すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

 『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』第4・5話を観た鑑賞メモです。

 

第4話「魔女の戦争」鑑賞メモ

 第4話だいたいのあらすじ;

 初陣(第3話)を含めクランバトルで4戦4勝を重ねるマチュ&シュウジポメラニアンズ。法外な賞金を得てもなおシュウジの腹は鳴る。

「地球に行きたい、とガンダムが言っている」

 宇宙船購入のため貯金しているのだと云う。

シュウジは地球行って何がしたいんだろう?」

ガンダムが"行きたい"って言ってるんでしょ」

 マチュの疑問に反駁するニャアンへ、「まさか」とマチュは首を横に振る。

モビルスーツは喋んないし」

 

 ジオン軍ポメラニアンズの尻尾を掴めないなか、カネバン有限公司を訪ねてくる者がいた。シイコは、カネバンの女ボス アンキーの昔馴染で、元連邦MSパイロットにして撃墜王。シイコの目当ては赤いガンダム。引退後にしあわせな家庭を築いたものの、MAVを殺した赤いガンダムの首も今なお欲しくなり、単身イズマ・コロニーへ乗り込んだのだった。

 ついに始まった第5戦。シュウジとシイコの戦闘は、マチュを置き去りにするほど勢いを増し、ゲームを越えた殺し合いとなり、やがて宇宙に謎の声が響き渡る……。

 

 

 感想;

 映画先行公開範囲をこえた完全初見エピソード。

 宇宙世紀(UC)79年戦争時代の因縁がクランバトルまで踏み込んできて、血生臭さがついに噴出した回であると同時に、ニュータイプの"キラキラ"の分からなさ・薄気味悪さもまた描かれた回でしたね。

 

 第4話でマチュが出会ったシイコは、「特別だと思ってた自分のMAVを倒した特別な赤いガンダムさえ倒れたのだから」とモビルスーツから降り、「ふつう」の一児の母として日常を送っていた人物。実は倒れていなかったと判明した赤いガンダムを「ふつう」である自分の手で潰すことによって、「特別なんてものはないのだ」って証明しようとします……

 ……普通の進路希望先を書いて数歩さきを行った場合のマチュと言ってしまいたい。

 夕暮れどき、川と並行して伸びる道を歩く二人が、キラキラした橙色の水面を背景にすることでシルエットと化し、短髪の顔だけ見るとどちらがどちらだかパッと見わからなくなるショットは、まさしくそんな印象を強めます。

(武器を放置し肉を切らせて軌道を操り骨を断つ戦法も、マチュが第1・3話でできることを極めた先という感じがしないでもないけど、そこに共通項を見出すのはさすがに穿ち過ぎか~?)」

 

note.com

 シイコ関連については、人間が大好き氏が4月30日に投稿された人間が大好きnoteイコはなぜ"赤い"ガンダムに執着するのか? 『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』4話感想・他(2025年4月29日の日記)」が興味ぶかかったですね。

 

 

  正しくないこと、スマートじゃないことの難しさ

 そんなシイコ他にとって後戻りできない事態が起きるわけですけど(つまり人の生き死に・殺人が起きるわけですけど)……ううむ、別のスタッフ・スタジオが製作したシリーズ過去作Gレコンギスタのエラさと『Gレコ』同様の難しさに思いを馳せる鑑賞となりました。

 一言で言えば、

「"正しい"こと・"スマート"なことへ向かって進むのは受け入れやすいけど、そうじゃないことは受け入れがたい」

 という、根本的な問題になりそう。

 

 

   ▼正しいことを、魅力的じゃないし正しくもないガイドに付き添って進む;『Gレコ』監督お墨付きの「過激狂暴テロリスト」にして「やらしいイケメンと寝た」女、アイーダさん問題

 『Gレコ』は、「正しいことをしたい」「殺人はいけない」という万人に受け入れられやすい倫理を芯とする人物ベルリが主人公である作品で、第2話でベルリのおこした殺人が色々な形で尾を引き続け、ベルリ自身も色々考えたすえ引き受けるという作品でした。

 第2話の殺人じたいは不可抗力・正当防衛の色が強いような、仕方のないもの。ベルリも複数名からその方向性で擁護・慰められ、地元の共同体からも被害者側の共同体からも刑罰の対象となることはありませんでした。

 『Gレコ』をむずかしくしているのが、たった一人「否」を力強く唱えるアイーダさんというキャラとその関係。アイーダさんと同舟することにより主人公ベルリは、第2話の罪滅ぼしをするし、最終的には、たとえじぶんが劣勢になろうと無差別大量殺人兵器をつかわず、個別の戦闘でも相手の戦力を奪えども命は奪わないような境地に辿り着きます。正しい。あまりにも正しい。そして正しさが(他を害するような)その人自身のイチ信条でしかないという含みを大いに有しているところもまた、本当に正しい……

 ……うん、それ自体は正しいんだけど、そこに至るまでの道のりは難しい。

 

 真っ白でこそないけれど是とする理がいくらでもあるものを、頭ごなしに真っ黒だと否定するアイーダさんの主張へまず頷けない。そういう理屈面での難しさがあります。

 また――これ自体はベルリやアイーダが悪いというわけじゃないですけど――ベルリがアイーダ一派に同舟することで、ベルリの同郷コミュニティのタカ派へ「ベルリを救出する」というアイーダさんの国へ攻め入る建前を与えてしまっているあたりも(そしてそこについてベルリは気しないあたりも)、難しい。

 ベルリがそんな偏ったアイーダさんと同舟するのは、かれがアイーダさんへ恋慕しているのも一因で、これ自体は理解できる人間心理であり物語の筋でしょう。あばたもえくぼというわけですな。

 うんうん、ベルリくんにとってはそれで良いんでしょうよ。でも観客であるzzz_zzzzはべつにベルリほどにはアイーダさんへ魅力を感じていないから、心情面でもついていくのが難しかったんですよ。

 アイーダさんはスマートじゃない人物で、それもそのはず、嫌われる要素を意図的だったり複合的要因だったりによって詰め込まれたキャラクターなんですわ。

 ベルリが夢中な時点でのアイーダさんは、よそから聞いた一面的に「正しい」だけの思想で突っ走る発展途上の人物であり富野監督から「過激狂暴」「テロ」と重ねられるほどの突っ走りぶりです*1、その偏りにかんする情状酌量的掘り下げは映画五部作の第四部になってようやくなされるという燻り続け具合である*2うえ、その偏った思想基盤がオラオライケメン彼氏からの受け売りっぽく見える{富野御大 御自ら萎えてしまうくらいイケメンからの(笑)*3という人物なのでした。

 

 

   ▼正しくないことを、ぼんやり魅力的なガイドに付き添って進む;『ジークアクス』第4話

 第4話までのジークアクス』は、日常に対し不自由や反感を覚えている人物マチュを主人公とした作品ですね。マチュの行動はワガママとか犯罪など、他者の自由や公共の利益や倫理とバッティングする領域に踏み込むこともあります(窃盗とか、暴力とか、殺人とか)

 主人公マチュの興味を惹き「自由」を手引きしたり語ってくれたりするキャラとしてシュウジやシイコが立ち、彼も彼女もまぁまぁ好人物で、第4話でそんな彼らの間でおこる殺人も、当人同士の自由意思によるものだし主人公はそのようなかたちで理解を示します。

 示しこそしたものの、たとえば「殺人はいけない」やら「死という取り返しのつかない域まで突き進まなければならないものなのか?」やらという素朴な倫理観・疑問を逆転できるほどまで強烈な魅力がシュウジ達にあるだなんて現時点じゃ未だzzz_zzzzは感じていません。なので、ふつうの倫理観を飛び出していくシュウジやマチュについていくのが難しい……

 ……という具合。

 シュウジは、いろんな意味で「好いひと」ですよね。

 第1話の盾防ぎから一貫してマチュたちを何度も助けてくれたし(SAVE THE Machu & Nyaan)第3話のとおりマチュの失敗を責めないし。顔がいいうえに声もよく、パーソナルスペースが(一部侵入する方向で)狭い狭いこと自体はマイナスにもなり得ますけど)、であるにもかかわらずマチュ達に性的なまなざしを向けているようすがない。多方面にわたって好感が持てます。

PSが一部侵入する形で狭い=他人に触って臭いを嗅いだりする。

 「他人(異性)の臭いを嗅いだり言及したりするひと」は、カラーが関わってる作品だとアニメ実写問わずよく出てきて、『シン・ウルトラマンの神永のその行動についてzzz_zzzzは「俗世と隔絶された、人間らしくない者でさえ、やっぱりキモいよね」という難しさを感じたわけですけど。ことシュウジにかんしては、絵柄やルックス等々の力なのか、嗅ぎ以外が塩すぎるのか、なんかうまいこと脱臭化されておりますね。

『ヱヴァ』綾波の臭いについて母と結びつけるシンジとか、シンジを良い香りだと言う真希波とか。

 『シン・ゴジラで「臭います」と言われる矢口とか、浅見の臭いを嗅ぐ『シン・ウルトラマンの神永とか、『シン・仮面ライダーで臭いから着替えろと言われる本郷とか)

 でも、マチュも第4話で自覚するとおり、シュウジについて空白部分があまりにも多すぎる。失敗を責めないのは度量が広いから? それとも単にマチュたちに興味がないだけ?

