すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2020/11/03~11/09

 スマホからの更新です! 日記です。2万4千字くらい。

 パソコンが壊れたので今後の更新さらにとどこおります……。(11/15治りました~)

 ミエヴィル氏が原義からSteamゲーまでピクチャレスク(~悪凝りポストピクチャレスク)史を眺望するエッセイで名前に挙げた19世紀の作家リチャード・ジェフリーズ、彼の終末小説『アフター・ロンドン』が邦訳とな! 今昔物語集にゾンビ!?(古語の誤解釈にまつわる問題) という週でした。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

1112(木)

 ■そこつもの■

  現況報告

厄日というのはあるんですね……。

昼間は循環ポンプがこわれてお湯がでなくなり、夕飯では差し歯がとれてしまい、夜はパソコンがこわれました。

 

きのうはパソコンが突然シャットダウンしてクリップスタジオがデータ破損とかなんとかで開けなくなったりSAIが使えんくなったりで困ってたのですが、きょうはさらにひどくなってしまった。

ビープ音4回が鳴っていたのでググったら「メモリを挿し直すとよい」と聞き、挿し直したらビープ音長音∞になった。(DRAM差し込み不良?)

トドメの一撃を刺した感……。

 

 

1103(火)

 ■ネット徘徊■社会のこと■

  タイツの件から、自分の腹の虫の居所を確認する

 アツギ社による販促企画「ラブタイツ」が難しい方向へ転がってました。

 「SF・SFアンソロの表紙はなぜアニメ絵の女の子キャラばかりなのか?」という(実際2010年~2020年に出た早川創元SFの作品60点からすると多く見積もって25%が該当する程度という、(ぼくの視点からすると、設問自体が間違っているように思える)アレにはつよく反発したぼくですが、こちらには「それはまぁ難しいよね……」となってしまいました。

 

 SF表紙にかんしては、「雑語りだ!」とイラっときはしたものの、そういうぼくにしたって、じぶんで改めてSF表紙をふりかえって、「アニメ絵でもなければ女性を主題としない表紙の本(量としてはそちらのほうが大多数)がいろいろあるなぁ」と驚かされたものでした。

 もっと正確に言えば、世の多数を占めるふつうの表紙の本の話題にされなさ具合に驚かされました。「こんだけあるのに見向きもされないのははたして売り手だけの問題なのか?」ってことですね。

 スティーブン・ピンカーや、あるいは『ファクトフルネス』で語られているようなことですが、問題・珍事はトピックとして取り上げられやすいけど、世界の大多数を占める"問題ないこと"=ふつうのこと・日常はニュースになったりしない。生物が生きていくうえでたいせつな注意の偏りを自他ともにあらためて確認させられるような驚きでした。

 

 しかしタイツに関して言えば、上のような理屈はあてはめられない……難しいなぁと思いました。ふだん常用されている人のニーズが一番だと思いますが。

 たとえば年賀状の赤ちゃんの写真を見て「ほうほう十月十日まえはここか~さぞ盛り上がったことでしょうな~」とか思ったり、あまつさえ言ったりするような人ばっかりだったらガチでめんどくせえじゃないですか。

(そこまでじゃなくても、胸元ひらいた服を着たら胸ばかり見られたり、ミニスカート履いたら太ももばかり見られたり、白かったり薄い生地の服着たら透けブラばかり注目されたりしたら、やっぱりめんどくさそうです)

 もしあのマーケティングがそういうアレになってしまっているのなら、そりゃあアレだよなぁと。

 

 流し見したかんじ、スカートたくしあげるメイドさんはともかく、そう淫猥なものってなかった気がしますけど、かわいらしいのは確実だし、一部のイラストが肉感的/魅力的なのは否めません。TPOといいますか、

「自分がかわいらしいとか魅力的だとか思われたくない場で"これの使用者はそう思われます!"と販促されるのはそりゃあメンドくさいよなぁ」

 と思いました。

 

 

1104(水)

 ■買いもの■

  電子書籍の出版有無を告知してくれるのアリガタシ

 題名のフォントがオシャレな『2000年代海外SF傑作選』(並びに『2010年代海外SF傑作選』)について、選者の橋本氏から詳しい出版形式の告知がなされていました。

 これありがたいですね~!

 さいきんの新刊については、電子書籍が出るのかどうかで足踏みしがち。あらかじめこう報じてくれるととても買いやすいですね。

 

 

 ■描きもの■

  一発でカッチョええ画を描きたいぜ

 3時間くらいお絵かきして、2時間無駄にする。

  • 見た目にキマってる
  • それでいてぼくでも描けるくらいに簡単

 なコンポジションを見つけ出すのが大変ですね……。

 考えたのは、美術室でにじさんじキャラ版石膏像やらが並ぶなかに委員長がいるというものとか、構図はキマってるけどパースペクティブ的にはそう複雑ではない名画フェルメールとか)をオマージュするとか。

 

 ■見たもの■

  新情報あまりなし;ゴジラフェス『ゴジラS.P』トークイベントをタイムシフト視聴する

 ゴジラフェスの4000円のオンラインチケットを購入しタイムシフト視聴しました。(視聴可能期間におかわりとかしなかったせいで内容うろおぼえ)

 『ゴジラS.P』トークイベントは、新情報という新情報はあまりありませんでした。この情報だけを求める向きには、4000円はかなりキツいと思います。

 2D手書きアニメ会社と、3DCG会社では製作フローも全く異なり、その辺をどう折り合いをつけていくか悩んだ、3DCGの怪獣のトーンをどうするか悩んだ……みたいなお話はとても興味深かったので、どこかの席でもっと掘り下げて聞いてみたいところ。

 

  1. 企画がどのあたりから始まったのか? ⇒静野&瀬下監督『GODZILLA』制作中から(監督)
  2. 制作にあたって東宝からどんなことを言われているのか? ⇒制約がなさすぎて困る(監督) 「先行作がだいたいやってるから、"学園モノのゴジラをやったらどうか"と言ったりした」(円城)
  3. ゴジラは出るか? ⇒出る(円城)
  4. ジェットジャガーは誰発案で、出番はどんなものか?(動くのか?) ⇒監督の希望。動くかどうかは非公表。

