暑くなってきたなと思ったらまだまだ雨がつづきますね、お部屋の湿気取りみなさんどうなさってますか? 日記です。12000字くらい。
宅麺.comで頼んだ麺処まるわ『バジルソルトつけ麺』食べたり、『BHD下巻』『SAS戦闘員』再読、T・ブラウンJr著『ハンテッド』(ぴんとこず)読んだ週。
※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※
0721(火)
宿直日。
0722(水)
宿直明け日。
■読みもの■
マーク・ボウデン著『ブラックホーク・ダウン(下)』再読メモ
それは何ですか;
リドリー・スコット監督の映画『ブラックホーク・ダウン』の原作として知られる、マーク・ボウデン氏による戦記です(旧題『強襲部隊』)。
再読した感想;
下巻では、上巻の時点でひどいことになっていた部隊がさらにひどいことになるのですが、そのなかでリーダーシップを発揮し防御円陣づくりをテキパキする人が現れたり、ガン待ちキャンパーする部隊が現れたり、混乱に(ある意味)秩序がもたらされもします。
読み返して興味ぶかかったのは、シモの事情です。
戦闘・戦場を時空間としてとらえた場合、これは無視できない要素だなぁとおもいました。
『BHD』が文庫本2巻かけて説明するモガディシュの戦いは、もともと速攻で終わるつもりだった作戦でした。
なので、「水をあまり持ってきていなかった」という人も多々いるし(これは戦闘長期化による民間住宅接収時に、家庭の水道を勝手に飲みまくったり。あるいは、空中投下された点滴袋を飲料として転用したり……という事態を招くこととなります)。
ある兵士は基地出発まえに多少感じていた(が「だいじょうぶだろう」とスルーした)尿意を、戦闘の長期化によって我慢できなくなったりします(あのときトイレに行っておけば……みたいな、遠足の小学生みたいな後悔がおこる)。
また、モガディシュの戦闘をきびしくしていた一因は、長期駐屯による(もともとの規定を無視した)現場の"着回し"にもあったのですが{暗視ゴーグルは重いから外すとか(けっきょく夜戦に突入したので裏目った)。軽装にするとか}、そのうちの一つとして、ソマリアがあまりに暑いので兵士たちがズボンのしたに何も穿かなくなった……というものがありました。
何が問題なの? めっちゃ問題です。
兵士が交戦によってさまざまな損傷を負うさい、ぼくの頭から抜け落ちるのは、肉体が傷つくということは、そのうえを覆っていた装備・衣類もおなじように破損しているということです。
とある兵士は交戦地から走って退くさい、やぶれたスボンがスカートのようになってはためくのをわずらわしく思いますし、ある兵士はパンツはいてないためにやぶけたズボンの隙間から局部が丸出しになっていることに羞恥をおぼえます。ある兵士は敵対勢力につかまったさい危険物排除のための身体検査で(べつにそうするつもりないのに)局部をさらすことになりますし、ある兵士の死体は市中をひきずりまわされた結果としてズボンがずれる=局部をさらすことになります。
一般に短期決戦とみられるものでも、ひとの生活習慣というものはこうもにじみ出てしまうものなんだなぁ。
『ザ・パシフィック』を観てぼくは、"軍事生活"としての戦争に「うおぉ……」となってきたわけですが……
〔激戦と緊張によって、夜尿症となってしまう兵士だとか{その原作となった伝記の、WW2当時の(一部の?)アメリカでは(医師にユダヤ系が多かったため?)出兵まえに「不衛生だから」と包茎手術をおこなう慣習があったために、「戦地にいくまえから負傷兵だった」と自嘲する姿だとか}。
あまりに血を見すぎたせいで、ヒマつぶしがエグい死体侮辱――エクストリーム池に石投げ。やることなさすぎてヒマを持て余してる、無表情っぷりがすばらしい――になってしまった兵士だとか〕
……かつて摂取したもののなかにも――当時のぼくがぴんとこなかっただけで――同様に「うおぉ……」となる要素はガッツリあったのだなぁ、と。
じぶんの節穴ぶりに「うおぉ……」とせつなくなってしまいました。
▼余談▼被弾=損傷や、被弾=衣服損壊はそれぞれ結べるが、被弾=損傷=衣服損壊はピンとこない不思議
上の読書メモの感覚、掘るとなんかけっこうおもしろい気がします。
被弾=損傷はむすべるし、被弾=衣服損壊というのも考えてみるとオタク文化のなかではわりあい普通の等号じゃないでしょうか(『艦これ』とか)。
でも、被弾=損傷=衣服損壊の3者を等号で同時におもいうかべるのは、ぼくにとってはむずかしい。
「美少女戦争モノは戦争美化でウンタラカンタラ」というお話って、耳タコなくらい聞こえるトピックですけど。でも、いわゆる現実の戦争{や実写の(?)戦争映画}と、美少女戦争モノって、言うほどおなじ箱に入っているモノなんでしょうか?
