すやすや眠るみたくすらすら書けたら

だらだらなのが悲しい現実。(更新目標;毎月曜)

日記;2019/12/03~12/09

 日記です。1万字くらい。来週訳出がアップできるだろうエッセイ(進行度7400/9500語くらい)の読書メモですねほぼ。

 ※言及したトピックについてネタバレした文章がつづきます。ご注意ください※

 

1203(火)

 フリ休日。夜更かししたせいで昼間がつぶれてしまいました。

 ■書きもの■読みもの■

  『London’sOverthrow』1~7章読書メモ

 ミエヴィル氏のblogに置かれたエッセイですが、きょうは3~7章まで読み書きしました。1800語ほどとなるけど、3~4章は月曜夜~深夜にやったような気も。そうなると1150語くらいらしい。

 11時から18時、22時から24時くらい。前者ならやっぱり1時間200語 ペースだけど、後者なら120語くらいか。幅がありすぎる。

 章からすればあと14章と、残すところ2/3ですが……単語数だと4/5以上あるのでした。マジかよ。200語/時でもあと40時間はかかるわけで、その時間があれば『デススト』クリアできそうなんですが、先人も仰ってました、鉄は熱いうちに打たないとと。ぼくにとって英語熱はそうそう高まることないものですしね。

 

 すぐポンとアップできないから、読書メモを残していきます。

 1章は現代の夜の街路のスナップでした。

 他章との関連性。写真に犬の散歩する人が映り込んでいるのは3章の犬プラカードがあってのこと?

 2章はジョン・マーティンとその兄ジョナサン・マーティン、ヴィクトリア朝の2人の終末画について。公的(/商的/美的/洗練)なものと、⇔私的(/醜/未熟)なものとが対置されます。

 3章は公営セクター労働者を中心としたデモ行進。ブラックフライヤーズからの練り歩き。プラカードなどに見られる時代柄が面白いですね。

 他章との関連性。ヘリの飛ぶさまがクリスマス飾りにたとえられるが、それはまさしく7章で路上観察学される対象だ。またヘリが飛ぶこととテムズ河に異形が突き出ているという点で、9章の五輪テロ対策の場で出た誇大妄想的な不安は、実はすでに現実化されていたということなのかもしれない。

 プラカードの顔だけ犬は、その角度といい色合いといい、2章のペン画の首だけ獅子に似ている。

 デモ参加者のひとり(年金削減に憤る)看護師は、箇条書き(itemize)で思いを述べるという点で、ロンドン再起論が箇条書き(bullet points)するグレーター・ロンドンオーソリティの経済学者と並べているのかもしれない。

 4章はオキュパイLSXのルポと聖職者の反応。

 他章との関連性。直接的には2章のジョナサンが。ここでテント図書館が触れられるのは、9章で図書館の予算が捻出できない話の前フリかも?

 門を閉め閉じこもる聖職者というのは、『Skewing the picture』でも出てきた(ただしこちらは比喩)。「This gives the anti-picturesque animus an anxiety of embattlement. The sense that in the picturesque might be threat. Because the brutality that undergirds the gaze of the picturesque is not restricted to taking an imaginary mallet to a displeasingly unfucked temple in a sketch.(反ピクチャレスクの憎しみは、心配の狭間胸壁を建てる。ピクチャレスクの感覚は脅迫となりうる。ピクチャレスクの凝視が底に取り巻く残忍さは、スケッチのなかの不愉快で不可侵の神殿にむかって想像上の木槌をふるうことを制限しないから)」と似通っているかもしれない。

 「splendid shadow of another to another」は、5章の投影されたラブフィルム広告「its visions lurch into anamorphic frights on the sides of every bus that passes.」、14章「No number of ads, music videos, station idents featuring roof-bounding like this can make what we’re watching boring, can alter the fact that watching the parkouristes lurch in」と連なってきそうだ。

 秘密主義の権威が訴訟を任されるといえば、10章テリーザ・メイ内務省の職質の調整がある。14章のサザークの沼での若者のたむろがコンクラーベと表されるのもこれとの符牒なのだろうけど、開けた地へ走り飛ぶオポジットとなっている。

