すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

0225(日)

 ■18禁の話題■ネット徘徊■

  批判・撤去されたH&M広告の砂漠パロディ、その波及について
   ▼まとめると

H&Mのキャンペーンの一部が批判されH&Mも撤回した。

 ・ぼくの感覚では正直「そこまで!?」と感じてしまうけど、当地の社会問題など文脈がいろいろあるらしい。

  ・H&Mのキャンペーンは十数年前から行われ、シーズンにより衣装も趣向も違うけれど、Youtube公式CHでアーカイブされたもの7シーズン見た感じ、個人の自己実現や内的充実を謳ったものが多め。直球で「魅力的に見られる存在」として描いたものは意外と少ない。

・上の一件をうけて描かれ𝕏で投稿された砂漠氏のイラストが批判され、そのキャラがメインで出張る漫画を出版した編集部が声明を出したり、別の作家が同誌への寄稿をやめる発表をしたり、砂漠氏が凍結されたりした。

 ・批判されたイラストは、撤回された実写広告からH&Mのロゴを自作18禁マンガシリーズのタイトルへ置き換え、人物を同マンガキャラに置き換え元とおなじ服を着せたうえでスカートをたくし上げるなどの改変を加えた再演物。

  ・「風刺、批評なのだ」との声もあるがzzz_zzzzにはよくわからない。

  ・「小児性愛者が破滅していく砂漠氏のマンガシリーズを知ってれば違うものに見える」との声もあるが、当該シリーズはべつに破滅の厭さを具体的に描いたものではない。

  ・「絵じゃんw現実とフィクションの区別つけろよw」との声もあるけど……

   ・言いたいことはわかるけど……

    ・「いま」問題にされてるのは、H&M回りで「ダメだよね」と合意が取れてた部分へ、後から(当人言「中指立て」る意図でもって)「その基準でさらにダメなもの」をお出しし混ぜ返すひとがいるという紛れもない現実では?

  ・再演絵は、日本でも「エロい・エロくない」と論争が起きる、服の上から体(とくに性的な部分。今回なら尻)のラインを浮き彫りにする改変が加えられている。

   ・そういう表現は、自分が絵を描く場合もほかの人のだいたいも、単なる手癖か立体感・絵の情報密度を上げたいだけだと思っているが……

    ・そういう絵を「中指立て」る目的でやったと表明するひとが出たとなっては、気をつけなければならないかもしれない。憂鬱だ。

 

   ▼本文

 H&Mが十数年おこなっている児童向けイケてるファッションキャンペーン<Back to School(新学期)>の2023~4年版の一部(オーストラリアでの一部広告)が物議をかもし、撤去される事態となりました。

 zzz_zzzzは正直「えっコレそんな紛糾するほどヒドいものなんだ!?」と驚いてしまいましたが……

www.bbc.com

 英語圏はもともとステレオタイプ広告や児童の性的対象化、ルッキズムなどにきびしい(先述のBBCニュースでは、23年イギリスで8~11歳の少女がビキニを着た中国発ネット通販サイトTemuのオンライン広告が広告基準協議会ASAによりBANされた事例もならべて紹介)とか、23年夏にオーストラリアで保育士の男が15年間のうちに91人1623件の性的虐待で逮捕・起訴されるなどしてピリピリムードがあったとかなんかいろいろ文脈があるそうで、「なるほどそういうものか」とも思います。

{キャッチコピーのturn headという語句について「性的な意味でマズい」「いやマズくない」『どんなに調べても、「make those heads turn in~」には、ただ「注目を集めよう!」以外の意味は一切見つからないんですけど。』みたいな話題もあり、ググってみましたが……

 ……という具合で、「性的な意味合いも無くは無いが、そうとしか読めないほど第一義ってわけではない」って感じに読めますね。(「視覚情報と文章との合わせ技で妙な意味を肯定されてるように読める」という立場はまぁ分かる)(でも「殴ると冷たくなる美少女」みたいな「そりゃアウトに決まってるだろ」ってアレでもなさそう?)

