつも「そんな無能も愛玩対象にはできるのでは?」と提案する16年版
- ○「意識のアップデート」「エンパワメント」を評価された事物のいくつかを見てふと思う疑問;トヨザキ氏の渡辺淳一(作品)のいなしかた、○○して優勝する『だから私はメイクする』とある現代バリキャリ女性
- ○2024/06/10追記;翌週しまったが、やっぱり表に出すことにした。
- ■観たもの■
- 0306(日)
- 0307(月)
0301(火)
■身のもの■
3回目に打ったワクチン副反応から元気になった
昨晩は熱があがりはじめていたものの、熱さましを飲み一晩寝たら、元気になりました。だるさも完全になくなった。
■社会のこと■
そういやシリアISIS参加志望が「私戦予備・陰謀罪」でフランス外人部隊がそうならない理由を知らないな……
ISISに加入してシリアへ渡航しようとしたために「私戦予備・陰謀罪」に問われたかたがいましたが、日本人がフランス外人部隊に加入した場合なにかそういったものに引っかからないのか聞いたことがないなと思いました。
0302(水)
■ゲームのこと■自律神経の乱れ?■
『Slither.io』を深夜2時までやってしまった
『Slither.io』はオンラインマルチプレイに対応したヘビゲームです。
23時すぎに起動してしまって、「そろそろ寝ないとな」「眠いな」と思いながら延々やりつづけて、眼球がずきずき痛いなと思ったらガッツリ充血していた。
■ネット徘徊■
違法DLはいけないことだが、世間がどれ位の咎を求めてるのかよく分からない
【所属ライバーに関するご報告】
— にじさんじ公式🌈🕒 (@nijisanji_app) 2022年3月2日
この度は、下記の件に関しまして、多くの方々をお騒がせいたしておりますこと、お詫び申し上げます。
今後、同様の事態の発生を防止するため、ライバーに対する教育指導を徹底してまいりますので、引き続きのご声援のほどよろしくお願い申し上げます。 pic.twitter.com/XI7Vldaa5q
今回皆様にご迷惑をおかけしている件について 大変申し訳ございませんでした。 https://t.co/89jC9Qzbhb pic.twitter.com/wZMK3qWHbW
— ローレン・イロアス (@Lauren_iroas) 2022年3月2日
簡単に言うと成年向けビデオの海賊版をダウンロードされたのがバレました、ということですね。
被害に遭われたクリエイターのかたがたの心痛・苦難へ思いをはせるとともに、ぼくも(このblogに電動オナホの使用所感を書いたり、3DAVを観た感想を書いたり。あるいはかつてネットを騒然とさせたDMM電子書籍の未購読者限定7割還元キャンペーンのとき、FANZA利用民だったためにその恩恵にあずかれなかったりした程度には)アダルト業界へ日々お世話になっている一ユーザーとして憤りをおぼえます。
正規版を購入したうえで謝罪をすべきでしょう。
他方で、エニーカラー社(にじさんじ運営)がくだした処分としては、世間一般の通例相当の妥当な対応だと思いました。アナログにおけるセレブリティの世界でも、万引き自慢やら、(あんまり法的に問題ではなかった時期だった気もしますが)政治家がお子さんがつかうマジコンについてネットで素朴な質問をしてしまったやら、いろいろありましたが。どれも活動自粛のすえ復帰している記憶があります。
(もっともぼくも直上で批判したとおり、ローレンさんの今後のvtuber人生にはこうしたバッシングが大なり小なり付きまとうでしょうし、今後の展開によっては、当人が事態を重く見て引退したりなんだりされるかもしれませんけど……)
他企業とのコラボとしても、すでに開かれていたNTTドコモのオンライン専用料金プラン「ahamo」で実施していた、「にじさんじ エデン組」コラボキャンペーンが前倒し終了、これから行なう予定だったにじさんじvtuberがJリーグの応援実況をつとめる企画が調整に入った(どのvtuberさんがどのJ1チームのサポートをするか、発表配信が行なわれる予定だったのが延期に。)とのことで。
水面下ではもっといろいろな蠢きがあるのかもしれませんが、そうしたスキャンダルにともなう企画中止以外にも、covid-19の影響でライブイベントなどが中止・規模縮小していた昨今です。にじさんじ運営4年が経ったとはいえ発足時スタッフ数名のベンチャー企業だったわけで、いろいろ心配してしまいますが、なんとか持ちこたえてくれたらいいなぁと思います。
はちま刃などオタクゴシップまとめブログのネタとしてvtuberが選択肢にはいったこともあってか、バッシングはかなり大きい。Youtubeでローレンで検索をかけると、太字フォントでそれを話題にする第三者Youtuberの動画があれこれ引っ掛かるようにもなりました。
事件をおこしたセレブリティについて、轢き逃げやら薬物所持やら性的暴行やら、法的な判断として裁かれ服役したりあるいは不起訴処分となったかたなどさまざまいらっしゃいますが。
はたしていったいどうすれば謝罪となって、どうすればカムバックできるのか? いまいちよくわからないところがあり、「難しいな……」ってなりますね。
たとえばぼくは、
「服役して刑期をまっとうしたかたなら、出所後は犯罪をおかすまえと同じように接せられるのが望ましいのではないか」
とおもうのですが、でも現実はそうもいかず、その後のお仕事に影響があるケースのほうが多い。ぼく自身、上のような殊勝なことを思っていても、あるタレントのかたのワイドショーでのお仕事を見て「飲酒運転で事故を起こしてるくせして、よくもまあ他共演者について"いちばん酒癖がわるい"とイジれるよな」と色眼鏡かけた印象をぬぐうことができなかったりする……。
今回のように、国の制度上のみそぎがないなかとなると、出口はどんなところになるのかなぁと悩ましい。
0303(木)
■自律神経の乱れ■
睡眠不足の頭痛・痛みをともなう目の充血がつづく
睡眠不足で頭痛と痛みをともなう目の充血がおきました。
■ゲームのこと■
きょうの『Wardle』
正解! きょうのことばは「パニック」でした。
Right! The word was: PANIC
パニックも不安も、潜在的危険にたいするふつうの反応であることを覚えておいてください。以下の簡単な3ステップにまとめます:緊急事態にたいしてどうしたいか家族で話し合いましょう、そして安全用バックパックを準備しましょう、ニュースの消費に制限をかけましょう。
Remember that panic and anxiety are normal reactions to potential danger. Take 3 simple steps to minimize them: discuss with your family what to do in case of an emergency, prepare safety backpacks, limit news consumption.
より多くのことばを推測すれば――それだけより多くの準備ができるのです。
The more words you guess – the more ready you are.
0304(金)
■自律神経の乱れ■
睡眠不足の頭痛・痛みをともなう目の充血がつづく
睡眠不足で頭痛と痛みをともなう目の充血がおきました。
■ゲームのこと■
きょうの『Wardle』
正解! きょうのことばは「写真」でした。
Right! The word was: PHOTO
敵意をむける軍人の写真や映像を取らないでください、挑発と取られかねません;ウクライナの軍事組織のフッテージもまたSNSに投稿しないでください――わたしたちの軍事兵站(ロジティクス)を害する情報となります。
Don’t take photos or videos of hostile military men, it can provoke them; don’t post any footage of Ukrainian military units on social media - it gives the enemy information about our military logistics.
より多くのことばを推測すれば――それだけより多くの準備ができるのです。
The more words you guess – the more ready you are.
(03/11追記)
ロシア兵捕虜の動画や画像をRTするのは止しましょう。見世物ではないです。
— Хаями🍥Расэндзин (@RASENJIN) 2022年2月26日
同様にウクライナ兵捕虜の画像がまわってきてもRTせぬよう。
— Хаями🍥Расэндзин (@RASENJIN) 2022年2月26日
伝単にWW2日本から英語圏兵士へむけた戦意喪失のプロパガンダ「東京ローズ」などふるくからあった戦意高揚・喪失をねらった情報戦略は、いまではSNSに場をひろげたと云われて十年前後。
昨日のマリウポリでの産科病院の爆撃。
— 高野遼 / Ryo Takano (@takano_r) 2022年3月10日
ロシア側は、1)病院は長く営業しておらず、ネオナチの過激派に占拠されていた、2)妊婦の被害写真は、ブロガーによる「やらせ」だ、などとする主張を発信。
BBCの専門記者が、いずれの主張も事実と符号しないと丁寧に反証している。 https://t.co/ordl7ZWJAs
侵攻側の「それはいくらなんでもあんまりだろ……」という「ロシアがウクライナ征服に成功していた場合のロシア国営通信 RIA予定稿」{リンク先は山形浩生さんによるロシア→英語(機械翻訳)⇒日本語(山形氏による)の重訳記事}や、守勢のウクライナ大統領や政府要人がウクライナ国内で体を張って立派にメッセージをおくる感動的な動画・記事がSNSをつうじて広がったりと、さまざまな情報がうずまいています。
量だけでなく質も多様で、どうしてもぼくが同情・肩入れしたくなるウクライナ側にしたって、戦略としてしかけているだろう情報のなかには、そう簡単に「ポジティブな箱」に入れやすいものばかりでもなくなってきました。
そんなことを思わせる『Wardle』でした。
■ネット徘徊■
スペース/クラブハウスが流行る理由みたいなのをまた見てしまった……
芸能人が(デビュー前に)つけていた、映画版食べログみたいなレビューSNS『Filmarks』でのコメントが発掘され、その内容が取りざたされていました。
たとえば「細田守は5年前に死んだ」とか、いやまぁたしかにタレントさん*1の口からあんまり聞けなさそうなものではありましたが(笑)。
でも「発言者が"言語化しよう"と意気込まなければ、作品にかんする感想なんてこのくらいゴツゴツしたものになるんじゃないかな」という、じっさい映画/漫画感想SNSやツイッターを覗けばいくらでも読めそうな、他愛もない素朴なコメントだったので、ちょっとむずかしいな……と思っちゃいましたね。
0305(土)
■観たもの■
先週の日記で、バートン監督版『バットマン』とライトマン監督『ゴーストバスターズ』にまつわる呟きからちょっとを書きました。
「せっかくだから本編も通し観ししよう」
ということで、80年代の『1』『2』を再観賞そして2016年版エクステンデッド版を初鑑賞しました。
アイヴァン・ライトマン監督『ゴーストバスターズ(1984)』再鑑賞メモ
それは何ですか;
アイヴァン・ライトマン監督による人気映画シリーズの第一作です。
心霊や超能力にかんする研究者ヴァンクマンら3人は、ついに実体をもつゴーストと遭遇しホクホクで大学へ帰るとその正当性を疑問視した学長から大学をおわれてしまう。なので一念発起、ヴァンクマンは元同僚のレイに親から相続した住宅を担保にローンを組ませ、ゴースト駆除会社を起業することにする……というお話です。
観る人への注意;
主人公が職権濫用で異性の寝室に立ち入ろうとしたり、仕事そっちのけでアプローチをかけたりします。ゴーストによる女性の異に沿わないセンシティブな部位への接触・性的暴行を連想させるシーンがあったりする。(女性が座ったソファからバケモノの手が突き破って出現、体を拘束して異界へソファごと連れていくのだが、そのさい手のひとつが胸にかかっている)
観てみた感想;
再観賞するのはだいぶ久々ですね。
コメディとしても映画としてもだいぶゆるい作品だし、ゴースト由来のべとべとを本棚にならんだ本の背表紙で拭くという不愉快な(行為だし大学教授としてどうなんだろうと疑問に思ってしまう)冒頭をはじめとして、幽霊駆除仕事をなりわいにしようとする人の映画というよりも、幽霊駆除仕事でおふざけコントをする人の映画として観たほうがよく、{もしかすると現代日本で話題の三木聡監督『大怪獣のあとしまつ』(未見)がそうなのかもしれないけど、}たぶん福田雄一監督作品とか『ステキな金縛り』などいくつかの三谷幸喜作品とかがそうなような、スクリーンと向き合う受け手としてではなく楽しんでる演者側に立っていっしょに笑う内輪の共犯関係が築けることが大事なタイプの作品なのだと思いました。
〔とまで言ってしまうと、さすがに『ゴーストバスターズ』(1984)にたいして不誠実かな。
上のべとべとなすりつけは、0:46:10~あたりの、環境局の役人と出会った際に、べとべとの手のまま握手し、その役人の肩から左上腕にかけてをボディタッチする……というかたちで変奏され、最終的にみんなで{白い}ベトベトをかぶる……というかたちで帰結します。
冒頭、アバンタイトルの怪奇現象{図書館の棚がひとりでに開き、なかの図書カードが宙を舞う!}は、アパートが爆発したり、あるいは後半のパニックシーンで、地下鉄構内から地上へ風が吹いて新聞紙やチリ紙が宙を舞う(1:09:28)というかたちでエスカレートしていきますし。
ホテルの食べ物を盗み食いするアイコン的緑ゴーストはもちろんのこと、ヒロイン宅の怪奇現象や{買い物としてマシュマロが置かれ(終盤のアレの布石)、おなじく買ってきた卵はひとりでに飛びだし目玉焼きとなる}は、保管庫の容量と将来的に街へ到来しそうなゴーストパワーのちがいを解説するシーン{トゥインキーをものさしとして使う}、ヒロインの隣人である会計士が襲われて逃走・助けを求めるもガラス壁をはさんだレストラン店内の群衆には伝わらないシーンなど、ゴースト騒ぎには食にまつわるモチーフが散見され、これがクライマックスのマシュマロマンへ結びついていきます〕
***
冷蔵庫内の異界などに、トビー・フーパー監督『ポルターガイスト』(1982)が思い浮かんだりしましたが(特撮のスタッフは一部かぶってる)、ふつうに怖い・不安になるあちらに対して、こちらはそこまで怖くない。
『ポルターガイスト』でとりわけゾッと空恐ろしかったのは、緑と建設予定地の白とが整然とうつくしい広い野を背景に眺望できる(ロングテイクを含んだ)会話劇が具体的にどんな場で行われていたのか、シーンの終わりで明かされるところで。あの作品が都市開発に沸く新興地を舞台にした意味・土地の力を感じさせたシーンでしたが。
『ゴーストバスターズ』も――後述のとおり舞台にしたNYという土地そのものとゴシックホラーとに接点を見出す、という――べつのアプローチで土地の魅力を活かした作品で、そこも良かった。
***
観直して思い切りがよいなと感心したのは、アイコンとなる緑の大食いゴーストとの{駆除できた公益よりも被害の方がぜったい大きいだろう(笑)}ドタバタを終えて0:39:30~。
一躍NYの人気者となった/ゴースト駆除を何件もこなすバスターズの姿をえがいたモンタージュシーンでは、封印缶をもって街を走り回るバスターズの姿で済ませて、ゴーストと格闘するSFXシーンはこのモンタージュに一度も登場しないこと。
{モンタージュの締めくくりとして、古城(?)で寝るレイのもとを美女ゴーストがあらわれズボンを脱がせて情事に浸る……という、現実とも夢とも判別つかないシーンがある}
走り回るだけでなく、焼き鳥をプレゼントされたり囲み取材されたりと、バスターズがどれだけNYの人気者であるか(人気者となっていったか)を伝えるみたいなシーンとなっている。
また、べつの会話劇シーンでは、ゴースト駆除の博士号持ちらしからぬヴェンクマンについてヒロインが「お笑い番組の演者みたい」みたいなことを言う一幕もあります。ヴェンクマン演じるビル・マーレイ氏がコメディ・スターだからこそ(より一層)おもしろい、楽屋オチ的な一言でしょう。(オーディオコメンタリによれば、もともとの脚本では「水道会社の業者さんみたい」とかなんとか言う予定のところをシガニー・ウィーバー氏がアドリブでそう言い、本編に採用されたそうです)
そのへんがこの鑑賞メモ最初で言った、「幽霊駆除仕事でおふざけコントをする人の映画」という感触を覚える理由なのでした。
1983年10月、製作チームはニューヨークで撮影を始めました。アートのデリカテッセンでひらかれたエイクロイドとのミーティングでライトマンは、街それ自体が正しくひとつの宇宙であると名高いニューヨークを活劇の舞台にすることを提案しました。
By October 1983, the team began shooting in New York City. During the Art’s Delicatessen meeting with Aykroyd, Reitman had proposed grounding the action in a town renowned for being a universe in its own right.
