すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2020/12/22~12/28

 日記です。15000字くらい。マリカにじさんじ杯本選を観たり、戌亥とこソロライブをチケ買ったのに観る前に視聴期間を過ぎてしまったりした週。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

1222(火)

 元気にすごしました。

 

 

1223(水)

 ■読みもの■ネット徘徊■

  あるものを平たく言うのではなく、その凸凹に合わせ凸凹に語るということ

proxia.hateblo.jp

 PS4版『サイバーパンク2077』について、路上観察学・考現学的な視点で掘り下げたレビュー。

 ピクチャレスクについて語ったエッセイ『Skewing the Picture』にてチャールズ皇太子の実験都市と一緒にSteamゲー『Sir, You Are Being Hunted』を取りあげたチャイナ・ミエヴィル氏のように、アンテナが広く強いかたの論考は読んでて楽しい。すごいもんですわ。

 

 毎度のことながら面白い『名馬であれば馬のうち』さんの、今回の記事を読んでいまさらながら思ったこと。 

 ふんわり雑に言ってしまえば、作品評って「ある作品について、その作品がどういったものかとらえて、平たく言う」みたいなイメージがあります。{そして、なんか相違点が見つけられるような別の作品を持ってきて比べたりすれば、批評ってかんじになる}

 『名馬であれば馬のうち』のいくつかの記事で行われているのは、「ある作品について、その作品がどういったものかとらえて、それを述べるにふさわしい文法を見つけて語りなおす」ということで。*1

 今回のPS4版『サイバーパンク2077』をレビューした物のサイバーパンク体験はPS4の壊れたナイトシティにしか存在しない』なら、サイバーパンクマントラであるウィリアム・ギブスンューロマンサー』が描いたことやギブスンが思い描いたことが(たぶん。ギブスンの別作ーンズバック連続体』で描いたような、かつて夢想されたものへの関心とかが)、あるいはサイバーパンクに対して受け手が思い描いていたものがいかにPS4版『サイバーパンク2077』へ(期せずして)詰め込まれてしまっているかをとらえたうえで、それをウィリアム・ギブスン(=を訳した黒丸尚)文体で語る……ということがなされ。

proxia.hateblo.jp

 panpanya先生サイン会レポ記事の漫画家 panpanya 先生は実在したッ!! 衝撃と慟哭の緊急サイン会レポ!』では、レポ自体がpanpanya先生が描いてもおかしくないような日常と非日常のあいだをふわふわ漂う、不思議でそれでいてなんかよくわからん身近な手触りもある記事になる。

 

 作品をあれこれ要素ごとに場合分けして、シーンごと文章ごと言葉ごと句読点ごとに細目を見て「これはここの変奏で」「あれはあそこのオポジットで」とあれこれ並べ立ててみる。

 そうしてできあがった文章は(それを読んだ第三者に伝わるものは)、論じられた作品について分かったり理解がふかまったりこそするけれど、じっさいに作品を味わっていた真っ最中にじぶんがいだいた感覚とはまるでかけ離れたものになってしまう。

 だってぼくらが向かい合っていたのはバラッバラに分解されたなにかではなく、それらが合体したものなんだから。お酢と醤油とご飯とわさびと刺身を口のなかで含めば、寿司を食べていると言えるのか?(反語)……

 ……そんなギャップが"作品"と"作品を語ること"との間にはあって*2、ピックした記事らはそれにたいする一つの解決策のように思えます。

 

 とはいえ、こう試みるにもキャッチーに行く話型と行かない話型もある気がしますし(※)、ギャップが埋まりすぎてそこからべつの何かが盛り上がってしまう場合もあるでしょうけど、「論じられるものとはどうせ別物になるのだから、それ単体で独り立ちできるくらいに突き出てくれたほうが良い」という向きもありましょう。

{※たとえば、ゴジラ/怪獣映画/現代日本的な意匠にくわえて宮沢賢治やら『太陽を盗んだ男』やらさまざまな要素が魔融合したうえで映像もカットが矢継ぎ早に切り替わっていく『シン・ゴジラ』を、飛浩隆氏が細かい断片で語ったン・ゴジラ断章』や。やはり細かい断片からピクチャレスク/ピクチャースキュー史を語っていき、終盤なぜそのように語ったのか必然性がわかるチャイナ・ミエヴィル氏のSkewing the Picture』は興味深いうえに読んでいて楽しいですけど。

 それらと同等かそれ以上に練られたhoward hoax氏の術家であることと芸術家でないこと ジョン・カサヴェテス論』は、論じ憑依する題材が、氏が「良くも悪くもなく、面白くも面白くなくもなく、美しくも美しくなくもない。それは単に、生きられている」ととらえるカサヴェテスやカサヴェテス作品であったために、「むずかしい戦いとなったなぁ……」と思うわけです}