 

 H&Mのこの企画はその年そのシーズンによって毎度ファッションもプロモーションも色々で、公式Youtubeチャンネルが上げている動画を中心に過去のキャンペーンを(22年のものから10年のフラッシュモブダンス動画まで)7シーズンぶん見た感じだと、演出・広告内容としてはそのファッション「が」良い……というのは意外と少なめ。むしろ歌やダンスなどのすごいパフォーマンスがまずあって、副次的な要素としてそのパフォーマーが当該ファッションをしている……という関係になっています。

「この服を着ていると、日々がミュージックビデオみたいに彩られるよ」

 という、個々人の自己実現/心理的な充実感を謳うような内容がわりと目立つ。

 22年夏版ならスクールポップをBGMにしたMV風で「H&Mの服を着ていれば、学校生活が全て{登下校、運動(バスケ等)、文化(ダンス・スケート)、理科}カラフルに」という感じの自己実現心理的充実度を宣伝したものだし。

 18年春なら'22夏とおなじく音楽パフォーマンスですが、ダンス一本になっていて、淡い陽光の指す浜辺でパステル調の服の少年少女が集まり,ウーファ版イッツァスモールワールド城からCrossfire『Caliente』が鳴らされ思い思いに踊り狂うという心理的解放感を宣伝したもの。

 17年秋なら「H&Mの服を着ていれば、学校生活が全て{勉強、運動(バスケ)、文化(自撮り)穏やかながらもオシャレに彩られる」というもの。全体の主張は'22に似てるけど、音楽パフォーマンス性は低く。また、3人並び歩く女子のうちの黒ジャケの女子がロン毛の男子(?)に、その男子(?)が廊下を並び歩いてるなか・座り込んだ先述の女子にコミュを送り合い……みたいな繋がりのドラマもある。

 16年秋は'18春方向のダンス広告で「H&Mの服を着れば始業前のストリートでもヒップホップにクールにキマるぜ」という感じのもので、そのダンスバトルは他者からの褒めが少なめで自己実現感がつよめに打ち出されています。16年春は、家の玄関まえで子供たちがたむろし『Everybody's Got A Song To Sing』を歌い奏で足でリズム取りケンケンパするというもの。「さあ自分のやるべきことをやりましょう。(Come on do your thing.) 高みに届くひとだっているでしょう。(Some reach it higher.) 他人をおそれないで。(Don't fear that others.) 誰もが歌いたい歌を得るんです。(Everybody's got a song to sing.)といった歌詞の内容もあわせ、自己実現的な方向性。ただし前述のとおりそれを彩るものは実益のうすいもので、子供らしさ・内面的充実が強めかな。

 15年秋は、Death By Unga Bunga『Lesson Learned The Hard Way』をBGMにシャレた子供たちが記念撮影するというもの。視覚的にはまぁクール方向なんだけど、歌は恋煩いソングで、広告に採用された部分でもけっこう凄い。

 11年の動画は、本編のかわりに撮影舞台裏で男性スタッフとかわされた私的な雑談動画がアップされていて、「ガールフレンドはいる?」と男子演者に聞いてまわったまとめなど。「Not available.」に代表的なように小粋な面白回答も聞けるんですが、質問対象に少女演者はおらず(女子演者版は別トピック)、この当時でも「微笑ましい」で済むラインを探ってる感があります。

www.youtube.com

 H&M公式で上がっているこれ趣向の最古の例は2010年春のフラッシュモブダンス動画。子どもたちがカッコよくダンスを踊ったりダンスバトルしたりするものですね。

 

www.youtube.com

「Make those heads turn in H&M's Back to School fashion.」

 を一部地域でスローガンとした2023年版(日本版プレスリリースも有)、一面ピンクに彩られたスクールバスの通路をランウェイに見立てて、赤毛の白人少女とアフリカ系少年がそれぞれ縦断して後部座席に座るまでの動画広告がつくられたようです。(どちらのバージョンも各国公式YoutubeFacebookに上げられてるけど、両バージョンを一緒にアップされている所がパッと見た感じ無いので、第三者投稿のやつを貼りました)

