すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

萌えクストラポレーション礼賛;『A.G.C.T. 』『月刊 来栖川綾香』感想

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 新間大悟著『A.G.C.T. 』『月刊 来栖川綾香』読みました。以下感想。(初投稿時8千字が現在)1万字くらい。

 どちらも18禁の本なので、そうした話題も触れます。ご注意ください。

 

※『A.G.C.T. 』『月刊 来栖川綾香』ならびにその創作元『ToHeart』、そのほか伊藤計劃著『女王陛下の所有物』のネタバレした文章が続きます。ご注意ください※

 

 約言

 とても興味深かったし面白かったです。

 内容;『A.G.C.T.』=『ToHeart』のアンドロイドと、テクノストレスなど現実に提唱された問題とをつなげることで、いまより少し未来に起こりうる問題を考えるSF漫画。絵つき小説みたいになったりする。

 『月刊 来栖川綾香』=『ToHeart』のヒロインと主人公が都会で逢瀬するさまを、写真を加工した背景とそれに見合うほど写実的な書き込みをしたキャラ等自筆部分で描いた恋愛漫画

 記述;ビジュアルは、のちに早川徳間などの一世を風靡する表紙絵相当に写実的。語り口は独特。

 ここ好き;現実(の光景や思想)とのからませかた。コラージュ(オマージュ)された要素の精度のたかさ。

 

ざっと感想

 ひょんなことから新間大悟氏が単独で漫画を描いていると知り、古書ながら流通もあるということで取り寄せ読んでみたところ、これが傑作なのでした。

 読んだのは99年発行『A.G.C.T. 』と00年発行『月刊 来栖川綾香』の2冊。どちらもノベルゲーム『ToHeart』の二次創作で、18禁の読み物です。

 ゲームは未プレイ*1なので、こまかい機微は拾い損ねているでしょうけど、十二分に楽しめる作品でした。

 

 新間氏はいまをときめく東冬氏(佐伯経多氏の現ペンネーム。特にそうだとハッキリ言及があったわけではなく憶測です。が、東氏本人が伊藤氏著作の登場人物にご自分の名前が使われたと仰っていて、伊藤氏の小説には佐伯氏をもじった冴紀ケイタや、映画監督ウーヴェ・ボルをもじったウーヴェ・ヴォールなどが登場する。東氏がヴォル氏でない限りは佐伯氏と見るのが自然でしょうから、ここではそのように言ってます。)とかつて組んで本の表紙を手掛けており、書店の平積みに彼らの表紙を見かけるたび「おっ」と引き寄せられたものでした。

 青春時代を思い浮かべると、かれらによる高いデッサン力と厚塗り系の彩色技術そして少しの漫画的デフォルメをふりかけたSF・ファンタジーの絵と、岩郷重力氏による装丁デザインで彩られているひとは僕だけではないはずです。

 名作『虐殺器官』の早川Jコレクション版の単行本表紙も彼らの手によるものでした。『虐殺器官』の著者伊藤計劃氏と新間氏のコラボレーションはこれが初めてのことではなく、SFジャパン誌で共作されてもいました。当該の漫画『A.T.D:AutomaticDeath』は伊藤氏の短編集『Indiffernce Engine』に採録され、いまでは簡単に読むことのできる作品ですが……ぼくにとってこれはあまり面白くなかった。

 真っ白なコマが多く、背景の描かれたコマもフラットだったり細部を欠いた印象で。写実的なものは同じ写真がコマをまたがって使われ、自筆のコマはシンプルなパースペクティブでたいていの物が無地で、壁にある四角も窓だか額縁だかさだかでない(終盤の墓地がフラットなのは、墓標もまたある種のインターフェースだという劇中言及にあるとおり、意図的なものだとは思いますが、それにしたって……)。

 劇中ガジェットもネーミングセンス(ボルヘスから引く)も、尺を考えればこれくらい端的なほうがよいんだろうけど、むずがゆくなってしまった。

 

 伊藤氏単独の漫画は、同人も商業誌への投稿作も面白いので不思議に思っていましたが、さて新間氏単独の漫画を読んでみるとどうでしょうか、謎はさらにふかまるばかり。

 『A.G.C.T.』は、はっきり言っていちばんおもしろかったです。

「そりゃあ組むよこの二人」と納得の傑作SF漫画だし、もう一作(『月刊 来栖川綾香』)も複数の質感・語りがコラージュされたようなすさまじい作品だし……と、「こんな面白いし波長も合うふたりの合作がどうしてああも……」と。人生なかなかうまくいかないものです。