 どうとでも取れるくらい薄い部分しか見えていない。

 実尺にして1時間くらいでうっすら集まった素朴な好感は、云十年単位で培った観客の素朴な倫理観にくらべてなんと頼りないことか。

 シュウジへの不信は、そのままシュウジの行動を許容できてしまうマチュへの不信にもつながります。

 うっすいうっすい関係性の相手に全ベットできるマチュの思考は、キテレツで衝撃的だけど、ショッキングなら良いってもんじゃない。

 ぼくはシュウジに夢中なマチュに対しても、オラオライケメン彼氏に夢中なアイーダさんへ覚えたのと同一線上の「萎え」を感じてしまいました。

(この「萎え」は、鶴巻監督&榎戸脚本の過去作トップをねらえ2!の一部展開に感じた「萎え」でもあるんですけど、あちらの場合は客観的主観的2つの理由からそこまで悪印象をいだいてません。

 『トップ2!』はけっきょく総尺がみじかい作品ですし、zzz_zzzzは完結後に一気見したんでモヤモヤする空き時間がありませんでした)

 

***

 

 正当化できる状況だし、それを信じることも他者へ信じ込ませることもできただろうに、表に出さずとも延々モヤモヤモヤモヤし続けて、「殺人自体よくない。やりません」という所に辿り着いたベルリ君はめっちゃ偉いし『Gレコ』もまた偉い。

 劇中人物がモヤモヤを抱えていてもモヤモヤしてることさえおくびに出さず進んでしまうことに慣れさえしてしまえば、『Gレコ』の展開は、正しい仮解答がさいしょ出されたあと、さらなる正しい結論へとのちのち至る……っていう観客にとって負荷のすくない筋道になっています。

{イヤまぁ、そう言い切るには雑音がありすぎるんですけど、大枠としては、まぁ、こんな感じじゃないっすか、ということでここはひとつ……。*4

 

 ジークアクス』は是非のわかれる難しい問題(正確に言えば「非とするのがまるい問題」)を提起して、それに是をとりあえずザックリ出しちゃったうえ、その声も主張を押し通せるだけのパワーはない。意見を異にするzzz_zzzzとしては「えええ……」と退いてしまいました。

 

 今後はたして正しくないお話へ直進するのか?

 それとも正しい話へと踵を返すのか?

 一体どちらへ舵を取るのか分かりませんが、『Gレコ』アイーダさんが通過したり・し足りなかったりした部分(であるとか、同監督&脚本の『トップ2!』等々でやった部分であるとか)については、さっさと乗り越えてほしいところ。

 

 

  リードに繋がれ吠える「バカ犬」が見つめた虚無と、ワイヤで繋ぎ吠える「バカな魔女」が見つけたっぽい何か

 「さっさと乗り越えてほしい」という点では、シュウジの内面やら、「MSは喋らないという普通」を超越した事象(ララ音/ガンダムの向こうに誰かいる*5やらについても、同じことが言えそうです。シュウジについてよく知らないことも、「誰かいる」こともこの第4話でマチュは自覚したワケですし、サクッと進んでくれるといいな。

 

 リードに繋がれた犬がふつうの人を吠えたて、困らせている。そんな場面に出くわしたマチュは、"何か"を左手に握りしめ、犬の興味を誘導します。握りこぶしの中には何もありませんでした。

「バカ犬」07:27~

 マチュはそうつぶやきます。

 

 赤いガンダムを不可視のワイヤに繋いで「お前は特別じゃない」と吠えたてる"魔女"。得物が不可視であるため傍目には虚空へ掲げているだけに見える左腕を自壊させながらの"スティグマ"戦術を、赤いガンダムはすりぬけて、キラキラした時空間へ連れていき、"何か"を見せます。抱かれる直前のような"坊や"を"魔女"は思い浮かべて満足気でありましたが、カメラに捉えられたのは魔女の乗るロボが爆発し、跡形もなく消えていくさまでした。

「バカな魔女」22:06~

 昔馴染のアンキーはそうつぶやくのでした。

 

 ここまでパラフレーズをきっちりかっちりキメてきたジークアクス』なので、ここもやっぱり並べて考えてしまいたくなるところ。

 マチュたちが目指し掌中に収めるのは、余人には関知さえできない特別なものなのか、それとも単なる虚無なのか?

 

 

  そのほかよしなしごと
   ▼構図があれこれ手堅かったですよね

 こういったコンテワークが楽しかったですね。

 上下の立ち位置などもカッチリ決まっていた印象があり、楽しい話が明るい表で⇔つらい話は橋(高架)下の暗がりでなされ。そしてクランバトル中、置き去りにされるマチュもまた、シュウジとシイコをバーニアの光跡として、見上げるようなかたちで捉える……と。

 

   ▼「愛らしいキャラが、作品鑑賞者と相いれない常識を唱えて、一個の独立した思考・価値観をかかえた他者であることを見せる」栄養素を補充できた

 話はぜんぜん変わりますけど(そうでもないか?)、

 「感情移入を誘うくらい愛らしいキャラが、作品鑑賞者と相容れない常識を唱えて、一個の独立した思考・価値観をかかえた他者であることを見せる場面」フェチのかたに朗報、第4話ではその成分が補充できました。

{この成分を摂取できる他作としては、後述の理由からタイトルは脚注に伏せますけど、あの作品*6が印象的。

 20歳そこそこだった当時のzzz_zzzzは心のやらかい所を掻き乱され、「凄い作品なので続刊は買うけど、"年一回発刊される癒し枠"などとしてナメてかかれないな……」と考えを改め、「元気な時に気合を入れて読む」枠に入れてしまいました。いまの読者が読んだってきっと切なくなるに違いない(と思うので、脚注に伏せます)

 

 ……でも補充できたことは、はたして良いことなのか悪いことなのか?。

「面白かったけど、ヒキのための一過性の賑やかしじゃないよな?」

 みたいな疑問をどうしても持っちゃうな。

 殺人に対して総スルーで「勝ててよかった~」とみんながみんな一様に安堵しているように見えて、セリフのないナブは渋い顔をしているなどグラデーションがあるし、ナブ自身は第3話でマチュがクランバトル参加することを止めていた人物でもあるし、

「起伏あるエンタメとしてお出しするために"このエピソードのこのシーンではここへ注目する"という重みづけがなされているだけで、劇中世界ではそれぞれ違う芯をもった人がそれぞれ思い思いの行動を取っている」

 みたいな塩梅だと嬉しいな。

 

 

   ▼(余談)スペースコロニーにふさわしい墓地ってどんなんだろうなぁ?

 シイコの回想シーンのなかに世紀エヴァンゲリオンシリーズを彷彿とさせる墓地が出てきて、「これはどう考えるべきなのかなぁ」と悩みました。どこにあるものだかわからないけど、スペース・コロニー内の墓地としましょう。

 

 スペースコロニーに墓地はあるのでしょうか、無いのでしょうか?

 敷地も限られる等々の理由から、ぼくは漠然と「無い・あるとしてもかなりシンプル」派だったんですけど、改めて考えてみると、どちらもありそうですよね。

 まず前提の確認。ガンダムシリーズは、人口過剰解決のため宇宙へ進出した……という設定の作品で、スペース・コロニーもまぁそういう役目として考えられたものですな。そうなってきたら、

スペースコロニーだからこそ、ちゃんと墓をつくることで、"ひとがひとらしく暮らせる場なのだ"と自他にレプレゼンテーションする」

 という考えはありそうですよね。

 じっさい自然・古来の文化をエミュレートしているようすはアレコレうかがえ、西部開拓時代が再現されたテキサス・コロニーとかも出てきますし、富野氏による小説版動戦士ガンダム Ⅱ』では、時の政権によってたとえ不快でも「人間の生理を刺戟する」ので春夏秋冬を設け、五年周期で「豪雨、豪雪」も訪れるコロニー(サイド6)の人工気候が紹介。それについて「少しでも地球の自然に似せたいとする人間の浅知恵の成せる業かも」とまとめられています。*7

 

 「墓地は無い・あるとしてもシンプル」とzzz_zzzzが漠然と考えたのは、「コロニーの敷地には限りがあるから」というのがまず一点。

 そしてもう一点大きいのが、「死体は汚く、閉鎖空間では汚濁を避けたいから」ということ。まぁzzz_zzzzみたいな、「宇宙で暮らすにあたって大量被曝は避けられない問題であり、つまりスペースコロニーは高度医療社会なのだ」とした小島秀夫監督リスノーツ』に感銘を受けた伊藤計劃さんの小説ーモニー』の「核戦争後社会とは地球が宇宙空間ないし宇宙ステーションとなるということであり*8、葬式の方法すら変わる*9高度防疫・医療社会なのだ」という世界像に感銘を受けた世代特有の想像・関心なんでしょうね。

 宇宙関係の電子書籍で適当にワード検索かけましたが、防疫や閉鎖空間内での腐敗について触れているものはあんまり無い。

 