 他の座席に座る同世代の子たちが前述の主役2人にたいして驚愕や笑顔をうかべて頭をくるりと回すくらい注目する(turn head)……というもので、各人の魅力が描かれていそうなわけですが、少女版のほうだと驚愕顔でリアクションするのは少年が担当し、最後尾で主役が座席につくとき隣でほほえむリアクションをする助演は同性の眼鏡少女だし(彼女もフォーマルなスーツを着ててこれはこれでカッコいい)、性的魅力でどうこうという感じではない

 その方向で気になるのはむしろ少年版で、最後尾で隣にすわる助演が金髪白人少女と黒髪アジア系少女の異性ふたりになっていて、その両人から微笑まれるという構図は(その笑顔自体はべつにそんな風なハートマークが出ているあれではぜんぜん無いものの)、きびしい人が見ると「H&M着る男の子は女の子にモテモテだぜ!」みたいに取れなくもないかもしれません。

 問題となった静止画広告も、このスクールバスをセットに撮られた一枚ですね。

 とりあえずサクッとアクセスできるキャンペーンのうち、H&Mが着用者を直球ド真ん中で<魅力的に見られる側>として描いたシーズンってわりあい少数派で、ランウェイのショービズモデルは悪目立ちしている感は確かにある。

 

    ▽世間で言われる砂漠パロディ絵の風刺性・批評性がよくわからない

 厄介ごとは海を超えてさらなる広がりを見せます。

 スローガンと図像が問題視され撤去されたこの広告について、服装と構図とを18禁の自作キャラ・夜子さんでより煽情的なかたちで再演し、「美少女大好きでごめんね(ぴえんの絵文字)」という文言を付したイラストを日本の漫画家・砂漠氏がじしんの𝕏へ投稿。

 これがまた物議をかもし、18禁キャラを主役とした漫画シリーズの掲載もとである『COMIC LO』編集部が……

本書は犯罪を教唆するものではありません。決して真似をしないでください。
リアルとフィクションを粗雑に結び付ける行為は断じて許されず、弊誌をご愛読されている皆様も同じ思いであると信じております。

(略)

*特に弊誌の内容が苦手な方達に対し、面白半分で目に触れさせる行為は冗談のつもりでもご遠慮ください。

(略)

最後になりますが、弊誌COMIC LOを愛してくださる皆様は、他者を過激な言葉で侮辱し、誹謗中傷する行為は絶対におやめください。どうかお願いいたします。

   茜新社(2024年2月23日UP)、『COMIC LO編集部より読者の皆様へ』(略は引用者による)

 ……間接的なかたちでこの件に対する声明を発表するに至りました。

togetter.com

 砂漠氏のアカウントは凍結し、別IDの2代目アカウントが取り直されるもまた凍結しましたが、2代目アカウントにてイラスト投稿したいくらかの意図の説明と、後悔・反省の意を示されていたといいます。

anond.hatelabo.jp

俺が今回したこと

どうでもいい社会問題に首をつっこむ。

どうでもいい人たちをたくさん刺激する。

どうでもよくない人たちをたくさん心配させる。

どうでもよくない人たちにたくさん迷惑をかける。

自分が情けなくて恥ずかしい。

俺を支持する人もいるようだから、申し訳ないのであらかじめ言っておくけど、俺は今自分が正しいとは思ってない。反省してるかと問われたら自信はないが、後悔は吐くほどしてる。ほっといてほしい。

俺は笑いが欲しかっただけなのに、そのため世間に中指立てる必要はなかった。

 

 このイラストについて「風刺だ」「批評だ」みたいな向きからディフェンスする声もでているんですけど、zzz_zzzzにはそれが(皮肉でなく)本当によくわかりません。どういうメッセージがあるんでしょうか?

 あんまりちゃんと追えてないせいか、これこれこうだと解説までしてくれているかたの意見が見つからなかったので、こちらでいくつか考えてみます。

 

     ○「この程度で性的とかw」的なこと?