■そこつもの■
本棚がカビてた。
ホームセンターで購入した組み立て式本棚で、15年くらいつかっているモノがカビてました。置き場に困って廊下(室内物干し場)の横/スライド窓のまえに置いていて、いちどカビたのですが、2度あることは3度あるとえらいひとは言ってましたし、これは今後つかいどころ困るなぁ……。
0723(木)
4連休です。宿直もなし! うれしい!
■食べもの■
宅麺.com麺処まるわ『バジルつけ麺』食べる。おいしい!
宅麺.com様からお届けいただいた麺処まるわさんの『バジルソルトつけ麺』をゆでて食べました。
おいしかったです!
塩ラーメンベースのバジルソルトなスープ(底には野菜やお肉が沈んでいます)に、バター、ガーリックがそれぞれ別袋で添付されています。(商品の写真を見るに、バターはつゆに、ガーリックは麺に混ぜるらしい)
最初はスープ+麺で食べました。これだけで十分おいしい。
味にあるていど慣れてきたところでバターを投入、投入直後の一口目でまろみと深みのくわわった味を新鮮に楽しみ、だんだんと溶けてまろまろしていく変化をさらに味わっていきます。
麺をある程度のこしたところで追加したバター分が終了、ここからバジルソルトスープのソリッドさが食べ始め同様に、いや、バターの緩をはさんだことでより一層トガって感じられる最終決戦に突入します。
バジルや別袋で添付してもらったガーリック(?)は、たぶん冷凍保存をへたためか風味が薄い気がします。濃い味がすきなひとはご自身で更にトッピングしてもよろしいかもしれません。
(逆に「バジルやガーリックきついのはあんまり~」ってひとにとっては、食べやすいかも)
0724(金)
4連休です②。宿直もなし! うれしい!
■食べもの■
宅麺.com麺処まるわ『バジルつけ麺』食べる。(+とろけるチーズ▲)
昨日もたべた美味『バジルソルトつけ麺』2食目。おすすめトッピングに「チーズ」とあったので、とろけるチーズを入れてみました。これはチーズ臭がつよいかも。昨日の感じではイケるかと思ったんですが、チーズのつよさをわかっていませんでした……。
■読みもの■
アンディ・マクナブ著『SAS戦闘員』再読メモ
それは何ですか;
自伝『ブラボー・ツー・ゼロ』で知られるアンディ・マクナブ氏の第二作。少年期(ちょびっと)から入隊・SAS編入(ここまでサックリ)、湾岸戦争直前までの仕事ぶりをふりかえります。
再読した感想;
『ブラボー・ツー・ゼロ』同様、筆致が具体的ですばらしい。
自然を相手に行軍するという点において、移動することの困難さ①はもちろんのこと、暑さにたいしての反応②aと対応②bだったり、休憩時にもからむ大変さ③aとその対応③bだったり、さまざまな点が描かれていてとても良い。
{②aジャングルは林冠がむしろ熱をにがさず温室じみてキツいとか。
②bランボー鉢巻きは、頭由来の汗(フェイスペイントまじり)が目に入って痛むのを防止するから有効とか。
②b行軍時は2着持ち運んで1着は絶対にぬらさないようにして、汗でべちゃべちゃになったら着替えて脱いだほうを乾かしと交互に着るとか。
③a虫やヒル、毒蛇がたかるので、③bそれを予防するための寝床=ハンモック=をつくるとか。③b毒蛇はどうしようもない/から噛まれるまえに察知できるように座学をしておこう……とか。③bもちろん360度ジャングルなのだからダニだかヒルだかが背中につく可能性だってあるため、仲間と見せ合う・取り合う……とかは、阿部謹也著『中世の星の下で』で紹介された蚤を潰しあう夫婦を思わせる、関係性オタクとしてはたまらない細部だと思いました。)}
トム・ブラウン・ジュニア著『ハンテッド』(詳しくは後日の読書メモ参照)よりも、今著『SAS戦闘員』のほうがディテールが面白かったりして。
伊藤計劃著『フォックスの葬送』(とそこからセルフ引用した『虐殺器官』)の密林行脚のディテールを、比較的『SAS戦闘員』成分おおめに参照していたのはこういうわけだったのかなぁ……なんて思いました。
{①『虐殺器官』における、