 「とにかくリソースがない宇宙/閉鎖空間。人体も貴重な資源として再活用対照だろうから、墓地はない」と考える派閥もいるかもしれません。

 宇宙のMOTTAINAI精神はすばらしく、宇宙船や宇宙ステーションでは、糞尿は分離して保管され、尿にかんしては水へと再利用するシステムが構築されています。

 『ペース・コロニー 宇宙で暮らす方法』*10では、涙中から発電するコンタクトレンズ型・唾液から発電するマウスピース型・汗中の乳酸から発電するパッチ型等のバイオ燃料電池で駆動するウェアラブル・デバイスが研究・検討されておりまして。

 前掲書で写真付きで紹介されたバイオ燃料電池のデバイスは、かなりインパクトがつよい。上でも書いた汗中の乳酸で発電する絆創膏型電池のほか、尿糖で発電する酵素バイオ燃料電池――通称おむつ電池がピックアップされていました。

 メアリー・ローチたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦』*11を読むと、世代を超えて加水分解食が提唱されていることにおののきます。

 1964年の《宇宙における栄養とそれに関連する廃棄物問題会議》において、航空機製造会社マーティン・マリエッタのD・L・ウォーフ氏が可能な限り食べれる宇宙船を提案していて、「4人の男性クルーが90日間のミッションをする場合にうまえる使用済みの衣類は55kg」であるという試算とともに、「ウールや絹に含まれるケラチン蛋白質は」「部分加水分解によって加食物に変換でき……」*12と語ったそうな。

 1990年代になるともっとすごくって、アリゾナ大学の微生物学者チャック・ガーバ氏が火星探査戦略ワークショップに招かれたさい、別の化学者が「大便を"加水分解すれば、できた炭素でハンバーガーのパティを作れる"」*13と言っているのを聞いたんですって。なんとまぁフンパンものな話題でしょうか。

 

***

 

 色々かんがえたけど結局まぁ、「テキサス・コロニーがあるんだから墓地程度の敷地・リソースはあるんじゃね?」みたいな話になってしまう。(一方、ジオン側のコロニーでは虫さえ博物館じゃないと拝めないくらい管理されているというお話でしたが、そこはまぁ……)

 

 

第5話「ニャアンはキラキラを知らない」鑑賞メモ

 第5話だいたいのあらすじ;

マ・クベの野郎に追い出されるまえに辞めたあいつは、利口だよ」

 黒い宇宙に並べられた白い立方体がドローンに摘ままれてドタンバタンと、太陽光遠心炉へとくべられていく。炉の巨大さを前にしては、ジャンクもそれを運ぶジャンク屋も等しくちっぽけな塵芥だ。――"黒い三連星"と讃えられた元ジオン軍のエース達、ガイアとオルテガでさえ今や屑。

 操縦席に両足を伸ばして暇をしのぐオルテガへ、ガイアが携帯端末の画面を見せる。「元ジオン軍エリートパイロット」を錦旗に政治家へと"一抜け"転身した相棒マッシュが美女と密会したと云うスクープ記事だ。

「あん時、ガンダムに手柄を独り占めされてなきゃ 今も軍にいれたかもなぁ」

 そう呟きながらクランバトルの新星ガンダムコンビのカードにダーツを刺した。

 

(あの時のパイロット!? ……もしかしてバレてるのぉ?)

 ジオン軍の若者エグザベに摘ままれてドタンバタンと閉じ込められたさき、駅ロッカーの狭く黒いスペースのなかで、マチュは苛立ちを溜めている。

 エグザベがマチュを連れ込んだのは、難民へ高圧的な職務質問をする軍警へ蹴りをお見舞いしてくれた彼女を助けるためと、彼女がじぶんの乗っていたジオン最新鋭機ジークアクスを盗んだ張本人じゃないかと疑っていたためだった。

「君……クランバトルって知ってるか?」

 エグザベは携帯端末の画面を見せる。コロニーで流行している闇ロボット格闘技クランバトルの配信画面だ。今夜は紅白ガンダムコンビ"ポメラニアンズ"対、黒いリック・ドムコンビ"二連星(バイナリーズ)"なのだが、マチュは気が気でない。なぜならばマチュはジークアクスの現パイロットで、このままでは試合が不成立になってしまうから。

 マチュの危惧に反して配信は一向に終わらない。エグザベもマチュも、それぞれ驚く光景が映しだされた。

ジークアクス?! どういうことだ? やはり人違いだったのか?)

(なんで? 誰が乗ってるの!?)

 

 

 感想;

 ベストエピソードでした。

 第4話で「ううむ……」と渋い顔となった素朴なzzz_zzzzを置き去りにできる、ふつうの倫理観なんてバンバン燃やし尽くせてしまう高機動高火力の情念が爆発!

 マチュの無自覚に尊大であまりに卑近なドギマギ知ったかハッチャケ思春期行動。

 シュウジの頼もしさと、思春期を狂わせる魔性のポヤポヤ萌え萌え美男子っぷりシュウジはわたしを守るナイトであり、キラキラな世界へ連れ出してくれる稀人であり。そして私がいないとご飯も食べられない、わたしをママにさせてくれるかもしれない男でもある!*14

 そしてニャアンの「トリオの一員として並び立って頑張りたい」いじらしさと「シュウちゃんがいればなんとかなるだろ」という楽観。

 それを「ふつう」に打ち崩す、遊びから卒業したい大人たちの我欲……

 ……それらが絡み合って生まれるエモーションは、明暗も軌道もキラキラとザアザアとモヤモヤと混濁していて、素晴らしかったです。

マチュ 「それにしてもこんなに描くのって大変じゃない?」

ニャアン「いつも描いてるのは有名になりたいから?」

シュウジ「そうじゃない」

ニャアン「じゃあ誰かに見てほしい?」

マチュ (誰か?)

シュウジ「マチュはわかってる」

マチュ 「エッ? ウ……ウン……。"キラキラ"、いいよね」

   スタジオカラー&サンライズ制作、鶴巻和哉監督『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』第5話「ニャアンはキラキラを知らない」7:40~

 地下の隠れ家での問答。なにも分かってないのに、分かってるということにしちゃったマチュが良いですな。この辺のマチュは全行動が身近で、「あいたたた」といたたまれませんでした(苦笑)

 キョロキョロと小心者で、だからといって平凡だなんて認めたくない、見栄張りな自分を重ねてしまって苦しいよ。

 

 マチュも、マチュ達を見守るジャンク屋カネバン有限公司もそれぞれ違った方向に極まっていた第4話ラストから、日をあらためた第5話冒頭ではクールダウン。

 マチュは屋上でひとり物思いに耽け、「シュウジ……人が死んでも平気そうだった……」*15とふつうの倫理的疑問をうかべるし。第4話時点では無事勝利したことについての喜びと安堵の声だけを発していたジャンク屋"カネバン有限公司"の面々は、第5話では「戦場に巻き込まれてない地域出身のマチュにはショッキングな展開だったよなぁ……」と心配そうにマチュを見守ります。

 

  「ふつう」の分厚さと、それを跳ね返すキャラの色

 戦闘の模様も、だいぶ普通に寄ってくれています。

   ▼可視ワイヤで素人を直接攻撃;二連星の「ふつう」の強さ

 先週の第4話では引退したはずのモビルスーツ元エースパイロットの"魔女"が、「ふつう」の日常を離れてクランバトルへ初参戦、赤いガンダムに対し「ふつうじゃない」執着を向けます。すると「ふつう」じゃない人々の脳裏にふしぎなプラズマが走り、どこの誰とも知れないふしぎな声「ララ音」がひびいた……わけですが。

 第5話では、機動戦士ガンダムな顔つきをしたうだつの上がらない元軍人のオッサン達が、賞金よりも修繕費など持ち出しが大きく儲からないという「ふつう」の理屈でクランバトル卒業を目論見、赤いガンダムコンビと対決。しかし赤いガンダムは強いので「ふつう」に避けて、友達のため数合わせでジークアクスへ乗り込んだだけの素人を狙い撃ちし、通常兵器の閃光や電撃が走りまくって、そしてジークアクス機内のニャアンの絶叫を"いま・ここ"で「ふつう」に響かせます。

 

 この「ふつう」の分厚さ、閃光やら電撃属性やらの通常兵器の力強さが普通に良いですな。

 まず、教科書通りの元ジオン兵によるMAV戦において、銃弾を全回避したけど閃光弾は通された第3話を経て。

 つづいて、固有技術「スティグマ」によってふつうの人を無数に撃墜してきた連邦の"魔女"との戦いにおいて、不可視のワイヤに"絡まれ"こそ通されたけどそこからの曲芸機動によるリーサル自体はしのいだ第4話を経て。

 そして第5話にて、"絡まり"さえしてしまえば次撃でパイロットへダイレクトに電撃ダメージを必中で与えられる侵襲型兵器が登場したり、胸部拡散ビームによる目くらましを噛ませたコンビネーションをチームプレイとして仕掛けられるシリーズ馴染のキャラ達が出てきたりするのは……ハイ、

「大金のかかる大仕事なのだから、そりゃそうだよあなぁ」

 と当然、納得の流れです。

{まぁ、前回ジークアクスはともかく)不可視ワイヤ攻撃は終盤対応できていたことや、それ以前の戦いでジークアクスだって銃弾系をしっかり避けられていたことを顧みたら、虎縞ワイヤを持ち出すこと自体は「パイロットが初搭乗のニャアンであるという運に恵まれて良かったな……!!」というところはありますが……}

