すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2021/秋、2022/01/11~01/17

 日記です。2万7千字くらい。

 19世紀紀行文学者が訪れたアカサバ宮《観菊の宴》と、21世紀のvtuberが訪れた赤坂離宮アフタヌーンティーパーティAmazon川という三途の川と、テムズ川の豚についてなど。

 前回の記事では「月曜更新していくぞ」と言ったしそのときは感想文とかをアップしようと思ってたんですが、じぶんの仕事の〆日を忘れてました。日記しか書けん。

 

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

去年秋から今まで

 ■自律神経の乱れ■

  アップできなかった1クールでの失敗

 11月10日の葛葉ソロライブのオンライン視聴し忘れ。招待状つきだか何だかの特別版を買ったのに特典さえなんだったかわからずにすべてが終わってしまった。{なんか鬼門の季節なのかもしれない。2020年もこのへんの時期に戌亥とこソロライブのオンラインチケットだけ買って視聴期限を逃した(12月10日らしい)}

 シャニマスクリスマスライブの配信期限を一日まちがえていたことに、視聴期間のこり1時間余で気づく(やっぱり鬼門の季節なのかもしれない)

 SMSが来て専用アプリで支払いをする電気料金を計2ヶ月払い忘れていたことをハガキによって知る(鬼門ひろすぎでは?)

  Twitterスペースへの参加失敗。(これは単に装備不足)

 せっかく本をもらった・借りたが読めてない(まじで申し訳ありません……)

 なんか書こうとして結局まとまらず放置したもの=いっぱい。

 

 

 ■読みもの■去年のうちに書けなかったもの■

  『ストライクフォール』4巻が面白かった

 去年かけなかった心残りとしては、長谷敏司『ストライクフォール』4巻がべらぼうに面白かったというお話。

 

 1巻だけ読むと、主人公と双子の弟そして幼馴染のヒロインをめぐる三角関係がもたらす青春ドラマを除いたテクノロジー部分/スポーツ部分としては天才スター選手誕生譚のようにも思える作品だったじゃないですか。

 トラウマからか微妙にブラックボックス化された謎の過去をもった主人公と、その愛機でありこちらも謎おおきロボが出会い、両者がそろうことで秘技を発見・世にしらしめることとなる、「俺TUEEE」的要素を有した作品のようにも。

 1巻終盤であきらかとなる主人公&主人公機の唯一無二の特殊性は、魔法の秘密道具をじぶんで好きなように取り出せるドラえもん的な異能であり(「取り出せる」というか「作り出せる」から、ドラえもんより更にとんでもない)、その原理についてはブラックボックス部分が多くて、何でもありの魔法のファンタジーにようにも読めてしまう。

 そこでノレなかったひとはもしかしたらいるかもしれない。でもそこで手を止めてしまうのは惜しい作品なんですよ。

 

 『ストライクフォール』は、そういう主人公&主人公機の魔法みたいな特殊性について、2巻ではやくも、コミュニティ内での議論・論戦・画策・合意のもとに、ドラえもん的な部分については使用へ制限がかかり。そして魔法の秘密道具についても、無二の一点物という地位が返還されて「(達成するには高い基盤が必要とされるが、そこさえクリアすれば再現可能な)単なる一小道具」としてあまねくコミュニティへ伝播・共有することとなる……という方向へ風が向いてもいた作品です。

 

 その魔法のようないち"小道具"を彼我のチームがどのように活かすか、3巻では"小道具"を活かす一点物でそれぞれユニークな仕様のスターロボ同士が個と個でぶつかり合うような対決構図の様相となっていましたが、4巻では、それがいち"技術"として馴染んだ姿が拝めることとなります――だれもが大なり小なり使える状況のなかで、どう利用するのが最適か? もっと汎用性がきく形で概念の理解・順応がなされていくこととなります。

 2~3巻での劇中スポーツの展開は、

「既存の戦闘ドクトリンにその秘密道具をどうフィットさせていくか?」

 というかたちでしたが、4巻では、

 「その秘密道具で達成できることをまず洗い出したうえで基本原則を新たにつくり直し、それに適した選手やメカ、訓練をどう編成していくか?」

 ……というところが焦点となり、マネー・ボール』やスポーツの各業界でおきたビッグデータ革命を思わせるような大規模改革・シーズンを通した運用がなされていくのです。それが4巻の見どころ

 

 未来のスポーツ物という『ストライクフォール』の舞台設定やジャンル・そして主人公(機)のドラえもん的な便利な設定は、ここにきて、現実であれば年単位・云十年単位でゆっくりとおこなわれていくであろう技術史的な変化(技術革新・普及改良陳腐化・更なる技術革新のサイクル)が一世代ワンシーズン内という爆発的な速度でおこなわれていくための土台として活き活きしてきますし。

 そして、現代で研究されたり考えられたりしているようなことを――たとえばこのblogだと、okama『Do Race?』読書メモでふれたようなポーツ遺伝子は勝者を決めるか?──アスリートの科学』で出てきたような知見を――よりエスカレートさせた形で登場させるための武器となります。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 okama『Do Race?』読書メモでzzz_zzzzは、1巻で見られたようなブルース・スターリングの機械主義者/生体工作者的なアプローチがトーンダウンして、2巻以降では精神論的・人生論なアプローチが大きくなったことを残念がりました。

 『ストライクフォール』は、ぼくが『Do Race?』で期待したような未来がある――身もふたもない未来が。

 

 魔法を身もふたもないレベルで地に足つけさせる今作は、「そんな世界でこんな劇中独自スポーツをどうしてやるの?」「劇中スポーツは兵器・戦術へ転用される疑似戦争だけど、"スポーツとして"やる意味ってなによ?」みたいな当然うかぶ疑問からも目をそらしません。

 そんな身もふたもない疑問について、ひとつの答えが出てくるのも4巻なのでした。

 

 

 1004(月)

  ■そこつもの■
   ▽TVがさっそくこわれた

 『OuterWilds』DLCにハマって、日曜はけっきょく24時をまわって月曜午前3時30分過ぎまでやりました。月曜は仕事もあるし睡魔もあったのですが、それらでどうにかなるなら3時までやってません。じゃあなぜやめたの?

 TVが壊れたからです。

 画面の下3/4に、オーロラみたいな縦縞がとつぜん入ってしまいました。

 ちょうどゲームでひとつの謎を解き、新しい場所に入れたところだったので、「へ~こんな演出もあるのか!」と思いましたが、この演出はPSホーム画面にもどっても、プレステ消したあとの真っ暗なはずの「入力切替」画面にもどっても出てきちゃうんで終わりました。

 

 車で気をつけながら運搬したんだけど、気づかないうちに衝撃をあたえてしまったんだろうか? アッそういえば途中、道路工事でアスファルトをはがしているところがあって、そこでガタンと鋭く車体をゆらしてしまった……

「物損ですと――たとえばご自身で組み立て中・設置中にTVを倒したり物をつぶけてしまったりして衝撃をあたえてしまったとか、そうでなくても地震などによる不可抗力の衝撃であっても――メーカー補償対象外なので、買って早々に新品と同じくらいの修理交換代をはらったお客様もいます。

 当店では別途1万円で地震等物損の店舗保証をやっているので、よろしければこちらを」

 とうながした電器屋さんの顔が思い浮かぶ。テレビ線の紹介やインターネット契約の見直しなどほかにもいろいろ薦められて、うっとうしくなったのと「落雷はともかく、衝撃は段ボール+プラスチック緩衝材に入ってるんだから大丈夫じゃないか?」とナメてかかって「いらないです」と言ってしまった……

 ……ことが終わってから振り返ると、ぜんぶがぜんぶ伏線に見えてしまう。

 

 パソコン用として使っているモニタへHDMIを挿せばPS4などゲーム機はプレイ可能なのですが、どうしようかな。

 

   ▽パソコン用のモニタの使い方がここにきて

 先日からプレイ中の『Outer Wilds』ですが、"テレビを修理したい欲"よりも"つづきを進めたい欲"が大きい。

 ということでテレビはだめになったので、PSVRで平面出力して楽しんでみることに。22分の一タイムループも完結できずに気持ち悪くなった。

 けっきょく「あんまりやりたくないな……」と思っていた、パソコン用につかっているモニタとHDMI接続してゲームをすることとしました。

 というのもですね、パソコン(VGA接続)とゲーム機(HDMI接続)の切り替えかたがイマイチわかってなくて、接続先の電源が落ちるとモニタの電源も落ちてしまうと思っていたんですよ。

 なので、モニタでゲームをやるときは、PS4の電源が落ちきるまえにパソコンへ切り替え、パソコンが落ちきるまえにPS4に切り替え……と面倒くさいことをやっていたのですが、別のアナログスイッチによってモニタが黒画面時でも切り替えられると分かったので事なきを得ました。

 

 先代テレビがこわれてから1,2年。ついに投入した現行世代、当代テレビがこわれてから1日。苦境のなか古豪パソコンモニタが、つかいはじめて10年くらい経ってようやく機能の奥底を明かしてくれる。たぶんこれ最終回まえまできてますねぼく。

 

 

  ■読みもの■
   ▽『都市における高層建築の形態と構成に関する研究─ニューヨーク マンハッタン島を事例として─』('17)

scu.repo.nii.ac.jp

 タワマンのネタツイート遊びが流行しているなか、「そもそも現実の高層建築についてよく知らないな」といくつか本をポチって読み始めています。

 小林克宏ューヨーク―摩天楼都市の建築を辿る (建築巡礼) 』をひらいたところ、19世紀末~20世紀初頭のニューヨークの摩天楼たちの独特なデザインについて、ゾーニング建蔽率とか日照権みたいなやつ)がかかわっていたというお話をチラッとされていた。

ja.wikipedia.org

 ゾーニング法は、高層建築の規制以外にも用途地区指定など様々な内容を含む条例であった。そのうち高層建築の規制に関して言えば、それは原則的に道路斜線制限の考え方を基本としていた。つまり、道路の中心線から、ある勾配をもって立ち上がってくる車線の中に建物を納めなければならないとする考え方である。射線の勾配には、急なものから緩いものまで計五種類が定められ、市全域のすべての場所が(略)これら五種類の地区のいずれかに振り分けられたのである。(略)

