すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2021/01/19~01/25

 日記です。1万3千字くらい。ひさびさに日記以外の記事をアップできた週でした。ほかには委員長の『ポケモン世界の住人からのお気持ちnote音読配信』が面白かった週。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

0119(火)

 宿直明け日。

 ■見たもの■ネット徘徊■

  vtuberにじさんじポケモン世界の住人からのお気持ちになります【にじさんじ/月ノ美兎/樋口楓/卯月コウ/ジョー・力一】』

ブルームの「ニンフ」、彼が個人的に所有している神話の断片は、『フォト・ビッツ』紙が、彼やその他大勢の人々に与えたものである。このニンフは有名人のゴシップ記事や、パズル、犯罪記事、多数の商品広告のシーツのあいだで寝る。まさしく機械的複製時代の芸術作品であるという以上に、ニンフはこの大量生産された芸術が埋め込まれているテクスト基盤を強調し、あらゆる種類のテクスト言語を媒介する存在なのである。ベンヤミンはポスターや映画の可能性を、知覚の新しいモード、アウラはなくとも「クローズ・アップ」を通して芸術に接する手段であると指摘したが、それに付随するこの広告という文脈は考慮に入れなかった☆16。大衆文化という文脈における芸術の乱脈ぶりは、ジョイスの作品に文字どおり表れており、「キルケー」の章が演出してみせるのは、『フォト・ビッツ』紙などの汚れたシーツ/堕落した印刷物のあいだで芸術が直面していた状況にほかならない。『ユリシーズ』のテクスト自体に核を与えなおすのは廃品利用の芸術(アサンブラージュ)である。神話のニンフたちが主要な大衆市場向けのタブロイド新聞のなかで遊び興じることができるのならば、それはテクストの「純潔性」を保つことが不可能であることの暗示なのだ。アリストテレスシェイクスピアからの抜粋は、エップ社のココアや、巷の広告、新聞の見出し文字と共存している。『ユリシーズ』が巷にあふれる言語をたたき上げて編まれたテクストであるなら、そのリアリズムは言語が置かれているこの現代的状況を忠実に再現するものなのである。

   国書刊行会刊、ジェニファー・A・ウィキー著『広告する小説』p.222、「第四章『ユリシーズ』――広告と書く場面」より

www.youtube.com

 いちから社の運営するvtuber団体にじさんじに所属する月ノ美兎委員長・樋口楓さん(愛称でろーん)、卯月コウさん(愛称うづコウ)、ジョー・力一(りきいち)さんらが、ポケモン妄想雑談コラボ配信をされていたので見ました。

  (たしか『名探偵ピカチュウ』を見て、ポケモンと一緒に生活することへの分解能がたかまった)委員長が、ツイッターに追加された新機能フリートでその妄想をついに披露したのが昨年末のこと。

 委員長の同期で、大のイーブイ好きで、そして、先日の『シャニマス案件』配信の1コーナー「アイドルのblogバナーを考えよう」で、劇中ユニットの一つストレイライトの面々のblogバナーをサポートアイドルシナリオばりに考えてくるなどのSS創作力を見せつけたでろーん。かねてよりポケモンが日々の暮らしのなかで存在するていで雑談をされていたうづコウ、ジョー・力一さん。

www.youtube.com

 この4人がそれぞれ前もって投稿していた、ポケモン世界で書かれそうな「お気持ちnote」を読み上げ、それに対するリスナー(そのポケモン世界に自身も居るてい)のリプライを紹介する、変則的なお便りコーナー配信でした。

 だれが書いたか8割がた察しがついている「あなたはサトシじゃない」から、執筆者がじぶんの創作note記事を読み上げていき、ちょっとしたクイズ要素もある。

note.com

 かなり良かったのが、noteの元記事の内容もさることながら、紹介されたリスナーのリプライ。本文にたいする正論暴論が紹介されたのはもちろん、その世界に住んでいる他ポケモントレーナーからの、note記事のアイデアを拡張するようなコメントも取り上げられたかと思ったら……