 ワイヤでぐるんぐるんブン回すのだってよくよく考えればふつうに有効手、

「特別な訓練や装備の整ってなさそうなアマチュアじゃ防ぎようのない侵襲的攻撃のひとつなんじゃないか?」

 と思えてきます。

ガンダム>シリーズふくめ劇中世界の三半規管・耐G環境についてzzz_zzzzはぜんぜんよく分かってないんでアレですが、機体が揺れて機内の人が揺すられたり"スティグマ"戦術でメカが壊れたりするワケですし、それなりに影響はありそう。

 もっとも、第1~4話ですでにジークアクスも高機動を見せているから、三半規管・耐G関係アタックはそこまで期待できない択のように思えます。

 また、「グルグルされるのに耐えられても宇宙酔いしないワケじゃない」というのが最近の宇宙飛行士事情らしいんで、なにをもって「ふつう」とするか? て感じかもしれませんが……。(訓練してどうにかなるものじゃないとなればむしろ、有効手なのか? 頭がこんがらがってきたな)

 ところで宇宙飛行士と言えば、宇宙酔いに耐えられるよう、椅子にすわってぐるぐる回る試験を受ける……といった訓練を行うと信じている人も多いだろう。確かに、宇宙に行くと七十パーセントくらいの人が宇宙酔いになるといわれている。

 (略)回転椅子に座らせてぐるぐる回しながら、さらにその間に頭を前後に振らせて強制的に酔いを起こさせて、それに耐えさせるという、(略)確かにかつてはこの訓練が、本当に行われていたという話を私も聞いたことがある。

 なかには、こうした過酷な訓練をしても比較的酔いづらい人がいたそうで、そうした資質を持つ人は宇宙飛行士としての適性が高いとも考えられていたそうだ。

 確かに今でも、宇宙服のままプールに入ったり、飛行機の急上昇・急降下といった訓練は行なわれている。だがさすがに、回転を伴う訓練自体、効果があまり期待できないと認識されるようになり、NASAでは行わなくなってしまった。実際私も、データ取り以外では受けたことはない。

   KADOKAWA刊{2013年6月25日発行、角川e文庫(底本は6月20日初版発行の紙版)}、山崎直子『夢をつなぐ 宇宙飛行士・山崎直子の四〇八八日』kindle版46%(位置No.1754中 790~)、「第四章 ヒューストンでの訓練漬けの日々」宇宙飛行士は乗り物酔いに強いか より(略は引用者による)

 

 甘ったれたバカな素人のガキの遊びを、人生の苦味を嚙み締め実戦経験も豊かな大人達が挫いていく……という「ふつう」の展開。

 この「ふつう」の展開のなかで、これまでの第1~4話だと(アザをこしらえた状態で職業軍人エグザベが登場する第3話冒頭に顕著なとおり)アザという「痕跡」を見せるだけだった暴力が、ついに未成年だろう素人が絶叫するくらいの激しい痛みを伴うかたちで直接"いま・ここ"のできごととして描写されます。

 観るのがちゃんとツラい残酷さを、この「ふつう」はしっかりがっつり帯びていました。

 

   ▼内股で構える埋め合わせ要員;ニャアンの「ふつう」な確かな甘さ・弱さと、意外性

 そういうマジレスの「ふつう」の怖さがきちんと描かれているからこそ、見知ったはずのニャアンから、普通じゃないけど普通の声(=第1~4話じゃ拝めてこなかったという意味で普通じゃないけど、ニャアン自身にとってはジークアクスへ乗る前からそういう思考回路を持ち合わせていたという意味で普通の心理)が実際に発されまくることによる、「普通じゃない」怖さもまた際立って見聞できました。

 

 ニャアンの造形にzzz_zzzzはもう、素朴に驚きましたわ。

 いつもアザをこしらえて俯いている様子から、正直ニャアンを「守るべき、気弱でかわいそうな人」として捉えていたんですよ。より掘り下げて言えば、マチュの手を握り「キラキラ」へ連れていくシュウジと対照的な、現実の地平に立つ人なんだろうと思っていました。

 第5話途中までのニャアンは、ほぼ大体そういう想像どおりの「ふつうに弱いひと」でした。

 迫る黒い二連星を前にして、ニャアンの駆るツノを下げたままのジークアクスが、

「来ちゃうっ!」16:04~

 とオノを構えるさいの内股具合なんて、それまでの想像に応えて余りあるニャアン像。バズーカからの一発を避けたこと(16:15~)で浮かんだはずの違和感(シャアが特別でありマチュが本物であったのは、弾をあっさり回避できるところにあったのではなかったか? ということはニャアンもつまり?)を帳消しにする、ワイヤー攻撃に――それも前回の不可視のワイヤーとちがって「工事作業用か?」と思わせる虎縞のワイヤーに――まんまと絡め捕られる棒立ち感もまた想像どおり。

 予想どおりの弱者が予想どおりに負けそうな第5話バトル序盤のなかで、唯一サプライズがあったとすれば、ニャアンが予想以上の絶叫を響かせていること。

 あまりの痛々しさに、

「これ、現実側は現実側でも、第4話のシイコのMAVみたく、苦々しい楔となったりするのか……?」

 と震えました。

 

 以上のように思い込み、アワアワしていたわけですが、第5話バトル後半によって、「そうじゃないんだ」と気づかされました。

「ニャアンは、そういう立場にないからそれを選んでないだけで、他者を排するという選択肢じたいは常に浮かんでいる人なのだ」

 と。オメガサイコミュの操縦腕を闇雲に握りしめるニャアンはあまりに自由で、その奔放ぶりにさいしょ素朴にニヤニヤしましたし、そしてニヤニヤが止まるくらいに引きました。これはこれで怖いし不安だよ。

 「自由だ! 世界が私に応えてくれる!」というマチュらが感じたり伝えたりした喜び・感触に続く、ニャアン独自の感想にゾクゾクしました。

「私が合わせなくていい!」

 の切れ味ったらもう! 一語の圧縮率が凄すぎる。 

 

    ▽良し悪しと好悪の二項対立に収まらない、別軸で動く人が出張ってきたので嬉しい

 新たな一面が見えたニャアンですけど、その出発点が、あくまで、じぶんのために軍警を蹴ったマチュや、マチュ&シュウジ&自分の3人組が地球へ行くための仲間意識・献身を基軸としているのがよろしいですね。

 それ自体は素朴に良いし好いモノだし、こういうモノが「ふつう(良いけどつまらないもの)」⇔「キラキラ(悪そうだけど素敵なもの)」という二項対立で進んでいたお話に投入されて群像劇化すると、その後の展開が読めなくなって楽しい。

{現時点でも、マチュが多分大事でシュウジも仲間(=ぞんざいに扱える)なニャアン・シュウジが好きでニャアンも仲間(=うっすら下に見てる)マチュ、赤いガンダムが大事でマチュ(=個体認識してる)・ニャアンも仲間な(=マチュもニャアンもガンダムが良いと言ってるから一緒にいるだけ?)シュウジ……と、三者のそれぞれ異なる仲間意識がワチャワチャと反応してて楽しい}

 

 けっきょく(一人の価値観のなかでの)二項対立ストーリーだと、その道中の鑑賞が劇中の事象を是非2つの箱のどちらかに入れていく鑑定・振り分け作業になってしまったり、あるいは最終的な結論がたとえそれがどんなに初期位置から読めない経緯で選ばれたとしても「見えてる落としどころへ落ちたなぁ」という退屈さが出てしまったり。はたまた、作品が提示する価値観の良し悪し・好悪と、鑑賞者であるじぶんの趣味とが合うかどうかの価値観・相性チェックになってしまったりする感じがどうしてもしちゃうんですけど。

 今回みたいにもっと軸が増えてくれると、その辺が薄れて嬉しいですね。

{もっとも、軸が増えすぎたら増えすぎたで「もうどうだっていいや……勝手に戦え……」という気分になっちゃいそうではあり、けっきょく匙加減なんでしょうけど}

 

 

   ▼エグザベの好ましい「ふつう」さ、ひたむきさ

 第3話にてニャアンとおなじように左目へアザをこしらえていた難民でも、ジオン軍の正規兵になっているエグザベ君は折り目正しい「ふつう」の努力家という具合で、こちらもなかなか素敵な立ち位置になってきましたね。

 エグザベ君は、コロニーを正攻法で探偵して新たなアザを増やすし、マチュが軍警の目から逃れるのを手助けしてしまう。

 エグザベ君とニャアン、エグザベ君とシュウジとの対比もだんだん積み重なってきましたね。

 エグザベ君は、シュウジがマチュヘそうしたようにマチュの手を引いて別の場所へ連れていくけれど、かれが引き寄せる先はシュウジが連れて行くような、海のように広大で自由なキラキラ世界とは正反対の)、ロッカーのなかの窮屈な真っ暗闇。

 面白くはないかもしれないけど、まじめな好人物。

 この調子でジークアクス』世界でも数少ない良心、倫理の楔として地に足をつけ続けてほしいです。

 

 

   シュウジの萌え萌えっぷりと、シュウジや他キャラの難しさ

 偽者と本物、選ばれたものと選ばれなかったものとが交錯するなかに、三角関係も現れたところで、いよいよ鶴巻監督&榎戸脚本の過去作ップをねらえ2!』を思い浮かべてしまいますな。

 シュウジへの感情の矢印の向けられかたには、どうにもトップをねらえ2!で言うところのニコラスを重ねて見てしまいますが、シュウジはもう善悪を超越した魔性のぽやぽや系萌えキャラとして存在感が出てきて、『トップ2!』とはまた全然ちがった転がり方をしてくれるだろう期待が持てて嬉しいですね。

 

 サクサク進む作劇のなかでガッツリ休符を入れてくるシュウジののんびりぽやぽやっぷり、素晴らしく良い。

 第5話だけのふるまいかもしれませんけど、非常に良い。

 

    ▽シュウジの異常事態がそうと映らなかったのは、けっきょく4話費やしても「平常時」が分からないくらいの書き込みしか無いからじゃね?

