『パリの家長』について、「ルー『中世パリの生活史』(2004邦訳)で言及されてる」ということを弊blogで孫引いてから気になってたのですが、パウワ『中世に生きる人々』(1969邦訳)の「メナジエの妻 -14世紀のパリの主婦-」でこの本にかんするもっと詳しい紹介がありました。
以下もう少しくわしい話。
パウワ氏本の邦訳書では『メナジエ・ド・パリ』と訳されていて、ほかの日本人研究者の本でも同様。
AmebaBlog「あ。」氏の『中世史の保管庫(テーマ別を使うと見やすいです)』の上リンク先記事が、パウワ氏によるまとめを更にかいつまんでよくまとめていて呑み込みやすい。
パウワ本原本は「この仕事・おこないをしているときはこの呪文を唱えておくとよい」みたいな『メナジエ・ド・パリ』記述も引いているので、そのへんの空気感を知りたいかたはパウワ本原本(ないし『メナジエ~』原本)に当たるとよさそうです。
『メナジエ~』全編の邦訳本はなさそう。
全編英訳版は2バージョンあり、ひとつはパウワ氏による1928年刊『The Goodman of Paris』、もうひとつはそちらが絶版になったのをうけたコーネル大Gina L. Greco & Christine M. Rose氏による新訳版『The Good Wife's Guide (Le Ménagier de Paris): A Medieval Household Book (English Edition) 』がでていて、後者はkindleでも流通アリ。
父母を亡くし親戚のもとで暮らす身分上の15歳の女性を娶った60歳の語り手が、妻から教えを請われたのもあり、家政について指南すべく筆をとった……という建付けの本で。
「よき妻とはなんぞや?」
という面倒っちい話もある一方で{ただし歳が歳なのと人格者らしいことが相まって「粛々と従順な貞淑なひとが良くって、チョーサーはこれほどまでに我慢づよい奥さんを書いてたよ。だからってここまで"試し行為"する夫は最悪だよね、ワシはしないから」とか、「いろいろ言ってるけど次の旦那さんとうまくいくためには仕方ない小言なんじゃよ/再婚や再再婚ってむずかしいらしいんじゃよ(ちなみに寡婦の再婚について、パウワ氏から"むしろ実態は逆では?"とツッコまれてる)。ワシが死んだらすぐ次の人を見つけるんじゃよ」という話をしたりする。そこがさらに面倒っちいという向きもある}、
「中世版『伊東家の食卓』か?」
という家庭生活のウラワザ知恵袋集みたいな部分もあって、たとえばシダの葉をつるしたり蜂蜜いれた瓶を置いたりして害虫を捕まえよう……という中世版「ハエ取りテープ」「めんつゆトラップ」が紹介されたりもする。
でも、じゃあ「パウワ本にかんする商品説明的な第三者の文章で言われたような"中流階級の主婦"本だ」って頷けるか? っつったら全然そんなことない。
ルー本でも言われてたとおり今著はかなりブルジョワな人向けの本で、余暇の楽しみ方として鷹狩りに紙幅がさかれたりもする。
{ちなみにこの鷹狩りのヴィジュアルについては、1317年フィリップ五世が仏王敬称時サン=ドニ大修道院長ジルから贈呈された『聖ドニ伝』の装飾写本の図像について一枚一枚、当時の記録などをもとに解説したV・W・エグバート(藤川徹編著)『中世パリの橋のうえで』p.46~7で一例が拝める。パリの橋のうえを鷹を腕に載せながら騎馬する若者がいる!(この解説として『メナジエ・ド・パリ』の一節もひかれているけど、ここではカッコ無しに"パリの家政者"と訳されています。補論では『パリの家政者(メナジエの書)』p.200と書かれています)}
そして家政本からイメージされるものとはだいぶ様相がことなり、使用人の見極め採用解雇法が指南されたり、「これは妹(※)は読み飛ばしていいよ、使用人は読んでおくれ」と良い馬の見極め・買い付け法を述べたりとか、農村の別宅での農畜指示のだしかたが書かれたりとかする。
つまりこれ、ブルジョワ階級の一家庭のマネージャー指南本なのでした。
{※年が離れすぎているため、語り手は妻を「妹」呼びしている(!)}
「かわいい妹よ、食後に召使が物語を話したり肘つきはじめたらベギン尼に声かけお開きにしよう、"食卓で高説たれる召使や道草を食う馬は満腹の合図。撤収しよう"と庶民の格言だってある」
とか、
「かわいい妹よ、召使から"時間はたっぷりあります/すぐやります/あしたの早朝には終わるでしょう"と返事をよこされたものごとは忘れ去られるよ。目の前で実行させるようにしよう」
とか、現代でも重要なお仕事管理tipsがある。
以下にリンクしたBruno Laurioux『LE RÈGNE DE TAILLEVENT』「Chapitre 4. Le Menagier de Paris」によれば、現存する写本は3(後世認められたものも含めると4)冊しかなく、けっこうにドメスティックなものだったのでは? とする向きだって無きにしもっぽい。
匿名の著者がだれであるか? 今著が19世紀にピジョン男爵に再発見・普及したときは「著者は公証人では?」とされたらしいんですけど、Laurioux氏によればいまだに「その者ズバリ!」という人は見つからないにせよ、本当に結構な役職のひとだったんじゃないかと云います。
だって著者はラテン語を解したし、統計的に妥当な統計的に正確な街の肉屋の在庫を知れたし、私蔵ないし図書館で本を数十冊単位で参照できたし、料理の記述も既存料理本の引き写しではなく{むしろ後世の料理本より前のレシピ本がこれしか無い場合もある(もちろん現存してないだけで同時代にほかの料理本があった可能性もある)}本にのってないような周辺地域の名物料理のレシピまで知っていた……云々。
いっかい全編読んでみたいですね。