公園でナゾノクサ日光浴させてたら大学生ぐらいのグループにサトシ呼ばわりされて辛かったわ
ヤマブキ住みなんで周りに高層ビル多すぎて室内じゃまともに光合成できんのだが
ナゾノクサも遠慮して公園行きたがらないから、しょうがなくポケゾンで植物用LEDライトポチった
キレイハナ目指して太陽光で日照管理頑張ってきたのに、葉の発色落ちたらどうしてくれんだよ
最近のなんでもサトシ認定する風潮迷惑すぎる

   「あなたたちはサトシじゃない」へ2021/01/16 16:29に寄せられたchill 氏のコメント

  その世界に住んでいる特定のコミュニティを装ったコメントもピックされ……

突然のご連絡失礼いたします。テレビコトブキ報道局です。こちらのご投稿を拝見し、お話を伺わせていただけたらと思いご連絡いたしました。もしよろしければ、本アカウントをフォロー頂き、DMでやりとりをさせて頂けないでしょうか。ご検討よろしくお願いいたします。

   「あなたたちはサトシじゃない」へ2021/01/15 21:23に寄せられたテレビコトブキ報道局取材班 氏のコメント

 さらには(しばしば内容とは無関係の)バズった記事について回るスパム(をよそおったコメント)も拾われていました。

うわっ・・・私のレート、低すぎ・・・?
レートが低すぎる人
無料5分で、適正ポケモンやトレーナー基礎能力が分かる「環境価値診断テスト」。
受けた人は70万人を突破!
結果もすぐ分かると大人気だ。

>>あなたの適正パーティーは?
https://cariadisign.com/pokemon/home

   「あなたはサトシじゃない」へ2021/01/15 21:12に寄せられた、AON氏のコメント

 これらは配信内でもピックアップされていたコメント。ほかにも元noteのコメント欄には、自動翻訳というていの味わい深いコメントなどさまざまな趣向がこらされていて、なるほど記事のほうを見るのもなかなか面白かったです~。

PokémonはPokéballのコントロールから解放されるべきで、私達は、人々を軽蔑し使用 コンテンツを作成するそれら 、私達が私達自身のビデオにPokémonのコントロールと抑圧の現状についての人々を教育させておく。私達は、あなたがそれを見ることを望む。
unchi.buriburi.org/page/801810/movie/1
Eeveeの声帯置換外科は違法で、あいにく、もしそれらが、変更されたそれらの声を持っているならば、彼らはそれらのユニークな声を失う。
もしあなたが私達の仕事に興味があるならば、どうぞ、私達に連絡してください。
私達はあなたを待っている。あなたを啓蒙します。
unchi.buriburi.org/page/114514/donate/1

   「ポケモン系Youtuberについて」へ2021/01/17 21:13に寄せられた、PICOあなたとPokémonを解放するものとしての 氏のコメント

 

 

0120(水)

  元気に過ごしました。

 

 

0121(木)

 ■そこつもの■

  ストロスのエッセイを読んだのが、ががが……

 ストロスのエッセイひとつ読んだのがもう一昨年のことで、時間の流れのあまりのはやさにグワアアンとなってしまった。

 

 

0122(金)

 委員長の配信を見ながら書き物の最終仕上げ。

 

 ■書きもの■

  記事が長文化し、blogが滞り放置閉鎖へむかうルートを順調に進んでる

 後述のとおり訳文・感想記事をアップできました~!

 文量の多さ=話題のゴチャゴチャな状況をなんとかしたい。

 色々な話題をつっこんでしまうその原因は、本をよく読んでいた若き日のぼくが読めたら喜んでいたもの(……かどうかはともかくとして、斜に構えた若き日のぼくから「クッソ雑なことを言ってんな~コイツ~」と切り捨てられてしまわないもの)を書きたいという殊勝な気持ちが1ミリあります。

 大半の理由は、

「週1ペースで投稿している日記で、"日記だから"と言い訳して数百字程度のクッソ雑なことを書き散らしたり、かと思えば別に雑じゃないけどそのうち別個の記事として膨らませたいけど気力がなくて中途終了した記事1万字ちかくなどを投稿している手前、そちらと差別化を図らなければならない!」