 5章は小粒で、地下鉄から駅前の広告の概観。余談だけど、ここで取り上げられた資本主義の獣ラブフィルムは、現在ではアマゾンに吸収されたそう。翌12年には米Netflixが英国上陸、8ヶ月後には100万人登録達成……と、ミエヴィル氏が聞いたのは実は、ロンドン産の獣が本当のエイリアンの上陸をまえにして吠えた悲鳴だったのかもしれません。

 他章との関連性。ここで言われる『宇宙戦争』の赤い草は、3章の赤いヴィクトリア朝柱の見えない橋、9章の五輪モニュメントにつながっていきそう。

 6章はロンドン所得格差についてのまじめな概観と、旧ミレニアムドームとドラゴン境界マーク、民草のためのサプリ的なセレブによる「これだけ大金つかいました」番組、「大事な根っこはノセられないぞ」と英国人が矜持を見せた98年マンデルソン卿への反発という過去の事例について。

 他章との関連性。直接的には4章に出てきた「Gospel imperative(福音の命令?)」が破られる。

 官僚のケモノ化。2章の獅子(黙示録の獣)との対置。

 旧ミレニアムドームは、9章で強く言及されるイアン・シンクレアも眺め触れている存在らしい。水ぶくれと表現することで、2章の放火とつながりが出る。(となると2章のinfernoward-tumbledは、単なる地獄ではなくて、炎的なアレを入れたほうがよいんだろうか? 灼熱地獄? 業火?)。

 グレーター・ロンドンオーソリティの経済学者のロンドン再興論が箇条書き(bullet points)されたことを取り上げて、3章のデモ参加した労働者女性の箇条書き(itemize)とつなげている?

 7章はクリスマス飾りで階級分析(!)路上観察学的要素がいちばん強く、それでいて歴史ウンチクでもない(。先行研究を紹介するような類いのものでもない)。もしかすると氏自身の視点論点がもっとも出ているところなのかもしれません。

 他章との関連性。中産階級がケモノ化される。有名企業製の電飾で、5章のロゴ獣の仲間のように思える。6章に出てきたセレブと広告の地方版の登場。3章のクリスマス飾りにたとえられたヘリに対して、本物のクリスマス飾りが扱われる。

 中産階級以上の単色・シャレたシンプルな電飾によるクリスマス飾り⇔低所得者層の猥雑でカラフルなクリスマス飾りという関係は、2章の美的・商業的・洗練⇔醜・私的・未熟という対立軸の延長線上と考えられそう。

 

1204(水)

 ■書きもの■読みもの■

  『L’sO』8~9章半分まで読書メモ

 1150語くらいらしい。言ったそばから英語熱が下がってる!

 8章は公共セクター以外の労働者(マージナルなコミュニティ含む)の苦難とデモ。1/3は政党政況概観でそこは(もちろん)ルポ的な面白さはないし、たぶん現社解説的にはごくごく簡単なんだと思う(だからきちんとイギリスのニュース追ってる人には退屈そうな)んだけど、面白造語とかでリーダビリティを上げていて、「弁士だなぁ」と思いました。

 

1205(木)

 宿直日。

 ■書きもの■読みもの■

  『L’sO』9残りと10途中まで読書メモ

 残りは280語くらいでした。10章は560語まで読む。クリスマスまでには終わらせたいですが……。現在4350語、残りは5160語、まだ半分以上残ってますね。

 9章はデザインされた脱腸vs創発的な肥溜め……という最悪の章でした(笑) 有名建築家によるオリンピックのモニュメントも面白いし、対置される建築家なしの建築もすごい。読み進めるたびに「現地人の書き込みはすごいな……」と痛感することしきりでしたが、9章の(オリンピックの議題が多い)ロンドン政策会議の段になって、われらが『屍者の帝国』終盤に謎の厚みが感じられて笑ってしまった。テムズ河を走る戦艦さえもが議題に上がるセキュリティ対策! (あまりピンとこなかった『007スペクター』も、終盤のアレは地元民的に「オッ!」という展開だったかもしれない)