 しかしながら、道路斜線が単純に適用されると高層建築そのものが建ち得ないことになってしまう。そこで法は、独特の緩和を認めていた。特に重要な点は、敷地面積の四分の一の部分に対しては、斜線を越えて塔状の高層棟を建ててよいとする緩和が認められたということであった。かくしてゾーニング法の発布によって、高層建築のデザインでは、道路斜線が要求するセットバックと塔状部分とを法の許す範囲でいかに巧みに組み合わせるかが重要なテーマとなった。しかし、実に奇妙な事ながら、この法によってどのような形の高層建築が生み出されるかは、法の発布時点では、誰も正確に把握していなかったのであった。

   丸善株式会社刊(建築巡礼44)、小林克弘『ニューヨーク 摩天楼都市の建築を辿る』p.59~60、「Ⅳ 都市の反映とアール・デコ摩天楼 一九一六 - 一九四五」■ニューヨーク・ゾーニング法と新たな高層建築 より

 ある時期からニューヨークの建物は、ことなる基準から5本の線を引き、その枠内に収まるよう建造されねばならなくなったそうで、そんな複雑な枠内を活かしきり、かつ、(その辺のご都合を感じさせない)見た目に面白いものをした結果が、アール・デコ建築あたりのやつなんですって。

 多分これについてくわしく知りたかったら同氏の別著アール・デコの摩天楼』を手に取るのがよさそうですけど、手元にないのでググったら引っかかったのが上の論文でした。

 ざっくり言うとカイ・スクレイパーズ 世界の高層建築の挑戦』(’15)所収の小林エッセイと、木下央&宮脇大地「高層建築形態のタイポロジーの合の子みたいな具合。小林エッセイでは細部や経緯がこまかいし、文章といくつかの例示写真によってその変遷も示されているけれど、量的・線的な変遷がよくわからない。木下&宮脇論考だと世界規模かつより抽象図形的で網羅しているけれど(「同形積層」とか「平面形断続変化」とかでまとめられた構図からは)、局所のより細かな細部の変遷まではわからない。

 今回よんだ論文は、「セットバック」「基壇」「組み合わせ」とか、「均一窓」「垂直強調」とか、ニューヨークの高層建築の建築事情にかなった細部の具象へ注目して、その年代ごとの量的変化を見ていくものになっています。

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 いつぞやの記事「(▽脱線;『文字渦』の「馬」など一文字ににじむ複雑な履歴・浮かび上がる人々の姿)」で、地域ごとの「馬」の字の分布図などをおもしろがりましたが、生態系的に建築を見てその成長や生息分布を眺める……というのもまた興奮しますね。

 

 小林氏の本に話をもどすと、ほかにも、ニューヨークには(世界初の乗客用エレベーターをそなえたホーワウト・ビルなど)かつて丹念な衣装のほどこされた鋳鉄の高層建築(キャスト・アイロン・ビル)があったけれど*1構造体が外気へ剥き出しとなっているため大火によわく、耐火性に優れた次代の建築様式の登場により姿を消していく……など、「建物においても大量絶滅とか次世代の誕生などがあるんだなぁ」とおもわず連想してしまうようなお話もされていました。

 コンペなどで消えた建物は、べつにソ連だけでなく各国各建築にあるわけなので、建築におけるバージェス群みたいなものも様々あるんでしょうね。

 

 

 1008(金)

  ■そこつものではなかった■
   ▽TVメーカー検査/初期不良扱い

 TVは初期不良あつかいとなりました。よかった~!

 「買ってすぐのできごとなので(?)販売店にもっていけば新品との交換対応もできる」という話が出たけれど、めんどくさいので別日にメーカーさんにまた来てもらい、パネルなどの故障部品との交換でお願いしました。

 

 

 1023(土)

  ■行ったもの■ネット徘徊■
   ▽京都SFフェスティバル2021

kyofes.kusfa.jp

 京都でこの時期年一でおこなわれるSFオタクの集まりが前年につづきオンライン開催されました。去年おもしろかったので今回も参加。たいへん楽しく興味ぶかい時間が過ごせました。

 COVID-19の影響下、まだまだ面と向かってのサークル活動はむずかしい時分だと思います。1年目はアナログ時代の経験者が三学年くらいいるのでどうにかなりそうな気がしますが、2年目となると進行・ノウハウの伝達にかんして断絶が生じかねない。

 そんななかでとてもうまく回してくださっていたと思います。

(オンライン会場の誘導で一部障害がしょうじたみたいで、不具合に見舞われたかたはご愁傷さまです――し、のほほん楽しんだ外野がこういう話をしているのを聞くと、内外ともにイライラされるかたもいらっしゃるかもしれません――が、運営のかたがたはよく御対応されてたと思います。

 その方面に詳しい人なんて数人いれば優秀で、しかもイベント当日・開催中だからそっちにマンパワーが割かれているなかですからね……。

 不具合の通知と訂正箇所の誘導は過去にもされていたわけですし、できるリカバーは打ててらっしゃったんじゃないかなぁと)

 

●柞刈湯葉さんの『地球外生命はどこにいるのか』

 面白かったです。

 ただ、講演とは無関係に「柞刈氏ならびに同席されたかたがたに申し訳ないことをしたなぁ」と思ったのが、ディスコードチャンネルのほうで音声についてトラブルを訴えているかたがいて、さすがに聞けないままなのはもったいないので、

「別の一リスナーであるこちらでは聞こえているので、おそらくそのかた自身のパソコンないしZOOM設定の問題な可能性が高そうだから、音声設定を見直しされてみては?」

 という旨のコメントを(複数回にわけて・後から編集もしつつ)送ってしまったんですよね。

{この時世となって、ぼくも50組くらいのZOOM初導入者とコミュニケーションをとることとなり、自他ともに初心者あるあるとして(また、一度二度つかったことがあるひとでもなぜか前回の設定が反映されなかったりなどして)、「聞こえないと思ったらZOOMの音声がミュートになってしまっただけだった」があったので、そういうすぐ確認・解決できる問題で聞こえてないのだとしたらもったいないと思った}

 で、ぼくがそんなコメントを送ったのと同時期に、登壇されている柞刈氏のほうでも「音声が聞こえてるかどうか」の確認を入れて下さって、そこまでは良かったんですが、そこからなんか柞刈氏ご自身の機械音声にトラブルが生じてしまった(というお話が柞刈氏からなされた)んですよね……。

「もしや柞刈氏が"自分側のトラブル"と言うていで、トラブルの生じたリスナーが聞けるまでの時間稼ぎしてくれてるのか?」

 とか、そこまで行かなくとも、

「ぼくが余計なお節介を焼いたせいで音声再生メディアを手動で止めた結果、いろいろメチャクチャになってしまったのでは……柞刈先生すみません……」

 と居たたまれませんでした。ぼく原因だったら本当に申し訳ございません。

 

●竹田人造さんの『SF作家竹田人造の公開企画会議』

 面白かったし興味深く、好き勝手コメントだってしましたが、竹田先生は……

  1. 自作の大まかな設定・あらすじ・その作品で(作家として/商業作品として)何をしたいかを話す
  2. (と同時に合宿の1コマ企画ということで、聴講者のわれわれが飽きないよう間をもたす/合宿のコマ内で何かしら収穫をつくる)
  3. 編集氏による鋭いツッコミに答える
  4. コメント欄のわれわれのむにゃむにゃを読む/答える

 ……をいっぺんにこなさないといけない四面楚歌のマルチタスクを強いられるかたちとなり、「竹田先生すみません……」て気分になりました。出たら絶対購入します……。

 編集氏のアドバイスとして興味深かったのが、ストーリーラインやプロットについてどうというよりもまず、「そもそもその設定は、読者にとってリアリティあるか?」ということをとにかく気にされていたところ。

 竹田氏の新作構想を聞いているぼくなんかはわりとこう「フンフンこういう設定の作品なのね」とかるく流してしまった部分なんですが、言われてみれば「たしかに……!」となりました。

(1/19追記)

 いやそのツッコミによって新作の設定がリアリティないと僕が感じたということではなくて、むしろ「中身の描きかた次第なのではないか?」とか「不合理な部分はあるかもしれないけれど、その程度の不都合は現実にふつうにあることではないか?」とかいう感じだったのですが、しかし、

「たしかにそもそも本を手に取る/レジに持ってくかどうかの判断基準として、オビとか傍目の概要裏表紙のあらすじ紹介)という"中身の描きかた"以前の看板でふるいにかけてしまうよな」

 と。

note.com

 ふりかえれば竹田氏の商業デビュー作からして、そうした「看板」「入口」が取り沙汰されたわけで、

「商業で本を売るということは、ただ良い内容を書けばいいというわけではなくて――もちろんそれは大事なことなのだけど――、365日新刊が山ほど出るなかでその内容をたしかめてもらうためにはどうすればよいか? そういう部分も練っていくものなんだなぁ」

 と興味ぶかかったです。

(1/19追記オワリ)

 

●橋本輝幸さんの『読み比べ海外SF傑作選(英語圏)』

 海外SF傑作選の概論からはじまって、最近の傑作選収録作・収録作家をひとつひとつひとりひとり紹介していく充実の部屋でした。

 