 という泥沼思考によるもので、ようするにダメな学生が自分からハードルを上げていって身動き取れなくなっていくあのダメなパターンを辿っています。

 blog開設当初の、とくにガッツリ調べ物もしてないけど、だからといって雑ではない記事を量産できるスキルや精神を身に着けるべきだ。来年度はそれを目標にしましょう。

 

  陰謀論者との境界線

「ぼくのがんばりかた(というか、がんばって集めたもののまとめかた)って、陰謀論者のそれではないか」

 という確信に近い疑念が年々つよくなっている。

 

  『『君の名は。』への評がいかに快挙か;訳文と感想(ネットで読めるグレッグ・イーガン氏の映画・創作観)』をアップしました。

 『の名は。』への評がいかに快挙か;訳文と感想(ネットで読めるグレッグ・イーガン氏の映画・創作観)』をアップしました。(ということで「日記;2020/12/01~12/07」に載せていた訳文は削除)

 イーガン氏のツイートが話題になった11月末から1週間以内に映画評を3記事読んで2記事を翻訳したところまではよかったんですけど、そこから訳文以外の文章についてグダグダしてしまって今になりました。

 前回の『OW』制作についての論文にかんする訳文記事と同様に今回も、訳文以外の部分が長いです。しかもゴチャゴチャしてます。

 年末年始の日記で記したパイレーツ・オブ・カリビアンメイキング話(日記をそのまま再利用)、『もののけ姫』はこうして生まれた。(日記で取り上げなかった話)も、この記事のために漁っていたのでした

 

 訳文以外の文章について、前述のとおりいくらかは日記や他感想記事でアップしたものですが、さすがにコピペ再録してオワリじゃつまんないんで、初投稿の文章もあります。

 訳文じゃないパートのうち既投稿ぶんは1万字くらいで、全体はその10倍くらい。一体どこでそんなに膨れ上がったんだ? じぶんでも不思議です。

 よくよく考えてみると分速400字で読むひとでも4時間以上ですか……はたして読んでもらうひとにそれだけ費やすだけのリターンを確保できているのか? とか、そこらの馬の骨が書いた文章にそれだけコスト割いてもらえると思ってるのか? とか、いろいろ課題が浮かんじゃいますね~。

 

 金庫』紹介(というか感想というか……)は、まえの日記では行わなかった『君の名は。』とからめた比較っぽいものをおこないつつ、小説単体の感想としても違うところへ舵切りしてます。まえの日記では色彩表現に重きをおいて取り上げました(「あんまりネタバレしすぎてもな~」と思い今回はほぼカット)今回の『貸金庫』ばなしは劇中の寒暖・静騒描写に注目してみました。

 こっちのほうが気にとまりにくい部分だと思うし、ざっと見渡すかぎり触れてるひとはおらんかったので書いておくべきだと思いました。

 色覚』感想も、大枠はおなじですけど、いろいろ追記してます。実の色覚少数者さんのお話や、人工視覚って今どんなものがあるのか? 原題はSeventh Sightだけど、現実にはセカンド・サイトという義視の会社があって、まだ縦横6*9ピクセル二値画像レベルの視界だけど、ただ人類の視覚へ近づけるだけでなく輪郭クッキリ補正機能が実装されていたり、拡張機能として赤外線視などを制作者は想像していて……という話を足して、1万字くらいになりました。

 her/世界でひとつの彼女』の話もしてますが、だいぶ長くなってます洞窟みたいな建築について補足しました。{ハイテクAIサマンサのアプリの販売所は、磯崎新さんの設計した証大ヒマラヤセンター(撮影された場所は『Pen Online』青野尚子さん「驚異の上海建築2-磯崎新」がわかりやすい)で。ハーバード大卒の女性とのデート場所は、上海・楊浦区にある3GATTI Architecture Studio設計のZebarとか。それらの知見はJESSICA ELLICOTT氏の論考China, Hollywood and Spike Jonze’s Her』がとても参考になりました。そこからさらにネットやら紙やらいくつか記事に当たってそれぞれの建築家の意図を拾ってきたり}