 ただ、ここについて不満・不安もあります。

 シュウジがぽやぽやしていたことについてマチュ達も観客も「そういうキャラ」として受け止めてしまったのはシュウジ自身がそういう一面も内包しそうと思えるキャラクタ性をわれわれに提示できているからというよりはむしろかれが平常か異常か判別できるほど充分な情報を与えられていないからに過ぎないからだとzzz_zzzzは思うんですよ。

 

     ○書き込みの絶対量が少なくて軸足も分からないからどんな性格にだって見えちゃう問題を、ほぼ全キャラ抱えてるよね

 書き込みの絶対量が少なくて軸足が分からないから、受け取り方によってどんな性格にも見えてしまう……この問題は、結局それは他のキャラについても同様のことが言えると思うんですよ。

 1体の殺人が起きたであろう第4話の試合が終わってニュータイプは人を殺し過ぎた……だから、憎しみを巻き込んでしまうのかもしれません……」*16と眉間にシワを寄せて呟いたいっぽうで、2体の殺人と1体の人身御供的戦法というもっとひどい事態が起きた第5話をみて「人の関わりかたには色々ある。私はああいうMAVも嫌いではない」(21:40~)と言うシャリア・ブルは、けっきょくどういうキャラなんだろう?

{いや、第3話で「大佐ならMAVの先陣を譲るなんてことしなかった……」とかなんとか湿気を含んで言った赤いガンダム/シャア評から、第5話のあの相棒ブン回しスタイルを評価すること自体はわかるし。

 続けて「キケロガを……」と要請する点で、全肯定じゃなさそうには映るんですけど(この時点では「ジークアクスらを抑えるための要請」に聞こえるけど、じっさいフタを開けてみたら「ジークアクスらを援護するための要請でした~」てオチが待ってるかもしれないので……)

 

 第4話で「ふつう」の日常を放りだしてまで赤いガンダムを否定しようとした昔馴染みの"魔女"シイコの顛末を見て「バカな魔女」と渋面で呟いたいっぽうで、第5話では赤いガンダムvs魔女後にひとり日向ぼっこして空を見上げるマチュに対して「頭からっぽにして、追いかけてみるのも悪かないよ」*17と後押しするアンキーは、けっきょくどういうキャラなんだろう?

 

 いろんなバックグラウンドや腹に隠しているものがありそうなシャリア・ブルとアンキーが現時点でよくわからないのは別にまぁ良いんですけど。

 そんな"深み""厚み"が必要じゃなさそうに見える、ジャンク屋カネバン有限公司ポメラニアンズの男たちもイマイチなんだかよくわからない。

 スポ根江戸っ子メガネなパイロット、ジェジーはいいんスよ。金髪のケーンと、黒髪クールなナブの他の二人がよくわからない。

 第5話冒頭で日向ぼっこするマチュを遠巻きに眺めるなかでも、第3話でマチュをクラバに誘うアンキーへ同調し「賞金も山分けだよ」*18と言っていたケーンが、

「マチュはさ、俺らみたいのと違って、戦場にならなかったサイド6生まれでしょ。やっぱ目の前で人が死ぬのはショックだよ」*19

 と心配し。

 逆に、第3話で唯一「素人を巻き込むな、本当に死ぬぞ! もう帰れ! ここはお前みたいのが来ていい場所じゃない」*20良識派な忠告をし、第4話の顛末へも厳しい顔をつくり無言で見つめていたナブが、第5話では、

「ま、クラバやってりゃこういうこともある」*21

 だなんて達観している風なのは、"厚みある人間描写"っつってしまえばマァそうなんでしょうけど、zzz_zzzzとしてはまず「この人はこれが軸足です」と示してもらってそこから展開していってほしいですな……。

(「いや、"ケーンはマチュに好意的・ナブはそうじゃない”というのが軸足で、その点において第3話第5話の両者の感情線は一貫しており、マチュがクランバトルをやることに関することば自体はその場その時に都度都度とりつくろわれているだけで意味や固有のスタンスはない」というアレなのかもしれません。ふむ、それはそれで富野的な作劇術・人間ドラマ的*22であるのかも分かりませんが……それはそれでムズカシイよ~)

 裸だったかと思いきや着衣だったりするキラキラ時空のよくわからなさとかもそうだし、愛媛みかん箱やら『ヱヴァQ』ヴィレの艦ヴンダー内から自己引用したソドン艦内シャリア・ブルの個室もそうだしエヴァシリーズみてぇな墓地やら何やらもそうなんだけど、

「なんか……タマネギではないよな?

 その場その時のノリが積み重なっているだけの、芯なんて存在しない虚無じゃないよな?」

 みたいな疑念がどうしても抜けてくれません。

 

 

     ○でも黒い連星はしっかり噛ませ犬役をまっとうしたし……

 ヨクワカランところは割り切ってしまって(「テキサス・コロニーがあるんだから愛媛だってあるだろ!」とか)、美味しいところだけあじわえばラクチンなんですが、今回の黒い連星とその殺陣みたく、うまい塩梅もまた見せてくれるんで、「おれがバカ舌なだけで、実際にはもっと美味しいんではないか?」とどんどん高望みをしてしまいますな。

 強いけど弱い。「舐めているだろ、ほんとうの戦場を教えてやるよ」とパワープレイするけど、本人たちが一番舐めてるという、芯のとおった噛ませ犬役でございました。

 

 ワイヤ拘束後、本編みたくガンガン殴りつけてないで、もしあの時バトル終盤で使うビームサーベルをさっさと振るって頭を斬り飛ばしておけば、ジークアクスに対してはサックリ勝てて、傷も知らず幸せに生きていられたかもしれない。

 でも、そうしなかったのは何故なのか?

「ナメんなぁ!」とニャアンが切れてた通り、ニャアンの変貌を「まぐれだ」と誤認した*23ように「舐めプレイだった」というのが妥当な観方だと思います。

 あまりに噛ませ犬すぎるし、バトルとしてしょっぱいんですが、物語的にはそれはそれで大事だよね。

 

 べつに、厚みある理由なんて簡単に用意できると思うんですよ。

ジェットストリームアタックもつかわないまま初見殺しの初心者狩りで終わってしまっては、"噛み合いだね~"と映ってしまって、傭兵としてのアピールポイントにならない」

 というアレもあるんじゃないか? とか。

『valorant』でいう開幕全員ラッシュが通っただけとか、角待ちジャッジが通っただけのラウンドがあっさり流される、あの感覚)

 あるいは、対人地雷が必殺兵器じゃないのと同じように、

ジークアクスを退場させず、無力化させるにとどめることで、もっと強くて厄介なキャリー枠である赤いガンダムが、ジークアクスのカバー・フォローのために無理な行動をとる余地を残しているのだ」

 というアレもあったりするのかも? とか。

 そういう深みを出さないのは、それはそれでエラいことですよ。

{もちろん、機動戦士ガンダムから登場しているキャラなので、

「深みが見えない"ザ・噛ませ犬"という今作の立ち位置は、はたして引用元と噛み合っているか?(そりゃ負け犬なんだけど、こういうタイプの負け犬でしたか?)