●下村思游さんの『円城塔作品を語る部屋』

 21年夏の『SFセミナー2021』メイン企画の幕間で、下村さんらが自発的になされていた円城塔語り。あれの延長戦みたいな部屋でした。

zzz-zzzz.hatenablog.com

 『SFセミナー2021』幕間では「『ゴジラSP』にちょっと出てきたCTCってなに? これはこういうものです」みたいな、『ゴジラSP』劇中に登場した(けどサラッと流された)科学的要素の補習という感じだったのですが、そういった要素もありつつ、「そういったアレをつかって、円城塔はどういった創作をやっている/やろうとしているのか?」みたいな作品論作家論的なお話になっていました。

scrapbox.io

 だからぼくのような科学にくわしくない人でも楽しめる(し、「分かったらもっと楽しいだろうから勉強したいな」と意欲が起こる)部屋でした。

 下村さんのお話に、「どういうこと?」「そこちがくね?」と色々やりとりが音声や文字でなされて、そこも面白かった。

 

note.com

 企画進行をつとめてくれた京大SF幻想研はnoteをひらいていて2021年末には会員のかたがたによるベスト記事が複数投稿されました。SFに限らないさまざまな小説が取り上げられ、メジャー出版社からだけでなく同人誌の話題も出て、さらには小説以外のものについてだって言及される。広いアンテナとバイタリティが感じられて素敵)そこから寄付なども募っています。今回こそは年度内におこないたいところです……。{でも年度内つっても3月後半とかになったら会計が大変なので、1月中に寄付すべきだろうな。(それより遅れるんだったら来年度に入金したほうがよそうな気もしてくる……)

 

 

 1102(火)

  ■観たもの■オンライン視聴■
   ▽にじさんじライブ『NIJIROCK Next Beat』

 それは何ですか;

 エニーカラー社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじの面々によるライブイベントです。生バンドの生演奏がウリ。

event.nijisanji.app

 観た感想;

    ○vtuberのアナログ会場でのライブをどう撮影・配信するかに磨きがかかった

 にじさんじARライブ『Light Up Tones』を経て、観る側の求めるものはどんどん高くなってしまっているんですけど、それを超えてくる撮影/出力方式になっていて驚きました。

 Vtuberがアナログな会場を取ったうえでおこなうライブを、いかにしてオンライン配信するか? その演出にさらに磨きがかかってるんですよ。

 ライブ会場のカメラでモニタを撮る旧来の方式に、AR方式のVtuberと実写現地映像とを組み合わせた映像が出る(にじfes前夜祭あたりから徐々に見られてきたやつ)ショットが増え、さらにはアナログ会場のモニタに出力されるバーチャル空間にもカメラを置いて(?)モニタを挟まない(モニタの干渉モアレが生じることのない)クリアなショットをオンライン配信用にスイッチングしていて、かなりすごかったです。

 

 会場内での撮影も磨きがかかっていて、にじさんじ活動初期のライブでは正直、観客の位置とカメラポジションがカチ合ってしまっているシーンもそれなりにありました……。

 でもそれが最近のライブでは(COVID-19の時勢柄、収容人数のキャパシティをだいぶマージン取っているからなのかもしれませんけど)、レール引いたカメラがあり、前後左右に動き回るカメラマンさんの姿も見えてそういうせせこましさは全く感じない。今回のライブではドローンも登場! よりいっそう情感たっぷりのカメラワークが登場していました。

 

 vtuberさんの後ろに流す(というか出力モニタ自体は同じですが……)背景演出映像も、今回はかなり極まってきたなぁという感じです。

 回を重ねるごとに会場も大きくなり設備や演出もお金がかかっていくようになっている感触が素人目にもあきらかだったんですけど、でもステージによっては単純な映像の解像度/クオリティが上がったことで、どうしてもセルルックで情報量がすくないvtuberさんのモデルとに差がうまれてしまい、主役であるはずのvtuberさんが埋没してしまっているような感想を抱くこともあったんですね。

 それが今回の映像はたいていのものが、映像自体が「ドットとドットのあいだが黒くくっきりあるような、(一昔まえの)会場のモニタに出力されたPV映像」を模した"ちょっと粗い"ものになっていて、ちゃんとvtuberさんのモデルのほうがしっかり密度が高くなっていた。

 

 今回は初っ端からvtuberさんたち全員が登壇して歌を披露し、つづいてソロでそれぞれ持ち時間のなかで歌をうたったりトークをしたりしてました。登壇の切り替えタイミングでトランジションアイキャッチといった感じで幕間アニメーションが挿し込まれたのですが、初挿入時は「お!?」となりました。

(ここまでのにじさんじのライブは、①ライブ全体を総括する幕開けOPアニメ⇒②ライブパフォーマンス本編というかたちでしたが。

 ①ライブパフォーマンス⇒②ライブ全体を総括するOPアニメ⇒③ライブパフォーマンスといったかたちでもよさそうだな~とか)

 

 轟京子さんのMCは独特でよかった。

 雨森小夜ちゃんは圧倒的なかわいさで、「アニメ」がその場にふいに現れてしまった、という方向で夢幻のような『透明少女』でした。

 

 

   ▽にじさんじライブ『Initial Step in NIJISANJI』

 それは何ですか;

 エニーカラー社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじの面々によるライブイベントです。「一期生」と呼ばれる、にじさんじ発足のライバー8人が3DCGモデルで勢ぞろいする初めてのイベントとなりました。 

event.nijisanji.app

 観た感想;

 感慨ぶかかったです。

 デビュー当初のコメントを拾ったOPと、一期生初のコラボ歌動画『Mr.Music』のライブ披露。エモエモの幕開けから、ライバーのうちライブ常連や経験者のひとがコメディリリーフ的に場を盛り上げ、アキくんちゃんとハジメさんという、(アキくんは完全に、ハジメさんも誰かのゲストというかたちではない、自分がホストのひとりであるイベントとしては)初めて3Dの体を披露するひとびとがソロ歌を堂々と歌い上げてみせる。

 贈られたファンメイド曲『Brand New day's』をやさしくもしっかり芯の通った声で歌うアキくんはもちろんよかったけれど、(当人もにじマイクラ夏祭りなどたびたびネタにしているけど)焦げくさい配信者人生を肯定するかのように有頂天人生を軽やかに歌うハジメさんがまたとてもよかった。『KANA-DERO』での『命に嫌われている』ばりに感動したかもしれない。

 

 前日の『にじロック』とちがって、逆に「解像度の高い背景映像」の面白さが味わえたりもしました。月ノ美兎&樋口楓&モイラ様のトリオパフォーマンスは非常に映像ドラッグ的でよかった。闇鍋としてのにじさんじを代表するような2021年ベストライブパフォーマンス

 

 静凛&月ノ美兎委員長のデュエットによるタルトタタンは、しずりんメインライブ『Recollection』に続いて、ふたりともアイドル衣装に身を包んでの披露でした。

 『Recollection』で二人が自己言及していたけど、制服を改変したドレスにケモ耳をつけたアイドル衣装は、二人とも別々にあつらえたはずなのにかなり親和性があって、そんな装いのふたりが左右対称のこまかい振り付けのダンスをすることで、シンクロニシティによる情感がすばらしいことになっておりました。

 

 これを観たあとに、にじさんじ4周年ライブ/初のイベント共通衣装による『Fantasia』の発表!

 大人数による演舞がりんみとレベルの完成度で拝めたらとんでもなく感動するけど、そんな時間ははたして作れるのか?

 イーリスとかジュエルなど、ライバー発信の箱内アイドルユニットはいくつかあるので、それらの専用衣装とかもいつか観てみたいな。

 とくにイーリスはすでに3Dライブをして引き出しがあり、息の合ったグループパフォーマンスの経験がすでに培われている。

 

 

 でろーんの振り返り配信でけっこうな裏話がされてましたが、こちらも興味深かった。(ちょっとおそろしいよ)

 運営さんの構想としては、歌は3曲くらいでトーク中心のイベントにする予定だった/OPアニメもなしにする予定だったのを、でろーんらが「待った」をかけて現在のかたちになったということで、「待ったがかかってくれて本当に良かったなぁ……!」と(苦笑)

 巨大な会場を押さえたうえでなかなかのチケット代を取って興行するオフラインイベントであっても、参加する(音頭取りする)ライバーによって大筋から細部までかなり左右されるというのは、そのライバーさんたちが好きだったり彼らの力を信じていたりして大きな舞台でさらなる活躍をしてくれるだろうと期待しているひとにとっては嬉しいことです。

 杓子定規に「(音楽)ライブやっておけばええ!」ということじゃなくって、いろんな考えのひとがいるのは良いことだし、そうして実際にじさんじ催し物の幅広さには驚かされるかぎりです。

(惜しくもCOVID-19で完璧なかたちで見ることかなわなかったとはいえ)企業規模の学園祭的なにじフェスがあったり、にじさんじ×リアル謎解きゲームイベントがあったり}

 ただ今回は、歌とかに強かったり関心があるアキくんやハジメさんが(よそのゲストとかではない)初めて3Dのからだをもってみんなのまえに現れてくれるメインイベントですからね。そこでトークイベントは、でろーんが言うとおり違う気がします。

 さすがにある程度の大筋は共有してくれてるとか、違うとしても「考えてなかったけど、それもアリ!」という納得いくプランであるとかでないのは、ちょっと怖いっすね……。

 

 

 1115(月)

  ■観た配信■
   ▽vtuber『1stワンマンライブ「月ノ美兎は箱の中」』オンラインリアタイ視聴しました(虫食い/後日全部観た)

 それは何ですか;

 エニーカラー社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属するバーチャル学級委員長・月ノ美兎さんによる1stワンマンライブです。

 ゲストありのライブやイベントは何度かやられていますが、委員長だけでおこなうイベントは今回が初。

event.nijisanji.app

 観た感想;