 省都の関連性。

 オリンピックのケモノ(?)化。ガイアは母なる地球くらいが穏当かもしれないけど、そのまま女神にした。3章5章の赤いものとつながっていきそうだし、5章7章で出てきた/関連しそうな企業名を背負った物体でもある。

 AMオービット⇔AMポンプ場跡近くのゴミ礁という関係は、2章の美的・商業的・洗練⇔醜・私的・未熟という対立軸の延長線上と考えられそう。

 アビー・ミルズ・ポンプ・ステーションはイアン・シンクレア著『London Overground: A Day's Walk Around the Ginger Line』に(※ただし『L'sO』発表の後2015年の本)、アビー・クリークは『London Orbital』(これは『L'sO』発表前2002年の本)に登場するらしい。シンクレアといえば『LoXG3』のあの時間旅行者アンドリュー・ノートンを描いた作家だけど、ロンドン路上観察学の大家らしい。……ミエヴィル氏によるただの聖地巡礼だったりしないよね? せっかく訳出をアップするのなら、(上で触れたミレニアム・ドームのシンクレア評などもあわせて)その辺も読んで比較し「読んだ感想」欄ででもその異同が伝えられたら、ただ訳出したにとどまらない、その記事独自の有益さが出てきそうだけど、そこまでの英語力がなぁ……。

 ウィキペディアなどをリンク張るようにしているし、場所が特定できそうなところはgoogle地図やストリートビューも開いていましたが、今章は場所でプロットしてみた。アビー・クリークはgoogle衛星写真+3Dでも、それが川と認識できませんでしたよ(すごい……)。壁のストリートペイントもすごい。それなりの日数組んだ旅行なんてすることあったら、ぜひ巡礼してみたい。

 

 

1206(金)

 ■社交■

 兄の誕生日を祝う。母屋に住む兄家族の第三子・姪(2)は風呂上りに「zzz_zzzzくんごはんだよー」とわが母(姪にとっては祖母)のスマホから電話するのが最近のお気に入り行動だ。電話のタイミングは彼女がお風呂から出たときなので、連絡をくれたからといって夕飯の支度ができているわけではない。

 で、電話の途中で「今日はホニャララ」とその日の出来事を一言言ったりとか、「ハッピバースデー、フゥ~~ってしたねえ」(数ヶ月まえにした誕生会がよほどお気に入りだったらしい)とか昔の・しかし自分が好きなことを数語しゃべる。

 きょうも「今日はハッピバースデー、フゥ~~ってするよ」と言っていたので「うんそうだね楽しかったね」と返事をしたが、ちゃんとした予定を告げていたのでした。

 甥(5)はチーズケーキを所望するも食べてみたら自分の好きなやつではなかったようで母(ぼくにとって義姉)にバックし、みんなのケーキを一口ずつもらい、甥(6)はモンブランだけを食べ、姪(2)は自分が何を食べているのかクイズをし(最初のケーキ以外はわからない味だったそうな)、ケーキを取り分けるとき「(5)は半分半分」という言葉が気に入っていたので正解した姪に「(2)はピンポンピンポンだね」と言ったら、「(5)は~?」「半分半分」「(2)は~?」「ピンポンピンポン」とコールアンドレスポンスを求めるようになった。

 

 

 

1207(土)

 出勤日。

 ■書きもの■読みもの■

  『L'sO』10章読書メモ

 10章のこり520語を読みました。(この章だけで1080語あるのか……)

 11章を240語読む。

 10章ではトッテナム団地の光と影、そして警官の職務質問(stop and search)からのダッガン射殺含む近年のデモ鎮圧時の暴力/警察の横暴について。

 ラッパーのMV(キッチュだが美しい)の監督に取材しこれも一つの現実としたうえで、現代トッテナムの若者の放火略奪の現実が紹介される。この放火略奪はヴィクトリア朝の狂人ジョナサン・マーティンの放火と重ねられ、さらには現代のトッテナムの暴動に参加したインタビューから85年の同地の暴動と並行発生したブレクストン暴動に加わったジンバブエの不遇の詩人の詩が重ねられる。