 

 

1224(木)

 ■そこつもの■

  仕事がゆるふわで冷や汗をかく

  仕事がゆるふわで冷や汗かきました。しっかりしなければ……。

 

 ■観たもの■

  vtuber『【プチお披露目】聖夜のメリクリお嬢様部』リアタイ視聴する

youtu.be

 バーチャルYoutuber団体にじさんじに所属する御曹司系男子中学生vtuber卯月コウさんが、先日の3Dモデルお披露目配信で同時に披露した女の子の服を着た姿あのヨルシカn-bunaさんが望んだ姿!のあらためてのお披露目をしていたので観ました。

youtu.be

「ぁヤb、あ゛~~っ!」

 突如奇声をあげる卯月コウ。陰キャ特有の発作か? と思いきや

「うわぁやべぇやべぇ話し過ぎた完全に。9時30分か。ノリアキのライブ観るつもりだったのに」

 ということで伝説のパフォーマー"ノリアキ"の復活ライブ配信の開始予定時刻21時をおおきくすぎていたことに気づいたうづコウさんは、挨拶もほどほどに配信を打ち切ることに。

 

  ライブ『ノリアキ Special X'mas Live "THE REAL TIME"』リアタイ視聴しました。

youtu.be

「これっていま何人くらい観てんのこれ? 2万6千? 2億6千万?

「まっ、こうやって? みんなの? みんなのまえに、出てくるってこと。元々は考えてなかったんだけど、」

「ただねぇ、今年? 今年。あったじゃん今年。ねぇ? 今年あったじゃん?

 コ↓ロ↓ナ↑?

"とんでもないことしてくれてんなぁコ↓ロ↓ナ↑"ってさ。ねぇ? おれもさぁ、いろいろ見ててさ、

 "とんでもないことやってくれてんなぁコ↓ロ↓ナ↑"ってさ。ねぇ?

 これで動かなかったらさ、それノリアキじゃねえだろってさ。」

"え? いや? おめぇノリアキだよなぁ?"ってさ。

 いやいちノリアキとして、やることあんだろってさ。思ったわけ

 2000年代に一部ネットを風靡したカリスマパフォーマー・ノリアキの一夜限りの復活ライブ。

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 新曲now real key』をひっさげての凱旋(新曲の動画の収益は医療従事者支援のために全て寄付されると云う)

 

 古谷雄作さんらとノリアキについては明るくなかったんですが、TVの地上波でやっていた『電波少年』&若手芸人とかとんねるず野猿とかみたいな内輪の悪ふざけコンテンツの若者世代版ネット版みたいな印象を勝手にいだいていたし{雑に松江哲明さんの『童貞。をプロデュース。』('07)とかと同じ箱に入れていた}、じっさい悪ふざけは悪ふざけだったんじゃないかと思うわけですが、(『童貞。をプロデュース』が問題含みまくっていて、近頃爆発するもぜんぜん解決する兆しがない一方で)こういう素敵な熟成のしかたがあったんだなぁとしみじみしてしまいました。

 吸いも甘いも嚙み分けたいいおっさんになったひとびとが、昔とかわらず意図的に悪ふざけをしたとき、どうしてこうもすがすがしく見えてしまうんだろう。

(とはいえ、『Unstoppable』を当時のような高い若者らしい声で歌うということはなくバリトンボイスを響かせていたり……と、丸きり昔のままというわけではなく、その意味では年相応の落ち着き・老成をかんじさせる、安心して観られるタイプの悪ふざけではあった)

 

 

1225(金)

 ■そこつもの■

  仕事がゆるふわで先輩方に迷惑をかける 

  仕事がゆるふわで確認すべきことを確認し忘れ、先輩にたいへんな迷惑をおかけしてしまいました。小学生でも気の利いたひとならこなすレベルのこと……。本当にふがいない。

 

 

1226(土)

 宿直明け日。平日にいろいろとやらかして体力気力が死んでいたので、マリカにじさんじ杯本選は委員長出場回まで仮眠をとることに。

 ■観たもの■

  vtuber【マリオカート8DX】第3回マリオカートにじさんじ杯 本戦【#マリカにじさんじ杯】

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 いちから社の運営するバーチャルYoutuber団体にじさんじの面々が『マリオカート8DX』で実況プレイ大会(第3回)を開いていたので観てました。今日の配信は先週の予選で勝ち上がった面々と、前回決勝入賞者であるシード組が参戦しての本選です。

 一期生からひとり(渋谷ハジメさんが都合ついたなら+1)、二期生から4人(物述さんが元気だったなら+1)、SEEDs一期生から3人、ゲーマーズから5人、SEEDs二期生から5人(物述さんが元気だったなら-1、黒井しばちゃんが都合ついたなら+1)