 仕事が詰まってたので「後日タイムシフトかな……」と思っていたのですがなんとか切り上げて帰宅するも、オンラインマネーの残金数を勘定しまちがえて無料パートだけ見て、町へ出てチケットを買って家に戻って後半を観て、別件で席を外して戻って三度着席したらすでにアンコールでした。

 

 にじさんじも運営3年が終わろうかという時分、ライブやオフラインイベントも結構な数おこなってきて、どんどん箱は大きくなり、ARなど演出も目に見えてリッチになってきています。

 先月の『NIJI ROCK NEXT BEAT』や『Initial Step in Nijisanji』は、演者や裏方のスタッフさんは違えども、定期公演するための"型"のようなものがある程度できたなぁという印象で、どちらもオンライン視聴期限中なんどもリピートして楽しく視聴しました。

 しかし(先月のライブ2つは、にじさんじ初期から活動されている一期生や三期生相当のSeedsのかたがたの3Dの姿が初お披露目・ライブ初出演があり、特別感がありましたが)、月イチレベルで行われていることもあって、そして自社(レンタル)スタジオと機材・スタッフが充実したことで全身トラッキングした3D配信もレギュラー化しているいまとなっては、正直TVスペシャルのような感覚をいだかないでもありませんでした。

{それにくわえて今回の委員長の1stワンマンライブは、先月のにじさんじのライブとちがう、もっと小さいキャパシティ/設備のZEPPで行われた影響か、会場スクリーンを中継カメラがアップで映したとき映像のモアレ/解像度的なかすみが目立つ局面もそれなりにある、という難点もありました。(にじさんじvtuberがアナログ会場でライブを始めた初期では気にならなかった/気にしないようにしていた部分も、クリアな環境でのライブが拝めるようになった現在としては、明確な不満として感じられもする)

(ただし、委員長の1stワンマンライブでは、会場スクリーンに映像を出力する「バーチャル空間内に置かれたバーチャルカメラ映像」をそのまま直接オンライン配信画面へとスイッチングするなどしてくれたために、そうした不満はかなり減じられてはいます)}

 

 今回の月ノ美兎1stワンマンライブは、そうして出来上がった型や慣れをゆさぶるアイデア色々と盛り込まれていて、「序破急」の「破」の段階にきたんだなとワクワクしました。

 おもえばライブが開始されるまでの定番となった直前放送。

 この時点ですでに妙な雰囲気がありました。

 観客へインタビューをしたり物販の紹介をしたりするこの枠では、密集を避ける時節柄の人員節減のためリポーターをつとめる後輩ライバーリゼ・ヘルエスタ皇女はリモート出演。

 そこまではいいとして、ワンマンでパフォーマンスをする月ノ美兎委員長もまた、よくある控室ではなく、なぜだか月面にいます。なんだか妙だ。妙だけどおかしなことはいつものことなので流してしまう。

 

 おなじみといえばライブ開始まえの会場のBGMとして、ライブ登壇者のふだんの配信でよくつかわれる(雑談配信や配信準備画面など)大体フリー素材のBGMが流れるのもまた定番です。今回のZEPPでも委員長リスナーにとって聞きなじみ深い『雲は流れて』が再生されていました。でもその実家のような安心感は18時をまわった直後に違和感へかわる。

 『雲は流れて』の聞きなれたはずのメロディは細かいリピートや変調子やノイズが走ってバグりだし、会場が暗くなって、黒い闇は宇宙の星空にかわって月が映り……

「♪月の兎は、ヴァーチャルな夢を見る。月の兎は、ヴアーチュアルな夢を、見、る」

 ……そのまま別の曲へと変じていきます。

 月には段ボール箱があり、それが地球へと向かっていく。大気圏を突破して、東京へと落ちていく。

 するとステージの左、スクリーンに映された大きな段ボール箱がプラクティカルな実体としてお目見えして、台車に載せられたそれはスタッフに押されてステージ中央へと置かれる。

 箱の中から噴き出す煙。その煙の向こうから、月ノ美兎その人が現れる。そう、直前放送で月面にいたのはネタでもなんでもなかったのです。

 

 アニメ『惡の華』のサイコなED音楽を手掛けたASA-CHANG&巡礼さん作詞作曲のやはり同様にサイケな『月の兎はヴァーチャルの夢を見る』から、MCをはさまず畳みかけるようにしてエッジの利いた電子音とそれが弾けたあとの(フリークスなど見世物要素が多分にありそうな)昏いサーカスのようなイントロがひびく――

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ここで

忘れてる 息は

wifi

にまぎれて

囲われためとめと

星座に鱗

貼り合わせたら 動き出す

   月ノ美兎歌唱/作詞作曲長谷川白紙『光る地図』

 「ライブで歌われる曲とは思ってなかった」旨を、作詞作曲した長谷川白紙さん当人が語った『光る地図』。ひとつまえのASA-CHANG&巡礼さんだって思いもしてないでしょう。

 それが1stワンマンライブで流れる。

 日常からかけはなれた異界に連れてってくれる場としての、ハレの舞台がここにはありました。

 『月の兎は~』はCDで聞いてももちろん妙ちくりんな音楽とは思ってましたが、開幕の音楽としてあれだけショックを与えてくれるとは思ってませんでしたし、ましてや次になにがあるのかと期待をあおりにあおるワクワクする曲だとわかってませんでした。

 

 さすがにタイトル負けするのではないかと思っていたんですよ正直。

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 ノ美兎は箱の中』とは、じしんのコラム『月ノさんのノート』で記された委員長の活動初期のロフトでおこなわれたオフラインイベントの、サブカル/アングラ/地下タレントの"なぁなぁ"でいい加減な舞台裏について振り返ったエピソードタイトルなんですよ。(委員長の通学路に身バレ張り紙が延々張られた事件とか、のちの「果たし状」問題が解決できずに「卒業」することとなった鈴原るるさんなどを予感させもする舞台裏です)

 それを堂々とタイトル/ライブの主題に選んで、一つの出し物として昇華してしまったのがすごい。

月ノ美兎の歩みはそのまま旧いちから社にじさんじが歩んできた歴史だったんだなぁ」という、この3年間の走馬灯のようなライブでした。

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 チャンネルごと消滅したAbemaにじさんじのくじじゅうじ』時代の、いまとなっては突貫工事感がいなめないボーンの固い3Dモデル。

anniversaryfes.nijisanji.jp

 COVID-19で無観客になって我々が現物を見る機会をほとんど失ったにじフェスの"ミトダヨー"着ぐるみ。

 もとはエイプリルフールの一発ネタで原初はアーカイブ削除済み、そこらのマスクに黒髪ウィッグをかぶっただけの珍装を「月ノ美兎」だと言い張るパワープレイで、結果彼女のチャンネルでいちばん再生数が多い謎ノ美兎……

 ……委員長の歴史を振り返ると、公私ともども不安定すぎる地平がそこにはある。というかそもそも、

高校2年生。性格はツンデレだが根は真面目な学級委員。
本人は頑張っているが少し空回り気味で、
よく発言した後で言いすぎたかもと落ち込んだりする。

   『月ノ美兎は箱の中』オフィシャルページ

 本人にかんする紹介文からしてむかしだれかが思い描いた夢の残骸だ。そんな「性格」、デビュー早々に有って無いようなものとなっていた。

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 そんな「キャラ崩壊系」、ロールプレイのいい加減なにじさんじvtuberの走りである委員長が、もっと世界の――二次と三次の境をあいまいにする、そんな素敵で妙ちくりんなライブでした。

 

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 Live2Dを利用したアプリであり、ねづみどしという絵師によって描かれた存在であることが明言されている月ノ美兎というイメージは、簡単に増殖できるものである。

 他方で謎ノ美兎は、委員長がみずから素材を選んで作りあげ、そしておそらく彼女自身がそれをかぶっているだろう一点物の存在である。

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 生誕ライブでも歌われた『ウェルカムトゥザ現世』のこのワンマンライブ版は、そんな逆説を淫した演出がおこなわれ、委員長が歌うステージのバックダンサーならぬフロントダンサーとして謎ノが登場。月ノ委員長以上に目立ったパフォーマンスをする。まじででしゃばる。本人の2倍でしゃばる。物理的に2倍。

 謎ノという一点物であるはずの肉体が、ふたりに増えた(のがほんのちょっと見えた)ところでニコ生/Youtubeの無料観覧パート終了

 これ無料パートだけ見るつもりが続き気になってチケット購入を決めた人もいるんじゃないかなぁ?

 無料観覧⇒途中から有料というライブイベントのお約束も、大きなヒキをつくるひとつの演出材として活かす「型破り」がここにも見られてすごかった。

 そんなわけで、やっぱりこのご時世自体も演出材となる。

 この巨大なステージからは深い闇しか見えない

 誰かいるの?