 (1)は『シン・ゴジラ』や静野&瀬下監督『GODZILLA』シリーズそれぞれの制作時期、円城氏の読了本の履歴を見れば想像がつく範疇のものでしたね。 

 日本の『ゴジラ』といえば、最近だと2016年7月に公開された『シン・ゴジラ』、2017年11月~公開された静野&瀬下監督によるアニメ映画版『GODZILLA』シリーズがあります。

 シン・ゴジラの総監督・脚本の庵野氏に東宝の市川南取締役から打診があったのが2013年1月21日*1そして第一回企画会議が開かれたのが同年6月5日のこと*2で、監督脚本に打診⇒完成版公開まで3年半。

 静野&瀬下監督GODZILLA3部作の場合は監督が打診をうけたのが2013年あたりで、脚本をつとめた虚淵玄氏は2014年に打診を受け、制作発表された2016年8月までに脱稿されました。監督・脚本に打診⇒完成版公開まで4~3年くらい。

ゴジラS.P』の製作期間も、それらと比べると大体そんなもんでしょうという気分ですね。

 

 

1105(木)

 ■社会のこと■

  旬な活きのよい陰謀論が揚がる時期になりました。

 ソローは街に戻ると、自然の中での生活体験をつづった本の中でこう述べた。「緊張を強いるばかりで、せかせかと落ち着きがなく騒がしい、つまらないこの19世紀社会を生きようとは思わない」。そして、アメリカの騒々しさや俗悪さを高みから見下ろし、軽蔑的にこう続けた。「あの人たちは何を浮かれ騒いでいるのか?」。

 その主張には一理ある。当時アメリカでは、近代的なメディアや広告やショービジネスが生まれ、相互に依存しながら発展しつつあった。19世紀の第2四半期は、アメリカで「ショービジネス」「セレブ」「広告」「ブランド」「セールスマン」といった言葉が使われ始めた時期にあたる。こうして、あらゆるものを宣伝・販売し、フィクションを現実らしく見せ、これまで娯楽とは縁のなかった生活領域にまで娯楽を広めることが突如として可能になると、もはや誰もがそうしないではいられなくなった。

 

真実と空想の合間

 たとえば、1840年の大統領選がいい例だ。ウィリアム・ヘンリー・ハリソンは、完全に商品化された最初の大統領候補だった。裕福な家庭に生まれ育ったハリソンは、エリート主義的なホイッグ党の候補者となった。だが、そのメディア担当顧問は、彼をまったく逆の人物として有権者に売り込んだ。ありふれた感じの素朴ないい男だと主張し、メッセージを載せたキャンペーンソングでも、「質素なコート」や「フリルのないシャツ」を強調した。さらには、実物大やミニチュアの丸太小屋でブランド化を図り、丸太小屋形のびんの入れたウイスキーや、「丸太小屋印の皮膚軟化剤」と称する髭剃り用石鹸を有権者に配布した。ハリソンは40年前に西部で先住民と戦ったことがあったため、選挙集会では先住民のときの声のまねまで披露したという。一方の対立候補は、実際には貧しい家庭の生まれだったが、現職大統領だったためにエリート主義者と見なされ、結果的にハリソンが地滑り的な勝利を収めた。

   東洋経済新報社刊、カート・アンダーセン著『ファンタジーランド(上)―狂気と幻想のアメリカ500年史』kindle版42%(位置No.6342中 2596)、「第2部 狂信者たちの合衆国【19世紀】」より

 大統領選ですね~。活きのいい陰謀論が水揚げされていますね。

 正否はともかくとしてこうした見解をながめていくことで、今ここに生きるわたしたちがどんなことにリアリティを感じているのか見つめなおせる気がして面白いです。

 

    ▽メリカ大統領選がやってるよ! 今の推し事例はコレ!

 じぶんが「マジっすか……」と思った事例をふりかっていくと、ぼくにとってリアリティを感じやすいのは……

  1. 2世議員はドラ息子である/ドラ息子の2世議員が汚職している/下半身が奔放である
  2. たとえいつかバレる嘘でも、望む期間内でバレなさそうなら/バレたとしてもその話題が一定期間を占め印象操作できそうなら、投入する
  3. 極端な例に対して「不正を犯した」ととらえるのではなく「誤タッチとか、凡ミスをしただけ」ととらえる

 ……といったところみたい。

 (2)や特に(3)をもっともらしく感じるのは、ぼくが行動経済学*3などを好きなところから来ていそうです。「人間はそんなに論理的・理性的な生物じゃないよ」っていう知見群ですね。

(2)はその界隈で話題にされるプライミング効果とか認知容易性⇒信頼性につながっちゃうとかみたいな辺りが連想されます。(以前の記事で引用したコレですね)

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 プライミング効果のなかには、メディアプライミング効果というものもあって、政治(評価)にも影響していると言われています(言われていました、が正しいのか?)

 たとえばその分野だと、国立情報学研究所情報社会相関研究系の小林哲郎氏の論考スメディアが世論形成に果たす役割とその揺らぎ』「報道量の多い争点ほど人々の認知的アクセシビリティが高まるため,大統領や政権を評価する際の基準として用いられやすくなることを示し」たとして紹介されているIyengar&Kinder& Peters&Krosnick氏らによる1984年の研究が有名っぽい。ただこの御四方のメディアプライミング効果に関する研究は、それを紹介している上述論文の執筆者小林哲郎氏当人がファーストオーサーをつとめる追試で有意な効果が見られなかったそうです。

 これに限らず、行動経済学やら社会心理学などの分野の知見/研究のなかには、はたして再現性があるのかどうか疑われている/それどころか追試に失敗しているものもあるそうで(たとえば藤島喜嗣&樋口匡貴会心理学における “p-hacking” の実践例』にまとめられているもよう)……。

 ぼくが「そうなんだ~」と学んだ/信じている常識もまた、後世から見れば(現世でバカにされている血液型占いのように)鼻で笑われる迷信になっているかもしれません。

 

     〇歯抜け知識なのに自分が勉強したことは信じがち

 ことツイッターはITに強い人や見識に優れた人が多いので、陰謀論(を信じちゃうひと)ってバカにされがちですが、「デマだ」と言われないかぎり素朴に信じちゃうやからとしては、マジでどうすりゃいいんだろうなぁみたいなところあります。

(2011年の春はイソジンうがい薬の備蓄を確かめちゃったし、ワカメ料理もいっぱい食べました)

 