 

 今作を読んでしみじみ思ったのは、伊藤計劃氏の語り口や価値観というのは、突然変異的にふっと湧いたオンリーワンの異能でなくて、ある程度おなじ方向を向いたコミュニティのなかで培われて研がれていったものだったんだろうなということです。

 ぼくが同人作品に無知すぎるため知らないだけで珍しい例ではないのかもしれませんけど、ページ数が作者の製作コストとしてのしかかる同人誌で、劇中用語解説・文献紹介に費やす(しかも数ページに渡って!)作品、伊藤計劃『女王陛下の所有物』以外にあったんですね……。

{『女王陛下~』の巻末解説は、二次創作元である『007』の映画のスタッフについてバックグラウンドや参照映画の展開紹介といった、自身の注力したオタク的凝りかたを自己紹介する向きが強かったですけど。

 『A.G.C.T.』の巻末解説で挙げられるのは、劇中用語・世界が現実(の思想)によって立つことの説明だったりして。そこは両者の違いなのかもしれません}

 

ToHeart』をエクストラポレーションする

「人間が宇宙に住んだらどうなる?」

という問いがあったとする。

こんな問いに基づいた作品はたくさんある。

けれど、その問いに対する答えは作家の世界観によって異なってくる。

宇宙空間の宇宙線って本当に防ぎきれるのかな。

ポリスノーツ」を作っているとき、小島監督はそう考えた。

そこで出てきた身もふたもない第二の仮定がこれ。

 

スペースコロニーは、大量被曝社会だ」

  『METAL GEAR SOLID 2 SONS OF LIBERTY』限定ブックレット所収、伊藤計劃著『エクストラポレーション礼賛』(『HIDEOBLOG』再録記事)より

  PS2ゲーム『METAL GEAR SOLID 2 SONS OF LIBERTY』限定ブックレットへの寄稿『エクストラポレーション礼賛』で、伊藤氏は『ポリスノーツ』について、「『ガンダム』でおなじみスペースコロニーが実際にあったら、それは大量被曝社会であり、(多量な被曝があるにも関わらず生活できるということは)高度な医療社会なのではないか」

 という旨の思索を挿し込み(エクストラポレーションし)膨らませた小島秀夫氏の想像力をたたえました。

  (略)マルチは(略)容姿は人間そのもの、汗をかき血も流す(という描写はなかったが、顔が紅潮したり目を血走らせたりすることから人工血液が流れていると推測できる)おまけに鼻水やら恥ずかしい汁まで流すという限り無く人間に近いアンドロイド。外部は人工皮膚に覆われ内部はモーターやらなにやらが詰まっている。(略)スナッチャー」に近い今風のロボットだ。

  1999年8月15日初版発行、新間大悟著『A.G.C.T.』P.56「MOLECULAR INPRINTING」より

 小島秀夫の別作『スナッチャー』を挙げつつ『ToHeart』のヒロインについて語る新間氏の『A.G.C.T.』もまた、萌えのエクストラポレーションとでも言うべきディテールと想像力の集積体です。

「『ToHeart』のアンドロイドが現実の世界にいたとしたら、それは高度な技術社会ではないか」「そして、車2台分程度の価格で手に入る設定のアンドロイドに、18禁な仕様が盛り込まれているということは、高度なコミュニケーション不全社会なのではないか」

 そうした思索が、すさまじく緻密に積み上げられていきます。

 

 『ToHeart』キャラと現実をコラージュする(『月刊 来栖川綾香』について)

 そのエッセンスは『月刊 来栖川綾香』で見られます。SF要素こそありませんが、こちらもまた現実世界に『ToHeart』をコラージュし挿し込んだ作品です。

あなたの傍に私は居ますか?

ひとが、ひとらしく在るために。

HM-12 来栖川電工

   2000年11月初版発行、新間大悟著『月刊 来栖川綾香』見返しページ

 『月刊 来栖川綾香』の表紙をめくると現れるのは、『月刊~』本編のストーリーと無関係の、原典『ToHeart』劇中企業の広告ポスターを採録した(ていの)ページです。本編後に別バージョンをもう一枚載せて枠物語のようにはさんでいます。

 広告を打った企業は来栖川電工で、自社の製造したアンドロイドを宣伝する内容です。『ToHeart』ヒロインのひとりであるマルチや別型のアンドロイドが写実的に、濃く階調ゆたかな明暗や衣服のこまかなディテールがつけられた姿で描かれ、実写背景のうえになじむかたちで立っているというもの。