 なんの声も届いてこない

   歌唱;月ノ美兎/作詞;いとうせいこう『NOWを』

 ソロアルバム収録曲『NOWを』感染症対策でオーディエンスが歓声をあげられないなか歌ったことで、独特の文脈・説得力が付与されていました。

{素朴に聞くとバーチャルアイドルという虚業の光と影みたいな内容だけど、実際いとうせいこう氏は委員長のこの曲を、COVID-19下での活動というようなコンセプトも念頭にして作ったらしい。(そう委員長が振り返り配信でしゃべってた)}〕

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 そしてキラーチューン『浮遊感UFO』も、ライブ配信がそのままPVと言えるような『生誕コラボライブ配信』でのそれとはまた別の、オンライン配信/アナログ会場をつかったライブならではの演出が盛り込まれてすばらしかった。

 『KANA-DERO』では彼岸を見た。『箱の中』ではUFOを見たんだ。きみといっしょに。だろう? 君だけはわかってくれるはず。

 

 

 1223(木)

  ■知った言葉■
   ▽「Ballardian」≠「感傷的」。作風が辞典に載った現代作家

www.collinsdictionary.com

Ballardian(バラード的)

  1. of James Graham Ballard (1930–2009), the British novelist, or his works{英国小説家J.G.バラード(1930-2009)の、またはバラード作品の}
  2. resembling or suggestive of the conditions described in Ballard's novels and stories, esp dystopian modernity, bleak artificial landscapes, and the psychological effects of technological, social or environmental developments(バラードの小説や物語に記された状態のような、あるいは示唆されるような。例としてはディストピア的な現代性、殺風景な人工の風景、そして技術的ないし社会的あるいは環境的な発展による心理的影響)

   collins掲載、「Ballardian definition and meaning | Collins English Dictionary」より(訳は引用者による)

 特殊翻訳家柳下毅一郎氏がコラムで取り上げたのを読んだ、宮内悠介氏&酉島伝法氏&大森望氏の鼎談記事から知った語です。

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 宮内氏は柳下氏のコラムで記されたこととしてほかに。Instagramに作られたJ.G.Ballardというグループで、上述のような「Ballardian」な画像がさまざま投稿されているというお話を紹介します。

fnmnl.tv

 このごろ巷で聞くリミナル・スペースって、過日ならBallardianと呼ばれるようなものだったんだろうか?

 とふと疑問がよぎりますが、「通路」のようなところに焦点が合わされているのがかなり重要なのかな。

 『虐殺器官(劇中でバラードの風景についてお話が出てくる)や『ハーモニー』も、通路や漠然と途方に暮れるようなだだっぴろい倉庫などが印象的だったけど、バラードとポスト・バラードを分かつところが実はこの辺にあったりするんだろうか……?

 そんな疑問がわきInstagramで「Ballardian」で検索かけてみましたが、インスタ音痴だからかなんなのか、Ian Ballardさんのアカウントが引っかかるだけでした。

 この栄枯盛衰、これはこれでBallardianってやつなんでしょうか。

 

 

 1227(月)

  ■観たもの■
   ▽『シャニマス』クリスマスライブをオンライン視聴

 それは何ですか;

 THE IDOLM@STER SHINY COLORS Xmas Party - Silent night-』は、バンダイナムコによる人気シリーズ『アイドルマスター』そのソーシャルゲームアイドルマスター シャイニーカラーズ』のライブイベントです。

 ゲームに登場するアイドルの声を当てている役者さんたちが、ゲームのライブ衣装を着て、ゲームの曲を歌ったり、生芝居を披露したりします。

 『銀魂』だったり『妖狐×僕SS』であったりといったアニメ漫画を題材にした声優出演イベントの、音楽パートが多いバージョンって感じですね。

idolmaster-official.jp

 観た感想;

 視聴期限をなぜか28日の23時59分までと勘違いしていたので失敗しました。あした振っていた仕事休み日は別日に振り直させてもらう!

 ライブパートのみ観ました。

 シャニマスライブは初参戦です。(まえにやってた記念特番でちょこっと観たけど、ほかとのながら見だったからきちんと観れてない)

 ゲームのライブパートの、あのぴょこぴょこ紙芝居アニメーションで見せる足曲げステップが動画/実写/3Dで拝めるのはすごいことだと思いました。

 

 2.5次元舞台の魅力ってこういうところにあるんだろうなぁと思わされました。

 3人(2人)揃った演舞が多そう且つ、それぞれのキャラが見える(おだやかな真乃役関根さんに、ハツラツとしためぐる役峯田さんのパフォーマンス)正統派アイドルなイルミネーションズ、かわいらしいアルストロメリア、リズムばっちり激しいダンスのストレイライト。キメキメのアンティーカ、とにかく元気いっぱいの放課後クライマックスガールズ、新人とは思えないテクニカルなシーズ。

 そしてノクチル。DAY1の参加ユニットの一組・ノクチルの曲の振り付けはとくにハッとさせられました。

 ノクチルによるしかない瞬間を』の歌いだしは、「♪今日もまた並んで歩く 帰り道の途中で見つけた紙飛行機」というもの。

 その歌詞にハメるかたちで声優さんたちはステージ上で並んで歩き出すのですが、いわゆるダンスや別ユニット・イルミネーションズマイルシンフォニア「♪一歩一歩 光の先へ 導かれているみたい」で魅せたようなアイドルのパフォーマンスとしての魅せるステップではありませんでした。

 白に近い水色を基調としたドレスを着た4人によるそれは、ふつうの友達たちがふつうの道をふつうに歩いているといったていと――つまり幼馴染4人組がそろってアイドルとなりユニットを組んだノクチルのキャラクター4人が、何度もおこなってきただろう下校風景の再現となっていました。

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 DAY2参加ユニット・放課後クライマックスガールズの一員で「間」を置いた静かな独特の世界観に生きる杜野凛世。彼女を演じる丸岡和佳奈氏は、月ノ美兎個人チャンネルのャニマス案件』(期間限定配信で、現在非公開。リンク先は当時日記に残したぼくの感想)で、ライブ/歌でそのキャラとの距離感を決めかねていたところを「ゲームの主である舞台裏の"いつもの凛世"ではなくて、"アイドルとしてオーディエンスのためにがんばる凛世"として歌ってみては?」というようなディレクションを受けて、ライブ/歌でじぶんがどうふるまうかイメージが定まった……という旨のお話をされていましたが。

 ことノクチルにおいては――作劇やセリフや発話において、ほかのアイマスキャラほどにはキャラクターキャラクターしてない、なまっぽい「質感」が重視された印象がある(しそこをファンも好んでいるらしい印象がある)ノクチルにおいては、そしてこの歌詞においては、こういう振り付けこそが圧倒的に「見たい」光景ですなたしかに。

 『シャニマス案件』ではロングヘアだった和久井さんが、浅倉とおなじくショートカットになっていたり、見た目もそうだけどノクチル専用衣装ではないクリスマス統一衣装のときから何か壁があるかんじで「樋口っぽいな」と思っていたら実際まじで樋口円香役の声優さん(土屋さん)だったり……と、とにかく空気感がよかった。

 

 ノクチル衣装は、リアル舞台の色とりどりの照明に立つと透明感がすごいなとか(浅倉の腰回りの布切れは、強い照明のまえだと足の影絵ができるとか)、放課後クライマックスガールズの衣装は(動き回れるステージ衣装ゆえに)イラストで想像していたのと違ってけっこう薄く柔らかい布地だなとか。

 シーズのひとらは最後のクロージングで二人あわせて深々お辞儀してたけど、放課後クライマックスガールズはドタバタ何度も何度もお辞儀してたなとか。でも、クライマックスガールズにしても他ユニットにしても、複数回おじぎしたり目線を全方位に送るのは360度観客がいるステージだからこそそうしているわけで、そこはやっぱり踏んできた場数の違いなんだろうなとか。

 いろいろ収穫が得られました。なにか描くときは活かしたい。

 

 

2022年の日記

正月休みのできごと

 ■観たもの■配信■

  複数の視点があってこそ知れる体験の細部;19世紀紀行文学者ピエール・ロチの記したアカサバ(赤坂)宮の《観菊の宴》と、21世紀のvtuber月ノ美兎の語る赤坂離宮アフタヌーンティー

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 それは何ですか;

 エニーカラー社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじに所属するバーチャル学級委員長・月ノ美兎さんが、迎賓館赤坂離宮アフタヌーンティーをしてきた体験報告配信をしました。

www.geihinkan.go.jp

 赤坂離宮

 ……19世紀のジャポヌリー(≒ジャポニスム)を膨らませた、紀行文学者ピエール・ロチ氏による本秋景』(秋の日本)を締めくくる舞台となったあすこですよ! うらやましい!

 

 レメディー・エンターテイメントは、ブルータリズムの分厚く物質的な性質をうまく利用しようと試みた。「『CONTROL』ではテレキネシス(念動力)がもちいられます。それで沢山の破壊を起こすんです」マクドナルドは答える。コンクリートは複雑ではない物質であり、なので「空間の平凡性が重要となります。なぜなら10秒後にはすべてがゴミと化し、混沌に向かい……プレイヤーはそのコントラストを楽しむのですから」

 柱やバルコニーあるいは階段からコンクリートの塊をテレキネシスで掴めるというのに、プレイヤーがそうしないでいることはほぼ不可能であると製作チームはたしかめた。わたしたちは誰だってオフィスをつくるコンクリートの塊を放り投げたい抑圧された衝動をかかえている。「キュービクル(半個室デスク)をゴミに出したくならない人がいますか?」プルキネンは付け加える。

 Remedy has attempted to make good use of brutalism's chunky, physical nature. "We're using telekinesis, so there's a lot of destruction," Macdonald says. Concrete is an uncomplicated material, and so "the mundanity of the space is important, because 10 seconds later everything's going to be trashed, and there's going to be chaos... we play on that contrast". The team has ensured it's almost impossible not to be in a position where you can telekinetically grab a mass of concrete from a pillar, balcony or step. We all have that repressed urge to toss chunks of concrete around the office. "Who doesn't want to trash a cubicle every now and then?" Pulkkinen adds.

   EUROGAMER掲載、Ewan Wilson寄稿『Remedy's Control is built on concrete foundations』、『CONTROL』アートディレクターのヤンネ・プルキネン氏とワールドデザイン・ディレクターのスチュアート・マクドナルド氏の言など

 安藤忠雄の作品は『CONTROL』の光源の利用に影響をあたえた。安藤の建築には宗教的ないしスピリチュアル要素がつよくにじんでいる。超越感をおぼえる広大で空虚で対称的な空間を安藤はつくりだした。

 The work of Tadao Ando influenced how the game uses lighting. Ando's structures are imbued with strong religious and spiritual elements. He creates large, empty, symmetrical spaces that feel transcendental.