 ぼくは勉強はできないし完璧な知識を求めてもいないけど、"勉強した"は好きだし"自分の行ないがなんかうまいこと得に結びついてほしい"というぼんやりした(=射程の広い)欲望を抱いている、という人間なので、かんたんに食い物にされちゃうんですよね。

 とくに"自分の行ないがなんかうまいこと得に結びついてほしい"というのは根深い。何もやってなかったからこそ(/やるべきことをやらず、好きなことをテケトーな域で生ぬるくやってきたからこそ)現状の「無」があるわけですが、無意味な人生だからこそ"じぶんの人生にもなんかしらの意味があったらなぁ"という願望はどうしても持ってしまう。(棚上げはなはだしいですが)

 じっさいの真贋はわからないし調べないけど、「勉強した!」「そうなのか~!」って快感スイッチが押されちゃったがために素朴に信じちゃってること、自覚がないだけで結構ある気がする。

 

 なにかの分野でしっかりやってきた人というのは、しっかりやってきたがゆえに自分だけではやりきれない領域があるということを知っているんではないかと思う。

 そうでない不真面目な人間というのは、そもそもやりきったことがないがゆえに、できることを過大に見積もってしまうし。自分がやったことにたいして客観的評価を受けたことがないので(レポートの評価とか査読とか)、自分のがんばりを過信してしまう。

 ぼくも認識としてはじぶんが"歯抜け知識の横好き素人"だとは思っていつつも、感覚としては"自分で勉強もしてて、それなりに知ってる"みたいな風に能力を過大に見積もった自己像をいだいています。

 "何も知らないわけではない"と"詳しい"との間にはとんでもない距離があるはずなのですが、そこが抜けてしまう。

 (11/16追記)この辺の感覚について、ダニング=クルーガー効果というそのものズバリな研究があるのに忘れちゃうみたいな、車輪の再発明をしちゃう(笑)

 (2/1追記)俳優の高知東生さんがこの感覚を端的にあらわされていた。あるある……。

 

 

 ……そんなところで、今回どんなネタがあったのかざっと振り返りです。ファクトチェックがなされた報があるから「デマなんか~」って感じですが、なかったらどれも「まじでか……」となってしまうものですね。(「デマだ」と報じた記事が、そもそも本当にデマなのかを検討する頭もない)

 個人的には正直「そこまで一個一個いちいち気にしてらんねぇわ~」って感じ。みなさんはいかがでしたか?

 

  ▼非実在専門家による偽の「バイデンJrと中国との密約」レポート

 選挙まえに騒がれたハンター・バイデン氏の話題の一つ、かれと中国企業との繋がりについては、別のメディアがファクトチェックした結果、そのレポートの筆者自体が実在せず、一緒に掲載された写真もAIによる生成物だと結論付けられました。

www.nbcnews.com

 偽情報の研究者が分析したところによれば、文書の執筆者であるマーティン・アスペンと自称するスイスの安全保障専門家はでっちあげられた人物であり、研究者はアスペンの自画像も人工知能による顔ジェネレーターで作られたものだと結論づけました。

The author of the document, a self-identified Swiss security analyst named Martin Aspen, is a fabricated identity, according to analysis by disinformation researchers, who also concluded that Aspen's profile picture was created with an artificial intelligence face generator.

 アスペンの職歴にリストされている諜報機関はそんな名前の人物がスイスに住んでいたことはないし、公的文書にもソーシャル・メディアの検索にも引っかからないと言います。

The intelligence firm that Aspen lists as his previous employer said that no one by that name had ever worked for the company and that no one by that name lives in Switzerland, according to public records and social media searches.

   NBC News、『How a fake persona laid the groundwork for a Hunter Biden conspiracy deluge』より(翻訳は引用者による)

 

   ▼有権登録者システムや不在者票をふくめた票数の数え方を知らないがゆえの陰謀論

 いくつかの投票所の投票数について出てきた妙な部分(直覚的な伸びなど)ついて不正の結果だとする声が上がりました。

 ウィスコンシン州について出たデマは、「有権者数以上に投票数がある」「バイデン氏へ突然12万票が追加された」などが。

www.huffingtonpost.jp

保守系ニュースのFOXも「登録有権者数よりも多くの票が投じられたという人がいるが真実ではない。この州は360万人の有権者がいて、330万の投票があった。ウィスコンシンは当日の有権者登録も認めている」と説明している。

   ハフポスト掲載、『「ウィスコンシン州で投票率が100%を超えた」はデマ。当日に有権者登録が可能、保守系メディアも否定』より

 また、バイデン氏の得票数がふえたのは、べつに数えていた不在者票を主軸に合算した結果なのだとか。

 

   ▼速報サイトのタイプミス陰謀論

 ミシガン州の投票数については、バイデン氏の得票数がいきなり20万票超増加してグラフが直角をえがきました。こちらの妙についても投票所から事情説明がなされました。さきの州とはまた異なる理由で、(すぐ訂正された)ヒューマンエラーなのだそう。

 桁をひとつ多くタイプしたせいの急上昇。

 過日も囲碁世界一を決める「2020三星火災杯」の決勝戦という重要な対局にのぞむプロ棋士でさえ誤クリックをしてしまったように、これはありそうな間違いです。速報サイトのように、もらったデータを何度も即座に入力しなければならない状況ならなおさら起こりそう。でなければ、その日の取引を終えたあと金庫やレジを確認したら金額が合わなくてひーこらする世界の銀行や商店はいったい何なんだというお話になりそうです。

 

   ▼速報サイトの参照元ミスが陰謀論

 投票率が100パーセント超え/100パーセント近い州が多数あるというデマツイのもととなった、World Population Reviewサイトのデータ(訂正済み)は、その計算が出た当初はそもそも2018年の大統領選のデータをもとにしていました。

 誤記されたデータは、大統領の任期が折り返しを迎える段階でおこなう中間選挙の値で、中間選挙の投票数は、任期ごとの大統領選に比べると少なくなります。

 投票率「米国では、中間選挙の投票率は30%台後半から40%台前半」(2018年11月20日、CNN『これも「トランプ効果」? 中間選挙の投票率、100年超ぶりの高水準』)と、高いものではありません。18年の投票率は百年ぶりの高水準でしたが、それでも49.4%。大統領選の投票率よりもひくいです。

 話題のFacebook利用者が取り上げたチャート図は、『World Population Review』から採られたもので、そのサイトは自称では「2020年のアメリカ合衆国国税調査局の登録者数ページを情報ソースに反映した」と説明していましたが、実際には2018年11月アメリカ合衆国選挙(訳注;中間選挙の値がつかわれていることをUSA Todayは突き止めました。

 特筆すべき点として、2020年の国勢調査の結果は年末ないし来年にならないと利用不可能です。

The chart used in the Facebook image appears to be taken from a website called World Population Review, which claims its number of registered voters by state reflects 2020 and cites the U.S. Census Bureau's Voting and Registration page as a source. USA TODAY found the figure actually used is from the November 2018 election. It is important to note, 2020 census results will not be available until late 2020 to early 2021.