  クス・マキナ』については、リスタルの夜』紹介文のほうでこちらもロケ地/建築について掬ってきました。

 

 ゴチャゴチャ具合について

 本題である、〇SF映画にかんするイーガン氏の言及をまとめた箱のお話だけすればもちろんスッキリしたでしょう。

 それと同時に、話の枕として使った{そして世間的に話題性のある*1□イーガン氏が『君の名は。』について述べたツイートにかんする箱のお話をするにしても、〇□重複している『貸金庫』の話だけを重ねるくらいならまだ収まりよかったはず。

 

  書きあがった文章を要約すると……

0⃣新海監督『君の名は。』にかんするイーガン氏のツイート(自作『貸金庫』に言及しつつ概ね好評)、それへの反応の紹介をし。

 →イーガンの映画に対するほかの言及も掬い。

⓪イーガン氏による他者の作品評の訳文を書き。

①イーガン氏の論考にかんするぼくの感想を書き。

 →良いところを書き。

 →悪いところも書く。

  {=①aこの作品評は、俎上にあげた作品のつまらさだけをただ述べるだけだから発展性があんまりない。レビューに否定的なひとからは当然「じゃあお前が思う良さってなによ?」という疑問が出るだろう(けど、このエッセイを読んでも答えが得られない)

  {=①b評価軸が知性・もっともらしさだけなので、「創作はべつに現実の従属物じゃない。正しくて面白い現実的なものがお望みなら現実だけ見てりゃいいじゃん。たとえ現実にそぐわなくても、現実を捻じ曲げてでも/捻じ曲げなければ達成できない味が出ているのなら、それはその創作の勝利だろう」というような反論も浮かぶ。

    →・①c酷評された作品の、その創作ならではの味がどんなものかを書き。

     =ここで「そもそもこの記事執筆者zzz_zzzzの作品観ってどんな感じか」を一つの物差しを提示する(「聞くに値するやつだ」と思ってもらえたら続きを読んでもらえるだろうし、否ならここでブラウザバック、時間の浪費をさせずに済む)

      また、映画の画面をじっさい引用して紹介したら、文字主体の文章パート⇒画像⇒文字主体の文章パートという感じでメリハリがつきそう

②a作品評で触れられてない発展性を示す。

  =「イーガン氏の思う知的な(あるいは人間らしい愚かな)展開・もっともらしい展開って何よ?」となにかしら見出してみる。(レビューで酷評された点と共通するような)

  →②bcイーガン氏の実作を読み、知的だったり(人間的に愚かだったり)もっともらしくある部分が、その作品ならではの味を出しているかも書く。(そしてそれは①cとも共通点がある味だと書く)

  ・1⃣(⊂②)『貸金庫』を読み『君の名は。』との相違点を書き。(そこに『her』の語り口との違いをからめつつ)

   →・③イーガン氏のエッセイやインタビューを読むことで彼の創作観を書く。

    ・2⃣(⊂③)『貸金庫』と『君の名は。』の違いが生まれた発端は? イーガン氏のエッセイやインタビューを読むことで彼の創作観を書いた。

  ・②bc『クリスタルの夜』の話題(『アバター』『her』『エクス・マキナ』の話題もからめつつ)

  ・②bc『孤児惑星』+『鰐乗り』の話題(『アバター』、⓪前書きで話題にした作家デビューまえの自主映画との題材の共通にもふれる)

・exネットで読めるイーガン氏の実作まとめ。

 『貸金庫』ほか4作。

・exイーガン氏の作品に関する他者の批評まとめ。

 ……こんな具合です。

 