   EUROGAMER掲載、Ewan Wilson寄稿『Remedy's Control is built on concrete foundations』、『CONTROL』ゲーム画面へ付されたキャプション

 話はどんどん変わって先日の勝手に翻訳記事では、レメディ・エンターテイメント社のゲームCONTROL』の儀式主義(リチュアリズム)ともオカルト官僚主義とも言うべきゲーム世界を形づくるにあたって、劇中世界で参照されたブルータリズム建築の物性と神秘性が活かされたと云うスタッフインタビューを紹介しました。

 具体的には、非常に儀式めいた階段や反復をそなえたカルロ・スカルパ氏の建築や、光の教会などをてがけた安藤忠雄さんの建築が挙げられたわけですが……

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 ……ピエール・ロチの語るアカサバ(赤坂)宮は、まるで『CONTROL』製作陣の話すブルータリズム建築のようで面白い。

 なにしろ日本の皇帝[天皇]の宮殿である! このひと言が、どれほど独特の華麗な夢で、パリっ子の想像を掻きたてることか!……私はすでにあまりに日本に通じ、今ではすっぽりはまり込んでしまったので、この点に関しては幻想をもつことができない。この国の城館はすでに見てきていたし、その上、「ミカド[帝]」が主催者であるシントー[神道]信仰は簡素を旨とし、なんでもない自然木にさえきわめて特殊な宗教的観念を付与していることも知っているからである。それにしてもこのむき出しのありのままという理想像は、私の予想をさらに越えるものだった。統一した同じ白木の縦材に、真っ白な同じ紙の仕切り、――そしてどこもかしこも何もない。まったく何もないのである。

 しかし清潔さ、極度に追求された、ひたすらな清潔さが、それ自体非常にお金のかかる贅沢となっているのである。これを維持しているのが不思議なほどである。木材にはどれも、彫刻ひとつ、刳形(モールディング)(159)ひとつ刻まれておらず、むき出しの稜[二つ以上の面が交わってなす直角や角(かど)のところ]は精緻な指物(さしもの)細工がほどこされていて、まるで人間の手はいっさい加えられていないように見える。それらは真っさらな、無垢の色あいをしていて、空気に触れただけでもただちに色が変わってしまいそうである。

   中央公論新社刊 ピエール・ロチ(市川裕見子訳)『日本秋景 ピエール・ロチの日本印象記』kindle版77%(位置No.4503中 3418)、「第九章 「春」皇后」より(太字強調は引用者による)

 清浄さと地続きの、反復による退屈も(笑)

 あいかわらず同じような狭い廊下が、長く続いている。ところどころ半開きの戸などがあって、空っぽの部屋――というかひとつの仕切り――をのぞかせている。紙で間仕切りしてあって、どこも同じく完全にむき出しのありのままの姿をさらしている。ほんとうに、<もしも知らなければ>われわれの刺繍入りの礼服やら黒服やらが練り歩いているのが、どれほど特別の場所であるのかわからないであろう。

   中央公論新社刊 ピエール・ロチ(市川裕見子訳)『日本秋景 ピエール・ロチの日本印象記』kindle版77%(位置No.4503中 3437)、「第九章 「春」皇后」より

 そして、そんな空間を通ったのちに現れる《観菊の宴》のようすに、ロチ氏はまた別の驚きを得ます。ロチ氏の感動にはピクチャレスク的な転倒があり、また、ジャポニズムが喜ばれた一端を見られたような書き味があります。

 すると半透明の紙の仕切りがその溝の上を滑って開き、庭園の数々が姿を現した。静かな美しい日の光が庭を照らしていた。魔法が始まったのである。

 衝立だとか磁器の壺だのに、こういうとても現実とは思えない美しい景色を、まさか実際目にするとは思わずに眺めることは今までにもあった。池や小島があまりに複雑に入り組んでいて、奥行きも寸法も違っているように見えるし、木々は緑色をしておらず、まるで花々のような色合いで描かれていたからである。

 今サロンの敷居が開けられてみると、われわれは高台の上にいて、本物のそうした景色を見渡すことができた。ごく手前の垂れ下がる杉の枝の合間に下方の庭園を望むことができ、ビロードのような芝生や変わった岩があり、小川があり、その小川の上には半円形にカーブを描く軽快な橋がかかっている。水面に映る影は緑陰にまどろみ、並木道はその奥の方は森の中へと消えてゆく。芝山のそこここには、その緑の色がほとんど白に近い、「銀色の竹」の藪があり、またサンゴでできた木のような、「赤いカエデ」あり、私には何の茂みかわからないが、その葉むらがマツムシソウのような紫色をしたものもある。こうしたこよなき技巧を凝らした諸々のはるか先に、すべてを大いなる神秘でもって包みつつ広がるのが、小山や薄暗い喬木のなす本物の地平線であり、森や原野がなす本物の遠景だった。街のまん真ん中にこんな幽処があるというのは、驚きである。なんという王者の気まぐれか! ――ふだんは入り込むことのできないこの庭園には、ある特殊な静けさ、よそにはない静寂があって、その憂愁(メランコリー)の極致がきょうこの日、秋の凋落によっていやまさっていた。

   中央公論新社刊 ピエール・ロチ(市川裕見子訳)『日本秋景 ピエール・ロチの日本印象記』kindle版78%(位置No.4503中 3481)、「第九章 「春」皇后」より

 ロチ氏は建物や庭、装いや音楽すべてがすべて「和」なアカサバ宮の宴の一場面について「忘れられない光景」と胸打たれ、そしてそこに混じった洋の臭いを嫌い、さらにはロチ氏が感動した部分は日本の国際化・文明化と共に今後うしなわれていくだろうことを嘆きます。

 ロチ氏は脚注で「古来の宮廷服は廃止され、高貴な身分の婦人たちは「ヨーロッパ風の装いとアメリカ風の髪型」しなければならないと命じられた」天皇の勅命がこの数ヶ月後に出されたこと、翌年≪観菊の宴≫が<ガーデン・パーティー[園遊会]>と呼ばれることとなり、皇后の洋装となったことを特記もしていまる。

 『日本秋景』の旅愁は、そもそも書き出しからすでににじんでいたのかもしれません。

近年にいたるまで、京都(キョート)はヨーロッパの人間にとって、近寄ることのできない神秘的な存在だった。それが今では鉄道で行けてしまう(2)。ということはそれだけ俗化し、ありがた味が薄れてもうおしまいだ、ということかもしれない。

   中央公論新社刊 ピエール・ロチ(市川裕見子訳)『日本秋景 ピエール・ロチの日本印象記』kindle版1%(位置No.4503中 18)、「第一章 京都 聖なる都」より

 19世紀末の時点でこうでしたが、ロチ氏が感動した赤坂宮はネオ・バロック様式の洋館へと建て直され、いまなお海外の要人を歓待する舞台であると同時に、2016年からは一般客への開放も行なわれています。俗化ここに極まれり、って感じです。

 そんなところ楽しいのか? 古き良き「日本」性なんてかけらも残っていないのではないか?

 委員長のルポ配信 を聞いてみると、たしかにロチ氏の紀行で描かれたような赤坂離宮とはまったく別物でした。しかし、今の赤坂離宮もまた「ぼくもいつか行ってみたい」と思わせる劇的な時空間だったということ、そんな今の顔はロチ氏が見られなかったというだけできっと明治のころから持ち合わせていただろうこともたしかでした。

 俗化していくなかほんの僅かだけ残された、その国ならではの"むき出しのありのまま"の神秘として辿り着いたアカサバ宮は、果たしてどれほど本物だったのか?

 むしろ委員長の体験こそが、人智を超えたありのままの崇高が味わえたひとときだったのではないか、というような思いさえぼくは抱きました。

 

 だれかが思い描いてきた理想そのままみたいな魔法のような紀行もいいけれど、別角度から――現地で実際に体験してみるなどしてこそ初めて見えてくる顔もあるのだな、とたいへん面白かったです。

 

 「あまり語られてないけど確かにありそう」という細部、「ある種の期待をいだいたかたからすれば、期待外れのできごとで語りにくい」細部が知れると、ぐっと対象に対する実在感が湧く。こういうのが味わいたくて体験談やルポ、創作にふれている面はあるかもしれない。

{駐UAE大使による本人だけが知らない砂漠のグローバル大国UAE』で記された、世界有数の富豪主催のパーティのいちばんの目玉についてのお話などとも通じる印象。

 ぼくにとっては、ハワイのディズニーホテルのバイキング形式のレストランで、厨房のドアをスタッフが足で開けるのがデフォルトだったのを見たときの気持ちとか。(手で開けるとか肩や背中で開けるなどとちがって、ワンテンポ早く行き来ができるし両手がフルにつかえるので運搬する食器の量も増えるだろうから合理的だし、その当時とは別に、感染症対策としてCOVID-19以降ならますます利点が見えただろうけども……)

 

 

  『あきばっか~のvol.22』を観る元気が多少は湧いてきた

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 それは何ですか;

 リアルアキバボーイズ涼本たつき氏が主催するアキバ系楽曲を題材にした2on2即興ダンスバトルイベント『あきばっか~の』、そのvol.22です。

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 タットを得意とするネス氏、ブガルーの踊り手スギヲ氏がバッチバチに闘ったvol.8決勝戦『スーパーウルトラハイパーミラクルロマンチック』戦が有名。(個人的にはそのままの流れで続きを再生していただきまして、イベント会場「王子モンスター」にひっかけた最終曲でとあるダンサーが魅せた、審査員までスタンティングオベーションのムーブをご覧いただきたい)

 これまではニコニコ動画アーカイブなどの配信が行なわれてきたイベントですが、最近はYoutubeあきばっか~の公式チャンネルでも配信がなされていて、高画質高fpsのダンスが拝めます。