 19年冬組から1人、春組から5人(黒井しばちゃんが都合ついたなら-1)、夏組から5人、秋組から7人ハジメさんが都合ついたなら-1)

 20年冬組から2人、春組から3人、最新である夏組(セレ女)から1人……と、古参から新人さんまで万遍なく本選に出てきて、どの期のファンもたのしめたんじゃないでしょうか。

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  推しのCリーグ出場・月ノ美兎委員長は前回(本道からのコースアウトを自動でふせぐ)補助輪でのぞんだ結果なんと予選勝ち抜いたのにひきつづき、今回は補助輪なしで一部のコースではきちんとショートカットを決めて予選を4コース通したCリーグ累計ポイント4位で(9位⇒5位⇒3位⇒3位)本選出場。

 ショートカットはただ場所を知っていれば出来るというものでもなくて(『マリオカート8DX』はシリーズを重ねてコース数がとんでもないことになってますから、覚えているだけですごいわけですが)、キノコやスターなどの増速アイテムなしで通過すると極端な減速をしてしまうダートや、落ちれば一時停止のコースアウトしてしまうリスクと隣り合わせで、きちんと通りぬけるには練習が必要です。

 本選までの直前練習でも、リボンロードミュートシティのショートカットの練習、ミュージックパークワリオこうざんなど苦手コースの克服にはげみます。ミュージックパークも、苦手といいつつキノコショートカットをきちんと決めていて蓄積がうかがえますし、同じく苦手らしいワリオこうざんでもジャンプ/ジャンプアクションで内角を攻めるショートカットの位置をきちんと把握されていました)

 

 そして本選は、壁にぶつかる局面もありましたが操作ミスによる自滅的なコースアウトはほぼなく、曲がりくねったネオクッパシティでは攻撃アイテムは少な目でキノコが多めかつアイテム取りのがしもあって伸ばせなかった印象がありますが、キノコでショートカットできる箇所は確実に決めていき、次のでも土管のあいだを綺麗にすり抜けてキノコショートカット群を決めていきます。クッパキャッスルは予選にひきつづき鬼門でしたが、ゴール間際のコースぎりぎりをきちんと突いていました

 ショートカット以外のところでもさまざまあるアイテムの列のなかから2連アイテムをきっちり取っていったり)と、委員長のこれまでの積み重ねが生きていましたね~。

 

 ただ、大勢のレーサーとさまざまなアイテムをまじえて走る対人戦において必要とされるスキルは(ひとりで走るタイムアタックで有効なコース取りのほかにも)いろいろあるようで、そこで後塵を拝する場面も少々……。

 以前から苦手と言っていた背中に盾としてアイテムを構えたままハンドリングをする走行でまごついたりホバリング状態で他レーサーと接触した時に増速する相乗効果でむしろコースアウトしてしまったり。

 これはちょっと不運ですけど、最終レースドルフィンみさきで2個目のアイテムなしで現状スターで無敵状態の局面、委員長と鼻のさきで追尾機能をもつ赤コウラを2つクルクルさせているイブラヒムがいて、そのさらに前には弦月さんが見える……というところで、コーナー内角をいくイブラヒムさんへ幅寄せしてスター状態で体当たり、見事イブラヒムさんをクラッシュさせたところ、ちょうど目の前にバナナがきてしまい、スターも切れてスリップしてしまう……という場面がありました。

 ショートカットに有効な増速アイテムを距離があろうとショートカットまで温存して、道中のアイテムボックスを結果的にスルーするという局面もありましたが、ここは悩ましいところです。

(アイテム運に任せるよりも、ここまで自分が練習してきたことを信じた結果とも言え。

 実際そのスタイルで委員長は予選を勝ち上がったのだし、本選でも温存したアイテムできっちりショートカットを決められていました。じぶんのできること・できないことを俯瞰したうえで、より確度の高い道を選んだという意味で、正しい選択だと思う)

 

「来年頑張ろうこれは」

 4レース走り終えた委員長のことばに4回大会が楽しみになった配信でした。

「だんだんわたくしはねバーチャルYoutuber通して"ゲーム慣れ"みたいなやつ? だんだんしてきたような気がしなくもないわ」

 子ども時代、家庭の方針からいわゆるコンシューマゲームを禁じられていた委員長。

 その結果としてvtuber活動初期から共に歩んできたヨーロッパ企画ゲーや『こ~こはど~この箱庭じゃ?』などFLASHゲームの知識が培われてきたとも言いますし、そうして育まれて来た委員長の独特の感性をたのしんできたぼくでしたが、こういうプレイの巧さを競う対人戦でせつなさを感じなかったと言えばウソになる……。

 それがこれだけ成長が拝めてとても良かったなぁと思いました。

 