 という問題はあるわけですが……}

 

 

  そのほかよしなしごと
   ▼構図があれこれ手堅かったですよね

 グラビトン・ボルト氏が第4話の橋上での会話シーンで、マチュとニャアンとの間を分断する背景の街灯へ注目されていましたが、第5話ではシュウジをはさんでニャアンとマチュが会話するという、もっと具体的なかたちで変化していましたね。

(そこでマチュはシュウジがきらめいて見えるんですが、それがシュウジの滴る汗が光を反射した結果であるという、即物的でふつうの物理現象になっているのも良かった)

 

 ほかにも、日光のもと水着を着て仰向けに寝て物思いにふけるマチュ&アンキー+ドーナッツに対し、地下でうつぶせに寝てガンダム機体の「冷たさ」を味わうシュウジ&ニャアン&マチュ-買い出し食料……など、対比関係はここでも手堅く嵌められておりました。

 そして上下の関係は、前回とちがって、高所のニャアン⇔低所で青い顔をするマチュ……と逆転。

 

    ▽コインランドリーで洗濯を回したマチュ&ニャアンの顛末もまた良い

 クランバトルのパイロットスーツをコインランドリーで洗濯したマチュとニャアンの顛末も、なんだか良かったですね。

 パイロットスーツを着たニャアンはクランバトルで洗濯機でそうされるみたく、ブンブンと振り回されて。マチュはひとり雨の街を走ってずぶ濡れに。

〔「コロニー内で雨が降るのか?」

 というそもそもの疑問が浮かびますが。

 この記事のうえのほうでも触れたとおり、富野氏の小説機動戦士ガンダムⅡ』PART10にて、時の政権が「人間の生理を刺戟するため」、豪雨・豪雪などのふくんだ気候を人工的に管理している設定が紹介されています。

 『100光年ダイアリー』「スペースコロニー・レファレンスリスト」で紹介された、吉村高男「スペースコロニー内の気象について―大気循環を説明する実験装置の工夫―」{『天文月報 Vol. 85  No. 11』(1992)}によれば、「半径3kmのコロニーでは、雨が自然に降る可能性は低い。ただし、2割を超える太陽エネルギーがコロニー内に入る場合に、人工雨で陸部分を冷やしたり熱を移動させたりする必要性も出てくるのでは」と。 

 前述サイトで紹介された別の論考、福江純「ラーマに降る雨―スぺースコロニーの物理学4―」{『天文月報 Vol. 85 No. 2』(1992)}は、コロニー内の雨の軌道について書かれたもの。映像化されたら面白そう。

 雨が降るのか否かについては多分それ以前の回で検討されているんだろうと思うけど、<スぺースコロニーの物理学>のほかの回を読めてないからよくわからない〕

 

    ▽カッチリしてるものがある反面、絆創膏のスルーっぷりはなんなんだろう……

 手堅く まとまっていそうな部分はある一方で、

「これは、ええと、どういうアレだろうな?」

 と思うものもあり。

 たとえば地下鉄電車内にて、キシリア派のひとからシャリア・ブルに関する不穏な噂を聞くシーン(05:20~)のエグザベくんの姿とか難しいですね。

 エグザベの左頬に張られたパッチは、第3話(13:40~)でシャリア・ブルが渡したちっちゃい絆創膏と明らかにちがうものだけど、エグザベがそこを気にしたり、パッチを前景に捉えたショットはありません。

 これがはたして、

「シャリア・ブルのお節介は、実用性皆無のピント外れたありがた迷惑だけど、(第2話のシャリアがグラスを置く手が映されなかったり、第3話のソドン艦内のゴタゴタを映さず操縦桿を握っている人が映されたりしたのと同じくように)この時点のエグザベにとって些細なことで、キシリア派の述べる疑念に妥当性をあたえる物証となるようなものではない」

 というアレなのか、それとも、

「単に設定変更などが各話でうまく噛み合わなかっただけで、とくに他意はない」

 というアレなのか?

 

   ▼初代との差分は、第5話のほうが分かりやすい・落差が大きくて好き

 黒い三連星と云えば「俺を踏み台にしたぁ!?」ですけど、今作ではニャアンがハロを踏んづけ、相棒のガンダムを肉盾として利用したかたちでリメイクされていて、非常に良かったです。

 

 

   ▼(余談)人と重力について

 ブンブン振り回し攻撃について触れた文章でモゴモゴしていたことの詳細です。

 

 日本人初にして世界初の民間人宇宙飛行士であるジャーナリスト秋山豊寛さんが宇宙体験で気をつけたのは、ありのままを伝えること。そうした大事なレポート対象の一つが「宇宙酔い」だったそうな。

 さて、秋山はそうして始まった宇宙飛行について、「ジャーナリストとして宇宙体験をありのままに伝えること」を自らのテーマにしていた。

 彼は「脳がむくんでいるんじゃないか」と感じるほどの酷い宇宙酔いに悩まされたが、

「その宇宙酔いの話などは、特に意識してレポートしました。あの頃の宇宙飛行士というのは元軍人がほとんどで、世の中からは英雄とされる人でしょ。だから『宇宙酔いで大変だった』みたいな話を、彼らはあまり公に語らないところがあったと思うんです。

   文藝春秋刊{2019年11月20日発行(底本は2019年11月15日刊の紙の単行本)}、稲泉連『宇宙から帰ってきた日本人 日本人宇宙飛行士全12人の証言』kindle11%(位置No.2609中 262~)、「CHAPTER 1」

 秋山氏の推測は正しく、メアリー・ローチたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦』*24では"「宇宙酔いに苦しむのはチキンだけ」とする風潮があった"*25と回想するアポロ計画時代の宇宙飛行士たちを紹介しています。

 ティム・ピーク*26山崎直子さん*27など他の宇宙飛行士の本を読むに、成人男性でも女性でも宇宙酔いしない人はしないし*28*29、乗物酔いしやすいからといって宇宙酔いするとも限らないらしいのですが、50~75%くらい*30*31のひとは悩まされるらしい。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 宇宙と人、重力といえばokama氏の宇宙レース・コスチューム装着マンガDo Race?』が強烈でしたね。okama氏は鶴巻監督の過去作ップをねらえ2!』のフューチャービジュアルを担当した人物で、『Do Race?』(一巻謝辞を読むに)鶴巻監督が一部エピソードのネームを読んだ作品でもあります。

 そちらの感想記事で調べたことを再利用しちゃいましょう。F1などモータースポーツや戦闘機パイロットあるいは宇宙飛行士が直面する重力は大変なもので、身体感覚の低下やブラックアウト(意識喪失)を起こします。

 まずGで問題になるのは、血液です。人間の血液循環システムは1Gで設計されています。

 プラスGがかかると血液は足の方向に移動し始めます。そこでまずやられるのが目です。白黒画像になり、そしてだんだん視野が狭くなります。これにも耐えて、さらにGを増加させると、真っ暗になります。

 それ以上がんばると、意識がなくなります。

   パンダ・パブリッシング刊、渡邉吉之著『戦闘機パイロットの世界:"元F-2テストパイロット"が語る戦闘機論』kindle版63%(位置No.4414中 2756)、「第5章 いざ戦闘任務へ」5 Gの話 Gravity より

 第二次世界の頃、戦闘機パイロットはごく普通の格好をしていた。通常、連合軍のパイロットは戦闘服と羊皮のジャケット、毛皮のヘルメットを着用していた。コクピットにはまっすぐな姿勢で腰かけていたが、偉大な空中戦の物語を読んだものなら誰でも知っているように、きつい旋回をやらかすと、戦闘機パイロットは「意識がふうっと薄れる」傾向があった。この「ブラックアウト」は人間にからむ機動限界といえた。なにが起きたかというと、旋回によって発生したGのせいで、心臓がいくら血液を送りだそうとしても、それを上回る勢いで血液が脳から下がってしまい、結果的に視力と聴力が失われたのだ。

   新潮社刊(新潮文庫)、ブライアン・ジョンソン著(平賀秀明訳)『テスト・パイロット』p.253~4、「第六章 中間学期」より

 ヒトの体がどこまでの過重力に無傷で耐えられるかは、その過重力にさらされる時間の長さに左右される。十分の一秒なら、加速度の方向に対する姿勢によって、15から45Gに耐えられるとされている。これが一分以上となると、限界値は一気に低くなる。重たくなった血液は、一分もあれば一滴残らず下半身に大集合し、脳は酸欠に陥って意識を失う。そのままの状態が続けば死ぬ。NASAの遠心機を使った訓練について、ジョン・グレンはこう書いている――16Gは「持てるかぎりの気力とテクニックをかき集めて、ようやく意識を保っていられるかどうか」だ。再突入の際、宇宙飛行士が横になるのはそのため――血液が下半身に溜まるのを防ぐためだ。

   NHK出版刊、メアリー・ローチ著(池田真紀子訳)『わたしを宇宙へ連れてって 無重力生活への挑戦』kindle版33%(位置No.5158中 1656)、「6 宇宙酔い」より

 重力のかかり具合に応じてパイロットの下半身を締めつけるなどして血流が下がってくるのを防ぐ耐Gスーツの開発・改良によって、現代の戦闘機パイロットはたとえ9Gがかかろうとも飛行できるようになりましたが……

 次に5G。これはアクロバット飛行するときに使うGです。ここまでくると、耐Gスーツに締め付けられる感じが痛みに変わります。気を抜いていると目の前が暗くなっちゃいます。マスクは下向きに顔を引っ張り、まぶたを開けているのにも力が必要です。(略)

 6Gです。これから先は本気の体力勝負です。当然、普通の呼吸はできません。小さく強い呼吸をします。それによってちょっとは耐G性能が上がるといわれています。下腹に力を入れて……「ふっ! ふっ!」と息を吐く感じでしょうか。顔はほっぺたが下に引っ張られ、馬面になります。また、体の柔らかい部分の毛細管が切れるのが分かります。上腕の下面などは「プチプチ」といって、露骨に毛細管の限界が分かります。

 7G~8G。もはや自分との戦いです。どれだけがんばれるかが勝敗を分けます。

 9G。これは訓練された人間の限界でしょう。これ以上は我慢できません。9Gでいられるのもたぶん10秒程度でしょう。それ以上は黄泉の国……。

    『戦闘機パイロットの世界:"元F-2テストパイロット"が語る戦闘機論』kindle版64%(位置No.4414中 2776)、「第5章 いざ戦闘任務へ」5 Gの話 Gravity より