 それなりに間隔を取るようになったとはいえ、小さなイベント会場に一杯のひとがひしめく大会なので、観ているうちに不安がつのってしまってしばらく観れてませんでした。

 

 観てみた感想;

 決勝戦は上で名バトルをくりひろげたネス氏がまたまた登場。ネス&スカジュンvs龍&勇太によって行われました。龍&勇太コンビの歳若さに驚いたのはいつのことだったか、すっかりこの大会常連となりましたね。

afternoon.kodansha.co.jp

 『ワンダンス』がオタクのなかでも話題の昨今、「"ヒット"とかって実際どんな感じよ?」と疑問に思ったかたは、このバトルを見るのが分かりやすいのかもしれません。ヤバい当たりはそれだけでここまで心躍らせるんですね。

   ▽『夜に駆ける』は海外日本文化ファンのあいだで、weebやtiktokerの浅さを批判するdigとマウントを生む存在らしい

 さてこの決勝戦2曲目のYOASOBIに駆ける』バトル(リンク先あきばっか~の公式チャンネルの動画)第三者の別アカウントによって生肉(=字幕や翻訳、音声や編集などのくわわっていない、単なる無加工)切り抜き動画の対象となり、そちらが海外のかたがたにバズっているようでした。(※bilibiliなど中国系動画視聴者でのジャーゴンらしく、rawが「生肉」、字幕などが加わったものが「熟肉」と呼ばれているそうで、面白い言い回しなのでパクり申した)

 興味ぶかかったのは1万いいねを獲得しているコメント。

非日本人:「この歌は憂鬱と自殺についての曲だというのに、日本かぶれ(ウィーブ)は歌詞も知らずに踊ってクッソ恥ずい!」

Non japanese: The song is about depression and suicide, weebs who dont know the lyric and dancing into it are cringey af!

日本人:(この動画のとおり)
The japanese :

    Youtube、A Y. L投稿『YOASOBI - Racing Into The Night (Yoru ni Kakeru) Dance battle』Hanscum yeah氏によるコメント(翻訳は引用者による)

 こういう発言は、tiktoker批判としても登場します。(ただしキャプチャ元は、Youtuberによる日本観光動画かららしい?)

www.reddit.com

 日本だと町山智浩さんが一時期解説していたような「おれたちは外国語の曲をメロディの良さだけでのほほんと楽しみがちけど、そうした名曲のなかには歌詞やそこに登場する事物の文化的背景がわかると、実はガラリと印象がかわるものがあるんだ!」という(じぶんたちの無知を反省する自己批判/"浅い"ひとやウェイ系を批判する陰キャ教養主義的な)お話の対象として、日本語文化圏外における『夜に駆ける』があるっぽいことが、動画のコメント欄から見えてきました。

 もちろん、Marsa Rudwinanda氏の長文コメントのように、バトルしたダンサーふたりの即興振り付けのなかにどれだけ歌詞ハメがあるかをタイムスタンプ付きで懇切丁寧に解説する有識者もいるんですが(これはマジで有識で、座ったネスがその場でちょっと回転するところについて「"溶かすから"を電子レンジのマイムで当てはめているんだ」とか、ぼくなんかは普通にピンと来なかった部分に関しても網羅されている)……

 ……どこの世界も変わらないな~ってほほえましかったです。

 

 

0110(月)

 ■読みもの■

  『ナナマルサンバツ』読書メモ

 それは何ですか;

 KADOKAWAヤングエース』で連載された、杉基イクラ氏による競技クイズ漫画です(完結済)。日本テレビ系でアニメ化もされました。

comic-walker.com

 読んでみた感想;

 クイズ甲子園の第一ステージくらいまで読んで続きを読めてなかったシリーズを、年末年始で1巻から読み直しついに最終巻まで読みました。

 作問や読み上げのクセなどからクイズ作成者の顔が見えてきて、それを見ようとする回答者のバックグラウンドも立ち上がってくる、一種のコミュニケーションの様相を呈していくところなどなど……競技クイズの奥深さを掬い上げていく作品だったなぁと思いました。

 とにかく細部が充実していて、

「既製品の早押し回答装置がないひとびとが、どのようにして早押しクイズを行なうか?」

 身の回りにあるものを応用した貧乏同好会のDIYクイズ活動が素敵だった。

 

 出題者の意図を見るミステリ的な問題&回答シーンは楽しいのですが、「ベタ問」などと言われる"覚えた者勝ち"の知識問題(とその解きかた)をどう面白く展開するか? には苦労が見え、読んでるじぶんとしてもうまい楽しみかたを見つけられずに終わってしまいました。(終盤の早押し多答バトルの場面とか)

 あと、クライマックスの団体戦における陣取りゲーム要素もむずかしかった。知識ゲーが読んでて難しい一方で、自由度のたかいイベントもそれはそれで読んでて難しい。

 

 荒らし屋中学生がクイズ大会をかきまわすくだりやら、vsアイドル編やらの、ルールの穴をつくようなハッカー的存在の活躍がどうしても魅力的に映りました。

 とくにアイドルは、クイズに正解・勝ち進む以外のところにも勝利条件を設定していて、すばらしかった。

 

***

 

 序盤も序盤に、勝手に出場させられたクイズ大会で無知ゆえにとまどったりマナー違反をしてしまったりして、部長からごにゃごにゃ人生訓を聞かされるみたいな展開があります。

 ここ数年でぼくはこういうシーンがとにかくイヤになってしまって、木尾士目『はしっこアンサンブル』は途中で読むのをやめてしまっています。(ぶっつけ本番で同意なしにトラウマを刺激・再現するような場面をセッティングして、そのセッティングに「乗らなきゃダメ」みたいな空気をかもすのがイヤ)

 今作はそれほどいやではない。というのも、主人公が犯してしまうマナー違反は前段でほかのキャラとほかのやり取りを通じて提示済みだったり(なので「やっちゃいけない」と予想してしかるべきだった)、あるいは後段で部長の気の利かない性格をえがくための一要素としていたり……と、前後でいろいろな描写がなされているからです。

 各シーンについて読者がどんな思いをいだくか作者は重々ご存じ/検討されたうえで物語を展開しているのだなぁと感心しました。

 

***

 

 学年一の美少女・気になるあの子の意外な一面(クイズガチ勢)……とか、導入はボーイミーツガール的だし、その後も色恋っぽい要素はありつつも、『ナナマルサンバツ』はそこを柱にしなかった。『少年エース』という掲載媒体なども考えると、これはなかなかすごいことでしたね。

 クイズ回答にまつわるテクや文脈などで(同じ部員が興味あるクイズは自分も強くなるとか、いちはやく/しかし正確な早押しのために、口の形や音で問題文を"読"むとか)競技かるたという人文系マイナースポーツ部活モノの傑作漫画である『ちはやふる』がどうしても思い浮かんだりしたんですが、少女マンガ雑誌に掲載の『ちはやふる』はもちろん、少年誌掲載の筝曲部活マンガ『この音とまれ』に青年誌の書道部活マンガ『とめはねっ!』など、さまざまなマンガで恋愛模様がひとつの軸として設定しているじゃないですか。

 本田氏による最近連載/完結の詩作マンガ『ほしとんで』ジーンLINEコミックス)なんてもう、フックにさえしてない感じでそれも「へ~!」となりましたが、さまざまなひとがいても惚れた腫れたにしない作品はすごい。

 

 

0111(火)

 宿直日。

 

 

0112(水)

 宿直明け日。

 ■書きもの■

  『昨年秋~正月にアップした感想文の感想戦と、1月中に買いたいもの』をアップしました

 放置した日記をアップすることはあきらめて、とりあえず去年秋~正月に投稿した感想文の感想戦&読んだものの読書メモ&1月セール品のメモを載せた記事をアップしました。

 読書メモはおろか正月2記事さえも、アップしたあと読み返したら「いまいち何が言いたいのかよくわからない文章だな……」と書いたぼく自身さえ文意を読み取れない箇所がいろいろあって困ってしまった。

 考えをうまくまとめられない。でも何か書いたときにはそんなこといつも言ってる気がするから、平常通りなのかもしれない。(←ここまでいつも言ってる気がする。平常運転きわまりない)

 

 

 ■読みもの■考えもの■

  フキダシの位置の面白さに今さら気づく

 『とめはねっ!』の読みやすさをなおも考えていたところ、これって身もふたもない物理的・体力的な理由なんじゃないだろうかと思い始めました。

 フキダシの位置・大きさの統一も大きな効果を発揮しているだろうということに気づき、フキダシの位置の面白さに今さら気づきました。

 

 「”意識の流れ”の最新系」とでも言いたい作品群があります。佐藤哲也氏の単行本版ンドロームや、文字媒体+静止画主体のノベルゲームだというのにおよそ感じたことのないレベルで時空間がずっと動的に流れていた作品だったにくいモジカの子』ですね。

(最近プレイした『Outer Wilds』もゲーム内文献のゲーム世界での配置が面白くって。おそらく、冒険の入り口と⇔深奥とでゲーム内文献の配置は、少数散発的・静的な配置と⇔多数集約/連続的・動的な配置とが使い分けられている)

 

 とめはねっ!も異様なまでに会話文のコマ内配置にこだわっていて、おおむねコマの上部にフキダシが置かれ、その大きさはコマ内で統一されている。

 マンガのコマ割りが右上から左下へ流れていく関係上、コマ内のフキダシもそのような配置となることがすくなくない。

 『となりの信國さんは俺のことが好きな気がする』感想文で引用したなかにあったように、同一コマ内で複数のキャラが会話を応酬するような場面だとフキダシはジグザグに置かれることもあるけど、『とめはねっ!』ではとにもかくにも同じ高さ・大きさで置くようにされている。

 『とめはねっ!』は読みやすい。それってもしかして、眼球運動の物理的な距離が、ほかの漫画よりも少なく済んでいるということだったりしないだろうか?