低木やシダやツタが生い茂るジャングルにおいて、それらに阻まれながら移動するコストはとてつもないもので、そうなるとジャングルを進む者は、獣道や、あるいは人間が利用したりする開けた場所を使いやすくなる。それが「はっきり見える」ルートというやつで、特殊訓練を受けていない者たちは、楽であるという理由でついついそこを使ってしまう。
ただ、そうした場所はあまりに限られているがゆえに、待ち伏せに絶好だったりするわけで、そうなるとほんとうに移動すべきは、必然的に厳しく苦痛に満ちたルートとなる。シダが生い茂る森を行き、橋なき河を渡り、崖っぷちを進むのだ。楽な場所を通るな。このメソッドは、SASが五〇年代にマラヤのジャングルで味わった数多くの苦難から生み出されたものだ。
に顕著な一連のシーンは、『フォックスの葬送』からのセルフ引用ですが、さらにさかのぼると、劇中でもSASの名がある通り、アンディ・マクナブ『SAS戦闘員』を参照したものだということがわかります。
ジャングルは、移動に制約があった。密生した植物、小さく深い峡谷、急傾斜の山と渓谷、流れの速い大きな川が障害となり、クロスカントリーの移動がきわめて困難だった。しかし、それをやらないわけにはいかない。高い場所や小径は、トム、ディック、ハリー、だれでも通るから、待ち伏せを置く格好の場所になる。
現地で生まれ育った人間は、ジャングルのどこにいても本能的に道がわかるという思い込みがある。だが、じっさいには一〇人のうち九人までが、よそものとおなじように地図なしでは役立たずで、高いところや踏み分け道や川から進むことはできない。わたしの経験では、中東、極東、アジア、アフリカ――どこでも地元の人間はもっともわかりやすい道を知っている。それはたいがい、獣のあとを追って見つけたものだ。獣は通りやすい道を選ぶ傾向が強い。
『SAS戦闘員』p.352、「24」
『虐殺器官』の当該シーンというのは、ここまで日常業務が未来のハイテクノロジーなどでだいぶお膳立てされているがために、いまいち生の実感にとぼしかった至近未来兵士である主人公が、劇中事件にかかわっていくにつれじぶんの所属する共同体への違和感をつよくしていき、ついに、いつもの降下とは異なるプロトコルで=「自分判断で」動いているシーンですね。
そうした場面に、こうした具体描写をガッツリ盛り込んで、ある種の手ごたえのようにしているところが『虐殺器官』の独自性だとおもいます。
第1部のイスラムの幾何学的な装飾、アメリカの病院に顕著な拡張現実がいろどる床、第3部(だっけ?)の軟禁先のチェス模様のタイルパタン、第4部終盤の漠然とした"""""自然"""""に文字どおり投げ出されて、怪奇じみた戦場におじけづいてしまったのをへて、第5部で主人公は、雑然と見えるジャングルに理を見出していく=チェスプロブレムじみた選択をしていく。
こうした行軍における手ごたえ/選択が、主人公が個人的に執着している某人と前段第2~3部で議論をかわした"自然と自由意志"のお話を直接的に連想させもして(『SAS戦闘員』にも『フォックスの葬送』にもない点)……と、連関をきずきあげていきます}
先日ならべた聖書のくだりに代表的なように、マクナブ氏の語りやSAS戦闘員たちのやり取りにはウィットがあって――いやガイ・リッチー作品やデイヴ・コートニー氏の自伝『悪党!(ワル)―“ロンドンの歌舞伎町”のボスがぶちまけた「超過激人生」』ほどではないわけですけど、おなじ路線にありそうな――、さらには消費社会にいきるひと的な語彙・比喩(着ぶくれした兵士をミシュランマンにたとえたり。)も出てきて、それでいてお堅い本だって読んだりも、派遣先の現地風俗も興味ぶかく眺めたりもだってしていて。
伊藤計劃氏が『虐殺器官』において、(至近未来の)軍人の主観で「パラニュークのような消費社会における成熟の不可能性をテーマに」(『小説現代07年10月号』伊藤氏へのインタビューより)えがけると判断したのは、きっと、(サム・メンデス監督『ジャーヘッド』や原作『ブラックホーク・ダウン』で執筆者のボウデン氏が、モガディシュに参加した当時の現代の軍人の証言にみられる特異性としてふれたことに加え)多分こうしたところに萌芽を見たからなんじゃないかなぁと思います。