「撮りたいんだ……ぼくのニューヨーク映画を」と。
“I wanted the film to be . . . my New York movie,” he says.
腹をくくった選択でした。当時のニューヨークはクローズアップにたえられるものではありませんでしたから:財政的災難(ディザスター)の十年間、街は放蕩と暴力の温床でした。
「[1980年代前半の]ニューヨークは、この十年間のひとびとが近寄りたくない、恐ろしくて汚い犯罪の中心地でした――アメリカ一(いち)退廃したスラムの代名詞ですよ」
とトム・シェイルズ(Tom Shales=『 Live from New York:Uncensored History of Tuesday NightLive』著者)は述べます。
くわえてエンタメ産業の震源地がロサンゼルスに移って久しい時分でした。
It was a gutsy setting choice. At the time, New York wasn’t exactly close-up ready: the city was emerging from a decade of fiscal disaster, dissipation, and violence. “[In the early 1980s,] New York was the horrible, dirty crime center where decent people didn’t go—synonymous with the sleaziest slum in the country,” says Tom Shales. Furthermore, the epicenter of the entertainment industry had long since moved to Los Angeles.
「サタデーナイトライブは……ニューヨークはこの国における創造的な生活や幻想の人生の舞台なのだという再主張でした――そして『ゴーストバスターズ』はその証明と祝言だったんです。バスターズはこう言ったんです、"いいよ、ニューヨークをもう一度好きになってくれて。ニューヨークはトップに戻るよ"と」
『Celluloid Skyline: New York and the Movies{フィルムに刻まれた都市の輪郭(スカイライン):ニューヨークとその映画}』ジェイムズ・サンダース(James Sanders)はこうも付け加えます。
「[この映画『ゴーストバスターズ』は]ニューヨークにたいする愛の、親しみの、復活のひとときであり、それはとてもうまく達成されています」
この情緒は、映画の最後の一言(ラスト・ライン)に詰め込まれているかもしれません。アーニー・ハドソン演じるウィンストン・ゼドモアは、煙だらけで溶けたマシュマロの泡まみれの災害地域を調査してこう叫びます。:「おれはこの街が大好きだ!」*2
“S.N.L. . . . re-asserted New York’s place in the creative life and fantasy life of the country—and Ghostbusters was a validation and celebration of that. Ghostbusters said, ‘It’s O.K. to like New York again. New York is back on top.’” James Sanders, the author of Celluloid Skyline: New York and the Movies, adds: “[The film] is a moment of resurgence and affection and love for the city, which had gone through so much.” This sentiment would be encapsulated by the last line of the film, shouted by Winston Zeddmore as he surveys the smoking, molten-marshmallow-drenched disaster zone around him: “I love this town.”
Vanity fair、2014年6月4日、LESLEY M. M. BLUME『Surviving "The Murricane" and a Marshmallow Man On Fire: The Making of Ghostbusters』{邦訳は引用者による(英検3級)}
「NYでの撮影は初めて 大変らしいことは聞いていた でも僕はすごく気に入ってしまった 街全体がひとつの巨大セットみたいだし エキストラがすごくうまい」
アイヴァン・ライトマン監督『ゴーストバスターズ』1:09:59~、映像特典スタッフオーディオコメンタリより
LESLEY M. M. BLUME氏はVanity fairに掲載した記事『Surviving "The Murricane" and a Marshmallow Man On Fire: The Making of Ghostbusters』でこう纏めていますが、たしかにそんな印象を今作や『2』を鑑賞するといだきます。
(とはいえ初めてユニフォームを着てのゴースト駆除の大仕事の舞台となるセジウィック・ホテルは、ロサンゼルスにあるビルトモア・ホテルでロケしたものであったり等、全てが全てNYというわけにはいかなかったようですが……)
ぼくは知らなかったけど『ゴーストバスターズ』は、レーガン政権下の当時をなんか大分コスっているらしい。
「絶対後悔はさせねえよレイ」
「この家は両親の遺してくれた唯一の遺産なんだ」
「担保で金を借りただけだ、べつに無くなるわけじゃねえだろ」
「19%の率だぜ暴利もいいとこだ」
「参考までに言っとくと、最初の5年間の利息合計だけで9万5000ドルになる」
「二人とも気を大きく持てって。俺たちは次の時代に欠かせない防衛科学の礎を築こうとしてんだよ? 超常現象の、調査および駆除のプロフェッショナルだ」
アイヴァン・ライトマン監督『ゴーストバスターズ』0:15:17
ハロルド・ライミス(ダン・エイクロイドと共同脚本)
「ダンの原案では連中は超心理学者ではないんだ ゴーストバスターズを開業するまでのいきさつは 分かりやすいようにアイバンと僕で考えた
「僕も変わった事業を――起こすストーリーがおもしろいと思った 銀行へ行ったり 事務所を借りたり 共感しやすい内容を取り入れてみた」
アイヴァン・ライトマン監督『ゴーストバスターズ』0:15:27~、映像特典スタッフオーディオコメンタリより
教職をリストラされて民間で起業する、その資金は銀行の融資――貯蓄貸付組合で得る{劇中でも言われているとおり現実でも暴利だったし、しかもそれでも映画は都合よく貸してもらえた例である(?)}。
環境保護庁の官僚が無能で、代わりに(武装した)民間が世界を救う……
{『ロボコップ』(1987)のデトロイトでは警察組織が民営化されて都市が腐敗していたけれど、「レーガノミクス 民営化」でググったがようわからんかった}
……「親レーガンの保守にとって夢のような世界だ」という旨で批判されることもある一方で、アメリカの著名な映画批評家ロジャー・イーバート氏から「賢い大学院生たちが冗談を言い合っているかのような狡猾な会話劇の映画(a sly dialogue movie, in which everybody talks to each other like smart graduate students who are in on the joke.)」と当時言われたりもしていたみたいで、無知なぼくにはよくわからない。
ぼくなんかが観るのでは、なんか色々とこぼしてしまっているものがあるんじゃないかという気もする。
危険地域だ 立ち入り禁止
役所仕事はいい加減
後手後手に回って 収拾がつかず
救いを だれか救いを
このままでは おかしくなる
救いを だれか救いを
アイヴァン・ライトマン監督『ゴーストバスターズ』1:18:42~、アレッシー・ブラザーズによる挿入歌「Savin' the Day」劇中字幕
劇中後半にひびくアレッシー・ブラザースによる挿入歌「Savin' the Day」は、そうして聞いてみると、劇中ゴースト騒ぎ以外のニュアンスも感じられなくもない。
***
セジウィック・ホテルで、ハウスキーピングで部屋を回っているアフリカン・アメリカンの女性を物音だけで判断してゴーストかと思ってプロトン・ビームを放つところは、今となってはきびしい気分になる人もいるんじゃないかと思う。
ただ一方で、それだけをあげつらうのもどうかと思ったりもしていて、というのも次いでバスターズはまちがいにすぐ気づいてビーム発射をやめ、女性に平謝りするんですよ。zzz_zzzzとしてはむしろかなり倫理的で好感がもてるシーンだと思いました。
{素朴にすてきなスペクタクルシーンであるという点ももちろんある。
火花をはなちカートの物も落ち、小火だっておきる掃除カートに仕掛けられたプラクティカルな特撮と、カートの間近に生身の俳優がいて同一フレーム上に収まっていることや。
プロトンビームをぶっ放すバスターズ3人を前景に収め、後景に火花を放つカートと陰で頭を抱えて倒れ込む従業員女性とを、同一フレーム上におさめたショットがあることは、黒沢清氏がどこかでその大事さを説いた「銃を撃つ人と撃たれる人や、爆発とその近くにいる人が別々のショットではなく同一フレーム上で収まることで"それはそこで本当に起こった"という感触をフィルムに刻むこと」を思い起こさせます。
前述のとおりバスターズは平謝りをし、別場へ向かおうと話すのですが、前景でバスターズがそんなことをする一方で後景の女性がカートにそなえた霧吹きスプレーをとりだして小火を消そうとしているんですよ。ここがまた良い! 単に「小物としてカートが壊されました、ハウスキーパーのコスプレをした俳優さんが被害に遭いそうになりました」に収まらないすごく充実した細部でとても良い}
ほかにもスペクタクルシーンのショットのなかでとても良いなと思ったのが、自室でくつろいでいた女性が、じしんの座ったソファからバケモノの手が突き破って出現、体を拘束されて異界へソファごと連れていかれるシーン。
ソファがひとりでに動かされる進路には絨毯があって、それがソファ下部でぐねぐねと折り重なって溜まるさまをソファに追従しクローズアップしたショットが挿入されたりするのだ(0:51:57)。
アイヴァン・ライトマン監督『ゴーストバスターズ2』再鑑賞メモ
それは何ですか;
アイヴァン・ライトマン監督による人気シリーズの第二作です。
序盤のあらすじ;
バスターズはゴーストを駆除しNYを救った。救ったが、あまりにうまく事を収めたがためにゴースト隆起の波も第一作のあれで鎮まり、あれだけのパニックもゴーストも嘘のように世間から忘れ去られた。
レイとウィンストンがあのユニフォームでNYを回っているのは、かれらが今やホームパーティを賑やかし小銭を稼ぐドサ回り芸人だからであり、イゴンとヴェンクマンはスーツに着替えた。前者は大学でポストを再び得、後者はTVの心霊番組の司会席に就いた。
ディナはヴェンクマンとけっきょく破局し、別の男と結婚、子をベビーカーに乗せて街路をすすんでいる。すると人々もディナもだれも気づかない足もとでピンクのどろどろがふつふつと湧いてきており、それに触れたベビーカーが、ひとりでに動き出してしまう。……こんなケッタイな事態に出くわしたら、だれに声をかける? ディナは旧友たち(ゴーストバスターズ)を頼ることにした……というお話です。
観る人への注意;
敵役が職権濫用で異性の自室に立ち入ろうとしたり、仕事そっちのけでアプローチをかけたりします。
観てみた感想;
アスファルトの舗装のヒビからピンクのドロドロが噴き出し、それをベビーカーが轢くところから始まった(0:0:30)今作は、ベビーカーの押し手がかかえた買い物袋から赤い品物をのぞかせ、押し手がいったんベビーカーを手放すマンションの玄関には赤い花が植えられていて。
オチでひどい実験の対象になるらしい(「次子犬を取り上げたらどうなるか?」0:7:45)少女があそぶ実験室にも、赤い事物やピンクのクッションが見え(0:06:25)。
停電でおそらく赤い非常灯がついた想定でピンクの照明で照らされた廊下に、ゴーストにそそのかされた人間が立ったり。
あるいは、ドロドロがついに街へ溢れたパニックシーンを、ピンクのどろどろが館内に満ちているらしいがために映画館から人が逃げ出すところから幕をあけさせ、そのファーストショットとして「Special NEW YEARS Midnite SHOW」の赤い幕がかかった白地に赤字の『カニバル・ガールズ』の看板を前景でナメ大写しにする(1:19:29)など、色彩的にある程度コントロールされた作劇がうかがえました。
序盤から登場する、地下で放棄されたニューヨーク気送管鉄道に満ちるドロドロのピンクや。中盤、浴室へ充満していくドロドロのピンク、クライマックスの美術館を覆うピンクのドロドロは言わずもがなですが、地下や美術館はなかなかに禍々しいビジュアルで大満足でした。
***
大ヒットをうけた予算増がうかがえる作品で、『1』ではSFXなしで済まされた、「NYのいたるところで起こるゴーストさわぎを聞きつけ解決に走るバスターズ」の点描的モンタージュシーン(0:36:54)で、バスターズが街をうろちょろしているだけでなく、街なかのドロドロを掬ったり(0:37:18)、さらにはきちんとゴーストと対決している。
{セントラル・パークあたりでランニングしている市民の間を猛速度で駆け抜けパニックをおこすゴーストランナーを、進路のさきに封入器をしかけて捕獲したり(0:37:21)、スウェーデンの高級ガラス店オレフォスで、空中浮遊するグラスを発明品の謎レーザー装置で無力化したり(0:38:21)、おなじみの緑の大食漢ゴーストが消防署内に現れたり(0:38:21)}
***
プロダクション・デザインはボー・ウェルチ氏{『ビートル・ジュース』『バットマン・リターンズ』('91)}に交代。
第一作でサブテクスト的に満ちていた、ガーゴイルなどNYのいろいろなところにあるゴシックな彫像たちは、こんかいの第二作ではなりを潜めていました。