「この程度で性的とかw これ(砂漠氏によるパロディ画)くらいやるならともかくさw」

 みたいな話なんでしょうかね? そうだとすると、元の広告とそれに憤る常識人や砂漠氏のパロディ絵に興奮する人とかが一緒に描かれてないこの構図では、そのように読むのはむずかしいと思いました。

 この砂漠氏の画だけだと、元の広告が砂漠氏の主観ではこれくらい申し訳なくなるぐらい「大好き」なイメージに膨らんでしまうという、たとえば過去に壱河ふぇーす氏がアップして物議をかもした主観イラスト群(現実の女性をじしんの絵柄でスケッチしたうえで「とても大きなスーパーおっぱい!」などなどの説明を追加したもの)という線を排除できないのではないでしょうか。

 

     ・「夜子さんは"YesロリータNoタッチ"寓話なんだ」?

 下リンク先はてな匿名ダイアリー氏のように「<真夜中の夜子さん>シリーズは、ロリに手を出したひとが破滅する寓話で、その文脈をふまえればしっかり"YESロリータ、NOタッチ!"な画なんだ」との旨の見方を唱えるかたもいますが……

anond.hatelabo.jp

 

      ・<夜子さん>で禁忌を犯した者の破滅の厭さが具体的に描かれたことはないだろ

 ……ぼくとしては、それにリプライされた別の増田氏のほうがより正しいと思いますね。

anond.hatelabo.jp

 <真夜中の夜子さん>シリーズが――『笑ゥせぇるすまん』の小児性愛版みたいな――夜子さんに手を出した男達が破滅をむかえる(=元増田解釈)・一部は日常に帰る(=リプライ増田解釈)オムニバス作品群なのはたしかにそうで、両増田ともウソを言っているわけじゃなく、大きく倫理観を逸してるひとはより大きな破滅をむかえますし、出歯亀どまりだったタクシー運転手・同世代だった少年はゆるいオチを迎えるという量刑・情状酌量要素が見受けられます。

 

 ただ、それらの破滅が許されざる非道でありその罰が具体的な重みでもって描かれているかというと、リプライ増田の言うとおり、そんなこと無いんですよね。

 FANZAで1話丸々試読ができる社員回やデリヘル教師回、電車痴漢回、車連れ込み輪姦回は漫画で描写された時間軸上で逮捕まで行ったひとは実は誰一人としておらず、だから受刑のもようなどが描かれたエピソードはありません

(「逮捕される回」とした社員回は、FANZAで1話丸々試読できるんで気になる方はお確かめいただきたいんですが「お おい… 誰かなんとかしろよ…」「おっ おお…」と同僚たちは男の乱暴へ慌てふためき棒立ちで見るしかできない、というオチで、逮捕まで行ってません。

 制裁刑罰的な展開としては、被害者の告発をうけ同乗していた周囲のふつうの大人たちに「俺も見たぞ 次の駅で降りろ」「子どもに手出したのかよ 最低っ」と詰められる電車回や、巡査風老年に「おいあんた しっかりしなよ… 困るなあこんなとこで」と街なかにて全裸で寝ていたところを起される/野次馬に写真を撮られる『女の子のおもちゃ』「水曜日の夜子さん」が最大の描写です)

 夜子さんへだけでなく最終的に昼間の一般社会にて一般人へ実際に性暴行に走ってしまう社員回・デリヘル回・電車痴漢回のうち、前2作は(社員回は前述カッコ書き補足のとおり主人公の乱暴を周囲は茫然と見ていることしかできないところで、デリヘル回も密室に連れ込んで乱暴をはたらいたところでオシマイとなっていて)映画版『時計じかけのオレンジアメリカン・サイコ方向でおわる可能性だって否定できないオープンエンドで。

 殺し合いでおわる車連れ込み輪姦回も、そのもようは車のガラス越しに1コマだけ引きの構図によって描かれるのみダークナイト前半のマフィア連中みたいな〆)で悲惨さ醜さはなく、ほかの破滅だと借金(デリヘル回)がありますけど、ヤクザが回収に来るわけでもなくこれまた1コマでおしまい。

 破滅の「具体的な」辛さ痛み厭さはオミットされてるんですよ。

 