 ■読みもの■

  テッド・チャン氏のエッセイが載った『SFマガジン08年1月号』に、神林長平×円城塔対談も採録されていることに気づき、流れで船戸一人さんの作品も載っていたことに気づいたので読みました。

 船戸氏は『伊藤計劃トリビュート』に収録された「死者の時制」がかっちょよかったかた。

 作品の感想とはあんまり関係ないことですが、実生活でヘマをしクヨクヨ悩んでも取り返せない失敗をくどくど蒸し返して、blog用の書き物のための作業も気が進まずダウナーになっているときに、頭をぎうぎうに満たしてくれる別世界へ連れてってくれる作品の存在はありがたいことだと思った。

 

  船戸一人著『二重写し』読書メモ

 それは何ですか;

 『SFマガジン 2008年1月号』p.60~69に掲載された船戸一人さんのショートショートです。

(応募規定が漁れてないけど、28字*25行*18段=最大12600字ということで、400字詰め原稿用紙30枚くらいの規定だったんでしょうかね? 空白改行とかもあるから1万字くらいなのかな? 後述『死者の時制』は27字*22行*31段=最大1万8千字ということで、あちらよりちょっとタイトなサイズですね)

 この日記の別日に読んだ『ライアンの尻尾』『セーフ・セーブ』とおなじく、ハヤカワ・ロボットSFショートショート・コンテスト次席入選作(『共に歩くもう一人』から改題)とのこと。

 船戸氏の別作は、Pabooで販売中の京都大学SF幻想研による同人誌藤計劃トリビュート』(’11)で「死者の時制」(このblogにも感想を書いた作品ですね。)が、河出書房新社河出文庫NOVA 6 書き下ろし日本SFコレクション』(’11)で「リビング・オブ・ザ・デッド」が(未読)京都大学SF幻想研の同人誌『艦隊これくしょんトリビュート』('14)で「娘の魂に安らぎあれ」(未読)、同人誌『R.A.ラファティ生誕百周年記念トリビュート小説集 つぎの岩』('14)で「ネクスト・センチュリー・モダン」(未読)あたりがあるようです。(『艦これトリビュート』『つぎの岩』は駿河屋とメルカリを1年見張ったがダメだった)

 

 序盤のあらすじ;

 両足を破損して、一ヶ月ほど入院していた。満足に歩けるようになったころ、編集長から呼び出しを受けた。なんでも、取材を頼みたいらしい。

「それで取材相手は誰なんです?」

シーモアシーモア・ルゲーラだ」

 シーモア・ルゲーラ、あの機械脳(デーモン)派の寵児!

 脳の働きをエミュレートできる回路が実用化した未来。機械脳を活かして創作をする謎の天才シーモア・ルゲーラから「ミシャ・ダムトを」と名指しで指名された編集者の「ぼく」がかれへインタビューを行なうお話です。

 

 読んでみた感想;

 2,3年後に同人誌で発表された既読作『死者の時制』とおなじく、劇中テクノロジーをもちいた創作をする作家の来歴と作中作を追うような作品で。作中作の独特の味と作中現実とがからみあう構成であるのも、『死者の時制』と通じるところですね。

 作中作が小説ということもあってか、機械脳派天才作家シーモアの独特の文章技法「合成法(クォーマライズ)」が十全に発揮された大傑作であると云う二重写しの、具体的なあらすじや読み解きに今ショートショート二重写し』は大部がさかれています。そしてさらには、語り手ダムトが足を破損した1ヶ月まえについてなどの過去回想、シーモアの語る自身の半生などが折り重なります。

  1. 劇中現実・現在時制でおこなわれるダムトによるシーモアへのインタビュー
  2. 劇中現実ダムトの1ヶ月まえの事故の顛末
  3. 劇中現実シーモアの半生
  4. 劇中劇二重写しの顛末

 1万字前後のなかに主筋を含めた4つのお話がオチ付きで盛り込まれ、そしてさらには機械脳の作家シーモア義体の編集者ダムトそれぞれの体験や体感したテクノロジーの機微が大きな像を結ぶ……という、なんとも器用な作品。

 

 ただ、さらに細部を見ていくと、はたしてそこがどう機能しているのか、ぼくにはよくわからないところもありました。

 作中作二重写しにもちいられる合成法(クォーマライズ)の白眉は「濁点の消失、唐突な段落替え、言葉のシームレスな並びなど」*3がもちいられた表現だと説明されます。

 既存の印刷物を切り張りしたカットアップで有名なウィリアム・バロウズ氏らの作品とか、文章にeを用いないジョルジュ・ペレック著『煙滅』などウリポの作品群とか、小説で使える文字が徐々に減っていく筒井康隆著『残像に口紅を』とかあるいは(今作の後年に発表された作品ですけど)1行すすむごとに文章が1文字短くなったり何だりする円城塔著『Φ』などの諸作を思わせる技巧で。さらには、バロウズカットアップを成立させた大量の素材群や、小説の進行に合わせて打鍵に×をつけられていった筒井氏のタイプライター、「文字数を数えて長い順に並べるプログラム」やら「順番をかき混ぜて、8回で元の文章に戻るというプログラム」やらが組まれた円城氏のパソコン……みたいな、作品と作品をつくる環境との相互影響関係などをうかがわせる技法です。