{(先日の繰り返しになりますが)ツイート検索をかけると7人くらいのひとが話題にしているのがわかるセックス、暴力、陰謀なんでもあれの本についても……
いつかウィリアムズが、面白い小説はないか、と訊いたことがあった。手持ちの小説は全部読んじまった、と。どういうのがお好みですか、とアレックスが訊きかえすと、そうだな、エンターテインメントがいい、とウィリアムズは答えた。セックス、ドラッグ、バイオレンスだ。するとアレックスは笑って聖書を差し出したのだった。
ある日、ベッドに寝そべって尻を掻きながら紅茶を飲んでいると、フランクがはいってきた。「退屈だろう?」
「ああ、なんにもしないで、ただぶらぶらしてるだけだ」
「本が欲しくないか?」
「ああ、どんなのがある?」
「セックス、暴力、陰謀、なんでもござれというやつがある」
「そうか。読んでみよう」
そこでフランクは、自分の部屋へ行き、その本を取ってきて、私のベッドにほうった。それは聖書だった。
アンディ・マクナブ『SAS戦闘員』p.182「15」より
……もとは3要素のうち「陰謀」だったところを、『虐殺器官』では「ドラッグ」に改め。聖書読者がおしつける形ではなく、ひまを持て余した非聖書読者が訊ねたリプライへと変えているなど、劇中設定に合わせた脚色があります}
0725(土)
4連休です③。宿直もなし! うれしい!
■食べもの■
宅麺.com麺処まるわ『バジルつけ麺』食べる。(+モッツァレラチーズ◎)
昨日もおとといもたべた『バジルソルトつけ麺』3食目。
おすすめトッピング「チーズ」は、とろけるチーズはちょっと「コレジャナイ」感があったので、モッツァレラチーズを入れてみました。これは十二分にいけますねぇ!
モッツァレラチーズが、スープを味わうための具材になってくれてナカナカですよこれは!
■インターネット徘徊■
インターネットアーカイブから消えることもあるんだなぁ
書きものはだいぶ進んだのですが、インターネットアーカイブで見られるからと言って保存はおこたってはいけないなぁとなりました。
伊藤計劃氏の卒業制作アニメ『Spooktale』について、「原風景を喪失したところから始まる探究の物語」であること、「1シーンごとに支配色を決めて演出している」「皇居が出てくる」作品であること、もしかしたら劇中カットかもしれない夕焼けの荒野の画像、はアーカイブから分かっていたんですけど、真ん中2つについてのログを久々に確認しようと訪れたらオレンジになってました。404エラーということなんですが、これはどうなんでしょう……? もう拝めないのかな。
■書きもの■
目録づくりが終わった/本棚書影調べが袋小路にきた。
ひとさまの文筆のまとめは、30本くらいが終わって、あとは飲み込む/要約するのが難しい・長く重たい論考パートにきた(おそくなってきた)ので、また、「それだけではなんだし。せっかくなんで」と作っていた伊藤氏の旧サイト・BBS・旧サイト~はてなダイアリー(現blog)の読書面での目録づくりをすすめました。
後者は大体おわりました~。イェイイェイ!
まー読書目録は交通量調査でカチカチっとするみたいなものですけど、初代ポケモン以上の数があったので達成感があります。
(抜けはチラホラあると思うけど。おわったと一息ついたら、MGS2パンフの参考文献反映してないことや、BBSの『妻の帝国』感想をひろってないことに気づいたし)
また本棚の書影しらべは自分では限界がきました。これはとりあえずさきにアップしちゃおう。
小山由美氏『【伊藤計劃ライフヒストリー】(第3回)』(「ちいき新聞」佐倉西版・八千代台版・東葉版、2015年11月13日号』)の『SF Prologue Wave』掲載版から判別できるもの。
最上段
?ニール・スティーヴンスン『クリプトノミコン』?(画面右から2冊目)
ストルガツキイ兄弟『ストーカー』(5冊目)
神林長平『言葉使い師』(6冊目)
スティーヴン・ハンター『真夜中のデッド・リミット』(7冊目)
K.W. ジーター『ドクター・アダー』(8冊目)
2段目
?角川文庫のなにか?