   USA Today掲載、『Fact check: Wisconsin has more registered voters than ballots cast』

 

 

    ▽過去に本当におこなわれた郵便投票不正とはちがう

 

  平成元年に20代だった人が30年後に50代になると習慣飲酒率は変わらないどころか上がるらしい

www.ncasa-japan.jp

 おじさんや中年の範囲が拡大/イメージが刷新されないせいで、中年おじさん{中年が原義どおりなら2020年に40歳のひと(=1980年生れ)}が飲み会好きだと思われている……という旨の嘆きを見て、じっさいどうなんだろうと気になったのでググったらでてきた記事。

{ぼくは1989年生れの31歳で、2007年の自分がFラン大学生の頃はアルコールハラスメントNGや「イッキ」禁止のポスターが大学構内に張られていたし、運動部と文化系のあいだみたいなサークルでの飲み会の席でだって、未成年に先輩から酒を強要するようなことは断じてありませんでした。ハタチを超えようと「酒ダメなんすよ」と言えば「そっかー」となった。

 ただ、社会人になってからは、選択の余地ないほど酒を飲まされるような場面こそないものの、ゆるやかな勧めはありました。

「飲めないつっても一杯くらいは飲めるでしょ?w」

「飲まないと飲めるようにならないよ?w」

 というようなアレですね。強いアレではないけど、ちょっと場が冷める、空気読めないやつという匂いが漂うみたいな。そのひとは1975年前後生まれの、つまりいま45くらいのひとだった(男女どちらもありました)

 

 この記事の「図1 平成元年と平成28年における各年齢・性別による習慣飲酒の割合 厚生労働省 国民健康・栄養調査による)で伝えたいこととは違うお話をします。

 平成元年時の20歳台における飲酒率と、平成28年時の50歳台における習慣飲酒率とを比べてみると、32%くらいから45%くらいと増えていて、この辺の"酒が当たり前"の世代と、その下の層とでは感じかたに違いが出そうだなと思いました。

 おなじように平成元年時に30歳台における飲酒率と平成28年時の60歳台とを見ていくと、55%くらいから40%くらいで、減ってはいるけど平成28年時におけるいちばん呑んでない年代(20代/10%台)の4倍くらいの数値。だいぶ呑んでる。

 

 じぶんが20歳前後だったときの習慣飲酒率も見てみました。

www.mhlw.go.jp

  こちらのpdfによると、平成20年(2008年)の20代男性の習慣飲酒率は19%、平成15年の20.2%とくらべて1%低い結果になったみたい。

 

 ぼくの10個上が20代のころの習慣飲酒率も気になってきました。

 平成10年の国民栄養調査によると、平成9年・10年あたりの20代男性の習慣飲酒率は30%くらい。ほかの年を見るともうちょっと下がりそうですが。

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1106(金)

 ■ゲーム■

  『シャニマス』「W.I.N.G」編で久々TrueEnd!

 ドルマスター シャイニーカラーズ』、いわゆる『シャニマス』の話をめっきりしなくなりました。

 4月末に一キャラでTrueEnd達成できて以後、なかなかなかなかTrueEndの機会は訪れず、腐っていたというのが一番大きな理由です。

 

 時限イベントが多いソーシャルゲームは、継続的になにかひとつのことをし続けるということが出来ない飽き症なぼくには難しいゲームだからです。

 このたび『シャニマス』は運営2.5周年を記念して1日1回無料10連ガチャ期間を施けたり、特別お得な課金セットを商品棚にならべたりしていていました。劇中アイドルの声優さんがおおぜい集まってのライブイベントを記念した、これまた特別お得な課金セットも商品棚にさらにならべたりもしていました。

 2.5周年に気づかせてくれた月ノ美兎委員長の『ャニマス案件』配信も面白かったために「またふたたびコラボが行われますように」とお賽銭したので(2.5周年記念というわけじゃないけど、2.5万円くらいかな?)、デッキ見直しと戦力増強をおこなうことにしました。

 

   ▼デッキ構成見直しと訓練アイドルの選定

 2.5周年記念のお得なガチャと、2.5周年ライブの打ち上げ課金ガチャにより、SSRサポートアイドルは合計☆4つまで(SSRプロデュースアイドルは計☆3つまで)特訓することができます。

 事務所のアイドルを確認し、だれをどこまで特訓するか決めていきます。

 

 手持ちサポートアイドルのなかで☆4SSRは、イベント産のVo(3倍アピールライブスキル持ち)「【おはようと日向で手を振る】三峰結華」、Da(3倍アピールライブスキル持ち)「【トゥインクルトゥインクル】大崎甜花」。

 甜花はオーディション1位でDaを加点、スキルパネルの直近にステータス上限アップしてくれるキャラで、三峰は第一シーズンから出番があるレッスン「ラジオ」のサポートも地味にうれしいキャラ。

 ライブスキルが優秀なひとが、Daライブスキル3倍アピール持ちの☆1「【数・数・娘・娘】幽谷霧子」(VoDaViレッスンでSP加点のサポートスキル、直近にDaの上限アップがあるスキルパネルもおいしい)、Exライブスキル3倍アピール持ちの☆0「【スプリング・フィッシュ】田中摩美々」。

 

 Voは、W.I.N.G.勝戦のメンツのせいで、一極で優勝はむずかしいらしい。

 Daは、☆4SSRのDaトゥイトゥイ甜花、☆0でもライブスキルが3倍で強いDa数娘霧子と2枚いて、さらに☆付きSSRが出てくれるとかなり充実する気がします。

 DaとVoは☆4SSRがいるから、Viを特訓して、☆4SSRがそれぞれの属性で1人ずついるようにするのもよさそうです。Daとちがって所属Viアイドルのスキルパネル構成は、低SPでステータス上限突破スキルを手に入れられるひとがいないので、上限+100などを持つサポートアイドルがいると頼りになりそう。