{ある意味では、円城氏の実作などがあれこれ出てきたり、ジョディ・アーチャー&マシュー・ジョッカーズ著ストセラーコード』などによってテキスト・マイニングをもちいた計量文献学の研究などが紹介されている現在のほうが、「機械脳だと創作にどう役立つの?」という部分について飲み込みやすいかもしれません(作者が想定していたものかどうかは知らんけど)}

「日本語圏かあやしそうな世界で濁点とは……?」ということで、今ショートショート二重写し』の語りにこうした表現が出てくるかどうか気にしてみたんですけど、一読した感じでは「これだ」という部分に思い当たりませんでした。

 『死者の時制』では劇中音楽の"7つの音響がそれぞれ打ち消しあって無音となる"といった細部が(よくよく考えると)劇中現実と絡み合っているようなところがあったので、なにかありそうな気がしますけど……うーん。

{「2年3年の月日を経てその辺まで凝る作家的な成長をしたんだ」という考えに安易に飛びついてしまいたくなるけど、ぼくの目が節穴で読み落としてるだけという可能性も否めない……あとで読み返して「あからさまな段落替えあるじゃん!」となったら恥ずかしいな(ありそうな未来だ)

 濁点がある一方でアルファベットのアナグラムもあるという作中作の使用言語も気になるけど、機械脳の呼称<デーモン>もまた気になる。たぶんソフトウェア用語のデーモンに由来するネーミングなんじゃないかと思いますが、「悪魔のほうがまず思い浮かぶよなぁ。由来や来歴紹介といった迂回がないと、結末を直接的に連想させすぎないか?」とも(たとえば映画『アバター』を観ていると思い浮かんでしまう、「パンドラなんて名付けた異星にちょっかい出せばそりゃあそうなるよ!」問題)、「いや現実のパワードスーツの会社は、映画『ターミネーター』でひどい未来を呼び込むことになるサイバーダイン社から取られていたりするわけだし、逆にリアルなのでは?」とも思い……むずかしいところです}

  ただ肌がふれあう感覚は覚えている。皮膚感覚が曖昧となった今の身体では望むべくもない、あの幸せな感覚。いっそ覚えていなければよかったとも思う。それならば、こんなにはがゆい思いをしなくてすんだのに。

   早川書房刊、『SFマガジン 2008年1月号』p.62下段12~15行目、船戸一人著「二重写し」より

 『二重写し』ですきなシーン。

 以下、思い出。企画部屋の詳細は書いていいものかよく分からないし主催者に許可も何ら取ってないので、だいたいにおいて書いてません。そもそも情報量が多すぎてせっかく聞いた貴重な話は、だいたいが頭からこぼれ落ちてしまいました。ただ楽しかったという感触だけが残っている。

   すやすや眠るみたくすらすら書けたら『日記;2020/09/15~09/21』「『京都SFフェスティバル2020』行ってきました。」より

 先日ぼくじしんの体験をこんな風にメモしたやからとしては、ダムトが覚えるこの感覚はとても分かるものでした。

 『死者の時制』劇中人物の家の"スマート電化製品が最初だけアレコレ設定されてあとはほったらかしになった"~みたいな細部とおなじく、些細な文字数で生活の身近な肌理を掬って「あるある」と読者を引きこむ描写ですね。(『死者の時制』ではそして更に、それがのちのちになって劇中のテクノロジーや物語的に意味のある別の様相が見えてきたわけで、『二重写し』でもその部分はあるのかなと考えてもみたんですが、そこはよくわからんですね……)

 はたしてこれは船戸氏の作家性みたいなものなのか? その謎を解明するためzzz_zzzzはアマゾンの奥地へ向かい、『NOVA 6』もポチることにした。

(以下、作品に沿わない考えごと)