(とはいえ『とめはねっ!』の読みやすさは、フキダシ内のセリフが何行にもおよぶような文字数が多い作品だからこそ活きた気もして、セリフが1行で終わる作品に対しては、キャラの近くにフキダシがあったほうが読みやすいかもしれない。

 その作品に合ったフキダシのスタイルがあるのだろうな)

 

 

0113(木)

 ■自律神経の乱れ■

  『銀の匙』がなかなか読み進められない

 体調が悪いのか、荒川作品らしいテンションに耐えられない。

 登場人物がどつき・ドタバタ漫才の感覚で泣いたり怒ったりする作劇に疲れてしまった。

 登場人物の涙や怒りをさらっと読み流せてしまうのは、デフォルメ絵とシリアス絵を描き分けられるタイプの漫画ならではだなぁと思うのですが、ふと足を止めるとふしぎな感覚だと思います。

 つまり「この場面はギャグマンガ時空で、実際はこんな風にいちいち泣いたり怒ったり(≒大声を張り上げたり)してないんだろうな」とさらっと読み流すのですが、「この場合の"実際"とは?」……みたいな。

 紙の本で読んだ時も、こうして電子書籍で買い直して最初に読んだ時もとくに気にならなかったのですが、今回はやけに気になる。

 足が止まってしまうくらいに体力が落ちており、集中できない。

 

 

0114(金)

 ■身の回りのもの■

  利き手親指の爪が割れた

 なんか知らないうちに割れてました。爪の白い部分をぎりぎり超えるくらいの縦割れで、とくに血とかはでてません。

 先日も足の指の爪が割れたのですが(そして足の爪切りはわりとほったらかしがちで、伸びすぎてどっかにぶつけて割ることがわりとあるので特に気にしてなかったのですが)、つまりこれ、どこかに引っ掛けて物理的にそうなったのではなく、体調がわるくて全般的に爪が弱いとかそういうことだったりするんでしょうか?

 

 ■ネット徘徊■

  Amazon川という三途の川の泥を浚えば/Amazonプライムビデオにジュネス企画が入った

 ジュネス企画さんがAmazonプライムビデオに参入したことをツイッターから知りました。

 覗いてみたら確かに、あちらさまで出ていた作品はだいたいの作品がAmazonで配信取り扱い中であり、Amazonプライム会員なら無料で観れるっぽい。

 商品サムネイルを眺めてみると、映画の一場面と黒と灰色の縦じま背景とが同一フレーム上におさめられた作品が見受けられると思います。それがジュネス企画さんの取り扱いタイトルっぽいですね。統一サムネイルありがたい!

(商品ページの「詳細」をクリックすると、「提供:ジュネス企画」とある)

 ただ商品ページの「詳細」欄記載の文字列以上のことはわからないので、ジュネス企画をかたる別業者の可能性はなくはないですが、まぁさすがに無いでしょう……ないよね?

 ジュネス企画さんの良いところは、扱ってくれる古典映画が大体素晴らしいところです。

 ジュネス企画さんの悪いところは、扱ってくれるビデオの画質が悪いことと、そのわりに値段が高いところ。(1作品5000円くらいする)

 ジュネス企画Amazonプライムビデオ版はどうかというと、画質の微妙さはそのままに(笑)、価格がセル版1650円とお手ごろになっています。

 しかし値段がDVD時代のジュネスであろうと何だろうと、ぼくは喜んだことでしょう。ジュネスなど比べ物にならないのがベゾスですから。

 ジェフ・ベゾスによるアマゾンはアマゾンという言葉に宿るエキゾチズムを悪用したコロニアリズムの典型例であり、PC関連の海賊品クラレビューや、映画界隈でも権利未クリアの海賊DVDが流通していることがしばしば話題となります(※)。アマゾンは未開ではないし、ましてやAmazonは世界有数の一流資本だ。どうしてこんな適当な運営ができるのか? 早川ではないんだぞ(?)

 当然プライムビデオもめちゃくちゃであり、だいぶまえから死の商人となっていました。

 プライムビデオは安さだけがモノを言うくるった世界であり、巡回先の某blogで話題にされた『見知らぬ乗客』の提供元なんてアルフレッド・ヒッチコックだし『ローマの休日』だってウィリアム・ワイラーです。そうなんです、アマゾンはあの世とも取引がある。テスラがスペースXで宇宙へ行ったとかタックス・ヘイブンが云々と一昔前に話題となりましたが、いやいや時代はあの世(ヘヴン)っすよ。でなけりゃどうして故人が提供できるというんです?

www.amazon.co.jp

 アマゾンの「悪貨は良貨を駆逐する」を地で行く商売がどんなものか? うえに名前をだした『ローマの休日』なんて最たる例

 まず最初がウィリアム・ワイラー提供による三途の川経由のビデオ、つぎがパブリックドメイン映画のジェネリック販売をしている合同会社文輝堂提供のもの(を会員無料&レンタル200円セル1000円で扱っているもの)3番目にようやくパラマウント本社の正規ビデオ(会員無料ナシ&レンタル290円、セルHD画質1500円)

 今後も高画質高音質リマスターや修復・保存などをのぞむのであれば、パラマウント製を買うのがおそらく好ましそうなのですが、会員無料サービスがないがために検索結果3番目ですよ……}

〔※ 海賊DVDとしては、有限会社フォワード{ラン・コーポレーション/WHDジャパン}という、たびたび識者から「権利者じゃないのに売ってる」旨が指摘されているメーカーの商品などがあります。{たとえば正規の権利者が問題を確認し販売中止・フォワード社で回収となった(現在は別の会社マグザムより正規品が流通している)『吸血の群れ』のほか、そのまま流通中の『赤ちゃんよ、永遠に』『宇宙からのツタンカーメン』『ザ・ベイビー呪われた密室の恐怖』『ロザリー残酷な美少女』など}

   ▽ロンドンの川の豚(Mudlark)

www.splicetoday.com

 チャイナ・ミエヴィル氏のエッセイから派生して知ったんですが、あのタイヤとショッピングカートだらけのロンドンの川でマッドラーク{泥遊び/いわゆる漂着物漁り(ビーチコーミング)の類似行為}をしている人がおり、たとえば『London in Fragments: A Mudlark’s Treasure』という一冊の本としてまとめられていたりするらしい。

 アラン・ムーアフロム・ヘルの参考となった心理地理学者(いやもうこれは現在じゃ蔑称らしいんだけど……)イアン・シンクレア氏が序文を書いていてたいへん気になる。

 Mudlarkは古くからある行為だそうで、18世紀にはその語用が確認できると云います。{ただその頃は趣味人のそれというよりは、貧困層の少年や高齢者が主としておこなう行為だったっぽい。ウィキペディアによればヘンリー・メイヒュー『London Labour and the London Poor』(日本では『ロンドン路地裏の生活誌』が抄訳)で取材・インタビューが行なわれているらしい。

 (1/19追記)『ロンドン路地裏の生活誌』下巻p.123~「泥ひばり」が当該章。larkをヒバリと訳したかたちですが、とくに由来らしい由来は記されていない。無言かつ無表情で泥の中を捜し回るそうで、あの甲高くかしましいヒバリとは似ても似つかない。

 下水道で毒ガスやねずみと戦いながら金貨をかき集める「どぶさらい」を紹介した次に、その仲間として登場するのが"泥ひばり"。メイヒュー氏の調べたところでは、"泥ひばり"の大体は、孤児か、賭博で破産をしたり事故や病で働けなくなったりした親をもつ子であり、「ラトクリフ・ハイウェイおよびロンドン東部のいかがわしい地域で売春業を盛りあげている不幸な女性の多く」p.129も”泥ひばり"経験者だと云う。

 石炭や船の作業員が落とした釘などを拾って集め一日平均3ペンス前後を稼いで飢えをしのぐ生活を送り、当然ガラスや釘を踏んでケガをすることもある。(また、マラリア熱に冒された経験談を語る者もいて、メイヒュー氏は寒さが原因のように語っているけど、「……不衛生な環境だからなのでは?」という気持ちがある)

「ひじょうに寒い日には、少年は、同じく靴のない仲間たちと共に、川を流れるお湯の中によく立って、凍えた足を温めていた。それは蒸気を使っているどこかの工場から川に流れてきているお湯だった」p.132

(そのほかの意味としては豚がある。泥遊びからの連想なんでしょうね。またケンブリッジ英英辞典によれば、柔らかく湿った地面をうまく駆ける馬もまた指すそうだ。オーストラリアではツチスドリをそう呼ぶそう

www.youtube.com

 62年に撮られた掌編ドキュメンタリでは、ロンドン大の考古学生がテムズ川でマッドラークに励み、1780年と刻印されたマリア・テレジア金貨を掘り出しています。

 

 さてAmazonの商品ページです。これ、ぼくも自力で気づける可能性は大いにあったはずなのですね。というのもジュネス企画さんによりもたらされたビデオのなかには、先日自伝の電子書籍化について話題にしたサミュエル・フラー監督のものもかなりありますから。『鬼軍曹ザック』も『拾った女』もジュネス企画さんによりプライム会員無料となっています。

 死の川でも色々と宝物が眠っている可能性はあり、しかし踏み入れなければ掘り出し物は掘り出されないままに終わってしまう。豚に真珠ってやつですね。いや幸せの青い鳥か?

 ぼくもみならいたいところです。マッドラーカーにはなれないだろうただの豚ですが、ごくまれにでも泥んこ遊びする豚くらいにはせめて成りたい。

 

 

0115(土)

 寝ていた。

 

 

0116(日)

 宿直に行くまで寝ていた。

 

 

0117(月)

 宿直明け日で勤務日。

*1:『ニューヨーク 摩天楼都市の建築を辿る』p.36~37