 本編もそれと同様の筆致で丹念に描かれていて、現実の渋谷の雑踏に目を凝らすと、お嬢様キャラ来栖川綾香や主人公がいて、街角の屋上広告や電車の中吊り広告にも『ToHeart』のキャラをつかった宣伝や記事がはめこまれている。

 現実のセレブ・芸能人がゴシップ誌にパパラッチされるのと同じように、主人公と(劇中大企業のお嬢様で、劇中異種格闘技チャンプである)ヒロインの逢瀬も記事となり、『月刊~』ではそれが見開き2ページまるまる使って採録される。そのゴシップ記事には、来栖川綾香の表の顔である総合格闘技チャンプとしての姿が、強い照明の下で手を揚げ笑顔を浮かべるいわゆる格闘技の写真で見かけるような構図で描かれていて……といった具合に、いくつもの質感が『ToHeart』というキャラに結び付けられ、とても生々しい作品となっています。

 

  (脱線)伊藤作品に見られる他作とのコラージュ

 こうしたコラージュは、伊藤作品でもおなじみです。

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 伊藤氏の同人作品『女王陛下の所有物』(03年8月初出*2。スパイ映画『007』の登場人物Mがとある倉庫の奥へと進み、007が製造されるその場に居合わせるという二次創作)では、何の変哲もない農家の倉庫が英国特殊機関謹製であることを示すため壁に刻印された獅子とユニコーンの英国の国章、ガードマンとして立つ男の赤帽の制服が描きこまれています。全体のマンガの語り口としては、悪夢のような内容に見合って『バットマンアーカムアサイラム』のデイブ・マッキーン氏の書き味がオマージュされています。そのほかにも、既存の007俳優の写真をモノクロ2値化しウォーホルのように複製並べたページ(というよりも、伊藤氏が愛したジョゼフ・コーネル的なコラージュととらえるほうが正しそうな感じもします。紋章の押印や番号の付与など、特定秘密機関の機密書類・研究書類らしさが描かれています。)があって、伊藤氏の絵柄で描かれたこれから007になりゆく少年のつるんとした姿(拘束具で磔にされ、脳処理がのちに施される頭は丸刈りにされ、その皮膚面に古めかしい骨相学よろしく、ペンでいろいろなガイドが示されています。)と対比されたりしています。

 商業作品で文字媒体に活動を移した『虐殺器官』では、複数の語りをコラージュしています。クラヴィスやジョン・ポールが第三部プラハでしゃべることは、エピグラフにひかれた『音楽への憎しみ』を参照したものでしたし*3 、第一部でさらっとフレーバーテキスト的に流されるソマリアに関する端役同士の会話はマーク・ボウデン著『ブラックホーク・ダウン』で紹介された現実の軍人と世論等を汲んでいます*4
 『ハーモニー』では劇中世界の辞書的なアプリの文面などがざっくざくと引用というていで描かれておりました。

 

 『ToHeart』アンドロイド(の愛らしさ)と現実をコラージュする

 『A.G.C.T.』は『月刊 来栖川綾香』で見せたそうした目線と思索が、世界構築レベルにまで及んだ作品と言えるでしょう。

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 『ToHeart』ヒロインが裸で体育ずわりのように身を小さく抱く表紙絵を、塩基対の頭文字AGCTの記された半透明の升目が覆い隠す……凝った装丁の『A.G.C.T.』。今作の大部(29ページぶん)を占めるのは、『ToHeart』劇中の大企業の社内がいかなるものか、その地に足のついたディテールです。

 主人公がアポをとってオフィスへ赴き、受付アンドロイドから連絡を内線を受けた成人男性の科学者と、パンフレットなど雑誌の立てかけられた応接間で面会し、IDカードを受け取って、セキュリティチェック用部屋で安全性をスキャンされ、バイオハザードの記号がなされた厚いドアをくぐって、研究所の奥まで案内される。そんなこまごまとしたできごとに、何ページも費やされます。

 社内をすすんでいく途中で主人公・浩之は、社内の壁に貼られたいかにも現実にありそうな企業広告電子基板のうえに「未来を」云々するというスローガンののせられたショットや風光明媚な野山のうえに社名がのせられたショットから成る、動画タイプの広告です。)やパンフレット(先進的な大企業らしい、禁煙とたばこの害に関する冊子)とすれ違い、社内LANの立ち上げ画面、現実の大企業がそうであるように要所に立つ成人男性のガードマンなどに目を止めます。なかでも彼の気をひいたのは、清掃カートを押す清掃員、社内食堂で給仕をする女性の姿です。『ToHeart』の世界だから、ガードマンもアンドロイドですし(伊藤計画著『女王陛下の所有物』でMが倉庫の奥へとすすんでいく途中ですれ違ったガードマンよろしく無言で立つ警備が英国の赤帽のレジメントであったように、今作も一コマしか登場しないモブにも凝っている)、清掃員や給仕もヒロインと同じ顔をした(同じ型番の)アンドロイドでした。