 【スプリング・フィッシュ】摩美々を☆4にして、全属性に投入可能なワイルドカードとしてしまうのもひとつの手です。☆4Lv.MAXにすると、摩美々のライブスキルは3.5倍まで伸びるらしい。つよい。ただ、スキルパネルがちょっとクセがあり、プロデュースアイドルにエクセレントアピールを覚えさせるだけで息切れしてしまいそうでもある。

 ViSSR【スパイシーベリィデコレイト】黛冬優子は現時点で☆1で、序盤から当事務所をたすけてくれたアイドルです。☆3ぶんだけ特訓すれば完凸だし、さらにだれかに☆つけることにして、彼女を☆4・LvMAXまで特訓・トレーニングすることにしました。

 

 Viの初心者研修からはじめた当事務所でしたが、☆4SSRのDaトゥイトゥイ甜花、☆0SSRのDa数娘霧子は上限アップも直近にあるということで、DaやDa寄りの他属性との2極を育てやすい環境になりました。

  2極だと、一緒にヴィジュアルレッスンをこなすと大量にViとSPに加点されるスパベリ冬優子もかなり心強い存在になりそう。

 

 ……そんなこんなでDaVi2極アイドルをめざすことに。

 イベントミッション内容とカードの充実から、アルストロメリアのプロデュースをいくつか手がけました。

 甜花ちゃん、甘奈、千雪さんのアルストロメリア3人をプロデュースないしサポートアイドルに置いた布陣は、リンク・アピール(※)を決めやすく、体感として以前よりもオーディションを勝ちやすい気がしました。(じっさい実利はなかったとしても、キメれると楽しくなる)

(※リンクアピール=プロデュースアイドルに固有のライブスキルは、直近5ターンに同じユニットに所属する他メンバーのライブスキルを使用したうえで放つと、通常のアピールに加えてオマケ技を発動する。このオマケ技がリンクアピールという)

 

 現編成でのTEも、けっこうラッキーイベント(記者による10万人追加とか)やSSRプロデュースアイドルぢからに助けられた印象がありますが。しかし、SR【チエルアルコ】八宮めぐるさんのViDa2極はついにラッキーイベント無しに達成。

ようやくデッキを練る楽しみを感じ始めました。

 

 ■読みもの■

  『僕より目立つな竜学生』1話面白い!

shonenjumpplus.com

 ビリー・ワイルダー的な意味できれいなお話を読みました。

 

 大手出版社がネットに力を入れるようになった結果、さまざまな新作が――面白い作品が拝めるようになりましたよね。でも、話題になったり「面白いな」と思った作品というのはだいたい……

 ……といった感じであったように思います。

(つってもどの作品も、その全てを大なり小なり兼ね備えていますが)

 

 『僕より目立つな竜学生』みたいに、お話の組み立てがうまい作品って意外とそう多くない気がする。「伏線キマってんな~! すげ~!」という伏線とその回収自体が武器として前面に出されたタイプの、再読が楽しい作品はあるけど、そう思わずに素朴に物語を楽しんでしまう感じの。

 

 

1107(土)

 

 ■身の回りのもの■

  現代の住宅街に緑はあるのか?

「わりとこう書きがちなんですけど、実はこんなに家の壁って見えないんですよ」

 もう10年くらいまえになってしまうけど、背景美術で仕事しているかたからお話を聞く機会に恵まれ、そんなワンポイントテクを教えてもらいました。

 曰く、背景美術について学びたいと考えているひとへの養成として、住宅街をお題にイラストを描いてもらったりする。すると、家や道路、電信柱などは描くと。塀なんかも描く。あとは白線とか側溝、マンホールとか。

 でも実際には、塀と家のあいだに(あるいは塀自体が)目隠しに木を植えられていることも多々あって、その木は1階より高いのはもちろん、2階に届くレベルで背が高かったりするのだと。

 パースペクティブをチマチマ気にしてめんどっちい複雑な人工物を描くよりもザックリ木で隠してしまうことは、作業面でも楽チンなうえに、じつは現実に沿った光景でもある一石二鳥のノウハウです。ズボラな自分はたいへん感銘を受けたお話でした。

 

 でも、改めていま町を歩いてみると、木がなかったりそもそも塀さえ無い家ってけっこうある

 真新しい家ほどそんな調子な印象があります。そんな部分に敷地を充てたら住空間のスペースがねぇわということなのか、よくわかりませんが。

 実際問題として、家と木や家と庭がどうなっているかはもっと観察が必要でしょうけど、「自分にとっての当たり前が、客観的にもそうとは限らないぞ……」と思うことの多い週だなあと思いました。

ワナビ的には、古い住宅街をキャラに木漏れ日が差す柔らかいライティングや虫の声など雑音を盛り込める空間として、新しい住宅街をパッキリ明暗のわかれたライティング/防音もシッカリで無音(?)な空間……みたいに感じでモチーフ化していくのかなぁ}

 

 ■ゲーム■

  『シャニマス』「W.I.N.G」編でVi・Da1極&ViDa2極でTrueEndを迎えられるようになってきた。

 『アイドルマスター シャイニーカラーズ』、いわゆる『シャニマス』で久々TrueEndを迎えたzzz_zzzzは、気をよくしてほかにもあれこれキャラをプロデュースしてみることに。TEキャラが他にも増えました~! やった~。

 

 

 ■読みもの■

  こんなパンクな口争本だったの!?;『伊勢物語の表現を掘り起こす』読書メモ

 それは何ですか;いろんな大学で講師をつとめた小松英雄氏による『伊勢物語』冒頭~第十五段までの新説本です。

 読んでいる感想; 

 古典文学にたいして現代人(研究者)がつけてきた注釈の数々。これについて異論を唱えた小松氏が、じしんの再検討を披瀝する本です。

 小松氏の見解はちょっと読むだけでとても興味ぶかい内容ですし、『筆者が期待しているのは、「どんどん読めるナントカ物語」というたぐいの安直な読書に飽きたらず、作品の表現をじっくり読み味わいたいと考えている読者です』*4との想定どおり、本文に入ると一語一語を検討していくものでなかなかムツカシイ部分もでてきます。しかし、肩肘張った難解なものではなくて、むしろ「なるほど古文の難しさって、語訳じたいがなめらかではなかったからなのか」と思わせてくれるものです。