『エロイカより愛をこめて1巻』
?クレイグ・トーマス『ファイアフォックスダウン』?
P・K・ディック『まだ人間じゃない』
P・K・ディック『ゴールデンマン』
?クレイグ・トーマス『ファイアフォックス』?
?黄色い本?
マールカラー文庫『民族衣装』
ヴァルター・ベンヤミン『図説 写真小史』
フレデリック・ポール『マン・プラス』
●3冊判別不明●
『動物のお医者さん』
?『紊乱のロシア』?
●5冊判別不明●
?アンディ・マクナブ『SAS戦闘員』(巻数不明)?
?ハヤカワのなにか?
ハヤカワ青背・複数巻モノ?『80年代SF傑作選』?
ハヤカワ青背オレンジオビ
2段目中央棚
?スタニスワフ・レム『高い城・文学エッセイ』(画面右から3冊目)
?人狼スクリーンボードブック(『人狼 JIN-ROH DTS EDITION』特典)?
●3冊判別不明●
『現代の作家ガイド ウィリアム・ギブスン』
J・G・バラード『コカインナイト』
●判別不明●
?UNIXのなにか?
3段目
ルーシャス・シェパード『戦時生活』(大森氏からの頂き物)
3段目中央棚
ニコラス・ホッブス『あなたの知らない戦争のひみつ150』
●2冊判別不明●
?『SFマガジン4月号』?年数不明
ローレンス・レッシグ『CODE』(いちばん画面左の本)
4段目
本棚手前の山
●4冊判別不明●
?ハヤカワの何か?
本棚手前の山(2山目)
●6冊判別不明●
?くそブ厚い本?
?『未来兵器―スタンド・オフ爆弾からロボット兵器まで近未来の兵器と戦場を図説する (世界の傑作機別冊―Graphic action series)』?
4段目中央の棚
?白地に紫色の球体と動物がかかれた本?
本棚手前の山(3山目)
『モンティ・パイソン大全』
0726(日)
4連休です④。えっもう終わりなの……。
生活サイクルが乱れてきたし、たびかさなる連投に健康が不安になったので、4昼連続バジルソルトつけ麺は避けました……。あと、モッツァレラチーズも切らしていたというのもあります。
■読みもの■
トム・ブラウン・ジュニア著『ハンテッド 足跡鑑定のプロフェッショナル トム・ブラウンの事件ファイル』読書メモ
それは何ですか;W・フリードキン監督『ハンテッド』の技術アドバイザーで、FBIなどにも指導をしている"トラッカー"のトム・ブラウンJr氏の本です。
読む人への注意;具体性はそこまででもないです。この本を読んだり、この本片手に野山に入ったからといって「これがこうだからああだな!」みたいな追跡術は行えません。
読んでみた感想;
ブラウンJr氏らが解いた5つの事件が収録されています。
第1章は映画『ハンテッド』の原作的エピソードで、「私の訓練が生んでしまったフランケンシュタイン」という小題からもわかるとおり、軍人にたいしトラッキングの技術を教えていたブラウンJr氏は、その年代のボス的ポジションのネイルという若者の自尊心を初回で折って真面目に授業にのぞませたところ、そのときは問題なかったが復讐心をくすぶらせてしまったようで、歳月が過ぎ、ネイルは軍人を辞めて傭兵となり、それさえ病めて、とある一家を惨殺してしまう。現場に残したメッセージから、官憲がブラウンJrを召還する……というお話。
ネイルから時折とどいた手紙が徐々に変貌するさま。ブラウンJr氏とネイルの追跡逃走劇が、ある種の他者理解の道程となるさま。ネイルがブラウンJr氏を誘い入れる根城としてえらんだ、廃工場じみた、自然と人工の中間のような舞台。追跡逃走劇が純化していき、両者にある種の仲間意識が芽生えていくも、官憲がノイズとして入り込むさま……など、とにもかくにも『ハンテッド』なのでした。
第2章は、トラッカーがどんなところをアウェアネスしているか概観。
ハイウェイで車を走らせていたブラウンJr氏がタイヤ痕の異変に気づき……というお話や、死体埋葬現場捜し、映画『ハンテッド』や同スタッフの『ハムナプトラ2』のブラウンJr流鑑賞法から法医学写真の読み取りについて。落ち葉や枝などの落とし物を掘って足跡をみつけるピック・トラッキングのお話。
第3章は、クーガー・キャニオンで行方不明になったジェリー少年の捜索について。