 あの輝かしい学園でかわいらしい制服を着てじぶんに笑いかけ、はにかみ、18禁な青春をすごしたのと同じ顔で、ふつうの作業着や調理着を着たり、自分以外の別のだれかに来客応対する(だろう)姿。それを主人公は無言で見つめます。

 

 虚実のつなげかた・膨らませかた

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―じゃあなんで、限り無く人間に近いロボットなんて造ろうと思ったんだ?

―テクノストレスという言葉を御存知ですか?

ー…

―テクノストレスというのは人間のコンピュータに対する不適応や過剰適応等で起こる精神的ストレスの事です。

   新間大悟著『A.G.C.T.』p.18

―巡回セールスマンのお話を御存知ですか?

―いや?

―セールスマンが数カ所の都市を巡回する場合、最短距離を求めるという問題です。(略)

―成る程な。たしかにマルチも最初はトロトロやってた掃除なんかもちゃんとできる様になったもんな。

   新間大悟著『A.G.C.T.』p.23(略は引用者による)

  『A.G.C.T.』の科学者が主人公に聞かせるのは、心理学者クレイグ・ブロード氏が提唱したテクノ・ストレスやコンピュータ分野でおなじみ巡回セールスマン問題といったAI分野における現実の問題であり、その解決策として『ToHeart』アンドロイドのヒロインが誕生したという現実と虚構とのつながりです。

 ドジっ子であるとか頑張り屋であるとか彼女の愛すべき長所短所が、そうした科学的なパースペクティブにのせられた技術の粋であるということを、あるいは世界規模にコンシューマのいる家庭用電化製品らしい商いの粋であるということを、科学者は説明します。

 

  (脱線)伊藤作品の虚実のつなげかた・思索

 CEEP、という言葉がある。

 幼年兵遭遇交戦可能性。

 そのままだ。初潮も来ていない女の子と撃ち合いになる可能性だ。

  早川書房刊、伊藤計画著『虐殺器官』kindle版 61%、位置No.4769中2874

 発表順は逆ですけど、こうしたつなぎかたやセリフ回しにぼくは、伊藤計劃作品を読んでいる気分になりました。

 『虐殺器官』(07年)では、体内のナノマシンで生命を維持したり、脳の痛覚を送る信号にナノマシンでマスキングをかけることで自身の負傷はわかるが痛みがない兵士などが描かれ、それが"戦闘継続性技術(パーシステンス・イン・コンバット)"による賜物であるらしいことが記されています。

 この"パーシステンス・イン・コンバット"はべつに伊藤氏の造語ではなく、現実にあるアメリカの軍方面でのプロジェクトです。日本版WIRED誌2003年10月15日づけの記事でも報じられているとおり、その研究の一つは痛みを化学作用によって無視するワクチンの開発でした。また、脳内の処理によって痛みを無視してしまう症状(=痛覚失象徴)をかかえた人というのは現実に存在しており、ラマチャンドラン著『脳のなかの幽霊』で紹介されていました。

 伊藤氏はつまり、現実にあるトピックや理屈を劇中世界独自テクノロジーにあてはめることで、もっともらしい世界を構築してみせていたわけですね。

 単純なセリフ回しとしては、同『虐殺器官』の、ジャーゴンを(語られる聞き手はなじみがないかもしれないけど、劇中世界では)既知のものとしてぽんと出す語り口を思い起こします。

 上の例は(P・W・シンガー『子ども兵士の戦争』の知見を反映したものだとはいえ)伊藤氏の造語ですが、語り口としては似た雰囲気をかんじます。

 

   『ToHeart』アンドロイドが現実にいるということがどういうことか、髪の毛一本しゃぶり尽くすほど考える

 浩之さーん

 浩之さん

 びろゆぎざーん

 浩之さん…

   新間大悟著『A.G.C.T.』p.16

 『A.G.C.T.』の科学者は主人公に見せるのは、ヒロインのカメラがとらえ内臓記憶装置に保存された『ToHeart』本編で描かれた主人公との情愛の記録であり、主人公が彼女のそばにいない間で起こった出来事の――『ToHeart』本編にはない*5けれど、人を傷つけないようプログラムされた美少女が、しかも18禁ゲームでヒロインをつとめうる機構をそなえたアンドロイドが現実の高校にいたら起こりうる問題の――記録です。

 そうした描写や展開によって、おなじく18禁ゲームな楽しく感動的な思い出をもつ主人公を揺さぶります――ひいてはゲームのプレイヤー自身を。

 『ToHeart』本編でたしかに心を通じ合わせた(と思っていた)あの日々は、はたしてどのくらいたしかなものだったのか?