 

 また、この本は別の意味でも面白い本です。小松氏の語りがとてもよい。論の冒頭で『伊勢物語』冒頭の挿話のちょっとした(しかし氏の鋭敏さがわかる)再解釈をしてみせた小松氏は、じしんが大学でどんな感じに教鞭をとっていたかを記します。

 二度目の大学で定年を迎えたあと、四国大学の大学院に開設された「日本文学・書道文化専攻」という、書道の盛んな徳島にふさわしいコースで、「日本語学と書」という題目の講義を担当してきましたが、古筆の中核は『古今和歌集』なので、各自にその注釈書を用意してもらっています。和歌表現をきちんと解釈できることが、古筆を理解するための必須条件だからです。ただし、購入するなら手軽な文庫本をとあらかじめ断ってあります。

   笠間書院刊、小松英雄著『伊勢物語の表現を掘り起こす 《あづまくだり》の起承転結』kindle版8%{位置No.378中 29(紙の印字でp.10)}、イントロダクションより(太字強調は引用者による)

 生徒に用意してもらうものとして、安価で手に入りやすい文庫本を指定してくれる先生はとてもありがたいですね。と思いきや、つづくことばがとてもこわい。

和歌表現の解析に関する限り、『古今和歌集』には信頼できる注釈書がひとつもないので、厚くても薄くても同じことだからです。

   笠間書院刊、小松英雄著『伊勢物語の表現を掘り起こす 《あづまくだり》の起承転結』kindle版8%{位置No.378中 29(紙の印字でp.10)}、イントロダクションより(太字強調は引用者による)

 カミソリシュートか!?

 じしんの『古今和歌集』検討をそひと文字の抒情詩』で行なっているうえでの言とはいえ、内角をふかくえぐりすぎてデッドボール必至の鮮烈なビーフですね……。

 

 小松氏がなぜここまで痛烈な物言いをしているかというと、それだけ古典解釈には不自然な箇所があるということなのですね。

 仮名文学作品の注釈には数百年にわたる歴史があり、現在も各大学に専門研究者がたくさんいるのだから、そういう基礎作業はとうの昔に完了しているはずだ、片隅をつついてもゴミしかでてくるはずがないと読者のみなさんは考えるでしょう(略)が、筆者の主張には根拠があります。そのことを納得していただくために、ひとつの例として、これから取り組む『伊勢物語』の、冒頭部の解釈を検証してみましょう。

昔、をとこ、初冠(うひかうぶり)して、奈良の京かすかの里に、知る由して狩りに往にけり

その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり

このをとこ、かいま見てけり

思ほえず、古里に、いとはしたなくてありければ、心地まどひにけり

をとこの着たりける狩衣(かりぎぬ)の裾を切りて、歌を書きて遣る、そのをとこ、しのぶ摺りの狩衣をなむ着たりける

  春日野の わか紫の 摺り衣 しのぶの乱れ 限り知られず(以下省略)

 詳しい表現解析は第一章に譲って、ここでは「その里に」以下だけについて考えます。

荒れ果てた奈良の春日の里に、思いがけず、たいへん上品で美しい二人姉妹が質素な生活をしているのを覗き見した「をとこ」は、心を大きく揺さぶられ、着ていた衣服の裾を切って、熱烈な恋心を吐露した和歌を書き、姉妹に贈った。

 いささか乱暴な要約ですが、これが伝統的な共通理解のあらましです。

   笠間書院刊、小松英雄著『伊勢物語の表現を掘り起こす 《あづまくだり》の起承転結』kindle版6~7%{位置No.378中 23~24(紙の印字でp.4~5)}、イントロダクションより{「(略)」は引用者によるが、「(以下省略)」は原文ママ

 と勢物語』冒頭を引用し、先行解釈を要約した小松氏は、この解釈に待ったをかけます。

 しかし、改めて考えてみてください。ふたりの姉妹に一目惚れすることはありうるとしても、熱烈な恋心を打ち明けた和歌を同居している姉妹に贈ることなど常識で考えられるでしょうか。手紙を受け取った姉妹は、どちらに贈られた愛の告白なのか判断できたはずがありません。

   笠間書院刊、小松英雄著『伊勢物語の表現を掘り起こす 《あづまくだり》の起承転結』kindle版7%{位置No.378中 25(紙の印字でp.6)}、イントロダクションより

 注釈書がみな、男1:女2の関係でとらえているこの冒頭のエピソードについて、「ふたり」の女と直接的・明示的にしるした語は実はない

 たとえば、この「女はらから」が、幼時に奈良の京を離れた「をとこ」の従姉妹(いとこ)だとしたら、ことばとしても、状況としても、ふたり姉妹とみなす根拠が失われることを認めてください。そうだとすれば、このあとの愛の告白も解釈が変わってきます。

   笠間書院刊、小松英雄著『伊勢物語の表現を掘り起こす 《あづまくだり》の起承転結』kindle版7%{位置No.378中 25(紙の印字でp.6)}、イントロダクションより

 数百年もの間、万人の判断を狂わせつづけてきたのは、「女はらから」の意味を調べる必要があることに気づかないまま、なんの根拠もなしに<ふたり姉妹>と決め込んできたことだったのです。思い込みによるその決めつけが、この挿話の内容を大きく歪め、それに続く諸段の解釈にまで尾を引いています。

   笠間書院刊、小松英雄著『伊勢物語の表現を掘り起こす 《あづまくだり》の起承転結』kindle版7%{位置No.378中 26(紙の印字でp.7)}、イントロダクションより

 学校の古文の授業の教材として第九段だけ抜粋されたりなんだりするとおり、それぞれが独立性のつよいエピソード群として読まれがちだった『伊勢物語』。

 その冒頭~第十五段までを、小松氏は――抜粋もできなければ段を入れ替えることも不可能な――精緻なひとつながりのテクストとして見なし、その魅力をひもといていきます。

 

 円城塔さんの小説字渦』に参考文献として名が挙げられていた(うえにkindleがあったから)手に取った今作ですが、かなの多義性を重視する小松氏の観点はとても興味深いし、説得力がありました。

 概説的なものから今著のような個別の作品の検討をしている本へと、順を追って読んでいったほうがよいかもしれない。

 