 『貸金庫』の話だけにしぼれば収まりが良いし、exを外せばスッキリする。

 でもいろいろ贅肉が増えちゃいました。

 書いたり読んだりしていくうちに、ぼくのなかで大きくなった思いが……

  1. イーガン作品へも{とくに「貸金庫」@『祈りの海』以外へも}手を伸ばしてもらえるような導線は作っておくべきじゃないか?
  2. イーガン作品へのじぶんふくめた他者の評を見てみると、佐藤亜紀氏が『小説のストラテジー』で検討したシャマラン監督『サイン』視聴覚情報による演出や、飛浩隆氏の『海の指』自作解説ツイート的な絵解きを行なったものがない。ああいうのが好きなひとが(includeおれ)イーガン作品へ手をのばしてもらえるような導線もまた作っておくべきじゃないか?(たぶん今現在、イーガンが世間で広く大きく話題にされるのは、初心者を千尋の谷につきおとす難解ハードSFとして『ディアスポラ』がだされて「それは……w」「ひえーww」って本読みがはしゃぎ合うときくらい。これでいいのか?)
  3. イーガン作品に限らず、商業作品の短編が電子書籍試し読み版によって丸まる読めるものはそれなりにあるけれど、そこについて紹介した記事はないらしい。触れておいたほうが良いのではないか?

 ……という思いです。そこでゴチャゴチャしました。

 

 1.について。

 イーガン氏は、新海監督が話題にした『貸金庫』のようないま・ここの「わたし」の実存的なお話だけでなく、『クリスタルの夜』のような演算宇宙/演算生命(と現生人)のお話も、『孤児惑星』のようなスゴイトオイ未来のお話も書いている。身につまされる痛切な展開から、ケレン味たっぷりで読んでてにやけが止まらんド派手な機転のある展開まで、なんだってある。

 レビューで扱った作品と通じるような部分がある作品として、それでいてバラエティが豊かになりそうな上記3作をとりあげてみました。

SFマガジン2021年2月号』の「小特集・SFアンソロジーの魅力」を読んで、多少は気を使ってセレクトしてみよっか~とやってみました。たのしかったです。(実質1作どれにしようか考えただけなので、苦しまなかったというのが大きそう)

 はなしのフリとして『貸金庫』は外せないでしょう。『クリスタルの夜』も『her』『エクス・マキナ』『アバター』複数につらなるようなお話なのですぐ決まりました。

 

 宇宙SFはどうするか~と難しかった。いろいろ候補はあるでしょう。

 スゴイトオイ未来モノとしては、『孤児惑星』のほかにも、『インターステラー』とおなじくブラックホールにダイブする/そこへ父娘がからんでくる……ということでプランク・ダイヴ』とか(トップレベルで好きだけど、劇中の科学現象と調査を、劇中人物とからめたテーマ的な解説は訳者の山岸氏や大野氏はじめ、すでにある)

 やっぱり『インターステラー』にもつうじるような長距離ワープによる時空間的な家族との別れをあつかった『鰐乗り』とか。

 あるいは、『アバター』に通じるところがある異星に調査へ行ったところ種族対立にまきこまれる『グローリー』とか、ヒト的な意思疎通ができないふかしぎな面白生物がでてくる『ワンの絨毯』とか(難解という声ばかりがバズりがちな『ディアスポラ』のなかで、色彩設計や人類/異生物描写などが素直にたのしめる、普通にとっつきやすい作品だと思う。論点はちがうけど、この作品については東氏が批評で取り上げていたりする)

 この記事タイトルで読みにきてくれるひとは、「『君の名は。』は好きだしSFについてもイーガンの名前は知ってる程度に興味あるけど、めっちゃ詳しいわけではない」……みたいな、ぼくみたいなぬるオタだと思うんですよね。そういうひとが「……そう」「知ってた」とならない程度に実のある話ができたほうがうれしい。

 89年前後生まれのアラサーぬるオタであるワイを補助線にすれば、イーガン読了歴って、『祈りの海』『しあわせの理由』ギリ『ひとりっ子』までは読んだけど、最近の本はサッパリ……って感じだと思います。{イーガンイーガン言いながらぼくはそっからさきって読んだり読んでなかったり読んでなかったり読んでなかったりマチマチなんすよね……;(読んでないもんばっかじゃねーか)

 11年に出た『プランク・ダイヴ』は、311やら就活やらで時期的になかなか本を読めなかったりしたであろうし、未電子書籍化なのでアクセスしづらい。『TAP』はそう新しい作品ではないけど、<奇想コレクション>シリーズ時代に貧乏で手を出せないままそれっきりになってるひとも多そうです。『ビット・プレイヤー』が出たころはもう、社会人として業務に・家族生活にリソースを割くようになり徐々に小説を開く機会が減っていって、そのまま小説読みへ戻れなくなった時期だったりするんじゃないかしら?