 18禁ゲームのイベントを進めることで18禁な情愛を得た自分と、彼女で18禁な欲求を満たした彼らとでは、はたしてどのくらい違いがあるというのだろうか?

 

 『A.G.C.T. 』の科学者は主人公に見せるのは、『ToHeart』のヒロインの、モノでしかない身体そのものです。

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 物々しい区画を抜けたさき、息が白むほど低温の保管庫。「HMX-12」と刻印された金板のある壁の一部がせり出していくことで見えるケースのなかで仰向けにされ目を閉じるマルチは、脱毛され人工皮膚の半分をめくり取られて、その下の機械的な機構をむき出しの状態にされています。引用したページの一つ前の第31ページでは、各機構に番号が振られているのも読み取れます。

 試験運用機という存在が現実にそうであるように、複数の専門企業が関わって作り上げ、文字どおり髪の一本までむしり取られフィードバックされる、ただただ物体としてあるモノの姿。読者はそれをまじまじ見せられることとなります。

 もちろん、今作の数年まえには『攻殻機動隊』の押井守監督によるアニメ映画化もあり*6、そちらですでに機械が人と変わらない見た目へと製造されゆく過程が精彩に描かれていたわけですが、絵柄がより実写寄りな押井『攻殻』と比べて漫画的でかわいらしい新間氏の絵柄でそれが描かれると、ショックはより大きい。

 伊藤氏が『女王陛下の所有物』で『007』というコンテンツの不思議と現実とに向き合った結果として、ジェームズ・ボンドとは文字どおり髪の一本までむしり取られ加工され生み出される物体であろうという結論にたどり着いたように。それに先立つこと4年ちかくまえ、新間氏が『A.G.C.T.』で『ToHeart』の不思議と現実とに目を向けた結果、あるヒロイン観について同じような地平にたどり着いていたのは面白い収斂進化だなあと思いました。

 

 

 『A.G.C.T. 』の終盤では、『ToHeart』のもう一人のヒロインあかりとの逢瀬がえがかれていきます。

 来栖川電工からの帰り道であかりに声をかけられた浩之は、自宅で彼女の手料理を食べ、布団をともにします。

 情事のもようは、見ようによっては浩之が求めるだけだったマルチとの青春とちがい、『ToHeart』のもう一人のヒロインあかりとの逢瀬は、あかりからも求められる相互のコミュニケーションです。と書くと聞こえはいいですが、実際のところはまったく印象がちがいます。

 

浩之ちゃん

   新間大悟著『A.G.C.T.』p.44第2コマ

浩之ちゃん

   新間大悟著『A.G.C.T.』p.42第5コマ

浩之ちゃん

   新間大悟著『A.G.C.T.』p.44第1コマ

浩之ちゃん

   新間大悟著『A.G.C.T.』第3コマ

浩之ちゃん

   新間大悟著『A.G.C.T.』p.45第1・2・3コマ

  主人公の名を熱心に呼ぶ情愛は、主人公の 18禁ゲームな楽しく感動的な思い出を揺さぶり、さらには問題解決のためのテクノロジーがあらたな問題を生み出す不安をもたらしもします。

 

 チューリング完全な、テクノストレスを解消しうるほどに人らしい機械は、新たなストレスを引き起こす要因とはならないか?

 自分に向けられた(と自分がたしかに感じた)あの情愛が特別なものでなかったというのであれば、この幼馴染から向けられている(と自分がかんじる)情愛はどれだけたしかでなく特別でないものなのか?