 MVの話と略奪の話は、前者が「キッチュ」「美しい」と表現され、後者がジョナサンが名指しで挙げられる点から、2章の職業画家と素人の二つの終末画の対置を思い起こさせる(弟の画家ジョン・マーティンの芸術もまたキッチュと評された)。理想と現実ではなくて、美しい現実とそうでない現実……という対立で。そうでない現実もまた(不遇の詩人の詩が引かれたとおり)、別の美(とみなされていない美)がある。『Skewing the picture』のピクチャレスクとピクチャースキューと同様に、ミエヴィル氏のとらえる事物の関係性は入り組んでいて、そして一般に醜い粗い見るに堪えないとされるものを肯定する・まだ定式化されていない別の価値観を提示している。

 

 活動家などの団体へ警察による潜入捜査/ハニトラが暴露されるなどのスキャンダルがあったんですね……知らんかった。

 

 他章との関係性について。

 きれいな(そしてキッチュな)ラッパーのMV⇔お茶の間で報道もなされた若者による暴動/警察による死傷という関係は、2章の美的・商業的・洗練⇔醜・私的・未熟という対立軸の延長線上と考えられそう。

 警察の蛮行がブルータルと表現されているけれど、これはもしかすると9章のロンドン政策会議がひらかれるブルータリズム建築と重ねるべきかもしれない。

 今章で複数のデモ参加者・たまたま居合わせた無関係者への警察による死傷が説明されたことで、3章の「死者が出てもおかしくない行進だった!」は、誇張でも何でもないただの事実だったことが分かる。

 

 これで6200語。残りあと1/3ちょい(3310語)です。いま2万字くらい(※訳注ふくむ)だから、3万字くらいになるんだろうか……。

 クリスマスには間に合いそうだけど、前回の5000語記事の時点で数週間におよぶ誤訳潰しをしていた(多分まだある)わけですが、「訳してすぐアップでいいの?」というあれはある。

 

1208(日)

 なんだかんだで11時すぎまで寝ていました。午後からはニコニコ中継から両国ライブ配信を。読書がなんも進められんかったうえに、髪切ったりにも行けてません……。

 ■見たもの■

  にじさんじ『Virtul to LIVE in 両国』ニコ生ネット視聴

 ウェブマネーの残高を間違えていて、放送開始前にあせって補充しに行く。しぃしぃの歌から視聴。詳しい感想はとりあえずまた今度。ロアちゃんのキャラ(口癖)に合いつつも普段見かけない一面を掘り下げるようなソロ曲、るるちゃんの他の子に目線を合わせるための背のかがめさせ具合。江良ちゃんの練習量(振付の多いダンス)、ギバとこのこれまでのオフコラボ失敗がこのためにあったのかとさえ思える選曲。まさかの照れも衒いもなくかわいさ全振りの委員長。力一さんの声とキャラの伸び。いろいろ良かった。。。笹木の「またね~」がね。。。もうね。。。

 

 ■書きもの■読みもの

  『L'sO』11、12章読書メモ

 11章の残り260語読みました。12章は160語とめちゃ楽チンでしたが、土地探しをしたので無駄に時間がかかってしまいました。13章を500語読んで寝る。

 11章は90年代後半からのロンドンの地元アングラ音楽史。現代地元音楽シーンをダブステップvsグライムとしたうえで、それらの血脈は95年にジェームズ・T.カークと二本指(!)が『ジャングリスト』という本で指摘したような、ロンドンの土地の音(=工場の産業的騒音による重低音)や裏路地の霊知グノーシスから受け継がれたものであり、そしてあれほどけたたましいのは、現代のストリートを排除しようとする支配階級への怒りの声だからだ、という内容。

 「その時代の特定カルチャーに特定の時代精神が現れている」とする向きは、様々な俗流社会批判にうんざりしてきた一部の現代日本オタクにとって鬼門で、ぼくも面白がりつつもイヤだなとも思うわけですが、今回はどうかというと、そんなヤな感じはしなかったですね。

