すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2020/07/28~08/3

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 日記です。7500⇒ 8600字くらい。先週につづいて宅麺.com様で注文した麺処まるわさんの『バジルソルトつけ麺』を食べたり野次馬記事を書いたり、『ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』を読んだりした週。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

(※実際の投稿時間は8/4 0:04くらいでした)

 

0728(火)

 宿直明け日でそのまま仕事休み日。

 寝不足だったのもありますが、家だとついつい昼ご飯が多めの麺類になり(この日は冷凍パスタとモッツァレラチーズを食べました)、眠たくなります。寝て過ごしました。

 

 

0729(水)

 ■読みもの■

  アンソニー・スオフォード著『ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』読書メモ

 それは何ですか;

 90年代初頭・湾岸戦争に従軍したアンソニー・スオフォード氏がみずから記した回想録です。

 読んだ経緯;

 この本をもとにしたサム・メンデス監督の映画が好きなのと、野次馬記事を書いていて「せっかくなので、ナマの軍人の声さらに集めて紹介するか~」となったため。

 読んでみた感想;

四キロ半の重さで、最初は密閉されていたが、六週間も背嚢のなかで揺さぶられているうちに、防護服はほとんど包みからはみ出して、ダクトテープやパラシュート用リップコードと絡みあい、収拾がつかなくなっていた。防護服は本来、化学兵器の攻撃から皮膚の汚染を守るものとされている。防護服をこのくだらないフットボール試合に使えるとは、ぼくたち、なんて幸せ者なんだ。もうまったく無用の長物で、またぎ便所の溝に投げ込んで焼いてしまうか、補給日に新品と交換するしかない。

 一兵卒の計算・・背嚢-四キロ半=幸せ一兵卒。ほかに燃やすものはないかな?

 海軍衛生兵ジョン・ダンカン医師の報告によると、気温は四十五度に達した。

   アスペクト刊、アンソニー・スオフォード著『ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』p.28(太字強調は引用者による)

 読んでみると雑多な散文としての色が――というか、チャック・パラニューク的な筆致が色濃い。大量消費社会に生き、そして自分自身さえもえそうして消費される一部品でしかないような実感をかかえた人物の手記。よって『虐殺器官』と重なるところがかなりありました。

 『虐殺器官』のクラヴィスが戦場のもようをモンティ・パイソンのスケッチにたとえたように、スオフォード氏もそうなぞらえます。

 毒ガス防護服はジャングル向けの迷彩だ。ぼくたちは動く森みたいで、まるでお笑い番組モンティ・パイソン」のスキットだ

   ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』p.28~29 (太字強調は引用者による)

 『虐殺器官』のクラヴィスたちがバドワイザーとドミノピザを持ち寄り『プライベート・ライアン』のオマハビーチを何度も何度も観続けたように、スオフォード氏もまたビールと映画の一部シーンを繰り返し観ます。

 数人の仲間をダウンタウンにやって戦争映画のビデオを持てるだけ借り、ビールも山のように買ってきた。それからぼくたちは三日間、娯楽室にこもりっきりで、ビールを飲み干しくだらない映画は観つくしてから、「センパーフィ! 常に忠実に!」と海兵隊の標語を叫んだり、頭突きをくらわせあったりひっぱたきあったり、虐殺や暴力やペテン、レイプや殺しや略奪と、いろいろな情景を思い描いてはしゃぎまわった。

(略)

 有名なシーンは何度も何度も巻き戻して観た。例えば、『地獄の黙示録』のロバート・デュバルや彼のガンシップのシーン。また同じ映画で、作り物のベトナムコンゴを思い浮かべるマーチン・シーン。それから『プラトーン』では、味方に射殺され戦場に見棄てられるウィリアム・デフォーを観た。

(略)

 ベトナムを描いた映画は大部分が反戦だという話を聞く。メッセージが戦争だから、それは非人間的で冷酷無残だというのだ。闘い殺すように教えこまれたアメリカの若者は見境なく闘い殺し、無差別に撃ちまくり、国全体を冒瀆してしまうというのだ。だが実際は、ベトナム戦争映画はどれもこれも好戦的だ。どのようなメッセージを託そうとしたのかはわからないが、監督のキューブリックやコッポラやストーンが意図したものがなんであれ、それは戦争擁護の映画だ。

   ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』p.13~14(略、太字強調は引用者による)