 

 浩之の家のお茶の間には、たまたま点けた劇中TV報道番組が「クルス・バッシング」――アンドロイドにより仕事を奪われた人々が主となっておこすアンドロイド版ラッダイト運動によって燃えるアンドロイドの姿を報じ、TVの見えない浴室でひとり湯船につかる間でもーーなまの人間であるあかりの歌声が漏れ聞こえるような、あたたかな雰囲気でもーー、浩之の頭からアンドロイドの影を払うことはできません。

  『A.G.C.T. 』はヒロインふたりを明らかに鏡合わせの存在として描いていて、マルチではないマルチが社員食堂の厨房で鼻歌を歌って調理仕事(食器洗浄?)をしている一方で、あかりが浩之の家で歌を口ずさみながら料理をしてみせます。食卓についた浩之が、昼間の来栖川電工の科学者から言われたことを思い返す、明示的なコマも登場します。

 

 コミュニケーションはひとりで取るものではありません。相手とのキャッチボールで、向こうがうまく受け取り投げ返してくる保証もありません。

 あかりが浩之を熱心にもとめる一方で、浩之はなかなかそれに応えられませんでした。浩之とあかりは、男性器が勃起しない、相手が背を向けてふとんをかぶり寝ている横で泣きながら自慰するーーそんな性にまつわるみじめな失敗をふたりで重ね、気まずい沈黙をやぶって本音を言い合い、マルチとあかりとの違いとは何かを、かけがいのないものとは何かを見つけます。

 ただ浩之がそうモノローグする一方で、読んでいるぼくは消化しきれない思いをいだくこととなりました。

 

 『A.G.C.T』がふたりのヒロインを鏡像のように描いていることはすでに述べましたが、ふたりのちがいを浩之がみとめた濡れ場のシーンでも同様のなぞらえが見受けられます。

 相手の腹に手をついた姿、涙の流れる右目、弓なりにのけぞる姿。

 

 表紙を体育座りのようにして身を小さく抱いたアンドロイドのヒロインの姿ではじめた『A.G.C.T』という本は、裏表紙を同じようなポーズをとった人間のヒロインの姿でーーそしてそれを覆う塩基対の頭文字AGCTの記された半透明の升目でしめくくります。

 この家電業界では妙なジンクスがありましてね、小型である方がウケがいいんです。ロボットに於いても男性型よりも女性型…コーカソイド型よりもモンゴロイド型…というようにね。(略)むろん消費者の好みもありますがね。

   新間大悟著『A.G.C.T.』p.24 

  あかりもマルチもモノクロで描かれると(濃淡はあれど)おなじ灰色のショートヘアの少女で、その顔つきも、似たようなルックスをしています。明確にちがうとわかるのは頭身くらいです。これは『A.G.C.T.』や新間氏が描き分けられていないというわけではなくて、そもそも原作『ToHeart』のキャラクターデザインを忠実にすくった、避けがたい結果のようにも思えます。描き手の手癖か、それとも"プレイヤーが好印象をいだくかわいい顔"の収斂進化か?

 『A.G.C.T.』劇中世界のアンドロイド需要について話す来栖川電工の科学者のセリフは、『ToHeart』をプレイした自分のなかで妙に響く。

 触れもし臭いもあるあかりにーー生身の人間に浩之が光明を見出したのとちがって、もとの所有者のにおいの全くしない美品の本をぼくはしばらくの間ながめていました。

 

 

(余談)語りのうまさ

 上にも引用したとおり、独特の語り口の漫画です。

 『A.G.C.T.』がいくつかのページで取った、漫画というよりも挿絵の細かく入った小説みたいな構成にしてしまう思いきりのよい演出は、すばらしい戦略なのではないかと思いました。

 字が詰まりすぎず適度な行間がとれて見やすいし、シーンの演出材としてもすごい。読者に沈思黙考をうながしたい場面にはもってこいの雰囲気があります。(このページ構成は、「どうしても文章量が多くなるから、割り切っちゃえ」という諦観によるものではないと思う)

 

 一般に、視覚情報のつよいマンガという媒体において、説明や個人の心の声あるいは複数の会話ってそれだけで目立ってしまうものですが、そのうえ長文となるとぼくはけっこう気になってしまうタチです。

 推理モノや能力バトル物、あと人数が無数に増えてきた漫画あたりで読者から槍玉にあげられているのを見たことがありますが、細々とした文字のつまったフキダシに紙面が占有されて、コマが窮屈に見えるページ群に出くわすと、ぼくは尻込みしてしまったりします。目も滑ってしまいがち。

 そういうやからにとって、『A.G.C.T. 』のコマ構成は読みやすい。

 

 一般的にフキダシで囲われたりコマ内に収められることの多い、セリフやモノローグやいわゆる"地の文"に類する第三者からの文章。これを、コマ外の余白を大きくとって丸々そこに載せてしまう『A.G.C.T.』のやりかたって、そのほかで使用例を思いつかないけど、先行作はあるんでしょうか。個人的にはコロンブスの卵を見る思いでした。