他方でニューヨークの土地性が別角度からまた掘り下げられていて、ピンクのどろどろについて調査をしていく過程でバスターズたちは、NY一番街(ファースト・アベニュー)の道のどまんなかを掘り{とうぜん無許可工事をするわけだが、通りかかったパトカーからあやしまれるも「バカ役人のお陰で金曜なのにこれだ」と答えたところ一旦やりすごせたり(0:21:35)、けっきょくバレて罪に問われたさいも「あの道はとっくに大穴だらけだよ」と反論した時に公聴席の観衆から同意の笑みをもらったりする(0:30:52)のが興味ぶかい}、廃線となり地下へそのままにされたニューヨーク地下空圧鉄道にたどりついたりする(0:24:24)。
頃やよしと、ホストが歩み出た。入念に手入れされた口髭を生やした四十代半ばの隆とした人物。このホストが誰か、客たちには即座にわかった。《サイエンティフィック・アメリカン》誌の発行者にして社主のアルフレッド・イーライ・ビーチである。ビーチは当惑に包まれている市の代表者たちの前に立って、洞窟の中をゆっくりと案内してまわった。みなさんが今ご覧になっているのは空圧方式の鉄道ですとビーチは説明した。
「"空圧搬送"はチューブ内に敷設された軌道を使って行なわれ、車両は圧搾空気で駆動されますこの車両は事実上、チューブの中を移動するピストンと言っていいものです」
ビーチは一同に、美しい車両を示した。車両が鎮座している軌道は、明るく照らされた白塗りの円形のトンネルの奥に消えている。トンネルはゆるやかなカーブを描いて、その先、マンハッタンの地下へと続いているのだ。トンネルの入り口上部の要石には、次のような文字が刻まれていた。
空圧交通
1870
白水社刊、ポール・コリンズ著(山田和子訳)『バンヴァードの阿房宮 世界を変えなかった十三人』p.244、「ニューヨーク空圧地下鉄道」より
「ヴァン・ホーン駅のセットはスタジオに組んだ」とウェルチは説明する。「本物の地下鉄をスライムで満たすなんて不可能だろ。これはニューヨークの歴史を見せるチャンスだと思ってね。古くて、タイル張りで、アーチ形天井の地下鉄の駅を作り上げたんだ」
ヴァン・ホーン駅のデザインの参考にしたのは、アルフレッド・エリー・ビーチが1870年代に考案し、実験用線路まで作られた空気圧式の地下鉄だ。
玄光社刊、ダニエル・ウォレス著(河村まゆみ訳/神武団四郎監修)『ゴーストバスターズ ヒストリー&メイキングブック』p.150、「パート2:ゴーストバスターズ2(1989)」19.「腹を引っ込めろカッコよく」より
勝手に道路を掘り、地下埋設電線を傷つけて停電をまねいたことで召喚された裁判所では、裁判長がかつて電気椅子送りにした囚人のゴーストが椅子に座って拘束されたまま電気をバチバチさせながら現れる。
上の裁判所のゴーストさわぎを解決したことで晴れて表舞台で堂々調査できるようになったバスターズは、後半でまたけっきょく官僚に行動制限されるのですが、そのさい拘束衣を着せられ身体的自由をうばわれた状態で、精神病院の閉鎖病棟へ送られることとなります。
うえの電気椅子のゴーストとあわせて「ある意味でまとまりがあるなぁ」と思いながら観ました。
2016年のポール・フェイグ監督版『ゴーストバスターズ』がこうした要素をすくっていかにうまく一本筋のとおった物語として作りあげたかが見て取れ、感心しました。
『2』には、2016年のフェイグ版『ゴーストバスターズ』が見せてくれたようなトピックの強いまとまりこそありませんが、しかしある種の散文的展開だからこそ、説得力をゆうし活き活きしたシーンも拝めました。精神病院から抜け出すためにお医者様に「いかに劇中世界が危機か」を伝えるも袖にされるシーンで、バスターズはただ真実をそのまま伝えているのですが、あまりに荒唐無稽で散漫なために、現実だと信じてもらえないと云う(笑)
***
フェイグ監督の2016年版とおなじように、前作ではヒロインの隣人だったバスターズ周辺のぼけぼけコメディリリーフである会計士(フェイグ版の受付男ケヴィンからカッコよさと筋肉を抜いて、ある程度の知性を加えた人物)が、今回バスターズさながらの活躍を表向きして、その実とくに事態好転とは無関係だっただろう展開が描かれているんですけど。
フェイグ監督版だとぼんやりダイアログとして流して、見た目だけ最高の無知能無気力ダメ男のだめっぷりをさらに描写する脱力展開とした(つまり「ダメなものはダメである」と認めたうえで、「ダメさを犬猫などのような愛玩動物を見るようにかわいがれるのではないか?」という上から目線で楽しむ方法を提示する/現実的なシビアさがある。)のに対して。ライトマン監督による『2』は醜男の無能ながんばりを、非常にドラマチックかつヒロイックな明暗で彩っていて、とにかく愛らしく素晴らしいものとして映している。
フェイグ監督版のアプローチが快かったり、それによって励まされたりするかたはいるんじゃないかと思うんですが(ぼくが知っている分野で言えば、たとえばジュンちゃん(ズンイチ)を華麗にあしらってみせたトヨザキ氏のコラムを読むことで、セクハラ男に対して溜めたフラストレーションが晴れたり、「じぶんもそういう気持ちを持つようにしよう」とちょっとしたロールモデルにしたり)、ぼくとしてはライトマン監督のこの陽性のほうが観ていて心地よいです。
自分に甘いぼんくらだということなんでしょうか。まぁそうかもしれない。
***
赤ちゃんの演技が異様な精度で、冒頭のベビーカーのポルターガイスト騒ぎ(「コメディだしとくにひどいことにはならないだろう」「さすがに色々安全確保したうえで撮っているだろう」と思いながら観ていても非常に不安になる速度で、これ単体でだいぶこわい)で見せる赤ちゃんの不安そうな顔からして観ていてつらくなってしまった。
ポール・フェイグ監督『ゴーストバスターズ(エクステンデッド・エディション)』(2016)鑑賞メモ;3作中いちばん面白いし凄いが、EE版は足踏みが多くてダルい
それは何ですか;
80年代のヒット映画『ゴーストバスターズ』のリブートです。116分の劇場版と133分のエクステンデッド・エディションがあり、後者を最初に観て、03/07に前者を観ました。8.5:1.5くらいの比重で劇場版を推します。
オーディオコメンタリーによれば劇場版は、映画館で大勢で観るうえでテンションがだれないようタイトに編集した作品。EE版は、集中力がより持続するだろう家庭内鑑賞用に再編集したもので、「心理的な流れを重要視」し「アビーとエリンの友情を強調」したバージョン。
PS4のAppleTVで観る人への注意;
itunesビデオ版は、itunes extraから劇場版を観ることが可能なのですが。
PS4のAppleTVアプリ上からitunesで買った今作のビデオを観ようとすると、itunes extrasを観る方法がない(?)っぽいので、必然的にエクステンデッドエディションを観るしかなくなるみたい。
序盤のあらすじ;
(劇場版の冒頭10分が上記リンク先Youtubeで公開されています)
「これから皆様に、やや卦体(けったい)なお話をいたしましょう……*3」
ややや、NYがまたいや初めてケッタイな事態になり始めていた。
「あなたの書いた研究について知りたいのですが」
所属しているコロンビア大学で講義をしていたエリンに質問がとんできた。熱心な学生? いや教室に生徒は誰もいない。
「どの論文についてですか?」
「この本についてです」
落ち着いた装いの老年男性だ。ヘッドハンティング? いやちがう、ゴーストバスティングのお願いだった。
幽霊屋敷に悩まされる家主が、エリンの若き日に記した旧著で共著のオカルト本をたよって彼女のもとへあらわれたのだ。
「どうして? あの本は初版をすべて焼いたはずなのに」
共著者であり現在は勝手にAmazonなどで電書を自費出版しているアビーがつとめるヒギンズ理科大へエリンが文句を言いに行くと、販売停止をエサにアビーとその友人ホルツマンと一緒にその幽霊屋敷へ調査に行くこととなった。
そこでついに机上の空論ではなくゴースト実物を見聞し身体接触さえしたエリンとアビーは、ゴースト由来のベトベトも気にせずアビーと童心に帰って抱き合い喜びを分かち合う。笑みを浮かべながらじしんの大学へ帰ったエリンを待っていたのは、しかし、旧著のオカルト本の存在をつとめ眉間に皺をよせる大学の偉い人だった。
ただでさえ「いない人」扱いだったエリンは学生や教員から積極的にそっぽを向かれる冷遇をうける。エリンはテニュアどころか大学から籍を奪われてしまったのだった。
時同じくしてアビーらも、「なにを研究しているのか分からない」とヒギンズ理科大をおわれる。
そんなわけで3者は結託、じしんの論の正当性や見聞したことの真実性を主張するためゴースト駆除会社を設立し、ゴーストとのさらなる接触を目指す……というお話です。
観てみた感想;
3作中いちばん面白いし凄いですが、ヤキモキする部分が無いわけではなく、むしろ出来が良いからこそそうした不満をつよく感じもしました(EE版は特に)。劇場版はぼくがEE版にいだいた退屈や不満は極小で、むしろ作品にメリハリを与えるアクセントとして逆に楽しめた部分もありました。素朴に面白い・良い作品。劇場版をオススメします。
(エクステンデッド・エディション版はコメディシーンがくどいしタルかった。理由も具体的にシーンをあげて後述しますが、劇場版では境界がある程度キッチリしていた、締めるところとダレ場があいまいなのです)
エクステンデッド・エディションは察するに、人類のたえがたきトロさ間抜けさに重きが置かれているようでした。
(『movie-censorship.com』に劇場版とエクステンデッドエディションの比較記事があります)
▽80年代版がゆる~く出したものを、カッチリ物語に必要不可欠なものとして料理する2016年版の巧みさ
まず美点として、劇中におこるゴースト騒ぎ{見世物(スペクタクル)シーン}と物語のむすびつきは『ゴーストバスターズ』80年代版より遥かに良い。
ゴーストさわぎやその対応をとおしてメインキャラクターの関係性の変化がえがかれ、そしてすべての事件の裏で文字どおり糸を引く悪玉の存在など複数本の経糸が通されていて、80年代版のゆる~い印象からするとおどろくほどキビキビと展開されています。
ゴーストの存在を知った主人公らが、ゴースト対策装備を開発・整え、ゴースト駆除の専門家として世間に認められるも、キャラ(主人公のエリン)の過去のトラウマからくる葛藤がせっかく得た名声を裏切る展開を呼んでしまうが、しかし再起する……みたいな成長譚としてかっちり仕上がっていました。
ケイディ・ディポルド
「彼女たちは徐々に武器に慣れるの その様子をちゃんと見せたかった」
「武器が進化する過程を描こうと言ったのは君だよね」
ディポルド
「そうだった?」
フェイグ
「オリジナル版では最初から武器が完成されてた でも君の案はいいと思う 最初のプロトン・パックは車輪付きで…」
ディポルド
「首輪をはめる」
「ポール・フェイグ(監督)とケイティ・ディポルド(脚本)による音声解説」0:40:19~{『ゴーストバスターズ(2016)』映像特典}
メカオタとしては、バスターズの装備が徐々に改良されていく/豊富な小道具が(それもガワだけでなく内部のメカニックまでデザインされた精細な小道具が)用意されているのが面白かったです。
しかもそうした趣味的な欲求を満たしてくれるだけではなくて、クセのある発明品をうまく使うことが、仲違いしていたり初対面だったりしたバスターズたちの不和や相互理解の成果として現れるストーリーテリングもまたすばらしかった。
たとえば直上の引用でもディポルド氏が言った「首輪」。
ホルツマンの発明品のひとつなのですが、前半のゴースト騒ぎで出てくるこの発明品は、ゴーストが迫り更には一般の地下鉄もまた近づいていく喫緊の事態になってはじめて、ホルツマンからエリンに対してごちゃごちゃ解説される(大事だけど)ちょっとうざったいものとして登場します。
中盤でもほホルツマンからアビーやパティへ提供されるのが(開発途中ゆえにピーキーではあるものの、れっきとした)彼女の発明品である一方で、エリンに対してだけは十徳ナイフと拍子抜けするものが渡される。
こうした倚音が後半のクライマックスで解決され、バスターズの面々が無駄口をはさまず阿吽の呼吸でつぎつぎと開発品を活用していく大立ち回りを演じていきます。
そうした『ゴーストバスターズ』らしいモチーフであり、かつゴースト対策開発品にからめた――順を追った――不和と解消劇がえがかれているのは、主人公であるエリン関係だけではない。
就職のための取引材料としてバスターズに渡したところ、叔父の商売品である車をホルツマンに改良されてしまって怒っていたパティ。
彼女は、映画のクライマックスで80年代版おなじみのプロトンビームの交差でもパワー不足で事態が解決しない(EE版追加シーン1:52:53~)というときに、「ホルツマンが車に積んだ原子炉がそのパワーを補うのに使えるのではないか?」と提案します(劇場版にもあるシーン。EE版1:54:08~)。
ECTO-1。
この車は『ゴーストバスターズ』のアイコンの一つですが、本編でのあつかいとのギャップに驚かされる事物のひとつだと思います。
そこらで中古で手に入れてきた単なる乗り物であり、『2』ではこの車以外にもっとすごいアイコニックな「乗り物」が登場したり……など、じつは意外と影のうすかったECTO-1が物語に必要不可欠なモチーフとして登場するのは、2016年版がなしとげた達成のひとつだと思います。
***
キャラクターについても、80年代版ではふわふわしていた骨を巧すぎるくらいに肉付けしてくれていると思いました。
たとえば80年代版では最初に提示されこそすれ、べつにストーリー進展のうえでは有って無いようなものだったメインキャラのオカルト観のちがい{オカルトに懐疑的なヴェンクマン(演;ビル・マーレイ氏)に対して、レイ(演;ダン・エイクロイド氏)&イゴン(演;ハロルド・ライミス氏)のふたりはゴーストの存在自体は疑っていない}。
16年のリブート版ではここがしっかり転がされている。
オカルト本著者だった過去を隠し、まじめな科学を研究してテニュア間近なエリン(演;クリステン・ウィグ氏)と。
彼女とかつて前述の本を共著し・そしていまもオカルト研究にいそしむアビー(演; メリッサ・マッカーシー氏)が、ひょんなことから再会し、いっしょに行動をしていくことになる……ふたりの対照性がしっかり示されたうえで、このふたりの復縁ドラマとして見応えある映画として仕上がっていました。
プレタイトルでも出てきた序盤の幽霊屋敷のくだりからして素晴らしい。
エリンらがはじめて踏み入れるゴースト騒ぎで明らかになる、いまなお絶えていない彼女のオカルト趣味。しがらみを忘れて目を輝かせて抱き合う二人!