 最後に「とほほ……」「チャンチャン♪」オチがひとコマふたコマついてるだけの、濡れ場の魅力に紙幅と筆力がそそがれたポルノなのです。

 そんな一言程度のエクスキューズさえ付いていないレイプ物・ロリ物は五万とあるから、それよりかは倫理的・常識的だと云うのはその通りなんですけど……だからといって、「はたして"破滅を描いてる"みたいに言ってジャンル外のかたがたへ通じるか?」っつったら、無理なんじゃないでしょうか。

 

     ○「単なる絵じゃん、現実とフィクションの区別をつけろよ」のつらさ/物語・約束事を共有する「社会というゲーム」から降りてる感

 「絵じゃん、現実とフィクションの区別をつけろよw」みたいなものもツラいっすね。

 

 ぼくはそういう問題に鈍かったり批判されるタイプの価値観をもっているだろう人間で、たとえば『ラブライブ! サンシャイン!!』みかん広告騒動についても「不快に思うひとがいて、それが不特定多数の目につくパブリッスペースにあるなら、さすがに撤回は仕方ないことだ」と思ういっぽう「この描写ってそこまでなのか……? 手癖で書いてるだけでエロく描こうという意図はないんじゃないか? 見る側もこれでシコらないのでは?(そんなん使わなくてもちゃんと抜ける18禁ポルノを見るよ~!)」と思っちゃったし。

 ポルノへ寄せられる批判についても「架空の存在が性的にまなざされたり消費されたりする分には良くないですか?」とか「実際にポルノ愛好と性犯罪・差別的構造に正の相関があるなら仕方ないけど、そうじゃないなら意味がなくない?」とか思っちゃう派です。

 「ポルノで倫理的によくないものを味わうからといって、現実の性犯罪が好きだとか実行に移したいわけじゃない」と思っているし他人様もそうだろうと思っているので、ポルノの話を耳にすれば弊blogでもはてなブックマークでもふつうに広げていました。

 じぶんでお絵描きするときは、胸部回りなどでも自分が「こんな感じの皺や明暗が発生しそうだな」ともっともらしく思うものをゴリゴリ描き込みをしていき「右肩テンション左肩テンションかどっち起点で発生するシワがそれっぽいかな~」と練りさえする人間なんですけど。

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リンク先・直上の絵は、『シャニマス』の声優さんが他企業のvtuberさんとその作品についてコラボ配信したときの一幕を、声優さんの行動をその作品のキャラへ置き換え描いた……という二次創作ファンアートで、いまふりかえると、壱河氏や砂漠氏のイラストとおなじ倫理的問題が浮上する題材だとおもう。じぶんではそこについて問題ないものを描いたつもりだけど、実際どうかはわからない)

 

 けれど、砂漠氏イラストやそれへの批判に対する再批判を聞いていて、やっと批判派の言いたいことがちょっと分かってきた気がします。

 ちょっと前にこんな記事がバズりましたが……

anond.hatelabo.jp

 ……ここで説明された「(ある性質の人間なので、こういう失敗をしても)仕方ないじゃん」と言われる厭さと、おなじ厭さを「絵じゃん」にぼくは感じました。

 われわれが気にする「エロいかエロくないか」「ポルノが現実社会に影響あるか否か」とかそのテーマの是非・真贋って、今の「この」局面で気にされている部分じゃないんでしょうね。

 ある振る舞いについてイヤだと言った人々Aがいて、言われた側Bがその主張を受け入れその振る舞いをやめた……という両者で共通する物語・約束事のできているところに、第三者Cが後から入っていって、

「その基準からすると明らかにイヤがられる偏向モノマネを意図的にしますわ」

 なんてしだした。そして更にCを擁護するフォロワーcがあらわれた……

 ……という局面において――その誇張モノマネが高尚な批評だろうがネタだろうと、振る舞いが現実社会に悪影響を与えるか否かが不明だろうと――CがAのイヤがることを故意にもっと反発を招く形で再演して(=「中指立て」ていて)AB両者の約束事を無視していること・cもおなじ態度をとっているということは紛れもない本物であり、A(やB)が問題にしているのはそこなんでしょうね。

 ある物語・約束事について共有してくれないどころか裏切りさえするひと(びと)が、はたして自分たちが同一線上にあるとみなす物語・約束事をいっしょに共有・遵守してくれるだろうか?