 ぼくら世代(のぬるオタ)にかぎらず、読書メーターなどの読了数を見ても、最近でた本はそこまで多くないようだ。でも最近の作品は最近の作品ですごいのはたしかだ、むしろ近作のほうがすごいとさえ思うものもある。

 とくに紙の本しか出てない『プランク・ダイヴ』をつよく推したかったけど、話題がまじめ路線・皮肉屋路線の作品に集中してしまっている気がしました。

 全世界拡大公開系のド派手スペクタクルも書けるイーガン氏の一面への導線として、そしていかにもSFらしいチンプンカンプンな科学用語専門用語がいっぱいでてきて、そうした表現が小説にどう貢献しているか(科学にうといぼくのようなぬるオタにも)分かりやすい「孤児惑星」(『ビット・プレイヤー』所収)の話をしました}

 

 2.について。

 さすがイーガン先生、ちょっとググって見つけられるだけでもそれなりの量の評があり、さっくりまとめるだけでも結構に時間がかかってしまいました。

 んで、書き途中の別記事のために他SF作家他作品の批評を読んだ(読んでいる……読み終わらん……)ときも思ったんですけど、意外とこう、佐藤亜紀氏の仰る記述の運動/蓮実重彦氏がアレコレするようなテマティスム的な観点からお話をするひとってあんまりいない。

 

 平成元年前後のうまれのぼくにとって、いちばんアクセスしやすい批評は、ネットに無料で上げてくれていた作家批評家の論考で。

 町山智浩さんのポッドキャストを聞いたり、山形浩生さんのお仕事再録を読んだり、やがてプロになる伊藤計劃さんのレビューを読んだり、そうしてファンがネットに詳細な聞き取り受講録をのこしてくれた藤亜紀明治大学商学部特別講義講義録』と出会い、そこから佐藤氏の前講義となる説のストラテジー、リンク先講義の再録加筆版説のタクティクス』を読む……という感じで創作を楽しむ姿勢をつくっていったんですよね。

 ぼく自身は(佐藤先生とはことなり)大枠の筋書きとかキャラへの感情移入ありきで物を見ているけど、そんなやからにとっても有益な知見です。

 佐藤氏の批評眼・作品観(あるいは蓮実重彦氏のソレとか)を土台にした話はチラホラ確認できるし、読んだ・良いと公言するかたであればよりいっそう確認できますが、しかし作品についてそのような視点から読み取ったものを出力するひとは、こと文芸方面だとあんまりいない気がする。

 そういう視点から見てどうなの? という声はどっかにあったほうが良いんじゃないかなぁと思ったので、いくつかの作品について触れました。

 

 また、ぼく自身としてもそういう見方ができてきたころにはイーガン先生からはだいぶ遠ざかっていたので、その意味でも「どうかなぁ?」と思ったんですけど、今回いくつかの既読作を読み返してみて、そちらの方面からもふつうに楽しめました。これまで気づいていなかった氏の魅力が分かって良かったです。

 

3.について。

 けっきょく無料ってつよいので。つよいけど、誰かが話題にしてないと読めることさえ気づかないということはあるし、無料のものも無数にあるので手に取らないということだってある弱さもあるので、紹介しておくべきだろうと。

  集団でワイワイやってると「読んでみっか~」となるけど、そうじゃなくてよう知らんオッサンがひとりわめいている場合どれだけ効果あるかって疑問はありますが。やらなきゃゼロだしね。

 

 映画4作にたいするzzz_zzzzの感想について。

 映画4作の紹介については、理由としては上のまとめで上げた通りなのですが(zzz_zzzz自身の物の見方の提示と、画像主体のパートをつくって記事にメリハリをつける)、結果的に「××はクソ。それに引き換え○○は良い」論法ではなくなってカドが立ちにくくなった気もします。