……『ゴーストバスターズ』シリーズおなじみであるあの(しばしば緑の)ゴースト由来のベトベトが、この抱擁においてはたんなるお約束じゃなくて、そんな不快なものが付着していることすら頭からスッ飛んで童心にかえってただただ喜び合う二人を際立たせるための演出材となっている。(いや1984年版でもゆるやかながらも見えていた線ではありましたが*4、それを物語の経糸としてしっかり仕立てたのが2016年版というかんじ。)素材の料理のしかたがあまりにスマートで驚いてしまった。
ホルツマンとエリンが握手する現場は、フレーム外に置いて直接拝ませることはなく。一方ホルツマンとアビーが肩を組む姿やハンドサインし合う姿は、フレーム内で描く……という序盤アビー&ホルツマンの研究室にエリンが訪れたシーンなどからも何となく窺えたことではありますが。
今作は人と人との身体接触やシンクロ(例;ダンス)、とくにエリンとアビー、このふたりの距離感・パーソナルスペースや協調しぐさの変化を見ていくだけでなかなか楽しめる映画だと思います。
・最初のオルドリッチ邸ではひとりゴーストのゲロにまみれたエリンに対して、アビーが瞳を輝かせて彼女へコミュニケーションをとり、エリンから抱擁する/アビーがそれを受け入れる。
・つぎのさわぎの現場である地下鉄シーンでは、アビーがエリンを後ろから抱えて引っぱりホームまで救出する。エリンはまたネバネバ浸しになるが、アビーが率先してエリンに付着したネバネバを取ってくれる。{アビーは「見た今の! いや見えないか」と目のネバネバを手で拭ってくれたりするのだが、前段でケヴィンがじぶんのレンズなし眼鏡に手を当てて目を塞いだりしていたから、ストレートな親愛描写として威力が増している。(※レンズなし眼鏡やそれによるアクションはもともと撮影段階でくわわったアドリブだそうだが)}
(・ストーンブルック劇場のヘビーメタルライブ会場では、アビーが観衆にダイブを受け入れられるいっぽうで、パティは人の海が割れて床に激突。怒り冷めて帰ろうとするパティは、緑の悪魔に肩車される。仕事が一件落着すればバスターズと観客がハイタッチする)
・メルカドホテルの偽解決のあと、悪の親玉に乗っ取られ緑のドロドロを耳や鼻から出す(エクステンデッド版オリジナルシーン。プレタイトルのゴースト騒動の変奏)アビーをホルツマンとパティが救い出す。(後述するハイス博士落下のくだりの対照としてキレイだし、「エリンが不在ならことはうまく行くのではないか?」という考えの補強となって悲しいウマさもある)
・そしてクライマックスの大一番で、緑のドロドロとエリン&アビーそしてホルツマン&パティすべてがからんだアクションがお目見えする……
……非常にきれいな構成だと思いました。
{そしてこの観点からすると、エクステンデッド版は感情曲線が悪い意味で複雑だとおもいました。
エリンとアビーふたりのシンクロ、そしてそれを見て感動したホルツマンがふたりに近寄り3人で肩を組むシーンが、ゴーストバスターズとしての大きな仕事が達成されるストーンブルック劇場での一件よりまえの時点ですでにある(ピザを食べながらのミーティング場面で、EE版ではエリン&アビーがふたりでおこなった小学校時代の自由研究の発表会ダンスを披露する)のです。
(こまかい展開を見ていくと、地下鉄後で劇場まえのピザ食事の席で、エリンの身の上話を聞いてエリン&アビーと肩を組んだホルツマンは、ストーンブルック劇場へ出発する場面でEE版ではエリンが乗ろうとするも車をちょっと動かして乗らせないというしょーもないイタズラを何度も仕掛けたりするのだが、これをホルツマンの性格描写ととらえるか、ふたりが打ち解けた結果ととらえるか、あるいはぐにゃぐにゃ蛇行運転する制御のきいていない物語ととるかは観る人によるんじゃないかって思うのですが、ぼくは最後の感想をいだきました)}
とにかく80年代版のオマージュをしつつ、それをメインストーリーの進展などに貢献するよう活かしている。
エリンがレストランの窓を叩きまくるくだりは『ゴーストバスターズ』1で、ヒロインと同じマンションに住む会計士ルイス・タリー(演;リック・モラニス氏)がゴーストに襲われて助けを求めるシーンを参照したものだけど、1984年版だとレストランのなかにいるのは名前も無いエキストラたちだったのが、2016年版ではゴーストに対する意思決定などをおこなう市長たちが加えて配されています。
またどちらのシーンでもレストランの中にいる人たちに冷たくされるのは変わらないのですが、1984年版ではルイスと一緒にいるはず・且つ誰の目にも見えるだろうはずのゴーストについてエキストラたちが無反応であるというちょっと不可解なシーンとなっているのに対して。
2016年版のシーンでは、エリンはべつにゴーストに襲われて逃げてきたわけではなく、悪玉の目論見にひとり気づいて事前に警告するべくイベント中の市長のもとへ訪れた……というかたちになっていて、レストラン店内の人々のつめたさは『2016年版』においてはパニックを防ぐためにゴーストについて世間へ発表してない市長やその隠ぺい工作の効力を伝えつつ、エリンら「真実の(そして女性の?)研究者」にたいする世間一般の冷たさを描いたシーンとして物語的によく機能してます。
▽EE版は足踏み展開が多い
「ここは劇場版にはないシーンだ 残念だが劇場版ではカットを 上映時間をあまり長くするわけにはいかない エクステンデッド版は2時間15分*5 劇場版*6より15分ちょっと長い(引用者注;じっさいの本編尺は16分ながい)」
ケイディ・ディポルド
「いつもこう思うの "どのシーンも重要なのにどうカットするの?"ってね でもカット後も話が成立してる」
フェイグ
「僕は心理的な流れを重要視する 人物の感情面の描写が途切れないようにね それで多くのシーンを追加したから――他の部分はカットせざるを得なかった アビーとエリンの友情を強調すべきと思ったんだ ただ 絶対に削れないシーンは思った以上に少ないものだよ 作品のペースを決めるのは難しい あるシーンがテンポを悪くすることも そういう時は必要と思われたストーリーや 心理描写を削る必要も出てくる 無理にそれらを残しても 話の流れがもたついてしまうからね」
「ポール・フェイグ(監督)とケイティ・ディポルド(脚本)による音声解説」0:05:37~{『ゴーストバスターズ(2016)』映像特典}(太字強調・文字色替えは引用者による)
……うえのとおり、各要素は充分に連結・展開されていく作品なのですが、2016年EE版は80年代版よりもぼんやりしながら見てしまいました。
というのも2016年版は「これをするぞ!」「ここに行くぞ!」と提示したあとでいちいち足踏みする作品で、エクステンデッド・エディションではその向きが一層つよまっており、テンションが自然と萎えてくるのです。
劇場版の足踏みは、動的な展開にたいして抑揚をつけるアクセントだったり愛嬌として済ませられる範疇だったりしたものが、EE版はその閾値をこえてしまった具合。
(さて、単純な上映時間は劇場版116分でEE版が133分なのですが、クレジットの伸縮などもあるわけで。装飾的なキャストクレジットと後日談的な点描をふくんだ装飾的なクレジットが終わったあと、「GHOST BUSTERS ANSER THE CALL」とタイトルがバーンとでるエンドロールパートに入るまでの時間を計ってみると、劇場版1:49:03まででEE版が2:06:07までだから、16分長くなったとするのが正しいらしい)
ストーンブルック劇場に向かうくだりなんてひどい。
オバカな電話受付による寄り道があったうえで(べつにこれだけなら許容範囲なのですが)、そこから「出動だ!」って主題歌のBGMかかってユニフォームをかかえてオフィスを出たのに、そこからBGMとまって車がくるまで2分ちかく立ち話するうえ、車が来てからも運転手の悪ふざけでドアノブに手をかける⇒車が動いて乗れない⇒ドアノブに手をかける⇒車が動いて乗れない……って二度繰り返すからEE版は車にのるだけで30秒くらいかかる。
これ劇場版だとオフィスの外にでて車に乗るまで21秒(BGM途切れず、イタズラも皆無)なので、ノンストレスで観れるんですよ。
『ゴーストバスターズ(2016)』劇場版0:46:42~
(丸カッコでくくったセリフは字幕化されてないが劇中で発せられているセリフ)
エリン「こんなの見過ごせないわ (私たちは)科学者とパティよ
私たちは立証可能なモノを信じてる」電話がプルルと鳴る
アビー「そうだ」
エリン「だから私たちは 幽霊を捕まえて…」
アビーら電話のほうを向く。エリンも電話のほうを向くも、アビーらへ向き直る。
アビー「捕まえてラボに運んで…(電話が鳴りつづけるので再度電話のほうを向く)ケヴィン 電話に出てくれる?」
ケヴィン「はい ボス (受話器を上げ)ゴーストバスターズ」
エリン「違うって」
ケヴィン「了解(受話器を置く)どっちが利口に見える?(もう片方の手に持っていた写真2枚を掲げる)演奏してるのと聴いてるの」
エリンとアビー「電話は?」
ケヴィン「ストーンブルック劇場にオバカだって」
ホルツマン「装備を車に」ゴーストバスターズ主題歌のBGM
アビー「急げ! 出動だ!」
47:30オフィス外へ出るバスターズら
パティ「これがユニホーム スライムで汚れても平気だ」
47:38(車のクラクション)
アビー「いいね」
ホルツマンの運転するバスターズ社用車が来る
ホルツマン「見てよ!」
パティ「叔父さんの車に何をした?」(ホルツマン「直した」)「霊柩車なのに困るんだよ」
47:51一同、車に乗り込み「サイコー!」出発。主題歌も歌詞パートへ。街を進む車のモンタージュカット
48:13目的地へ到着、大写しにされる車体のバスターズロゴ。引き出しを開け装備を着用する細かいショットの積み重ね。
48:26エリン「行こ…」(アビー「行…」)「任せるよ」
48:33劇場の中へ
……というのが劇場版のながれ。ケヴィンのくだりは前段の電話受付の反復変奏です。ここはそこまで気になりません。(その前段では、悪役が劇場にゴースト発生装置をしかけるところがあったりしますが、いちいち書いてると長くなるし、この前後に引用した箇所だけでクドさがわかると思うから、この記事では割愛します)
エリンとアビーがそれぞれ「行こう」と言おうとしてお見合いするところは、劇場版の流れであれば、テキパキと現場へ駆けつけた前段にたいするアクセントとしてきっちり面白い。*7
『ゴーストバスターズ(2016)』エクステンデッド・エディション0:53:04~
(丸カッコでくくったセリフは字幕化されてないが劇中で発せられているセリフ。赤字はエクステンデッド・エディション独自セリフ)
エリン「こんなの見過ごせないわ (私たちは)科学者とパティよ
私たちは立証可能なモノを信じてる」電話がプルルと鳴る
アビー「そうだ」
エリン「だから私たちは 幽霊を捕まえて…」
アビーら電話のほうを向く。エリンも電話のほうを向くも、アビーらへ向き直る。
アビー「捕まえてラボに運んで…(電話が鳴りつづけるので再度電話のほうを向く)ケヴィン 電話に出てくれる?」
ケヴィン「はい ボス (受話器を上げ)ゴーストバスターズ」
エリン「違うって」
ケヴィン「了解(受話器を置く)どっちが利口に見える?(もう片方の手に持っていた写真2枚を掲げる)演奏してるのと聴いてるの」
エリンとアビー「電話は?」
ケヴィン「ストーンブルック劇場にオバカだって」
ホルツマン「装備を車に」ゴーストバスターズ主題歌のBGM
アビー「急げ! 出動だ!」
53:49オフィス外へ出るバスターズら
パティ「これがユニホーム スライムで汚れても平気だ」BGM終了
アビー「いいね」
53:58エリン「じゃ車に積んで」
フィル「エリン!」
エリン「待ってて」
パティ「誰?」
アビー「エリン!」
エリン「フィル」
フィル「連絡したのにずっと無視か?」
エリン「私が無視?(フィル「yup」)あなたこそ廊下で無視したわ」
パティ「恋人? セクシーだ」
フィル「あいつらは何者だ? あの本のせいで君は"ゴーストハンター"と」
エリン「それは違うわ 幽霊を追い詰めて―もうすぐ捕獲する そしたら研究レポートを」
パティ「きっと色っぽく踊る(アビー「あ~…」と首を横に振る)オケツをくねらせて」パティ、腰を前後に波打たせる
アビー「オシリは振らないよ 下半身はぎこちないね 間違いない」
パティ「見せて」
アビー「こう」アビー上半身をがくんがくんと前後に揺らす
パティ「まさか もっとエロいよ ポップ・ロックだ」
アビー「違うって! そんなのあり得ない ガチガチで歯を出して」
パティ「やめて」
アビー「カッコつけて嫌がられる」
パティ「Vネックを破ると…」
アビー「その下にまたVネックを着てる」両者噴き出す
エリン「人の目なんて気にしない これは革新的なの 重要な仕事なのよ」
55:30車のクラクション。ホルツマンの運転するバスターズ社用車が来る
ホルツマン「見てよ!」
パティ「叔父さんの車に何をした?」
ホルツマン「改造」
55:42パティ「幽霊つきじゃ葬儀場に返せない」
エリン「科学車両よ これから"科学の友"と現場に駆けつけるの それではよい1日を」
パティ「行くぞ!」
ホルツマン「遅いよ 乗って」
パティ「男は帰れ」
エリン後部座席のドアノブを握るも車が走り出して乗れない。数歩先で止まる車。
ホルツマン「エリン 早くしろって」
エリン後部座席のドアノブを握るも車が走り出して乗れない。
ホルツマン「乗って (エリン怒る) いい加減にしな」
56:12一同、車に乗り込み「サイコー!」出発。BGM再開、主題歌の歌詞パートへ。街を進む車のモンタージュカット
56:35目的地へ到着、大写しにされる車体のバスターズロゴ。引き出しを開け装備を着用する細かいショットの積み重ね。
56:49エリン「行こ…」(アビー「行…」)「任せるよ」
56:59劇場の中へ
こちらがエクステンデッド・エディションの流れ。
エクステンデッド版のアヴァンタイトル明けの本編第一シーンで出てきた、(元)恋人が再登場して立ち話をすることになり、そんなふたりのようすを肴にアビー&パティが猥談に花を咲かせます。
「ゴースト少女」時代の経験に端を発する、"世間的に認められたい"というエリンの渇望を刺激するのが、エリンの古巣大学のおかたいコロンビア大の学長ハロルド(演;チャールズ・ダンス氏)や、アビーの古巣大学ヒギンズ理科大学の(『ナッティ・プロフェッサー』だとかのお下品おバカタイプの)コメディ映画らしい学部長トーマス(演;スティーヴ・ヒギンス氏)、そしてマーティン・ハイス博士(演;ビル・マーレイ氏)という年配男性研究者3人からのゴースト否定という感じなのですが。
エクステンデッド版ではその抑圧に彼女と同年代の(元)恋人も加わるというかんじ。クドいうえに他3人とちがって「お仕事シーンへ移るぞ!」というくだりにブレーキかける場面だからかったるい。
一件落着していっしょに踊ったりなどリラックスするバスターズのオフィスに、ハイス博士が現れてふっ飛ばされた後のくだりとかもそう。
すぐさまNYPDが規制線をはって事情聴取をとる事態となって、さらには黒いバンに乗った「政府役人(オフィシャル・ビジネス)」を名乗る偉そうなスーツの大男たち(=のちに政府のゴースト対策組織の一員だとわかる。)が聴取現場へ急行してきて、彼女らを捕縛・ブラッドリー市長(演;アンディ・ガルシア氏)のもとへ連れていく(そしてバスターズは、市民がパニックを起こすのを危惧した市長らから目立った行動をしないよう高圧的に忠告されることとなる)のだけど、市長の書斎ではかれとその補佐がアドリブでどうでもいい世間話をしているさまがEE版では挿入されている。
ハイス博士のくだりは、封印解除されたゴーストの暴力によって、ひとひとりが建物の2階の窓からふっ飛んでしまってそれをバスターズが止められず眺めるしかできなかったという深刻なシーンです。
ゴーストが出てしまった理由もシリアスだ。84年版にもゴーストが封印から逃げ出すシーンが描かれているけれど、環境局から高圧的に命令されてあくまで渋々そうした(というか、そうするのを許した。封印を解いたのはあくまで環境局に連れられ・命令を受けたブルーカラーの電気技師である)あちらとちがって、2016年版のこちらはハイス博士という私人の売り言葉にたいしてエリンという私人が買い言葉で応えてしまったという結果と云う、バスターズの監督責任が問われるような失敗でした。
被害者の身の安全もバスターズ(エリン)の執着心のつよさもどちらも気になるポイント・オブ・ノーリターン(取り返しのつかない事態)、深刻な失敗を見て、更にこわいスーツの大男たちがあらわれた……ということで、シリアスな作劇を期待する。しかし、本編で待っているのは連行先の偉い人々によるふざけた会話と、腰を折られてしまう。
○「つまらないネタでも30回繰り返せば…」クドさは作り手のギャグ観的には良いかたちなのかも?