トラッカー・スクールのディレクターであるケビン・リーヴ氏、トラッカー・スクール社長で捜索救助チーム創設者のデビー・ブラウン氏、トム・ブラウンJr氏のトラッカー3者のレポートから成る。
第4章は、脱走したベンガル・トラの捜索について。章題どおりトラは死んでしまうのですが、なぜ脱走したのか原因をバック・トラッキング(来た道に沿って足跡をたどること)p.224によってたしかめる後半が面白いです。
第5章は、ある雪の町で行方不明になった少年の捜索について。少年は糖尿病をわずらっていて、インシュリンをうつ時間がせまっている……というお話。長時間におよぶトラッキングで疲弊し、少年の母からもらった懐中電灯はあまり使わずのトラッキング(電池節約のため)だったが、それでも懐中電灯は切れ……。
「予備の電池くらいは持っていこうよ! というか、そういう装備はないの!?」という疑問が先に立ってしまいました。(盆山登山する小学生親子だってヘッドライト絶対もってきますからね)
ほかのトラッキングでは、複数のライトを用意しさまざま照らすことで足跡を際立たせる……みたいなお話もあったんで、無いわけでは無いと思うんですけど。ただ、このエピソードはブラウンJr氏の若年期のおはなしなので、その辺のノウハウがまだ育まれてなかったのかもしれません。
自然を相手にすすむという点において、アンディ・マクナブ著『SAS戦闘員』だとかのほうがディテールが具体的で面白かったりして、伊藤計劃氏の『フォックスの葬送』(とそこからセルフ引用した『虐殺器官』)の密林行脚のディテールを、『ハンテッド』よりも多く『SAS戦闘員』を参照していたのはこういうわけだったのかなぁと思いました。
(『虐殺器官』の『SAS戦闘員』参照箇所は上の『SAS戦闘員』再読メモをご覧ください )
「ブラウンJr氏の過去作『トラッカー』は違ったりするのかなぁ? でもとんでもなく高額なんだよなぁ……」と悩み中。
〔読者であるぼくがもっともらしく感じる描写と、ブラウンJr氏が描くこととにギャップがだいぶあって、にわかに信じがたいのでした。
たとえば外川英樹監修『アニマルトラッキング入門』では、たとえば足跡ひとつとっても、指行性{4本指先}・蹠行性{5本指先}・蹄行性などと歩き方を3種に大別してp.30~、それぞれどんな動物が属していてそれらはふるまいとしてどういった傾向にあるのか{4本指なら走りが達者な傾向、5本指なら巧緻性が……みたいな}を教示します。
フンだって、棒状・塊状・俵フン・丸フンなどなどと大別して教示していくp.40~わけです。{季節による食のちがいからフンが変化することもフォローしたりもしてくれる}
フィールドサインもまた、たとえば一言「木に刻まれた獣の傷痕」と言っても、クマなどの爪研ぎ痕だったり・イノシシなどがノミ取り・体温調節におこなうヌタ打ち痕だったり……とさまざまあることを記してくれますp.50。
そういったものを期待すると、ブラウンJr著『ハンテッド』は、アウェアネスやらヴィジョンやら看板はすごいモノが出てくるんだけど、実際的な仕事ぶりとして書いてあることは「異物が野に踏み入れる→鳥が飛んで去る→シカが走って逃げる{~みたいな自然の波紋(concentric circles)ができるからそれを頼りにトラックするのだ!}」といった具合の描写にとどまるので、オッとなるところが少ない。
フリードキン監督の映画版『ハンテッド』を観たほうが得られるものが多い。
教習初日に20人くらいの軍人とブラウンJr氏がかくれんぼをして完勝したお話なども、「こうやってインストラクトなさってるからには本当なんだろうけど、文字媒体だとなかなか信じられないなぁ」となります。{いくら「死角を突く」って言ったって、3人くらいで背をつけ寄り集まって行動したりでもされたら、さすがに誰か気づくのでは……そういうチームプレイするひとはいなかったのか? 初講習だから仕方なくはあるけれど、う~ん……みたいな}〕
▼(ワナビ話)外挿的想像力は、いま・ここの実在物について考えるさいだって必要なのかも