 学校の古文の授業では漢字だけの文章に送り仮名を補ったり、古語を現代語に直したりすることが多かったぼくにとって、また書道の経験も楷書しかない自分にとって。ほぼすべてがひらがなだけでつらつらとつづられた仮名(かな)の文学は、一体どこまでが一字かさえわからず、どこまでで一語かもまたわかりません。

 こうした文字列に対面したとき、「これだ!」という漢字がバンと一つだけ浮かぶものではなく、いくつかの候補を思い浮かべながら前後を(同じく不確定でわからないまま)読んで「こういう文章かな?」と確定していくようなふわふわした部分があります。

 「かすかのさと」を「春日(かす)の里」ひとつに定められない。小松氏のおっしゃるように、微か(かすなど多重の変換候補をそのまま内包した語句ととらえてこそ、このかなの文章にはより適ってそうだ。

 次段でふれる勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』(いやこちらはぼくがよんだのは試読用pdfの最初数ページですが……)もそうですが、ふだん何気なく使ってる日本語とか、読んだ気になってその実ぜんぜん読んでない国内の古典も、得体が知れなかったり現在進行形でアツいやり取りが交わされている、よい意味で不安定な動的なシーンなんだなぁと思いました。

 

  今昔物語集にゾンビ!? 「遅く」の(誤)解釈;山口佳紀著『伊勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』試し読みメモ

  三省堂の山口佳紀著勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』紹介ページ試読用として置かれたPDFをひらいてみると、古語にまつわる誤解釈について「遅く」を例に紹介されていました。

「昔、紀の有常(ありつね)がり行きたるに、歩(あり)きて、遅く来けるに、詠みてやりける」

 『伊勢物語』のこの一節について、2013年片桐洋一氏のつけた注釈でも"「有常が遅く帰って来た所に」の意であるから"と説かれているそうなのですが、山口氏は反論します。 

 「遅く~」という言い方は、<ある事態が期待した時刻より遅れて実現した>ということを示すものではなく、<ある事態が実現するはずの時刻になっても実現しない>ということを表すものである。

   三省堂刊、山口佳紀著『伊勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』序章「はじめに」(試読用pdfにて閲覧)

 ぼくの直感としては、動詞の否定形としての「遅く」ってあんまり印象にない、なじみの薄いことばです。

(まったく使われてないわけではなくて、たとえば現代でも「遅れてごめん!」「遅いから心配したよ~」といった会話などでは山口氏が提示した二つの意味合いがそれぞれ別々に使用されていますよね)

 そんなぼくでも「なるほど!」としっくりくるほどの一手として、山口氏は今昔物語集の一節を動かぬ証拠としてつきつけます。

 

  • 夜明ヌレバ、介(すけ)、朝(あした)遅ク起(おき)タレバ、郎等粥(かゆ)ヲ食(くは)セムトテ、其ノ由ヲ告ゲニ寄リテ見レバ、血肉(ちじし)ニテ死(しに)テ臥(ふし)タリ。

[夜が明けた時に、太郎の介が朝になってもなかなか起きてこなかったので、郎等が粥を食べさせようと思って、そのことを告げるために寄って見たところ、血だらけになって死んで横たわっていた。]

   今昔物語集・巻二五・平維茂郎等被殺語第四)

 右の文の「朝遅ク起タレバ」が<朝遅くに起きたので>の意ではなく、<朝になってもなかなか起きてこなかったので>の意であることは、明らかである。なぜならば、当人はすでに死んでいたのであるから、起きてくるはずないのである。

    三省堂刊、山口佳紀著『伊勢物語を読み解く 表現分析に基づく新解釈の試み』序章「はじめに」(試読用pdfにて閲覧)

 手をポンと打ちたくなるような言質です。これほど説得力ある解釈はありません。

 ひとつの単語の意味がもたらす影響とはどんなものか、山口氏は「遅く」がつかわれた『万葉集』の歌をさらに例示することで、事態の深刻さをエレガントに提示して見せます。これもすごいので、本文(といってもぼくが読んだのは試読用pdfなんですが……)をご覧ください。

 全文読みたいですねこの本も。

 

 さて、さきほどの『今昔物語集』の一説について。

 「遅く」を誤解釈どおりに――山口氏のツッコミどおりに――読むのも、それはそれで面白い気がしました。

{息も絶え絶えで起きた太郎の介がけっきょく伏せ死んでしまったという風に捉えるのもできそうですけど、そうではなく(その場合、太郎の介は起きたり伏せたりメッチャいそがしい……)

 平安時代のゾンビ物が描かれていくなかでこういう挿話が使われたらアツいっすよね。

(「夜明ヌレバ」からして良い。ナイト・オブ・ザ・リビングデッドにドーン・オブ・ザ・リビングデッド、夜も明けもゾンビ物と相性バツグンですからね)

 あるいはのちの時代の日本を舞台にしたゾンビ物で、古来からそれが存在していたことを示す文献で出るという線もありましょうか?

 

 

1108(日)

 ■blogのこと■

  日記が小学生みたいでいやだ

 ふと思い立ち、自分のblogを「面白」で検索かけてみました。すると毎記事ひっかかるじゃないですか。大なり小なり実際に面白いと思ったからそう書いてるんですけど、だいたいのものを面白がりすぎて、なんの指標にもならないなぁと面白かったです。

 

 

1109(月)

 宿直日。

 ■読みもの■

  京都市消防局『火災から命を守る避難の指針 』読書メモ

 秋季全国火災予防運動の時期になったので、京都市消防局災から命を守る避難の指針』を読みました。

 それは何ですか;

 2019年の京都アニメーション放火事件を受け、京都市消防局が発表した、40ページ近い(前述事件における避難例紹介と検討をまじえた)指針です。

 読む人への注意;

 記載された京アニ放火事件のもようについての情報は、写真はなく文字情報だけですし、記載された事例も避難の成功例だけです。しかし、それだけでも、人によっては心中おだやかに読めるものではありません。

 読んでみた感想;

 よくわからないレベルで動揺してしまって、なかなか読み進められませんでした。具体的には心拍数が上がったし、涙も止められなくなってしまった。

 ぼくは戦争や事件・災害について、被害被災あるいは加害が克明に記された文献はそれなりに読んでいて(このblogで名前をあげたものだと、『ドイツを焼いた戦略爆撃』やゼーバルト『空襲と文学』、『増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊』、『カントリー・オブ・マイ・スカル 南アフリカ真実和解委員会“虹の国”の苦悩 』や『ジェノサイドの丘』あたりかな?)、このpdfに掲載された情報は(避難成功例ですし)それらと比べるとはるかにストレスの少ない情報なはずなのですが、感情があらぶってしまって……。