*1:ではないけど何も覚えてない

*2:宝島社刊『蘇る伊藤計劃』p.142、伊藤計劃「全作品リスト」より。

*3:たとえば、『虐殺器官』にでてくる「耳にはまぶたがない」。

耳にはまぶたがない、と誰かが書いていた。目を閉じれば、書かれた物語は消え去る。けれど、他者がその喉を用いて語る物語は、目を遮蔽するようには自我から締め出すことができない。

  『虐殺器官』p.186・kindle版47%位置No.4769中2186、第三部3より

 これは『音楽への憎しみ』のこんなところから引かれています。

つまり、無限の受動性(不可視の強制的な受容)こそが人間の聴覚の根拠をなしているということだ。煎じ詰めればこうなる。耳にはまぶたがない。

  『音楽への憎しみ』p.99

聴覚は視覚のようにはいかない。見えるものはまぶたで遮ることができる。

  『音楽への憎しみ』p.98

 

 あるいは、ジョン・ポールの言葉。

ゲーテはこう書いた。軍隊の音楽は、まるで拳を開くように私の背筋を伸ばす、とね。われわれが空港やカフェで聴くように、アウシュビッツにもまた、音楽は在った。目覚めを告げる鐘の音、歩調を合わせる太鼓の響き。どれほど疲れきっていても、どれだけ絶望に打ちひしがれていても、タン、タン、と太鼓がリズムを刻めば、ユダヤ人たちの体はなんとなくそう動いてしまう。音楽は視覚と異なり、魂に直に触れてくる。音楽は心を強姦する。意味なんてものは、その上で取り澄ましている役に立たない貴族のようなものだ。音は意味をバイパスすることができる」
 ぼくらが語る言葉の下に潜むもの。

  『虐殺器官』文庫p.223-224・kindle版57%位置No.4769中2666、第三部6より

  これは『音楽への憎しみ』のこんなところが参照されているのではないでしょうか。

ゲーテは七十五歳のとき、こう書いた。「軍隊の音楽は、まるで拳を開くようにわたしの背筋を伸ばす。」

  『音楽への憎しみ』p.204

電気の発明とテクノロジーの発達にともない、突如とめどなく増幅された音楽は、昼も夜も絶えず人を苛立たせるようになった。都心部の商店街やアーケード、通路、デパート、書店、自動引出機が設置されている外国銀行の小部屋ばかりでなく、プールでも、浜辺でも、個人のアパートでも、レストランでも、タクシーや地下鉄や空港の中でも音楽は鳴り響いている。
 離陸し、着陸しようとしている飛行機の中でさえも。

    *

 死の収容所の中でさえも。

  『音楽への憎しみ』p.179

収容所の鐘が起床を告げると、眠りの悪夢が中断されて、現実の悪夢が幕をあけるように。

  『音楽への憎しみ』p.188

プリーモ・レーヴィは、収容所の入口で初めて楽隊がロザムンデを演奏しているのを耳にしたとき、思わず込み上げてきた苦笑いを抑えるのに苦労した。そのとき、彼の目に入ったのは、奇妙な足取りでキャンプに帰ってくる隊列の姿だった。五列縦隊のその行進は、まるで木でできた人形のようにほとんど硬直し、首筋をまっすぐ伸ばし、腕を身体にぴったりとつけ、数万の脚と木靴は音楽に従って動かされ、身体は自動人形のように拘束されているのだった。
抑留者たちは力なく、脚の筋肉は自分の意思とは無関係に収容者の音楽隊が命じるリズムによって動いていた。

  『音楽への憎しみ』p.186-187

カジミエルツ・グウィツカはこう書いている。アウシュヴィッツ強制収容所の囚人たちが、一日の労働に疲れはて、隊列を組んでよろよろとした足取りで帰ってくるとき、収容所の門の近くで演奏しているオーケストラの音楽が聞こえてくると、たちまち元気を取り戻すのでした。」

  『音楽への憎しみ』p.205

ロマーナ・デュラクゾヴァはこう言っている。「(略)この音楽はおれたちを元気づけるものだそうだ。それは戦闘でのラッパの音のようにわたしたちを駆り立てる。この音楽はくたばりかけている駄馬さえも刺激し、あの女たちが演奏しているダンスのリズムに合わせて足並みをそろえさせる。

  『音楽への憎しみ』p.205(略は引用者による)