 「"あの幸せな感覚"(=濁点がない)ははたしてダムト当人の記憶なのか? それとも義肢に残存した偽記憶なのか?」とか気になるところで(。感覚の入出力装置がないんだから、ダムト当人のものとするのが妥当かなあ?。そこから妄想がふくらんで、最初は「機械脳(ルビはデーモン)」、最後は「悪魔(ふつうにあくまと読んでよいでしょう=つまり濁点がない」ということで、「作中作二重写しの技法」が適用され「辞書的な意味とはさかしまな文脈」がきずかれていて、「あの幸せな感覚」にはがゆい思いをしている語り手にとって実は「怪我の功名、win-win」な関係だったりするか? とか考えたりしました。(最後のくだりは「悪魔」のほかにも「ドッペルゲンガー{=濁点がある。「共に歩くもう一人」だったら濁点がないけど}」「亡霊(=濁点がある)」と続くのでぼくの考えは単なる冷ややっこだし、序盤で「義肢の技術と機械脳の技術とがまったく別種の技術である」と説明があり終盤でも「ダムトのほうは死ぬだろう」旨が念押しされるのでその線は無いんだろうな……となりました)

 

 

1227(日)

 ■読みもの■

  江沼エリス『ライアンの尻尾』読書メモ

 それは何ですか;

 『SFマガジン 2008年1月号』p.50~59に掲載された江沼エリス氏のショートショートです。この日記の別日・同日に読んだ『二重写し』『セーフ・セーブ』とおなじく、ハヤカワ・ロボットSFショートショート・コンテスト次席入選作。

 

 序盤のあらすじ;

 カタンという椅子の音で、生徒が一人、立ち上がったのがわかった。

「あの、わたしのうちは犬を飼ってるんです。散歩とか、けっこう大変だったりするんですけど、タロスケっていう名前で、呼ぶとすぐにとんで来るし、とってもかわいいんです。

 でも、駒村さんのライアンはロボットの犬だし、ペットロボットみたいに遊んだりしなくてもお仕事だけだったら、なんだかさみしくないですか?」

「ライアンは、目が不自由なわたしが外を歩くのを助けてくれるのが仕事です。だから家に帰ってハーネスをはずしてからは、自分の場所で静かにしています。充電もしなくてはいけませんからね。でも、さみしくなんかないですよ」

 駒村はそう言いながら、足元でダウンの姿勢をとっているライアンの頭をなでた。

「ボディは金属製ですけど、冷たくはありません。ライアンは電気で動くので、いつもほんわかあったかいんです。ほら、しっぽを振っているでしょう? このしっぽに触ると、わたしまで元気になります」

 小学校の総合学習の時間に講師として招かれた駒村がライアンと連れ立って駅に向かう。大きな家が立ち並ぶ住宅街と言ったところか、急にあたりがしんとなった。駒村の隣を車が一台、ゆっくりと通りぬけ、前方でブレーキの音、ドアの開く音を響かせた。

「先生、お電話です。駒村さんから」

 盲導用犬型ロボット<シーイングアイ>の開発者・荻野目准教授は、院生にあとをまかせて実験室を出た。以前ライアンが路上で立ち往生してしまったことがあったが、今回はどんな不具合が起こってしまったんだろう?

「ライアンを盗まれました。申しわけありません」

 

 読んでみた感想;

 とある大学が開発した視覚障碍者のための盲導用犬型ロボット<シーイングアイ>の一体ライアンの飼い主・駒村とその開発者・荻野目のふたりをそれぞれ追った作品です。序盤でキャッチーな事件が起こって、読みすすめる興味牽引力という意味ではショートショートコンテスト次席3作のなかでいちばんかなぁ。

 おなじショートショートコンテスト次席入選作・船戸氏の『二重写し』では劇中独自存在・人工義肢の肌について「血の通ってない」「青白い」*4非生物感が強調されていましたが、今作『ライアンの尻尾』のロボットは、電気駆動だから熱をもって温かいという舵取りがなされていて、それぞれの物語に適したガジェットの書き込みが面白かったです。

 ライアンの盗難事件が起きてすぐ「しっぽ否定派」でクールな科学者らしい科学者の荻野目に視点を切り替え、高価なAIをノーガードで歩かせる怖さや次のロボの構想練りなどに思索を移されたことで、どういう方向に向かうのか微妙に読めないところがよいですね。

(ぼくは「次のロボ犬にもライアンの挙動が受け継がれているよ」という「ミーム」的なところに向かうのかなとか、「序盤みたく後半で荻野目が電話を受けて出てみると、荻野目の好戦的な改造が文字どおり牙をむくいてしまったという加害の連絡で、社会的に窮地においやられるも次世代ロボ犬は無差別にひとを襲ったわけではなくライアンと絡んだ何かを受けた理由あるものだということが判明し一転無罪・逆転裁判! って感じになったら楽しいけど、でも尺的にそんなんやってる余裕ないか?」とか思った)

 限られた尺のなかで、人の嫌な部分と(甘っちょろくもある)情動とを盛り込んだハートウォーミングなお話としてきれいにまとめていて面白かったです。 

 

  久道進『セーフセーブ』読書メモ

 それは何ですか;

 『SFマガジン 2008年1月号』p.70~78に掲載された久道進さんのショートショートです。

(応募規定が漁れてないけど、28字*25行*18段=最大12600字ということで、400字詰め原稿用紙30枚くらいの規定だったんでしょうかね? 空白改行とかもあるから1万字くらいなのかな?)