 ……ただし同時にこれは、

「なんか全部ほめてるなコイツ。稗や粟しか食ってないSFオタは何でもおいしく思えちゃうってだけじゃない?」

 と逆に信用ならない記事になってしまったような気がしなくもない。

「支払ったワンコイン~夏目一枚を、惜しく思わない程度に楽しめるんならそれで良いんじゃないか?」

 みたいなゆるい評価軸でぼくは生きてます。

(あえて順番をつけるなら『もののけ姫』『PotC/呪われた海賊たち』は大大傑作、『君の名は。』は大傑作、ほか4作は面白いって感じですね)

 

 今後のblog運営・記事書きに生かせそうな気付き①

「自分が美味しいなと思う部分についてだけを、なるたけ掻い摘んで(長話をしないよう・それでいて無理して削ったりしないゆるさで)書いたら、どのくらいの分量になるのかな?」

 という一つの指標ができて良かったです。『アバター』感想が1020字、『her』が5800字、『エクス・マキナ』感想が1200字、『インターステラー』感想が2400字くらい。

(『her』も話題をしぼって1000~2000字にすると収まりよかったんでしょうけど、そのぶん画像をいっぱい添付できたのでにぎやかになったと思います)

 ほかの感想としては、『貸金庫』が1万2000字、『クリスタルの夜』は1万4000字、『孤児惑星』が5000字。『適切な愛』が3000字、『行動原理』が1100字、『新・口笛テスト』が4000字、『七色覚』が1万5000字、『貸~』&『新~』vs『七~』の比較っぽい〆トークが2000字という感じみたい。

(『クリスタルの夜』はAI・シミュレーション・人工宇宙関連についてはノータッチ、『新・口笛テスト』も音楽とひとの脳との関係についてはノータッチだけど、わりあいとっかかりがありそうな話題ではある。たとえば後者については、『ドビュッシーはワインを美味にするか?』にも、執筆された89年当時にでた研究もアレコレ載ってる。

 それぞれの短編集の感想文をいつか書くさいには、その辺を取り上げてみたいところです)

 

 今後のblog運営・記事書きに生かせそうな気付き②

 ・前提

 ある作品Aについて、劇中で○→◎→×みたいなかんじで変奏・対比されるような部分の変遷をとりあげるさい、「こういう対比変奏があります! まず○があって次に◎が~」と毎度毎度書く/読むのは一本調子で単調になってしまう。

 ○→◎→×を詳細に描いたうえで「×のさきは……? その先は君の目でたしかめてくれ!」とするのは、上から目線で書いてて恥ずかしい/読んでてウザい/いきなりクイズ始めるなボケとなる。

 ・ど真ん中からズラす球①

 まずその作品Aの○単体でそれと似たような他作Bの○との比較をしたりすると、「対比変奏追ってきますよ~」という直球ド真ん中から外せるっぽい。

 ・ど真ん中からズラす球②

 作品Aやその作家aについて語っているさい、比較対象として挙げていた作品Bや説明の補助線として引いていた何らかのジャンルの何らかの大家cなどを出していたなら。作品Bについて創作意図を語る作家bの言、大家cが語る創作論などを取り上げたうえで「その観点からAを読んでみるのも面白そうですね!」とすると、うまくいけばAの対比変奏関係の仔細をひとつも書かずにトピックを終えられるかもしれない。

 

 

0123(土)

 お家の管という管へパイプユニッシュしてました。ほかにはvtuber最協決定戦の切り抜きを延々見ていた気がします。

 

 

0124(日)

 宿直日。

 ■読みもの■

  WATCH YOUR STEP『新海誠作品全レビュー』読書メモ

booth.pm

 存在は知っていて興味もあったけど買い忘れてた本。先日アップした『君の名は。』ツイートを発端とした勝手に訳文記事を書くにあたってイーガン作品のレビューはけっこう読んだけど、新海作品のレビューはぜんぜん読んでなかったので、良い機会だしポチりました。

 それは何ですか;