シモン・ラックス独自の考察は次のような二つの質問の形で大別できる。

 なぜ音楽は「数百万もの人間の殺戮に荷担」できたのか?
 なぜそこで音楽は「きわめて積極的な役割」を果すことができたのか?
 音楽は人間の体を強姦する。

   『音楽への憎しみ』p.183

荒野の苦行僧たちは、イエスの秘密の名イクトゥスを連禱する際に、心臓の鼓動に呼吸のリズムを重ねることを「太鼓と竪琴に合わせて歌う」と称していた。たゆまず連禱を唱えることを正当化するために、彼らは「意味を越えたところに言葉の肉体がある」と言っていた。
 意味を持つものの向こうに言語の身体があるということ、それは音楽の定義だ。

  『音楽への憎しみ』p.232

 

*4:引用して比較してみます。

あの国の惨劇は一九七〇年代にはじまり、九〇年代に激化して、国際社会はその惨状に一度は手を差し伸べようとしましたが、湾岸戦争のあと、あなた方の先輩――特殊作戦群が介入で大きな失敗をし、その作戦要員の死体がモガディシュじゅうを引き回されるのをテレビで目の当たりにしたクリントン大統領は、この厄介なアフリカの地域から撤退することを決めました。

  『虐殺器官kindle版23% 位置No.4769中1061、第二部2より

 「いやいや、あれは確かに失敗した作戦だったのだよ。ただし軍事的にではない。政治的に失敗しただけだ

  『虐殺器官kindle版23% 位置No.4769中1076、第二部2より

世界は最近になるまで、ソマリアを徹底的に忘れ去り、その悲惨から目を背けてきたのです
 世間の関心から「こぼれた」地域。

  『虐殺器官kindle版23% 位置No.4769中1066、、第二部2より

 これの下敷きだとぼくが考える箇所を引用しましょう。少なくとも作戦に従事した軍人が「軍事的には失敗ではなかったけど、政治的には失敗した」という話をするのは、現実の発言にもとづいたものだ……ということが示せたかと思います。

  ブラック・シーの戦闘は、特殊作戦の社会の外では、失敗と見なされたのだ。
 厳密にいえば、すくなくとも軍事的には失敗ではなかった。

  『ブラックホーク・ダウン』下巻p.279

死傷者が多数出たというニュースと勝ち誇ったソマリ族がアメリカ軍兵士の遺体をなぶる映像は、アメリカ国内の激しい不快感と怒りやホワイトハウスの困惑を引き起こし、議会ではアイディド逮捕作戦を即刻中止しろという激しい反対意見が湧き起こった。ウィリアム・F・ガリソン少将麾下の部隊は、戦闘に勝ったかもしれないが、ガリソンが予想したとおり、戦争に負けたのである。

  『ブラックホーク・ダウン』下巻p.280

わたしは、私たちの計画に敵意を示したババルギディル族の幹部に、これは彼らの側から語ることのできる唯一の機会である、国境の他のジャーナリストや研究者は列を成してはいない、と告げた。外の世界はソマリアを忘れた。国際社会の善意という大きな船は、出帆してしまった。われわれはソマリ族の部族政治のひねくれた展開に、もはや関心はない。

  『ブラックホーク・ダウン』下巻p.280

 

もう一例紹介。ソマリアの資源についてです。

ソマリアの資源は
 とウィリアムズが訊いた。エリカ・セイルズは首を振り、
ほとんどありません。見つかっていないだけかもしれませんが、最後に調査が行われた前世紀末までに、石油、鉱物、農作物など、外国に買ってもらえるような資源は一切ないと烙印を押されています。

  『虐殺器官kindle版24%位置No.4769中1090、第二部2より

長きにわたる内戦で、誰もそんな国に投資したくないし、観光に訪れたくもなくなっちまった、ってことだな」

  『虐殺器官kindle版24%位置No.4769中1096、第二部2より

 観光客がいないこと、(外国が投資したくなるような市場価値のある)天然資源がないことは、『ブラックホーク・ダウン』でもふれられているのです。

 天然資源もなく、戦略的価値もなく、世界の商品のもうかる市場になる可能性もないのだから、

  『ブラックホーク・ダウン』下巻p.281

カメラマンのピーター・トビアとわたしが滞在しているあいだ、<ホテル・サハフィ>に宿泊客はほとんどいなかった。当時なにがあったかを正確に知るためにモガディシュへ行ったアメリカ人はわれわれが最初だし、その後も行ったものはいない

  『ブラックホーク・ダウン』下巻p.281

*5:よね? もう記憶の彼方だから覚えてません……

*6:ちなみに『A.G.C.T. 』には『マトリックス』からの引用もある。刊行時期的に予告編からだろうか?