「このゲームはとことん続ける 」
ケイディ・ディポルド
「つまらないネタでも30回も繰り返せば…」
フェイグ
「面白くなってくる "ボブと熊手"みたいだ 「シンプソンズ」を知らない人は調べてみてくれ 同じことを繰り返してると笑いが生まれる」
「ポール・フェイグ(監督)とケイティ・ディポルド(脚本)による音声解説」1:59:07~{『ゴーストバスターズ(2016)』映像特典}
フェイグ監督はクライマックスの大一番後、ゴーストたちの異界から救い出されてそして明るい陽光のさす建物外へとエリン&アビーが出たあと(EE版1:57:22)、ゴーストに体の自由をうばわれていた市長や政府役人・軍や警察も気をとりもどし、バスターズ4人が抱き合い、受付男ケヴィンも無事だとわかったうえでなんかのんきにメシ食ってるのが判明したところで(EE版1:58:21)、そこから1分余り(EE版1:59:30まで)延々くりかえされる{5人でハイタッチ(EE版1:59:05~)してからもさらにつづける}バスターズとの茶番ダイアログ{アビーがケヴィンのサンドイッチを捨て、ケヴィンが画面外の群衆から投げ戻してもらい(劇場版ではこの1ラリーでシーン終了)EE版ではそこからアビーがもう一度捨て、ケヴィンが水を投げ渡してもらい、マフィンを追加で投げ渡してもらう}について、直上で引用したような見解を述べます。
けっきょくのところ2016年版(EE版)は、メインとなる幽霊退治のプロセスにしっかりしたストーリー目標や骨格を備えている(でたらめに見えた各地のゴーストさわぎが、後半で悪玉がどういう青写真を描いて計画したプロットであるかが明らかになる/各所にちりばめられた痕跡をバスターズが拾い・まとめ・解答を出す探偵劇的構成)や人間ドラマ(疎遠/そりの合わなかったキャラ同士が仲良くなる)がゆえに、意図的にゆるくクドく積み重ねているギャグ/アドリブパートが対比としてメインストーリーの遅滞として映ってしまうジレンマを抱えているのだとzzz_zzzzは思いました。
80年代版はすべてがゆるいから、逆にそうしたゆるさが気にならなかったんだなと、妙なかたちで1984年版を見直すこととなりました(苦笑)
***
80年代版との比較/見直した部分のお話をつづければ、あちらはすべてがゆるかったけれど、でも80年代版って実はアドリブやギャグについてクドい積み重ねってあんまり無かったんだなという気づきを得られました。
(タイトル明けの、ヴェンクマンによるESP実験をエサにした青年イジメとブロンド美女へのアプローチという場面こそ物語の(有って無いような)本筋からするとどうでもいいし、長いけど……)
84年版でクライマックスの大一番を終えて「ニューヨークが大好きだ!」の快哉の声のあと、主題歌をバックにビル外に出て退場するバスターズのくだり件エンドクレジットにしてもセリフは3者3言くらいしかなく。
『2』の、主題歌をバックに大一番の舞台を去って各人の日常を点描したのち「N.Y.♥LIBERTY THANK YOU GHOSTBUSTERS」の表彰で〆られるエンドクレジットに至ってはセリフがひとつもないんですよ。
2016年版のエンディングって、ビル外での"ボブと熊手"@フェイグ監督のあと、市長の見解はいまだ隠ぺいしているがFOX5などメディアの風向きは変わり始めている横で、それはそれとして地元のパブ(※ロケ地はボストンにあるJacobWirthCoというパブ)で「私たちはがんばった」とバスターズで祝杯して終わり……かと思ったら市長の補佐が内密にバスターズの活動を祝福・承認を伝えにきて、80年代版のランドマークである消防署を褒美にもらってメデタシメデタシ……かと思ったら点描的会話劇がいくつか描かれ(EE版だとここもちょっとずつ長くなってるよ!)、最後の最後に「I♥GB」「THANK U G.B.」などとビル窓の光で文字をつくるニューヨーク市民からの感謝・祝福を写してようやく本当に終わる……という、中高生の休日遊びの締まらない帰り際みたいな感じになっているんですよ。
そして前述のとおり、その輪の一員として笑い合うには(あんがい劇場版だと良い具合に多幸感につつまれて眺められるんですけど)、今作はあまりにも物語が物語として整いすぎていた。EE版だとそのクドさは、「テンポの悪い出来の悪い物語」としてしか受け取れませんでした……。
○EE版で話の流れがわかりやすくなった部分はあるが……
エクステンデッド・エディションがすべて悪いかと言うと、物語理解をたすけてくれる追加部分もある。
たとえば上記リンク先の公式書き起こし記事「【映画評書き起こし】宇多丸、『ゴーストバスターズ』を語る!(2016.8.27放送)」では、ミュージシャンで批評家の宇多丸氏が、劇場公開版の難点として……
クリステン・ウィグが勝手にゴーストを解放して、その結果深刻な被害者が出てしまうある展開があるんだけど、そこでそんな無茶なことをするキャラクターっていう理由が全くそこまでの流れでないですよね。
……と言っているけれど、EE版で初鑑賞したzzz_zzzzとしてはエリン(演;クリステン・ウィグ氏)が元カレ含む大学関係者やインテリにゴマ擦りをしたり何だりというシーンを観ていたこともあってか、ここの流れは違和感なかった。
{しかし劇場公開版でも(アビーがコメントを読み上げ、お便りを寄越したゴースト騒ぎに悩まされる女性の心配をしているのに対して、)エリンは、自分たちの研究は科学的妥当性にもとづく真面目な研究であり、ゴーストを捕獲して存在を公に証明することでじぶんたちを否定した世間を見返してやるんだ、という旨の意気込みをしています。
なので「理由が全くそこまでの流れでない」わけではないとぼくは思う。説明(情報)の多寡の問題であり、宇多丸氏が言うような有無の問題ではない、と}
メルカド・ホテルの偽解決後、エリンが自宅で寝間着のままベッドの上で調べ物をしているいっぽうでアビーらがオフィスにいるあたりも、劇場版では「なんか始業まえとかだったのかな」くらいのつもりで観るんじゃないかと思うのですが、EE版ではホテルからの帰り道でエリンがゴシップbloggerをぶん殴って、それがメディアに報じられるくだりと、それによりエリンが他バスターズから距離を置くくだりが映されている。
クライマックスの夜、バルーンゴーストに押しつぶされているアビーらの救い主がバスターズのユニフォームを着たエリンだとわかったさいのホルツマンの歓喜やアビーの神妙な感動顔は、劇場版を観たひとと(そこまで仲違い中だった)EE版を観たひととでそれぞれ異なる感想をもつことでしょう。
▽米国史の暗部的なおもむきさえあるゴースト・悪玉たちの出自
オルドリッチ邸ガイド
「1894年10月25日の朝。朝食が用意されておらず、オルドリッチ氏はかんかんでした。そこで召使を呼びましたが、誰も返事をしません。
なぜか?
実は夜のあいだに、就寝中だったこの家の者たちは一人ずつ刺し殺されていたのです。ほどなく判明したその犯人は、なんと、この家の長女でした。ガートルード・オルドリッチ。
オルドリッチ氏は日記に書いています。
"神が間違われることはありえないが、娘の人格をつくるときは酔っておられたのかも"
家族の恥はさらさぬよう、警察は呼ばず、かれは娘を監禁しました。この地下室に」
パティ
「実はこの上にはむかし刑務所があったんだよ。ニューヨークで初めて電気椅子を導入したところ。でもなかなか死なないからけっきょく観衆が言ったのさ"銃で撃て、電気がもったいない"。そのせいで変なことが起こるんだよね」
さて2016年版のゴーストはアメリカが内々で排除し怨恨をしょうじさせた歴史性がにじまされているようで。
〔始まりのオルドリッチ邸からして、オルドリッチ氏は「タイタニック号から救出した時計を――そのせいでルーマニア人女性とお子さんが救命ボートに乗れなかった――を飾る」NY古くからの名士で、この邸宅は「P・T・バーナムがここで象の曲芸を思いついた」と劇中で説明される。
{※ただしこのオルドリッチ邸のロケ地はボストン大学敷地内の一軒らしい。上述のストーンブルック劇場も、ロケ地はボストン(のワン劇場)で、開発品の試し撃ちをする路地裏もボストン。大立ち回り後の祝杯の場もボストンのパブ。ボストンロケが多かったらしい。
LAのホテルでロケしたりなどした80年代版とおなじく、「すべてNYで済ませるのは大変なんだろうな……」と苦労がうかがえる}〕
座敷牢の女性、電気椅子で/電気椅子の不調で銃殺私刑された人。クライマックスの舞台は、ネイティブ・アメリカンとウォーレン将軍が友好関係を結んだと思ったら突然謎の死を遂げたりなど何度も虐殺のおこった場だと説明され……。
クライマックスでは(べつに後ろ暗い背景をそう背負ったイベントではないけれど)『三十四丁目の奇蹟』で一躍アメリカ全土で有名になったと云う、メイシーズ百貨店が感謝祭の日中におこなうパレード「メイシーズ・サンクスギヴィング・デイ・パレード」のバルーンを参照したゴーストとして襲いかかってきたりする。
そしてきわめつけは事件の親玉!!
80年代版がそうだった異国の謎宗教の異神とか、他国の吸血鬼的存在であるとかではないんですね。
今作の事件の親玉は、アメリカ国内人だろう白人成人男性の非モテなナードであり、それが自殺攻撃(霊的加速器に身を投じて自殺することで自らも強力なゴーストとなり、集めた怨霊の長となる)をおこして高層ビルを倒壊させるんです……
……あの、9.11同時多発自爆テロに見舞われたNYの地で。
話題作なので、いろいろなレビューがあります。
「社会性とか政治性をなるべく考えさせない、感じさせない、虚構らしい虚構にするためにものすごく配慮されている作品だと思った。主人公もゴーストを呼び出す男も「冴えない」「認められない」という動機。そんなに重たくない」と見た藤田直哉&飯田一史両氏のクロストークレビュー(Excite bit コネタ)や、「本当に“ヒーロー不在”の時代なんだと思います。ただ、『ゴーストバスターズ』は戦う相手が幽霊だから、正義とはなにか?みたいなテーマが描かれるわけではないので、トーンとしては比較的明るいままラストまで観ることができる」と見た松江哲明氏のレビュー(RealSound映画部)、実在高層建築の破壊が避けられているところや主人公が市民の避難を市長へ訴えるアクションを起こすところなどにポスト9.11性をみいだす北村紗衣氏のレビューなどなど。
それらとは裏腹に、けっこう怖い映画なんじゃないか、というような印象をぼくはいだきました。
クトゥブが到着したニューヨーク港は、戦後空前の繁栄に見舞われたこの国の、しかもホリデー・シーズンのさなかにあった。高度成長のおかげで、だれもがみな羽振りが良かった。アイダホのジャガイモ農家も、デトロイトの自動車メーカーも、ウォール街の銀行家も。そして、それらすべての富によって、かつて大恐慌で厳しい試練にさらされた資本主義モデルへの信頼感が一気に高まっていた。(略)
その繁栄ぶりをカイロと比較したとき、思いはとりわけ苦かったにちがいない。クトゥブはニューヨークシティの通りをあてどなく歩いた。クリスマス商戦の華やかな照明のもと、街はうかれぎみに輝き、贅を尽した店々のウィンドウには、クトゥブはこれまで耳で聞いただけの家電製品(テレビ受像器やら洗濯機やら)がずらりと陳列され、科学技術の奇蹟が驚くほどの豊富さで、すべての百貨店から溢れ出ていた。エンパイア・ステート・ビルディングとクライスラー・ビルディングのあいだ、マンハッタンのスカイラインの切れ目があると、そこには必ず真っさらなオフィス・ビルや高級マンションが、その間隙を埋めるように建てられつつあった。マンハッタンの南部や、さらには五つの市街の外側でも、厖大な数の移民たちを収容できるよう、巨大住宅プロジェクトが進行中だった。
(略)
だが、ニューヨークは同時に人をみじめな気分にさせる場所でもあった。人が多すぎて、みな機嫌が悪く、競争が激しく、軽薄でうわつき、どこへいっても「満員」の看板に出くわした。酔っぱらいがいびきをかきながら、玄関先を塞いでいたり、娼館の怪しげなネオンに照らされたミッドタウンの広場では、ポン引きや掏摸がうろついていたり、バワリー街では、木賃宿が一晩二〇セントで簡易寝台を提供したり。薄暗い路地には物干し用ロープが張られ、脅迫口調のヤクザの一団が野犬のようにみかじめ料を取り立てていた。英語が不自由な人間には、この街は思わぬ危険をもたらし、クトゥブは生来、あまり自己主張をしないタイプなので、意思疎通はよりいっそう困難なものになった。どうしようもなく故郷が恋しかった。「この見知らぬ場所、彼らが"新世界"と呼ぶ巨大な作業場にいると、私の心、精神、肉体が孤独のうちに暮らすように感じられます」と彼はカイロの友人に手紙を書きおくっている。「この地でいちばん欲しいもの、それは話のできる相手です」と別の友人にも書いている。「カネや映画スター、どの車がいいとか、そんなこと以外の話題について話がしたい。人間や哲学や魂をめぐる真の対話がしたくてたまりません」。
白水社刊、ローレンス・ライト著(平賀秀明訳)『倒壊する巨塔 アルカイダと「9.11」への道』p.21~23、「第1章 殉教者」より(略・太字強調は引用者による)
『ゴーストバスターズ』の今回の悪役をみていると、ぼくはサイイド・クトゥブ氏を思い起こさずにはいられません。
はじめて踏み入れたアメリカの地、ニューヨークで孤独をあじわったエジプト人です。かれはコロラド州立教育大学で勉強をしますが、アメリカへの嫌悪を強めていきます。そこでかれを待っていたカルチャーショックとは何だったのか?