 

 そうして思うのは、ぼくがこれまで楽しんだり楽しめなかったりしてきたものにしても、たとえばWW2経験者の味わうWW2物とか、NYに友人知人家族のいるひとが味わう911物とか、あるいはスターリン政権下などを過ごしたひとが観るコンチャロフスキー『インナー・サークル』『シベリアーダ』などは、僕が味わったのとはぜんぜん違うものなんじゃないか……ということですね。

 あるいは、ヒトラーくらいになるともうさんざっぱら擦られ過ぎて、ドイツやユダヤの人も「やってるやってるw」くらいのノリで逆に、受け手の属性に問わない別種の意味合いを得ていたりするんだろうか……とか。

 うん、「なにをいまさら」な当たり前の話をしているんですが、案外その当たり前を、ぼくは自覚するレベルで強く感じることってなかったなぁと。

 

 たとえば「2階の窓など高所から飛び降りて避難する際は、ぶらさがって手を伸ばすなど、できるかぎり衝撃が少なくなるようにしましょう」とか、それを数字込みの図で示したりなどは、ほかの防災パンフレットでは見かけなかった気がするけれど、たんに自分の関心のフォーカスが変わっただけなんだろうか。

 

 京都の冊子らしい点としてp.31【(先人から学ぶ)京町家の火ひ袋ぶくろ,煙出けむりだし】というトリビア的小文章があったりしました。(現代の火災事例と検証実験が主だって記載したあとの、"ちなみに話")

 ドアの開け閉めが建物内の煙の充満へどのような影響を与えるかとかは、これまた案外、頭から抜けがちなことな気がします。

 酸素を火元から断つ・開けた時の注意みたいなことは、映画タイトルにもなったバックドラフトや小中学生レベルの理科の知識から頭に残りやすいですけど、「空気を断つ」に強くイメージが残りすぎると、その基準からすると逆の行動に思える「排煙窓を開ける」といった行為に至れないかもしれません。

 

 

 ■買いもの■書きもの■

  『StP』に追記/『アフター・ロンドン』邦訳とな! 

 チャイナ・ミエヴィル氏による、ピクチャレスク史を起源から現在まで総まくりしたエッセイSkewing the Picture』(ちなみにこのエッセイ名、ピクチャレスクの誤発音ピクチャースキューから来ていて、ミエヴィル氏は本来のピクチャレスクをピクチャレスク、後の・悪凝りしたポスト・ピクチャレスクをピクチャースキューとしたうえで、ウィリアム・ギルピンの発端の美術論からのちの時代の童話、建築やホラー映画やチャールズ皇太子の実験都市やらSteamゲー・庭門の蝶番を楽器にした謎コンセプトCDまで総まくりしていきます)

 そこで名前がだされていたリチャード・ジェフリーズの代表作が、ついにカスガさんの手で邦訳される(された)そうです。やった~!!

 今回は上巻とのこと。とりあえずポチり申した。

 19世紀の自然文学の作家リチャード・ジェフリーズが近年称揚されているのは、1885年に彼が描いたポスト終末作品『ロンドン以降(After London)によるものだろう。同じジェフリーズの作でも1881年の児童文学『森の魔法(Wood Magic)』は見過ごされているけれど、こちらはピクチャースキューの基礎をなすテクストだ。

 動物や自然(landscape)と親しく交わり、ウィルトシャーの農場で成長していく田舎の少年の鮮明な記述であり、下生えの藪における戦争や革命についての――野蛮についての、時空間をねじり曲げた崇高についての異常に悪意に満ちた寓話でもある。

These days, if the great 19th-century nature writer Richard Jefferies is celebrated, it is for his 1885 post-apocalyptic After London. But his neglected children’s book, Wood Magic, from 1881, is a foundational text of the pictureskew. A vivid depiction of a country boy growing up in a Wiltshire farm, communing with animals and landscape, it is also an extraordinary vicious fable of war and revolution in the undergrowth, of savagery – and of the wrenching sublime of space-time.

 カパック王率いるカササギ軍とチョーホー率いるモリバト軍二つの軍勢が出会ったとき、日食が起こる。この子ども向け寝物語のなかで、田舎の残忍と荒涼が無限に混ぜ合わさって、急に恐怖へ飛んでいく。

As the two armies of King Kapchack the Magpie and Choo Hoo the wood pigeon meet, an eclipse occurs. Bucolic brutality and the bleak infinite combine, in this child’s bedtime story, hurtling towards horror.

 辺りが影に覆われたときにはもう、前進中の軍勢は戦闘に衝撃を受けていたようで、そしてかれらは日食を見た。

 その時まで……伍や兵はおろか将さえもが、太陽が半円の闇に緩やかに飲まれていくまで気づけなかった。

 不吉な影が軍勢に降りかかり、その突然さゆえになおさらおぞましかった。大いなる恐怖が密集した軍勢を襲う。天国の偉観が個々人の良心に響いた;交戦し大殺戮となることをためらわせるほど恐ろしい啓示が。

Already the advancing hosts seemed to feel the shock of the combat, when a shadow fell upon them, and they observed the eclipse of the sun. Till that moment … neither the rank and file nor the leaders had noticed the gradual progress of the dark semicircle over the sun’s disk. The ominous shadow fell upon them, still more awful from its suddenness. A great horror seized the serried hosts. The prodigy in the heavens struck the conscience of each individual; with one consent they hesitated to engage in carnage with so terrible a sign above them.

    チャイナ・ミエヴィル著『Skewing the Picture』より

  ということで、当blogの記事にも追記。いやぁ楽しみですよ!

 

*1:カラー刊、『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラkindle版55%(位置No.912中 495)紙の印字でp.490「インタビュー/庵野秀明」第1部より。

*2:カラー刊、『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラkindle版2%(位置No.912中 11)紙の印字でp.6「G作品メモ(第2稿)」右下の説明文より。

*3:といってもウンチク本程度の理解でしかないですが……

*4:(笠間書院刊、小松英雄著『伊勢物語の表現を掘り起こす 《あづまくだり》の起承転結』kindle版8%{位置No.378中 31(紙の印字でp.12)}、イントロダクションより。)