 『ジャーヘッド』にて「ぼく」スオフォード氏の一人称語りでつづられるのは、きわめて個人的な半生です。退役後の現在と、兵士時代の過去と、さらには入隊するまえの子ども時代とが頻繁に交錯し、仲間の兵士やスオフォード氏の家族、知人や恋人のことも次々と紹介されます。(どれくらい交錯しているかというと、映画版の結末にあたる、ある人物の戦後の日々。これがスオフォード氏の自伝だと8章構成の第2章末部、300ページある本のうち100ページぎりぎり行かない段階で描かれます)

 かと思えば、教練の告知ビラ(p.70)や、ローマ数字とアルファベット表記で項目だてられ羅列されたM40A1ライフルと光学機器の手入れが長々3ページにわたって(p.144~146)がそのまま引用・挿入されたり。

 あるいは、「どんな上官でも数キロ先から、敵を射殺できる腕だけは持っているよ」とステイ小隊{=STA小隊。観測(Surveillance)及び目標(Target)要求(Acquisition)小隊}のことを聞かされて、訓練マニュアルと解説書を借りに行った(空行をはさんだ)次の行から……

 今では狙撃手(スナイパー)のこともわかっている。この用語は最初、十八世紀にインドに駐屯するイギリス軍のライフル旅団兵に使われたのだ。スナイプという鳥は命中しにくく、訓練され巧みなハンターだけが撃ち落とされたという。

 一六四〇年に望遠鏡が発明されて、正確無比な射撃が可能となった。アメリカ独立戦争で海軍は、水兵(マリーン)を「戦闘楼の射手」にあてた。

   ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』p.66

 ……スナイパーの語源にはじまって、独立戦争から、南北戦争、そしてWW1・WW2・ベトナム戦争・現在と。同時に、ライフルと同じ長さなうえに発射後の反動でよくズレ落ちた照準望遠鏡から、北軍バーダン・シャープシューターの用いた十キロ以上あったライフルやスプリングフィールドM1903、そして迷彩服・ドイツ狙撃兵の怪奇譚じみた逸話・1903Aスプリングフィールドにドイツ製照準望遠鏡ウネルトゥルや暗視装置・レミントンM700・M40A1と……戦史と兵器史とが3ページにわたって語られたりします。

{このくだりの末部は下記。

 ベトナム戦争後、海兵隊狙撃兵には新しい武器が必要なことと、偵察狙撃兵としての再訓練が必要なことが痛感された。新兵器M40A1は、バージニア、クアンティコの海兵隊狙撃訓練隊で発案され、今や世界最高の狙撃手が世界最高の武器を撃つことになったのである。一発必中、しかも千メートルの距離から。このうたい文句だけでもインパクトは大きかった。

   『ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』p.68~69

 はたして「痛感された」のはだれで(米軍?)、うたい文句にインパクトを受けているのはだれなのか(解説を読んだ「ぼく」)? どこまでが解説書の要約でどこからが「ぼく」の所感なのか曖昧な語りは、空行をはさまずそのまま「ぼく」の訓練へと話を移します。

 STA隊入門まえに見た勇ましい歴史と、STA隊にはいって実際おこなうこまごました手入れとが対照をなし、さらに後者の日々の鬱屈の爆発としてキューブリック監督『フルメタルジャケット』的なヘマをした同僚と面と向かって銃の技術特製やお馴染みのキャッチフレーズを輪唱させる威圧があるp.125(……というか、登場する順番は上のページ記載どおり、勇ましい歴史⇒『FMJ』的輪唱のの八つ当たり⇒手入れ、という流れなので、うっぷんが爆発したあとの凪としてマニュアル記述があるって具合か)……という感じで銃周りの長尺語りが3種ある。好き勝手しゃべっているようで、けっこうしっかりした構成がある気がする。

 軍隊生活がさらに進んだスオフォード氏の銃器の目線を見てみましょう。

狙撃演習部隊はM40A1用と同じ十倍スコープのユナートルをベレッタにも装着した。しかしこれが問題だ。ベレッタには、50口径弾薬の弾道に合うスコープを装着しなければならないが、十倍のユナートルはM40A1用の特注なのだ。ベレッタの最大有効射程距離は、宣伝では約千二百メートルとされているが、十倍のユナートルを使用すると、六百メートルと半減してしまう。ベレッタにはさらに、スコープ以上の重大問題がある。ぼくたちに支給されている五発の弾倉は安っぽくて貧弱だ。基準以下の合金から、奴隷並みの労働者の手で中国で生産された。民間の射撃マニアが、しゃれた射撃用のジャケットとグローブで着飾って、心地よい日差しのなかで楽しむのには、まあこれで充分だろう。だが戦闘用には不充分極まりない。銃弾は弾倉のなかでひっかかり、連続して弾をフィードできないから、精密照準のピンポイント射撃どころではない。なんとぼくたちが金やすりを使って、銃ごとに弾倉を合わせて改造しなければならないのだ。こんな、厄介で馬鹿げた話はない。