一九四五年のフットボール・シーズンはコロラド州立教育大学にとって不本意な結果となった。(略)アメリカン・フットボールにまつわる大騒ぎは、やはりアメリカは原始的だとするクトゥブの見方を裏書きするものだった。「フットボールと言いつつも、足(フット)は試合でなんらの役割も演じない」と彼は説明を試みている。「かわりに、各選手は手でボールを取ろうとし、ボールを持って走り、ゴールに向かってそれを投げようと試みる。それにたいして、相手チームはあらゆる手段を使って、ボールを持った選手を妨害する。たとえば腹を蹴るとか、腕や脚を粗っぽく折るとか……。その間、ファンたちは"首の骨を折れ! 頭を割ってやれ!"と絶叫するのである」
だが、この孤独なエジプト人独身男性にとって、真の脅威は女性だった。グリーリーは女性的審美眼が行きわたった地域である。アメリカ西部の無骨な入植地と比べると、その差は歴然としている。(略)開発当初から、高学歴の家族者が移住してきた町である。女たちの影響は、大きめのフロント・ポーチを備えた居心地のよさそうな家々、便利でてきぱき応対してくれる多彩な商店、しっかりした公立学校、段差の少ない建造物、比較的リベラルな政治風土に見てとれた。(略)
この遠い西部の町で、サイイド・クトゥブは日々、時代を先取りするような体験をしていた。同時代の大半の同輩に比べてその自己認識や社会における地位の高さ、そして結果的には男性との諸々の関係においてさえも、はるかに先を行く女たちを、みずから見聞できたのだから。「性的関係の問題は単なる生物学的なものよ」。大学でとある女性がクトゥブに説明した。「あなたたち東洋人は、道徳的要素を持ちこむことで、この単純な問題を複雑化しているわ。種馬も母馬も(略)つがうとき、道徳的結果など考えはしないわ。そして、かくのごとくとして、生命はつづいていくのよ。単純にして、簡単、気ままにね」。そう語る女性が教師だという事実は、この発言をよりいっそう破壊的なものにしている、というのがクトゥブの見立てである。(略)
(略)
日曜日は学食が休みなので、学生は自分でなんとかしなければならなかった。クトゥブのようなイスラム教徒をふくむ国際学生の多くは、日曜の夜になると、グリーリーに五〇ヵ所以上ある教会のひとつに足をはこんだ。日曜礼拝が終わると、持ち寄り式の食事会が開かれるからだ。時にはそのままダンス・パーティに移行することもあった。「ダンスホールには黄色や赤や青の電飾が施されていた」とクトゥブはあるときふり返った。「ホール全体が、蓄音機(グラモフォン)から流れる、熱にうかされたような音楽で揺れ動いた。剥きだしの脚がホールに満ちあふれ、腕が腰に回され、胸と胸、唇と唇が合わされ、空気は性愛の気分でいっぱいだ」。そして、聖職者がその光景を是認するかのように目を細め、照明を暗くして、ロマンチックな気分に高めようとさえする。そこで、ある聖職者は「ベイビー、外は寒いわ」という玄妙なバラードをかけたという。その夏に公開された、女優エスター・ウィリアムズの主演映画『水着の女王』の主題歌である。「聖職者は立ち止まり、若き会衆が人を惑わすような歌のリズムに乗って身体を揺するのを見つめたあと、この愉快で、純血な夜を、若者たちが楽しむままに放置した」とクトゥブは皮肉まじりの言葉で結んでいる。
白水社刊、ローレンス・ライト著(平賀秀明訳)『倒壊する巨塔 アルカイダと「9.11」への道』p.35~40、「第1章 殉教者」より(略・太字強調は引用者による)
そうして、かれは過激思想に至ります。
「欧米の白人はわれわれの最大の敵である」と彼は宣言した。「白人がわれわれをうち砕き、隷属させているのに、われわれは自分たちの子供に白人の文明、白人の国際規範、白人の高貴なる目的について教えている。(略)こうした子供たちの心に、それにかわって、憎しみと嫌悪と復讐のタネを播こうではないか。こうした子供たちに、その爪がまだ柔らかいうちに、白人が人間性の敵であること、機会があればすぐさま白人を滅ぼすべきであることを教えこもうではないか」
白水社刊、ローレンス・ライト著(平賀秀明訳)『倒壊する巨塔 アルカイダと「9.11」への道』p.41、「第1章 殉教者」より(略・太字強調は引用者による)
クトゥブのアメリカ旅行とそこで育まれた思想を以上のような具合にまとめたのは、ピュリッツァー賞を受賞したローレンス・ライト著『倒壊する巨塔』。クトゥブは1950年代 - 1960年代におけるムスリム同胞団の理論的指導者となり、ひいては9.11をひきおこしたアルカイダの思想基盤となりました。
ライト氏はほかにも、クトゥブの近くにいたアメリカ人がかれをどのように見ていたか意外でけったいな情報を記しています。
奇妙なことに、アメリカで実際にクトゥブに接した人たちは、彼はアメリカが気に入ったようだとの印象を語っている。彼らの記憶にあるサイイド・クトゥブは、内気で、物腰がやわらかく、政治的ではあるものの、過度に宗教的ではない人物だった。一度紹介されると、彼はあらゆる人の名前を決して忘れることがなかったし、みずからのホスト・カントリーにたいして直接的な批判はめったにしなかったという。
白水社刊、ローレンス・ライト著(平賀秀明訳)『倒壊する巨塔 アルカイダと「9.11」への道』p.41、「第1章 殉教者」より(略・太字強調は引用者による)
『ゴーストバスターズ』の悪玉が、不平を漏らさず呼び出しの電話にこたえる善良なホテルマンをよそおっていたのと同じように。
▽『ゴーストバスターズ』主人公エリン・ギルバートと『食べて、祈って、恋をして』エリザベス・ギルバート
翻訳について。
今作はメインキャラの日本語吹き替えをお笑い芸人さんがつとめたことで、「吉と出るか凶と出るか……?」とちょっとザワついた記憶があります。
オルドリッチ邸のバックグラウンド説明について、字幕も原語も「バーナムが」云々と言ってるっぽいのだが、日本語吹替セリフでは「フーディーニが縄抜けを思いついた」みたいな話になっていたり。
ほかの場面では字幕版だと"「食べて祈って恋をして」よ"って訳されたところが吹替え版だと「こじらせた独女でリケジョってとこ」1:26:15ってなっていたりなど、字幕/翻訳を選択する受け手の層のちがいにたいするターゲッティング戦略みたいなものをちょっと感じました。
字幕吹替にかぎらない日本語圏のにんげんが見るうえでの難しさを覚えた点では、EE版であらたに置き換えられたセリフである、無人の教室へオルドリッチ氏が訪れた際、
(字幕)残念だけど人違いだわ タイトルも長いし
(吹替)それは別人です。そんな長いタイトル、私だったらつけません。
(私訳)あなたがお探しなのは私じゃなくて、やたら長いタイトルが好きなほうのエリン・ギルバートではないかと愚考します。
(原語)I think you're looking for a different Erin Gilbert. One that likes very long titles.」
『ゴーストバスターズ』エクステンデッド・エディション、0:08:16
と言うところ。
ここについてぼくは意味がよく分からなかったのですが*8、どうやらこれ多分、この記事のうえでも話題に出した(/映画の場面としてはこのだいぶ後のシーンで別のキャラから揶揄的に話題にだされる)『食べて、祈って、恋をして』の原作『Eat, Pray, Love: One Woman's Search for Everything Across Italy, India and Indonesia(食べて、祈って、恋をして:ひとりの女性によるイタリア、インド、インドネシアを股にかけて全てを探す旅)』原作著者エリザベス・ギルバートの揶揄をしていたらしい。
(「エリンは"R"でエリザベスは"L"だから、"Erin"にはならんのでは?」とは思うんだけど、まぁ「とても長いタイトルが好きなほう」が何かジョークとして/作品内で機能するのは何かといったら、上のように捉えるしかないと思う)
『食べて、祈って、恋をして』はニューヨークで疲弊した著者がインド人のグル/精神の師(スピリチュアル・ティーチャー)と出会いヨガ・迷走を学んで、イタリア・インド・インドネシアを一年かけて旅して新たな夫とも出会ってしあわせになる本です。
つまり、劇中エリンの共著タイトル『過去からの幽霊』やエリザベス・ギルバートに似たじぶんの名前をひっかけて「そんなスピリチュアル系の自己啓発本、理数系研究者のわたしは書いてないっすわ~」ってシラを切ったセリフが上のものというわけなんですね(たぶん)。
映画版タイトル『食べて、祈って、恋をして』で定着していて、日本語訳書のタイトルも原著ほど長くない(『食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書』)以上、セリフ通りにそのまま訳しても笑えないのではないか? はたして日本語圏のどれだけの人がこのセリフの文脈を読み取れたんだろうか?
……と疑問に思いました。
逆に、
「ただ文脈を整えればそれで良いというわけでもないんだろうな……むずかしいな……」
と思ったのが、オルドリッチ邸のホラーパートの前フリ。
「Now, I gonna tell you something, little spooky」は、たぶん『ゴーストバスターズ』の主題歌をもじったんだろうと思うのですが、「ここで身も毛もよだつお話をしましょう(/吹替"さて、ここからはすこしばかり、気味の悪いお話。")」となっておりました。
そりゃそうよな、先行訳を踏襲して「ここでややケッタイな話を?」ではギャグになっちゃうもんな……。
***
夫に言わせれば、わたしは嘘つきで裏切り者で、わたしが憎いし、二度と口をききたくないということだった。そして翌々日、寝苦しい夜の眠りから覚めたとき、ハイジャックされた二機の飛行機がこの街で最も高い二棟のビルに激突したことを知った。きのうまでは天を突く絶対的な存在に思えた建物が、いまや白煙をあげる瓦礫と化している。わたしは夫に電話をかけて無事を確認し、この惨事にともに涙を流したが、すぐ彼のもとへ行くことはなかった。ニューヨーク・シティのすべての人が、さらなる悲劇を生みださないために憎しみを捨てたその週にも、わたしは夫のもとへ戻らなかった。ふたりの関係がすっかり終わったことをどちらもよくわかっていたのだ。
早川書房刊(ハヤカワ文庫NF)、エリザベス・ギルバート(那波かおり訳)『食べて、祈って、恋をして[新版]』kindle版9%(位置No.7939中 628)、「第1部 イタリア」5より
『食べて、祈って、恋をして』で著者エリザベス・ギルバート氏は、インドネシアで、知人のワヤンへの寄付をつのるメールをしたためるなかで、ニューヨークでの自分を以下のようにふりかえります。
わたしは、七月がくると、三十五歳になります。いまわたしに必要なもの、欲しいものはこの世になにひとつありません。かつてこんなに人生を幸福だと感じたこともありません。もし、いまもニューヨークにいたら、わたしはきっと愚かしくも大きなパーティーを計画して、皆さんをお招きしたことでしょう。皆さんはわたしのために贈り物やワインを買うことになり、お祝いすべてがばかばかしく高くついていたかもしれません。
早川書房刊(ハヤカワ文庫NF)、エリザベス・ギルバート(那波かおり訳)『食べて、祈って、恋をして[新版]』kindle版82%(位置No.7939中 6435)、「第3部 インドネシア」92より
そうして、現在の価値観について記します。
もちろん、この世界には語り尽くせないほどの災害や戦禍があり、そこに巻きこまれたすべての人にいますぐ助けが必要であることはわかっている。でも、そのなかでわたしたちはなにをすべきだろうか。バリの人々の小さな集まりが、わたしの家族になった。どこで見つけた家族だろうが、わたしは家族の苦境をなんとかしたいと思う。そういったことも付け加えた。大勢のアドレスに宛ててEメールを送信しながら、一年で三カ国をめぐるというこの旅に出る前に、友人のスーザンから言われたことを思い出した。彼女はわたしが二度と故国に戻らないのではないかと心配していた。「ねえ、リズ。わたしは、あなたという人を知っている。あなたは今度の旅で誰かと出会って、恋に落ちて、最後はバリに家を買うことになるのよ」
つねにわたしの未来を予言するノストラダムス……それがスーザンだ。
早川書房刊(ハヤカワ文庫NF)、エリザベス・ギルバート(那波かおり訳)『食べて、祈って、恋をして[新版]』kindle版82%(位置No.7939中 6444)、「第3部 インドネシア」92より
『ゴーストバスターズ(2016)』は、途中「NYを救うんだ!」と大きな鬨の声を上げられたりもするけれど、(ストーンブルック劇場の玄関外をかこんでいた群衆を除くと)本編のあいだひとびとはバスターズに冷たい目を向けるだけで、そしてバスターズ自身にしたって映画で大写しにされるのはゴーストを攻撃するアクションだけで、ゴーストに襲われる市民を救い出すようなアクションをほとんど起こしません。*9
(クライマックスのカタストロフィのまえに、エリンが市長に避難対応を直訴し、なしのつぶてと分かると街路で群衆へよびかけはする)
クライマックスの「語りつくせないほどの災害のなか」でエリンが見つけるのは「小さな集まり」「わたしの家族」であり、「なんとか」したのはそんな小さな小さな「家族の苦境」であったりする。
スピリチュアリストのエリザベス・ギルバートがニューヨークを離れイタリア、インド、インドネシアと渡り歩いて得たものは、彼女と名前のよく似た名前の理系の研究者エリン・ギルバートが得たものとよく似ているのではないか? ――ただしエリンはそれを、素敵な恋や新しい夫なしで、ニューヨークから一歩も出ずにそれを成し遂げたのだけど。
80年代版とおなじく、2016年版の『ゴーストバスターズ』もまた、最悪なニューヨークに対する最高の見直しであり祝言だったのではないか?