 ほぼすべての新海誠作品にかんするクロスレビュー本です。長編映画は3人以上のかたが{テレビCMなどの短編(掌編?)についてもひとり以上のかたが}だいたい300~500字程度のレビューをそれぞれ寄稿され、おわりに菱村さんによる新海誠氏と「成熟」に関する論考想としての生/梯子としての成熟」が掲載されています。

 レビュアーのひとり谷林守さんは、商業誌でのレビュアー経験がありますね(『SFマガジン』第一回百合SF特集号の、百合SF紹介コラムでいくつかの作品を担当されていました)。ほかのかたはよく知りません(が、気合が入ってました)。

 1作あたりにひとりの評者が費やせる文字数はSFマガジンの総解説系のやつとおなじくらいの文量ですが、あらすじは全カットで自身の注目点に全振りしているので不満はないです。食い足りなさを感じたらツイッターアカウントやblogへ跳べばレビューした作品にかんするもっと長い文章があるかもしれない(ないかもしれない)。

 pdf版は寄稿者情報に記載されたアドレスをクリックすればそのリンク先へジャンプできるつくりでありがたかったです。

 

 読んでみた感想;

 どのかたも気合の入ったレビューだなぁと思いました。

 いくつかの作品では谷林守さんによる【小説版について】というコラムがあるけれど、谷林氏だけでなくほかのかたもさまざま関連情報を読み込んだうえでレビューにのぞまれています。

(『雲のむこう、約束の場所』レビューでは蘇嘉仙さんがパイロット版を、『秒速5センチメートル』レビューではhighcampus氏が小説版を、jundenson氏が聖地巡礼を、『星を追う子ども』レビューでは蘇嘉仙さんが別作の没案を、『天気の子』レビューではhighcampus氏が小説版の描写や劇伴音楽のタイトルなどを、『信濃毎日新聞テレビCM』レビューではskezy氏が初期イメージの絵コンテをそれぞれ参照して執筆されています)

 キャラについて、土地について、鑑賞した当時の思い出話など……さまざまな角度からレビューがなされてバリエーション豊か。レビューがクロスする意義のおおいにある顔ぶれがそろっているなぁと思いました。

 skezy氏の『秒速5センチメートル』レビューの、モノローグに関するお話は興味ぶかく読みました。

 そんなskezy氏のモノローグのお話にも通じてくるような、新海作品の回想/忘却の扱いにかんして大きく文量をさいた菱村さんの特別寄稿は、新海監督が『天気の子』制作中にアップしたツイートに写りこんだ氏の本棚に刺さった本を援用した部分があり、おなじツイートから新海監督の本棚に刺さった本をのきなみメモしたけれどそれっきりにしてしまっている自分としてはそこについても「えらいひとがいるもんだ」と感心しました。

 

 以下はレビュー内容とはほとんど関係ない自分語りですが……。

 映画鑑賞と初遠出をからめた体験に根差したレビューを読んで、ぼくにとっての新海作品との出会いを思い出したりなどしました。

 マイ初劇場新海は『秒速5センチメートル('07)。前シーズン、受験勉強もろくすっぽしないで細田守監督『時をかける少女('06)のためにはじめて新宿までひとりで行ってミニシアターを初体験して、「東京コワクナイ!」「アニメ最高!」とほくほく顔で故郷へ帰ったぼくは、『秒速』にいどんでドンヨリ顔で東京をあとにしたのでした。ろくすっぽしなかった結果として東京の大学には箸にもかからず、地元のFラン大学に進学し、ぼくの生活はけっきょく小田急線から出ることはありませんでした。

 映画を見に行くために遠出した経験を思い出してふと思いついたのが、

「ミニシアター系の映画で、映画内であつかうお話として「遠出など手間をかけてでも会いたい/見たいものがある」という要素のある作品は、構造的に勝利しているのでは!?」

 ということでした。(上映館数がかぎられた作品の観客は、必然的に遠出してきたひとである確率が高くなるので、そういう要素に共感する素地がある)

 想定される観客に特化した物語構築ってどのくらいの精度でできるもんなんだろうなぁ。

 

 

0125(月)

 宿直明け日。

*1:(あるではなく、もう「あった」ですね……月日の流れと話題の移り変わりははやい)