 この日記の別日・同日に読んだ『二重写し』『ライアンの尻尾』とおなじく、ハヤカワ・ロボットSFショートショート・コンテスト次席入選作(『ガーディアン』から改題)とのこと。

 久道氏のツイッターアカウントは@susumukudouで、小説家になろうpixivでいくつかの小説を投稿されているみたいです。

 

 序盤のあらすじ;

 寝巻の襟元から覗いているきれいな肌色は、汚れた祖母の顔をより際立たせていた。アンバランスな二つの肌の色。その違和感がもたらす目眩にも似た気持ち悪さに、たまらず私は視線を祖母から逸らしていた。

「はい、おばあちゃん、終わりましたよ。よく我慢してくれましたねぇ、もう楽にしていいですよぉ」

 場違いなほどの明るい声が、作業の終わりを私に教えてくれた。仕事を終えた介護用品メーカーのサービススタッフは、笑顔を浮かべながら布団を叩き、祖母に話しかけている。それに対する祖母のリアクションは、低いうめき声を上げるだけだった。祖母なりの抗議なのだろうか。窮屈なボディスーツなどを着けられたことへの……。

 

 読んでみた感想;

 現実の社会で高齢者虐待防止法が制定されたのが2006年のことで、つまり今作『セーフセーブ』は「いろいろな虐待はやっちゃダメですよ、身体拘束もやっちゃダメですよ」というのがお国のお達しとなった後に発表された作品だということですね。

 身体拘束にふくまれるNG行為として、高齢者をベルトで縛りつけるみたいなものがダメだというのはわかりやすいでしょう。ベッドの四方を柵でかこんでしまう「四点柵」もダメだというのもまた。

 ひとりで立ち上がるのが難しくなってきた(けれど歩き回りたい)ひとをいわゆる「人間をだめにするクッション」に座らせるのが「ダメだ」という辺りから、トンチ問題になってきて。身体を延々掻いてしまって傷つけることやムズ痒かってオムツを外してしまうことを防止すべくミトン型手袋をさせるのもダメだというのは案外「そうなの!?」となります。

 身体拘束にふくまれないOK行為としては、離床センサマットを敷かせてもらうことや、ある区域から出たら鳴るような発信器やGPS付き発信器、「えっすえふ~」て感じな例では最近だとQRコードが記された爪用シールを身に着けてもらうことなども地方自治体によっては導入されています

xtech.nikkei.com

(その辺の現状については、日本総研『認知症高齢者の行方不明時等の見守り・捜索システムについて』がリストに具体例にとまとまっていて興味ぶかい)

 ……ざっくりした基準で言えば、本人の自発的な行動を制限するのはとにかくダメだ~ということになります。

 介護者の悩みと、被介護者の精神衛生……現実のそうした問題を被介護者用ロボットスーツ"セーフセーブ"でフォーカスしてみたのが今作、という感じですね。

{ひとによっては「現状を鑑みると、もっと迂遠なかたちの生権力がはたらくんじゃないか? 劇中世界のシステムはちょっとアナクロな部分があるんじゃ?(現時点でNGが出ていることが公にシステムとして組み込めるのか?)」みたいな声もあるのかもしれませんが、チョイ過去の事例もまくってくれる百科全書的な部分を求めちゃうタチなので、こういう書き込みは個人的にはありがたいものです。

 また、劇中世界ではイマココより少子高齢化が進んでにっちもさっちも行かなくなってるようなので、先祖返り的な思想が再燃するのもそうおかしくないように思えます}

試用期間はあっという間に終わり、料金は通常料金に切り替わった。セーフセーブの本体であるボディスーツは買い取り制だが、保守点検や、GPSによる位置情報サービスを受けるためには、それとは別にサービス料金を毎月払わなくてはならなかった。携帯電話のパケット代定額サービスと同程度とはいえ、家計への負担がまた増えることになった。

    早川書房刊、『SFマガジン 2008年1月号』p.73上段14~20行目、久道進著「セーフセーブ」より

 重たい雰囲気が冒頭から最後まで立ち込めている作品ですが、セーフセーブにまつわる卑近な話題は具体的でおもしろく、ページをめくる手を進ませ、そうして描かれた仔細がより空気を重くし……とすてきな負の循環をきずいています。

 

 セーフセーブと着用者の関係や、セーフセーブと介護者家族の関係は、最初から提示されているとおりのもので、そこについてこそツイストは無いです。

 もう少し尺がある媒体であれば……運動機能が低下してきたけど畑仕事や近所の井戸端に参加したかったり文字どおり道草を食ったりしたい(ので道端で人知れず転倒などをしてしまったり、食べれる野草と間違えて毒のある雑草を家族にプレゼントしたりしていた)高齢者にとって喜ぶべき光となったロボットスーツの功名と。