 制限速度40km/hの道路を60km/hで走る運転手がいるからといって「じゃあそのひとが一時停止を無視し歩道を爆走し人を轢きまくるか?」っつったら勿論そんなことないわけですけど、町内会で引いた「飛び出し注意」の白線に対して「根拠あんの? 気にしすぎ」とわざとアクセル踏むひとを信じられますか? いっしょに社会をやってけますか? っつったら……

 ……そういう感覚なのだとしたら、「たしかにそうっすね、むずかしいっすね……」と思うようになりました。

 

 そのへんの問題意識や重みづけのズレがおそらく原因して、エロコンテンツ好き・フィクションの中だけの特殊性的嗜好(を公言してる)だけで誰かを実際に傷つけたわけじゃない自家発電者よりも、たとえば複数人へ性暴行・強制わいせつをし出所後に男性フェミニストイッタラーとして名声をあつめるも4年で再逮捕・強制わいせつ未遂の罪で1年2ヶ月の実刑判決をうけることとなったひとのほうが社会的信用度高くなるんでしょうね。ここについてキモオタのルサンチマンとしては、なんか是正されるべきすごいバグだって気がどうしてもしちゃうわけですけど、「一緒にやっていく仲間」であると表明するのが大事な社会のなかで、そこへそっぽ向く人が異物として捉えられるのは、まぁたしかにそうっすね……みたいな、悲しい納得感があります。

 

     ○描線・造形にかんする砂漠ラインが生まれやしないかという不安

 さて、賭麻雀には過去の事例にもとづきいわゆる「黒川レート」という法的にセーフか否かひとつの指標となるレートがあるわけですが、公衆衛生・絵画表現にも今回の一件をもとにアウトか否か基準となるような「砂漠ライン」が生まれたりしないだろうか、という不安があります。

 肉体のラインが浮き彫りになるような衣装のデザインや服のシワ描写について、いままで「エロい・エロくない」「性的対象として書いてる・書いてない」と論争がおこってきて、それについてぼくは「大体のものはエロいつもり無く書いた手癖ではないか? しいて目的を挙げるなら(古典芸術でも衣服がペラペラでからだや筋肉の凹凸を浮き彫りにしていたりするように/自作を例に出すなら、下の素描におけるワインを巻く葉っぱの覆いに入れた斜線のように)立体感などの補足や強調として記し、絵の情報密度を上げたいというもののほうが多いのではないか?{じっさい上でリンク張ったぼくのお絵描きも、シワがなければ(セル塗り系絵柄だとなおさら)ノッペリした虚無が広がるから、それを避けるために入れてる部分があります}」と思ってきたわけですが……

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/z/zzz_zzzz/20190526/20190526231752.jpg

 ……今回のように、もとの写真じゃシルエットの出ないフンワリ広まった造形のドレスを、18禁作品のキャラに着せたうえで裾の一部をたくしあげたりするなどして身体に密着させ、尻のラインなどを浮き彫りにする改変をくわえて再演したイラストを「"中指立て"る意図で描いた」とポストされてしまったあとで、おなじようなシワやらなにやらを書いてしまって第三者からその意図を問われたさい「単なる手癖です」「性的な意図でもって描いてない」と返したところで、ひとさまに信じてもらうのはなかなか難しいんじゃないか?

 公共の場で展示されるようなプロの世界とは無縁だしそこまで厳密な注意は必要ない気がしますけど、私的とはいえ不特定多数の目につくネットでお絵描きや文章をアップしているわけで、ひとさまとじぶんとで問題ないラインをいまいちど考えなおしたうえでこれからもオタ活していきたいな……なんて自分の記事をふりかえったら「自作絵」カテゴリの記事の最終更新、3年もまえでやんの

 無にたいしては言及もリアクションもされようがなく、杞憂も杞憂でしたわ。それ以前の問題だった。