 ベレッタは一丁五千ドルはしたにちがいないし、弾倉一個にクアンティコは中国の共産主義者に五ドルは支払っただろう。もし不平を言えば、教官は黙ってろと叫んで、ライフルをもらえただけでも嬉しいと思え、お前らに武器を支給できるよう、八月初めから頑張ってきたんだ、(略)

   『ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』p.181、「砂漠とベドウィンと女と男たち」より

 遠いアジアで大量生産された粗悪な製品をつかう、おなじく使い捨て消耗品じみたぼくたち……という具合になっていきます}

 

 大学進学と入隊とを天秤にかけ後者をえらんだと云うスオフォード氏は、入隊後もカミュジフォスの神話』やクセノポンナバシス』ーチェの文庫本をたしなみ(p.65)、戦地でもセリーヌしくずしの死』(p.133)ホメロスーリアス』(p.180)を読んだりする読書家です。

 きわめつけは砂漠で塹壕を掘る一幕。

 さらさらとした砂を掘り続けるむなしさからスオフォード氏は、安部公房の女』を思い出します(p.206)……なんて、もし日本人作家が創作でえがいたなら、

アメリカの軍人が読むわけない。作者の顔が透けて見える」

 と言われそうな細部が登場します。

〔スオフォード氏は軍人だった父の関係で、おさないころ立川でしばらく生活したため、日本文化にもふれているらしい。{長々こんな記事を書いてる日本のジ・オタクなぼくよりはるかに本を読んでらっしゃる(笑) みなさんはいかがですか? ぼくは『箱男』と『第四間氷期』は一応読みましたが、『砂の女』は積んでます……}〕

 

   ▼サム・メンデス監督版(うろ覚え)とのちがい

 サム・メンデス監督版は、原作にけっこう忠実に倣いつつ取捨選択をキッチリおこない、変えるべきところは変えて一つの物語としてカッチリ整えていたんだなぁと感動しました。以下はさいきん見直してないやつが、ふんわりした記憶で比較しちゃった文章です。

{たとえばジェイク・ギレンホール氏演じる)スウォフォードが、ジェイミー・フォックス氏演じる)サイクス三等曹長からかつがれ、周囲の笑い者にされたラッパ吹き試験。これは、原作だとスオフォード氏はやるまえに取りやめにしてもらえていて、むしろ軍曹との仲を築くためのエピソードだったとか。

 派兵されてからサイクス曹長とスウォフォードがふたりで話すシーンの、「この景色……最高だろう?」とサイクス曹長がのべ、スウォフォードが微妙な表情で返答するところ。あれはたぶん映画版オリジナル展開らしいとか。

 スウォフォードの立ち位置をはっきりさせるために、サイクスの職業軍人としての顔が立てられていたんですね}

 

 原作を読んでおどろいたのが、スオフォード氏が湾岸戦争の戦地へ行くまえに、沖縄などに駐屯していたこと。また、行くさきざきで多様な人種の恋人を得ていたこと(フィリピン系や日系など)。

「そういえば削除シーンのなかに、日本女性とのエピソードがあったような……」と思いましたが、こんなあれこれ懇ろだとは。

 おそらく前者は、アメリカの駐屯地(訓練)から飛行機で外国・湾岸戦争の戦地へ……という流れで生じる、"「ついに本番が来たのか!?」という緊張+ワクワク感&そうは転がらないハシゴ外された倦怠感"をきわだたせるための整理なんでしょうし。後者は、軍属の閉塞感や駐屯地のアメリカとの遠さ・銃後との疎外感をきわだたせるための整理なのでしょう。

 映画冒頭では、「大学進学と軍隊入隊どちらにすすむか迷って、後者を選んだ」ということがジェイク・ジレンホール氏演じる主人公スウォフォードの口から叫ばれ、映画の全編をつうじて(概念としての)童貞性がクローズアップされたというか、モラトリアムとしての新兵生活がえがかれていったわけですけど。

(だから映画の結末では、アメリカ本国にもどって退役した兵士たちが、スーパーマーケットで買い物したり、妻子とたわむれたり、スーツを着てオフィスで他の社員のまえでグラフを背にプレゼンしたりなんだり、はたまたすでに大人だったサイクス曹長がつぎの戦地でおなじように戦ったり……青春の終わりというべき姿が点描される)