 そこからたとえば「ロボットスーツのおかげで元気に安全に出歩き、若かったころ同様においしい料理のおかずを道端から見つけてくれたりしてきたおばあちゃんも、だんだんぼんやりとしてきた。認知機能の低下や行動力の狭まりは介護者家族にとっては年齢的な問題におもえたけれど、実はロボットスーツによって行動が最適化されたためだと分かり~」みたいなフックをはさんで。

 今作が扱ったような問題へと移行する……みたいな、今日的な管理社会の肌理*5・被介護者用ロボットスーツの光と影みたいな話になったのかなぁとも思います。

(そう考えてみて、「若年性認知症的なひとに効果があるとされるゲーム/ゲーム機を介護者が要介護者にプレゼントする『猫の王権』って、ストーリーラインがけっこう整っているんだな」などと思う)

 

 ロボットスーツと介護者/介護者家族の重たい関係を序盤から提示し、それを掘下げていった今作は……

 ……そこで話をやめ、私は外に出るべきだったのかもしれない。でも、私は言ってしまった。口にしてはならないことを、続けてしまったのだ。

「でもほんとに、これで私たちの苦労が少しでも減ってくれればいいんだけどね……」

「みのりっ、そういうことを言うものじゃない!」

 父の小声の叱責が飛んできた。自分の不用意な発言に私は俯き、母はなにかを堪えるように体を震わせた。

 体を押しつぶそうとするかのような重たい沈黙が、また部屋に戻ってきた。今度それを壊したのは……祖母の低い泣き声だった。

    早川書房刊、『SFマガジン 2008年1月号』p.71下段7~17行目、久道進著「セーフセーブ」より

 といった冒頭のくだりを終盤、

 たまらず、私は台所を飛び出していた。自分の部屋に逃げ込み、真っ暗な部屋の中でうずくまる。耳を押さえても、父の怒声は消えてくれなかった。それはなにも言えなくなった祖母の苦しみを代弁しているように、私には聞こえた。

(略)

「楽になろうとしちゃ、いけないのかな……」

 知らず呟いていた。楽になろうとすることは罪なのだろうか。

   早川書房刊、『SFマガジン 2008年1月号』p.77上段23~下段1行目・下段16~18行目、久道進著「セーフセーブ」より

 と変奏させることで、語り手が要介護者の孫である意味を立ち上げ、物語の重さを別軸へシフトさせていきます。

 着用者の行動を制限するロボットスーツを購入する介護者(=息子&その妻)とそれを着せられた母(=老女)の問題を見つめる語り手{=息子夫婦の娘(/被介護者にとっての孫)}が立っているのは、ある規範によって律せられた世界であり、それによりなにげない気持ちを呟くことすら{父(=上述の被介護者にとっての息子)から}制限された語り手{娘(=上述の被介護者にとっての孫)}がいる。

 祖母が亡くなってからもどんよりと立ち込める暗雲に思いをはせて終わる幕引きがなかなかです。

 

 

1228(月)

 ■そこつもの■

  戌亥とこ1stLIVE、ネットチケット買ったのに視聴期間過ぎてた

 数千円を無駄にしてしまった。。。

*1:『名馬であれば馬のうち』は、いろんな語り口でいろんなことを語るblogであり、今回取り上げた記事たちは、ただ単に、ぼくがそういう風に感じたというだけで、どれだけ意識的にやられているのかは知りません……。

*2:……というようなことが、別のかたの運営するblog『忘れないために書きます』の何かの記事で書かれていて「なるほどなぁ~」と思ったし、「だから『ヴァンダの部屋』レビューみたいな、"作品そのもの"への関心はもちろん、"作品とどう向き合うか"といったことも気にかけた記事が……」と得心したんですが、そのものズバリという論考が見当たらなくて「おれはどこで一体それを読んだんだ?」となっている。ギャップはいろんなところで生まれ得る。(ウマいこと言ったつもりになってるけど、これに関してはきみの脳みそが眠たいだけだよzzz_zzzz!)

*3:早川書房刊、『SFマガジン 2008年1月号』p.63下段14~15行目、船戸一人著「二重写し」より。

*4:早川書房刊、『SFマガジン 2008年1月号』p.62上段8~9行目、船戸一人著「二重写し」より。

*5:「今日的な」と一応書いちゃいましたが、個人的には「まぁそんな繊細なおもてなしができる社会なのかな? 『セーフセーブ』の描くような世界のほうがむしろ妥当じゃないかな?」みたいな思いもあるわけですが……。