Q:「女性同士かつ年の離れた2人の同居生活のお話『違国日記』を描くことになったきっかけはなんですか?」
ヤマシタ これまでインタビューなどでこのことについてちょこちょこ聞かれて、そのたびに要領を得ない答えになっているんですが、次の連載をどうするか考えたときに、読者にやさしい話を描こうと思ったのと、女性同士がユナイトする…というと言い方が変なんですが、絆っていう言い方もすごく嫌(笑)、えーと、女性同士の繋がりを描きたい気持ちがあったところに、ポール・フェイグ版の『ゴーストバスターズ』を観て背中を押されたのが大きいです。あれは最高の映画だったので。実はこれというきっかけがないんですよ。連載するからなんか考えなきゃな…と思って考えた(笑)。note、フィール・ヤング / on BLUE 編集部『ヤマシタトモコに『違国日記』のことを聞いてみよう━━トークイベント・完全版レポート公開!!①』
そして、80年代版ではバスターズのユニフォームを着ることのなかったひとびとに対する、最高の後押しになったことでしょう。
『ゴーストバスターズ』(2016)の主人公たちが揶揄された「こじらせ」とは、「孤独」とはいったいなんなのか?
幽霊被害を信じてもらえなかった少女時代のエリン。無人の教室で講義する――ゴーストばりに無視されてきた――エリンの姿や、動画を投稿した彼女らに飛んだ「ビッチどもにゴースト退治は無理」との中傷コメント。彼女らのつとめた大学の学部長らやハイス博士といった、地位が盤石らしい年配の男性たちによる、論の精査をともなわない頭ごなしの否定。市長の補佐をする女性がメディア向けにバスターズを評した、「(字幕)またスタンドプレーです 彼女らは哀れで孤独な女性たちです 「食べて祈って恋をして」よ/(吹替)ヒマでモテない女子たちが会社の宣伝のために、またしても騒ぎを起こしただけですから。こじらせた独女でリケジョってところ」……
……それらは、彼女らに落ち度があったからそうなったりそう言われたりしたのではなく、彼女らがただふつうに生きようとしただけでそう揶揄されたのであり、つまり彼女たちやぼくたちをとりまきその一員でもある社会じたいの落ち度でしょう。
上に挙げたシーンを見ると、映画公開前から向けられたバッシングが思い浮かぶのはもちろんのこと、映画館のそとの私企業もアカデミズムも股にかけさまざまな業界に蔓延した男女不平等問題が思い起こされます。
米国を拠点とするさまざまなテクノロジー企業から収集した、248の勤務評価を分析した結果、女性はネガティブな個人的批判を受け取っているいっぽう、男性にはそのようなことはなかった(7)。女性たちは口の利き方に気をつけ、控えめに振る舞うようにと注意された。また、偉そう、無愛想、きつい、アグレッシブ[ここでは攻撃的の意味]、感情的、非理性的だと批判された。以上の表現のうち、男性の勤務評価にも出てくるのは「アグレッシブ」だけで、しかも「2件とも、もっと積極果敢になってほしいという叱咤激励の意味合い」で使われていた。さらにひどいのは、業績連動型の賞与や昇給に関する複数の研究によって、白人男性は同じ業績の女性やエスニック・マイノリティ[非白人種]の人びとよりも、高評価を受けていることがわかった。ある金融機関を対象とした研究では、同じ職種の業績連動型賞与において、男女間で25%の差があったことが明らかになっている(8)。
河出書房新社刊、キャロライン・クリアド=ペレス著(神崎朗子訳)『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』kindle版26%{495ページ中 129ページ目(位置No.7643中 2016)}、「第4章 実力主義という神話」実力主義のまやかし より
学問の世界での昇進は、論文審査のある専門誌にその人の論文がどれだけ掲載されたかにかかっているが、女性の場合は男性よりもハードルが高い。多くの研究で明らかになっているとおり、女性著者による論文は、ダブル・ブラインド・レビュー(二重盲査読。著者、査読者ともに相手が誰だかわからない方式)のほうが、受理される確率が高くなり、評価も高くなる傾向がある(20)(21)。
河出書房新社刊、キャロライン・クリアド=ペレス著(神崎朗子訳)『存在しない女たち 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く』kindle版27%{495ページ中 133ページ目(位置No.7643中 2016)}、「第4章 実力主義という神話」学問の世界の性差別 より
キャロライン・クリアド=ペレス著『存在しない女たち』をぱらぱらとめくってみると、こんな事例が山のように紹介されています――誇張されたコメディではなく、たんなる現実のできごととして。
『2』については細かい話は省きますけども、一言で言えば、これはもう作り手たちもいまとなっては認めていることなんですけど、「89年は遅すぎた」。こういうことです。89年は、もうとっくに80年代が終わっていたっていう。89年は(内実として)もう90年代なんですよ。つまり、80年代の時代精神の象徴たる『ゴーストバスターズ』はもう時代遅れになってしまったっていう。
TBSラジオ掲載、アフタージャンクション6『【映画評書き起こし】宇多丸、『ゴーストバスターズ』を語る!(2016.8.27放送)』
宇多丸氏は、一作目の大ヒットを受けて発表された『ゴーストバスターズ2』の不発について「時代遅れになってしまったから」と解説します。
『2』を時代遅れにした歳月以上のへだたりが、2016年のフェイグ監督版を2022年のいま観るひとびとにはあるわけですが、あちらと違って今作はいま観ても古びれない。
だってたとえば、日文研の機関研究員で信州大学特任助教も兼任されていた男性研究者が「数千万円ないと入学できない医大入試を女性差別の象徴にするのは馬鹿馬鹿しくて話にならない。お嬢様の自己実現なんて知らんがな」などなどつぶやきをしていたことが問題として表面化したのがつい去年のことで、いまだ解決の兆しを見せていないのが現状なのですから。
そういう悲劇的な現実を笑い飛ばす、力強いコメディなのではないか。
……そんなことがぽつぽつ思い浮かんでおり、あとまた別口から生煮えでアレなことも思い浮かんでおり、もうちょっと考えがまとまったら個別の感想記事としてアップしたいですね。
▽頭のわるい醜男会計士ルイスの無能ぶりを無能なままドラマチックに彩るぼんくらな80年代版にたいして、頭のわるいイケメン受付男ケヴィンの無能ぶりをシビアに描きつつも「そんな無能も愛玩対象にはできるのでは?」と提案する16年版
上の、NYでも恋をしなくても幸せになれる/シスターフッドの賞揚(を全世界拡大公開系映画でえがけた凄さ)などとも重なってくるお話なのですが……。
今作でとくに話題の人物のうちのひとり受付男のケヴィンについて。
何億回と言われてるだろうけどクリヘムがゴーストバスターズでミソジニー丸出しの「おバカな受付嬢」をそっくり反転させて「おバカな受付坊」を演じ切りながら「おバカであることは蔑ろにされることとイコールではない」というステップアップも遂げさせたのはほんと見事なブレイクスルーなんだよね pic.twitter.com/Mmn9LxsCzl
— オザキ (@hontkn) 2021年6月12日
80年代版の受付係の女性ジャニーン(演;アニー・ポッツ氏)の性別逆転版である・「ミソジニー丸出しの「おバカな受付嬢」の反転」などと言われることもあり、じっさい会社の役回りとして受付であること・ジェンダーバランスが一致(かたや男所帯に対して紅一点だったジャニーン/かたや女所帯に対して黒一点であるケヴィン)している点で両者は一致しているのですが、でもその仕事ぶりは正反対だったりする点でうなづけない部分もあります。80年代版のジャニーンは、やる気なさそうな素振りを見せるけどインテリを自称しテキパキと電話をさばいてみせていましたから。
こうした疑問をいだいているひとは、ぼくの巡回圏内だとかにパルサー氏がいるけれど、それ以外にも検索かければあれこれ見つかります。
ゴーストバスターズリブートは最高に面白いんだけど、ホモソクソ男に中指立てていくスタイルの監督がなぜやったのだろうという疑問は実はある。というのも、オリジナル版はぼんくら男の夢ではあるものの、女性陣も皆自立したカッコイイキャラクターであるから。
— キョウ子 (@kyoko_rf) 2016年8月11日
例えばSPYのジュドロやイサムは今までの役柄やスパイものあるあるの揶揄として引き立っていたんだけど、くりへむ演ずるケヴィンはオリジナル版のヒロインとも受付嬢ジャニーンとも全然違うタイプだし、「そういう役柄」全体への皮肉なんだろうけどゴーストバスターズに向けて言わんでもとは思ったり
— キョウ子 (@kyoko_rf) 2016年8月11日
ケヴィンに似ている80年代版のキャラは、むしろヒロインの隣人だった醜男でちょっと頭がよわい会計士ルイス・タリー(演;リック・モラニス氏)なのではないでしょうか。
ルイスもケヴィンほど間抜けではないですが、バスターズから聞いた文言を伝言ゲームでべつのセリフとして発してしまったり、ケヴィンがそうだったようにゴーストに体を乗っ取られたりします。
そして、終盤のケヴィンがそうだったように『2』ではバスターズを助けるためにバスターズさながらの活躍をした……とじぶんでは思いこんで、その実とくに事態好転とは無関係だっただろう展開が描かれているキャラでもあります。
ライトマン監督による『2』は醜男の無能ながんばりを、非常にドラマチックかつヒロイックな明暗で彩ることにより、愛らしく素晴らしいものとして映していたのに対して、フェイグ監督版のケヴィンの活躍はカメラに映されず、ぼんやりダイアログとして流して見た目だけ最高の無知能無気力駄目男のだめっぷりをさらに描写する脱力展開としています。
べつにこれは批判一辺倒ではなくむしろ……
エリン「私としては観賞用として彼を雇いたいけど…」
(アビー「は?」)
エリン「魅力的だわ」
アビー「あれが? おバカすぎる」
ポール・フェイグ監督『ゴーストバスターズ(2016)』劇場版0:32:35~/EE版0:36:15~(丸カッコ内は字幕にならなかったセリフ)
……「観賞用」としてチャーミングなものとして描かれている。
つまりフェイグ版は、「ダメなものはダメである」と認めたうえで、「ダメさを犬猫などのような愛玩動物を見るようにかわいがれるのではないか?」という上から目線で楽しむ方法を提示する/現実的なシビアさがある造形・演出となっています。
ぼくはライトマン監督による80年代版がそそいだまなざしのほうをより快く感じるのですが。でもそれはぼくがぼんくら男だからで、
「フェイグ監督版のアプローチのほうこそ爽快だというかたや、それによって励まされたりするかたはいるんじゃないか……?」
とも思いました。
○「意識のアップデート」「エンパワメント」を評価された事物のいくつかを見てふと思う疑問;トヨザキ氏の渡辺淳一(作品)のいなしかた、○○して優勝する『だから私はメイクする』とある現代バリキャリ女性
こっから俗流社会批評・世間話に足をつっこみ自分の偏見とか浅はかさを露呈しそうな話をしていきます。読んでくれるかたのなかには、「いやぜんぜんちがいますよ……なんもわかってないですね……」と落胆されるかたもいらっしゃるかも。
{かつて、
「まぁアレだと思いながらアレなことを言っている(やっている)という一応の自覚はあるのですが、それでも口に出してしまっているのはつまり、そうした自覚以上に"アレだけどまぁ大丈夫だろう"という気持ちを大きく持っているワケですよね。
それってたぶん差別的な提案をしてポストを降りた東京五輪の式の元プロデューサーや、いつぞやの森喜朗さん(「あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、」)らがやらかしたのと同じメンタルなんだと思うので、気をつけねば」
「OKなんだろうか、NGなんだろうか。(「と考えてる時点で、NGだからやめよう」と動けるようになりたい)」
といったことを日記で書いたけど、それでも書いちゃうんだよな……}
作品に関すること、というよりも、作品に対する評価に関することのお話といったほうがより正しいかもしれない。
私はああいうずーっとおバカで人を困らせまくっているだけの役というのは男性でも女性でもあまり好きではないのだが、ケヴィンがローワンの邪悪な霊に憑依されて調子にのって暴力をふるう場面で、最近アメリカを騒がせてるアホでハンサムでマッチョな白人男性たちをちょっと思い出してしまったので、これはこれでスタッフ流の悪意の表現なのかもとか深読みしてしまった(『ゴーストバスターズ』のクリエイターみたいな連中は、高校や大学でローワンに憑依されたケヴィンみたいな感じの奴らにいじめられていたのかもしれない)。ただ、ケヴィンは全然いいところなし、憑依されて悪事をするだけのバカで終わるというわけではなく、基本的に善良で自分もゴーストバスターズの仲間として精一杯(めちゃくちゃ間違った方向だが)頑張っており、最後にゴーストバスターズの面々がケヴィンを助けようと必死になるあたりはなかなかいい落とし方だと思った。
『Commentarius Saevus』掲載、北村紗衣「ポスト911お化け退治~『ゴーストバスターズ』(ネタバレあり)」より
エリン「私としては観賞用として彼を雇いたいけど…」
(アビー「は?」)
エリン「魅力的だわ」
アビー「あれが? おバカすぎる」
ポール・フェイグ監督『ゴーストバスターズ(2016)』劇場版0:32:35~/EE版0:36:15~(丸カッコ内は字幕にならなかったセリフ)
ケヴィンへそそがれたまなざしでぼくが思い浮かべたのは――ぼくが知っている分野で言えば――「ジュンちゃん」「ズンイチ」を華麗にあしらってみせた書評家・豊﨑由美氏の活動です。
ジュンちゃん、『失楽園』当時と比べると新しいことも覚えたらしく、セックスの最中、冬香に「すごおい」なんてフレーズを連発させてもいます。「すごおい」、援助交際で女子高生にでも教えてもらったのでしょうか。ちょいキモです。ちょいイタです。キモイタおやじです。
ALL REVIEWS再掲載、豊﨑由美「『愛の流刑地』(幻冬舎)評」
前回から続き、渡辺淳一『愛の流刑地』を取り上げますが、ただ引用するだけで、批判的な文章を添えずともダメさ加減を露呈してくれるのが、この小説唯一の美点なんですの。というわけで、皆さんがあえてこの低劣な小説を読まなくても読んだ気になれますよう、とびっきりの名場面を『愛ルケ』の中から拾ってきて差し上げますわね。
(略)
そんな性技見本市男ですもの、花火大会をマンション屋上から眺めた後だって、工夫は欠かしません。〈ならば、花火のように打ち上げてやろうか〉ときて、挿入後、冬香を上に乗せるスタイルを取り、〈前後に、そして上下にと、それは女の側からみれば、夜空に打ち上げられる花火に似て、いきなり下から「どどん」と突き上げられ、前後に揺すられるのと変らない〉と悦に入り、冬香の〈狼狽えぶりが可愛くて、菊治はさらに二の矢、三の矢と花火を打ち続け〉るんですの。どどん。何だかとっても楽しそうです。で、この後ついに菊治は冬香の首を絞め、殺害に及んでしまうわけですが、死亡を確認した後の行動がまた可笑しいんですの。〈蘇生を信じながら菊治は懸命に舐める。両の乳房から脇腹を、そしてお膀から下腹へ、菊治は舌が痺れて抜けるまで舐めまわす〉って、お前は山岳救助犬かっ!?