 ……意識が保てるというだけで、呼吸は特殊になり*32毛細血管の切れるのがわかるほどの痛みと我慢の世界だと云います。

 そのへんを踏まえると、パイロットが素人とおぼしきメカにたいするブンブン振り回し攻撃は、けっこうに有効な気がするんですよね。

 

 

 

 

*1:

 が、しかし、純粋に崇高な理念に囚われていたりする(そのような学習をした)ヒトの行動のほうが過激狂暴であったりするのは、テロといった行為でわれわれは知っているのだが、本作ではアイーダの問題としてこのことを考えてみたのだ。(ここで停めないと延々と書くことになる)

   KADOKAWA刊(2021年3月26日)、富野由悠季(著&サンライズ協力)『アニメを作ることを舐めてはいけない ―「G-レコ」で考えた事―』kindle版50%(位置No.3959中 1942)、「アタックC 基本設定(事象)」

*2:

 アイーダの手応えがない(人気がないらしい)ということはシナリオの段階から懸念していたこと(性格描写が間違っていたらしいと分かった)で、コンテを始めた時にはオンエアの反応も得ていたので、彼女の性格の成立を考えた結果、映画版Ⅳのクレッセント・シップ内での討論のなかでの彼女の発言に反映させた。(つもり)

 映画版Ⅰで彼女の主義主張は明確にして、正規軍でない海賊部隊に潜り込むようにはねっかえりに描いたのは、思い込みが激しいからだ。

 が、その底支えがどこにあるのかという点を"教育"の問題に落とし込んだのだが、論文的な長いセリフにはしないという条件をつけたので、かなり厳しい仕事になった。

 クレッセント・シップの艦長エル・カインドに「そう教えられたんですな」と指摘され、ノレドからは、「自分が感じたことから始めなよ」ともいわせた。

 それにアイーダは絶句するということで、きちんとした初恋もしているし、その後、クリム・ニックミック・ジャックにお礼を伝えることもできるようになったので、その後の成長が期待できる女性になるのではないかと想像した。

   『アニメを作ることを舐めてはいけない ―「G-レコ」で考えた事―』kindle版50%(位置No.3959中 1925)

*3:

富野(略)『G-レコ』はバイプレイヤーがキャラクターとして粒立ちをしていたのに、アイーダとベルリだけは沈んでいるんです。「なぜここまで……」と、自分の中でよくわからない部分があるのは半分は嘘で、半分は原因があります。それはアイーダのことを好きにならなかったからです(笑)。

――アイーダは監督がお好きなタイプのキャラクターに見えますが(笑)。

富野 最初はそうでした。ですが途中で「え……」と思えることがあって。それは設定面で決定的に相いれない部分で、アイーダが好きになるカーヒルという男のキャラクターシートが上がってきたとき、「イケメン!」と思ってしまったんです。その瞬間、「うわ、アイーダはこいつと寝たんだ……」と。この話はスタッフのみんなも同意していました。「きっといやらしいですよ、あのイケメン」って。そこで完全にブレーキがかかってしまった。

   双葉社刊(2023年3月23日初版発行、双葉社MOOK)、機動戦士ガンダム Gのレコンギスタカニック&ワールド』kindle版91%(位置No.162中 148)、「interview 監督 富野由悠季(略は引用者による)

*4:『Gレコ』の一番えらいところは、ベルリ君の「不殺し」な行動もまた、一個人のひとつのスタンスであって(そうじゃなきゃ最後の最後のエンドロール前でアレは出てこない)、別に「良いこと・好いことがめちゃんこ起こってるってワケでもないよね、むしろ悪いこともか~なり起こってるだよね」という立ち位置であるところ。

(本文でもちょっと言ったように、ベルリ君がアイーダさん達と帯同し続けてしまったことで、ベルリの国がアイーダさんの国を攻め入る口実になってしまったし。

 作品終盤のあの局面では、ベルリ君が嫌がらずに大量殺人兵器をサクッと発動させてしまえたなら、あの局面はサクッと片付いて、あのひとは死ななかったかもしれない……。

 

 そしてそういう「たられば」な間接的なお話を除いても、ベルリくん自身が直接的にひどいことをしてもいる

 とある勢力と戦うときにその勢力の暮らすコロニーの構造体を盾にして、そして勢力側がフレンドリーファイアをしてしまったとき、「コロニーを傷つけるなんて!」との旨で憤慨したりする。ここでベルリ君はじぶんがコロニーやそこで生きるひとびとを人質にしたことを棚に上げている。面の皮が厚すぎる!!)

 アイーダさんをふつうにキワモノとして富野氏が設定しているのとおなじような温度感を覚えます。

*5:って結局なんなんだ……? zzz_zzzzは劇場版「Beggining」パートでシャアがキラキラのなかで何か見えたシーンを観ているので、「シイコが見上げて、シュウジについて納得を得た第三者について言っている」と早合点してしまいましたが、「直近のカット繋ぎだけ見ると、単に、シイコが見たことなかったシュウジを指しているだけ……?」とも思える。

 TV版だけ観ている人だとそういうふうに見えてしまうけど、実は「Beggining」パートのあれをシイコ&シュウジは見ていて……ということがのちのち明らかになる、レッドヘリング要素のある伏線なのか?

*6: 乙嫁語り』第3の話題。

 第一部の主人公である若者が、第二部の主人公2である旅人が遭遇した「主人公1らの暮らす土地での不条理」を聞いたさい、主人公1はそれまでと同じ理性と温和さでもって主人公2に寄り添うんですけど、そうして注がれた主人公1の資質はべつに、主人公2の訴える「不条理」を解決したりなんて全くしません。

「どう説明すれば、主人公2のしようとしていたことが主人公1ら民族の共同体にとっていかに身勝手な無理難題で、主人公2の想い人へ酷な要求をしていたのかをかれに理解してもらえるだろうか?」

 と主人公1は悩むのでした。

 あたたかみある作品だからこそ、寄る辺なさが際立ちました。

*7:

 サイド6の人工的につくられた気候は、温暖である。春夏秋冬をはっきり分けるのは気にいられていない面もあるが、基本的には人間の生理を刺戟するという理由でランク政権は強行した。ただ、梅雨とか雨季と台風は用意されていない。が、五年周期でアトランダムに豪雨、豪雪さえも設定されている。少しでも地球の自然に似せたいとする人間の浅知恵の成せる業かも知れない。

「洪水だってあったんだ。一昨年の六月かな。二十軒ばかりの家が床上浸水とかになっちまって、政治問題化したんだ」

   KADOKAWA刊{2013年12月1日発行(元は、初版1987年11月10日発行・2011年9月5日発行の第52版の紙版)、角川スニーカー文庫}、富野由悠季機動戦士ガンダムⅡ』kindle版18%(位置No.5052中 873)、「PART 10 クスコ・アル」より

*8:

あの混乱とそれに続く核戦争は、ある意味でこの地球を宇宙空間にしちまったんだよ。宇宙空間じゃ、宇宙服がなけりゃあっという間に死んじまう。あるいは宇宙ステーションのなかにいるか、だ。それと同じで、核戦争とそれによって撒き散らされた放射能は、WatchMeによる恒常的体内監視とメディケアによる常時医療なくしては人類の生存を不可能にしちまった。

   早川書房刊{2012年4月25日電子書籍版発行(2008年12月単行本を2010年12月文庫化した物の電書化)ハヤカワ文庫JA}、伊藤計劃『ハーモニー』kindle版44%(位置No.3981中 1737)、「<part:number=02:title=A Warm Place/>」03

*9:

 工場、溶かし場、分解センター。

 核戦争の放射能で突然変異のウイルスが蔓延した時代の遺物。

 遺体を蛋白分解性溶液で分解し、溶液に適切な処理を施し、感染物の宿主としては無害化する死体加工場。混乱の時代の記憶。それは半世紀以上経った今も生きて、死者を葬るしきたりのなかに残っている。

(略)

 突然変異の疫病が荒れ狂った<大災禍>の時代、遺体は何よりもまず処分しなければならない感染源だった。遺体は新たな感染をもたらし、上っ面の償却では不十分ですらあった。その頃の慣習とそれを支えた感情はまだ生き続け、現在でも遺体は簡単で速やかな解剖所見のみに留まり、その骸は蛋白分解にかけられることになっている。

   早川書房刊{2012年4月25日電子書籍版発行(2008年12月単行本を2010年12月文庫化した物の電書化)ハヤカワ文庫JA}、伊藤計劃『ハーモニー』kindle版42%(位置No.3981中 1654)、「<part:number=02:title=A Warm Place/>」03 (略は引用者による)

*10:ペース・コロニー 宇宙で暮らす方法』向井千秋(監修・著)&東京理科大学スペース・コロニー研究センター(編・著) 講談社ブルーバックス、2021年刊。

*11:『わたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦』=メアリー・ローチ著(池田真紀子訳)、NHK出版2012年1月31日電書版発行(原本は2011年10月30日第1刷の紙の書籍)。

*12:

一九六四年の《宇宙における栄養とそれに関連する廃棄物問題会議》(略)には、航空機製造会社マーティン・マリエッタ(ロッキードと合併する前)のD・L・ウォーフも出席していた。ウォーフは常識にとらわれない発想(think outside the box)をする人だった。ついでに、その箱(box)も食べてしまおうとした。「プラスチックを成型するのと同じ技術を使って、食料を加工することも可能かもしれない」ウォーフは、この考え方を適用する対象を、食料を入れる容器に限定しなかった。ふつうなら帰還時に廃棄したり、そのまま残してきたりする宇宙船も含めようとしていた。(略)