兵士+メカ! とか、兵士+バイオテク! とかって今まさに研究中の分野についてあつかった本を取ってみて、「現実はナカナカきびしいですね……」とションボリすることって多々ありますよね。
だからこそ、フィクションの世界の、現実ではまだ組み合わせられることのないそれぞれの極点を掛け合わせてしまう想像力ゆたかなケミストリーが面白かったりするわけですが{たとえば、現実のDARPAの研究であるパーシステンス・イン・コンバット(03年『WIRED』報道)を最新科学で補強したバージョンでもって、あるいはオキシトシン点鼻(05年6月『WIRED』報道)が(その後の追試ではそうでもないと分かったらしいけど、効果があるものとして)実用化された(/軍事面において)ものとして取り扱い、そうした社会で生きるひとの心性やそこだからこそ起こる問題を想像し描いた『虐殺器官』(06年投稿/07年商業出版)だとか。(※いくつかの識者の意見で、『操作される脳』を種本に挙げる声をみかけたんですけど、08年9月に邦訳出版されたものが『虐殺器官』に反映されたとするのは無理筋だと思いました。伊藤計劃タイムトラベラー説)}。
でも、それってすでに実戦投入されている(だろう)技術にかんしても、けっこう当てはまることなのかもしれません。
書き手の筆力・趣味や実益(漏洩してしまっては困る機密であるとか。前著で詳述したから今回ははぶきますとか)いかんで「ナカナカきびしい」程度にぼんやりとしか描けない……なんてことはありそうです。
それぞれの分野の知見をかけあわせる想像/創造、ある種の外挿的思考は、未来についてのことだけでなくどんなことを描くにあたっても必要そうな切り口だなぁと思いました(ワナビ並みの感想)
▼実地的な技術説明のかわりに『ハンテッド』はなにを描いたか
他著のタイトルから薄々さっせられることでしたが、ブラウンJr氏のトラッキングは、技術である以上に、アメリカ先住民の"グランドファーザー"から授かった生きざまであって、けっこうにスピリチュアルな要素が大きい。
映画『ハンテッド』はその辺をうまく脱臭化して――それはそれとして、起源の、というか紀元前の、原初のむきだしの暴力の再現……みたいな叙事詩的な様相ではありましたが。いっぽうで達人同士だからこそたどり着いてしまった、という感の。ゾーンと評するかたもいるような――旨味だけを残していたんですねぇ。興味深かったです。
(そして、それはもしかするとさらに、伊藤氏の『フォックスの葬送』――ジャングル行脚が、主人公が敵の罠だと気づいた瞬間に、待ち伏せている敵とコミュニケーションがとれるようになる、ある種の相互理解の過程となっている――における、技術をきわめた兵士同士の超感覚へと変じていったのかも
スピリチュアル成分が増し増しの一方で、追跡逃走劇の推移は毎度毎度、地に足のついたビターなものとなることが多い。映画『ハンテッド』が余人のたどり着くことできない、2人だけの境地へとつきぬけてしまったのとは、まったく対照的な顛末です。
スピリチュアルな感触で世界を塗り替えていこうとするものの、ことごとく現実に打ち砕かれてしまう――そんなロマン主義者の挑戦と挫折の半生記として、面白く読める回想録でした。
0727(月)
宿直日。
■インターネット徘徊■
古傷がいたむ/過酷な原作にたいする、平和な願いとしての幕間2次創作論
過日は『鬼滅の刃』いまでは『チェンソーマン』にかんするほのぼの日常スピンオフ漫画や学園パロ漫画が隆盛をきわめていますね。
そうして思い返すのがぼくらの青春、ゼロ年代の一コマです。
エヴァのSSが隆盛をきわめた時代に、識者がとなえた、
「現代オタクは記号をただ消費するだけの動物なので、オリジナルの物語を無視してデータベース消費が云々」
っていうお話。ぼくはそちらよりも、それに対してべつの識者が反論としてとなえた、
「むしろ過酷な原作をよく読みこんでいるからこそ、かれらにすこしでも幸せなひとときがあったことを願ってそうした二次創作をしているのでは?」
という意見のほうへやっぱり説得力を感じるなぁとなりました。
みんな幸せに過ごしてほしい。
連想ゲーム
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