ALL REVIEWS再掲載、豊﨑由美「『愛の流刑地』(幻冬舎)評」(略は引用者による)
ふゆか、俺はこの流刑地にいるよ、だって此処は狂ったほどおまえを愛して、死ぬほど女を快くした男だけに与えられた、愛の流刑地だから。
この自己愛だだ漏れの陳腐な台詞に、脱力しない読者はおりますまい。でも、この先誰もアナタの小説を読まなくなったって、オデだけは読んだげる。相手になったげる、愛の流刑地で。
ALL REVIEWS再掲載、豊﨑由美「『愛の流刑地』(幻冬舎)評」
「キモイタオヤジ」のあきれる「低劣」ぶりのことごとくを直視して、作品批判にとどまらない「援助交際で女子高生にでも教えてもらったのでしょうか」と人格批判までくわえた大ブーイングをしつつ、最終的には「山岳救助犬」さながらの「ジュンちゃん」をなんだかわからない情感でもって包んでみせる器のおおきな豊﨑氏……
……上のレビューが書かれた90年代当時の日本は、オジサンの書いた男性本位の恋愛小説が大ヒットしたうえ、そのオジサン当人の書いたエッセイ『鈍感力』が時の首相・小泉純一郎氏によって話題にされたりする社会でした。
ズンイチが日経に連載している「私の履歴書」って自伝なの? だとしたら、すごい。大学院生の時に看護婦に手をつけて堕胎させたみたいな悪行を、まるで他人事のように淡々とした筆致で明らかにしている。そもそも悪いと思ってないんでしょうね、ズンは。だからこその、ズン。ウェイ・オブ・ズン。
— 豊崎由美≒とんちゃん (@toyozakishatyou) 2013年1月25日
21世紀も干支ひとまわりしても一向にひどかった。22年の現在もなおひどいでしょう。
そんな「(市民権も権威も有した)世間のふつう」をかろやかにいなして、
「犬か!」
と笑い飛ばして、さらに上へと立ってみせる豊﨑氏の気の持ちようは、とてもすがすがしく映ります。
そして……
ブロスを愛読なさってるような、心がねじくり曲がり曲がって三千里の婦女子の皆さん、そんなあなたのギザギザハートをズキュンと撃ちぬく新人作家が登場しましてよっ。その名も朝倉かすみ! いやいやいやいや、デビュー短篇集『肝、焼ける』を読んでトヨザキ感服つかまつり候。この作家、当年とって四十五歳と今どき大変遅ればせのデビューなんですけど、「貴様は今までどこで何してたんだあぁーっ」と張り倒したくなる、それほど巧いんですの。新人とは思えないほどの力量なんですの。
ALL REVIEWS再掲載、豊﨑由美「『肝、焼ける』(講談社)評」(太字強調は引用者による)
……豊﨑氏が読者として想定していた「心がねじくり曲がり曲がって三千里の婦女子の皆さん」にとって、力強い支えになったんじゃないか?
なんて思ったりします。
女子版ゴーストバスターズの偉大さもさらに身に染みるな…。運動できない、ルックスも”男好み”じゃない、本を読んだり空想したりするのが大好きな女にとって、あれはやっと生まれてくれた祝福だったんだよ。
— 王谷晶『バ バ ヤ ガ の 夜』10月23日発売 (@tori7810) 2020年3月15日
女子高の文芸部所属でしたが3年間文芸的なことは一切せず部室ではみんなでジュリ扇振り回して踊ったりエロ本読んだり相撲とったりセクシーコマンドーの練習したり零式防衛術の訓練をしていました。新ゴーストバスターズには確かにあのノリを思い出させるものがあった…
— 王谷晶『バ バ ヤ ガ の 夜』10月23日発売 (@tori7810) 2016年9月4日
こういう効果(やロールモデルの提示)が、バスターズがケヴィンを扱う態度にあったりするのではないだろうか? と今回観ていて思いました。
ゴーストバスターズについて米国人から聞いた話
— chloeyuki (@chloeyuki) 2016年9月3日
「ケビンがラストでサンドイッチ食べてるのは、米国にはgo make me a sandwich(女は台所で俺の飯でも作ってろ)って有名な性差別主義者が使うフレーズがあって、それを逆転させて茶化したもの」
へえええええええってなった
{※ただしこの場面について、スタッフオーディオコメンタリー2種のどちらもそういう解説をしているかたはいませんでした。また、適当にググったくらいでは、ここについてそういうアイロニーを説いているかたが見つからんかった。
(あと上記chloeyuki氏のこの場面にかんする言及は後年「ラストで女性主人公が男性受付係に同じ台詞を言う、って逆転シーンがある」と、本編にない記憶の改変がおこっている)}
ここでちょっと思うのは、「ポリティカル・コレクトネスによって作品がつまらなくなっている」という反ポリコレ論者にたいする反論として「なるほど……」と思った、
「さまざまな出自や性格のクリエイターが、そういう政治的・倫理的に正しい作品をつくろうと目指したり配慮したりしたのではなくて、自分にとって楽しめる作品を追求した。それが結果的に"こういう"、多様な価値観が推される作品になっているんですよ」
というお話。
今作もポリコレを云々ではなく、(ポール・フェイグ監督は男性ですが)ハリウッドがこれまでスポットを当ててこなかった、見目麗しくもなければ男性でもない「ふつうのひと」にとって快い展開をしていった結果が、今作のケヴィンにたいするまなざしとなるのではないか?
ガンダムが明日も出撃するために
仕事のために○○する女
(略)
私はいわゆる「バリキャリ女子」である。と言っても、24時間仕事漬けで趣味やプライベートを犠牲にしているわけではない。「日々の時間の多くを仕事に捧げているが、オタク活動も仕事も楽しんでおり、萌えと同じくらい、職場での成功に喜びを感じる」と説明すると、しっくりくるかもしれない。
柏書房刊、劇団雌猫編著『だからわたしはメイクする 悪友たちの美意識調査』kindle版38%{179ページ中 65ページ(位置No.1944中 720)}、「CHAPTER1 他人のために」仕事のために○○する女 より
さて劇団雌猫『だからわたしはメイクする 悪友たちの美意識調査』「仕事のために○○する女」では、「宝塚のDVDを見ながら高い栄養ドリンクを飲む。そして顔には美容パック(略)を、肩には「アズキのチカラ」を乗せ、「休息時間」を張りまくった足を」*10……とキャッチ文章にもつかわれた「ガンダムが明日も出撃するために念入りな整備」をしながら充実のオタク活動もこなす女性の日々が、このかた自身の著述によって語られており。
大半は、エッセイを寄せたりインタビューに答えたほかの方々と同じように、自分が「こうありたい」と思い描く理想像や自分らしい姿になるための「自己実現のためのメイク」が語られていきます。
こうして自分を形作っていく確かな手ごたえと楽しみが語られたエッセイを読んで、その生きざまにぼくは「すてきだな」と素朴に感じ入っていくのですが……
……彼女もわれわれオタクと同じようにじぶんの好きなことをして「優勝」*11していくところで、正直ちょっと「えっ!?」と驚いてしまった。
前日も仕事が終わったのは夜9時ごろ。顔をどうにかしようにも、フェイスエステができる店はすでに閉まっている。考えた末、私は男友達を呼び出して、セックスを頼んだ。なぜなら私にとっては、一発で体調や肌ツヤがよくなる手段だからだ。多少なりとも顔がマシになって堂々とプレゼンできたためか、私は優勝した。
部署の評価向上に貢献したことでボーナスは最高額となり、その後の仕事でも「○○年の大会で優勝したホッキョクウサギさん」として認知されて、その評判にたすけられている。
『だからわたしはメイクする 悪友たちの美意識調査』kindle版41%{179ページ中 70ページ(位置No.1944中 786)}、「CHAPTER1 他人のために」仕事のために○○する女 より
「じゃセレブレーションファックしよか」「了解」@島耕作のノリじゃないですかこれ?
現実に生きているかたに投げかけていいことばかどうか分かりませんが、でも「じゃセレブレーションファックしよか」「了解」のノリじゃないですかこれ。
サブカルチャーにくわしい社会学者の金田淳子氏による声がいちばんアクセスしやすいですけど、往年の名作『島耕作』は、その「団塊世代のファンタジー」にたいする批判がよくなされますよね。
ただ島耕作を読まずに漠然と名前だけ知ってる人が、「団塊世代の平凡なサラリーマンライフを描いたもの」と思ってるとすると由々しき事態である。「団塊世代のファンタジーとしての、言い寄ってくる高スペック女性の相手をしてるうちに、いいコネができて出世していくサラリーマンライフ」です。
— 金田淳子|実写ドラマ化ッッ (@kaneda_junko) 2014年9月21日
ぼくには「男が女へおこなったら"時代錯誤だ""モノ化だ"と槍玉にあげられそうだな」と思えてならない(し実際批判されている)描写やライフスタイルが、こと女が男へおこなった事例・創作について現代の聡いかたがたから良きものとして評価されているのは、「いまなお男尊女卑の権力勾配がある社会にたいするカウンターとして有効だから」という面は大いにあるんでしょう。
でも、なんというか、
「マジョリティ*12がのほほんとただで享受している地位・ふるまいに、マイノリティ*13が収まり ふるまえればそれでいいのだろうか?
前者後者がいれかわっただけで、けっきょくおなじ構造がそのまま温存されていないか?」
という疑問が、その「価値観のアップデート」ぶりや「エンパワメント」を褒める声のおおきい作品や文献を見ていて、たまによぎったりしないでもありません。
{そもそもそういう作品が無かったんだ、そういう作品がついに出てきてくれたんだ! という話はあるんでしょうけど。
「ルサンチマンで無差別大量破壊をおこす、こじらせナードの童貞(実際「童貞」と揶揄するシーンがある)イタキモ男の股間を、(わたしたち)女がぶっつぶす(バスターズはプロトンビームを巨大ゴーストの股間へ集中させる)爽快な映画って今までなかったんだよ!」
「"馬鹿な金髪イケメンはクソだが鑑賞対象としてかわいいよね"と(わたしたち)女性がかわいがれる映画がついに出てくれたんだ!」
わたしたちの映画がようやくビッグバジェットで作られるようになったんだ、すばらしい……
……ってコトはつまり、
「キモ女の(処女の)股間を(おれたち)男がぶっつぶすの爽快だよな」
「馬鹿なブロンド美女はクソだが愛玩対象としてはいいよな」と男がかわいがる映画がいつまで経っても無くならない理由も、なるほど納得いくな~~!
というお話になるんじゃないかという気がするんですよぼくには。
でもなんかそうじゃないらしい。
それがよくわからないなぁ、むずかしいな……という}
○2024/06/10追記;翌週しまったが、やっぱり表に出すことにした。
上のいくつかの記事は翌週「やっぱり生煮えだわ」とお蔵へしまったのですが、久々に読み返したらまぁそれなりにまとまっているように思えたのと、以下のはてな匿名ダイアリー記事やそれにたいする反響を見て、
「やっぱり表に出しとこう」
と考えをあらためました。
0306(日)
寝たりオーディコメンタリを聞いたり16年版『ゴーストバスターズ』劇場版観たり。エクステンデッド版よりもはるかに面白いと思う。
■ゲームのこと■
きょうの『Wardle』
あなたは正解できませんでしたが、それでもわたしたちはこのことばを知ってほしいです。きょうのWARdleは「避難所」でした。
You didn’t guess it, but we want you to know it anyway. The wardle was: HAVEN
最寄りのシェルターやそのほか安全な避難所を探してください。そして利用可能かどうか出来るだけ早くチェックしてください。
Find the nearest shelter or any other safe haven and check its availability as soon as possible.
明日はまた別の知識のかけらを得る機会があります。
Tomorrow is another chance to get another piece of knowledge.
0307(月)
■ゲームのこと■
きょうの『Wardle』
正解! きょうのことばは「紙」でした。
Right! The word was: PAPER
書類や紙幣といった重要な紙を防水カバンへ詰めこみ、そして自宅を離れる必要性が生じた場合にそなえて持っておきましょう。
Pack important papers, documents and money in a waterproof bag and have it ready in case you need to leave your home.
より多くのことばを推測すれば――それだけより多くの準備ができるのです。
The more words you guess – the more ready you are.
*1:=いや最近の? 昔の映画関係者・創作者の他者の作品にかんする言及読むと、明け透けな罵倒があったりしてびびったりするよな……。
*2:記事の前段で「好き」や「愛」の話がでたのでこう訳したが、映画の字幕は「ニューヨーク万歳!」/吹替セリフは「この街大好きだ! ははっ♪」。
*3:I gonna tell you something, little spooky
*4:1984年版の冒頭の図書館でのゴーストさわぎでヴェンクマンが意図せず触れて、それを本棚にならぶ本の背表紙で拭く不謹慎ギャグとして登場したベトベト。これが中盤から登場するイヤな役人に、ビル・マーレイ氏演じるヴェンクマンがべとべとのまま握手・肩を親愛的にさわるていでなすりつけるかたちで変奏され。終盤では、バスターズみんながゴースト由来のべとべとにまみれて、そのまま抱擁、キスをしたりします。
*5:引用者注;実際にはビデオ版のタイムスタンプで2時間13分
*6:引用者注;1時間56分。
*7:もっとも、きびしいかたの目からすれば、「キメようとして微妙に締まらないくだり自体が紋切り型のクリシェで飽き飽きだ(映画の予告編を数本みれば、なにかしらこういうギャグシーンが入っている)」というお話はあるかもしれませんが、劇場版の流れはぼくはふつうに楽しめました。
*8:(「エリンが著者じゃないと言い張ってる」以上のことがわからんくって、わざわざOKテイクとして採用するほど面白いネタとは思えなかったのですが)
*9:映画の前半、オルドリッチ邸の動画をみて主人公らへコメントを寄せた「T3レベルのゴーストがいて、引っ越せないし警察も呼べない、友達にも言えない」女性は、はたしてその後どうなったのか? この映画はそれについて全くふれない。
*10:柏書房刊、劇団雌猫編著『だからわたしはメイクする 悪友たちの美意識調査』kindle版40%{179ページ中 68ページ(位置No.1944中 762)}、「CHAPTER1 他人のために」仕事のために○○する女 より
*11:ただこれは、本文で以下に引用したとおり、オタクが使う比喩としての「優勝」ではなく、実際的な「優勝」です。
*12:(男性など、人口比率的な意味ではなく権力的な意味で)
*13:(女性など立場が弱いという意味での)