 原作は原作で、映画とはまた別ベクトルに軍隊生活の難しさが――虚無感がえがかれていて。また、かれにとっての虚無の場(つっても沖縄でも立川でもないですが……)で生活する現地土人だからこそ味わえる心地もあって、面白かったです。

 スオフォード氏らの沖縄での生活は、「たまに話題になる駐屯地の外国人兵士と現地人のトラブルはこのような形で生まれるのか……」と興味ぶかかったですし、小学校のころ週1~隔週で駐屯地に出入りしていた人間として、妙な心地になりました。

{ぼくは小学生のころ、駐屯地で生活する軍人さんの家族による英会話教室にちょっと通ってみたり、その子の誕生日パーティに呼ばれ、カラフルなケーキの原色っぷり巨大っぷりに文字通りカルチャーショックをうけたりしたことがあるのです。英会話教室はなんも身につかなかったし、授業の時間も早々に切り上げてしまって、二階の子ども部屋で同年代の子たちとナンモワカランむこうのゲームをプレイしたり、日本語のポケモンカードを英語のポケモンカードと交換したりしたのだけ覚えてます}

 

 映画版で印象的だった、360度爆発があり銃弾が人が飛び交う戦場についに立ち会った瞬間のカタルシスとしての小便漏らし。

ぼくはガスマスクの下でむせび泣く。恐怖からではない。もっと近くで、ぼくの頭上に着弾しないかと怖いのは当然だが、ぼくが泣くのはそれだけではない。とうとう戦争に突入したからだ。ぼくのコンバットアクション、僕の戦争行動が始まったからだ。

 ぼくはパンツを濡らした。

   ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』p.218

 原作のスオフォード氏は(映画のスウォフォードが空で・直立で迎えたのにたいし)塹壕の閉所で身をまるめていたところでそのスタートを切りますし(「ぼくたちは壕を深く掘り進み、敵に攻撃される可能性は非常に少なく、ほとんど不可能に思えたから、防空ジャケットやヘルメット、武器、ガスマスクは数メートル後ろに、きれいに畳んで積んでおいた」p.218「それからぼくは、装具のほうへと這っていく。壊れないようにそっと装具をジョニーに投げてやると、また掘りかけた穴へと腹ばいのまま引き返し、ふたりはガスマスクを装着した」p.218

 そもそも垂れションは――本音かギャグかいまいちわからないんですが――原作のスオフォード氏にとってみれば、冒頭の先輩軍曹による新兵への近接罵倒からこのかた何度も何度も致している日常でしかないみたいなんですね。

 スオフォード氏は次の戦闘でも当然のようにおもらしをします。

 その瞬間に忘れてしまった。完全に忘れてしまった。ロケットを避けるにはどうすればいいのか、教えられたことは忘れてしまい、覚えているのは、ロケットという単語だけになってしまった。ぼくは立ちすくみ、パンツの中に小便をする。

   ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』p.227

 この局面では、戦地の気候も加味した生理描写・物理現象・軍隊行動への損耗としての垂れ小便が詳述されていき、読みごたえがあります。

どくどくと小便はあふれ、軍靴の中にまで滴り落ちる。まじりっけなしの小便だから、水和して塩の結晶を作る。下着だけでなく、あらゆるところ小便だ。両方のふともも、両膝、両くるぶしを流れ落ちる。足先まで小便に濡れてふやける。腐ったちんぽときんたまが縮こまらないように、こすって温めてやらなければいけない。まじりっけなしの小便だから、下着を脱がないと温められない。ワセリンを塗って役に立つのは、せいぜい十キロ歩く間だけだ。安全地帯からたった十キロ離れただけでは、どんな戦争も戦闘も起きるんだ。十キロ地点で下着を脱がないと、きんたまは血だらけになる。

   ジャーヘッド アメリ海兵隊員の告白』p.227

 映画版にあったような、鬱屈の果てに見えた期待・緊張・興奮と、そこからの肩透かしな落胆をあじわいにあじわう、はげしいテンションの上がり下がり。原作にはあのテンションはなくて……ことさら煽るような部分のない、軍隊生活(駐屯地生活)が漠然とどこまでもつづいていて、なかなかツラいものがありました。

(すらすら読めるくらい、内容自体は楽しいものですが)

 

 

0730(木)

 仕事休み。

 ■食べもの■

  宅麺.com麺処まるわ『バジルつけ麺』食べる(+モッツァレラチーズひとくち球サイズ○)

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 宅麺.com様からお届けいただいた麺処まるわさんの『バジルソルトつけ麺』をゆでて食べました。これが4食目です。

 前回モッツァレラチーズとの相性がとてもよかったので、今回もモッツァレました。スープがあふれ出そうだったので、今回はコロコロひとくちサイズのタイプ。量はかわらないのでまたあふれそうになりました。

 これまたおいしい!