 ミエヴィル氏は言質をしっかり取るので、少なくともエッセイ内ではおかしな論ではありません。氏はグライムを扱うクラブ/ミュージシャンに取材し、イベント中に「この音楽は大蔵省を襲う嵐だ!」と叫ぶクルーの声を取り上げ、そんなイベント自体が官憲の厳しい監視にあるForm696=ロンドンで音楽イベントを行なうさいロンドン警視庁へ届け出なければならないリスク評価シートで、音楽のジャンルやイベントの目的の記入欄があるほか、主催者やDJやアーティストの本名や生年月日や連絡先や住所を記載し、後に削除されたものの当初は特定の民族が参加する場合はそれを明記しなければならなかった)ということ、その愚痴を取り上げていきます。

 

 12章は、「グライムの連中は正しい」という言葉からはじめ、各地の特色紹介をする。メルヴィル氏は、アールデコ建築巡りの果てに、英和辞書にも載ってない土地のどことも知れない空き地(?)の放置ソファに辿りつく。160語とコンパクトな章ですが、この2倍でも楽しいだろうなあ。個人的には4倍くらい欲しかったな。

「Camden nostalgic for itself, giant nipple rings and boots on its shops like discards from a punk god.」という文章があって、ぼくはてっきりクソでかい乳首ピアスとかイカつい靴がそれぞれの店舗に店棚に置かれているのかな? くらいに思ったんですけど、グーグルストリートビューで当地を覗いてみると、どうやらそういう立体看板が頭に乗ってるお店がそれぞれあるようでした。文中では二店舗しかリンクを貼れませんが、駅前50mくらいの一等地に、巨大な靴、インドインドした象、ゴシックな魔女&こぼれんばかりの巨乳ボンテージ女の店が3軒並んでいたりと、カムデンは立体看板の町らしい。

 他章との関係性について。

 屋上立体看板がパンクの神の廃棄物と評されることで、9章と同じく、巨神の落とし物が登場したこととなる(前者はローカル⇔後者は大企業ロゴと違いがある)。

 チェルシーが2語で済まされているのはまた金持ち弄りなのだろうか? 

 

1209(月)

 宿直日。

 ■書きもの■読みもの■

  『L'sO』13~16章読書メモ

 13章の残り150語を読んで、14章(400語)~15章(240語)~16章(310語)、17章途中まで(270語)を読みました。

 13章は①ロンドンバス(とそこで漏れ聞こえる音楽)に代表される公共交通機関の世代差と、②ハックニーで教育チャリティ団体に奉じる人による大人たちの若者への二面的な態度についての話、③ハックニーの暴動での暴動参加者(男)から参加者(女)への暴力をまた別の参加者が見かけた話と、④若者へ押し付けられた反社会的行動禁止命令、児童福祉の大家が思う大人の(悪癖的な)ロンドン気質の話を取り上げ、ロンドンの若者への抑圧は、古くから延々繰り返されてきた大人たちの回りくどい自罰なのではないか……という視点が示される。(計650語ギリ届かないくらい)

 ミエヴィル氏のストーリーテリングの巧みさが光る章だと思いました。

 ここまでのエッセイではお上の横暴が目立ったし、いくらか描かれた暴動の暴力性・悪質さも「かつて・そこ」のテレビ越しの光景でした(10章)。暴動者へシンパシーを抱かせていたところで、13章③のような非官憲が肉眼・直に肌に感じた「いま・ここ」性のつよいミメーシスによって振り返られます。

 読者であるぼくがその文脈なしの暴力性に驚き「いやクズじゃーん!」と素朴な感想を抱いてしまうのですが、ミエヴィル氏は当の目撃者も反射的に政策説に傾いてしまった証言を一旦取り上げることで「やっぱりクズじゃーん!」と印象を強めさせます。エッセイは目撃者の考え直しまで記します(そんな流れなので、ぼくはちょっと文明人のごまかしのようにも思えてしまう)。すると途端に④へと場面転換しASBOを紹介することで、さきほどの考え直しが楽観や保身ではなく理のあることだと、大人がどれだけ若者を抑圧しているかに関する新たな・そして強い法例を示していく。