「想像が無限に広がるにまかせるなら」(略)使用済みの衣類も食べられるそうだ。ウォーフの試算では、「クルーを男性四人、ミッション期間を九十日とし、宇宙船では洗濯ができないと仮定するなら、使用済みの衣類はおよそ五五キログラムになる」(略)(略)ウォーフは、何社かがすでに大豆蛋白質や乳蛋白質を使った繊維を製造していると指摘し、さらにアメリカ農務省も「卵白や鶏の羽毛からできた繊維を開発しており、宇宙船という人工環境のなかでは、食物として何の抵抗もなく受け入れられるだろう」という。(略)

 しかし、わざわざ農務省の実験研究センターまでショッピングに行って、出費を重ねる理由は、いったいどこに? 「ウールや絹に含まれるケラチン蛋白質は」ウォーフは続ける。「部分加水分解によって加食物に変換でき……」

   NHK出版刊{2012年1月31日電書版発行(原本は2011年10月30日第1刷の紙の書籍)}、メアリー・ローチ著(池田真紀子訳)『わたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦』kindle版84%(位置No.5158中 4293~)、「16 火星に行こう」より(略は引用者による)

*13:

 一九九〇年代の初めごろ、アリゾナ大学の微生物学者チャック・ガーバが、火星探査戦略ワークショップに招かれた。その日のトピックの一つは、固形廃棄物処理だった。化学者の一人の発言がいまも忘れられないとガーバは言う。「加水分解すれば、できた炭素でハンバーガーのパティを作れる」参加していた宇宙飛行士の一人がさっそく応酬した。「おいおい、クソを食いながら帰るなんて、絶対にごめんんだぞ」

   『わたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦』kindle版85%(位置No.5158中 4330~)、「16 火星に行こう」より(略は引用者による)

*14:第3話でマチュの母が美味しそうな料理をマチュへ用意してくれたように、第5話で年上の女性アンキーがマチュのためにドーナツを用意してくれたように、マチュ&ニャアンはシュウジのためにご飯を買ってくるのでした。

*15:『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』第5話「ニャアンはキラキラを知らない」6:04~

*16:第4話22:15

*17:第5話04:15

*18:第3話04:57

*19:第5話03:29~

*20:第3話05:08

*21:第5話03:43~

*22:

富野 (略)よくわからない話でも、後半はそれなりに見えるものになっているのは、サブキャラクターの感情線にブレがなかったからなんです。マニィも行ったり来たりしているくせに、ずっと一本線のように見えています。それはたとえシーンが飛んでも、伝わっているものだとはっきりわかりました。

   機動戦士ガンダム Gのレコンギスタカニック&ワールド』kindle版91%(位置No.162中 148)、「interview 監督 富野由悠季(略は引用者による)

*23:心情を勝手に埋めるなら「そう思い込みたかった」辺りかなぁ

*24:『わたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦』=メアリー・ローチ著(池田真紀子訳)、NHK出版2012年1月31日電書版発行(原本は2011年10月30日第1刷の紙の書籍)。

*25:

アポロ計画時代には、「宇宙酔いに苦しむのはチキンだけ」とする風潮があったとシュワイカートは回想する。ジーン・サーナンも同じ意見だ。「気分が悪いと認めるのは、自分の弱さを認めるようなものだった。それも世間や宇宙飛行士仲間だけでなく、医師に対しても」医師は、地上勤務への異動勧告権限を持っている。さーなんは回想録で、ジェミニ4号のミッション中に具合が悪くなったが、同僚クルーに「初めてクルーズ船で海に出た田舎者」と思われるのがいやで、必死に隠し通したと書いている。

 アポロ8号のコマンダーフランク・ボーマン宇宙酔いを隠していた。非難の口火を切る栄誉はシュワイカートに譲ろう。「フランクが何度も吐いてたことは宇宙飛行士仲間の公然の秘密だった……しかし、フランクは、そのことを絶対に認めようとしなかった」

   NHK出版刊{2012年1月31日電書版発行(原本は2011年10月30日第1刷の紙の書籍)}、メアリー・ローチ著(池田真紀子訳)『わたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦』kindle版31%(位置No.5158中 1543~)、「6 宇宙酔いより

*26:ティム・ピーク=イギリス陸軍回転翼機試験飛行隊でアパッチのシニアテストパイロットをつとめたのち欧州宇宙機関に入り、ガガーリン宇宙飛行士センターで訓練を受けた宇宙飛行士

*27:山崎直子NASDA(現JAXA)でISS国際宇宙ステーション搭乗の宇宙飛行士候補になり、NASAスペースシャトルの搭乗運用技術者(MS)を取得、2010年4月にSTS-131ISS組み立てミッション(19A)をこなした宇宙飛行士。

*28:

 

Q宇宙に到着した時、なにか不調を感じましたか?

A 宇宙に到着して最初の24時間、たいていの宇宙飛行士は、めまいがしたり、方向感覚をなくす。時には嘔吐もある。だが私の場合、打ち上げプロセスの間も、ISS到着までの6時間の間も隊長はよかった。ソユーズ宇宙船内というかぎられた空間だったが、ハーネスシートベルトをはずし、無重力状態というはじめての感覚を楽しんだ。

   日本文芸社刊、ティム・ピーク著(柳川孝二監修・柴田里芽翻訳協力)『宇宙飛行士に聞いてみた! 世界一リアルな宇宙の暮らしQ&A』kindle版23%(位置No.324中 74)、「第1章 さあ、旅立とう」Q宇宙に到着した時、なにか不調を感じましたか? より

*29:

 そもそも乗り物酔いになりやすいと宇宙飛行士になれない、ということはない。

 現に私は、子どもの頃は乗り物酔いになりやすかった。(略)実際に宇宙に行ったとき、私はまったく宇宙酔いにならず、クルーの中でもなぜかひときわ元気であり、帰還後の式典で、アレン・ポインデクスター船長が、

「Naoko was born to fly to space.(直子は宇宙に飛ぶために生まれた)」

 といったくらいである。

   KADOKAWA刊{2013年6月25日発行、角川e文庫(底本は6月20日初版発行の紙版)}、山崎直子『夢をつなぐ 宇宙飛行士・山崎直子の四〇八八日』kindle版47%(位置No.1754中 800~)、「第四章 ヒューストンでの訓練漬けの日々」宇宙飛行士は乗り物酔いに強いか より(略は引用者による)

*30:

 宇宙で吐いたことを恥と考える必要はない。宇宙飛行士の五〇から七五パーセントが宇宙酔いのさまざまな症状に苦しめられているのだ。「打ち上げ直後の一日か二日、シャトル内の映像がほとんど放映されないのはそのせいだ。乗ってる全員がどこか隅っこで吐いてるから」そう指摘するのは、NASA宇宙塵研究者マイク・ゾレンスキーだ。

   『わたしを宇宙に連れてって 無重力生活への挑戦』kindle版31%(位置No.5158中 1564~)、「6 宇宙酔いより

*31:

 ところで宇宙飛行士と言えば、宇宙酔いに耐えられるよう、椅子にすわってぐるぐる回る試験を受ける……といった訓練を行うと信じている人も多いだろう。確かに、宇宙に行くと七十パーセントくらいの人が宇宙酔いになるといわれている。

   『夢をつなぐ 宇宙飛行士・山崎直子の四〇八八日』kindle版46%(位置No.1754中 790~)、「第四章 ヒューストンでの訓練漬けの日々」宇宙飛行士は乗り物酔いに強いか より

*32:余談ですが、過重力下の呼吸法のコツは、微妙に意見が分かれるのかもしれません。

 宇宙飛行士ティム・ピーク氏は、そこで教わり味わった過重力体験と知識をこう述べています。

 わたしは重力加速度(G)が徐々に高まるにつれ、胸の上におもしを積みあげられていくような感覚を味わった。呼吸が難しくなり、胸がつぶれるのを防ぐために、筋肉を緊張させねばという気になった。実際、筋肉を緊張させて胸郭を「ロック」し、腹を使って空気を大きく撮り込むのはベストな呼吸法だ。

   日本文芸社刊、ティム・ピーク著(柳川孝二監修・柴田里芽翻訳協力)『宇宙飛行士に聞いてみた! 世界一リアルな宇宙の暮らしQ&A』kindle版30%(位置No.324中 96~97)、「第2章 宇宙飛行士の訓練を紹介しよう」Q遠心加速器の訓練で気分は悪くなりませんでしたか? より

 本文でも引用したサイエンス・ライターのメアリー・ローチ氏はNASAの宇宙飛行士ペギー・ウィットソン氏に取材して……

肺がふくらみきることがないよう、短く浅い呼吸をくり返すこと、肋間筋より強い横隔膜の筋肉を使うこと。ウィットソンは、それでもやはり相当にきつかった。

   NHK出版刊、メアリー・ローチ著(池田真紀子訳)『わたしを宇宙へ連れてって 無重力生活への挑戦』kindle版33%(位置No.5158中 1667)、「6 宇宙酔い」より

 ……との知見を紹介しています。