 ◎でもよいくらいですが、つゆをすくえる量的に、塊のモッツァレラをそれなりの大きさで平たく切って乗せた前回のほうがよかったかもしれません。

 

 

0731(金)

 ■書きもの■

  自分の読みの正否/話の面白さを判断できないので、自分によらない外部に頼ってしまう

 野次馬記事は文章がだいぶ長くなってきて、保存するのに時間がかかるようになってきました。

 せっかくなので(というか前回の反省もふまえ)自分の感想もまとめてるのですが、いろいろためこんでいるしいまだに咀嚼しきれていない、思い入れぶかい作品について話すのは一筋縄ではいきませんね。

 

 作品読解~みたいな部分の正否はどうあれ、それとなしに資料性がでてきた気がするので、悪くない気がします。

 ……というような自己評価もそうなんですけど、頭がわるく視野のせまい人間のいけないところで、じぶんの話が面白いかどうか分からないんですよね。

 なので、じぶんの読みや話術によらない外部の付加価値で判断するしかないみたいなところがあり、なにかを書くとき、どうしても、

「資料的価値がある情報を提示しよう」

「面白い(/興味深いもの)ものの面白い部分を紹介しよう」

 ……といったところに重心を置いてしまいますね

(ほんとうは、「じぶんのはなし(感想)自体が面白い」がベストなんですけど)

 

 

0801(土)

 ■金もうけのこと■

  vtuberの誕生日やお祝い日を給料日に設定したら収入に差は出るだろうか?

 vtuberさんの誕生日の分布を調べたまとめ動画が上がってました。

 そこでなんとなく思ったのが、vtuberさんの誕生日やお祝いごとの配信日を世間の給料日にした場合とそうでないとき、収入差(スーパーチャットの額)が生まれたりするのかなぁということです。生まれそうな気がしますが、実際のところどうなんだろう?

 

 ■食べもの■

  宅麺.com麺処まるわ『バジルつけ麺』食べる

 宅麺.com様からお届けいただいた麺処まるわさんの『バジルソルトつけ麺』をゆでて食べました。これが5食目です。

 ひさびさのトッピングなし。これでも十二分に美味っしいんですよね……。

 

 

0802(日)

 ■ネット徘徊■

  伊藤計劃氏のAmaカスレビューが『BHD』以外消えてる (8/5)早合点でした

 タイトル通りの現状です。トリアー監督『ヨーロッパ』評など、いくつかのレビューは文字化けしていたから消されて当然なんですが、そうじゃないものもあった気がするんですよね。Amazonさんの削除基準がわからない……。

 (8/5)勘違いっぽい? 追って連絡します~。

 (8/5)親切なかたが教えてくれたのですが(ありがとうございます!)、伊藤氏のAmazonアカウントは複数あって、上で言ったトリアー監督『ヨーロッパ』レビューなどは、もう一つのアカウントのほうでなされたものでした。そして、そのアカウントもそこで投稿された評も現在もきちんと残っているとのことでした。たしかにちゃんと見れますね!

 ぼくの早合点でAmazonさん濡れ衣かぶせてしまってすみませんでした。

 

 

  宅麺.com麺処まるわ『バジルつけ麺』食べる(+おかずトマじゃがブロッコリーのグラタン風炒め○)

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 宅麺.com様からお届けいただいた麺処まるわさんの『バジルソルトつけ麺』をゆでて食べました。これが6食目です。

 昨晩のごはんのおかずと一緒に食べました。たまねぎとジャガイモ、トマトとベーコン、ブロッコリーなどを炒め、上にとろけるチーズをかけて焼くみたいなやつです。

 これもやっぱり相性よいですねぇ!

 

 

0803(月)

 ■書きもの■

  夏休みの宿題なみに計画性がない。

 野次馬記事は文字数は着々とふえてますが、本題だったはずの第一部・ひとさまの論考紹介はまだ完成してません……。

 ストレッチゴール式に書き進めればよかったんですけど、好きなところを気力があるときに書き進める方式をとっているので、「個人的〆切をむかえた。これ以上は時期を逸してしまうから、しょうがないけど本題だけ投稿して、ほかはまた今度にしよう」みたいなことができない。