 論の組み立てが面白い。論考であっても、ある種のドラマというか、読ませる展開というのがやっぱり大事なのだなと思います。はからずもべつの自分の関心事と重なる内容でした。

 

 さてASBO、上にあげた日本のウィキペディアの項目だと有って無いようなものですが、エッセイではこの法令のしょうもなさと締め付けの強さが紹介されていて、罵倒を禁止された(ズボンを下ろしたら刑務所送り)だとか、町でサッカーしただけで法的に罰せられた少年とかがいるそうな。

 もっと詳しく知りたいかたは英ウィキペディアを読むとよいでしょう。ゴルフの手袋をはめるのを禁止された10代の少年2人とか、「草(grass)」と罵倒するのを禁じられた13歳とか、ガチョウやブタが近所を荒らさないよう言われた農家とか、3人以上の若者とたむろしたために逮捕された18歳とか、正負逆だけどホグワーツダンブルドア校長などんぶり勘定だ。

〔最初二つはご当地・お国柄の文脈があって(前者はそれがその土地のギャングのコスチュームだった。後者は草とはアーサー・ガードナーの探偵小説での隠語から普及した裏切り者・密告者のことで{元をたどればウェルギリウスの筆にある「草の中の蛇」で、「草」は17世紀時点で「裏切り者」という意味合いで使われていたのだそう)}、ちょっとこれは面白がりすぎかもしれません〕

 

 14章は、サザークの街並み/公園を画家で批評家で作家のローラ・オールドフィールド・フォード氏と回り、古い石造りの建物やうらぶれた緑と若者との新たな関係性を見やるというものです。(400語)

 彼女の発言内容や彼女が現在行なっている活動(ポスト‐パンク・アート)についてはそこそこに、主眼が置かれるのは、彼女と英国心理地理学(とその源流のフランスのシチュアシオニズムの関係性、そして、⇒うらぶれたシャッター街(閉店したカラテ‐ドーの店)と公園でたむろする現代若者文化(とその源流のフランスのパルクールの関係性です。

 

 15章は、剃刀ワイヤーに覆われた建物やシャード(陶器やガラスやらの破片)が混じったギザギザの壁を異形にたとえ、ロンドン各地の動物モニュメントへと視点が飛んで、自然史博物館のテラコッタ、イルカ街灯、鉄のラクダのベンチ、クリスタル・パレス・パークの当時水準デタラメな恐竜とスフィンクストラファルガー広場の獅子が紹介され……そして最後にホーニマン博物館の、半分剥製で半分骸骨の標本や、剥製の頭と骸骨の頭を並べた進化論的イヌ標本といった、たしかに生き物だったがモノみたいにされてしまった異様な剥製へと注目する。(240語)

 12章の、動物モニュメント版といった様相でかなり楽しい(しおぞましい)。

 「Big-headed fish coil around Thames-side lamp-posts」とか、これまたどういう意味って感じなのですが、ググってみるとまさしくその通り、巨頭の魚が街灯にぐるぐる巻きついているんですよ。クリスタル・パレス・パークの恐竜は、別件(旬のゲームのモンスター)から気になってたので、ウィキペディアだけでもきちんと読みたいですね。

 

 16章は、本物の生きる動物について。15章と同じ綴りの大文字のザ・シャードをのぼるキツネと、9章で単語が出てきた(?)藪としてのscrabの鳥たちの生態系。昔はキツネに出くわすなんて寓話の世界にでも滑り込まなければ難しい、というお話から、現代のロンドンの藪に掬うライミー脚気予防にライムを食べていたイギリスの船乗りの俗称ではない)が、在来の鳥たちの巣穴を奪って住んでしまうという「逸話に富んだエビデンス(anecdotal evidence=事例証拠)」の話になる。こんだけカオティックなのに、きっちり話がパートで頭と尻をそろえて纏まっているんだよな。すごい。